2023年9月30日 (土)

「永遠の都ローマ展」・・・カピトリーノのヴィーナス

Roma-tokyo-met-1-2023
Roma-venus-of-capitolino-met-2023
Roma-capitolino-romilus-remus-met-2023
Roma-foro-romano-tokyo-met-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第342回
フォロ・ロマーノを歩くと、古代ローマの英雄たち、ローマ皇帝、憂いの藝術家、メディチ家の雄姿、いにしえの人の記憶が蘇る。
カピトリーノの丘、カンピドリオ広場、フォロ・ロマーノ、サトゥルヌス神殿、セプテイミウス・セベルスの凱旋門、コンスタンティヌス帝の凱旋門、コロッセオ、皇帝ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア)、トラヤヌス帝の記念柱、パラティーノの丘、コンスタンティヌス帝の巨像、ここは、ローマ帝国の中心地である。
【「カピトリーノのヴィーナス」AD2C】ギリシア彫刻のローマ帝国時代の摸刻(ローマン・コピー)。原作は、プラクシテレス「アフロディーテ」、プラクシテレスの息子、小ケフィソドトスの彫刻(BC4C-3C)である。ローマ文化はコピー文化である。(Musei Capitolini)
【永遠の都ローマ、皇帝の死】ユリウス・カエサル(前100~前44年)55歳、アウグストゥス帝(前63~前14年)49歳、ネロ帝(紀元37~68)31歳、ハドリアヌス帝(76~138)62歳、コンスタンティヌス大帝(274?~337)63歳、ユスティニアヌス帝(483~565)81歳、ミケランジェロ(1475年3月6日~1564年2月18日)88歳。シクストゥス4世(1414~1484)70歳。最高権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【陰謀教皇、シクストゥス4世】【1478年のパッツィ家の陰謀】に加担してメディチ家の打倒をはかったが失敗。これは【ロレンツォ・デ・メディチとその兄弟を暗殺】してフィレンツェの支配者の地位にジロラモ・リアリオをつけようとした企てであった。計画の首謀者とされたピサ大司教はシニョリーア宮殿の壁に吊るされて殺された、教皇庁とフィレンツェは以後2年におよぶ戦争状態に突入。同時にシクストゥス4世はヴェネツィア共和国に対してフェラーラ公国を攻撃するようすすめる。別の親族にフェラーラを治めさせる意図があった。教皇の陰謀はイタリアの都市君主たちを怒らせ、同盟を結ばせる。教皇の示唆によって【1482年におこなわれたヴェネツィア軍のフェラーラ攻撃】に対して、ミラノのスフォルツァ家、フィレンツェのメディチ家、ナポリ王国のみならず本来教皇の同盟者であった人々までが同盟を組んでこれを阻止。
――
【皇帝ネロ、彫刻コレクション】黄金宮殿にあった。この遺跡の中で発見された彫刻は、「ラオコーン」バティカン博物館に移されている。カピトリーニ美術館の「瀕死のガリア人」やローマ国立博物館(アルテンプス宮)の「妻を殺して自殺しようとするガリア人」の像などが有名。「美しい尻のヴィーナス」(Venus Kallipygos)BC1世紀。オリジナル作品は、紀元前300年頃にギリシアで作られたブロンズ像であった。16世紀に頭部が欠けた状態で、ローマ皇帝ネロに関連する遺跡から発掘された。彫像はイタリアの名門貴族ファルネーゼ家のコレクションに加えられた後、現在のナポリに移動された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
《マイナスを表す浮彫の断片》 1世紀  カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
カラヴァッジョ派、メロンを持つ
ドメニコ・ティントレット 《鞭打ち》 17世紀 カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
《カピトリーノのヴィーナス》 2世紀 カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
本展では、古代ローマ彫刻の傑作《カピトリーノのヴィーナス》が初来日し、東京会場限定で展示。同作は、古代ギリシア最大の彫刻家プラクシテレスの作品に基づく女神像であり、ルーヴル美術館の《ミロのヴィーナス》、ウフィツィ美術館の《メディチのヴィーナス》と並ぶ、古代ヴィーナス像の傑作として知られている。本展は、門外不出の彫刻を目にすることができる貴重な機会となる。
古代ローマ建国を伝える伝承・神話
《カピトリーノの牝狼(複製)》 ローマ市庁舎蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
本展は、全5章から構成。まず第1章では、ローマを象徴する「カピトリーノの牝狼」を起点に、古代ローマの建国にまつわる伝承や神話に光をあてる。ローマ建国神話を代表するエピソードのひとつが、軍神マルスと巫女レア・シルウィアのあいだに生まれた双子、ロムルスとレムスを育てる牝狼の物語だ。本章では、《カピトリーノの牝狼(複製)》を展示するとともに、建国神話を表す古代彫刻やメダルなどから、その表現の伝統をたどってゆく。
《イシスとして表わされたプトレマイオス朝皇妃の頭部》
紀元前1世紀から紀元後1世紀 カピトリーノ美術館分館モンテマルティー二美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
古代ローマ帝国は、紀元前1世紀、ユリウス・カエサルとその遺志を継いだオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)によってその礎が築かれ、続く皇帝たちのもとで繁栄することになった。第2章では、古代ローマ帝国の栄光に焦点を合わせ、歴代ローマ皇帝や帝国ゆかりの女性たちの肖像などを紹介。また、帝国の栄華を象徴する《コンスタンティヌス帝の巨像》の一部を原寸大複製で展示する。
ローマ、芸術の霊感源として
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《トラヤヌス帝記念柱の正面全景》
1774-75年 ローマ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico del Museo di Roma
ディオニュソス、ハドリアヌス帝時代、カピトリーノ美術館
数多くの古代遺跡を擁するローマは、17世紀以降、グランドツアーの隆盛などを背景に、イタリア内外の芸術家に着想を与えてきた。第5章では、古代建築やその装飾といったローマ美術からインスピレーションを得て制作された作品に着目。古代記念碑「トラヤヌス帝記念柱」を題材とする版画や模型に加えて、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージやアントニオ・カノーヴァなどの名品も目にすることができる。
――
参考文献
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
南川高志『ローマの五賢帝――「輝ける世紀」の虚像と実像』1998初刊 2014講談社学術文庫p.82-83
南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』 (岩波新書) 2013
南川高志『ローマ皇帝とその時代 元首政期ローマ帝国政治史の研究』創文社
スエトニウス『ローマ皇帝伝』岩波書店
プルタルコス『英雄伝』岩波書店
――
古代ローマ帝国の遺産・・・豹を抱くディオニュソス、帝国の黄昏
地中海 四千年のものがたり・・・藝術家たちの地中海への旅
ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり・・・ギリシア文化の輝き
ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス
「永遠の都ローマ展」・・・カピトリーノのヴィーナス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-29f875.html
――
特別展「永遠の都ローマ展」は、「永遠の都」と称されるローマの歴史と芸術を紹介する展覧会。世界でもっとも古い美術館のひとつ、ローマ・カピトリーノ美術館の所蔵品を中心とする作品とともに、2000年を超える歴史と文化をたどってゆく。
カピトリーノ美術館が建つカピトリーノの丘は、古代には最高神を祀る神殿が置かれ、現在はローマ市庁舎が位置するなど、ローマの歴史と文化の中心地であった。カピトリーノ美術館の歴史は、ルネサンス期の教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことに始まり、以後、古代遺物やヴァチカンに由来する彫刻、ローマの名家からもたらされた絵画などを収蔵してきた。
2023年は、日本の明治政府が派遣した「岩倉使節団」がカピトリーノ美術館を訪ねて150年の節目にあたります。使節団の訪欧は、のちの日本の博物館施策に大きな影響を与えることになりました。この節目の年に、ローマの姉妹都市である東京、さらに福岡を会場として、同館のコレクションをまとめて日本で紹介する初めての機会となります。
――
永遠の都ローマ展、東京都美術館、9月16日(土)~ 12月10日(日)
福岡市美術館にも巡回予定、福岡市美術館 2024年1月5日(金)~ 3月10日(日)

| | コメント (0)

2023年9月15日 (金)

楽しい隠遁生活・・・山水に遊ぶ、桃源郷、李白「望廬山観瀑」、北斎「李白観瀑図」

Inton-senoku-0902-2023
Inton-senoku-16-2023
Inton-senoku-2023
Rihaku-shiikashashinkyou-hokusai-adaci-2
Rihaku-kanbakuzu-kawanabe-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第341回

