2017年8月26日 (土)

藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女

Georges_seurat__un_dimanche_aprsmid大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第124回 ジョルジュ・スーラ
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女
師のいない未知の世界に冒険した藝術家。世界を旅し、旅路で果てた画家。過酷な運命との戦い、貧乏な藝術家たち。世に受け入れられなかった藝術家たち。苦悩のた画家たちは、何と戦い、何に復讐しようとしたのか。
ジョルジュ・スーラは、不朽の絵画『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を構築した。モネは運命の女、カミーユに出逢う。
運命の女。藝術家たちを救う女神は、どこにいるのか。美しい女神が、舞い降りる。
デ・キリコ、ダリ、ポール・デルボー、ルネ・マグリット、ピカソ。
―――
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
―――
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術と運命との戦い』
大久保正雄『藝術家と運命の愛』
よい師に出会うことは人生において重要である。だが、求めて優れた師に出会うことはまれである。どんなに絶望的な状況でも、知性をもって、戦い続けることだ。『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
―――
ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat, 1859-1891)
ジョルジュ・スーラは、点描画を極め、天才的な才能をあらわしたが、世に認められず。25歳で傑作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884を2年かけて描く。「パリ近郊のセーヌ川の中州で夏の一日を過ごす人々」を描いた。60人以上の人が描かれている。1886年5月、第8回印象派展(最後の印象派展)に出品された。「新印象派」neo-impressionismeという名称は、この作品を見た批評家フェリックス・フェネオンが記事の中で最初に使った。筆触分割と補色対比、点描画法の第一人者。モネに嫉妬された。31歳で死す。秘密主義を貫き、私生活の多くは謎である。病死であるが、死因も不明である。作品は、8点残した。
モネと運命の女、カミーユ
モネは、『印象、日の出』1872を描き、印象派impressionismeの祖と曲解される。
1879年、ヴェトゥイユでカミーユ・モネは32歳の若さで夭折。妻カミーユの死後、富裕な人生を歩む。ジョルジュ・スーラを呪い殺した後、スーラの技法を用いて、画家として成功した。富裕になり贅沢な生活を送った。晩年、若死にしたスーラの呪縛で悩まされたが、富裕な後半生を生きた。
グランド・ジャット島の日曜日の午後 (1884-86)(シカゴ美術館)
アニエールの水浴 (1883-84)(ロンドン、ナショナルギャラリー)
サーカス (1890-91)(オルセー美術館)
ポーズする女(正面)(1886-87)(オルセー美術館)
ポール・アン・ベッサンの外港 (1888)(オルセー美術館)
アンサンブル(サーカスの客寄せ)(1887)(メナード美術館)
Sunday Afternoon on the Island of la Grande Jatte,1884- 1886
Port En Bessin Entrance To The Outer Harbor,1888
Claude Monet, 1840- 1926、86歳で死ぬ。
クロード・モネClaude Monet, 1840- 1926、86歳で死ぬ。
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参考文献
ハーヨ・デュヒティング『ジョルジュ・スーラ-1859-1891 点に要約された絵画- 』タッシェン・ジャパン2000
パスカル・ボナフー『ゴッホ―燃え上がる色彩』知の再発見双書
ゴッホ『星月夜』・・・生命の糸杉と天への回帰
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-16aa.html
没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった、国立新美術館
2010年10月1日(金)~12月20日(月)まで
印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで、国立新美術館、2013年10月4日(金)~12月23日(月・祝)
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-5ed6.html
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
新印象派―光と色のドラマ、東京都美術館
http://www.tobikan.jp/exhibition/h26_neoimpressionism.html
ベルギー、奇想の系譜、ザ・ミュージアム・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-09fb.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html

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2017年8月18日 (金)

孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第11回

Magosakiookubo_01201706160孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第11回
孫崎享『日米開戦へのスパイ』、日本の意志決定システム、政権交代について、2017年7月13日対談しました。一部をここに記録します。
戦争末期、大日本帝国が滅びる時に、軍人、官僚たちは、自分の地位をめぐって喧々諤々の議論をしていた。
理念なき政治家、官僚、財界人、学者がこの国にあふれ、国の進むべき道を錯誤させている。
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1、ゾルゲ事件の真相とは何か
大久保正雄
構想40年の著書で、孫崎先生が「最も伝えたいメッセージ」は何ですか。
ゾルゲ事件の真実(1941年9月から1942年4月)とは、何ですか。
治安維持法(昭和16年1941年3月10日)の時代、冤罪事件捏造は常習化した。核心は何ですか。
孫崎享
政治の闇です。ゾルゲ事件は、東條英機による近衛首相追い落とし、日米開戦へと展開することが軍国主義者の意図です。近衛文麿は、東条英機の周到な冤罪事件捏造によって失脚した。
*「ゾルゲ諜報団」組織には、近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実もいた。1944年11月7日のロシア革命記念日に、ゾルゲと尾崎の死刑が執行された。近衛内閣は対米戦争に反対。
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2、日米開戦の原因は何か。近衛文麿首相失脚の意味。
近衛文麿は、自由主義者、日米開戦は日本にとって圧倒的に不利で、開戦に反対していた。日米の戦力差は、1対10で、日本は必ず負ける。
東条英機たちは「しかし米国は、自由の国なので3年くらいしかもたない。」と主張。
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3、冤罪事件を作った検察官僚たちの戦後。
【検察の闇】検察は治安維持法・ゾルゲ事件(実質冤罪事件)の戦前と戦後はつながっている。ゾルゲ事件を担当した二人の検事、井本台吉と吉河光貞は何と、砂川事件(1957年7月8日)の検事、井本台吉は検事総長に出世する。
731部隊の石井四郎隊長(京大医学部卒)、京都大学、東京大学の権威、医学研究者、技官たちは、細菌兵器の人体実験を秘密裡に行った。検察官僚と同じように、戦後復活、栄達する。在日米軍に協力して、戦後の闇に君臨している。
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4、日本の意志決定システム
知性のない権力者が力で支配し、地位のために政権を支える官僚が支配する。
特権階級の官僚は、自分の地位のために軍事政権を支えた。戦争に行かない特権階級が存在する。法務官僚、検察、東大教授、科学者、医学研究者。
検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし。
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5、政権交代は可能か
1993年、細川内閣成立の時、政権交代が達成され、戦後、表に立たなかった階層の人々が復活すると考えた人がいる。カレル・ヴァン ウォルフレンは、政権交代を成功させるかどうかは、日本のマスコミが鍵を握る。マスコミと司法は反自由主義システムである(*『日本権力構造の謎』)。政権交代を初めて主張したのは、細川護煕。「政権交代期成同盟」(中央公論1993)。細川護煕は、近衛文麿に容姿がよく似ている。
*1993年、日本新党、都議選圧勝。細川内閣、誕生。*2009年、民主党、都議選勝利、54議席。鳩山由紀夫代表、8月衆院選で民主党は300議席を超える大勝利。だが工作員によって倒閣された。
検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし。
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6、理念なき政治、理念なき国家
国家を指揮するものは、敵の謀を読む先見の明をもたなければならない。暴力を振う者を抑え、弱き者を救い、文化が栄える都市を作らねばならない。
社会に巣食う七つの大罪。理念なき政治。労働なき富。良識なき快楽。貢献なき知識。道徳なき商業。人間性なき科学。献身なき信仰。『ガンディー 魂の言葉』
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7、理念を追求する人
曲学阿世の似非学者が栄える国。御用学者は、特権階級である。官僚の唯一の目的は、地位と名誉とカネ。詐欺学者と同じ。三浦るり、藤原帰一は、曲学阿世の詐欺学者。地位と名誉とカネ、権力の奴隷。真実を追求しない。
思想家は理念を考え夢みなければならない。理念を追求する人は弾圧される。弾圧を超えて行く人。
大塩平八郎、由比正雪。幸徳秋水、大杉栄、北一輝。思想家は弾圧され、御用学者は保護される。思想家のいない国。哲学者のいない国。
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美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
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参考文献
国家戦略
インパール作戦、兵站なき無謀の作戦。3万人死亡。日本軍の意志決定システムが、現在の日本にそのまま残っている。無能な指揮官、地位だけが人生の目標の官僚。『国家権力の謎』
日本組織は、嫉妬と地位への執着と名誉欲が支配する。「官僚の法則」。優れた者が勝利することはまれである。『旅する哲学者 美への旅』
東条英機は、満州の憲兵隊で功をあげ、出世した。人の弱点を攻撃して出世した。近衛秀麿を失脚させるために、ゾルゲ事件を捏造した。(孫崎享『日米開戦へのスパイ』)
大日本帝国。戦没者230万人。6割「餓死」。無謀な作戦が惨劇招く。毎日新聞。インパール作戦、3万人死亡。兵站なし。インパール、白骨街道。『国家権力の謎』
核の傘は存在しない。ミサイル迎撃不可能。米国議会は、他国を防衛するために自国を犠牲にしない。軍産複合体の利権階級の餌食である。孫崎享『国家権力の謎』
国家の上に立つ者は、先見の明をもち、敵国の計略を見抜き、人民のいのちを守らなければならない。指揮官は自らだまされてはならない。『国家権力の謎』
【ヒトラーの大衆扇動術】大衆は愚か者である。 同じ嘘は繰り返し何度も伝えよ。共通の敵を作り大衆を団結させよ。敵の悪を拡大して伝え大衆を怒らせろ。人は小さな嘘より、大きな嘘に騙される。大衆を熱狂させたまま置け。考える間を与えるな。
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武力を使わず他国を侵略。第1段階、工作員による上層部の掌握と洗脳、第2段階、メディアの掌握、第3段階、教育の掌握、第4段階、抵抗意識の破壊、第5段階、自分で考える力を奪う。国民が無抵抗。スイス政府。『国家権力の謎』

