2017年6月22日 (木)

ジャコメッティ展・・・「夕日の影」の思い出

Giacometti2017Ombra_della_seraジャコメッティの細長い彫刻を見ると、2千年前のエトルリアの彫刻、「夕日の影」を思い出す。二千年の時の流れを超えるものは何か。
トスカーナを旅した日々。ピサ、フィレンツェ、サン・ジミニャーノ、シエナ、オルヴィエート、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ。エトルリアの彫刻「夕日の影」(ヴォルテッラ)には、孤独な人間の姿がある。
ジャコメッティは、エトルリアの彫刻から影響を受けていない。ジャコメッティは、独自に1945年から有名な細長い彫刻を生みだす。ジャコメッティが手に入れたまったく新しい彫刻の形。「人間の本質に迫る、虚飾を一切取り払って極端に細くなった像」。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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永遠を旅する哲学者、時を超え、黄昏の丘を超えて、美へ旅する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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「夕日の影」ヴォルテッラ、トスカーナの思い出
エトルリア文明と20世紀文明、二千年の時の流れを超えるものは何か。
「オンブラ・デッラ・セーラ」(夕刻の影)紀元前3世紀、銅製。(ヴォルテッラ、グアルナッチ・エトルリア博物館)。夕日の影は、少年の像のようである。
「夕日の影」(Ombra della Sera)と名付けたのは、詩人ダヌンツィオである。男性の裸体、57、5センチの高さ。ミケランジェロ家が所有していた記録がある。紀元前5~1世紀作の石棺、骨壺など埋葬品多数展示(グアルナッチ・エトルリア博物館)。
ジャコメッティ彫刻「ヴェネツィアの女」「立つ女」に似ている。ヴェネツィアの女の立ち姿の夕日の陰のようである。
ヴィスコンティ『熊座の淡き星影』Vaghe stelle dell'orsa
ヴォルテッラVolterraはヴィスコンティの映画『熊座の淡き星影』の舞台の町である。ギリシア悲劇ソポクレス『エレクトラ』が原型である。ニューヨークに行く途中故郷ヴォルテッラに立ち寄る。女優クラウディア・カルディナ-レが、颯爽とスポ-ツカ-に乗ってエトルリア門前に登場する。かつてはピアニストで今は病む母親、姉弟の近親相姦、燃え尽きる小説「熊座の淡き星影」。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
★参考文献
『エトルリア文明 古代イタリアの支配者たち』知の再発見双書
『ヴィスコンティ集成 退廃の美しさに彩られた孤独の肖像』1994
http://www.villasensano.it/blog/the-bronze-symbol-of-volterra/
国立新美術館『ジャコメッティ展図録』2017
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アルベルト・ジャコメッティの軌跡
Alberto Giacometti, (1901年10月10日 - 1966年1月11日)。1901年スイスに生まれる。1922年、20歳でパリに出たジャコメッティ。ルーヴル美術館で見た古代エジプトやエトルリア美術、民俗学博物館で出会ったアフリカやオセアニア彫刻の造形から影響を受ける。1930年、ジャコメッティの作品を見たサルバドール・ダリとアンドレ・ブルトンにシュルレアリスム運動に誘われ、シュルレアリスム展に参加。1933年の父の死後、頭部を作り始めるようになり、1934にはシュルレアリスムと決別。1935年、ジャコメッティはモデルに基づく彫刻を試みる。小さな像の時代。1945年からジャコメッティの代表作といえる細長い彫刻を作り始める。女性立像、歩く男、指差す男、倒れる男、群像。ジャコメッティ展、
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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展示作品の一部
アルベルト・ジャコメッティ「歩く男Ⅰ」1960年、ブロンズ、183 × 26 × 95.5 cm、マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、サン=ポール・ド・ヴァンス
「ヴェネツィアの女Ⅰ」1956年 、ブロンズ 、106 × 13.5 × 29.5 cm、マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、サン=ポール・ド・ヴァンス
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★「ジャコメッティ展」国立新美術館、6月14日から9月4日まで
国立新美術館にて2017年6月14日(水)から9月4日(月)まで
豊田市美術館 2017.10.14(土)- 12.24(日)
http://www.nact.jp/
http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/

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2017年6月 7日 (水)

大久保 正雄 著作目録1 哲学編                                                        

Botticellinascitaveneresimonettaves大久保 正雄 著作目録1 哲学編                                                        
著書
  大久保正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲學史 理性の微笑み』
  理想社1993、4月
論文
15 大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」
詩誌『酒乱』第6号 2013
14 大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説(agrapha dogmata)と詩のことば―」
   詩誌『酒乱』第5号2011
13 大久保正雄「ギリシア悲劇とプラトン哲学の迷宮 ―ことばの迷宮―」
   詩誌『酒乱』第4号2010
12 大久保正雄「プラトンと詩と哲学 ―詩的直観と哲学的直観―」
   詩誌『酒乱』第3号2009
11  大久保正雄「闇の中にただよう香り 新古今和歌集の美學 第二章」
   大久保正雄『魂の目』無盡藏刊、所収 1997、10月
10 大久保正雄「斷崖の美學 美をめぐる戦い 新古今和歌集の美學」
   「法科論集」第4号、1990
9 大久保正雄「ことばによる戦いの歴史としての哲學史 哲學史講義第一章」
  「法科論集」第5号、1991
8 大久保正雄「魂の卓越性の探究 想起説の構造と難問の仕組み (Plato“Meno”81a10-86c2)」
「法科論集」第5号、1991
7 大久保正雄「知と愛 (Plato“Apologia Socratis”28d10-30c1)」
「法科論集」第4号、1990
6 大久保正雄「彷徨えるソクラテス 根拠の探究(Plato“Phaedo”95e7-100b3)」
「法科論集」第3号、1989
5 大久保正雄「存在をめぐる論争 (Plato“Sophista”245e6-251a7)」
「法科論集」第2号、1988
4 大久保正雄「理念のかたち かたちとかたちを超えるもの」
  『理想』659号、理想社、1994、12月
3 大久保正雄「魂の美學 プラトンの対話編に於ける美の探究」
  『上智大学哲学論集』第22号、1993、6月
2 大久保正雄「イデアと魂 (Plato“Phaedo”100b3-107b9)」
  北海道大学哲学会『哲学』第20・21号 1985
1 大久保正雄「Phaedo 100b3-107b9 イデアと魂」
  上智大学大学院博士前期課程、1983、3月

