2021年6月22日 (火)

「国宝 聖林寺十一面観音」・・・十一面観音、疫病退散の祈りを込めた秘仏

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第245回

六月の青天、ゆりの木の緑陰に、微風吹く日、東京国立博物館、に行く。
十一面観音は、怒りと争いの修羅を救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、美しい精神を救う。
大神神社、大神寺の十一面観音は、東京国立博物館の研究員によれば、奈良時代8世紀、東大寺仏師によって制作された。奈良時代、十一面観音が流行した。十一面観音は、疫病退散の祈りを込めた秘仏である。大神寺の十一面観音は、東大寺二月堂、秘仏十一面観音と関係があると考えられる。東大寺、修二会は、十一面観音に疫病退散の祈りをささげる火と水の行法である。
【東大寺、修二会、韃靼の行法】752年大仏開眼の年に天下泰安・疫病退散を願って始まって 以来、1270年一度も途絶えず続けられてきた。不退行法。二月堂、修二会、【練行衆、11人、和上、大導師、堂司、咒師、総衆之一、南座衆之一、北座衆之二、南座衆之二、中灯之一、権処世界。処世界】。しっちへん、走り。752年始まる。厨子の周りを周る。敦煌、莫高窟、韃靼の行法が淵源である。
【二月堂、秘仏、十一面観音】【天平の疫病、藤原四子の死】735年(天平7年)から738年(天平10年)。聖武天皇、光明子は、天平の疫病退散のため、東大寺を建立した。
永遠の 果てしない野に 夢みる 睡蓮よ 現在に めざめるな 宝石の限りない 眠りのように(西脇順三郎 宝石の眠り「宝石の眠り」)
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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聖林寺十一面観音は、薬師寺聖観音の姿形に相似する。薬師寺聖観音は、日光菩薩、月光菩薩、薬師如来と薬師三尊像の一群である。
【藤原京、薬師寺】奈良の西の京にある薬師寺の前身、本薬師寺は、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して藤原京に建立した薬師寺である。この後、持統天皇として 即位した鸕野讚良皇后が夫の意志を継ぎ建立を続け、持統11年(697)開眼仏会、そして着工からおよそ16年の月日を要して建立。【平城京、薬師寺】養老2年(718)平城京の西ノ京で薬師寺は建立を開始された。
【六道輪廻、衆生の運命】すべての衆生が生前の業因によって生死を繰り返す六道の世界。地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人。衆生を救う六体の観世音菩薩。密教では、地獄に聖観音、餓鬼に千手観音、畜生に馬頭観音、修羅に十一面観音、人間に准胝または不空羂索観音、天人を如意輪観音が救う。六観音の思想
【六観音菩薩】聖観音菩薩は、地獄道を救う。千手観音菩薩、飢えと渇きの餓鬼道を救う。馬頭観音菩薩、動物の弱肉強食の畜生道を救う。十一面観音菩薩、怒りと争いの修羅道を救う。准胝観音菩薩(不空羂索観音)、四苦八苦の人道を救う。如意輪観音菩薩、神通力をもつ天人を救う。
【『日本書紀』崇神天皇5年条】〈国内に疾疫(えのやまい)多くして、民死亡(まか)れる者有りて、且大半(なかばにす)ぎなむとす。(国内に疫病が流行し、死ぬ者が多く、民の半分ほどだった)〉ハツクニシラススメラミコト(御肇国天皇)と称され、ヤマト王権の実質的初代天皇とされる第10代崇神は、磯城の瑞籬宮(みずがきのみや)に宮都を定めた。
次の年、崇神は天神地祇に祈ったが民の離反は止まらない。その後、夢やお告げの通り、太田田根子を探して(三輪山の)大物主神を、長尾市(ながおち)に倭大国魂神を祀らせたところ、崇神7年に疫病は収まり、五穀が実り国内は安定した。
■十一面観音
十一面観音は、その深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩である。観音菩薩の変化身の一つ。
十一面観音(ekadaśamukha)の容姿は、通例、頭頂に仏面、頭上の正面に菩薩面(3面)、左側に瞋怒面(3面)、右側に狗牙上出面(3面)、背面に大笑面(1面)をもつ。右手を垂下し、左手には蓮華を生けた花瓶を持っている。(玄奘訳『十一面神咒心経』に基づく)。
■『十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経』によれば、
10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる。病気にかからない、一切の怨敵から害を受けない、毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病にならない、一切の凶器によって害を受けない、不慮の事故で死なない。
【三界、無色界、色界、欲界】織田信長は、欲界第六天魔王と自称した。
【欲界、第六天。他化自在天。六道の天道(天上界)の最下部である、六欲天の第六天。欲界の天主大魔王である第六天魔王波旬(はじゅん、Pāpīyas)の住処。天人の身長は三里、寿命は1万6千歳という。ただし、その一尽夜は人間の1600年に相当するという。天人としての他化自在天は、弓を持った姿で描かれる】
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【十一面観音菩薩立像、7世紀】大化改新で名を馳せた中臣(藤原)鎌足の長男・定恵(次男は不比等)が唐の留学から帰国した時に持ち帰った。【藤原氏長子出家の謎】中臣真人、定恵、飛鳥時代の学僧。653年(白雉4年)5月、遣唐使とともに唐へ渡る。長安懐徳坊にある慧日道場に住し、玄奘の弟子の神泰法師に師事した。(皇極天皇2年(643年)- 天智天皇4年12月23日666年2月2日)。唐時代、玄奘三蔵や王玄索が天竺から持ち帰ったことが契機でインド風の仏像が流行した。東京国立博物館
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展示作品の一部
国宝聖林寺十一面観音、奈良時代、8世紀
日光菩薩、正暦寺、平安時代、10~11世紀
月光菩薩、正暦寺、平安時代、10~11世紀
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参考文献
六観音菩薩「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」東京国立博物館、・・・純粋な美しい魂に舞い降りる
https://bit.ly/2C0ZL2f
法華寺「十一面観音」の美・・・純粋な魂に舞い降りる
https://bit.ly/2NKS5IP
「国宝 薬師寺展」・・・月光菩薩、日光菩薩、白鳳文化の美の香り
https://bit.ly/2Ovw4gs
図録「国宝 聖林寺十一面観音―三輪山信仰のみほとけ」2021
「国宝 聖林寺十一面観音」・・・十一面観音、疫病退散の祈りを込めた秘仏
https://bit.ly/3d1h6Kh
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特別展「国宝 聖林寺十一面観音―三輪山信仰のみほとけ」
『国宝 十一面観音菩薩立像 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵』
本館 特別5室 :2021年6月22日(火) ~ 2021年9月12日(日)
仏教伝来以前の古い日本では、神は山、滝、岩や樹木等に宿ると信じられ、本殿などの建築や、神の像はつくらず、自然のままの依り代を拝んでいました。その形が現在まで続いているのが三輪山を御神体とする大神神社です。その後、国家的に仏教を興隆した奈良時代には神仏関係の接近が見られ、神に密接にかかわる寺がつくられました。三輪山にも大神寺(鎌倉時代以降は大御輪寺)が造られ、仏像が安置されました。幕末、新政府により神仏分離令が発せられると、廃仏毀釈の危機にさらされますが、大御輪寺の仏像は、同寺の住職や周辺の人々の手によって、近傍の寺院に移され、今日に至ります。
本展では、かつて大神寺にあった国宝 十一面観音菩薩立像(聖林寺蔵)、国宝 地蔵菩薩立像(法隆寺蔵)などの仏像と、仏教伝来以前の日本の自然信仰を示す三輪山禁足地の出土品などを展示します。国宝 十一面観音菩薩立像が奈良県から出るのは初めてのことです。その比類ない美しさをこの機会にぜひご覧ください。
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三輪山信仰
日本人は古来自然に畏敬の念を抱き、神が宿る依り代として、山や滝、岩、樹木などを信仰しました。三輪山はその代表的な例で、大神神社には神をまつる本殿はなく、三輪山を御神体として礼拝します。
『古事記』の神話に、大物主大神が大国主神に、国造りに協力するから「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」(私を、大和を囲む青い垣根のように連なる山々の東の山にまつりなさい)と望み、三輪山にまつられたと語られています。三輪山には人々が入ることができない禁足地があり、そこから古代の祭祀を物語る子持勾玉や、造酒に用いる器具の小さな土製模型が出土しており、古くからの信仰の存在を確認できます。
大神神社の由緒には、三輪山の頂上の磐座(神の宿所)に大物主大神、中腹の磐座に大己貴神、麓の磐座には少彦名神(すくなひこなのかみ)が鎮まるとあります。三輪山を御神体とする大神神社拝殿とその奥の禁足地の間には結界として鳥居と瑞垣が設けられています。その鳥居は、一列に3つ組み合わせた独特の形式で「三ツ鳥居」といい、中央には扉が付けられています。拝殿がはじめてつくられたのは鎌倉時代のことで、現在の拝殿は寛文4年(1664)徳川家綱が再建したものです。国宝 聖林寺十一面観音菩薩立像をかつて安置していた大御輪寺は、大直禰子(おおたたねこ)神社(若宮)となっています。
「国宝聖林寺十一面観音」東京国立博物館
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2013
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「国宝聖林寺十一面観音」東京国立博物館6月22日(火)~9月12日
2021年6月22日(火)~9月12日(日)、東京国立博物館 本館特別5室
2022年2月5日(土)~3月27日(日)、奈良国立博物館 東新館