隠者は、竹林の七賢人、王義之、陶淵明、蘇東坡、李白、抵抗する知識人の精神史である。
竹林の七賢人は、権力に抵抗し、難を避け、隠遁した者、老荘思想に基づいて、桃源郷に遊び、詩書、無弦琴を愛でる。王羲之『蘭亭序』、陶淵明『桃花源記』、蘇東坡『赤壁の賦』、李白『望廬山観瀑』『山中問答』、遊山慕仙の世界は、嵯峨天皇と空海の生きかたに反映している。嵯峨天皇は、流水濫觴の宴を催し、嵯峨院に隠退、空海は、天長8年、大僧都を辞するが、許可されず。
九十老人卍筆、北斎「李白観瀑図」(1849)ボストン美術館、北斎(1760~1849)90歳の作品。北斎「詩歌写真鏡・李白」千葉市美術館、天保4-5、1833-34
河鍋暁斎「李白観瀑図」が存在したが、今は行方不明。
――
【中国の隠者】竹林の七賢人、3世紀中国三国魏末に、清談を行なったり交遊した七人、陰惨な状況で奔放な言動は死の危険があり、俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対する慷慨、憤りと、その意図の韜晦。阮籍、嵆康、山濤、劉伶、阮咸、向秀、王戎。
【中国の隠者、山水に遊ぶ、桃源郷】王義之(303~361)東晋の官僚、書家、『蘭亭序』を書き隠退58歳で死す、陶淵明(365~427)魏晋南北朝の詩人62歳で死す、李白(701-762)諸国を放浪の後玄宗に仕えたが、安史の乱で入獄。762年に61歳で死す。
【竹林の七賢、王戎(234-305)】琅邪の王氏。王導、王羲之(303-361)、王献之を生む一族。
東晋の王羲之は、書の名人。権謀術数の官界を嫌い会稽県に赴任、永和九年(353)三月三日に会稽山の山陰の蘭亭にて曲水流觴の宴をひらき、『蘭亭序』を書き、上司王述を避け355年、49歳で官界を引退した。自由の身となり書を書き59歳で死す。*
【王羲之『蘭亭序』】【唐の太宗皇帝が王羲之の書を愛し】その殆ど全てを集めたが、蘭亭序だけは手に入らず、最後には家臣に命じて、王羲之の子孫にあたる僧の智永の弟子弁才の手から騙し取らせ、自らの陵墓である昭陵に副葬させた。唐の何延之『蘭亭記』。
旅する詩人
【李白、旅する詩人(701-762)】李白がはじめて長安にのぼったのは742年。42歳の時。長安で李白は賀知章(659-744)の知遇を得る。賀知章は玄宗皇帝に仕え、詩壇の長老。賀知章は李白の仙人的な人柄を気に入る。「お前の才能はこの世のものではない。まるで天から流されてきた仙人のようだ(謫仙人)」。742年、李白は賀知章の推挙を受けて翰林供奉となる。
【李白、旅する詩人】玄宗皇帝の側近、宦官の高力士と対立。李白が詩で楊貴妃の美しさを前漢の美人、趙飛燕になぞらえる。趙飛燕は前漢の成帝に愛され皇后になるが成帝の崩御後、庶民にまで落ち自殺した。李白は失脚、長安を追われる。744年、李白44歳。宮廷詩人として活躍したのは僅か3年間。長安を去り李白は再び遍歴生活に戻る。*『清平調詞』二
【李白 黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る】古くからの友人(孟浩然)は、西にある黄鶴楼に別れを告げ、花が咲き春の霞が立つ三月、揚州へと長江を下っていった。遠くに見える一そうの舟の帆も青空に消えて、ただ、長江が天の果てまで流れていくのを見るばかりである。
【李白「山中問答」】余に問う何の意ありてか碧山に棲むと。笑って答えず心自ら閑な り。桃花流水杳然として去る。別に天地の人間(じんかん)に非ざる有り。
私に問いかける人がいる。なぜ山深い所に住んでいるのか。笑って答えず、心は静かである。満開の桃の花がひとひら、川面に散り、彼方まで流れ去る。ここは俗世間とは隔絶した場所
【李白「望廬山観瀑」】日は香炉を照らして紫煙を生ず。遥かに看る瀑布の長川(ちょうせん)を掛くるを。飛流直下三千尺。疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと。
香炉峰にたなびく美しい霧、そこを流れ落ちる滝、川の流れが縦に落下する、この雄大な絶景は銀河、宇宙に内包される、美しい「起承転結」の世界。
【廬山】長江の南にある仏教や道教の霊山。白楽天の詩で有名な香炉峰などがあり。雨や霧が多く、雲海の上に山が聳え立つ様子を見ることができる。ここは周代から道士や隠棲者とかかわりが深く、陶淵明もこの山のふもとに隠居した。
【旅する詩人、孟浩然】(689-740)。湖北省襄陽市の人。青年時代は故郷の鹿門山に隠棲。40歳ごろ長安に出て科挙を受験するが落第。郷里に戻る。一時張九齢の招きで任官するがすぐに官職を辞す。江南地方を放浪して一生を終える。生涯、出世には縁が無かったが、その詩才は高く評価される。王維・李白・張九齢らと交流があり。自然を歌った詩に名作が多い。王維と並んで「王孟」と並び称され、中唐の韋応物、柳宗元と並び王孟韋柳とも称される。『春暁』『洛陽にて袁拾遺を訪ふて遇はず』
【北斎「李白観瀑図」】「九十老人卍筆」、北斎「李白観瀑図」1849は90歳で亡くなる年に描かれている「ボストン美術館肉筆浮世絵展」。若い頃、北斎【北斎「詩歌写真鏡・李白」】千葉市美術館、天保4-5、1833-34、に描いている。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
石濤「廬山観瀑図」、
田能村竹田「梅渓閑居図」
伝 仇英《山水人物図(陶淵明図)》(部分) 中国・明時代 泉屋博古館
橋本雅邦《許由図》明治33年(1900) 泉屋博古館東京
重要美術品 伝周文《山水図》室町時代(15-16世紀)  泉屋博古館
長吉《観瀑図》(部分) 室町時代(16世紀) 泉屋博古館
――
陶淵明『桃花源記』南北朝時代(4~5世紀)
中野美代子『中国の隠者』
中野美代子『酒池肉林』
「上兵は謀を討つ。最高の戦略は、敵の陰謀を討つことである」『孫子』謀攻篇
権力と戦う知識人の精神史 春秋戦国奇譚
https://bit.ly/2P3rfID
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
感染爆発、帝国と都市国家の戦い。この世の果てを超えて、旅する詩人・・・「時の関節が外れた」シェイクスピア
https://bit.ly/2XoaNcd
「大英博物館 北斎─国内の肉筆画の名品とともに─」・・・北斎、最後の旅
https://bit.ly/3rGjzkF
楽しい隠遁生活・・・山水に遊ぶ、桃源郷、李白「望廬山観瀑」、北斎「李白観瀑図」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-e3a559.html
――
展示構成
1. 自由へのあこがれ「隠遁思想と隠者たち」
隠遁の根底にあるのは「脱俗」の考えです。人の心を惑わす富貴や栄華などの世俗的な欲望を絶ち、自然の中でその摂理に身をゆだねて生活することが、隠遁の理想とされてきました。その背景には、現実への絶望感が見てとれます。高い理想を持っていても、現実世界において理想を実現することはしばしば困難を伴うからです。自己を滅し世間に妥協して生きるよりも、理想を堅持しながら自然の中で暮らす道を選び生きたのが、隠遁者たちです。
彼らは知識階級に属しながら政治の世界を俗として仕官せず、世間から隠れて高潔に生きる人々で、隠者や隠逸、高士などともよばれています。
聖天子の尭に招かれても、これをけがらわしいとした「許由」など古代中国の著名な隠者や三国時代末(3世紀)の「竹林の七賢」、南北朝時代(4~5世紀)の「陶淵明」などは、後世まで絵画工芸の主題となっています。また、そうした隠者たちの静閑の暮らしは日本の文人たちの規範として享受もされています。平安・鎌倉時代の「西行」や、江戸時代の「芭蕉」らも俗世を離れた草庵暮らしを積極的に求めた隠者といえます。
https://www.artpr.jp/senoku-tokyo/joifulseclusion2023
ーー―
楽しい隠遁生活 文人たちのマインドフルネス、泉屋博古館東京、
2023年9月2日(土)~2023年10月15日(日)

| | コメント (0)

2023年8月26日 (土)

仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教

Budda-22023
Buddha-of-gandhara-45-c-1-2023
Buddha-salnat-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第340回