世界遺産
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」
「世界遺産アカデミーWHAMR 第11号」世界遺産アカデミー(WHA)2011.4月
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至誠、天に通ず。永遠を旅する哲学者、時を超え、黄昏の丘を超えて、美へ旅する。マエストロの究極の夢を追求して。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
★Botticelli, Naschita Venere, Birth of Venus,1485

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2017年5月18日 (木)

ブリューゲル「バベルの塔」展・・・幻想の画家ボスとブリューゲル

2017_babelヒエロニムス・ボスは、虚妄の権威を暴いた。フェリペ2世は、至高の地位に立って、人間の本質に何をみたのか。
私は十年前、ハプスブルグ帝国の大地を旅した。早春のスペイン、灼熱のウィーン、プラハ、ブダペスト。プラド美術館で、怪奇生物の画家、ヒエロニムス・ボス「快楽の園」(1510)、をみて眩暈がした。ウィーン美術史美術館で、ブリューゲル「雪の中の狩人」(1565年)をみたが、つながりがあると思わなかった。ブリューゲル『バベルの塔』(1565)には「壮大な風景と細部の描写の対比」がある。1400人の人間が描かれている。塔を建築する人々。民衆の蜂起への讃歌か。
16世紀、教会の腐敗が明らかになり、権威ある者がいかさま師であることが判明。価値観が崩壊した。宗教改革1517(95か条の論題)の嵐の予兆。ネーデルランドの支配体制が崩壊する。支配階級の嘘が、暴かれるとき。16世紀、価値体系が滅びる時代。きれいは汚い、汚いはきれい。
Fair is foul, and foul is fair. (『マクベス』第一幕第一場)。「大道廃れて、仁義あり。慧智出でて、大偽あり」
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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永遠を旅する哲学者は、贋物の師を殺さなければならない。
花吹雪、花も嵐も踏み越えて、叡智の海を旅する精神のように、地の果て時空の果て、海のみえる丘の神殿に行く。
永遠を旅する哲学者、時を超え、黄昏の丘を超えて、美へ旅する。マエストロ究極の夢は何か。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★ピーテル・ブリューゲル1世
ピーテル・ブリューゲル1世(1525—1569) 44歳で死す。
1551年、アントウェルペンで画家として登録。1553年、イタリアに旅立ち、ローマに滞在した。1559年、ヒエロニムス・ボッシュに影響を受けた幻想的な版画で名声を確立した。*
月暦画シリーズ『『雪の中の狩人』(1565年)は、晩年の作品である。
1563年、アントウェルペンからブリュッセルに移転して結婚し、1569年、没した。
ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563年ウィーン美術史美術館)
ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1565年頃ボイマンス美術館)
ピーテル・ブリューゲル『雪の中の狩人』(1565年ウィーン美術史美術館)
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★ヒエロニムス・ボスのモチーフを使って描いた版画。
ピーテル・ブリューゲル『聖アントニウスの誘惑』1556
ピーテル・ブリューゲル『大きな魚は小さな魚を食う』1557 強き者が弱き者に勝つ世を暗示している。
ピーテル・ブリューゲル『七つの罪源』シリーズは、ヒエロニムス・ボス『七つの罪源』の影響がある。
*ピーテル・ブリューゲル『七つの罪源』(1558—60)「貪欲、傲慢、激怒、怠惰、大食、嫉妬、邪淫」。ヒエロニムス・ボスが描いた怪奇生物たちを思い起こさせる。
ピーテル・ブリューゲル『七つの徳目』シリーズ「信仰、希望、愛徳、正義、剛毅、賢明、節制」。
*ブリューゲル版画の世界Bunkamuraザ・ミュージアム、2010年7月17日(土)-8月29日(日)
―――
★ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』
ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』は3点あったが、1点は失われ、現在ウィーン美術史美術館とボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館(ロッテルダム)の2点だけが残っている。ウィーンの『バベルの塔』(1563年ウィーン美術史美術館)がボイマンスの『バベルの塔』(1565年頃ボイマンス美術館)より先に描かれた。
この絵画の「壮大な風景と細部の描写の対比」「ミクロとマクロの融合」が、小規模な画面(59.9 cm×74.6 cm)を超えて威圧感を生み出している。
描かれている物語は「人間の傲慢」「神の戒め」である。がそこで活動する人々の細密な描写から、ブリューゲルの「人間に対するまなざし」が感じられる。★
1553年、ブリューゲル、ローマ滞在の経験がここに生きている。ローマのコロッセウムを参考にしたた。
*ヒエロニムス・コックの版画『コロッセウムの眺め』1551年
*マールテン・ファン・ヘームスケルクの版画『ローマのコロッセウム』1572年
―――
★「地獄と怪奇生物の画家」ヒエロニムス・ボス(1450—1516)
ヒエロニムス・ボッシュ(Hieronymus Bosch1450—1516)は、ス・ヘルトーヘンボスで裕福な画家の工房の家に生まれる。富裕層の娘と結婚し恵まれた生活を送った。後期ゴシック画家。
ヒエロニムス・ボッシュ『快楽の園』(1490—1510)、初期フランドル派の画家ヒエロニムス・ボスが描いた三連祭壇画。ボスが40歳から60歳の1490年から1510年の20年間のいずれかの時期の作品。『天国』『現世』『地獄』の三連祭壇画。
*左翼『エデンの園』生命の泉にいる梟、中央『快楽の園』、右翼『音楽地獄』楽器による罰、鳥の頭の悪魔、樹木人間とナイフを挟む耳。