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2021年6月 3日 (木)

生きものと共生する、神々、仏陀、人間・・・守護精霊は降臨する

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第244回

美しい海が見える森。美しい人と歩く、黄昏の丘、黄昏の神殿、黄昏の森。犬がどこかで吠えている。人が近づいたのか。主を呼んでいるのだろう。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。地中海の旅は、美への旅、知恵の旅、時空の果てへの旅、魂への旅。旅する哲学者は、至高の美へ旅する。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より

【学問僧と愛犬】昼寝をしていると、愛犬、プードル、鼻で嗅ぎながらやって来た「帰ってきたよ」。私「戦国時代になった。敵を滅ぼしてほしい。生涯、学問を続けるために邪魔な敵がいる」と言うと愛犬「解った。滅亡させてくる」とお手をした。
【学問僧と愛犬】春の宵、昼寝をしていると、愛犬、プードル、やってきた「帰ってきたよ」。お手をした。「その後、戦国時代になった。学問の邪魔者がいる。敵を滅ぼして欲しい」というと、愛犬「解った。滅ぼしてくる」と出撃した。天人の敵を滅ぼすため帰還した。愛犬、守護精霊となって帰還。天人の守護霊、如意輪観音のように。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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エジプト神話の神々。山犬姿の神、アヌビス、冥界の案内神、墓地の神。ハヤブサ姿のハトホル、天空の神。ライオン姿のプタハ、創造の女神。牝牛の姿、ハトホル女神、愛と美、豊饒の女神。頭上に聖蛇のつく日輪を戴くハヤブサ姿のラー、太陽神。雌猫姿の女神、バステト。三日月姿、コンス神。
【冥界王オシリス神】オシリスは、弟セトに殺されバラバラにされるが、妻イシスの呪力によって復活を果たす。息子ホルスがセトに勝利し、地上の王として君臨する。
冥界王オシリスと母なる女神イシスから生まれたホルスはファラオとなる。
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【狩りの女神ダイアナと犬、フォンテーヌブロー派1550、ルーヴル美術館】
ギリシア・ローマ神話に取材した寓意画は、フォンテーヌブロー派の画家たちが好んで描いた主題である。狩の道具を手にして猟犬を連れた月と狩の女神ディアナが、森のはずれを歩いている。モデルはフランス国王アンリ2世の寵姫、ディアヌ・ド・ポワティエで、彼女は、しばしばフォンテーヌブロー派の神話画のモデルを務めている。
ディアナ、ローマ神話に登場する、狩猟、貞節と月の女神。ユーピテルとラートーナの娘で、アポローンの妹とする説がある。新月の銀の弓を手にする処女の姿が特徴。
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仏教と動物たち
白象に乗るインドラ、7頭の獅子に坐す大日如来、白象に乗る普賢菩薩、動物に乗る虚空蔵菩薩、仏涅槃図に集まる動物たち。
【白象に乗るインドラ、東寺講堂】梵語名シャクローデーバーナーム・インドラ、 音訳で釈迦提婆因陀羅と呼ばれる。「シャクロー」の音訳「釈」と、インドラの意訳「帝王」から 帝釈天と呼ばれる。 古代神話の戦いの神インドラが元となり、 甲冑をまとい象に乗り金剛杵(ヴァジュラ)をとって毒龍と戦い、阿修羅に勝利し仏門に帰依させた英雄。一面三目二臂で金剛杵を持ち、白象に乗って半跏踏み下げの姿勢をとっている。(平安時代承和6年 839年)。
平安時代、承和6年(839年)に完成しましたが、頭部はすべて後補
【七頭の獅子に坐す大日如来】大日如来の台座に獅子を表す根拠。「中心毘瑠遮那如来。頭載五智宝冠、坐七獅子座上結跏趺坐、結界法印」(善無畏訳「尊勝仏頂修瑜伽法儀軌」巻上)。運慶は、建久8年(1197)に東寺の講堂の仏像の大規模な修復を行った。運慶が、密教の仏像の原点、東寺講堂の大日如来を意識していたことは間違いない。その姿にならってこの像と台座を作った。
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北斎と霊獣、宇宙の源泉、鳳凰、麒麟、富士、波濤
【不屈の画狂老人卍】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、88歳『弘法大師修法図』、89歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、90歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。」飯島虚心『葛飾北斎伝』。
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【愛染明王真言】「唵、偉大なる愛染明王よ。決して破壊されない最高の仏智を備えた金剛薩埵よ。金剛薩埵と同一の、金剛鉤菩薩、金剛索菩薩、金剛鎖菩薩、金剛鈴菩薩よ。我々を仏智に導いて下さい。」
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
著者:大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
https://bit.ly/34KTzZo
ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」・・・絶世の美女ネフェルティティ王妃とアマルナ美術の謎
https://bit.ly/39mttQ1
「密教彫刻の世界」東京国立博物館・・・愛染明王、金剛薩埵の化身
https://bit.ly/2WNIoNt
「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」・・・空海、理念と象徴
https://bit.ly/3fyOaYF
「鳥獣戯画のすべて」・・・謎の絵巻、怪僧・明恵
https://bit.ly/32XqQ2H
高山寺「鳥獣戯画」・・・快僧、明恵の夢、40年間『夢記』
https://bit.ly/3xCNL1o
「新・北斎展」森アーツセンターギャラリー・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
https://bit.ly/2HAZJ5y 
「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出
https://bit.ly/3sfpb35
『ライラの冒険 黄金の羅針盤』・・・守護精霊をもつ者、運命の羅針盤はどこに
https://bit.ly/3pe25K3
生きものと共生する、神々、仏陀、人間・・・守護精霊は降臨する
https://bit.ly/34JOIb2

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2021年5月13日 (木)

「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」・・・冨嶽三十六景46図と広重「名所江戸百景」

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第243回

八重桜咲く道を歩いて、美術館に行く。紫の躑躅燃える春の午後。拈華微笑御衣黄桜ひらきけり。春愁のかぎりを躑躅燃えにけり。
北斎は、75歳で画狂老人卍となった。鳳凰、波濤、富士越えの龍、麒麟、北斎は時の彼方へ旅する。
高校生の時、愛誦した詩を思い出す。(覆された宝石)のやうな朝 何人か戸口にて誰かとさゝやく それは神の生誕の日。(Ambarvalia「天気」)。永遠の 果てしない野に 夢みる 睡蓮よ 現在に めざめるな 宝石の限りない 眠りのように(宝石の眠り「宝石の眠り」)
【葛飾北斎、苦節五十年】北斎は、20歳で絵師となるが売れず、苦節50年、72歳『冨嶽三十六景』『神奈川沖浪裏』(1831)まで苦境。北斎は、九十歳で死ぬまで絵を描きつづける。
【葛飾北斎、富嶽百景】冨嶽三十六景、1831-34年(天保2-5年)版行。全46図。大判錦絵、版元は西村屋与八(永寿堂)。最初に36図が完成し、後に10図が追加出版。
【不屈の画狂老人卍】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、88歳『弘法大師修法図』、89歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、90歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。」飯島虚心『葛飾北斎伝』。
【歌川広重、35歳で北斎『富嶽三十六景』に出会い、『東海道五拾三次』天保5~7年(1834~36)を描く。20年後晩年60歳で「名所江戸百景」安政4年(1857)を描く。「富士見百図」「富士三十六景」。最後まで富士を描き続ける】
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【北斎の祈り】【葛飾北斎、富嶽百景、跋文】天保五1834年。九十才にして猶其奥意を極め一百歳にして正に神妙ならん欤百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん願くは長壽の君子予が言の妄ならざるを見たまふべし。七十五齢 前北齋為一改 画狂老人卍筆。
七十五齢 前北齋為一改 画狂老人卍筆
己六才より物の形状を写の癖ありて半百の比より数々画図を顯すといへども七十年前画く所は実に取に足ものなし七十三才にして稍(やゝ)禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり故に八十才にしては益/\進み九十才にして猶其奥意を極め一百歳にして正に神妙ならん欤百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん願くは長壽の君子予が言の妄ならざるを見たまふべし
 画狂老人卍述
書林 天保五甲午年春三月發行 尾州名古屋 永樂屋東四郎・江戸麴町四丁目 角丸屋甚助・同馬喰町二丁目 西村與八・同 西村祐藏
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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参考文献
「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」江戸東京博物館・・・謎の絵師写楽、画狂老人卍
https://bit.ly/35ywoAa
「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
https://bit.ly/34AB3Bz
「新・北斎展」森アーツセンターギャラリー・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
https://bit.ly/2HAZJ5y 
「The UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」・・・浮き世の遊宴と享楽と美女
https://bit.ly/30JCdd2
「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出
https://bit.ly/3sfpb35

「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」・・・冨嶽三十六景46図と広重「名所江戸百景」
https://bit.ly/3uJ9eUs

