2026年1月13日 (火)

美術館スケジュール2026・・・旅する哲学者、美への旅

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2026
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第417回
生殺与奪の権を、汝の敵に与えるな。文化と教育を愛するよ。カネの亡者との戦い。
【王の夢、建築家の夢】指揮官は分析家であり、建築と都市を夢みる。アクエンアテン王は、エル・テル・アマルナを建築、ヒッポダモスはミレトスの都市を設計、ペリクレス指揮官はフェイディアスを総監督にパルテノン神殿を建設、ハドリアヌスはハドリアヌスポリスを建築、織田信長は琵琶湖の畔に1580安土城を建築、ラムセス2世はアブシンベル神殿とカルナック神殿を建設、ハトシェプスト女王は最盛期トトメス3世時代、王家の谷に葬祭殿を建設、
【興福寺、西金堂、光明子】母・県犬養三千代を追善供養。734年【阿修羅像、3面の顔】左の顔、幼い表情、右の顔、過ちに気づいた思春期の表情、中央の顔、懺悔が深まり悩みから抜け出そうとする表情、基王、朝積親王、安倍内親王、3人の皇子を写す。入唐僧道慈が持ち帰った『金光明最勝王経』「夢見金鼓懺悔品」戦闘の神・阿修羅が懺悔によって浄化され守護神となる。発願王、光明皇后の意思が反映されている。『法隆寺資材帳』天平5年、6年、8年、平城宮皇后宮として施入。瀧浪貞子『光明皇后』2017.
【県犬養三千代】藤原不比等と再婚し、安宿媛 (あすかべひめ、光明子) 、多比能を生む。また内命婦 (うちのみょうぶ) として天武~聖武天皇の歴朝に仕え、その功により、和銅1 (708) 年、元明天皇より橘宿禰の姓を賜わる。中流貴族の出身だが、不比等と結び女官として宮廷に大きな影響力
玉響(たまゆら)の露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風(新古今788)哀傷歌。*一一九三年7月二日亡母を偲び詠歌。二月十三日定家母没。藤原定家でさえ、母、美福門加賀を偲ぶ哀傷歌には、真情が溢れている。
「オンシュダシュダ」は、邪気を跳ね返すマントラ - YouTube
2024/05/01 ... 弘法大師空海の師匠の師匠「善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)法師(637年~735年)」さんが作った無敵のマントラ、「オンシュダシュダ」
【大器晩成】《「老子」四十一章》大きな器が早く出来上がらないように、大人物は世に出るまでに時間がかかる。心豊かな人は、成功している人を嫉妬しない。失敗から学びを得る。自己の成長のために自分の問題課題を言葉にする。戦況を、分析し研究する。燕雀安くんぞ鴻鵠の志を
【弁護士、教授、官僚】9割は詐欺師か無能。【肩書や見た目に惑わされず】その人がどうなのか見極める。お金を稼ぐことに夢中にならないで真の学問と教養を磨く。一人でいる時に何をするかで将来が決まる、時間を大切にする【カネと地位で買えない価値】精神と肉体の美
【器が小さい人】見栄を張る。武勇伝の得意話。行動しないで口だけ。非を認めない。ふんぞり返る。目下を虐める。些細な事を責め立てる。他人の成功を妬む。不機嫌になる。苛苛。他の意見を受け入れない。次男性格、弟は兄に謀反【「愚者は己を賢いと思う。賢者は己を愚かであることを知っている。」シェイクスピア】
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1月
「アジアの仏たち-永青文庫の東洋彫刻コレクション-」永青文庫2026年1月17日(土)~3月29日(日)
生誕151年からの鹿子木孟郞 ―不倒の油画道-、泉屋博古館、1月17日(土)~4月5日(日)
千葉市美術館、ロックフェラー・コレクション花鳥版画展 北斎、広重を中心に、1月17日[土] – 3月1日[日]
東京都美術館開館100周年記念
スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき、東京都美術館、1月27日(火)~4月12日(日)
大西茂 写真と墨象[仮称]、東京ステーションギャラリー、1月31日(土)~3月29日(日)
2月
クロード・モネ —風景への問いかけ、アーティゾン美術館、2月7日~5月24日
カタリウム、アーティゾン美術館、2月7日~5月24日
「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」国立新美術館、2月11日~5月11日
トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで、三菱一号館美術館、年2月19日(木) ~5月24日(日)
「開館20周年特別展 生誕1200年 歌仙 在原業平と伊勢物語」三井記念美術館、2月21日~4月5日
3月
特別展「超危険生物展 科学で挑む生き物の本気」、国立科学博物館、3月14日(土)~6月14日(日)
長沢蘆雪展 府中市美術館3月14日〜5月10日
「下村観山展」東京国立近代美術館、3月17日[火]~5月10日[日]
ルネ・ラリック -華麗なるジュエリーとガラスの軌跡-、国立新美術館、3月20日(金・祝)~5月31日(日)
「チュルリョーニス展 内なる星図」、国立西洋美術館、3月28日~6月14日
「NHK日曜美術館50年展」、東京藝術大学大学美術館、3月28日~6月21日
4月
熊本城 ―守り継がれた名城400年の軌跡―、永青文庫、4月11日(土)~6月7日(日)
特別展「百万石!加賀前田家」東京国立博物館 平成館、2026年4月14日(火)~6月7日(日)
「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」国立新美術館、4月15日~7月6日
カール・ヴァルザー[仮称]、東京ステーションギャラリー、4月18日(土)~6月21日(日)
ライトアップ木島櫻谷Ⅲ-おうこくの色をさがしに 併設四季連作屏風、泉屋博古館、4月25日(土)~ 7月5日(日)
ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界(東京・サントリー美術館)4月22日~6月21日 巡回、神戸市立博物館7月11日~9月23日、静岡県内10月10日~12月6日(予定)
エリック・カール展 はじまりは、はらぺこあおむし(東京都現代美術館)4月25日~7月26日
東京都美術館開館100周年記念「アンドリュー・ワイエス展」4月28日(火)~7月5日(日) https://wyeth2026.jp/ wyeth2026@ohana.co.jp
ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界(東京・サントリー美術館)4月22日~6月21日 巡回、神戸市立博物館7月11日~9月23日、静岡県内10月10日~12月6日(予定)
ロン・ミュエク、森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)、4月29日(水・祝)~9月23日(水・祝)
5月
6月
“カフェ”に集う芸術家—マネ、ゴッホ、ロートレックからピカソまで(仮称)、三菱一号館美術館、6月13日(土)~9月23日(水)
「ピカソ meets ポール・スミス 遊び心の冒険へ」国立新美術館、6月10日~9月21日
「杉本博司 絶滅写真」、東京国立近代美術館、6月16日~9月13日
エットレ・ソットサス(仮題)、アーティゾン美術館、6月23日~10月4日
7月
「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」展、国立西洋美術館、レンブラント・ハウス美術館との共同企画、約130点を一挙展示。7月7日〜9月23日。
長谷川潔展 ―パリに生きた銅版画家の軌跡 7月11日~9月23日 パナソニック汐留美術館
大名家の狂言道具コレクション、永青文庫、7月11日(土)-9月6日(日)
弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」、東京国立博物館、7月14日(火)~9月6日(日)
「東京都美術館開館100周年記念 この場所の風景-誰のために、何のために、つくられ/記録されてきたのか」(仮) 7月23日 ~ 10月7日
大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱~海を越えた江戸絵画、東京都美術館、7月25日(土)~10月18日(日)
8月
マリー・アントワネット・スタイル(横浜美術館)8月1日~11月23日
没後100年記念 住友春翠-仕合わせの住友近代美術コレクション(仮)、8月29日(土)~10月12日(月・祝)
9月
「ルーヴル美術館展 ルネサンス」国立新美術館、9月9日~12月13日
10月
永青文庫の禅画PartⅠ 白隠ワールド(仮)、永青文庫、10月3日(土)-11月29日(日)
「竹久夢二 時代を創る表現者」 東京国立近代美術館(竹橋)で2026年10月23日開幕
最高傑作《黒船屋》も約40年ぶりに展覧会に出品。
開創700年記念 特別展「大徳寺 本朝無双之禅苑」(東京国立博物館)10月14日~12月6日
アントニオ・フォンタネージ 明治日本とヨーロッパを橋渡しした風景画(仮称)、三菱一号館美術館(東京)10月17日~2027年1月24日、名古屋でも開催予定
ターナー展、国立西洋美術館、10月24日[土] ~2027年2月21日[日]
ジャム・セッション 石橋財団コレクション×藤井光 Whose Light? —だれのひかりか
10月24日~2027年1月31日
「竹久夢二 時代を創る表現者」東京国立近代美術館、10月23日[金]-2027年1月11日[月]
11月
東京都美術館開館100周年記念「オルセー美術館所蔵 いまを生きる歓び」 2026年11月14日開幕~3月28日
「少女漫画・インフィニティ 萩尾望都×山岸凉子×大和和紀 三人展」国立新美術館、
企画展「東京都美術館開館100周年記念 あなたが世界を読むために」11月19日~1月11日
12月
白日会、英英紅禄展51回2026年12月23日(水) 、日本橋三越本店 本館6階 美術特選画廊、山本大貴、176万円、
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参考文献
美術館スケジュール2026・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/01/post-3e13e5.html
2026 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/01/post-a76d10.html
2025美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-861874.html
美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-284bac.html
2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3dea7b.html
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女、橘嘉智子
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-fe0b54.html
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-3e4680.html
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」2・・・無著、世親、唯識派の思想、唯識派と中観派の矛盾
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-11ad71.html
参考文献2
【戦国史 親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。織田信長、伊達政宗、武田信玄、争った弟側が滅亡。弘治三(1557)年、織田信長は、謀反の弟信勝を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放。天正十八年4月7日、伊達政宗は実弟小次郎を手討、義姫逃亡
【武田信玄、父、武田信虎は賢い信玄を嫌い、弟の武田信繁に家督を譲ろう】甲斐国の守護、信玄の父・武田信虎は有力な国衆を酷使、利益を独占。21歳でクーデタ。天文10年(1541年)国衆は信虎を追放、下剋上。武田信玄は人望あり「人は石垣、人は城」。元亀4年52歳で病死。自分の死を3年間隠すよう命じる。
――
参考文献
小和田哲男『明智光秀』
小和田哲男『集中講義 織田信長』
今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』講談社現代新書
今谷明『日本史の論点』中公新書
岡田正人『織田信長総合辞典』雄山閣出版、1999
和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018
和田裕弘『織田信忠―天下人の嫡男』中公新書
和田裕弘『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中公新書
ルイス・フロイス『回想の織田信長、日本史』中公文庫
太田牛一、中川太古訳『信長公記』新人物文庫
本郷和人『乱と変の日本史』祥伝社新書
本郷和人『壬申の乱と関ケ原の戦い なぜ同じ場所で戦われたのか』祥伝社新書
遠山美津男『天皇と日本の起源』講談社現代新書
諸田玲子『帰蝶』2015
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS


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2026年1月10日 (土)