性的な秘儀を重視するアダム主義の異端派か、人間の愚行と罪の告発や断罪を目的とした作品であるか、今も作品の解釈が議論され続けている。堕落した支配階級に対する批判がある。宗教改革1517(95か条の論題)の嵐の前の予兆の時、だがハプスブルク家フェリペ2世が購入したので、作品の意図の解釈が複雑である。
ヒエロニムス・ボッシュ(1450—1516)は、スペイン・ハプスブルク家のお気に入りだった。フィリップ美公、マルガレーテ女公(フィリップ美公の妹) 、フェリペ2世が多くの作品を所有する。
ヒエロニムス・ボッシュは「奇想の画家」と形容される。彼の画風は独立して確立されたもので、いわゆる師匠に相当する人物を見つけることは出来ない。ハプスブルク家に見出され、ネーデルラント総督フィリップ美公、スペイン王フェリペ2世はボッシュの絵を好んだ。
『最後の審判』はネーデルラント総督フィリップ美公に、『聖アントニウスの試練』はネーデルラント総督マルガレーテ(マルグリット)女公(フィリップ美公の妹)が所有していた。スペイン王フェリペ2世が多くの作品を所有する。ボッシュ「聖アントニウスの誘惑」は、リスボンにある。
★フェリペ2世の絵画コレクション。
ヒエロニムス・ボッシュ「快楽の園」1510「愚者の治療 いかさま師」1490「7つの大罪」1480「乾草の車」1500。スペインのフェリペ2世はボッシュの絵画の熱烈な愛好者であり、現在10点がプラド美術館蔵にある。
★参考文献
岡部紘三『図説 ヒエロニムス・ボス 世紀末の奇想の画家』2014
岡部紘三『図説 ブリューゲル 風景と民衆の画家』2012
森洋子『ブリューゲルの世界』新潮社2017
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
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★ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展
東京都美術館2017年4月18日(火)~7月2日 (日)
国立国際美術館2017年7月18日(火)~10月15日(日)
*ブリューゲル版画の世界Bunkamuraザ・ミュージアム、2010年7月17日(土)-8月29日(日)

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2017年5月 5日 (金)

桃山の孤高の巨匠、海北友松・・・孤高の絵師、運命との戦い

20170411kyotoKaihou_kashiwanisaru桃山の孤高の巨匠、海北友松・・・孤高の絵師、運命との戦い
『雲龍図』に刻まれれた、戦国武将の血の叫び、藝術家の沈思、運命と戦う人間の苦悩。
戦国時代、「親子は敵、兄弟は第一の敵」の時代。戦いに破れた武将は、新たな世界に向かって旅立つ。
戦略構築する武将、指南する家臣団、孤高の画家。絶叫する英雄、百家争鳴の論客、沈思する詩人。沈黙する画家。占夢官。妙心寺派の禅僧は、運命をどう占うのか。
戦国時代、武将は殺し合い、画家は殺し合う。狩野永徳は、安土城に障壁画を描き48歳で死ぬ。
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永遠を旅する哲学者、時を超え、黄昏の丘を超えて、美へ旅する。マエストロの究極の夢は何か。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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海北友松の生涯
海北友松は、天文2年、1533年、近江・湖北で誕生した。海北綱親の子。天文4年、友松3歳の時、海北綱親討ち死に。友松、東福寺に入門。
長谷川等伯、天文8年、1539年、生まれる。1610年没。71歳。
狩野永徳、天文12年1月13日(1543年)生まれる。1590年没。48歳
天正元年、1573年、7月12日、織田信長、二条城を焼却。足利義昭追放。室的幕府を滅ぼす。
8月27日、織田信長は浅井家を滅ぼす。浅井長政、自害。この時兄・大膳は戦死、41歳の友松の人生に大きな影響を与えた。
誤落藝家。「武家出身だった海北友松は間違って芸術家になった」。
友松は、初め狩野永徳に師事した。「菊恵童図屏風」は友松の狩野派時代の作品である。永徳の作品と比較すると岩の峻法などに類似点がある。
1574年、織田信長、狩野永徳『洛中洛外図屏風』を1574年上杉謙信に贈る。
狩野永徳、安土城に障壁画(1576年—1579年)を描き『安土城之図』(1581)を描いた。織田信長は、屏風をヴァリニャーノに与えた。
天正18年、狩野永徳、没。
1593年、長谷川久蔵(1568年生—1593年)没。26歳。
慶長2年、1597年、海北友松、建仁寺方丈に障壁画を描く。
友松は建仁寺方丈に多数の襖絵を描く以前に、建仁寺塔頭に襖絵を描いた。霊洞院「花鳥図襖」と禅居庵の松竹梅図襖」である。
時の権力者、豊臣秀吉は海北友松のことを知っていた。「1594年、上杉景勝が秀吉を自邸に招待した際に、秀吉から友松筆の「濃彩松鳥画屏風一双」を賜ったという記述が『歴代年譜 景勝公』に残る。
慶長20年、1615年、海北友松、83歳で死す。
*狩野永徳、天文12年1月13日(1543年2月16日)—天正18年9月14日(1590年10月12日)
*狩野山楽、永禄2年(1559年)—寛永12年8月19日(1635年9月30日)、浅井長政の家臣・木村永光の子光頼として近江国蒲生郡に生まれる。
*狩野山雪、天正18年(1590年)—慶安4年3月12日(1651年5月1日))、狩野派の絵師。京狩野の画人狩野山楽(光頼)の婿養子で後継者。
*海北 友松1533—1615(天文2年(1533年)—慶長20年6月2日(1615年6月27日))
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。83歳で死す。
―――
展示作品の一部
海北友松「雲龍図」(建仁寺)
海北友松「花卉図屏風」(妙心寺)
海北友松「雲龍図」(勧修寺)
海北友松『琴棋書画図』(建仁寺塔頭霊洞院)
海北友松『柏に猿』(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)
海北友松『月下渓流図屏風』(ネルソン・アトキンス美術館蔵)
「雲龍図」(建仁寺)「花卉図屏風」(妙心寺)「月下渓流図屏風」に秘められた孤高の絵師の運命との戦い。
海北友松の到達点とされる『月下渓流図屏風』(ネルソン・アトキンス美術館蔵)、今回米国から「奇跡の帰還=約60年ぶりの里帰り」を果たした。
靄に煙る山深い渓谷に、雪解け水が流れ出す。蒲公英、土筆が描かれている。空には朧月が浮かび、光が渓流、松、白梅、椿、土筆、蒲公英を淡く照らし出す。
河合正朝氏は古今集の和歌を引用して説明した。「春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる」凡河内躬恒 春の夜、梅の花をよめる『古今集』巻1・春歌上・41
*「日曜美術館」
―――
参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-9379.html
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-d48d.html
海北友松 京都国立博物館プレスリリース
http://www.kyohaku.go.jp/jp/special/pdf/2017_yusho_press.pdf
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桃山孤高の巨匠 海北友松 「日曜美術館」
桃山文化、狩野派、長谷川派が画壇を席巻する中、独自の画境を開いた絵師・海北友松。武家に生まれた友松は刀を絵筆に持ちかえて活躍。雲間から妖しく現れる「雲龍図」、金ぺきに濃い色を施した豪華な「花卉図屏風」など独自の画風で、武家から朝廷まで魅了した。最晩年の作品「月下渓流図」は、“奇跡”の名画とも称される傑作。戦後アメリカに渡り、今回60年ぶりに里帰りするこの神秘的な絵の魅力に迫る。
桃山の巨匠・海北友松。大迫力の龍、豪華な牡丹(ぼたん)、独自の画風で武家から朝廷まで魅了。60年ぶりに帰還する最晩年の傑作「月下渓流図屏風」の神秘的な世界に迫る
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/
桃山の孤高の絵師、海北友松
―――
開館120周年記念特別展 海北友松、京都国立博物館
2017年4月11日(火)~5月21日(日)
http://www.kyohaku.go.jp/jp/special/tenrankai/20170411_yusho.html

