2024年4月17日 (水)

「法然と極楽浄土」・・・称名念仏、南無阿弥陀仏、極楽浄土の幻覚


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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第364回
【浄土教】平安時代、空也、源信は、念仏、西方極楽に往生、来迎、を説き、浄土教を広め、鎌倉時代、法然は、称名念仏・専修念仏、他力、総本山知恩院、浄土宗の開祖。鎌倉仏教の第一歩。親鸞は、阿弥陀仏の慈悲に報恩感謝の念仏、絶対他力、自然法爾、悪人正機、浄土真宗を開宗。室町時代、蓮如は、浄土真宗本願寺派第八世、山科の石山本願寺を建て、本願寺教団を組織化。
法然(法然房源空、1133~1212)。観想の念仏に対して称名念仏を唱え、南無阿弥陀仏と専修念仏すれば、阿弥陀如来の極楽浄土に往生できる。末法の時代には、自力聖建門の教えは困難であり、他力易行の浄土門である。「極楽に往生するためには、南無阿弥陀仏と口で唱えれば疑いなく往生する」『一枚起請文』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【法然(法然房源空、1133~1212)】長承2(1133)年、美作国(岡山県)久米南条稲岡荘の押領使の漆間時国の子として生まれた。9歳の時に、父は預所の明石定明によって夜襲で殺された。幼名は勢至丸。叔父の観覚に従って剃髪。1147(久安3)年 15歳で比叡山に登り源光、皇円に師事。天台を学んだが、18歳1150年教学などに対する疑問を生じ、西塔黒谷の叡空のもとに隠棲、法然房源空と称した。以後20年間修学、叡空は,念仏は『観無量寿経』が説く観想の念仏に対して、法然は善導『観無量寿経疏』によって称名念仏に専修する悟りに達した。安元1(1175)年、43歳にして山を降り、東山の吉水に草庵を結び、老若貴賤を問わず教化した。1186年天台の学匠顕真と専修念仏について議論(大原問答)し、建久9(1198)年関白九条兼実の依頼によって念仏の肝要を述べた『選択本願念仏集』。その思想は《選択本願念仏集》に最もよく表現され、至誠心(しじょうしん),深心(じんしん),回向発願心(えこうほつがんしん)の三心によって,老若貴賤,修行の多寡など問題なく、阿弥陀仏によって救われるとした。1201年(建仁1)に親鸞も弟子となった。女官の出家を契機として南都北嶺の迫害を受け、1207年讃岐に配流された。建暦1(1211)年許されて京に帰ったが翌、建暦2(1212) 年80歳の生涯を閉じた。門下に聖光、源智、証空、親鸞などを出し、日本浄土教の発展の基礎となった。
【『無量寿経』】浄土教の根拠は『仏説無量寿経』である。だが、ゴータマ・ブッダが説いたものではないことは言うまでもない。1世紀に仏典作者が創作した。『仏説無量寿経』。説法の舞台は王舎城(ラージャグリハ)耆闍崛山(ぎじゃくっせん)、ある国の王が世自在王仏の説法を聞いて、王位を捨てて出家し、法蔵菩薩となり、五劫という長い間思惟して、無量の寿、無量の光をもつ阿弥陀浄土に生まれたいと願い、この第十八願を「本願」、すべての人びとを信心と念仏によって救う本願こそ、浄土教の教えの根本。法蔵菩薩は願いを実現するために、兆載永劫果てしなく長い間修行を重ね、阿弥陀如来となった。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
重要文化財「選択本願念仏集(廬山寺本)(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)鎌倉時代・12~13世紀 京都・廬山寺蔵
重要文化財「法然上人坐像」鎌倉時代・14世紀 奈良・當麻寺奥院蔵
国宝「法然上人絵伝、鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵
国宝「阿弥陀二十五菩薩来迎図」(早来迎)、鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵
国宝 「綴織當麻曼陀羅」 中国・唐または奈良時代・8世紀、奈良・當麻寺蔵 画像提供:奈良国立博物館
「仏涅槃群像」香川・法然寺、「さぬきの寝釈迦」を81体の菩薩や動物たちが囲む。
狩野一信「五百羅漢図」増上寺、江戸時代、19世紀
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参考文献
親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝・・・『歎異抄』善人なほもて往生をとぐ
https://bit.ly/3B53Xvn
特別展、東福寺・・・円爾、九条道家、吉山明兆、無準師範
https://bit.ly/3JmEdye
「中尊寺金色堂」・・・魔界の入口、中尊寺金色堂の謎
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/01/post-cf7488.html
「法然と親鸞 ゆかりの名宝」東京国立博物館・・・宗教は麻薬
https://bit.ly/3HFXOt8
「空也上人と六波羅蜜寺」・・・亡き人を想う、生死の境、南無阿弥陀仏
https://bit.ly/3C7OKJG
「法然と極楽浄土」・・・称名念仏、南無阿弥陀仏、極楽浄土の幻覚
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/04/post-ce2b9b.html
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第1章 法然とその時代
相次ぐ戦乱、頻発する天災や疫病、逃れられない貧困など、平安時代末期の人々は苦悩に満ちた「末法」の世に生きていました。この時代に生を享けた法然は、比叡山で天台僧としての修行を積みますが、43歳の承安5年(1175)、唐の善導の著作によって専修念仏の道を選びました。「南無阿弥陀仏」と称えれば救われるという教えは幅広い階層の信者を得ます。しかし、既存の仏教界からは念仏を止めることが強く求められ、ついに法然は75歳のとき讃岐国(香川県)へ配流されるに至りました。やがて帰京し、80歳で往生を遂げます。本章では、浄土宗の歴史のはじまりである、祖師・法然の事績や思想をたどります。
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2章 阿弥陀仏の世界
法然は、本尊である阿弥陀如来の名号をひたすらに称える称名念仏をなにより重んじました。貴賎による格差が生まれる造寺造仏などの善事をすることには否定的で、法然自身は阿弥陀の造像に積極的ではありませんでした。
しかし、それを必要とする門弟や帰依者らには認めました。彼らは阿弥陀の彫像や来迎する様を描いた絵画を拝し、日ごろ念仏を称え、あるいは臨終を迎える際の心の拠りどころとしたのです。多くの人々の願いが込められた阿弥陀の造形の数々は、困難の多い時代、庶民にまで広がった浄土宗の信仰の高まりを今に伝えています。
3章 法然の弟子たちと法脈
法然のもとには彼を慕う門弟が集い、浄土宗が開かれました。法然没後、彼らは称名念仏の教えを広めようと、それぞれ精力的に活動をおこないます。九州(鎮西)を拠点に教えを広めていった聖光の一派である鎮西派は、その弟子良忠が鎌倉を拠点として宗勢を拡大しました。また、証空を祖とする一派である西山派は、京都を拠点に活動を展開し、『観無量寿経』を図示した當麻曼陀羅を見出しその流布に大きな業績を残しました。
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平安時代末期、繰り返される内乱や災害・疫病の頻発によって世は乱れ、人々は疲弊していました。比叡山で学び、中国唐代の阿弥陀仏信仰者である善導(ぜんどう、613~681)の教えに接した法然(法然房源空、ほうねんぼうげんくう、1133~1212)は、承安5年(1175)、阿弥陀仏の名号を称えることによって誰もが等しく阿弥陀仏に救われ、極楽浄土に往生することを説き、浄土宗を開きました。その教えは貴族から庶民に至るまで多くの人々に支持され、現代に至るまで連綿と受け継がれています。
本展は、令和6年(2024)に浄土宗開宗850年を迎えることを機に、法然による浄土宗の立教開宗から、弟子たちによる諸派の創設と教義の確立、徳川将軍家の帰依(きえ)によって大きく発展を遂げるまでの、浄土宗850年におよぶ歴史を、全国の浄土宗諸寺院等が所蔵する国宝、重要文化財を含む貴重な名宝によってたどるものです。困難な時代に分け隔てなく万人の救済を目指した法然と門弟たちの生き方や、大切に守り伝えられてきた文化財にふれていただく貴重な機会です。
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「法然と極楽浄土」東京国立博物館、2024年4月16日(火)~6月9日(日)
京都国立博物館 平成知新館
会期:2024年10月8日(火)〜12月1日(日)
住所:京都府京都市東山区栄屋町527
九州国立博物館
会期:2025年10月7日(火)〜11月30日(日)
住所:福岡県太宰府市石坂4-7-2

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2024年4月 6日 (土)

