2024年2月 9日 (金)

本阿弥光悦の大宇宙・・・現世即、常寂光土

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第357回
本阿弥光悦、謎の生涯、多彩な才能の源泉は何か。「一生涯へつらい候事至てきらひの人」「異風者」『本阿弥行状記』。
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【本阿弥光悦の謎】本阿弥家は刀剣三事(研磨、浄拭、鑑定)を家職とするのはなぜか。【光悦1558-1637】本阿弥光悦は俵屋宗達とどこで出会ったのか。なぜ楽焼の田中常慶に習ったのか、古田織部に茶の湯を学んだのか。元和元年(1615年)徳川家康から鷹峯の地を拝領したのはなぜか。豊臣家が滅びた元和元年凱旋の家康から鷹峯に東西ニ百間の土地を与えられ一族郎党、五十五軒の屋敷を構え移り住み洛中と往還したのはなぜか。本阿弥家の名は、一遍上人の遊行念仏、南無阿弥陀仏に由来する、なぜ日蓮法華衆に属したのか。雁金屋、尾形光琳・乾山はなぜ光悦の影響を受けたのか。
【光悦の母・妙秀】(光心の娘)は90歳で没したが類い稀な女性(『本阿弥行状記』)。【光悦は妙得との間に妙潤を】なぜ光瑳を養子とし孫・光甫を得たのか。光悦は70代で子をなしたとされる。【鷹峯】延宝7(1679)年、本阿弥家は光悦の夢の地、鷹峯を幕府に返上。なぜ64年間にわたる光悦の藝術村は終焉したのか。
【本阿弥妙秀、光二、織田信長】織田信長と光二は刀剣に関して昵懇であったが、信長の部下が有岡城落城のとき荒木村重の刀剣をめぐり讒言した。「身に曇りなきことは天道御存知なるべし」。妙秀は、賀茂山で鹿狩りの信長の馬の口に、突然取りすがった。夫は落ち度もなしにご勘気を蒙っております、無実を訴え、光二の命を織田信長に助命嘆願した。(『本阿弥行状記』三巻)妙秀の娘の一人は中立売小川の呉服商、雁金屋に嫁いだ。光琳・乾山兄弟の祖父・尾形宗柏。雁金屋は当時「殊の外貧しき」と言われる貧乏商人だった。妙秀「金銀を宝と好むべからず。富むほどに一層むさぼるのが世の常だ。しかし妙秀はその貪りを恐れた。善い心という以上の宝がこの世にありましょうか」
【本阿弥光悦】(1558-1637寛永14年(1637年)2月3日、享年80歳。
【日蓮法華衆】絵師、狩野永徳や長谷川等伯は光悦より15歳以上年長だが、熱心な日蓮宗徒。本阿弥家の菩提寺の本法寺(上京区)は、等伯が終生交わりを結んだ日通上人が住職を務める。
【光悦と宗達】【本阿弥光悦】は【八代当主本阿弥光刹(こうせつの)娘、妙得】を娶り、光悦の姉、妙光が九代当主本阿弥光徳に嫁ぐ。【雁金屋初代】光悦の姉、法秀は尾形道柏に嫁いだ。【俵屋宗達】は光刹(こうせつの)娘、と婚姻(『本阿弥家系図』)、光悦と義兄弟。頂妙寺檀徒、俵屋喜多川当主宗利の子、常通=宗達が蓮池常知の養子となり、俵屋蓮池一門のもう一つの家職、扇、絵屋工房を継承した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【本阿弥本光】15世紀半ばを生きた本阿弥本光は、室町幕府第6代将軍の足利義教に仕えた。【光二】光悦はその本光の曾孫として、永禄元(1558)年に生まれた。父親の光二は本阿弥家と縁続きの武家(片岡家)の出身で【七代当主光心】本光の息子・光心の養子に迎えられ、長女の妙秀(みょうしゅう)と結婚した。光二が養子に迎えられた後、光心には実子(八代当主光刹こうせつ)が生まれ、光二は別家を立てた。
【妙秀】母親の妙秀が、魅力的な女性だった。光悦の孫・光甫(こうほ)が綴った本阿弥家の家伝「本阿弥行状記」によれば、夫の光二が織田信長の勘気をこうむったとき、妙秀は鹿狩に出かける信長を追い、馬上の信長に夫の冤罪を直訴した。鐙(あぶみ=足をかける馬具)で蹴られながらも必死に訴える様子を見た信長は、ようやく勘気を解いた。
【刀剣三事】本阿弥家は室町時代、足利将軍家や守護大名家に仕え、本阿弥家は、刀剣三事(研磨、浄拭(ぬぐい)、鑑定)、を行う専門家であった。
【天下人・家康との縁】【光悦、多彩な才能】光悦の代になると家業にとどまらず書や蒔絵(まきえ)、陶芸と幅広く手がけるようになった。姻族だった扇商の俵屋宗達に絵を描かせ、光悦が書を担当した色紙や巻物は評判を呼び、多くの注文が舞い込んだ。芸術家、光悦の誕生である。
【刀剣三事】本阿弥家は刀剣の研磨・浄拭(ぬぐい)・鑑定を家業とし、光二は加賀前田家から扶持200石を受け、彼の息子である光悦もこれを継承。【書・陶芸・漆芸・能楽・茶の湯】光悦は家業よりも、書・陶芸・漆芸・能楽・茶の湯などに携わった数寄者としての活動でその名を残した。
【寛永の三筆】「三筆」の一人に数えられ、その書流は光悦流の祖と仰がれる。陶芸では楽焼の田中常慶に習ったと思われる茶碗、漆芸では装飾的な図柄の硯箱などが知られる。このうち漆工品では極く厚い夜光貝に鉛や銀などを併用し、斬新な意匠を創り上げ、その様式は「光悦蒔絵」と称されている。茶の湯は古田織部に学んだ。
【尾形光琳・乾山兄弟】の曾祖父・道柏の妻、法秀は光悦の姉であり、光悦と光琳は姻戚関係にあり。光悦の白楽茶碗「不二山」(国宝)にも関わった【楽焼の樂家の養子となった宗入(五代目当主)】の曾祖母も法秀であり、光琳・乾山とは従弟同士。
【養孫の本阿弥光甫】も陶芸家・茶人として著名。
光悦は、洛北鷹峯に芸術村(光悦村)を築いた。元和元年(1615年)に徳川家康から鷹峯の地を拝領した。光悦は、本阿弥一族や町衆、職人などの法華宗徒仲間を率いて移住した。光悦の屋敷は、死後に光悦寺となっており、彼の墓地もある。
【『本阿弥行状記』】「本阿弥家の家訓」等を光甫が書き、妙了が書写した本。
本阿弥光悦の養子・光瑳、孫光甫、孫娘・妙了
【本阿弥光悦と俵屋宗達の出会いは、異母兄弟】
【文化プロデューサー、本阿弥光悦】【光悦寺】
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【俵屋宗達】1570年代生まれ1642年までに死す。享年70歳前後。
親交のあった角倉素庵や烏丸光広と同年代、1570年代かその少し前の生まれと推定。京都で「俵屋」という当時絵屋と呼ばれた絵画工房を率い、扇絵を中心とした屏風絵や料紙の下絵など、紙製品全般の装飾を制作していた。同時代の仮名草子『竹斎』には、この頃京都で「俵屋」の扇がもてはやされたと記されている。
【平家納経】宗達は単なる扇絵職人ではなく、慶長7年(1602年)5月に福島正則の命令で行われた平家納経の修復、その内3巻の表紙と見返しの計6図を描いた(史料上確認できる宗達の事績の初見)。元和2年(1616年)、後水尾天皇が狩野興以に貝合わせの絵を描くのを命じた際、「俵屋絵」を見せたとの記録が残る。寛永7年(1630年)には、後水尾天皇から屏風3双の制作注文があった。
【俵屋宗達、法橋の位】一流の文化人であった烏丸光広や本阿弥光悦らの書巻に下絵を描き、嵯峨本の出版にも関与したらしい。少なくとも寛永7年(1630年)には町の絵師としては異例の法橋の位が与えられていた、当時から一流の絵師とみなされていた。当時有数の茶人であった、千少庵を茶の湯に招くほどの教養人。宗達死後は、俵屋宗雪が工房の後を継いだ。宗雪は寛永19年(1642年)既に法橋に叙されていることから、宗達はこの少し前に亡くなったらしい。
「風神雷神図」(建仁寺蔵)、松島図 フリーア美術館 左隻右隻、鶴下絵和歌巻(下絵・宗達、書・本阿弥光悦)京都国立博物館、扇面散屏風 フリーア美術館、養源院杉戸絵、舞楽図 醍醐寺 左隻右隻
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
松嶋雅人「本阿弥光悦の実像―法華町衆ネットワークからのアプローチ」2024
「本阿弥光悦の大宇宙」図録、東京国立博物館、2024
高橋伸城『法華衆の芸術』
東晋平『蓮の暗号』
参考文献
参考文献
「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」・・・幻の曜変天目、本能寺の変
https://bit.ly/3UYWOpe
鈴木其一・夏秋渓流図屏風・・・樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉
https://bit.ly/2ZCzN3x
「大琳派展―継承と変奏」東京国立博物館・・・絢爛たる装飾藝術、16世紀から18世紀
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-c300.html
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎
https://bit.ly/3hIroVg
大塚ひかり『嫉妬と階級の『源氏物語』』新潮社
「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」・・・源氏物語絵巻の闇、日月四季山水図屏風、神護寺三像、平家納経
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-1388ed.html
本阿弥光悦の大宇宙・・・現世即、常寂光土
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/02/post-2af811.html
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★★展示作品の一部
第一章「本阿弥家の家職と法華信仰――光悦芸術の源泉」、並んだ扁額を仰ぐことができる。千葉・中山法華経寺の「正中山」「妙法華経寺」、東京・池上本門寺の「本門寺」、京都・常照寺の「学室」
重要文化財 《紫紙金字法華経幷開結》、平安時代 11世紀 京都・本法寺蔵
蓮下絵和歌巻断簡(下絵・宗達、書・本阿弥光悦)17世紀 東京国立博物館
国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀
重要文化財 《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》(部分) 本阿弥光悦筆/俵屋宗達下絵、江戸時代 17世紀 京都国立博物館蔵
重要文化財 《黒楽茶碗 銘 時雨》 本阿弥光悦作、江戸時代 17世紀 愛知・名古屋市博物館蔵
重要文化財 《赤楽茶碗 銘 加賀》 本阿弥光悦作、江戸時代 17世紀 京都・相国寺蔵
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本阿弥光悦(1558~1637)は戦乱の時代に生き、さまざまな造形にかかわり、革新的で傑出した品々を生み出しました。それらは後代の日本文化に大きな影響を与えています。しかし光悦の世界は大宇宙(マクロコスモス)のごとく深淵で、その全体像をたどることは容易ではありません。
そこでこの展覧会では、光悦自身の手による書や作陶にあらわれた内面世界と、同じ信仰のもとに参集した工匠たちがかかわった蒔絵など同時代の社会状況に応答した造形とを結び付ける糸として、本阿弥家の信仰とともに、当時の法華町衆の社会についても注目します。造形の世界の最新研究と信仰のあり様とを照らしあわせることで、総合的に光悦を見通そうとするものです。
「一生涯へつらい候事至てきらひの人」「異風者」(『本阿弥行状記』)といわれた光悦が、篤い信仰のもと確固とした精神に裏打ちされた美意識によって作り上げた諸芸の優品の数々は、現代において私たちの目にどのように映るのか。本展を通じて紹介いたします。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2617
本阿弥光悦の大宇宙、東京国立博物館、平成館 特別展示室
2024年1月16日(火) ~ 2024年3月10日(日)

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2024年1月28日 (日)