【仏教2500年の旅】仏陀入滅80歳(BC485年383年)、アレクサンドロス大王バクトリア征服(BC328)、ガンダーラ美術(1世紀-3世紀)、マトゥラー『仏陀立像』クシャーン朝・2~3世紀)、ヴァスバンドゥ(世親320-400年) 『唯識三十頌』『仏性論』『倶舎論』、アジャンタ石窟寺院(グプタ朝時代5世紀)、鳩摩羅什(4世紀)、サールナート『初転法輪の仏陀』(グプタ朝時代5世紀)、魏晋南北朝(司馬炎-589年まで)
【原始仏教】ゴータマ・ブッダ、釈迦族に生まれる。前463頃、カピラバストゥ、ルンビニに生まれ、前383頃、クシナガラにて死す。仏教の開祖。釈迦牟尼Śākya muni。シャカ族の国王浄飯王を父とし、摩耶夫人を母とし、姓をゴータマ Gotama (瞿曇) 、名をシッダールタ Siddhārtha (悉達,悉陀) という。生後まもなく母を失い、叔母の手で養育された。 16歳で結婚,息子ラーフラをもうけたが、
【四門遊観】迦毘羅城の東西南北の四つの門から郊外に出遊、東門を出て杖に縋る老人を見、生あれば老あるを悟り、西門を出て病人に会い、生あれば病あるを知り、南門を出て死人に会い、生あれば死あるを知り、北門を出て高徳の沙門に会い、苦諦に目を開き、出家を決意した『大辞泉』。
29歳のとき意を決して出家。修行の末、35歳頃ブッダガヤーの菩提樹の下で悟りを開き、ブッダ buddha (仏陀 ) 、すなわち覚者となった。ワーラーナシの郊外サールナートの鹿野苑で最初の説法【初転法輪】を行い、以後 80歳で没するまで,ガンジス川流域の中インド各地を周遊して人々を教化した。四諦、八正道。五蘊皆空、十二因縁、六入、涅槃。
【四苦八苦】生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦。仏教は四苦八苦から生きものを救うことから始まる。業を起因する輪廻転生を真理の証悟によって解脱する教え。五蘊は認識作用の対象。
【五蘊皆空】「五蘊」は人間を形成する五つの要素。色(肉体)、受(感覚)、想(想像)、行(意志)、識(判断)の対象は、実体ではない。『般若心経』
【五蘊】五陰ともいう。「蘊」は集まりの意味で、サンスクリット語のスカンダskandhaの訳。仏教では、一切の存在を五つのものの集まりと解釈し、その五つも、やはりそれぞれ集まりからなる、とする。五つとは、色(しき)蘊(対象を構成している感覚的・物質的なものの総称)、以下は主体の意識において、受蘊(なんらかの印象を受け入れること)、想蘊(イメージをつくる表象作用)、行蘊(ぎょううん)(能動性をいい、潜在的にあり働く)、識蘊(具体的に対象をそれぞれ区別して認識する働き)をいう。このように、一切を、色―客観的なもの、受・想・行・識―主観的なものに分類する考え方は、仏教の最初期から一貫する優れた伝統とされる。[三枝充悳]
【仏教の矛盾】無我(anātman)説と輪廻転生(saṃsāra)は、根本的に矛盾する。この矛盾をどのように解決するのか。この問題は、婆羅門教のアートマンと仏教の無我説の対立に根源がある。仏教2千5百年、多彩な仏教の学派には、この問題を解く学派がある。
【ガンダーラの思想家】瑜伽行唯識Yogācāra学派。無著(Asaṅga)は、4世紀後半から5世紀前半に活躍した乾陀羅の仏教学者。瑜伽唯識思想の大成者。ガンダーラのプルシャプラのバラモンの家柄に生まれ、部派仏教の一派(説一切有部とも化地部)で出家。代表作『摂大乗論』。兄弟3人のうちの長男。次男には説一切有部から唯識派に転向して大成した世親(Vasubandhu、400-480)。『倶舎論』のほかに『弁中辺論』『唯識三十頌』『摂大乗論釈』などがある。7世紀ころより有相唯識派と無相唯識派に分かれる。
――
【仏身論、三身論】trikāya。法身(永遠不滅の真理で釈迦の本身)、報身(単に永遠の真理でも無常の人格でもなく、真理を悟った力をもつ人格的仏)、応身(衆生救済のため,真理により現世に姿を現した仏)。
瑜伽行唯識学派で完成された三身説では、三身を順次に自性身、受用身、変化身という名でよぶ。長尾雅人「仏身論をめぐりて」1971、
https://repository.kulib.kyoto-.ac.jp/dspace/bitstream/2433/273454/1/jps_45_03_179.pdf
【仏身論、三身説】仏身に関する思索が深まり、瑜伽行派の弥勒、無著、世親らの論師たちによって最終的に3種の仏身をたてる〈三身説〉が成立した。三身とは(1)法身(ダルマ・カーヤdharma‐kāya)、(2)報身(サンボーガ・カーヤsambhoga‐kāya)、(3)応身(化身、ニルマーナ・カーヤnirmāṇa‐kaya)の3種、あるいは(1)自性身(スババーバ・カーヤsvabhāva‐kāya)、(2)受用身(サンボーガ・カーヤsambhoga‐kāya)、(3)変化身(ニルマーナ・カーヤnirmāṇa‐kāya)の3種をいう。これら三つは論師あるいは宗派によって異なる。
――
蓑輪 顕量「中世における仏身論の展開」仏教文化研究論集2020
密教が成立すると,独自の視点から更に新しい捉え方が登場した.それが四種法身説である。四種法身説とは自性身,受用身,変化身,等流身を言う。
――
「無著、世親」運慶の晩年に制作された興福寺北円堂諸像の中の二体。運慶の指導の下、無著は六男の運助、世親は五男の運賀が担当した。無著像は老人の顔で右下を見、世親像は壮年の顔で左を向き遠くを見る。天平彫刻の写実、弘仁彫刻の繊細が融合。運慶『無着像』は西行がモデル。田中英道。
【中観派】2、3世紀、龍樹(Nāgārjuna)『中論』などを基本的な典籍とする。龍樹は般若経典を背景として、「すべては、人間が想定しがちな不変で固定的な本質をもつものではない」という空の思想を、論理性の高い表現によって、日常的なことばや思考のもつ矛盾を暴露することを通じて明らかにした。その後、提婆(3世紀)は龍樹の考えを体系化しようと努力、5、6世紀には仏護が『中論』の忠実な注釈を試み、清弁は空の思想を論理学的な推論式で積極的に論証する方法を確立、7世紀には月称が清弁を批判して、相手の論法に沿った形でその論法の不合理性を明らかにする帰謬論証のほうがより有効であるとした。後代、中観派が清弁側の独立論証派と月称側の帰謬論証派に分裂する。[江島惠教]
【唯識論と中観派の対立】弥勒、無着、世親の仏教は瑜伽行派と呼ばれ、龍樹、提婆の中観派とともにインド大乗仏教の二大主流となって、鋭く対立した。中国や日本に広く流伝した。
【三蔵法師、玄奘、太宗皇帝】玄奘は、仏典の研究には原典に拠るべきであると考え、仏跡の巡礼を志し、貞観3年(629年)、唐帝国に出国許可を求めたが得られず国禁を犯して密出国。西域の商人らに混じって天山南路の途中から峠を越えて天山北路へとルートを辿って
【三蔵法師、玄奘、太宗皇帝】密出国から16年を経た貞観19年1月(645年)、657部の経典を長安に持ち帰った。皇帝太宗も玄奘の業績を高く評価した、16年前の密出国の件について玄奘が罪を問われなかった。太宗のために『大唐西域記』を執筆。仏教と経典の保護を高宗
【玄奘、三蔵法師】26歳の時、法律を破って一人、インドへ旅立つ。40歳まで学問を深め、中国に仏教を伝えたいと帰ることを決意。インドのサンスクリット語で書かれた経典を22頭の馬に積んで旅する。43歳のとき帰国。経の翻訳に人生を捧げる。『解深密経』『大般若経』『般若心経』『倶舎論』『唯識三十頌』『唯識二十論』『瑜伽師地論』。弟子の窺基(きき)が法相宗を開いたので、玄奘は後に唯識に基づく法相宗の開祖といわれる。602年~664年。
【螺鈿紫檀五絃琵琶、正倉院756年】沙漠を超えて、千二百年前からきた旅人。駱駝に乗って琵琶を演奏する波斯人。裏面に散り乱れる宝相華文。琵琶を奏でる、千二百年の旅人。天平の音色が漂う。56歳で亡くなった聖武、五絃琵琶を光明皇后が東大寺盧遮那仏に献じた。
【密教】8世紀、密教が伝来する。善無畏と一行訳『大毘盧遮那成仏神変加持経』(725)。【不空金剛】(Amoghavajra,705-774)は、唐の開元8 (720) 年洛陽に来て金剛智の弟子となり、師の没後,同 29年セイロンに渡り,密教経典を集め、天宝5 (746) 年再び長安に入った。以後 30年間、玄宗、粛宗、代宗の3皇帝の優遇を受け、『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経』以下 80部以上の密教経典を訳した。
――
飛鳥、白鳳彫刻、天平、弘仁貞観
【飛鳥文化、推古天皇】法隆寺金堂の釈迦三尊像が光背裏の銘文から,推古 31 (623) 年3月,その前年に亡くなった聖徳太子のために止利仏師 (鞍作止利) が造立した。六朝時代末、北魏様式の影響を受ける。『日本書紀』の天智天皇9 (670) 年4月の条の法隆寺炎上の記事をめぐって再建非再建の論争。白鳳期の美術であり、推古期の建築は現存しない。
――
【密教の起源】750年8世紀初めから半ば、唐に善無畏、金剛智が順次に来唐し、善無畏が『大日経』を、金剛智が『金剛頂経』を翻訳して中国に組織的な密教経典が備わる。不空はセイロン(スリランカ)に渡って密教を学び、帰国して80余部の密教経典をはじめ数多くの経典を訳して密教を大成、唐の玄宗、粛宗、代宗の厚い信任を受けた。不空の弟子のうち恵果は真言密教の秘奥を究め、晩年、日本から入唐した空海にその奥義を伝えた。[勝又俊教]【密教】秘密仏教。インド大乗仏教の末期(7世紀後半)に興起した一流派。
【空海、波瀾の遣唐船漂流、謎の生涯】24歳で『聾瞽指帰』を書く。57歳で『秘蔵宝鑰』を書く。大学入学18歳から31歳、遣唐使留学僧、入唐まで、大学寮明経科中退、山林修行、私度僧。東大寺にて得度、遣唐使留学層派遣、謎の12年間。宝亀5年(774)6月15日生まれる。承和2年(835) 4月22日入定、62才。
【空海の書】空海は日本書道界の祖、嵯峨天皇とともに二聖と呼ばれ、また橘逸勢を加えて三筆とも呼ばれる。世に空海筆と称されるものは数多いが、確実に彼の筆と認められるのは《風信帖》《灌頂歴名》《真言七祖像賛》《聾瞽指帰》《金剛般若経開題》《大日経開題》《三十帖策子》
――
智慧と慈悲
【智慧】梵語: prajñāの訳語である場合。この場合の智慧は、 prajñā の音写語である般若と同等の意味合いで用いられる。六波羅蜜および三学の一つ。智がジュニャーナ(梵語: jñāna)の訳語として用いられ、慧が梵語: prajñāの訳語として用いられる場合。この場合は、智が慧と区別されて用いられる。
【慈悲】「慈」はサンスクリット語のmaitrī(友情)にあたり、深い慈しみの心をさし、「悲」はkarunā(同情)にあたり、深い憐(あわれ)みの心をさす。仏典では、生きとし生ける者に幸福を与える(与楽)のが慈であり、不幸を抜き去る(抜苦)のが悲である。藤田宏達、「慈悲」 『日本大百科全書』
――
七支刀
学生時代、友人と3人で、早春、山の辺の道、大神神社、石上神宮、を歩いた。石上神宮にて、七支刀について質問した。回答が得られたのは数十年後、東京国立博物館、研究員に質問したところ、回答を得た。
出雲と大和展、七支刀
https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/category/108/
――
参考文献
無我説と輪廻転生、仏教の根本的矛盾・・・識體の転変、種子薫習。名言種子、我執種子、有支種子
https://bit.ly/2U9rO6s
法隆寺と聖徳太子・・・美術史の謎、飛鳥、白鳳、天平
https://bit.ly/2XE6s7q
「密教彫刻の世界」・・・愛染明王、金剛薩埵の化身
https://bit.ly/2WNIoNt
「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」東京国立博物館・・・空海、理念と象徴
https://bit.ly/3fyOaYF
金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、転識得智、仏陀への旅
https://t.co/MIXigqe3xH
東寺『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』西院本・・・知恵と無明の戦い、生命の根源
https://bit.ly/315UPn8
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
東寺『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』西院本・・・知恵と無明の戦い、生命の根源
https://bit.ly/315UPn8
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html

| | コメント (0)

2023年8月20日 (日)

日本画に挑んだ精鋭たち ―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ―

Yamatoe-0729-1-2023
Yamatoe-0729-kawahata-ryushi-2023
Yamatoe-uemura-0729i-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第339回

