2022年5月 5日 (木)

牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児・・・遠い記憶を呼び覚ます風景

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アンドレ・ボーシャン『川辺の花瓶の花』1946年 個人蔵
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藤田龍児『啓蟄』1986年 星野画廊
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藤田龍児『老木は残った』1985年 北川洋氏
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』279回

百花繚乱、花の匂い漂う紫躑躅咲く道を歩いて美術館に行く。春愁のかぎりを躑躅燃えにけり。
過酷な運命を乗り越えた画家。遠い記憶を呼び覚ます風景。
藤田龍児の絵は、広い野原、山の見える郊外、古い街並み、田舎町。電信柱、工場の煙突、鉄道、バス停。白い犬とエノコログサ、蛇行する道は人生の苦難の象徴。白い犬は、画家自身の分身、藝術家を守る守護精霊である。
過酷な運命を乗り越えた画家。啓蟄。羽音を立て、エノコログサが穂を天に伸ばす。画家の蘇りの光景、春の兆しの神秘的な光景。白い犬を連れた人物が歩いている。
【花吹雪】家の庭に、母が植えた桜が咲き、風に吹かれて、花吹雪となって、部屋に舞う。母の愛犬、トイプードル、高校時代から大学院まで、私を守ってくれたのを思い出す。「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」。私は何を残すことができるのか。

*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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戦争による事業破産と半身不随、二人の運命
藤田龍児は、48歳の時、脳血栓で倒れ、53歳で再起する、74歳で死す。アンドレ・ボーシャンは、出征、戦争で破産、妻は精神病となり、園芸業から画家となる、85歳で死す。
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【藤田龍児、48歳の時、脳血栓、画家を断念、53歳で再起、2002年74歳で死す】
藤田龍児は、昭和3年1928年に京都で生まれ、同志社中学校卒業、同志社工業専門学校中退。大阪市立美術館の附属施設であった市立美術研究所にて石膏デッサンや油彩を学び、1959年、美術文化展に初入選。同協会の会員になり、毎年出品を続けた。1959年、大阪大学医学部附属石橋分院で作業療法指導員となる。1969年、退職。初期の作品は不定形な形象が混じり合う抽象画、シュルレアリスムの影響がある。1976年、48歳の時、脳血栓にて倒れる。翌年再発、手術で一命をとりとめるが、右半身付随。利き腕が使えなくなったことに失望、画家として生きることを断念、絵の大半を処分した。絵筆を左手に持ち替え、再び絵画を描くようになる。再起後の最初の個展を開いた時、53歳となる。
白い犬とエノコログサ、蛇行する道など絵画に何度も登場するモチーフで、犬に藤田自身を、そして蛇行する道には彼の苦難の人生を感じさせる。病気を乗り越えた藤田にとって、何度踏まれても逞しく伸びていくエノコログサは、強い生命力の象徴である。白い犬は土佐犬、画家自身、
【アンドレ・ボーシャン、出征、戦争で破産、妻は精神病、園芸業から画家へ、1958年85歳で死す】
アンドレ・ボーシャンは、1873年フランス中部のシャトー=ルノーに生まれた。苗木職人として園芸業を営む。1914年、第一次世界大戦が勃発、歩兵連隊に徴集され、軍隊で学んだ事が、測量したデータをもとに、地形を正確に記録する測地術である。そして大戦が終結して46歳にて除隊するが、農園は荒れ果て破産、妻は精神に異常をきたす。ボーシャンは地元の森の中で新居を構え、妻の世話をしながら自給自足生活を送る。
ボーシャンが絵を初めた契機は、軍隊時代に学んだ測地術の技法にあった。山や川などの故郷の風景、咲き誇る花々といった苗木職人として身近に接した植物などを描く。1921年、サロン・ドートンヌに入選。当時の同賞の審査は比較的厳しくなかった、50歳を前に画家の道を歩みはじめる。建築家となりル・コルビジェに認められる。1928年、セルゲイ・ディアギレフからロシアバレエ団の舞台美術を依頼される。
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展示作品の一部
藤田龍児『於能碁呂草』1966年 星野画廊
藤田龍児『啓蟄』1986年 星野画廊
藤田龍児『静かなる町』1997年 松岡真智子氏
藤田龍児『オーイ、野良犬ヤーイ』1984年 個人蔵
藤田龍児『特急列車』1988年 平澤久男氏
藤田龍児『老木は残った』1985年 北川洋氏
アンドレ・ボーシャン『ラトゥイル親爺の店』1926年 個人蔵
アンドレ・ボーシャン『大木とアルゴ船乗組員』1928年 個人蔵
アンドレ・ボーシャン『ラヴァルダン城とスイカズラ』1929年 個人蔵 
アンドレ・ボーシャン『婚約者の紹介』1929年 個人蔵
アンドレ・ボーシャン『花瓶の花』 1928年 個人蔵
アンドレ・ボーシャン『窓』 1944年 個人蔵 
アンドレ・ボーシャン『川辺の花瓶の花』1946年 個人蔵
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参考文献
プレスリリース東京ステーションギャラリー、冨田章氏
「牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児」東京美術2022

牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児・・・遠い記憶を呼び覚ます風景

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アンドレ・ボーシャン(1873-1958)と藤田龍児(1928-2002)は、ヨーロッパと日本、20世紀前半と後半、というように活躍した地域も時代も異なりますが、共に牧歌的で楽園のような風景を、自然への愛情を込めて描き出しました。人と自然が調和して暮らす世界への憧憬に満ちた彼らの作品は、色や形を愛で、描かれた世界に浸るという、絵を見ることの喜びを思い起こさせてくれます。両者の代表作を含む計116点を展示します。
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition.html
2人の画家アンドレ・ボーシャンと藤田龍児は、活動した国も時代も異なりますが、いくつかの興味深い共通点をもっています。
ともに50歳頃に新たな画家の道に踏み出したこと、精妙な輝きを秘めた色彩を用いて故郷の山河など牧歌的で楽園を思わせる風景を好んで描いたこと、そしてそれらが彼らの決して安逸ではなかった困難な生活の中で生み出されたこと。
そんな彼らの作品が、じわじわ効いてきて、しみじみ沁みる。「見る」ことの喜びを感じさせてくれる展覧会です。
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牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児
2022年4月16日(土) - 7月10日(日)

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2022年4月21日 (木)

「大英博物館 北斎─国内の肉筆画の名品とともに─」・・・北斎、最後の旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』278回

【葛飾北斎、苦節五十年】北斎は、20歳で絵師となるが売れず、苦節50年、72歳『富岳三十六景』『神奈川沖浪裏』(1831)まで苦境。北斎は、九十歳で死ぬまで絵を描きつづける。
【葛飾北斎、七変化】葛飾北斎(1760-1849)の最初期、勝川派の絵師として活動した春朗期(20~35歳頃)、勝川派を離れて浮世絵画派とは一線を画した作画活動を行った宗理期(36~44歳頃)、読本の挿絵に傾注した葛飾北斎期(46~50歳頃)、多彩な絵手本を手掛けた戴斗期(51~60歳頃)、錦絵の揃物を多く制作した為一期(61~74歳頃)、自由な発想と表現による肉筆画に専念した画狂老人卍期(75~90歳)
【源為朝の冒険、曲亭馬琴との共作】弓の名人、腕の腱を切られても弓を引く。「為朝図」は北斎が「戴斗」という画号を名乗っていた50代の時の作品。曲亭馬琴の小説「椿説弓張月」の完成1811年、全5編29冊を祝って描かれた肉筆画、金の切箔がまかれる豪華な作品。
【椿説弓張月、源為朝、保元の乱】少納言入道信西との不和で九州へ追われた源為朝は、八町礫紀平治を家来にし、白縫姫を妻として九州を平定したが、保元の乱に敗れて伊豆大島に流される。そこでも為朝は善政を敷いたが、官軍に攻め寄せられ、鬼夜叉を身代り死にさせて、九州を経て琉球に漂着した。琉球では、尚寧王の暗愚に乗じて妖術使い濛雲が実権を奪い、奸臣利勇と対決していたが、為朝は世継ぎの王女を助けて、孤島に漂着していたわが子舜天丸や紀平治とともに濛雲を破り、琉球を平定した。舜天丸は王位につくが、為朝は昇天する。
【89歳、小布施にて『怒涛図』男浪・女浪、『八方睨み鳳凰図』(1848)】北斎が波を主題に描き始めたのは40代の頃。何十年もかけてあらゆる波を描いた。70代でたどり着いた『神奈川沖浪裏』の大波。冨嶽三十六景は大成功したが、北斎は満足せず。15年後、祭屋台の天井絵として怒濤図を描いた。なぜ小布施で怒濤図を描いたのか。天保の改革で贅沢が禁止され、浮世絵も弾圧された。小布施の豪商・高井鴻山が後ろ盾となり、工房を提供した。北斎は小布施を拠点に内面を表現する肉筆画を描く。岩松院にある八方睨み鳳凰図も北斎最晩年の大作。
【不老不死、不死身の象徴】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)。ボストン美術館肉筆浮世絵、江戸の誘惑(2006)
【不屈の画狂老人卍】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、88歳『弘法大師修法図』、89歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、90歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。」飯島虚心『葛飾北斎伝』。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》横大判錦絵 江戸時代 天保元-4年(1830-33)頃 大英博物館蔵2008,3008.1.JA コピーライト The Trustees of the British Museum
葛飾北斎《諸国瀧廻り 和州吉野義経馬洗滝》大判錦絵 江戸時代 天保4年(1833)頃 大英博物館蔵1937,0710,0.195 コピーライト The Trustees of the British Museu
葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》横大判錦絵 江戸時代 天保元-4年(1830-33)頃 大英博物館蔵1906,1220,0.525 コピーライト The Trustees of the British Museum
肉筆浮世絵
葛飾北斎《弘法大師修法図》一幅 江戸時代 弘化年間(1844-47年) 西新井大師總持寺蔵
葛飾北斎《為朝図》一幅 江戸時代 文化8年(1811) 大英博物館蔵 1881,1210,0.1747 コピーライト The Trustees of the British Museum
葛飾北斎《流水に鴨図》一幅 江戸時代 弘化4年(1847) 大英博物館蔵 1913,0501,0.320 コピーライト The Trustees of the British Museum
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参考文献
「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」江戸東京博物館・・・謎の絵師写楽、画狂老人卍
https://bit.ly/35ywoAa
「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
https://bit.ly/34AB3Bz
「新・北斎展」森アーツセンターギャラリー・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』
https://bit.ly/2HAZJ5y 
「大英博物館 北斎─国内の肉筆画の名品とともに─」・・・北斎、最後の旅
https://bit.ly/3rGjzkF
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江戸時代後期を代表する浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849)は、世界で最も著名な日本の芸術家の一人です。《冨嶽三十六景》や『北斎漫画』など、一度見たら忘れられないインパクトを持つ作品の数々は、国内外で高い人気を誇っています。
北斎と海外との関係については、モネ、ドガ、ゴッホら印象派およびポスト印象派の画家たちによる北斎への傾倒や、フランスを中心としたジャポニスムへの影響が有名ですが、イギリスにも多くのコレクターや研究者がおり、その愛好の歴史は19世紀まで遡ることができます。なかでも大英博物館には、複数のコレクターから入手した北斎の優品が多数収蔵されており、そのコレクションの質は世界でもトップクラスです。本展では、この大英博物館が所蔵する北斎作品を中心に、国内の肉筆画の名品とともに、北斎の画業の変遷を追います。約70年におよぶ北斎の作画活動のなかでも、とくに還暦を迎えた60歳から、90歳で亡くなるまでの30年間に焦点を当て、数多くの代表作が生み出されていく様子をご紹介します。また、大英博物館に北斎作品を納めたコレクターたちにも注目し、彼らの日本美術愛好の様相を浮き彫りにします。
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2022_2/index.html
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「大英博物館 北斎─国内の肉筆画の名品とともに─」サントリー美術館にて、2022年4月16日(土)から6月12日(日)まで