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戦国時代
「天下布武」。七徳の武とは、暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにすること。武の七つの徳を備えた者が天下を治めるにふさわしい。『春秋左氏伝』
織田信長の法則。「天才の迂闊と秀才の周到」。織田信長は油断し、光秀は用意周到。優れた者は負け、小人は周到に画策する。大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するのは善の善なるものなり。『謀攻篇』
敵の計略を見抜くことほど、指揮官にとって重要なことはない。だが、このことほど優れた資質を要求される能力もないのだから、これに恵まれた指揮官は、いかに称賛されたとしてもされすぎることはないのである。マキャベリ
人々の嫉妬心が、善きことをしていれば自然に消えていくなどとは、願ってはならない。邪悪な心は、どれほどに贈り物をしようとも、変心してくれるものではないからだ。マキャベリ
民とは何か。【語源】おさめられる人々。権力をもたない大衆。【象形】ひとみのない目を針で刺すさまを描いた。目を針で突いて目を見えなくした奴隷。『字統』『字訓』
大日本帝国陸軍は、優れた指揮官がいたが、失脚させられた。(山内昌之『嫉妬の世界史』)嫉妬の国、小人が跳梁する国。小者は、人の欠点を突いて立身出世する。『国家権力の謎』
織田信長はなぜ本能寺で殺されたのか。茶会を開いて、天下の名品、茶壺、肩衝、他を披露した。六月二日。その夜、本能寺の変。大久保正雄『愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長』
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理念を追求する人
人は外面だけ見てだまされる。人が本当に見ることができるのは心によってだけである。本質は、目で見えない。『旅する哲学者 美への旅』
メディチ家は理念を追求した。理念を追求する者は弾圧される。弾圧を超えて理念を追求する人々。プラトンが復活するのはルネサンスの500年後。『旅する哲学者 美への旅』
織田信長「天下布武」。武力によって征服するにあらず。階級社会の枠組みを根底から破壊することである。織田信長の参謀、妙心寺派の僧、沢彦宗恩による語。『旅する哲学者 美への旅』
研究には、研究のための研究と創造的研究がある。創造的学問する人は弾圧される。はじめて遂行する人は革命的であり虐められる。弾圧されても理想を追求する人。
『旅する哲学者 美への旅』
戦国史、親子は敵、兄弟は最大の敵。天下布武、下剋上の中から、織田信長の知恵と戦略は生まれた。安土城は、天下一の藝術の結晶。大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
―――
美を探求する人
外極めて美にして、内極めて醜なるものあり。 北村透谷『万物の声と詩人』
身を切るような孤独を知っている者だけが、人生の美しさを真に享受することができる。クシシュトフ・キェシロフスキ『ふたりのベロニカ』
友よいとしの我友よ 色香ゆかしき白百合の心の花と咲き出でし世に香ぐはしく馨るらむ
『旅する哲学者 美への旅』
ほとんどすべての芸術や文学の仕事は、それまで名前をもっていなかった事柄に、名前をつける事です。名前をつけられれば、人間はその事柄と関係をもてるようになる。ミヒャエル・エンデ『芸術と政治をめぐる対話』
外面をみてだまされる人々。人が本当に見ることができるのは心によってだけである。本質は、目で見えない。『旅する哲学者 美への旅』
人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である。シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。ナイチンゲール
どんなに高度な知識をもっていても、人の痛みを知らなければ人は存在する価値がない。『旅する哲学者 美への旅』
―――
世界のどこかで、誰かが蒙っている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。ゲバラ
巧言は徳を乱る。口先ばかりで誠意のない言葉は人を惑わし信頼をなくして徳の妨げになる。*細川護煕『跡なき工夫』
光悦の茶碗が好きなのは、ただ茶碗としての造形美に魅かれるだけではなく、光悦の生き方に共鳴するところが大きい。細川護煕『跡なき工夫』
人間存在の秘密は、たんに生きることにあるのでなく、何のために生きるかである。美と善なくして存在の根拠なし。大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
2017年8月18日

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2017年8月15日 (火)