ターセム・シン監督『落下の王国』・・・愛と復讐の叙事詩

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第416回
絶望から立ち上がる青年と少女。怪我と失恋を超えて、蘇る復讐の叙事詩。
【ターセム・シン監督『落下の王国』2008】
1915年ロサンゼルスで、撮影中の大事故で半身不随になり、恋人も奪われ絶望。自暴自棄になったスタントマンのロイが、同じく入院中の無垢な少女アレクサンドリアに、自殺用の薬を盗んでくるよう頼むために、「暴君に立ち向かう6人の勇者の壮大な復讐物語」を語り聞かせるところから始まる。少女は物語に夢中になり、やがてその物語は少女の希望となり、彼ら二人をも救う希望の物語へと展開していく、二重構造。
愛と復讐の叙事詩【劇中劇】悪の総督によって愛する者や誇りを失った6人の勇者(マスクを被った男、インディアン、奴隷、爆破犯、鳥使い、退役兵)が、力を合わせて悪に立ち向かう愛と復讐の物語。 アレクサンドリアは物語に深くのめり込み、やがてロイの語る物語は彼女の希望となり、現実世界の二人にも希望の光をもたらす。
【救済】ロイの語る虚構の物語が、傷ついた少女に夢と希望を与え、最終的には傷ついた自分自身をも救済していく。
「ザ・セル」の鬼才・ターセム監督が、世界24ヵ国以上でロケを敢行して撮り上げた絢爛豪華な愛と感動の映像叙事詩。
――
石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか・・・果てしなき創造の旅
17年の歳月を超え復活した。幻の映画、愛と復讐の叙事詩、ターセム・シン監督『落下の王国』2006・作品情報|CINEMORE(シネモア)
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【王の夢、建築家の夢】指揮官は分析家であり、建築と都市を夢みる。アクエンアテン王は、エル・テル・アマルナを建築、ヒッポダモスはミレトスの都市を設計、ペリクレス指揮官はフェイディアスを総監督にパルテノン神殿を建設、ハドリアヌスはハドリアヌスポリスを建築、織田信長は琵琶湖の畔に1580安土城を建築、ラムセス2世はアブシンベル神殿とカルナック神殿を建設、ハトシェプスト女王は最盛期トトメス3世時代、王家の谷に葬祭殿を建設、
「オンシュダシュダ」は、邪気を跳ね返すマントラ - YouTube
2024/05/01 ... 弘法大師空海の師匠の師匠「善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)法師(637年~735年)」さんが作った無敵のマントラ、「オンシュダシュダ」
【弁護士、教授、官僚】9割は詐欺師か無能。【肩書や見た目に惑わされず】その人がどうなのか見極める。お金を稼ぐことに夢中にならないで真の学問と教養を磨く。一人でいる時に何をするかで将来が決まる、時間を大切にする【カネと地位で買えない価値】精神と肉体の美
【器が小さい人】見栄を張る。武勇伝の得意話。行動しないで口だけ。非を認めない。ふんぞり返る。目下を虐める。些細な事を責め立てる。他人の成功を妬む。不機嫌になる。苛苛。他の意見を受け入れない。次男性格、弟は兄に謀反【「愚者は己を賢いと思う。賢者は己を愚かであることを知っている。」シェイクスピア】
★★★★★★★★★★★★★★★★
参考文献
仏教美術の源流 ガンダーラ 1世紀から5世紀のガンダーラ美術、アレクサンドロス大王
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-388540.html
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
2025美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-861874.html
――
参考文献2
【戦国史 親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。織田信長、伊達政宗、武田信玄、争った弟側が滅亡。弘治三(1557)年、織田信長は、謀反の弟信勝を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放。天正十八年4月7日、伊達政宗は実弟小次郎を手討、義姫逃亡
【武田信玄、父、武田信虎は賢い信玄を嫌い、弟の武田信繁に家督を譲ろう】甲斐国の守護、信玄の父・武田信虎は有力な国衆を酷使、利益を独占。21歳でクーデタ。天文10年(1541年)国衆は信虎を追放、下剋上。武田信玄は人望あり「人は石垣、人は城」。元亀4年52歳で病死。自分の死を3年間隠すよう命じる。
――
参考文献
小和田哲男『明智光秀』
小和田哲男『集中講義 織田信長』
今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』講談社現代新書
今谷明『日本史の論点』中公新書
岡田正人『織田信長総合辞典』雄山閣出版、1999
和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018
和田裕弘『織田信忠―天下人の嫡男』中公新書
和田裕弘『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中公新書
ルイス・フロイス『回想の織田信長、日本史』中公文庫
太田牛一、中川太古訳『信長公記』新人物文庫
本郷和人『乱と変の日本史』祥伝社新書
本郷和人『壬申の乱と関ケ原の戦い なぜ同じ場所で戦われたのか』祥伝社新書
遠山美津男『天皇と日本の起源』講談社現代新書
諸田玲子『帰蝶』2015
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
――
「桃山―天下人の100年」東京国立博物館・・・室町幕府崩壊、戦国武将、愛と復讐の壮大なドラマ
https://bit.ly/3lDIoIq
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-3e4680.html
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」2・・・無著、世親、唯識派の思想、唯識派と中観派の矛盾
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-11ad71.html
★★★★★★★★★★★★★★★★
ターセム・シン監督『落下の王国』・・・愛と復讐の叙事
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/01/post-9cd435.html


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2026年1月 1日 (木)

2026 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第415回
――
【王の夢、建築家の夢】指揮官は分析家であり、建築と都市を夢みる。アクエンアテン王は、エル・テル・アマルナを建築、ヒッポダモスはミレトスの都市を設計、ペリクレス指揮官はフェイディアスを総監督にパルテノン神殿を建設、ハドリアヌスはハドリアヌスポリスを建築、織田信長は琵琶湖の畔に1580安土城を建築、ラムセス2世はアブシンベル神殿とカルナック神殿を建設、ハトシェプスト女王は最盛期トトメス3世時代、王家の谷に葬祭殿を建設、
「オンシュダシュダ」は、邪気を跳ね返すマントラ - YouTube
2024/05/01 ... 弘法大師空海の師匠の師匠「善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)法師(637年~735年)」さんが作った無敵のマントラ、「オンシュダシュダ」
【大器晩成】《「老子」四十一章》大きな器が早く出来上がらないように、大人物は世に出るまでに時間がかかる。心豊かな人は、成功している人を嫉妬しない。失敗から学びを得る。自己の成長のために自分の問題課題を言葉にする。戦況を、分析し研究する。燕雀安くんぞ鴻鵠の志を
【「ヨーロッパの哲学的伝統はプラトンへの一連の脚注から成り立っている」】イデア論の難問はプラトン『パルメニデス』第一部に予見され。イデア論と反イデア主義の戦い『ソフィステス』「存在をめぐる神々と巨人族の戦い」、プラトン『中期対話篇』とアリストテレス哲学の戦い
【理念を探求する精神】ソクラテス紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年80歳。李白 762年61歳。王義之361年58歳、織田信長1582年49歳。アレクサンドロス3世紀元前323年33歳。空海835年61歳。嵯峨天皇842年56歳。孔子紀元前479年
――
1、美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する。美のイデアへの旅。
2、
【弁護士、教授、官僚】9割は詐欺師か無能。【肩書や見た目に惑わされず】その人がどうなのか見極める。お金を稼ぐことに夢中にならないで真の学問と教養を磨く。一人でいる時に何をするかで将来が決まる、時間を大切にする【カネと地位で買えない価値】精神と肉体の美
【器が小さい人】見栄を張る。武勇伝の得意話。行動しないで口だけ。非を認めない。ふんぞり返る。目下を虐める。些細な事を責め立てる。他人の成功を妬む。不機嫌になる。苛苛。他の意見を受け入れない。次男性格、弟は兄に謀反【「愚者は己を賢いと思う。賢者は己を愚かであることを知っている。」シェイクスピア】
国家において知恵が実現することを追求する。空海は、即身成仏を追求する。
3、
【空海、悪霊調伏】不空『理趣釈経』【『般若理趣経』第三段】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」天人は三悪趣*と戦う。(地獄・餓鬼・畜生)【空海、聖なるものは悪を滅ぼす】空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。貪瞋痴。
4、
【愛と復讐の叙事詩】アレクサンドロス大王、父フィリッポス2世を暗殺。クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
【偉大なる王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人を残す。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテ ン王29歳。ツタンカーメン18歳。アンケセナーメン27歳。美しきネフェルティティ63歳。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
5、
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、忠恕、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
【理念を探求する精神、美と復讐の精神史】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年74歳。空海835年61歳。李白 762年61歳。孔子紀元前479年74歳。織田信長1582年49歳。アレクサンドロス大王紀元前323年33歳。嵯峨天皇842年56歳
【思想家、藝術家、運命との戦い】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年74歳。アリストテレス紀元前322年62歳。孔子紀元前479年74歳。空海835年61歳。藤原定家1241年79歳。李白 762年61歳。北斎1849年90歳。
6、
【東西文化交渉史】ミケーネ文明、ミノア文明とトロイア文明を滅ぼす。ギリシア美術、紀元前5-4世紀、最盛期、BC334アレクサンドロス大王の遠征、ペルシア帝国征服、インド遠征、ガンダーラ美術、ペルガモン王国誕生、シルクロード経由、7世紀北魏南梁から飛鳥彫刻、8世紀天平彫刻、9世紀、弘仁貞観、密教美術、12世紀、運慶彫刻
7、
【六道輪廻と六観音菩薩】如意輪観音菩薩、天道の天人を救う。聖観音菩薩、地獄道の者を救う。千手観音菩薩、飢えと渇きの餓鬼道の者を救う。馬頭観音菩薩、動物の弱肉強食の畜生道の者を救う。十一面観音菩薩、怒りと争いの修羅道の者を救う。准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、人道の者を救う。
8、
【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検隊グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生の舞台、必殺技をどう披露するか。卓越した技、強み弱み、どう発揮する。織田信長は、明晰透徹な指揮官、武の七徳を探求する。
9,
愛と智慧と慈悲の高みに到着する。藝術家と思想家の運命との戦い。大久保正雄『旅する哲学者、美への旅』
――
【フランソワ・ジェラール『アモルとプシュケ』1798年】
プシュケはある王国の三女であったが 、プシュケはあまりの美貌ゆえに求婚するものが現れず、神託により人身御供に捧げられた。ヴィーナスが美しさに嫉妬して遣わした息子アモルは見惚れる。自分の矢で傷つき、アモルによって天上の宮殿に略奪された。アモル を見ることを禁じられたプシュケは、アモルの姿をある夜、見てしまい、アモルを探し求めて世界中を彷徨う。ヴィーナスに4つの苦難を与えられたプシュケ。
【最後の難題は、冥界の女王ペルセポネから、美の函を地獄から持ち帰ること】プシュケはほとんど地上まで持ち帰るが、好奇心に勝てず、開けてしまう。しかしその函には、美のかわりに深い眠りが入っていて、プシュケは深い眠りにつく。プシュケは第4の苦難を解き、他方、アモルはプシュケを探している。眠っているプシュケを見つけ、その矢でついて目覚めさせる。プシュケは、アモルと天上界で結ばれる。
ルーヴル美術館、愛を描く・・・愛の絵画、愛と美の迷宮
――
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
https://bit.ly/3usmqyp
ツタンカーメンの生涯と謎・・・秘められた古代エジプトの宗教的意味
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-207710.html
仏教美術の源流 ガンダーラ 1世紀から5世紀のガンダーラ美術、アレクサンドロス大王
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-388540.html
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
アグリジェント、神殿の谷・・・コンコルディア神殿、アグリジェントのクーロス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-f6d967.html
――
2026 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/01/post-a76d10.html
2025美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-861874.html
美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-284bac.html
2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3dea7b.html

