2020年6月 2日 (火)

感染爆発、帝国と都市国家の戦い。この世の果てを超えて、旅する詩人・・・「時の関節が外れた」シェイクスピア

Nhk-20200510
Petra-national-geographic 
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第216回
感染爆発に襲われ、都市封鎖、暴力化する世界、階級社会化する世界にあって、死を越えて蘇ることができるのか。邪知暴虐な権力者が現れて、世界帝国が、個人の自由を奪い、都市は隷属化する。旅する思想家のように、運命と戦い理念を探求することができるのか。旅する詩人のように、桃花流水の境地を追求することができるのか。
「世の中は関節が外れている、呪われた悪意よ、それを正すべくおれはこの世に生を受けたのだ」シェイクスピア
【ゼウスは人間を滅亡させる計画を画策】
パンデミック計画、ウィルス学者によりウィルス作成、感染爆発、国家破綻、占領、ワクチンビジネス、ワクチン産業の支配。
人間に与えられた選択は二つ。第1の選択「全体主義の監視と管理か、自由か」、第2の選択「分裂か対決か」。独裁国家か、自由か。
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
――
【独裁者を追放するシステム、アテネ民主政】重装武器をもつ市民が擡頭。BC6C執政官(アルコン)クレイステネスは、貴族と平民の身分差をなくし市民が政治を担うデーモスクラティア(民主政)を開始。独裁者(僭主)が出現することを防止するシステム、オストラキスモス(陶片追放)を創設。
【ペロポネソス戦争と感染爆発】BC480ペルシア戦争に勝利したギリシアは、アテネのデロス同盟とスパルタのペロポネソス同盟、二つの勢力が激突、ペロポネソス戦争(BC431-404)へ発展した。籠城作戦をとったアテネに感染爆発、BC429最高指揮官、ペリクレスが死ぬ。
――
1、
【創造的研究】研究には2種類ある。創造的研究と研究のための研究。高度に普遍的な学問はいくら究めても上には上がある。普遍的な学問は、他との競争に勝っても後世優秀な人に克服される。創造的学問は、他に類がないので究極的秘儀に立ち入る。ある建築家の教え。『旅する思想家』
――
2、
旅する詩人
【李白、旅する詩人(701-762)】李白がはじめて長安にのぼったのは742年。42歳の時。長安で李白は賀知章(659-744)の知遇を得る。賀知章は玄宗皇帝に仕え、詩壇の長老。賀知章は李白の仙人的な人柄を気に入る。「お前の才能はこの世のものではない。まるで天から流されてきた仙人のようだ(謫仙人)」。742年、李白は賀知章の推挙を受けて翰林供奉となる。
【李白、旅する詩人】玄宗皇帝の側近、宦官の高力士と対立。李白が詩で楊貴妃の美しさを前漢の美人、趙飛燕になぞらえる。趙飛燕は前漢の成帝に愛され皇后になるが成帝の崩御後、庶民にまで落ち自殺した。李白は失脚、長安を追われる。744年、李白44歳。宮廷詩人として活躍したのは僅か3年間。長安を去り李白は再び遍歴生活に戻る。*『清平調詞』二
【李白 黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る】古くからの友人(孟浩然)は、西にある黄鶴楼に別れを告げ、花が咲き春の霞が立つ三月、揚州へと長江を下っていった。遠くに見える一そうの舟の帆も青空に消えて、ただ、長江が天の果てまで流れていくのを見るばかりである。
【旅する詩人、孟浩然】(689-740)。湖北省襄陽市の人。青年時代は故郷の鹿門山に隠棲。40歳ごろ長安に出て科挙を受験するが落第。郷里に戻る。一時張九齢の招きで任官するがすぐに官職を辞す。江南地方を放浪して一生を終える。生涯、出世には縁が無かったが、その詩才は高く評価される。王維・李白・張九齢らと交流があり。自然を歌った詩に名作が多い。王維と並んで「王孟」と並び称され、中唐の韋応物、柳宗元と並び王孟韋柳とも称される。『春暁』『洛陽にて袁拾遺を訪ふて遇はず』
【旅する思想家】孔子は、下剋上の嵐を止めるため、魯の君主に抜擢され大司寇に任命されるが、魯国の繁栄を恐れた隣国の斉は美女歌舞団八十人を魯国に贈った。季桓は受納し三日政庁に現れず。紀元前497年孔子、魯国を去る。孔子56歳。14年間、流浪の旅に出る。
――
3、文明の興亡
【ゼウスの計画、トロイア戦争の原因。ゼウスは、増え過ぎた人口を調節するためにテミス(秩序の女神)と試案を重ね、遂に大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意を固める。】
【トロイア戦争10年目、トロイの海辺で、アカイア軍は疫病に襲われる。オデュッセウスの計略によって木馬が、木馬には兵たちが潜み、トロイに送られる。だが、カッサンドラは危険を予言する】
【ペトラ、ナバテア王国は、なぜ栄えたのか。なぜ滅びたのか。エル・カズネは王の墓なのか。広大な水路、灌漑設備はどう建設されたのか。主産業は葡萄酒。アラブに滅ぼされたのは何故か】
【パルミラ王国は、なぜ、栄えたのか。なぜ、滅びたのか。パルミラ王国、美麗女王ゼノビア女は、何を成し遂げたのか】
【ミケランジェロは、その超越的な技術を何から学んだのか。ミケランジェロは、23歳で卓越した技を発揮し、悪魔の手をもつと呼ばれた】
【織田信長、卓越した情報力】敵の謀を討つ。弟織田信勝の謀反を返り討ち。信長24歳。桶狭間の戦い、二万五千の今川義元を迎え撃つ、織田勢四千。信長27歳。長篠の戦い、武田勝頼の騎馬隊を千挺の鉄砲と馬防柵で撃つ。信長42歳。天正6年、第2次木津川合戦、毛利水軍を巨大船によって迎撃
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4、感染症との戦い、ウィルス研究者たち
武漢ウィルス研究所、石正麗(Shi Zhengli)、博士
武漢ウイルス研究所の副所長、蝙蝠女、石正麗(Shi Zhengli)が再浮上。実験室理論に対する(決定的な)証拠。新型コロナウイルスは、コウモリ起源で絶滅危惧センザンコウが媒介。
Coronavirus, le prove ('definitive') contro la teoria del laboratorio
https://corriere.it/cronache/20_aprile_26/coronavirus-prove-definitive-contro-teoria-laboratorio-7887264c-86f2-11ea-9b77-4fc0668b38e0.shtml

「習近平の弟」武漢ウイルス研究所からの流出を認める
https://youtube.com/watch?v=ZYrBz7yWmOM&feature=share 
【ウィルス利権の元凶、ファウチ】米ファウチ博士、中国武漢のウイルス研究所に資金援助、中国発生説を否定
https://beat-the-corona.tokyo/?p=2562 
新型コロナの危険察知の“コウモリ女”の口を封じた17歳下“美人”上司
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishiokashoji/20200511-00177991/
【解説】新型コロナの流出源? 武漢研究所を取り巻く疑惑
https://www.afpbb.com/articles/-/3279139
――
リュック・モンタニエ博士 Dr.Luc Antoine Montagnier
HIV発見の功績でノーベル賞を受賞したリュック・モンタニエ博士が「新型コロナは人工ウイルス」とする論文を発表。そして「人為的な改変は必ず消える」とパンデミックが干渉と共に終わる道筋を表明
https://indeep.jp/coronavirus-is-a-man-made-according-to-luc-montagnier/
1983年に HIV (エイズウイルス)を発見した功績で、2008年にノーベル医学賞を受賞したリュック・モンタニエ博士。同僚の研究者とウイルスの分析を続けた結果、「新型コロナウイルスは人工のウイルスである」と結論付けたことが報じられた。「(ウイルスの)干渉波の影響の中で、ウイルスの中の人為的な配列が排除されていき、結果としてパンデミックは止まる」「自然にある存在は、分子の人為的な改変を一切受け入れない」「エイズのワクチン開発のためのウイルスが流出した」
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Dr.Judy Mikovits.Plandemic
映画「プランデミック」我々の命、自由、健康を支配する計画、パート1:ジュディ・マイコヴィッツ(前編)
https://www.bitchute.com/video/aTSLR86irgBP/
映画「プランデミック」我々の命、自由、健康を支配する計画、パート1:ジュディ・マイコヴィッツ(後編)
https://www.bitchute.com/video/iw1V6Q9Ldrtf/ 
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死神博士、河岡義裕教授、1999年スペイン・インフルエンザ、ウィルス合成、東京大学医科学研究所
あまりにも大胆なウイルス研究を行い、世界中で大論争を巻き起こした。その研究とは、H1N1型インフルエンザ(豚インフルエンザ)ウイルスの遺伝子を改変。
中国武漢で昨年9月に「新型コロナウイルス発生の模擬演習」をしていた!? コロナ騒動3つのポイントと第三次世界大戦勃発への流れを解説!
https://tocana.jp/2020/03/post_147264_entry.html @DailyTocanaさんから

