2019年7月14日 (日)

「三国志」東京国立博物館・・・曹操、劉備、孫権。虚構の英雄たち

Sangokushi2019
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』186回
初夏の森、緑陰の道を歩いて、博物館に行く。魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権。関羽、張飛、周瑜、諸葛孔明、すべて滅び、司馬炎が建てた西晋に征服される。桃園の誓い、赤壁の戦い、名場面の真実は何か。
虚構の英雄たち、『三国志演義』と『正史三国志』。赤壁の戦いの敗因は「火攻め」ではなく「病気の蔓延」である。「疫病が流行して、官吏士卒の多数が死亡したため撤退した」陳寿『正史三国志』。
【三国時代】三国時代は、220年、曹操が没して息子の曹丕(文帝)が後漢から皇位を奪った時から、280年、司馬炎が建てた西晋王朝が呉を滅ぼし天下統一するまでである。
魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権。魏に対して、蜀と呉は、対立し互いに殲滅し合う。
263年、魏、蜀を滅ぼす。280年、晋、呉を滅ぼす。
三国志の戦乱の世に終止符を打った司馬氏一族。クーデターで曹爽の権力を剥奪し、西晋の礎を築いた司馬懿仲達。 「晋、呉を平らげ、天下太平」磚(煉瓦)西晋時代。
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『三国志演義』
【黄巾の乱】「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」。184年、太平道の教祖張角を指導者とする信者が各地で起こした反乱。【宦官派と反宦官派、清流派知識人の戦い】曹操は、清流派知識人に乱世向きの人材と注目される。「治世の能臣、乱世の姦雄」と評価される。
【桃園の誓い】桃の花が咲き乱れる庭園で、劉備、関羽、張飛の三人が義兄弟の契りを交わした。生まれた月日は違えど、死ぬ時は同年同月同日を願わん。
【赤壁の戦い】208年、2万の孫権軍は、80万の曹操軍と、赤壁において揚子江を挟んで対峙する。周瑜は火攻めを画策し、老将黄蓋とともに苦肉の計で敵を欺き、連環の計で曹操軍の船団を鎖でつなぎ合わさせる。最後に、諸葛孔明が七星壇を築いて祈祷し、冬の最中に東南の風を吹かせ、投降を装って近づいた黄蓋の一団が一斉に火を放つ。逃げ場のない曹操軍は炎に包まれ、孫権軍の大勝利である。
【天下三分の計】たまたま劉表を頼って荆州に来た劉備は、その評判を聞くと、207年(建安12)に孔明の庵を訪れ、3度目にやっと会見できた。【三顧の礼】にこたえた孔明は、劉備のために〈天下三分の計〉を説き、華北を制圧した曹操に対抗して漢室を復興するためには、江南に割拠する孫権と連合、みずから荆州と益州(四川省)を確保して独立すべきことを勧めた。劉備はこの計略を喜び、孔明を不可欠な人物としてその関係を【水魚の交わり】に喩えた。
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【三国戦史】184年、黄巾の乱。200年、官途の戦い。208年、赤壁の戦い。219年、定軍山の戦い。樊城の戦い。222年、夷陵の戦い。228年、石亭の戦い。234年、五丈原の戦い。諸葛亮、死亡。
『三国志演義』の内容は、三国時代以前から始まる。
1・黄巾の乱 2・桃園の誓い 3・董卓の専横 4・連合軍を結成
5・曹操の台頭 6・官途の戦い 7・孫策の死 8・三顧の礼
9・赤壁の戦い 10・天下三分の計 11・定軍山の戦い 12・関羽の死
13・曹操の死 14・夷陵の戦い 15・諸葛亮の「第一次北伐」 16・孫権の帝位
17・諸葛亮の死 18・蜀の滅亡 19・魏、滅亡。晋へ 魏の晋王・司馬炎(司馬昭の長子)が第5代皇帝・曹奐から帝位を簒奪し晋を建国。 20・三国統一 呉の第4代皇帝・孫皓が晋に降伏。呉、滅びる
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊があなたを救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
関羽像、明時代、15~16世紀
蝉文冠飾、西晋時代、3世紀
「晋平呉天下太平」碑、西晋時代・280年
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参考文献
井波律子『奇人と異才の中国史』岩波新書
井波律子『故事成句でたどる中国史』岩波新書
『旅する哲学者 美への旅』より
権力と戦う知識人の精神史 春秋戦国奇譚
https://bit.ly/2P3rfID
孤高の思想家と藝術家の苦悩『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84   
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第1章 曹操・劉備・孫権
魏の基盤をつくった曹操は、父祖伝来の勢力基盤を引き継ぎつつ漢王朝の中枢で実権を握り、動乱の時代に覇をとなえた。蜀の劉備は漢皇室の血統を自認し、漢王朝の復興を掲げた。呉の孫権は海洋ネットワークを駆使して勢力を伸ばす、独自の路線を歩んだ。
第2章 漢王朝の光と影
2世紀末には王朝内部の政争が表面化し、皇帝は求心力を失っていった。黄巾の乱がおこり、漢の都では董卓が横暴のかぎりを尽くすなど、社会全体が混迷を深めていった。
第3章 魏・蜀・呉―三国の鼎立
魏・蜀・呉の鼎立は、後漢時代の末期に形づくられ、境界で争いはとくに熾烈を極めた。220年、曹操が没して息子の曹丕(文帝)が後漢から皇位を奪うと、蜀の劉備と呉の孫権はこれに反発し、おのおの正統性を主張し相次いで建国を宣言した。
第4章 三国歴訪
魏は漢王朝の中心地であった黄河流域に勢力を張り、蜀は自然の恵み豊かな長江(揚子江)上流の平原をおさえ、呉は長江中・下流の平野部と沿岸域に割拠した。
第5章 悲惨な貧しい時代。
後漢時代の末期から三国時代になると、支配者たちは墓づくりに対してこれまでとは異なる路線を歩み出した。豪華さを競うのではなく、質素倹約を貴ぶようになった
エピローグ三国の終焉―天下は誰の手に
三国時代。最後に天下をおさめたのは魏でも蜀でもなければ呉でもなかった。280年、武将として力を強めていった司馬氏一族であり、司馬炎が建てた西晋王朝であった。
特別展「三国志」東京国立博物館
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1953
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「特別展「三国志」」東京国立博物館、7月9日(火)~9月16日(月・祝)

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2019年6月27日 (木)