「中尊寺金色堂」・・・魔界の入口、中尊寺金色堂の謎

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第356回
美術探訪、美への巡礼。特別展「中尊寺金色堂」大久保正雄
金色堂の須弥壇に、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩)、更に六体の地蔵菩薩、そして持国天、増長天が祀られている。この像容は、他に例が無く珍しい配置。吾妻鏡9巻(1189年)にこの像容の記載がある。国宝11体展示される。
魔界の入口【中尊寺金色堂の謎】藤原清衡は金色堂にどのような祈りをこめたのか。どのような一族の運命を願ったのか。中尊寺金色堂の原型は何か。藤原頼通は、平等院鳳凰堂に地上の極楽浄土を願った。なぜ今も千年前の姿をとどめるのか。宇治殿別荘、源融、藤原道長、紫式部は宇治に何を夢見たのか。紫式部は夢の果てに何を見出したのか。阿弥陀如来の極楽浄土の根拠はどこにあるのか。『仏説無量寿経』の根拠は何か。
【奥州藤原氏の悲劇】清衡は、一族繁栄、極楽浄土を願ったが、泰衡は源頼朝の罠にかかり一族滅亡。藤原清衡、基衡、秀衡、泰衡。三代秀衡(∸1187)は毛越寺を復興、社堂坊舎を増築し、堂搭四十余宇、僧坊五百余宇「吾妻鏡」。文治3(1187)年、頼朝の弟である義経が追放されて奥州へ落ち延び、秀衡のもとに身を寄せる。秀衡は息子たちに「義経を大将軍として仕え、奥州を守れ」と告げ、兄弟が争わないように取り計らうが亡くなる。だが側室から生まれた国衡と泰衡は対立。文治4(1188)年、義経の奥州潜伏が発覚、頼朝は泰衡たちへ義経討伐の命を何度も要請。泰衡は義経一行を攻め、自害に追いつめる。それにもかかわらず頼朝は全国の武士へ奥州攻め、泰衡は殺され、権勢を誇った奥州藤原氏四代は滅亡。
【藤原清衡、中尊寺金色堂】奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例。「金色堂 上下四壁は皆金色なり」『吾妻鏡』【阿弥陀三尊像】中央壇、右壇、左壇共に阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像)を中心に、左右に3躯ずつ計6躯の地蔵菩薩立像(六地蔵)、手前に二天像(持国天、増長天)を配し、以上11躯の仏像から構成される群像を安置。中央壇の阿弥陀如来像は丸顔で典型的な定朝様であり、定朝から3代目の円勢などの円派仏師の作風に通ずる12世紀前半の制作。
【平等院鳳凰堂】平安後期1052年、最大権力者であった関白・藤原頼通が父・藤原道長から継いだ別荘を仏寺に改めた『平等院』。そして翌1053年、当時最高技術を誇る仏師・定朝が造り上げた『阿弥陀如来坐像』を堂内に安置した『鳳凰堂』(阿弥陀堂)が完成した。国宝『鳳凰堂』は、摂関時代(平安中期)の建築を知ることができる藝術、堂内には金色の『阿弥陀如来坐像』が安置され、壁に『九品来迎図』や『極楽浄土図』が描かれ、建物内に優美な世界観が広がる。末法思想が貴族や僧侶らの間で広まり、1052年から末法になると信じられていた。死後に極楽往生を願う浄土信仰が広く浸透、南無阿弥陀仏を唱え阿弥陀如来を信仰すれば極楽浄土に行けると信じ、各地に阿弥陀堂が造られた。
【宇治別邸、源融】宇治の地は859年(貞観元年)第52代・嵯峨天皇の皇子である左大臣・源融が造営した別荘の地。第59代・宇多天皇、宇多天皇の孫、藤原頼通の父、藤原道長が源重信の婦人から譲り受け別荘「宇治殿」を創った。【紫式部『源氏物語』宇治十帖】光源氏のモデルは、源融と藤原道長。紫式部は、源融に憧れ、藤原道長の召人、中宮彰子の家庭教師。1001年(長保3)夏に宣孝が死に、1001年の秋ごろから『源氏物語』を書き始めた。1005年(寛弘2)ごろ年末に一条天皇の中宮彰子のもとに出仕。はじめ〈藤式部〉やがて〈紫式部〉と呼ばれる。紫式部の二百年後、『新古今和歌集』春の夜の夢の浮橋の歌がある。
【春の夜の夢の浮橋】「春の夜の夢の浮橋と絶えして嶺に別るる横雲の空」藤原定家、三十七歳の作である(建久八年(1197)12月5日、仁和寺守覚法親王五十首歌会)。春の夜の夢、たなびく曇が別れる空、実らぬ愛、魂の夢の浮橋。夢の浮橋とは『源氏物語』五十四帖の最終巻の巻名。見果てぬ夢のごとく、愛し合った男女、薫と浮舟が別れたまま終わる。【見果てぬ愛は、永遠に美しい】実らない愛は永遠に輝いている。定家は式子内親王と禁断の恋をし、逢ひて逢はぬ恋になる。「玉の緒よ絶えなば絶えね、ながらへば忍ぶることのよわりもぞする」式子内親王。わたしの命よ。絶えてしまうというなら絶えてしまえ。生きつづけていたならば、恋心を秘めておくことができないから。
【浄土教、大乗仏教はファンタジー】浄土教の根拠は『仏説無量寿経』である。だが、ゴータマ・ブッダが説いたものではないことは言うまでもない。1世紀に仏典作者が創作した。『仏説無量寿経』。説法の舞台は王舎城(ラージャグリハ)耆闍崛山(ぎじゃくっせん)、ある国の王が世自在王仏の説法を聞いて、王位を捨てて出家し、法蔵菩薩となり、五劫という長い間思惟して、無量の寿、無量の光をもつ阿弥陀浄土に生まれたいと願い、この第十八願を「本願」、すべての人びとを信心と念仏によって救う本願こそ、浄土教の教えの根本。法蔵菩薩は願いを実現するために、兆載永劫果てしなく長い間修行を重ね、阿弥陀如来となった。
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著者 大久保正雄 プラトン哲学、美学、密教の比較宗教学、宗教図像学。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。上智大学大学院、北海道大学大学院博士後期課程修了。
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「建立900年 特別展 中尊寺金色堂」
会場:東京国立博物館 本館特別5室 会期: 2024年1月23日(火)~4月14日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時 ※入館は閉館の30分前まで
休館日 :月曜日、2月13日(火)※ただし、2月12日(月・休)、3月25日(月)は開館
問い合わせ先 050-5541-8600(ハローダイヤル)
詳しくは東京国立博物館公式サイト https://www.tnm.jp/
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参考文献
末木文美土『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』新潮社1992
末木文美土『仏典を読む 死から始まる仏教史』新潮社2009
「法然と親鸞 ゆかりの名宝」東京国立博物館・・・宗教は麻薬
「空也上人と六波羅蜜寺」・・・亡き人を想う、生死の境、南無阿弥陀仏
親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝・・・西方浄土、阿弥陀如来の本願、『歎異抄』善人なほもて往生をとぐ
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎
「中尊寺金色堂」・・・魔界の入口、中尊寺金色堂の謎
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/01/post-cf7488.html

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2024年1月22日 (月)

美術館スケジュール2024年・・・旅する哲学者、美への旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第355回
【理念を追求する精神】邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、忠恕、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。
【五百年先の利益を考える人】天下人か聖人、空海、嵯峨天皇、織田信長【目先の利益を考える人】忖度官僚、忖度教授、家康、親鸞、儒者、御用学者、社畜、カネに汚い女【20年先の利益を考える人】大谷翔平、栗山英樹【千年先の利益を考える】神々【ソクラテス】魂ができる限り善きものになるように配慮しなければならない。」(『ソクラテスの弁明』29d-e)
黄昏の丘、万巻の書を読み、万里を行く。われに聞くに非ず、ロゴスに聞いて、真理を知れ。智慧と愛を求めて、魂の果てを旅する。純粋な魂に、守護精霊、美の女神が舞い降りて、探求者を救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【空海『聾瞽指帰』(797)】兎角公の屋敷で兎角公の甥蛭牙公子に放蕩青年を翻意、亀毛先生は儒教学問を学び立身出世することを教え、虚亡隠子は道教の不老長寿を教え、空海の化身である仮名乞児は仏教の諸行無常と慈悲を教える。空海が大学寮明経科退学、官僚の立身出世を辞す。【『三教指帰』】「本書は3つの宗教を比較し、空海自身と宗教との関係について考察している、日本における宗教学の先駆け。比較宗教学」島薗進
【星の王子さま、6つの星】命令する王様、探検家の報告を利用する地理学者、カネを数える実業屋、酒に溺れる飲んだくれ、自慢に溺れる自惚れ屋、日常業務に邁進する点燈夫。偏奇な星の主たち。【星の王子さま】7番目の星地球は、111人の王様 、7千人の地理学者 90万人の実業屋 、750万人の飲んだくれ、3億1100万人のうぬぼれ、かれこれ20億人の大人が住んでいる
【カネと地位で買えない価値】富とは、お金で買えないものをどのくらい持っているかである。お金で家は買えるけれど家庭は買えない。お金で学校は買えるけれど学問は買えない。知性は買えない。お金で地位は買えるけれど人格は買えない。魂の価値は買えない。
【ファシズム倫理学、神の代理人、命令で動く体系】「汝の意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当するように行為せよ」定言命法、第一の定式「汝の人格と他者の人格の内なる人間性を手段としてのみではなく常に同時に目的として扱うように行為せよ」定言命法、第二の定式 カント『純粋理性批判』『道徳形而上学原論』
空海は、何故、不空『理趣釈経』を最澄に借覧拒否したのか。
不空『理趣釈経』【『般若理趣経』第三段】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」不空訳『理趣釈』において三界の衆生とは三毒の煩悩と注釈されている。天人は三悪趣*と戦う。(地獄・餓鬼・畜生)。三悪趣、空海『秘密曼荼羅十住心論』第一住心。
【空海、聖なるものは悪を滅ぼす】空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。貪瞋痴。
空海【聖なる者は悪を滅ぼす】『理趣経』「第三段」の教説に関して不空訳『理趣釈』において三界の衆生とは三毒の煩悩と注釈されているが、当該注釈の方向性は空海にも継承され、空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1月
特別展「本阿弥光悦の大宇宙」、東京国立博物館、1月16日(火)~3月10日(日)
建立900年 特別展 中尊寺金色堂」、東京国立博物館 本館特別5室、2024年1月23日(火)~4月14日(日)
『サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展』、千葉市美術館、1月6日(土)~3月3日(日)
「うるしとともに― くらしのなかの漆芸美」泉屋博古館東京、1月20日(土)〜2月25日(日)
水木しげる生誕 100周年記念、水木しげるの妖怪 百鬼夜行展、横浜そごう美術館、
~お化けたちはこうして生まれた~、2024年1月20日(土)〜3月10日(日)
印象派 モネからアメリカへ、ウスター美術館所蔵、東京都美術館、1月27日(土)〜4月7日(日)
「四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎」サントリー美術館、1月31日(水)~3月24日(日)
「オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」「麻布台ヒルズギャラリー」2023年11月24日(金)から2024年3月31日(日)、開館記念展
2月
ムットーニワールド からくりシアターⅤ、八王子市夢美術館、2月3日(土)〜2024年3月24日(日)
中平卓馬 火―氾濫、東京国立近代美術館、2月6日~4月7日
池大雅ー陽光の山水、出光美術館、2月10日~3月24日
マティス 自由なフォルム、国立新美術館、2月14日(水)~5月27日(月)
美術家たちの沿線物語 小田急線篇、世田谷美術館、2月17日(土)〜4月7日(日)
山種美術館 日本画アワード 2024 ― 未来をになう日本画新世代 ―、2月17日(土)~3月3日(日)
「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」、東京ステーションギャラリー、2月23日(金・祝)~4月14日(日)
3月
「長谷川潔 銅版画の世界 自然をみつめるまなざし」、群馬県立近代美術館、2024年3月2日(土)~4月7日(日)
『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本、板橋区立美術館、2024年3月2日(土曜日)〜4月14日(日曜日)
遠距離現在 Universal / Remote、国立新美術館、 3月6日(水)〜6月3日(月)
「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」、3月12日(火)〜5月12日(日)
「花・flower・華 2024 ─奥村土牛の桜・福田平八郎の牡丹・梅原龍三郎のばら─」、山種美術館、3月9日(土)か〜5月6日(月・振)
第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」(横浜美術館)3月15日~6月9日
ライトアップ木島櫻谷、泉屋博古館東京)3月16日~5月12日(日)
MUCA森アーツセンターギャラリー、3月15日[金]〜6月2日[日]
特別展「大哺乳類展3-わけてつなげて大行進」、国立科学博物館、3月16日(土)~6月16日(日)
「大吉原展」東京藝術大学大学美術館3月26日〜5月19日
ブランクーシ 本質を象る、アーティゾン美術館、3月30日(土)〜2024年7月7日(日)
4月
特別展「法然と極楽浄土」、東京国立博物館、4月16日(火)~ 6月9日(日)
デ・キリコ展、東京都美術館、4月27日(土)~8月29日(木)
「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」奈良国立博物館、4月13日~6月9日
雪舟伝説-「画聖(カリスマ)」の誕生-、京都国立博物館、4月13日~5月26日
「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」(静嘉堂@丸の内)4月13日~
5月
「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」東京国立近代美術館、5月21日~ (大阪中之島美術館)9月14日~
6月
石川九楊大全、上野の森美術館)6月8日~
7月
「徳川美術館展 尾張徳川家の至宝」、サントリー美術館、7月3日~9月1日
「ポール・マッカートニー写真展1963-64~Eyes of the Storm~」東京シティビュー、7月~9月
空間と作品、アーティゾン美術館、7月27日~10月14日
「美麗なるほとけ、根津美術館、7月27日~
8月
「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」、東京都現代美術館、8月3日(土) ~11月10日(日)
9月
「没後300年記念 英一蝶(仮)」、サントリー美術館、9月18日~11月10日
田中一村展 奄美の光 魂の絵画、東京都美術館、9月19日(木)~12月1日(日)
10月
モネ 睡蓮のとき、国立西洋美術館、2024年10月5日(土)〜2025年2月11日(火・祝)
「織田信長文書の世界(仮)」(東京・永青文庫)10月5日~
特別展「はにわ」(東京国立博物館)10月16日~(九州国立博物館)2025年
11月
「トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル(仮)」(東京・三菱一号館美術館)11月23日~
12月
「坂本龍一展(仮)」(東京都現代美術館)12月21日~
英英紅綠 第49回 白日会会員選抜展、日本橋三越6階、美術特選画廊、12月18日(水)〜12月23日(月)
英英紅緑展、山本大貴『十六夜』8号、130万円、1982生まれ。松林淳『装う』6号17万円、1962年生まれ。岩本将弥『葵時雨』6号17万円、1992年生まれ。
――
2023年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-e79299.html
2024 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
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美術館スケジュール2024年・・・旅する哲学者、美への旅
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2024年1月 1日 (月)