死神博士、河岡義裕教授 【論説空間】現代によみがえるスペイン風邪ウイルス 塩基配列から ...
http://www.todaishimbun.org/spanishflu20200510/
2020年5月10日 ... ウイルス研究って面白い!」と初めて実感したのは、インフルエンザウイルスの人工 合成系が確立された時である。当時(1999年)、私は北海道大学獣医学研究院の博士 課程に籍を置きつつ、 米国ウイスコンシン大学獣医学部の河岡義裕 ...
死神博士、河岡義裕教授、ウイルス学者(東京大学感染症国際研究所
https://www.jili.or.jp/kuraho/2006/inochi/web04/i_web04.html
河岡義裕先生は、1999年に「リバース・ジェネティックス」という技術で、世界で初めて インフルエンザウイルスを人工的に作り出すことに成功した。 ... ます。20世紀以降だけ でも、3度のパンデミック(世界的大流行)を引き起こしました。1918年から19年にかけて のスペイン風邪では世界中で2000万人が ... 私がウイスコンシン大学にいた1999年、 私たちの研究グループは、世界で初めてインフルエンザウイルスの人工合成に成功しま した。
――
参考文献
運命の美人姉妹、クリュタイムネストラ、ヘレネー
トロイア戦争の始まり 失われた『叙事詩の円環』
https://t.co/JjeYXXOypq
https://en.wikipedia.org/wiki/Epic_Cycle
大久保正雄『地中海紀行』第61回トロイア戦争 パリスの審判P29
岡道男『ホメロスにおける伝統の継承と創造』
城江良知「ガイアの嘆願と『イリアス』」
『キュプリア』によれば,ガイアは、増えすぎた人間の重みに耐えかね,. しかも人間には神 を畏敬する心がまったくなかったため, ゼウスにこの重荷.を軽減してくれるようにと願い出た. ゼウスは同情してまずテーバイ戦争を起こし多数の人間を滅ぼした。・
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/68585/1/KJ00004263559
高木登「人間を小宇宙と見るルネサンス的思想-. その1 シェイクスピアに見るこの世の秩序の崩壊.」
――
感染爆発、帝国と都市国家の戦い。この世の果てを超えて、旅する詩人・・・「時の関節が外れた」シェイクスピア
https://bit.ly/2XoaNcd
世界の果てへの旅:The World's End ・・・理念を探求する旅人
https://bit.ly/2WylxmE
ウィルスと人類の戦い・・・感染爆発の歴史、アテネのペリクレス、ルネサンス、厩戸皇子 、盧舎那仏
https://bit.ly/2z32Orl

画像、NHK,、Reuters、Guardian

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2020年5月 5日 (火)

世界の果てへの旅:The World's End ・・・理念を探求する旅人

2011
Sakurako-20190306
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第215回
風薫る五月、百花繚乱の季節だが、100年に一度のウィルスの感染爆発で、世界は危機に襲われている。1月21日、武漢で感染爆発が起こり、1月23日、武漢都市封鎖、3月8日、ヴェネツィア都市封鎖、3月17日、パリ都市封鎖、3月22日、NY都市封鎖、4月8日から東京首都圏で緊急事態宣言、外出自粛。この危機を救う者は、だれだろうか。
【天啓】世界の変革期、14世紀のヨーロッパのように、社会のパラダイムが根底から、崩壊する時。14世紀から16世紀、1348年から1577年まで、黒死病が襲来し、衝撃的な危機が襲来、夥しい人が死に、人口の三分の一が死に、死屍累々と都市に溢れた。
【生命の危機、都市封鎖、愚者の国と賢者の国】賢者の国、危機に立ち向かう、民主主義が出現する。ドイツ、メルケル首相、NZ、アーダーン首相、NY、クオモ知事、台湾、蔡英文、総統のように。愚者の国では、全体主義の独裁者が出現する、ヒトラー総統のように敵を仕立てて大衆を洗脳する。
【感染爆発、都市封鎖、独裁国家化のシナリオ】中国、武漢、韓国で行われている。

【独裁者を追放するシステム、アテネ民主政】BC6C執政官(アルコン)クレイステネスは、貴族と平民の身分差をなくし市民が政治を担うデーモスクラティア(民主政)を開始。独裁者(僭主)が出現することを防止するシステム、オストラキスモス(陶片追放)を創設。

日本には独裁者を追放するシステムなし【憲法は独裁政権を縛るためにある】【独裁者は、過ちを認めず、事実は隠蔽し、誰も責任をとらず、都合の悪い統計は偽装する】悪と戦い、この世に正義を実現するために戦うべきである。
――
【この世の終わりの光景】
人はこの世の終わりの光景に、狼狽え、天に祈った。天の啓示であったのか。天は何を啓示するのか。その時、人はなぜ存在するのか、何のために生きるのか。何をするためにこの世にやって来たのか。
【国家と対峙する】人間は否応なく社会システムに組み込まれている。個人がシステムに支配され、自由を奪われ、自立した思考ができなくなることこそ、全体主義だと私は考える。どこにも依存せず自立することは、ほとんど不可能ではあるが、自らのよって立つ根拠、思想の根拠を探求しつづけなければならない。生涯にわたる沙門、探求者と自ら考えた、空海、プラトンのように。生涯にわたる阿修羅と考えた宮澤賢治のように。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』

【The World's End :世界の果てへの旅】
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、夕暮れのアポロン神殿に行く。糸杉の丘、仏陀の智慧が覚醒する。奇想の画家は「千歳、具眼の士をまつ」といった、時の果てに、秘蔵された美がある。白夜の東欧の孤城に失われた絵画を探し、夕映えのエーゲ海、古代神殿の宝庫に、幻の古代彫刻を求めて彷徨い歩く。秘書が、世界の果てから、世界の果てへやってくる。
天人はこの世に舞い降りて、餓鬼道の者に嫉妬され虐げられることがある。如意輪観音菩薩は、この世に生きる天人を救う。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

【旅する思想家、美への旅】空海は理念を探求して旅した。空海24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ロレンツォ・デ・メディチ、理念に向かって旅する旅人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。

【古典への旅】少年時代、ヴェルヌ「海底二万里」コナン・ドイル「地底探検」、「北斎、富岳三十六景」を愛読した。14歳の時から、中国、西洋、日本、ギリシアの古典、珠玉の短編小説を愛読、たとえば、「李白」「李賀」「論語」「新古今和歌集」、中島敦「名人伝、、弟子」、川端康成「抒情歌」、17歳の時、「空海 秘密曼陀羅十住心論」「プラトン 饗宴」に耽溺。ギリシア語原典「エウリピデス」を高校の時に購入した。「プラトン哲学の美学」を博士課程で、研究した。それが一因で、人生の苦難の冒険の旅に出た。「地中海への旅」である。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
―― 
★参考文献
ウィルスの起源
新型コロナウィルスは、武漢ウイルス研究所の、蝙蝠女、石正麗博士、が人工的に合成した。2015年、論文発表。2019年、流出。

武漢ウイルス研究所の副所長、蝙蝠女、石正麗(Shi Zhengli)が再浮上。実験室理論に対する(決定的な)証拠。新型コロナウイルスは、コウモリ起源で絶滅危惧センザンコウが媒介。
Coronavirus, le prove ('definitive') contro la teoria del laboratorio
https://corriere.it/cronache/20_aprile_26/coronavirus-prove-definitive-contro-teoria-laboratorio-7887264c-86f2-11ea-9b77-4fc0668b38e0.shtml

新型コロナウイルスは、石正麗チームがエイズウイルスと合成か。Bookservice.JP -Rinkaku-
https://www.bookservice.jp/2020/02/22/post-41435/
ウイルス発生源、欧米学者が突然変異説:武漢発生源という証拠なし?(遠藤誉) - Y!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20200415-00173491/

HIV発見の功績でノーベル賞を受賞したリュック・モンタニエ博士が「新型コロナは人工ウイルス」とする論文を発表。そして「人為的な改変は必ず消える」とパンデミックが干渉と共に終わる道筋を表明
https://indeep.jp/coronavirus-is-a-man-made-according-to-luc-montagnier/

日本(アジア)の新型コロナ感染者、重症者、死者が欧米よりはるかに少ない理由はHLA
浮上してきたHLA(Human Leukocyte Antigen=ヒト白血球抗原)
https://www.landerblue.co.jp/50000/..
入口 紀男「私も HLA には大きな関心をもっています。また、日本には成人T細胞白血病ウィルスという、縄文時代から存在するウィルスがいて、新型コロナ肺炎のウィルスの天敵になっていないかとも感じています。成人T細胞白血病ウィルスは九州南部と岩手県に多く存在しています。」
――
★世界経済崩壊
5月末までに「世界のほとんどの航空会社は倒産する」…各国政府の介入がなければ
https://www.businessinsider.jp/post-210286
2020年4月2日 ... 航空コンサルタント会社のCAPAは、コロナウイルスのパンデミックで、世界の航空会社 の「ほとんど」が5月末までに倒産する可能性があると警告した。アメリカのトランプ 大統領は、航空業界に対して580億ドルを支援すると決めたが、

NY原油初のマイナス、実は合理的な根拠あり - ロイター
https://jp.reuters.com/article/crude-breakingviews-idJPKBN223066
2020年4月20日 ... [ロンドン 20日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 原油価格が文字通り、底割れした。20 日のニューヨーク市場で、米国の原油供給が貯蔵 ... トレーダーがパニックを起こし たため、指標の米国産標準油種(WTI)5月渡しが史上初めてマイナスの水準になった のだ。1つの限月の価格 ... このドキュメントの当コンテンツ
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参考文献
美術館スケジュール2020年・・・旅する哲学者 美への旅
https://bit.ly/2A6KlL1
「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」・・・空海、理念と象徴
https://bit.ly/2XEoVNy
世界の果てへの旅:The World's End ・・・理念を探求する旅人
https://bit.ly/2WylxmE
ウィルスと人類の戦い・・・感染爆発の歴史、アテネのペリクレス、ルネサンス、厩戸皇子 、盧舎那仏
https://bit.ly/2z32Orl
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・若草伽藍と聖徳太子の謎
https://bit.ly/2R8JNtG 
瀕死のイタリア、ベルガモから、私たちは運命と戦うために生まれた
https://bit.ly/2R7KGCH
――
★写真 東寺、JR東海 花尻の森、櫻子さん

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2020年5月 3日 (日)