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2022年4月18日 (月)

織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』277回

織田信長は、復讐する阿修羅のようであるが、戦略の達人であるのみならず、天衣無縫の生を生き、理念と美と愛を探求する精神である。信長の根源には、美と復讐と愛がある。
【織田信長、天の理念】【五徳】仁義礼智信、『論語』『孟子』。徳姫、永禄2年生まれ【桶狭間の戦い、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり】永禄3年【麒麟の城、小牧山城】永禄6年、麒麟『春秋左氏伝』【天下布武、岐阜城】永禄10年、武の七徳『春秋左氏伝』【第六天魔王、欲界の他家自在天】元亀4年【天正。清靜爲天下正『老子』45章】天正元年7月【天下一の名人、本因坊算砂】天正6年【安土城、天主】太田牛一『信長公記』4巻『安土記』天正4年~10年
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
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1、天下布武、岐阜
【天下布武、織田信長】沢彦宗恩が提案した。「武とは戈を止めることである(止戈)」「禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財(武力行使を禁じ、武器をおさめ、大国を保全し、君主の功業を固め、人民の生活を安定させ、大衆を仲良くさせ、経済を繁栄させる)七徳を備えるべき」『春秋左氏伝』
【織田信長、岐阜】稲葉山城と呼ばれていた。城主、斎藤龍興を破った織田信長がこの城を1575年に岐阜城と改めた事が岐阜の地名の由来。金華山、山頂にある。『信長公記』に「尾張国小真木山より濃州稲葉山へ御越しなり。井口と申すを今度改めて、岐阜と名付けさせられ」と記載されており、ここから天下布武、天下統一をおこなうという意味をこめて、信長が山頂にある城や麓にある町などを「井口」から「岐阜」へと改名したことにより「岐阜城」と呼ばれる。沢彦宗恩が提案した「岐山」「岐陽」「曲阜」から、信長が選んだ。「岐」は「周の文王が岐山より起こり、天下を定む」という中国の故事に由来。「阜」は孔子の生誕地「曲阜」から、太平と学問の地となるようにという願いからとする。
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2、織田信長、麒麟の花押、足利義輝への手紙、
織田信長【麒麟】有徳の王者の治世には姿を見せるが、殺生を好むような王者が国を治めているときは、姿を隠すと伝えられた霊獣である。【西狩獲麟】孔子が、捕らえられた麒麟を見て涙を流した、その時代が「聖人の世」ではなかったからである。孔子は、それが太平の世に現れるという聖獣「麒麟」であるということに気付いて衝撃を受けた。太平とは縁遠い時代に本来出てきてはならない麒麟が現れた上、捕まえた人々がその神聖なはずの姿を不気味だとして恐れをなすという事態に、孔子は自分が今までやってきたことは何だったのかと失望から、自分が整理を続けてきた魯の歴史書の最後にこの記事を書いて打ち切った。『春秋』「哀公十有四年春、西に狩して麟を獲たり」
【西狩獲麟】孔子が、捕らえられた麒麟を見て涙を流した、その時代が「聖人の世」ではなかったからである。孔子は、それが太平の世に現れるという聖獣「麒麟」であるということに気付いて衝撃を受けた。太平とは縁遠い時代に本来出てきてはならない麒麟が現れた上、捕まえた人々がその神聖なはずの姿を不気味だとして恐れをなすという事態に、孔子は自分が今までやってきたことは何だったのかと失望から、自分が整理を続けてきた魯の歴史書の最後にこの記事を書いて打ち切った。『春秋左氏伝』「哀公十有四年春、西に狩して麟を獲たり」
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3、第六天魔王
【第六天魔王 織田信長】延暦寺の座主、覚恕法親王は難を逃れ、仏教に帰依する甲斐の武田信玄に保護を求め、彼の元に身を寄せていた。その時、信玄から信長への書状の署名「天台座主沙門信玄」と書かれた。それに対し信長は返書にて「第六天の魔王信長」と署名した。「元亀4(1573)年4月20日付、ルイス・フロイスの書簡」*『完訳フロイス日本史 織田信長篇 3 安土城と本能寺の変』

【第六天魔王 織田信長】信長は武田信玄に対する返書にて「第六天の魔王信長」と署名した。元亀4(1573)年4月20日ルイス・フロイスの書簡。信長40歳。
「三界(無色界、色界、欲界)」のうち、欲界の最上天が「第六天(他化自在天)」であり、その欲界を支配しているのが「第六天魔王」である。空海『秘密曼荼羅十住心論』第三住心、嬰童無畏心『秘蔵宝鑰』第三章。
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4、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり
【織田信長、敦盛を舞う】「思へばこの世は常の住み家にあらず。草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。きんこくに花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる。南楼の月を弄ぶ輩も月に先立つて有為の雲にかくれり。人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。」永禄三(1560)年五月18日、信長27歳。
幸若舞では「化天」で、「下天」は『信長公記』の記載である。化天(楽変化天)は六欲天の第五位で一昼夜は人間界の八百年。下天(四天王衆天)は六欲天の最下位で一昼夜は人間界の五十年。なぜこの違いが出たのか、元来、生の儚さを謳った『敦盛』に比べ、生を精一杯生きる信長の『敦盛』は人間の一生の50年を表すものとして「下天」であったのか。
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5、欲界の最頂上、他化自在天
『般若理趣経』経典の《教主》は五智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智・清浄法界智)を具えた大毘盧遮那如来であり、《時》はあるとき、《住処》は三界(欲界、色界、無色界)のうち欲界の最頂上にある他化自在天である。
【『理趣経』の教主、欲界第六天】『理趣経』の教主は、大日如来であり、その場所は、欲界、第六天、他化自在天である。三界(無色界、色界、欲界)のうち、欲界の支配者が第六天魔王。信玄への返書に織田信長は第六天魔王と自ら称した1573(元亀4)年。ルイス・フロイス『日本史』
――
6、【沢彦宗恩、妙心寺派僧】卍元師蛮「延宝伝灯録」によると、妙心寺第一座となるが辞した後は美濃・大宝寺の住持となっていた。その頃、吉法師(織田信長)の傅役を務めていた織田家家臣・平手政秀の依頼を受けて、那古野城に行き、沢彦宗恩が教育係となった。織田信長が元服したあとは参謀として活躍。父・織田信秀の葬儀の際に、織田信長は抹香を投げつけたが、これは沢彦宗恩が提案したとも伝わる。平手政秀が自刃すると、菩提を弔うために織田信長が建立した政秀寺の開山も務めている。岐阜城、その後、京都・妙心寺第39世住持となったあとは、岐阜の瑞龍寺に住んだ。1587年10月2日示寂。1686年「円通無礙禅師」の号が下賜されている。愛知県図書館所蔵『政秀寺古記』がほとんど唯一の資料である。
――
7、
【安土城の天主、織田信長の思想の象徴】
安土城の天主は、信長の思想の象徴である。二階は、石蔵の上、柱の数は二百四本、書院に狩野永徳が描いた煙寺晩鐘の景色、唐の儒者たち、鵞鳥の間がある。三階は、花鳥の間、賢人の間、麝香の間、仙人の間があり、柱の数は百四十六本。四階は岩の間、竹の間、鳳凰の間、鷹の間、等、柱の数は九十三本。五階には絵はなく、南と北に破風、六階、八角形の円堂、釈迦十大弟子、釈尊成道説法の図。最上階七階、信長の居室がある。四方の内柱には登り龍、下り龍、天井には天人が舞い降りる図、三皇五帝、孔門十哲、竹林の七賢などあり。【儒学、老荘、仏教、黄金の間】二階は、風景画、儒教。三階は、花鳥画、道教、四階は、鳳凰、六階は、八角形の部屋、仏教、最上階七階、孔子、竹林の七賢。『信長公記』第9巻天正4年。6章。
――
8、
【本能寺の変、三職推任問題】天正10年(1582)4月25日、天皇は織田信長に対して、関白・太政大臣・将軍のいずれかに推任しようと申し出た(『天正十年夏記』)。信長に官職の授与を勧めたのは正親町の皇太子・誠仁親王。信長に「どのような官にも任じることができる」
【明智光秀、計略と策謀の達人】「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」「裏切りや密会を好む」「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」ルイス・フロイス『日本史』
【阿弥陀寺、清玉上人】清玉上人は織田家の本拠地・尾張国で生まれた。母親は産気づいたまま道で倒れたところを、信長の兄・信広に助けられた。しかし清玉上人を産んですぐに亡くなった、清玉は織田家によって育てられ、僧として修行をする資金も織田家が工面した。天正十年6月2日、本能寺に兵が集まっていると知ると、清玉上人が駆けつけ、上人は信長の亡骸を持って本能寺を出て供養したと伝わる。阿弥陀寺には信長、信忠、一門の墓がある。
――
9、復讐する精神
【戦国史 親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。織田信長、伊達政宗、武田信玄、争った弟側が滅亡。弘治三(1557)年、織田信長は、謀反の弟信勝を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放。天正十八年4月7日、伊達政宗は実弟小次郎を手討、義姫逃亡
【織田信長、復讐する精神】父信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつける。18歳。稲生の戦い、弟信勝の謀反1700人に信長700人で戦う。23歳。信勝2度目の謀反、病気の信長を殺しにきた信勝、清州城北櫓次の間で返り討ち誘殺。弘治三1557年24歳。愛妻、生駒吉乃、嫡男信忠を生む。
【醍醐寺三宝院 元亀4天正元(1573)年】織田信長のために真言密教の祈祷、修法を行う。「織田信長黒印状」醍醐寺三宝院における戦勝祈願の修法への礼状を信長より返信「天下布武」印。1573三方が原の戦い、武田信玄死す4月12日53歳。三年間秘匿。信長包囲網瓦解。
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参考文献
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
絶世の美女、徳姫、織田信長と徳川家康・・・「美と復讐」第4巻
https://bit.ly/3HjY9zO