2024 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅

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2024 長楽万年 蘇る不滅の精神 美と戦い
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第354回
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、忠恕、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
フランソワ・ジェラール『アモルとプシュケ』1798年
プシュケはある王国の三女であったが 、プシュケはあまりの美貌ゆえに求婚するものが現れず、神託により人身御供に捧げられた。ヴィーナスが美しさに嫉妬して遣わした息子アモルは見惚れる。自分の矢で傷つき、アモルによって天上の宮殿に略奪された。アモルを見ることを禁じられたプシュケは、アモルの姿をある夜、見てしまい、アモルを探し求めて世界中を彷徨う。ヴィーナスに4つの苦難を与えられたプシュケ。
【最後の難題は、冥界の女王ペルセポネから、美の函を地獄から持ち帰ること】プシュケはほとんど地上まで持ち帰るが、好奇心に勝てず、開けてしまう。しかしその函には、美のかわりに深い眠りが入っていて、プシュケは深い眠りにつく。プシュケは第4の苦難を解き、他方、アモルはプシュケを探している。眠っているプシュケを見つけ、その矢でついて目覚めさせる。プシュケは、アモルと天上界で結ばれる。
ルーヴル美術館、愛を描く・・・愛の絵画、愛と美の迷宮
蔵書数万冊の整理、論文、著作計画の完遂、取材、執筆活動の遂行。プラトンのように死ぬまで書いて行きたいと思います。
アグリジェントの神殿の谷、海の見える丘に聳えるコンコルディア神殿、神殿群、海の彼方に沈む夕日、撮影に行きたいと思います。
――
1、美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
2、
【理念と現実の一致】思想家は、理念を現実において成就することを追求する。プラトン哲学は、国家において知恵が実現することを追求する。空海は、即身成仏を追求する。
3、
【空海、悪霊調伏】不空『理趣釈経』【『般若理趣経』第三段】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」天人は三悪趣*と戦う。(地獄・餓鬼・畜生)【空海、聖なるものは悪を滅ぼす】空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。貪瞋痴。
4、
【愛と復讐の叙事詩】アレクサンドロス大王、父フィリッポス2世を暗殺。クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
【偉大なる王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人を残す。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテン王29歳。ツタンカーメン18歳。アンケセナーメン27歳。美しきネフェルティティ63歳。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
5、
【理念を探求する精神、美と復讐の精神史】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年74歳。空海835年61歳。李白 762年61歳。孔子紀元前479年74歳。織田信長1582年49歳。アレクサンドロス大王紀元前323年33歳。嵯峨天皇842年56歳
【思想家の死、詩人の死、藝術家の死】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年74歳。アリストテレス紀元前322年62歳。孔子紀元前479年74歳。空海835年61歳。藤原定家1241年79歳。李白 762年61歳。北斎1849年90歳。
6、
【東西文化交渉史】ミケーネ文明、ミノア文明とトロイア文明を滅ぼす。ギリシア美術、紀元前5-4世紀、最盛期、BC334アレクサンドロス大王の遠征、ペルシア帝国征服、インド遠征、ガンダーラ美術、ペルガモン王国誕生、シルクロード経由、7世紀北魏南梁から飛鳥彫刻、8世紀天平彫刻、9世紀、弘仁貞観、密教美術、12世紀、運慶彫刻
7、
【六道輪廻と六観音菩薩】如意輪観音菩薩、天道の天人を救う。聖観音菩薩、地獄道の者を救う。千手観音菩薩、飢えと渇きの餓鬼道の者を救う。馬頭観音菩薩、動物の弱肉強食の畜生道の者を救う。十一面観音菩薩、怒りと争いの修羅道の者を救う。准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、人道の者を救う。
8、
【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検隊グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生の舞台、必殺技をどう披露するか。卓越した技、強み弱み、どう発揮する。織田信長は、明晰透徹な指揮官、武の七徳を探求する。
――
参考文献
大久保正雄「ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
https://bit.ly/3ryn9gI
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社
https://bit.ly/3qv01OA
――
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
https://bit.ly/3usmqyp
2023年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-e79299.html
――
新古典主義、ダヴィッドと弟子たち・・・「ソクラテスの死」「アモルとプシュケ」
https://bit.ly/40uIiI2
★★★
仏教史、哲学史
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-f2daa5.html
プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-83ae10.html
――
2024 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/01/post-2bbea0.html
――
フランソワ・ジェラール『アモールとプシュケ』1798
ボッティチェリ『マニフィカートの聖母』
ツタンカーメン黄金のマスク
ミケランジェロ『ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ』
東寺『インドラ天』9世紀、運慶『大日如来』 建久4(1193)年

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2023年12月31日 (日)

2023年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第353回
フランソワ・ジェラール『アモルとプシュケ』1798年
プシュケはある王国の三女であったが 、プシュケはあまりの美貌ゆえに求婚するものが現れず、神託により人身御供に捧げられた。ヴィーナスが美しさに嫉妬して遣わした息子アモルは見惚れる。自分の矢で傷つき、アモルによって天上の宮殿に略奪された。アモルを見ることを禁じられたプシュケは、アモルの姿をある夜、見てしまい、アモルを探し求めて世界中を彷徨う。ヴィーナスに4つの苦難を与えられたプシュケ。
【最後の難題は、冥界の女王ペルセポネから、美の函を地獄から持ち帰ること】プシュケはほとんど地上まで持ち帰るが、好奇心に勝てず、開けてしまう。しかしその函には、美のかわりに深い眠りが入っていて、プシュケは深い眠りにつく。プシュケは第4の苦難を解き、他方、アモルはプシュケを探している。眠っているプシュケを見つけ、その矢でついて目覚めさせる。プシュケは、アモルと天上界で結ばれる。
ルーヴル美術館、愛を描く・・・愛の絵画、愛と美の迷宮
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【理念を追求する精神】邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孟子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質である】【先生を選ぶ】師が優れているか否かが最も重要な要素である【学びの違い】学校、大学では先生を選べない【先生が持っている地図の大きさ】【先生が持つ基礎認知力、先生が持っている体系】空海は、大学寮明経科に入学したが退学、山林修行の旅に出る『聾瞽指帰』
【美の根拠はどこにあるのか】思想が美しいということは、美の根拠である。
【美しい詩の根拠】①内容が深い、②映像が鮮烈、③連想イメージの豊饒、④余韻が深い、⑤思想が高い、高い知性、⑥物語が深い、⑦容姿が美しい。ウィリアム・ブレイク『毒のある木』、宮澤賢治『インドラの網』、藤原定家「夢の浮橋」、プラトン『饗宴』、空海『三教指帰』序文
藤原定家『定家十体』藤原定家著と伝えられる。1213年以前に成立か。和歌を幽玄様・有心様などの一〇体に分類し、例歌を示す。幽玄様 長高様 有心様 事可然様 麗様 見様 面白様 濃様 有一節様 拉鬼様。
『毎月抄』藤原定家、承久元年(1219)中心は、和歌を十体(じってい)に分けて説き、その中心として「有心体(うしんてい)」をたてた点であるが、それは十体の一つであるとともに十体のすべてにもわたるとする。「有心」として説くのは作歌にあたっての観想の深さで、それが表現上に表れていることである。理想的な完成態は「秀逸体」として十体とは別に説かれる。藤平春男。そのほか心詞・花実の論,秀逸体論,本歌取りの技巧,題詠の方法,歌病,詠歌態度などについて説く。
【無心の境地】思想の中に、藝術の中に、美を発見するとき、学問僧は無心の境地になる。思想の書を書き、洗練していくことに没頭するとき、無心の境地に至ることができる。密教の三密、身密、口密、意蜜、の修行に没頭するとき、無心の境地に至る。大谷翔平の技を支える業は、修行僧のようである。秘密の身・口・意の三業。すなわち、仏の身体と言語と心によってなされる不思議なはたらき。また、密教の行者が手に契印を結ぶ身密、口に真言を唱える口密、心に大日如来を観ずる意密。三密加持すれば速疾に顕わる『即身成仏義』(823-824頃)
【富は、苦労してかいた汗からではなく、深い思考から生まれる】人生に最も重要なのは俯瞰と設計。人生の方向性を考えること。設計図を持たない人、人生を飛躍させるためには、些細な事に時間を浪費してはいけない【壮大な計画を考えよ。人生の究極目的は魂を磨くことである】
どうする家康・・・織田信長、運命の美女、信長の葬儀、天を追求する一族
【利益重視の女はどんなにきれいでも嫁にしてはいけない。カマキリの雌は交尾後、雄を食べる。ハリガネムシとなって寄生する】アル中の向上心のない男と結婚する女はクズ。騙そうとする人は心地よい、体に悪いものは美味い、酒は万病の元。ガン、脳梗塞、痴呆症の原因は飲酒癖。
どうする家康、三井記念美術館・・・孤独な少年、竹千代、家康10の決断
長楽萬年 大願成就、健康長寿、良縁成就、学芸成就、事業成功、怨敵退散。大日如来、愛染明王の守護がありますように。幸運の女神が舞い降りる。真言陀羅尼を唱える。
2023年12月31日
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
1、
「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」・・・源氏物語絵巻の闇、日月四季山水図屏風、神護寺三像、平家納経
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-1388ed.html
2、
ルーヴル美術館、愛を描く・・・1、愛の絵画、愛と美の迷宮
https://bit.ly/3U0Hpoh
ルーヴル美術館展、愛を描く・・・2、キリスト教の愛、オランダ黄金時代、画中画の秘密
https://bit.ly/3Gjenu8
新古典主義、ダヴィッドと弟子たち・・・「ソクラテスの死」「アモルとプシュケ」
https://bit.ly/40uIiI2
3、
「永遠の都ローマ展」・・・カピトリーノのヴィーナス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-29f875.html
「永遠の都ローマ」2・・・フォロ・ロマーノ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-450352.html
ルーヴル美術館、愛を描く・・・1、愛の絵画、愛と美の迷宮
4
ガウディとサグラダ・ファミリア展・・・ガウディ「降誕の正面」、森を表現した内部空間、石のバイブル
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-f98c8f.html
5
どうする家康、三井記念美術館・・・孤独な少年、竹千代、家康10の決断
https://bit.ly/3oBk8NX
どうする家康・・・織田信長、運命の美女、信長の葬儀、天を追求する一族
https://bit.ly/3njDXJm
6
東洋陶磁、安宅コレクション名品選101・・・狂気と礼節のコレクター、美的な価値の基準はどこにあるのか
https://bit.ly/40u9Bl4
不変/普遍の造形—中国青銅器名品選・・・饕餮文、鴟鴞文、殷周の謎の文様
https://bit.ly/3HmqojF
楽しい隠遁生活・・・山水に遊ぶ、桃源郷、李白「望廬山観瀑」、北斎「李白観瀑図」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-e3a559.html
7
親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝・・・『歎異抄』善人なほもて往生をとぐ
https://bit.ly/3B53Xvn
特別展、東福寺・・・円爾、九条道家、吉山明兆、無準師範
https://bit.ly/3JmEdye
8
甲斐荘楠音の全貌・・・退廃の美薫る、謎多き画家、東映京都の時代考証家、趣味人、レオナルドの面影
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-6cb36a.html
佐伯祐三 自画像としての風景・・・世紀末の旅人
https://bit.ly/3wx4tQw
9
虫めづる日本の人々・・・喜多川歌麿「夏姿美人図」鳴かぬ蛍が身を焦がす
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-6032f9.html
激動の時代 幕末明治の絵師たち・・・狩野一信、歌川国芳、歌川芳艶、芳年、小林清規
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-8f11b0.html
10
モネ 連作の情景・・・人生の光と影
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-220389.html
キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ・・・美の根拠はどこにある
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-8e9885.html
イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル・・・ファッション・デザイナーは、なぜゲイなのか
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-2092fe.html
憧憬の地 ブルターニュ・・・最果ての地と画家たち
https://bit.ly/3ZkZsX8
諏訪敦「眼窩裏の火事」・・・亡き人の魂の召喚、生と死の狭間の対話
https://bit.ly/3I6MRjM
マリー・ローランサンとモード・・・ココ・シャネル、1920狂乱のパリ、カール・ラガーフェルド
https://bit.ly/3YirToj
春陽会誕生100年 それぞれの闘い、岡鹿之助、長谷川潔、岸田劉生・・・孤高の藝術家、静謐な空間、時の旅人
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-4d7b04.html
芳幾・芳年-国芳門下の2大ライバル・・・世紀末の浮世絵、歌川国芳、落合芳幾、月岡芳年、残虐の世界
https://bit.ly/3ZX1r4Q
「日本画聖地巡礼 ―東山魁夷の京都、奥村土牛の鳴門―」・・・速水御舟 『名樹散椿』、美の根拠はどこに
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-3c178f.html
大阪の日本画・・・北野恒富、妖艶、退廃的、悪魔派、白耀社
https://bit.ly/3NYlPzD
「恐竜博2023」、装盾類、鎧竜ズール、ティラノサウルス・タイソン
http://bit.ly/3N1fQYT
「小林古径と速水御舟 ─画壇を揺るがした二人の天才─」・・・生涯の友
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-faf95f.html
テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ・・・ウィリアム・ブレイクの幻想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-754901.html
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-00e373.html
マティス展・・・南仏の光《豪奢、静寂、逸楽》、色彩と線への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-c2781f.html
エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才・・・ウィーン世紀末、分離派、象徴派、退廃藝術
https://bit.ly/3RuioRb
激動の時代 幕末明治の絵師たち・・・狩野一信、歌川国芳、歌川芳艶、芳年、小林清規
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-8f11b0.html
特別展 日本画に挑んだ精鋭たち ―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ―
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-cc9c4e.html
★★★
研究編
プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-83ae10.html
新古典主義、ダヴィッドと弟子たち・・・「ソクラテスの死」「アモルとプシュケ」
https://bit.ly/40uIiI2
★★★
仏教史
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-f2daa5.html
★★★
ルネサンスの美
ロワールの古城めぐり・・・フランソワ1世とルネサンス、シャンボール城、アンボワーズ城、フォンテーヌブロー宮殿、シュノンソー城
ロワールの古城めぐり・・・フランソワ1世とルネサンス
https://bit.ly/40wwlBW
メディチ家とフランソワ1世・・・レオナルド、塔の城、ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ、ジョルジョーネ
https://bit.ly/3K1mZs7
★★★
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
https://bit.ly/3xYWHQv
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
★★★
講演会
中野晃一講演会『強者の支配か自由な共存か』【質疑応答】問題篇、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-75634b.html
中野晃一講演会『強者の支配か自由な共存か』【質疑応答】解答篇、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-1a73db.html
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2023年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-e79299.html