速水御舟『炎舞』『粧蛾舞戯』『名樹散椿』、山種美術館・・・舞う生命と炎と闇

Hayami2019
Hayami1926
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』185回
初夏の夕暮れ、美術館に行く。藝術家は、苦難を超え、運命と戦い、真実在を追求する。速水御舟は、生涯、新しい絵画を探求し努力しつづけた。松本楓湖の弟子の時代、細密画の時代、琳派の時代、人物画の時代。速水御舟が追求した梯子の頂上とは何か。細密画の極致、琳派の画法か。速水御舟が追求した、真実在とは何か。
「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い」『速水御舟語録』1935。「実在するものは、美でも醜でもない。唯真実のみだ。」速水御舟『私の行く道』1932
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊があなたを救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【速水御舟40歳で死す】速水御舟は、31歳で『炎舞』(1925)、35歳で『名樹散椿』(1929)。40歳で死ぬ。妻は92歳まで生き、長女、速水弥生(大正11生まれ)は長寿である。
速水御舟(1894-1935)は、『炎舞』の炎に舞う蛾のように40年の短い生涯を終えた。短い人生のうちに、不滅の傑作、『炎舞』(1925)31歳、『粧蛾舞戯』(1926)、『翠苔緑芝』(1928)、35歳で『名樹散椿』(1929)、『京の舞妓』(1920)、『樹木』(1925)を残した。
大正8年25歳の時、浅草駒形で市電に足を轢かれ左足切断する。不運にめげず画業に精進する。不朽の傑作『炎舞』を残し、40歳で死す。死因は腸チフス。
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松本楓湖、今村紫紅と出会う
速水御舟は、松本楓湖の画塾、安雅堂に、14歳の時、入塾する。17歳で『瘤取之巻』を描く。画塾の先輩、今村紫紅と出会う。23歳で日本美術院同人に推挙される。
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速水御舟の頂点1920-1929
細密画1920-1923 26歳から29歳
『京の舞妓』(1920)『菊花図』(四曲二双屏風1921)は、緻密な細密画の極致である。岸田劉生の影響を受けて、リアリズムの絵画を描き始めた。細密画の系列には『輪島の皿に柘榴』、『寒鳩寒雀』があり、異様に緻密な世界に圧倒される。リアリズムの極致である。『京の舞妓』(1920)の醜悪をも描く、写実の背後に細密画の世界がある。『桃花』(1923)には、宋代、院体花鳥画の影響がある。
琳派の画法1925-1929 31歳から35歳
俵屋宗達の画法を研究して、琳派の画面構成を意識し、装飾的、構成的様式を打ち立てる。
不滅の傑作、『炎舞』(1925)、『粧蛾舞戯』(1926)、『葉蔭魔手』(1926)『翠苔緑芝』(1928)、『名樹散椿』(1929)を制作する。
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渡欧、1930年、36歳
御舟は、1930年、ローマ「日本美術展覧会」に美術使節として、横山大観とともに渡欧した。客船で洋行し、大観と同じ食卓を囲んだ時のメニューに御舟が書いた手紙が残っている。10か月間、イタリア、ギリシア、フランス、スペイン、イギリス、ドイツ、エジプト、各地を旅した。
渡欧の目的の一つは、エル・グレコを見るためで、トレドに行った。「
『アクロポリスのコレー』(1930)『アルノ河畔の月夜』(1931)に旅の思い出が留められている。この時、ジョット、エル・グレコに感動し、人物画の造形に影響を受けたといわれる。
素描、『女二題』の女性をえがく線に表れている。
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晩年、無色透明、40歳
晩年の作品は、花の絵が多い。死の匂いが漂う。『春の宵』『桔梗』『牡丹花』1934
「技法の究極は無色透明だと思う。画道の学徒は種々の技法を習得し、而して次第に脱落させ――無色透明にかえったとき、技法の真諦に逢着する」『塔影』9巻8号、1933
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美しい線
今日、美しい線、緻密なデッサンを描ける画家は少ないといわれるが、御舟の「牡丹写生図巻」「昆虫写生図巻」(1925)には、まれにみる美しい線、細密画のデッサンの存在を見ることができる。美しい花の花弁、妖しい蛾の美しさが、一すじの線によって描かれている。
絶筆『円かなる月』には、死の匂いが漂っている。
1910年(明治43年)作「小春」から、1935年(昭和10年)最後の作品となった「盆梅図(未完)」、平塚市美術館にて約120点、展示された。
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主な展示作品
《瘤取之巻》、 《錦木》、 《山科秋》、 《桃花》、 《柿》、 《春昼》、 《百舌巣》、 《炎舞》【重要文化財】、 《昆虫二題》、 《供身像》、 《翠苔緑芝》、 《名樹散椿》【重要文化財】(6/8-7/7展示)、 《紅梅・白梅》、 《オリンピアス神殿遺址》、 《埃及(エジプト)土人ノ灌漑》、 《青丘婦女抄 蝎蜅(カルボ)》、 《豆花》、 《写生帖》、 《春池温》、 《椿ノ花》、 《あけぼの・春の宵》、 《桔梗》、 《牡丹花(墨牡丹)》、 《秋茄子》 
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参考文献
『速水御舟 作品集』2019
【開館50周年記念特別展】『速水御舟の全貌―日本画の破壊と創造』2016
速水御舟 ―日本美術院の精鋭たち・・・燃え上がる生命の炎舞
https://bit.ly/2yEOkKf
速水御舟展、平塚市美術館・・・細密画の極致、炎に舞う儚い生命のように
https://bit.ly/2IbuZVt
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生誕125年記念、速水御舟、山種美術館、6月 8日(土) ~ 8月 4日(日

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2019年6月 9日 (日)

「密教彫刻の世界」東京国立博物館・・・愛染明王、金剛薩埵の化身

Esoteric-buddism-2019 
Dainichi-koutokuji
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』184回
風薫る五月、花の匂い漂う森を歩いて、博物館に行く。伝真言院「両界曼荼羅」は、朱色と緑色の彩色が美しいと変化仏の神殿である。東寺の金剛薩埵は繊細な美しい手をしている。金剛波羅密、金剛宝、金剛法、金剛業、五菩薩の手は繊細で優美である。
狩野之信「花鳥図屏風」の前を通って、密教彫刻室に行く。愛染明王(rāgarāja. mahārāga)、大日如来(光徳寺)、西蔵のYab-yum像を見る。大日如来(光徳寺)には、成身会37尊が描かれている。
愛染明王(rāgarāja)は、三目六臂、憤怒相、智慧の弓と方便の矢を以って、衆生に愛と尊敬を与え、幸運を授ける。霊験は、無病息災、敬愛、怨敵降伏、鈎招、延命。
愛染明王は、両界曼荼羅に描かれていない。だが、金剛薩埵(vajrasattva)の化身である。
人間の生は、真の愛を探求する旅である。象徴派の藝術家は、人生をかけて愛する人を探している。愛と美の探求の果てに、見いだす真の愛とは何か。
「金剛界曼荼羅」「理趣会」は、金剛薩埵(vajrasattva)を中心とする集会、甘美で妖艶なエロスと智慧の香りである。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊があなたを救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1、愛染明王
【愛染明王】『金剛峯楼閣一切瑜珈瑜祇経』が説く、獅子冠をかぶり3つの目と6本の腕をもつ愛染明王。真赤な身色も、経典に日が輝く如しと説くことを典拠とする。めらめらと燃えるように逆立つ焔髪、眉を吊り上げ睨みつける目、牙を出して開く口に憤怒相。金剛薩埵菩薩の化身。
【愛染明王】『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』「愛染王品第五」。愛染明王の修法は、息災・増益・敬愛・降伏の『四種法』の利益、その功徳は「能滅無量罪 能生無量福」「三世三界中 一切無能越 此名金剛王 頂中最勝名 金剛薩埵定 一切諸佛母」教主である金剛薩埵がこの尊を定めて、一切の諸仏の母とした)とも讃えられていて、これに基づいて金剛界で最高の明王と解釈される。
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2、愛染明王真言
【愛染明王真言】「オーム、偉大なる愛染明王よ。金剛仏頂尊よ。決して破壊されない最高の仏智を備えた金剛薩埵よ。金剛薩埵と同一の、金剛鉤菩薩、金剛索菩薩、金剛鎖菩薩、金剛鈴菩薩よ。我々を仏智に導いてください。」oM ma hA raga vajro SHI Sa va jra satva jaH+jaH hUM vaM hoH
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3、成身会、理趣会
【「金剛界曼荼羅」成身会】37尊。金剛界五仏、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、内外の四供養菩薩、四摂(ししょう)菩薩の以上37尊より構成され、これを四大神と賢劫千仏と二十天が囲む。金剛界五仏とは中央の大日如来、東方の阿閦如来、南方の宝生如来、西方の阿弥陀如来、北方の不空成就如来の五仏。四摂菩薩は、金剛鉤菩薩(Vajrankusa)、金剛索菩薩(Vajrapasa)、金剛鎖菩薩(Vajraśṛṅkhalā)、金剛鈴菩薩(Vajravesa)。
【八供養菩薩】金剛界曼荼羅の中央部の成身会で、大日如来が四仏に供養するため現出した嬉・鬘・歌・舞の四菩薩(内の四供)と、その外側に配されて四仏が大日如来を供養する香・華・灯・塗の四菩薩(外の四供)。
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【「金剛界曼荼羅」⑦「理趣会」】全部で17人の菩薩。中央が、金剛薩埵。周りに、慾金剛菩薩、触金剛菩薩、慢金剛菩薩、愛金剛菩薩。その周りに、金剛香菩薩、金剛華菩薩、金剛燈菩薩、金剛塗菩薩。さらにその周りに、金剛嬉菩薩、金剛鬘菩薩、金剛歌菩薩、金剛舞菩薩。さらにさらにその周りに、金剛鉤菩薩、金剛索菩薩、金剛鎖菩薩、金剛鈴菩薩。 全部で17尊。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
重文  愛染明王坐像  1躯  鎌倉時代・13世紀
重文 大日如来坐像  1躯  鎌倉時代・12~13世紀 栃木・光得寺蔵
重文 大日如来坐像  1躯  平安時代・11~12世紀
チャクラサンヴァラ父母仏立像  1躯 中国・チベットまたはネパール 15~16世紀
重文  十一面観音菩薩立像  1躯 中国 奈良・多武峯伝来 唐時代・7世紀
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4、無上瑜伽タントラ 慈悲と般若
Yab-yumは、男性尊格が蓮華座にて座し、伴侶がその腿に腰かける座位の構図。この交合の表現によって空性の智慧(女性原理、自利)と慈悲の方便(男性原理、利他)との一致を体現した仏陀の境地=大楽を表現。ヤブユムは無上瑜伽タントラと象徴主義が結びつき、男性像は「慈悲」(karuṇā) を与える男性原理である「方便」(upāya) 、その伴侶は女性原理である「般若」(prajñā) を象徴する。
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参考文献
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」東京国立博物館・・・空海、理念と象徴
https://bit.ly/2Ov53Hz
金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、転識得智、仏陀への旅
https://t.co/MIXigqe3xH
東寺『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』西院本・・・知恵と戦いの叙事詩、生命の根源
https://bit.ly/315UPn8
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
田中公明『曼荼羅イコノロジー』1987
石田尚豊『曼荼羅の研究』全2巻、東京美術、1975年
関根俊一『仏尊の事典、壮大なる仏教宇宙の仏たち』1997
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愛染明王真言「オン・マカラギャ・バゾロシュニシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク」
https://omajinai-navi.jp/aizen-myouou-mantra/ 
【不動明王、真言】【除霊や商売繁盛に効果抜群】「ノウマク サンマンダ バサラダン センダン マカロシャダ. ヤソハタヤ ウンタラタ カンマン」不動明王の真言は現世でご利益をもたらしてくれる。真言の意味は「憤怒の形相で強い力を持つ不動明王よ、私の迷いや厄を取り払い、願いを叶えてください」.。
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■密教彫刻の世界 、東京国立博物館
本館 14室 2019年3月19日(火) ~ 2019年6月23日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=5751
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1957
愛染明王、東京国立博物館
https://albireo190.blog.so-net.ne.jp/2013-09-03