師、岡倉天心が辞職し、弟子たちは殉教する【東京美術学校事件】明治31年1898年、岡倉天心の東京美術学校辞職で学校に反旗を翻す、急進派として懲戒免職。横山大観ら14人は辞職する。1898年、岡倉天心は日本美術院を設立。岡倉天心のもとで、横山大観(1868~1958)、菱田春草、下村観山らとともに日本画の革新を目指し、東洋の精神に西洋画の手法を取り込み、新しい表現様式を追求した。輪郭線を使わず、色彩の面的な広がりにより空気を描く技法を用いて、「朦朧体」と誹謗中傷された。【朦朧派】大観、春草、らは、朦朧体を用い、朦朧派と呼ばれ、貧苦に喘ぐ。【流燈1909】横山大観は『流燈』1909で女性像を描き、新境地を拓くまで苦労した。『流燈』は、明治36年(1903)1月~7月に菱田春草とともに派遣されたインド旅行の体験を踏まえ、日本美術院の五浦研究所において完成した。
【院展】創設されたばかりの日本美術院(院展)で、横山大観や菱田春草たちは、輪郭線を使わない技法「朦朧体」で空気を表現することに努める、実験的な試みを行い、日本画に新たな局面を切り開いた。
政府主導の官展や画壇の中心にいた院展に対抗する画家が、青龍社(東京)、国画創作協会(京都)など美術団体を立ち上げ、画壇に大きな旋風を巻起こした。
【国画創作協会】土田麦僊、村上華岳、甲斐荘楠音。村上華岳、甲斐荘楠音は、アジャンタ石窟、レオナルド『モナリザ』『岩窟の聖母子』から学んだ妖艶な女性像を生み出した。
【青龍社】川端龍子(1886-1966)は、修行のためにアメリカに渡り、帰国後日本画に転向、独学で日本画を学んだ龍子は院展の同人になる。独創的な発想と斬新な色使いで構成された巨大な作品を好んだ。院展を脱退。自らが主催する青龍社を立ち上げ、以後亡くなるまで青龍展で作品を発表し続けた。「昭和の狩野永徳」と呼ばれた。青龍社の第一回展《鳴門》1929は、希少な岩絵具の群青を多用、大胆な構図を構想した。川端龍子は「健剛なる芸術」の創造を唱え、大衆に訴える作品を描き続けた、従来の「床の間芸術」に対抗し、広い展示場での展示に耐える、「会場芸術」を追及した。
【千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず】一日に千里も走ることのできる名馬は常に存在するが、それを見いだす伯楽は常に存在しない。世の中に有能な人はたくさんいるが、その才能を見いだせる人物は少ない。いつの時代でも有能な人材はいるが、才能を見抜く名人はいない。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
横山大観「波上群鶴」明治30年代、個人蔵
菱田春草《雨後》1907(明治40)年頃 絹本・彩色 山種美術館
土田麦僊《大原女》1915(大正4)年 紗本金地・彩色 山種美術館
川端龍子《鳴門》1929(昭和4)年 絹本・彩色 山種美術館
上村松園《牡丹雪》1944(昭和19)年 絹本・彩色 山種美術館
速水御舟《白芙蓉》1934(昭和9)年 紙本・墨画彩色 山種美術館
――
参考文献
没後80年記念「竹内栖鳳」・・・竹内栖鳳「班猫」村上華岳「裸婦図」
https://bit.ly/3TkPJ0z
甲斐荘楠音の全貌・・・退廃の美薫る、謎多き画家、東映京都の時代考証家、趣味人、レオナルドの面影
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-6cb36a.html
速水御舟『炎舞』『粧蛾舞戯』『名樹散椿』、山種美術館・・・舞う生命と炎と闇
https://bit.ly/2KCbOrW
「没後50年 横山大観」国立新美術館・・・天心と憂愁の詩人、『屈原』悲愴美
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/50_9647.html
細川家の至宝、珠玉の永青文庫コレクション・・・織田信長「天下布武」と菱田春草「黒き猫」
https://bit.ly/2Pjv8Kx
特別展 日本画に挑んだ精鋭たち ―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ―
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-cc9c4e.html
――
明治時代に入り、西洋文化を取り入れつつ社会の近代化が進む中、画家たちは西洋画に匹敵、あるいは凌駕する日本の絵画を生み出そうと努めました。創設された日本美術院(院展)では、実験的な表現に取り組む画家たちがいました。大正・昭和時代を迎えると、政府主導の官展や画壇の中心にいた院展に対抗する画家が、青龍社(東京)、国画創作協会(京都)など美術団体を立ち上げ、画壇に大きな旋風を巻起こしました。
本展では、輪郭線を使わない技法「朦朧体」で空気の表現を試みた横山大観の《波上群鶴》(個人蔵)、菱田春草の《雨後》、女性が画家として生きる道を切り開いた上村松園の《牡丹雪》、希少な岩絵具の群青を大量に用いて記念すべき展覧会(第1回青龍展)へ出品した川端龍子の《鳴門》、10代で「日本画滅亡論」に直面するも後に日本を代表する画家となった松尾敏男の《翔》(山種美術館賞受賞作)などをご紹介いたします。明治時代から現代にいたる多彩な作品を通し、新たな日本画の創造に挑んだ精鋭たちの軌跡をご覧ください。
https://www.yamatane-museum.jp/exh/2023/elites.html
――
特別展 日本画に挑んだ精鋭たち ―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ、山種美術館、2023年7月29日(土)~2023年9月24日(日)

| | コメント (0)

2023年8月17日 (木)

マティス展・・・南仏の光《豪奢、静寂、逸楽》、色彩と線への旅

Matisse-met-2023
Matisse-1907-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第338回

20世紀美術を代表する画家の一人、アンリ・マティス[1869~1954]、フォーヴィスム(野獣派)で有名だが、生涯、色彩と線への旅をつづけ、84歳で死す。
裕福な家庭に生まれ、法律家の道を歩んでいたマティス。画家を志したのは21歳のとき、病気で療養中だった彼に母親が絵具箱を贈ったことがきっかけである。法律の学位を得て代訴人の仕事をしていたマティスは、23歳でギュスターヴ・モローの弟子となる。
美術学校や画家のもとで教えを受け、ルーヴル美術館で古典作品の模写をし技術を磨いていったマティスは、次第に自分自身の表現を探求する。
《豪奢、静寂、逸楽》1904年、35歳
《豪奢、静寂、逸楽》は、ポール・シニャックの招きで南仏に赴いたマティスがパリで仕上げた実験的作品、新印象派の筆触分割(絵具を混ぜず直接筆で)に実験的に取り組んだマティス転換期の重要作品。色彩と線描の衝突というテーマをそのまま残す作品となる。
フォーヴィスム(野獣派)「豪奢1(Luxe)」1907年
本作品が制作された当時、マティスは「野獣派」と呼ばれ、常に批判と称賛が紙一重だった。荒々しい筆遣いと鮮やかな色彩が特徴的な作品がサロンに出品されると、批評家によって「フォーヴィスム(野獣派)」の画家と呼ばれるようになる。美術界に確かな地位を築きつつ、マティスはさらなる進化を続ける。
窓、部屋の中と外の世界とをつなぐ
生涯にわたり室内のアトリエを創作の場としたマティスにとって、窓は部屋の中と外の世界とをつなぐ重要なモティーフ。金魚もマティスが繰り返し描いたモティーフで、《金魚鉢のある室内》1914年、で窓際に置かれた金魚鉢が内と外の世界を映り、小宇宙のような空間を生み出す。生前には公開されなかった《コリウールのフランス窓》。黒く塗りつぶされた部分は当初、外の眺めが描かれていた。第一次世界大戦勃発直後に描かれた。
第一次世界大戦が終わりニースへ、南仏の光 1921年
拠点を移したマティスは、南仏の光の中で精力的な創作活動を展開。多数描かれた「オダリスク」もこの時期に取り組んだ、《赤いキュロットのオダリスク》1921年はその皮切りとなった作品。旅先のモロッコで仕入れた布に、手作りのアクセサリーや衣装。マティスの装飾へのこだわり。マティスが色と同じく大事にした、線の表現。デッサンは「自分の中に芽生えた創作の気持ちを観る人の心にダイレクトに伝えることができる方法」。
マティス60代で出会ったリディア・ディクトルスカヤ1935
《夢》1935以降モデルとして彼のミューズとなったリディア・ディクトルスカヤ。その後マティスが亡くなるまでの20年間、リディアはそばで彼を支え続ける。
《座るバラ色の裸婦》は少なくとも13回描き直されていて、リディアの顔がだんだん抽象的に、そして最終的には線姿。マティスは鑑賞者の想像力をつぶすすべての制限から作品を解放した。
第二次世界大戦が勃発、ヴァンスへ1941
多くの芸術家が国外へ逃げる中、齢70近かったマティスは国を離れることを断念。同時 期に十二指腸癌を患い大手術を受ける。その後、空爆を避けニースからヴァンスに移ったマティスが最後の油絵連作として取り組んだ「ヴァンス室内画」シリーズ。《黄色と青の室内》はその第1作。奥行のない不思議な画面構成なのに、調和した空間。シリーズ最終作《赤の大きな室内》1948。直角で隣り合うふたつの壁、その角を表す黒線はベンチの背までで切れている。
切り紙絵、色彩と線描1947
一日の大半をベッドで過ごすようになりカンヴァスに向かうことが難しくなったマティスは、絵筆をはさみに持ち替え、切り紙絵を創作するようになる。色彩と線描(ドローイング)の対立をどう超えるか。色彩と線描(ドローイング)という造形作業が同時にできる切り紙絵は、マティスにとって到達点ともいえる表現方法。
《イカロス(版画シリーズ「ジャズ」)》1947年
ヴァンス・ロザリオ礼拝堂1951
展覧会の最後はマティス最晩年の作品、ヴァンス・ロザリオ礼拝堂。建物の設計、装飾、什器、祭服や典礼用品に至るまでを手がけた総合芸術作品、マティスの集大成。マティスはこれを「運命によって選ばれた仕事」として、光、色、線が一堂に会する静謐な空間を創りあげた。
《豪奢、静寂、逸楽》の優雅な生活
マティスは「精神安定剤のような、肉体の疲れを癒す、良い肘掛け椅子のような存在」を芸術の理想としていた。戦争で息子を徴兵され、大病を患い、人生には辛い事もあった。それでも画中に苦しみを持ち込まず、調和に満ちた作品を創作し続けた。
自分が感じた深い感動に対する繊細な感覚、芸術を探求する精神。マティスは20世紀初頭の絵画運動であるフォーヴィスム(野獣派)の中心的な存在として活動した後、84歳で亡くなるまでの生涯を、感覚に直接訴えかけるような鮮やかな色彩と形の探求に捧げた。
マティスの理想の境地は、南フランスの《豪奢、静寂、逸楽》の優雅な生活であり、50年間《豪奢、静寂、逸楽》であり続けることは幸せである。
――
展示作品の一部
アンリ・マティス 《豪奢、静寂、逸楽》 1904年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne-Centre de création industrielle
「豪奢1(Luxe)」1907年、本作品が制作された当時、マティスは「野獣派」と呼ばれ、常に批判と称賛が紙一重だった。西欧の伝統的な主題「浴女」を描いているが、アフリカ彫刻を思わせる単純で幾何学的な人物の形態は、当時の批評家の反感を買った。マティスは「異境的」な文明に、新たな芸術へのインスピレーションを求めた
《金魚鉢のある室内》1914年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《赤いキュロットのオダリスク》1921年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《ニースの室内、シエスタ》 1922年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《マグノリアのある静物》1941年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
マティスが78歳から手がけ始めた最後の絵画連作「ヴァンス室内画群」シリーズ
《黄色と青の室内》1946年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《イカロス(版画シリーズ「ジャズ」より)》1947年 ポショワール/アルシュ・ヴェラン紙 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
マティス最後の油彩画 《赤の大きな室内》 1948年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne-Centre de création industrielle
――
参考文献
ピカソとその時代・・・藝術の探検家、7人の恋人、7つの時代
https://bit.ly/3D8mYir
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-00e373.html
マティス展・・・南仏の光《豪奢、静寂、逸楽》、色彩と線への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-c2781f.html
――
20世紀を代表するフランスの巨匠、アンリ・マティス(1869-1954年)。強烈な色彩によって美術史に大きな影響を与えたフォーヴィスム(野獣派)の中心的な存在として活動したのち、絵画の革新者として、84歳で亡くなるまでの生涯を、感覚に直接訴えかけるような鮮やかな色彩とかたちの探求に捧げました。彼が残した仕事は、今なお色あせることなく私たちを魅了し、後世の芸術家たちにも大きな影響を与え続けています。
世界最大規模のマティス・コレクションを所蔵するパリのポンピドゥー・センターの全面的な協力を得て開催する本展は、日本では約20年ぶりの大規模な回顧展です。絵画に加えて、彫刻、素描、版画、切り紙絵、晩年の最大の傑作と言われる南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂に関する資料まで、各時代の代表的な作品によって多角的にその仕事を紹介しながら、豊かな光と色に満ちた巨匠の造形的な冒険を辿ります。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_matisse.html
――
マチス展、東京都美術館、2023年4月27日~8月20日
2024年2月14日から5月27日まで