織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐

織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
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10、
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
【この世に不幸な家族に生まれた人物】孔子、アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、カトリーヌ・ド・メディチ、織田信長、武田信玄、伊達政宗。針の筵の日々を生きる、苦悩の人生、怨憎会苦、愛別離苦。人生の旅の窮極は人格を磨くことである。この世に苦しむ人がいることを想え
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
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【東寺、講堂、立体曼荼羅】五智如来と明王の象徴。【五智如来】大日、宝生、阿弥陀、不空成就、阿閦【五菩薩】金剛波羅密、金剛宝、金剛法、金剛業、金剛薩埵【五大明王】不動明王、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉【四天王】持国天、増長天、広目天、多聞天【二天】梵天、帝釈天。
【空海、立体曼荼羅、五大明王、怨敵調伏する】忿怒の形相をもつ五大尊、五忿怒。悪魔を調伏し、仏法を守る守護神。大日如来の変化身。密教で不動明王を中心として四方に配され、魔を降伏させる五明王で、中央が不動、東方が降三世、南方が軍荼利、西方が大威徳、北方が金剛夜叉。
「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」東京国立博物館・・・空海、理念と象徴
https://bit.ly/3fyOaYF

織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐

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2022年4月 1日 (金)

孫崎享『国際政治 覇権争い、覇権国家と新興国家の戦い。ウクライナ戦争』上智大学、5月29日

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孫崎享『国際政治 覇権争い、覇権国家と新興国家の戦い。ウクライナ戦争』上智大学1号館402教室、14時~16時、ソフィア文化芸術ネットワーク

孫崎享、元外務省国際情報局長、元駐イラン大使『日米同盟の正体』講談社現代新書『日本の「情報と外交』『日本人のための戦略的思考入門』
質疑応答、大久保正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社
問い合わせ、上智大学ソフィア会、TEL. 03-3238-3041
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孫崎享『国際政治 覇権争い、覇権国家と新興国家の戦い。ウクライナ戦争』現代、世界で起こっている紛争、戦争、対決、その原因は何か。解決する方法は何か。国際政治の戦略を考える。
グレアム・アリソンは、フランスとハプスブルク家の戦いを分析、覇権国は新興国に負けると結論した(グレアム・アリソン『トゥキュディデスの罠』) 【アメリカと中国の覇権争い。アメリカとロシアの戦争】【戦争で利益を得るのは誰か】日露戦争、対立する両国に資金貸付して利益を得たロスチャイルド銀行。幕末明治維新、対立する両陣営に武器売却して利益を得たロスチャイルド商会。
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検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし。孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第10回
https://t.co/UV5VZGgQ5G
ミサイルは、迎撃できない。孫崎享×大久保正雄『国際政治の舞台裏 核の傘は存在するのか』
https://bit.ly/2YxJoE8
ソフィア文化芸術ネットワーク
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』276回

孫崎享『国際政治 覇権争い、覇権国家と新興国家の戦い。ウクライナ戦争』上智大学、5月29日
https://bit.ly/3JYW8Ky

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2022年3月27日 (日)

「没後50年 鏑木清方展」 ・・・春園遥かに望めば、佳人あり

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』275回

【鏑木清方、泉鏡花との出会い】清方芸術を特徴付ける、40年以上にわたり深く親交した泉鏡花からの影響。若き日の清方は10代の頃から鏡花の文学作品の熱烈な愛読者、鏡花の小説に挿絵を描くことを目標に研鑽を重ねた。新進気挿絵画家清方は明治34(1901)年春23歳、泉鏡花に会う。
桜の森の開花が始まり、春宵一刻、嵯峨天皇の詩を想う。美女の運命、藝術家の運命、儚く美しき美女、傾国の美女、美女の歴史に秘められた奇譚を想う。樋口一葉は「このよほろびざる限りわが詩は人のいのちとなりぬべき」と書き24歳で死す。鏑木清方は泉鏡花『一葉女史の墓』を描いた。

【嵯峨天皇は曲水流觴の宴を催した】青春が半ばを過ぎた頃、何がせき立てるのか、柔らかな風がしきりに吹いて、花がせかされるように咲く。芳しい花の香りは失せようとして、止めることはできない。私は文雄に呼びかけて詩人たちは花を愛でるこの宴にやって来た。『神泉苑花宴賦落花篇』「凌雲集」弘仁三年(812)二月十二日
【嵯峨天皇、神泉苑花宴賦落花篇「凌雲集」】春園遥かに望めば、佳人あり。乱雑繁花、相映じて輝き、点珠顏綴、駘鬟(たいかん)として吹く。人懐の中、嬌態閑(しず)かなり。朝に花を攀(よ)じり、暮に花を折る。花を攀じる力尽き、衣帶ゆるく。未だ芬芳(ふんぽう)を厭はず
【鏑木清方、明治後期の世界への想い、いくさより美人画】
鏑木清方は、挿絵画家として出発した。鏑木清方は1878(明治11)年、東京・神田に生まれた。幼い頃から文芸に親しみ、13歳で歌川国芳の孫弟子、浮世絵師・日本画家の水野年方に入門。挿絵画家としての活躍を経て、肉筆画を手がけるようになった。清方没後50年、美人画だけでなく、市井の人々の生活や人生の機微を描こうとした「ほんとうの清方芸術」を紹介する展覧会「没後50年 鏑木清方展」。鏑木清方は本格的に日本画を手掛ける以前、小説の口絵や挿絵で人気を博していた。美人画、挿絵、卓上藝術、清方が追求した世界は何か。美人画家として「西の松園、東の清方」と並び称された鏑木清方だが、本人は「需められて画く場合いはゆる美人画が多いけれども、自分の興味を置くところは生活にある。それも中層以下の階級の生活に最も惹かれる」と言った。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【鏑木清方の言葉】「明治は幸せな時代でした。いくさは描けませんよ。意地になって美人画を描いていました。微かなる反抗でしょうけれども。嫌いなものは描けないですよ。」と生前ラジオ番組に出演した時の鏑木清方の肉声あり。「願わくば日常生活に美術の光がさしこんで暗い生活をも明るくし、息つまるやうな生活に換気窓ともなり、人の心に柔らぎ寛ぎを与える親しい友となり得たい」鏑木清方の文章あり。
【浮世絵と美人画】菱川師宣から始まる浮世絵は、錦絵創始期の第一人者鈴木春信、「春章一幅値千金」と謳われた勝川春章の肉筆画、八頭身美人の江戸のヴィーナスと呼ばれる鳥居清長、青楼の絵師と謳われた喜多川歌麿へと展開した、5人の絵師。美人画の歴史である。美人画の歴史は、菱川師宣、喜多川歌麿が最大の源泉である。勝川春章、鳥文斎栄之、渓斎栄泉を師とする絵師もいる。葛飾北斎は勝川春章を師とした。
日本の美人画は、花柳界の女、江戸の青楼の美女、富裕層の妾妻、歴史物語の美女を描いてきた。庶民の娘、市井の女、女学生を描いてきたのは、明治以後か。
【表面的な美と内面的な美】日本の美人画は、表面的な美を描いているが、内面的な美を描いている例は少ない。内面的な美を描いている美人画は、だれか。上村松園「序の舞」は内面の美を表現しているのか。
【美人画の名人、鏑木清方、かをりの高い絵】鏑木清方は「かをりの高い絵を作りたい。作りたいより自ら生まれる絵を」鏑木清方「かをり」昭和9年1月。
上村松園、伊藤深水】上村松園は自ら描く美人画を「艶かしくなく高尚に描いてみたい」「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところ」と言っていた。三人の美人画家。誰が好みか。代表作は何か。作家の特徴は何か。
【苦悩する美女、ルネサンス、象徴派】苦悩する美女を描く画家として、19世紀、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ギュスターブ・モローがロマン主義、象徴派の美を極めている。15-16世紀、レオナルド『レダ』『糸巻きの聖母』、ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』『マニフィカートの聖母』『ヴィーナスとマルス』『春』がルネサンスの美を極めている。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。敵との闘争における武器なのだ。いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。パブロ・ピカソ
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【佐藤康宏氏、昭和の鳥居清長】「美人画に関しては私は京都・大阪びいきで、恒富、神草、楠音らに比して清方をさほど好みません。それでも屛風絵の「遊女」(横浜美術館)など、見直しました。「築地明石町」は、いうまでもなく飛び抜けていいのですよね(三幅対に仕立てていますが、正直いって脇幅はなくてもいいです)。かつて彼を「昭和の清長」と称したことがありますが、実際に清長の錦絵を意識していなかったでしょうか。これを別にすれば、清方が「卓上藝術」と呼んだ小画面の作品に最も本領が発揮されている、というのが以前からの私の評価です。2022年3月24日
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展示作品の一部
鏑木清方、秋宵、1903、鎌倉市鏑木清方記念美術館
鏑木清方、嫁ぐ人、1907、鏑木清方記念美術館
鏑木清方、曲亭馬琴、1907、鎌倉市鏑木清方記念美術館
明治40年(1907)絹本着色・額116.3 × 172.8cm、第1回文部省美術展覧会 選外
目の見えない滝沢馬琴の執筆活動を娘が支えている図である。
江戸の戯作者・曲亭馬琴が失明した後に、息子の嫁・路に一字一句文字を教え、口述筆記により『南総里見八犬伝』を書き継いでいる場面です。このエピソードは『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』の「あとがき」にあたる「回外剰筆(かいがいじょうひつ)」に記されています。清方は、失明した馬琴でも、馬琴を支えた路でもなく、「回外剰筆」に記された、口述筆記による馬琴と路のエピソード(史実)を視覚化しました。その意味で、西洋における物語る絵画としての「歴史画」に近い作品であるといえます。本作で清方が試みたのは、かつて史実のなかに生きた人間としての馬琴と路の生々しいすがた、実在した人間の生き様そのもの。
鏑木清方、築地明石町1927(昭和2)年、東京国立近代美術館
近代美人画を代表する絵の一つ。1927年の第8回帝展で帝国美術院賞を受賞した。清方にとっては思い出深い明治30年代半ばの明石町の光景と合わせ、物思う表情で振り返る女性に明治回顧の心情を託している。時代もちょうど関東大震災と昭和改元を経て、明治ブームが起きていた。
新富町、1930、東京国立近代美術館
浜町河岸、1930、東京国立近代美術館
鏑木清方、京鹿子娘道成寺、1928
有名な舞踊「京鹿子娘道成寺」と「鷺娘」の一場面。清姫の化身である白拍子と鷺の化身の鷺娘が妄執にとらわれる姿を、片やしっとりと、片や激しく表現している。
鏑木清方、一葉女子の墓、1902、鎌倉市鏑木清方記念美術館
泉鏡花の『一葉の墓』を読んでその墓を訪ねた時、清方は線香の煙の向こうに『たけくらべ』のヒロイン・美登利の幻を見たと言う。その体験に想を得て描かれた。
小説家と挿絵画家、1951
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参考文献
没後50年、鏑木清方展図録、2022、東京国立近代美術館
鶴見香織「鏑木清方 生活を描いた画家」2022
「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」江戸東京博物館・・・謎の絵師写楽、画狂老人卍
https://bit.ly/35ywoAa
「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
https://bit.ly/34AB3Bz
清方/Kiyokata ノスタルジア―鏑木清方の美の世界・・・美女の姿態
https://bit.ly/3CNj1Oi
「あやしい絵展」東京国立近代美術館
https://bit.ly/3w3onRE 
「The UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」東京都美術館・・・浮き世の遊宴と享楽と美女
https://bit.ly/30JCdd2
東西美人画の名作《序の舞》への系譜・・・夢みる若い女、樹下美人
https://bit.ly/394A5zg
上村松園と美人画の世界・・・肉体の美と叡智
https://bit.ly/2GXmVru
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」・・・藝術家と運命との戦い、ロセッティ最後の絵画
https://bit.ly/2UoqUWz
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」パナソニック汐留美術館・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
鏑木清方記念美術館
http://www.kamakura-arts.or.jp/kaburaki/
「桜 さくら SAKURA 2020 ―美術館でお花見 ! ―」山種美術館・・・花の宴
https://bit.ly/2UUizJw
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
https://bit.ly/3C2fXNP
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
「没後50年 鏑木清方展」 ・・・春園遥かに望めば、佳人あり
https://bit.ly/3DgzoTJ