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2019年6月 3日 (月)

『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』西院本・・・知恵と戦いの叙事詩、生命の根源

Taizokai-toji-2019
Kongokai2019
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』183回
風薫る五月、花の匂いただよう森、紫の躑躅咲き乱れる道を歩いて博物館に行く。1200年前からこの世に伝わる、両界曼荼羅の前に立つと、朱色と緑色の彩の美しい絨毯のようである。1909体の仏尊が眩く輝く宇宙。理念を探求するものと現世との戦いが秘められている。
密教の香りが立ち昇る。胎蔵界灌頂、金剛界灌頂、伝法阿闍梨位灌頂、秘密の儀式の意味は何か。金剛界曼荼羅の意味は何か。美術史家は沈黙する。
両界曼荼羅は、愛と戦いの叙事詩、知恵の樹を昇る、知恵の探求、知恵からの下降、金剛界から現世との戦い。胎蔵界は、生命の根源から花開く愛。図像に秘められた金剛界の戦い、知の階梯。向上門は、知恵への道、向下門は、真理からの降臨である、理念を探求する智者と現実との戦い。天人、人界、修羅と、畜生、餓鬼、地獄との戦い。
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』 
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【空海の密教】即身成仏。理念を現実に実現する世界観。法身=大日如来、報身=阿弥陀仏、応化身=釈迦牟尼仏。5世紀までにはその本質永遠性と現実即応の関連づけ、すなわち統一が問題となり、それが仏身論に及び、法身と色身(応身)を合せた報身が立てられ、三身説(法身、応身、報身)が成立した。
1、両界曼荼羅
【両界曼荼羅、「金剛界曼荼羅」】、成身会を中心に、三昧耶会、微細会、供養会、四印会、 一印会、理趣会、降三世会、降三世三昧耶会の九会からなる。知恵を表現する。
【両界曼荼羅、「胎蔵曼荼羅」】、中台八葉院を中心に、周囲に、遍知院、持明院、釈迦院、 虚空蔵院、文殊院、蘇悉地院、蓮華部院、地蔵院、金剛手院、除蓋障院が、同心円状にめぐり、すべてを囲む外周に外金剛部院(最外院)からなる。愛を表現する。
「真言秘蔵は経疏に隠密にして、図画を仮らざれば相伝すること能わず」(空海『請来目録』)
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【金剛界曼荼羅の基本となる成身会】は、金剛界五仏、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、内外の四供養菩薩、四摂菩薩の以上37尊より構成され、これを四大神と賢劫千仏と二十天が囲む。(智拳印)一仏のみで表す他は、中心となる成身会、羯磨会の1061尊を含め合計約1500尊を配する。
【金剛界曼荼羅】智拳印の大日如来を中心に、阿閃、宝生、阿弥陀、不空成就の五智如来をはじめとする金剛界三十七尊を含む1500体。
【胎蔵界曼荼羅】法海定印の胎蔵界の大日如来、宝幢如来、開敷華王(かいふけおう)如来、無量寿如来、天鼓雷音、胎蔵界五仏を中心に409体が描かれる。
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2、理趣会
【五秘密】五秘密は真言宗に於ける金剛界所立の秘法にして、金剛薩埵(中)、慾金剛(東)、触金剛(南)、愛金剛(西)、慢金剛(北)の五金剛菩薩の称なり。此慾触愛慢の四字は煩悩の名なれども仏徳を表わすが故に悉く秘密の名字を付するよりこの五尊を以て五秘密とは名づくなり。
【『金剛界曼荼羅』理趣会、金剛薩埵】金剛薩埵は、若くて美しい女。欲・触・愛・ 槾 、美しい菩薩によって囲まれている。欲金剛女菩薩、触金剛女菩薩、愛金剛女菩薩、槾金剛女菩薩。
【理趣会、四金剛女菩薩】『理趣経』に基づき煩悩即菩提を実現する金剛薩埵を主尊とし、初段「十七清浄句」を代表する欲金剛、触金剛、愛金剛、慢金剛の四金剛菩薩を東南西北に配し、欲金剛女、触金剛女、愛金剛女、慢金剛女の四金剛女菩薩を東南・西南・西北・東北に配する集会。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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3、空海と嵯峨天皇、空海と最澄、嵯峨天皇と平城上皇
【空海と最澄、第16次遣唐使】延暦23(804)年、第1船、遣唐大使・藤原葛野麿。空海は第1船に乗船。第2船、副使・石川道益(入唐後に没)乗船。最澄は第2船。最澄は、桓武天皇の勅命により遣唐僧、空海は私度僧。他の2船は遭難、沈没。
【乙訓寺、空海】弘仁2年(811)、嵯峨天皇により空海(弘法大師)が乙訓寺の別当に任ぜられた。翌年弘仁3年10月に最澄が立ち寄り、二人が初めて出会う。最澄46歳、空海36歳。
【空海、『理趣釈経』借覧拒否】最澄は、弘仁4年(813年)11月23日、『理趣経』の注釈書である不空の『理趣釈経』を借覧しようとしたが、空海は断る。空海『答叡山澄法師求理趣釈経書』(『遍照発揮性霊集』)
【空海、最澄と決裂】弘仁4(813)年、『理趣釈経』借覧拒否。最澄に答えた書簡。「古の人は道の為に道を求め、今の人は名利の為に求む。名の為に求むるは、道を求むる志にあらず。」「夫れ秘蔵の興廃は唯汝と我なり」空海『答叡山澄法師求理趣釈経書』
【嵯峨天皇、高野山勅許】弘仁7(816)年、七月八日 高野山開創の勅許を賜る。この年、『弁顕密二教論』(816)。弘仁14年(823)に嵯峨天皇より東寺を賜る。真言密教、真言陀羅尼宗の根本道場、教王護国寺とした。
【嵯峨天皇と平城上皇の戦い】810年(弘仁1)年9月10日に天皇は仲成を逮捕、佐渡権守に貶降、薬子を追放に処す。対して上皇は薬子とともに平城京から東国に向かい対抗、坂上田村麻呂らが迎撃態勢。平城京に戻り剃髪し、薬子は自殺。乱は3日間で終息。
――
4、空海『秘密曼荼羅十住心論』
空海『秘密曼荼羅十住心論』(830)は、蛭牙公子の水準を第1住心、亀毛先生(儒)の水準を第2住心、虚亡隠士(道)の水準を第3住心とし、仮名乞児(仏)の水準を第4住心から第10住心までの7つに細分化している。7つのうち、第4(声聞)と第5(縁覚)は小乗仏教、第6から第10まで(法相・三論・天台・華厳・真言)は大乗仏教、第10の真言だけが密教で、他の6つは顕教とされている。『三教指帰』(797)と『十住心論』(830)はつながっている。(上山春平)
空海『秘蔵宝鑰』目次
第一、異生羝羊心
   凡夫狂酔して 吾が非を悟らず。但し婬食(いんじき)を念ずること 彼の羝羊の如し。
 第二、愚童持斎心
   外の因縁に由って 忽ちに節食(せつじき)を思う。施心萌動(ほうどう)して 穀の縁に遇うが如し。
 第三、嬰童無畏心
   外道天に生じて 暫く蘇息を得。彼の嬰児と 犢子との母に随うが如し。
 第四、唯蘊無我心
   ただ法有を解(げ)して我人皆遮す。羊車の三蔵 ことごとくこの句に摂す。
 第五、抜業因種心
   身を十二に修して 無明、種を抜く。業生、已に除いて 無言に果を得。
 第六、他縁大乗心
   無縁に悲を起して 大悲初めて発る。幻影に心を観じて 唯識、境を遮す。
 第七、覚心不生心
   八不に戯(け)を絶ち 一念に空を観れば、心原空寂にして 無相安楽なり。
 第八、一道無為心
   一如本浄にして境智倶(とも)に融す。この心性を知るを号して遮那という。
 第九、極無自性心
   水は自性なし 風に遇うてすなわち波たつ。法界は極にあらず。警を蒙って忽ちに進む。
 第十、秘密荘厳心
   顕薬塵を払い、真言、庫を開く。秘宝忽ちに陳じて 万徳すなわち証す。
――
【空海】「現実に現身のままで大日如来になる。」(『即身成仏義』)空海は「法身仏、普遍的な存在が説法をする」と説く。釈迦牟尼の教えを超え、釈迦牟尼の悟りを成り立たせる真理そのものを仏(法身)として、教えの主体にした。『空海・生涯と思想』
――
5、胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅の原典
【『大日経』】『大毘盧遮那成仏神変加持経』は、善無畏(Śubhakarasiṃha、637-735)と唐の学僧たちによって724年に漢訳された。しかし、サンスクリット原本はまだ発見されていない。【『金剛頂経』】不空三蔵(705-774)がサンスクリット原本から訳した『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経(大教王経)』がある。
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参考文献
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、転識得智
https://t.co/MIXigqe3xH
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
空海『即身成仏義』、大日如来の知恵 五智如来の知恵
https://bit.ly/2O8YtbU
関根俊一『仏尊の事典、壮大なる仏教宇宙の仏たち』1997
石田尚豊『曼荼羅の研究』全2巻、東京美術、1975年
東寺伝の曼荼羅図No273
https://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/e5881de0e90574b03369fd8125da0d7c
一印会 毘盧遮那如来
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展示作品の一部
国宝 両界曼荼羅図、金剛界、胎蔵界、(西院曼荼羅[伝真言院曼荼羅]) 平安時代・9世紀 京都・東寺蔵
展示期間:4月23日(火)~5月6日(月・休)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1938
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★「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」、東京国立博物館、
2019年3月26日(火)~6月2日(日)