 

| | コメント (0)

2023年8月 4日 (金)

中野晃一講演会、強者の支配か自由な共存か。【質疑応答】解答篇、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク

Nakano-kouichi-00-0528-2023_20230804023901
Nakano-kouichi-04-2023
Nakano-kouichi-03-2023
Nakano-kouichi-002-0528-2023
Nakano-kouichi-04-0528_20230804024201
解答篇、中野晃一、質問編、大久保正雄

1、問題【世界人口の71%が「独裁に分類される国に住む」。民主制が減少している。独裁国家、富裕層が支配する国。制度は民主政であるが、実態は独裁国家、寡頭制国家である】
1、解答「民主主義が弱体化しているのは、世界的な潮流である。1の質問と2の質問は関係がある。経済学者シュンペーターは、民主主義を量的に比較した。【閉鎖型独裁】【選挙による独裁】【選挙による民主主義】【自由民主主義】の四つの類型は、シュンペーターの分析に基づいている。」
2、問題【代議制民主主義は、真の民主主義といえるのか。国民国家の矛盾がある】
2、解答「経済学者シュンペーターは、民主主義を量的に比較した。(『資本主義・社会主義・民主主義』Capitalism,Socialism,and Democracy1942)。民主主義の質を問うと、現在の民主主義は、本当に民主主義と言えるのか疑われる。フランス、米国、イギリス、日本の民主主義は、自由民主主義ではない。議会制民主主義の手本とされるイギリスの民主主義は、真の民主主義ではない。少数派が多数の票を得ている。米国、民主党バイデン、テロとの戦いの名の下に、軍国主義を謳歌。共和党政権、トランプ政権は、軍国主義、両党とも軍産複合体の支配下にある。
代議制民主主義で選ばれた政府は、特権階級となる。代議制民主主義で選ばれた政府は、特権階級となる。古代アテネの民主主義は、都市国家の民主主義。近代国家=国民国家の民主主義は、政府の権力が強くなり、特権階級化する。
自由主義と民主主義は矛盾する。自由主義は、強者の自由。民衆の自由はない。
民主主義の質が問われる。真の民主主義はどこにあるのか。
3、問題【日本に民主主義が育たない理由は何か】
3、解答「マスコミは、統治機構の一部である、権力者の支配の道具。官僚組織、裁判所は、自民党権力の奴隷である。民衆が成長していない。いまだに、長州が支配する国。幕末の体制が続いている。
4、問題【20世紀の状況と酷似している。ファシズムに抵抗するには、どうすればよいのか】
4、解答「ファシズム国家化しているのは、世界的な潮流である。諦めずに、闘って行きたい。」
5、問題【日本の凋落、日本の劣化】
5、解答「日本は、経済システム、政治システム、教育システム、すべて凋落し始めた。1990年代後半の日本の対応が間違っていた。1990年代後半の日本の対応が間違っていた。」
6、問題【選挙によって政権交代すれば、全体主義を止める。というが、官僚、裁判所、マスコミは自民党に従う。それでも支持する民】
6、解答「鳩山政権、民主党政権は、頂上作戦を取った。民衆の支持を醸成できなかった。市民の力を結集するべきである。幕末の長州、山口県が、悪徳政治を謳歌している。方法は二つある。革命か、政権交代か、政権交代でなければ、革命。革命はできないだろう。
7、会場からの質問に対して。日本では、ヨーロッパのような広場が少ない、カフェのような場所も少ない。東京は喫茶店も減少傾向であり、スターバックスが増えている。広場に集まって、市民が政治的主張を行うことがしにくい。かつての清水谷公園のような場所は減少している。東京は、コミュニティの基本である市民の会合が、制限されている。集会の自由も実現しにくい。
――
★★★
中野晃一講演会「強者の支配か自由な共存か」要旨。上智大学、5月28日

【アテネ民主政は50年、ルネサンスのフィレンツェ共和政は60年。自由な国家は滅びる】日本は、独裁制を支持する衆愚制国家。どうすれば自由な国家を再建できるか。特権階級、マスコミ、司法が権力の奴隷である。中野晃一先生にご見解を聞きます。大久保正雄
【中野晃一】
1、
私は哲学で学問研究を始めましたが、哲学研究で生きることは容易でないと理解できる程には賢かったので政治学の研究に進みました。政治哲学、比較政治を研究しています。政治の基本はポリスであり「人間はポリス的動物である」(アリストテレス『政治学』) )。共同体で互いに協力して生きることが人間らしく生きること。集団生活は共存すること。人間は政治的、政治的とは汚いということ。共同体に、暴力が出てくる。権力の差が出てくる。「権力は暴力である」(マックス・ウェーバー)。権力はしたくないことをさせることができる力。18世紀、都市国家から国民国家が生まれる。共存から権力へ。国家という暴力装置。教育、学校という暴力装置。「強者の支配で混乱が収まる」。混乱を収集する統治装置として強者の支配がある。個人と個人の間にも、強者の支配か自由な共存か差がある。
2、「社会」「国家」「政治」をキーワードに考える。「政治」、政事と祭事とは「まつる」=奉という「奉仕」「服従」を意味する観念を媒介としてはじめて連結させられている事があきらかになる。政の内容は、国の平定、反逆者の討伐、外征等「上から下へ」の統治という方向性を持っているが、同時にこの「政」の観念は奏上や覆奏を伴うのを通常とし、より上級の統治者を想定しているので「下から上へ」の奉仕という逆の方向性を随伴している。日本人は自分より上にはまつろい下にはまつろわせる。だから日本はアメリカから独立出来ない。
――
★★★
【強者の支配か自由な共存か。スタッフ討論】星野珈琲にて、5月28日
薬師寺純平、小野真樹子、坂田修作、稲井邦利、大久保正雄
――
「テーマ設定、質疑応答、問題の根を探究する姿勢がよい」薬師寺純平
「世界一民主的なワイマール憲法からナチスドイツの独裁国家生まれた。古代ギリシア・アテネの民主主義と近代国民国家の代議制民主主義とは根本的に異なる。独裁政権70年は利権階級の独占を構築。高校時代から言っていた」大久保正雄
「オーケストラは、独裁指揮者では破綻する。共存共栄型の指揮者がよい。」薬師寺純平
「皇帝カラヤンは、どうだったのか」大久保正雄「カラヤンは、独裁者になってから、反撥を受けた」薬師寺純平
「フルトヴェングラー「奇跡のベートーヴェン交響曲第9番」ヒトラー演奏会は、どうなっているのか」
「古代アテネ、ルネサンス時代のフィレンツェは、都市国家。都市国家で民主主義は成立する。フランス革命とナポレオン戦争以後、総力戦体制、国家主義が拡大する」大久保正雄
「人間らしく生きるコミュニティは、イタリア、ギリシア、地中海都市の生活様式。イギリス、アングロサクソンは、競争主義、弱肉強食。ゲルマン民族は全体主義。日本人は階級主義、階級社会の奴隷、天皇制大好き、大日本帝国の総力戦の生け贄。食料不足で餓死する軍産複合体」
「いまだに、幕末の長州のテロリズムが続いている、安倍晋三、岸田文雄」坂田修作
「悪の元凶。諸悪の根源は自民党」「【孝明天皇暗殺】〈慶応2年12月25日〉テロ組織長州。薩長テロリストは、第2次長州征伐を計画中の孝明天皇を毒殺した。犯人、岩倉具視、大久保利通。徳川慶喜は賢明な将軍であるため排除に苦慮【徳川慶喜、大政奉還】慶応3(1867)年10月12日、14日、慶喜は大政奉還の上表文を朝廷に提出。薩長テロリストは、悪の元凶。諸悪の根源は自民党」大久保正雄
【利権支配の国、政府の上に利権階級】一部の利権階級、海外援助30兆円、教育費削減、国民負担増大する自民党統一教会、
【mRNAコロナワクチン接種した人は、数年後死ぬ。リュック・モンタニエ】【mRNAコロナワクチン接種した人は、輸血できない。ファイザー、モデルナ等】【コロナワクチン接種】多くの国民の命、国富が失われた。情報が封印されてきた。宮沢孝幸。京都大学医生物学研究所 附属感染症モデル研究センター 准教授。
「【安倍晋三暗殺事件】【安倍死亡診断書2通あり。奈良県立医大、射入口、右前頸部2か所、山上の銃弾当たらず。狙撃手存在。司法解剖は捏造、山上徹也冤罪】202年7月8日、安倍晋三暗殺事件、安倍を奈良に向かわせたのは誰か、狙撃手は誰か、命令したのは誰か、安倍暗殺の目的は何か。孫崎享「安倍暗殺事件の謎」レコンギスタ7月号」大久保正雄
「マイナンバー、保険証廃止に反対する。全体主義国家に反対」
「政権交代は実効性がない。革命には賛成する。だが、革命の資金源はどこに。革命の実行部隊をどう用意できるのか。殺人部隊、豊臣秀吉、明智光秀、武田信玄、勝頼はどう養成するのか」「パリのような市街戦をできるのか」
「それでも抵抗するにはどうすればよいのか」
【夢なき者に成功なし】夢なき者に理想なし。理想なき者に計画なし。計画なき者に実行なし。実行なき者に成功なし。故に夢なき者に成功なし。吉田松陰。1867年1月30日、孝明天皇を毒殺。徳川慶喜最大の後ろ盾。
マイナンバー【健康保険証廃止の目的】健康保険証を廃止したいのは、健康保険制度の廃止が目的。医療産業で儲ける外資の命令。TPP、ISD条項をみよ。盲腸手術1回、120万円。その命令を忠実に実行するのは官僚の役割。だから、国民がどんなに困ろうが官僚達は何ら躊躇する事無く笑って実行している。米国の奴隷。
健康保険証廃止、マイナンバー、預金通帳奪われる
【マイナンバー、預金口座をひもづけ、徴兵制へ】
·2022年10月12日
ナチスに倣ったともいわれる「マイナンバーカード」、全体主義軍事国家への暴走を予想させるが、それ以前に、国民の個人情報を外へ漏らすことが目的のひとつかもしれない。「統一教会」がそれを待っていそうだ。拒否する以外にない。★
#マイナンバーカード義務化を阻止しよう
巖谷國士@papi188920
以前にこう書いたが、健康保険紐付への異常な固執ぶりなどを見ると、マイナンバーカードの目的のひとつが「徴兵制」であることはすでに明らかだ。このカードがあれば悪名高い「徴兵検査」なしですむ。国民ひとりひとりの体力も健康状態も、家族構成も財力も一目瞭然になるので、あとは「赤紙」のみ。
政府、マイナンバー「全口座ひも付け」義務化検討 来年の法改正目指す | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200531/k00/00m/040/139000
【保険証廃止、マイナンバー国民背番号制、国民健康保険制度廃止、統一教会
――
中野晃一講演会『強者の支配か自由な共存か』【質疑応答】問題篇、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-75634b.html
中野晃一講演会『強者の支配か自由な共存か』【質疑応答】解答篇、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-1a73db.html
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第337回

| | コメント (0)