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2023年12月28日 (木)

プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第352回
メディチ家のプラトン・アカデミーと反ルネサンスの戦いの歴史は、今も続いている。形而上学は『純粋理性批判』(1781)によって解体された。イデア論の困難はプラトン『パルメニデス』に予見されている。
「ヨーロッパの哲学的伝統はプラトンへの一連の脚注から成り立っている」ホワイトヘッド『過程と実在』1929。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1
【プラトン哲学の戦い】【プラトン哲学とアリストテレス哲学のディレンマ】プラトン哲学は本質主義であり、精神主義。アリストテレス哲学は個体主義(物質主義であり、経験主義。【方法論】プラトン哲学『パイドン』は「現象をエイドスにおいて観る」、アリストテレス哲学『自然学』は「現象を救う」【論争、矛盾】プラトン『パルメニデス』「個と個を眺めて共通点を見出し、エイドスを求める。第三のエイドスが現れ無限背進に陥る」アリストテレス『形而上学』「定義(ホリスモス)はエイドスについてのみ成り立つ」
【哲学者の死 ソクラテス(BC469-399)70歳、プラトン(BC 427-347)74歳、アリストテレス(BC 384-322)62歳】【ソクラテス以前の哲学者】タレス(BC624-546)、ピュタゴラス(BC6C)、パルメニデス(BC544-501)、ヘラクレイトス(BC540)、エムペドクレス(BC493-423)、デモクリトス(BC460-370)、アナクシマンドロス(BC670-546)、アナクシメネス(?-BC525)、アナクサゴラス【ソフィスト】プロタゴラス(BC500-430)、ゴルギアス(BC496-376)
アリストテレス『第一哲学』の分裂
【アリストテレス『第一哲学』「ある」ト・オンの第一原因を探究する】「ある」ト・オンは、カテゴリアイ(述語)について多義的に語られる『カテゴリアイ』。事物の何であるか、「実体」を主語に語られる。「存在とは何か」「第一原因」を問うことは、「実体とは何か」を問うことに帰一。『形而上学』第7巻「実体論」は、「本質」と「離存」を実体の二要件として、「形相」こそが「第一実体」と結論する。「個」「基体」は第二実体である。第12巻「神学」、第一の不動の動者、質料をもたない完全現実態(エンテレケイア)としての「神」を論述。だが、アリストテレスは存在探究の第一原因に神を求めながら、神を原理とする哲学体系を構築しない。出隆『アリストテレス哲学』『形而上学』G.E.R.ロイド『アリストテレス』
【プラトン哲学とアリストテレス哲学の対立】1,方法論、「ロゴスにおいて考察する」(エン・トイス・ロゴイス・スコペイン)プラトン『パイドン』、「ソーゼイン・タ・パイノメナ(現象を救う)」アリストテレス『自然学』『形而上学』、2,存在論「生成消滅するものと存在するものとの対比」「変化するものと不変のものとの対比」プラトン『パイドン』『国家』『パイドロス』『饗宴』『パルメニデス』、「四原因論、本質、質料、始動、目的」アリストテレス『自然学』『形而上学』、「実体とは個物(トデ・ティ)である」「実体とは基体(ヒュポケイメノン)である」アリストテレス『形而上学』『カテゴリアイ』、3、イデア論、「第3人間論」プラトン『パルメニデス』、イデア論に対するアリストテレスの批判。アリストテレス『形而上学』、20世紀アリストテレス主義=中期プラトン哲学否定説=GEL.Owenアリストテリアン・ソサエティ
【古代ギリシア懐疑主義の出発点】懐疑主義(ホイ・スケプティコイ)は、教義主義(ホイ・ドグマティコイ)を論敵とし、考察(スケプシス)、探求を停止させる元凶として批判した。判断保留(エポケー)して無動揺・平静・安心(アタラクシア)に至ろうとした。古代ギリシア懐疑主義の出発点、書物を書かなかったピュロン(BC365-270)の弟子ティモン(BC325-235)は判断中止(エポケー)によって無動揺・平静・安心(アタラクシア)に至ることを説き、生活、実践した。【アカデメイア派の懐疑主義(スケプティコイ)化】
アルケシラオス(BC315-240)は、プラトン初期対話篇、『パルメニデス』イデア論批判、『テアイテトス』知識の定義の挫折によって判断留保を説く。ゼノン(BC335-263)が創設したドグマティスト学派、ストア派を論駁した。
【アカデメイア派とストア派の論戦、100年BC3C-2C】
アカデメイア派のアルケシラオスとカルネアデス(BC214-129)とストア派のクリュシッポス(BC280-207)
【ヘレニズム諸学派、物質主義と経験主義】
【ストア派の認識】物質的な魂の統括的部分が感覚的に受ける物質的変容=表象、現れ(パンタシアー)であるとした。表象に対して、同意・承認(シュンカタテシス)を行う。虚偽を避け、真理を得るために、真理の基準(クリテリオン)を必要とする。ストア派は、知識構築の土台の基準として把握的表象(カタレープティケー・パンタシア)とした。把握的表象を承認することによって把握(カタレープシス)が成立する。
【アカデメイア派のストア派に対する批判】把握的表象についても、真実の表象と虚偽の表象が存在する。判断留保(エポケー)しなければならない。
【ストア派のアカデメイア派に対する反論】ストア派の賢者は、把握的表象のみを承認し、それ以外の判断を留保する。【アカデメイア派のストア派に対する批判】真なる信念としてなにかを知ることは不可能だとするアカデメイア的懐疑論。
【ピュロン主義、懐疑主義の300年】アイネシデモス(1C)は、アカデメイア派を離れ、ピュロン主義の名のもとに、【懐疑主義の10の方式】懐疑主義の10の方式(トロポス)を導入した。方式(トロポス)とは、対立する現れを提示し、現れ双方の信憑性が等しく、優劣がつかないことを示すことを示すことによって、判断留保に導く議論の方法である。現れの対立を、動物の種類、人間、感覚器官、状況、等、10の条件に基づいて10の方式を体系的に示した。
【『ピュロン主義哲学の概要』セクストス・エンペイリコス】(Σέξτος Ἐμπειρικός: Sextus Empiricus, 2世紀~3世紀)は、ローマ帝国期ギリシアの懐疑主義。セクストスは、信念を放棄すること、すなわち何かを知ることができるかどうかという判断を停止することを提案する。判断停止することによってのみ、我々はアタラクシア(心の平安)を得ることができる。セクストスは知識そのものの可能性を否定することはしない。真なる信念としてなにかを知ることは不可能だとするアカデメイア的懐疑論の立場をセクストスは批判する。
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プラトン哲学の戦い
2
【神々の黄昏、プラトン哲学とローマ帝国との戦い】
新プラトン主義【プロティノス『エンネアデス』301】プロティノス(205-270)の弟子ポリュフュリオス(『プロティノス伝』)が編集、シリア派の新プラトン主義イアンブリコス(プラトン哲学とアリストテレス哲学の一致を目指すローマ期ポリュフュリオスの弟子であった)に思想的対決するため、プロティノスの死後30年、ポリュフュリオスはプロティノス全集を公刊に踏み切った。ピュタゴラス・プラトン派は「書かれた文字」への不信のゆえ、ポリュフュリオスは弟子に勧められて49歳から著述を始めた。
【プロティノスの思想】【三つの原理】一者(ト・ヘン)→知性(ヌース)→魂(プシューケー)
【万物の根源】一は万物であり、一つではない。「一」は万物の原理であって、万物と同一ではない。第5巻第2篇。【流出説】運動するものには、そこに向けて動く目的がなければならない。しかし、あの神にはいかなる目的もないのだから、神は運動しないとわれわれは定立するのである。第5巻第1篇。【神秘的合一としての脱我】(第一の観照は)たぶん観照ではないであろう。それは出会いの別の方式であって、いやしくも至聖所にあるものを見ようとするならば、脱我であり、純化であり、自己贈与であり、触れることに身を延ばすことであり、静止であり、合一への精神集中である。
【コンスタンティヌス1世(在位:306年-337年)、313年発布『ミラノ勅令』】【それまでローマ帝国はキリスト教を拒否】コンスタンティヌス1世【キリスト教に好意的であった理由、その改宗の動機は判然とは分っていない】
【コンスタンティヌス1世】(270頃2月27日-337年5月22日)67歳で死す。(在位:306年-337年)、313年発布『ミラノ勅令』】ローマ帝国においてキリスト教を公認したとされる。非正統宗派への弾圧にも初めて手を付けた。325年にキリスト教の歴史で最初の全教会規模の公会議(第1ニカイア公会議)を招集した。この会議とその後の経過によってニカイア派(アタナシウス派)が正統の地位を占めていく
351年、ガッルスは東方のサーサーン朝の脅威に対するため、副帝としてコンスタンティウス2世に登用された。その一方で、ユリアヌスは変わらず勉学に勤しみ、ペルガモンにいたアエデシオス (Aedesius) や、エペソスのマクシムス (Maximus) [注釈 6]など、小アジアの新プラトン主義の大家のもとを訪れている。
――
【皇帝ユリアヌス、キリスト教との戦い】皇帝ユリアヌス(331年⁻ 363年6月26日) 『皇帝饗宴』『ガリラヤ人を駁す』『王なる太陽への賛歌』。在位2年。36歳で死す。
コンスタンティノポリスで修辞学を学んだのち、ニコメディアへ留学した。この地で哲学者リバニオス (Libanius) の講義を、間接的にではあるが受けることができ[注釈 5]、ユリアヌスは新プラトン主義の影響を強く受けるようになる。342年、追放地にて、カッパドキアのゲオルギウス (Georgius) の蔵書を用いて勉学に励んでいた。351年、ペルガモンにいたアエデシオス (Aedesius) や、エペソスのマクシムス (Maximus) [注釈 6]など、小アジアの新プラトン主義の大家のもとを訪れている。
【皇帝ユリアヌス、新プラトン主義、】コンスタンティヌス大帝の甥。コンスタンティウス2世により父と母を暗殺される。ニコメディアの哲学者リバニオス (Libanius) 、カッパドキアのゲオルギウス (Georgius) 、ペルガモンにいたアエデシオス (Aedesius) 、エペソスのマクシムス (Maximus) に学ぶ。(331年⁻363年6月26日) 在位2年。36歳で死す。
【皇帝ユリアヌス、新プラトン主義、背教者と呼ぶのは不当である】 (331年⁻ 在位361-363年6月26日) 『皇帝饗宴』『ガリラヤ人を駁す』『王なる太陽への賛歌』。在位2年。36歳で死す。コンスタンティヌス朝の皇帝の一人で、皇帝コンスタンティヌス1世(大帝)の甥。最後の「異教徒皇帝」。異教復興を掲げキリスト教への優遇を改めたため「背教者(Apostata)」とも呼ばれる。皇帝コンスタンティウス2世の陰謀により家族を暗殺された。
【プラトン哲学の戦い、6世紀】【皇帝ユスティニアヌス1世、アテナイのアカデメイア閉鎖】529年、皇帝ユスティニアヌス1世(483-565)は、アテナイのアカデメイア閉鎖を命令。プラトンがBC387年に開いて以來、アカデメイア9百年の歴史が息の根を止められる。
【プラトン哲学とアリストテレス哲学の戦い、14世紀】プラトン哲学は本質主義、アリストテレス哲学は個体主義である【『神学大全』1273】トマス=アクィナスが、キリスト教神学をアリストテレス哲学で解釈、神の存在証明、1270年と死後の1277年、パリ司教の手で異端宣告【普遍論争】トマス・アクィナス(1225年頃⁻1274年)実在論、ウィリアム・オッカム(1285年⁻1347年)唯名論【オッカムの剃刀】「個が唯一の実在、説明されるべきは個体のみ」【神学崩壊】神の存在証明の破綻、個体化の原理の破綻。
【プラトン哲学とアリストテレス哲学の戦い、プラトン哲学のイデアとアリストテレスの個体主義=基体主義】
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【プラトン哲学の戦い、15-16世紀】【ルネサンス、メディチ家とバチカンとの戦い、1439-1499】ルネサンスはなぜ終わったのか。
【ルネサンスの死 1499】1492年、ロレンツォ・デ・メディチ43歳。1478年4月26日、ジュリアーノ・デ・メディチ25歳。アンジェロ・ポリツィアーノ39歳。ミランドラ31歳。フ1499,フィチーノ62歳。1510、ボッティチェリ65歳。1564、ミケランジェロ88歳。
【メディチ家、プラトン・アカデミー、思想家の死1499年】1439、コジモ・デ・メディチ、プラトン・アカデミーを構想。1464、コジモ・デ・メディチ74歳。1492、ロレンツォ・デ・メディチ43歳。1499,フィチーノ62歳。1519年レオナルド・ダ・ヴィンチ66歳。1520年ラファエロ11歳で孤児37歳死す。1564年ミケランジェロ88歳。1600年ジョルダーノ・ブルーノ52歳
【ジョルダーノ・ブルーノ『無限、宇宙と諸世界について』1584】【異端審問、ジョルダーノ・ブルーノ(1546-1600)処刑】【知性と権力】
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【プラトン哲学の戦い、15-18世紀】【理性主義と経験主義の戦い】デカルト『方法序説』1637、ベーコン『新機関』1620ジョン・ロック『人間知性論』1689ジョージ・バークリー『人知原理論』1709デイヴィッド・ヒューム『人性論』1739
【プラトン哲学の戦い、18-19世紀】【カントとドイツ観念論】カント『純粋理性批判』1781、ヘーゲル『精神現象学』1807、フィヒテ『全知識学の基礎』1794シェリング『先験的観念論の体系』1800【生の哲学】『意志と表象としての世界』1819、『ツァラトゥストラ』1885『悲劇の誕生』1872
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【フィヒテ『全知識学の基礎』1794】人間のすべての認識を基礎づける知識学は絶対に確実な認識に依拠しなければならない。「私は存在する」という私の意識(自我)こそがそれである。知る働きと知られる対象とが同じ私だからである。「自我」は三つの契機を含んでおり、それが知識学の三つの根本命題となる。「知識学」の第一原則「自我は根源的・端的に自分自身を定立する」。第二原則〔定立する〕自我に対して端的に非我が反定立される。第三原則「自我は自我の中において、可分的自我に対して可分的非我を反定立する」
【シェリング『先験的観念論の体系』1800】精神(自我)と自然(非我)を超克するには、精神を原理として自然を生み出すか、自然を原理として精神を生み出す。理想と現実、精神と自然の矛盾を超えることができるのは、藝術においてである。赤松元通訳『先験的観念論の体系』蒼樹社
【ヘーゲル『精神現象学』1807】絶対者は精神であり、有限なる者と無限なる者を止揚(Aufheben)した統一者である。絶対精神の自己意識の自己展開の歩みが歴史である。
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参考文献
ルネサンス、メディチ家の戦い
孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
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宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
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2023年11月26日 (日)