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鏑木清方(1878-1972)
鏑木清方(1878-1972)の代表作として知られ、長きにわたり所在不明だった《築地明石町》(1927年)と、合わせて三部作となる《新富町》《浜町河岸》(どちらも1930年)は、2018年に再発見され、翌年に当館のコレクションに加わりました。この三部作をはじめとする109件の日本画作品で構成する清方の大規模な回顧展です。
浮世絵系の挿絵画家からスタートした清方は、その出自を常に意識しながら、晩年に至るまで、庶民の暮らしや文学、芸能のなかに作品の主題を求め続けました。本展覧会では、そうした清方の関心の「変わらなさ」に注目し、いくつかのテーマに分けて作品を並列的に紹介してゆきます。関東大震災と太平洋戦争を経て、人々の生活も心情も変わっていくなか、あえて不変を貫いた清方の信念と作品は、震災を経験しコロナ禍にあえぐいまの私たちに強く響くことでしょう。
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/kiyokata
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『没後50年 鏑木清方展』東京国立近代美術館3月18日(金)~5月8日(日)
京都国立近代美術館、5月27日~7月10日

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2022年3月12日 (土)

織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』274回

織田信長の長女、五徳は、波乱の人生を生き78歳で死す。シェイクスピア復讐劇のような人生。織田信長は、天の理念を探求した。信長は、何を愛し、何のために戦い、何故死んだのか。信長に五徳と名付けられた長女、五徳は、仁義礼智信である。徳姫は何と戦ったのか。徳姫と浅井三姉妹江は、女織田弾正忠と呼ばれる。
濃姫、帰蝶は、織田信忠、信雄、五徳を育てた養母である。小説家、諸田玲子著『帰蝶』は帰蝶の目から見た「織田信長、五徳、明智光秀、武井夕庵、立入宗継」を描いた。いつか私は五徳の目から見た、織田信長、徳川家康、生駒吉乃、織田信雄、豊臣秀吉、明智光秀、太田牛一らが活躍する「戦国美女 愛と美と復讐」を執筆したい。
――
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、知恵をもって邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方にイデアと美を探求する。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1
【織田信長の長女、五徳、波乱の人生】
【織田信長、長女、徳姫、五徳】絶世の美女、信長最愛の美女、生駒吉乃の娘。シェイクスピア復讐悲劇のような人生。弘治三年、信長、弟信勝に復讐、正義のための戦い。天正七年、信康と築山殿に復讐して正義を成就する徳姫。築山殿は信長と家康の共通の敵、今川氏。
20歳で家康に見送られて安土城に旅立つ。天正十年、本能寺の変、安土城落城。徳姫、京都へ。78歳まで生きる。長女の登久姫は小笠原秀政室、次女の熊姫は本多忠政室。
【絶世の美女、織田信長の長女、五徳】永禄2(1559) 10月清州城で生まれる。絶世の美女、生駒吉乃の娘。永禄3年(1560)桶狭間の戦い。織田徳川同盟の絆として、永禄10(1567)年9歳で三河国岡崎城主の信康に嫁ぐ。小牧山城から岡崎城に行く。築山殿も岡崎城に同居。家康は浜松城にあって父子共に武田勢と攻防を繰り返した。【徳姫、十二ヶ条の訴状】築山殿と信康が武田氏に内通したと信長に訴えた。夫の不行跡を信長に告発。
徳姫は夫信康と築山殿を信長に告発。信長は伺候した家康の家臣酒井忠次に確かめ家康に命じて天正7(1579)年信康と築山殿を自刃させた。
【徳姫、安土城への旅立ち】
【徳姫21歳、安土城、本能寺の変、信雄、秀吉、小牧長久手の戦い、関ケ原の戦い】
【信康自刃事件後】徳姫は天正8(1580)年の2月20日に家康に見送られて岡崎城を出立し安土へ送り帰される。2人の娘達、福子、国子は家康の元に残す。近江八幡市あたりに居住、化粧料田が近江長命寺に設定。天正10年(1582)【本能寺の変】父・長兄ともに死去する。次兄の織田信雄に保護されたが【小牧・長久手の戦い】後に信雄と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の講和に際して人質として京都に居を構えた(『顕如上人貝塚御座所日記』)。
天正18(1590)年信雄が秀吉によって改易されたため、生駒氏の尾張国小折に移り住んだ。「埴原家文書」に残された秀吉の朱印状から秀吉による処置だったことが明らか、その後すぐにまた京都に居住する、徳姫の処遇は秀吉の支配下にあった。
【関ヶ原の戦い】後、尾張国の清洲城主となった家康の四男の松平忠吉から1761石の所領を与えられた。その後は京都に隠棲した[1]。寛永7年(1630年)、蜂須賀忠英と正室繁姫(共に小笠原秀政の孫で徳姫の曾孫)の間に嫡子・千松丸(蜂須賀光隆)が誕生した際には、乳母の選定について相談されている。
徳姫、永禄2(1559) 10月12日生まれ寛永(1636)13年1月10日死去。78歳。通称は五徳、岡崎殿、見星院。<参考文献>『人物日本の女性史』8巻
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2
【信康自刃の原因、父子の確執】
【織田信長、徳姫、壮絶な復讐、十二ヶ条の訴状】稲生の戦い、弟信勝の謀反1700人に信長700人で戦う。23歳。弘治3年、信勝2度目の謀反、清州城北櫓次の間で返り討ち、誘殺。24歳。天正7年、信長の長女徳姫、十二ヶ条の訴状。信康切腹、築山殿を成敗。19歳。五徳=仁義礼智信。
【信康自刃の原因、父子の確執】永禄10(1567)年、信康9歳は信長の娘、徳姫と結婚、元亀元(1570)年、家康が浜松城に移ると、信康は岡崎城主岡崎城の城主に。信康切腹通説の元、幕府旗本、大久保彦左衛門『三河物語』。徳姫は信長に信康の乱暴な言動を告発する手紙を書き、酒井忠次に託した。忠次が信康をかばわなかったため、信長は信康に切腹を命じた。信康21歳。家康と信康が対立。熱田伸道『信康自刃の真相』。
【家康、信康を二俣城で切腹、築山殿、佐鳴湖畔で殺害、太刀洗の池、天正7年】『武功夜話』。天正(1576)年、徳姫18歳の時、夫信康との間に長女福子を産んだ。翌年には次女国子が誕生。
参考文献、大久保彦左衛門『三河物語』『武功夜話』、熱田伸道『信康自刃の真相』
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3
【織田信長、天の理念】【五徳】仁義礼智信、『論語』『孟子』。徳姫、永禄2年生まれ【桶狭間の戦い、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり】永禄3年【麒麟の城、小牧山城】永禄6年、麒麟『春秋』哀公14年【天下布武、岐阜城】永禄10年、武の七徳『春秋左氏伝』【第六天魔王、欲界の他家自在天】元亀4年【天正『老子』】天正元年7月【天下一の名人、本因坊算砂】天正6年【安土城、天主】太田牛一『信長公記』『安土記』天正4年⁻10年
【『理趣経』の教主、欲界第六天】『理趣経』の教主は、大日如来であり、その場所は、欲界、第六天、他化自在天である。三界(無色界、色界、欲界)のうち、欲界の支配者が第六天魔王。信玄への返書に織田信長は第六天魔王と自ら称した1573(元亀4)年4月20日付、ルイス・フロイス書簡。
【織田信長、元亀4年(天正元年)の展開】1573年4月、武田信玄、突然死。1573年7月18日、足利義昭、追放。7月21日。信長は、改元を内覧した。信長に勘文を見せてその意向に応じて元号を「天正」、信長が容喙。28日決定。8月13日、浅井朝倉連合軍に大勝
【織田信長の戦い、天皇による勅命講和】生涯最大の窮地、志賀の陣、金が埼の退き口、元亀元(1570年)朝倉義景・浅井長政との戦い。信長37歳。天正元(1573年)足利義昭との戦い。天正8年(1580年)石山本願寺との10年戦争、顕如退去。正親町天皇の勅命講和。
【織田信長、5つの城】那古野城21歳まで【清州城】天文23年(1554)【麒麟の城、小牧山城】永禄6年(1563)6月【天下布武の城、岐阜城(稲葉山城)】永禄10(1567)年8月【天下一の城、安土城】天正四年(1576)2月から本能寺の変(1582)まで
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4
【濃姫、帰蝶】
【蝮の道三の娘、濃姫、帰蝶、蝮の子は蝮、3度の結婚】一人目、土岐八郎頼香(よりたか)に嫁ぐ。天文十三1544年9月、尾張国の織田信秀との戦い、頼香に刺客を差し向け自刃に追い詰め、濃姫10歳。二人目の夫、土岐次郎頼純(よりずみ)、1547年11月17日、頼純、急死。死因不明、享年24。三人目、1549年、濃姫15歳で信長と婚姻。弘治2(1556)年、斎藤道三、美濃を信長に譲ると遺言状。
【蝮の道三の娘、濃姫、帰蝶、蝮の子は蝮】濃姫を土岐氏の一門である土岐八郎頼香(よりたか)に嫁がせた。天文十三1544年9月、尾張国の織田信秀との戦いにおいて、どさくさに紛れて頼香に刺客を差し向け自刃に追い詰め、濃姫10歳。二人目の夫・土岐次郎頼純(よりずみ)、天文十五1546年9月、道三は土岐次郎頼純(頼香の甥)を守護職に就けて傀儡化し、濃姫を嫁がせ美濃国の支配権を掌握、濃姫12歳。1547年11月17日、頼純、急死。死因不明、享年24。濃姫15歳で信長と婚姻。
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【本能寺の変、三職推任、将軍を阻止した明智光秀】【光秀、秀吉は殺人部隊】
【本能寺の変、三職推任問題】天正10年(1582)4月25日、天皇は織田信長に対して、関白・太政大臣・将軍のいずれかに推任しようと申し出た(『天正十年夏記』)。信長に官職の授与を勧めたのは正親町の皇太子・誠仁親王。信長に「どのような官にも任じることができる」