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2019年5月18日 (土)

ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派

Wien2019
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第182回
装飾に覆われた魔性の女、叶わぬ恋に懊悩する藝術家、無垢の少女の美。クリムトは、ヌード、妊娠、官能的なテーマを黄金様式で作品化、甘美で妖艶なエロスと死の香りは象徴派へと展開する。クリムト最期の言葉は「エミーリエを呼んでくれ」。世紀末の藝術家は、何を追求したのか。19世紀の階級社会と産業資本主義の抑圧が重くのしかかる世界。世紀末の藝術家はエロスとファッション、装飾と神秘に耽溺する。ラファエル前派は、ロイヤル・アカデミーに反旗を翻し、分離派のクリムトはウィーン大学天井画事件で体制に反旗を翻した。1860年代から始まる印象派に背を向け、象徴派の藝術家たちは、運命の女を追求した。世紀末の藝術家の生きる根拠は何か。藝術家たちは、19世紀の女性のファッションに革命をもたらした。
【クリムトとエミーリエ・フレーゲ】クリムトは1891年、生涯の恋人、エミーリエ・フレーゲと出会い、フレーゲ三姉妹を通じて、ウィーン貴族と上流階級との交流が始まる。クリムトは生涯結婚せず。彼女は、クリムト(Gustav Klimt 1862-1918)の死後、78歳まで、34年生きる。
クリムトは、エミーリエ・フレーゲの肖像画を2枚描いている。「17歳のエミーリエ・フレーゲ」と「27歳のエミーリエ・フレーゲ」である。
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【エミーリエ・フレーゲ】自分の意志で行動する聡明な女性。エミーリエ・フレーゲ(Emilie Louise Flöge 1874-1952)は、服飾デザイナーで、1904年、30歳の時にファッション・サロン「フレーゲ姉妹」を三姉妹で共同経営した。ウィーンのファッション界をリードした。1938年、閉店。
【ラファエル前派とアーティスティック・ドレス】1865年、モリスは、妻ジェーンのためにドレスをデザインしている。モリス、ミレイ、ロセッティ、ラファエル前派の画家たちは、モデルたちの装いがタイムレスで、後世に残る不朽の名作となるため、初期ルネサンス風のドレスを制作し、モデルたちに着せた。
【ジョルジュ・スーラ『ポーズする女たち』1888】『グランドジャッド島の日曜日の午後』の前で【コルセットを脱ぐ女たち】が描かれている。スーラは、19世紀の女性の人工的モードを批判している。(Georges Seurat Les poseuses1886-1888)
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【世紀末の藝術家、美女を求めて】
ロセッティ、ギュスターヴ・モロー、象徴派の美女の探求は、ベルギー象徴派へと展開する。【ベルギー象徴派】フェルナン・クノップフ(Fernand Khnopff) (1858-1921)『スフィンクスの愛撫』両性具有的な人物とスフィンクスの両方のモデルが画家の最愛の妹マルグリット。(1898年に開催された第1回ウィーン分離派展出品作)。彼のモデルとなっているのは殆ど6つ下の妹マルグリット・クノップフ。ジャン・デルヴィル(Jean Delville) (1867-1953)『オルフェウスの死』(1898)『レテ河の水を飲むダンテ』(1919)。デルヴィルは、70歳までブリュッセル美術アカデミーの教授をする。
【アール・ヌーボー、ミュシャの運命の女】
アール・ヌーボーの画家、アルフォンス・ミュシャ、素描《少女と鳩》1899年。早世した初恋のひと、ユリエ・フィアロヴァー(ユリンカ)の面影を描きつづけた。ミュシャ(1860-1939)、『舞踏 連作、四藝術』1898年。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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グスタフ・クリムト《エミーリエ・フレーゲの肖像》1902年 油彩/カンヴァス 178 x 80 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum
グスタフ・クリムト《パラス・アテナ》1898年 油彩/カンヴァス 75 x 75 cm ウィーン・ミュージアム蔵
グスタフ・クリムト《愛》(「アレゴリー:新連作」のための原画 No.46)1895年 油彩/カンヴァス 62.5 x 46.5cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum /
エゴン・シーレ《自画像》1911年 油彩/板 27.5 x 34 cm ウィーン・ミュージアム蔵 
エゴン・シーレ《ひまわり》1909-10年 油彩/カンヴァス 149.5 x 30 cm ウィーン・ミュージアム蔵
マルティン・ファン・メイテンス《幼いヨーゼフ2世を伴ったマリア・テレジア》
1744年 油彩/カンヴァス 216.2 x 162.5 cm ウィーン・ミュージアム蔵
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★参考文献
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」東京都美術館・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想
https://bit.ly/2ZM5pyR
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
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本橋弥生「エミーリエのドレスとクリムトのスモックはファッションだったのか」
福元崇志「表現することの逆説」『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』図録
「フェルナン・クノップフ☆謎多き巨匠」パリ市立プティ・ パレ美術館(Petit Palais)2019
https://madamefigaro.jp/paris/blog/keico/post-990.html
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ベルギー象徴派
フェルナン・クノップス、ジャン・デルヴィル
『ベルギー、奇想の系譜』・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
https://bit.ly/2u6J1nr
ベルギー幻想美術館 クノップフからデルヴォー、マグリットまで・・・金木犀の香る夜
https://bit.ly/2MvYgQd
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19世紀末から20世紀初頭にかけて、ウィーンでは、絵画や建築、工芸、デザイン、ファッションなど、それぞれの領域を超えて、新しい芸術を求める動きが盛んになり、ウィーン独自の装飾的で煌きらびやかな文化が開花しました。今日では「世紀末芸術」と呼ばれるこの時代に、画家グスタフ・クリムト(1862-1918)やエゴン・シーレ(1890-1918)、建築家オットー・ヴァーグナー(1841-1918)、ヨーゼフ・ホフマン(1876-1958)、アドルフ・ロース(1870-1933)など各界を代表する芸術家たちが登場し、ウィーンの文化は黄金期を迎えます。それは美術の分野のみならず、音楽や精神医学など多岐にわたるものでした。本展は、ウィーンの世紀末文化を「近代化モダニズムへの過程」という視点から紐解く新しい試みの展覧会です。18世紀の女帝マリア・テレジアの時代の啓蒙思想がビーダーマイアー時代に発展し、ウィーンのモダニズム文化の萌芽となって19世紀末の豪華絢爛な芸術運動へとつながっていった軌跡をたどる本展は、ウィーンの豊穣な文化を知る展覧会の決定版と言えます。
http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/wienmodern2019/
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日本・オーストリア外交樹立150周年記念
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
国立新美術館2019年4月24日(水)~8月5日(月)
国立国際美術館2019年8月27日(火)~12月8日(日)