運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第351回
運慶は、大日如来の原形を求めて、東寺講堂から円城寺、彼方へと旅した。
運慶作、大日如来坐像、円城寺、光得寺、樺崎寺
円城寺《大日如来坐像》、運慶作、平安時代・安元2年(1176)、円成寺蔵
光得寺《大日如来坐像》、鑁阿寺の奥の院として機能した樺崎寺の由来を伝える『鑁阿寺樺崎縁起幷仏事次第』
樺崎寺《大日如来坐像》12世紀 真如苑真澄寺蔵 鎌倉時代 建久4(1193)年か 運慶作と推定される金剛界大日如来像。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【東寺、講堂、立体曼荼羅、21体】五智如来、大日、宝生、阿弥陀、不空成就、阿閦。五菩薩、金剛波羅密、金剛宝、金剛法、金剛業、金剛薩埵。五大明王、不動明王、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉。四天王、持国天、増長天、広目天、多聞天。二天、梵天、帝釈天。東寺講堂、承和6 (839)
立体曼荼羅【五智如来の化身、忿怒身、五大明王】不動明王(中央)、降三世明王(東)・軍荼利明王(南)・大威徳明王(西)・金剛夜叉明王(北)。忿怒の形相を表わす。金剛界五仏(大日、阿閦、宝生、無量寿、不空成就)の教令輪身、忿怒身。密教伝来9世紀、東寺講堂の承和6 (839)
【金剛界曼荼羅の基本となる成身会】金剛界五仏、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、内外の四供養菩薩、四摂菩薩の以上37尊より構成され、これを四大神と賢劫千仏と二十天が囲む。(智拳印)一仏のみで表す他は、中心となる成身会
【空海『聾瞽指帰』(797)】兎角公の屋敷で兎角公の甥蛭牙公子に放蕩青年を翻意、亀毛先生は儒教学問を学び立身出世することを教え、虚亡隠子は道教の不老長寿を教え、空海の化身である仮名乞児は仏教の諸行無常と慈悲を教える【空海の苦悩】空海が大学寮明経科退学、官僚の立身出世を辞めた理由。仏教は智慧と慈悲によって生けるものの魂の苦を救う教えであり、儒教は学問によって立身出世と子孫繁栄を成就する吉祥を祈願する教え。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【三身説trikāya】が、瑜伽行派の弥勒、無著、世親らの論師たちにより成立した。三身trikāyaとは(1)法身(dharma-kāya)、(2)報身(sambhoga-kāya) 、(3)応身(化身、nirmāṇa-kaya)の3種、あるいは(1)自性身(svabhāva-kāya) 、(2)受用身(sambhoga-kāya),(3)変化身(nirmāṇa-kāya)の3種をいう。これら三つは論師あるいは宗派によって微妙に解釈を異にする。
【理念を追求する精神】邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孟子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
「運慶」 東京国立博物館・・・魂の深淵
「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」・・・空海、理念と象徴
「密教彫刻の世界」東京国立博物館・・・愛染明王、金剛薩埵の化身
帝釈天騎象像、七頭の獅子に坐る大日如来・・・守護精霊は降臨する
https://bit.ly/34JOIb2 
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ
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運慶作 3体の大日如来像がつなぐ、縁 山本勉
運慶は平安時代末期から鎌倉時代前期に活躍し、躍動感あるリアルな肉体と質感の表現を極めた仏師として、日本でもっともよく知られる。現在、日本で確認される運慶作の(あるいはその可能性が高い)仏像は31体あり、うち1体が半蔵門ミュージアム所蔵の重要文化財《大日如来坐像》だ。
《大日如来坐像》12世紀 真如苑真澄寺蔵 鎌倉時代 建久4(1193)年か 運慶作と推定される金剛界大日如来像
《大日如来坐像》は実は2003年に存在が明らかとなり、当時、個人が所蔵していた像を初調査したのが山本勉氏である。「像の写真を初めて見たのが2003年7月です。所蔵者から送られてきた写真2枚には、普通の日本間の襖の前に像が置かれて写っていました。私がそれ以前に調べて運慶作だと発表した栃木県足利市・光得寺(こうとくじ)の《大日如来坐像》がありますが、襖のおかげでその倍ぐらいの大きさだと分かった。足利の像にそっくりなものが何であるんだ、とびっくりしたのです」
光得寺《大日如来坐像》は山本氏が調査し、1988年に作者を運慶として発表した厨子入りの高さ31.3cmの像。足利市のある学生からの問い合わせで調査を開始したものだった。それは同市鑁阿寺(ばんなじ)の奥の院として機能した樺崎寺(かばさきでら)の由来を伝える『鑁阿寺樺崎縁起幷仏事次第(ばんなじかばさきえんぎならびにぶつじしだい)』により足利義兼(あしかがよしかね / ?~1199)発願の像だと裏付けられたが、縁起には義兼発願のもうひとつの大日如来像の存在が記されていた。「縁起には樺崎の寺の下御堂(しものみどう)に三尺皆金色(さんじゃくかいこんじき)の金剛界大日如来坐像があり、厨子に建久四(1193)年の願文(がんもん)があると書いてありました。その時は、像の実在を知りません。それが15年経って私の前に現れたのです」
一般に木造坐像では本体を軽くするために中をくり抜くので、像の下から頭の中までを覗くことができる。一方、山本氏の前に現れた大日如来像は底が密閉されていた。「上げ底式内刳り(あげぞこしきうちぐり)」と呼ばれるこの造りは運慶が考案したもので、光得寺の大日如来像とも共通する。「作風や構造技法から建久四年のものと考えました。さらにⅩ線を撮ると、光得寺の像の前段階の特徴を示していた。私は学生時代に運慶が初めて制作した奈良・円成寺(えんじょうじ)の大日如来像を見て、運慶とその仏像について学ぼうと思いました。嘘のような話ですが、私は人生で2回、3回と運慶、その大日如来像との出会いがあったのです」
《大日如来坐像》と同じ「祈りの空間」に並ぶ《不動明王坐像》平安時代 12世紀 真如苑真澄寺蔵
半蔵門ミュージアム 《大日如来坐像》の意義と価値
山本氏は運慶の魅力を次のように語る。「運慶は写実的に人体を捉え、写実的に捉えたその人体を非常に美しいものに高めました。さらに写実的な人体が祈りの対象になるように制作しています。非常に優れた宗教芸術家としての力をもった仏師です」
例えば、山本氏が最初に惹かれた円成寺の大日如来像は座った状態で足の裏が見える。それは氏が日本一美しい足裏と称えるものだ。「人間が座ると当然、足の裏には肉付き、ふくらみがあって、指も裏が丸くふくらんでいます。運慶は人間の体の各部が動きによりどんな風に変化するのか、変化した身体の肉付き、各部分がどのような状態で一番美しく見えるかをとことん理解した彫刻家です。運慶の記憶は今風に言えば動画的な記憶でした。自分の頭の中で自由に人体を動かすことができ、一番美しい瞬間を切り取って再現できたのです」
地下展示室 常設展示「祈りの世界」
半蔵門ミュージアム蔵の《大日如来坐像》も写真を初めて見たとき、足裏が見えるカットがあったがゆえに驚いたそうだ。ぷっくりとしたその足裏も美しい。加えて、「円成寺の坐像では衣文線(えもんせん※)は足の形と平行に走るのですが、光得寺と当館の像だけは下から立ち上がった縦の衣文線です。これは絵画の表現では一般的であるものの、彫刻では採用されなかった。運慶はその衣文線を使い、膝の丸みを巧みに表現しています。衣の中の肉体を表現するために縦の衣文線を借用したのです。同時代のほかの仏師はその理由がわかっておらず、真似をしている物もほとんどありません」
※衣のひだが描く線
《大日如来坐像》が胸の前で左手の人差し指を立て、その指を右手で包み込む形は智拳印(ちけんいん)と呼ばれ、金剛界大日如来特有の印相だ。平安時代後期、仏像は立体ながらなるべく立体に見えないよう、腹の前で手を組む平面的なスタイルが流行った。運慶はそれを否定するように、この時期、手を上げる姿を選んでいるという。「運慶は胸の前に手を上げる人体をテーマにしていた可能性があります。手を上げることで、像周辺に広い空間が生まれますから」
360度ぐるりと鑑賞できる《大日如来坐像》。広がりある空間構成も体感したい
山本氏と不思議な縁で結ばれた三体の大日如来像。「同じ尊格で制作時期が異なる三体が運慶作であるとすると、彼の若い時代から30代、40代と造形の変化がよくわかります。また、幸い光得寺と当館の像は一度も解体修理を受けておらず、像の中身がすべて残っています。内刳りをし、底板を作って真ん中に塔を立て、その塔に結びつくように心月輪(しんがちりん)という仏像の魂を納める。上げ底式内刳りの目的はこの空間をつくるためだとX線写真からわかりました。この発見は貴重です。今、我々がX線で見ている映像が運慶の頭の中にはあったのでしょう。像は運慶にとどまらず、日本の仏像の歴史にとって非常に大きな内容を含んでいる造形なのです」
《大日如来坐像》 像内納入品原寸模型
協力:文化庁(ボアスコープ撮影)、東京国立博物館(X線断層撮影)
運慶は神奈川県浄楽寺の1189年の坐像で、初めて上げ底式内刳りの技法を採用。研究者の一部には古代の彫刻を真似て頑丈なつくりを施したという意見もあったが、山本氏の恩師で半蔵門ミュージアム初代館長、水野敬三郎氏は早い時期から納入品のためであると指摘していた。「科学的調査に基づき作成した像内納入品の原寸模型を2023年11月22日から公開いたします。ぜひともじっくりご覧になっていただきたいと思います」
半蔵門ミュージアム
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半蔵門ミュージアムは、2020年10月3日(土)から2021年2月28日(日)まで、特集展示『ガンダーラの仏像と仏伝浮彫』を開催いたします。本特集展示では、当館収蔵のガンダーラ美術の中から17点を、「仏像と舎利容器」、「仏伝浮彫」の2部構成のテーマで紹介。新収蔵の仏伝浮彫「誕生」、「四門出遊」、「愛馬別離」の3点を初公開いたします。
今回の特集展示『ガンダーラの仏像と仏伝浮彫』では、当館が常設展示しているガンダーラ美術8点に、初公開、新収蔵品などを加えた17点を紹介いたします。展示の前半部を「仏像と舎利容器」、後半部を「仏伝浮彫」のテーマで構成し、2~5世紀頃に作られた仏像、仏頭、舎利容器、仏伝浮彫をご覧いただきます。展示の前半部「仏像と舎利容器」では、様々な形で残されたガンダーラ美術を紹介します。
説法印(転法輪印)を結んで結跏趺坐する釈尊の姿が刻まれた「説法印仏坐像」(片岩、2~3世紀)や、釈尊の舎利(遺骨)の代替品を納め、信仰の対象とされていた「ストゥーパ型舎利容器」(片岩、2~3世紀)など、2~5世紀頃に作られた仏像や仏頭、舎利容器など7点を展示します。後半部の「仏伝浮彫」は、釈尊の前世から生誕、涅槃に至るまでの一代記を10点の仏伝浮彫(レリーフ)で辿る展示構成になっています。
【「仏伝浮彫」(片岩、2~3世紀)】釈尊前世の物語をあらわした「燃燈仏授記」(片岩、2~3世紀)、摩耶夫人の右脇腹から釈尊が生まれ「誕生」、出家を決意した「出城」(片岩、2~3世紀)、ブッダガヤの菩提樹のもとで魔王マーラの妨害に動じることなく悟る「降魔成道」(2~3世紀)、神々の求めに応じて、成道した釈尊がサールナート(鹿野園)で初めて説法を行った「初転法輪」(片岩、2~3世紀)、阿闍世王が跪いて合掌する王の帰依、釈尊入滅の姿が描かれた「王の帰依と涅槃」(片岩、2~3世紀)など、釈尊の生涯を仏伝浮彫でご紹介します。中でも新収蔵品の「誕生」(片岩、2~3世紀)、「四門出遊」(片岩、2~3世紀)、「愛馬別離」(片岩、2~3世紀)は初公開となります。
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常設展示 【ガンダーラの仏教美術】 - YouTube