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展示構成
プロローグ ― 広重、絵師を目指す
物語の冒頭は、歌川広重こと、安藤徳太郎が10歳で描いた「三保松原図」から始まります。徳太郎少年の夢は「もっと上手に絵を描けるようになること」。やがて浮世絵師・歌川豊広に弟子入りし、その夢を実現していきます。しかし、その前に立ちはだかる高い壁は、天才絵師・葛飾北斎の存在でした。
広重が生涯手元に置いた少年時代の夢の原点
「三保松原図」安藤徳太郎(歌川広重)/筆 文化3年(1806) 当館蔵
【第1章 風景画への道 ― 北斎のたゆまぬ努力】
幼少期から絵を描くことが好きだった北斎(幼名時太郎、のち鉄蔵)。安永7年(1778)に勝川春章に入門し、翌年から「勝川春朗」の名で作品を出し始めます。第1章では、「冨嶽三十六景」に至るまでの北斎20歳代後半から60歳代までの挑戦の数々をたどっていきます。
遠近法を駆使して臨場感を出した忠臣蔵討ち入りの場面
「新板浮絵忠臣蔵 第十一段目」葛飾北斎/画 享和末~文化初(1803~1806)頃、当館蔵
北斎45歳頃の肉筆画「万歳図」(『風流勧化帖』より)葛飾北斎/筆 文化元年(1804)頃 当館蔵
【第2章 葛飾北斎「冨嶽三十六景」の世界】
第2章では、江戸東京博物館所蔵の「冨嶽三十六景」全46図を一挙公開!70歳を越えた北斎の並々ならぬ気迫、多彩に変化する富士の情景、計算し尽くされた大胆な構図、そして抜群の色使い。広重も多大な影響を受けたことでしょう。日本だけでなく、世界中で愛される本シリーズ全作品を展示します。
また、会期中は当館常設展示室より「北斎の画室模型」が1階特別展示室にお引越し。生涯93回も引越しをした北斎の暮らしぶりを再現します。
世界で最も有名な浮世絵 “Great Wave”、
通称「浪裏」
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」葛飾北斎/画 天保2~4年(1831~33)頃 当館蔵
通称「赤富士」、夏の朝の富士山の威容を見事に表現した作品
「冨嶽三十六景 凱風快晴」葛飾北斎/画 天保2~4年(1831~33)頃 当館蔵
美しく弧を描く橋とその下から望む富士山
「冨嶽三十六景 深川万年橋下」葛飾北斎/画 天保2~4年(1831~33)頃 当館蔵
職人が作る大きな桶の中に小さな富士山、北斎らしい大胆な構図
「冨嶽三十六景 尾州不二見原」葛飾北斎/画 天保2~4年(1831~33)頃 当館蔵
【第3章 新たな風景画への道 ― 広重の挑戦と活躍】
北斎に触発された広重は、自分らしさを出した「東海道五拾三次之内」シリーズを始めとした数々の名所絵により、風景画の中心を担う浮世絵師へと成長していきます。第3章では、そんな広重の風景画の名品をご紹介します。
北斎の富士を意識しながらも、広重らしい叙情性豊かな風景画
「東海道五拾三次之内 原 朝之冨士」歌川広重/画 天保5~7年(1834~36)頃 当館蔵
夕立に旅急ぐ往来の人々の心像風景を描いた広重の傑作
「東海道五拾三次之内 庄野 白雨」歌川広重/画 天保5~7年(1834~36)頃 当館蔵
【エピローグ ― 広重、“富士”を描く】
北斎没後、広重も多くの富士を描きました。そこには、影響を受けただけでなく、北斎の富士を越えようとする広重の対抗心とあくなき挑戦がうかがえます。エピローグでは、広重の描いた「名所江戸百景」シリーズや様々な富士を描いた「富士見百図」、広重が愛用した煙草入れなどの貴重な遺品も展示します。
近景の大きな鯉のぼりと遠景の富士の大胆な対比
「名所江戸百景 水道橋駿河台」歌川広重/画 安政4年(1857)当館蔵
「万年橋」と「亀は万年」、富士を眺める亀のユニークな構図
「名所江戸百景 深川万年橋」歌川広重/画 安政4年(1857)当館蔵
PressReliese
https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/special/
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特別展「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」・・・冨嶽三十六景46図と広重「名所江戸百景」
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特別展「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」
2021年4月24日(土)~6月20日(日)東京都江戸東京博物館

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2021年5月 2日 (日)

高山寺「鳥獣戯画」・・・快僧、明恵の夢、40年間『夢記』

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第242回

八重桜咲く森を歩いて、博物館に行く。うこん桜、御衣黄桜、咲き乱れ、紫の躑躅燃える森。京都の桜、過去1200年で最も早く満開。拈華微笑御衣黄桜ひらきけり。春愁のかぎりを躑躅燃えにけり(秋桜子)。明恵上人自身も鳥獣戯画絵巻を目にしていない。明恵は、遁世僧であり、学問僧であり、夢を見つづける怪僧である。
【明恵上人と犬】明恵にとって犬は特別な存在であり、しばしば明恵「夢記」にあらわれる。元久2(1205)年6月18日の夢に2匹の子犬があらわれる。明恵は犬を愛しんだ。湛慶作「子犬」は明恵が生涯所有した。明恵は慶派の仏師と交流した。皿井舞*
――
遁世僧、華厳学問僧、明恵
【「夢記」で18歳から59歳まで41年間、夢を記録。世界でも希な夢判断の創始者として稀有なる存在。夢により自己を見つめ、仏陀の精神を獲得。明恵34歳のときに「十五六歳許りの美女」現れる。以来「命生れさせ給へ」で「姫君の夢」をみる。
1220年承久2年の「善妙の夢」がある。華厳経は宇宙的な壮大な思想を表現した。752年開眼された東大寺毘盧遮那仏である。
【明恵「夢記」48歳。美女が現れ、毘盧遮那仏であると分かる】1220(承久2)年11月3日、6日。
【「鳥獣人物戯画」高山寺】兎と猿が水遊び、兎と蛙が相撲を取り、弓を的に当て合戦する、蛙が田楽を踊り、双六盤を担いだ猿が画面を横切る。蛙本尊の法会に猿が参加する。擬人化された動物たちの愉快で滑稽な姿を、白描画、墨一色で自由闊達に描いた。12世紀平安時代末期、13世紀鎌倉時代。明恵上人自身も絵巻を目にしていない。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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明恵(1173年2月21日 - 1232年2月11日)60歳で没す。
【両親と別れ】1173年、明恵は紀州有田郡に生まれる。この年、親鸞と湛慶が生まれた。治承4年(1180年)、9歳(数え年)にして両親を失い、翌年、高雄山神護寺に叔父の上覚に師事(文覚にも師事)、華厳五教章・倶舎頌を読む。文治4年(1188年)16歳、出家、東大寺で具足戒を受けた。
1190年(建久元年)18歳 、「夢記」を書き始める。41年間描き続ける。
【紀州白峰で修行】1196年(建久七年)24歳、東白上に移り、自ら右耳を切る。翌日、文殊菩薩が現れ霊感を得る。
【釈迦への思慕、天竺への憧れ】元久元年(1205年)、釈迦への思慕の念が深い明恵は『大唐天竺里程記』をつくり、天竺へ渡って仏跡巡礼を企画。
【高山寺、成立】遁世僧、明恵、1206年(建永元年)34歳、後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜され、華厳宗興隆の地として高山寺を開山。
【承久の乱、女人救済、善妙寺】承久3 (1221 )年、承久の乱、後鳥羽上皇が北条義時に敗れる。後鳥羽上皇側の女人たちが明恵を頼った。西園寺公経の助力を得て尼寺、善妙寺を建てた。1223年、高山寺金堂にあった快慶作の釈迦如来坐像を善妙寺の本尊とした。
華厳教学の研究、学問や坐禅修行などの観行にはげみ、戒律を重んじて顕密の復興に尽力。明恵は華厳の教えと密教との統一・融合をはかり、この教えはのちに華厳密教と称された。
1232年(貞永元年)60歳 、1月19日、高山寺禅堂院にて示寂。
高山寺の寺号は、『華厳経』の「日出でて先ず高山を照らす」という句による。
――
展示作品の一部
国宝「華厳宗祖師絵伝」。古代朝鮮で華厳宗の祖となった義湘(ぎしょう)と元暁(がんぎょう)の求法の旅が描かれる。義湘絵と元暁絵があり、明恵上人の事跡とも重なるテーマを異国の高僧を借りて描いた長編ドラマ。
【義湘に美女、善妙が、一目惚れ】
唐の時代。朝鮮半島の新羅の国から、ひとりの優秀な修行僧が、唐の国に留学して、修行を積んでいた。その修行僧に一目惚れした、高貴な身分の女性が、勇気を出して、『私はあなたを、愛しています。』と告白。その修行僧は、『私は仏に仕える僧侶です。しかも留学中で、女性を愛することは出来ない。』と、丁寧に断る。そこで、その女性は、『私に出来る限りのことをさせて下さい。』と言って、修行僧が唐の国に滞在中、経済的な援助を十二分にする。やがて時を経て、その修行僧はその女性に別れを告げずに、新羅に帰って行きます。それを知った彼女は、大切な経典や仏具を持って、港まで追いかけて行くのですが、港に就いたら、すでに修行僧の乗った船は、沖合まで出て行ってしまっています。そこで、その女性は嘆き哀しんで、持ってきた大切な経典や仏具は海に投げ捨て、海の中に身を投げて、空飛ぶ龍になって、その修行僧が乗っている船を背にして、安全に新羅の国まで送り届ける。
重要文化財 明恵上人坐像 鎌倉時代 13世紀 京都・高山寺 通期
重要文化財 湛慶作、子犬 鎌倉時代 13世紀 京都・高山寺 通期
明恵「夢記」鎌倉時代・承久2年、京都・高山寺蔵。1232年(貞永元年)。
国宝「明恵上人歌集 高信筆」鎌倉時代・宝治2年(1248) 京都国立博物館蔵
詠草 明恵筆 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺蔵
重要文化財 仏涅槃図 鎌倉時代 13世紀 京都・高山寺蔵
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参考文献
図録「国宝 鳥獣戯画のすべて」東京国立博物館2021
図録「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」東京国立博物館2015
特別展「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」2015年4月28日(火)から2015年6月7日(日)まで
「鳥獣戯画のすべて」・・・謎の絵巻、怪僧・明恵
https://bit.ly/32XqQ2H
高山寺「鳥獣戯画」・・・快僧、明恵の夢、40年間『夢記』
https://bit.ly/3xCNL1o

