2025年3月15日 (土)

生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第392回

リアス式海岸の断崖と入り江の港町を数々越えて、ダリのポルト・リガトの岬町へ。
横須賀美術館、観音崎へ。横浜から京浜急行線特急で堀ノ内乗り換え、馬堀海岸からバスで、観音崎へ行く。
魔術的写実主義、サルバドール・ダリ、魔術的写実主義、サルバドール・ダリ。
【シュルレアリスムの図像学】デ・キリコ「ある秋の午後の謎」1910「通りの神秘と憂鬱」「イタリア広場」(1914年)、ダリ『記憶の固執』1931、ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」1944、『記憶の固執の崩壊』1954、ルネ・マグリット『大家族』1963、ルイーズ・ブルジョワ『ママン』1999・2002
【シュルレアリスム100年】『シュルレアリスム宣言 溶ける魚』アンドレ・ブルトン1924から始まる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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魔術的写実主義、サルバドール・ダリSalvador Dali(1904-89)の生涯と藝術
サルバドール・ダリ(1904-89)の生涯
【サルヴァドール・ダリSalvador Dali 生涯】
ダリは1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲーラスで生まれる。1922年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学、詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカ、映画監督ルイス・ブニュエルと知り合う。1929年、パリに赴き、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンら、シュルレアリスムの中心人物たちと面識を得る。1931年27歳の時、『記憶の固執』を描き、生涯の最高傑作となる。1929年夏、ポール・エリュアールが妻とともにカダケスのダリのアトリエを訪ねた。ダリの妻となるガラ・エリュアールとの出会いである。ダリとガラは強く惹かれ合い1934年に結婚。1982年にガラが死去。「自分の人生の舵を失った」。ジローナのプボル城に引き籠もった。1983年5月を最後に絵画制作を止める。
【ダリ、シュルレアリスムとの出会い】シュルレアリスムの代表的なアーティスト、絶大な人気を誇るサルバドール・ダリ。スペイン・フィゲラス出身のダリは1929年パリでミロの紹介でアンドレ・ブルトンに会い、29年夏カダケスにシュールレアリストたちポール・エリュアール夫妻、ルネ・マグリット夫妻の訪問を受ける。1934年アンドレ・ブルトンと離れる。1934年ガラと入籍、アメリカで見聞を広げ、39年ニューヨーク万博でパビリオン展示。人生の後半は生まれ故郷で愛妻のガラとともに多数の作品を制作した。
【ダリとガラ、ガラは雌カマキリ】ダリとガラは強く惹かれ合い1934年に結婚。1982年にガラが死去。「自分の人生の舵を失った」。ジローナのプボル城に引き籠もった。ダリ『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934。
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サルバドール・ダリ(1904-89)の藝術
魔術的写実主義【サルバドール・ダリ(1904-89)】『記憶の固執』1931、『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934、『ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』1936『ナルシスの変貌』37『燃えるキリン』37『ヴィーナスの夢』1939『聖アントニウスの誘惑』46『ビキニの3つのスフィンクス』1947、『記憶の固執の崩壊』1954、「テトゥアンの大会戦」1962、『引き出しのあるミロのヴィーナス』1936『夜のメクラグモ 希望』40『焼いたベーコンのある自画像』41『象』1948『ポルト・リガトの聖母』1950『MeltingWatch溶けた時計』54、『大惨事シリーズ(Série des catastrophes)《ツバメの尾》』1979【初期ダリ】『窓辺の少女』1925『陰鬱な遊戯』29『不可視のライオン』1930『降りてくる夜の影』1931
ダリ『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934、大野方子(諸橋近代美術館学芸課長)に聞いたところ、この作品はアメリカにあるとのことである。
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【『記憶の固執』1931】
ダリのアトリエからみえるポルト・リガトの海と岩と柔らかい時計がある。ある日の午後、溶けた時計が見えた。「私は二つの柔らかい時計を見た。そのうちひとつはオリーヴの木の枝に嘆かわしい姿でぶらさがっていた。」ダリ『わが秘められた生涯』1942
【『ヴィーナスの夢』1939】
《ヴィーナスの夢》1939年ニューヨーク万博で制作したパビリオンの内壁を飾るために制作された代表作。パビリオンの正面にボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』1485の複製が展示されていた。柔らかい時計や燃えるキリン、引き出しのある人物、焼けたベーコンなどダリのシンボリック・イメージと言えるモチーフが集結、揃い踏みである。
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展示作品の一部
《ビキニの3つのスフィンクス》1947、公益財団法人諸橋近代美術館蔵
ダリ「ヴィーナスの夢」1939、(Salvador Dali、1904-1989『ヴィーナスの夢』(The Dream of Venus)広島県立美術館蔵
サルバドール・ダリ《ダンス:セブン・ライブリー・アーツより》1957 年頃、公益財団法人諸橋近代美術館蔵 コピーライトSalvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR Tokyo, 2024 B0824
サルバドール・ダリ《アン・ウッドワードの肖像》1953年 公益財団法人諸橋近代美術館蔵 コピーライトSalvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR Tokyo, 2024 B0802
フィリップ・ハルスマン 《サルバドール・ダリ》 1954年
Photo by Philippe Halsmanコピーライト Philippe Halsman Archive Image Rights of Salvador Dali reserved: Fundacio Gala-Salvador Dalí Figueres
シュルレアリスム宣言 100 年
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参考作品
ダリ『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934
ダリ「テトゥアンの大会戦」1962、諸橋近代美術館
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開催概要
サルバドール・ダリ(1904-89)の生誕 120 周年、シュルレアリスム宣言 100 年の記念すべき節目に開催する本展は、世界屈指のダリ・コレクションを形成する諸橋近代美術館の所蔵品を中心にダリの生涯を概観し、ダリの渡米以降の活動にも注目します。 ダリが私たち観衆に魅せた「シュルレアリスト・ダリ」とその背景にある「人間・ダリ」の複雑で繊細な内面を探り、世界中で愛されているサルバドール・ダリがいかなる芸術家であったのか、油彩、 素描、版画、彫刻のほか、ミロやマグリットなどシュルレアリスムの作家の作品群など約 120 点により明らかにいたします。 
会場:横須賀美術館(神奈川県横須賀市鴨居4-1)
会期:2月8日(土)~4月6日(日)
講演会「天才サルバドール・ダリの秘密」大野方子(公益財団法人 諸橋近代美術館学芸課長)2025 年2月8日(土) 14:00~15:30(終了予定)
https://www.yokosuka-moa.jp/archive/event/2025/2025
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参考文献
生誕100年記念 ダリ回顧展 Salvador Dalí Centennial Retrospective図録、朝日新聞社、上野の森美術館、2006
絶世の美女、憂愁の王妃、強欲な魔女、才色兼備の美女、ゾフィア・ドロテア、ガラ、クレオパトラ7世・・・美と復讐第3巻
https://bit.ly/3bA0oAw
ダリ『記憶の固執』、『記憶の固執の崩壊』・・・スペインの荒涼とした大地、記憶の迷路
https://bit.ly/2PtGnyk
シュルレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
https://bit.ly/2vikIlL
デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-bf7c56.html
生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-0c6967.html
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著者プロフィール 大久保正雄 哲学、美学、比較宗教学、図像学。美術評論。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。質疑応答、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』2019、島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』2018、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』

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2025年2月28日 (金)

美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第391回
狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、100面の壮麗な光景は、圧倒的な美しさ、京都、大覚寺において、見ることが不可能な至宝の光景。2025年2月17日18日
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質疑応答【問題篇】、X氏×大久保正雄
ある人を前提して、質疑応答を作成しました。スケジュール上の理由から中止の止むなきに至りました。解説篇に解答の鍵があります。
1、嵯峨天皇と空海
精神文化を愛する王、嵯峨天皇、密教の思想家・空海、平城上皇の乱が起きる。嵯峨天皇は、文化を愛し、空海と交流し、高野山の開創を勅許し、東寺を空海に賜り、弘仁貞観文化を生み出した。詩人、書家、芸術家を輩出した。嵯峨天皇妃橘嘉智子。橘嘉智子は絶世の美女と記録された。
嵯峨天皇と空海によって生み出された、弘仁貞観文化は、どのような世界だと思いますか。嵯峨天皇の統治は、どのような世界だと思いますか。歴史上の王朝と比較して。

2、嵯峨天皇と空海、皇后橘嘉智子
嵯峨天皇と空海、皇后橘嘉智子は、嵯峨・淳和・仁明天皇3代、統治と文化に重要な役割を果たした。嵯峨院、嵯峨離宮を築き、院政を行い、30年間君臨する。嵯峨、空海、橘嘉智子は、どのような人物か。
嵯峨天皇は、権勢を誇る藤原家の女を皇后とせず橘嘉智子を皇后とした。美女だからではない理由は何故か。
10世紀、一条天皇は、定子、彰子を通じて藤原道長に支配された。(倉本和宏『紫式部と藤原道長』)

3、密教美術、仏教美術
空海の密教は、「言葉によっては思想を伝えることは難しい。だから、図像によって表す」「真言秘蔵は経疏に隠密にして、図画を仮らざれば相伝すること能わず」(空海『請来目録』) 。そこで、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅、東寺講堂の21体の仏像による立体曼荼羅などによって、多彩な密教美術が生み出された。思想を表現するために密教美術は生み出された。
密教美術の作品で、魅力的な仏像は何ですか。密教美術に限らず、仏像界で最も魅力的な仏像は何ですか。

4、狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、狩野山楽は、狩野永徳の弟子。
狩野永徳は、当代最高の絵師とアレッサンドロ・ヴァリニャーノに呼ばれた。狩野永徳は、織田信長の安土城の障壁画を一門を率いて描いたが、本能寺の変で焼失。狩野山楽は、武家の出身でありながら、数奇な運命を経て、狩野永徳の弟子となる。
「紅白梅図」「牡丹図」は、狩野山楽筆である。繊細で豪華な作風は、狩野永徳の弟子である(河野元昭『饒舌館長』)
狩野永徳の障壁画、屏風で魅力的な作品は何ですか。狩野山楽の作品で魅力的な作品は何ですか。安土桃山時代の障壁画で魅力的な作品は何ですか。
織田信長は、残酷な覇王とされるが、茶の湯を愛好、狩野永徳、千利休、本因坊算砂、牛田牛一、沢彦宗恩、武井夕庵、清玉上人、穴太衆、ら、天下一の芸術家、才能を重用した。ルイス・フロイス『日本史』は「織田信長は、明晰透徹」と書いた。
織田信長の、真の姿は何か。

5、織田信長の妹、お市の方、浅井三姉妹、茶々、江。お市の方は戦国一の美女として有名。浅井三姉妹の江は、3度目の結婚で、第2代将軍、徳川秀忠の正妻となり、家光を産む。浅井三姉妹は、3度落城の残酷な運命の果て、自分の運命を知る。
戦国の美女にとって、どのような生き方が幸福な人生だと思いますか。

★★★★★★★★★★★★★★★★
【解説篇】
表面的に芸術を撫でるのではなく美の本質を、美しさの陰にある精神の美、精神文化の舞台裏にある人間のドラマを探求する、美への旅。
1、嵯峨天皇と空海
【平城上皇の乱】809年4月嵯峨天即位。9月譲位した平城上皇が太政官人半ばを率いて平城旧京に遷り藤原薬子と兄仲成に擁され朝政に干渉。嵯峨天皇は巨勢野足・藤原冬嗣を蔵人頭に対抗。弘仁元年(810)9月、上皇の平城遷都の命を機に征夷大将軍・坂上田村麻呂の兵を派遣
【空海と最澄、嵯峨天皇】809年8月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、809年10月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなる【816年(弘仁7)七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創】【『即身成仏義』819-820】
精神文化を愛する、嵯峨天皇『舞蝶』『文華秀麗集』818年(弘仁9)数群の胡蝶、飛び乱れ、花樹の中、色彩が芬芬、弦管の響に因らず、無心にして処々春風に舞う。
数群胡蝶飛乱空(数群の胡蝶空に飛び乱れ)雑色紛紛花樹中(雑色粉々なり花樹の中)本自還元不因響(本自弦管の響きによらず
【空海と嵯峨院の別れの詩】空海60歳と嵯峨院47歳の時の最後の会見。2年後、空海は835年62歳で死去、嵯峨院は842年56歳で薨去。嵯峨天皇「海公と茶を飲みて山に帰るを送る」【嵯峨院】天長10年(833年)10月、在位中に設営された洛外の離宮の嵯峨院に御所を新造。
天長10年(833年)10月ある秋、嵯峨天皇と空海は香茶を飲み、詩を詠まれた。「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて日ここに暮れる。稽首してわかれを傷み雲煙を望む。」『海公〔空海〕とともに茶を飲み、山に帰するを送る一首』(経国集』巻十)。

