2024年7月17日 (水)

「神護寺」密教の謎・・・五智如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、無量寿如来、不空成就如来

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第373回
五智如来、5つの智慧は、法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智である。
【空海、即身成仏義、仏身、法身、報身、応化身は一つである】【仏身論、三身説】「大日如来が釈尊と同じものか、違うものか千年かかって議論されてきた。『金剛頂経』に答えは書かれている。一切義成就菩薩はシッダールタをさす、目的を成就したという意味である」松長有慶『密教経典、理趣経』1984 P162
【瑜伽行唯識学派、世親】世親(Vasubandhu)「唯識三十頌」では八識説を唱え、種子は前五識から第6識・意識、第7識・末那識を通過して、第8識・阿頼耶識に飛び込んで、阿頼耶識に種子として薫習される。これが思考であり、外界認識である種子生現行。このサイクルを阿頼耶識縁起と言う。4世紀。
【梵我一如】「梵我一如」「宇宙原理の梵(ブラフマン)と個我(アートマン)は一つのものである」バラモン教聖典『ウパニシャッド』「伝家の宝刀、開けてはならぬ箱を開けてしまった」「梵我一如」という表現は膨大なインド哲学文献の中でまれにしか現れない。立川武蔵1995、P84
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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美術探訪、美への旅、「神護寺」、空海の謎。大久保正雄
神護寺(高雄山寺)は、第16次遣唐使で唐から帰国した空海が活動の拠点としたことから真言密教の出発点となった。天長元年(824年)、高雄山寺と神願寺という二つの寺院が一つになり、神護国祚真言寺(神護寺)が誕生。それ以来、神護寺は真言密教の聖地として約1200年間の歴史を歩んできた。神護寺は、空海ゆかりの古刹とである。唐で密教を学んだ空海は、神護寺の前身で、平安遷都を提案した和気清麻呂の氏寺、高尾山寺を帰国後の活動の拠点とした。この神護寺で、最大の重要事は、空海と最澄の出会い、空海が最澄とその弟子たちに灌頂を授けたことである。「創建1200年記念、神護寺」東京国立博物館、が始まる。
国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」「薬師如来立像」「国宝 五大虚空蔵菩薩坐像」「伝源頼朝像」、国宝17点をはじめ密教美術100件が展示される。日本史上至高の思想家、空海の謎、密教の謎を考えてみよう。
【空海の謎】空海は、なぜ大学寮明経科を退学したのか。なぜ山林修行の僧の道を選んだのか。なぜ第16次遣唐使で留学僧として長安に行き、青龍寺の恵果に就いて密教を授けられたのか。空海と最澄は、なぜ決別したのか。なぜ空海と嵯峨天皇は、交友関係を結んだのか。【密教の謎】金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅は何を表現するのか。密教の奥義・即身成仏はどのように到達できるのか。なぜ空海の密教は民衆に魅力的なのか。空海の書は貴族たちに所望されたのか。
【遣唐使船、沈没】延暦22年(803)4月、第16次遣唐使は船出した。このとき、最澄はいたが、空海はいなかった。瀬戸内海で難破、翌年に延期された。4艘の船のうち沈んだ船に乗船していた留学僧は再度の乗船を許されなかった。欠員を補充するため空海は選ばれた。(西山厚)
【最澄と空海、遣唐使】延暦23年(804)第16次遣唐使。7月、五島列島の奈留島を船出して唐に向かったが、難破、第三船と第四船は沈没。遣唐使船の第二船に、38歳の還学生・最澄、第一船に、31歳の留学生(るがくしょう)20年の長期留学生の空海が乗船。最澄はエリート官僚で、訳語・義真が従事。空海は、最澄と雲泥の差、私度僧。どのようして留学生に選ばれたか不明〈伯父の阿刀大足が桓武天皇の皇子・伊予親王の師であったことが関与か〉
【空海、最澄と決別】弘仁4(813)年、『理趣釈経』借覧拒否。最澄に答えた書簡。「古の人は道の為に道を求め、今の人は名利の為に求む。名の為に求むるは、道を求むる志にあらず。」「夫れ秘蔵の興廃は唯汝と我なり」空海『答叡山澄法師求理趣釈経書』
【密教の奥義、即身成仏】二頌八句に書かれている。【空海『即身成仏義』819-820】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)四種曼荼各離れず(相)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)
【奥義の意味】最重要なのは、瑜伽(Yuga相即融一)と成仏(仏陀になることである。法身・報身・応化身の相即融一、仏身と人の身体・言葉・心の三種の形態、身密・口密・意密が、感応しあっているので、速やかに法身、大日如来、仏陀の悟りの世界があらわれる。あらゆる身体が、インドラの持つ網につけられた宝石のように、幾重にもかさなり合いながら映しあうことを、「即身」という。(瑜伽)あらゆるものは、あるがままに、すべてを知る智を備えていて、すべての人々には、心そのもの(心王)と心の作用(心教)が備わって、無数に存在している。心そのものと心の作用のそれぞれには、五智如来の智慧と、際限ない智慧が備わっている。それらの智慧をもって、明らかな鏡のようにすべてを照らしだすから、真実をさとったものとなる。
【五智如来とは何か】大日如来、阿閦如来、宝生如来、無量寿如来、不空成就如来【五智(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)【五つの知恵】第9識(阿摩羅識)、第8識阿頼耶識、第7識末那識、第6識意識、成所作智=前五識(眼識、耳識鼻識、舌識、身識)
金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅の意味【金剛界曼荼羅】智拳印の大日如来を中心に、阿閃、宝生、阿弥陀、不空成就の五智如来をはじめとする金剛界三十七尊を含む1500体。【胎蔵曼荼羅】法海定印の胎蔵界の大日如来、宝幢如来、開敷華王如来、無量寿如来、天鼓雷音、胎蔵界五仏を中心に409体が描かれる。
金剛界曼荼羅は、大日如来の智慧への上昇と原理から下降して地上界の現実を克服すること。胎蔵曼荼羅は、大日如来の慈悲への回帰と慈悲からの誕生。智慧への上昇と慈悲への回帰。宇宙原理への帰一。
【金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅、密教美術はなぜ、表現されるのか】「密蔵、深玄にして、翰墨(かんぼく)に載せがたし。かわりに図画をかりて、悟らざるに、開示す」「真言秘蔵は経疏に隠密にして、図画を仮らざれば相伝すること能わず」(空海『請来目録』)
密教美術を見る意義は、ここにある。密教のシンボリック・イメージの意味を解読することによって、密教の智慧と慈悲を学ぶことは、日本文化の根源を学ぶことにほかならない。空海の足跡をたどり、密教の思想の旅に出よう。
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展示作品の一部
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)のうち金剛界 平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 後期展示
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)のうち胎蔵界 平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 前期展示
国宝 伝源頼朝像 鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示
国宝 灌頂暦名 空海筆 平安時代・弘仁3年(812) 京都・神護寺蔵 7月17日(水)~8月25日(日)
重要文化財 大般若経 巻第一(紺紙金字一切経のうち)(部分) 平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
金銅梵釈四天王五鈷鈴 高麗時代 京都・神護寺蔵 通期展示
国宝 薬師如来立像 平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示/日本彫刻史上の最高傑作ともされる、重量感あふれる仏像
国宝 五大虚空蔵菩薩坐像、金剛虚空蔵、業用虚空蔵、法界虚空蔵菩薩 蓮華虚空蔵、宝光虚空蔵、平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 五大虚空蔵菩薩像は、承和3年(836年)から承和12年(845年)の間に、仁明天皇の御願により、弘法大師の高弟真済僧正が建立した宝塔院の本尊として安置された。
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創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」
会場:東京国立博物館 平成館
会期:2024年7月17日(水)~9月8日(日)
休館日:月曜日(ただし8月12日は開館)、8月13日(火)(総合文化展は8月13日開館)
開館時間:午前9時30分~午後5時
※金曜・土曜日は午後7時まで ※入館は閉館の30分前まで
料金:一般 2,100円(1,900円)/大学生 1,300円(1,100円)/高校生 900円(700円)東京国立博物館公式サイト
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著者 大久保正雄 プラトン哲学、美学、密教の比較宗教学、宗教図像学。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。上智大学大学院、北海道大学大学院博士後期課程修了。
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参考文献
「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」・・・大日如来、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-f6ef9c.html
修行僧、空海・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-2f9322.html
「神護寺」密教の謎・・・五智如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、無量寿如来、不空成就如来
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/07/post-d32220.html
創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」東京国立博物館公式
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2649

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2024年6月27日 (木)

ブランクーシ 本質を象る・・・真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第372回

ブランクーシは世界最高峰の彫刻家ロダンの工房に就職したが、1か月で退職した。ブランクーシ彫刻は、概念ではなく、本質を表している。概念ではなく、本質である。概念は、言葉があって、はじめて存在する。本質と現象、生成消滅する自然界に対して、本質が存在する。原範型と似像、原範型があって、似像は存在する。普遍は、個物に対して存在する。プラトン哲学は本質の探究である。
【アリストテレス『形而上学』】アリストテレス哲学は科学主義、自然学者であり論理学者、普遍(類)と概念の探究である。「何であるか」の問いに対する答えが「ト・ティ・エーン・エイナイ」である。アリストテレス『形而上学』の「ウーシア」(実体)には、第一実体と第二実体があり、第一実体は本質であり、第二実体は基体(ヒュポケイメノン)である。アリストテレス、4原因論、形相因・質料因・始動因・目的因。可能態と現実態・完全現実態は、『自然学者』である。『形而上学』「第一哲学は、存在する限りの存在する者を探究する。
「真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である」ブランクーシ What is real is not the outer form, but the idea, the essence of things.
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質】師が優れているか否か【世界観、基礎認知力、体系、知的直観】【知的卓越性とともに人格の卓越性をもつ人は稀である】人生が夢を作るのではない。夢が人生をつくる。先入観を持たない。先入観は可能を不可能にする。
【人生の目的は、魂を磨くことにあり。地位と金銭を得るにあらず】人もし全世界を得るとも、その霊魂を失えば何の益あらん。自己に頼るべし。他人に頼るべからず。能く天の命に聴いて行うべし、神人合一、梵我一如の境地に到達すべし。成功本位の立身出世主義に従うべからず。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
コンスタンティン・ブランクーシ《眠れるミューズ》 1910–11年頃 石膏 大阪中之島美術館
コンスタンティン・ブランクーシ《接吻》1907-10年 石膏 石橋財団アーティゾン美術館
コンスタンティン・ブランクーシ《雄鶏》1924年(1972年鋳造)ブロンズ 豊田市美術館
コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》1926年(1982年鋳造)
ブロンズ 大理石(円筒形台座)、石灰岩(十字形台座) 横浜美術館
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参考文献
キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ・・・美の根拠はどこにある
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-8e9885.html
ブランクーシ 本質を象る・・・真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-a42dd8.html