図録「国宝 鳥獣戯画のすべて」東京国立博物館2021
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2009
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「国宝 鳥獣戯画のすべて」東京国立博物館、2021年4月13日(火)~5月30日(日)

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2021年4月29日 (木)

「鳥獣戯画のすべて」・・・謎の絵巻、怪僧・明恵

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第241回

八重桜咲く森を歩いて、博物館に行く。うこん桜、御衣黄桜、咲き乱れ、紫の躑躅燃える森。京都の桜、過去1200年で最も早く満開。拈華微笑御衣黄桜ひらきけり。春愁のかぎりを躑躅燃えにけり(秋桜子)。
【謎の絵巻「鳥獣人物戯画」、物語の意味、製作目的は謎】
兎と猿が水遊び、兎と蛙が相撲を取り、弓を的に当て合戦する、蛙が田楽を踊り、双六盤を担いだ猿が画面を横切る。蛙本尊の法会に猿が参加する。擬人化された動物たちの愉快で滑稽な姿を、白描画、墨一色で自由闊達に描いた。《鳥獣人物戯画》、12世紀平安時代末期につくられた絵巻。
『鳥獣戯画』甲乙丙丁4巻、各巻11m、全長44m。甲巻には兎、蛙、猿を中心に11種類の動物が登場。乙巻は擬人化をせず、動物図鑑のように15種類の動物たち、空想上の霊獣、麒麟を含む。丙巻は擬人化した動物と人間。丁巻は人間だけが登場する。白描画の線の美しさ、卓越した筆さばき、だが作者は不明である。『鳥獣戯画』をみるのは3度目。だが、全巻をすべて仔細にみるのは、まれなる機会。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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最も日本人に知られ愛されてきた絵巻だが、にもかかわらず、制作年代以外、注文主や絵師が誰なのか、そもそも何の目的にためにつくらせたのか、どんな経緯で高山寺に伝来したのか、という基本的な部分さえ明らかになっていない「謎の絵巻」である。《鳥獣人物戯画》とともに有名な明恵上人も、絵巻の作者ではない。
甲巻は11種類の擬人化した動物、乙巻は15種類の動物が登場する。
現在、甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)の4巻を1件の作品として《鳥獣人物戯画》と呼ぶが、ひと目見れば一目瞭然、各巻はその様式や内容はバラバラで、同じ時代に、同じ筆者の下、一群の作品として制作されたものではない。
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【土屋貴裕研究員による説明】
13世紀、明恵上人によって再興され、華厳と密教、仏教美術の拠点になっていた高山寺へ引き寄せられ、動物たちが生き生きと描かれた絵巻が納められた。誰が描き、誰が納めたのかわからない。明恵上人自身も絵巻を目にしていない。有名なのは甲巻の一部だけ、4巻それぞれの特徴を分析する。
『甲巻、乙巻』は12世紀後半の制作、同一筆者(甲巻の中で筆者が替わる)。
【甲巻】には兎、蛙、猿を中心に11種類の動物が登場し、人間のように遊んだり、法会を催す様子を描いている。奇想天外な世界が繰り広げられる。2015年までの修復から明らかになったこともいくつかあり、常に注目を集めてきた。
【乙巻】は擬人化をせず、動物図鑑のように15種類の動物たち(空想上の霊獣や虎や象など異国の珍獣)を、動物として描いている。途中、牛たちがぶつかり合って戦う場面は、《年中行事絵巻》の園韓神祭(そのからかみのまつり)に描かれる「角合わせ」の行事に似ていることから、《年中行事絵巻》に近いところで制作されたのではないか。
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『丙巻、丁巻』とも制作されたのは13世紀鎌倉時代だが、【丙巻】は擬人化した動物と人間、【丁巻】は人間だけが登場する。
【丙巻】になると、今度は人間が登場する。彼らも囲碁や双六、将棋や取っ組み合い、互いの首に細い布をかけて引き合う「首引き」等、滑稽な遊びに興じ、画面には俗な笑いがあふれ。後半は一転、甲巻と同じく擬人化された動物たちが遊びを繰り広げるが、兎の出番は少なく、主役は猿と蛙。
【丁巻】では画風が変わり、登場するのも人間だけ。即興的な筆線で、曲芸や鞠打ち、流鏑馬や田楽、法会など、滑稽な場面と真剣な場面が交互に続く。法会に列席しているはずの貴族が1人だけ、振り返っている姿は、丁巻の筆者ではないかとも言われている。まるで前の場面に描かれた、木遣りの騒ぎを聞きつけたかのように。
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展示作品の一部
『甲巻』『乙巻』は12世紀後半、平安時代後期の制作、同一筆者(甲巻の中で筆者が替わる)
『丙巻』『丁巻』とも制作されたのは13世紀鎌倉時代
★断簡、摸本
鳥獣戯画模本(長尾家旧蔵本) 室町時代 15~16世紀 ホノルル美術館、前期展示場面、4月13日(火)~5月9日(日)Honolulu Museum of Art, Gifts of the Robert Allerton Fund, 1954(1951.1) and Jiro Yamanaka, 1956 (2212.1)
鳥獣戯画断簡(MIHO MUSEUM本〈丁巻〉)鎌倉時代 13世紀、滋賀・MIHO MUSEUM
鳥獣戯画模本(住吉家旧蔵品)巻第五 安土桃山時代 慶長3年(1598)東京・梅澤記念館
重要文化財 鳥獣戯画断簡(東博本)平安時代 12世紀 東京国立博物館 通期
重要文化財 明恵上人坐像 鎌倉時代 13世紀 京都・高山寺 通期
重要文化財 子犬 鎌倉時代 13世紀 京都・高山寺 通期
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★参考文献
図録「国宝 鳥獣戯画のすべて」東京国立博物館2021
図録「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」東京国立博物館2015
特別展「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」2015年4月28日(火)から2015年6月7日(日)まで
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1707
https://bit.ly/2QigUxw
「鳥獣戯画のすべて」・・・謎の絵巻、怪僧・明恵
https://bit.ly/32XqQ2H

「鳥獣戯画のすべて」・・・怪僧・明恵
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★「国宝 鳥獣戯画のすべて」東京国立博物館、2021年4月13日(火)~5月30日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2009

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2021年4月 3日 (土)