2023年8月 1日 (火)

テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ・・・ウィリアム・ブレイクの幻想

Tate-2023-7-nact
Tate-2023-william-blake
Tate-osaka-2023
Tate-osaka-1-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第336回
18世紀ロマン派の詩人ウィリアム・ブレイクから、19世紀リアリズムの世紀、ウィリアム・ターナー、コンスタブル、写実主義、印象派、ウィルヘルム・ハマースホイまで、リアリズムの世紀である。20世紀は、アンチリアリズムの世紀である、キュビスム、フォービスム、遠近法絵画崩壊の時代。19世紀、ロマン主義、ラファエロ前派、象徴派から、幻想派が生まれた。シュールレアリスムはレアリスムか、幻想派か。
19世紀イギリス美術史の根源には、ウイリアム・ブレイクの怒りがある。
【ウィリアム・ブレイク】(1757―1827)、英国ロマン主義の先駆的詩人として、文学史上揺るぎない地位を誇っている。「病める薔薇」などで知られる詩集『無垢と経験の歌』は広く愛されてきた。ブレイクが生涯にわたって彫版師を職業とし、水彩や色刷版画に独自の境地を築いたことは余り知られていない。
【不正に対するウィリアム・ブレイクの深い憎悪】不幸と不正への対決はブレイクを神に対する反逆へと導いた。しかしブレイクは、その絶対的宗教心の故に神を必要としたと同様にまた神を愛したが故に、そのジレンマを最初にグノーシス派により、古代の秘教へと遡ることによって、漸く解決を求めようとした。「わたし自身の心がわたしの教会である」詩人は1803年、John Schofieldという兵隊と口論になり、国家扇動罪(seditious statements)を行ったとして裁判にかけられる。勝訴するが、詩人に大きく影響した。難解な表現をすることで攻撃的な思想を隠す独自の表現技法を確立。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
ロマン派の詩人 ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)70歳で死す
『無垢と経験の歌』1787年
【ウィリアム・ブレイク「毒のある木」】
私は私の敵に腹を立てた 私は黙っていた 私の怒りはつのった そして私はそれに恐怖の水をかけ 夜も昼も私の涙をそそいだ そして私はそれを微笑みの陽にあて 口あたりのよい欺瞞の肥料で育てた。寿岳文章訳 William Blake, Poison Tree
【毒のある木】その木は 日ごと夜ごと大きくなり ついに きらきら光る 林檎の実を結んだ。そして 私の敵は それが輝くのを見 それが私のだと知り 私の庭へ忍び込んだ 夜が 天空をすっかりおおいつくしたとき
【「毒のある木」】夜が 天空をすっかりおおいつくしたとき、朝になって わたしが見たら うれしや。わたしの敵は その木の下に のびていた。ウィリアム・ブレイク『無心の歌、有心の歌』「毒のある木」寿学文章訳。邪悪なるものに、天誅下る。
「毒のある木」は、密教の呪詛調伏、怨敵調伏の真言である。
「一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見るために。掌で無限を握り、一瞬のうちに永遠を掴め。」『無垢の予兆』よりAuguries of Innocenceウィリアム・ブレイク William Blake詩集『ピカリング草稿』
【死生学】一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見るために。掌で無限を握り、一瞬のうちに永遠を掴め。ウィリアム・ブレイク William Blake詩集『ピカリング草稿』。
「無垢の予兆」Auguries of Innocence
To see a World in a grain of sand,And a Heaven in a wild flower,
Hold Infinity in the palm of your hand,And Eternity in an hour.
詩人は1803年、John Schofieldという兵隊と口論になり、国家扇動罪(seditious statements)を行ったとして裁判にかけられる。勝訴するが、詩人に大きく影響した。難解な表現をすることで攻撃的な思想を隠す独自の表現技法を確立。歓喜に充ち溢れる生命を讃える「無心の歌」、無垢を喪失した悲しみの世界を描く「経験の歌」、そして呪縛からの解放を歌う「天国と地獄との結婚」。ブレイク初期の傑作三詩集。
ウィリアム・ブレイク、寿学文章訳『有心の歌、無心の歌』角川文庫
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【テート美術館、不朽の名画】ラファエル前派、ロセッティ「プロセルピナ」ジョン・エバレット・ミレイ「オフェリア」、シュルレアリスム、ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」19044、エル・グレコ「詩人のためらい」1913、オーギュスト・ロダン「接吻」1901-4「夏の名残の薔薇」
――
展示作品の一部
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《湖に沈む夕日》1840年頃、油彩/カンヴァス、91.1 × 122.6 cm
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《光と色彩(ゲーテの理論)ー大洪水の翌朝ー創世記を書くモーセ》1843年出品
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《陽光の中に立つ天使》(1846出品)
ジョン・コンスタブル《ハリッジ灯台》1820
ジェイコブ・モーア《大洪水》(1787)、
ジョン・マーティン「ポンペイとヘルクラネウムの崩壊」(1822年)ヴェスヴィオ山の溶岩の禍々しいまでの輝き
ウィリアム・ブレイク《善の天使と悪の天使》(1795-1805頃?)、同《アダムを裁く神》(1795)
エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ《愛と巡礼者》(1896~97)
クロード・モネ《エプト川のポプラ並木》(1891)
ジョン・ブレット《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》(1871)
草間彌生《去ってゆく冬》(2005)
ブリジット・ライリー「ナタラージャ」 1993年 油彩/カンヴァス 165.1×227.7 cm、反復する幾何学的パターン、
ゲルハルト・リヒター《アブストラクト・ペインティング(726)》(1990)
ヴィルヘルム・ハマスホイ「室内」1899年
ウィリアム・ローゼンスタイン《母と子》1903年
オラファー・エリアソン「星くずの素粒子」2014
――
テート美術館
「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」横浜美術館・・・愛と美の象徴、思想表現の自由の戦い
ターナー展 英国最高の巨匠・・・イタリアの黄昏、黄金の光
「テート美術館所蔵 コンスタブル展」・・・虹が立つハムステッド・ヒース
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」・・・愛の美と死
「バーン・ジョーンズ展―装飾と象徴―」・・・眠れる森の美女
英国ヴィクトリア朝絵画の巨匠「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」・・・愛の美と死
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
「ロセッティ展:ラファエル前派の夢」Bunkamuraザ・ミュージアム、1990
V&A美術館
「特別展アリス」・・・ハートの女王「首を刎ねよ」
「ザ・ビューティフル ― 英国の唯美主義 1860‐1900」・・・大英帝国の黄昏
https://bit.ly/2wvtgG5

ウィリアム・ブレイク
若きブレイクとその悖徳(ゲルト・シフ/前川誠郎 訳)
「わたし自身の心がわたしの教会である」――ブレイクとペインとフランス革命 (デイヴィッド・バインドマン/潮江宏三 訳)
『ウィリアム・ブレイク展』(国立西洋美術館 1990年)
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ・・・ウィリアム・ブレイクの幻想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-754901.html

――
イギリス政府が所蔵する美術作品を収蔵・管理する「TATE」は、ロンドンのテート・ブリテンとテート・テートモダンなど4つの国立美術館を運営している。その7万7千点を超すコレクションから「光」をテーマにした作品を集めた本展は、2021年より中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランドで巡回開催され、最終会場の日本では、作品の多くが日本初出品で、マーク・ロスコやゲルハルト・リヒターらによる12点の日本限定展示も含まれる。絵画、彫刻、写真、インスタレーションなど多様な作品を、ときに時代や地域を超えてともに展示している。
ーー―
本展は、英国・テート美術館のコレクションより「光」をテーマに作品を厳選し、18世紀末から現代までの約200年間におよぶアーティストたちの独創的な創作の軌跡に注目する企画です。
「光の画家」と呼ばれるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーや風景画の名手ジョン・コンスタブルといった英国近代美術史を彩る重要な画家たちの創作、クロード・モネをはじめとする印象派の画家たちによる光の描写の追求、モホイ=ナジ・ラースローの映像作品やバウハウスの写真家たちによる光を使った実験の成果、さらにブリジット・ライリー、ジェームズ・タレル、オラファー・エリアソン等の現代アーティストによってもたらされる視覚体験にまで目を向けます。
本展では、異なる時代、異なる地域で制作された約120点の作品を一堂に集め、各テーマの中で展示作品が相互に呼応するようなこれまでにない会場構成を行います。絵画、写真、素描、キネティック・アート、インスタレーション、さらに映像等の多様な作品を通じ、様々なアーティストたちがどのように光の特性とその輝きに魅了されたのかを検証します。
――
テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ、国立新美術館、7月12日(水)~10月2日(月)
大阪中之島美術館、10月26日から1月14日

| | コメント (0)

2023年7月29日 (土)