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2017年4月27日 (木)

検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし。孫崎享

196Magosakiookubo検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし。孫崎享
孫崎享×大久保正雄「国家権力の謎」第9回
孫崎 享先生と2014年、2016年、2017年に、会談、対談、質疑応答した内容の一部をここに記録します。2017年4月27日
―――
検察は動かず、マスコミは追及せず。法務官僚、財務官僚の隷属度は、最悪である。法務官僚は、権力に反抗する者を弾圧し、財務官僚は公文書証拠を隠滅する。おのれの地位と利権を至上目的とする、悪徳官僚、奴隷官僚である。
検察は、経世会を逮捕するが、清話会を逮捕しない。
日本の権力は、6つの権力が合体している。国民は、権力に服従する奴隷国家である。
この国は、上から下まで、器の小さい男によって支配されている。「君子は義にさとり、小人は利にさとる」*
山尾志桜里議員、安倍首相に「器が小さいんだよ」と断言した。器が小さい首相の下に、隷属する官僚、知識人、盲目の民が支配されている。
この国は、「収奪国家」(predatory state)、すなわち国家経済を喰い物にする個人独裁である(中野晃一)。
【没落する日本】日本は今、報道の自由度は世界72位、貧困率はOECD最悪レベル、男女平等指数は111位。
【暴走する軍国主義国家】秘密保護法、汚職隠蔽、集団的自衛権、交戦権、共謀罪、治安維持法。憲法9条、改憲へ暴走中である。
【2012年12月、安倍以後、自民党は、選挙不敗。なぜか】
内閣支持率は偽装され、選挙集計は遠隔操作により、投票結果は電算機で改竄される。かくして、独裁は完成した。
権力に従わぬ者は、追放される。暴虐な独裁者の悪政から、解放、政権交代できるのか。独裁政権を止めるために、どうすればよいのか。
6つの権力を解体しなければならない。
―――――
*参考資料
【日本は主権(sovereignty) がない】
オリバー・ストーン監督、日本は昔持っていた主権がない!衛星国(satelite state)、人質(hostage)。2017/01/18 NEWS23
https://t.co/buaTYgAVEB
―――――
【検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし】
【検察は動かず、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし】
孫崎 享 ‏@magosaki_ukeru  2017年3月7日
森友学園:他(大阪音楽大)の5億8千万円提示に安すぎると却下した国有財産を実質ゼロ円で売却したのに安倍首相が国会で売却額値引き適切と開き直り、検察は動かず、マスコミは追及せず、こんなことが許されるなら独裁者はしたい放題。名目的国会と名目的検察・司法と名目的メディア。これ独裁国だろ
https://t.co/cIcikYjFrY
【腐った学者、腐った新聞】
孫崎 享@magosaki_ukeru
マスコミと学者は社会正義のために戦い指摘する人々だと思っていた。今もっとも腐敗した層。御用学者に御用新聞
TPP(岩上安身):首藤信彦前議員(民主党)「ISDが問題で憲法違反は2年前から分かっていた。医師会も同調してくれた、しかし、法曹界は全く動いてくれなかった。それはなぜなのか?」 日本の法律の上位にISD条項が上にいくことは明確。。弁護士何故動かぬ。憲法学者は御用学者だから駄目 2013.3.3
【言論の自由なき、民主主義なき国】
孫崎 享@magosaki_ukeru 2017.3.15
日本は最早、言論の自由がある国でもなく、民主主義国家でもなくなっていることを国民は知るべきだ。圧力なしに延期になる訳がないだろう。「日本外国特派員協会は15日午後に予定していた、学校法人「森友学園」の理事長退任を表明している籠池泰典氏の会見を延期すると同日発表した」(各紙)
孫崎 享‏ @magosaki_ukeru  · 2月27日 
森友学園:構図が見えてきた。「15年9月3日、アベが同郷の迫田理財局長会談。4日学園と業者が理財局と会談、8億円値引き。国交省が補助金を決定。昭恵夫人は5日に森友学園で講演」(出典、金子勝ツイート)。
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集団隷属国家ドイツ「忖度の政治」
RT @quitamarco さすがヒトラーを拝したドイツだ。
日本でいま言われる「忖度の政治」をとうに言語化していた。
「vorauseilender Gehorsam(先回り服従)」なんとも言い得て妙な言葉。
「unausgesprochene Anweisung(発言なしの指示)」との言葉もあるらしい。
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孫崎 享‏ @magosaki_ukeru 2017年3月18日
孫崎享 日本は権力への奴隷国家か。占領軍についで(トルーマン大統領,日本は奴隷国家)、徳川時代。G.B.サムソン著『世界史における日本』。「百姓一揆は特定の不平不満の現れではあったが政治意識ましてや政治上の主義の現れではなかった」
http://ch.nicovideo.jp/article/ar1229535?key=500aba68aef3253b167dacfcdaa77b62ac2c9015df4c3f27771225e8d63cfc39
孫崎 享‏ @magosaki_ukeru 2017年4月26日
今と同じ日本国民体質。インド詩人タゴール(アジア人初のノーベル賞)1916年来日。感想「私は日本で政府の民心整頓と自由の刈込みに全国民服従するのを見た。国民はこのあまねくいきわたる精神的奴隷制度を快活と誇り持ち受け入れ」。 
http://ch.nicovideo.jp/article/ar1251384?key=fcd39d67df9ebf382a34dbe8453b06141e3f449ec855c338cef9c9b7cc46ff38
孫崎 享‏ @magosaki_ukeru 2017年4月4日
激変の社会環境の中、様々な見方を内蔵する個人主義重視は発展の基本的条件。明治時代ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が個人主義軽視の日本の崩壊を警告。「陸海軍が諸国連合軍を相手に無謀絶望の戦争をはじめ悲運を見る」
http://ch.nicovideo.jp/article/ar1239157?key=51383d7342664fd4e9b26b82c6826dbf319e030703fc1ddf8e494fa449695185
【国家緊急事態】国会議事録から森友学園問題を削除!公式HPで非公開2月14日以降の答弁が存在せず
https://t.co/DKpf1TQKrf
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【テロ等準備罪】民進・山尾志桜里氏、安倍晋三首相に「器が小さいんだよ!」
〜「ぱらぱら」「そもそも」論争の末に…
http://a.msn.com/01/ja-jp/BBA1q0d?ocid=st
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政府記録隠滅、私人の人格攻撃は常軌を逸している。問いただすべきは官僚、政府の側。木村草太
首都大木村草太氏は語る森友問題20170324houdoustation
http://www.dailymotion.com/video/x5g3eow
木村草太「この事案の解明が進まないのは政府側が記録は全て無いと言ってるから。だから篭池氏側の証言を崩すために『嘘ばっかり言う人だ』と人格攻撃をせざるを得なくて歯止めがかからなくなってる。仮に篭池氏が清廉潔白な人でないとしても、国家権力が総出で一市民の人格攻撃を行うのは常軌を逸している」 pic.twitter.com/DUtY5wJRaX
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*「君子は義にさとり、小人は利にさとる」『論語』里仁第四。「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」『論語』子路第十三
「教養人は義に喩り、知識人は利に喩る」
官僚、知識人は、小人である。春秋戦国時代、階級制度は、3つの階級、君主階級、士大夫卿階級、民から成り立つ。君子、小人とは、支配階級に仕える中間層である。民は、中間層に仕える奴隷層である。