精神文化を愛する嵯峨天皇と空海、橘嘉智子、詩人、藝術家たち。
15世紀フィレンツェのメディチ家、ロレンツォ・デ・メディチのようである。
メディチ家はプラトン・アカデミーの思想家たちを集め、プラトン哲学を研究、プラトン全集をマルシリオ・フィチーノに翻訳させた。
ロレンツォ・デ・メディチ「青春は過ぎゆく。楽しみなさい」の詩を想起する。フィレンツェは、ローマ教皇軍、フランスのフランソワ2世の軍に、包囲された。ハプスブルク・ヴァロワ戦争で標的にされた。
スペイン・ハプスブルク家フェリペ2世の藝術愛好とは異なる。オーストリア・ハプスブルク家マリア・テレジアの藝術蒐集の物欲とは異なる。唐の太宗皇帝による王羲之の書の愛好とも異なる。エジプト18王朝、ラムセス2世とネフェルタリのアブシンベル神殿建築とは異なる。アクエンアテン王とネフェルティティのエル・テル・アマルナ神殿建築とは異なる。フランソワ2世はレオナルド・ダ・ヴィンチを招き、フランス・ルネサンスを構築する。ロワールの古城、シャンボール城、フォンテーヌブロー宮殿とは異なる。











嵯峨天皇は、文雄(詩人の友)を集めて曲水の宴を開いた。『蘭亭序』は、永和9年(西暦353年)3月3日に王羲之が会稽山の蘭亭で修禊の儀式をして催した曲水の雅会、人々が詠じた漢詩に寄せた序文。
嵯峨天皇『神泉苑花宴賦落花篇』「過半の青春 何の催ほす所ぞ。和風数(しばしば)重(しき)りて 百花開く。芳菲歇盡(けつじん)するに、駐(とど)むるに由無し。爰ここに文雄を唱(よば)ひて、賞宴に来たる 見取す。花光林表に出づることを、造化寧ぞ仮らん丹靑の筆」
【嵯峨天皇の支配構造 腹心【藤原冬嗣、橘嘉智子】真言密教、空海】紫式部時代との比較【平城上皇の乱】819年9月【式家排除】弘仁元年(820)九月、制圧。薬子自殺、仲成射殺、高丘親王は廃止、藤原真夏ら左遷【一条天皇、兼家・道隆・道長に支配され一帝二后】1000年2月
【弘仁・貞観文化】嵯峨天皇は、藝術と精神文化を愛する王、自ら詩を書き、空海と交友した。詩文の粋を集めた『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』はその精華。「光定戒牒」等の遺品があり、空海・橘逸勢とともに三筆と称せられる。承和九年(八四二)七月十五日崩じた。五十七歳。
橘嘉智子は、会った人が余りの美しさに感動したと歴史書に書かれた。
橘嘉智子は、類まれな精神をもっていた。不思議な血筋ゆえか。
3、密教美術、仏教美術
友人に京都、下鴨のお嬢様がいます。彼女は、東寺に行くとき、あの方に会いに行くと言います。東寺講堂、帝釈天、梵天の座像です。帝釈天は、仏像界で、最も美しいと言われる。帝釈天は、インドラ、戦いの神、宮澤賢治『インドラの網』に描かれている。『即身成仏頌』「インドラの網」が出てくる。「重重帝網なるを即身と名づく」(空海『即身成仏義』)。
密教美術の宝庫は、京都、東寺講堂、東寺観智院、東寺霊宝館、高野山金剛峰寺、霊宝館、醍醐寺、奈良、法華寺、近江には十一面観音菩薩の宝庫があります。
密教美術に限らず、仏像界で、最も人気がある仏像は、興福寺・阿修羅像、法華寺十一面観音菩薩、法隆寺救世観音像、夢違い観音像、法隆寺・伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像だと思います。
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)四種曼荼各離れず(相)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)

4、狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、狩野山楽は、狩野永徳の弟子。狩野永徳の繊細にして華麗なる画風を受け継ぎ、壮麗な障壁画を描いた。
織田信長は、残酷な覇王とされるが、茶の湯を愛好、狩野永徳、千利休、本因坊算砂、牛田牛一、清玉上人。武井夕庵、軍師・沢彦宗恩、穴太衆ら、天下一の芸術家、才能を重用した。最愛の妻、生駒吉乃が39歳で亡くなった時は慟哭した。ルイス・フロイス『日本史』は「織田信長は、明晰透徹」と書いた。
織田信長は、残虐王と思われているが、最も残虐な武将は、豊臣秀吉、明智光秀である。織田信長は、孤高の城、安土城を築き、藝術で装飾した。安土城は、儒教、道教、仏教の障壁画が描かれた。アレッサンドロ・ヴァリニャーノは最高の城と評した。千宗易など、天下一の才能を集めた。

5、織田信長の妹、お市の方、浅井三姉妹、茶々、江。お市の方は戦国一の美女。織田信長の血族には、絶世の美女が多い。
織田信長、最愛の妻、生駒吉乃は、信長の子、信忠、信雄、五徳(徳姫)を産んだ。徳姫は、徳川家康の長男、信康と結婚したが、天正7年、信康と築山殿を12ヶ箇条の手紙で、信長に告発。天正7(1579)年夫徳川信康と築山殿を自刃の後、天正8年、家康に見送られて、安土城に行く。本能寺の変1582、関ケ原の戦い1600、大坂冬の陣1614夏の陣1615。家康の死1616を超えて、1636年78歳まで生きる。
戦国一の絶世の美女といえども、知性と戦略的思考をもって、戦国の世を生きなければならない。
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美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-fe0b54.html
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参考文献 1
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
学問僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post
――
【質疑応答】島薗進先生に、死生学、比較宗教学の観点を踏まえて、質疑応答しました。内容を記録します。島薗進「死生学 ファンタジーと魂の物語」2019年5月26日、上智大学6号館203教室にて。
1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』、2、天正、織田信長、改元の目的、3、密教真言、藝術と魔術、5、学問の不可欠な要素。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』
https://bit.ly/2xET3ix
6、3つの時間論。自分が生きたい時間論を選ぶならば、何を選びますか。
大久保正雄
3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』
https://bit.ly/2NPYAX5
【質疑応答】宗教学者、島薗進先生に死生学について質疑応答しました。2018.5. 27、上智大学にて。
1、宗教とは何か、2、宗教が生まれる原因は何か、3、世界観の選択、4、藝術家と宗教、5、天から降りてきた魂、6、 織田信長と天の思想、7.秘密曼陀羅十住心論、8、父殺しのテーマ、9、人の痛みを知ること、10、理念の崩壊は『純粋理性批判』から始まった。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.5.28
https://bit.ly/2TtDqjn
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』2016.5.29
https://bit.ly/2AeU3Hv
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』2019年1月 7日 (月)
https://bit.ly/2AxsN84
――
大久保正雄 著作目録1 哲学編 
http://bit.ly/2AgBWnr
大久保正雄 著作目録2 美学・美術史
http://bit.ly/2vz6Gcd
大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社
https://bit.ly/379FVUp
――
プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-83ae10.html
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
https://bit.ly/3xYWHQv
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
大久保正雄 著作目録1 哲学編2025
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/1-b346.html
――
参考文献 追補
大貫隆 (著) 『終末論の系譜 初期ユダヤ教からグノーシスまで 』
ユダヤ教のなかで胚胎した独特な終末思想はいかにしてイエスに継承されていったのか
聖書正典のみならず外典・偽典その他の史料を渉猟し、さらにはベンヤミン、ガダマー、アガンベンなど現代思想家との対話も試みる
https://amzn.to/4iv2l1N

河野 元昭先生「饒舌館長」
しかし様式的に、貞信一門とはどうしても見なせない点から、美術史研究者の間では元和5年東福門院女御御所説だけを生かし、「牡丹図」「紅白梅図」はそのころの山楽画とする見方が通説になっていました。土居先生もこの立場でした。
これに再考を迫ったのが、若き日の美術史家・川本桂子さんでした。川本さんは著書『友松・山楽』<名宝日本の美術>(小学館)において、東福門院女御御所説を完全に否定し、様式的にみて山楽慶長末期の傑作であることを明快に論じたのです。僕の所有する『名宝日本の美術』は<新版>なので、『友松・山楽』の発行は1991年になっていますが、オリジナル版は数年早いと思います。https://jozetsukancho.blogspot.com/2025/02/13.html
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空海の密教仏【五大明王】不動明王を中心とした降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の総称、五大尊。空海の教王護国寺講堂の承和6 (839) 年作の木像 (国宝) 、大覚寺の明円作(1177)。金剛界五智如来の教令輪身、忿怒身。唐の不空のころ金剛界五仏
【空海と最澄、嵯峨天皇】809年八月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、一〇月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなる【816年七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創】『即身成仏義』819-820

【県犬養橘三千代】天武~聖武天皇の歴朝に内命婦 として仕え。壬申の乱672年~天平5年733、61年、生きる【藤原不比等と再婚、安宿媛 (あすかべひめ、光明子)を産む】【孫、阿倍内親王、興福寺阿修羅像】【法隆寺 伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像】白鳳時代
【県犬養三千代】藤原不比等と再婚し、安宿媛 (あすかべひめ、光明子) 、多比能を生む。また内命婦 (うちのみょうぶ) として天武~聖武天皇の歴朝に仕え、その功により、和銅1 (708) 年、元明天皇より橘宿禰の姓を賜わる。不比等と結女官として宮廷に大きな影響力
【嵯峨天皇と空海】空海と嵯峨天皇は、香茶を酌み交わした。嵯峨天皇と空海は秋の一日、大沢池に舟を浮かべ、茶を汲み交わし逍遥、夕方、空海が山に帰るにあたり、嵯峨天皇が詠まれた詩「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて
【法隆寺 伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像】鎌倉時代の記録では橘三千代*の念持仏とあるが根拠不明。金銅製の後屏・台座を伴った木製厨子入りの銅造鍍金像。白鳳時代。中尊像高33.3cm。国宝【橘夫人】天武朝から元正朝の5代に歴仕した、古代屈指の有力女官。父は東人
【県犬養三千代】天武、持統、文武、元明、元正の5代に歴仕した古代屈指の有力女官。父は東人(あずまひと)。初め美努(みぬ)王に嫁し、葛城王(橘諸兄)、牟漏女王らを産み、藤原不比等に再嫁して光明子を産む。持統、元明、元正3女帝の信任、文武、聖武の養育。天平5年没
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)。文献、竹村牧男
【狩野山楽】浅井家滅亡、秀吉、秀忠(1559-635)浅井長政の家臣で自らも画をよくした木村永光の子として近江国に生まれる。幼名を平三、のちに光頼。浅井家滅亡とともに父永光が豊臣秀吉に仕える彼も秀吉の小姓。秀吉の計らいで狩野永徳の門に入り狩野姓を授けられ修理亮

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2025年2月 8日 (土)

「魂を込めた円空仏」飛騨・千光寺を中心にして・・・清水真澄館長、記者発表会


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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第390回
「魂を込めた円空仏」記者発表会、清水真澄(三井記念美術館館長)の説明を聞きました。2025年1月31日。
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円空は、材となる「樹木」に神仏を観想し、「樹神」の姿を求めて彫刻した。円空は、樹木を「削る」こと自体に仏教儀礼の意味をもたせ、「削り痕」をそのまま残した。
一削りごとに、魂を込め、呪文、名号、真言陀羅尼を唱え、平安時代からの「仏教儀礼」「如法の仏」にならった作法とされる。
山林修行僧、円空の生涯円空(1632-1695)
『近世奇人伝』以外に、伝記は少ない。
円空は1632(寛永9)年、美濃国(現在の岐阜県)に生まれた。64歳で5000体の像を作り終えると、即身仏入定した。山林修行僧としてのみ、理解されてきた。
前衛的な木彫像が現れ、江戸時代の円空像が注目された。
1959年、東京国立近代美術館、「近代木彫の流れ」展
1960年、鎌倉近代美術館、「円空上人彫刻」展
1963年、鎌倉近代美術館、「その後の円空上人彫刻」展
歌僧円空、学問僧円空、真言陀羅尼を唱える円空の側面があり、山林修行僧だけではない。日本の彫刻史において平安時代の樹神信仰すなわち「立木仏」に源を求めることができる。清水真澄(三井記念美術館館長)は結論した。
千光寺の「両面宿儺像」について
両面宿儺は、『日本書紀』に「一つの胴体に二つの顔」「左右の手に剣を、四つの手は弓矢」「天皇の姪に従わず、成敗された」と記載される。
千光寺の両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)は、慈悲と忿怒の相を併せ持つ像。円空の両面宿儺は、弓矢の代わりに斧をもつ。斧が樹を伐り、削り跡を残す。両面宿儺像は、円空自身の姿である。
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プレスリリースより
江戸時代の山林修行僧・円空は、愛知、岐阜を中心に関東、北陸、さらに北海道までを巡り、各地に木彫の神仏像いわゆる「円空仏」を多数のこしました。現存するその数は約5000余体ともいわれます。円空は、材となる「樹木」に神仏を観想し、「樹神」の姿を求めて彫刻しました。それは現在ものこる生木に直接鉈を下ろした像高2メートルを越す飛騨・千光寺の金剛力士立像で明らかにされ、日本の彫刻史では平安時代の樹神信仰すなわち「立木仏たちきぶつ」に源を求めることができます。
また円空は、樹木を「削る」こと自体に仏教儀礼の意味をもたせ、「削り痕」をそのままのこしています。それが「円空仏」として今日まで伝えられ、現代彫刻にも通じる造形の魅力にもなっています。
円空が樹木に「樹神」を観 、魂を込めて「削った」神仏像は、奈良時代から伝えられる「飛騨の匠」の伝統を継承する岐阜県の飛騨が最もふさわしい舞台といえます。
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展示構成と主な出品作品
1展示室 樹神とノミの削り痕
円空は、樹木の生木に神仏の「樹神」を観て像を彫刻しました。それは平安時代の「立木仏」に遡り、現在も円空が造立した千光寺の金剛力士立像に見ることが出来ます。「樹神」は、生木を斧で「伐きり」、鉈で「割り」、ノミで「削り」、材となってもそこに留まります。円空は、樹木を「伐り」「割り」「削る」行為と、像の表面に削った「ノミ痕」を露わにすることに、仏教の本質があるとしたに違いありません。
愛染明王坐像 霊泉寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