時間旅行・・・因果の時空的制約を超えて、青ぞらいつぱいの無色な孔雀「春と修羅」

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第363回
桜咲く道を歩いて、東京都写真美術館に行く。「春と修羅」から始まる時空の旅である。人生の岐路を選択することは、自然界の因果の時空の制約を超えて、運命を超えることである。
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質】師が優れているか否かが最も重要【学びの違い】学校、大学では先生を選べない【先生が持っている地図、基礎認知力、持っている体系】【知的卓越性とともに人格の卓越性をもつ人は極めて稀である】
【空海『聾瞽指帰』(797)】兎角公の屋敷で兎角公の甥蛭牙公子に放蕩青年を翻意、亀毛先生は儒教学問を学び立身出世することを教え、虚亡隠子は道教の不老長寿を教え、空海の化身である仮名乞児は仏教の諸行無常と慈悲を教える。空海は大学寮明経科を退学、官僚の立身出世の道を辞す。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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「春と修羅」(正午の管楽よりもしげく琥珀のかけらがそそぐとき)、いかりのにがさまた青さ、四月の気層のひかりの底を、唾つばきし、はぎしりゆききする、おれはひとりの修羅なのだ、(風景はなみだにゆすれ)、砕ける雲の眼路めぢをかぎり、れいろうの天の海には、聖玻璃せいはりの風が行き交ひ、ZYPRESSEN 春のいちれつ「春と修羅」『心象スケッチ 春と修羅』
【因果の時空的制約のもとにありながら、青ぞらいつぱいの無色な孔雀】
「わたくしといふ現象は、仮定された有機交流電燈の、ひとつの青い照明です、(あらゆる透明な幽霊の複合体)、風景やみんなといつしよに、せはしくせはしく明滅しながら、いかにもたしかにともりつづける、因果交流電燈の、ひとつの青い照明です、(ひかりはたもち その電燈は失はれ)」1924(大正13)年『心象スケッチ 春と修羅』序より
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展示作品の一部
黒岩保美《D51 488 山手貨物線(恵比寿)》1953年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
桑原甲子雄《(地下鉄入口)》1930-39年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
杉浦非水《帝都復興と東京地下鉄道》1929年頃 リトグラフ、オフセット・ポスター 国立工芸館蔵
《サッポロビール・リボンシトロン ポスター》1927年頃 画像協力:サッポロビール株式会社
大束元《夜空の構成 数寄屋橋にて》1958年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
ロベール・ドアノー、パリ市庁舎前のキス、1950東京都写真美術館蔵
島田洋助、釜石駅の列車、1950東京都写真美術館蔵
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参考文献
【親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。織田信長、伊達政宗、武田信玄、争った弟側が滅亡。弘治三(1557)年、織田信長は、謀反の弟信勝を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放。天正十八年4月7日、伊達政宗は実弟小次郎を手討、義姫逃亡
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
図録「時間旅行 千二百箇月の過去とかんずる方角から」東京都写真美術館2024
時間旅行・・・因果の時空的制約を超えて、青ぞらいつぱいの無色な孔雀「春と修羅」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/04/post-8d831a.html
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時間旅行 千二百箇月の過去とかんずる方角から
本展は「時間旅行」をテーマとする東京都写真美術館のコレクション展。人が様々な時代を自由に旅する「時間旅行」という発想は昔からよく知られたSF的なファンタジーだが、想像の世界や芸術の領域では、人は誰でも時間と空間の常識を飛び越えることが可能なのではないでしょうか。
詩人で童話作家の宮沢賢治が1924(大正13)年に刊行した『心象スケッチ 春と修羅』序文では、宇宙的なスケールの時間感覚の中で「わたくし」の心象、言葉で記録された風景、そして森羅万象とがひとつに重なりあったような「第四次延長」という世界が描かれます。その世界観は当時の最先端の科学や思想から影響を受けた宮沢賢治の想像力が生み出したものです。しかし百年前の詩人の言葉とそれを生み出した想像力には、現代という分断の時代を生きる私たちの心にも響く何かがきっとあるはずです。
本展は百年前である1924年を出発点として、「1924年–大正13年」「昭和モダン街」「かつて、ここで」「20世紀の旅」「時空の旅」の5つのセクションに分け、37,000点*を超える当館収蔵の写真・映像作品、資料を中心にご紹介します。「時間旅行」をテーマとする本展で鑑賞者は、それぞれの時代、それぞれの場所で紡ぎ出される物語と出会うことができるでしょう。また、本展は宮沢賢治による『春と修羅』序文の言葉をひとつの手掛かりとして、戦前、戦後そして現代を想像力によってつなぐ旅でもあります。写真と映像による時空を超えた旅を、どうぞお楽しみください。
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TOPコレクション、 東京都写真美術館、2024年4月4日(木)〜7月7日(日) 

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2024年3月28日 (木)

ジョニー・デップ『ツーリスト』2010、『ナインスゲート』1999・・・迷宮の旅人

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第361回
【理念を探求する精神】ソクラテス「魂ができる限り善きものになるように配慮しなければならない。」(『ソクラテスの弁明』29d-e) 「ただ生きるのではなく、善く生きること、美しく生きること、正しく生きること」プラトン『クリトン』「魂が魂自体になる。存在が存在自体になる。」プラトン『パイドン』63 e 8-69e5「存在をめぐる神々と巨人族との戦い」イデアリストと物質主義の戦い。プラトン『ソフィステス』(245E~249D)
【カネと地位で買えない価値】富とは、お金で買えないものをどのくらい持っているかである。お金で家は買えるけれど家庭は買えない。お金で学校は買えるけれど学問は買えない。知性は買えない。お金で地位は買えるけれど人格は買えない。魂の美は買えない。
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質】師が優れているか否かが最も重要【学びの違い】学校、大学では先生を選べない【先生が持っている地図、基礎認知力、持っている体系】【知的卓越性とともに人格の卓越性をもつ人は極めて稀である】空海は、大学寮明経科に入学したが退学、山林修行の旅に出る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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『ツーリスト』2010、『ナインスゲート』1999・・・迷宮の旅人
【「ツーリスト」ジョニー・デップ、アンジェリーナ・ジョリー】アメリカ人旅行者フランク・トゥーペロ(ジョニー・デップ)は、パリからベネチアへ向かう列車の中で、謎めいた美女エリーズ・クリフトン・ワード(アンジェリーナ・ジョリー)と出会う。彼女に誘われるまま、ベネチアの超一流ホテル【ダニエリ】にチェックインし、夢のようにゴージャスでロマンチックな時を過ごすフランク。しかし、一夜明けると悪夢のように恐ろしい運命が待っていた。エリーズは富豪の犯罪者の恋人、富豪の巨額預金のカギを握る。彼女は警察の潜入捜査官。数学教師フランクは、エリーズの恋人で誰にも顔を知られていない大物犯罪者と同一視され、捜査当局と巨大ギャングの双方から追われるはめになったのだ。光と影が怪しく揺らめく水の都ベネチア。周到に張り巡らされた迷路のような罠から、フランクとエリーズはいかにして脱するのか? 華麗でセクシーな極上ミステリーが今、幕を上げる!Sonypictures.jp、2010

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【『ナインスゲート』(The Ninth Gate )1999、ロマン・ポランスキー(Roman Polanski、1933年8月18日 - )監督、ジョニー・デップ主演、音楽・ヴォイチェフ・キラール、原作アルトゥーロ・ペレス=レベルテ
の小説『呪いのデュマ倶楽部』集英社】
稀覯本の鑑定家であり、書物探偵であるディーン・コルソ(ジョニー・デップ)は、相手の無知に付けこんで安く買い取る古書蒐集家。ある日コルソは、バルカン出版のオーナー、膨大な蔵書のコレクターである富豪ボリス・バルカンから、自分が所有する悪魔の祈祷書「闇の王国への九つの扉」について、世界に同じものが3冊存在しているが、どれが本物なのか調査をしてほしいと依頼される。本は美術品であり、絵画や骨董品の資産価値がある。入念に調べると、本に挿入されている版画の違いに気づく。緑の瞳を持つ謎の女(エマニュエル・セニエ=ロマン・ポランスキー監督夫人)が付きまとい、コルソを悪魔の書へ導く。祈祷書には扉の版画があり、9枚集めるが、持ち主は次々と謎の死を遂げ、探索は難航する。トレドの古城へたどり着くコルソの運命を握る者は誰か。
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『ライラの冒険 黄金の羅針盤』・・・守護精霊をもつ者、運命の羅針盤はどこに
https://bit.ly/2PY42s7
『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』・・・胸には復讐、目には狂気
、そして手には剃刀を
https://bit.ly/2NaDHrS
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【親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。織田信長、伊達政宗、武田信玄、争った弟側が滅亡。弘治三(1557)年、織田信長は、謀反の弟信勝を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放。天正十八年4月7日、伊達政宗は実弟小次郎を手討、義姫逃亡
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
【利益重視の女はどんなにきれいでも嫁にしてはいけない。カマキリの雌は交尾後、雄を食べる。ハリガネムシとなって寄生する】アル中の向上心のない男と結婚する女はクズ。騙そうとする人は心地よい、体に悪いものは美味い、酒は万病の元。ガン、脳梗塞、痴呆症の原因は飲酒癖。
どうする家康、三井記念美術館・・・孤独な少年、竹千代、家康10の決断
https://bit.ly/3oBk8NX 
【富は、苦労してかいた汗からではなく、深い思考から生まれる】人生に最も重要なのは俯瞰と設計。人生の方向性を考えること。設計図を持たない人、人生を飛躍させるためには、些細な事に時間を浪費してはいけない【壮大な計画を考えよ。人生の究極目的は魂を磨くことである】
どうする家康・・・織田信長、運命の美女、信長の葬儀、天を追求する一族
https://bit.ly/3njDXJm 
ジョニー・デップ『ツーリスト』2010、『ナインスゲート』1999・・・迷宮の旅人
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/03/post-935421.html

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2024年3月 3日 (日)