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2017年4月20日 (木)

茶の湯、東京国立博物館・・・曜変天目、漆黒の闇のなかに輝く瑠璃色の星

20170411_2Seikadou_youhentenmoku桜満開の森を歩いて、春爛漫の博物館に行く。足利義政、織田信長、千利休、松平不昧、天下の武将や茶人たち。天下の名画、名碗は歴史の波瀾の波を流転した。
戦国の趣味人は、茶会に何を求めたのか。天下布武、安土城、茶の湯。本能寺茶会。織田信長は、新しい価値観を創造した。
信長はなぜ本能寺で殺されたのか。
曜変天目茶碗、幻想的な虹色の斑紋、瑠璃色の輝き、青と藍、漆黒の闇の宇宙。
曜変天目茶碗は、天下の名器天目茶碗のうち、最上級とされる。(『君台観左右帳記』)八代将軍、足利義政が愛した天目茶碗。足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀、南宋時代(静嘉堂文庫蔵)は、三代将軍家光から稲葉家に下賜された。
織田信長が所持した天下の唐物肩衝茶入「初花」「新田」。「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)は、足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
牧谿「観音猿鶴図」「遠浦帰帆図」、「廬山図」玉澗筆。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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永遠を旅する哲学者、時を超え黄昏の丘を超えて、美へ旅する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
―――――
信長はなぜ本能寺で殺されたのか
織田信長と茶会・・運命の本能寺
【織田信長と茶会】天下布武
1567年、信長は、本拠地を小牧山城から稲葉山に移転し、古代中国、周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで城と町の名を「岐阜」と改めた。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになる。
岐阜城には、山のふもとに迎賓館を作り、山の上に茶室を作る。銀閣寺「漱蘚亭」にならった。*
1568年、10月2日、堺に矢銭を課した織田信長に抗戦しようとする町衆を今井宗久らが説得。この日、今井宗久は、織田信長に、松島茶壺、紹鴎茄子を献上。
1569年、織田信長、丹羽長秀、松井友閑らに命じて、洛中洛外の茶器の名物狩り。
1571年、元亀二年、織田信長、東福寺にて茶会を催す。茶頭は、今井宗久。この年、比叡山焼き討ち。
1574年天正二年、4月3日、織田信長、相国寺にて茶会を催す。蘭奢待を千利休、山田宗及に下賜する。
千利休は51歳の1573年、1574年(52歳)、1575年(53歳)に、織田信長主催の京都の茶会に参加。茶会は宴会。利休は、信長と48歳、1570年、出会う。
羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀などの織田家臣、茶の湯に励む。
1576年(天正4年) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。1579年(天正7年)5月、完成した天主に信長が移り住む。
運命の本能寺茶会
織田信長は、肩衝茶入「天下の三肩衝」(さんかたつき)を集めるため、本能寺にて、茶会を催す。2つは織田信長が持っていた。*
*「天下の三肩衝」といわれる「楢柴」「初花」「新田」。
博多豪商の島井宗室が「楢柴」をもっていた。
信長の5軍団のうち、明智光秀軍以外の4軍団は京都にいない。信長は70人の供の者だけであった。
【織田信長 最期の茶会】1582年(天正十年)6月1日、本能寺にて信長が茶会を催す。
利休60歳。信長48歳。1582年6月1日、本能寺にて信長が自慢のコレクションを一同に披露する盛大な茶会が催される。この夜、信長は明智光秀の謀反により、多数の名茶道具と共に炎に散った。
【本能寺の変】天正十年、6月1日夜。明智光秀、謀反の原因。怨恨説、野心説、黒幕説。
怨恨はあり得ない。小和田哲男、谷口克広『集中講義』P.166
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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若き織田信長、苦闘の日々
病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、信長は返り討ち
弘治三1557年、11月2日、病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、清州城で返り討ちする。誅殺。家臣、池田氏。池田恒興らが殺害。信長24歳の時。
池田恒興の子、池田輝政が、姫路城大改修(1601—1609)。5層7階の連立式天守を完成。
1557年、生駒家宗の娘、芳野との間に嫡男、信忠、幼名、奇妙丸を得る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
https://t.co/57jbBNMOeG
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/M42reazRZU
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
http://bit.ly/2lbezTP