渡辺省亭展、欧米を魅了した花鳥画・・・花の盛りを過ぎ、風が吹き、花びらが零れ落ちる「牡丹に蝶の図」

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第240回

花盛りの森を歩いて、藝大美術館に行く。上野の森は桜満開、人があふれている。仏大統領は3月31日パリの都市封鎖を4月3日全土に拡大すると発表した。フランス3度目の都市封鎖。
「牡丹に蝶の図」花の盛りを過ぎ、風が吹けばこぼれ落ちてしまう花、退廃的な雰囲気が漂う。落ちていく雄蕊、風の流れ、花びら落ちていく時間の経過が描かれている。*
忘れられた知られざる名匠による繊細で洒脱な花鳥画、フランス人を魅了し、印象派画家と交流した。
【美人画、省亭と勝川春章】渡辺省亭「七美人之図」は室町時代の「竹林七賢図」の水墨画の世界を美人画で表現する。勝川春章「竹林七研図」を直接参照したらしい*。省亭の妻は美人だった。省亭の妻さくの面影を美人画に投影させていると長男、渡辺水巴の証言がある。【鳥、省亭と伊藤若冲】渡辺省亭「雪中鴛鴦之図」1909年は、伊藤若冲「動植綵絵之内雪中鴛鴦図」の極微の世界を研究し追求する。
【曲水流觴】王羲之、李白、嵯峨天皇、空海、大伴家持、藤原俊成、藤原定家、西行、豊臣秀吉。春の兆し、桜を愛で、桃を愛し、神泉苑で、花の宴を催した文人たち。儚い花、儚い香り、儚い夢、儚い愛、怨憎会苦、愛別離苦の悲しみを歌った詩人たち。この世の苦しみを、花盛り花を愛で、宴を催し、心を癒した。
【花と死】願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ、西行『続古今和歌集』。西行は文治六(1190)年二月十六日 73歳で亡くなる。
【花と蝶】花に蜜を求めて乱舞する蝶、花に吹く風、零れ落ちる雄蕊、漂う風。竹林を歩く七美人。省亭は若冲のように鳥を好んだ。花と鳥と龍頭観音を愛した省亭は、可視界の彼方に何を求めたのか。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【省亭とパリ】省亭は一八七八年の万博を機にパリに渡り、ドガと印象派の画家たちと交流した。万博出品やロンドンでの個展により海外で高い評価を得た。国内での大規模な作品展は初めて。ドガに贈られた「鳥図」(枝にとまる鳥)。
絹本に薄塗りの技法は、繊細で儚い世界を表現する。
「この絵には、「為ドガース君 省亭席画」という落款が施されている。「ドガース君」とは、踊り子を描いた絵で有名なフランスの画家、エドガー・ドガ(1834~1917)。省亭は明治11年、日本画家としてはじめて渡欧し、パリ万博にまつわる輸出産業の仕事に従事した。その折、その画技が評判となって、ドガをはじめとするフランス人が集まった会合で、席画(即興で描く絵)を披露した。いかにも速い筆捌(さば)きによる枝、葉、そして鳥の尾羽。かすれているのが生々しい。ドガは省亭の筆技に驚嘆したことだろう。そしてこの絵はいま、アメリカ、マサチューセッツ州にあるクラーク美術館に保管されている。はじめて里帰りして展示される。ドガはいつ手放したのか」山下裕二*。
明治20年代にロンドンで開かれた展示会で、100点を超える省亭作品が販売された。
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渡辺省亭、パリと浅草に棲息した絵師 1852年~1918年
嘉永4年12月(1852年1月)江戸神田佐久間町に生まる。16歳、歴史画家・菊池容斎に入門、書道、筆遣いや写生の基礎を学ぶ。明治8年(1875)23歳。起立工商会社に入社、輸出用工芸図案を担当。明治10年(1877)の内国勧業博覧会出品作を翌年のパリ万博にも出品する。
【1878年(明治11年)、パリ万博】26歳
同社派遣により日本画家としてはじめてパリに渡る。帰国後、内外の博覧会や展覧会に花鳥画を中心に積極的に出品、明治20年代、伝統と洋風を融合、自己の様式を確立。
【1898年(明治31年)、日本美術院、創立】
岡倉覚三(天心)が東京美術学校を排斥されて辞職した際に、自主的に連座して辞職した美術家達(橋本雅邦、六角紫水、横山大観、下村観山、寺崎広業、小堀鞆音、菱田春草、西郷孤月)が結成。谷中大泉寺にて。
省定は、明治30年代以降、美術展覧会、美術団体に参加せず、市井の画家として活動を行う。明治40年代からは高い画料で仕事をした、弟子をとらず、注文に応じて制作活動を行った。大正7年(1918)68歳で亡くなる。
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展示作品の一部
渡辺省亭「牡丹に蝶の図」1893(明治26)年 絹本着色 一幅 個人蔵
渡辺省亭「百舌鳥に蜘蛛図(花鳥魚鰕画冊)」絹本着色 一面(全二十一面のうち) メトロポリタン美術館
渡辺省亭「牡丹に雛図(花鳥魚鰕画冊)」絹本着色 一面(全二十一面のうち) メトロポリタン美術館
渡辺省亭「雪中鴛鴦之図」1909年 絹本着色 142.0×78.0cm
渡辺省亭「龍頭観音」1879(明治12)年
渡辺省亭「春野鳩之図」絹本着色、一幅、加島美術館
渡辺省亭「鳥図(枝にとまる鳥)」1878(明治11)年/紙本淡彩/一面、クラーク美術館 Clark Art Institute. clarkart. Edu エドガー・ドガ旧蔵品「鳥図」(為ドガース君 省亭席画)
渡辺省亭「花鳥魚鰕画冊」メトロポリタン美術館所蔵
渡辺省亭「七美人之図」絹本着色、一幅、クラウス・F・ナウマンコレクション
箱書きに「七美人之図」と題するが、この画題がいわゆる竹林七賢を意識していることは明白である。竹林に隠棲(いんせい)した七人の賢者を描く、室町時代以来定番の、水墨画の画題。省亭は古典をしっかり踏まえながら、最高の画技をもって、このような大作を描いた。
渡辺省亭《四季江戸名所(夏 不忍池蓮)》(部分) 絹本着色 四幅のうち 個人蔵
【花鳥画】赤坂迎賓館内部を飾る七宝額の原画を省亭が担当し、濤川惣助が無線七宝で拵えた。
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参考文献
「渡辺省亭-欧米を魅了した花鳥画-」小学館、2021
*山下裕二氏、古田亮氏「渡辺省亭-欧米を魅了した花鳥画-」広報事務局プレスリリース
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」東京都美術館・・・世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
https://bit.ly/2BUy4rl
「The UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」東京都美術館・・・浮き世の遊宴と享楽と美女
https://bit.ly/30JCdd2

渡辺省亭展、欧米を魅了した花鳥画・・・花の盛りを過ぎ、風が吹き、花びらが零れ落ちる「牡丹に蝶の図」

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渡辺省亭 欧米を魅了した花鳥画、東京藝大美術館、3月27日(土)~5月23日(日)
https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2020/seitei/seitei_ja.htm
愛知、岡崎市美術博物館、5月29日(土)から7月11日(日)まで
静岡、佐野美術館、7月17日(土)から8月29日(日)まで

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2021年3月28日 (日)

「あやしい絵展」・・・退廃的、妖艶、エロティック、表面的な「美」への抵抗

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第239回

「あやしい絵」、背後にあるものは何か。
失われた幸せ、衝撃から髪を靡かせて疾走し遁走する、葛藤と救済。隠されたドラマは何か。
異界から聖なる者を誘惑する女、一途な執着の女、この世では結ばれない男女の愛、落城寸前の我が子秀頼を守ろうとする淀君、生霊、略奪愛。
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな 鳳晶子『みだれ髪』1901
泉鏡花『高野聖』、「安珍清姫伝説」、近松門左衛門『心中天網島』、淀君の苦悩、運命の女(Femme fatale)、六条の御息所の生霊(謡曲『葵上』)、与謝野晶子『みだれ髪』、河竹黙阿弥『處女翫浮名横櫛』、『京の舞妓』。
【果たせぬ夢を果たし、晴らせぬ恨みを晴らす】生老病死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊集苦。果たせぬ夢を果たし、晴らせぬ恨みを晴らす。この世に渦まく悪逆非道、鬼畜、化粧せる不正、不条理に反抗、怨敵調伏する。
北野恒富の屛風『道行』は近松門左衛門「心中天網島」を題材としているが、幕末の志士、高杉晋作「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」の都々逸を合わせて展示されている。
幕末から昭和初期に制作された絵画、版画、挿図をみると、退廃的、妖艶、グロテスク、エロティック、「単なる美しいもの」とは異なる。「あやしい絵」のほとんどは、女たち、虐げられた者たちである。江戸時代からつづく、封建制、階級社会、抑圧された者たちの世界。鳳晶子『みだれ髪』1901年、ロマン主義の花が開く。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
月岡芳年『魁題百撰相』は、戊辰戦争の兵士たちを、江戸初期の人物の姿を借りて表したシリーズ。実際に芳年は上野戦争の現場を訪れ、傷ついた兵士や遺体を模写したという。流血したその姿からは、無念さや気迫が感じられる。
安本亀八「白瀧姫」1895年頃(明治28年頃)桐生歴史文化資料館蔵
藤島武二装丁、鳳晶子『みだれ髪』1901年(明治34年
稲垣仲静「猫」1919年頃(大正8年頃)星野画廊
上村松園『焰』大正7年、東京国立博物館 [展示期間:3月23日~4月4日]
速水御舟『京の舞妓』、東京国立博物館
曾我蕭白『美人図』江戸時代(18世紀)、奈良県立美術館、東京展のみ、3月23日~4月4日
橘小夢『安珍と清姫』大正末頃、弥生美術館 [後期展示:4月20日~5月16日]
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ《マドンナ・ピエトラ》1874年、郡山市立美術館
アルフォンス・ミュシャ「ジスモンダ」1986
甲斐庄楠音「畜生塚」大正4(1915)年頃、京都国立近代美術館蔵
甲斐庄楠音「幻覚(踊る女)」大正9(1920)年頃、京都国立近代美術館蔵
甲斐庄楠音「舞う」大正10(1921)年
甲斐庄楠音《横櫛》大正5年頃、京都国立近代美術館、通期展示
岡本神草「拳を打てる三人の舞妓の習作」1920、京都国立近代美術館
岡本神草「口紅」1918、京都市立芸術大学資料館
岡本神草「仮面を持てる女」1922、京都国立近代美術館
岡本神草「骨牌を持てる女」1923、京都国立近代美術館
北野恒富『道行』大正2年1913頃、福富太郎コレクション、3月23日~4月4日
北野恒富『淀君』大正9(1920)年
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参考文献
田中麗子「あやしい絵 通史」
「あやしい絵展 図録」毎日新聞社2021
上村松園展・・・美人画の系譜
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1f70.html
「ラファエル前派の軌跡展」・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
「怖い絵展」
http://bit.ly/2z8eCTV

「あやしい絵展」・・・退廃的、妖艶、エロティック、表面的な「美」への抵抗
――
明治期、あらゆる分野において西洋から知識、技術などがもたらされるなか、美術も西洋からの刺激を受けて、新たな時代にふさわしいものへと変化していきました。
このような状況のもとで生み出されたさまざまな作品の中には、退廃的、妖艶、グロテスク、エロティックといった「単なる美しいもの」とは異なる表現がありました。これらは、美術界で賛否両論を巻き起こしつつ、激動する社会を生きる人々の欲望や不安を映し出したものとして、文学などを通して大衆にも広まっていきました。
本展では幕末から昭和初期に制作された絵画、版画、雑誌や書籍の挿図などからこうした表現を紹介します。
1.一度見たら忘れられない名画たち
日本近代の美術における美しさの「陰画(ネガ)」をご紹介。上村松園の《焰》や《花がたみ》、鏑木清方《妖魚》等、「あやしい」魅力にあふれた作品が勢揃いします。
2.ディープな「あやしい」作品が盛りだくさん
甲斐庄楠音《横櫛》、橘小夢《安珍と清姫》、秦テルヲ《血の池》等、脳裏に焼きつくほど美しく強烈な「あやしさ」をそなえた作品が多数出品されます。
3.私たちを捉えて離さない「あやしい」物語
安珍・清姫伝説、「高野聖」等の物語はさまざまな作家を魅了し作品に展開されました。非現実であったり「あやしい」女性が登場したりする物語は、明治、大正期のみならず今の私達にも魅力的に映ることでしょう。
4.西洋美術も!
アルフォンス・ミュシャ、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、オーブリー・ビアズリー、エドワード・バーン=ジョーンズ等、日本の画家達に影響を与えた西洋美術の作品もあわせて紹介します。