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2025年12月30日 (火)

2025美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第414回
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【大器晩成】《「老子」四十一章》大きな器が早く出来上がらないように、大人物は世に出るまでに時間がかかる。心豊かな人は、成功している人を嫉妬しない。失敗から学びを得る。自己の成長のために自分の問題課題を言葉にする。状況を、分析し研究する。燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや
【興福寺、北円堂】710年平城遷都の際、創建。藤原不比等追善供養のため721年に建立。法相宗、唯識学【瑜伽行唯識学派、世親】「唯識三十頌」で八識説を唱え、種子は前五識から6識・意識、7識・末那識を通過して、8識・阿頼耶識に飛び込んで、
【識體の転変、第八識】識は転変する(転識得智)。前五識は、五感(眼、耳、鼻、舌、身)による感覚作用であり、成所作智、不空成就如来の智恵になる。第8識、阿頼耶識(大円鏡智)【種子薫習】阿頼耶識に薫じられて迷界を顕現する種子は3つある。名言種子、我執種子、有支種子
【瑜伽行唯識学派、世親】「唯識三十頌」「唯識二十論」。「唯識三十頌」では八識説を唱え、種子は前五識から6識・意識、7識・末那識を通過して、8識・阿頼耶識に飛び込んで、阿頼耶識に種子として薫習される。これが思考であり、外界認識である種子生現行。阿頼耶識縁起
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【弁護士、教授、官僚】9割は詐欺師か無能。【肩書や見た目に惑わされず】その人がどうなのか見極める。お金を稼ぐことに夢中にならないで真の学問と教養を磨く。一人でいる時に何をするかで将来が決まる、時間を大切にする【カネと地位で買えない価値】精神と肉体の美
【器が小さい人】見栄を張る。武勇伝の得意話。行動しないで口だけ。非を認めない。ふんぞり返る。目下を虐める。些細な事を責め立てる。他人の成功を妬む。不機嫌になる。苛苛。他の意見を受け入れない。次男性格、弟は兄に謀反【「愚者は己を賢いと思う。賢者は己を愚かであることを知っている。」シェイクスピア】
【物欲少なく、教育と藝術を愛する】如意輪観音【カネの亡者】守銭奴、暴力的、木を切る。
【親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。争った弟側が滅亡。弘治3(1557)年、織田信長は、弟信勝を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放、弟信繁を捕獲。伊達政宗は実弟小次郎を手打ち。天正十八年4月7日
親は敵、兄弟は敵【伊達政宗の生涯70歳】1590年(天正18)政宗公の命に関わる実母・義姫による伊達政宗毒殺未遂事件。最上家義姫は予てより可愛がっていた政宗の弟小次郎を伊達家の跡継ぎにすべく、政宗の毒殺を企み。一命を取り留め、政宗は弟小十郎を自らの手で斬り殺し
【「他人は私の痛みをもつことができない」ウィトゲンシュタイン】「それを話す人にしか理解できない、その人の私秘的感覚を指す言葉」である「私的言語」の可能性に反対『哲学探究』「カブトムシの箱(Beetle in the box)」の文字を読むことができる。
【「他人は私の痛みをもつことができない」】痛みの記憶を理解する教養。『ギリシア悲劇』『シェイクスピア全集』牛田牛一『信長公記』は血によって書かれた墓碑銘。フロイス『日本史』殺人鬼、詐欺師・明智光秀。残虐王・豊臣秀吉の殺人装置の歴史。
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【「ヨーロッパの哲学的伝統はプラトンへの一連の脚注から成り立っている」】イデア論の難問はプラトン『パルメニデス』第一部に予見され。イデア論と反イデア主義の戦い『ソフィステス』「存在をめぐる神々と巨人族の戦い」、プラトン『中期対話篇』とアリストテレス哲学の戦い
【奥義書】われは梵なり。汝はそれなり。「われはブラフマンなり」 (aham brahmāsmi) BU、「汝はそれなり」(tat tvam asi)CU「実にかの最高梵を知るものは梵となる。」一切に遍満する梵我を知ることこそ、ウパニシャッドの最高目的である。「ヤージュニャヴァルキア仙の遺誡」BU。「ウッダーラカアールニ仙の教訓」CU
【奥義書】われは梵なり。汝はそれなり。「われはブラフマンなり」 (aham brahmāsmi) BU、「汝はそれなり」(tat tvam asi)CU「実にかの最高梵を知るものは梵となる。」一切に遍満する梵我を知ることこそ、ウパニシャッドの最高目的である。「ヤージュニャヴァルキア仙の遺誡」BU。「ウッダーラカアールニ仙の教訓」CU
【梵我一如】「梵我一如」「宇宙原理の梵(ブラフマン)と個我(アートマン)は一つのものである」バラモン教聖典『ウパニシャッド』「伝家の宝刀、開けてはならぬ箱を開けてしまった」「梵我一如」という表現は膨大なインド哲学文献の中でまれにしか現れない。立川武蔵1995、P84『日本仏教の思想 受容と変容の千五百年史』
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【大エジプト博物館GEM】JICA、842億円借款を供与。専門家も派遣し遺物の保存技術支援等に携わる。カイロ地下鉄1000億円融資。2016 年に始まった GEM-JC(Grand Egyptian Museum Joint Conservation Project)という合同保存プロジェクト。https://www.nikkei.com/article/DGKKZO92343860S5A101C2FF8000/
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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2025美術展ベスト10・・・旅する哲学者・・・美への旅
1、
「旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画」
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女、橘嘉智子
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-fe0b54.html
2、
相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・無の宗教と雪舟、若冲、円山応挙
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-57cb8d.html
相国寺展、金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・伊藤若冲「旭日鳳凰図」、円山応挙『牡丹孔雀図』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-b12f39.html
3、
円山応挙 革新者から巨匠へ、・・・雪の中の老松と若松、瀧を昇る鯉、牡丹と孔雀、竹林の抵抗派竹林七賢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/10/post-13cd31.html
「国宝 熊野御幸記と藤原定家の書―茶道具・かるた・歌仙絵とともに―」・・・御子左家の戦い、孤高の詩人、俊成・定家
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-f78257.html
4、
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-3e4680.html
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」2・・・無著、世親、唯識派の思想、唯識派と中観派の矛盾
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-11ad71.html
5、
ラムセス大王・・・カデシュの戦い、平和条約。王妃ネフェルタリ、94歳で死す
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/07/post-fae6b5.html
手塚治虫『火の鳥』・・・火の鳥の血と不死、永遠の孤独、不滅の愛
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-eafad1.html
「魂を込めた円空仏」飛騨・千光寺を中心にして-・・・清水真澄館長、記者発表会
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-ac69ef.html
6、
生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-0c6967.html
「没後50年 髙島野十郎展」・・・空海の密教思想への傾倒
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-fc2837.html
7、
美への旅「異端の奇才——ビアズリー」、運命の女サロメの図像学、洗礼者ヨハネの図像学
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-100d8a.html
ヒルマ・アフ・クリント展・・・霊界を旅する者
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-0489b5.html
アールデコとモード・・・1925年パリ万博、『グレート・ギャツビー』1925、クライスラービル1930、ルネ・ラリック香水
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/11/post-ddf546.html
8、「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」、
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」・・・フィンセント、弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム、100年の物語
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/10/post-21672e.html
オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語・・・ブルジョワジーの家族の肖像、マネ、ドガ、ルノワール
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/11/post-445e82.html
9、
「江戸の名プロデューサー 蔦屋重三郎と浮世絵のキセキ」・・・浮世絵師の偉大と退廃
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/06/post-72fdeb.html
「五大浮世絵師展 ―歌麿 写楽 北斎 広重 国芳―」・・・文化文政の浮世絵師、寛政の改革に死す
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/06/post-b61734.html
北斎年譜 ―永田生慈「葛飾北斎年譜」より
https://shimane-art-museum-ukiyoe.jp/life/nenpyo/index.html
葛飾北斎(1760-1849)【「酔余美人図」(1807)氏家コレクション】北斎、48歳の作品。古典主義はバロック化する。
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/06/post-72fdeb.html
国宝の名刀と甲冑・武者絵 三井家の五月人形・・・刀剣の美、曲線美、直刃と乱刃、沸と匂
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-30d565.html
LOVE いとおしい…っ!―鏑木清方の恋もよう、奥村土牛のどうぶつ愛―・・・亡き人恋ふる
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-e98dd4.html
10、
ミロ展、シュルレアリスム 夜空に描かれた希望、星座が織りなす詩
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-89b7de.html
――
研究編、
ツタンカーメンの生涯と謎・・・秘められた古代エジプトの宗教的意味
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-207710.html
仏教美術の源流 ガンダーラ 1世紀から5世紀のガンダーラ美術、アレクサンドロス大王
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-388540.html
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
アグリジェント、神殿の谷・・・コンコルディア神殿、アグリジェントのクーロス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-f6d967.html
【葛飾北斎、美人画】『酔余美人図』氏家コレクション、1807北斎48歳。宗理美人からバロック化、亀毛型美人(河野元昭先生饒舌館長)。『合わせ鏡美人図』『立ち美人図』縮緬のように痙攣する50代の北斎美人「江戸の名プロデューサー」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/06/post-72fdeb.html
質疑応答、孫崎享×大久保正雄「国際政治 トランプ政権、ウクライナ戦争・ガザ」上智大学ソフィア文化芸術ネットワーク、上智大学
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-6f8b94.html
――
2025美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-861874.html
美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-284bac.html
2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3dea7b.html


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2025年12月20日 (土)