ボストン美術館の至宝展、東京都美術館・・・陳容「九龍図巻」

Boston201707Boston2017kyuuryuu01蝉しぐれの森を歩いて、美術館に行く。
夏の花に舞う蝶を見ると、ある歌を思い出す。
友よいとしの我友よ、色香ゆかしき白百合の心の花と咲き出でし世に香ぐはしく馨るらむ。
(*「色香ゆかしき白百合、『相思樹の譜』、ひめゆり学徒隊」)
雲のなかに舞う龍
南宋の文人画家の陳容「九龍図巻」(1244)は、雲のなかに九匹の龍が舞う。10メートルの水墨画。清の乾隆帝に愛蔵されていた名品。文人画家、陳容は、自然主義を超えて、破墨、発墨の技法を用いて、精神あふれる龍を描いた。闇のなかで、歴史を超えて生き生きと躍動する水墨画の美に瞠目する。
宋画6点、展示されていて圧巻である。 北宋徽宗「五色鸚鵡図巻」、南宋馬遠「柳岸遠山図」、夏珪「風雨舟行図」、大徳寺「五百羅漢」から周季常1178年頃「観舎利光図」「施財貧者図」、陳容1244年「九龍図巻」。
ボストン美術館は、1870年設立。顧問として招かれた岡倉天心は1905年、東洋美術の蒐集を始める。
「ボストン美術館 日本美術の至宝」東京国立博物館2012年、「ボストン美術館 肉筆浮世絵展、江戸の誘惑」江戸東京博物館2006年を思い出す。
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
黄昏の丘、黄昏の森。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
―――
展示作品の一部
「ツタンカーメン王頭部」Head of King Tutankhamen
エジプト、新王国時代、第18王朝、ツタンカーメン王治世時
紀元前1336-1327年
高さ30.5cm×幅26.7cm×奥行22.2cm 砂岩
「メンカウラー王頭部」 Head of King Menkaura (Mycerinus)エジプト、古王国時代、第4王朝、メンカウラー王治世時、 紀元前2490-2472年  高さ29.2cm×幅19.6cm×奥行21.9cmトラバーチン(エジプト・アラバスター)
Harvard University - Boston Museum of Fine Arts Expedition, 09.203
陳容 「九龍図巻」(部分)Chen Rong Nine Dragons南宋、1244年(淳祐4年)
46.2cm×958.4cm 一巻、紙本墨画淡彩
徽宗「五色鸚鵡図巻」Emperor Huizong Five-colored parakeet on a blossoming apricot tree 北宋、12世紀初期 53.3cm×125.1cm 一巻、絹本着色
曾我蕭白 「風仙図屏風」Soga Shôhaku,Transcendent Attacking a Whirlwind江戸時代、1764年(宝暦14年/明和元年)頃 155.8cm×364cm 六曲一隻、紙本墨画
英一蝶「涅槃図」江戸時代、1713(正徳3)年
喜多川歌麿「三味線を弾く美人図」1804-06(文化1-3)年頃
Fenollosa-Weld Collection, 11.4642
フィンセント・ファン・ゴッホ「郵便配達人ジョゼフ・ルーラン」1888年
Gift of Robert Treat Paine, 2nd, 35.1982
フィンセント・ファン・ゴッホ「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」1889年
クロード・モネ 「ルーアン大聖堂、正面」Claude Monet
Rouen Cathedral, Façade 1894年
フィッツ・ヘンリー・レーン「ニューヨーク港」 Fitz Henry Lane, New York Harbor1855年頃
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ボストン美術館 日本美術の至宝、東京国立博物館、2012年3/20~6/10
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1416
ボストン美術館 肉筆浮世絵展、江戸の誘惑、江戸東京博物館
2006年10月21日(土)〜12月10日(日)
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★ボストン美術館の至宝展-東西の名品、珠玉のコレクション、東京都美術館
2017年7月20日(木)~10月9日(月・祝)
http://www.tobikan.jp/exhibition/2017_boston.html

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2017年8月 9日 (水)

シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女

Piazzaditalia1955シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
シュールレアリスムの藝術家は、夢と現実の狭間で生きる。過酷な現実を超えて、夢のような人生を生きる画家がいる。大地と海の狭間に、美術の城を建て、そこで死ぬまで暮らした画家がいる。
藝術家が運命と戦うとき、藝術家を救う運命の女が現れる。ルネサンス以後、愛は貧しき人を救う物語が書かれる。美しき女相続人ポーシャがバサーニオの運命を救う(『ヴェニスの商人』)。「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である。」(『トロイラスとクレシダ』)
運命の出会い。運命の女。出会うべき人には必ず出会う。一瞬も遅からず、早からず。内に求める心がなければ、眼前にその人ありといえども見えず。
ピカソ(Pablo Piccaso, 1881-1973)は、7人の女性に出会い、作品の世界に、女性を描いた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術と運命の戦い』
大久保正雄『藝術家の運命と愛』
―――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
黄昏の丘、黄昏の森。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【シュールレアリスムの画家たち】Surrealisme
1、ジョルジュ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico,1888-1978)
デ・キリコは、26歳の時、1枚の絵『街の神秘と憂愁』1914が、形而上絵画Metaphysical Paintingとして評価され、90年の生涯を、夢と絵画の現実の狭間で生きる。
美しさの誉れ高い2度目の妻イザベッラの肖像画も沢山残している。
ローマのスペイン広場の家で90歳まで、絵画制作をつづける。
形而上絵画
1910年始め、ミラノを離れてフィレンツェへ移動し、そこでベックリンの作品を下敷きに最初の形而上絵画シリーズ形而上学的な街角"Metaphysical Town Square"を制作。サンタ・クローチェ聖堂で啓示を受けて描き上げた『秋の午後の謎 』『神託の謎』『時間の謎』「自画像」が代表作である。
1920年代にデ・キリコがルネッサンスやバロックの時代に関心を示すようになり、古典的絵画と形而上絵画の間をさまよい、制作をつづける。
晩年の30年間をスペイン広場で過ごしたデ・キリコの住まいは美術館になっている。ローマのジョルジョ・デ・キリコ美術館には、デ・キリコの妻イサベラの肖像画など、主に1940~1950年代の作品が展示されている。デ・キリコ自身の生活の匂いがそこにある。*Casa Museo di Giorgio De Chirico, Roma
主な作品
ジョルジュ・デ・キリコ『神託の謎』(Enigma of the Oracle/Enigme de l'oracle)1910年
『秋の午後の謎』(Enigma of an Autumnal Afternoon/Enigme d'un apres-midi d'antomne)1910年
『時間の謎』(Enigma of the Hour/Enigme de l'heure)1910年
『自画像』(Self Portrait (Autoportrait)/Portrait de l'artiste par lui-même(Autoportrait))1910年
Giorgio de Chirico. The Nostalgia of the Infinite.1911
ジョルジュ・デ・キリコ『街の神秘と憂愁』Melancholy and Mystery of a Street,1914
ジョルジュ・デ・キリコ『イタリア広場』Piazza d'Italia,1913
『イタリア広場』Piazza d'Italia,1955
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2、サルヴァドール・ダリ(Salvador Dali,1904—1989)
27歳の時、『記憶の固執』1931を描き、生涯の最高傑作となる。『記憶の固執』は『柔らかい時計』『溶ける時計』とも呼ばれる。ガラが食べていたカマンベールチーズが溶けていく状態を見てインスピレーションを得たといわれる。カタルーニャのカダケスの海を背景に画いている。ニューヨーク近代美術館に収蔵されている。
運命の女、ガラ
1929年夏、ポール・エリュアールが妻とともにカダケスのダリのアトリエを訪ねた。ダリの妻となるガラ・エリュアールとの出会いである。ダリとガラは強く惹かれ合い1934年に結婚。1982年にガラが死去。「自分の人生の舵を失った」。ジローナのプボル城に引き籠もった。1983年5月を最後に絵画制作を止める。1974年、フィゲラスのダリ劇場美術館(Teatre-Museu Dali)を開き、ダリの世界を構築する。
ダリ『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』1936
Soft Construction with Boiled Beans(Premonition of Civil War)
ダリ『記憶の固執』La persistencia de la memoria,1931
ダリ『記憶の固執の崩壊』La Desintegración de la Persistencia de la Memoria,1954
ダリ『降りてくる夜の影』1931『謎めいた要素のある風景』1934
ダリ「レダ・アトミカ」Dali,Leda,Atomica,1949
参考文献
『ダリ』知の再発見双書
生誕100周年記念「ダリ展」、上野の森美術館、2006年
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3、ポール・デルヴォー
ポール・デルヴォー(Paul Delvaux, 1897~1994)は、困難な運命との苦闘の末、別離した運命の女性と再会する。1929年32歳の時、運命の恋人アンヌ=マリー・ド・マルトラール(タム)と出会う。しかし別離。別れから17年後、恋人と運命的な再会を果たす。1934年「ミノートル展」で、デ・キリコの作品に出会いシュールレアリスムの影響を受ける。『眠れるヴィーナス』の幻想を描きつづける。デルヴォーは、96歳まで優美な白昼夢をヨーロッパの夜の風景に紡ぎつづけた。
ポール・デルヴォー「海は近い」1965 姫路市立美術館
ポール・デルヴォー「水のニンフ(セイレーン)」1937 姫路市立美術館
Paul Delvaux, The sea is near.1965.De zee is nabij – 1965
Paul Delvaux,Water Nymphs, Sirens. 1937
―――
4、ルネ・マグリット
ルネ・マグリット(Rene Magritte,1898‐1967)は、ジョルジョ・デ・キリコの「愛の歌」(1914)に感銘を受け、シュルレアリスムに傾倒する。妻ジョルジェットとともにパリへ引っ越し、アンドレ・ブルトンを中心とするパリのシュルレアリストたちのグループに合流したマグリットは、言葉とイメージの関係を主題とする作品を多く生み出した。Surrealism(1926−1930)時代。69年の生涯を画家として生きる。
ルネ・マグリット「大家族」、1963年、油彩・キャンヴァス 宇都宮美術館
―――
参考文献
ダリ『記憶の固執』・・・スペインの荒涼とした大地
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-4ee9.html
マグリット展・・・夕暮れの瞬間、光の帝国
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-6e86.html
ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅・・・夢と現実の織りなす世界
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-bc20.html
ベルギー、奇想の系譜、ザ・ミュージアム・・・怪奇と幻想うごめくフランドル 
http://bit.ly/2u6J1nr
デ・キリコ展1920—1950、東京都庭園美術館、1993年
―――
パブロ・ピカソが愛した7人の女性、作品に与え続けた大きな影響
https://matome.naver.jp/odai/2146640490474122401
ピカソが最も恐れた画家「ジョルジョ・デ・キリコ」の不思議な絵
https://matome.naver.jp/odai/2138324132769724701