1章:プロローグ 激動の時代を生き抜くためのパワーをもとめて(幕末~明治)
2章:花開く個性とうずまく欲望のあらわれ(明治~大正)
 1 愛そして苦悩―心の内をうたう
藤島武二と田中恭吉の絵画。彼らに影響を与えたアール・ヌーヴォーのアルフォンス・ミュシャ、ラファエル前派ロセッティ、象徴派。
 2 神話への憧れ
古事記のイザナギノミコトとイザナミノミコトの物語を題材にした『黄泉比良坂』(1903)、青木が人間の生命の始源ととらえた海を題材にした『運命』(1904)。
 3 異界との境で
泉鏡花『高野聖』の修行僧、宗朝が傷ついて汚れた体を親切な女に川で洗い流して癒してもらう艶めかしい場面、美貌の女の色香に惹かれる迷う僧。だが彼女は男を動物に変えてしまう魔女。橘小夢作『高野聖』。谷崎潤一郎『刺青』の女郎蜘蛛が背中に彫られた少女を描いた橘小夢作挿絵『刺青』。
 4 表面的な「美」への抵抗
豊臣秀吉の側室である淀君、北野恒富《淀君》(1920)。暗闇から浮かびあがる、口を一文字に結び先を見据えたその表情。
島成園の《無題》(1918)は、顔に痣のある女性を描く。島は「あざのある女性の運命とこの世を呪う気持ちを描いた」と語る。
 5 一途と狂気
物語の挿絵が、浮世絵の系譜にある場面を重視したものから、登場人物の内面を描くものへと移り変わった。近松門左衛門『心中天網島』を題材とした北野恒富《道行》(1913)は、死を決意したふたりの悲しみの表情と、それを象徴する鳥の姿。
3章:エピローグ 社会は変われども、人の心は変わらず(大正末~昭和)
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/ayashii/
――
「あやしい絵展」東京国立近代美術館、2021年3月23日(火)~5月16日(日)
「あやしい絵展」大阪歴史博物館、2021年7月3日~8月15日

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2021年3月16日 (火)

大地のハンター展、陸の上にも4億年・・・百獣の王、食物連鎖の頂点に立つ者

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Cartier-2011
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第238回

生命の競争社会、生きるために生物を捕えて食べる。弱肉強食、食うか食われるか。生物は生物を食べて生きる。気づいたときには食われている。
中生代白亜紀のワニ、デイノスクスは、恐竜ティラノサウルスを捕食していた。捕食活動、食物連鎖の頂点に立つ人類と生物の生命史。食肉目ネコ科ヒョウ属ライオンは百獣の王なのか。人は、おびき寄せ待ち伏せ、罠を作って獲物を捉える。捕食の頂点に立つものは何か。人を食うものは何か。
【百獣の王】猫科は、基本的に一人で行動する。ライオンは集団行動で、夜、象に跳びかかって襲い、一昼夜で仕留める。チーターは、地上最速のハンターだが、飛ぶことはできない。百獣の王は何か。
【狩人の武器】おびき寄せ・待ち伏せ、道具を使って獲物をおびき寄せる、身を隠して獲物を待つ。毒使いの狩人、カマ使いの狩人。狩りは、生きるために必要なエネルギーを得る重要な手段であり、効率よく狩りを行うために、動物たちは最適な身体を手に入れ、さまざまな技術を身につける。追う者、追われる者。
【雲南省の洞窟、石正麗】1918-20年、スペイン風邪ウィルスは、5億人に感染し5000万人が死亡した(National Geographic)。2019-21年、新型コロナウィルスが世界中で感染爆発。2005年から、武漢ウィルス研究所の石正麗博士は、雲南省の洞窟を探検し2000のウィルスを採集した。雲南省の洞窟に潜む、きくがしら蝙蝠はウィルスを保有、穿山甲が媒介して人に感染する。WIV1は直接ヒトに感染する。2019新型コロナは、石正麗の2013年舟山コウモリから発見されたRaTG13ウィルスに96%一致する。ウィルスは人を死に至らしめる。血を吸うことでさまざまな伝染病を媒介しヒトを死にいたらしめる蚊。生命の競争社会、食物連鎖の頂点に立つ者は何か。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★展示される主な標本
陸に上がって 4 億年のうちに多様化したハンター 捕食者)。動物が生きていくために必要な営み「 捕食「(捕らえて食べる)」に注目し、ハンターの顎と歯の進化、ハンティングテクニックを紹介しながら生態系におけるその役割と重要性を解き明かす。さまざまなハンターの起源と進化を紹介し、大地のハンターが生きる地球環境のこれからを考える科学展覧会。
第 1 章 太古のハンター」
遠い昔に栄え、そして絶滅した生物の系譜を追いながら、ハンターの起源と進化に迫ります。節足動物と脊椎動物の顎の成り立ちの違いや、中生代に活躍した両生類 ・爬虫類、新生代の大地に栄えた哺乳類など、太古に活躍したハンターを、化石や骨格標本を通して紹介します。
太古のハンターというと大型肉食恐竜が思い浮かびますが、恐竜が常に生息環境の頂点にいた訳ではありません。本章では恐竜を食べていたと推定されるワニ類や哺乳類などにも焦点をあて、太古の地球の多様性を示します。ワニは約 2 億 3000 万年前の三畳紀に出現して以来、現生までほとんど形を変えずに水辺の生態系に君臨し続けているハンター。恐竜絶滅後の大地には哺乳類が繁栄しました。
第 2 章 大地に生きるハンター」 本章では、さまざまな地球環境に順応している現生のハンターを展示します。「水辺」、 森・密林」、 草原」、 荒野(砂漠・岩場)」の4つの生息域ごとに代表的なハンターを紹介するほか、「おびき寄せ・待ち伏せテクニック」や「暗闇」などの切り口で、ハンターの特徴を解説。
【水辺のハンター】
動物は生きるために必要な水を得るため水辺にやってきます。このため必然的に多くのハンターも水辺に集まります。水辺に君臨する 「イリエワニ」の4mを超える大型剥製や、巨大な 「ヒグマ」、水を恐れずワニをも捕食する 「ジャガー」、動かない鳥として人気の 「ハシビロコウ」水辺でハンティングする動物
【森・密林のハンター】
陸地の3割を占める森・密林。森に潜み狩りを行う動物や、樹上に登り立体的に狩りを行う動物。代表的なネコ科のハンターである 「トラ」、長い犬歯が特徴的で現生のサーベルタイガーともいわれる 「ウンピョウ」、群れで狩りをすることで知られる「オオカミ」などのほか、立体的に活動する「オオアタマガメ」や「トビトカゲ」などの珍しい小動物
【草原のハンター】
多くの草食獣が暮らす草原には、それを狙うハンターも多く生息しています。彼らの狩りの方法も多彩です。ネコ科では珍しく集団で狩りをする 「ライオン」、跳躍力に優れた華麗なハンター 「サーバル」、腐肉食というイメージがついてしまったが実は狩りが得意な「ブチハイエナ」。また、人気のスピードスター 「チーター」や、強力な毒をもつヘビ 「ブラックマンバ」など、特徴的なハンター
【荒野(砂漠・岩場)のハンター】
砂漠や岩場など厳しい環境にも獲物はいます。これらを捕らえるハンターは、厳しい環境に適した体をもっています。大きな耳をラジエーターとして砂漠に生息する「フェネック」、高地の寒さに耐えうる長い毛をもつ「マヌルネコ」、山岳地帯の急峻な崖をものともせず狩りを行う「ユキヒョウ」など、厳しい生息域で暮らすハンター
【おびき寄せ・待ち伏せテクニック】
道具を使って獲物をおびき寄せるユニークな動物!おとりの昆虫を水に浮かべ餌となる魚をおびき寄せる「ササゴイ」、自らのピンク色の舌をミミズのように動かして魚を捕らえる 「ワニガメ」、地中に半身を隠してじっと獲物を待つ「ベルツノガエル」などのユニークな動物。
第 3 章 ハンティングの技術」 【偏食なハンター】展示される主な標本
アリ、シロアリを食べるために進化した口と舌を持つ「オオアリクイ」
【毒使いのハンター】展示される主な標本
毒をもつ希少なトカゲ類で乾燥地に生息する「メキシコドクトカゲ」
【カマ使いのハンター】―これぞ収斂進化!カマのような前脚をもつ動物集合!
可憐な花に擬態「ハナカマキリ」
「カマバチ」、「カマバエ」、「カマキリモドキ」、「ミズカマキリ」、「ザトウムシ」など、種をまたいでカマ使いのハンター
第 4 章 フォーエバー・大地のハンター」
人間による思慮の無い活動のために数を減らしたハンター、逆に生息域を広げてしまったハンター。本章では、外来のハンターと、人間によって絶滅してしまったハンターを取り上げ、人間と地球の仲間たちとの持続可能なバランスある関係づくりに向けたメッセージ。
★「大地のハンター展、国立科学博物館」Press Releaseより
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★参考文献
「大地のハンター展 図録」国立科学博物館2021
【感染爆発、帝国と都市国家の戦い】この世の果てを超えて、旅する詩人・・・「時の関節が外れた」シェイクスピア
【人口削減計画】ゼウスは、増え過ぎた人口を調節するためにテミスと試案を重ね、大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意をした。
https://bit.ly/2XoaNcd
ウィルスと人類の戦い・・・感染爆発の歴史、アテネのペリクレス、ルネサンス、厩戸皇子 、盧舎那仏
https://bit.ly/2z32Orl