マティス 自由なフォルム・・・《豪奢、静寂、逸楽》、旅路の果て


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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第360回
一瞬の出会い、運命は変わる。岐路を導く人は、師である。藝術家、ミューズ、母の恩。魔術師の旅、旅路の果て。よき師と出会い、美しい人と出会い、幸運の女神に会い、美しい卓越性を成し遂げよう。
【《豪奢、静寂、逸楽》Luxe, Calme, et Volupté 優雅な生活】
マティスは「精神安定剤のような、肉体の疲れを癒す、良い肘掛け椅子のような存在」を芸術の理想としていた。戦争で息子を徴兵され、大病を患い、人生には辛い事もあった。それでも画中に苦しみを持ち込まず、調和に満ちた作品を創作し続けた。
自分が感じた深い感動に対する繊細な感覚、芸術を探求する精神。マティスは20世紀初頭の絵画運動であるフォーヴィスム(野獣派)の中心的な存在として活動した後、84歳で亡くなるまでの生涯を、感覚に直接訴えかけるような鮮やかな色彩と形の探求に捧げた。
マティスの理想の境地は、南フランスの《豪奢、静寂、逸楽》の優雅な生活であり、50年間《豪奢、静寂、逸楽》であり続けることは幸せである。
*Luxe, Calme, et Voluptéボードレールの『悪の華』の詩「L'Invitation au voyage」旅へのいざない
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【一瞬の出会い、運命は一瞬で変わる】よき師と出会い、美しい人と出会い、運命の女神に会い、不滅の魂で、美しい卓越性を成し遂げよう。
世界には君以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、問うてはならない。ひたすら進め。
There is only way no one can walk besides you in the world. A field's reaching where or, you aren't supposed to care. Advance earnestly.
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質】師が優れているか否かが最も重要な要素である【学びの違い】学校、大学では先生を選べない【先生が持っている地図】【先生が持つ基礎認知力、持っている体系】知的卓越性とともに人格の卓越性をもつ人は極めて稀である】空海は、大学寮明経科に入学したが退学、山林修行の旅に出る
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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アンリ・マティス(1869~1954) 色彩の魔術師 84歳で死す。
20世紀美術を代表する画家の一人、アンリ・マティス(1869~1954)、フォーヴィスム(野獣派)で有名だが、生涯、色彩と線への旅をつづけ、84歳で死す。
裕福な家庭に生まれ、法律家の道を歩んでいたマティス。画家を志したのは21歳のとき、病気で療養中だった彼に母親が絵具箱を贈ったことがきっかけである。法律の学位を得て代訴人の仕事をしていたマティスは、23歳でギュスターヴ・モローの弟子となる。
美術学校や画家のもとで教えを受け、ルーヴル美術館で古典作品の模写をし技術を磨いていったマティスは、次第に自分自身の表現を探求する1898年、アメリー・パレイルと結婚。同年、印象派の画家カミーユ・ピサロの勧めを受け、ロンドンでターナーを研究した。
【ポール・シニャック(Paul Signac)との出会い、コリウール1905、36歳】
ポール・シニャック『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象派まで』1899に影響を受け、筆触分割の技法を用いる。D'Eugène Delacroix au Néo-impressionisme
1905年、家族とともに、海辺の町、コリウールで夏を過ごす。《日傘を持つ婦人》1905年、を描く。《豪奢、静寂、逸楽》Luxe, Calme, et Volupté 1904年、35歳。《豪奢、静寂、逸楽》は、ポール・シニャック(1863-1935)の招きで南仏に赴いたマティスがパリで仕上げた実験的作品、新印象派の筆触分割(絵具を混ぜず直接筆で)に実験的に取り組んだマティス転換期の重要作品。色彩と線描の衝突というテーマをそのまま残す作品となる。
【「フォーヴィスム(野獣派)」】
荒々しい筆遣いと鮮やかな色彩が特徴的な作品が1905年サロン・ドートンヌに出品されると、批評家ルイ・ヴォークセルによって展示室は「野獣の檻」と呼ばれ、「フォーヴィスム(野獣派)」の画家と呼ばれるようになる。美術界に確かな地位を築きつつ、マティスはさらなる進化を続ける。本作品が制作された当時、マティスは「野獣派」と呼ばれ、常に批判と称賛が紙一重だった。
『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』(1905年)、コペンハーゲン国立美術館
フォーヴィスム(野獣派)「豪奢1(Luxe)」1907年
【窓、部屋の中と外の世界とをつなぐ】
生涯にわたり室内のアトリエを創作の場としたマティスにとって、窓は部屋の中と外の世界とをつなぐ重要なモティーフ。金魚もマティスが繰り返し描いたモティーフで、《金魚鉢のある室内》1914年、で窓際に置かれた金魚鉢が内と外の世界を映り、小宇宙のような空間を生み出す。生前には公開されなかった《コリウールのフランス窓》。黒く塗りつぶされた部分は当初、外の眺めが描かれていた。第一次世界大戦勃発直後に描かれた。
【第一次世界大戦が終わりニースへ、南仏の光 1917-1930】
拠点を移したマティスは、南仏の光の中で精力的な創作活動を展開。多数描かれた「オダリスク」もこの時期に取り組んだ、《赤いキュロットのオダリスク》1921年はその皮切りとなった作品。旅先のモロッコで仕入れた布に、手作りのアクセサリーや衣装。マティスの装飾へのこだわり。マティスが色と同じく大事にした、線の表現。デッサンは「自分の中に芽生えた創作の気持ちを観る人の心にダイレクトに伝えることができる方法」。
1917年から30年ごろにかけては、おもに南フランスのニースを制作の場として活動。この時期、優美で官能的なオダリスクをはじめ、開放的な作品を制作。通常この頃のマティスの活動は「ニース時代」と呼ばれる。
【マティス60代、リディア・ディクトルスカヤ1935】
《夢》1935以降モデルとして彼のミューズとなったリディア・ディクトルスカヤ。その後マティスが亡くなるまでの20年間、リディアはそばで彼を支え続ける。
《座るバラ色の裸婦》は少なくとも13回描き直されていて、リディアの顔がだんだん抽象的に、そして最終的には線姿。マティスは鑑賞者の想像力をつぶすすべての制限から作品を解放した。
多くの芸術家が国外へ逃げる中、齢70近かったマティスは国を離れることを断念。同時 期に十二指腸癌を患い大手術を受ける。その後、空爆を避けニースからヴァンスに移ったマティスが最後の油絵連作として取り組んだ「ヴァンス室内画」シリーズ。《黄色と青の室内》はその第1作。奥行のない不思議な画面構成なのに、調和した空間。シリーズ最終作《赤の大きな室内》1948。直角で隣り合うふたつの壁、その角を表す黒線はベンチの背までで切れている。
【切り紙絵、色彩と線描1947】
一日の大半をベッドで過ごすようになりカンヴァスに向かうことが難しくなったマティスは、絵筆をはさみに持ち替え、切り紙絵を創作するようになる。色彩と線描(ドローイング)の対立をどう超えるか。色彩と線描(ドローイング)という造形作業が同時にできる切り紙絵は、マティスにとって到達点ともいえる表現方法。
《イカロス(版画シリーズ「ジャズ」)》1947年
【ヴァンス・ロザリオ礼拝堂1951】
最後はマティス最晩年の作品、ヴァンス・ロザリオ礼拝堂。建物の設計、装飾、什器、祭服や典礼用品に至るまでを手がけた総合芸術作品、マティスの集大成。マティスはこれを「運命によって選ばれた仕事」として、光、色、線が一堂に会する静謐な空間を創りあげた。
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参考文献
『マティス 自由なフォルム』図録、読売新聞社、2024
マティス展・・・南仏の光《豪奢、静寂、逸楽》、色彩と線への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-c2781f.html
マティス 自由なフォルム・・・《豪奢、静寂、逸楽》、旅路の果て
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/03/post-34a6f3.html
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展示作品の一部
アンリ・マティス《日傘を持つ婦人》1905年
アンリ・マティス《森の中のニンフ(木々の緑)》1935-1943年
油彩/カンヴァス、245.5 × 195.5 cm、オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)
コピーライト Succession H. Matisse Photo: François Fernandez
アンリ・マティス《森の中のニンフ(木々の緑)》1935-1943年
油彩/カンヴァス、245.5 × 195.5 cm、オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)
コピーライト Succession H. Matisse Photo: François Fernandez
アンリ・マティス《ブルー・ヌード IV》1952年、切り紙絵、103 × 74 cm
オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)
コピーライト Succession H. Matisse Photo: François Fernandez
アンリ・マティス《花と果実》1952-1953年
切り紙絵、410 × 870 cm、ニース市マティス美術館蔵
コピーライト Succession H. Matisse Photo: François Fernandez
ヴァンスに建つロザリオ礼拝堂
コピーライト Succession H. Matisse Photo: François Fernandez
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アンリ・マティス《豪奢、静寂、逸楽》Luxe, Calme, et Volupté 1904年、オルセー美術館
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20世紀最大の巨匠アンリ・マティス(1869-1954)。自然に忠実な色彩から解放された大胆な表現が特徴のフォーヴィスムの中心人物としてパリで頭角を現します。後半生の大半を過ごすこととなるニースではアトリエで様々なモデルやオブジェを精力的に描く一方で、マティスは色が塗られた紙をハサミで切り取り、それを紙に貼り付ける技法「切り紙絵」に取り組みます。
本展はフランスのニース市マティス美術館の所蔵作品を中心に、切り紙絵に焦点を当てながら、絵画、彫刻、版画、テキスタイル等の作品や資料、約150点を紹介するものです。なかでも同館が所蔵する切り紙絵の代表的作例である《ブルー・ヌードⅣ》が出品されるほか、大作《花と果実》は本展のためにフランスでの修復を経て日本初公開される必見の作品です。
本展ではさらに、マティスが最晩年にその建設に取り組んだ、芸術家人生の集大成ともい えるヴァンスのロザリオ礼拝堂にも着目し、建築から室内装飾、祭服に至るまで、マティスの至高の芸術を紹介いたします。
https://www.nact.jp/exhibition_special/2024/matisse2024/index.html
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マティス 自由なフォルム、国立新美術館
2024年2月14日(水) ~ 2024年5月27日(月)

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2024年2月29日 (木)