「国宝 熊野御幸記と藤原定家の書―茶道具・かるた・歌仙絵とともに―」・・・御子左家の戦い、孤高の詩人、俊成・定家

Mitsui-2025
Mitsui-2-2025
Mitsui-1-2025
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第413回
幻想の美、達磨歌(禅問答のような難解な歌)を詠う、藤原定家でさえ、母、美福門加賀を偲ぶ哀傷歌には、真情が溢れている。玉響(たまゆら)の露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風(新古今788)哀傷歌。*一一九三年7月二日亡母を偲び詠歌。二月十三日定家母没。
新古今歌人は、鹿を歌った。本阿弥光悦、俵屋宗達『鹿下絵新古今和歌巻』17世紀を思い出す。奥村土牛《鹿》、上村松篁《白孔雀》をみると、亡き母の愛犬、トイプードル、緑紅のダルマインコを思い出す。
藤原定家39歳と後鳥羽上皇20歳の出会い。
藤原俊成、人生の黄金時代の頂点に死す、80から90歳。
後鳥羽上皇(1180-1239)、隠岐の島にて、59歳で死す。
藤原定家、『新古今和歌集』49首、『近代秀歌』『明月記』、80歳で死す。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【六条藤家と御子左家との戦い】【御子左家】藤原道長の六男、藤原家長を祖とする家系。俊成・定家により対立していた六条藤家を圧倒し、歌壇の中心となった。
【六条藤家】平安末期から鎌倉初期にかけて栄えた和歌の家系。京都六条烏丸に住んだ藤原顕季あきすえを祖とし、顕輔あきすけ・清輔・顕昭けんしょうなどすぐれた歌人・歌学者を出した。趣向を重んじる歌風で、藤原俊成・定家の御子左みこひだり家と対立したが、南北朝時代に断絶。
藤原定家(1162-1241)、苦節の前半生、80歳で死す。
定家は、下級官人の家柄に生まれだが、上級貴族の末席にまで辿りついた。父は大歌人、藤原俊成(1162-241)だが、県知事にあたる「国司」を歴任する地位にとどまり、国司は金持ちだが、地方職なので高い位階は得られない。一度国司に任官すると、地方暮らしが続き、中央で要職に就ける可能性がなくなる。宮中の栄達を望んだ定家は、父親とは違い、都にとどまり、当時、藤原北家の頂点であった九条家に仕え、辛抱強く昇進の機会をうかがい、晩年に「参議」という官職を得て、上級貴族への仲間入りを果たす。朝廷内で成功。
定家が若かった頃、源平の戦いが勃発したが、その際に彼は『明月記』日記に、「紅旗征戎、吾が事に非ず」という言葉を残した。
【『明月記』、「紅旗征戎、吾が事に非ず」18歳から73歳】
――
【後鳥羽上皇と藤原定家】
【後鳥羽天皇(1180-1239)、安徳天皇入水、宝剣を失った天皇】
後鳥羽天皇(1180-1239)は、建久9年(1198)譲位して院政を敷いた。上皇は、和歌に興味を持ち始め、正治2年(1200)8月、『初度百首』を催し、定家は作者の一人に呼ばれた。定家は建仁元年(1201)6月『千五百人歌合』に百首歌を詠進、7月、和歌所寄人を拝命した。10月、上皇の「熊野行幸」を拝命。定家は「面目過分」と名誉としながらも、「虚弱体質」呼吸器疾患に苦しみ悩んだが、建仁元年(1201)10月5日、上皇に随行した定家の旅日記「熊野御幸記」を書く。
【後鳥羽上皇、院政(1198-1221)】
1201和歌所を設置。1205『新古今和歌集』竟宴。第八勅撰和歌集。以後も切り継ぎ。「隠岐本」。九条兼実らの親幕派と対抗。幕府討伐を目指す。北条義時に挙兵1221年、承久の乱、挙兵して敗北。隠岐に配流される。
――
【藤原俊成と藤原定家】
藤原定家(1162-1241)は、藤原俊成(1162-241)の長男、歌道の後継者と期待される。安元3年(1177年)定家は疱瘡にかかって二度目の大病を経験し、以降しばしば呼吸器疾患に苦しむ肉体的に虚弱な体質となるとともに、神経質で感情に激する傾向が現れる。
文治元年(1185年)11月末に新嘗祭の最中に殿上で少将・源雅行に嘲笑されたことに激怒し、脂燭を持って雅行の顔を殴ったため、勅勘を受けて除籍処分を受ける事件を勃発。これに対して、翌文治2年(1186年)3月に俊成が後白河法皇の側近である左少弁・藤原定長に取りなしを依頼したところ、法皇から赦免の返歌があった。俊成の赦免嘆願の書状は現存しており、重要文化財に指定されている(香雪美術館所蔵。1201年、後鳥羽上皇の和歌所寄人を勤め、新古今和歌集選者に選ばれる。
――

【藤原俊成(1114-1204)】人生の黄金時代の頂点に死す、90歳。
【六条藤家と御子左家との戦い】
永久2年(1114年)⁻元久元年11月30日(1204年12月22日)。10歳で父と死別し、鳥羽院近臣であった義兄 藤原顕頼の後見を得て国司を歴任したが、位階は18年間従五位下のまま停滞した。天承・長承期(1131~35年)、岳父藤原為忠が主催する2度の「為忠家百首」へ出詠するなど詠作を本格的に始め、保延4年(1138年)藤原基俊に師事。
崇徳天皇の知遇を得る一方、美福門院の乳母子である美福門院加賀[定家の母]と再婚し、久安元年(1145年)以降、美福門院の御給により昇叙されるようになる。
安元3年(1177年)に藤原清輔が没し、治承2年(1178年)九条兼実と初めて会談、九条家歌壇に師として迎えられ「右大臣家百首」などを詠進する。寿永2年(1183年)後白河院の院宣を受け、文治4年(1188年)第七勅撰集『千載和歌集』を撰進、名実ともに歌壇の第一人者となった。文治5・6年(1189・90年)には皇大神宮・春日・賀茂・住吉・日吉の5社に百首歌を奉納(「五社百首」)。建久4・5年(1193・94年)頃成立した「六百番歌合」(九条良経主催、俊成加判)で、六条藤家と御子左家の歌人たちがその威信をかけて激突。
正治2年(1200年)以降歌壇を形成した後鳥羽院の命により「正治初度百首」「千五百番歌合百首」等を詠進。建仁元年(1201年)和歌所寄人、建仁2年(1202年)「千五百番歌合」の春歌第三・四巻の判者を務める。建仁3年(1203年)後鳥羽院より九十賀宴を賜り、鳩杖・法服等を贈られる。元久元年(1204年)秋「祇園社百首」、11月10日「春日社歌合」と最後まで詠作を続け、同年11月30日91歳で生涯を閉じた。
藤原定家「明月記」全巻展示、五島美術館で見たのは20年前。
【承久の乱、後鳥羽上皇、北条義時】承久の乱1221、北条義時追討の院宣。三浦義村は、三浦胤義の手紙を義時に提出、弟の反逆には同心しない。後鳥羽上皇挙兵の報に動揺する御家人に対して北条政子は「故右大将(源頼朝)の恩は山よりも高く、海よりも深い」演説『吾妻鏡』
――
後鳥羽上皇と鎌倉幕府との戦い
【承久の乱、天皇家に武家が勝つ、原因】3上皇追放。承久3(1221)年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の最高権力者、北条義時の追討を命じた。承久の乱以後、約650年続く武士の世ができあがる。御家人たちの忠誠の対象は自分たちの利益を守ってくれる頼朝であって朝廷ではない。後鳥羽上皇、19年、島流し、59歳
上皇方が尾張河で幕府軍に敗れると、後鳥羽・土御門(つちみかど)・順徳の3上皇、仲恭 ... 京都では,親幕派の九条兼実一派が宮廷から追放され,古代権力回復を画策する。
【鎌倉幕府、『吾妻鑑』、粛清の嵐、13人の運命】後白河法皇、平清盛、安徳天皇入水、源義朝、源頼朝、源義経、藤原秀衡、藤原泰衡、梶原景時、比企能員、上総広常、源頼家、北条時政、北条義時、実朝「八幡宮大階段」、公暁、北条泰時、後鳥羽上皇「承久の乱」、義時暗殺伊賀氏の変、三浦義村
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【藤原道長1027年62歳で死去】晩年1027年、後一条天皇に嫁いだ娘の中宮威子が懐妊する慶事(威子は皇女を出産)。同年、三条天皇の皇后・娘の藤原妍子、嘱望されながらも若くして出家した三男の藤原顕信が次次亡くなる
【藤原道長、三后、独占】1018年10月16日。藤原道長は、三女・藤原威子の立后(後一条天皇に入内)の日に「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」との有名な歌を詠み、道長が三后(皇后・皇太后・太皇太后)をすべて自分の娘で占める【紫式部41歳で死す】式部の娘、賢子83歳で死す。2位、位人臣を極める。
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展示作品の一部
藤原定家筆「国宝 熊野御幸記」1201年。自ら悪筆と言う【定家様】
藤原定家筆「大嘗会巻」、藤原道長(966~1027)の時代に活躍した藤原実資さねすけ(957~1046)の藤原定家筆日記『小右記しょうゆうき』から長和元年(1012)の大嘗会の記録を定家が筆写したもの、初公開。また、定家の歌切や消息、3幅の藤原定家画像も今回が初公開。【なぜ、定家は、藤原実資『小右記』大嘗会巻を筆写したのか】藤原実資(957-1046)のように、宮廷で立身出世したかった。
以上の作品については、蔵品図録『国宝 熊野御幸記と藤原定家の書』
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参考文献
「国宝 熊野御幸記と藤原定家の書―茶道具・かるた・歌仙絵とともに―」・・・御子左家の戦い、孤高の詩人、俊成・定家
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-f78257.html

新古今歌人、乱世に咲く花 美への旅  - 大久保正雄『地中海紀行 旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第70回 新古今歌人P32—37
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藤原定家筆「国宝 熊野御幸記くまのごこうき 」が久方ぶりに全巻披露されます。合わせて館蔵品の中から藤原定家の書を選んで展示されます。なかでも「大嘗会巻だいじょうえかん」は、三井記念美術館では初公開になります。また、定家の歌切うたぎれや消息しょうそく、3幅の藤原定家画像も今回が初公開のものです。年末年始にふさわしく、茶道具やかるた・歌仙絵とともに和歌の世界にも遊べる展示内容となっています。
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国宝 熊野御幸記と藤原定家の書―茶道具・かるた・歌仙絵とともに―
三井記念美術館(東京都中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7階)
会期:12月6日(土)〜2026年2月1日(日)まで開催中

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2025年12月15日 (月)