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コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)83歳
ルーマニアのホビツァに生まれる。ブカレスト国立美術学校に学んだ後、1904年にパリに出て、ロダンのアトリエに助手として招き入れられるが、1か月で辞職、独自に創作に取り組み始める。「ロダンの彫刻に失望した」。同時期に発見されたアフリカ彫刻などの非西欧圏の芸術に通じる、野性的な造形を特徴とするとともに、素材への鋭い感性に裏打ちされた洗練されたフォルムを追求。同時代および後続世代の芸術家に多大な影響を及ぼした
真なるものとは、外面的な形ではなく観念、つまり事物の本質である
What is real is not the outer form, but the idea,the essence of things.
20世紀彫刻の先駆者ブランクーシ 
その唯一無二の創作の全容が明らかに
ルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)は、純粋なフォルムの探究を通じて、ロダン以後の20世紀彫刻の領野を切り拓いた存在として知られます。本展は、彫刻作品を中核に、フレスコ、テンペラなどの絵画作品やドローイング、写真作品などが織りなす、ブランクーシの創作活動の全体を美術館で紹介する、日本で初めての機会となります。ブランクーシ・エステートおよび国内外の美術館等より借用の彫刻作品約20点に、絵画作品、写真作品を加えた、計約90点で構成されます。
https://www.artpr.jp/artizon/brancusi2023
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ブランクーシ 本質を象る、アーティゾン美術館、2024年3月30日(土)〜2024年7月7日(日)

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2024年6月12日 (水)

犬派?猫派? 俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで・・・遣唐使船で経典を守る猫

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第371回

母の愛犬、トイプードル、守護精霊となって帰ってきた。学問僧を守るために。
【犬と藝術】縄文時代から猟犬として飼われて。弥生時代、番犬として飼われ、古墳時代、犬の埴輪も作られた。室町時代幕府による明との勘合貿易、ポルトガルとの南蛮貿易で唐犬、南蛮犬が珍重された。江戸時代、犬は放し飼いが一般的だったが、狆は愛玩犬として身分の高い女性や遊女に室内で飼われていた。喜多川歌麿『美人五面相 犬を抱く女』【愛犬家】円山応挙『雪中狗子図』1784長澤芦雪『菊花子犬図』18c、守屋多々志『慶長使節支倉常長』1981、川端龍子『立秋』
【日本の猫】奈良時代、遣唐使船で仏教経典を守るため、鼠を捕る猫を載せて渡来。弥生時代には人と猫が暮らしていた痕跡あり。平安時代、猫は貴族のペットとして紐で繋がれていた。道長の正妻・源倫子は猫を紐で繋いだ。源倫子は90歳まで生きた。『源氏物語』女三ノ宮の柏木が出会う場面に猫が出る。江戸時代、放し飼いされ鼠除けとして重宝される。猫好きの絵師・歌川国芳は猫を何匹も飼っている。近代の愛猫家・藤田嗣治はサインの代わりに猫を描いた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【菱田春草『黒き猫』永青文庫】1910第四回文展に出展された作品。しかし、最初は美人画を出品する予定だった。大きく曲がった柏の木の幹に1匹の黒猫がうずくまり、じっとこちらを見つめている。輪郭のぼかしによる、柔らかな毛並みの表現が見事である。思わず触れてみたくなる。一方、柏の樹や葉は平面的に表されているが、黒猫と調和している。猫の黒と柏の葉の金色の対比も鮮やか。写実と装飾が見事に一致した傑作と、発表当時から高い評価を得た。菱田春草は36歳の若さで早世したが、4点の作品が重要文化財に指定されており、近代の美術家として最多である。伝統的な美意識と、西洋絵画の色彩表現や空間表現とをいかに融合させていくか、一作ごとに新たな表現を開拓していった結果である。
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「動物に対して残酷な人間は、人間との取り引きにおいても厳しい存在になる。動物への扱いで人間の心を判断することができる。」カントの言葉
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展示作品の一部
長沢芦雪 《菊花子犬図》18世紀(江戸時代) 個人蔵
円山応挙《雪中狗子図》(1784年、個人蔵)
歌川国芳《猫飼好き五十三疋》1848
伊藤若冲 狗子図 18世紀(江戸時代) 紙本・墨画 個人蔵
竹内栖鳳 《班猫》 1924年 山種美術館蔵 【重要文化財】
川端龍子 立秋 1932(昭和7) 絹本・彩色 大田区立龍子記念館
速水御舟 《翠苔緑芝》 1928年 山種美術館蔵
藤田嗣治《Y 夫人の肖像》(株式会社三井住友銀行)1935は、女性と4匹の猫を描いた
古屋多々志「慶長使節支倉常長」1981
解説の山下裕二先生は、俄然猫派
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没後80年記念「竹内栖鳳」・・・竹内栖鳳「班猫」村上華岳「裸婦図」
https://bit.ly/3TkPJ0z
どうぶつ百景 江戸東京博物館コレクションより・・・歌川広重「名所江戸百景」1857
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-f7b3b4.html
犬派?猫派? 俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで・・・遣唐使船で経典を守る猫
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-03c2db.html
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特別展:犬派?猫派? ―俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで―
会期:2024年5月12日~7月7日(前期:5月12日~6月9日、後期:6月11日~7月7日 
会場:山種美術館
住所:東京都渋谷区広尾3-12-36
開館時間:10:00~17:00 ※入館は閉館30分前まで
https://www.yamatane-museum.jp/access/

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2024年6月 2日 (日)