ウィルスと人類の戦い・・・感染爆発の歴史、アテネのペリクレス、ルネサンス、厩戸皇子 、盧舎那仏

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第214回
【生命の危機、緊急事態、都市封鎖、愚者の国と賢者の国】全体主義の独裁者が出現する国、ヒトラー総統のように敵を仕立てて大衆を洗脳する。危機に立ち向かう、民主主義が出現する国。ドイツ、メルケル首相、NZ、アーダーン首相、NY、クオモ知事、台湾、蔡英文、総統のように。
【国家と対峙する】人間は否応なく社会システムに組み込まれている。個人がシステムに支配され、自由を奪われ、自立した思考ができなくなることこそ、全体主義だと私は考える。どこにも依存せず自立することは、ほとんど不可能ではあるが、自らのよって立つ根拠、思想の根拠を探求しつづけなければならない。生涯にわたる沙門、探求者と自ら考えた、空海、プラトンのように。生涯にわたる阿修羅と考えた宮澤賢治のように。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【〈蘇民将来子孫也〉祇園祭、護符。疫病から守る護符】
【死生学 武塔の神】武塔の神が、嫁を探しに旅をしてきた。泊まる宿を求めた。貧窮の兄と富裕の弟とがあり、富裕な巨旦は意地悪く「うちは貧しいから泊められない」と嘘をついて断った。蘇民は貧しいながら、粟飯の粗末な食事で世話をした。金持ちでうそつきで意地悪の弟、巨旦。貧しい兄、蘇民。再訪した武塔神は、蘇民の娘に「蘇民将来の子孫」と言って茅の輪を付けさせ、厄病から守られるという。蘇民の娘を除いて、皆殺しにした。武塔の神は、美しい者を救う。蘇民将来の伝説。『備後国風土記』(『備後国風土記』逸文(『日本古典文学大系2 風土記』所収・1958・岩波書店)
1、
【人類と感染症の戦い】ペロポネソス戦争。籠城作戦をとる。紀元前429年、最高指揮官ペリクレス、疫病で、66歳で死す。アテネ最盛期、スパルタに敗北した一因。トゥキュディデスは「アテネの疫病」に罹ったが、幸い命を取り留めその経験をもとに大国の戦いを『戦史』に記録する。
原因は、発疹チフス、麻疹、痘瘡、腺ペスト、溶血性連鎖球菌感染、野兎病、ラッサ熱やエボラ出血熱。推定される。
2、
【聖徳太子、死の謎】622年、なぜ聖徳太子=厩戸皇子は49歳で死んだのか。前年、生母、穴穂部間人皇女が死亡。太子の死の前日に妃の膳大郎女が死去。相次いで三人が死ぬ。3人は同じ墓に埋葬された。膳大郎女は、太子の4人の妻のうち最も身分が低い。疫病による病死。唐あるいは新羅からの疫病か。
【法隆寺、釈迦三尊像】聖徳太子が亡くなった翌623年、太子等身の釈迦三尊像を造って安置した。この像に彫られた196文字の銘文は聖徳太子と同時代のものであると推定される。刻まれた「尺寸王身」という記述から、釈迦三尊像が太子本人に生き写しであったと思われる。621年、穴穂部間人皇女が死亡、太子の死の前日に妃の膳大郎女が死去。
【聖徳太子の死】疫病説、膳大郎女との自殺説、暗殺説。議論を呼ぶ暗殺説には、蘇我氏、唐からの暗殺者、中大兄皇子と中臣鎌足、等がある。
3、
【人類と感染症の戦い】
【天平の疫病】首都、平城京でも大量に感染した。735年(天平7年)から737年6月には疫病、天然痘の蔓延によって朝廷が停止される事態となり、政権を担っていた藤原四兄弟、藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂も全員が感染によって病死。原因は遣唐使、遣新羅使。738年(天平10年)1月まで続いた。
【東大寺、盧舎那仏】天平の疫病の後、聖武天皇により、農民に土地の私有を認める「墾田永年私財法」天平15年5月27日(743年6月23日)に発布された勅が施行された。
【盧舎那仏】聖武は仏教への帰依を深め、東大寺および盧舎那仏像の建造を命じ、各地に国分寺を建立。 聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会。妃、光明子、光明皇后の名は、『金光明最勝王経』に由来する。
*天平の疫病。聖武天皇、天平7年735年に九州で発生したのち全国に広がり735年から737年にかけて奈良時代の日本で発生した天然痘の流行。藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)全員が病死し、政治機能麻痺。当時の日本の総人口の25–35パーセント、100万–150万人が感染により死亡した。
4、
【感染爆発と平安文学、一条天皇は31歳で死す。中宮定子は24歳で死。中宮彰子88歳まで生きる】一条天皇は2人の皇后を持った(一帝二后)、一人の后でが中宮彰子(988-1074)、彼女に仕えたのが清少納言のライバル、紫式部(970頃-1019頃以降)。中宮彰子は、藤原道隆の弟でのちに位人身を極める藤原道長(966-1028)の娘として生まれ、
後一条天皇、後朱雀天皇の2人の帝を産み「国母」と称され、系図上では現在の明仁・徳仁天皇の祖先。
【インフルエンザ肺炎、中宮定子、中宮彰子、一条天皇】彰子の夫である一条天皇は《980-1011》31歳で亡くなり、死因は「咳逆=しわぶき」、インフルエンザ肺炎と伝えられる。清少納言が仕えた「年上の后」中宮定子は《977-1001》24歳で産褥のため亡くなる。
【中宮彰子と藤原道長】
大酒のみの父道隆が995年糖尿病のために42歳で死んだ後、にわかに権力を掌握した道長によって、12歳で「皇后」となっていた彰子は後一条天皇(1008-1036)と後朱雀天皇(1009-1045)を生んだ後、半世紀以上も生きながらえ、米寿まで存命する。
皇后彰子は20-21歳にかけての1008-1009年には、28-29歳だった一条天皇と同衾して子供を作っているが、1011年、一条天皇がインフルエンザに罹患した後は、その感染を免れ、その後63年間生き続ける。
――
5、
【黒死病、1348年から1577年ヨーロッパで感染爆発】1348年~51年の黒死病の大流行は黒海沿岸、ジェノヴァ植民地カッファがモンゴル軍(キプチャク汗国)の包囲を受けた時に感染。モンゴル軍は感染遺体を投擲機で投入。感染爆発。クレタ島でヴェネツィア人が気づく。
【黒死病、中世崩壊、ルネサンス】1348年、フィレンツェで黒死病が流行『デカメロン』1351。1577年ヴェネツィアまで、イギリス、パリ、6回、感染爆発。ヨーロッパ全土に黒死病が蔓延。全人口の5割が死亡。1億人。ローマ教皇庁の権威は崩壊、ルネサンス、近代社会誕生へと至る。『死の舞踏』死神が司祭とダンスする。
【黒死病、ルネサンス、モンゴル帝国】雲南省に侵入したモンゴル軍が、現地のペスト菌に感染した齧歯類(クマネズミ)と、その齧歯類に寄生するノミを他の地域に持ち出すこととなって、ヨーロッパに伝染。 William Hardy McNeill説。
【ローマ教皇庁の権威崩壊、ルネサンスへ】ダンテ『神曲』1321、中世キリスト教世界観に沈殿、階級社会。『死の舞踏』死神が司祭とダンスする。
【1348年~50年の黒死病】1348年~50年の黒死病の大流行は黒海沿岸のジェノヴァ植民地カッファがモンゴル軍(キプチャク汗国)の包囲を受けた時に感染。カッファを出航した12隻の船がシチリアに着き、さらにジェノヴァ、ベネツィア、ピサに到達、そこから北西にフランス、スペイン、イギリス、ドイツ、北欧、1351年にはロシアにまで到達。
――
参考文献
ウィルスと人類の戦い・・・感染爆発の歴史、アテネのペリクレス、ルネサンス、厩戸皇子 、盧舎那仏
https://bit.ly/2z32Orl
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・若草伽藍と聖徳太子の謎
https://bit.ly/2R8JNtG
岡田晴恵『人類vs感染症』岩波書店
玉木 俊明「14世紀半ば、全欧が怯えた「黒死病」パンデミック」 【連載】ビジネスに効く! 世界史最前線(第43回) JBpress(日本ビジネスプレス)
伊東乾「平安貴族に学ぶパンデミック対策寝殿造りと「ジェンナー以前」の生活の知恵 (JBpress)
東大寺大仏-天平の至宝・・・蓮華蔵世界、蓮の花弁に香る天平文化.
https://bit.ly/2xC6IE4
「国宝 阿修羅展」・・・阿修羅像の謎、光明皇后、天平文化の香り
https://bit.ly/2zKYquU
★写真、Venezia、Reuters Milano New York Times

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2020年4月 9日 (木)