【明智光秀、計略と策謀の達人】「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」「裏切りや密会を好む」「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」ルイス・フロイス『日本史』
――
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【戦国史 親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。織田信長、伊達政宗、武田信玄、争った弟側が滅亡。弘治三(1557)年、織田信長は、謀反の弟信勝を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放。天正十八年4月7日、伊達政宗は実弟小次郎を手討、義姫逃亡
【武田信玄、父、武田信虎は賢い信玄を嫌い、弟の武田信繁に家督を譲ろう】甲斐国の守護、信玄の父・武田信虎は有力な国衆を酷使、利益を独占。21歳でクーデタ。天文10年(1541年)国衆は信虎を追放、下剋上。武田信玄は人望あり「人は石垣、人は城」。元亀4年52歳で病死。自分の死を3年間隠すよう命じる。
――
参考文献
小和田哲男『明智光秀』
小和田哲男『集中講義 織田信長』
今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』講談社現代新書
今谷明『日本史の論点』中公新書
岡田正人『織田信長総合辞典』雄山閣出版、1999
和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018
和田裕弘『織田信忠―天下人の嫡男』中公新書
和田裕弘『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中公新書
ルイス・フロイス『回想の織田信長、日本史』中公文庫
太田牛一、中川太古訳『信長公記』新人物文庫
本郷和人『乱と変の日本史』祥伝社新書
本郷和人『壬申の乱と関ケ原の戦い なぜ同じ場所で戦われたのか』祥伝社新書
遠山美津男『天皇と日本の起源』講談社現代新書
諸田玲子『帰蝶』2015
絶世の美女、徳姫、織田信長と徳川家康・・・「美と復讐」第4巻
https://bit.ly/3HjY9zO
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc
織田信長、信長包囲網との戦い、八つの戦い、比叡山、天下一の名城、安土城
https://bit.ly/2FkeiJX
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
ヴィーナス、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
https://bit.ly/3C2fXNP 
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
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「桃山―天下人の100年」東京国立博物館・・・室町幕府崩壊、戦国武将、愛と復讐の壮大なドラマ
https://bit.ly/3lDIoIq

織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
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Botticelli Madonna del magnificat 1481
Michelangelo Giuliano de Medici di Nemours sculpture by Michelangelo, 1526–34

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2022年3月 3日 (木)

「空也上人と六波羅蜜寺」・・・亡き人を想う、生死の境、南無阿弥陀仏

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』273回

亡き人を想う、生死の境
空也は、伝染病の流行で亡くなった人を想い、念仏を唱え、浄土教を流布、天禄3(972)年、70歳で死す。六波羅蜜寺は、六道の辻にある。六道珍皇寺の井戸を通って小野篁(802~52)は冥界と往還を果たした。
六波羅蜜は、仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳 (般若波羅蜜) を目指す。

三百年後、慶派仏師、康勝は亡くなった空也を想い、空也の像を刻んだ。
平家一族滅亡後、慶派は僧形平清盛像を製作した。運慶の長男、湛慶は、運慶像を刻んだ。
この時代、新古今歌人は、生と死の境を歌った。藤原定家は、亡き母の歌を沢山詠んだ。定家の父、俊成に教えを受けた西行は「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」と歌い、涅槃会に亡くなった。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【藤原定家、亡き母を歌う】
玉ゆらの露もなみだもとどまらず なき人恋ふる宿の秋風、藤原定家(『新古今和歌集』哀傷・七八八)
亡き母が住まっていたこの家。今はもう会えないと思うと涙が止まらない。この家に吹く秋風よ、せめて一目逢いたい。
藤原定家(1162-1241)は、母美福門院加賀が亡くなった(建久四年1193年2月13日)時のことを詠む。亡き母の歌を沢山詠んだ。「百首歌」(1200年、後鳥羽院主催)で献上した歌。
梅の花にほひをうつす袖の上に軒漏(のきも)る月の影ぞあらそふ『新古今和歌集』巻第一・春歌上、四十四
軒近く咲く梅の花が匂いを移し、懐旧の涙で濡れている袖の上に、荒れた軒を漏れる月の光が、梅の匂いと争うように映る。
「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事二非ズ」『明月記』。19歳の藤原定家(1162-1241)の藝術至上主義宣言だが、政治的混乱に書き込まれていく。建久7年の政変、藤原定家の好敵手、後鳥羽上皇は、北条義時に承久の乱を起こす。
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【空也】遊行僧、浄土教、念仏「南無阿弥陀仏」、踊念仏、天禄3(972)年、70歳で死す。西光寺、建立。
浄土教
阿弥陀如来が教主となり、その仏国土「極楽浄土」を説く経典が現れた。『無量寿経』と『阿弥陀経』『観無量寿経』。東晋の仏駄跋陀羅、覚賢、と南朝の宋の宝雲が421年に共訳した(藤田宏達)。
六道の辻