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曜変天目の再現に挑む陶芸家は、非業の死を遂げる。
なぜ陶芸家たちは、このあまりに高い壁に魅せられ、挑んでゆくのか。 京都の桶谷寧氏は「曜変は世界に残された神秘性の最後の砦」。制作方法は全くの謎、多くの日本の陶芸家が、妖しい宇宙に迫ろうと心血を注いでいる。林 恭助氏は曜変天目に挑み続けている。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀13世紀、南宋時代。東山文化、足利政義の時代から伝世。
★参考文献
曜変天目復元に挑む(2002/10/19日経新聞)
曜変天目誕生の謎に迫る(2004/11/13朝日新聞)
ひと 林 恭助さん(2007/3/16朝日新聞)
曜変の光に魅了され 謎の制作方法に挑む陶芸家たち(2007/6/17朝日新聞)
安藤 堅著『碗の中の宇宙』(2003年9月 新風書房)
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展示品の一部
油滴天目(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)、国宝
大井戸茶碗 銘 喜左衛門(京都・孤篷庵蔵)、国宝。
志野茶碗 銘 卯花墻、国宝(三井記念美術館蔵)
天下の唐物肩衝茶入「初花」。「遅桜」
黄天目、珠光天目
白天目、竹茶杓
室町幕府8代将軍、足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」(ばこうはん)。
織田信長から贈られた柴田勝家所持の「青井戸茶碗 銘 柴田」。歴史上の著名人に所縁ある茶碗。
青磁輪花茶碗「銘 馬蝗絆」(東京国立博物館蔵)重要文化財 
青井戸茶碗「銘 柴田」(根津美術館蔵)重要文化財、織田信長から贈られた柴田勝家所持。
本阿弥光悦作「黒楽茶碗 銘 時雨」
赤楽茶碗「銘 無一物」(兵庫・頴川美術館蔵)重要文化財、楽焼の始祖、長次郎が作った。千利休好み。
黒楽茶碗「銘 時雨」長次郎(名古屋市博物館蔵)重要文化財 
「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)京都国立博物館蔵、重要文化財
本図を含む瀟湘八景図は、中国の洞庭湖に注ぎ込む瀟水と湘水一帯の景勝を描いたもの。足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
「廬山図」玉澗筆、中国 南宋時代・13世紀、岡山県立美術館蔵(4月11日〜5月7日)重要文化財
牧谿にならぶ中国の著名な画家の一人、日本で高く評価されてきた禅僧画家、玉澗の名品。かつて佐久間将監が茶掛けに合うように裁断したというエピソードがある。
「紅白芙蓉図」李迪筆、南宋時代・慶元3年(1197)国宝、東京国立博物館蔵。南宋の画院画家、李迪による花の絵。1日で白から紅に色を変える酔芙蓉を瑞々しく繊細に描く。
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流転の絵画、牧谿
牧谿「観音猿鶴図」大徳寺、国宝。長谷川等伯「枯木猿猴図」、数々の猿猴図に影響を与えた。牧谿「遠浦帰帆図」。
足利義満から織田信長まで、愛された画家、牧谿。宋末から元初の画僧。蜀 の人。
牧谿『瀟湘八景図』は、足利義満が切断した。『煙寺晩鐘図』は、13代将軍足利義輝を暗殺した松永久秀の手に渡り、続いて彼を降伏させた織田信長、徳川家康の元へ、権力の推移と伴に流転した。
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茶の湯、東京国立博物館
2017年4月11日(火) ~ 2017年6月4日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1828

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2017年4月 2日 (日)

島薗進「死生学 ファンタジーと宗教の意味を考える」ソフィア文化芸術ネットワーク

Miyazawakenji_2島薗進「死生学 ファンタジーと宗教の意味を考える」
2017年5月28日、上智大学、1号館202教室、午後2時から4時
ソフィア文化芸術ネットワーク主催
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島薗進 宗教学者、上智大学大学院教授、東京大学大学院名誉教授
生とは何か。死とは何か。人の心の痛みをどう癒すのか。死生学のテーマを、ファンタジー文学、宮澤賢治、古今東西の古典、仏教書、経典を通して考える。ファンタジーは生死の意味を問い、生と死を超えるメッセージを表現する。宗教は、生死の問いに何を教えるのか。ファンタジーと宗教の意味を考える。「宗教は、物語の形で、人が生きるうえで大切な何かを伝えてきた」(島薗進『こころをよむ 物語のなかの宗教』)。死生学(Thanatology)の根本にある問いは「死を迎える人の心の痛みにどう応えるべきか」。
【講演】島薗進、【解説、質疑】大久保正雄【司会】畑仲紀子【企画】大久保正雄
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ソフィア文化芸術ネットワーク
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-8607.html
★問い合わせ 上智大学ソフィア会 Tel.03-3238-3041
上智大学、四谷キャンパス地図 
http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsuya

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2017年3月30日 (木)

雪村、奇想の誕生・・・戦国時代の孤高の画僧の謎

Sesson_ryodouhinzu20170328雪村、奇想の誕生・・・戦国時代の孤高の画僧の謎

桜の蕾がふくらむ森を歩いて、東京藝術大学美術館に行く。この日は藝大の卒業式で、華やかな振袖、袴の女子学生たちが颯爽と歩いてくる。
戦国時代、親と子は敵であり、兄弟は最大の敵である。武将、藝術家、思想家は、家族のなかに最大の敵が存在する。ルネサンス時代、レオナルド、ミケランジェロは、家と時代の逆境を生きぬいて藝術を探求した。
戦国時代を生きた孤高の画僧、雪村周継、異端の水墨画の巨匠。波と風と岩。龍の上に立つ仙人。大胆な構成、独創的な形態、大胆にして繊細、細部に宿る命。孤高の画家の発想の源泉には、何があるのか。
曽我蕭白は、十七歳の時、天涯孤独になり、筆一本で生きるべく絵師を志した。蕭白は、京都の陽明学左派の思想に影響を受け、異端。史上類をみない独創的、創造的藝術を生みだした。卓越した技術をもちながら奇想の極致、『群仙図屏風』(1764 三五歳の作、六曲一双)を創出した。
「曽我蕭白、勢州の人なり、京摂の間に横行す。世人狂人を以て目す、其画変化自在なり、草画の如きは藁に墨をつけてかきまはしたる如きものあり、又精密なるものに至りては余人の企て及ぶものにあらず。」岡田樗軒『近世逸人画史』
寒い春にみる孤高の絵画。
てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った。を思い出す。
*「春」安西 冬衛、詩集『軍艦茉莉』(昭和4年刊)
韃靼海峡は間宮海峡(タタール海峡)の古称。蝶が大陸へ向かって海を越えていく。海を越える一匹の蝶。三岸好太郎「雲の上を飛ぶ蝶」を想起する。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
―――――
展示室で、美術史家の講義をききながら、雪村の作品をみる。『呂洞賓図』、仙人が龍の上に立ち、天を見る。舌を出す。どうしてこのような構図になったのか、理由がわからない。と美術史家、古田亮氏は説明する。図案は、『羅漢図』に原案がある。『金山寺図屏風』、細密を極める屏風。奇想の画家の系譜の始まりが雪村である。と古田亮氏は説明する。
伊藤若冲、曽我蕭白、歌川国芳、奇想の画家たちの発想の源泉には、何があるのか。
―――――
雪村 生涯の謎 逆境を生きる苦悩
雪村(1500頃~1580年頃)は、戦国武将の子であるが、逆境を生き、孤高の絵画の境地を追求した。常陸国で戦国武将の一族、佐竹氏に長男として生まれた。長男として家を継ぐはずだが、雪村の父は他の妻の子を跡取りとした(『本朝画史』)。このため、幼くして夢窓疎石を開山とする正宗寺に入って修行する。幼いうちに出家し画業の道へと進む。水墨画の巨匠、雪舟に私淑し独自の水墨画を多く残した。今では西の雪舟、東の雪村と言われる。
雪村の生涯には謎が多い。生没年すら明確にわかっていないが、少なくとも86歳までは絵を描いていたという記録が残る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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展示作品
『呂洞賓図』(りょどうひんず)、大和文華館蔵、重要文化財
『蝦蟇鉄拐図』東京国立博物館蔵
『琴高仙人・群仙図』京都国立博物館蔵、重要文化財
『猿猴図』個人蔵
『金山寺図屏風』笠間稲荷美術館蔵
『列子御風図』公益財団法人アルカンシエール美術財団蔵
『風濤図』野村美術館蔵、重要文化財
『龍虎図屏風』根津美術館蔵
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★参考文献
辻 惟雄『奇想の系譜 又兵衛−国芳』筑摩書房
岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳を奇想の画家と再評価する。
辻 惟雄『奇想の図譜からくり・若冲・かざり』筑摩書房
北斎、若冲、写楽、白隠、そして日本美術を貫く奔放な「あそび」の精神と「かざり」への情熱。奇想から花開く鮮烈で不思議な美の世界。
『雪村-奇想の誕生-』図録、東京藝術大学美術館2017
葛飾応為『吉原格子先之図』
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★奇想の系譜
若冲展、東京都美術館・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-2b1d.html
「若冲と蕪村」・・・黄昏の美術館
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-7705.html
蕭白ショック!!曾我蕭白と京の画家たち・・・狂狷の画家、蕭白
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-8a7c.html
奇才 曽我蕭白
ボストン美術館 日本美術の至宝、東京国立博物館・・・美の宴
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-522b.html
伊藤若冲 アナザーワールド・・・若冲の水墨画
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-7fcb.html
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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特別展 「雪村-奇想の誕生-」東京藝術大学美術館
2017年3月28日(火)- 5月21日(日)
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2016/sesson/sesson_ja.htm
2017年3月30日

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2017年3月 1日 (水)

シャセリオー展、国立西洋美術館・・・アポロンとダフネ、泉のほとりで眠るニンフ

20170228Chasseriau_apollo_and_daphne_apolloThodore_chassriau_1850シャセリオー展、国立西洋美術館・・・アポロンとダフネ、泉のほとりで眠るニンフ