2展示室 柿本人麻呂
柿本人麻呂(664~724)は、7世紀後半の歌人、「万葉集」第一の歌人として知られています。また三十六歌仙の一人で、『古今和歌集』冒頭の紀貫之が記した仮名序文より、「歌の聖」とされています。平安時代末期からは、柿本人麻呂の肖像画を掲げ、和歌を献じて供養する「人丸影供(ひとまるえいぐ)」の歌会が催され、柿本人麻呂は「神格化」されるようになりました。
千光寺に遺されている円空の歌集『袈裟山百首』は、『古今和歌集』からの本歌取が九十首に及ぶとされ、円空にとって、柿本人麻呂は「歌聖」であり「歌の神」でありました。さらに、「人丸影供」の柿本人麻呂像は観音菩薩の応現神であるとされるので、円空が造立した柿本人麻呂像は神像であり観音菩薩であるともいえます。
柿本人麻呂坐像 東山神明神社 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
3展示室 護法神
千光寺(高山市)と飯山寺(高山市)には、総高2メートルを超える同様の構造・像容の作例が現存します。いずれも半裁した丸太を、さらに半分に割り、木心側を像の正面として各部を彫出しています。
護法神立像 千光寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

4展示室 慈悲と忿怒の相
仏教は多神教であり、多くの仏が存在します。それらを経典や図像集から身分や役割によって分類すると「如来」「菩薩」「明王」「天」に分けられるのが一般的です。また顔の表情は、「天」の女性神や童子形の像は別にして、「如来」「菩薩」が慈悲相、「明王」「天」が忿怒相に分けられます。しかしながら、円空の像は忿怒相の中にも慈悲がにじみ出てくる像があり、千光寺の両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)は、まさに慈悲と忿怒の相を併せ持つ像といえるでしょう。
両面宿儺坐像 千光寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
如意輪観音菩薩坐像 東山白山神社 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
不動明王立像及び矜羯羅童子立像・制吒迦童子立像 千光寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
不動明王立像 素玄寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

4展示室2、観音信仰
観音菩薩は慈悲と救済の菩薩です。『法華経』(『妙法蓮華経』の略称)観世音菩薩普門品第二十五は『観音経』として流布し、中国・日本では観音信仰の典拠となりました。三十三観音信仰は、同経に説かれる観音の三十三応現身の数にあわせて、三十三の観音を集めて総称したものです。
また観音菩薩は、インドのヒンドゥー教の神に倣い、中国で隋・唐時代に多面、多眼、多臂像が造られるようになり、日本では奈良時代に十一面観音、千手観音などの観音菩薩像が造立されました。しかし円空にとって、横に張り出す多臂の像は一木の樹木の制限があるため、多臂の観音像の作例は非常に少ないです。
十一面観音菩薩立像 村上神社

7展示室、龍神と宝珠 法華経』序品第一、第十二提婆達多品
インドの神話の蛇神が仏教に取り入れられると、蛇神が中国で龍になり、龍王、龍神が経典に説話として登場するようになります。また仏伝にも、雨を降らせる、洪水から護るなど水、雨、河などに関わる話が多くあります。
特に『法華経』序品第一の冒頭には、ある時釈迦が王舎城の霊鷲山で『法華経』を説いた時に、会衆として多くの菩薩、十大弟子などとともに八大龍王も参列していることが説かれています。また『法華経』第十二提婆達多品は、八歳の龍女すなわち女人が成仏する話で、宝珠が重要な役を果たしていることが知られています。さらに観音菩薩が宝珠を持つのも、宝珠が菩薩行の象徴ともみなされ、龍と宝珠と観音菩薩の関係が認められます。
なお、円空が描いた『大般若経』見返し絵の中には、龍と宝珠の図が多数登場しており、円空の『法華経』第十二提婆達多品に対する想いもうかがうことができます。
7展示室、宝珠を持つ像
宝珠は、不可思議な功力をそなえた珠、宝石類の総称である摩尼を冠して「摩尼宝珠」といい、「如意宝珠」とも称されます。インドから中国、韓国、日本に伝わり、日本の古代寺院でも塔に安置されました。一方、釈迦の遺骨として篤く信仰されてきた舎利しゃりは、あらゆる願いをかなえる不思議な珠、如意宝珠とみなされるようになりました。
特に密教では舎利と宝珠を同体視するようになり、持物として表すことにより、尊像の効用を象徴する存在になりました。円空像に宝珠を持つ像が多いのは、円空がその意味を十分に理解して、自作の像に宝珠を付したためと思われます。
弁財天立像 飛騨国分寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
1・4展示室 白山神と日本の神々
円空は『弥勒寺文書』の『妙法蓮華経』第四帖紙背(自筆)に諸神唱礼文として、「伊勢両太神宮」「八幡大菩薩」「春日大明神」の日本の代表的な三明神のほか、各地の山岳神二十四神の名を記しており、円空の山岳神への篤い信仰が見られます。また円空は、樹木に宿る「樹神」が日本の神祇神じんぎしんだけでなく遠望する山岳の神、さらには民間信仰の神に及ぶとしています。特に円空が生まれ、多くの作例を遺す美濃からは、美濃(岐阜)、加賀(石川)、越前(新潟)にまたがり、古くから霊山として信仰されている白山の姿を拝することができ、多くの白山神像を遺しています。
白山妙理大権現坐像 小川神明神社
5・7展示室 ほとけの世界
仏像の種類は、如来・菩薩・明王・天部など種類も多いですが、円空仏の場合、樹木という材の制限から、手足の多い密教系の像などは少ないことが分かります。現存する円空のほとんどの作例は、銘文などが無いので、尊像名は尊像の特徴である手、足、顔、目などの数や持物、着衣、装身具などから判断して所蔵者、研究者、信仰者が後につけていると思われます。
薬師如来立像 薬師堂
像の表面に削り痕をそのまま残した円空仏は、素朴な力強さのなかに、仏教の慈悲の心を体現したような温かみを感じさせてくれます。本展では、円空が遺した約5000体以上のなかから、傑作として知られる岐阜県千光寺の「両面宿儺像」が日本橋に初登場します。(プレスリリース三井記念美術館)
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参考文献
智慧と慈悲と忿怒と戦闘【東寺、講堂、立体曼荼羅】五智如来、金剛五菩薩、五大明王、四天王、二天【東寺、講堂、立体曼荼羅、21体】五智如来、大日、宝生、阿弥陀、不空成就、阿閦。五菩薩、金剛波羅密、金剛宝、金剛法、金剛業、金剛薩埵。五大明王、不動明王、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉。四天王、持国天、増長天、広目天、多聞天。二天、梵天、帝釈天。
【五大明王】「教令輪身」は、仏法に従わない者を忿怒の姿で仏法に敵対する事を力で止めさせる。不動明王 - 大日如来の教令輪身、東 - 降三世明王 - 阿閦如来の教令輪身、南 - 軍荼利明王 - 宝生如来の教令輪身、西方- 大威徳明王 - 阿弥陀如来の教令輪身、北 - 金剛夜叉明王 - 不空成就如来の教令輪身。東寺講堂が創建された承和6年(839年)
【三輪身】密教では三輪身として、一つの「仏陀」が「自性輪身」、「正法輪身」、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という3つの姿で現れる。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を憤怒姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力で止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻す。
【金剛界曼荼羅の基本となる成身会】金剛界五仏、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、内外の四供養菩薩、四摂菩薩の以上37尊より構成され、これを四大神と賢劫千仏と二十天が囲む。(智拳印)一仏のみで表す他は、中心となる成身会
参考文献
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
学問僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
「魂を込めた円空仏」飛騨・千光寺を中心にして-・・・清水真澄館長、記者発表会
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-ac69ef.html
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「魂を込めた円空仏」-飛騨・千光寺を中心にして-
三井記念美術館、東京都中央区日本橋室町2-1-1三井本館7階)
会期:2025年2月1日(土)~3月30日(日)
https://www.mitsui-museum.jp/

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2025年1月23日 (木)