衆生が生前に業因により生死を繰り返す六つの迷いの世界。すなわち、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上をいう。六道の辻は、六道へ通じる道。六道珍皇寺の井戸ゆかりの小野篁(802~52)が冥界と往還を果たしたという伝説から、六道の辻と称された。この地西福寺は、空海(774~835)が鳥辺野の無常所の入口にあたる地に地蔵堂を建て、自作の土仏地蔵尊を祀ったという伝説がある。
六波羅蜜寺とゆかりの人々、平清盛(1118~1181)は六波羅に一族の屋敷を建てた。
運慶一族と六波羅蜜寺
運慶(生年不詳⁻貞応2年12月11日(1224年1月3日)は、なぜ、地蔵菩薩坐像、など六波羅蜜寺の仏像を製作したのか。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【空也】遊行僧、浄土教、念仏「南無阿弥陀仏」、踊念仏、天禄3(972)年、70歳で死す。西光寺、建立。
938年(天慶1)京都に入ったが、町中を遊行して乞食(こつじき)し、布施(ふせ)を得れば貧者や病人に施したと伝える。948年(天暦2)比叡山に上り、天台座主延昌(880-964)について得度。光勝という僧名をもらったが、自らは空也の沙弥名を名のり、庶民信仰の念仏を勧める聖(ひじり)であった。平安時代以降、貴賤老若男女が念仏を唱えるようになったのは、空也のおかげであるといわれ、また東北地方を遊行して仏教を広めた功績は、この辺境の人々に長く記憶された。空也は生存時から市聖(いちのひじり)ともよばれたが、これは人の集まりやすい京都の東市、西市の市門に立って人々に念仏と浄土信仰を勧めたからである。その市門には「極楽ははるけきほどと聞きしかど、つとめて(瞬時に)いたる所なりけり」と書きつけて、速疾往生(そくしつおうじょう)を説いた。そして念仏を広める運動として踊念仏をしたので、後世、一遍と時衆の踊念仏も空也を祖とする。浄土往生の念仏を勧める。賀茂川の東に西光寺(後の六波羅蜜寺)を建て、『大般若経』の書写供養を行うなど多角的な仏教を広めた。天禄3(972)年9月11日入滅。享年70歳。[五来重 2017年6月20日]
――
平清盛、六波羅
【平治の乱1159年】藤原信頼と源義朝が、藤原信西にクーデタ。平清盛、熊野詣から京都へ戻り、後白河上皇、二条天皇を六波羅の清盛邸に救出。天皇と上皇を女装させて牛車に乗せる。源義朝、敗北。後継者、源頼朝、13歳、伊豆国に流される。【後白河上皇、天下一の大天狗】
【源平争乱、壇ノ浦の戦い】1180年から1185年に平氏が壇の浦で滅亡するまでの源氏平氏の争い、治承・寿永の乱。寿永四年(文治元年・1185年)3月24日、源平争乱の終局、壇ノ浦の戦いがあり、平家方の総司令官である平知盛が入水自殺。範頼軍は3万余騎(『源平盛衰記』)をもって陸地に布陣して平氏の退路を塞ぎ、岸から遠矢を射かけて義経軍を支援した。『平家物語』によれば和田義盛は馬に乗り渚から沖に出る。
【承久の乱1221後鳥羽上皇、北条義時】後鳥羽上皇、北条義時に反乱。1219源実朝、公暁による暗殺、将軍後継者争い勃発。後鳥羽上皇、地頭任命権を返還要求。義時、後鳥羽上皇に抵抗。三浦義村、義時につく。【御家人制、御恩奉公。地頭の権利】北条政子「頼朝の恩は、山よりも高く、海よりも深い」
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展示作品の一部
重要文化財 空也上人立像、康勝作 鎌倉時代・13世紀  京都・六波羅蜜寺蔵
重要文化財 四天王立像のうち持国天立像、平安時代・10世紀、京都・六波羅蜜寺蔵
重要文化財 薬師如来坐像、平安時代・10世紀、京都・六波羅蜜寺蔵
重要文化財 伝平清盛坐像、鎌倉時代・13世紀  京都・六波羅蜜寺蔵
重要文化財 地蔵菩薩立像、定朝作、平安時代・11世紀、京都・六波羅蜜寺蔵
重要文化財 閻魔王坐像、鎌倉時代・13世紀、京都・六波羅蜜寺蔵
重要文化財 運慶坐像、湛慶作、鎌倉時代・13世紀、京都・六波羅蜜寺蔵
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参考文献
「国宝 聖林寺十一面観音」#東京国立博物館
https://bit.ly/3d1h6Kh 
「最澄と天台宗のすべて」1・・・比叡山延暦寺、最澄と空海
https://bit.ly/2XDvTGt
六観音菩薩「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」東京国立博物館、・・・純粋な美しい魂に舞い降りる
https://bit.ly/2C0ZL2f
「空也上人と六波羅蜜寺」・・・亡き人を想う、生死の境、南無阿弥陀仏
https://bit.ly/3C7OKJG
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2022年は空也上人没後1050年に当たります。空也上人が十一面観音立像を本尊として京都東山の地に創建した六波羅蜜寺(創建時は西光寺と称した)には、現存最古となる上人の像が伝えられています。念仏を唱え歩いた姿を目の当たりにするような写実的な像は、仏師運慶の息子である康勝がつくりました。同寺は運慶一門にゆかりの深い寺でもあり、運慶作の地蔵菩薩坐像などが残されています。
本展覧会では、東京では半世紀ぶりの公開となる空也上人立像をはじめ、六波羅蜜寺の創建時につくられた四天王立像、定朝作と伝えられる地蔵菩薩立像など、平安から鎌倉時代の彫刻の名品が一堂に集います。
六波羅蜜寺の創建は、今からおよそ1000年前の平安時代半ばにさかのぼります。 天暦5年(951)、京都に流行り病が蔓延したため、空也上人は、疫病がおさまり世の中が穏やかになるように祈り十一面観音菩薩立像を造像し、西光寺を創建しました。これが現在の六波羅蜜寺にあたります。
本章では、市井の人々から絶大な信仰を得た空也上人の足跡をたどりながら、六波羅蜜寺創建時の像をご覧いただき、人々に親しまれてきた六波羅蜜寺の歴史をたどります。
■空也上人 平安時代中期の僧侶。
南無阿弥陀仏と唱えて極楽往生を願う阿弥陀信仰をいちはやく広めた。山林で修行をしながら各地を遍歴し、橋梁や道路等の整備や行倒れた人を弔うなど社会事業を行い、庶民から有力者まで幅広い信仰を集めた。10世紀半ばには、京都東山の地に十一面観音像を本尊とした六波羅蜜寺の前身となる西光寺を開き、天禄3年(972)、70歳にてその生涯を閉じた。
東京国立博物館
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2129
――
特別展「空也上人と六波羅蜜寺」東京国立博物館、本館特別5室(上野公園)、3月1日~5月8日

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2022年3月 1日 (火)

ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』272回

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。天人は、知恵と愛を達成するために、地上に舞い降りた。天人を守り助ける守護精霊が現れる。
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、知恵をもって邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』

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ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチは、ミケランジェロに自分の像を彫刻され、ラファエロに肖像画を描かれ、レオナルドに婦人像を注文した。

【ヴィーナスの誕生】「アフロディーテ(ヴィーナス)は海の抱から生まれ、帆立貝の貝殻に乗って、西風ゼフユロスとクロリスの優しい風を受けてキュプロス島のパフオスに上陸した。」へシオドス『神統譜』。このヴィーナス像は、古代ギリシアの画家アベレスが描いた伝説的名画、海からあがり濡れた髪をしぼるヴィーナスの絵をもとに発想している。ゼフュロスとクロリスは、ロレンツオ・デ・メデイチの最も高価な収集品≪タッツア・ファルネーゼ≫(1471年に購入した半貴石製の大皿)に彫られた飛翔する2人の人物から材を得ている。
【春(プリマヴェーラ)】ポッティチェリは、ヴィーナスが、神的な美を観想するべく女神の王国に私たちを招くさまを描いている。ヴィーナスの侍女である三美神、アグライア、エウプロシュネ、タレイアーが輪舞し、彼女の上方では目隠しされたキューピッドが矢を放つ。左側に、メルタリウスが魔法の杖(カドゥケウス)によって雲を散らし、右側でクロリスがゼフユロスから逃れようとする。ゼフユロスがクロリスを抱擁すると、天上の星にあたる地上の花が彼女の口から溢れでて、クロリスはそのかたわらに立つ女神フローラへと変身する。彼らの背後にオレンジの木立ち、花々がまき散らされた草むら、風に舞う透けた衣。ポッティチェリは描いた。
【『春』1478『ヴィーナスの誕生』1485】2つの作品は、ロレンツオ・デイ・ビュルフランチェスコ・デ・メデイチの別荘ヴィラ・カステッロを飾るために描かれた。フィレンツェの人文主義者たちはこれらの絵に多くの二重の象徴表現を見いだした。たとえばヴィーナスは異教的な愛と人文主義者が理想とする精神的な愛を表した。同じ意味あいで、三美神は純潔、美、愛の擬人像でもあった。
【プラトン・アカデミー思想家の死】ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は1492年、43歳で死に、プラトン・アカデミーの思想家たちは、1498年までに次々と死ぬ。
【ルネサンスの死 1499】1492年、ロレンツォ・デ・メディチ43歳。1478年4月26日、ジュリアーノ・デ・メディチ25歳。アンジェロ・ポリツィアーノ39歳。ミランドラ31歳。フィチーノ62歳。1510年、ボッティチェリ65歳。1564年、ミケランジェロ88歳。
【16世紀ルネサンス、ヴェネツィア、マニエリスム、北方ルネサンス】レオナルド『レダ』1505ラファエロ『レダ』『モナリザ』1505、ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1535ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510、アンジェロ・ブロンズィーノ『ヴィーナス、クピド、サテュルス』1553、ルーカス・クラナハ「パリスの審判」1528
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【ルーカス・クラナハ「パリスの審判」1528】
「勝利と成功か、権力と富か、愛欲か」、どれを選ぶか。3つのうち一つ。
アテナは「戦場での勝利と名声」を、ヘラは「権力と富」を、ヴィーナスは「人間の中で最も美しい女」をそれぞれパリスに約束する。パリスが今一番欲しいのは「美しい女」。ヴィーナスに黄金の林檎を渡す。パリスは、美しい女、ヘレネを選び、トロイは滅亡する。神の罠に掛かって、トロイ滅亡。
「勝利と成功か、権力と富か、愛欲か」あなたなら、どれを選ぶか。3つのうち一つ。これには、正解がある。アテナは、知恵と勝利の女神。
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トロイ戦争
【女神の争い】三女神は最も美しい装いを凝らしてトロイの王子パリスの前に立った。女神は贈り物を約束する。ヘラは世界を支配する権力、アテナはいかなる戦争にも勝利を得る智力、アプロディーテは最も美しい美女、三美神はそれぞれ与える約束をした。パリスの審判『キュプリア』
【パリスの審判】神々の饗宴でアプロディーテを選択するトロイ王子パリス。スパルタ王妃美女ヘレネを奪ってトロイに連れ帰りトロイ戦争勃発【ガイアの嘆願】【神々の結婚】【神々の饗宴、争いの女神エリスが黄金の林檎を投げ入れる】【女神の争い】【美女姉妹ヘレネとクリュタイムネストラ、ゼウスがレダと交わって2組の双子】『叙事詩の円環』8部作は失われ、断片のみが残る。

【神々の饗宴、ペレウスとテティスの結婚】海神の一族であるテティスは自由に姿を変えることができたが、ペレウスは逃れようとした彼女をつかまえて離さなかった。2人の結婚式にはほとんどの神々が出席したが、争いの女神エリスだけが招かれなかった。これを恨んだエリスは、黄金のリンゴを祝宴の満座の中に投じ、これが原因となってのちにトロイ戦争が起こる。
【トロイの木馬、オデュッセウスの策略】計略を見破る、アポローンの神官ラオコーンと予言者の王女カッサンドラーに見抜かれたが、ラオコーンは海蛇に絞め殺され、カッサンドラーの予言は誰も信じることができず。策略にかかり、トロイアは一夜で陥落。『トロイア落城』