空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第370回
1,密教の謎、仏教史の矛盾
【密教の謎】仏教史の根本矛盾、無我説と輪廻転生、龍樹の中観派と無著・世親の瑜伽行唯識派、仏身論(三身論、法身、報身、応化身)、法身大日如来と即身の相即融一、身密・口密・意密どのように相即融一するのか。『即身成仏義』819-820 『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝』830。
五智とは何か。五智如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来(無量寿如来)、不空成就如来。『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』。大日如来が宇宙の根本原理であり、至高の存在である。【大日如来の5つの智慧(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)】を象徴する五智如来。大日如来の知恵、法界体性智は、自性清浄なる大日如来の絶対智、他の四智を統合する智恵である
【事相と教相】密教において「実践」修法・灌頂・真言陀羅尼・月輪観など実践的な修行に対して、「学問」教義を理論的に研究する。
2、空海、旅立ち
【空海の謎】(延暦七788年)佐伯真魚、十五歳、なぜ阿刀大足のもとで学んだのか。十八歳791年大学寮明経科入学。一族の期待「佐伯今毛人、大伴家持」のような官人になる。十九歳792年長岡京式部省大学寮明経科、なぜ退学したのか。山林修行、何故一沙門に出会い学んだのか。24歳『聾瞽指帰』(797)、儒教・道教・仏教の比較宗教学の署、なぜ書かれたのか。804年私度僧・空海がなぜ遣唐使船の留学僧になることができたのか。806年遣唐判官高階遠成に付して『請来目録』を奏上したが入京を許されないのは何故か。留学僧の滞在期間短縮、国禁なのに、809年嵯峨天皇の入京の勅許が下りたのは何故か。816年、最澄と空海は決別するのは何故か。
空海「古の人は道のために道を求める。今の人は名利のため、地位と利益追求のために道(学問)を求める。求道の志は己の道を失っている。」古人、道のために道を求む。今の人は名利の為に求む。名のために求むるは求道の志とせず。求道の志は己を道法に忘るなり。」「叡山ノ澄法師理趣釈経ヲ求ムルニ答スル書」814-816(『性霊集』)この2年後816年、最澄と空海は決別する。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【空海『秘密曼荼羅十住心論』(830) 】淳和天皇の詔勅(天長6)による。日本には諸宗派があり、各の宗派がどのように違い、どのように優れているのか、論じるようにという詔勅である。空海は『大日経』の住心品を中心にして『十住心論』を書いた。
第二住心は儒教、仁義礼智信を五常といい、それを守るのが儒教、この世のことしか考えない。
第三住心は道教、第三住心、嬰童無畏心といい、赤子が母親に抱かれて安心していられるような境地、天に昇って、一切の苦しみのない世界で安心する境地。道教では羽化登仙、蛹が蝶となるように仙人のもとへ行く。仙人になることは、天に昇ること。
第四住心は、唯蘊無我心、声聞乗である。唯蘊無我とは、五蘊だけがあってアートマン(実体)がない、ということを理解する、そのときに出世間心が生じる。我とは、常一主宰なので、そういった我はないと悟る心を意味する。
第五住心は、抜業因種心、縁覚乗に相当する。小乗仏教のなかに声聞、縁覚という二つの乗り物がある。縁とは十二因縁で、それを悟って悟りの境地に至る。十二因縁とは、なぜ生老病死が起こるか、その原因を十二の系列にあげて説いたものである。
第一住心 異生羝羊心
 「凡夫狂酔して、吾が非を悟らず。但し淫食を念ずること、彼の羝羊の如し。」下愚は狂酔する。羝羊のように、淫食を求める。上智と下愚とは移らず(『論語』陽貨第十七)。
第二住心 愚童持斎心
 「外の因縁に由って、忽ちに節食を思う。施心萌動して、穀の縁に遇うが如し。」下愚は、外の因縁によって、節度を思う。
第三住心 嬰童無畏心
 「外道天に生じて、暫く蘇息を得。彼の嬰児と、犢子との母に随うが如し。」天真爛漫な季節、天界に生まれたように蘇る。嬰児と犢子が、母に随うごとし。
第四住心 唯蘊無我心
 「ただ法有を解して、我人みな遮す。羊車の三蔵、ことごとくこの句に摂す。」存在するのは唯だ、五蘊のみであり、すべての存在は無我であることを知る。五蘊とは、色・受・想・行・識の精神作用である。無我(アナートマン)説。
第五住心 抜業因種心
 「身を十二に修して、無明、種を抜く。業生、已に除いて、無言に果を得。」十二縁起を知り、無明=因縁の種子を取り除き、業の生を除く。十二縁起(因縁)説とは、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の連鎖である。この有から輪廻転生が生じる。
 「無縁に悲を起して、大悲初めて発る。幻影に心を観じて、唯識、境を遮す。」慈悲心に目覚め、唯識説に目覚める。すべての現象は幻影であると知る。唯識瑜伽行派の思想である。仏教の根本的矛盾は、諸法無我、即ち無我説 (四法印)と輪廻転生説との矛盾にある。十二因縁の無明ゆえに輪廻転生が起きる。この矛盾を解くのが唯識説である。輪廻転生する主体は、阿頼耶識である。(無着『摂大乗論』三種の薫習)
第七住心 覚心不生心
 「八不に戯を絶ち、一念に空を観れば、心原空寂にして、無相安楽なり。」「不生、不滅、不断、不常、不一、不異、不去、不来」。この八つの不を認識し、空観に徹すれば、心は空寂で安楽である。中観派の思想である。
第八住心 一通無為心
 「一如本浄にして、境智倶に融す。この心性を知るを、号して遮那という。」主体と客体の境のない境地。一如、境と智ともに融一する。天台止観の思想である。
第九住心 極無自性心
 「水は自性なし、風に遇うてすなわち波たつ。法界は極にあらず、警を蒙って忽ちに進む。」事法界、理法界、両者を止揚した、無自性・空界と現象が共存する理事無礙法界、事物が融通無碍に共存する事々無礙法界に到達する。毘盧遮那仏と一体になる融通無碍の境地。『華厳経』の蓮華蔵世界である。
第十住心 秘密荘厳心
 「顕薬塵を払い、真言、庫を開く。秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す。」顕薬は塵を払うが、真言は秘密の宝の庫を開く。大日如来、真言密教の境地。秘密荘厳心では、智法身と理法身、知性(ノエーシス)と思惟対象(ノエーマ)、金剛界と胎藏界が一体融合して、神人合一、神の領域(ビオス・テオーレーティコス)に到達する。この智の階梯をいかにして昇るか。最後の境地は、どこにあるのか。これを図示するのが、金剛界曼荼羅である。
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【空海『秘密曼荼羅十住心論』第六住心】法相宗が第六住心にあたる。法相宗では三劫成仏を説き、三大阿僧祇という無限の時間をかけて成仏をするという発想。
法相宗の思想では心を八つの識に分ける。眼耳鼻舌身意の六識に、自我意識である末那識と、無意識である阿頼耶識を加え八識。阿頼耶識は知ることのできない不可知の知、阿頼耶識を転換すると大円鏡智となる。末那識を転換して平等性智、意識を妙観察智、前五識を転換して成所作智、【空海『秘密曼荼羅十住心論』第六住心】八識を転換して四つの智慧を得るのが法相宗である。密教では五智を説き、阿頼耶識の上に九識があり、さらに十識である無際智を転換して法界体性智。これが大日如来の智慧。唯識では四智を説き、密教では五智を説き、即身成仏を説く点で、法相宗は第六住心となり。
【空海『秘密曼荼羅十住心論』第九住心】華厳宗では四種法界を説く。その四種の一つが事法界で、普通の物事がそのままあり。それが平等だというのが理法界。事と理が一緒になったのが事理無礙法界で、最後は事事無礙法界。一切のものは縁起によって無碍という、事事無礙法界が最高の境地と認識される。空海『即身成仏義』に「重々帝網なるを即身と名付く」とあり、重々帝網というのは、事事無礙法界の例え。華厳宗は真言宗の前の段階になる。しかし、天台でも華厳でも、大日如来の世界を見ていない。宝の世界に入っていない。
「世界の宗教とお大師さまの十住心思想」大正大学名誉教授 吉田宏晢
https://chisan.or.jp/shinpukuji/center/workshop/forum/%E3%80%8C%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%A8%E3%81%8A%E5%A4%A7%E5%B8%AB%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%AE%E5%8D%81%E4%BD%8F%E5%BF%83%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%80%8D/
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金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅
転識得智、種子薫習
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空海『即身成仏義』、大日如来の知恵 五智如来の知恵
https://bit.ly/2O8YtbU
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学』
https://bit.ly/2AeU3Hv 
空海の旅 旅する思想家、美への旅
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旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
無我説と輪廻転生、仏教の根本的矛盾・・・識體の転変、種子薫習。名言種子、我執種子、有支種子
https://bit.ly/2U9rO6s
「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」・・・大日如来、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)
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修行僧、空海・・・空海の生涯と思想
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空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ
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2024年5月27日 (月)

修行僧、空海・・・空海の生涯と思想

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第369回

【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質】師が優れているか否か【世界観、基礎認知力、持っている体系、知的直観、精神】【知的卓越性とともに人格の卓越性をもつ人は稀である『ニコマコス倫理学』】人生が夢を作るのではない。夢が人生をつくる。先入観は可能を不可能にする。
【空海『聾瞽指帰』(797)】兎角公の屋敷で兎角公の甥蛭牙公子に放蕩青年を翻意、亀毛先生は儒教学問を学び立身出世することを教え、虚亡隠子は道教の不老長寿を教え、空海の化身である仮名乞児は仏教の諸行無常と慈悲を教える。空海が大学寮明経科退学、官僚の立身出世を辞す。【『三教指帰』】「本書は3つの宗教を比較し、空海自身と宗教との関係について考察している、日本における比較宗教学の先駆け」
空海「古の人は道のために道を求める。今の人は名利のため、地位と利益追求のために道(学問)を求める。求道の志は己の学問(道)を失っている。」古人、道のために道を求む。今の人は名利の為に求む。名のために求むるは求道の志とせず。求道の志は己を道法に忘るなり。」「叡山ノ澄法師理趣釈経ヲ求ムルニ答スル書」(『性霊集』)この2年後、最澄と空海は決別する。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【人生の目的は、魂を磨くことにあり。地位と金銭を得るにあらず】人もし全世界を得るとも、その霊魂を失えば何の益あらん。自己に頼るべし。他人に頼るべからず。能く天の命に聴いて行うべし、神人合一、梵我一如の境地に到達すべし。成功本位の立身出世主義に従うべからず。
【空海『請来目録』806年】(大同元年)9月。216部461巻の密教経「密蔵深玄にして翰墨に載せがたし。さらに図画を仮りて悟らざるに開示す。」「密教の教えは、深遠で玄妙な奥義であり、文章には表現しにくい。そこで絵画の手法を用いて、絵によって、まだ悟りに達しない者に、解き明かす。」
【空海、密教は仏教史の最終形態】
空海と仏教史の謎【無我説と三身(法身、法身、応化身)】
原始仏教は無我説【三法印】諸行無常・諸法無我・涅槃寂静 仏教において三つの根本的な理念(仏法)を示す旗印となる。諸行無常印(anityāṃ sarvasaṃskārāṃ)「すべての現象(形成されたもの)は、無常(不変ならざるもの)である」、諸法無我印(sarvadharmā anātmānaḥ)「すべてのものごと(一切法)は、自己ならざるものである」、涅槃寂静印(śāntaṃ nirvāṇaṃ)-「ニルヴァーナは、安らぎである」
中観派は、「五蘊皆空」色受想行識、感覚される対象は生成消滅する。我(アートマン)は実体ではない。
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仏陀は、苦しみを滅ぼすことを説いた。
【初転法輪の仏陀、四諦、原始仏教】仏陀は、人生を苦とみた。四諦は仏陀が最初の説法で説いた。『阿含経』四諦、苦諦と集諦は、迷妄の世界の果と因とを示し、滅諦と道諦は、証悟の世界の果と因とを示す。苦諦【四苦八苦。生老病死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊盛苦】集諦、貪欲や瞋恚、愚痴などの心の汚れその根本である渇愛【十二縁起。十二因縁の支分は、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死】滅諦【苦しみの消滅の真理】道諦【八正道、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定】『阿含経』