「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女

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「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第389回
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美への旅、大覚寺と運命の美女、大久保正雄
大覚寺 嵯峨天皇と空海の精神文化、安土桃山文化・狩野山楽の残照、戦いの陰に運命の美女あり。
特別展 開創1150年「旧嵯峨御所 大覚寺 ―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」が東京国立博物館で2025年1月21日から3月16日まで、開催される。
表面的に美を撫でるのではなく美の本質を、賢明な君主嵯峨天皇と運命の美女橘嘉智子、戦国一の美女の血を引く美女と徳川権力、人間の愛と苦悩のドラマ、空海の即身成仏義の思想の智慧と慈悲、この世の美と理想の美を探る。
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序、大覚寺、3つの時代
大覚寺は、3つの時代、歴史の舞台となった。9世紀、嵯峨天皇と空海の時代、鎌倉時代・14世紀大覚寺統(後の南朝)の本拠、16世紀安土桃山時代、狩野山楽(1559-1635 )の時代。重要文化財「紅白梅図」狩野山楽筆、重要文化財「牡丹図」狩野山楽筆は、圧倒的である。
空海(774-835)の勧めで持仏堂に五大明王像(現存せず)を安置。その後、貞観18年(876)に皇女・正子内親王(まさこないしんのう)の願いにより寺に改められ、大覚寺が開創された。
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一、嵯峨天皇と空海
空海と嵯峨天皇は、香茶を酌み交わした。嵯峨天皇と空海は秋の一日、大沢池に舟を浮かべ、茶を汲み交わし逍遥、夕方、空海が山に帰るにあたり、嵯峨天皇が詠まれた詩「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて日ここに暮れる。稽首してわかれを傷み雲煙を望む。」「海公と茶を飲みて山に帰るを送る」嵯峨天皇詠がある。(『経国集』巻十)。
嵯峨天皇と空海は、809年10月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上。810年(弘仁元)3月。816年7月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創。823年正月、東寺を賜り真言密教の根本道場とする。嵯峨天皇(786~842)、在位(809~823)14年。嵯峨院。院政・淳和天皇、在位10年(823~833)。24年間、君臨した。
【平城上皇の乱】譲位した平城上皇が太政官人半ばを率いて平城旧京に遷り、寵妃・藤原薬子とその兄仲成に擁せられ朝政に干渉した。天皇は巨勢野足・藤原冬嗣を蔵人頭に補するなどによって対抗。弘仁元年(八一〇)九月、上皇の平城遷都の命を機として坂上田村麻呂以下の兵を派遣、上皇方を制圧した。上皇は入道、薬子は自殺、仲成は射殺、皇太子高丘親王は廃され、阿保親王・藤原真夏らは左遷。「平城上皇の乱」810後、弘仁・天長・承和の約三十年間、嵯峨天皇(上皇)の権威と指導のもとに太平が続き、空海・小野岑守・同篁・良岑安世らの人材が輩出。
【弘仁・貞観文化】嵯峨天皇は、藝術と精神文化を愛す王、自ら詩を書き、空海と交友した。詩文の粋を集めた『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』はその精華である。嵯峨天皇は、「光定戒牒」などの遺品があり、空海・橘逸勢とともに三筆と称せられる。承和九年(八四二)七月十五日崩じた。五十七歳。遺詔、「思う欲無位無号詣 山水 而逍遙、無事無為翫 琴書 以澹泊」と心境を述べた。目崎徳衛「政治史上の嵯峨上皇」
【嵯峨院、院政】弘仁十四年四月十六日皇太弟大伴親王(淳和天皇)に譲位後は、皇太后橘嘉智子とともに冷然院に住み、嵯峨院、さらに天長十年(833)淳和天皇が皇太子正良親王(仁明天皇)に譲位すると、洛西の嵯峨院に隠棲し、腹心の藤原三守・安倍安仁らを院司として、風流韻事を成し遂げた。弘仁・天長・承和の約三十年間、君臨した。『本朝皇胤紹運録』に五十名の皇子女がみえ、弘仁五年その一部は源朝臣の姓をもって臣籍に降り、信・常・融ら【嵯峨源氏】は一時大いに廟堂に活躍した。
【承和の変、皇位継承争い】淳和、嵯峨両上皇が亡くなると皇位継承争いで恒貞親王の身に危険が及ぶと危惧した橘逸勢や伴氏一派が親王を東国へ移す事を画策し阿保親王に相談したが、阿保は組みせず嘉智子皇太后に報告、皇太后は良房に伝えた為、逸勢や伴氏一派は謀反人として逮捕され、恒貞親王は皇太子を廃止。(謀反は濡れ衣で藤原良房の謀略との説あり)。天長十年(八三三)皇太子正良親王、嵯峨天皇と橘嘉智子の皇子・第54代・仁明天皇が即位。
【戦いの陰に運命の美女あり、嵯峨天皇皇后、橘嘉智子】
嘉智子は、嵯峨天皇と六角堂の柳の下で出会い、手が長くて膝の下まであるという身体的特徴があった。まれにみる美人であり、会った人はあまりに美しいので感動したと伝わる。
【妃選び】嵯峨天皇は、妃選びで、なぜ橘美千代を選んだのか。カネと権力の美女か、知性と戦略の美女か、美貌とエロスの美女か。『パリスの審判』女神ヘラか、女神アテナか、美女ヘレンか、選択問題がある。
権勢の美女、美貌とエロスの故ではない。謎の女、嘉智子は文化的魅力を秘めている。光明子、県犬養三千代の血を引く知性。橘嘉智子(たちばなの かちこ、延暦5年(786年)-嘉祥3年(850年))は、第52代嵯峨天皇皇后。皇后橘嘉智子との間に生まれた仁明天皇が即位。嘉祥3年(850年)3月に落飾。冷然院において崩御。享年65。橘奈良麻呂の孫、橘清友の娘。兄弟に右大臣・橘氏公がいる。諡号は檀林皇后。嘉智子は死に臨んで、自らの遺体を埋葬せず路傍に放置せよと遺言した。
橘嘉智子は少女のころ法華寺の尼から天子および皇后の母となることを予言されたと云われ、まれにみる美女で一説に【法華寺の国宝、十一面観音】は橘嘉智子皇后がモデル。平安美人であったと偲ばれる。聖武天皇の皇后、光明皇后は県犬養橘三千代の娘、二人の女性は共に橘氏祖 県犬養橘三千代の血を受けているので似ている。
【県犬養橘三千代】県犬養三千代(?〜733)は天武朝から命婦として仕え、文武天皇の乳母を務めた、後宮の実力者として皇室と深い関係にある。三千代は初め敏達天皇後裔の曽孫美努(みぬ)王の妻となり、葛城王や佐為王、橘諸兄を生んだ。694年に美努(みぬ)王が大宰帥として九州へ赴任すると、藤原不比等の夫人となり、藤原光明子(光明皇后)らを生んだ。光明皇后に大きな影響を与えた。
和銅元年(708年)元明天皇の大嘗祭に際して、天武天皇治世期から永く仕えてきた三千代の功績が称えられ、橘の浮かんだ杯とともに「橘宿禰(すくね)」の姓が賜与された。
【光明皇后】不比等の没後子供の四兄弟がそれぞれ南家、北家、式家、京家の祖となり、自分達の異母妹で聖武天皇の妃である藤原光明子を史上初の皇族以外出自の皇后(光明皇后)に立て、朝廷内で権力を掌握したが、天然痘で相次いで亡くなる。光明皇后の娘、安倍内親王は、県犬養三千代の孫、【阿修羅像】のモデルである、14歳の美少女。
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二、大覚寺、狩野山楽の襖図、運命の美女
狩野山楽の襖図は、元和6年(1620 )に後水尾(ごみずのお)天皇に入内した和子(まさこ) (東福門院)、二代将軍徳川秀忠の娘五女、の御所にあったものである。
【戦国一の美女の遺児】福門院の母は、浅井三姉妹の三女・江。織田信長の妹お市の孫。太閤豊臣秀吉の養女・達子、崇源院。三度目の結婚で、徳川秀忠との間に慶長2年(1597年)の千姫を筆頭に家光・忠長、和子など2男5女を儲けた。
【浅井三姉妹、運命の美女三姉妹】三度、落城【小谷城落城】天正元年9月1日(1573年9月26日)、浅井長政がお市の兄である織田信長と対立、小谷城が攻め落とされ、長政らは自害、浅井氏は滅亡。江は母の市や姉の茶々、初とともに藤掛永勝らによって救出され、信長の保護の下岐阜城に留まる。【北ノ庄城落城】天正11年(1583年)には賤ヶ岳の戦いで北ノ庄城が落城、お市は勝家共々自害。北ノ庄城を脱出、三姉妹を保護したのは秀吉ではなく織田信雄。【大阪城落城】慶長二〇年(1615)大坂夏の陣によって全城灰燼に帰した。淀君は、自刃。豊臣家滅亡。千姫、救出作戦実行。
1627年(寛永4年)「後水尾天皇」の退位後、徳川秀忠の孫娘が「明正天皇」(めいしょうてんのう)として即位。朝廷への影響力を強める。
【織田信長、絶世の美女】織田信長の最愛の妻、生駒佳乃は3人の子を産む。【信忠、信雄、五徳(徳姫)】信忠は本能寺の変で自刃。【信長、最愛の長女、五徳(徳姫)】五徳(徳姫)は、徳川家康の嫡男・信康と政略結婚するが、天正七年(1579)九月、徳姫は信長に「11ヶ条の書状」により謀反を知らせる、家康の重臣、酒井忠次が、徳姫の言う通りであることを確認。信康、自刃。家康に見送られて、安土城に向かう。安土城下に住む。天正十二年(1584)小牧長久手の戦いで、信雄は家康と連合軍を組むが、信雄は秀吉と和睦。徳姫、徳川家から化粧料を賜り1636年、78歳まで生き残る。信長、光秀、秀吉、家康、信雄、人々の死を見届ける。
【嵯峨院、大覚寺】
京都西北に位置する嵯峨は、古くより風光明媚な王朝貴族遊覧の地として愛されてきた。平安時代初期、嵯峨天皇(786-842)はこの地に離宮・嵯峨院を造営し、空海(774-835)の勧めで持仏堂に五大明王像(現存せず)を安置。その後、貞観18年(876)に皇女・正子内親王まさこないしんのうの願いにより寺に改められ、大覚寺が開創された。
■展示作品の一部
明円作「五大明王像」平安時代後期
重要文化財 松鷹図(部分) 狩野山楽筆 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 大覚寺蔵展示期間:1月21日(火)~2月16日(日)
重要文化財 紅白梅図 狩野山楽筆 江戸時代・17世紀 大覚寺蔵
重要文化財 牡丹図(部分) 狩野山楽筆 江戸時代・17世紀 大覚寺蔵
重要文化財 後宇多天皇像 鎌倉時代・14世紀 大覚寺蔵
国宝 後宇多天皇宸翰 弘法大師伝(部分) 後宇多天皇筆 鎌倉時代・正和4年(1315) 大覚寺蔵
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展覧会情報
開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」
会場:東京国立博物館 平成館
会期:2025年1月21日(火)~3月16日(日)
※会期中、一部作品の展示替あり
前期展示:1月21日(火)~2月16日(日)
後期展示:2月18日(火)~3月16日(日)
休館日:月曜日(ただし2月10日、24日は開館)、2月25日(火)
開館時間:午前9時30分~午後5時 ※入館は閉館の30分前まで
問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
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著者プロフィール 大久保正雄 哲学、美学、比較宗教学、図像学。美術評論。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。質疑応答、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』2019、島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』2018、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.、島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』2016、『比較宗教学研究』2023-2024。上智大学大学院、北海道大学大学院博士後期課程修了。
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参考文献
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
学問僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
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【五大明王】不動明王を中心とした降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の総称、五大尊とも言う。空海の教王護国寺講堂の承和6 (839) 年作の木像 (国宝) 日本における最古の作例、大覚寺の明円作(1177)。金剛界五智如来の教令輪身、忿怒身。唐の不空のころ金剛界五仏に対応して大日、阿閦、宝生、無量寿、不空成就の教令輪身(きようりようりんしん)忿怒身として五尊にまとめられた。
注2
藝術と精神文化を愛する嵯峨天皇【弘仁・貞観文化】嵯峨天皇は、藝術と精神文化を愛する王、自ら詩を書き、空海と交友した。詩文の粋を集めた『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』はその精華である。嵯峨天皇は、「光定戒牒」等の遺品があり、空海・橘逸勢とともに三筆と称せられる。承和九年(842)七月十五日崩じた。五十七歳。遺詔、「思う欲無位無号詣 山水 而逍遙、無事無為翫 琴書 以澹泊」と心境を述べた。目崎徳衛「政治史上の嵯峨上皇」

注3
嵯峨天皇809~823、淳和823~833、仁明833~850【空海と最澄、嵯峨天皇】809年八月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、一〇月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなる【八一六年七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創】【空海『即身成仏義』819-820】八二一年五月には請われて讃岐国満濃池を修築、土木工事の技術と指導力に才能を発揮【空海、東大寺、東寺】八二二年二月、東大寺に灌頂道場を建立して鎮護国家の修法道場。八二三年正月、東寺を賜り真言密教の根本道場、同年一〇月には真言宗僧侶の学修に必要な三学論を作成して献上、五十人の僧をおいて祈願修法せしめた。八二四年(天長一)少僧都、八二七年大僧都。空海、没、63歳835年3月
注4
【平城上皇の乱】819年4月嵯峨天即位。9月譲位した平城上皇が太政官人半ばを率いて平城旧京に遷り藤原薬子とその兄仲成に擁され朝政に干渉。嵯峨天皇は巨勢野足・藤原冬嗣を蔵人頭に対抗。弘仁元年(820)九月、上皇の平城遷都の命を機として征夷大将軍・坂上田村麻呂以下の兵を派遣

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2025年1月17日 (金)