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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トロイ戦争とギリシア悲劇
【復讐悲劇の起源】オレステイア三部作アイスキュロス(前458)『アガメムノン』『供養する女たち』『慈みの女神たち』、エウリピデス『オレステス』【ルネサンス復讐悲劇の起源】ストア派の哲学者セネカ『テュエステス』【ルネサンス復讐悲劇】シェイクスピア『ハムレット』1599年~1602年
――
参考文献【叙事詩の円環】
運命の美人姉妹、クリュタイムネストラ、ヘレネー
トロイア戦争の始まり 失われた『叙事詩の円環』
https://t.co/JjeYXXOypq
https://en.wikipedia.org/wiki/Epic_Cycle
大久保正雄『地中海紀行』第61回トロイア戦争 パリスの審判P29
岡道男『ホメロスにおける伝統の継承と創造』
岡道男『ホメロスと叙事詩の環』1976 京都大学文学部紀要1976.16.55-338,
安村 典子『ゼウスの覇権 反逆のギリシア神話』京都大学学術出版会
城江良知「ガイアの嘆願と『イリアス』」西洋古典学研究
『キュプリア』によれば,ガイアは、増えすぎた人間の重みに耐えかね,. しかも人間には神 を畏敬する心がまったくなかったため, ゼウスにこの重荷.を軽減してくれるようにと願い出た. ゼウスは同情してまずテーバイ戦争を起こし多数の人間を滅ぼした。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/68585/1/KJ00004263559.pdf
――
参考文献【ギリシア悲劇】
愛と復讐 アイスキュロス『オレステイア』三部作
*ヴォロマンドラのクーロスKouros of Volomandra
https://t.co/httDdX6Bvr
大久保正雄『地中海紀行』第47回ギリシア、愛と復讐の大地1P22
旅する詩人、エウリピデス ギリシア悲劇の極致
https://t.co/BIXeFsq7GS
大久保正雄『地中海紀行』第48回ギリシア、愛と復讐の大地2P27
――
参考文献【哲学】
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、失われた美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
―――
参考文献【メディチ家とプラトン・アカデミー】
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」

https://t.co/yxlgRpwirV

孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館・・・レオナルド「レダと白鳥」
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族

ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
https://bit.ly/3C2fXNP

―――
「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」国立新美術館、2022年2月9日(水)~5月30日(月)
メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年・・・美女の歴史、詐欺師女、残酷な美女、欲望に溺れる女
https://bit.ly/3p6BrUA

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2022年2月26日 (土)

西洋絵画の500年、カラバッジョ・・・バロック、若者たち、女詐欺師、残酷な美女、欲望に溺れる女

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』272回

バロック美術は、カラバッジョに始まる。15世紀、ルネサンスの調和的美に対して、17世紀、カラバッジョは、光と闇の対比、写実主義、劇的表現を特色とする絵画を始めた。
【カラバッジョの破滅的生涯】
カラバッジョMichelangelo Merisi da Caravaggio1571-1610)は、北イタリアベルガモ近郊カラバッジョ生まれる。6歳の時父が死に、13歳の時ミラノで画家の修業を開始し、1592-93、20代でローマに出る。作品が人気となり支援者を得る。1596年25歳の時、デル・モンテ枢機卿が『女占師』(1596)を買い上げ、枢機卿の館に住む許可を与えられ、上流階級に紹介され、運命の扉を開く。
カラバッジョの生涯は彼の絵画表現以上に激情的である。誹謗中傷、口論、決闘、相次ぐ無法行為のために1600年から1607年、警察と裁判所の監視下に置かれる。1506年、35歳の時、人を殺害し死刑判決を受ける。絵を描いて逃走資金を作り、ナポリへ逃亡。支援者の援助を受けながら、マルタ島、シチリア島へ逃亡をつづける。恩赦を得るためローマへ戻る途中38歳で病死した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【闇の絵画、バロック画家の死】1610年、カラバッジョ38歳。1660年、ベラスケス61歳。1640年、ルーベンス62歳。1669年、レンブラント63歳。1652年、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール58歳。1675年、フェルメール43歳。
【バロック、いかさま師、リアリズムの探求】
カラバッジョ「いかさま師」1595ルーヴル美術館
ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625年ルーヴル美術館、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館
【バロック、欲望に溺れる女、人殺し女、リアリズムの探求】
フェルメール『恋文』
【カラバッジョ、艶めかしい青年、果物籠をもつ少年】カラバッジョ、艶めかしい青年は、凋落を意味する。朽ち果てる果物。命は儚く短い。この世の命は儚く。この世の美は儚く脆い。
――
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【カラバッジョ「音楽家たち」1595-6年】3人が楽器を演奏したり歌ったりしている。4人目の天使はブドウの房に手を伸ばしている。中心となるリュート奏者は、カラバッジョの友人であるマリオミンニティ、そして隣の読書をしている人に対面している人が作者カラヴァッジョらしい。少年たちが愛を祝うマドリガル(牧歌的叙情短詩)を練習している、主演奏者のリュート奏者の目は泪に濡れていた。その歌は愛の喜びよりむしろ悲しみを表している。前景にあるヴァイオリンはこの絵画の隠れた5人目の人物を連想させる。
カラバッジョは1595年、枢機卿一家フランシスコ・マリア・デルモンテの要員に加わった。「音楽家たち」は枢機卿への画家の初めての作品だと推定される。
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【ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625】現代のいかさま師はだれか。医者、弁護士、政治家、僧侶、陽明学者、政治学者、税理士、コンサルタント、営業職、ハウスメーカー、不動産業者。
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【フェルメール『信仰の寓意』1672】女は、天井から青いリボンで吊り下げられたガラス玉をうっとり見つめる。壁面の画中画は、磔刑図。足元に地球を踏みつけ、床にリンゴ、血を吐くヘビがいる。これは、罪の寓意。この絵画は、何を寓意しているのか。
『絵画の寓意』(『絵画芸術』)とともに、フェルメールが描いた現存する二点の寓意画のうちの一つ。
『イコノロジア』からの寓意
フェルメールが絵画に表現した寓意は、イタリア人美術学者チェーザレ・リーパが著した寓意画集で、1644年にD.P.ペルスがオランダ語に翻訳した『イコノロジア (Iconologia overo Descrittione Dell’imagini Universali cavate dall’Antichità et da altri luoghi)』に多くを負っている。フェルメールはこの『イコノロジア』からさまざまな記述と図像を採用している。例えば女性の衣服の配色、手の仕草、リンゴ、押し潰されたヘビである。リーパはその著書で、美徳の中でも信仰がもっとも重要であると考える。
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展示作品の一部
カラヴァッジョ「音楽家たち」1597年
こちらは、画面内に高密度で描かれた4人の美少年が印象的な作品。1597年、26歳のカラヴァッジョが、最初のパトロンとなったデル・モンテ枢機卿のために描いた
ニコラ・プッサン「足の不自由な男を癒す聖ペテロと聖ヨハネ」1655
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館
ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625
ヨハネス・フェルメール「信仰の寓意」1672
ベラスケス工房「オリバーレス伯公爵ガスパール・デ・グスマン」(1587-1645年)
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参考文献
カラバッジョ展・・・光と闇の藝術
https://t.co/2TRjfXSHHK
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0 
エル・グレコ展・・・天上界と地上界の融合、 「昨夜私は永遠を見た」
https://bit.ly/3radRHN
フェルメールと17世紀オランダ絵画・・・ドレスデンの思い出
https://bit.ly/3sPtioB
ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史、国立西洋美術館・・・黄昏の帝国、旅の思い出
https://bit.ly/2C7rE7K
ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
https://bit.ly/2Q14xnz
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メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年・・・美女の歴史、詐欺師女、残酷な美女、欲望に溺れる女
https://bit.ly/3p6BrUA
西洋絵画の500年、カラバッジョ・・・バロック、若者たち、女詐欺師、残酷な美女、欲望に溺れる女
https://bit.ly/3hrwK3b
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「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」国立新美術館、2022年2月9日(水)~5月30日(月)

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2022年2月23日 (水)

メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年・・・美女の歴史、詐欺師女、残酷な美女、欲望に溺れる女

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1715-metropolitan-2022
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』271回

ルネサンス、マニエリスム、バロック、ロココ様式、新古典主義、絵画藝術における美女の歴史を辿ると、美女の意味を考えることができ、人間の理想の探求の歴史を見ることができる。ヴィーナスを藝術家は描いてきたが、美の意味は、変化してきた。ギリシア人の美と、ローマ人、ゲルマン人、スペイン人、ルネサンス人、オランダ人の美は異なる。『パリスの審判』に秘められた思想は、軽薄な現代人には理解できない。バロックの画家は美の理想を探求したのではない。リアリズムを探求したのである。象徴派の藝術家、反リアリズムの藝術家は、ギリシア人の理想を反芻した。現代人は美の意味を考えていない。1870年代のリアリズムを超える藝術は何か。
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ルネッサンス、マニエリスム、ロココ様式
【パリスの審判】神々の饗宴でアプロディーテを選択するトロイ王子パリス。スパルタ王妃美女ヘレネを奪ってトロイに連れ帰りトロイ戦争勃発【ガイアの嘆願】【神々の結婚】【神々の饗宴、争いの女神エリスが黄金の林檎を投げ入れる】【女神の争い】【美女姉妹ヘレネとクリュタイムネストラ、ゼウスがレダと交わって2組の双子】『叙事詩の円環』8部作は失われ、断片のみが残る。
【神々の饗宴、ペレウスとテティスの結婚】海神の一族であるテティスは自由に姿を変えることができたが、ペレウスは逃れようとした彼女をつかまえて離さなかった。2人の結婚式にはほとんどの神々が出席したが、争いの女神エリスだけが招かれなかった。これを恨んだエリスは、黄金のリンゴを祝宴の満座の中に投じ、これが原因となってのちにトロイ戦争が起こる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【ルネッサンス、ヴィーナスの系譜、ティツィアーノ、クラナハ】
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【ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「ヴィーナスとアドニス」1550】ティツィアーノは、「ヴィーナスとアドニス」を30点以上、世界中に残る。注文が多い人気作品、最初の注文はフェリペ2世である。狩りに行くアドニスを追うヴィーナス、出典は、オヴィディウス『変身物語』10巻。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。ティツィアーノ、アウグスブルグで、クラーナハに会う。ルーカス・クラーナハ(父1472~1553年)作『ティツィアーノの肖像』。1576ティツィアーノ、ペストに感染、88歳で死ぬ。
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【ルーカス・クラナハ「パリスの審判」1528】
「勝利と成功か、権力と富か、愛欲か」、どれを選ぶか。3つのうち一つ。
アテナは「戦場での勝利と名声」を、ヘラは「権力と富」を、ヴィーナスは「人間の中で最も美しい女」をそれぞれパリスに約束する。パリスが今一番欲しいのは「美しい女」。ヴィーナスに黄金の林檎を渡す。パリスは、美しい女、ヘレネを選び、トロイは滅亡する。神の罠に掛かって、トロイ滅亡。
「勝利と成功か、権力と富か、愛欲か」あなたなら、どれを選ぶか。3つのうち一つ。これには、正解がある。アテナは、知恵と勝利の女神。
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マニエリスム
エル・グレコ「羊飼いの礼拝」1612-1614、プラド美術館所蔵
生まれたばかりの赤ん坊(キリスト)が描かれ、その身体から放たれた光が周囲を照らしている。キリストの周りには赤ん坊の奇跡の誕生を祝い敬意を表するために集まった羊飼いたちが描かれている。上空には同じくキリストの誕生を祝う天使たちが舞っている。
ニコラ・プッサン「足の不自由な男を癒す聖ペテロと聖ヨハネ」1655