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金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅
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修行僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
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空海の生涯と思想
【空海】774‐835(宝亀5-承和2)
真言宗の開祖。讃岐国(香川県)多度郡弘田郷に生まれた。生誕の月日は不明であるが、後に不空三蔵(七〇五‐七七四)の生れかわりとする信仰から、不空の忌日である六月一五日生誕説が生じた。父は佐伯氏、母は阿刀氏。弟に真雅、甥に智泉、真然、智証大師円珍、また一族に実恵、道雄ら、平安時代初期の宗教界を代表する人物が輩出した。空海『聾瞽指帰』自伝によれば、七八八年(延暦七)十五歳で上京、母方の叔父阿刀大足について学び、十八歳で大学に入学、明経道の学生として経史を博覧した。在学中に一人の沙門に会って虚空蔵求聞持法を教えられて以来、大学に決別し、阿波の大滝嶽、土佐の室戸崎で求聞持法を修し、吉野金峰山、伊予の石鎚山などで修行した。この間の体験によって七九七年二十四歳のとき、儒教、仏教、道教の三教の優劣を論じた出身宣言の書『聾瞽指帰、三教指帰』を著した。このころから草聖と称されるようになった。
【空海、入唐求法】八〇四年四月出家得度し、東大寺戒壇院において具足戒を受け空海と号した。同年七月遣唐大使藤原葛野麻呂に従って入唐留学に出発、一二月長安に到着した。翌八〇五年西明寺に入り、諸寺を歴訪して師を求め、【空海の師】青龍寺の恵果に就いて学法し、八〇五年六月同寺東塔院灌頂道場で胎蔵、七月金剛の両部灌頂を、八月には伝法阿闍梨位灌頂を受け遍照金剛の密号を授けられ、正統密教の第八祖となった。師恵果の滅後八〇六年(大同一)越州に着いて内外の経典を収集し、同年八月明州を出発して帰国した。八〇六年(大同一)一〇月『請来目録』遣唐判官高階遠成に付して『請来目録』を奏上したが入京を許されず、翌八〇七年四月観世音寺に入り、次いで和泉国槇尾山寺に移り八〇九年七月に入京した。
【空海と最澄、嵯峨天皇】八〇九年八月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、一〇月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上したが、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなった。八一〇年(弘仁一)一〇月、高雄山寺で仁王経等の儀軌による鎮護国家の修法を申請したが、これが空海の公的な修法の初例である。八一一年一 〇月、乙訓寺別当に補され修造を命じられたが、【空海、最澄に灌頂を授ける『灌頂暦名』810-813】八一〇年(弘仁一)一〇月高雄山寺に帰り、一一月最澄や和気真綱に金剛界結縁灌頂、一二月には最澄以下一九四名に胎蔵界結縁灌頂を授けた。八一三年最澄は弟子円澄、泰範、光定らを空海の下に派遣して学ばしめ、八一三年三月の高雄山寺の金剛界灌頂には泰範、円澄、光定らが入坦している。八一二年末の高雄山寺の灌頂や三綱さんごうの設置は教団の組織化を意味しており、八一三年五月には、いわゆる弘仁の遺誡を作って諸弟子を戒めている。八一四年には日光山の勝道上人のために碑銘を撰し、八一五年四月には弟子の康守、安行らを東国に派遣し、甲斐、常陸の国司、下野の僧広智、常陸の徳一らに密教経典の書写を勧め、東国地方への布教を企てた。八一五年ころ『弁顕密二教論』二巻を著し、八一六年五月、泰範の去就をめぐって、最澄との間に密教理解の根本的な相違を表明してついに決別した。
「叡山ノ澄法師理趣釈経ヲ求ムルニ答スル書」(814-816)空海「古の人は道のために道を求める。今の人は名利のため、地位と利益追求のために道(学問)を求める。求道の志は己の道を失っている。」古人、道のために道を求む。今の人は名利の為に求む。名のために求むるは求道の志とせず。求道の志は己を道法に忘るなり。」「叡山ノ澄法師理趣釈経ヲ求ムルニ答スル書」(『性霊集』)この2年後、最澄と空海は決別する。
八一六年七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創【空海『即身成仏義』819-820】八一九年ころから『広付法伝』二巻、『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』『文鏡秘府論』六巻、八二〇年『文筆眼心抄』などを著述、その思想的立場と教理体系を明らかにした。八二〇年一〇月伝灯大法師位、八二一年五月には請われて讃岐国満濃池を修築し、土木工事の技術と指導力に才能を発揮した。
【空海、東大寺、東寺】八二二年二月、東大寺に灌頂道場を建立して鎮護国家の修法道場とした。八二三年正月、東寺を賜り真言密教の根本道場とし、同年一〇月には真言宗僧侶の学修に必要な三学論を作成して献上、五十人の僧をおいて祈願修法せしめた。八二四年(天長一)少僧都、八二七年大僧都。
【空海、綜芸種智院】八二八年一二月、藤原三守の九条第を譲りうけて綜芸種智院を開き儒仏道の三教を講じて庶民に門戸を開放した。八二八年ころ、漢字辞書として日本最初の『篆隷万象名義』三十巻を撰述した。【空海、56歳】八三〇年天長六、宗書の一つである『秘密曼荼羅十住心論』十巻、『秘蔵宝鑰』三巻を著し、真言密教の思想体系を完成。『弁顕密二教論』(815)では顕教と密教を比較して、顕教では救われない人も密教では救われる、『即身成仏義』(819-820)の思想を表明しており、これを横の教判といい、『秘密曼荼羅十住心論』の縦の教判に対する。
空海は個人の人格の完成、即身成仏と国家社会の鎮護と救済を目標としたが、八三二年八月、高野山で行った万灯万華法会や、八三五年(承和二)正月以来恒例となった宮中真言院における後七日御修法はその象徴的表現である。同年正月には真言宗年分度者三名の設置が勅許され、翌二月、金剛峯寺は定額寺に列した。同年三月二一日奥院に入定した。世寿六二。
八三九年(承和六)東寺、立体曼荼羅。承和6年(839年)東寺講堂が創建された。
八五七年(天安一)大僧正、八六四年(貞観六)法印大和尚位を追贈され、九二一年(延喜二一)弘法大師の号が諡おくられた。宗教家としてのほかに文学、芸術、学問、社会事業など多方面に活躍し、文化史上の功績は大きく、それに比例して伝説も多い。[和多 秀乘]『日本架空伝承人名事典』
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1138
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「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」・・・大日如来、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)
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2024年5月21日 (火)