美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅

Daikakuji-2024
Shokokuji-2025
Gogh-kreller-muller-1-2025
Alexander-olympias-2004-2024
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第388回
藝術作品は、魂の愛と苦悩のドラマの痕跡であり、時代の証言である。旅人はそこに魂の美を求める。【旅する哲学者、美への旅】【藝術家、思想家の運命との戦い】表面に美しい美を撫でるのではない、美は魂の陰影(エイコーン)であり光である(シェイクスピア『ソネット』)。美を生み出す人間のドラマ、精神文化を生み出す人間の魂の美とは何か。藝術家、思想家の運命との戦い。藝術家、思想家が運命と戦い、苦悩するドラマ、愛と叡智は精神文化の礎である。精神文化の源泉を探究する旅。
【失われた美を求めて】ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ、レオナルドに『婦人の肖像』を発注。ラファエロに肖像画を描かれる。ミケランジェロに霊廟を彫刻される。ジュリアーノ・デ・メディチは失われた時を求めた。【失われた美を求めて、藝術家、思想家、皇帝は失われた価値を探求する】【失われた名城、安土城】5層7階、天正7年完成、天正10年、本能寺の変以後、消失。【曜変天目茶碗】足利義政が所有した。織田信長が手に入れ、本能寺の変以後、消失。
【失われた美、藝術家、思想家、皇帝は失われた価値を探求する】ヘレニズム彫刻を探求したミケランジェロ、ピュタゴラス文書を探求したプラトン、アルカイック彫刻を求めたローマ人、王羲之『蘭亭序』を求めた太宗皇帝李世民、古代の美を求めたレオナルド『レダ』1505
【ロレンツォ・デ・メディチ】青春とは何と美しいものか。だが見る間に過ぎ去ってしまう。美しい時を楽しみなさい。明日は定めなきものゆえ。ロレンツォ・デ・メディチ「謝肉祭のためのバッカスとアリアドネの勝利の歌」1490【ロレンツォ1492年、43歳で死す】
――
【人類の至宝、コンコルディア神殿】アグリジェント、神殿の谷に聳える。最も完璧なギリシア神殿。古代ギリシアの詩人ピンダロスが「人の造りし最も美しき都市」と謳った都市アクラガス。神殿の谷は、稜線に20の神殿が聳える。丘に神殿遺跡がそこここに残る古代都市遺産群を廻る、広大な地。憧れの古代都市。偉大な哲学者エンペドクレスが、生まれた地。
アクラガスは、ギリシア人の植民都市、前 580年頃ゲラの市民によって建設され、前6~5世紀僭主ファラリスやテロンのもとに繁栄した、アクロポリスの丘の上のアルカイック期神殿群の遺跡はこの時期に属し、180年栄えた。紀元前406年、カルタゴに滅ぼされた。カルタゴ軍が、シケリア西部のカルタゴ殖民都市に対する攻撃の報復として、【アクラガス包囲】ドーリア人都市であるアクラガス(アグリジェント)を包囲した。
【伊藤若冲】正徳6年(1716)、京都・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生を受け。青物問屋とは各地の野菜など生鮮食品を集めて小売(八百屋)に卸して販売させる一種の流通業で、当時でも有力な町衆のひとつ。なかでも「枡屋」は錦小路を代表する青物問屋で、代々の当主の名「源左衛門」から「枡源」とも呼ばれた。23歳のとき、若冲は父の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名。よく知られる「若冲」の号は、彼が特に懇意としていた相国寺の禅僧・大典顕常から後に与えられた居士号。
【売茶翁】1675~1763江戸中期の黄檗宗の僧。肥前の人。俗名、柴山元昭。万福寺で修行。京都東山で売茶業を営みながら生涯を送った。煎茶道を広めた。晩年は高遊外と称した。
【動植綵絵1765】伊藤若冲は三十歳代半ばから、大典顕常和尚との親交を通して、相国寺と密接な関係にあった。期間はほぼ二十年及ぶ。40~50歳で若冲が描いた代表作であり、大典が住持を務める相国寺に寄進された「動植綵絵」を描いた時期。若冲という名は大典顕常から教えられた。明和2年(1765)、枡屋の跡取りにしようと考えていた末弟・宗寂が死去した年、「動植綵絵」(全30幅のうちの)24幅と「釈迦三尊図」3幅を相国寺に寄進。
――
「ゴッホとゴーギャン」ゴーギャン「ひまわりを見ると、君を想い出す」。ゴッホ「君のために、椅子を買った」。1887年出会う。1888年アルルぶつかり合い すれ違う、破局の物語。ゴッホはなぜ「ひまわり」を描いたのか。なぜ耳を切ったのか。ゴッホはハーグ派、バルビゾン派を経て印象派へ。「宗教は廃れ、神は残る」。1990年自殺。ゴーギャンは株式仲買人を辞めバルビゾン派からピサロの影響で印象派へ。
――
1月
「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」東京都現代美術館、12月21日(土)〜2025年3月30日(日)
「瑞祥のかたち」皇居三の丸尚蔵館、1月4日(土)~3月2日(日)
「細川家の日本陶磁—河井寬次郎と茶道具コレクション—」永青文庫、1月11日(土)〜4月13日(日)
「旧嵯峨御所 大覚寺 —百花繚乱 御所ゆかりの絵画—」東京国立博物館、1月21日(火)~3月16日(日)
開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 —百花繚乱 御所ゆかりの絵画—」
「ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト」、森アーツセンターギャラリーにて、2025年1月25日(土) 〜4月6日(日)
「花器のある風景」泉屋博古館東京、1月25日(土)〜3月16日(日)
「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」東京ステーションギャラリー、1月25日(土)〜3月16日(日)
2月
魂を込めた 円空仏―飛騨・千光寺を中心にして―、三井記念美術館、2月1日(土)~ 3月30日(日)
『「おかえり、ヨコハマ」横浜美術館、2月8日~
DIC川村記念美術館 1990–2025 作品、建築、自然、DIC川村記念美術館 、2月8日(土)〜3月31日(月)
「オーブリー・ビアズリー展」三菱一号館美術館、2月15日(土)~5月11日(日)
エミール・ガレ 、サントリー美術館、2月15日(土)~4月13日(日)
「緑の惑星 セタビの森の植物たち」、世田谷美術館、2月27日(木)〜4月13日(日)
3月
「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」アーティゾン美術館、3月1日(土)〜6月1日(日) 「硲伊之助展」アーティゾン美術館
「ヒルマ・アフ・クリント展」東京国立近代美術館、3月4日(火)〜6月15日(日)
手塚治虫『火の鳥』展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命の象徴-」六本木ヒルズ・東京シティビュー、3月7日~5月25日。
桜 さくら SAKURA 2025 ―美術館でお花見!、山種美術館、3月8日(土)~5月11日(日)まで
「ACN ラムセス大王展 ファラオたちの黄金」、豊洲のクレヴィアベース東京、3月8日(土)から9月7日(日)まで
西洋絵画、どこから見るか、国立西洋美術館、3月11日~6月8日
「古代DNAー日本人のきた道ー」、国立科学博物館、3月15日(土)~6月15日(日)
「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」、国立新美術館、3月19日~6月30日
相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史、東京藝術大学大学美術館、3月29日[土]~5 月 25 日[日]
4月
タピオ・ヴィルカラ 世界の果て、東京ステーションギャラリー、4月5日~6月15日
国宝の名刀と甲冑・武者絵 特集展示 三井家の五月人形、三井記念美術館、4月12日(土)~ 6月15日(日)
「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」東京国立博物館4月22日(火)〜6月15日(日)
肥後熊本の絶景、永青文庫、4月26日~6月22日
5月
「オランジュリー美術館 オルセー美術館 コレクションより ルノワール×セザンヌ —モダンを拓いた2人の巨匠」三菱一号館美術館、5月29日(木)〜9月7日(日)
「開館30周年記念 江戸の名プロデューサー 蔦屋重三郎と浮世絵のキセキ」千葉市美術館、5月30日(金)~7月21日(月)https://ccma-net.jp/y30th-exhibitions-2025/
7月
スウェーデン国立美術館 素描コレクション展―ルネサンスからバロックまで、国立西洋美術館、7月1日(火)〜9月28日(日)
「藤田嗣治 絵画と写真」、東京ステーションギャラリー、7月5日~8月31日
美術の遊びとこころⅨ 花と鳥、三井記念美術館、7月1日(火)~ 9月7日(日)
「江戸☆大奥」、東京国立博物館、7月19日(土)~9月21日(日)
文房四宝と喫煙具の美、永青文庫、7月3日~8月31日
8月
「現代マイセンの磁器芸術 —巨匠ハインツ・ヴェルナーの描いた物語(メルヘン)—」泉屋博古館東京、8月30日(土)〜11月3日(月・祝)
9月
日本の現代美術と世界 1989‒2010(仮称)、国立新美術館、2025 年 9 月 3 日 ( 水 ) ~12 月 8 日 ( 月 )
「運慶 祈りの空間—興福寺北円堂」東京国立博物館、9月9日(火)~11月30日(日)
幕末土佐の天才絵師 絵金、サントリー美術館、9月10日(水)~11月3日(月・祝)
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」、東京都美術館、9月12日〜12月21日
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
「インド更紗」、東京ステーションギャラリー、9月13日~11月9日
「ブルガリ カレイドス 色彩・文化・技巧」、国立新美術館、9月17~12月15日
円山応挙―革新者から巨匠へ、三井記念美術館、9月26日(金)~ 11月24日(月・振休)
大ゴッホ展、I、夜のカフェテラス、神戸市立博物館、2025年9月20日 福島県立美術館、2026年2月21日 5月10日、上野の森美術館、2026年5月29日 8月12日
II.アルルの跳ね橋、上野の森美術館、2027年10月 2028年1月
10月
「黒き猫」永青文庫、近代日本画の粋、永青文庫、10月4日~11月30日
「オルセー美術館所蔵 印象派—室内をめぐる物語」、国立西洋美術館、10月25日(土)〜2月15日(日)
11月
「小林徳三郎」、東京ステーションギャラリー、11月22日~2026年1月18日
NEGORO 根来 - 赤と黒のうるし、11月22日(土)~2026年1月12日(月・祝)
12月
国宝 熊野御幸記と藤原定家の書、三井記念美術館、12月6日(土)~ 2026年2月1日(日)
英英紅綠 第50回 白日会会員選抜展、日本橋三越6階、美術特選画廊、12月17日(水)~12月22日(月)
英英紅緑展、山本大貴『宵待ち3』8号、176万円、1982生まれ。
――
美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-284bac.html
2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3dea7b.html
2025 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-3c0431.html

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美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅

Daikakuji-2024
Shokokuji-2025
Gogh-kreller-muller-1-2025
Alexander-olympias-2004-2024
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第388回
藝術作品は、魂の愛と苦悩のドラマの痕跡であり、時代の証言である。旅人はそこに魂の美を求める。【旅する哲学者、美への旅】【藝術家、思想家の運命との戦い】表面に美しい美を撫でるのではない、美は魂の陰影(エイコーン)であり光である(シェイクスピア『ソネット』)。美を生み出す人間のドラマ、精神文化を生み出す人間の魂の美とは何か。藝術家、思想家の運命との戦い。藝術家、思想家が運命と戦い、苦悩するドラマ、愛と叡智は精神文化の礎である。精神文化の源泉を探究する旅。
【失われた美を求めて】ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ、レオナルドに『婦人の肖像』を発注。ラファエロに肖像画を描かれる。ミケランジェロに霊廟を彫刻される。ジュリアーノ・デ・メディチは失われた時を求めた。【失われた美を求めて、藝術家、思想家、皇帝は失われた価値を探求する】【失われた名城、安土城】5層7階、天正7年完成、天正10年、本能寺の変以後、消失。【曜変天目茶碗】足利義政が所有した。織田信長が手に入れ、本能寺の変以後、消失。
【失われた美、藝術家、思想家、皇帝は失われた価値を探求する】ヘレニズム彫刻を探求したミケランジェロ、ピュタゴラス文書を探求したプラトン、アルカイック彫刻を求めたローマ人、王羲之『蘭亭序』を求めた太宗皇帝李世民、古代の美を求めたレオナルド『レダ』1505
【ロレンツォ・デ・メディチ】青春とは何と美しいものか。だが見る間に過ぎ去ってしまう。美しい時を楽しみなさい。明日は定めなきものゆえ。ロレンツォ・デ・メディチ「謝肉祭のためのバッカスとアリアドネの勝利の歌」1490【ロレンツォ1492年、43歳で死す】
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【人類の至宝、コンコルディア神殿】アグリジェント、神殿の谷に聳える。最も完璧なギリシア神殿。古代ギリシアの詩人ピンダロスが「人の造りし最も美しき都市」と謳った都市アクラガス。神殿の谷は、稜線に20の神殿が聳える。丘に神殿遺跡がそこここに残る古代都市遺産群を廻る、広大な地。憧れの古代都市。偉大な哲学者エンペドクレスが、生まれた地。
アクラガスは、ギリシア人の植民都市、前 580年頃ゲラの市民によって建設され、前6~5世紀僭主ファラリスやテロンのもとに繁栄した、アクロポリスの丘の上のアルカイック期神殿群の遺跡はこの時期に属し、180年栄えた。紀元前406年、カルタゴに滅ぼされた。カルタゴ軍が、シケリア西部のカルタゴ殖民都市に対する攻撃の報復として、【アクラガス包囲】ドーリア人都市であるアクラガス(アグリジェント)を包囲した。
【伊藤若冲】正徳6年(1716)、京都・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生を受け。青物問屋とは各地の野菜など生鮮食品を集めて小売(八百屋)に卸して販売させる一種の流通業で、当時でも有力な町衆のひとつ。なかでも「枡屋」は錦小路を代表する青物問屋で、代々の当主の名「源左衛門」から「枡源」とも呼ばれた。23歳のとき、若冲は父の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名。よく知られる「若冲」の号は、彼が特に懇意としていた相国寺の禅僧・大典顕常から後に与えられた居士号。
【売茶翁】1675~1763江戸中期の黄檗宗の僧。肥前の人。俗名、柴山元昭。万福寺で修行。京都東山で売茶業を営みながら生涯を送った。煎茶道を広めた。晩年は高遊外と称した。
【動植綵絵1765】伊藤若冲は三十歳代半ばから、大典顕常和尚との親交を通して、相国寺と密接な関係にあった。期間はほぼ二十年及ぶ。40~50歳で若冲が描いた代表作であり、大典が住持を務める相国寺に寄進された「動植綵絵」を描いた時期。若冲という名は大典顕常から教えられた。明和2年(1765)、枡屋の跡取りにしようと考えていた末弟・宗寂が死去した年、「動植綵絵」(全30幅のうちの)24幅と「釈迦三尊図」3幅を相国寺に寄進。
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「ゴッホとゴーギャン」ゴーギャン「ひまわりを見ると、君を想い出す」。ゴッホ「君のために、椅子を買った」。1887年出会う。1888年アルルぶつかり合い すれ違う、破局の物語。ゴッホはなぜ「ひまわり」を描いたのか。なぜ耳を切ったのか。ゴッホはハーグ派、バルビゾン派を経て印象派へ。「宗教は廃れ、神は残る」。1990年自殺。ゴーギャンは株式仲買人を辞めバルビゾン派からピサロの影響で印象派へ。
――
1月
「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」東京都現代美術館、12月21日(土)〜2025年3月30日(日)
「瑞祥のかたち」皇居三の丸尚蔵館、1月4日(土)~3月2日(日)
「細川家の日本陶磁—河井寬次郎と茶道具コレクション—」永青文庫、1月11日(土)〜4月13日(日)
「旧嵯峨御所 大覚寺 —百花繚乱 御所ゆかりの絵画—」東京国立博物館、1月21日(火)~3月16日(日)
開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 —百花繚乱 御所ゆかりの絵画—」
「ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト」、森アーツセンターギャラリーにて、2025年1月25日(土) 〜4月6日(日)
「花器のある風景」泉屋博古館東京、1月25日(土)〜3月16日(日)
「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」東京ステーションギャラリー、1月25日(土)〜3月16日(日)
2月
魂を込めた 円空仏―飛騨・千光寺を中心にして―、三井記念美術館、2月1日(土)~ 3月30日(日)
『「おかえり、ヨコハマ」横浜美術館、2月8日~
「オーブリー・ビアズリー展」三菱一号館美術館、2月15日(土)~5月11日(日)
エミール・ガレ 、サントリー美術館、2月15日(土)~4月13日(日)
3月
「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」アーティゾン美術館、3月1日(土)〜6月1日(日) 「硲伊之助展」アーティゾン美術館
「ヒルマ・アフ・クリント展」東京国立近代美術館、3月4日(火)〜6月15日(日)
手塚治虫『火の鳥』展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命の象徴-」六本木ヒルズ・東京シティビュー、3月7日~5月25日。
桜 さくら SAKURA 2025 ―美術館でお花見!、山種美術館、3月8日(土)~5月11日(日)まで
「ACN ラムセス大王展 ファラオたちの黄金」、豊洲のクレヴィアベース東京、3月8日(土)から9月7日(日)まで
西洋絵画、どこから見るか、国立西洋美術館、3月11日~6月8日
「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」、国立新美術館、3月19日~6月30日
相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史、東京藝術大学大学美術館、3月29日[土]~5 月 25 日[日]
4月
タピオ・ヴィルカラ 世界の果て、東京ステーションギャラリー、4月5日~6月15日
国宝の名刀と甲冑・武者絵 特集展示 三井家の五月人形、三井記念美術館、4月12日(土)~ 6月15日(日)
「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」東京国立博物館4月22日(火)〜6月15日(日)
肥後熊本の絶景、永青文庫、4月26日~6月22日
5月
「オランジュリー美術館 オルセー美術館 コレクションより ルノワール×セザンヌ —モダンを拓いた2人の巨匠」三菱一号館美術館、5月29日(木)〜9月7日(日)
7月
スウェーデン国立美術館 素描コレクション展―ルネサンスからバロックまで、国立西洋美術館、7月1日(火)〜9月28日(日)
「藤田嗣治 絵画と写真」、東京ステーションギャラリー、7月5日~8月31日
美術の遊びとこころⅨ 花と鳥、三井記念美術館、7月1日(火)~ 9月7日(日)
「江戸☆大奥」、東京国立博物館、7月19日(土)~9月21日(日)
文房四宝と喫煙具の美、永青文庫、7月3日~8月31日
8月
「現代マイセンの磁器芸術 —巨匠ハインツ・ヴェルナーの描いた物語(メルヘン)—」泉屋博古館東京、8月30日(土)〜11月3日(月・祝)
9月
日本の現代美術と世界 1989‒2010(仮称)、国立新美術館、2025 年 9 月 3 日 ( 水 ) ~12 月 8 日 ( 月 )
「運慶 祈りの空間—興福寺北円堂」東京国立博物館、9月9日(火)~11月30日(日)
幕末土佐の天才絵師 絵金、サントリー美術館、9月10日(水)~11月3日(月・祝)
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」、東京都美術館、9月12日〜12月21日
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
「インド更紗」、東京ステーションギャラリー、9月13日~11月9日
「ブルガリ カレイドス 色彩・文化・技巧」、国立新美術館、9月17~12月15日
円山応挙―革新者から巨匠へ、三井記念美術館、9月26日(金)~ 11月24日(月・振休)
大ゴッホ展、I、夜のカフェテラス、神戸市立博物館、2025年9月20日 福島県立美術館、2026年2月21日 5月10日、上野の森美術館、2026年5月29日 8月12日
II.アルルの跳ね橋、上野の森美術館、2027年10月 2028年1月
10月
「黒き猫」永青文庫、近代日本画の粋、永青文庫、10月4日~11月30日
「オルセー美術館所蔵 印象派—室内をめぐる物語」、国立西洋美術館、10月25日(土)〜2月15日(日)
11月
「小林徳三郎」、東京ステーションギャラリー、11月22日~2026年1月18日
NEGORO 根来 - 赤と黒のうるし、11月22日(土)~2026年1月12日(月・祝)
12月
国宝 熊野御幸記と藤原定家の書、三井記念美術館、12月6日(土)~ 2026年2月1日(日)
英英紅綠 第50回 白日会会員選抜展、日本橋三越6階、美術特選画廊、12月17日(水)~12月22日(月)
英英紅緑展、山本大貴『宵待ち3』8号、176万円、1982生まれ。
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美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅

2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
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2025 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
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2025年1月 1日 (水)

2025 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第387回

藝術作品は、人の愛と苦悩のドラマの痕跡であり、時代の証言である。旅人はそこに魂の美を求める。大久保正雄
取材計画【アグリジェント、神殿の谷】コンコルディア神殿が聳える。最も完璧な神殿。古代ギリシアの詩人ピンダロスが「人の造りし最も美しき都市」と謳った都市。神殿の谷は、稜線に20の神殿が聳える。丘に神殿遺跡がそこここに残る古代都市遺産群を廻る、広大な地。憧れの古代都市。哲学者エンペドクレスが、生まれた地。
アクラガスは、ギリシア人の植民都市、前 580年頃ゲラの市民によって建設され、前6~5世紀僭主ファラリスやテロンのもとに繁栄した、アクロポリスの丘の上のアルカイック期神殿群の遺跡はこの時期に属し、180年栄えた。紀元前406年、カルタゴに滅ぼされた。カルタゴ軍が、シケリア西部のカルタゴ殖民都市に対する攻撃の報復として、【アクラガス包囲】ドーリア人都市であるアクラガス(アグリジェント)を包囲した。
――
【時間論】3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)。あなたはどの世界観を選ぶのか。
*ベルクソン1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
1、美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する。美のイデアへの旅。
2、
【理念と現実の一致】思想家は、理念を現実において成就することを追求する。プラトン哲学は、国家において知恵が実現することを追求する。空海は、即身成仏を追求する。
3、
【空海、悪霊調伏】不空『理趣釈経』【『般若理趣経』第三段】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」天人は三悪趣*と戦う。(地獄・餓鬼・畜生)【空海、聖なるものは悪を滅ぼす】空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。貪瞋痴。
4、
【愛と復讐の叙事詩】アレクサンドロス大王、父フィリッポス2世を暗殺。クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
【偉大なる王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人を残す。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテ ン王29歳。ツタンカーメン18歳。アンケセナーメン27歳。美しきネフェルティティ63歳。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
5、
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、忠恕、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
【理念を探求する精神、美と復讐の精神史】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年74歳。空海835年61歳。李白 762年61歳。孔子紀元前479年74歳。織田信長1582年49歳。アレクサンドロス大王紀元前323年33歳。嵯峨天皇842年56歳
【思想家、藝術家、運命との戦い】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年74歳。アリストテレス紀元前322年62歳。孔子紀元前479年74歳。空海835年61歳。藤原定家1241年79歳。李白 762年61歳。北斎1849年90歳。
6、
【東西文化交渉史】ミケーネ文明、ミノア文明とトロイア文明を滅ぼす。ギリシア美術、紀元前5-4世紀、最盛期、BC334アレクサンドロス大王の遠征、ペルシア帝国征服、インド遠征、ガンダーラ美術、ペルガモン王国誕生、シルクロード経由、7世紀北魏南梁から飛鳥彫刻、8世紀天平彫刻、9世紀、弘仁貞観、密教美術、12世紀、運慶彫刻
7、
【六道輪廻と六観音菩薩】如意輪観音菩薩、天道の天人を救う。聖観音菩薩、地獄道の者を救う。千手観音菩薩、飢えと渇きの餓鬼道の者を救う。馬頭観音菩薩、動物の弱肉強食の畜生道の者を救う。十一面観音菩薩、怒りと争いの修羅道の者を救う。准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、人道の者を救う。
8、
【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検隊グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生の舞台、必殺技をどう披露するか。卓越した技、強み弱み、どう発揮する。織田信長は、明晰透徹な指揮官、武の七徳を探求する。
9,
愛と智慧と慈悲の高みに到着する。藝術家と思想家の運命との戦い。大久保正雄『旅する哲学者、美への旅』
――
【フランソワ・ジェラール『アモルとプシュケ』1798年】
プシュケはある王国の三女であったが 、プシュケはあまりの美貌ゆえに求婚するものが現れず、神託により人身御供に捧げられた。ヴィーナスが美しさに嫉妬して遣わした息子アモルは見惚れる。自分の矢で傷つき、アモルによって天上の宮殿に略奪された。アモル を見ることを禁じられたプシュケは、アモルの姿をある夜、見てしまい、アモルを探し求めて世界中を彷徨う。ヴィーナスに4つの苦難を与えられたプシュケ。
【最後の難題は、冥界の女王ペルセポネから、美の函を地獄から持ち帰ること】プシュケはほとんど地上まで持ち帰るが、好奇心に勝てず、開けてしまう。しかしその函には、美のかわりに深い眠りが入っていて、プシュケは深い眠りにつく。プシュケは第4の苦難を解き、他方、アモルはプシュケを探している。眠っているプシュケを見つけ、その矢でついて目覚めさせる。プシュケは、アモルと天上界で結ばれる。
ルーヴル美術館、愛を描く・・・愛の絵画、愛と美の迷宮
https://bit.ly/3U0Hpoh
――
参考文献
大久保正雄「ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
https://bit.ly/3ryn9gI
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社
https://bit.ly/3qv01OA
――
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
https://bit.ly/3usmqyp
2023年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-e79299.html
――
新古典主義、ダヴィッドと弟子たち・・・「ソクラテスの死」「アモルとプシュケ」
https://bit.ly/40uIiI2
★★★
仏教史、哲学史
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-f2daa5.html
プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-83ae10.html
――
2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3dea7b.html
2025 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
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2024年12月31日 (火)

2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第386回

藝術作品は、魂の愛と苦悩のドラマの痕跡であり、時代の証言である。旅人はそこに魂の美を求める。大久保正雄
【旅する哲学者、美への旅】【藝術家、思想家の運命との戦い】表面に美しい美を撫でるのではない、美は魂の陰影(エイコーン)であり光である(シェイクスピア『ソネット』)。美を生み出す人間のドラマ、精神文化を生み出す人間の魂の美とは何か。藝術家、思想家の運命との戦い。藝術家、思想家が運命と戦い、苦悩するドラマ、愛と叡智は精神文化の礎である。精神文化の源泉を探究する旅。
【藝術家と思想家、運命との戦い】理想と思想をもつ人は運命と戦い、現実界と理想の狭間に、美の潮流を生み出す。旅する思想家は、美の源泉に旅し、美の根拠に至る。壮麗な美の神殿の頂き、宇宙円環と魂の円環のコンコルディア。精神文化が栄えた地に立ち、精神の香り。

【美はしきもの見し人は、はや死の手にぞわたされつ】ロマン主義の詩人アウグスト・フォン・プラーテン(1796-1835)、イタリアに魅了され、1824年28歳でイタリア周遊の旅に出、同地に定住、シチリアで39歳で死す。
【藝術家と思想家、運命との戦い】
宮澤賢治『春と修羅』1924年28歳「まことのことばはここになく 修羅のなみだはつちにふる」(『春と修羅』)宮澤賢治は25才の時、阿修羅像をみた。阿修羅の一族は、賢治が震えるほど感動したという島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』に出てくる。『法華経』「序品」が出典。宮澤賢治、37歳で死す。
【田中一村、69歳で死す】50歳の時、奄美に移り住み、不断の努力と一途な研鑽が花開く。《不喰芋と蘇鐵》1973以前と《アダンの海辺》1969について一村はこう手紙に記した。「この絵は百万円でも売れません。これは私の命を削って描いた絵です。この絵は閻魔大王の土産ですから」
織田信長の手紙800通『信長最後の手紙、藤孝宛天下布武朱印状』4月24日小早川隆景、備中高山城籠城、羽柴秀吉が包囲。万全を尽くして準備に専念せよ。惟任日向守より指示【本能寺の変天正10年1582年6月2日】【細川藤孝・忠興宛て手紙】謀反を起こした理由。『光秀の手紙』6月9日光秀、信長を討った目的は忠興らの政権のために。同盟を乞う。『秀吉の手紙』6月8日、秀吉、9日全軍を教に向かって出陣する。光秀を討つ。
【重要文化財「織田信長自筆感状」細川忠興宛(天正5年〈1577〉)10月2日/永青文庫蔵】織田信長自筆の書はこの一通のみ。右筆、武井夕庵の書が大多数。