「桜 さくら SAKURA 2020 ―美術館でお花見 ! ―」・・・花の宴

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Yamatane-sakura-202001
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第213回
春の夕暮れ、山種美術館に行く。3月16日、上野で桜が開花し始めたが、感染症の世界的流行の危機が始まって、不穏な雰囲気である。 2月27日から都内のほとんどの美術館は閉鎖。3月16日、23日、24日、一部の内覧会は関係者に開かれた。閉ざされた美術館の中の閉ざされた展示室に繰り広げられる絢爛たる美。
菱田春草《桜下美人図》1894は、美術学校時代の若き日の作品、菱川師宣の面影の残影があり、孤高の藝術家の出発点である。
【花と詩人】理念を追求した人、王羲之、李白、空海、嵯峨天皇、大伴家持、藤原俊成、藤原定家、織田信長。春の兆し、桜を愛で、桃を愛し、神泉苑で、花の宴を催した文人たち。儚い花、儚い香り、儚い夢、儚い愛、愛別離苦の悲しみを歌った詩人たち。この世の苦しみを、花を愛で宴を催し、時を楽しむ。
桜満開の京都をさまよい歩いたある春を思い出す。春爛漫、桜満開の京都の風景は、はるか昔、宇宙のどこかに刻まれている。人間が知り得る知恵は、すべて、宇宙のどこかですでに完成されている、すでに完全な形で書き刻まれているものの似姿、模写にすぎない。プラトン『メノン』の対話を想起する。
あの春、私は、桜満開の京都に旅して、仁和寺に宿泊、密教寺院を彷徨い、桜の庭をめぐった。1200年前の時に迷いこむ。東寺、灌頂院、大師堂、醍醐寺、三宝院、龍安寺、金閣寺、銀閣寺、清水寺、三十三間堂、大徳寺、妙心寺、南禅寺、東福寺、密教寺院と臨済宗の庭。
富と権力の追求が情報を巧みに制御することによって、富と権力を追求し続け、その矛盾が巨大な怨恨と破壊に成長する時、世界の終わりが来ることを知らねばならない。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【嵯峨天皇の花の宴、神泉苑にて】花(桜)を賞翫しながら漢詩を作って遊ぶ典雅な催し、その始まりが嵯峨天皇の神泉苑の詩宴。神泉苑の詩宴は『日本後紀』弘仁三年(812)二月一二日の記事「神泉苑に幸(いでま)す。花樹を覧(みそな)はし文人に命じて詩を賦せしむ」
【大伴家持 春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ乙女】春の園の紅色に咲く桃の花、その下に輝いている道に佇む乙女よ。『万葉集』巻十九、4139 大伴家持、天平勝宝二(750)年三月一日(4月15日)の暮(ゆふべ)に、春の苑の桃李の花を眺矚めて作る二首
【春夜桃李園に宴するの序 李白】それ天地は萬物の逆旅にして 光陰は百代の過客なり 而して浮生は夢の若し 歡を爲すこと幾何ぞ 古人燭を秉りて夜遊ぶ まことに以(ゆえ)
【新古今歌人、西行(佐藤義清)】鳥羽院の北面武士であったが、鳥羽院の女に手をだし、23歳で出家。「高貴な上臈女房と逢瀬をもった」『源平盛衰記』。女は、待賢門院璋子、璋子は、鳥羽上皇の中宮にして白河法皇の愛妾。
西行は、願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ『山家集』(続古今1527)。歌に詠んだ通り、1190年3月31日、陰暦2月16日、釈尊涅槃の日に入寂。73歳。
【醍醐の花見】豊臣秀吉がその最晩年に京都の醍醐寺三宝院裏の山麓において催した花見の宴。秀吉は畿内から700本の桜を植え、三宝院の建物と庭園を造り、盛大な宴を開いた。息子・秀頼、正室・北政所、側室の淀、三の丸など女房衆1300人余りが参加。秀吉61歳。慶長3年
【天下布武】「武とは戈を止めることである(止戈)」「禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財(武力行使を禁じ、武器をおさめ、大国を保全し、君主の功業を固め、人民の生活を安定させ、大衆を仲良くさせ、経済を繁栄させる)七徳を備えるべき」『春秋左氏伝』
――
【空海と守敏、神泉苑にて、祈雨修法の争い】天長元年(824年)の大干魃の時、祈雨の修法を東寺の弘法大師(空海)に命じて、神泉苑で執り行われた。西寺の守敏僧都が現れ、自からが先に修法を行うと申出る。祈雨の法を争い、空海が勝利した。『今昔物語集』巻十四、『贈大僧正空海和上伝記』
【藤原定家19歳。世上乱逆追討耳に満つと雖も之を注せず。紅旗征戎は吾事に非ず。だが政治中枢に翻弄されていく】定家34歳、健久7年の政変1196。39歳、新古今和歌集選者1201、元久2年(1205)成立。1221年、承久の乱、後鳥羽上皇隠岐追放。
――
【ヴィスコンティ『ベニスに死す』1971】1911年コレラ感染に襲われるベニス。訪れた老作曲家は、出会った貴族の血を引く美少年の美の虜となる。病に侵された老作曲家、日々少年の姿を追ってベニスの街を彷徨い、死が迫る。マーラー交響曲第5番第4楽章アダージェット。
【天平の疫病】首都、平城京でも大量に感染した。735年(天平7年)から737年6月には疫病、天然痘の蔓延によって朝廷が停止される事態となり、政権を担っていた藤原四兄弟、藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂も全員が感染によって病死。原因は遣唐使、遣新羅使。738年(天平10年)1月まで続いた。
【東大寺、盧舎那仏像】天平の疫病の後、聖武天皇により、農民に土地の私有を認める「墾田永年私財法」天平15年5月27日(743年6月23日)に発布された勅が施行された。聖武は仏教への帰依を深め、東大寺および盧舎那仏像の建造を命じ、各地に国分寺を建立。
――
【理念を探求する精神】理念を追求する精神は、邪知暴虐な権力と戦い、闇の彼方に理想と美を求める。理念の人は、苦難を超えて、輝く天の仕事を成就する。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海原の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【織田信長】攻撃を一点に集約せよ。臆病者の目には、常に敵が大軍に見える。必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。器用というのは、世間(他人)の思惑の逆をする者だ。人城を頼らば城人を捨てん。仕事は自分で探して、創り出すものだ。与えられた仕事をやるのは、雑兵だ。
【真実を追求する人と詐欺を追求する人との戦い】政府、専門家会議は、後者を選択。 愚者と狂人が支配する国。知性と戦略なき国家は、滅亡する。【天下布武】「武とは戈を止めることである(止戈)」「禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財(武力を禁じ、人民の生活を安定
――
東寺・・・春爛漫の京都
https://bit.ly/3aVI9Dy
上村松園と美人画の世界・・・肉体の美と叡智
https://bit.ly/2GXmVru
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・若草伽藍と聖徳太子の謎
https://bit.ly/2R8JNtG 
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・法隆寺と百済観音の謎
https://bit.ly/2J66OZZ
「桜 さくら SAKURA 2020 ―美術館でお花見 ! ―」山種美術館・・・花の宴
https://bit.ly/2UUizJw
私たちは運命と戦うために生まれた・・・Rinascerò rinascerai, Roby Facchinetti
https://bit.ly/2R7KGCH
――
展示作品の一部
橋本雅邦《児島高徳》、 横山大観《山桜》、 菱田春草《桜下美人図》1894、 松岡映丘《春光春衣》、 小林古径《桜花》、 川端龍子《さくら》、 土田麦僊《大原女》、 奥村土牛《醍醐》1972、《吉野》、 小茂田青樹《春庭》、 速水御舟《夜桜》、 橋本明治《朝陽桜》
特別展「桜 さくら SAKURA 2020 ―美術館でお花見 ! ―」山種美術館
2020年3月14日(土)~5月10日(日) 4月4日以後、臨時休館。
http://www.yamatane-museum.jp/exh/2020/sakura2020.html

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2020年4月 4日 (土)

私たちは運命と戦うために生まれた・・・Rinascerò rinascerai, Roby Facchinetti

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第212回
日本は櫻満開、花吹雪が舞っている、窓から家の中に桜の花びらが漂ってくる。だが、日本は、危機に瀕している。
【都市封鎖して収入保障か、感染爆発で国家滅亡か】【検査して感染爆発防止か、検査しないで医療崩壊か】日本政府、専門家会議は、後者を選択。 愚者と狂人が支配する国。知性と戦略なき国家は、滅亡する。
圧倒する嵐、いかなる危機にも、私は運命と戦う。理念を追求して、運命と戦い、邪知暴虐な敵と戦い、聖なる目的を成し遂げる。人は運命と戦うために生まれた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【瀕死のイタリア、ベルガモからのメッセージ】
Message fron Bergamo Italy
瀕死のイタリア、ベルガモからのメッセージ
Rinascerò rinascerai, Roby Facchinetti
https://youtu.be/E_xtupkPyho
Roby Facchinetti-私は生まれ変わる、あなたは生まれ変わる
https://youtu.be/D5DhJS5hGWc
―― ――
クレモナ病院の屋上からバイオリン、横山玲奈
"Audizione a Cremona" | Gabriel's Oboe - Ennio Morricone | by Lena Yokoyama | PRO CREMONA

https://www.youtube.com/watch?v=af1c_zEemvQ
クレモナの塔の上、横山玲奈
Audizione a Cremona - Ave Maria di Charles Gounod | Lena Yokoyama | PRO CREMONA
https://www.youtube.com/watch?v=F13JrI3_AMs

チェリストHAUSER「アリーナ・プーラから一緒に、一人で」
HAUSER: 'Alone, Together' from Arena Pula - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5eYuUAV4YE4
――
詞 

私は生まれ変わる、あなたは生まれ変わる
それがすべて終わったとき
私たちは再び星を見に戻ります
私は生まれ変わる、あなたは生まれ変わる
私たちを圧倒する嵐
それは私たちを曲げますが、それは私たちを壊しません
私たちは運命と戦うために生まれた
でもいつも勝ちました
これらの日は私たちの日を変える
今回はもう少し学びます
私は生まれ変わる、あなたは生まれ変わる
私は生まれ変わる、あなたは生まれ変わる
大空に抱かれる
私たちは神を信頼するために戻ってきます
しかし、沈黙は新しい空気を吸い込みます
しかし、私のこの町は私を怖がらせます
私たちは運命と戦うために生まれました
でもいつも勝ちました
生まれ変わる生まれ変わる
生まれ変わる生まれ変わる
生まれ変わる生まれ変わる
生まれ変わる生まれ変わる
生まれ変わる生まれ変わる
生まれ変わる生まれ変わる

Questo il testo di “Rinascerò”.
Rinascerò rinascerai
quando tutto sarà finito
torneremo a riveder le stelle
Rinascerò rinascerai
la tempesta che ci travolge
ci piega ma non ci spezzerà
siamo nati per combattere la sorte
ma ogni volta abbiamo sempre vinto noi
questi giorni cambieranno i nostri giorni
ma stavolta impareremo un po’ di più
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
abbracciati da cieli grandi
torneremo a fidarci di Dio
ma al silenzio si respira un’aria nuova
ma mi fa paura questa mia città
siamo nati per combattere la sorte
ma ogni volta abbiamo sempre vinto noi
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
Rinascerò rinascerai
Il brano è arrangiato da Danilo Ballo con il mixaggio di Marco Barusso, i cori sono stati cantati da un gruppo di voci bergamasche riunite grazie alla collaborazione di Daniele Vavassori, e dalla voce di Valeria Caponnetto Delleani, mentre le chitarre del finale sono suonate da Diego Arrigoni, chitarrista dei Modà.
Come fa sapere Facchinetti, la canzone uscita solo ieri, è già prima nella classifica iTunes.
歌はマルコ・バルッソのミキシングとダニロ・バロがアレンジし、合唱団はダニエレ・ヴァヴァッソリのコラボレーションのおかげで集まったベルガモの声のグループとヴァレリア・カポネント・デッレアーニの声で歌われ、フィナーレのギターはディエゴが演奏しましたModàのギタリスト、Arrigoni。
――
参考文献
瀕死のイタリア、ベルガモから、私たちは運命と戦うために生まれた
https://bit.ly/2R7KGCH
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・法隆寺と百済観音の謎
https://bit.ly/2J66OZZ
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・若草伽藍と聖徳太子の謎
https://bit.ly/2R8JNtG 