LOVE いとおしい…っ!―鏑木清方の恋もよう、奥村土牛のどうぶつ愛―・・・亡き人恋ふる

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第412回
狂言綺語、達磨歌(禅問答のような難解な歌)を歌う、藤原定家でさえ、母、美福門加賀を偲ぶ哀傷歌には、真情が溢れている。
玉響(たまゆら)の露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風(新古今788)哀傷歌。
 *一一九三年7月二日亡母を偲び詠歌。二月十三日定家母没。
新古今歌人は、鹿を歌った。本阿弥光悦、俵屋宗達『鹿下絵新古今和歌巻』17世紀を思い出す。奥村土牛《鹿》、上村松篁《白孔雀》をみると、亡き母の愛犬、トイプードル、緑紅のダルマインコを思い出す。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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私たちの身の回りには、さまざまな愛の形があります。恋人同士の燃え上がるような愛、親子や夫婦など家族への愛、生まれ育った故郷への愛、身近な動物への慈しみの愛。また、最近よく耳にする「推し活」も、一つの愛の形といえるでしょう。この冬、山種美術館ではLOVEをテーマにした日本の近代・現代絵画を中心に取り上げ、ご紹介する特別展を開催します。
愛といえば、一番に思い浮かぶのが恋愛です。
鏑木清方は近松門左衛門作の浄瑠璃本『冥土の飛脚』に取材し、名品《薄雪》(福富太郎コレクション資料室)で、悲恋の物語を格調高く表しました。
北野恒富《道行》、池田輝方《お夏狂乱》。いずれも悲しいラブストーリーに基づく福富太郎コレクション屈指の名品。(福富太郎コレクション資料室)
家族愛の視点では、愛娘の初節句を祝い描かれた速水御舟《桃花》をはじめ、親子の愛情にあふれる優品が注目されます。
郷土愛の感じられる作品では、川﨑小虎が故郷を夢見る子どもの姿を《ふるさとの夢》に表しました。さらに、「目が楽しいから生きものを描くのが好き」と述べた奥村土牛の《兎》など、画家ならではの動物愛が表現された作品も数多くご紹介します。
冬はクリスマスやお正月、バレンタインデーなどで、親しい人、大切な存在に接する機会もあることでしょう。一年で最も愛が身近となるこの季節に、画家たちが多彩に描いたLOVEの名品をお楽しみください。
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本展のみどころ
みどころ①
「いとおしい…っ!」があふれた近代・現代の画家たちの作品を一挙公開!
恋愛、家族愛、故郷への愛、動物への愛、さらには信仰に基づく愛など、画家たちがさまざまな愛の形を描いた作品を一挙公開します!
奥村土牛《兎》 山種美術館 速水御舟《桃花》 山種美術館
みどころ②
福富太郎コレクション屈指の名品をご紹介!
みどころ③
小林古径の代表作《清姫》の連作全8点を展示!
能や歌舞伎の題材にもなった、道成寺にまつわる安珍清姫の伝説。それに取材した品格あふれる連作で、古径の代表作《清姫》を一堂に展示します!
小林古径《清姫》のうち「寝所」 小林古径《清姫》のうち「日高川」
*上記文中のうち、所蔵先表記のない作品はすべて山種美術館所蔵です。
■展示予定作品
鏑木清方《薄雪》 福富太郎コレクション資料室、 北野恒富《道行》 福富太郎コレクション資料室、 池田輝方《お夏狂乱》 福富太郎コレクション資料室 小林古径《清姫》、 小茂田青樹《愛児座像》、速水御舟《桃花》、川合玉堂《観世大士》、 小山硬《天草(洗礼)》、 奥村土牛《浄心》、 小倉遊亀《憶昔》、川合玉堂《鵜飼》、川﨑小虎《ふるさとの夢》、 横山操《越路十景》、奥村土牛《兎》。上村松篁《白孔雀》、小針あすか《珊瑚の風》他
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参考文献
LOVE いとおしい…っ!―鏑木清方の恋もよう、奥村土牛のどうぶつ愛―・・・亡き人恋ふる
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-e98dd4.html

没後80年記念「竹内栖鳳」・・・竹内栖鳳「班猫」村上華岳「裸婦図」
https://bit.ly/3TkPJ0z
どうぶつ百景 江戸東京博物館コレクションより・・・歌川広重「名所江戸百景」1857
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-f7b3b4.html
犬派?猫派? 俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで・・・遣唐使船で経典を守る猫
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-03c2db.html

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LOVE いとおしい…っ!―鏑木清方の恋もよう、奥村土牛のどうぶつ愛―
https://www.yamatane-museum.jp/exh/2025/love.html

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2025年11月16日 (日)

オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語・・・ブルジョワジーの家族の肖像、マネ、ドガ、ルノワール

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第411回

エドガー・ドガ《家族の肖像》(1858-1859)をみると、ルキノ・ヴィスコンティ《家族の肖像》Conversation Pieceを思い出す。ブルジョワの家族の冷酷な人間関係の肖像。ピエール=オーギュスト・ルノワール《ピアノを弾く少女たち》1892は、ブルジョワの家族の会話風景である。
【マネとモネ】
【1863年エドゥアール・マネ「草上の昼食」事件」】
エドゥアール・マネ『水浴(のちに『草上の昼食』に改題)』。1863年にナポレオンの指揮で開催された「落選者展」で起きた。エドゥアール・マネ⦅草上の昼食⦆1863年 オルセー美術館蔵、中産階級の男二人と裸体の娼婦がピクニックをしている。ここで事件が起きた原因は「現実世界の女性の裸体を描いたから」。当時はこれがタブー中のタブー。女性の裸体を描いていいのは「宗教画・寓意画(ギリシャ神話など)」に限られていた。「古典主義に一石を投じた」【1865年モネ、サロンで入選】モネは、サロンで見事に入選を果たす。1865年『オンフルールのセーヌ河口』、1866年『緑衣の女』で入選。マネ1865年『オランピア』でサロンに入選。1869年、1870年は2年連続で落選。特に1870年に出品したモネ『ラ・グルヌイエール』。当時、水面に反射する太陽光の表現を極め続けていた。【1870年モデルのカミーユと結婚】1873年小さなボートを買って、アトリエ舟として使うようになった。マネはモネとカミーユの一枚を描いている。エドゥアール・マネ⦅アトリエ舟で描くクロード・モネ⦆1874年。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より

大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』

モネ 睡蓮のとき・・・モネの生涯と藝術、絶望を超えて、失われた時を求めて
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/10/post-fcbd04.html
モネ 睡蓮のとき2・・・絶望を超えて、朦朧派
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/11/post-952362.html
【マネ(1832-1883)】《草上の昼食》(1863年)、マネの着想源となったジョルジョーネの《テンペスタ》(1508)にも、着衣の男性と赤ん坊を抱く半裸の女性が描かれている。1865年のサロンで発表され、それまでの作品以上の激しいバッシングを受けた。
【クロード・モネ「草上の昼食」1866年】
クロード・モネが26歳の頃、1866年に描いた「草上の昼食」。パリ近郊のフォンテーヌブローでピクニックを楽しむ若者たち。モネが敬愛したエドゥアール・マネ「草上の昼食」(1862年頃オルセー美術館所蔵)に触発されて描いた。モデルの女性は、当時モネと出会ったばかりの恋人、後に妻となるカミーユ。紳士はモネの友人で画家だったフレデリック・バジール。カミーユは32歳で死ぬ。
「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」東京都美術館・・・藝術家と運命との戦い
https://bit.ly/2vCJ6As
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オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語
展示構成
第1章 室内の肖像 ドガ《家族の肖像(ベレッリ家)》など
第2章 日常の情景  ルノワール《ピアノを弾く少女たち》など
第3章 室内の外光と自然 セザンヌ《大きなデルフト陶器に生けられたダリア》など
第4章 印象派の装飾 モネ《睡蓮》
展示作品の一部
エドゥアール・マネ《エミール・ゾラ》1868年 油彩/カンヴァス 146×114cm オルセー美術館、パリコピーライト GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF
エドガー・ドガ《家族の肖像(ベレッリ家)》1858-1869年 油彩/カンヴァス 201×249.5cm オルセー美術館、パリ コピーライト photo:C2RMF / Thomas Clot
エドゥアール・マネ《ピアノを弾くマネ夫人》1868年 油彩/カンヴァス 38.5×46.5cm オルセー美術館、パリコピーライト GrandPalaisRmn (musée d’Orsay)
ピエール=オーギュスト・ルノワール《ピアノを弾く少女たち》1892年 油彩/カンヴァス 116×90cm オルセー美術館、パリ コピーライト GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
ピエール=オーギュスト・ルノワール《読書する少女》1874-1876年 油彩/カンヴァス
46.5×38.5cm オルセー美術館、パリ コピーライト GrandPalaisRmn (musée d’Orsay)
ピエール=オーギュスト・ルノワール《大きな裸婦》1907年 油彩/カンヴァス 71×156cm オルセー美術館、
アルベール・バルトロメ《温室の中で》1881年頃 油彩/カンヴァス 235×145cm オルセー美術館、パリ コピーライト GrandPalaisRmn (musée d’Orsay)
第1章 室内の肖像 ドガ《家族の肖像(ベレッリ家)》など
第2章 日常の情景  ルノワール《ピアノを弾く少女たち》など
第3章 室内の外光と自然 セザンヌ《大きなデルフト陶器に生けられたダリア》など
第4章 印象派の装飾 モネ《睡蓮》など
第1章 室内の肖像
19世紀のサロン(官展)や美術市場を席巻した肖像画は、印象派にとっても重要な表現手段となります。彼らにとってこの絵画ジャンルは、人物を日常的な環境のなかに描き出し、その人となりや社会的な属性を表す試みでもありました。
アトリエを筆頭に、画家や文筆家の創作の場を舞台とする仲間内の肖像画では、交友関係や芸術理念を示唆する道具立てが随所にみとめられます。一方、より公的な肖像画の場合、当世風の衣装や上質な家具調度品の巧みな描写によって、室内はモデルの「良き趣味」や社会的ステータスの表明にうってつけの空間となります。
さらに家族を描いた集団肖像画に目を向けるなら、家庭を満たす親愛の情だけでなく、心理的なドラマまで垣間見ることができるでしょう。それらには子どもを中心にすえる近代的な家族観も表れています。ときに風俗画との境を曖昧にしながら、同時代の人々を生活空間のうちに描くこうした肖像画は、印象派が志向する現代性のテーマに深く関わる絵画ジャンルだったので
す。
――
マネ(1832-1883)写実主義の革新
マネ(1832-1883)は、王家の血を引く母と司法省の高級官僚である父のもと、パリの裕福な家庭に生まれた。幼い頃からアートに強い関心を示していたマネを、彼の叔父は頻繁にルーブル美術館へ連れて行った。13歳になる頃にはデッサン教室に通うようになっていたが、父親は息子が芸術家を志すのを快く思っていなかった。
【《草上の昼食》(1863年)】マネの着想源となったジョルジョーネ《テンペスタ》(1508)に、着衣の男性と赤ん坊を抱く半裸の女性が描かれている。
【マネ(1832-1883)。《草上の昼食》(1863年)、《オランピア》(1863年)】《草上の昼食》と同じ年に描かれた《オランピア》は、1865年のサロンで発表され、それまでの作品以上の激しいバッシングを受けた。ティツィアーノ《ウルビーノのヴィーナス》(1534年頃)を参照しており、ティツィアーノの絵と同じく、横たわる裸婦が手で陰部を隠している。
【マネ(1832-1883)】エドゥアール・ マネは、周密精到な写実主義画家だが、1853年【ヴェネツィア、フィレンツェへ旅】し、ヴェネツィア派やスペインの巨匠の作品を研究した。「草上の昼食」(1862–1863)「オランピア」(1865)によって、伝統的な絵画の約束事を破る、絵画界にスキャンダルを巻き起こした。ティツィアーノ『田園の合奏』1511『ウルビーノのヴィーナス』1538を研究、摸写した成果であった。モデルの女性は、ヴィクトリーヌ・ムーランである。
マネは『オランピア』への批判に意気消沈、ブリュッセルにいたボードレールに宛て手紙を書いた。8月から【スペインへ旅】をした。プラド美術館に行きベラスケスを研究した。
印象派グループ展への参加を拒絶したが、モネとの交流は続いた。1880年から病苦と戦い、「フォリー=ベルジェールのバー」1882を描き、翌年、左足を切断したが、死亡した。
【「フォリー=ベルジェールのバー」1882】エドゥアール・ マネ(1832-1883)、50歳、最晩年の作品。ベラスケス『ラス・メニーナス』を参照している。この作品を完成した翌年にマネは死去した。
コートールド美術館展、魅惑の印象派・・・「フォリー=ベルジェールのバー」、鏡の中の世界
https://bit.ly/2migKHP
――
参考文献
オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語・・・ブルジョワジーの家族の肖像、マネ、ドガ、ルノワール
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/11/post-445e82.html