大名茶人 織田有楽斎・・・天下なる者は聖人の宝なり、微身の有ならず

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第359回
地位、名声、財産に溺れる者に嵯峨天皇の遺詔を捧げよう。
信長、秀吉、家康の三天下人に仕えて動乱を超えて、晩年を京で過ごした織田有楽斎の心中には、どのような思いがあったのか。狩野山楽「蓮鷺図襖」十六面に、蓮の四季が描かれている。
織田有楽斎(1547-1621)織田信長の一族、織田信雄、徳姫、お市の方、浅井三姉妹、茶々、江、初と共に生き残る。運命に翻弄された織田信長の一族、信長の子、信雄、徳姫、長益。信長の弟、茶の湯三昧74歳で死す。
織田有楽斎(1547-1621)、織田長益は天文16年(1547)に織田信秀の子、織田信長の弟、十一男として生まれた。織田長益は、天文16年(1547)に織田信秀の十一男として生まれ、幼名を源吾(源吾郎)といい、信長の13歳下の弟。武将として活躍。
【建仁寺の塔頭、「正伝院、如庵」】晩年、京都・建仁寺の塔頭「正伝院」を再興、隠棲。正伝院内に有楽斎が建てた茶室「如庵」は国宝に指定され、現在は愛知県犬山市の有楽苑内にあり、各地に如庵の写しが造られている。正伝院は明治時代に「正伝永源院」と寺名を改め、いまに至るまで有楽斎ゆかりの貴重な文化財を伝えている。
本能寺の変、天正10年(1582)、織田信忠と共に誠仁親王がいる二条御所において、籠る長益の主君・織田信忠(信長の長男)が自害したにもかかわらず、長益は御所を脱出したことから、京の人々には「逃げた(男)」と揶揄された。さらにその後、【信雄(信長の次男)】に仕え、徳川家康と豊臣秀吉の講和を調整するなど存在感を示した、信雄が改易されると今度は秀吉の御伽衆に加わり。【1600年関ヶ原の戦い】東軍として参戦し、戦後も豊臣家に仕えたが、【大坂冬の陣1614年】大坂城に入り淀殿の叔父として淀殿・秀頼母子を補佐したが、徳川方へ配慮、冬の陣においては豊臣・徳川の間で和議を結ぶよう説得。【大坂夏の陣1615年】前には家康の許可を得て主君から離れた。【1616年、徳川家康死す】1621年、有楽斎、死す。
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嵯峨天皇、遺詔 嵯峨天皇は遺詔(亡くなる前の詔勅、遺言)に次のように懐(こころ)を述べている。
余昔し不徳を以て久しく帝位を忝(かたじけな)うす。夙夜兢兢として黎庶(れいしょ:人民)を済(すく)はんことを思ふ。然れども天下なる者は聖人の大宝なり。豈(あ)に但(ただ)に愚憃微身(ぐとうびしん:愚かでつたない者、自卑の辞)の有(ゆう:持ち物)のみならんや。故に万機の務(つとめ)を以て、賢明に委(ゆだ)ぬ。
一林の風、素(もと)より心の愛する所。無位無号にして山水に詣りて逍遥し、無事無為にして琴書を翫び以て澹泊(たんぱく)ならんと思欲(しよく)す。「続日後本紀」承和九年条
【嵯峨天皇、遺詔】徳のない身でありながら長く帝王として天下を預かる間、民に良くあれと願って一心に努めてきた。しかし天下とは有徳の聖人が大切に扱うべき宝である。愚憃微身、拙い身が長くその位置に就き所有するものではない。するべき務めを果たして次代の優れた人物にこれを委ねた。静かな林に風を感じて佇むこと、それがもともと心の愛する好みの暮らしである。地位も権威もいらない、山の麓や水のほとりを散歩し、のんびり何事も為さず、琴を弾き書を読んで遊び、気ままに暮らしたいと思っていた。「続日後本紀」承和九年条
「続日後本紀」承和九年
太上天皇崩于嵯峨院。春秋五十七。遺詔曰、余昔以不徳。久恭帝位。夙夜兢兢、思済黎庶。然天下者聖人之大宝也。豈但愚憃微身之有哉。故以万機之務。委於賢明。一林之風、素心所愛。思欲無位無号詣山水而逍遥、無事無為翫琴書以澹泊。
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【天狗になる人、地位、名声、財産に溺れる者】自惚れる忖度教授、忖度官僚【名声に溺れる芸術家】あまり賢くない人は、自分が理解できない事については何でもけなす。ラ・ロシュフーコー『箴言集』【金持ちが天国に入るのは駱駝が針の穴を通るより難しい】(マタイ19章16-26節)【階級社会に溺れる人】
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
織田有楽斎像 狩野山楽筆 古㵎慈稽賛、一幅 元和8年(1622)、正伝永源院
蓮鷺図襖(部分) 狩野山楽 十六面、江戸時代 17世紀、正伝永源院
松平陸奥守書状 織田有楽斎宛、一幅 江戸時代 17世紀、正伝永源院
重要美術品 大井戸茶碗 有楽井戸、一口 朝鮮王朝時代 16世紀、東京国立博物館 
青磁輪花茶碗 銘鎹、馬蝗絆 南宋時代 12世紀
平重盛(1138〜79)が、南宋の国と天目山に3000両の喜捨した。その返礼に青磁の茶碗が贈られてきた。これがその茶碗で、1セット2個。龍泉窯、南宋時代の砧手で、青磁の色、形、共に最上手のものであった。足利義政が後に、この茶碗を手に入れたが、熱湯のためかヒビ割れができたので、明の国に取替えを要求。しかし、このような茶碗はもう焼成できないと、2個ともヒビ補強にカスガイを打って返却されてきた。その後、馬蝗絆 (イナゴ絆)と呼ばれ名声を博し、青磁といえば、先ず馬蝗絆が筆頭にあげられるようになった。馬蝗絆は、足利将軍家に伝えられた以後、織田三五郎(信長の弟である有楽の孫)に伝来、その後、角倉家、平瀬家等に伝来。1951年、東京の久米邸で、この兄弟2個が出会い、比較鑑賞された。
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参考文献
織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」・・・幻の曜変天目、本能寺の変、三職推任
どうする家康、三井記念美術館・・・孤独な少年、竹千代、家康10の決断
どうする家康・・・織田信長、運命の美女、信長の葬儀、天を追求する一族
大名茶人 織田有楽斎・・・天下なる者は聖人の宝なり、微身の有ならず
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/02/post-f37048.html
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織田有楽斎(1547-1621)
天正10年(1582)、明智光秀が謀反を起こし、本能寺において織田信長が自刃すると、彼の命運も激変する。本能寺の変の時、長益は織田信忠と共に誠仁親王がいる二条御所に移り、ここで敵襲を受けた。親王を逃走させると信忠は自害したが、長益は城から脱出し、一説には安土を経て岐阜へ向かったと伝えられる。仕えている主君が自害し長益は難を逃れたことから、風聞書などのいくつかには、長益に“逃げた男”というレッテルを貼り、悪し様に評するものもあり。
戦国時代から江戸時代にかけての激動の時代、長益は有能な大名としての地歩を固めていきますが、夏の陣を前に京都・二条へ移り、また建仁寺塔頭・正伝院を再興し、ここを隠棲の地とします。もともと長益は利休も一目を置く茶人であり、法躰となり有楽斎と号した後も茶の湯に執心し、高僧や、古田織部、細川三斎、伊達政宗などの武将と結びながら茶会を開いていきます。これらの活動を示す書状はいまも正伝永源院に多く残り、茶人としての姿をよく示しています。
正伝院を終の住処とする頃にはすでに当時の茶の湯に重要な役割を果たすようになっていました。正伝院に茶室「如庵」を造営し、茶の湯三昧の日々を送った有楽斎が生前に集めた茶道具は、没後、孫の織田三五郎(長好)が引き継ぎます。その後、これらは織田三五郎の遺言によって形見分けされ、残りは正伝院に寄進。今は、行方不明が多い。
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四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎
サントリー美術館、2024年1月31日(水)~3月24日(日)

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2024年2月26日 (月)