春よみがえる森、枝垂れ梅が満開の森を歩いて、美術館に行く。
シャセリオーは、詩人たちを愛し、シェイクスピア、バイロンを愛読した。ギリシア神話に霊感をうけた。ラファエロを崇めるアングルとは、方向が異なる。*
シェイクスピア劇の愛と嫉妬、憎悪、猜疑心、人間の暗い情念、苦悩、亡霊、魔女、幻影に、ロマン主義の藝術家たちは題材を得た。
『海から上がるウエヌス』(Louvre)をみた日を思い出す。
シャセリオーは、美人画に卓越した画家である。シャセリオーの絵画は、調和ある古典的世界と女性美を探求した。シャセリオーは37歳で死する夭折の画家である。
『泉のほとりで眠るニンフ』1850、『カバリュス嬢』1848、『16世紀スペイン女性の肖像』1834—50、『海から上がるウエヌス』1838,1842。
『アポロンとダフネ』1845 アポロンはダフネに恋するが、ダフネは樹木に変身して拒絶する。*オヴィディウス『変身物語』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
―――――
永遠を旅する哲学者は、美のイデアへ旅する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿が目覚める。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
―――――
■テオドール・シャセリオー(Théodore Chassériau, 1819年9月20日 - 1856年10月8日)
テオドール・シャセリオー(Théodore Chassériau 1819-1856)。11歳でアングルに入門する。ドラクロワの影響を受け、ロマン主義の画家となり、新古典主義と融合する。『アポロンとダフネ』1845を描く。象徴主義に影響を与える。
■ギュスターブ・モロー(Gustave Moreau, 1826–1898)
シャセリオー『アポロンとダフネ』1845。この絵がギュスターブ・モローに影響を与える。37歳で早世する。ギュスターブ・モローは、美術学校を辞め、シャセリオーの近くにアトリエを構える。
ギュスターブ・モロー『アポロンとダフネ』『オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘』1865、『若者と死』1882。これらの絵画において、ギュスターブ・モローは、シャセリオーの影響が濃厚である。ギュスターブ・モロー藝術は、「詩人のテーマ」を根源としている。
★主要作品
テオドール・シャセリオー『アポロンとダフネ』1845ルーヴル美術館
テオドール・シャセリオー、『カバリュス嬢の肖像』1848年カンペール美術館
CHASSERIAU, Theodore 1819-1856. French Romanticism.
Théodore Chassériau, Apollo and Daphne. (Apollon et Daphne). 1846
Théodore Chassériau,Venus Anadiomene,1842
Théodore Chassériau,Nymphe,1850
Théodore Chassériau,Portrait de Mademoiselle de Cabarrus
Théodore Chassériau,Cabarrus,1848
Théodore Chassériau , Venus Anadyomene, or Venus of the Sea ,1838
■フランスの新古典主義 ジャック=ルイ・ダヴィッド(David)、弟子たち
ダヴィッドの弟子たち、アングル(Ingres)、フランソワ・ジェラール(F.Gerard)、グロ(Grot)、ジロデ=トリオソン(Girodet de Roussy-Trioson)
荘重な様式をもとめて古典古代、ギリシァの芸術を模範とした。ナポレオン時代、英雄主義的な主題は好まれ、インペリアル様式となる。ロココ美術のあまりに甘美な装飾様式、退廃的貴族主義に対する反発から生まれた。
■イギリス文学のロマン主義文学
ウィリアム・ブレイクの詩を萌芽とし、ウィリアム・ワーズワースとサミュエル・テイラー・コールリッジ『抒情民謡集(Lyrical Ballads)』(1798年)によって始まるが保守化した。ナポレオン戦争後、ジョージ・ゴードン・バイロン、パーシー・ビッシュ・シェリー、ジョン・キーツらは先鋭化しイギリスを去ってスイス・イタリアに移り、理想主義を追求した。
■ロマン主義の画家 ロマン主義に属する画家は、スペインのゴヤ、フランスのドラクロワ、テオドール・ジェリコー、ギュスターヴ・ドレ、イギリスのウィリアム・ブレイク、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、サミュエル・パーマー、リチャード・ダッド、イタリアのフランチェスコ・アイエツ、スイスのヨハン・ハインリヒ・フュースリー、ドイツでは山岳・廃墟をテーマにしたカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、フィリップ・オットー・ルンゲ、ノルウェーのヨハン・クリスチャン・ダール。日本の絵画では藤島武二、青木繁。
★参考文献
陳岡めぐみ「異国の香り テオドール・シャセリオー」『シャセリオー展図録』
澁澤龍彦「小ロマン派群像」中央公論社『悪魔のいる文学史』〔中公文庫〕
デーヴィッド・ブレイニー・ブラウン『岩波世界の美術 ロマン主義』高橋明也訳、岩波書店2004年
高階秀爾『フランス絵画史』講談社1990年
―――――
★シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才、国立西洋美術館
2017年2月28日(火)〜5月28日(日)

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2017年2月26日 (日)

梵寿綱、生命の讃歌、輝き溢れる芸術建築

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梵寿綱、異端の建築家。
梵寿綱師に、教えられた。高度な普遍的な学問を修めても価値がない。創造的学問、創造的研究を自ら創造するべきだ。個性的な独創的な学問ならば、その人の処に求めにくる。
梵寿綱師はジョルジュ・スーラ「グランドジャット島の日曜日の午後」*の絵の前を毎日通って、秘密の通路からシカゴ美術館附属美術大学に通った。
【芸術建築】梵 寿綱(Von Jour Caux、本名:田中 俊郎1934年1月27日 - )、日本の建築家、芸術家、思想家。
東京都浅草出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、シカゴ美術館附属美術大学で学ぶ。
1974年6月より梵寿綱を名乗り「梵寿綱と仲間たち」を結成。以来、近代工業製品化している建築技術、様式に疑問を投げかける。「日本のガウディ」の異名を持つ。
梵寿綱建築
ドラード早稲田、マインド和亜、ラポルタ和泉、ムンディアニムス、MUNDI ANIMUS精霊の館
★梵寿綱『生命の讃歌 建築家 梵寿綱+羽深隆雄』美術出版社2017年
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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日本のガウディ、梵寿綱の建築 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2139080974526375301
Mundi Animus 精霊の館
http://1955nonnon.jugem.jp/?eid=15
梵寿鋼「ぼくは日本のガウディではない」
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=250324378433891&set=a.171599139639749.40503.100003689911265&type=3&theater
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。*
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿が目覚める。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
★画像 梵寿綱、美術出版社

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