【『星の王子さま』星めぐり、六つの星】六つの星の支配者たち、サンテグジュペリが飛行機から見た地上の人間たちの姿。王様=命令する人、自惚れる自慢屋、飲酒に溺れ酩酊する人、金を数える実業家、点燈夫=日常業務の社員、探検家を利用する地理学者。詐欺と搾取の階級社会。7つの生き方。
【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検隊グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生の舞台、必殺技をどう披露するか。卓越した技、どう発揮する。織田信長は、明晰透徹な指揮官、武の七徳を探求する。
【ルネサンス復讐劇の起源】王は、弟によって殺され、王位を奪われる。王の子は弟を殺し正義を成就する。『ライオン・キング』は、シェイクスピアのルネサンス復讐劇と同工、家族の殺し合い、相続争い、王家舞台の殺人。シェイクスピア『ハムレット』の原型は、セネカ『テュエステス』、その源泉はギリシア悲劇アトレウス王家、アトレウスとテュエステス)は兄弟、テュエステスがミケナイ王になったという知らせを聞いたアトレウスの息子アガメムノンは、スパルタ王デュンダレオスの力を借りるためスパルタへやってきた(『アガメムノン』)。【アトレウス王家5世代の殺戮】1・タンタロス · 2・ペロプスとニオベー · 3・アトレウスとテュエステス · 4・アガメムノン · 5・エレクトラとオレステス. その後のオレステス【テュエステスに子を食わせたアトレウス】アポロドロス『摘要第2章』アトレウスは、妻が弟テュエステスと姦通したのを知り、テュエステスの3人の児をひそかに殺しその身体を煮て、テュエステスに食わせた。

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2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
1、
「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」・・・孤高の画家、人生の光芒、彼岸への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/09/post-236a16.html
2、
「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 -ガンダーラから日本へ-」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/09/post-21b8bc.html
3、
本阿弥光悦の大宇宙・・・現世即、常寂光土
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/02/post-2af811.html
4、
「信長の手紙―珠玉の60通大公開―」・・・「織田信長書状」細川藤孝宛、「織田信長自筆感状」忠興宛
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/11/post-98cd30.html
5、
「ルイーズ・ブルジョワ展:、地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」・・・毒親との戦い、悪魔祓い
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/10/post-90e3d1.html
ブランクーシ 本質を象る・・・真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-a42dd8.html
6、
時間旅行・・・因果の時空的制約を超えて、青ぞらいつぱいの無色な孔雀「春と修羅」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/04/post-8d831a.html
7、
マティス 自由なフォルム・・・《豪奢、静寂、逸楽》、旅路の果て
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/03/post-34a6f3.html
8、
どうぶつ百景 江戸東京博物館コレクションより・・・歌川広重「名所江戸百景」1857
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-f7b3b4.html
犬派?猫派? 俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで・・・遣唐使船で経典を守る猫
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-03c2db.html
9、
印象派 モネからアメリカへ モネ、絶望を超えて
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/02/post-21e84b.html10
10、
田名網敬一 記憶の冒険・・・永遠に熟さず、老いず、極彩色の彼岸と此岸
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-44855a.html
デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-bf7c56.html
モネ 睡蓮のとき・・・モネの生涯と藝術、絶望を超えて、失われた時を求めて
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/10/post-fcbd04.html
モネ 睡蓮のとき2・・・絶望を超えて、朦朧派
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/11/post-952362.html
英一蝶、波乱万丈の生涯・・・運命との戦い
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-22e347.html
「カナレットとヴェネツィアの輝き」18世紀ヴェドゥータの巨匠・・・美はしきもの見し人は
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-7e8401.html
特別展「はにわ 挂甲の武人」・・・見返り鹿のひとみ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/11/post-72d881.html
大名茶人 織田有楽斎・・・天下なる者は聖人の宝なり、微身の有ならず
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/02/post-f37048.html
【密教研究】
理念を探求する精神、空海『即身成仏義』819-820『秘蔵宝鑰』830
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/09/post-fc4ae4.html
「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」・・・大日如来、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-f6ef9c.html
学問僧、空海・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-2f9322.html
修行僧、空海・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
「神護寺」密教の謎・・・五智如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、無量寿如来、不空成就如来
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/07/post-d32220.html
醍醐寺 国宝展・・・如意輪観音の微笑み、理源大師聖宝、秀吉の醍醐の花見
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-706d02.html
「京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-」・・・醍醐寺三宝院、織田信長のために祈祷する
https://bit.ly/2NHbWso
【仏教史研究】
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
『仏説魔訶般若波羅蜜多心経』・・・中観派と唯識派の対立
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-27a785.html
「中尊寺金色堂」・・・魔界の入口、中尊寺金色堂の謎
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/01/post-cf7488.html
「法然と極楽浄土」・・・称名念仏、南無阿弥陀仏、極楽浄土の幻覚
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/04/post-ce2b9b.html
【宗教史】
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
https://bit.ly/3xYWHQv
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
https://bit.ly/3C2fXNP
プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-83ae10.html
【映画】
ジョニー・デップ『ツーリスト』2010、『ナインスゲート』1999・・・迷宮の旅人
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/03/post-935421.html
【国際政治】
孫崎享×大久保正雄【質疑応答】
孫崎享講演会「国際政治 ウクライナ戦争・ガザ・台湾問題」5月26日、上智大学1号館402教室
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/04/post-498020.html
――
【上智と下愚とは移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても下落せず、最下の愚者は 、どんなによい境遇にあっても向上しない。どんなに地位と肩書が高くて富裕でも、知性の貧困は隠せない。地位と肩書が高く高度な職業でも、魂の貧困は隠せない。「論語」陽貨篇。
【偉大な思想家は、立身出世のために、自分の思想を変えたりしない】小人(知識人)は、立身出世、地位名誉のために、己の見解を変える。大きな金魚鉢には大きな金魚が育つ、大きな自由度の組織には大きな人間が育つ。偉大な大工は、誰も見ないからといって、床裏にひどい木材を使ったりはしない。スティーブ・ジョブズの言葉 
【空海と最澄】「古の人は道の為に道を求め、今の人は名利の為に求む。名の為に求むるは、道を求むる志にあらず。」「夫れ秘蔵の興廃は唯汝と我なり」空海『答叡山澄法師求理趣釈経書』弘仁4(813)年『理趣釈経』借覧拒否。最澄に答えた書簡。
【奴隷国家】あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、現在でも奴隷と自由人に分かれる。自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である。『人間的な余りにも人間的な』偉大な思想家は、立身出世のために、自分の思想を変えたりしない。
不遇な人生【死後才能が見出された藝術家・詩人・思想家】田中一村(1908~1977)69歳で死す。宮澤賢治(1896~1933)、37歳で死す。高島野十郎(1890年(明治23年)8月6日~1975年(昭和50年))、85歳で死す。ゴッホ(1853~1890)37歳で死す。
【死後見出された藝術家・詩人・思想家】李白(701~762)流謫仙人61歳で死す。李賀(791~817)鬼才、恨血千年土中の碧。伊藤若冲(1716~1800)千年具眼の士を待 つ。藝術への献身、貧困、忍耐、孤立、無私、迫害、殉教、早世、自殺。イエス・キリスト「わが神よ、どうして私を見捨てたの?」マルコ伝、15章34節
【精神科医のことば】幸福な人生は82歳から。最も不幸なのは48歳、他人と競争する社会。死後名を残すのが幸福な人生。【人生の選択】行きたいところに行き、見たいものを見る。ナチュラルキラー細胞が働く。社会的な成功、金儲けに成功した社長・教授は病院に見舞いが来ない。精神科医・和田秀樹。土居建郎「甘えの構造」
【財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする】されど、財なさずんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し。後藤新平。映画の製作に一番重要なのは脚本で、その脚本にとり最も重要なのは、一にテーマ、二にストーリー、三に人物設定(構成を含む)である、映画の創成期か
【人類の至宝、コンコルディア神殿】アグリジェント、神殿の谷に聳える。最も完璧なギリシア神殿。古代ギリシアの詩人ピンダロスが「人の造りし最も美しき都市」と謳った都市アクラガス。神殿の谷は、稜線に20の神殿が聳える。丘に神殿遺跡がそこここに残る古代都市遺産群を廻る
――
参考文献
【宗教学、死生学、藝術学】2016-2019
【質疑応答】島薗進先生に、死生学、比較宗教学の観点を踏まえて、質疑応答しました。内容を記録します。島薗進「死生学 ファンタジーと魂の物語」2019年5月26日、上智大学6号館203教室にて。

1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』、2、天正、織田信長、改元の目的、3、密教真言、藝術と魔術、5、学問の不可欠な要素。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』
https://bit.ly/2xET3ix
6、3つの時間論。自分が生きたい時間論を選ぶならば、何を選びますか。
大久保正雄
3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』
https://bit.ly/2NPYAX5
【質疑応答】宗教学者、島薗進先生に死生学について質疑応答しました。2017.5. 28、上智大学にて。
1、宗教とは何か、2、宗教が生まれる原因は何か、3、世界観の選択、4、藝術家と宗教、5、天から降りてきた魂、6、 織田信長と天の思想、7.秘密曼陀羅十住心論、8、父殺しのテーマ、9、人の痛みを知ること、10、理念の崩壊は『純粋理性批判』から始まった。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』
https://bit.ly/2TtDqjn
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
https://bit.ly/2AeU3Hv
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84

★★★★★
2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3dea7b.html



 

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2024年12月10日 (火)