エドガー・ドガ『エトワール』、一瞬の中にある永遠の美・・・孤独な藝術家
https://bit.ly/2QZZS3s
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0 
モネ 睡蓮のとき・・・モネの生涯と藝術、絶望を超えて、失われた時を求めて
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/10/post-fcbd04.html
モネ 睡蓮のとき2・・・絶望を超えて、朦朧派
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/11/post-952362.html
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■オルセー美術館所蔵 印象派ー室内をめぐる物語
会場:国立西洋美術館(東京・上野公園)
会期:2025年10月25日(土)~2026年2月15日(日)
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/current.html


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2025年11月 7日 (金)

アールデコとモード・・・1925年パリ万博、『グレート・ギャツビー』1925、クライスラービル1930、ルネ・ラリック香水瓶

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第410回
【アール・デコ(art deco)】1925、パリ万国展覧会の名称、Arts Décoratifsから名付けられた、幾何学的装飾様式。ガブリエル・シャネル(1883-1971)。多様な香水瓶のデザインをルネ・ラリック(1860-1945)。クライスラー・ビル1930年竣工。イヴ・サン=ローラン(1936-2008)のミニ・ドレス
【アールヌーボー1900とアールデコ1925】どうちがうのか。【アールヌーボー】1900パリ万博、アルフォンス・ミュシャ、ミュシャ様式、エミール・ガレ。世紀末美術、象徴派、植物の装飾様式。
アールデコ、1925年パリ万博
2025年は、パリで開催された幾何学的装飾芸術の博覧会、通称アール・デコ博覧会から100年目にあたります。この記念の年に、京都服飾文化研究財団(KCI)が誇る世界的な服飾コレクションから、この時代を表す選りすぐりのドレスや資料類約200点を紹介。加えて国内外に所蔵される同時代の絵画、版画、工芸品などを展示し、合計約310点で、現代にも影響を与え続ける100年前の「モード」を紐解く。
【アール・デコ(art deco)】1925、パリ万国展覧会の名称の、Arts Décoratifsから名付けられたのが、装飾様式の「アール・デコ(art deco)」。すっきりとしたライン、大胆な幾何学的な形状、そして鮮やかな色使いを特徴とするこの様式は、当時、野心的な前衛芸術であると評価された。同展覧会には20カ国から出展者が集まった。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【クライスラービルChryslerBuilding 1930】
クライスラー・ビルディングは高さ世界一の超高層ビルを目指して1928年9月19日に着工。1930年5月20日に38メートルの尖塔を追加して319メートルとなり、クライスラー・ビルディングは完成した。5月27日にこのビルは一般に開業した。こうしてウォールタワーを上回り、世界一高いビルの座につくことができた。しかし、翌年の1931年にエンパイア・ステート・ビルディングの完成により、世界一の座を明け渡すことになる。それでもアメリカの1920年代の繁栄の歴史を物語るニューヨークの摩天楼の中の傑作である。
【ルネ・ラリック】Rene Lalique(1860-1945)
ルネ・ラリック(1860-1945)は、19世紀末から20世紀半ばにかけて、アール・ヌーヴォーのジュエリー制作者、アール・デコのガラス工芸家として、二つの創作分野で頂点をきわめた人物として知られています。1900年のパリ万国博覧会、1925年のアール・デコ博覧会で国際的な脚光を浴びたラリックの作品は、工芸の価値を、絵画や彫刻などの純粋美術と同じレベルにまで高めるとともに、生活に新たな美意識をもたらすものとして異例の評価をうけました。21世紀を迎えた現在、そうした見解は改めて確証され、ラリックへの賞賛は日を追って高まりつつあります。
『グレート・ギャツビー』1925年
F・スコット・フィッツジェラルドの1925年の小説『グレート・ギャツビー』。The Great Gatsby 1922年、狂騒の20年代アメリカ。語り手のニック・キャラウェイ、ある晩、彼はイエール大学時代の友人トム・ブキャナンと、彼の妻デイジーの家に招かれる。隣の大邸宅に住むジェイ・ギャツビーなる人物は、毎夜豪華なパーティーを開いていた。ある日ニックはそのパーティーに招かれる。ニックはギャツビーと親交を深めていく中で、彼が5年の間胸に秘めていたある想いを知る。ギャツビーとデイジーはニックのおかげで再び出会い、二人の恋愛は再熱した。
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【デューセンバーグ】1910年代から1937年にかけて存在したアメリカの高級車メーカー。アメリカンドリームの象徴として、多くの人が憧れる存在でした。
特に、1928年に発表された「モデルJ」は、最高級のボディと、当時レーシングカーにしか採用されていなかったDOHCエンジンを兼ね備え、排気量7リッター、265馬力で、3トンもある車体を最高時速192kmまで走らせることが出来るという最高級かつ最高性能の豪華なクルマ。このモデルJの登場により、一躍デューセンバーグの名声は世間に広まることとなりました。
――
【タマラ・ド・レンピッカTamara de Lempicka(1898―1980)】
ワルシャワの良家に生まれ、思春期をロシアとスイスで過ごす。18歳で弁護士レンピッキ伯爵と結婚する。翌年ロシア革命でパリへ亡命。働かない夫を尻目に画業で身を立てる決心。時代に翻弄されながらも女性の自由な生き方を実践し、狂乱の時代とも呼ばれた1920年代のパリで独特の作風により、画家として一躍注目された。やがて第二次世界大戦の脅威の中、アメリカに亡命。その後、時代とともに次第に忘れさられていった。そして70年代に再評価され、1980年に82歳でその劇的な人生を終えた。
ロングドレスを着たタマラ「ロングドレスを着たタマラ」
1929年頃/ドラ撮影
© 2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI Photo A. Blondel / D’Ora
《緑の服の女》Jeune fille en vert
1930年/油彩・合板/ポンピドゥーセンター蔵
© 2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA
モデルはレンピッカの娘、キゼットである。この作品においてキゼットは初めて官能的で、意気揚々とした姿で描かれている。緑のドレスは背後ではためき、身体をぴったりと包み、乳房とへその形をあらわにしている。優雅な帽子と手袋をつけた彼女は、究極の女性らしさを体現している。レンピッカは自分自身の若い頃を思い出し、過去の自分を投影し描いたに違いない。つまり、この作品は自画像でもあるのだ。なお、この作品は彼女の最高傑作の一枚として世界の美術館で展示されている。(E・B)
《タデウシュ・ド・レンピッキの肖像》
Portrait de Tadeusz de Lempicki
《タデウシュ・ド・レンピッキの肖像》
1928年/油彩・キャンヴァス/1930年代美術館蔵
© 2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
男は黒く大きなコートを着て、手にシルクハットを持っている。外出しようとしているのだが、あたかも妻であるレンピッカに別れを告げているかのようである。レンピッカは結婚指輪をはめた夫の左手を、未完のままで残すことにした。実際、タデウシュはこの絵のためにポーズをとった時に、タマラと離婚の瀬戸際にいたのだ。レンピッカが描く男たちは大体において暗いトーンで描かれており、そこにはノスタルジーと不安が込められているかのようだ。(E・B)
https://www.ntv.co.jp/lempicka/about/index.html

――
【アールヌーボーとアールデコ】
【アールヌーボー】1900パリ万博、アルフォンス・ミュシャ、ミュシャ様式、エミール・ガレ
【ミュシャ様式、アール・ヌーヴォー】
1895年元旦、アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』のポスターでパリのアート・シーンの注目を集め始める。アール・ヌーヴォー様式の発信源の一つとなるジークフリード・ビングの画廊、メゾン・ド・ラール・ヌーヴォーがオープン。
ミュシャのデザインは「ミュシャ様式」というニックネームで大衆に親しまれ、「アール・ヌーヴォー」と同義語になる。優美な女性と、繊細な線、大胆な構図、曲線と円形、花の装飾。
1898年、ウィーン分離派展に参加。フリーメイソン、パリ支部の会員。
1900年、アール・ヌーヴォー、終息。ミュシャ様式、忘れ去られる。
【エミール・ガレ】(1846-1904)アール・ヌーヴォー
エミール・ガレ(1846–1904)はフランス北東部ロレーヌ地方の古都ナンシーで、父が営む高級ガラス・陶磁器の製造卸販売業を引き継ぎ、ガラス、陶器、家具において独自の世界観を展開し、輝かしい成功を収めました。
ナンシーの名士として知られる一方、ガレ・ブランドの名を世に知らしめ、彼を国際的な成功へと導いたのは、芸術性に溢れ、豊かな顧客が集う首都パリでした。父の代からその製造は故郷ナンシーを中心に行われましたが、ガレ社の製品はパリのショールームに展示され、受託代理人等を通して富裕層に販売されたのです。1878年、1889年、1900年には国際的な大舞台となるパリ万国博覧会で新作を発表し、特に1889年の万博以降は社交界とも繋がりを深めました。しかし、その成功によってもたらされた社会的ジレンマや重圧は想像を絶するものだったと言い、1900年の万博のわずか4年後、ガレは白血病によってこの世を去ります。
ガレの没後120年を記念する本展覧会では、ガレの地位を築いたパリとの関係に焦点を当て、彼の創造性の展開を顧みます。フランスのパリ装飾美術館から万博出品作をはじめとした伝来の明らかな優品が多数出品されるほか、近年サントリー美術館に収蔵されたパリでガレの代理店を営んだデグペルス家伝来資料を初公開します。ガレとパリとの関係性を雄弁に物語る、ガラス、陶器、家具、そしてガレ自筆文書などの資料類、計110件を通じて、青年期から最晩年に至るまでのガレの豊かな芸術世界をお楽しみください。
■参考文献
アールデコとモード・・・1925年パリ万博、『グレート・ギャツビー』1925、クライスラービル1930、ルネ・ラリック香水
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/11/post-ddf546.html
「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム、2019
「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム・・・ミュシャ様式、線の魔術、運命の扉、波うつ長い髪の女
https://bit.ly/2SsUxTb

シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
https://bit.ly/2vikIlL

クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/2uUs3pu

ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道、国立新美術館・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派
https://bit.ly/2QbsUwT

「ミュシャ展 パリの夢、モラヴィアの祈り」2013
http://www.ntv.co.jp/mucha/

「ミュシャ展 『スラヴ叙事詩』」国立新美術館2017
アール・デコとモード 京都服飾文化研究財団(KCI)コレクションを中心に、三菱一号館美術館、2025年10月11日(土)~2026年1月25日(日)

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2025年10月 7日 (火)