印象派 モネからアメリカへ モネ、絶望を超えて

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第358回

アルノ河の水辺の樹々に夢をみる、枯れ木に夕日が射すと希望を予感する、荒野にアーモンドの花が咲くと春を感じ、林檎の花が咲くと蘇りを感じ、子供を抱く母親に新生を見る。印象派の画家は陽光に輝く世界を表現した。クロード・モネ(1840-1926) 『印象・日の出』(1872)から印象派は始まる。印象派は、リアリズムの一派である。20世紀、海を超えて、メアリー・カサット、チャイルド・ハッサム、ジョゼフ・グリーンウッド、トマス・コールに影響を及ぼした。トマス・コール『アルノの眺望』に、フィレンツェのみずみずしい樹木と川の調和が描かれている。モネは、絶望をどう超えたのか。
【モネ、絶望を超えて】1879年9月5日カミーユ32歳で死す。この通りモネ39歳。1926年86歳まで生きる。【ジヴェルニー】1883年春、42歳のモネは、フランス北部ノルマンディー地方のセーヌ川流域のジヴェルニーに移り住む。〈積みわら〉の15点の連作を始める。モネは借りていた家と土地を購入。敷地を拡げて「花の庭」と「水の庭」を本格的に整備する。「水の庭」では、睡蓮を栽培し、池に日本風の太鼓橋を架けて藤棚をのせ、アヤメやカキツバタを植える。1890年代後半からは300点の〈睡蓮〉に取り組む。
1899年からロンドンを訪れ、〈チャリング・クロス橋〉や〈ウォータールー橋〉などの連作を数年かけて描く。【1891年にエルネスト・オシュデが死去すると、1892年にモネとアリス・オシュデは正式に結婚した。モネは51歳、アリスは48歳】1908年頃から、視覚障害に悩まされるようになった。筆致は粗く、対象の輪郭は曖昧になり、色と光の抽象的なハーモニーが画面を占める。
【モネとカミーユの出会い】カミーユはモネのお気に入りのモデルだった。初めは家族に内緒で交際していた二人。家柄の違いから家族に交際を反対され、正式に結婚できたのは出会いから約5年後の1870年。モネは結婚後も、愛妻をモデルとした絵を何枚か描いた。1879年9月5日カミーユ32歳で死す。この通りモネ39歳。1926年86歳まで生きる。
モネ『印象・日の出』(1872年)は印象派の名前の由来になる。1874年、仲間たちと、サロンとは独立した展覧会を開催して『印象・日の出』等を出展し、これはのちに第1回印象派展と呼ばれる歴史的な出来事となった。しかし、当時の社会からの評価は惨憺たるものであった。1878年まで、アルジャントゥイユで制作し、第2回・第3回印象派展に参加した(アルジャントゥイユ(1870年代))。1878年、同じくセーヌ川沿いのヴェトゥイユに住み、パトロンだったエルネスト・オシュデとその妻アリス・オシュデの家族との同居生活が始まった。妻カミーユを1879年に亡くし、アリスとの関係が深まっていった。他方、印象派グループは会員間の考え方の違いが鮮明になり、解体に向かった(ヴェトゥイユ(1878年-1881年))。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【世紀末の旅人】リアリズムからアンチリアリズムへ【アンチリアリズム、象徴派、ラファエロ前派、幻想派、フォービスム、形而上絵画、シュルレアリスム】
【20世紀、アンチリアリズムの世紀】19世紀ヨーロッパ文学はリアリズムを追求したが、20世紀はアンチリアリズムの世紀。18世紀小説、ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』に夏目漱石は、深い影響を受けた。これを実験したのが『草枕』(1906)。
【ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』】アンチリアリズムの実験をした夏目漱石『草枕』。(*未完の小説。全9巻1759年の末から1767年)。この18世紀小説に、20世紀文学、アンチリアリズム文学は深い影響を受けた。アンドレ・ジイド、カフカ、ジェイムズ・ジョイズ『フィネガンズ・ヴェイク』、ヴァージニア・ウルフ、マルセル・プルースト。他方、日本の明治文学は、1900年以降、やっとリアリズム文学に辿りつく。花袋『布団』藤村『破戒』。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
ジャン=バティスト=カミーユ・コロー《ヴィル = ダヴレーの牧歌的な場所ー池畔の釣り人》 (1865-70) ウスター美術館蔵
メアリー・カサット《裸の赤ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル(母と子)》(1902-03) ウスター美術館蔵
トマス・コール 《アルノ川の眺望、フィレンツェ近郊》(1837) ウスター美術館蔵
ウィンスロー・ホーマー《冬の海岸》(1892) ウスター美術館蔵
クロード・モネ《税関吏の小屋・荒れた海》(1882) 日本テレビ放送網株式会社蔵
チャイルド・ハッサム《花摘み、フランス式庭園にて》(1888) ウスター美術館蔵
クロード・モネ《睡蓮》(1908)ウスター美術館蔵
チャイルド・ハッサム《シルフズ・ロック、アップルドア島》(1907)、チャイルド・ハッサム《コロンバス大通り、雨の日》(1885)ウスター美術館蔵
ジョゼフ・H・グリーンウッド《リンゴ園》(1903) ウスター美術館蔵
エドマンド・チャールズ・ターベル《ヴェネツィアン・ブラインド》(1898) ウスター美術館蔵
ポール・シニャック《ゴルフ・ジュアン》(1896) ウスター美術館蔵
デウィット・パーシャル《ハーミット・クリーク・キャニオン》(1910-16)ウスター美術館蔵
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参考文献
モネ 連作の情景・・・人生の光と影
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-220389.html
キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ・・・美の根拠はどこにある
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-8e9885.html
マティス展・・・南仏の光《豪奢、静寂、逸楽》、色彩と線への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-c2781f.html
佐伯祐三 自画像としての風景・・・世紀末の旅人
https://bit.ly/3wx4tQw
印象派 モネからアメリカへ モネ、絶望を超えて
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/02/post-21e84b.html

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印象派 モネからアメリカへ 海を超えて花開いた印象派 ウスター美術館所蔵
第1回印象派展から150周年を迎える2024年、印象派がヨーロッパやアメリカへもたらした衝撃と影響をたどる展覧会を開催します。19世紀後半、大都市パリには国外からも多くの画家が集いました。パリで印象派に触れ、学んだ画家たちは、新しい絵画の表現手法を自国へ持ち帰ります。本展は、西洋美術の伝統を覆した印象派の革新性とその広がり、とりわけアメリカ各地で展開した印象派の諸相に注目します。
アメリカ・ボストン近郊に位置するウスター美術館は、1898年の開館当初から印象派の作品を積極的に収集してきました。このたび、ほとんどが初来日となる同館の印象派コレクションを中心に、日本でもよく知られるモネ、ルノワールなどフランスの印象派にくわえ、ドイツや北欧の作家、国際的に活動したサージェント、さらにはアメリカの印象派を代表するハッサムらの作品が一堂に会します。これまで日本で紹介される機会の少なかった、知られざるアメリカ印象派の魅力に触れていただく貴重な機会となります。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_worcester.html
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印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵
東京都美術館、1月27日~4月7日
福島県の郡山市立美術館(4月20日~6月23日)、東京・八王子市の東京冨士美術館(7月6日~9月29日)、大阪市のあべのハルカス美術館(10月12日~2025年1月5日)

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2024年2月 9日 (金)