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2020年4月 3日 (金)

「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・若草伽藍と聖徳太子の謎

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第211回
桜の森を歩いて、博物館に行く。圧倒する嵐、いかなる危機にあっても、私は運命と戦う。理念を追求して、運命と戦い、邪知暴虐な敵と戦い、聖なる目的を成し遂げる。人は運命と戦うために生まれた。「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」。
【復讐する偉大な王】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【法隆寺の謎、血に塗れた歴史】再建法隆寺はいつ建てられたのか。再建法隆寺はだれによって建てられたのか。天智天皇9年(670)4月「災法隆寺一屋無余」法隆寺が全焼した『日本書紀』。なぜ、斑鳩寺は全焼したのか。壬申の乱(671年)天武は、法隆寺再建とどうかかわるのか。夢殿の扉は、なぜ1000年以上、閉ざされたのか。なぜ、厩戸皇子は48歳で暗殺されだのか。なぜ、山背大兄皇子一族は自害させられたのか。なぜ、厩戸皇子は天武によって「聖徳太子」神聖化されたのか。金堂壁画は、いつ描かれたのか、何を描くのか。
この世の生存競争、利害名利を求める者、邪知暴虐の人が栄える時、天罰下る。邪知暴虐の人が栄え、知ある者が滅びるとき、天誅下るべし。
【上智と下愚は移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても堕落せず、最下の愚者はどんなによい境遇にあっても向上しない。美しいものを美しいと感じる心が美しい。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
【権力闘争史】石上神社物部氏と蘇我氏の争い、出雲と大和の権力抗争が根源。物部と蘇我の崇仏論争、物部御輿と蘇我稲目との争い、蘇我馬子、物部守屋を討つ。蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺。厩戸皇子暗殺の謎、蘇我蝦夷と厩戸皇子の争い。皇極天皇2年(643年)蘇我入鹿、山背大兄皇子一族を自害に追いつめる。乙巳の変、蘇我入鹿と中大兄皇子の争い。壬申の乱、中大兄皇子の子大友皇子と大海人皇子の争い。天智系と天武系の殺し合いが始まる。
――
【斑鳩寺607年、若草伽藍、法隆寺693年739年、西院伽藍693年、東院伽藍738年】
1、斑鳩寺の歴史 607年
法隆寺の起源【斑鳩寺】金堂薬師如来像光背銘によれば、斑鳩寺は用明天皇が自らの病気平癒のため建立を発願したが、志を遂げずに崩御したため、遺志を継いだ推古天皇と厩戸皇子が推古天皇15年(607年)に寺と薬師像を造った。
【607年、斑鳩寺、厩戸皇子】創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古天皇15年(607年)とされる。若草伽藍跡が焼失した創建法隆寺の跡、この伽藍が推古朝の建立であった。発掘調査の結果や出土瓦の年代等から定説。
【法隆寺再建・非再建論争】『日本書紀』には天智天皇9年(670年)に法隆寺が全焼したとの記事がある。この記事をめぐり、現存する法隆寺(西院伽藍)は厩戸皇子の時代のものか、天智天皇9年(670年)以降の再建かについて長い論争があったが【法隆寺再建・非再建論争】若草伽藍の発掘調査により、厩戸皇子時代の伽藍は一度焼失し、現存の西院伽藍は7世紀末頃の再建であることが定説である。「夢殿」を中心とする東院伽藍は太子の営んだ斑鳩宮の旧地に建てられている。

2、厩戸皇子の死と山背大兄皇子一族滅亡
【厩戸皇子、斑鳩寺】厩戸皇子(574年2月7日〈敏達天皇3年1月1日〉-622年4月8日〈推古天皇30年2月22日〉)、厩戸皇子、48歳で死す。 なぜ、厩戸皇子は死んだのか。疫病による病死、膳大郎女との自殺、暗殺。議論を呼ぶ暗殺説には、蘇我氏、唐からの暗殺者、中大兄皇子と中臣鎌足、等がある。
【643年、山背大兄皇子一族滅亡、斑鳩宮炎上】皇極天皇2年(643年)、蘇我入鹿が山背大兄王を襲った。この時、斑鳩宮は焼失した。斑鳩寺はこの時は無事だったと考えられる。八角堂、夢殿を中心とする東院伽藍は、天平10年(738年)頃、行信僧都が斑鳩宮の旧地に太子を偲んで建立した。

3、法隆寺の歴史 693年、739年
【法隆寺の謎、再建法隆寺はいつ建てられたのか】
金堂の天井板の材の伐採年667年、668年。五重塔の材673年、中門の材699年。壬申の乱(671年)の前後。武澤『法隆寺の謎を解く』P19。五重塔の心柱の材は594年。塔の二層軒下の材は673年。『法隆寺の謎を解く』P33。
【法隆寺の謎、再建法隆寺はだれによって建てられたのか】
壬申の乱(671年)の後。天武天皇と天武妃、持統天皇が、厩戸皇子を神聖化、聖徳太子として命名、再生、利用した。持統天皇7年(693年)法隆寺で仁王会(『法隆寺資財帳』)。
【670年、法隆寺、全焼】『日本書紀』には天智天皇9年(670年)に法隆寺が全焼したという記事があり、現存する法隆寺の伽藍は火災で一度失われた後に再建された。焼失した寺院は、斑鳩寺、推古天皇15年(607年)創建。若草伽藍跡が焼失した創建法隆寺の跡、この伽藍が推古朝の建立。発掘調査の結果や出土瓦の年代等から定説。
【671年、壬申の乱】671年12月、天智が亡くなると大海人皇子は挙兵を決意する。大友皇子の即位を阻止する。壬申の乱で大海人皇子、大友皇子を死に追いつめ自害させた。
【693年、西院伽藍】金堂、五重塔を中心とする。金堂「東の間」に安置される銅造薬師如来坐像(国宝)の光背銘には「用明天皇が自らの病気平癒のため伽藍建立を発願したが、用明天皇がほどなく亡くなったため、遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子があらためて推古天皇15年(607年)、像と寺を完成した」という趣旨の記述がある。
【693年、西院伽藍】現存の西院伽藍は、持統天皇7年(693年)に法隆寺で仁王会が行われている(『法隆寺資財帳』)。少なくとも伽藍の中心である金堂はこの頃までに完成。同『資財帳』によれば、和銅4年(711年)には五重塔初層安置の塑像群や中門安置の金剛力士像が完成、この頃までに五重塔、中門を含む西院伽藍全体が完成していた。
【739年、東院伽藍】天平11年(739年)に行基菩薩、僧行信によって夢殿を中心として建てられた聖徳太子を祀る寺院。法隆寺の東院の所在地が斑鳩宮の故地である。
――
救世観音像の謎
救世観世音菩薩像、東院伽藍、夢殿に秘蔵された。救世は「人々を世の苦しみから救うこと」であり、救世だけで観音の別名。名称の由来は「法華経」観世音菩薩普門品の中の「観音妙智力 能救世間苦」の表現にあると推測される。聖徳太子の等身の御影と伝わる。止利様式。鞍作止利は、渡来系の司馬達等の孫で、鞍部多須奈の子。 7世紀の仏師、謎の人。
【夢殿解扉】1886
1886(明治19)年、法隆寺に、外国人フェノロサを代表とする調査使節(岡倉覚三、九鬼隆一)が現れ、明治政府の身分証明書を提示し、夢殿の厨子を開扉するよう要求した。救世観音像を発見。法隆寺650体の仏像の中で、最も謎に満ちた仏、東院伽藍の夢殿に祀られている救世観音像。【岡倉天心1863-1913】美術評論家、思想家。
百済観音の謎
謎の様式、謎の伝来。法隆寺西院、金堂本尊の釈迦三尊像、東院夢殿の救世観音像のような止利式の仏像とは様式を異にする。止利式の仏像は正面観照性が強く、側面感がほとんど考慮されていない。法隆寺の根本史料である天平19年(747年)の『法隆寺資財帳』には百済観音に相当する仏像についての記載はない。本像がいつ、どこで、誰によって造られ、どこの寺に安置されていたものか、正確なことは全く不明。法隆寺幡の模様と同一の腕飾り、山背大兄皇子を追悼するために作られたものか。
――
法隆寺の仏像
【法隆寺、救世観音】東院伽藍、夢殿。739年。
【法隆寺、薬師如来】西院伽藍。金堂「東の間」本尊。光背に丁卯年(607年)、用明天皇のために作った旨の造像銘があり、
【法隆寺、釈迦三尊像】西院693年、金堂「中の間」本尊。推古31年(623年)止利仏師作の銘を有する銅造釈迦三尊像。
【法隆寺、夢違観音】大法蔵院所蔵。「夢違」は江戸時代に書かれた『古今一陽集』に「悪い夢を見たとき、この観音像に祈るとよい夢に変えてくれる」とあることに由来する。白鳳時代の金銅像。薄い裳や三面宝冠はこの像が白鳳時代の作の根拠である。金堂薬師如来は推古15年(607)造顕の銘を持ち、古拙な表現であるが、金堂完成後の擬古作説もあり、その銘の信憑性が疑われている。白鳳時代を代表する仏像は、夢違観音の名で親しまれる聖観音像、橘夫人念持仏と伝える阿弥陀三尊像がある。
【法隆寺、西院。金堂】西院伽藍の中心的な建物である金堂の内陣には「中の間本尊」の釈迦三尊像、「東の間本尊」の薬師如来像、「西の間本尊」の阿弥陀三尊像の3組の本尊が安置されている(以上の仏像はいずれも銅造)。なお、「中の間」「東の間」「西の間」は相互に壁などで明確に仕切られているわけではなく、柱の位置と、天井に吊るされた3つの箱形天蓋とによってゆるやかに区切られているにすぎない。3組の本尊のうち「中の間」の釈迦三尊像の光背裏面には推古31年(623年)造立、「東の間」の薬師如来像の光背裏面には推古15年(607年)造立の銘文がある。
――
参考文献
図録「法隆寺金堂壁画と百済観音」東京国立博物館2020
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・法隆寺と百済観音の謎
https://bit.ly/2J66OZZ
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・若草伽藍と聖徳太子の謎
https://bit.ly/2R8JNtG
「正倉院の世界」東京国立博物館・・・螺鈿紫檀五絃琵琶、天平文化の香り
https://bit.ly/33VYRiy
「国宝 薬師寺展」・・・月光菩薩、日光菩薩、白鳳文化の美の香り
https://bit.ly/2Ovw4gs
「国宝 阿修羅展」・・・阿修羅像の謎、光明皇后、天平文化の香り
https://bit.ly/2zKYquU
「出雲と大和」東京国立博物館・・・大海人皇子、大王から天皇へ
https://bit.ly/2ReO0wz
国宝 興福寺仏頭展・・・白鳳文化の香り
https://bit.ly/2T7N50o
坂本勝『図説 古事記と日本書紀』2009
坂本勝『図説 万葉集』2009
聖徳太子のいまだ解けざる三つの謎、『暗黒の日本史 闇に消えた歴史の真相』青春出版社、2015
――
特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」東京国立博物館
2020年、公開日未定 ~ 2020年5月10日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1984