大地のハンター展、陸の上にも4億年・・・百獣の王、食物連鎖の頂点に立つ者

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森や草原、水辺や砂漠、地球上のあらゆる場所で、動物たちの食べる・食べられるというつながりがあり、狩るという行為の積み重ねによって、生態系のバランスが保たれています。
動物たちにとって狩りは、生きるために必要なエネルギーを得る重要な手段であり、効率よく狩りを行うために、動物たちは最適な身体を手に入れ、さまざまな技術を身につけてきました。
本展では、狩りを行う動物(大地のハンター)たちの進化の歴史を概観するとともに、現生の多種多様なハンターたちの特徴やハンティングテクニックを紹介します。
https://www.kahaku.go.jp/index.php
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大地のハンター展、国立科学博物館、2021年3月9日㈫~6月13日㈰

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2021年2月28日 (日)

「テート美術館所蔵 コンスタブル展」・・・虹が立つハムステッド・ヒース

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第237回
荒涼とした大地、陰鬱な樹々、沸き立つ雲、輝く虹、湿った空、戦いの海。仔細に見ると荒々しい筆致。ジョン・コンスタブルの風景は、陰鬱で荒々しい。「虹が立つハムステッド・ヒース」、荒々しい大地に立つ虹は、何の予兆だろうか。理想風景は崩壊する。
西洋風景画、クロード・ロランから始まる。クロード・ロラン、夕暮れの風景、夕暮れの海景
クロード・ロラン(1600年代-1682)は、古代の理想風景を追求する風景画家、海景画家である。古代イタリアの古典主義の神話画、夕暮れの田園風景、夕暮れの港の海景を描いた。『タルソスに上陸するクレオパトラ』1642『クリュセイスを父親のもとに送り返すオデュッセウス』1644『海港 シバの女王の上陸』1668
ジョン・コンスタブルはクロード・ロランを「世界が今まで目にした最も完璧な風景画家」「全てが美しく-全てが愛らしく-全てが心地よく安らかで心が温まる」と絶賛。
西洋風景画の系譜
17世紀、1620年代、クロード・ロランから始まる。1637年頃から風景画家、海景画家としての名声を高め。フランス人のニコラ・プッサンとも交友があり、ローマン・カンパーニャを共に旅している。17世紀オランダ風景画、ヤーコプ・ファン・ロイスダール、19世紀カミーユ・コロー、19世紀イギリス、J.M.W.ターナー、ジョン・コンスタブル。ターナーは、クロード・ロランの理想風景画の影響を受けた。コンスタブルは17世紀オランダ風景画の影響を受ける。『草地から望むソールズベリー大聖堂』1831。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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ポレオン戦争の勝利、ワーテルローの戦い1815、ネイサン・ロスチャイルド
1815年のワーテルローの戦いは、ナポレオンが勝てばイギリスのコンソル公債は暴落し、イギリスが勝てば逆に高騰するだろうと予想された。ネイサンはロスチャイルド家の情報伝達体制を駆使、イギリス勝利の情報を掴んだ。ロスチャイルド家の優れた情報収集体制は金融界に知れ渡っていた。みなネイサンの動向を注視していた。ネイサンはまず公債を売った。それを見た他の投資家たちはイギリスの敗戦を確信し、一斉に売りに入った。公債が暴落したところでネイサンは急遽莫大な量の買いに入った。イギリスの勝利の報告が入ると公債は急騰し、ネイサンは莫大な利益を上げることに成功。これは「ネイサンの逆売り」として伝説化。1817年ロスチャイルド五兄弟全員にオーストリア帝国のハプスブルク家より「フォン(von)」の称号を送られ、1822年には5兄弟に男爵位と紋章が授与された。ネイサンは称号や紋章のような名誉には関心がなく、男爵の称号も全く使用しなかった。勲章も贈られたが、身につけなかった。自由主義国イギリスではハプスブルク帝国の専制国家から授与された爵位など価値はない。
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1、風景画家コンスタブルの大回顧展 35年ぶり、伊勢丹美術館1986年
19世紀イギリスの画家ジョン・コンスタブル(1776-1837年)は、1歳年長のJ. M. W. ターナー(1775-1851年)とともに自国の風景画を刷新した。彼らの制作は対照的で、ターナーが各地を旅して国内外の景観の膨大な素描を残したのに対し、コンスタブルは自らの生活や家庭環境に結びつく場所を描き続けた。
2、戸外での風景画制作
1776年、イングランド東部のサフォーク州イースト・バーゴルトに生まれたコンスタブルは、ロンドンの美術学校ロイヤル・アカデミーに入学後、優位に置かれていた肖像画などを手掛けつつも、自分が愛着をもつ土地を描いていた。1802年、「自然が根源的にもつ本質を探る」ため、戸外での風景画制作を始めた。本展では、《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》をはじめ、コンスタブルが身近な土地を描いた油彩画の数々。
3、風景表現の探求 ハムステッドの高台にて 結核を患う妻
コンスタブルは1816年末に結婚し、家庭生活を維持するべく肖像画制作に励む一方、風景画にも注力。1819年にはロイヤル・アカデミーの准会員に選出され、評価を高めた。1820年代初頭には、ロンドンの北に位置するハムステッドの澄んだ空気のもとで家族と過ごし、1824年以降には結核を患う妻の療養のためにブライトンをたびたび訪れるようになる。会場では、ハムステッドで画家を魅了した雲の習作や、家族や友人と過ごした土地の風景を描いた。
4、想像力を駆使した後期の作品 妻マライアの死
1828年に妻を亡くした数ヶ月後、コンスタブルは、ロイヤル・アカデミーの正会員に選出され、批評に縛られずに主題や技法を選ぶ自由を得た。以後、過去に描いてきたサフォークなどの風景に取り組み、後期には、画中のモティーフを自由に配置しなおすなど、想像力を駆使した作品を手掛けた。《虹が立つハムステッド・ヒース》など、壮大で「ピクチャレスク」な風景画を描く。1837年死す、享年61歳。
5、ターナーとコンスタブルの対決、1832年ロイヤル・アカデミー
コンスタブルの大作《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》。この作品は、ターナーの《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》とともに、1832年のロイヤル・アカデミー夏季展に出品された華やかな風景画。これら2作が日本では初めて並んで展示される。
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参考文献
ケネス・クラーク「風景画論」(佐々木英也訳、ちくま学芸文庫、2007年)
「イタリアの光 クロード・ロランと理想風景」国立西洋美術館1998
「コロー 光と追憶の変奏曲」国立西洋美術館2008「銀灰色の靄に包まれた喚起力と連想の芸術」コロー《モルトフォンテーヌの想い出》1864
《ヴィル=ダヴレー、牛飼い女のいる森の入口》道に差し込む光線、《ローマのコロセウムの習作》《ファルネーゼ公園から見たフォロ・ロマーノ》光と影、《プッサンの散歩道》《ティヴォリ、ヴィラ・デステ庭園》
「コロー 光と追憶の変奏曲」・・・夕暮れの光に包まれるイタリアの風景
https://bit.ly/3bICT86
「コロー 光と追憶の変奏曲」・・夕暮れの光から銀灰色の靄に包まれた思い出の森へ
https://bit.ly/3q3TpEB
「ターナー 英国最高の風景画家」東京都美術館2013
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア》1832
《ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ》1820
ターナー展 英国最高の巨匠・・・イタリアの黄昏、黄金の光
https://bit.ly/3bEQyNo
「フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち」2016、森アーツセンター
https://www.tbs.co.jp/vermeer2016/works/
ヤン・バプティスト・ウェーニクス《地中海の港》1650
コルネリス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲン《港町の近くにて》1615-20
カレル・ファブリティウス《帽子と胴よろいをつけた男(自画像)》1654
「テート美術館所蔵 コンスタブル展 図録」三菱一号館美術館
Press Releaseテート美術館所蔵 コンスタブル展、三菱一号館美術館