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2017年8月 6日 (日)

アルチンボルト展・・・ハプスブルク家の皇帝の奇妙な趣味

Arcinboldo2017ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝の奇妙な趣味、16世紀の世界の支配者の奇妙な趣味。イタリア、マニエリスムの画家、アルチンボルド。『血みどろのハプスブルク史』の陰鬱な王の趣味。
アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo,1526-1593年)は、30代の時、1562年、ハプスブルク家の宮廷画家となり、フェルディナント1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世の3代の神聖ローマ皇帝に仕え、後に、貴族に列せられた。寓意とシンボルをちりばめた「四季」「四大元素」(大気、火、大地、水)は、世界の支配者、神聖ローマ皇帝を讃えることが目的だった。
世界の支配者たるハプスブルク家の神聖ローマ皇帝の奇妙な趣味。偏奇な館に閉じこもる皇帝の密室。16世紀、聖職者の欺瞞が暴かれるとき、何を探求したのか。マクシミリアン1世(1493年—1519年)から始まるハプスブルク帝国は、醜悪な趣味に陥る。世界の支配者たるハプスブルク家の神聖ローマ皇帝の悪趣味。金と地位に溺れる権力者の悪趣味。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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展示作品の一部
ジュゼッペ・アルチンボルド「春」1563年 油彩/板、マドリード、王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館
ジュゼッペ・アルチンボルド「夏」1572年 油彩/カンヴァス、デンバー美術館
ジュゼッペ・アルチンボルド「秋」1572年 油彩/カンヴァス、デンバー美術館
ジュゼッペ・アルチンボルド「冬」1563年 油彩/板、ウィーン美術史美術館
アルチンボルド「四大元素」(大気、火、大地、水)、1566年、ウィーン美術史美術館、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
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ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593年)は、16世紀後半にウィーンとプラハのハプスブルク家の宮廷で活躍した、イタリア・ミラノ生まれの画家です。自然科学に深い関心を示したマクシミリアン2世、稀代の芸術愛好家として知られるルドルフ2世という神聖ローマ皇帝たちに寵愛されたアルチンボルドは、歴史上でもひときわ異彩を放つ、宮廷の演出家でした。そんな「アルチンボルド」の名は何よりも、果物や野菜、魚や書物といったモティーフを思いがけないかたちで組み合わせた、寓意的な肖像画の数々によって広く記憶されています。奇想と知、驚異と論理とが分かちがたく交錯するそれらの絵画は、暗号のようにして豊かな絵解きを誘い、20世紀のシュルレアリスム以後のアーティストたちにも、大きな刺激を与えました。
本展は、世界各地の主要美術館が所蔵するアルチンボルドの油彩約10点や素描を中心に、およそ100点の出品作品により、この画家のイメージ世界の生成の秘密に迫り、同時代の文脈の中に彼の芸術を位置づけ直す試みです。日本で初めて、アルチンボルドのユーモアある知略の芸術を本格的にご紹介するこの機会を、ご期待ください。国立西洋美術館
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参考文献
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-d0b2.html
スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-eb5a.html
ハプスブルク家 皇妃エリザベート、バイエルンの薔薇
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-f025.html
ハプスブルク帝国、ヴェラスケス、黄昏の光芒
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-3207.html
ハプスブルク家 マリー・アントワネット 革命に散る
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-7961.html
マクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝1493年—1519年)
ベルギー、奇想の系譜、ザ・ミュージアム・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-09fb.html
―――
★アルチンボルト展、国立西洋美術館
2017年6月20日(火)~2017年9月24日(日)
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2017arcimboldo.html

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2017年8月 3日 (木)