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2020年3月22日 (日)

「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・法隆寺と百済観音の謎

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第210回
桜開花の午後、北風が吹き荒ぶ中、春の森を歩いて博物館に行く。東京国立博物館は、コロナウィルス感染防止のため2月27日から休館中である。
天平時代、首都、平城京でも大量に感染した。735年から737年6月には疫病、天然痘の蔓延によって朝廷が停止される事態となり、政権を担っていた藤原四兄弟も全員が感染によって病死。感染は九州から上陸、原因は遣唐使、遣新羅使である。千年に一度の感染症拡大、資本主義史上最大の感染爆発、ヨーロッパ都市封鎖、イタリア医療崩壊の危機。救世観音に生命と運命の守護を祈る。
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法隆寺は謎に満ちている。なぜ、斑鳩寺は全焼したのか。救済観音は厩戸皇子の姿形なのか。救世観音、等、法隆寺の仏像は、止利様式であるが、百済観音はなぜ止利様式でないのか。百済観音は、いつどこで、誰によって造られ、どこの寺に安置されたのか。
創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古天皇15年(607年)。厩戸皇子(用明天皇の皇子)は推古天皇9年(601)、飛鳥から斑鳩の地に移ることを決意し、斑鳩宮建造に着手、推古天皇13年(605年)に斑鳩宮に移り住んだ。斑鳩宮に接して建立された斑鳩寺『日本書紀』。
【法隆寺の謎、血に塗れた歴史】再建法隆寺はいつ建てられたのか。再建法隆寺はだれによって建てられたのか。天智天皇9年(670)4月「災法隆寺一屋無余」法隆寺が全焼した『日本書紀』。なぜ、斑鳩寺は全焼したのか。壬申の乱(671年)天武は、法隆寺再建とどうかかわるのか。夢殿の扉は、なぜ1000年以上、閉ざされたのか。なぜ、厩戸皇子は48歳で暗殺されだのか。なぜ、山背大兄皇子一族は自害させられたのか。なぜ、厩戸皇子は天武によって「聖徳太子」神聖化されたのか。金堂壁画は、いつ描かれたのか、何を描くのか。
この世の生存競争、利害名利を求める者、邪知暴虐の人が栄える時、天罰下る。邪知暴虐の人が栄え、知ある者が滅びるとき、天誅下るべし。
【上智と下愚は移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても堕落せず、最下の愚者はどんなによい境遇にあっても向上しない。美しいものを美しいと感じる心が美しい。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【権力闘争史】石上神社物部氏と蘇我氏の争い、出雲と大和の権力抗争が根源。物部と蘇我の崇仏論争、物部御輿と蘇我稲目との争い、蘇我馬子、物部守屋を討つ。蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺。厩戸皇子暗殺の謎、蘇我蝦夷と厩戸皇子の争い。皇極天皇2年(643年)蘇我入鹿、山背大兄皇子一族を自害に追いつめる。乙巳の変、蘇我入鹿と中大兄皇子の争い。壬申の乱、中大兄皇子の子大友皇子と大海人皇子の争い。天智系と天武系の殺し合いが始まる。
天智系桓武天皇、平城天皇が継ぎ、嵯峨天皇に譲位。保元の乱、清和源氏と桓武平氏との殺し合い。平氏と源氏の戦い。平治の乱、平清盛軍、源義朝軍に勝利。1185年、壇ノ浦の戦い、平氏滅亡。源氏、征夷大将軍となる。三代、源実朝で滅亡。源氏と北条の戦い。
【1221年、承久の乱】後鳥羽上皇と北条義時の戦い、義時、後鳥羽を討つ。室町幕府と織田信長の戦い。信長は義昭を追放。階級社会に挑む天下布武の信長。織田信長を討つ明智光秀。明智を討つ豊臣。豊臣を討つ徳川。徳川は源氏を名乗り、征夷大将軍となる。
【後白河天皇、日本第一の大天狗】天狗は人を魔道に落とす魔物。後白河法皇と関わった人々は追い落とされる。保元の乱において、兄・崇徳院と対立し配流、平氏と源氏を身内同士で争わせる。平治の乱で、平氏と源氏を争わせ源氏は棟梁を失う。平氏政権は法皇と対立、壇ノ浦で滅亡。
【夢殿解扉1886】夢殿、救世観音、厨子を開扉。フェノロサ『東亜美術史綱』「二百年間用ひざりし鍵が錆びたる鎖鑰内に鳴りたるときの余の快感は今に於いて忘れ難し。厨子の内には木綿を以て鄭重に巻きたる高き物顕はれ、其の上に幾世の塵埃堆積したり。木綿を取り除くこと容易に非ず。飛散する塵埃に窒息する危険を冒しつつ、凡そ500ヤードの木綿を取り除きたりと思ふとき、最終の包皮落下し、此の驚嘆すべき無二の彫像は忽ち吾人の眼前に現はれたり」
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
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展示作品の一部
【法隆寺金堂壁画】釈迦浄土図や阿弥陀浄土図など仏の群像を描いた大壁(高さ約3.1メートル、幅約2.6メートル)4面と、諸菩薩を単独で描いた小壁(高さ同、幅約1.5メートル)8面の計12面から成る巨大な壁画群です。そのしなやかで力強い描線と緻密な色彩によって、インドのアジャンター石窟群や中国の敦煌莫高窟と並ぶ世界的な傑作。昭和24年(1949)に火災に焼損。
法隆寺金堂壁画(模本)第6号壁 阿弥陀浄土図、桜井香雲模 明治17年(1884)頃  東京国立博物館蔵
法隆寺金堂壁画(模本) 第1号壁 釈迦浄土図
桜井香雲模 明治17年(1884)頃 東京国立博物館蔵 【前期展示】金堂内東南大壁の第1号壁は、釈迦三尊と十大弟子が土坡の上に並ぶ、釈迦浄土図
法隆寺金堂壁画(模本) 第10号壁 薬師浄土図
鈴木空如模 大正11年(1922)  秋田・大仙市蔵 【前期展示】
法隆寺金堂壁画(再現壁画) 第12号壁 十一面観音菩薩像
前田青邨ほか筆 昭和43年(1968)  法隆寺蔵 【後期展示】写真:便利堂
国宝 観音菩薩立像(百済観音)飛鳥時代・7世紀
国宝 毘沙門天立像、平安時代・承暦2年(1078)法隆寺蔵 【通期展示】
国宝 吉祥天立像、平安時代・承暦2年(1078)、法隆寺蔵
【法隆寺、釈迦三尊像】スーパークローン文化財、東京藝術大学COI拠点、2017
【百済観音】
蓮華座の上にすらりと立ち、左手は下げて水瓶を軽くつまみ、右手を前方に差し伸べた観音菩薩。両腕と天衣を除く本体は頭頂から台座蓮肉までクスノキの一木造りで、顔や胸、両肩や腰の膨らみには乾漆が盛り上げられています。頭部が小さく長身の姿は飛鳥彫刻のなかでは特異で、風をはらんだように前方に巻き上がる天衣の流麗な曲線も魅力的。宝冠や胸飾り、腕の飾りには、唐草文様を彫り透かした金銅製の金具が用いられており、特に宝冠正面には阿弥陀如来の姿が表わされています。宝珠形をした光背は竹を模した柱に支えられ、その根本には山岳文様が表わされています。広大無辺な大きさであるという観音菩薩の姿を、山岳との対比によって表現したものでしょう。本像は法隆寺金堂に安置されていたことが『元禄諸堂仏体数量記』(1698年)によって知られ、同記録にある「百済国より渡来」との伝承から、大正時代以降は「百済観音」の名で親しまれています。
【百済観音】「百済観音」と呼ばれるようになったのは明治時代以降。史料の中に出てきたのは『和州法隆寺堂社霊験幷仏菩薩像数量等』江戸時代元禄11年(1698)に奉行所に提出された書類が初出。それまで1000年近く、百済観音に関する明確な記録は発見されていない。
第6号壁の阿弥陀浄土図
【和辻哲郎と法隆寺金堂壁画】哲学者の和辻哲郎(1889-1960)は奈良付近の古寺を巡り歩いた旅の印象記『古寺巡礼』の中で、法隆寺金堂壁画のとくに第6号壁の阿弥陀浄土図について「この画こそは東洋絵画の絶頂である」と絶賛。
東京国立博物館
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1984
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百済観音の奉納と『金銅灌頂幡』
百済観音の腕釧(わんせん:手首の飾り)は、法隆寺献納宝物である灌頂幡とデザインや寸法が全く同じである。同一工房で製作された。『金銅灌頂幡』は、創建から70年ほどの火災で再建された際に、聖徳太子と刀自古郎女(蘇我馬子の娘)との間の娘「片岡女王」が奉納したという説がある。施入者と伝えられる片岡御祖命については不詳である。
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参考文献
図録「法隆寺金堂壁画と百済観音」東京国立博物館2020
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・法隆寺と百済観音の謎
https://bit.ly/2J66OZZ
「正倉院の世界」東京国立博物館・・・螺鈿紫檀五絃琵琶、天平文化の香り
https://bit.ly/33VYRiy
「国宝 薬師寺展」・・・月光菩薩、日光菩薩、白鳳文化の美の香り
https://bit.ly/2Ovw4gs
「国宝 阿修羅展」・・・阿修羅像の謎、光明皇后、天平文化の香り
https://bit.ly/2zKYquU
「出雲と大和」東京国立博物館・・・大海人皇子、大王から天皇へ
https://bit.ly/2ReO0wz
国宝 興福寺仏頭展・・・白鳳文化の香り
https://bit.ly/2T7N50o
薬師寺の歴史680年
薬師寺は、天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して天武天皇9年(680)藤原京の地で建立を発願したのが草創である。造営の経過については『日本書紀』に記録がみえず不明だが、持統天皇2年(688)に法会、同11年(697)には仏像の開眼供養の記載があり、7世紀末には完成したことが知られる。ところがそれからまもない和銅3年(710)に都が平城京に遷されると、薬師寺も移転した。
興福寺の歴史734年
光明皇后は、母の橘三千代が天平5年(733)に亡くなると、一周忌の供養のため興福寺に西金堂を建立し、釈迦如来、釈迦の十大弟子、四天王、八部衆像などの28体の像、また菩提樹や金鼓(こんく)などの荘厳具を安置した。釈迦の浄土を立体的に表した。
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特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」東京国立博物館
2020年3月17日(火) ~ 2020年5月10日(日)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1984