虫めづる日本の人々・・・喜多川歌麿「夏姿美人図」鳴かぬ蛍が身を焦がす


Mushi-sunt-2-2023
Mushi-jakluchu-saichuufu-sunt-2023
Mushi-kitagawa-utamaro-natsubijinzu-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第335回
『源氏物語』『伊勢物語』において、鈴虫、松虫などの鳴く虫や蛍、鳴く虫や蛍を愛でる文化、虫撰は、宮中文化で始まった。元時代12世紀、草虫図は、鳥獣草木の名を学ぶことは立身出世、子孫繁栄などの儒教の吉祥を表す。
江戸時代、蛍狩りが流行した。恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす。喜多川歌麿「夏姿美人図」、恋人と一緒に蛍狩りに行く女が化粧し身を整えている。鳥文斎栄之「蛍狩り美人図」、松本交山「百蝶図」谷文晁と酒井抱一と交友した画人。伊藤若冲「菜蟲譜」(1790)には、博物学者の眼がある。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
嵯峨天皇『舞蝶』『文華秀麗集』
嵯峨天皇は、蝶が舞う姿を詩に書いた。「数群の胡蝶空に飛び乱れ、雑色粉々なり花樹の中 、本より弦管の響に因らず、無心にして処々春風に舞う
嵯峨天皇と空海
嵯峨天皇(786-842)と空海(774-835)は知的交友があり、仏教は智慧と慈悲によって生けるものの魂の苦を救う教えである。
平安初期。嵯峨天皇時代『文華秀麗集』に蝶の漢詩が出てくる。蝶の群舞を漢詩にした。音楽の響きなしに自ずから舞っている、現実の蝶が野原に舞っている姿を詠んだ。舞楽の「胡蝶」の光景から作られたものではない。
嵯峨天皇『舞蝶』『文華秀麗集』
数群胡蝶飛乱空(数群の胡蝶空に飛び乱れ)雑色紛紛花樹中(雑色粉々なり花樹の中)
本自還元不因響(本自弦管の響の因らず)無心処々舞春風(無心にして処々春風に舞う)
――
仏教は智慧と慈悲によって生けるものの魂の苦を救う教えであり、儒教は学問によって立身出世と子孫繁栄を成就する吉祥を祈る教えである。
【空海『聾瞽指帰』(797)】兎角公の屋敷で兎角公の甥蛭牙公子に放蕩青年を翻意、亀毛先生は儒教学問を学び立身出世することを教え、虚亡隠子は道教の不老長寿を教え、空海の化身である仮名乞児は仏教の智慧と慈悲を教える。空海は大学寮明経科退学、官僚の立身出世の道を辞めた理由。
「詩を学ぶことで鳥、獣、草木の名前を多く知ることは【立身出世、子孫繁栄】などの吉祥を表す」子曰く、小子、何んぞ夫の詩を學ぶこと莫きや。詩は以て興す可く、以て觀る可く、以て群す可く、以て怨む可く。これを邇くして父に事え、これを遠くして君に事え。多く鳥獸草木之名を識る。(『論語』陽貨・第17-9)
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【『万葉集』の和歌には蝶の歌はない】漢詩には表れる。夜あかりに集まる蛾のほうは、「ひひる」「火取り虫」として記録されている。『万葉集』には無かった蝶。
【八代集(古今集、後撰集、拾遺集、後拾遺集、金葉集、詞花集、千載集、新古今集にも「蝶」は登場しない)
『古今集』にわずかに「蝶」が詠まれている。思い惑う魂の象徴としての蝶、恋しい人に見せてはいけないものとしての蝶。
「散りぬれば後はあくたになる花を 思い知らずもまどう蝶かな」僧正遍照
「こてふ(胡蝶)にも似たるものかな花薄 恋しき人に見すべかりけり」紀貫之 
――
草虫図は中国で成立した画題。画中には多種多様な草花と虫が描かれており、それが立身出世、子孫繁栄などの吉祥を表す。また、『論語』の中に孔子が弟子・陽貨に詩を学ぶ意義について説いた一節があり「詩を学ぶことで鳥、獣、草木の名前を多く知ることが出来る」(『論語』陽貨・第17-9)。
『歴代名画記』によれば、中国の六朝時代(3~6世紀)には虫が絵の主題として取り上げられ、唐時代(7~10世紀)には草虫を描く者があらわれた。
――
展示作品の一部
きりぎりす絵巻(部分) 住吉如慶 二巻のうち 江戸時代 17世紀 細見美術館
白綸子地梅に熨斗蝶模様打掛 一領 江戸時代 19世紀 サントリー美術館 【展示期間:8/23~9/18】、
画本虫撰、喜多川歌麿 二冊のうち下 天明8年(1788) 千葉市美術館 【全期間展示】
夏姿美人図 喜多川歌麿 一幅 寛政6~7年(1794~95)頃 遠山記念館【展示期間:7/22~8/21】、
重要文化財 草虫図 双幅 元時代 14世紀 東京国立博物館 Image: TNM Image Archives 【展示期間:8/23~9/18】
重要文化財「菜蟲譜」伊藤若冲 一巻 寛政2年(1790)頃 佐野市立吉澤記念美術館 【展示期間:8/9~9/18】
鳥文斎栄之「蛍狩り美人図」18世紀
甜瓜図 土田麦僊 一幅 昭和6年(1931)埼玉県立近代美術館
――
参考文献
「虫めづる日本の人々」サントリー美術館2023
東寺『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』西院本・・・知恵と無明の戦い、生命の根源
速水御舟『炎舞』『粧蛾舞戯』『名樹散椿』、山種美術館・・・舞う生命と炎と闇
虫めづる日本の人々・・・喜多川歌麿「夏姿美人図」鳴かぬ蛍が身を焦がす
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-6032f9.html

――
第一章:虫めづる国にようこそ
現代でも多くの人々が知る『源氏物語』『伊勢物語』において、鈴虫、松虫などの鳴く虫や蛍は、登場人物の心情を表すといった重要な役割を果たしています。また、嵯峨野周辺を散策して鳴く虫を捕まえ、宮中に献上する虫撰も行われるようになりました。宮廷を中心に鳴く虫や蛍を愛でる文化は発展し、虫聴と蛍狩が日本の歳時記となる礎が築かれました。
第二章:生活の道具を彩る虫たち
酒器、染織品、簪などの身近な道具には、蝶、蜻蛉、鈴虫、蜘蛛など様々な虫たちがあしらわれてきました。
2匹の蝶が仲睦まじく飛ぶ様子が夫婦円満を意味する文様となるなど、虫の行動と当時の人々の願いが結びつくこともありました。
第三章:草と虫の楽園―草虫図の受容について―
草虫図は中国で成立した画題。画中には多種多様な草花と虫が描かれており、それぞれが立身出世、子孫繁栄などの吉祥を表す。また、『論語』の中に孔子が弟子・陽貨に詩を学ぶ意義について説いた一節があり、そこでは「詩を学ぶことで鳥、獣、草木の名前を多く知ることが出来る」(『論語』陽貨・第17)。
中国最初の本格的な画史書である『歴代名画記』によれば、中国の六朝時代(3~6世紀)には虫が絵の主題として取り上げられ、唐時代(7~10世紀)には草虫を描く者があらわれたようです。北宋時代末頃には草虫図が画題として確立し、南宋時代(12~13世紀頃)は毘陵(現:江蘇省常州市)でより盛んに描かれるようになり、草虫図はこの地域の名産品となりました。以降、清時代に至るまで描き継がれており、草虫図という画題が非常に人気を集めた様子がうかがわれます。
また、中国で制作された草虫図は海を渡って、日本へと伝来し、将軍や大名など時の権力者たちに愛蔵されました。そして、日本の絵師たちも草虫図を学び、影響を受けました。草虫図が中国で画題として確立し、日本で愛好された様子をご紹介します。
第四章:虫と暮らす江戸の人々
江戸時代中頃に入ると野山へと出かけ虫の音に耳を澄ませる虫聴、夕暮れ時に蛍を追う蛍狩は、市井の人々に親しまれる風雅な娯楽となりました。江戸の道灌山や根岸が虫聴や蛍狩の名所として知られ、老若男女がこぞって出かけ、思い思いに楽しんでいる様子が当時の浮世絵や版本に表されています。また、市中には籠に蛍や鳴く虫を入れて売り歩く虫売りがあらわれ、夏の風物詩となりました。当時は、お盆の頃に捕らえた生き物を放し供養する放生会のために購入されることもあったようです。虫を入れる籠には趣向が凝らされており、虫の音を楽しみ愛玩していた様子を感じることができます。
本章では、蛍狩、虫聴が娯楽として広まり、やがて江戸の年中行事として息づいていく様子をご紹介します。
第五章:展開する江戸時代の草虫図―見つめる、知る、喜び―
江戸時代は本草学や、書物に登場する動植物の名前を同定する名物学が進展し、西洋の科学技術が流入した。
18世紀以降には、飛躍的な進歩がみられます。第八代将軍徳川吉宗が洋書の輸入制限を緩和し、全国的な動植物の調査を行いました。この政策の影響もあり、大名、旗本が中心となり、優れた博物図譜が制作されました。
『論語』に由来する「多くの生き物を知ることを奨励する」思想は受け継がれ、より多くの虫たちが画中に登場するようになりました。
喜多川歌麿『画本虫撰』のように優れた狂歌絵本を生み出しました。
中国から伝来した草虫図も尊重され、研究が続けられました。西洋の技術の流入、本草学などの学問の発展、古画学習、文芸などが影響しあい、草虫図という枠組みを越えた多彩な虫の絵が江戸時代に制作されました。伊藤若冲、酒井抱一、喜多川歌麿、葛飾北斎などこの時代を代表する絵師たちが虫をモチーフとして取り上げ、活況を呈した江戸時代の草虫図をご覧ください。
――
虫めづる日本の人々、サントリー美術館、7/22(土)~9/18(月・祝)

| | コメント (0)

2023年7月 6日 (木)