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2019年5月 6日 (月)

クリムト『ベートーベン・フリーズ』・・・理念を目ざす藝術家の戦い。黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第181回
春爛漫、花の匂い漂う森を歩いて、美術館に行く。紫の躑躅と牡丹と八重桜の咲き匂う森から、秘書は駆け寄ってきた。秘書と八重櫻、園里黄桜が咲く道を歩いて行く。
灼熱のウィーンの夏の日の思い出が蘇る。ベルヴェデーレ宮殿の庭を歩いていくと、ハーピストが向こうから歩いてきた。ハプスブルク帝国、東欧の世界遺産の美をめぐる旅。あの夏、ベルヴェデーレ宮殿でクリムト『接吻』(1907-8)をみた。稲光の光る嵐の夜のドナウ川クルーズ、チェスキー・クルムロフ城を思い出す。
【理念を目ざす藝術家の戦い】クリムト『ベートーヴェン・フリーズ』は、黄金の甲冑で武装した騎士が、敵対する力と戦い、竪琴をもつ詩の女神に出会い、純粋な幸福と愛に辿りつく旅路。楽園の天使の合唱、シラーの詩「麗しき神々の火花よ」「この接吻を世界に」。*
夕暮れに、竪琴をもつ美の女神、美の楽園の天使が、美しい魂に舞い降りる。
【グスタフ・クリムト「接吻」ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館】恋人たち二人の足下の花園は断崖、かろうじて女性の両足が支える。男はグスタフ、女はエミーリエ。1891年、生涯の恋人、エミーリエ・フレーゲ(Emilie Louise Flöge 1874-1952)と出会い、フレーゲ三姉妹を通じて、ウィーン貴族と上流階級との交流が始まる。クリムトは生涯結婚せず。彼女は、クリムト(Gustav Klimt 1862-1918)の死後、34年生きる。
【理念を目ざす思想家の戦い】詩の霊感、藝術の魔力は、至高体験(Peak Experience)へと人を導く。天人には天人の喜びがあり、天から舞い降りた天の童子は、この世で修羅の道を歩み、この世の果てに美をめざす。理念を目ざす思想家は、密教真言の呪力で敵と戦い、怨敵調伏する。至高の美を探求する哲学者の旅。
【美女を探求する藝術家】ロセッティ『プロセルピナ』『祝福されし乙女』、ギュスターヴ・モロー『出現』『サロメ』『一角獣』、カラバッジョ『ホロフェルネスの首を斬るユディト』、レオナルド『レダ』。ロセッティの運命の女、ジェーン・バーデン。ギュスターヴ・モローの見つめ合う男女『オルフェウスの首を抱くトラキアの娘』『オイディプスとスフィンクス』『ヨハネとサロメ』。グスタフ・クリムト『接吻』の二人は何を意味するのか。断崖で口づけする二人。
クリムトは、エロスと装飾絵画の藝術家である。象徴的な絵画を200点、描いた。新しい運動の理念を象徴する絵画、「パラス・アテナ」「ヌーダ・ヴェリタス」。女性の神秘を追求した絵画、「ユディトⅠ」「サロメ」「ダナエ」。理念を目ざす藝術家の戦い、『ベートーヴェン・フリーズ』1902、「人生は戦いなり(黄金の騎士)」、「接吻」。生殖から死までの生命の円環、「女の三世代」。愛と性欲の神秘、対立と争い、老いと死を迎える人間の衰退、これらを絵画の中で象徴的に描いた。(Cf.マークス・フェリンガー)
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い』
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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クリムト『ベートーヴェン・フリーズ』Gustav Klimt The Beethoven Frieze 1902
1:幸福への憧れ 上空に精霊たちが連なって浮遊する。これを辿ると「幸福への憧れ」。人生の苦悩を象徴する裸の男女は、「完全武装の勇者」(黄金の鎧の騎士)に助けを請い、騎士は人類を代表して、幸福を探求する。勇者を包み込むように寄り添う二人の女「同情」と「功名心」。
2:敵対する力 人類に敵対する力、危険や誘惑、世の中に潜在する敵に立ち向かう。ゴリラのような獣は、怪物テュフォン。獣が大きく広げた羽の中に蹲る痩身の女「心を蝕む悲しみ」。テュフォンの左側に立つテュフォンの娘、ゴルゴン三姉妹。「病気・狂気・死」。テュフォンの右側に佇む三人の女「肉欲・淫蕩・不節制」。
3:詩 浮遊する精霊たちに導かれる。竪琴を手にした女、詩の女神。人類の幸福への憧れが詩に癒される。
4:この接吻を全世界に、純粋な喜び、純粋な幸福、純粋な愛 藝術の女たちの祝福を受け、楽園の天使たちが合唱する。抱擁し接吻する男女。「この接吻を全世界に」。Diesen Kuss der ganzen Welt
――
参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」東京都美術館・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想
https://bit.ly/2ZM5pyR
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」・・・藝術家と運命との戦い、ロセッティ最後の絵画
https://bit.ly/2UoqUWz
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マークス・フェリンガー「生命の円環― クリムト自身を映す象徴主義」『クリムト展 ウィーンと日本1900』図録
マークス・フェリンガー「クリムトにとって絵画は、肖像画も風景画も装飾品。」
福元崇志「表現することの逆説」『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』図録
【グスタフ・クリムト《接吻》(ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵)】1890、生涯の恋人となるエミーリエ・フレーゲ(1874-1952)と出会い、ウィーンの貴族や上流階級との交流が始まった。二人の足下にある花園は断崖で、かろうじてかかった女性の両足が、転落の予感と背中合わせという二人の瀬戸際の運命的な愛を暗示。1907年《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》や《接吻》(1907-8)を制作、クリムトの黄金様式が頂点を迎えた。
千足伸行「グスタフ・クリムト《接吻》 溶け落ちる永遠」.
https://artscape.jp/study/art-achive/10152843_1982.html
革新とエロス、多彩な油彩画 「クリムト展 ウィーンと日本1900」
https://www.asahi.com/event/DA3S13984987.html
ライジンガー真樹 クリムトが捧げるベートーベンへのオマージュ 1
https://tokuhain.arukikata.co.jp/vienna/2010/11/post_238.html
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Gustav Klimt The Beethoven Frieze 1902
Gustav Klimt The Kiss 1907-08
Gustav Klimt Emilie Flöge (aged 17)1891
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19世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムト(1862-1918)。華やかな装飾性と世紀末的な官能性をあわせもつその作品は、いまなお圧倒的な人気を誇ります。没後100年を記念する本展覧会では、初期の自然主義的な作品から、分離派結成後の黄金様式の時代の代表作、甘美な女性像や数多く手掛けた風景画まで、日本では過去最多となる25点以上の油彩画を紹介します。ウィーンの分離派会館を飾る壁画の精巧な複製による再現展示のほか、同時代のウィーンで活動した画家たちの作品や、クリムトが影響を受けた日本の美術品などもあわせ、ウィーン世紀末美術の精華をご覧ください。東京都美術館
https://www.tobikan.jp/exhibition/index.html
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★クリムト展 ウィーンと日本 1900、東京都美術館、4月23日(火)~7月10日(水)
豊田市美術館、7月23日(火)~10月14日(月・祝)

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2019年5月 1日 (水)