円山応挙 革新者から巨匠へ、・・・雪の中の老松と若松、瀧を昇る鯉、牡丹と孔雀、竹林の抵抗派竹林七賢


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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第409回
円山応挙は、二つの要素の対比の空間、森羅万象を描く。雪の中に陽光に輝く老松と若松、青楓と瀑布、瀧を昇る鯉、牡丹と孔雀、竹林に集う抵抗派竹林七賢。「雪松図」「青楓瀑布図」「龍門図」「牡丹孔雀図」「竹林七賢図襖」「梅鯉図屏風」。
伊藤若冲「竹鶏図屏風」1790円山応挙「梅鯉図屏風」(1787)は、竹林と鶏、梅と水と鯉。
羅万象を描く円山応挙
伊藤若冲、曽我蕭白、長澤蘆雪ら「奇想の画家」たちに席巻された18世紀江戸絵画だが、
しかし、応挙こそが、18世紀京都画壇の革新者でした。写生に基づく応挙の絵は、超写実主義のように眼前に迫ってきた。応挙の画風は瞬く間に京都画壇を席巻し、当代随一の人気画家となりました。そして、多くの弟子たちが応挙を慕い、巨匠として円山四条派を形成する。
9月25日、山下裕二先生のギャラリー説明会を聞く。監修者・山下裕二教授からのメッセージ。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
【円山応挙1733~1795】最も魅力的な作品、得意分野は何か。「孔雀図」国宝「雪松図」「美人画」「山水画」「水墨画」「竹林七賢図屛風」「聖賢図」「仔犬図」「釈迦図」、幽霊図「返魂香之図」。円山応挙. 1733~1795(享保18~寛政7) 写実主義を確立。弟子、長澤蘆雪。
円山応挙 革新者から巨匠へ、・・・雪の中の老松と若松、瀧を昇る鯉、牡丹と孔雀、竹林の抵抗派竹林七賢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/10/post-13cd31.html
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若冲、応挙 初の合作新発見 伊藤若冲「竹鶏図屏風」円山応挙「梅鯉図屏風」
円山応挙(1733~1795)と伊藤若冲)(1716-1800)、江戸時代、京画壇のランキングはナンバー1が応挙、ナンバー2が若冲であることが当時の京都の人名録「平安人物志」に記されている。お互い四条通り付近に住むご近所同士だったのに二人の接点を示す史料はこれまでありませんでした。
唯一、応挙が若冲を訪ねたとの記録が残っていますが、おそらく対面は叶わなかったのでしょう。応挙はその前年にすでにこの「梅鯉図屏風」を仕上げていたので、その時若冲を訪ねてもう一隻の進捗状況を尋ねたかったのかもしれません。
二人がじつは合作していたという、この奇跡的に発見された作品は本展が初公開!2024年

【円山応挙の謎】円山応挙は、なぜ、階級社会の中で、亀岡の農民の子から一級の絵師になることができたのか。円山応挙は、なぜ、死の年、一門十三人を率いて、大乗寺襖絵を描いたのか。 応挙の運命の扉を開いたのはだれか。応挙は、京都で、大乗寺、密蔵上人に出会った。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【農家の子から尾張屋】亀岡の農家に生まれた応挙は、京都に丁稚奉公に出て暮らす。15歳の時に玩具屋の尾張屋勘兵衛の世話になる。ビードロや覗き眼鏡を扱っていた尾張屋の元で、応挙は覗き眼鏡に使われる遠近が効いた眼鏡絵を描いた。
【狩野派から円山派】円山応挙は、狩野派の石田幽汀に学んだ、一方、西洋由来の遠近法の眼鏡絵、中国絵画の影響も受け、後に綿密な写生と伝統的な装飾性をあわせた独自の様式を確立した。応挙の元では息子の応瑞や山口素絢、長沢芦雪ら多くの絵師が育った。虎の絵を得意とする岸派、竹内栖鳳、上村松園に受け継がれていく。応挙の画風に南画の情趣を融合させて四条派を確立した呉春。円山・四条派の全容に迫る展覧会。
「円山応挙から近代京都画壇へ」・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
若冲は35歳の時、相国寺にて、僧、大典顕常(1719年—1801年)に出会う。売茶翁(1675年—1763年)とも出会う。若冲という名を得て、若冲『動植綵絵』を10年の歳月をかけて完成する(宝暦7年頃1757年から明和3年1766年)。人知れず隠れて、寺院の秘密の部屋で超絶技巧を磨き貫き、技を駆使して、革新的技法、創造的芸術を探求した。裏彩色、色彩の魔術師。8万6千の方眼の中に描かれている極彩色の屏風、『鳥獣花木図屏風』。枡目描きは、西陣織物商、金田忠兵衛がいた。
若冲の超絶技巧の超細密画、微細な生きものの神秘な世界。マクロコスモスとミクロコスモスの調和、宇宙と小宇宙の融一を観照する。寺院の秘密の部屋。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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永遠を旅する哲学者は、千年後に具眼の士が現われるのを待つ。旅する哲学者は、瞬間の永遠、永遠の今のなかに、美と真理を探求する。美は真であり、真は美である。詩人の魂は、怨みにある。李白の美の源泉は、恨みである。
若冲が『動植綵絵』で追求したものは何か。作品を評価してくれる人が現れるまで千年待つ。天上の宇宙と心の中の宇宙。天上の宇宙と心の中の宇宙。若冲は、生きものの神秘と美に魅入られたのか。若冲の絵画『動植綵絵』の方法とは何か。「内容なき思考は空虚であり、概念なき直観は盲目である」「いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、わが天上の星の輝きと我が心の内なる道徳律」。内なる宇宙は、何を志向したのか。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』より
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【伊藤若冲、謎の生涯】
伊藤源右衛門(若冲)(1716-1800)、京都の富裕な青物問屋に生まれ23歳で家業を継ぎながら、40歳で次弟に家督を譲り、異常に緻密な細密画に生涯没頭したのはなぜか。84歳まで、絵画を追求した若冲。相国寺、大典に出会い、人生が一変する。師なき領域で独創的藝術を探求した。
南蘋派の絵師、鶴亭に影響を受けて1000点に及ぶ中国絵画の臨写(模写)をするが、模写を止め独創性を追求する。「旭日鳳凰図」(1755)から始まる創造的藝術の探求。「動植綵絵」20「群鶏図」に溢れる鶏への愛はなにゆえか。
若冲は10年の歳月をかけて『動植綵絵』『釈迦三尊像』『釈迦三尊像』を描き、京都、相国寺に寄進した。
*『動植綵絵』「群鶏図」「老松孔雀図」「老松鳳凰図」「牡丹小禽図」「雪中錦鶏図」「芍薬群蝶図」、鳥、植物、微細な生きものの輝く宇宙。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
生誕300年、若冲展、東京都美術館・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
■主な展示作品
三井家が援助したこんぴらさんの襖絵、特別出品
重要文化財「遊虎図襖(16面の内)」円山応挙筆 天明7年(1787) 香川・金刀比羅宮/虎の毛皮を見て描いた応挙、モフモフ感に注目!
新発見の若冲、応挙初の合作、東京初公開!
左:「竹鶏図屏風」 伊藤若冲筆 寛政2年(1790)以前 個人蔵/右:「梅鯉図屏風」 円山応挙筆 天明7年(1787) 個人蔵/若冲の鶏、応挙の鯉、それぞれの得意な画題で競い合う!
応挙の傑作、国宝「雪松図屏風」と重要文化財「藤花図屏風」が登場!
国宝「雪松図屏風」 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 三井記念美術館 【展示期間:9月26日~ 10月26日、11月11日~24日】/陽光にきらめく新春の雪景色に注目!
重要文化財「藤花図屏風」円山応挙筆 安永5年(1776) 根津美術館 【展示期間:10月28日~11月10日】/水墨と着色のコントラストが見事!
多彩な人物表現
「大石良雄図」 円山応挙筆 明和4年(1767) 一般財団法人武井報效会 百耕資料館 【展示期間:10月28日~11月24日】/忠臣蔵の主人公を等身大で描いている
「元旦図」 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 個人蔵/初日の出を拝む応挙の後ろ姿!?
生き物に向けられる温かなまなざし
「雪柳狗子図」 円山応挙筆 安永7年(1778) 個人蔵/仔犬のキャラクターが大人気
「木賊兎図」 円山応挙筆 天明6年(1786) 静岡県立美術館 【展示期間:10月28日~11月24日】/触れたくなるような、ふわっふわの毛並み
山形県指定文化財 「鼬図」 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 本間美術館 【展示期間:9月26日~10月26日】/下から横から正面から、応挙の観察眼が光る
「虎皮写生図屏風」 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 本間美術館/リアルに描かれた虎柄のヒミツ
「青楓瀑布図」 円山応挙筆・皆川淇園賛 天明7年(1787) サントリー美術館 【展示期間:9月26日~10月26日】/清涼感あふれる 夏の滝
「華洛四季遊戯図巻」(下巻) 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 徳川美術館 © 徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom/洛中のにぎわいを写す尾張徳川家ゆかりの絵巻
応挙の傑作、国宝「雪松図屏風」は、三井記念美術館が所蔵する作品のなかでもっとも有名な作品の一つとして知られていますが、今年度は、秋に開催される開館20周年記念特別展のなかで公開されます。本展の監修を手掛けるのは、美術ファンから厚い支持を集める山下裕二教授。大阪中之島美術館で先行して公開され、伊藤若冲とのコラボ作品(合作屏風)として話題となっている「梅鯉図屏風」も東京で初公開となります。応挙の傑作が一堂に会し、華やかな展示内容となる本展。
近年、同時代を生きた伊藤若冲、曽我蕭白ら“奇想の画家”たちの人気に押され気味の円山応挙。応挙こそが、18世紀京都画壇の革新者。写生に基づく応挙の絵は、当時の鑑賞者にとって、それまで見たこともない眼前に迫ってきたのです。その画風は瞬く間に京都画壇を席巻、多くの弟子が応挙を慕い、巨匠として円山四条派を形成しました。本展では、応挙が「革新者」から「巨匠」になっていくさまを、重要な作品を通して知ることができます。
――
円山応挙 革新者から巨匠へ、三井記念美術館、
監修者・山下裕二教授からのメッセージ
円山応挙は、従来より江戸時代を代表する画家として、確固たる地位を占めて高く評価されてきました。しかし近年、伊藤若冲をはじめとする「奇想の画家」たちの評価が高まるにつれて、いくぶんその注目度が低くなっていることは否めません。
しかし、応挙こそが、18世紀京都画壇の革新者でした。写生に基づく応挙の絵は、当時の鑑賞者にとって、それまで見たこともないヴァーチャル・リアリティーのように、眼前に迫ってきたのです。そして、そんな応挙の画風は瞬く間に京都画壇を席巻し、当代随一の人気画家となりました。
そして、多くの弟子たちが応挙を慕い、巨匠として円山四条派を形成することとなりました。応挙の絵は、21世紀の私たちから見れば、「ふつうの絵」のように見えるかもしれません。しかし、18世紀の人たちにとっては、それまで見たこともない「視覚を再現してくれる絵」
として受けとめられたのです。この展覧会では、そんな応挙が「革新者」から「巨匠」になっていくことを、重要な作品を提示しながらみなさんに見ていただきたいと思います。
開館20周年特別展 円山応挙―革新者から巨匠へ
会場:三井記念美術館(東京都中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7階)
会期:2025年9月26日(金)~11月24日(月・振休)

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2025年10月 1日 (水)

「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」・・・フィンセント、弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム、100年の物語