甲斐荘楠音の全貌・・・退廃の美薫る、謎多き画家、東映京都の時代考証家、趣味人、レオナルドの面影


Kainosho-tadaoto-tky-2023
Kainosho-tky-2023
Ayashii2021-0_20230706161901
Leonardo_da_vinci__virgin_and_child_with
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第334回
謎の美の本質は何か【デカダンス薫る謎多き「あやしい画家」、東映京都撮影所の時代考証家、趣味人、83歳で死す】甲斐荘楠音(1894-1978)京都市立絵画専門学校にて頭角を現す、竹内栖鳳、菊池契月、に評価される。24歳の時、甲斐荘楠音を高く評価する先輩、村上華岳(1888-1939)に招かれ、「国画創作協会」1918年(大正7)、第1回展に入選、「横櫛」(1916)、岡本神草「口紅」1918とともに、人気を博す。「幻覚 踊る女」(1920)は狂気の舞い。
【女人像、退廃美薫る、謎の美の本質】甲斐荘楠音は14歳の時、レオナルド「モナリザ」に感動した。甲斐荘楠音「横櫛」(1916)「女人像」(1920)、村上華岳「裸婦図」(1920)、の妖しさは、レオナルド「モナリザ」(1503-05)「聖アンナと聖母子」(1510) 下絵 (1405-158)のような両性具有(アンドロギュノス)的な美である。
甲斐荘楠音「春」(1929)は妖艶な美の到達点である。ボッティチェリ『春』1478を意識している。
【東映京都撮影所の時代考証家、趣味人、83歳で死す】1940年、画壇を去る。先輩、村上華岳は、1939死去。太秦の東映京都撮影所にて衣装の時代考証家として活躍、名優・市川右太衛門と甲斐荘楠音がともに作り上げた「旗本退屈男」シリーズの豪華衣裳、『雨月物語』(溝口健二監督・1953年)のために考案。演劇人、茶人、趣味人として生きる。先輩、村上華岳(1888-1939)を越えて83歳まで生きる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
*【甲斐庄楠音《横櫛》1916】3作ある。
「横櫛1」1915年、楠音21歳のとき、東京の長兄楠香を訪ね、兄嫁彦子らと本郷座で四代目沢村源之助が切られお富を演じる河竹黙阿弥作「処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)」を観たが、その数ヵ月後に彦子が他界した。直後、兄嫁とともに見た芝居が、京都でも上演される。その翌年に、楠音は彦子をイメージしながら「横櫛」を一週間で描き上げた。顔の色は悪く、死相が現れているようにもみえる。襦袢の衿には天女が、地には炎と竜。死を暗示しているようにも思える。これが京都国立近代美術館所蔵。
「横櫛2」1917年、23歳の楠音は丸岡比呂史のアトリエを訪ねて一緒に制作するようになり、比呂史の妹トクと親しくなって婚約。しかし、許嫁であったトクが甲斐庄を捨てて年長の男と結婚するという事件が起こった。「横櫛1」の背景に「切られのお富」の絵をはめ込んだ。これは、「切られの与三郎」が出てくる「与話情浮名横櫛」を河竹黙阿弥が書換えた狂言「書換処女翫浮名横櫛に出てくる毒婦である。1918年、村上華岳の勧めにより、第1回国画創作協会展にこの「横櫛2」を出品し、入選。(広島県立美術館所蔵)Art & Bell by Tora cardiac.exblog.jp
【退廃の美人画】甲斐庄楠音『横櫛』1916『幻覚(踊る女)』1920『春』2019、『横櫛』1918福富太郎コレクション、北野恒富、『道行』1913福富太郎コレクション、岡本神草『口紅』1918、島成園『おんな』1917『祭りのよそおい』1913、岡田三郎助『ダイヤモンドの女』1908福富太郎コレクション、『あやめの衣』1927、
――
【上智と下愚とは移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても堕落せず、最下の愚者は、どんなによい境遇にあっても向上しない。《「論語」陽貨》【どんなに地位、名誉、職業が高くても、智慧と慈悲がなければ生きる価値がない】最下の愚者は、向上しない。【最高権力者が最下愚の国】最上の知者は悪い境遇にあっても戦う。
――
参考文献
『甲斐荘楠音の全貌、絵画、演劇、映画を越境する個性』図録、日本経済新聞社、2023
池田祐子「さまざまに越境し混交する個性」
梶岡秀一「肌香を聞く」
没後80年記念「竹内栖鳳」・・・竹内栖鳳「班猫」村上華岳「裸婦図」
「あやしい絵展」・・・退廃的、妖艶、エロティック、表面的な「美」への抵抗
「あやしい絵展」図録、毎日新聞社、2021
創業者 甲斐荘楠香物語 - 高砂香料工業株式会社
栗田 勇『女人讃歌―甲斐庄楠音の生涯』新潮社
甲斐荘楠音の全貌・・・退廃の美薫る、謎多き画家、東映京都の時代考証家、趣味人、レオナルドの面影
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-6cb36a.html
――
展示作品の一部
《幻覚(踊る女)》1920年頃、京都国立近代美術館
《女人像》1920年頃、個人蔵
《横櫛》1916年頃、京都国立近代美術館
《畜生塚》1915年頃、京都国立近代美術館
《春宵(花びら)》1921年頃、京都国立近代美術館
『旗本退屈男 謎の南蛮太鼓』衣裳、東映京都撮影所 ©東映(映画公開:1959年、監督:佐々木康、製作・配給元:東映株式会社、衣裳着用者:市川右太衛門)
『旗本退屈男 謎の幽霊島』衣裳、東映京都撮影所 ©東映(映画公開:1960年、監督:佐々木康、製作・配給元:東映株式会社、衣裳着用者:市川右太衛門)
『旗本退屈男 謎の暗殺隊』衣裳、東映京都撮影所 ©東映(映画公開:1960年、監督:松田定次、製作・配給元:東映株式会社、衣裳着用者:市川右太衛門)
『旗本退屈男 謎の大文字』衣裳、東映京都撮影所 ©東映(映画公開:1959年、監督:佐々木康、製作・配給元:東映株式会社、衣裳着用者:市川右太衛門)
《春》1929年、メトロポリタン美術館、ニューヨーク
「国画創作協会」解散後、甲斐荘が新たな活動の場とした絵画団体「新樹社」。その記念すべき第1回に出品された甲斐荘の意欲作《春》
Purchase, Brooke Russell Astor Bequest and Mary Livingston Griggs and Mary Griggs Burke Foundation Fund, 2019 / 2019.366
《虹のかけ橋(七妍)》1915-76年、京都国立近代美術館
《畜生塚》の前でポーズする楠音、1915年頃、京都国立近代美術館
太夫に扮する楠音、京都国立近代美術館
甲斐荘が『雨月物語』(溝口健二監督・1953年)のために考案し、アカデミー賞衣裳デザイン賞にノミネートされた衣裳もパリのシネマテーク・フランセーズから海を越えて来日
――
あやしさを超えて、誰も見たことのない甲斐荘楠音の全貌にせまる
甲斐荘楠音(1894-1978/かいのしょうただおと)は、大正期から昭和初期にかけて日本画家として活動し、革新的な日本画表現を世に問うた「国画創作協会」の一員として意欲的な作品を次々と発表しました。しかし、戦前の画壇で高い評価を受けるも1940年頃に画業を中断し映画業界に転身。長らくその仕事の全貌が顧みられることはありませんでした。本展は1997年以降26年ぶり、東京の美術館では初となる本格的な甲斐荘の回顧展です。これまで知られてきた妖艶な絵画作品はもとよりスクラップブック・写真・写生帖・映像・映画衣裳・ポスターなど、甲斐荘に関する作品や資料のすべてを等しく展示します。画家として、映画人として、演劇に通じた趣味人として――さまざまな芸術を越境する「複雑かつ多面的な個性をもった表現者」として甲斐荘を再定義します。
甲斐荘楠音が携わった時代劇映画
甲斐荘楠音は衣裳・風俗考証家として、日本の時代劇映画の黄金期を支えました。本展に展示される映画衣裳の制作には甲斐荘が携わっています。映画監督・溝口健二をして「甲斐荘君が手伝ってくれると品がよくなる」と言わしめた考証家としての手腕は、伊藤大輔や松田定次ら時代劇映画の名監督たちから厚い信頼を得ていました。本展には、東映京都撮影所に保管されていた往年の映画衣裳の数々が展示されます。名優・市川右太衛門が袖を通した絢爛豪華な衣裳をはじめ、数々の映画資料が甲斐荘の見識や感性を物語ってくれます。
――
甲斐荘楠音の全貌、絵画、演劇、映画を越境する個性、東京ステーションギャラリー
2023年7月1日(土)〜2023年8月27日(日)

| | コメント (0)

2023年6月27日 (火)

ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ


Abstraction-artizon-2023
Picasso-avinyon-1907-2023
Picasso-mandolin-190510-2023
Picasso-1937cryingwoman
Picasso-femmes-dalger-1955-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第333回
抽象絵画の起源は、キュビスムとフォーヴィスム、から始まる。と美術史家は言う。
鍵岡リグレ・アンヌ(1987-)、さんに「何を表現しているのですか」と問うた。「Reflection」2023。
抽象絵画で最も有名な作品は何か。キュビスムのピカソ『アヴィニョンの娘たち』1907『マンドリンを持つ少女』1909-1910年、ジョルジュ・ブラック、ポール・セザンヌ『リンゴとオレンジ』1899 オルセー美術館.から始まる。ピカソ『泣く女』1937,『アルジェの女』1955、はキュビスムではないらしい。
フォーヴィスムは、アンリ・マティス『豪奢』1907『帽子の女』1905、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンクから始まる。
ルネサンスの遠近法、立体透視図法、などを否定して、キュビスムの多視点・幾何学化する方法はどこがよいのか。
フォーヴィスムの原色を多用した強烈な色彩、粗々しい筆使い、どこがよいのか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
キュビスムは、「パブロ・ピカソ」と「ジョルジュ・ブラック」によって提唱された絵画表現。どのような絵画表現か、(1)複数の視点から見た物の形を、一つの画面に表す(2)物の形を、立方体、球、円筒、円錐、など幾何学的な形にする。
キュビスムの作品は、ピカソ『アヴィニョンの娘たち』1907『マンドリンを持つ少女』、ポール・セザンヌ『リンゴとオレンジ』。セザンヌは、自然を幾何学化することにより、対象の立体感や、存在感、空間を強調することを試み。キュビスムは、多視点・幾何学化を魅力的な表現(調和した魅力的な構成、物の存在を強調する)の手段としてではなく、多視点・幾何学化するという手段自体が目的。
フォーヴィスムは、20世紀初頭のフランスで発生した前衛運動。1905年、パリの第二回サロン・ドートンヌ展に出品した画家たち、アンリ・マティス『豪奢』1907『帽子の女』、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク。批評家のルイ・ヴォークセルが、その原色を多用した強烈な色彩、また粗々しい筆使いに驚き、「この彫像の清らかさは、乱痴気騒ぎのような純粋色のさなかにあってひとつの驚きである。野獣(フォーヴ)たちに囲まれたドナテロ!」と叫んだ。
――
展示作品の一部
フランティセック・クプカ《赤い背景のエチュード》1919年頃 石橋財団アーティゾン美術館【新収蔵作品】
ヴァシリー・カンディンスキー《「E.R.キャンベルのための壁画No.4」の習作(カーニバル・冬)》1914年 宮城県美術館
――
モーリス・ド・ヴラマンク《色彩のシンフォニー(花)》1905-06 年頃 石橋財団アーティゾン美術館【新収蔵作品】
© ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo,2023 C4125
ジョージア・オキーフ《オータム・リーフⅡ》1927年 石橋財団アーティゾン美術館【新収蔵作品】© 2023 The Georgia O’Keeffe Foundation/ ARS, New York/ JASPAR,Tokyo C4125
ウィレム・デ・クーニング《一月》1947-48年 石橋財団アーティゾン美術館【新収蔵作品】© 2023 The Willem de Kooning Foundation, New York/ ARS, New York/ JASPAR, Tokyo C4125
ジャン・デュビュッフェ《ピエール・マティスの暗い肖像》1947年 ポンピドゥー・センター、パリ 国立近代美術館/産業創造センター © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo 2023 C4125 Photo ©Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist.RMN-Grand Palais / Philippe Migeat / distributed by AMF
鍵岡リグレ・アンヌ(1987-)、Reflection 2023
――
参考文献
ピカソとその時代・・・藝術の探検家、7人の恋人、7つの時代
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-00e373.html
――
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ、アーティゾン美術館、2023年6月3日~8月20日

| | コメント (0)

«ガウディとサグラダ・ファミリア展・・・ガウディ「降誕の正面」、森を表現した内部空間、石のバイブル