「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」・・・大日如来、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第368回
空海(774~835)
774(宝亀5)年、佐伯真魚、讃岐の多度郡多度津に生まれる。778年、15歳、上京し叔父阿刀の大足に学ぶ。791年、18歳、大学寮に入学。797(延暦16)年、24歳『聾瞽指帰』を書く。804年、東大寺にて得度。遣唐使船に乗り入唐。805(延暦24)年、33歳、青龍寺恵果に胎蔵界、金剛界の伝法灌頂を受ける。恵果、死去。806年、33歳、留学僧を途中切り上げ、帰国。809年、36歳、高雄山寺にて滞在。812(弘仁3)年、39歳、胎蔵界、金剛界の結縁灌頂を最澄に授ける。816(弘仁7)年、43歳、嵯峨天皇から高野山を賜り金剛峰寺を建立。824年、51歳、東寺造営の長官。834年、61歳、御七日の修法を淳和天皇に修法。835(承和2)年、62歳、高野山金剛峰寺にて入定。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【五智如来】大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来(無量寿如来)、不空成就如来。
大日如来が宇宙の根本原理であり、至高の存在である。大日如来の【5つの智慧(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)】を象徴する五智如来。大日如来の知恵、法界体性智は、自性清浄なる大日如来の絶対智、他の四智を統合する智恵である
【大日如来の知恵は五智如来に現れる。五智】
大日如来は、法界体性智を持つ。自性清浄心と呼ばれる第9識(阿摩羅識)。宝生如来は、平等性智【諸法の平等を具現する智】を持つ。阿閦如来は、大円鏡智【鏡の如く法界の万象を顕現する智】を持つ。無量寿如来は、妙観察智【諸法を正しく見極め、追求する智】を持つ。不空成就如来は、成所作智【自他のなすべきことを成就せしめる智】を持つ。
――
【5つの智慧(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)】第9識(阿摩羅識)、第8識阿頼耶識、第7識末那識、第6識意識、成所作智=前5識(眼識、耳識鼻識、舌識、身識)、五感(眼、耳、鼻、舌、身)
法界体性智は、自性清浄なる大日如来の絶対智であり、他の四智を統合する智恵である。
*法界体性智=自性清浄心と呼ばれる第9識(阿摩羅識)
阿閦如来は、大円鏡智【鏡の如く法界の万象を顕現する智】を持っている。
*大円鏡智=阿頼耶識 第8識
宝生如来は、平等性智【諸法の平等を具現する智】を持っている。
*平等性智=末那識 第7識
無量寿如来は、妙観察智【諸法を正しく見極め、追求する智】を持っている。
*妙観察智=意識 第6識
不空成就如来は、成所作智【自他のなすべきことを成就せしめる智】を持っている。
*成所作智=前5識(眼識、耳識鼻識、舌識、身識)、五感(眼、耳、鼻、舌、身)による感覚作用である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★参考文献
無着『摂大乗論』
世親『唯識三十頌』
松長有慶『密教経典、理趣経』1984
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金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅
転識得智、種子薫習
空海『即身成仏義』、大日如来の知恵 五智如来の知恵
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学』
空海の旅 旅する思想家、美への旅
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
無我説と輪廻転生、仏教の根本的矛盾・・・識體の転変、種子薫習。名言種子、我執種子、有支種子
「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」・・・大日如来、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)
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展示作品の一部
国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)のうち胎蔵界、平安時代(9世紀)、京都・神護寺
現存最古にして、空海の在世時に制作された現存唯一の両界曼荼羅。高雄山神護寺に伝わったことから高雄曼荼羅と呼ばれる。令和4年(2022)に修理が完了し、金銀泥で描かれる諸尊の輝きがよみがえった。
国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)のうち金剛界平安時代(9世紀)京都・神護寺
後期展示(5/14~6/9)
現存最古にして、空海の在世時に制作された現存唯一の両界曼荼羅。高雄山神護寺に伝わったことから高雄曼荼羅と呼ばれる。令和4年(2022)に修理が完了し、金銀泥で描かれる諸尊の輝きがよみがえった。
国宝「五智如来坐像」平安時代(9世紀)京都・安祥寺
五智如来は大日如来を中心に阿閦、宝生、阿弥陀、不空成就の各如来を四方に配置し、それぞれ5つの智の徳をつかさどる。空海の孫弟子である恵運が嘉祥元年(848)に開いた安祥寺に伝わった。量感豊かな体つきが分身のようによく似ている。寺院の創建から遠くない時期に造られたとみられ、5体すべてがそろう最も古い五智如来像である。安祥寺の木造五智如来坐像は851年から854年ごろの寺の創建時に造られ、5つの像が揃って伝わる最古の五智如来像。令和元年、重要文化財から国宝に格上げ指定された。
安置されていた多宝塔は明治39年に焼失したが、すでに京都国立博物館(京都市東山区)に寄託されており、難を逃れた。ただ約120年間もの間、寺には存在しない状態が続いている。
一級文物「文殊菩薩坐像」中国・唐(8世紀)中国・西安碑林博物館
長安にあった安国寺の跡で発見された。文殊菩薩とされるが、服装や持物は胎蔵旧図様の金剛波羅蜜菩薩に近い。遺跡からはこの像とともに複数の密教像が見つかっており、長安での密教の興隆を物語る。
国宝「諸尊仏龕」中国・唐(7~8世紀)和歌山・金剛峯寺
空海が身辺に置いたと伝えられることから枕本尊と称される三面開きの仏龕。折りたたむとストゥーパ(仏塔)形になる。インド風な面貌で唐代の作と見られるが、古い時代のものを模した可能性がある。空海が師の惠果から受け継いだ品という。
重要文化財「弘法大師行状絵詞 巻第三(部分)南北朝時代 康応元年(1389)京都・教王護国寺(東寺)
空海生誕600年にあたり制作された全十二巻の絵巻。先行する空海伝絵巻諸本の内容をふまえ、東寺にまつわる独自の内容も加えた集大成というべき対策である。巻第三は苦難の航海から師となる恵果との出会いを色鮮やかに描く。
国宝「錫杖頭」中国・唐(9世紀)香川・善通寺
空海の請来品と伝える錫杖の頭部。錫杖は本来山野を歩く際に持つ杖だが、法会で振り鳴らす梵音具としても用いられた。本品は両面に阿弥陀三尊と二天を鋳表した装飾性の高い名品。尊像表現は極めて精緻で、同時期の金銅仏を思わせる。
国宝「金銅密教法具」中国・唐(9世紀)京都・教王護国寺(東寺)
真言宗最大の法会、後七日御修法に用いる法具。悪を砕き仏を喜ばせるという五鈷杵と五鈷鈴が金剛盤に乗るかたちをとる。空海が唐から請来した品であり、『弘法大師請来目録』にその存在が記される真言密教の至宝。
国宝「両界曼荼羅(西院曼荼羅〈伝真言院曼荼羅〉)のうち金剛界、平安時代(9世紀)京都・教王護国寺(東寺)
彩色の両界曼荼羅として現存最古の絵画である。宮中真言院の御七日御修法所用として伝わり、長く空海の御影堂である東寺西院に置かれた。鮮やかな色彩、秀逸な描写で表されたエキゾチックな諸尊の姿が目をひく。
国宝「両界曼荼羅(西院曼荼羅〈伝真言院曼荼羅〉)のうち胎蔵界、平安時代(9世紀)京都・教王護国寺(東寺)
彩色の両界曼荼羅として現存最古の絵画である。宮中真言院の御七日御修法所用として伝わり、長く空海の御影堂である東寺西院に置かれた。鮮やかな色彩、秀逸な描写で表されたエキゾチックな諸尊の姿が目をひく。
国宝「聾瞽指帰」下巻、平安時代(8~9世紀)和歌山・金剛峯寺
儒教・道教・仏教の教えを架空の人物に語らせることで比較し、仏教が最も優れていることを述べる空海の著作で、出家前24歳の時に書かれた。様々な学問を学んだ上で、空海が仏教を選んだことがわかる。
国宝「灌頂歴名(部分)平安時代 弘仁3~4年(812~813)京都・神護寺
高雄山寺(神護寺)において弘仁3年(812)から翌年にかけ行われた、金剛界・胎蔵界の結縁灌頂を受けた人々の名簿で、空海がその手で書いた。この灌頂は最澄の依頼がきっかけで行われたもので、筆頭に最澄の名が見える。
国宝「金剛般若経開題残巻」部分)平安時代(9世紀)奈良国立博物館
あらゆる執着を断つ知恵を解く説法『金剛般若経』の題名を解説し、密教の立場からその奥旨を示した空海の著作。軽妙な草書で執筆された自筆本の一部で、行間の書き込みなどによる訂正のあとが、推敲の様子を伝えている。
国宝「伝船中湧現観音像」平安時代(12世紀)和歌山・龍光院
空海が唐から帰る際、船に観音が現れて荒波を鎮めたといい、本図はその観音を描くと伝わる。しかし、特異な姿は実際には密教の秘法で行者を守護する別の尊格のもの。空海信仰が高まり、珍しい絵画が空海伝と結びつけられたようだ。
重要文化財、快慶「孔雀明王坐像」鎌倉時代 正治2年(1200)ごろ、和歌山・金剛峯寺
孔雀明王は毒蛇を食う孔雀を尊格化した明王で、一切の災いを除くとされる。本像は後鳥羽上皇の祈願所となった高野山孔雀堂の本尊。端正な顔だちや四臂の巧みな配置、整理された衣のひだに快慶の特色が見て取れる。
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空海の生誕1250年を記念して、奈良国立博物館の総力を挙げた展覧会を開催します。
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きなん。」(『性霊集』巻第八) 
(この世の全ての物が消滅し、仏法の世界が尽きるまで、私は人々が救われることを願い続ける)
衆生救済を願った空海が人々を救うためにたどり着いたのは密教でした。空海は中国・唐にわたり、師匠の恵けい果かから密教のすべてを受け継いだと言われます。
本展では、密教がシルクロードを経由し東アジア諸地域、そして日本に至った伝来の軌跡をたどることにより、空海が日本にもたらした密教の全貌を解き明かします。また、多数の仏像や仏画により、空海が「目で見てわかる」ことを強調した密教の「マンダラ空間」を再現するとともに、各地で守り伝えられてきたゆかりの至宝を一堂に展示し、空海と真言密教の魅力を紹介します。
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奈良国立博物館(館長:井上 洋一)は、弘法大師・空海の生誕1250年を記念し、総力を挙げて生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」を開催いたします。本展は、空海(774~835)が日本にもたらした密教の全貌を解き明かすとともに、密教の「マンダラ空間」を展示室に展開し、国宝・重要文化財を含む様々な作品により、空海と真言密教の魅力を紹介します。
本展では、平安時代、淳和天皇の発願のもと空海が制作を指導した現存最古の曼荼羅で、神護寺(京都市右京区)が所蔵する国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》を、修理後初めて公開します。「胎蔵界曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」の2幅からなり、いずれも約4メートル四方の大きさを誇ります。 第1章 密教とは――空海の描いた世界
第2章 密教の源流――陸と海のシルクロード
第3章 空海入唐と恵果との出会い――胎蔵界と金剛界の融合
第4章 空海の帰国 神護寺と東寺 密教流布と護国
第5章 金剛峯寺と弘法大師信仰
▼主な展示作品
■国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅) 2幅 京都・神護寺
■国宝 両界曼荼羅(西院曼荼羅<伝真言院曼荼羅>) 2幅
京都・教王護国寺(東寺)
■重文 両界曼荼羅(血曼荼羅) 2幅 和歌山・金剛峯寺
■国宝 五智如来坐像 5軀 京都・安祥寺
■重文 大日如来坐像(西塔安置) 1軀 和歌山・金剛峯寺
■国宝 諸尊仏龕 1基 和歌山・金剛峯寺
■国宝 金銅密教法具 1具 京都・教王護国寺(東寺)
■国宝 錫杖頭 1柄 香川・善通寺
■国宝 聾瞽指帰 下巻 1巻 和歌山・金剛峯寺
■国宝 灌頂歴名 1巻 京都・神護寺
■国宝 金剛般若経開題 1巻 奈良国立博物館
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「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」奈良国立博物館、4月13日~6月9日


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2024年5月 9日 (木)