「クリムト展 ウィーンと日本 1900」・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第180回
ベルヴェデーレ宮殿の庭を歩いていくと、ハーピストが向こうから歩いてきた。灼熱のウィーンの夏の日の思い出。ハプスブルク帝国、東欧の世界遺産をめぐる旅。あの夏、ベルヴェデーレ宮殿でクリムト『接吻』(1907-8)をみた。ベルヴェデーレの裏庭のスフィンクスからシュテファン寺院と市街を眺める。ベルリン博物館島、マイセン、ドレスデン、ウィーン、ザルツカンマーグート、ヴォルフガング湖、白馬亭、ザルツブルク、プラハ、カレル橋、チェスキークルムロフ城、ドナウの薔薇ブダペスト。稲光が光り雷鳴が鳴る、嵐の夜のドナウ川クルーズ、ブダペストからチューリッヒへ飛行、蘇る青春の日の旅。
春爛漫、花の匂い漂う森を歩いて、美術館に行く。紫の躑躅と牡丹と八重桜の咲き匂う森から、秘書は駆け寄ってきた。彼女と八重櫻、園里黄桜が咲く道を歩いて行く。
クリムト『ベートーヴェン・フリーズ』は、黄金の甲冑で武装した騎士が、敵対する力と戦い、竪琴をもつ詩の女神に出会い、純粋な幸福と愛に辿りつく旅路。楽園の天使の合唱、シラーの詩「麗しき神々の火花よ」「この接吻を世界に」。夕暮れに、竪琴をもつ美の女神、美の楽園の天使が、美しい魂に舞い降りる。
【グスタフ・クリムト「接吻」ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館】二人の足下の花が咲き乱れる花園は断崖で、かろうじて支える女性の両足。1891年、生涯の恋人となるエミーリエ・フレーゲ(1874-1952)と出会い、ウィーン貴族と上流階級との交流が始まる。彼女は、クリムト(1862-1918)の死後、34年生きる。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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クリムト、人生と藝術・・・華やかな装飾絵画と女たち
大久保正雄『藝術家と運命との戦い』より
1、【新古典主義様式】クリムトは1883年、弟エルンストと画家仲間のフランツ・マッチュと、室内装飾を手がけるアトリエ「芸術家カンパニー」を共同経営。ウィーンの市街地が再開発された時代。今も残る、美術史美術館やブルク劇場の壁画。
黄金様式の作風は、この時代には生まれなかった。1888年ブルク劇場オープと同時に完成した天井画「タオルミーナの劇場」。
【クリムト、エミリエ・フレーゲとの出会い】
1891年、クリムトはエミリエ・フレーゲと出会い、彼女と生涯行動をともにする。クリムトの代表作『接吻』(1908)のモデルはエミリエ。フレーゲ3姉妹との出会いによって、オーストリア貴族と富裕層とのつきあいが始まる。エミリエとの出会いが、分離派、黄金様式、装飾藝術を生みだす。
【クリムト30歳、父と弟の死】
1892年、父が脳卒中で死す。弟エルンスト・クリムト、心膜炎で急死。生と死のテーマが胚胎する。
――
2、【世紀末のクリムト1898】
19世紀末のクリムトの様式の特徴は、『ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)』でみられる象徴主義的な人物造形。『古代ギリシャとエジプト』『アテナ』1898。『ヌーダ・ヴェリタス』でクリムトは、ハプスブルグ家の政治と社会の両方を批判。苦しみを忘れるように女性の裸体を描く。
【ウィーン大学大講堂天井画事件1900】1894年クリムトはウィーン大学の大講堂の壁画の天井装飾画の3作品の依頼を受ける。19世紀内の完成は間に合わず《医学》《哲学》《法学》の3作品。理性を権威とする大学の意向と反対のポルノグラフィ。論争となる。クリムトの表現は性的で、当局と大衆の反撥を受ける。
3、【クリムト、1897年、ウィーン分離派、黄金様式】
【クリムト、1897年、ウィーン分離派創設、初代会長】クリムト『ヌーダ・ヴェリタス』(1899)は「確立された価値観を覆す」ことを宣言した。クリムトは第14回ウィーン分離派展示会『ベートーベン・フリーズ』(1902年)を発表。
4、【クリムト「黄金様式」】1901年から始まる。『ユディト』1901、『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』1907年『接吻』1908、黄金時代に制作した金箔絵画。
【グスタフ・クリムト『ユディト』1901】敵の将軍、ホロフェルネスの首を刎ね、手に持つヘブライ人の女ユディトの姿。 クリムトは切断されたホロフェルネスの首を手に持つユディトが恍惚の瞬間の表情を描く。
【クリムト『接吻』愛のテーマ】クリムト『接吻』1907-8。花が咲き乱れる花園の断崖の上に立つ二人。女の両足が断崖に踏みとどまる。女はエミリエ・フレーゲ、男はクリムト自身。『ベートーヴェン・フリーズ』1902『生命の木』1905、から展開した。
――
5、【クリムト、女たち、装飾絵画】愛と死
【苦悩するクリムト、36歳】1899年、7月、9月、2人の女が非嫡出子を生み、クリムトは窮地に陥る。誘惑する女と残酷な現実に苦悩する。《亡き息子オットー・ツィンマーマンの肖像》1902、3番目の子が死亡する。
【クリムト、55歳で死す】1911年作品『死と生』が、1911年、ローマ国際芸術展で最優秀賞を受賞。1915年に母アンナが死去。3年後の1918年2月6日にクリムトは当時世界的に流行していたスペイン風邪で死去。ウィーン、ヒーツィングにあるヒエットジンガー墓地に埋葬された。55歳。
【クリムト、愛人たち、装飾絵画】毎日のようにクリムトの家の扉をたたく富裕層のパトロンで溢れかえり、騒がしい日々。富裕層の夫人、令嬢、モデルの女性がいつもクリムトの家にやってきて、みずから服を脱ぎ、ヌードになる。
クリムトは、生涯結婚しなかったが、多くのモデルと愛人関係にあり、非嫡出子の存在が14人確認されている。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
グスタフ・クリムト《ユディトⅠ》 1901年 油彩、カンヴァス 84 x 42 cm ウィーン、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館© Belvedere, Vienna, Photo: Johannes Stoll
グスタフ・クリムト《女の三世代》1905年ローマ国立近代美術館Galleria Nazionale d’Arte Moderna e Contemporanea, Roma
《女の三世代》1905は、眠る幼子と幼子を抱く若い母とうなだれる老女、三世代の生命の円環。
グスタフ・クリムト《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》1899年 油彩、カンヴァス 244×56.5cmオーストリア演劇博物館© KHM-Museumsverband, Theatermuseum Vienna
グスタフ・クリムト《ベートーヴェン・フリーズ》正面の壁「敵意に満ちた力」
《ベートーヴェン・フリーズ》第3の壁1984年(原寸大複製/オリジナルは1901-1902年、216×3438cm)ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館 © Belvedere, Vienna
グスタフ・クリムト《17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像》1891年 パステル、厚紙67×41.5cm 個人蔵
グスタフ・クリムト《ヘレーネ・クリムトの肖像》1898年 油彩、厚紙 59.7×49.9 cm
個人蔵(ベルン美術館寄託)Kunstmuseum Bern, loan from private collection
グスタフ・クリムト《亡き息子オットー・ツィンマーマンの肖像》1902年 チョーク、紙
グスタフ・クリムト《アッター湖畔のカンマー城III》1909/10年 油彩、カンヴァス
グスタフ・クリムト《オイゲニア・プリマフェージの肖像》1913/14年 油彩、カンヴァス
フランツ・マッチュ「女神(ミューズ)とチェスをするレオナルド・ダ・ヴィンチ」1889油彩、カンヴァス
エルンスト・クリムト「フランチェスカ・ダ・リミニ」1890油彩、カンヴァス
フランツ・マッチュ「ソフォクレス『アンティゴネ』上演中のアテネのディオニュソス劇場(ブルク劇場天井画のための下絵)」1886年 油彩、カンヴァス
――
参考文献
マークス・フェリンガー「生命の円環― クリムト自身を映す象徴主義」『クリムト展 ウィーンと日本1900』図録
マークス・フェリンガー「クリムトにとって、絵画は肖像画も風景画も装飾品である。」
福元崇志「表現することの逆説」『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』図録
【グスタフ・クリムト《接吻》(ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵)】1890、生涯の恋人となるエミーリエ・フレーゲ(1874-1952)と出会い、ウィーンの貴族や上流階級との交流が始まった。二人の足下にある花園は断崖で、かろうじてかかった女性の両足が、転落の予感と背中合わせという二人の瀬戸際の運命的な愛を暗示。1907年《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》や《接吻》(1907-8)を制作、クリムトの黄金様式が頂点を迎えた。
千足伸行「グスタフ・クリムト《接吻》 溶け落ちる永遠」.
https://artscape.jp/study/art-achive/10152843_1982.html
革新とエロス、多彩な油彩画 「クリムト展 ウィーンと日本1900」
https://www.asahi.com/event/DA3S13984987.html
ライジンガー真樹 クリムトが捧げるベートーベンへのオマージュ 1
https://tokuhain.arukikata.co.jp/vienna/2010/11/post_238.html
――
クリムト展 ウィーンと日本 1900、東京都美術館、4月23日(火)~7月10日(水)
豊田市美術館、7月23日(火)~10月14日(月・祝)
https://www.tobikan.jp/exhibition/index.html