英一蝶、波乱万丈の生涯・・・運命との戦い

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第385回

【藝術家と思想家、運命との戦い】藝術家と思想家は、運命と戦う。理想と思想をもつ人は運命と戦い、現実界と理想の狭間に、美の潮流を生み出す。旅する思想家は、美の源泉に旅し、美の根拠に至る。壮麗な美の神殿、宇宙円環と魂の円環のコンコルディア。精神文化が栄えた地に立ち、真言陀羅尼を唱えるとき、古えの精神が蘇る。
【英一蝶(1652~1724)波乱万丈な生涯】一蝶は元禄11年(1698)、数え47歳で三宅島へ流罪。宝永6年(1709)、宝永6年(1709)、綱吉死去にともなう将軍代替わりの恩赦によって江戸へ戻る。三宅島での生活は47歳から58歳までの足かけ12年におよび、〈島一蝶〉。
【英一蝶の謎】一蝶は元禄11年(1698)、数え47歳で三宅島へ流罪。綱吉死去で江戸に戻る。一説、第五代将軍・徳川綱吉による「生類憐みの令」違反。【河野元昭説】遠島は死罪に次ぐ重罪で、徳川幕府の掟にそむいた者が対象、不受布施法華宗はそれにあたり、幕府は法華宗の僧や門徒を弾圧した。一蝶は家付流人で妻帯し、支援もあって恵まれた流人。安村敏信館長が申される島一蝶のプロデューサーは、宝井其角。3、綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)の縁者を遊所に誘い、遊女を身請けさせた。
【英一蝶(1652~1724)、多賀朝湖】英一蝶は承応元年(1652)、京都で生まれた。父の多賀白庵(伯庵)は伊勢亀山藩主・石川主殿頭憲之(とのものかみのりゆき)の侍医。狩野探幽の弟・安信に師事、菱川師宣や岩佐又兵衛らに触発、松尾芭蕉に学び俳諧をたしなむ。松尾芭蕉に学び俳諧をたしなむ。
英一蝶(1652~1724)英一蝶、61歳、涅槃図を描く72歳で死す。仏涅槃図、1713ボストン美術館
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
【光悦の謎(1558-1637)】本阿弥光悦は俵屋宗達とどこで出会ったのか。なぜ楽焼の田中常慶に習ったのか、古田織部に茶の湯を学んだのか。元和元年(1615年)徳川家康から鷹峯の地を拝領したのはなぜか。豊臣家が滅びた元和元年凱旋の家康から鷹峯に東西ニ百間の土地を与えられ一族郎党、五十五軒の屋敷を構え移り住み洛中と往還したのはなぜか。本阿弥家の名は、一遍上人の遊行念仏、南無阿弥陀仏に由来する、なぜ日蓮法華衆に属したのか。雁金屋、尾形光琳・乾山はなぜ光悦の影響を受けたのか。
本阿弥光悦の大宇宙・・・現世即、常寂光土
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/02/post-2af811.html
「没後300年記念 英一蝶」、サントリー美術館、9月18日~11月10日
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2024_4/index.html
英一蝶、波乱万丈の生涯・・・運命との戦い
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-22e347.html
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英一蝶(1652~1724)は元禄年間(1688~1704)前後に、江戸を中心に活躍した絵師である。はじめは狩野探幽の弟・安信のもとでアカデミックな教育を受けるが、菱川師宣や岩佐又兵衛らに触発され、市井の人々を活写した独自の風俗画を生み出した。この新しい都市風俗画は広く愛され、一蝶の画風を慕う弟子たちにより、英派と呼ばれる一派が形成された。他にも、浮世絵師・歌川国貞のように一蝶に私淑した絵師は多く、後世にも大きな影響を与え続けた。また、松尾芭蕉に学び俳諧をたしなむなど、幅広いジャンルで才能を発揮している。
加えて、その波乱万丈な生涯も人気に拍車をかけた。一蝶は元禄11年(1698)、数え47歳で三宅島へ流罪になるという異色の経歴を持つ。宝永6年(1709)、将軍代替わりの恩赦によって江戸へ戻るが、島で描かれた作品は〈島一蝶〉と呼ばれ、とくに高く評価されている。そして江戸再帰後は、「多賀朝湖」などと名乗っていた画名を「英一蝶」と改めた。
2024年は一蝶の没後300年にあたる。この節目に際し、過去最大規模の回顧展を開催。瑞々しい初期作、配流時代の貴重な〈島一蝶〉、江戸再帰後の晩年作など、各地に残る優品を通して、風流才子・英一蝶の画業と魅力あふれる人物像に迫る。
第1章 多賀朝湖時代
英一蝶は承応元年(1652)、京都で生まれた。父の多賀白庵(はくあん・伯庵)は伊勢亀山藩主・石川主殿頭憲之(とのものかみのりゆき)の侍医をしており、一蝶が15歳(あるいは8歳)のときに、藩主に伴い一家で江戸に下りました。母の姓は一説に「花房」であったとされ、島流しから江戸に戻った後に名乗る「英」の氏は母方に由来すると考えられています。
狩野宗家の狩野安信に入門し、江戸狩野派の高い絵画技術と、古典に関する幅広い教養を身に付けた一蝶は、次第に狩野派の枠を飛び出し、独自の絵画世界を確立していきます。生き生きとした人物描写と、ユーモアあふれる視点、狩野派仕込みの確かな画技が合わさった唯一無二の風俗画によって、一蝶は一躍人気絵師へと上り詰めました。また、古典画題にひねりを加えた戯画も多く、安信門下で得た知識を一蝶ならではの表現へと昇華させています。
このような新鮮な感性は、俳諧を通して培われたと推測されます。20、30代の頃に松尾芭蕉に学び、俳諧師の宝井其角(たからいきかく)・服部嵐雪(はっとりらんせつ)らと生涯親しく交流した一蝶は、自らも暁雲(ぎょううん)という号で複数の句を残しています。俳諧の機知や滑稽味に富んだまなざしは、一蝶の絵師としての姿勢にも大きな影響を与えました。
多様な作品を手掛けた一方、仏画、風景画、花鳥画のような王道の主題にも正面から取り組んでおり、狩野派絵師としての自負を強く持ち続けていたことが分かります。
本章では、「多賀朝湖」と名乗っていた時期の一蝶が、狩野派に基盤を持ちながらも、風俗画家として能力を開花させていく様子を追います。また、俳諧の分野での活動も紹介し、そのマルチな才能に焦点を当てます。
第2章 島一蝶時代
40代ですでに絵師として不動の人気を得ていた一蝶は、突然悲劇に見舞われます。第五代将軍・徳川綱吉による「生類憐みの令」を皮肉った流言に関わった疑いで捕らえられ、元禄11年(1698)、三宅島へ流罪となります。ただし、この事件の真犯人はすぐに捕まったため、実際の理由は別にあったと考えられています。【一番有力な説は、江戸吉原に出入りし幇間(ほうかん・太鼓持ち)として大名などと交流していた一蝶が、綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)の縁者を遊所に誘い、遊女を身請けさせた】という理由な どで、幕府から目を付けられていたというものです。島流しは原則無期であり、一蝶も二度と江戸の地を踏めないことを覚悟したと思われます。しかし幸運なことに、宝永6年(1709)、綱吉死去にともなう将軍代替わりの恩赦によって、一蝶は江戸への帰還を果たします。
配流中の作品は、江戸の知人たちからの発注によるものと、三宅島や近隣の島民のために制作したものの二つに大別されます。前者は遊興に取材した風俗画が多く、江戸から送られてきた貴重な紙や絵具を丁寧に使用した、華やかな画風で知られます。一方、後者は神仏画や吉祥画など、信仰関連の作品が大半を占め、堅実で穏やかな作風が特徴です。
三宅島での生活は47歳から58歳までの足かけ12年におよび、〈島一蝶〉と呼ばれる、一蝶の画業を象徴する作品が多数生まれました。本章では、配流中に描かれた〈島一蝶〉の傑作を通して、その制作の様子をご紹介します。
展示作品の一部
重要文化財 布晒舞図 英一蝶 一幅 江戸時代 17~18世紀
遠山記念館 【展示期間:10/16~11/10】
吉原風俗図巻(部分) 英一蝶 一巻 元禄16年(1703)頃
サントリー美術館 【通期展示(場面替あり)/本場面の展示期間:10/16~11/10】
神馬図額 英一蝶 一面 元禄12年(1699)頃東京・稲根神社 【通期展示】
第3章 英一蝶時代
配流先の三宅島から江戸へ奇跡的に戻った一蝶は、画名を「英一蝶」に改め、精力的に制作に励みます。名の由来は、中国戦国時代の思想家・荘子の「胡蝶の夢」で、島での生活や恩赦の知らせが夢か現実かと思い悩む心情を、この説話になぞらえたとされています。
再帰後は「今や此の如き戯画(風俗画)を事とせず」と宣言し、一蝶の代名詞ともいえる風俗画から離れる決意を固めます。その言葉を裏付けるように、謹直な仏画、狩野派の画法を順守した花鳥画や風景画、古典的画題に実直に取り組んだ物語絵や故事人物画などが増えていきます。一方で、風俗画の依頼は絶えなかったようで、都市や農村に生きる人々の営みに、一蝶ならではの諧謔味を加えた《雨宿り図屛風》や《田園風俗図屛風》のような大作も複数残されています。また、古典的主題をアレンジした戯画も引き続き描いており、江戸再帰後も生来の洒落っ気は健在であったことをうかがわせます。なお、親友の其角や嵐雪は配流中に亡くなっていたため再会は叶いませんでしたが、俳諧との関わりは継続しており、様々な俳書に挿絵を寄せています。
一蝶は享保9年(1724)、73歳でこの世を去りました。辞世の句「まぎらはす 浮き世の業(わざ)の色どりも 有りとや月の薄墨の空」からは、生涯を風俗画に捧げた一蝶の強い自負が感じられます。
展覧会を締めくくる本章では、晩年期の優品や俳書を通じて、卓越した才能と洗練された美意識で人々を魅了した「風流才子」こと英一蝶の画業と人となりを浮き彫りにします。
――
「没後300年記念 英一蝶―風流才子、浮き世を写す―」、サントリー美術館、9月18日~11月10日
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2024_4/index.html

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2024年12月 1日 (日)

「カナレットとヴェネツィアの輝き」18世紀ヴェドゥータの巨匠・・・美はしきもの見し人は


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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第384回
灼熱の夏のウィーン、ベル・ヴェデーレ宮殿でクリムト「口づけ」をみると、カナレットのヴェドゥータが壁面に飾られている。貴族たちの子弟が、イタリア、地中海都市に知恵と学問の源泉を求めて旅した古き良き時代の思い出である。
アウグスト・フォン・プラーテン『美はしきもの見し人は』を思い出す。
美はしきもの見し人は、はや死の手にぞわたされつ
世のいそしみにかなわねば、されど死を見てふるうべし
美はしきもの見し人は。
愛の痛みは果てもなし、この世におもいかなえんと
望むはひとり痴者ぞかし、美の矢にあたりしその人に
愛の痛みは果てもなし。
げに泉のごとも涸れはてん、ひと息ごとに毒を吸い
ひと花ごとに死を嗅がむ、美はしきもの見し人は、
げに泉のごとも涸れはてん。
アウグスト・フォン・プラーテン『トリスタン』戦慄に満ちた美への賛歌、もしくは悲歌』生田春月訳
 (Karl August von Platen-Hallermünde,1796-1835) 
ロマン主義の詩人アウグスト・フォン・プラーテン(1796-1835)、生まれはハイネと同世代、死はゲーテと同時代、イタリアに魅了され、1824年28歳でイタリア周遊の旅に出、同地に定住しシチリアで39歳で亡くなる。『ヴェネツィアのソネット』『詩集』(川村二郎訳、世界名詩集大成6巻ドイツ1、平凡社)
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
本展はヴェドゥータの巨匠カナレット(1697~1768年)の全貌を紹介する日本で初めての展覧会。スコットランド国立美術館など英国コレクションを中心に、油彩、素描、版画など約60点で構成する。カナレットによる緻密かつ壮麗なヴェネツィアの描写を通じ、18世紀の景観画というジャンルの成立過程をたどるとともに、その伝統を継承しヴェネツィアの新たなイメージを開拓していった19世紀の画家たちの作品もあわせて紹介する。
【カナレット=ジョヴァンニ・アントニオ・カナルGiOVANNNI ANTONIO CANAL 1697-1768】
カナレットの本名はジョヴァンニ・アントニオ・カナル。1697年、劇場の舞台美術家を父にヴェネツィアに生まれた。1719年、オペラの舞台美術の仕事のため父に伴いローマへ赴き、そこでこの地の景観画家とも知り合った。生地ヴェネツィアの陽光きらめく都市景観を鮮やかに描き出した景観画「ヴェドゥータ」で名を馳せ、とりわけ英国のパトロンに恵まれて英国人グランド・ツアー客に競って求められました。1746年からは英国に長期滞在し、現地の景観も描いている。1768年、故郷ヴェネツィアで没した。
【カナレットのウェドゥータ】(都市景観画)
カナレットがヴェネツィアで活動を始めると、彼の作品はこの地を【グランド・ツアー】(有力な貴族の子弟が見聞を広めるために欧州各地を周遊する長期旅行。数か月から数年に及ぶ。)】で訪れた英国人旅行客にとりわけ人気を博し、旅の記念としてこぞって求められるようになる。カナレットは、ジョゼフ・スミスをはじめとする同時代の有力な英国人のパトロンに恵まれ、今も英国には数多くのカナレット作品が遺される。第2章では主に英国に数多く残る作品群からカナレットの業績が紹介される。
カナレットがヴェドゥータを描き始めたのは1719年頃からとされ、当初は光と影の効果を重視した雰囲気の描写が特徴的でした。それが次第に、すっきりと澄んだ空に、定型的な水の波紋、定規を用いて堅固に描かれた建物といった画風が定着していく。また、彼は画面のあちらこちらに様々な仕草の人物を好んで描くようになった。
ヴェネツィアに生まれヴェネツィアに没したカナレットの描く、整然とした街並み、輝く水面、華やかな祝祭の情景は、同地の典型的イメージとして定着するほど絶大な人気を博した。
ヴェドゥータの画家たち
カナレットの影響を受けた18世紀のヴェネツィアの画家たち。地誌的に正確に描かれたヴェドゥータ、想像力を駆使し構成された架空の景観画カプリッチョ(綺想画)、いずれもカナレットの影響のもと、異なるアプローチによって数多の作品が制作されていきます。カナレットの甥であるベロットはヴェネツィア国外で各都市のヴェドゥータを数多く制作。
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展示作品の一部
カナレット《サン・ヴィオ広場から見たカナル・グランデ》1730年以降 油彩/カンヴァス 65.0×83.8cm スコットランド国立美術館 © National Galleries of Scotland
カナレット《カナル・グランデのレガッタ》1730–1739年頃 油彩/カンヴァス 149.8×218.4cm ボウズ美術館、ダラム The Bowes Museum, Barnard Castle, Co. Durham, England/ヴェネツィアを彩る祭りの一つであるレガッタは、カナル・グランデを舞台に行われるボートレース。時に高名な賓客を歓迎するためにも開催された
カナレット《サン・マルコ広場》1732–1733年頃 油彩/カンヴァス 61.0×96.5cm 東京富士美術館 © 東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
カナレット《ロンドン、ラネラーのロトンダ内部》1751年頃 油彩/カンヴァス51.0×76.0cm コンプトン・ヴァーニー、ウォリックシャー © Compton Verney / Bridgeman Images/742年にロンドン市内に開園した遊興施設「ラネラー」の目玉であったロトンダの内部を緻密に描いているカナレット《昇天祭、モーロ河岸のブチントーロ》1760年 油彩/カンヴァス 58.3×101.8cm ダリッジ美術館、ロンドンDulwich Picture Gallery, London/キリスト昇天祭はヴェネツィアの祝祭の中でも「海とヴェネツィアの結婚式」が行われる重要なもので、本作ではブチントーロと呼ばれる御座船に乗ったドージェ(元首)が描かれている。
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参考文献
ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり・・・ギリシア文化の輝き
地中海 四千年のものがたり・・・藝術家たちの地中海への旅
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
ラファエロ、1505年、レオナルドに会う
孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館・・・レオナルド「レダと白鳥」
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長

「カナレットとヴェネツィアの輝き」18世紀ヴェドゥータの巨匠・・・美はしきもの見し人は
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-7e8401.html

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「カナレットとヴェネツィアの輝き」、SOMPO美術館、10月12日(土)〜12月28日(土)

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