ベルギー、奇想の系譜、Bunkamuraザ・ミュージアム・・・怪奇と幻想うごめくフランドル

Paul_delvaux_the_sea_is_near1965_2ベルギー、奇想の系譜、Bunkamuraザ・ミュージアム・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
真夏の午後、美術館に行く。フランドルは、15世紀から幻想絵画の地である。フランドルの幻想とボスの怪奇生物。デルヴォーの幻想都市の美女に耽溺する真夏の午後。
スヘルトーヘンボスのヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch.1450—1516)の時代から幻想絵画が描かれる。
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術と運命の戦い』
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
―――
美しき女相続人、マリー
マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgougne, 1457年—1482年)は、シャルル豪胆王が戦死し、「遍在する蜘蛛」フランス王ルイ11世から求婚される。これを断るためにハプスブルク家マクシミリアン1世に求婚する。1477年、結婚。ブリュッセルに生まれた、美的趣味にあふれる美女だった。美しく知的な女性だったが25歳で亡くなった。
フランドルは、マクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝1493年—1519年)の時代から文化が栄え美術が蒐集される。ブルゴーニュ公女マリーとマクシミリアン1世の子が、フィリップ美公である。美公は、スペイン王女フアナと結婚する。ここからハプスブルク家の栄光が始まる。美公の母、マリーとマクシミリアン1世の出会いは、運命的な出会いである。
ベルギー・フランドル地方で中世末期から発達してきた「幻想絵画」「奇想画」美術をたどる展覧会。15世紀、ヒエロニムス・ボスから描かれる怪奇生物、写実的な悪魔や怪物の姿。ブリューゲル1世に受け継がれる。19世紀から始まる象徴派・表現主義。ジャン・デルヴィル。フェルナン・クノップフ。20世紀のシュルレアリスムを経て現代に脈々と受け継がれる。ポール・デルヴォー、ルネ・マグリット。500年以上にわたる不思議な奇想の系譜をたどる。
ポール・デルヴォー 運命の恋人と眠れるヴィーナス
ポール・デルヴォー(Paul Delvaux, 1897~1994)は、困難な運命との苦闘の末、別離した運命の女性と再会する。1929年32歳の時、運命の恋人アンヌ=マリー・ド・マルトラール(タム)と出会う。しかし別離。別れから17年後、恋人と運命的な再会を果たす。1934年「ミノートル展」で、ジョルジョ・デ・キリコの作品に出会いシュールレアリスムの影響を受ける。『眠れるヴィーナス』の幻想を描きつづける。デルヴォーは、96歳まで優美な白昼夢をヨーロッパの夜の風景に紡ぎつづけた。
マグリット(Magritte,1898‐1967)は、ジョルジョ・デ・キリコの「愛の歌」(1914)に感銘を受け、シュルレアリスムへと傾倒する。妻ジョルジェットとともにパリへ引っ越し、アンドレ・ブルトンを中心とするパリのシュルレアリストたちのグループに合流したマグリットは、言葉とイメージの関係を主題とする作品を多く生み出した。Surrealism(1926−1930)時代。
*大久保正雄『藝術と運命の戦い』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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展示作品の一部
ヒエロニムス・ボス工房「トゥヌグダルスの幻視」1490-1500年頃 油彩・板 ラサロ・ガルディアーノ財団 Fundación Lázaro Galdiano
ヤン・マンデイン「聖クリストフォロス」 制作年不詳 油彩、板、ド・ヨンケール画廊蔵
ピーテル・ブリューゲル(父)[原画]、「大食」ピーテル・ファン・デル・ヘイデン[彫版]1558年 エングレーヴィング・紙 神奈川県立近代美術館
ピーテル・ブリューゲル(父)[原画]/ピーテル・ファン・デル・ヘイデン[彫版]「魔術師ヘルモゲネスの転落」1565年 エングレーヴィング、紙、プランタン=モレトゥス博物館蔵
ジャン・デルヴィル「レテ河の水を飲むダンテ」1919年 油彩・キャンヴァス 姫路市立美術館
ポール・デルヴォー「海は近い」1965 姫路市立美術館
ポール・デルヴォー「水のニンフ(セイレーン)」1937 姫路市立美術館
Paul Delvaux, The sea is near.1965.De zee is nabij – 1965
Paul Delvaux,Water Nymphs, Sirens. 1937
ルネ・マグリット「大家族」、1963年、油彩・キャンヴァス 宇都宮美術館
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ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅・・・夢と現実の織りなす世界
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-bc20.html
ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展・・・幻想の画家ボスとブリューゲル
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-6734.html
ベルギー幻想美術館: クノップフからデルヴォー、マグリットまで、Bunkamura ザ・ミュージアム、2009年9月3日(木)~10月25日(日)
ブリューゲル版画の世界、Bunkamura ザ・ミュージアム、2010年7月17日(土)~8月29日(日)
マグリット展・・・夕暮れの瞬間、光の帝国
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-6e86.html
―――
★ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで、ザ・ミュージアム
2017年7月15日(土)から9月24日(日)まで
http://krs.bz/bunkamura/c?c=58572&m=167440804&v=6722ccdb

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2017年8月 1日 (火)

クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死

Monetpromenade_1875Monetterrasseクロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。(大久保正雄『藝術と運命の戦い』)
クロード・モネ(Claude Monet, 1840—1926)。若き日、貧困にあえぐ。愛する女の死と悲しみから藝術が生まれる。
貧乏画家のモネはカミーユと恋に落ち、子供が生まれる。モデルを雇うお金がないモネの描く人物画は、カミーユがモデルを務めている。
モネの妻カミーユ32歳で死す。のちに、支援者の令嬢18歳のシュザンヌ・オシュデで『ひがさの女』を描く。
1859、19歳でパリに行き、カミーユ・ピサロに出会う。
1866年、恋人カミーユ・ドンシューを描く。『カミーユ、緑衣の女』1866,サロンに出展、絶賛される。1867年、カミーユ、未婚のままモネとの間に長男を出産、1870年にようやく結婚した。
1867、モネ『海辺のテラス、サンタドレス』。
1871年、アルジャントゥイユに移る。
モネ『印象 -日の出(Impression, soleil levant)』1872年。1874年、第1回、印象派展に展示。
クロード・モネ『日傘を差す女、 カミーユとジャン・モネ』1875年。
しかし、1875年7月、カミーユは当時不治の病だった結核にかかり、
1879年、カミーユ(1847—79旧姓カミーユ・ドンシュー)は1879年、32歳の若さで死ぬ。モネ、39歳。
以後、人物画を描くことはまれになった。モネはその後1892年に再婚。
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い』
―――
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
―――――
モネ『散歩、日傘をさす女』(La promenade, La femme à l'ombrelle)1875年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー
アルジャントゥイユの草原に立ち日傘をさす女性は、当時の妻カミーユ・ドンシュー(カミーユは1879年に死去し、モネはその後1892年に再婚する)。傍らに添う幼児は長男ジャン(当時5歳)をモデルに制作。
モネ『日傘の女』『戸外の人物習作(右向きの日傘の女)』(Essai de figure en plein air, dit Femme à l'ombrelle toumée vers la gauche)1886年、オルセー美術館
『戸外の人物習作(左向きの日傘の女)』(Essai de figure en plein air, dit Femme à l'ombrelle toumée vers la droite)1886年オルセー美術館
印象派の庇護者オシュデ夫妻の三女で、当時18歳のシュザンヌ・オシュデをモデルにジヴェルニー近郊のオルティエ島の土手に立つ人物を描いた。
―――――
★モネ『死の床のカミーユ・モネ』1879
モネ『印象 -日の出(Impression, soleil levant)』1872年, Musée d'Orsay
モネ『海辺のテラス、サンタドレス』Terrasse a Sainte-Adresse,1867, Metropolitan NY
モネ『カミーユ、緑衣の女』1866,サロンに出展、絶賛される。
モネ『庭のカミーユと子供』1875,ボストン美術館
1874年─パリ「第一回印象派展」とその時代、1994年9月20日- 1994年11月27日、国立西洋美術館
―――
モネ大回顧展、国立新美術館、2007年4月7日―7月2日
新印象派 光と色のドラマ、東京都美術館、2015年1月24日―3月29日
印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで、国立新美術館、2013年10月4日(金)~12月23日(月・祝)
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-5ed6.html
没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった、国立新美術館 2010年10月1日(金)~12月20日(月)まで
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-fbc5.html
「オルセー美術館展2010 ─ポスト印象派」国立新美術館、2010年5月26日-8月16日
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/2010-2445.html