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2019年4月25日 (木)

島薗進、講演会「死生学 ファンタジーと魂の物語」上智大学、2019年5月26日

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20170628015
上智大学、6号館203教室、午後2時から4時
【講演】島薗進、【解説、質疑応答、企画】大久保正雄【司会】畑中紀子
ソフィア文化芸術ネットワーク
――
島薗進 宗教学者、東京大学大学院名誉教授
「生と死の狭間の物語」の意味を、ファンタジー文学、宮澤賢治、古今東西の古典、仏教書、名作を通して考える。ファンタジーは生と死を超える物語。そのメッセージを読み解く。生死の意味、生とは何か。死とは何か。心の痛みをどう癒すのか。生死の問いに何を教えるのか。ファンタジーと宗教の意味を考える。「宗教は、物語の形で、人が生きるうえで大切な何かを伝えてきた」(島薗進『こころをよむ 物語のなかの宗教』)。死生学(Thanatology)の根本にある問いは「死を迎える人の心の痛みにどう応えるべきか」。
――
ソフィア文化芸術ネットワーク
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-6c7b.html
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-8f05.html
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-8607.html
――
★問い合わせ 上智大学ソフィア会 Tel.03-3238-3041
上智大学、四谷キャンパス地図 
http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsuya

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2019年4月16日 (火)

「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて

Moreau2019
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第179回
花吹雪、桜の花びら舞う道を歩いて、美術館に行く。夢を集める藝術家、パリの館に閉じ籠もる神秘家。ギュスターブ・モローは、ボードレール『悪の華』を愛読し、ギリシア神話、古代史を愛好した。幻の美女たちを求め、画きつづけた。生涯独身だったモローは、母親ポーリーヌと58年間共に暮らした。母親を描いた素描は40点。アレクサンドリーヌは、81歳で死す。10歳年下の女、穏やかで高潔な精神をもった女性アレクサンドリーヌとの親交は31年続いた。アレクサンドリーヌは、54歳で死す。愛する人の死、友人たちの死、ギュスターブ・モローは、自らの運命を意識し、72歳で死ぬまで絵画制作に没頭する。
【愛する人の死とギュスターブ・モロー美術館】
モローは、15歳と31歳の時、イタリアを旅する。「オイディプスとスフィンクス」(1861-64)を始めとして、ギリシア神話の主題を描く。恋人が1890年に死去。「エウリュディケの墓の上のオルフェウス(Orphée sur la tombe d'Eurydice)」(1890) )を制作。友人の死、愛する女性の死をへて、自らの運命を意識し、72歳で死ぬまで、自らの館を美術館にすることに努力する。ジャヤバルマン7世が自らの死を意識してバイヨン寺院を建設したように、ギュスターブ・モローは美術館をつくった。*
【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。敵との闘争における武器なのだ。いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。夢は現実を超え、現実を変革する。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
幻の美女を求めて
ギュスターヴ・モロー、ロセッティ(1828-82)、クリムト(1862-1918)、19世紀の画家たちは、なぜ運命の女を追求したのか。ルネサンス、バロックの藝術家は、ギリシア神話、古代史をイメージ化した。レオナルド・ダ・ヴィンチ『レダと白鳥』、ミケランジェロ『レダ』、カラバッジョ『ホロフェルネスの首を斬るユディト』。藝術家は、幻の美女を求める。
【愛する人の死】ギュスターブ・モローは、2人の女性を愛した。「世界で一番大切な存在」母、ポーリーヌ・モロー(1884没)。最愛の恋人アレクサンドリーヌ・デュルー(1836-1890没)。悲しみに暮れたモローは「エウリュディケの墓の上のオルフェウス(Orphée sur la tombe d'Eurydice)」1890を制作。『パルカと死の天使』1890。
【運命の女(ファムファタール) 】ギュスターブ・モローは、魅力的な女を描きつづけた。男を狂わせる運命の女(ファムファタール)。1、男を破滅に導く女、セイレーン。レダ、ヘレネ、クレオパトラ。トラキアの乙女。2、欲望を求める女、皇妃メッサリーナ。3、無垢な美しさが人を狂わせる女の誘惑、エウロペ、一角獣を抱く貴婦人。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
ギュスターヴ・モロー(1826-1898)
父、ルイ・モローは、建築家。
1841年、15歳 1回目のイタリア旅行。フィレンツェ、ピサを旅する。
1852年 モローの両親がギュスターブのために、ラ・ロシュフーコー通り14番に、土地と家を購入。
1856年 友人、テオドール・シャセリオーが37歳で死去。
1857年-58年、31歳から32歳。1857年10月から1859年まで、2回目のイタリア滞在。
偉大な芸術家たち(ミケランジェロ、ヴェロネーゼ、ラファエロ、コレッジョ等)の作品を模写する。ローマに滞在した後、モローはフィレンツェ、ミラノ、ベネチアを訪れ、そこでカルパッチョを知る。若いエドガー・ドガと親交を結ぶ。両親とナポリに滞在した後、
1859年9月パリに戻る。デッサンのモデルとなったアレクサンドリーヌ・デュルーに出会う。モロー33歳、アレクサンドリーヌ23歳。彼女は1890年に54歳で他界するまで、モローの「最高でたった一人の女友達」となる。
1862年 父、ルイ・モロー72歳で死去。「私は己の死と、私の作品の行く末を案じている」ギュスターブ・モロー
1864年『オイディプスとスフィンクス(Oedipe et le Sphinx)』1864
1865年『オルフェウス Orpheus』1865 オルフェウスはギリシアの吟遊詩人。最愛の妻エウリュディケが亡くなり、冥界まで行って連れ帰ろうとしたが、失敗した。トラキアの乙女たちがオルフェウスの気を引こうとしたが、彼は拒んだ。ディオニュソスの祭の最中、娘は槍を掴むとオルフェウスに投げつけ、他の娘たちも加わり、彼は八つ裂きにされた。頭と竪琴は河に投げ込まれ河をさまよい、ニンフたちに発見された。
1884年、母、ポーリーヌ・モロー、81歳で死去。
1890年、64歳 恋人アレクサンドリーヌ・デュルー、54歳で死去。
1892年、66歳、国立美術学校(エコール・デ・ボザール)、教授となる。
1895年、69歳、自邸を美術館にするため、建築家アルベール・ラフォンに依頼する。改築を開始。
1898年、ギュスターブ・モロー、72歳で死去。
――
参考文献
「ギュスターヴ・モロー ギュスターヴ・モロー美術館所蔵」図録Bunkamura、2005
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」図録2019
貴婦人と一角獣展・・・タピスリーの謎、五感と「我が唯一の望み」
https://bit.ly/2pwbOwY
運命の女
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
https://bit.ly/2MGcs9l
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」・・・藝術家と運命との戦い、ロセッティ最後の絵画
https://bit.ly/2UoqUWz
ベルギー、奇想の系譜、Bunkamura・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
https://bit.ly/2u6J1nr
高階秀爾、中山公男『象徴派の絵画』朝日新聞社1992
【三島由紀夫『癩王のテラス』】肉体の崩壊と共に、大伽藍が完成してゆくといふ、そのおそろしい対照が、あたかも自分の全存在を芸術作品に移譲して滅びてゆく芸術家の人生の比喩のやうに思はれたのである。生がすべて滅び、バイヨンのやうな無上の奇怪な芸術作品が、圧倒的な太陽の下に、静寂をきはめて存続してゐるアンコール・トムを訪れたとき、人は芸術作品といふものの、或る超人的な永生のいやらしさを思はずにはゐられない。壮麗であり又不気味であり、きはめて崇高であるが、同時に、嘔吐を催されるやうなものがそこにあつた。三島由紀夫
――
展示作品の一部
ギュスターヴ・モロー「出現」(L'Apparition)1876頃 キャンバスに油彩 142×103cm ギュスターヴ・モロー美術館蔵 Photo ©RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF。
ヘロデ王の前で踊るサロメの目の前に出現したヨハネの首の幻影。聖なるものの出現。神秘の出現。
モロー「エウロペの誘拐」(L'enlèvement d'Europe)(1868)
モロー「一角獣」1885年頃 油彩/カンヴァス 115×90cm ギュスターヴ・ モロ一美術館蔵 Photo ©RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMFギュスターヴ・ モロ一美術館蔵
モローが1883年にパリのクリュニー中世美術館で6枚のタピスリー《貴婦人と一角獣》を見たことから生み出された作品、モロー芸術の傑作。
――
象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モロー(1826-1898)は、神話や聖書をテーマにした作品で知られています。産業の発展とともに、現実主義的、物質主義的な潮流にあった19世紀後半のフランスにおいて彼は、幻想的な内面世界を描くことで、真実を見いだそうとしました。本展は、そのようなモローが描いた女性像に焦点をあてた展覧会です。出品作品は、パリのギュスターヴ・モロー美術館が所蔵する、洗礼者ヨハネの首の幻影を見るサロメを描いた名作《出現》や、貞節の象徴とされた幻獣を描いた《一角獣》を含む油彩・水彩・素描など約70点によって構成されます。神話や聖書に登場する、男性を死へと導くファム・ファタル(宿命の女)としての女性、誘惑され破滅へと導かれる危うい存在としての女性、そしてモローが実生活において愛した母や恋人。展覧会では、彼女たちそれぞれの物語やモローとの関係を紐解いていき、新たな切り口でモロー芸術の創造の原点に迫ります。
https://panasonic.co.jp/ls/museum/
――
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」
パナソニック汐留美術館、4月6日~6月23日
あべのハルカス美術館. 7月13日(土)~9月23日(月・祝)