本阿弥光悦の大宇宙・・・現世即、常寂光土

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第357回
本阿弥光悦、謎の生涯、多彩な才能の源泉は何か。「一生涯へつらい候事至てきらひの人」「異風者」『本阿弥行状記』。
――
【本阿弥光悦の謎】本阿弥家は刀剣三事(研磨、浄拭、鑑定)を家職とするのはなぜか。【光悦1558-1637】本阿弥光悦は俵屋宗達とどこで出会ったのか。なぜ楽焼の田中常慶に習ったのか、古田織部に茶の湯を学んだのか。元和元年(1615年)徳川家康から鷹峯の地を拝領したのはなぜか。豊臣家が滅びた元和元年凱旋の家康から鷹峯に東西ニ百間の土地を与えられ一族郎党、五十五軒の屋敷を構え移り住み洛中と往還したのはなぜか。本阿弥家の名は、一遍上人の遊行念仏、南無阿弥陀仏に由来する、なぜ日蓮法華衆に属したのか。雁金屋、尾形光琳・乾山はなぜ光悦の影響を受けたのか。
【光悦の母・妙秀】(光心の娘)は90歳で没したが類い稀な女性(『本阿弥行状記』)。【光悦は妙得との間に妙潤を】なぜ光瑳を養子とし孫・光甫を得たのか。光悦は70代で子をなしたとされる。【鷹峯】延宝7(1679)年、本阿弥家は光悦の夢の地、鷹峯を幕府に返上。なぜ64年間にわたる光悦の藝術村は終焉したのか。
【本阿弥妙秀、光二、織田信長】織田信長と光二は刀剣に関して昵懇であったが、信長の部下が有岡城落城のとき荒木村重の刀剣をめぐり讒言した。「身に曇りなきことは天道御存知なるべし」。妙秀は、賀茂山で鹿狩りの信長の馬の口に、突然取りすがった。夫は落ち度もなしにご勘気を蒙っております、無実を訴え、光二の命を織田信長に助命嘆願した。(『本阿弥行状記』三巻)妙秀の娘の一人は中立売小川の呉服商、雁金屋に嫁いだ。光琳・乾山兄弟の祖父・尾形宗柏。雁金屋は当時「殊の外貧しき」と言われる貧乏商人だった。妙秀「金銀を宝と好むべからず。富むほどに一層むさぼるのが世の常だ。しかし妙秀はその貪りを恐れた。善い心という以上の宝がこの世にありましょうか」
【本阿弥光悦】(1558-1637寛永14年(1637年)2月3日、享年80歳。
【日蓮法華衆】絵師、狩野永徳や長谷川等伯は光悦より15歳以上年長だが、熱心な日蓮宗徒。本阿弥家の菩提寺の本法寺(上京区)は、等伯が終生交わりを結んだ日通上人が住職を務める。
【光悦と宗達】【本阿弥光悦】は【八代当主本阿弥光刹(こうせつの)娘、妙得】を娶り、光悦の姉、妙光が九代当主本阿弥光徳に嫁ぐ。【雁金屋初代】光悦の姉、法秀は尾形道柏に嫁いだ。【俵屋宗達】は光刹(こうせつの)娘、と婚姻(『本阿弥家系図』)、光悦と義兄弟。頂妙寺檀徒、俵屋喜多川当主宗利の子、常通=宗達が蓮池常知の養子となり、俵屋蓮池一門のもう一つの家職、扇、絵屋工房を継承した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【本阿弥本光】15世紀半ばを生きた本阿弥本光は、室町幕府第6代将軍の足利義教に仕えた。【光二】光悦はその本光の曾孫として、永禄元(1558)年に生まれた。父親の光二は本阿弥家と縁続きの武家(片岡家)の出身で【七代当主光心】本光の息子・光心の養子に迎えられ、長女の妙秀(みょうしゅう)と結婚した。光二が養子に迎えられた後、光心には実子(八代当主光刹こうせつ)が生まれ、光二は別家を立てた。
【妙秀】母親の妙秀が、魅力的な女性だった。光悦の孫・光甫(こうほ)が綴った本阿弥家の家伝「本阿弥行状記」によれば、夫の光二が織田信長の勘気をこうむったとき、妙秀は鹿狩に出かける信長を追い、馬上の信長に夫の冤罪を直訴した。鐙(あぶみ=足をかける馬具)で蹴られながらも必死に訴える様子を見た信長は、ようやく勘気を解いた。
【刀剣三事】本阿弥家は室町時代、足利将軍家や守護大名家に仕え、本阿弥家は、刀剣三事(研磨、浄拭(ぬぐい)、鑑定)、を行う専門家であった。
【天下人・家康との縁】【光悦、多彩な才能】光悦の代になると家業にとどまらず書や蒔絵(まきえ)、陶芸と幅広く手がけるようになった。姻族だった扇商の俵屋宗達に絵を描かせ、光悦が書を担当した色紙や巻物は評判を呼び、多くの注文が舞い込んだ。芸術家、光悦の誕生である。
【刀剣三事】本阿弥家は刀剣の研磨・浄拭(ぬぐい)・鑑定を家業とし、光二は加賀前田家から扶持200石を受け、彼の息子である光悦もこれを継承。【書・陶芸・漆芸・能楽・茶の湯】光悦は家業よりも、書・陶芸・漆芸・能楽・茶の湯などに携わった数寄者としての活動でその名を残した。
【寛永の三筆】「三筆」の一人に数えられ、その書流は光悦流の祖と仰がれる。陶芸では楽焼の田中常慶に習ったと思われる茶碗、漆芸では装飾的な図柄の硯箱などが知られる。このうち漆工品では極く厚い夜光貝に鉛や銀などを併用し、斬新な意匠を創り上げ、その様式は「光悦蒔絵」と称されている。茶の湯は古田織部に学んだ。
【尾形光琳・乾山兄弟】の曾祖父・道柏の妻、法秀は光悦の姉であり、光悦と光琳は姻戚関係にあり。光悦の白楽茶碗「不二山」(国宝)にも関わった【楽焼の樂家の養子となった宗入(五代目当主)】の曾祖母も法秀であり、光琳・乾山とは従弟同士。
【養孫の本阿弥光甫】も陶芸家・茶人として著名。
光悦は、洛北鷹峯に芸術村(光悦村)を築いた。元和元年(1615年)に徳川家康から鷹峯の地を拝領した。光悦は、本阿弥一族や町衆、職人などの法華宗徒仲間を率いて移住した。光悦の屋敷は、死後に光悦寺となっており、彼の墓地もある。
【『本阿弥行状記』】「本阿弥家の家訓」等を光甫が書き、妙了が書写した本。
本阿弥光悦の養子・光瑳、孫光甫、孫娘・妙了
【本阿弥光悦と俵屋宗達の出会いは、異母兄弟】
【文化プロデューサー、本阿弥光悦】【光悦寺】
――
【俵屋宗達】1570年代生まれ1642年までに死す。享年70歳前後。
親交のあった角倉素庵や烏丸光広と同年代、1570年代かその少し前の生まれと推定。京都で「俵屋」という当時絵屋と呼ばれた絵画工房を率い、扇絵を中心とした屏風絵や料紙の下絵など、紙製品全般の装飾を制作していた。同時代の仮名草子『竹斎』には、この頃京都で「俵屋」の扇がもてはやされたと記されている。
【平家納経】宗達は単なる扇絵職人ではなく、慶長7年(1602年)5月に福島正則の命令で行われた平家納経の修復、その内3巻の表紙と見返しの計6図を描いた(史料上確認できる宗達の事績の初見)。元和2年(1616年)、後水尾天皇が狩野興以に貝合わせの絵を描くのを命じた際、「俵屋絵」を見せたとの記録が残る。寛永7年(1630年)には、後水尾天皇から屏風3双の制作注文があった。
【俵屋宗達、法橋の位】一流の文化人であった烏丸光広や本阿弥光悦らの書巻に下絵を描き、嵯峨本の出版にも関与したらしい。少なくとも寛永7年(1630年)には町の絵師としては異例の法橋の位が与えられていた、当時から一流の絵師とみなされていた。当時有数の茶人であった、千少庵を茶の湯に招くほどの教養人。宗達死後は、俵屋宗雪が工房の後を継いだ。宗雪は寛永19年(1642年)既に法橋に叙されていることから、宗達はこの少し前に亡くなったらしい。
「風神雷神図」(建仁寺蔵)、松島図 フリーア美術館 左隻右隻、鶴下絵和歌巻(下絵・宗達、書・本阿弥光悦)京都国立博物館、扇面散屏風 フリーア美術館、養源院杉戸絵、舞楽図 醍醐寺 左隻右隻
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
松嶋雅人「本阿弥光悦の実像―法華町衆ネットワークからのアプローチ」2024
「本阿弥光悦の大宇宙」図録、東京国立博物館、2024
高橋伸城『法華衆の芸術』
東晋平『蓮の暗号』
参考文献
参考文献
「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」・・・幻の曜変天目、本能寺の変
https://bit.ly/3UYWOpe
鈴木其一・夏秋渓流図屏風・・・樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉
https://bit.ly/2ZCzN3x
「大琳派展―継承と変奏」東京国立博物館・・・絢爛たる装飾藝術、16世紀から18世紀
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-c300.html
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎
https://bit.ly/3hIroVg
大塚ひかり『嫉妬と階級の『源氏物語』』新潮社
「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」・・・源氏物語絵巻の闇、日月四季山水図屏風、神護寺三像、平家納経
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-1388ed.html
本阿弥光悦の大宇宙・・・現世即、常寂光土
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/02/post-2af811.html
――

★★展示作品の一部
第一章「本阿弥家の家職と法華信仰――光悦芸術の源泉」、並んだ扁額を仰ぐことができる。千葉・中山法華経寺の「正中山」「妙法華経寺」、東京・池上本門寺の「本門寺」、京都・常照寺の「学室」
重要文化財 《紫紙金字法華経幷開結》、平安時代 11世紀 京都・本法寺蔵
蓮下絵和歌巻断簡(下絵・宗達、書・本阿弥光悦)17世紀 東京国立博物館
国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀
重要文化財 《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》(部分) 本阿弥光悦筆/俵屋宗達下絵、江戸時代 17世紀 京都国立博物館蔵
重要文化財 《黒楽茶碗 銘 時雨》 本阿弥光悦作、江戸時代 17世紀 愛知・名古屋市博物館蔵
重要文化財 《赤楽茶碗 銘 加賀》 本阿弥光悦作、江戸時代 17世紀 京都・相国寺蔵
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本阿弥光悦(1558~1637)は戦乱の時代に生き、さまざまな造形にかかわり、革新的で傑出した品々を生み出しました。それらは後代の日本文化に大きな影響を与えています。しかし光悦の世界は大宇宙(マクロコスモス)のごとく深淵で、その全体像をたどることは容易ではありません。
そこでこの展覧会では、光悦自身の手による書や作陶にあらわれた内面世界と、同じ信仰のもとに参集した工匠たちがかかわった蒔絵など同時代の社会状況に応答した造形とを結び付ける糸として、本阿弥家の信仰とともに、当時の法華町衆の社会についても注目します。造形の世界の最新研究と信仰のあり様とを照らしあわせることで、総合的に光悦を見通そうとするものです。
「一生涯へつらい候事至てきらひの人」「異風者」(『本阿弥行状記』)といわれた光悦が、篤い信仰のもと確固とした精神に裏打ちされた美意識によって作り上げた諸芸の優品の数々は、現代において私たちの目にどのように映るのか。本展を通じて紹介いたします。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2617
本阿弥光悦の大宇宙、東京国立博物館、平成館 特別展示室
2024年1月16日(火) ~ 2024年3月10日(日)

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2024年1月28日 (日)