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2023年11月23日 (木)

激動の時代 幕末明治の絵師たち・・・狩野一信、歌川国芳、歌川芳艶、芳年、小林清規


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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第350回
【徳川の階級社会、瓦解】天保の改革(1841天保12)、安政の大地震(1855安政2年)、開国(1858日米修好通商条約)、(1866)家茂没、徳川慶喜将軍となる【孝明天皇、毒殺】大政奉還(1867徳川慶喜1868鳥羽伏見の戦い)、江戸幕府瓦解、戊辰戦争(1868-69)、明治政府成立。嘉永6年(1853)の黒船来航以降、めまぐるしく時代は変化した。慶応4年(1868)江戸が東京と改称され、年号は明治に改元。廃仏毀釈。1869。
明治維新は、薩長テロリスト下級武士による権力の簒奪であり、正義はない。
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狩野一信(1816~63)は、伝統的な仏画の画題に洋風の陰影法を用いて、強烈な迫力をもつ極彩色の「五百羅漢図」(大本山増上寺)を制作。47歳で没。
歌川国芳(1797~1861)【歌川国芳、夢と冒険とロマンの世界】物語の夢と冒険とロマンの世界。江戸、神田の染物屋、柳屋吉右衛門の子として生まれる。幼少期から絵を学び、12歳の時に描いた絵が幕末の浮世絵界で隆盛を誇る歌川派の初代、歌川豊国の目にとまり15歳で歌川派に入門。武者絵を展開、夢と冒険とロマンの世界を構築。「源為朝弓勢之図」「水滸伝」。63歳で没。
歌川国芳「相馬の古内裏」江戸時代/弘化2-3年(1845-46)、大判錦絵3枚続
《相馬の古内裏》。平将門の乱の後日談で、将門の遺児・滝夜叉姫(たきやしゃひめ)と、藤原道長に仕えた源頼信の家臣・大宅太郎光国(おおやのたろうみつくに)が対決するシーン。
歌川国芳「宮本武蔵の鯨退治」江戸時代/弘化4年(1847)、大判錦絵3枚続
歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝を救ふ図」 1851
血みどろ絵【歌川国芳の門下、血みどろ絵、歌川芳艶、歌川芳年、落合芳幾】
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【天狗になる人】地位に溺れる、カネに溺れる、一時的な名声に溺れる芸術家、権力の奴隷、カネの亡者【金持ちが天国に行くのは駱駝が針の穴を通るより難しい。マタイによる福音書19:23-30】【奢れる者久しからず】【自ら高ぶる者は下げられ、自らへりくだる者は上げられる。マタイによる福音書23章12節】
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【神の代理人、虎の威を借る狐、権威を装う詐欺師】教会の権威復活のために十字軍結成に心血を注いだ知識人法王ピオ2世。過激な改革を説き、民衆の熱狂的な支持を集めるサヴォナローラと対峙したアレッサンドロ6世。教会領再復のため、自ら軍隊を組織し陣頭に立ったジュリオ2世。芸術と豪奢を愛し、法王庁の資産を食いつぶしたメディチ家出身のレオーネ10世。ナチスのユダヤ人虐殺を黙認したローマ教皇ピウス12世。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
狩野一信「五百羅漢図 第二十一・二十二幅」、嘉永7~文久3年(1854~63)、大本山増上寺
狩野一信「五百羅漢図 第四十五・四十六幅、嘉永7~文久3年(1854~63)、大本山増上寺
河鍋暁斎「龍虎図屏風」2曲1隻、明治12-22,1879∸89
小林清親「隅田川夜」明治14、1881
服部雪斎「花鳥」1871、東京国立博物館、
歌川国芳「相馬の古内裏」江戸時代/弘化2-3年(1845-46)、大判錦絵3枚続
《相馬の古内裏》。平将門の乱の後日談で、将門の遺児・滝夜叉姫(たきやしゃひめ)と、藤原道長に仕えた源頼信の家臣・大宅太郎光国(おおやのたろうみつくに)が対決するシーン。
歌川国芳「宮本武蔵の鯨退治」江戸時代/弘化4年(1847)、大判錦絵3枚続
歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝を救ふ図」 1851
歌川芳艶「両賊深山妖術競之図」、大判錦絵三枚続 万延元年(1860)、千葉市美術館
歌川芳艶「鳥獣合戦」版下絵、19世紀、奈良県立美術館
落合芳幾、仁木直則、本作は血みどろ絵の代表的なシリーズで、生々しい血のりのを表現するため、膠を用いて光沢を出したものも。本図は歌舞伎「伊達競阿国戯場」などに登場する極悪人・仁木直則を描いており、直則の刀や着物の血が鮮烈。
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「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
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「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」東京都美術館・・・世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
芳幾・芳年-国芳門下の2大ライバル・・・世紀末の浮世絵、歌川国芳、落合芳幾、月岡芳年、残虐の世界
大江戸の華、江戸東京博物館・・・老獪な策士、徳川家康。緻密な戦略、徳川慶喜
激動の時代 幕末明治の絵師たち・・・狩野一信、歌川国芳、歌川芳艶、芳年、小林清規
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-8f11b0.html
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第1章 幕末の江戸画壇
19世紀の江戸では、浮世絵をはじめ、狩野派や南蘋派、文人画など多彩な作品が生まれ、まさに百花繚乱の様相。
江戸時代に画壇の覇者として君臨していた狩野派では、単に伝統を墨守するだけではなく、やまと絵や浮世絵、琳派、西洋画法なども取り入れています。その門下からは従来の狩野派とは異なる独創的な作品を描く絵師も現れました。四条派や土佐派などを学んだ後に狩野派へ入門したとされる狩野一信(1816~63)は、伝統的な仏画の画題に洋風の陰影法を用いて、強烈な迫力をもつ極彩色の「五百羅漢図」(大本山増上寺)を制作しています。
また、多種多様な絵画を学び江戸画壇に大きな影響力をもった谷文晁(1763~1840)の一門からは、流派にとらわれず新たな表現へ挑戦した絵師が輩出されました。文晁一門の系譜は明治以降も続き、その表現は近代日本画へも受け継がれています。
19世紀の江戸において二大流派であった狩野派と文晁一門を中心に、数多くの絵師たちが腕を競った幕末の江戸画壇の一端を紹介。
第2章 幕末の洋風画
江戸時代中期には蘭学が盛んになり、司馬江漢(1747~1818)や亜欧堂田善(1748~1822)によって西洋画法を取り入れた洋風画が描かれています。江戸時代後半には、舶載の銅版画や洋書が多く流入し、陰影法や遠近法を用いた様々な洋風画が制作されました。
その後、幕末の江戸で活躍した洋風画家が安田雷洲(?~1859)です。はじめ葛飾北斎(1760~1849)に学んだ雷洲は、緻密な銅版画を得意とし、独特の洋風表現をもつ肉筆画を描きました。
第3章 幕末浮世絵の世界
役者絵や美人画が中心であった浮世絵は、19世紀になると新たなジャンルが発展します。葛飾北斎や歌川広重(1797~1858)の登場により名所絵や花鳥画が流行し、人気を博しました。幕末には武者絵で名をあげた歌川国芳(1797~1861)が、風刺のきいた戯画や、三枚続を活かした斬新な構図などで新機軸を打ち出しています。北斎、広重、国芳といった巨匠からは多くの弟子が輩出され、特に歌川派は幕末浮世絵界の一大勢力となりました。
また、ジャーナリスティックに同時代の世相を写し出す浮世絵は、黒船来航や横浜開港といった幕末の時事的な画題も取り上げています。横浜浮世絵と呼ばれる、開港した横浜の西洋風俗などを主題にした作品が、歌川派の絵師によって多数描かれました。
本章では、歌川国芳や歌川派の絵師たちに注目し、幕末の浮世絵の豊饒な世界を紹介します。
第4章 激動期の絵師
この社会的な転換を区切りとして、かつては明治元年以前と以後の美術を切り離して語ることが通例でしたが、近年では江戸と明治の連続性に重点を置くようになり、幕末明治期の絵師たちの再評価が進んでいます。
本章では、近代歴史画の祖・菊池容斎(1788~1878)や、血みどろ絵で知られる月岡芳年(1839~92)、あらゆる画題に挑み画鬼と称された河鍋暁斎(1831~89)、光線画で一世を風靡した小林清親(1847~1915)といった、江戸の地に生き、東京で活躍した絵師たちを取り上げ、江戸絵画の伝統を引き継ぎながら、新時代の感覚をあわせ持った作品を特集します。
また、文明開化の波が押し寄せ、近代日本の中心となった東京を描いた開化錦絵を展観します。
プレスリリースより
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激動の時代 幕末明治の絵師たち・・・狩野一信、歌川国芳、歌川芳艶、芳年、小林清規
サントリー美術館、2023年10月11日(水)~12月3日(日)