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2019年4月 3日 (水)

織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第178回
【復讐する偉大な王】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
【死生学 復讐劇】復讐劇の傑作、『オレステス』、『ハムレット』、『モンテ・クリスト伯』、ウィリアム・ブレイク『有心の歌』「毒のある木」、『スウィーニー・トッド』。復讐する人は、絶望に立ち向かう。絶望を超えて、
美の理念を成し遂げる。
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
1、天下布武
【天下布武】「武とは戈を止め(止戈)て用いない」「禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財(武力行使を禁じ、武器をおさめ、大国を保全し、君主の功業を固め、人民の生活を安定させ、大衆を仲良くさせ、経済を繁栄させる)七徳を備えるべき」『春秋左氏伝』宣公12年「武有七徳」楚の荘王の「七徳の武」。
――
2、第六天魔王
【第六天魔王 織田信長】延暦寺の座主、覚恕法親王は難を逃れ、仏教に帰依する甲斐の武田信玄に保護を求め、彼の元に身を寄せていた。その時、信玄から信長への書状の署名「天台座主沙門信玄」と書かれた。それに対し信長は返書にて「第六天の魔王信長」と署名した。「天正元(1573)年4月20日付、ルイス・フロイスの書簡」
 【第六天魔王 織田信長】信長は武田信玄に対する返書にて「第六天の魔王信長」と署名した。天正元(1573)年4月20日フロイス『日本史』。信長40歳。「三界(無色界、色界、欲界)」のうち、欲界の最上天が「第六天(他化自在天)」であり、その欲界を支配しているのが「第六天魔王」である。空海『秘密曼荼羅十住心論』第三住心、嬰童無畏心『秘蔵宝鑰』第三章。
★『完訳フロイス日本史 織田信長篇 3 安土城と本能寺の変』
【織田信長、敦盛を舞う】「思へばこの世は常の住み家にあらず。草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。」永禄三(1560)年五月18日、信長27歳。
――
幸若舞では「化天」で、「下天」は『信長公記』の記載である。
 化天(楽変化天)は六欲天の第五位で一昼夜は人間界の八百年。
 下天(四天王衆天)は六欲天の最下位で一昼夜は人間界の五十年。
なぜこの違いが出たのか、元来、生の儚さを謳った『敦盛』に比べ、
 生を精一杯生きる信長の『敦盛』は人間の一生の50年を表すものとして「下天」であったのか。
――
『般若理趣経』経典の《教主》は五智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智・清浄法界智)を具えた大毘盧遮那如来であり、《時》はあるとき、《住処》は三界(欲界、色界、無色界)のうち欲界の最頂上にある他化自在天である。
――
3、堺と茶の湯と鉄砲
【織田勝長、堺、鉄砲、茶の湯】津田宗及と今井宗久、千宗易
 信長は、かつての同朋衆に代わる「茶堂(さどう)」として、堺の政商である津田宗及と今井宗久をまず起用。津田宗及は貿易商、今井宗久は千宗易の師である武野紹鷗の娘婿で、武具と鉄砲とを商いとする。津田宗及と今井宗久が、千宗易を信長に推薦した。
 堺は鉄砲の火薬の原料である硝石を独占輸入し、鉄砲を生産する技術もあった。堺の商人たちは逸早く為替システムを創って、各地の情報も色々入ってきた。今日で言う金融・経済、流通、情報を一手に握っていたのが堺という町。
 天正元年(1573年)、最後の将軍、足利義昭を追放した後、妙覚寺での茶会で、千宗易が「濃茶(こいちゃ)」の担当になる。茶堂のトップに位置付けられた。利休52歳。
 信長の茶会は、信長が入京した永禄十一年(1568年)から安土城が出来る天正四年(1576年)までは、禅宗か日蓮宗の大寺院で催されていた。
 信長の茶会は、「天目台」に茶碗を載せて出す格式の高い作法。
★生形貴重「信長と秀吉、そして利休の至高の美意識」
*千宗易:利休の名は、天正13年(1585年)の禁中茶会にあたって町人の身分では参内できないために正親町天皇から与えられた居士号。
――
4、戦いと茶会
【織田信長と茶会、本能寺の変】天下布武、天下の三肩衝
1567年、信長は、本拠地を小牧山城から稲葉山に移転し、古代中国、周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで城と町の名を「岐阜」と改めた。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになる。
 岐阜城には、山のふもとに迎賓館を作り、山の上に茶室を作る。銀閣寺「漱蘚亭」にならった。*
1568年、10月2日、堺に矢銭を課した織田信長に抗戦しようとする町衆を今井宗久らが説得。この日、今井宗久は、織田信長に、松島茶壺、紹鴎茄子を献上。
1569年、織田信長、丹羽長秀、松井友閑らに命じて、洛中洛外の茶器の名物狩り。
1571年(元亀二年)、織田信長、東福寺にて茶会を催す。茶頭は、今井宗久。この年、比叡山焼き討ち。
 天正元年(1573年)、最後の将軍、足利義昭を追放した後、妙覚寺で茶会。
1574(天正2)年、相国寺、茶会が開かれ、松井友閑、千利休、今井宗久、津田宗及らが集い、織田信長は方丈で点前を披露した。(『津田宗及茶湯日記』)。
1574年天正二年、4月3日、織田信長、相国寺にて茶会を催す。蘭奢待を千利休、山田宗及に下賜する。
 千利休は51歳の1573年、1574年(52歳)、1575年(53歳)に、織田信長主催の京都の茶会に参加。茶会は宴。利休は、信長と48歳、1570年、出会う。
 羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀などの織田家臣、茶の湯に励む。
1576年(天正4年) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。1579年(天正7年)5月、完成した天主に信長が移り住む。
【信長、物欲に執着せず】
 【織田信長と茶の湯】岐阜城と家督を嫡男、信忠に譲って、お気に入りの茶器だけを持って出て行った。尾張、美濃を譲る。『信長公記』。織田信忠へ初花肩衝・松花茶壷・竹子花入・藤波の釜・道三茶碗・珠徳茶杓を譲る。天正三(1575)年、11月28日、信長42歳。
――
5、復讐する織田信長
【織田信長、壮絶な生涯】父信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつける。18歳。稲生の戦い、弟信行の謀反1700人に信長700人で戦う。23歳。信行2度目の謀反、清州城天主次の間で返り討ち、24歳。本能寺の変、信長70人に光秀1万3千人。自刃。49歳。
――
参考文献
大久保正雄『織田信長、戦う知識人の精神史』
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・『戦う知識人の精神史』『旅する哲学者 美への旅』
https://bit.ly/2R1G0fU
織田信長、天下布武、知的で革命的。既存の階級社会、価値観を否定・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2MP00UY
織田信長、復讐する精神、卓越した情報力、壮絶な精神・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2x8ZNBm
織田信長、信長包囲網との戦い、八つの戦い、比叡山、天下一の名城、安土城・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2FkeiJX
「上兵は謀を討つ。最高の戦略は、敵の陰謀を討つことである」『孫子』謀攻篇
 権力と戦う知識人の精神史 春秋戦国奇譚
https://bit.ly/2P3rfID
若き織田信長、親は敵、兄弟は第一の敵、復讐する精神・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2lbezTP
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84 
――
★本法寺、写真、櫻子さん

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