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2017年7月18日 (火)

「タイ、仏の国の輝き」東京国立博物館・・・暁の寺、唯識の幻

20170704夏の深緑の森を歩いて、博物館に行く。ナーガ上の仏陀坐像、熱帯の森の沈黙。バンコクの暁の寺(Wat Arun)の幻想が蘇る。
永遠を旅する哲学者は、時を超え、黄昏の丘を超えて、美へ旅する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
―――
高校時代の読書、三島由紀夫『暁の寺』(1970)を思い出す。第一部の時代は1941年(昭和16年)から終戦の1945年(昭和20年)まで。本多繁邦は、バンコクで7歳の王女・月光姫と出会う。月光姫は主人公を見ると懐かしがる。黙って死んだお詫びがしたいと言う。仏教の輪廻転生、唯識の世界に足を踏み入れ、戦争中、宗教書を読みあさり研究に没頭する主人公の憂愁。
―――
ナーガ上の仏陀坐像、火焔飾りの黄金の仏陀像、仏陀遊行像をみると詩を思い出す。
思想は一つの意匠であるか 鬱蒼としげつた森林の樹木のかげで. ひとつの思想を歩ませながら. 佛は蒼明の自然を感じた. どんな瞑想をもいきいきとさせ. どんな涅槃(ねはん)にも溶け入るやうな. そんな美しい月夜をみた。「思想は一つの意匠であるか」佛は月影を踏み行きながら かれのやさしい心にたづねた。*萩原朔太郎「思想は一つの意匠であるか」
上座部仏教(Theravada Buddhism)の国タイ。タイ族前史の古代国家、タイ黎明期のスコータイ朝、国際交易国家アユタヤー朝、現王朝のラタナコーシン朝における仏教美術の名品。
仏教の原始教団は、多くの部派に分裂し、部派仏教がうまれた。その中で、最も厳格に戒律を守り、伝統を継承しようとした保守派を上座部という。上座(thera)とは教団内の指導的な長老を意味する。
―――
展示作品の一部
「ナーガ上の仏陀坐像」スラートターニー県チャイヤー郡ワット・ウィアン伝来
シュリーヴィジャヤ様式 12世紀末~13世紀、バンコク国立博物館蔵
「法輪」スパンブリー県ウートーン遺跡第11号仏塔跡出土、ドヴァーラヴァティー時代 7世紀、ウートーン国立博物館蔵
「仏陀坐像」スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・サワンカラーム伝来、スコータイ時代 15世紀、サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
「仏陀遊行像」スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・サワンカラーム伝来
スコータイ時代 14 ~15世紀、サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
―――
識体の転変
第八識、阿頼耶識は、大円鏡智に転じる。
第七識、末那識は、平等性智に転じる。
★転識得智 9識は、金剛頂経の説く瞑想法(五相成身観)によって各々五智に転じる。
大日如来の知恵 五智如来の知恵
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-0e2c.html
―――
★タイ、仏の国の輝き、東京国立博物館
2017年7月4日(火) ~ 8月27日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1848

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2017年7月 6日 (木)

島薗進×大久保正雄「死生学 ファンタジーと宗教」ソフィア文化芸術ネットワーク

2017062801201706160_220170628010島薗進×大久保正雄「死生学 ファンタジーと宗教」ソフィア文化芸術ネットワーク
【質疑応答】宗教学者、島薗進先生に死生学についてご見解を質問しました。2017.5. 28
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-86b2.html

1【宗教とは何か】
大久保正雄
宗教の本質は何か。信仰。祈り。儀礼。幻想。癒し。救い。神殿。聖なる空間。宗教の定義は何か。例えば、*ソクラテスの祈り(プラトン『パイドロス』)*「當麻寺、中将姫の聖衆来迎練供養会式」
ソクラテスの祈り プラトン『パイドロス』最後の場面で、ソクラテスが祈る言葉。
「親愛なるパンよ、ならびに、この土地にすみたもうかぎりのほかの神々よ。この私を内なる心において美しいものにしてくださいますように。そして、私が持っているすべての外面的なものが、この内なるものと調和いたしますように。
私が、知恵ある人をこそ富めるものと考える人間になりますように。また、私が持つお金の高は、ただ思慮ある者のみが、にない運びうるものでありますように」『パイドロス』279B

島薗進
宗教は人間のさまざまな営みに用いられている用語で、「本質」を定めることはできないと思います。私は「聖なるものとの関わり」と定義しています。(『現代宗教とスピリチュアリティ』)人間は遠くのほうに思いを馳せる者です。

2【宗教が生まれる原因は何か】
大久保正雄
宗教が存在する理由。孤立する人間、苦悩する人間、混迷する世界に対して、宗教は何をなすのか。
島薗進
理性や日常的な経験で捉えられるものを超えた尊いもの(聖なるもの)がないと人は生きていくことができないと思います。

3【世界観の選択】
大久保正雄
世界の様々な宗教の世界観(Weltanschauung)の選択、その根底にあるものは何か。個に対する既存の社会は、世界観を選択する自由を許さない。ファンタジー文学には、世界観の選択がある。行動の選択は世界観の選択である。しかし、日常世界では、人は世界を選択し、社会構造を選択できない。藝術家、思想家は、現実の世界の軋轢のなかで、行動を選択し世界観を選択する。ファンタジー文学は、世界観を選択して構築される。世界観の選択の背景には、「社会構造の選択」がある。*『ギリシア神話の世界観』、密教の世界観、浄土教の世界観。

島薗進
「軸の時代」(ヤスパース)に古代帝国を基盤に宗教文明が広がりました。
この諸文明が形作っている世界観の枠組みはなかなか変わらない。しかし、近代になってファンタジー文学などにおいて、その枠を超えて個々人の感受性に即応できる世界観の構築が求められるようになってきていると思います。「新しいスピリチュアリティ」もそうした動きの表れです。(『スピリチュアリティの興隆』)

4【藝術家と宗教】
大久保正雄
藝術家と宗教との関係について。孤高の藝術家、壮絶な人生を生きる藝術家。藝術家は、苦悩の人生、壮絶な人生を生きる時、思想、宗教を心の支えとする。例えば、李白、葛飾北斎。*
李白は、60年の壮絶な人生を旅に生きた。「白髪三千丈、愁ひに縁りて、箇くの似く長し、知らず明鏡の裏、何れの処よりか秋霜を得たる。」。道教の隠者の生活を行った。(*井波律子『中国の隠者』、筧久美子『李白』)
北斎は、93回引越、30回画号を変える。73歳で代表作「神奈川沖浪裏」『富嶽三十六景』を生みだす。北斎は、67歳で脳卒中に襲われ、自分で治す。柚子を磨り潰して日本酒に溶かして飲む自家療法で治した。北斎が追い求めていたのは唯一つ。画業を極めること。75歳で画狂老人卍を名のる。傑作『鳳凰図屏風』を画く。(*大久保正雄『不死鳥の画家、北斎 北斎は天翔ける。美の天に向かって』)。
北斎 88歳ごろ『富士越龍図』(1849年)を画く。90歳画狂老人卍として死ぬ。「あと5年あれば、真正の画工になれるのに」(*飯島虚心『葛飾北斎伝』)
葛飾北斎は、日蓮宗や妙見菩薩、老荘思想など、複雑な信仰の持ち主。数多くの転居や画号の由来から、ある貫徹した信念にたどり着く。毎日獅子の絵を描くことが何故悪魔祓いになるのか。妙見信仰の対象は北斗七星か北極星か。(*諏訪 春雄『北斎の謎を解く―生活・芸術・信仰』)