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第408回
ゴッホは、絶望を超えて立ち上がる。孤独で不屈な藝術家。彼の遺志を継ぐ人々。100年の物語
「音楽のように人を慰める何かを僕は絵画で伝えたい」「100年後を生きる人々にも自分の絵を観てもらいたい」ゴッホは1880年、27歳で画家になる決意をした。フィンセントは美術商ビーグル商会に16歳で働き、弟テオは15歳で働く。1888年35歳でアルルに住む。
【ゴッホ1853-1890、37歳で死す】弟テオ(1857-1891)、画商としてフィンセントを経済支援。ゴッホ死後4ヶ月テオ病死。テオの妻ヨー、ゴッホ作品を200点保管、展示。ゴッホのテオ宛手紙を出版。【テオとヨーの息子フィンセント・ウィレム】(1890年1月31日 - 1978年1月28日)、1966年ゴッホ財団設立、1973年ゴッホ美術館設立。
【ゴッホと宮澤賢治】宮澤賢治は、ゴッホ『糸杉』1989を愛好した。『春と修羅』1924自費出版。妹トシ、弟清六2001、賢治を理解し支援。友人の及川四郎『注文の多い料理店』の出版を熱望。ゴッホは、人間関係を構築できず苦悩。画商の弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム1978だけが理解支援した。
不遇な人生【死後才能が発掘された藝術家・詩人・思想家】田中一村(1908-1977)69歳で死す。宮澤賢治(1896-1933)、37歳で死す。高島野十郎(1890年(明治23年)8月6日 - 1975年(昭和50年))、85歳で死す。ゴッホ(1853〜1890)37歳で死す。藝術への献身、貧困、忍耐、孤立、無私、迫害、殉教、早世、自殺。イエス・キリスト「わが神よ、どうして私を見捨てたの?」マルコ伝、15章34節
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【ゴッホの人と藝術】1853-1890
【ゴッホ、絶望の旅立ち】フィンセント・ヴァン・ゴッホは、1853年3月30日、フロート・ズンデルト村に生まれた。祖父と父は牧師。男3人、女3人の6人兄弟の事実上の長男。1869年(16歳)美術商グーピル商会に就職するが解雇。1876年(23歳)新聞広告で知った英国の小学校教師の職を得て、仏語、独語を教える。ロンドン近郊の貧民街の様子に衝撃を受ける。1878年(25歳)ブリュッセルの伝道師養成学校に入る。79年、半年間の期限付き、伝道師になるが解任。1885年(32歳)3月、父が脳卒中で急死。父子は最後まで理解し合えず。父は死んだ。
1880年から1890年まで。ゴッホ、画家活動10年、27歳から37歳、
【ゴッホ、ハーグ派、灰色派】ハーグ時代、ハーグ派、灰色派、第二のレンブラント、ヨゼフ・イスラエルス「貧しい人々の暮らし」、バルビゾン派、ミレイ「種をまく人」(1850)を尊敬、影響を受ける。ゴッホの師、アントン・マウフェ「雪の中の羊飼いと羊の群れ」。ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」1885。
【パリ】1886年、パリに行く。パリ以後、「自画像」を40枚描く。「パリの屋根」1886。印象派の父、カミーユ・ピサロに会う。浮世絵の国日本に憧れアルルへ旅立つ。
【ゴッホ、アルルへ】1888(35歳)、ゴッホ、35歳でアルルに移住する。10月、「黄色い家」でのゴーガンとの共同生活が始まる。1888年12月、(35歳)「耳切り事件」、ゴーガンは2か月でアルルを去る。ゴッホ「麦畑」アルル1888。「種をまく人」(1888)3枚(クレラー・ミュラー、ファン・ゴッホ美術館、「日没を背に種をまく人」ビュールレ・コレクション)。「ひまわり」(1888)7枚。描く。「ローヌ川の星月夜」1888。「アルルの跳ね橋」1988。
【ゴッホ、サン・レミ時代】独自の境地に到達する。ゴッホ《星月夜》(1889 MoMA)サン・レミ1889年6月《糸杉のある麦畑》(1889 MET)。ゴッホ「薔薇」サン・レミ。
【オーベール時代】ゴッホ最後の2か月。ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」オーベール・シュル・オワーズ1890。ゴッホオーベール・シュル・オワーズ。
【ゴッホ、最後の境地】ゴッホ「薔薇」サン・レミ。オーベール・シュル・オワーズ時代、ゴッホ最後の2か月。ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」オーベール・シュル・オワーズ1890。「糸杉と星のある道」1890、オーベール・シュル・オワーズ。ピストル事件、フィンセントは7月29日に死亡した。
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人
【ゴッホ、孤独な人生】
ゴッホは、人間関係を構築できない、孤立を極めた。家族と社会との軋轢に苦悩した。友人も愛もない。画商の弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム、だけが理解した。
1870、27歳、画家になる決意をするが作品は売れず、弟テオだけが彼を援助した。売れた絵は生涯1枚だけ。1888、ゴッホは、ゴーガンに剃刀をもって襲いかかる。アルルにて耳切り事件、1989サンレミにて、病院入院。糸杉を描く。1890オーベール・シュル・オワーズにて拳銃事件、2日後37歳で死す。油絵約850点を残す。4か月後、弟テオ、死す。
【画家生活10年】ゴッホは、10年間で、2000枚のデッサン、850枚の絵画を描いた。ゴッホが描かなかった絵画がある、それは何故か。
【ゴッホの謎】何故、ゴッホは、画廊勤務、伝道師を辞めたのか。何故、ゴッホは、ゴーガンに剃刀をもって襲いかかり、アルルにて耳切り事件、拳銃自殺したのか。
【藝術家、思想家と運命との戦い】思想と藝術を生みだすのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、魔術である。敵との闘争における武器である。思想家は人生の戦いにどう挑み、逆襲するのか。美のイデアのための戦いである。思想と藝術は悩める人の魂を癒す音楽である。醜悪な敵との正義の戦い。思想は悲しみと苦しみから生まれる。
【レオナルドが描いて、ゴッホが描かなかったテーマ】ゴッホが描かなかったテーマは何か。レオナルド、ボッティチェリ、ラファエロ、ティツィアーノ、ジョルジョーネ、ミケランジェロ、ブロンズィーノ、巨匠はヴィーナスを描いた。ルノワールは、こればかり描いた。
【印象派画家たち、絶望的人生】印象派の画家は、ほとんどゴッホのように絶望的人生を生きた。画家として成功した富豪画家がいる。
【魂の叫び】美しい心は美しい言葉となる。心は言葉になり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は性格となり、性格は運命となる。運命に歯向かい、逆境と戦う、美麗な王妃は、残虐王に幽閉され、美を探求する王子は、残虐な王に虐待される。
【運命との戦い、美の女神】藝術家、思想家は、運命と戦う。邪知暴虐と戦い、この世の闇の彼方に美を求める。虚無の神殿にて、美の女神へ供物を捧げる。美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい夕暮れ。美しい魂に、美の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人
【テオとヨーの息子フィンセント・ウィレム】(Vincent Willem van Gogh, 1890年1月31日 - 1978年1月28日)、1966年ゴッホ財団設立、1973年ゴッホ美術館設立。1925年、母ヨーが亡くなり、フィンセントの絵、素描、手紙などを相続した。ヨーはフィンセントの絵画作品だけでなく、その手紙を世に広めることを志し、1914年にテオ宛の書簡集を発行していたが、フィンセント・ウィレムはその使命も引き継いだ。1932年、テオからゴッホに宛てた手紙をまとめた書簡集を出版。テオ宛の書簡だけでなく、エミール・ベルナール、アントン・ファン・ラッパルトなどその他の人物との手紙のやり取りもまとめた完全版書簡集の出版を計画し、ゴッホ生誕100年に合わせて、1952年から1954年までの間に、オランダで全4巻の書簡集を出版した。
――
1891年1月25日、1歳の誕生日を迎えるわずか6日前に父テオが病死。母ヨーは、幼いフィンセント・ウィレムと義兄の遺作約200点を抱えてオランダに移り、その年の春からアムステルダム近郊の村バッセムに住み始めた。1901年、ヨーが画家ヨハン・コーヘン・ホッスハルクと再婚し、一家は1903年にアムステルダムに移った。
1907年、デルフト工科大学に入学して機械工学を学び、1914年、卒業した。その後、フランス、アメリカ合衆国、日本などでエンジニアとして働いた。1920年初頭、オランダに戻り、学生時代からの友人Ernest Hijmansとともに、オランダで初めての経営コンサルタント会社を設立。名前が同じ画家ゴッホとの混同を避けるため、甥であるフィンセント・ウィレムのことを「エンジニア(技師)」と呼んで区別する。
――
■「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」展示作品の一部
「画家としての自画像」(1988〜87年)
「種まく人」(1888年)
「羊毛を刈る人」(1889年)
「アブサンが置かれたカフェテーブル」(1887年)
「夕暮れの農家」1985
――
【ゴッホ、1853-1890】最も魅力的な作品は何か。
「ジャガイモを食べる人々」「夕暮れの農家」(1885)、「種まく人」「夜のカフェテラス」「アルルの跳ね橋」「日没を背に種まく人」1888年、《糸杉のある麦畑》(1889 MET)渦巻く夜空と大きくそびえる糸杉を描いた《星月夜》(1889 MoMA)、「烏の飛ぶ麦畑」(1889)
ゴッホ家が受け継いできたファミリーコレクションに焦点を当て、ファン・ゴッホ美術館の作品を中心に、ゴッホ作品30点超とその他の巨匠たちの作品を紹介します。ヨーが生前の印象とそっくりだと語った「家宝」の自画像。
――
【宮澤賢治1896-1933】100年の物語
宮澤賢治、37歳で死す。弟、宮澤清六(1904年~2001年)97歳まで生きる。宮澤賢治の遺稿を出版。妹トシ(1898~1922年)24歳で死す。『永訣の朝』『無声慟哭』【詩集『春と修羅』1924】
【宮澤賢治1896-1933】妹トシの手紙「兄上様の天職と一家の方針とが一致する事が何よりも望まれ候」妹トシ(1898~1922年)、日本女子大卒論と将来について兄に相談。大正7年11月24日付。父政次郎との確執を妹トシは認識。
【弟、宮澤清六(1904年~2001年)】賢治の遺稿を託される。岩手県立盛岡中学校(現在の岩手県立盛岡第一高等学校)卒業、家業を手伝う。1926年、花巻で宮澤商会を開業。金物・建材・電導材・自動車部品を扱い、1942年まで営業。光原社の設立は、賢治の盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)時代の同級生が契機である。同級であった及川四郎(1886年~1974年)が、賢治の『注文の多い料理店』の原稿を読み、その出版を熱望した。「光原社」という社名自体も、宮沢賢治自身が命名した。
――

参考文献
ゴッホ・・・ハーグ派、灰色派から印象派、糸杉への道
https://bit.ly/3hySZ7S

「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」東京都美術館
http://bit.ly/2zluV3g

「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb

ルノワール『イレーヌ』・・・非情な運命が襲いかかる、波瀾に立ち向かう
https://bit.ly/2ZlgdIp

印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで・・・枯葉舞う秋の夕暮れ
https://bit.ly/2Mwg63Z

孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84

「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」国立新美術館2010
https://bit.ly/3Cf9rCk

「ゴッホ展 孤高の画家の原風景」東京国立近代美術館2005年3月23日~5月22日
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人
https://bit.ly/2W3o6RF

「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」・・・フィンセント、弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム、100年の物語

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ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢
東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)
2025年9月12日(金)~12月21日(日)
愛知県美術館 2026年1月3日(土)~3月23日(月)

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