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ロココ様式【支配階級の自己満足】王と貴族の自己満足、老人の自己満足、支配階級の税金の浪費。税金泥棒、真実隠蔽する知識人、統計偽装を隠蔽する報道発表
【フランソワ・ブーシェ「ヴィーナスの化粧」1751】ロココ様式、ルイ14世の時代、何故、空虚な様式なのか。
【フランソワ・ブーシェ「ヴィーナスの化粧」1751】ロココ様式、ルイ14世の時代、空虚な様式なのは、何故か。『ポンパドゥール夫人』(1756年)。ルイ16世(在位:1774年~1792年)が即位すると、装飾性を抑えたルイ16世様式が広まり、ロココ様式の流行は終わる。
ロココ期最後のフランスの画家ジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honoré Fragonard1732年~1806年)、ブーシェの影響を受け、典型的なロココ様式の絵画を描いた。代表作『ぶらんこ』 (1767年)。フラゴナール『閂』(Le Verrou)1778ルーヴル美術館部屋の中で若い男が嫌がっている若い女を抱き寄せ、扉の閂(扉を開閉する棒状の道具)をかける
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バロック、闇の美術、詐欺師女、残酷な美女、欲望に溺れる女
【闇の絵画、バロック画家の死】1610年、カラヴァッジョ38歳。1660年、ベラスケス61歳。1640年、ルーベンス62歳。1669年、レンブラント63歳。1652年、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール58歳。1675年、フェルメール43歳。
【バロック、いかさま師、リアリズムの探求】
カラヴァッジョ「いかさま師」1595ルーヴル美術館
ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625年ルーヴル美術館、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館
【バロック、欲望に溺れる女、人殺し女、リアリズムの探求】
カラバッジョ『ホロフェルネスの首を切るユディト』1599、フェルメール『恋文』
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【カラヴァッジョ「音楽家たち」1595-6年】3人が楽器を演奏したり歌ったりしている。4人目の天使はブドウの房に手を伸ばしている。中心となるリュート奏者は、カラヴァッジョの友人であるマリオミンニティ、そして隣の読書をしている人に対面している人が作者カラヴァッジョらしい。少年たちが愛を祝うマドリガル(牧歌的叙情短詩)を練習している、主演奏者のリュート奏者の目は泪に濡れていた。その歌は愛の喜びよりむしろ悲しみを表している。前景にあるヴァイオリンはこの絵画の隠れた5人目の人物を連想させる。
カラヴァッジョは1595年、枢機卿一家フランシスコ・マリア・デルモンテの要員に加わった。「音楽家たち」は枢機卿への画家の初めての作品だと推定される。
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【ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館、ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625ルート】現代のいかさま師はだれか。医者、弁護士、政治家、僧侶、陽明学者、政治学者、税理士、コンサルタント、営業職、ハウスメーカー、不動産業者。
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【フェルメール『信仰の寓意』1672】女は、天井から青いリボンで吊り下げられたガラス玉をうっとり見つめる。壁面の画中画は、磔刑図。足元に地球を踏みつけ、床にリンゴ、血を吐くヘビがいる。これは、罪の寓意。この絵画は、何を寓意しているのか。
『絵画の寓意』(『絵画芸術』)とともに、フェルメールが描いた現存する二点の寓意画のうちの一つ。
『イコノロジア』からの寓意
フェルメールが絵画に表現した寓意は、イタリア人美術学者チェーザレ・リーパが著した寓意画集で、1644年にD.P.ペルスがオランダ語に翻訳した『イコノロジア (Iconologia overo Descrittione Dell’imagini Universali cavate dall’Antichità et da altri luoghi)』に多くを負っている。フェルメールはこの『イコノロジア』からさまざまな記述と図像を採用している。例えば女性の衣服の配色、手の仕草、リンゴ、押し潰されたヘビである。リーパはその著書で、美徳の中でも信仰がもっとも重要であると考える。
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新古典主義
【ジャン・レオン・ジェローム《ピュグマリオンとガラテア》1890】
ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824年5月11日 - 1904年1月10日)【ピュグマリオーンとガラテア】キプロス王ピュグマリオーンは、現実の女性に失望していた。あるとき自ら理想の女性ガラテアを彫刻した。その像を見ているうちにガラテアが服を着ていないことを恥ずかしいと思い始め、服を彫り入れる。そのうち彼は自らの彫刻に恋をするようになる。さらに彼は食事を用意したり話しかけたりするようになり、それが人間になることを願った。その彫像から離れないようになり、次第に衰弱していく姿を見かねたアプロディーテがその願いを容れて彫像に生命を与え、ピュグマリオーンはそれを妻に迎えた。
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マリー・ドニーズ・ヴィレール 《マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ(1868年没)》 1801年
女流画家による貴婦人の肖像。かつて、新古典主義のジャック・ルイ・ダヴィッドの作品と考えられてきた。
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★展示作品の一部
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「ヴィーナスとアドニス」1550
ルーカス・クラナハ「パリスの審判」1528
カラヴァッジョ「音楽家たち」1597年
こちらは、画面内に高密度で描かれた4人の美少年が印象的な作品。1597年、26歳のカラヴァッジョが、最初のパトロンとなったデル・モンテ枢機卿のために描いた
ニコラ・プッサン「足の不自由な男を癒す聖ペテロと聖ヨハネ」1655
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館
ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625
ヨハネス・フェルメール「信仰の寓意」1672
ベラスケス工房「オリバーレス伯公爵ガスパール・デ・グスマン」(1587-1645年)
フランソワ・ブーシェ「ヴィーナスの化粧」1751
マリー・ドニーズ・ヴィレール 《マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ(1868年没)》 1801年. 油彩/カンヴァス 161.3×128.6cm 1801
ジャン・レオン・ジェローム《ピュグマリオンとガラテア》1890
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参考文献
「ティツィアーノとヴェネツィア派展」
https://t.co/jijpFTn66k
クラーナハ展、500年後の誘惑・・・透明なヴェールの女、女の策略
https://bit.ly/3JlqRl5
カラバッジョ展・・・光と闇の藝術
https://t.co/2TRjfXSHHK
エル・グレコ展・・・天上界と地上界の融合、 「昨夜私は永遠を見た」
https://bit.ly/3radRHN
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち・・・黄金の残照に輝く迷宮都市
https://t.co/TKpdoEcdvW
フェルメールと17世紀オランダ絵画・・・ドレスデンの思い出
https://bit.ly/3sPtioB
メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年・・・美女の歴史、詐欺師女、残酷な美女、欲望に溺れる女
https://bit.ly/3p6BrUA
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参考文献
運命の美人姉妹、クリュタイムネストラ、ヘレネー
トロイア戦争の始まり 失われた『叙事詩の円環』
https://t.co/JjeYXXOypq
https://en.wikipedia.org/wiki/Epic_Cycle
大久保正雄『地中海紀行』第61回トロイア戦争 パリスの審判P29
岡道男『ホメロスにおける伝統の継承と創造』
安村 典子『ゼウスの覇権 反逆のギリシア神話』京都大学学術出版会
城江良知「ガイアの嘆願と『イリアス』」
『キュプリア』によれば,ガイアは、増えすぎた人間の重みに耐えかね,. しかも人間には神 を畏敬する心がまったくなかったため, ゼウスにこの重荷.を軽減してくれるようにと願い出た. ゼウスは同情してまずテーバイ戦争を起こし多数の人間を滅ぼした。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/68585/1/KJ00004263559.pdf
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メトロポリタン美術館の歴史
メトロポリタン美術館は、1866年7月4日、パリでアメリカ独立宣言の90周年を祝うために集ったアメリカの人々によって構想が提案され、その4年後の1870年4月13日に創立されました。アメリカ国民のために美術の教育と振興を図ることを使命とし、実業家や資産家、芸術家といった市民が創立者として尽力しました。創立当初、作品は1点もありませんでしたが、個人コレクターからの寄贈など、関係者の努力によってコレクションを形成し、1872年2月20日、ニューヨークのマンハッタンの小さな建物の中で一般公開を開始します。そして1880年、現在の場所である、セントラル・パーク内の建物に移りました。以来拡張を続け、現在では、先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しています。
ヨーロッパ絵画部門
ヨーロッパ絵画部門のコレクションは、メトロポリタン美術館の創立から1年後の1871年、ヨーロッパの画商から購入した174点の絵画から始まりました。以来、寄贈・遺贈と購入により拡充が続けられ、現在は、13世紀から20世紀初頭まで、2500点以上に及ぶヨーロッパ各国の絵画を所蔵しています。同部門の常設展ギャラリーは美術館の2階に位置しますが、2018年より照明設備を改修する「スカイライ ト・プロジェクト」が進められています。電灯が普及する以前の19世紀末まで、絵画は自然光のもとで描かれ、鑑賞されていました。スカイライト・プロジェクトは、天窓からの自然光をギャラリーの照明に活用することで、より快適で自然な鑑賞環境を整える試みです。本展は、この改修工事をきっかけとして実現しました。国立新美術館
https://www.nact.jp/exhibition_special/2021/met
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「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」国立新美術館、2022年2月9日(水)~5月30日(月)

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