どうぶつ百景 江戸東京博物館コレクションより・・・歌川広重「名所江戸百景」1857


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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第367回
大紫躑躅、八重桜咲く。桜吹雪舞う、海より深い母の恩、母の愛犬、トイプードル、守護精霊となって帰ってきた。学問僧を守るために。
ウィリアム・モース(1838-1925)は「人力車に乗っている間に、車夫が如何に注意深く道路にいる猫や犬や鶏を避けているかに気が付いた。」小山周子、江戸東京博物館学芸員は江戸の人々と動物の風景についてモースのエピソードによって説明する。
歌川広重は60歳の時「名所江戸百景」安政4年(1857)を描き、猫、鷹、鶴、亀、狐、馬、鯉のぼりをクローズアップしている。
西洋の旅行会社のポスターの手法である。広重は35歳の時、北斎『富嶽三十六景』に出会い、火消同心を辞し、絵師に専心する。
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【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質である】師が優れているか否かが最も重要【学びの違い】学校、大学では先生を選べない【先生が持っている世界観、基礎認知力、持っている体系】【知的卓越性とともに人格の卓越性をもつ人は稀である】卓越性には2種類ある『ニコマコス倫理学』
人生の目的は、魂を磨くことにあり。地位と金銭を得るにあらず。人もし全世界を得るとも、その霊魂を失えば何の益あらん。自己に頼るべし。他人に頼るべからず。能く天の命に聴いて行うべし、神人合一、梵我一如の境地に到達すべし。誠実によりて得たる信用は最大の財産なり。成功本位の立身出世主義に従うべからず。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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人生の目的は、品性を完成するにあり。地位と金銭を得るに非ず。人もし全世界を得るとも、その霊魂を失えば何の益あらん。自己に頼るべし。他人に頼るべからず。能く天の命に聴いて行うべし、自ら己の運命を作らんと欲すべからず。誠実によりて得たる信用は最大の財産なり。成功本位の米国主義に倣うべからず、誠実本位の日本主義に徹すべし。自己に頼るべし。他人に頼るべからず。内村鑑三「軽井沢星野温泉二代目旅館社長に贈った商売10箇条」
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歌川 広重(寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)幼いころからの絵心が勝り、文化8年(1811年)15歳のころ、初代歌川豊国の門に入ろうとした。しかし、門生満員で断られ、歌川豊広(1774年-1829年)に入門。翌年(1812年)に師と自分から一文字ずつとって歌川広重の名を与えられ、文政元年(1818年)に一遊斎の号を使用してデビュー。文政4年(1821年)、同じ火消同心の岡部弥左衛門の娘と結婚した。天保3年 (1832)、仲次郎が17歳で元服したので正式に同心職を譲り、絵師に専心する。一立齋(いちりゅうさい)と号を改めた。翌天保4年 (1833年)から「東海道五十三次」を発表。風景画家としての名声は決定的なものとなった。『名所江戸百景』(1856 - 1859)、竪大判で120枚揃物。
【葛飾北斎、冨嶽三十六景】冨嶽三十六景、1831-34年(天保2-5年)版行。全46図。大判錦絵、版元は西村屋与八(永寿堂)。最初に36図が完成し、後に10図が追加出版。苦節50年、72歳『冨嶽三十六景』『神奈川沖浪裏』(1831)。富嶽百景
【歌川広重】火消同心。天保3年 (1832)35歳絵師に専心。35歳で北斎『富嶽三十六景』に出会い、『東海道五拾三次』天保5~7(1834~36)年を描く。20年後晩年60歳で「名所江戸百景」安政4年(1857)を描く。『不二三十六景』(1852)「富士見百図」「富士三十六景」(1859)、竪大判で37枚揃物。最後まで富士を描き続ける。61歳で死す。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
歌川広重《名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣》1857(安政4)年、東京都江戸東京博物館
歌川広重《名所江戸百景 深川洲崎十万坪》1857(安政4)年、東京都江戸東京博物館
月岡芳年《風俗三十二相 うるささう 寛政年間処女之風俗》1888(明治21)年、東京都江戸東京博物館
歌川豊国《しか茶屋》1792-93(寛政4-5)年頃、東京都江戸東京博物館[5/26まで展示]
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参考文献
「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」・・・冨嶽三十六景46図と広重「名所江戸百景」
「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
どうぶつ百景 江戸東京博物館コレクションより・・・歌川広重「名所江戸百景」1857
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-f7b3b4.html

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本展は、2022年にパリ日本文化会館(フランス)で好評を博した「いきもの:江戸東京 動物たちとの暮らし」展を拡充した凱旋帰国展です。画巻、錦絵、装飾品、郷土玩具などに登場する動物たちの多様な姿をお楽しみください。
1603(慶長8)年、江戸に幕府が置かれ、街並みが整備されていきます。街では人々がネコや犬を可愛がり、時にゾウの見世物が話題となり、ウズラの声を競う会が催され、ウサギの飼育ブームが起きました。また、人々は郊外に出かけて野生の鳥の姿や虫の音に季節を感じたものでした。いまはむかし、一大都市となった江戸や東京における、動物と人々との関係を探ります。
1877(明治10)年に来日した米国の動物学者、エドワード・S.モースは、日本人が動物に対して親切に接することに驚きました。動物の名に「さん」づけをして親しみを込めて呼び、人力車の車夫は道に居座る犬やネコを避けて走っていると記しています。
洗練されたデザイン/素朴なかたち
壮大な狩猟の記録画、広重や国芳ら人気浮世絵師による錦絵など、多くの絵に動物たちは登場しています。さらに、動物たちのイメージはデザインモチーフへと昇華し、温かみのある郷土玩具や、精巧な工芸品にも用いられるようになりました。巨大都市における動物は、共生するだけでなく、さまざまに表現されて人々の生活を彩ったのです。
江戸東京博物館から選りすぐりの作品が大集結!
大規模改修工事のために休館中の江戸東京博物館。その収蔵品は61万点にも及びます。本展では膨大な収蔵品のなかから、浮世絵、工芸品、染織などをテーマ毎に展示し、江戸・東京において人々が動物をどのようにとらえ、表現していたのかを俯瞰します。最新の調査研究と初公開作品を含む充実した作品群をご紹介します。
東京会場だけの特別展示:東京の鉄道馬車
1882(明治15)年から1903(明治36)年まで、東京の大通りではレールの上を馬車が走っていました。「東京馬車鉄道」は、最盛期には300両の車両と2000頭の馬を擁していたといい、都市の交通を鉄道馬車も支えていたことがうかがえます。鉄道馬車の開業を知らせる華やかな錦絵3枚続、名所絵、玩具絵など、当時の版画を展示します。
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動物百景、東京ステーションギャラリー、2024年4月27日(土)〜2024年6月23日(日)

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2024年5月 5日 (日)

デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第366回
美術探訪、美への旅、デ・キリコ、形而上絵画の謎            
デ・キリコ「形而上絵画」1910は、ピカソ、サルバドール・ダリ『記憶の固執』1931、ポール・デルヴォー『眠れるヴィーナス』19044に影響を与えた。
20世紀を代表する巨匠の一人、ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)。彼の約70年にわたる画業をたどる回顧展「デ・キリコ展」が、東京都美術館で2024年4月27日〜8月29日、開催されている。
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彼が1910年頃から描き始めた「形而上絵画」は、幻想的な風景や静物によって非日常的な世界を表現する絵画。サルバドール・ダリや、ピカソ、ルネ・マグリット、ポール・デルヴォー、シュールレアリスムの画家をはじめ、多くの芸術家や国際的な芸術運動に衝撃を与えた。本展では、デ・キリコの画業を「イタリア広場」「形而上的室内」「マヌカン」などのテーマに分けて紹介する。初期から描き続けた自画像や肖像画から、デ・キリコの代名詞ともいえる「形而上絵画」、西洋絵画の伝統に回帰した作品、そして晩年の新展開である「新形而上絵画」まで、世界各地から集まった80点以上の作品が展示される。1910年代の「形而上絵画」は世界中に散らばっている、一挙に見られるのは貴重な機会である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【形而上絵画の謎、2010】2010年、デ・キリコは、フィレンツェに移住。サンタ・クローチェ広場で霊感を受け「ある秋の午後の謎」「神託の謎」「時間の謎」「自画像」4点、絵画を描く。日常空間と古代建築が同時存在。画面の左右で、遠近法の焦点が分裂している。長い影。人間が描かれていないか、微小。彫刻、マネキンなどの特異な静物。画面内の時計が示している時刻と長い影が矛盾する。地平線に汽車が走る、煙はまっすぐ上に向かう。なぜ、遠近法の焦点は分裂するのか、影と時計は矛盾するのか。なぜ地平線に汽車が走るのか。
【デ・キリコ、パリへ】1911年、パリへ移住。1912年「ある秋の午後の謎」3点の絵画をサロン・ドートンヌに出品。列柱の並ぶ古典的な建築、古代ギリシア風の彫刻、煙を吐いて走る機関車などを配した風景画は当時の流行とは全く異質で、理解されなかった。
1913年その数か月後、描き上げた30点の絵画の展覧会を開催。企画した詩人・評論家のギョーム・アポリネールに見出され「形而上絵画」と呼ばれる。親交を結び、ピカソに紹介され交際した。初めて絵の買い手が現れる。
アンドレ・ブルトンは、ジョルジュ・デ・キリコの「形而上絵画」の影響を受け、ジークムント・フロイトの深層意識、無意識領域に目を向ける。「今まで人間が作ってきた制約を離れて、思考の裏側にある無意識の世界を表現しよう。理性による支配を受けず、美学や道徳的先入観を無視して記述される思考」と評価された。アンドレ・ブルトンは、1924年「シュールレアリスム宣言―溶ける魚」を発表。
【神秘と憂鬱】「通りの神秘と憂鬱」「イタリア広場」(1914年)を描く。1915年、第一次世界大戦。「ダダ」の創始者であるトリスタン・ツァラやイタリア未来派のカイロ・カッラと知り合う。ツァラは翌年ジュネーヴに逃れ、ダダの活動を始めた。一方、デ・キリコは戦争がはじまると弟とともにイタリア軍に従軍しフェラーラに駐屯した。ストレスで神経衰弱となり、入院した。『出発の苦悩』(1917)、列車、そして高い塔、デ・キリコが頻繁に人間、特に彼の父親への象徴的な参照として利用したモチーフ。2005年父の死後、デ・キリコはアテネを去った。ギリシア、彼が育ち、旅行を始めた場所、これは最終的に彼を彼に齎した。両親のネイティブイタリア、そこで彼は広いルネサンス広場とアーケードのある建物に魅了された。
【古典への回帰、シュールレアリストたちと決別】ブルトンは、古典に回帰したキリコを非難した。デ・キリコは、自分のスタイルを貫き、1926年にブルトンをはじめとするシュールレアリストたちと決別。その後、ネオバロック絵画を経て1960年以降は形而上絵画へと回帰。若い頃の作品を自己模倣する。
【幸せな形而上画家】1924年、ライサ・グリエヴィッチ・クロルと結婚。1944年、66歳、ローマへ移住。ローマ、スペイン広場付近に移住。ここで妻であるイザベラ・ファーと晩年の30年を過ごす。1978年、90歳の誕生日を祝う。11月20日心臓発作のため没した。
【形而上絵画、哲学的な世界】デ・キリコは、1907年、ミュンヘンに移住、ミュンヘンの美術アカデミーに入学した。ニーチェ、ショーペンハウエルの哲学に影響を受け、永劫回帰の思想に傾倒。2010年サンタ・クローチェ広場で霊感を受け至高体験に啓示を受けた世界である。「イタリア広場」シリーズはデ・キリコの原体験が源泉であり、柱廊のある建築、長い影、歪んだ遠近法、地平を走る汽車、影のような人物によって、ノスタルジア、不安、空虚、憂愁、謎の空間を生み出す。「肖像画・肖像」は、デ・キリコがその初期から取り組んできた、過去の巨匠たちの作品との対話のテーマである。
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展示作品の一部
予言者 1914-15 ニューヨーク近代美術館蔵(James Thrall Soby Bequest) © Digital image, The Museum of Modern Art, New York / Scala, Firenze © Giorgio de Chirico, by SIAE 2023
赤い塔のあるイタリア広場 1934 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館蔵(L.F.コレクションより長期貸与) © Archivio Fotografico e Mediateca Mart © Giorgio de Chirico, by SIAE 2023
風景の中で赤い布を敷いて水浴する女 1945 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2023
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開館情報 デ・キリコ展、東京都美術館
2024年4月27日(土)〜8月29日(木)、9:30 〜 17:30 金曜日は20:00まで開館
休館日 月曜日 5月7日、7月9日~16日は休室  4月29日、5月6日、7月8日、8月12日は開室 土曜・日曜・祝日及び8月20日以降は日時指定予約制
入場料 一般 2200円、大学生・専門学校生 1300円、65歳以上 1500円、高校生以下・障がい者手帳提示と付き添い1名 無料
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著者 大久保正雄 プラトン哲学、美学、密教の比較宗教学、宗教図像学。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。上智大学大学院、北海道大学大学院博士後期課程修了。
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参考文献
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
クロード・モネ『日傘の女』・・・藝術家と運命の女、カミーユの愛と死
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派、ジョルジュ・スーラ
ミラクル エッシャー展、奇想版画家の謎を解く8つの鍵・・・迷宮の旅人
「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」横浜美術館・・・愛と美の象徴、思想表現の自由の戦い
デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-bf7c56.html
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【ジョルジョ・デ・キリコの生涯と藝術1888-1978】
【ジョルジョ・デ・キリコ1888-1900】デ・キリコは、1888年イタリア人の両親の子、ギリシア、テッサロニキの都市ヴォロスで生まれ、家族とともに様々な街を転々とした。父エヴァリスト・デ・キリコは、イスタンブール生まれギリシアを起源に持つ富裕層イタリア人。鉄道建設を担当する鉄道技師として多くの事業を実現。母ジェンマは、ギリシアとトルコの混血のイタリア人、イズミールで生まれた。1900年、アテネの理工科学校に通う。この頃最初の静物画を描く。
【デ・キリコ、1905-1913】1905年、父死去。1906年、家族とともに、ギリシアを離れミュンヘンに移住する。1907年、ミュンヘンの美術アカデミーに入学。この頃、ニーチェやショーペンハウエルの思想に影響を受ける。1909年、ミラノに移住。1910年、フィレンツェに移住。弟はパリへ移住、1910年、最初の形而上絵画を手がける。1911年、パリへ移住。1912年、3点の絵画をサロン・ドートンヌに出品。1913年、パリのアンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出品。詩人で評論家のギョーム・アポリネールに注目され、「形而上絵画」と呼ばれる。後に親交をむすぶ。初めて絵の買い手が現れる。2024年シュールレアリスム宣言。2026年シュールレアリストと決別。
【ジョルジョ・デ・キリコ「ある秋の午後の謎」1910】1905年、父死去。1910年フィレンツェ移住。サンタ・クローチェ広場で霊感を受けて描いた「ある秋の午後の謎」を1912年のサロン・ドートンヌに出品、賞賛を受け、1913その数か月後、描き上げた30点の絵画の展覧会を開催。企画した詩人・批評家のギョーム・ド・アポリネールによって「形而上絵画」と呼ばれ、デ・キリコの名声は高まる。
【ジョルジョ・デ・キリコ、形而上絵画の謎2010】2010年、フィレンツェに移住。サンタ・クローチェ広場で霊感を受けて「秋の午後の謎」「神託の謎」「時間の謎」「自画像」4点絵画を描く。日常空間と古代建築。画面の左右で、遠近法の焦点が分裂している。長い影。人間が描かれていないか、微小である。彫刻、または、マネキンなどの特異な静物。画面内の時計が示している時刻と長い影が矛盾する。地平線に汽車が走る、煙はまっすぐ上に向かう。
【形而上絵画と古典絵画の間を往還するデ・キリコ】
【デ・キリコ、結婚、ローマ、スペイン広場】1924年、ライサ・グリエヴィッチ・クロルと結婚。1947年、60歳の時にスペイン広場の家にアトリエを構え、ここで妻であるイザベラ・ファーと晩年の30年を過ごす。デ・キリコはその後、古典的な作風に転じたが、晩年には幻想的な作風に回帰した。
スケジュールP27
反乱史P204