「中尊寺金色堂」・・・魔界の入口、中尊寺金色堂の謎

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第356回
美術探訪、美への巡礼。特別展「中尊寺金色堂」大久保正雄
金色堂の須弥壇に、阿弥陀三尊像(阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩)、更に六体の地蔵菩薩、そして持国天、増長天が祀られている。この像容は、他に例が無く珍しい配置。吾妻鏡9巻(1189年)にこの像容の記載がある。国宝11体展示される。
魔界の入口【中尊寺金色堂の謎】藤原清衡は金色堂にどのような祈りをこめたのか。どのような一族の運命を願ったのか。中尊寺金色堂の原型は何か。藤原頼通は、平等院鳳凰堂に地上の極楽浄土を願った。なぜ今も千年前の姿をとどめるのか。宇治殿別荘、源融、藤原道長、紫式部は宇治に何を夢見たのか。紫式部は夢の果てに何を見出したのか。阿弥陀如来の極楽浄土の根拠はどこにあるのか。『仏説無量寿経』の根拠は何か。
【奥州藤原氏の悲劇】清衡は、一族繁栄、極楽浄土を願ったが、泰衡は源頼朝の罠にかかり一族滅亡。藤原清衡、基衡、秀衡、泰衡。三代秀衡(∸1187)は毛越寺を復興、社堂坊舎を増築し、堂搭四十余宇、僧坊五百余宇「吾妻鏡」。文治3(1187)年、頼朝の弟である義経が追放されて奥州へ落ち延び、秀衡のもとに身を寄せる。秀衡は息子たちに「義経を大将軍として仕え、奥州を守れ」と告げ、兄弟が争わないように取り計らうが亡くなる。だが側室から生まれた国衡と泰衡は対立。文治4(1188)年、義経の奥州潜伏が発覚、頼朝は泰衡たちへ義経討伐の命を何度も要請。泰衡は義経一行を攻め、自害に追いつめる。それにもかかわらず頼朝は全国の武士へ奥州攻め、泰衡は殺され、権勢を誇った奥州藤原氏四代は滅亡。
【藤原清衡、中尊寺金色堂】奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例。「金色堂 上下四壁は皆金色なり」『吾妻鏡』【阿弥陀三尊像】中央壇、右壇、左壇共に阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像)を中心に、左右に3躯ずつ計6躯の地蔵菩薩立像(六地蔵)、手前に二天像(持国天、増長天)を配し、以上11躯の仏像から構成される群像を安置。中央壇の阿弥陀如来像は丸顔で典型的な定朝様であり、定朝から3代目の円勢などの円派仏師の作風に通ずる12世紀前半の制作。
【平等院鳳凰堂】平安後期1052年、最大権力者であった関白・藤原頼通が父・藤原道長から継いだ別荘を仏寺に改めた『平等院』。そして翌1053年、当時最高技術を誇る仏師・定朝が造り上げた『阿弥陀如来坐像』を堂内に安置した『鳳凰堂』(阿弥陀堂)が完成した。国宝『鳳凰堂』は、摂関時代(平安中期)の建築を知ることができる藝術、堂内には金色の『阿弥陀如来坐像』が安置され、壁に『九品来迎図』や『極楽浄土図』が描かれ、建物内に優美な世界観が広がる。末法思想が貴族や僧侶らの間で広まり、1052年から末法になると信じられていた。死後に極楽往生を願う浄土信仰が広く浸透、南無阿弥陀仏を唱え阿弥陀如来を信仰すれば極楽浄土に行けると信じ、各地に阿弥陀堂が造られた。
【宇治別邸、源融】宇治の地は859年(貞観元年)第52代・嵯峨天皇の皇子である左大臣・源融が造営した別荘の地。第59代・宇多天皇、宇多天皇の孫、藤原頼通の父、藤原道長が源重信の婦人から譲り受け別荘「宇治殿」を創った。【紫式部『源氏物語』宇治十帖】光源氏のモデルは、源融と藤原道長。紫式部は、源融に憧れ、藤原道長の召人、中宮彰子の家庭教師。1001年(長保3)夏に宣孝が死に、1001年の秋ごろから『源氏物語』を書き始めた。1005年(寛弘2)ごろ年末に一条天皇の中宮彰子のもとに出仕。はじめ〈藤式部〉やがて〈紫式部〉と呼ばれる。紫式部の二百年後、『新古今和歌集』春の夜の夢の浮橋の歌がある。
【春の夜の夢の浮橋】「春の夜の夢の浮橋と絶えして嶺に別るる横雲の空」藤原定家、三十七歳の作である(建久八年(1197)12月5日、仁和寺守覚法親王五十首歌会)。春の夜の夢、たなびく曇が別れる空、実らぬ愛、魂の夢の浮橋。夢の浮橋とは『源氏物語』五十四帖の最終巻の巻名。見果てぬ夢のごとく、愛し合った男女、薫と浮舟が別れたまま終わる。【見果てぬ愛は、永遠に美しい】実らない愛は永遠に輝いている。定家は式子内親王と禁断の恋をし、逢ひて逢はぬ恋になる。「玉の緒よ絶えなば絶えね、ながらへば忍ぶることのよわりもぞする」式子内親王。わたしの命よ。絶えてしまうというなら絶えてしまえ。生きつづけていたならば、恋心を秘めておくことができないから。
【浄土教、大乗仏教はファンタジー】浄土教の根拠は『仏説無量寿経』である。だが、ゴータマ・ブッダが説いたものではないことは言うまでもない。1世紀に仏典作者が創作した。『仏説無量寿経』。説法の舞台は王舎城(ラージャグリハ)耆闍崛山(ぎじゃくっせん)、ある国の王が世自在王仏の説法を聞いて、王位を捨てて出家し、法蔵菩薩となり、五劫という長い間思惟して、無量の寿、無量の光をもつ阿弥陀浄土に生まれたいと願い、この第十八願を「本願」、すべての人びとを信心と念仏によって救う本願こそ、浄土教の教えの根本。法蔵菩薩は願いを実現するために、兆載永劫果てしなく長い間修行を重ね、阿弥陀如来となった。
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著者 大久保正雄 プラトン哲学、美学、密教の比較宗教学、宗教図像学。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。上智大学大学院、北海道大学大学院博士後期課程修了。
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「建立900年 特別展 中尊寺金色堂」
会場:東京国立博物館 本館特別5室 会期: 2024年1月23日(火)~4月14日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時 ※入館は閉館の30分前まで
休館日 :月曜日、2月13日(火)※ただし、2月12日(月・休)、3月25日(月)は開館
問い合わせ先 050-5541-8600(ハローダイヤル)
詳しくは東京国立博物館公式サイト https://www.tnm.jp/
★★★★★
参考文献
末木文美土『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』新潮社1992
末木文美土『仏典を読む 死から始まる仏教史』新潮社2009
「法然と親鸞 ゆかりの名宝」東京国立博物館・・・宗教は麻薬
「空也上人と六波羅蜜寺」・・・亡き人を想う、生死の境、南無阿弥陀仏
親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝・・・西方浄土、阿弥陀如来の本願、『歎異抄』善人なほもて往生をとぐ
「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」・・・源氏物語の謎
「中尊寺金色堂」・・・魔界の入口、中尊寺金色堂の謎
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2024年1月22日 (月)