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2023年11月10日 (金)

「やまと絵−受け継がれる王朝の美−」・・・源氏物語絵巻の闇、日月四季山水図屏風、神護寺三像、平家納経

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第349回
金木犀の香りがする森を歩いて、博物館に行く。やまと絵、平安時代12世紀から室町時代15世紀の壮大な歴史。
【やまと絵とは何か】やまと絵は、唐絵に対して12世紀平安時代に始まる。中国の風景を描く唐絵対して、日本の王朝の宮廷を描くやまと絵は、飛鳥、奈良時代には描かれなかった。雪舟『四季花鳥図屏風』(室町時代15世紀)は、日本人によって描かれた中国の風景画であり漢画と呼ばれる。4大絵巻、源氏物語絵巻は、貴族のみならず武家に愛好され展開した。源氏物語絵巻、華麗なる王朝の美は、なぜ貴族と武家を惹きつけたのか。紫式部と源氏物語の始まりに遡ってその源泉を探る。
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王朝の美の闇にひそむ魔界【源氏物語絵巻、源氏物語作品群】400年にわたって展開した。源氏物語絵巻(平安時代12世紀、徳川美術館)、紫式部日記絵巻断簡(鎌倉殿時代13世紀、東京国立博物館)、源氏物語図扇面張交屏風(室町時代16世紀、浄土寺)。源氏物語絵巻のみならず、紫式部日記絵巻まで、作られ続いているのは驚異である。
「源氏物語図扇面貼交屏風」は、俵屋宗達「扇面貼交屏風」「扇面散し屏風」の先駆形である。扇は折れ目があり使用した形跡がある。
【光源氏の謎】光源氏のモデルは源融(嵯峨天皇の皇子)か藤原道長である。源融(822-895)は天皇の皇子だが、天皇になれなかった美貌の貴公子。源融は左大臣になり、天皇候補となったが、藤原基経に反対された。藤原道長(966-1028)は中宮彰子の父。紫式部の召人(愛人)。【予言の書『源氏物語』天下人の晩年の精神的没落】光源氏40歳で身分も地位も財産も高みに登りつめるが、個人的な運命は急降下。正妻女三の宮に裏切られ、愛妻紫の上に先立たれる。「高い身分に生まれながら、心の満たされぬ人生」「幻」巻。息子の夕霧に会えず引き籠る。
【紫式部の謎、源氏物語と紫式部と中宮彰子】1001年(長保3)夏に宣孝が死に、1001年の秋ごろから『源氏物語』を書き始めた。05年(寛弘2)ごろ年末に一条天皇の中宮彰子のもとに出仕。はじめ〈藤式部〉やがて〈紫式部〉と呼ばれる。〈紫〉は『源氏物語』の女主人公紫の上にちなみ、〈式部〉は父為時の官職式部丞による。
【六条河原院の謎、なぜ六条御息所は幽霊となるのか】源融は左大臣になり、天皇候補となったが、藤原基経に反対された。基経は源定省を宇多天皇として即位させる。怒った源融は宇治の棲霞観、六条河原院の別邸に隠棲。宇多上皇の河原院に源融の幽霊が出る『今昔物語集』巻27第二、世阿弥『融』【六条河原院】源融の嫡男・昇に相続され、昇により宇多上皇に献上され、仙洞御所となる。源氏物語の六条御息所、上村松園『焔』1918は『謡曲「葵の上」の六条御息所の幽霊を描いている。【光源氏の栄華と衰亡】光源氏の人生に仮託された源融と藤原道長の運命に王朝の階級制の閉鎖社会のピラミッド上昇の困難と個の苦悩と葛藤を、貴族と武家たちはどう見つめたのだろうか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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国宝「日月四季山水図屏風」金剛寺、室町時代15世紀】やまと絵で描かれた六曲一双(6扇の屏風が2つで1組)の屏風で、四季の山水と日月が描かれ、密教の灌頂の儀式に用いられた。右隻には春から夏への景色に金の太陽、左隻には秋から冬への景色に銀の月を配する。山並みはうねり、躍動感に満ちた絵画。天野山金剛寺
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国宝 神護寺三像。「伝源頼朝像」、「伝平重盛 像」「伝藤原光能」として伝わる鎌倉時代(13世紀)の肖像絵画は、等身大のスケールに圧倒。近寄ると漆黒の装束の黒い文様も見える。日本肖像画の最高峰。
伝源賴朝・平重盛・藤原光能像 (神護寺三像)3点共、作者は藤原隆信と伝わる。隆信は、歌人として有名な藤原定家の異父兄で、画業では似絵(にせえ)を得意とした。
空海は、唐に渡って密教を学び、帰国後は神護寺を本拠に真言密教を広めた。空海のあとの真済によって寺勢は隆盛し、壮大な伽藍が建てられたが、2度の火災で沈滞、荒廃した。
荒廃した神護寺を再建したのは、文覚上人。【文覚は神護寺再興を後白河法皇に強訴】したが、法皇の怒りを買い、伊豆に流罪。同じ伊豆の流人の境遇の頼朝と会見し、平家打倒に決起せよと説得。やがて流罪を解かれ、京に戻った文覚は法皇に神護寺復興を願って許された。平家を倒し幕府を立てた【頼朝の援助もあって、神護寺は復興した】
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国宝「平家納経 薬王菩薩本事品 第二十三」「平家納経 分別功徳品 第十七」「平家納経 平清盛願文」平安時代 長寛2年(1164)厳島神社蔵 
三大装飾経、国宝「平家納経」(平安時代1164年)「久能寺経」「慈光寺経」。
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展示作品の一部
「年中行事絵巻」模本は、展示されるのが1974年の絵巻展(東京国立博物館)以来。
源氏の名場面を四季に再編成して60面揃えた室町時代の「源氏物語図扇面貼交屛風」、国宝「源氏物語絵巻」、「紫式部日記絵巻」など華やかな作品が続々と登場。
「山水屛風」京都国立博物館、「山水屛風」神護寺、国宝「蒔絵筝」春日大社、
国宝「地獄草紙」「餓鬼草紙」、「辟邪絵」「病草紙」重文「百鬼夜行絵巻」
「源氏物語図扇面貼交屛風」室町時代 16世紀 広島・浄土寺(展示期間:10/11~11/5)
国宝「蒔絵箏(本宮御料古神宝類のうち)」奈良・春日大社蔵(11/5まで展示)
神に捧げるために作られた楽器。王朝貴族の美意識が結実した工芸品。蒔絵(まきえ)で表わされた美しい山岳図。
国宝「源氏物語絵巻」12世紀、徳川美術館、「伴大納言絵巻」12世紀、出光美術館蔵)、国宝「鳥獣戯画」平安~鎌倉時代12~13世紀 高山寺、国宝「信貴山縁起絵巻」平安時代12世紀 朝護孫子寺、国宝「平治物語絵巻」六波羅行幸巻、鎌倉時代13世紀、重文「紫式部日記絵巻」鎌倉時代13世紀
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【手に入らない愛は、永遠に美しい】実らない恋は永遠に輝いている【上智と下愚とは移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても堕落せず、最下の愚者は、どんなによい境遇にあっても向上しない。『「論語」陽貨』【どんなに地位、名誉、職業が高くても、智慧と慈悲がなければ生きる価値がない】最下の愚者は、向上しない。【千里の馬は常にあれども伯楽は常には非ず】
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質である】【先生を選ぶ】師が優れているか否かが最も重要な要素である【学びの違い】学校、大学では先生を選べない【先生が持っている地図の大きさ】【先生が持つ基礎認知力、先生が持っている体系】空海は、大学寮明経科に入学したが退学、山林修行の旅に出る『聾瞽指帰』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」・・・幻の曜変天目、本能寺の変
https://bit.ly/3UYWOpe
鈴木其一・夏秋渓流図屏風・・・樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉
https://bit.ly/2ZCzN3x
「大琳派展―継承と変奏」東京国立博物館・・・絢爛たる装飾藝術、16世紀から18世紀
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-c300.html
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎
https://bit.ly/3hIroVg
大塚ひかり『嫉妬と階級の『源氏物語』』新潮社
「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」・・・源氏物語絵巻の闇、日月四季山水図屏風、神護寺三像、平家納経
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-1388ed.html
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日本絵巻史上最高傑作と言われる「四大絵巻」が揃い踏み(10/11~10月22日まで)。