島薗進
これは『宗教を物語でほどく』という本と関わっていますが、宗教と芸術は重なり合う例が多いです。近代以前は宗教芸術が主流だったと言えるかもしれません。近代になって、伝統宗教の枠を超えるような芸術家が多く輩出するようになってきます。宗教に近づけない現代の芸術家も道具立として、宗教を頼りにする例も多いです。藝術家は、どこまでも求めつづける。
宗教は、悲しみの器。悲しみを容れる器であり。悲しみを力に変える装置です。

5【天から降りてきた魂】
大久保正雄
ファンタジーには、天から降りてきた人のテーマがある。純粋な魂が、天から降りてきて、地上で苦の修行をして、天に還る。例えば、『星の王子さま』、宮澤賢治『雁の童子』、プラトン『パイドロス』魂のミュートス。*
島薗進
アンデルセンの「人魚姫」は海の底に「もう一つの世界」がありますが、最後は天に「もう一つの世界」がありますね。宮澤賢治は仏教徒なので、さまざまな天界があるという世界観がふさわしいはずですが、銀河のような無数のものを抱擁する一つの天のような他界を描いたようです。「ひかりの素足」では、地獄も出てきます。

6【織田信長と天の思想】
大久保正雄
織田信長は、天の思想をもっていて、自らの仕事を天命と考えていたといわれる。
安土城天主閣は、5層7階の天主閣、儒教、道教、仏教の世界観の屏風絵があった。天正の暦を天皇に採用させた。織田信長は、ローマから西洋の考えを輸入しようと考えた。宗教弾圧、藝術弾圧したのは、秀吉、家康である。(*大久保正雄『メディチ家と織田信長』)
島薗進
信長は日本の世界観からはみ出しそうになったところで死にました。キリスト教の影響も考えられますが、儒教における天の意思を受けた皇帝の観念の影響もあるかと思います。中国や韓国には「天」の理念があり、日本はそれが弱いです。

7【『秘密曼陀羅十住心論』】
大久保正雄
空海『秘密曼陀羅十住心論』『秘蔵宝鑰』『聾瞽指帰』。これは、比較宗教学、思想史の書であるが、意識レベルの上昇の精神史、地上の階級社会と精神の意識レベルとの隔絶を表している。地位ある者が、優れた精神をもつ者ではない。人の生きかたを問う倫理学でもある。(*例、『星の王子さま』6つの星めぐり、地理学者と探検家、プラトン『国家』第9巻。)*空海、サンテグ・ジュペリ、プラトンは「様々な生きかたを比較」して、よい生きかたを問う。意識レベルを比較する世界観がある。

島薗進
中国の仏教学は体系的な構築が行われ、教相判釈という比較宗教的な論理構造を作っていきました。日本でそうした思想構造を構築した稀有な仏教思想家が空海でしょう。中世的な唯一の真理の下の多様な世界観の位置づけということかと。
多様な思想を受け入れて存在するこの世界。現実の世界は、高い精神と俗なる人間、聖なる者と俗なる者が共生する世界です。

8【父殺しのテーマ】
大久保正雄
父殺しのテーマと宗教の誕生はどうかかわるのですか。父殺しのテーマと宗教の誕生、父権の抑圧と子の反抗、神話学の「聖なる弑逆」。(ソフォクレス『オイディプス王』、フロイト『トーテムとタブー』)。
島薗進
社会の秩序が父性的な存在、至高神に由来するとする神話が世界にみられます。救済の思想はそこになぜ苦難があるのかという根源的な葛藤と関わりがあります。そこでは、見放された存在が出てくる。仏教でも阿闍世王の物語があります。フロイトはキリスト教を横目に見ながら、神と人との葛藤を父殺しとして捉え返したと思います。宮澤賢治は、質屋を経営する父と確執があった。法華経を広めることを父に託して、この世を去った。

9【人の痛みを知ること】
大久保正雄
人の痛みを知る心をもつことは極めて難しい。どのようにすれば、人の痛みを知る心を持つことができるのか。
「どんなに高度な知識をもっていても、人の痛みを知らなければ存在する価値がない」。
「神々は、知恵に到る道の前に、苦悩を置いた」(エウリピデス)。「人の痛みを知る心」は、知識ではなく、知恵である。「徳(アレテー)を教えることは困難である」(プラトン『メノン』)。「惻隠」の心は仁のはじまりである。苦悩する体験をもつ人は、人の痛みを知ることができる。(*ギリシア悲劇、『孟子』、プラトン『メノン』)しかし、自分自身が苦悩を経験していても、他人の不幸は蜜の味、という人が存在する。
島薗進
これは難問ですね。痛みを経験した人が皆、他者の痛みを知るようになるわけではない。しかし、救済宗教が教えていることの核心かと思います。
「人間だけが赤面する。最近の人間は赤面しなくなった。特に、政治家は恥知らずだ」(山極寿一、ゴリラ学、京都大学)。現代人の失った赤面。近代人の失った悲しみ。人間は、悲しみを思い出すべきです。

10【理念の崩壊は『純粋理性批判』から始まった】
大久保正雄
『純粋理性批判』によって形而上学が否定された。「形而上学の崩壊」によって宗教の理想、プラトンの理念の崩壊が始まった。カント『純粋理性批判』は形而上学を否定した。カントは、先験的総合的判断(Synthetische Urteil a priori)は、疑いえない人間の判断と考え形而上学を批判した。人間の認識の根拠を科学的判断と考えた。科学主義である。「形而上学否定の根拠。感性的直観の対象となりうるもののみが存在する」(岩崎武雄『カント』思想学説全書、勁草書房P172)

島薗進
ポスト形而上学という近代以後の世界の特徴ですね。『宗教学の名著30』で述べましたが、現代世界はいかにして超越性を再構築するかの模索が続いていると思います。
★参考文献
島薗進『こころをよむ 物語のなかの宗教』
島薗進『宗教を物語でほどく』
島薗進『宗教学の名著30』
島薗進『現代宗教とスピリチュアリティ』
島薗進『スピリチュアリティの興隆』
島薗進×夢枕獏『人間って何ですか?』
島薗進『日本人の死生観を読む』
大久保正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲學史』理想社
大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」詩誌『酒乱』
大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説(agrapha dogmata)と詩のことば―」
大久保正雄「ギリシア悲劇とプラトン哲学の迷宮 ―ことばの迷宮―」詩誌『酒乱』
大久保正雄「魂の美學 プラトンの対話編に於ける美の探究」
大久保正雄「不死鳥の画家、北斎 北斎は天翔ける。美の天に向かって」
大久保正雄「愛と美の迷宮 イギリスロマン派からラファエロ前派」
大久保正雄「幻の花の都、京都 美の洗練、破壊と創造」