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2024年4月26日 (金)

孫崎享講演会「国際政治 ウクライナ戦争・ガザ・台湾問題」5月26日、上智大学1号館402教室、ソフィア文化芸術ネットワーク

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孫崎享講演会「国際政治 ウクライナ戦争・ガザ・台湾問題」5月26日、上智大学1号館402教室。午後14時~16時。外務省元国際情報局長、駐イラン大使。参加費1000円。問い合わせ、上智大学ソフィア会、TEL. 03-3238-3041
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【ウクライナ戦争】ウクライナは米国武器供与で戦う。武器が来なくなり壊滅。何が起こる。兵士の死、戦場へ徴兵を27歳から25に引き下げ。国土荒廃、国土奪取(支援無償から借款。穀倉地帯が喪失)。米国は主敵ロシアを弱体化【軍需産業は最高利益】この構図が日中。4月12日岸田首相訪米で日米軍事統合の促進、自衛隊の米軍隷属化。自衛隊、指揮系統を一体化、米国の部隊として行動。2022安倍晋三暗殺事件の真相は何か。バイデン政権、CIA関与。
【ガザ・ジェノサイド】ガザ戦争:ハマス攻撃当初、米国世論はイスラエル支援。しかしイスラエルの攻撃が一般市民の大量殺害で米国世論変化。3月イスラエルのガザでの軍事行動への評価で民主党系は支持18%、不支持75%。ウォーレン上院議員はイスラエルの行動をジェノサイド(大量虐殺)と表現。
孫崎享『国際政治、覇権争い、ウクライナ戦争』【質疑応答】孫崎享×大久保正雄、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク、2022
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ジャパン・アズナンバーワン1980から日本没落へ
【日本の給料、韓国の60%】30年も所得が伸びない。平均賃金は韓国以下。1人当たりGDPは30位以下に転落。国民負担率は50%、所得の半分近くが取られる。年金は減額されて支給が5年延長。基礎年金の手取り6万円未満。7人に1人の子どもが3度のご飯を食べれない。そんな国の国会議員に多額のボーナスが支給される。
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戦争の根源【イギリスの三枚舌外交】1916年「サイクス・ピコ協定」三国協商を結んでいたイギリス・フランス・ロシアの三国は戦後オスマン帝国を分割する秘密協定、【オスマン帝国は多宗教共存】オスマン帝国滅亡、1917年11月【バルフォア宣言】イギリスは戦後パレスチナにユダヤ人国家を建設するとユダヤ人に宣言、1948年パレスチナに【イスラエル建国】パレスチナ人は難民となる。パレスチナ問題の源はイギリスの三枚舌外交にある。
1915年7月「フセイン・マクマホン協定(書簡)」この約束に基づいて、アラブの反乱を指導したのが有名な「アラビアのロレンス」。フセインは1916年にヒジャーズ王国を建国1918年にはフセインの子ファイサルがシリアの独立を宣言。2023年10月7日イスラム組織ハマスがガザからイスラエルを攻撃。戦争の根源はキリスト教。
【ファシズム倫理学、神の代理人、命令で動く体系】「汝の意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当するように行為せよ」定言命法、第一の定式「汝の人格と他者の人格の内なる人間性を手段としてのみではなく常に同時に目的として扱うように行為せよ」定言命法、第二の定式 カント『純粋理性批判』『道徳形而上学原論』
【キリスト教、終末観、最後の審判、ハルマゲドン】最後の審判 とは、ゾロアスター教およびアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)が共有する終末論的世界観であり、世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという信仰である。特にキリスト教においては「怒りの日」と同義に扱われる。
【ポツダム宣言、原爆投下、7月25日】1945年(昭和20年)7月、アメリカのハリー・トルーマン大統領は、ドイツ・ポツダムでイギリス、ソ連の首脳との会談の会期中に原爆実験の成功を知った。7月25日、アメリカは日本への原爆投下命令を発し、翌26日、アメリカ・イギリス・中国の3カ国は日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言を発表。ポツダム宣言には、日本が降伏するために重要と考えられていた天皇制存続の保証が記されず、また、原爆の存在や使用を暗示する言葉なかった。日本はポツダム宣言を受諾せず。 
http://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=DocumentView&document_id=17&lang=jpn
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【日本の給料、韓国の60%】30年も所得が伸びない。平均賃金は韓国以下。1人当たりGDPは30位以下に転落。国民負担率は50%、所得の半分近くが取られる。年金は減額されて支給が5年延長。基礎年金の手取りが6万円未満。7人に1人の子どもが3度のご飯を食べられない。そんな貧困国の国会議員に多額のボーナスが支給される。
【帝大医学部】脚気細菌説をとってビタミン不足という真の原因を見誤ったのが森林太郎(鷗外)だった。そのため、陸軍ではいたずらに犠牲者を出した。しかし、その後陸軍軍医総監にまで上り詰めた森林太郎(鷗外)は一切責任をとらなかった。731部隊の主力は、京都帝大医学部、石井隊長 色平 哲郎
【東大話法】東大教授は自分が主流でいて大切なものを見落とす。人がすぐれた仕事をしているとケチをつける。また人の邪魔を徹底的に行う。牧野富太郎の研究を東大教授が妨害した。ドラマ「らんまん」。脚気の原因が不明だった時代、東大教授は脚気は感染症だと主張して、ついに脚気菌を発見したと言い出した。北里柴三郎は、この実験法は「コッホの3原則」に準拠しておらず脚気の原因菌とは言えないと言ったばかりに帰国後研究から干されてしまった。失意の柴三郎に福沢諭吉が手を差し伸べて伝染病研究所を立ち上げて、柴三郎は優れた業績を挙げ続けるが、東大派は柴三郎から伝研を取り上げる。明治に精米技術が進んで脚気が蔓延するようになってから脚気が撲滅されるまで百年もかかったのは、東大派の妨害によるところが大きい。色平 哲郎
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【30年戦争】三十年戦争の発端となったのは、1618年の ベーメン反乱 。カトリック信仰の強制に反発するベーメンの新教徒が起こした反乱。1648年に結ばれた ウェストファリア条約 をもって終結。条約の規定に伴い 神聖ローマ帝国は解体 【ジョン・ロック 著 『寛容についての手紙』1689】迫害、拷問、殺戮が、宗教の名によって横行した17世紀ヨーロッパ。信仰を異にする人びとへの「寛容」はなぜ護られるべきなのか? 本書は,この難問に対するロックの到達点。政治と宗教の役割を峻別し、人々の現世の利益を守るのは為政者の任務だが,魂の救済については宗教に委ねられる。後世に多大な影響を与えた「政教分離」の原典。
【キリスト教の戦争】異教弾圧、異教徒殺戮の起源【テオドシウス帝、異教弾圧、392年】【皇帝ユスティニアヌス1世】529年、ユスティニアヌス1世(483-565)、アテナイのアカデメイア閉鎖を命令【十字軍戦争】第1回十字軍(1096~99年)。第4回十字軍(1202~04年)は,コンスタンティノープルを陥れてラテン帝国を建国。最後にルイ9世(聖王)が企てた第7回(1248~54年)と第8回(1270年)遠征、エジプトを攻撃。
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
★★★★★★★
【質疑応答】島薗進先生に、死生学、比較宗教学の観点を踏まえて、質疑応答しました。内容を記録します。島薗進「死生学 ファンタジーと魂の物語」2019年5月26日、上智大学6号館203教室にて。
1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』、2、天正、織田信長、改元の目的、3、密教真言、藝術と魔術、5、学問の不可欠な要素。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』
島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』
【質疑応答】宗教学者、島薗進先生に死生学について質疑応答しました。2017.5. 28、上智大学にて。
1、宗教とは何か、2、宗教が生まれる原因は何か、3、世界観の選択、4、藝術家と宗教、5、天から降りてきた魂、6、 織田信長と天の思想、7.秘密曼陀羅十住心論、8、父殺しのテーマ、9、人の痛みを知ること、10、理念の崩壊は『純粋理性批判』から始まった。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
中野晃一講演会『強者の支配か自由な共存か』【質疑応答】解答篇、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-1a73db.html
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第365回
孫崎享講演会「国際政治 ウクライナ戦争・ガザ・台湾問題」5月26日、上智大学1号館402教室
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/04/post-498020.html
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孫崎享「安倍晋三暗殺事件の真相」.レコンギスタ2024.7月号
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2024年4月17日 (水)