「テート美術館所蔵 コンスタブル展」・・・虹が立つハムステッド・ヒース

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展示作品の一部
ジョン・コンスタブル《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》1816 -17年、油彩/カンヴァス、101.6×127.0cm、テート美術館蔵コピーライトTate
ジョン・コンスタブル《マライア・ビックネル、ジョン・コンスタブル夫人》1816年、油彩/カンヴァス、30.5×25.1cm、テート美術館蔵コピーライトTate
ジョン・コンスタブル《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》 1832年発表、 油彩/カンヴァス、130.8×218.0cm、テート美術館蔵コピーライトTate
ジョン・コンスタブル《チェーン桟橋、ブライトン》1826-27年、油彩/カンヴァス、127.0×182.9cm、テート美術館蔵コピーライトTate
ジョン・コンスタブル《草地から望むソールズベリー大聖堂のスケッチ》1829年?、油彩/カンヴァス、36.5×51.1cm、テート美術館蔵コピーライトTate
ジョン・コンスタブル《デダムの谷の眺め》1802年、油彩/紙・カンヴァス、51.5×61.0cm、郡山市立美術館蔵
J. M. W. ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》1832年、油彩/カンヴァス、91.4×122.0cm、東京富士美術館蔵
ジョン・コンスタブル《虹が立つハムステッド・ヒース》1836年、油彩/カンヴァス、50.8×76.2cm、テート美術館蔵コピーライトTate
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19世紀イギリスの画家ジョン・コンスタブル(1776-1837年)は、一歳年長のJ. M. W. ターナーとともに自国の風景画を刷新し、その評価を引き上げたことで知られます。 ターナーが絶えず各地を旅して、国内外の景観を膨大な数の素描に収めたのとは対照的に、コンスタブルは、ひたすら自身の生活や家庭環境と密接に結びつく場所を描きました。故郷サフォーク州の田園風景をはじめとして、家族や友人と過ごしたソールズベリー、ハムステッド、ブライトンなどの光景を写した生気あふれる作品の数々は、この画家が何を慈しみ、大切に育んだのかを雄弁に物語ってやみません。
日本では35年ぶりとなる本回顧展では、世界有数の良質なコンスタブルの作品群を収蔵するテート美術館から、ロイヤル・アカデミー展で発表された大型の風景画や再評価の進む肖像画などの油彩画、水彩画、素描およそ40点にくわえて、同時代の画家の作品約20点をご紹介します。 国内で所蔵される秀作を含む全85点を通じて、ひたむきな探求の末にコンスタブルが豊かに実らせた瑞々しい風景画の世界を展覧します。
https://mimt.jp/constable/
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テート美術館所蔵 コンスタブル展、三菱一号館美術館、2021年2月20日(土)~5月30日(日)

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2021年2月22日 (月)

「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第236回

「江戸の誘惑 肉筆浮世絵展」、画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)を思い出す。北斎の最高傑作である。晩年の北斎は肉筆浮世絵に沈潜した。葛飾北斎「合鏡美人図」「立美人図」「登龍図」。北斎が生涯、愛し求めたものは何か。岩佐又兵衛は、波乱の生涯の果てに何を見たのか。
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【岩佐又兵衛は、織田信長に謀反した戦国武将、有岡城主、荒木村重の末子】母方の姓を名乗り、数奇な運命をたどり絵師として活躍した。重要文化財「弄玉仙図」、桐木のもとで簫をふく弄玉は妖艶である。又兵衛の母の面影である。母、荒木村重の妻は、有岡城の戦い(天正7年1579年)で敗れ信長軍に処刑された。「百二十二人の女房一度に悲しみ叫ぶ声、天にも響くばかりにて、見る人目もくれ心も消えて、感涙押さえ難し。これを見る人は、二十日三十日の間はその面影身に添いて忘れやらざる由にて候なり。」『信長公記』。
岩佐又兵衛(1578-1650)「山中常盤物語絵巻」は、奥州へ下った牛若を訪ねて、都を旅立った母の常盤御前が、山中の宿で盗賊に殺され、牛若がその仇を討つ物語、これには岩佐又兵衛の体験が滲んでいる。
信長の息子・織田信雄に近習小姓役として仕える。大坂の陣(1614-15)の直後、40歳ころ、福井藩主・松平忠直に招かれ、20余年をこの地ですごす。寛永14年(1637年)2代将軍・徳川秀忠の招き、あるいは大奥の同族の荒木局の斡旋で、3代将軍・徳川家光の娘・千代姫が尾張徳川家に嫁ぐ際の婚礼調度制作を命じられ、江戸に移り住む。20年余り江戸で活躍した後、73歳で波乱に満ちた生涯を終える。
【荒木村重、信長に命を狙われる、有岡城の戦い】村重は単身で有岡城を脱出し、嫡男・村次の居城である尼崎城へ移ってしまった。天正9年(1581年)8月17日には、高野山金剛峯寺が村重の家臣をかくまい、探索にきた信長の家臣を殺害したため、全国にいた高野山の僧数百人を捕らえ殺害。肝心の村重本人は息子・村次と共に、親族の荒木元清がいる花隈城に移り(花隈城の戦い)、最後は毛利氏に亡命。天正10年(1582年)6月、信長が本能寺の変で自刃すると堺に戻りそこに居住。豊臣秀吉が覇権を握ってからは、大坂で茶人として復帰、千利休らと親交をもつ。秀吉が出陣中、村重が秀吉の悪口を言っていたことが北政所に露見。利休十哲の一人。天正14年(1586年)5月4日、堺で死去。享年52。
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【葛飾北斎、苦節五十年】北斎は、20歳で絵師となるが売れず、苦節50年、72歳『富岳三十六景』『神奈川沖浪裏』(1831)まで苦境。北斎は、九十歳で死ぬまで絵を描きつづける。
【不屈の画狂老人卍】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、88歳『弘法大師修法図』、89歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、90歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。」飯島虚心『葛飾北斎伝』。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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肉筆浮世絵
江戸時代の浮世絵師60名が登場、黎明期から幕末に至る浮世絵の系譜を辿る。初公開作品含む「肉筆浮世絵」125点が展示。特に北斎晩年の作品群は瞠目。
浮世絵は、錦絵や刷り物の版画が想起されるが、絵師が絵筆をふるった肉筆画のほうが起源が古い。肉筆画とは、「肉」が「生身」を指すように、絵師が絵筆で紙や絹に描いた一点ものの作品であり、複雑で奥深い彩色技法や、描き手の自由な筆遣いを直接見ることができる。
肉筆画一点一点を通して、絵師たちの意志の赴くままの筆づかいや、面や点で表された色づかいを楽しみ、絵師が筆に込めた魂も感じることができる。
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主な展示作品の一部
岩佐又兵衛(1578-1650)
岩佐又兵衛「和漢故事説話図 浮舟」福井県立美術館蔵
重要文化財 岩佐又兵衛「弄玉仙図」笙で鳴き声を出して鳳凰を呼ぶ姿。
(旧 金谷屏風)摘水軒記念文化振興財団、千葉市美術館寄託
岩佐又兵衛「龐居士図」(福井県立美術館)岩佐又兵衛「平家物語 祇王図」(福井県立美術館

歌川国芳「文読美人図」摘水軒記念文化振興財団蔵、千葉市美術館寄託[後期]
浮世絵の先駆・岩佐又兵衛による重要文化財「弄玉仙図」・重要美術品「龐居士図」二幅
菱川師宣「二美人と若衆図」個人蔵、福井県立美術館寄託[前期]
東洲斎写楽「中山富三郎・市川男女蔵・市川高麗蔵図」摘水軒記念文化振興財団蔵、千葉市美術館寄託[後期]
葛飾北斎(1760-1849)
葛飾北斎「合鏡美人図」個人蔵[前期]
葛飾北斎「立美人図」個人蔵[後期]
晩年の北斎が数多く手掛けた龍の肉筆画
葛飾北斎「登龍図」個人蔵[前期]
葛飾北斎、勝川春英、歌川豊国、勝川春扇、勝川春周、勝川春好「青楼美人繁昌図」個人蔵、北斎「不仲」説の兄弟子と合作、(前期)
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参考文献
「筆魂(ふでだましい) 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」青幻舎
「新・北斎展」・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
https://bit.ly/2HAZJ5y 
「江戸の誘惑 肉筆浮世絵展」江戸東京博物館2006
【青楼美人繁昌図】北斎、「不仲」説の兄弟子と合作…肉筆画見つかる :読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210114-OYT1T50185/
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」・・・世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
https://bit.ly/2BUy4rl

「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」・・・画狂老人卍『鳳凰図屏風』の思い出

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浮世絵といえば版画が連想されますが、絵師が絵筆をふるった一点ものの肉筆画のほうが発生は古く、複雑で奥深い彩色技法や、描き手の筆づかいを直接感じることができます。本展では、浮世絵の先駆とされる岩佐又兵衛をはじめ、浮世絵の始祖である菱川師宣、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川国芳などの60人に及ぶ浮世絵師の肉筆画約125点を展観します。なかには重要文化財、重要美術品、新発見、再発見、初公開作品約40点を含む見どころ満載の展覧会です。浮世絵の源流である肉筆画を通して、300年に及ぶ浮世絵の歴史を体感いただくとともに、それぞれの絵師の巧みな線の引力、色の魔力、そして絵に宿る筆魂をご堪能ください。
肉筆画の「肉」とは「生身」を意味し、錦絵や摺物といった浮世絵版画とは異なり、絵師が絵筆で直接紙や絹に描くことを示します。本展は浮世絵の中でも肉筆画のみを約125点あつめ、以下の構成で浮世絵の歴史を縦覧します。
https://hokusai-museum.jp/fudedamashii/
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「筆魂 線の引力・色の魔力─又兵衛から北斎・国芳まで─」すみだ北斎美術館
2021年2月9日(火)~4月4日(日) 前後期で一部展示替えを実施予定
[前期 2月9日(火)~3月7日(日) / 後期 3月9日(火)~4月4日(日)]

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