四大絵巻「源氏物語絵巻」「鳥獣戯画」「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵巻」が30年ぶりに集結する。壮観。
神護寺三像「伝源頼朝像」(鎌倉時代13世紀)「伝平重盛像」「伝藤原光能像」、が集結する。横幅1m等身大の大作。仙洞院に「後白河法皇像」「平業房像」とともに5幅掛けられていた。10月24日(火)~11月5日(日)
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国宝53件、総件数270件、絢爛豪華な展覧会。
国宝53件、総件数270件のうち、7割超が国宝・重要文化財、絢爛豪華展な展覧会。
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国宝「源氏物語絵巻」徳川美術館、「伴大納言絵巻」(出光美術館蔵)は10月22日まで
国宝「鳥獣戯画」平安~鎌倉時代 12~13世紀 高山寺 展示期間:甲巻10/11~10/22 乙巻10/24~11/5 丙巻11/7~11/19 丁巻11/21~12/3
国宝「信貴山縁起絵巻」平安時代 12世紀 朝護孫子寺 展示期間:飛倉巻10/11~11/5 延喜加持巻11/7~11/19 尼公巻11/21~12/3
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国宝「平治物語絵巻」六波羅行幸巻 鎌倉時代13世紀、東京国立博物館、
重要文化財「紫式部日記絵巻」鎌倉時代13世紀、東京国立博物館
国宝「日月四季山水図屏風」室町時代15世紀、金剛寺
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特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」東京国立博物館、2023年10月11日~12月3日

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2023年11月 4日 (土)

春陽会誕生100年 それぞれの闘い、岡鹿之助、長谷川潔、岸田劉生・・・孤高の藝術家、静謐な空間、時の旅人

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孤高の藝術家、岡鹿之助は何を探求したのか。海の町、古城、窓と花。静謐な空間、黄昏の色調を帯びた建築、郷愁を感じさせる世界。献花は、亡くなった人に捧げられた絵画である。失われた時の旅人。世界の果て、魂の宇宙に、美を実現することを、探求する精神。
長谷川潔の版画は、日夏耿之介『転身の頌』光風館書店大正6年、『黒衣聖母』、を飾った。耽美派詩人の世界、失われた世界への旅。
庭に樫の大樹が枝を広げ、竹林が笹の葉擦れの潮騒、金色の玉虫が庭に落下し、母の愛犬トイプードルが庭を散歩する。朝夕、愛犬が吠える。部屋の南隅にギリシア語『エウリピデス』のページが翻る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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岡鹿之助(1889-1978)孤高の藝術家、静謐な空間 89歳で死す。
岡鹿之助、父、劇評家・岡鬼太郎。1919年、東京美術学校入学、岡田三郎助の指導を受け24年卒業、1924年、渡仏、渡仏後、藤田嗣治の指導を受ける。1926年6月から3か月、トレガステルに滞在する。同地で描いた《信号台》1926年、等4点が、1926年サロン・ドートンヌで入選。ブルターニュでの制作は、それまで学んだアカデミックな作風を変え、新しい作風の契機となる。海街で描き魚釣りする。1939年まで15年間パリ滞在【独自の顔料・技法を研究】ボナール・マルケらと交流。39年帰国。1940年、春陽会会員に推挙。1960年,フランスに3年滞在。1969,日本芸術院会員、1972、文化勲章。《段丘》1978年、絶筆、死去。
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長谷川潔(1891-1980)深遠な精神世界 89歳で死す。
長谷川潔(1891-1980)は、1911年,黒田清輝に素描を習い、1912年、本郷洋画研究で岡田三郎助、藤島武二に油絵を習った。岡田三郎助とバーナード・リーチに銅版画の手ほどきを受ける。1912年に版画の制作を始めた。長谷川潔は、1913年、日夏耿之介と西條八十が創刊した『聖杯』に版画を寄稿。日本を去る1918年まで文芸同人雑誌『仮面』の版画家として活動。渡仏して第二次世界大戦が始まるまで創作活動。長谷川は、南仏の風景や神話に登場するヴィーナスのような女性像、机上の静物などを描きながら、独自の表現を確立。《思想の生れる時》 1925年 ドライポイント、《仏訳『竹取物語』挿絵》 1934(1933)年 エングレーヴィング。メゾチント(マニエール・ノワール)という版画の古典技法を研究し、現代版画の技法としてよみがえらせる。【長谷川の転機】第二次世界大戦中、見慣れた一本の樹が不意に人間と同等に見えるようになり「自分の絵は変わった」。日常に潜む神秘を表現する。長谷川は50年代末から60年代末まで、細粒な点刻で下地をつくり、漆黒のなかからモティーフを浮かび上がらせる「メゾチント」による静物画を多数制作した。《コップに挿した枯れた野花》1950年 エングレーヴィング、《アカリョムの前の草花(草花とアカリョム)》1969年 メゾチント。オブジェや草花、小鳥など、深遠な精神世界を探求。サロン・ドートンヌやフランス画家・版画家協会に所属してパリ画壇で高く評価され、1935年レジオンドヌール勲章受章、1966年フランス文化勲章受章、1967年勲三等瑞宝章受章を授与された。パリを拠点に活躍した銅版画家。89歳で死す。
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岸田劉生(1891-1929)内なる美、東洋の美 38歳で死す。
「内なる美」岸田劉生は写実を追求した芸術家であるが、写実を通して対象物がもつ「存在の神秘性」を引き出すことを狙って描かれている。「深く写実を追求すると不思議なイメーヂに達する。それは『神秘』である」(『劉生画集及芸術観』1920年)
岸田劉生は、対象物をリアルに再現するだけではなく自身の内面から呼び起こされた「内なる美」をその作品に投影している。
写実を極めた岸田劉生は、次第に東洋の美術に惹かれるようになっていきました。岸田劉生は東洋の美術が持つ独特の美を「卑近美」という言葉で表現しています。「東洋の美は、倫理的感銘が欠けているのではない。ただ、その露骨性を避けられているのである。匿くされているのである。東洋のものの渋さがそこにある。東洋のものは、一皮剝ぐと、そこに深さ、無限さ、神秘さ、厳粛さ、そういうものがある。」(『純正美術』第2巻第3号、1922年)岸田劉生は、初期肉筆浮世絵や中国の古典絵画に魅力を感じ、東洋美術の独特の美を自らの作品に落とし込むことに成功した。
岸田劉生は1891(明治24)年、東京銀座に岸田家の第9子(4男)として生を受けた。岸田劉生は、楽善堂(らくぜんどう)という大きな薬屋を営んでいた父親の岸田吟香(きしだぎんこう)のもとで、裕福な家庭に育つ。1908年、白馬会洋画研究所に入り、1910、第4回文展入選。2012年、ヒュウザン会結成に参加【第2の誕生】1912(明治44)年、21歳のころに岸田劉生はゴッホやゴーギャンに代表されるポスト印象主義に出会った、「絵の中に自分の内面を表現する」「自分が描きたいように描く」という表現スタイルがあることに気が付き衝撃を受ける。【北方ルネサンス】草土社結成。1913(大正2)年、岸田劉生は結婚し、清貧のうちに代々木に居を移す。この頃、肖像画を描くことに熱中し「岸田の首狩り」「千人斬り」などとも呼ばれた。デューラーやファン・エイクを代表とする「北方ルネサンス」の絵画に出会い、その細密に描きこまれた写実的な作品に引き込まれる。1916(大正5)年の夏、岸田劉生は体調を崩して肺結核と診断を受け、翌年、転地療養を兼ねて神奈川県の鵠沼へ転居、6年半を過ごした。1921(大正10)年より、妻・蓁からのすすめで歌舞伎や文楽を観劇。【東洋美術への傾倒】1923(大正12)年、関東大震災によって家屋が半壊したため、劉生一家は京都へ引っ越し。京都で2年半ほど過ごしたのち、劉生一家は1926(大正15)年に神奈川県の鎌倉町に転居。その2週間後には長男の鶴之助が生まれた。1929(昭和4)年、岸田劉生は南満州鉄道会社の招待で大連に赴き。帰国後、慢性腎炎に胃潰瘍を併発、絶筆の『銀屏風』を描いた20日後に息を引き取った。
岸田劉生の娘麗子は、2018年、5歳から16歳までの間に何度も作品のモデルをつとめた。「麗子像」のなかでも人気があるのが、東洋美術に惹かれ始めた頃に描かれた『麗子微笑(青果持テル)』(1921年)東京国立博物館所蔵。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【上智と下愚とは移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても堕落せず、最下の愚者は、どんなによい境遇にあっても向上しない。《「論語」陽貨》【どんなに地位、名誉、職業が高くても、智慧と慈悲がなければ生きる価値がない】最下の愚者は、向上しない。【最高権力者が最下愚の国】最上の知者は悪い境遇にあっても戦う。
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質である】【先生を選ぶ】師が優れているか否かが最も重要な要素である【学びの違い】学校、大学では先生を選べない【先生が持っている地図の大きさ】【先生が持つ基礎認知力、先生が持っている体系】空海は、大学寮明経科に入学したが退学、山林修行の旅に出る『聾瞽指帰』
【千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず】一日に千里も走ることのできる名馬は常に存在するが、それを見いだす伯楽は常に存在しない。世の中に有能な人はたくさんいるが、その才能を見いだせる人物は少ない。いつの時代でも有能な人材はいるが、才能を見抜く名人はいない。韓愈『雑説』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
岸田劉生《麗子弾絃図》1923年、京都国立近代美術館
岡鹿之助《魚》1939年、横須賀美術館
岡鹿之助《窓》1949年、愛知県美術館
岡鹿之助《測候所》1951年、静岡県立美術館
岡鹿之助《山麓》1957年、京都国立近代美術館
岡鹿之助《段丘》1978年、個人蔵、群馬県立近代美術館寄託
岡鹿之助《群落》1962年、東京国立近代美術館
長谷川潔《アレキサンドル三世橋とフランスの飛行船》1930年、碧南市藤井達吉現代美術館
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参考文献
憧憬の地 ブルターニュ・・・最果ての地と画家たち
https://bit.ly/3ZkZsX8
「岡鹿之助展」ブリヂストン美術館・・・昼餐の対話、海と廃墟と古城
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_e8e2.html
甲斐荘楠音の全貌・・・退廃の美薫る、謎多き画家、東映京都の時代考証家、趣味人、レオナルドの面影
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-6cb36a.html
長谷川潔 1891-1980展 ― 日常にひそむ神秘 - 町田市立国際版画美術館
https://www.artpr.jp/hanga-museum/hasegawa1891-1980
孤高の画家、岸田劉生の魅力とは。銀座、鈴木美術画廊
春陽会誕生100年 それぞれの闘い、岡鹿之助、長谷川潔、岸田劉生・・・孤高の藝術家、静謐な空間、時の旅人
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-4d7b04.html
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展覧会概要
春陽会は1923年に第1回展が開催された、現在も活発に活動を続ける美術団体です。民間最大の美術団体だった日本美術院の洋画部を脱退した画家たちで構成された創立会員を中心に、新進気鋭の画家たちが加わり新団体「春陽会」を結成しました。
彼らは同じ芸術主義をもつ画家たちの集団であろうとはせず、それぞれの画家たちの個性を尊重する「各人主義」が大事であると考えました。また、春陽会の展覧会には油彩だけではなく、版画、水墨画、さらには新聞挿絵の原画などが形式にとらわれずに出品されました。そして、春陽会では画家たちが互いの作品を批評しながら芸術のために研鑽を積み、次世代育成をも念頭に基盤を固めていったのです。
出品作品のなかに、自らの内面にある風土(土着)的なもの、日本的ないしは東洋的なものを表現しようとする傾向が早くからみられたことは、注目すべき点でしょう。
すでに知名度のある花形の画家たちにより組織され、帝国美術院、二科会に拮抗する第3の洋画団体として誕生した春陽会。本展は、その創立から1950年代までの葛藤に満ちた展開を100点以上の作品で辿ろうとするものです。
春陽会創立メンバー
創立会員:足立源一郎、梅原龍三郎、倉田白羊、小杉未醒(放菴)、長谷川昇、森田恒友、山本鼎  創立客員:石井鶴三、今関啓司、岸田劉生、木村荘八、椿貞雄、中川一政、山崎省三、萬鐵五郎
プレスリリース https://www.artpr.jp/tsg/shunyokai100
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春陽会誕生100年 それぞれの闘い 岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ、東京ステーションギャラリー、9月16日(土)~11月12日

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