【質疑応答】島薗進×大久保正雄「死生学 人の心の痛み」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-8607.html

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2017年6月30日 (金)

「レオナルド×ミケランジェロ展」・・・レオナルド「レダと白鳥」

Leda_melzi_uffiziFrancesco_melzi_st_anne_with_the_vi緑深い午後、三菱一号館美術館に行く。緑陰の木洩れ日の中庭で、友人と会話すると美しい日々を思い出す。美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンの宴。悲劇詩人の祝宴の美しい精神の自由な饗宴。失われたレオナルド「レダと白鳥」の面影。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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レオナルドとミケランジェロ
ひとは運命と対峙することがある。だが、知性によって、運命を克服することができる。「運命はわたしたちがつくるものである。いまからでも遅くない。いまをどう生きるかで、未来が決まる」『ガンディー 魂の言葉』。レオナルドとミケランジェロは、困難な環境にあって、運命と対峙し、超克した。不屈の魂である。
レオナルドとミケランジェロの対決
レオナルドとミケランジェロは「宿命の敵」と呼ばれる。レオナルドとミケランジェロは、25歳の年の差がある。レオナルドとミケランジェロは、ルネサンスの類いなき巨匠であるが、対立し、対峙した。比較芸術論争(paragone)で、絵画が優越するとするレオナルドと彫刻が優越するとするミケランジェロは対立した。
五百人広間の壁画
1503年、五百人広間の壁画制作を競作。レオナルドは「アンギアリの戦い」、ミケランジェロは「カッシーナの戦い」を制作した。フィレンツェ共和国のピエロ・ソデリーニがミケランジェロに発注したヴェッキオ宮殿の壁画「カッシーナの戦い」ミケランジェロは下描きが終わった段階で、ユリウス2世によりローマへ呼び戻され、「カッシーナの戦い」は未完に終わった。レオナルド「アンギアリの戦い」は素描から彩色の段階で中断する。
論争
1504年ミケランジェロは「ダヴィデ像」を制作した。「ダヴィデ像」の置き場をめぐって、フィレンツェ市庁舎前の広場に置くか、屋内に置くか論争になった。ミケランジェロは広場に置くことを主張した。
卓越した素描(disegno)
レオナルド・ダ・ヴィンチ「少女の頭部/岩窟の聖母の天使のための習作」(1483-85年)は、バーナード・ベレンソンに「最も美しい素描」と呼ばれた。1505年、レオナルドは「レダ」を描き、工房を訪れたラファエッロに見せた。ラファエッロは、「モナリザ」と「レダ」の素描を描いた。
ミケランジェロは後年、レダの主題に取り組む。ミケランジェロ「レダと白鳥の頭部のための習作」)1530年)がある。
運命との戦い 失われた母の面影
レオナルドとミケランジェロは、悲傷の少年時代を生きた。レオナルドは、母カテリーナと別れて生きた。父セル・ピエロに捨てられ、祖父叔父に育てられる。祖父叔父は一生、無職のまま生きた。ミケランジェロは、6歳で母が死ぬ。ブオナローティ家は、銀行業を営んでいたが失敗し破綻した。ミケランジェロは、17歳の時から、ロレンツォ・デ・メディチに養育される。しかし、3年後、ロレンツォは死去する。
レオナルドは「レダ」「聖アンナと聖母子」の母、「岩窟の聖母」の天使、他、美しい女性像を探求しつづけた。ミケランジェロは「ヴァチカンのピエタ」「レダ」において美しい女性像を造形しつづけた。二人が追い求めたのは、失った母の面影である。失われた愛は、永遠に美しい。
*レオナルド「レダ」素描1506ウィンザー城王立図書館
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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失われたレオナルド「レダと白鳥」
レオナルド「レダと白鳥」(1503—1519)を求めてヨーロッパを旅した日々を思い出す。レオナルド派「レダと白鳥」は、ボルゲーゼ、ウフィツィでみた。レオナルド派「レダと白鳥」(1505-10年頃 ウフィツィ美術館)は、フランチェスコ・メルツィの作である。フォンテーヌブロー宮殿所蔵品目録にあったレオナルド「レダと白鳥」は、いま、どこにあるのだろうか。
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レダと白鳥
絶世の美女レダは、双子の美女クリュタイムネストラとヘレネを生んだ。
テュンダレオスは、テスティオスの娘レダを娶った。レダが余りにも美しかったため、ゼウスは、白鳥の姿となってレダと交わり、2つの卵から2組の双子が生まれた。カストールとポリュデウケースの兄弟とクリュタイムネストラとヘレネの姉妹である。カストールは戰爭の術に通暁し、ポリュデウケースは拳闘の技に熟達、ディオスクーロイ(ゼウスの子)と呼ばれた。姉妹は、スパルタの兄弟と結婚した。ヘレネは、スパルタ王メネラオスと結婚し、クリュタイムネストラは、メネラオスの兄ミュケナイ王アガメムノンと結婚した。(cf.アポロドーロス『ビブリオテーケー』)アガメムノンとメネラオスは、ともにアトレウスの子である。アガメムノンとクリュタイムネストラの間に生まれた子が、エレクトラ、オレステス、イピゲネイアである。2人の美女は運命の子である。クリュタイムネストラは夫である王アガメムノンを殺害し、ヘレネはトロイ戰爭の原因となった。絶世の美女は不幸の原因であった。クリュタイムネストラとヘレネは、美貌ゆえに、人を惑わし破滅させた。美しい容貌の下に、醜い心が隠れている。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
愛と復讐 アイスキュロス『オレステイア』三部作
https://t.co/httDdX6Bvr
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*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
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展示作品の一部
Francesco Merziレオナルド派「聖アンナと聖母子」1508-20年頃ウフィツィ美術館
Francesco Merziレオナルド派「レダと白鳥」1505-10年頃 ウフィツィ美術館
©Firenze, Gallerie degli Uffizi, Gabinetto fotografico delle Gallerie degli Uffizi
レオナルド・ダ・ヴィンチ「少女の頭部/<岩窟の聖母>の天使のための習作」1483-85年頃 トリノ王立図書館 ©Torino, Biblioteca Reale
ミケランジェロ・ブオナローティ「<レダと白鳥>の頭部のための習作」1530年頃 カーサ・ブオナローティ©Associazione Culturale Metamorfosi and Fondazione Casa Buonarroti
レオナルド・ダ・ヴィンチ「大鎌を装備した戦車の二つの案」1485年頃 トリノ王立図書館
フランチェスコ・ブリーナ(帰属) 「レダと白鳥(失われたミケランジェロ作品に基づく)」
1575年頃 油彩/板 500×605 カーサ・ブオナローティ
©Associazione Culturale Metamorfosi and Fondazione Casa Buonarroti
ミケランジェロ・ブオナローティ「十字架をもつキリスト」1514-1516年、大理石 2500(キリスト像だけで2010)mm、サン・ヴィンチェンツォ修道院聖堂蔵
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★「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館
会期:2017年6月17日(土)〜2017年9月24日(日)
東京都千代田区丸の内2-6-2
http://mimt.jp/lemi/

Leonardo, Leda and swan, Uffizi, 1505-10
Leonardo, St Anna and Madonna with baby, Uffizi, 1508-20

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