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2020年3月10日 (火)

織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第209回
【復讐する偉大な王】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【織田信長、謀反に始まり、謀反に死す】父信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつける。18歳。稲生の戦い、弟信行の謀反1700人に信長700人で戦う。23歳。信行2度目の謀反、清州城天主北櫓次の間で返り討ち、誘殺。24歳。本能寺の変、光秀1万3千人に信長70人。自刃。49歳。
【織田信長、稲生の戦い、信長の評価が一変した兄弟対決】弘治2年8月(1556年)24日、信長も700人たらずの手勢で清洲を出陣し、正午頃には稲生原で信勝方と衝突する。信長軍はまず柴田軍を攻めたが、佐々孫介ら屈強な家臣が討たれ劣勢。奮戦して信長が大声で敵に怒鳴る
【織田信長、稲生の戦い】弘治2年8月24日。5月26日、信長が弟の安房守秀俊(信時)と二人だけで信勝のいる那古野城に赴いた。絶好の機会とばかりに林通具が信長の暗殺を企てるが、兄の林秀貞が「主君をここで殺害するのは恥知らずで天罰が恐ろしい」として諌める。
【復讐する精神 織田信長、親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。争った弟側が滅亡。弘治3(1557)年、織田信長は、弟信行を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放、弟信繁と共存。伊達政宗は実弟小次郎を手打ち。天正十八年4月7日
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【天下布武】「武とは戈を止めることである(止戈)」「禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財(武力行使を禁じ、武器をおさめ、大国を保全し、君主の功業を固め、人民の生活を安定させ、大衆を仲良くさせ、経済を繁栄させる)七徳を備えるべき」『春秋左氏伝』
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【織田信長 本能寺の変】天正十(1582)年6月2日、払暁。明智光秀軍1万3000人、本能寺を襲撃。信長勢70人。信長、弓矢をとって自ら戦うが「是非もない」、自刃。女たちを逃がす。光秀謀反の原因。怨恨説、野心説、黒幕説。反信長包囲網。アンシャンレジームの反撃。

【織田信長と絶世の美女、生駒吉乃、最愛の妻】信長、最愛の妻、生駒吉乃、38歳で死す。生駒屋敷、家宗の娘。信長の嫡男、信忠。信雄、徳姫を生む。織田信忠は、本能寺の変で、二条城にて自刃。徳姫は、徳川家康の嫡男、夫、松平信康の謀反を、信長に知らせる。

【織田信長、本能寺の変の黒幕】1、羽柴秀吉説 中国大返しが実現できた理由2、徳川家康説 変の後に甲信地方を獲得3、長宗我部元親(四国)説 手紙の発見4、足利義昭説 陰謀将軍が備後の鞆の浦から5、本願寺教如説 仏敵 第六天魔王信長6、安国寺恵瓊説7、朝廷・公家
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【本能寺の変、本因坊算砂】天正 10 (1582) 年6月本能寺の変前夜に鹿塩利賢 (のちの好敵手利玄坊とは別人) の紹介で織田信長に召し出され、鹿塩との対局で三劫(コウ)を生じたと伝えられる。
【織田信長「そちはまことの名人なり」】1578年(天正6年)上洛した織田信長が寂光寺に立ち寄って僧、日海(後の本因坊算砂)を引見した。このとき信長に囲碁の腕前を披露した所、織田信長は「そちはまことの名人なり」と褒め讃え、これが「名人」の用語の起源とされる。
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【信長の孤立、安土城】
天正七年、安土城、天主完成時より信長の孤立は極まる。天主5層八角形の仏教建築、天主5層は金閣の楼閣建築、信長は家臣団から屹立。謀反から始まり謀反に終わる。正義は信長にあり。「復讐は正義の実現である」。天正10年、本能寺の変の13日後、天主炎上。
【織田信長、安土城、狩野派】この世から消滅した狩野派絵画、安土城。天主閣、地上5階地下2階。
7階、信長の部屋、6階は儒教、「孔門十哲」「三皇五帝」、5階は仏教、「釈迦十大弟子」「釈迦説法」、3階は花鳥図、「岩の間」「竹の間」「松の間」。2階は道教、「呂洞賓図」「西王母」。天正七年、安土城。天主閣完成。天正十年6月2日、本能寺の変の後、8日後、炎上する。太田牛一『安土日記』『信長公記』
【安土城】天正4(1576)年に築城を開始。普請総奉行丹羽長秀、奉行森可成、天正5(1577)年5月11日、天主完成、5月27日、安土城にて安土宗論。結構は山城から平城に移行する過渡的形式、天正7年(1579年)に石造 5層 7重の天守閣を中核とする城完成。安土城、総見寺、天正9 (1581) 年頃、安土城郭内に信長が自らの菩提寺として創建。

【織田信長と天下三肩衝】信長が入手当時、「初花肩衝」は「新田肩衝」に次ぐ「天下二」の肩衝と評価されていた。信長は当時「楢柴」を所持していた島井宗室に対して献上するよう申し入れていた。本能寺で、三肩衝を披露する。本能寺の変の前日。
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【織田信長の言葉】攻撃を一点に集約せよ。臆病者の目には、常に敵が大軍に見える。必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。器用というのは、他人の思惑の逆をする者だ。人城を頼らば城人を捨てん。仕事は自分で探して、創り出すものだ。与えられた仕事をやるのは、雑兵だ。

【織田信長の価値観】1、天下第一の名人。美しい人。卓越性のある人。2、役に立つ人。3、地位、肩書き、外面だけで役立たずな人。詐欺師。地位と権力の奴隷。4、地位、肩書、権力を悪事に使う人。
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★参考文献
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc  
織田信長、元亀の争乱。武田信玄の死。絶世の美女、生駒吉乃
https://bit.ly/2oacbQH
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2CQlxoY
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
織田信長、信長包囲網との戦い、八つの戦い、比叡山、天下一の名城、安土城 
https://bit.ly/2FkeiJX
織田信長、天下布武、知的で革命的。既存の階級社会、価値観を否定・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2MP00UY
織田信長、復讐する精神、卓越した情報力、壮絶な精神・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2x8ZNBm
織田信長 安土城、琵琶湖のほとりに聳える、築城した3つの城
https://bit.ly/2tNV0Yd
孤高の思想家と藝術家の苦悩『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
【運命の美人姉妹、クリュタイムネストラ、ヘレネー】トロイの王子パリスは、3人の女神からアプロディーテを選択し、スパルタの王妃ヘレンをつれ去り、アカイア軍の総攻撃を受け、トロイは滅亡する。傾国の美女、ヘレネー。
アトレウス王家、血族の抗争、エウリピデス『オレステス』・・・トロイア戦争の起源
https://bit.ly/2ssTE40

和田裕弘『信長公記 戦国覇者の一級資料』中公新書
和田裕弘『織田信長の家臣団、派閥と人間関係』中公新書
藤田達生『謎解き本能寺の変』講談社現代新書
今谷明『信長と天皇』講談社現代新書
本郷和人『壬申の乱と関ヶ原の戦い』祥伝社新書
谷口克広『天下人の父、織田信秀』祥伝社新書
小島毅『織田信長 最後の茶会~「本能寺の変」前日に何が起きたか~』光文社新書2013
『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』中公新書
★写真「本法寺」櫻子さんCopyright

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2020年2月 4日 (火)