美術館スケジュール2024年・・・旅する哲学者、美への旅

Honami-kouetsu1-tnm-2024
Monet-worcester-2024
De-chirico-tmm-2024
Chusonji-2023-tnm-2024
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第355回
【理念を追求する精神】邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、忠恕、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。
【五百年先の利益を考える人】天下人か聖人、空海、嵯峨天皇、織田信長【目先の利益を考える人】忖度官僚、忖度教授、家康、親鸞、儒者、御用学者、社畜、カネに汚い女【20年先の利益を考える人】大谷翔平、栗山英樹【千年先の利益を考える】神々【ソクラテス】魂ができる限り善きものになるように配慮しなければならない。」(『ソクラテスの弁明』29d-e)
黄昏の丘、万巻の書を読み、万里を行く。われに聞くに非ず、ロゴスに聞いて、真理を知れ。智慧と愛を求めて、魂の果てを旅する。純粋な魂に、守護精霊、美の女神が舞い降りて、探求者を救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【空海『聾瞽指帰』(797)】兎角公の屋敷で兎角公の甥蛭牙公子に放蕩青年を翻意、亀毛先生は儒教学問を学び立身出世することを教え、虚亡隠子は道教の不老長寿を教え、空海の化身である仮名乞児は仏教の諸行無常と慈悲を教える。空海が大学寮明経科退学、官僚の立身出世を辞す。【『三教指帰』】「本書は3つの宗教を比較し、空海自身と宗教との関係について考察している、日本における宗教学の先駆け。比較宗教学」島薗進
【星の王子さま、6つの星】命令する王様、探検家の報告を利用する地理学者、カネを数える実業屋、酒に溺れる飲んだくれ、自慢に溺れる自惚れ屋、日常業務に邁進する点燈夫。偏奇な星の主たち。【星の王子さま】7番目の星地球は、111人の王様 、7千人の地理学者 90万人の実業屋 、750万人の飲んだくれ、3億1100万人のうぬぼれ、かれこれ20億人の大人が住んでいる
【カネと地位で買えない価値】富とは、お金で買えないものをどのくらい持っているかである。お金で家は買えるけれど家庭は買えない。お金で学校は買えるけれど学問は買えない。知性は買えない。お金で地位は買えるけれど人格は買えない。魂の価値は買えない。
【ファシズム倫理学、神の代理人、命令で動く体系】「汝の意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当するように行為せよ」定言命法、第一の定式「汝の人格と他者の人格の内なる人間性を手段としてのみではなく常に同時に目的として扱うように行為せよ」定言命法、第二の定式 カント『純粋理性批判』『道徳形而上学原論』
空海は、何故、不空『理趣釈経』を最澄に借覧拒否したのか。
不空『理趣釈経』【『般若理趣経』第三段】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」不空訳『理趣釈』において三界の衆生とは三毒の煩悩と注釈されている。天人は三悪趣*と戦う。(地獄・餓鬼・畜生)。三悪趣、空海『秘密曼荼羅十住心論』第一住心。
【空海、聖なるものは悪を滅ぼす】空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。貪瞋痴。
空海【聖なる者は悪を滅ぼす】『理趣経』「第三段」の教説に関して不空訳『理趣釈』において三界の衆生とは三毒の煩悩と注釈されているが、当該注釈の方向性は空海にも継承され、空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1月
特別展「本阿弥光悦の大宇宙」、東京国立博物館、1月16日(火)~3月10日(日)
建立900年 特別展 中尊寺金色堂」、東京国立博物館 本館特別5室、2024年1月23日(火)~4月14日(日)
『サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展』、千葉市美術館、1月6日(土)~3月3日(日)
「うるしとともに― くらしのなかの漆芸美」泉屋博古館東京、1月20日(土)〜2月25日(日)
水木しげる生誕 100周年記念、水木しげるの妖怪 百鬼夜行展、横浜そごう美術館、
~お化けたちはこうして生まれた~、2024年1月20日(土)〜3月10日(日)
印象派 モネからアメリカへ、ウスター美術館所蔵、東京都美術館、1月27日(土)〜4月7日(日)
「四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎」サントリー美術館、1月31日(水)~3月24日(日)
「オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」「麻布台ヒルズギャラリー」2023年11月24日(金)から2024年3月31日(日)、開館記念展
2月
ムットーニワールド からくりシアターⅤ、八王子市夢美術館、2月3日(土)〜2024年3月24日(日)
中平卓馬 火―氾濫、東京国立近代美術館、2月6日~4月7日
池大雅ー陽光の山水、出光美術館、2月10日~3月24日
マティス 自由なフォルム、国立新美術館、2月14日(水)~5月27日(月)
美術家たちの沿線物語 小田急線篇、世田谷美術館、2月17日(土)〜4月7日(日)
山種美術館 日本画アワード 2024 ― 未来をになう日本画新世代 ―、2月17日(土)~3月3日(日)
「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」、東京ステーションギャラリー、2月23日(金・祝)~4月14日(日)
3月
「長谷川潔 銅版画の世界 自然をみつめるまなざし」、群馬県立近代美術館、2024年3月2日(土)~4月7日(日)
『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本、板橋区立美術館、2024年3月2日(土曜日)〜4月14日(日曜日)
遠距離現在 Universal / Remote、国立新美術館、 3月6日(水)〜6月3日(月)
「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」、3月12日(火)〜5月12日(日)
「花・flower・華 2024 ─奥村土牛の桜・福田平八郎の牡丹・梅原龍三郎のばら─」、山種美術館、3月9日(土)か〜5月6日(月・振)
第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」(横浜美術館)3月15日~6月9日
ライトアップ木島櫻谷、泉屋博古館東京)3月16日~5月12日(日)
MUCA森アーツセンターギャラリー、3月15日[金]〜6月2日[日]
特別展「大哺乳類展3-わけてつなげて大行進」、国立科学博物館、3月16日(土)~6月16日(日)
「大吉原展」東京藝術大学大学美術館3月26日〜5月19日
ブランクーシ 本質を象る、アーティゾン美術館、3月30日(土)〜2024年7月7日(日)
4月
特別展「法然と極楽浄土」、東京国立博物館、4月16日(火)~ 6月9日(日)
デ・キリコ展、東京都美術館、4月27日(土)~8月29日(木)
サントリー美術館コレクション展 名品ときたま迷品、4月17日(水)~6月16日(日)
どうぶつ百景、東京ステーションギャラリー、4月27日(土)から6月23日(日)
「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」奈良国立博物館、4月13日~6月9日
雪舟伝説-「画聖(カリスマ)」の誕生-、京都国立博物館、4月13日~5月26日
「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」(静嘉堂@丸の内)4月13日~
5月
犬派?猫派? ―俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで、山種美術館、5月12日(日)〜7月7日(日)
「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」東京国立近代美術館、5月21日~ (大阪中之島美術館)9月14日~
花とゆめ」、5月24日(金)〜6月30日(日)、東京シティビュー
6月
石川九楊大全、上野の森美術館)6月8日~
「写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙」国立西洋美術館、6/11(火)〜8/25(日)
7月
「徳川美術館展 尾張徳川家の至宝」、サントリー美術館、7月3日~9月1日
「神護寺 一 空海と真言密教のはじまり」東京国立博物館、7月17日~9月8日
「ポール・マッカートニー写真展1963-64~Eyes of the Storm~」東京シティビュー、7月~9月
空間と作品、アーティゾン美術館、7月27日~10月14日
「美麗なるほとけ、根津美術館、7月27日~
8月
「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」、東京都現代美術館、8月3日(土) ~11月10日(日)
9月
「没後300年記念 英一蝶(仮)」、サントリー美術館、9月18日~11月10日
田中一村展 奄美の光 魂の絵画、東京都美術館、9月19日(木)~12月1日(日)
10月
モネ 睡蓮のとき、国立西洋美術館、2024年10月5日(土)〜2025年2月11日(火・祝)
「織田信長文書の世界(仮)」(東京・永青文庫)10月5日~
特別展「はにわ」(東京国立博物館)10月16日~(九州国立博物館)2025年
11月
「トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル(仮)」(東京・三菱一号館美術館)11月23日~
12月
「坂本龍一展(仮)」(東京都現代美術館)12月21日~
英英紅綠 第49回 白日会会員選抜展、日本橋三越6階、美術特選画廊、12月18日(水)〜12月23日(月)
英英紅緑展、山本大貴『十六夜』8号、130万円、1982生まれ。松林淳『装う』6号17万円、1962年生まれ。岩本将弥『葵時雨』6号17万円、1992年生まれ。
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2023年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-e79299.html
2024 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/01/post-2bbea0.html
美術館スケジュール2024年・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/01/post-128bbb.html

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2024年1月 1日 (月)

2024 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅

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2024 長楽万年 蘇る不滅の精神 美と戦い
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第354回
【理念を追求する精神】理念を探求する人は、邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、忠恕、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人。理念を追求する人は、この世の闇の彼方に美を求める。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
フランソワ・ジェラール『アモルとプシュケ』1798年
プシュケはある王国の三女であったが 、プシュケはあまりの美貌ゆえに求婚するものが現れず、神託により人身御供に捧げられた。ヴィーナスが美しさに嫉妬して遣わした息子アモルは見惚れる。自分の矢で傷つき、アモルによって天上の宮殿に略奪された。アモルを見ることを禁じられたプシュケは、アモルの姿をある夜、見てしまい、アモルを探し求めて世界中を彷徨う。ヴィーナスに4つの苦難を与えられたプシュケ。
【最後の難題は、冥界の女王ペルセポネから、美の函を地獄から持ち帰ること】プシュケはほとんど地上まで持ち帰るが、好奇心に勝てず、開けてしまう。しかしその函には、美のかわりに深い眠りが入っていて、プシュケは深い眠りにつく。プシュケは第4の苦難を解き、他方、アモルはプシュケを探している。眠っているプシュケを見つけ、その矢でついて目覚めさせる。プシュケは、アモルと天上界で結ばれる。
ルーヴル美術館、愛を描く・・・愛の絵画、愛と美の迷宮
蔵書数万冊の整理、論文、著作計画の完遂、取材、執筆活動の遂行。プラトンのように死ぬまで書いて行きたいと思います。
アグリジェントの神殿の谷、海の見える丘に聳えるコンコルディア神殿、神殿群、海の彼方に沈む夕日、撮影に行きたいと思います。
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1、美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
2、
【理念と現実の一致】思想家は、理念を現実において成就することを追求する。プラトン哲学は、国家において知恵が実現することを追求する。空海は、即身成仏を追求する。
3、
【空海、悪霊調伏】不空『理趣釈経』【『般若理趣経』第三段】「金剛手よ、もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」天人は三悪趣*と戦う。(地獄・餓鬼・畜生)【空海、聖なるものは悪を滅ぼす】空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。貪瞋痴。
4、
【愛と復讐の叙事詩】アレクサンドロス大王、父フィリッポス2世を暗殺。クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
【偉大なる王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人を残す。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテン王29歳。ツタンカーメン18歳。アンケセナーメン27歳。美しきネフェルティティ63歳。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
5、
【理念を探求する精神、美と復讐の精神史】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年74歳。空海835年61歳。李白 762年61歳。孔子紀元前479年74歳。織田信長1582年49歳。アレクサンドロス大王紀元前323年33歳。嵯峨天皇842年56歳
【思想家の死、詩人の死、藝術家の死】ソクラテス、紀元前399年70歳。プラトン紀元前347年74歳。アリストテレス紀元前322年62歳。孔子紀元前479年74歳。空海835年61歳。藤原定家1241年79歳。李白 762年61歳。北斎1849年90歳。
6、
【東西文化交渉史】ミケーネ文明、ミノア文明とトロイア文明を滅ぼす。ギリシア美術、紀元前5-4世紀、最盛期、BC334アレクサンドロス大王の遠征、ペルシア帝国征服、インド遠征、ガンダーラ美術、ペルガモン王国誕生、シルクロード経由、7世紀北魏南梁から飛鳥彫刻、8世紀天平彫刻、9世紀、弘仁貞観、密教美術、12世紀、運慶彫刻
7、
【六道輪廻と六観音菩薩】如意輪観音菩薩、天道の天人を救う。聖観音菩薩、地獄道の者を救う。千手観音菩薩、飢えと渇きの餓鬼道の者を救う。馬頭観音菩薩、動物の弱肉強食の畜生道の者を救う。十一面観音菩薩、怒りと争いの修羅道の者を救う。准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、人道の者を救う。
8、
【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検隊グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生の舞台、必殺技をどう披露するか。卓越した技、強み弱み、どう発揮する。織田信長は、明晰透徹な指揮官、武の七徳を探求する。
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参考文献
大久保正雄「ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
https://bit.ly/3ryn9gI
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社
https://bit.ly/3qv01OA
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宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
https://bit.ly/3usmqyp
2023年、美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-e79299.html
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新古典主義、ダヴィッドと弟子たち・・・「ソクラテスの死」「アモルとプシュケ」
https://bit.ly/40uIiI2
★★★
仏教史、哲学史
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-f2daa5.html
プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-83ae10.html
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2024 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/01/post-2bbea0.html
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フランソワ・ジェラール『アモールとプシュケ』1798
ボッティチェリ『マニフィカートの聖母』
ツタンカーメン黄金のマスク
ミケランジェロ『ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ』
東寺『インドラ天』9世紀、運慶『大日如来』 建久4(1193)年

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