上村松園と美人画の世界・・・肉体の美と叡智の美

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第208回
新春の夕暮れ、山種美術館に行く。美しいものが美しいのは何故か。美人の根拠について考える。上村松園「序の舞」(1936)は、近代美人画の頂点といわれる『東西美人画の名作≪序の舞』への系譜』藝大美術館2018。上村松園の美人画は、喜多川歌麿の系譜であると言われる。喜多川歌麿を超える美人画はないのか。上村松園には、円山応挙の影響を受けた作品がある。円山応挙『江口君図』1794、円山応挙『楚蓮香図』1794、上村松園『楚蓮香之図』1924。
1、美とは何か。
生成界の美、叡智界の美。無色界、色界、欲界、天人の美。
「美とは何か」という問いは、プラトン『ヒッピアスMajor』を想起する。ソクラテスはソフィストを問い詰め、ヒッピアスは「何が美しいか」を語る、例えば<美しい乙女><黄金><美しい神々>。ソクラテスは「何が美しいか」ではなく「美とは何か」を問うているのだという。<視覚と聴覚を通じての快楽>を吟味し論駁する。結局アポリアに陥り、無知を宣告して、対話は終了する。ソクラテス「<視覚と聴覚を通じての快楽>が美しいのは、このゆえに、つまりそれが視覚を通じるがゆえにではないだろうからね。なぜといって、もしこのことがそれが美しくあることの原因だとしたら、もう一方の、聴覚を通じての快楽のほうは、けっして美しくはないだろうからだ。」(299E) 『ヒッピアスMajor』
魂の美を描く美人画が存在する。村上華岳『裸婦図』(1920)。菱田春草『水鏡』(1897)『王昭君』(1902)。横山大観『流燈』(1909)。
2、村上華岳『裸婦図』(1920)
村上華岳『裸婦図』、華岳は久遠の美を目ざした。アジャンタ石窟、『モナリザ』の影響があると、美術史家は説明する。村上華岳(明治21年1888—昭和14年1939)。山水と仏画を主題とした作品を多く描き、東西の様式を吸収し、宗教的境地から生れる芸術性の高い、神秘的な日本画を探求した。51歳で死す。村上華岳の師の一人は、竹内栖鳳(1864-1942)である。

3、菱田春草、東京美術学校事件、急進派として懲戒免職。美人画『王昭君』、幻の『雨中美人』
明治31年1898、東京美術学校事件で、急進派として懲戒免職。菱田春草『王昭君』は、悲劇の美女の姿、美しい魂を描く。菱田春草『水鏡』(1897)天人の衰えを水鏡に表現する。菱田春草『黒き猫』(1910)は、『雨中美人』(1910)、六曲一双を描いていたが完成せず、代わりに黒き猫を出品した。翌年、38歳で死す。菱田春草(1874-1911)
4、村上華岳の師、竹内栖鳳(1864-1942)
竹内栖鳳『飛天舞楽図』草稿1911(東本願寺蔵)。栖鳳は、天女を描くことに腐心した。「竹内栖鳳『散華』1914年(大正3)絹本着色 6曲1隻(京都市美術館蔵)。東本願寺から大師堂門の天井絵の依頼を受けた栖鳳は、その題材に飛翔する天女を選びます。この構想は実現しなかったのですが、竹内栖鳳《散華》は、その折に試作として制作されたものです。(山崎妙子)山種美術館」
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★参考文献
図録『日本美術院創立100周年記念 近代日本美術の軌跡』東京国立博物館1998
村上華岳「裸婦図」・・・魂の見えざる美
https://bit.ly/2UjDGoL
上村松園展・・・美人画の系譜
https://bit.ly/2OoIu8B
村上華岳「裸婦図」・・・崇高なヌード
https://bit.ly/2OlGQo8
上村松園、美人画の粋・・・夏の緑陰の午後
https://bit.ly/2UjE8Dt
竹内栖鳳展 近代日本画の巨人・・・哀愁のイタリア、『ベニスの月』
https://bit.ly/394zM7A
東西美人画の名作《序の舞》への系譜・・・夢みる若い女、樹下美人
https://bit.ly/394A5zg
黒き猫は、37歳で病で亡くなった菱田春草の孤高な姿を思い浮かべる。
細川家の至宝、珠玉の永青文庫コレクション・・・織田信長「天下布武」と菱田春草「黒き猫」
https://bit.ly/2Pjv8Kx
「円山応挙から近代京都画壇へ」藝大美術館・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
https://bit.ly/2KEGwyj
「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
https://bit.ly/34AB3Bz
「没後50年 横山大観」国立新美術館・・・天心と憂愁の詩人、『屈原』悲愴美
https://bit.ly/2OEJ9mq
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上村松園と美人画の世界、山種美術館、1月3日(金)~3月1日(日)

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2020年2月 1日 (土)

レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年記念「夢の実現」展・・・レオナルドの夢、ルネサンスの夢

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第207回
レオナルドの夢、ルネサンスの夢。レオナルドは、生涯で完成させた作品、現存する作品は16点の絵画である。多くは未完成の状態か損傷があり、完全な姿で残る作品は4点。『モナリザ』『ヨハネ』『岩窟の聖母』『白貂を抱く貴婦人』。レオナルド『マギの礼拝』(ウフィッツィ)の完成予想はどうなるか、夢がどう実現されるのか。レオナルドの夢、美術史家、池上英洋先生の夢。壮観な展示、壮大なプロジェクト。1月17日シンポジウムも、論者たちが自由闊達、談論風発、知識の楽しみ。
失われた幻の名画『レダと白鳥』がある。これはレオナルド唯一のルネサンス絵画である。フォンテーヌブロー宮殿で消えた、この原作はどこにあるのか。
美術史家に、これからの探求を希望したい。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
1、「1974年のレオナルド」藤井匡 「モナリザ展」東京国立博物館
2、「レオナルドの神秘思想」池上英洋
【レオナルド『ヨハネ』1513-16】遺作、最後の作品、レオ10世=ジョバンニ・デ・メディチの注文か。『饗宴』アンドロギュノス、両性具有、男女一体。グノーシス主義、善悪二元論、魂と肉体、追求すべきは肉体からの解放としての死。『ユダの福音書』『神名論』、Unum。フランソワ1世、フォンテーヌブロー宮殿の装飾回廊。フィチーノ『ヘルメス文書』ピコ『人間の尊厳について』。【アナロギアと終末観】レスター手稿(池上訳)水のスケッチ、草のスケッチ。葉脈→血管→河川。幹→柱→背骨。ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチが死去、フランスへ旅立つ。レオナルド「水は神的存在」、システィーナ礼拝堂、最後の審判、レオナルド「世界の終末」が描かれた可能性がある、1516-19。
3、「《モナリザ》と解剖学」布施英利
【レオナルドの解剖学は受け継がれた】【回内と回外】「最後の晩餐」は見事に回内と回外で、左右、分かれる。【レオナルドの微笑み】モナリザは微笑んでいない。微笑みには二つの微笑み。「モナリザ」は部分がバラバラ、左右、各部。部分の再構成が微笑みを構成する。
4、「レオナルドとスコラ哲学」原基晶【レオナルド『絵画論』メルツィが編纂】レオナルド「プネウマ」アリストテレス説。
5、「レオナルドとカラヴァッジョ」宮下規久朗
【レオナルド『最後の晩餐』は、ミラノ派に影響】カラヴァッジョはミラノ出身。ジャン・ピエトリーニ『最後の晩餐』。ミラノ派静物画。カラヴァッジョ『果物籠』『果物をもつ少年』。フランチェスコ・メルツィ『フローラ』。マルコ・ペロッツィ『サリヴドール・ムンディ』 。レオナルド「キスをする子供たち」、ベルナルディーノ・ルイーニ『聖家族と幼児ヨハネ』(プラド美術館蔵)。
1500年、レオナルド、ヴェネツィアに行く。ヴェネツィア派に影響、スフマート。レオナルドの「振り向くポーズ」。ジョバンニ・ベッリーニ工房、ジョルジョーネ「眠れるヴィーナス」、ジョルジョーネ1510死す。
6、「レオナルドと賢者の石」茂木健一郎
【レオナルド「モナリザ」、生きた証し】レオナルド、画家である、万能の天才ではない。茂木健一郎Magnum Opus。現代の日本は、低劣。超写実絵画は、薄っぺらい。 『動植綵絵』は、伊藤若冲の畢生の大作magnum opusである。もし『動植綵絵』がなかったら、伊藤若冲は超絶技術の奇想の画家ではあったろうが、今の若冲ではなかったろう。生きものへの祈り。
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池上英洋『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』筑摩書房、2019
宮下規久朗「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる」「藝術新潮」2011.11 10-91頁
宮下規久朗『闇の美術史 カラヴァッジョの水脈』岩波書店、2016
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(cf.清水純一『ルネサンス 人と思想』、
清水純一『ルネサンスの偉大と頽廃 ジョルダーノ・ブルーノの生涯と思想』
清水純一『ジョルダーノ・ブルーノ研究』
イヴァン・クルーラス『ロレンツォ豪華王 ルネサンスのフィレンツェ』)
(cf.アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)
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★参考文献
孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー
https://bit.ly/3aX26KN
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
http://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館・・・レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」
https://t.co/yxlgRpwirV
ラファエロ、1505年、レオナルドに会う
https://bit.ly/2vxQDB1
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池上英洋先生がレオナルド作とした16点は何か。
1)《ジネヴラ・デ・ベンチ》
ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
2)《受胎告知》
ウフィツィ美術館蔵
3)《ブノワの聖母》
エルミタージュ美術館蔵
4)《カーネーションの聖母》
アルテ・ピナコテーク蔵
5)《サルヴァトール・ムンディ》
個人蔵(ルーヴル・アブダビ美術館に寄託展示予定)
6)《聖ヒエロニムス》
ヴァチカン絵画館蔵
7)《聖アンナと聖母子》
ルーヴル美術館蔵
8)《白貂を抱く貴婦人》
クラクフ、チャルトルスキ美術館蔵
9)《ラ・ベル・フェロニエール》
ルーヴル美術館蔵
10)《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》
ルーヴル美術館蔵
11)《洗礼者ヨハネ》
ルーヴル美術館蔵
12)《糸巻きの聖母》(ランズダウン版)
個人蔵
13)《岩窟の聖母》第一ヴァージョン
ルーヴル美術館蔵
14)《岩窟の聖母》第二ヴァージョン
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
15)《東方三博士の礼拝》
ウフィツィ美術館蔵
16)《最後の晩餐》
サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会修道院蔵
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「夢の実現」展、代官山ヒルサイド・フォーラム、2020年1月5日(日)~1月26日(日)
レオナルドのさまざまな顔 ―その多面性をひもとく、代官山ヒルサイドプラザホール
2020年1月17日(金)開場12:30/開演13:00~16:00 http://leonardo500.jp/event 
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★Adoration Of The Magi  Filippino Lippi 1496 Uffizi Gallery

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