「法然と極楽浄土」・・・称名念仏、南無阿弥陀仏、極楽浄土の幻覚


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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第364回
【浄土教】平安時代、空也、源信は、念仏、西方極楽に往生、来迎、を説き、浄土教を広め、鎌倉時代、法然は、称名念仏・専修念仏、他力、総本山知恩院、浄土宗の開祖。鎌倉仏教の第一歩。親鸞は、阿弥陀仏の慈悲に報恩感謝の念仏、絶対他力、自然法爾、悪人正機、浄土真宗を開宗。室町時代、蓮如は、浄土真宗本願寺派第八世、山科の石山本願寺を建て、本願寺教団を組織化。
法然(法然房源空、1133~1212)。観想の念仏に対して称名念仏を唱え、南無阿弥陀仏と専修念仏すれば、阿弥陀如来の極楽浄土に往生できる。末法の時代には、自力聖建門の教えは困難であり、他力易行の浄土門である。「極楽に往生するためには、南無阿弥陀仏と口で唱えれば疑いなく往生する」『一枚起請文』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【法然(法然房源空、1133~1212)】長承2(1133)年、美作国(岡山県)久米南条稲岡荘の押領使の漆間時国の子として生まれた。9歳の時に、父は預所の明石定明によって夜襲で殺された。幼名は勢至丸。叔父の観覚に従って剃髪。1147(久安3)年 15歳で比叡山に登り源光、皇円に師事。天台を学んだが、18歳1150年教学などに対する疑問を生じ、西塔黒谷の叡空のもとに隠棲、法然房源空と称した。以後20年間修学、叡空は,念仏は『観無量寿経』が説く観想の念仏に対して、法然は善導『観無量寿経疏』によって称名念仏に専修する悟りに達した。安元1(1175)年、43歳にして山を降り、東山の吉水に草庵を結び、老若貴賤を問わず教化した。1186年天台の学匠顕真と専修念仏について議論(大原問答)し、建久9(1198)年関白九条兼実の依頼によって念仏の肝要を述べた『選択本願念仏集』。その思想は《選択本願念仏集》に最もよく表現され、至誠心(しじょうしん),深心(じんしん),回向発願心(えこうほつがんしん)の三心によって,老若貴賤,修行の多寡など問題なく、阿弥陀仏によって救われるとした。1201年(建仁1)に親鸞も弟子となった。女官の出家を契機として南都北嶺の迫害を受け、1207年讃岐に配流された。建暦1(1211)年許されて京に帰ったが翌、建暦2(1212) 年80歳の生涯を閉じた。門下に聖光、源智、証空、親鸞などを出し、日本浄土教の発展の基礎となった。
【『無量寿経』】浄土教の根拠は『仏説無量寿経』である。だが、ゴータマ・ブッダが説いたものではないことは言うまでもない。1世紀に仏典作者が創作した。『仏説無量寿経』。説法の舞台は王舎城(ラージャグリハ)耆闍崛山(ぎじゃくっせん)、ある国の王が世自在王仏の説法を聞いて、王位を捨てて出家し、法蔵菩薩となり、五劫という長い間思惟して、無量の寿、無量の光をもつ阿弥陀浄土に生まれたいと願い、この第十八願を「本願」、すべての人びとを信心と念仏によって救う本願こそ、浄土教の教えの根本。法蔵菩薩は願いを実現するために、兆載永劫果てしなく長い間修行を重ね、阿弥陀如来となった。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
重要文化財「選択本願念仏集(廬山寺本)(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)鎌倉時代・12~13世紀 京都・廬山寺蔵
重要文化財「法然上人坐像」鎌倉時代・14世紀 奈良・當麻寺奥院蔵
国宝「法然上人絵伝、鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵
国宝「阿弥陀二十五菩薩来迎図」(早来迎)、鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵
国宝 「綴織當麻曼陀羅」 中国・唐または奈良時代・8世紀、奈良・當麻寺蔵 画像提供:奈良国立博物館
「仏涅槃群像」香川・法然寺、「さぬきの寝釈迦」を81体の菩薩や動物たちが囲む。
狩野一信「五百羅漢図」増上寺、江戸時代、19世紀
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参考文献
親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝・・・『歎異抄』善人なほもて往生をとぐ
https://bit.ly/3B53Xvn
特別展、東福寺・・・円爾、九条道家、吉山明兆、無準師範
https://bit.ly/3JmEdye
「中尊寺金色堂」・・・魔界の入口、中尊寺金色堂の謎
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/01/post-cf7488.html
「法然と親鸞 ゆかりの名宝」東京国立博物館・・・宗教は麻薬
https://bit.ly/3HFXOt8
「空也上人と六波羅蜜寺」・・・亡き人を想う、生死の境、南無阿弥陀仏
https://bit.ly/3C7OKJG
「法然と極楽浄土」・・・称名念仏、南無阿弥陀仏、極楽浄土の幻覚
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/04/post-ce2b9b.html
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第1章 法然とその時代
相次ぐ戦乱、頻発する天災や疫病、逃れられない貧困など、平安時代末期の人々は苦悩に満ちた「末法」の世に生きていました。この時代に生を享けた法然は、比叡山で天台僧としての修行を積みますが、43歳の承安5年(1175)、唐の善導の著作によって専修念仏の道を選びました。「南無阿弥陀仏」と称えれば救われるという教えは幅広い階層の信者を得ます。しかし、既存の仏教界からは念仏を止めることが強く求められ、ついに法然は75歳のとき讃岐国(香川県)へ配流されるに至りました。やがて帰京し、80歳で往生を遂げます。本章では、浄土宗の歴史のはじまりである、祖師・法然の事績や思想をたどります。
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2章 阿弥陀仏の世界
法然は、本尊である阿弥陀如来の名号をひたすらに称える称名念仏をなにより重んじました。貴賎による格差が生まれる造寺造仏などの善事をすることには否定的で、法然自身は阿弥陀の造像に積極的ではありませんでした。
しかし、それを必要とする門弟や帰依者らには認めました。彼らは阿弥陀の彫像や来迎する様を描いた絵画を拝し、日ごろ念仏を称え、あるいは臨終を迎える際の心の拠りどころとしたのです。多くの人々の願いが込められた阿弥陀の造形の数々は、困難の多い時代、庶民にまで広がった浄土宗の信仰の高まりを今に伝えています。
3章 法然の弟子たちと法脈
法然のもとには彼を慕う門弟が集い、浄土宗が開かれました。法然没後、彼らは称名念仏の教えを広めようと、それぞれ精力的に活動をおこないます。九州(鎮西)を拠点に教えを広めていった聖光の一派である鎮西派は、その弟子良忠が鎌倉を拠点として宗勢を拡大しました。また、証空を祖とする一派である西山派は、京都を拠点に活動を展開し、『観無量寿経』を図示した當麻曼陀羅を見出しその流布に大きな業績を残しました。
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平安時代末期、繰り返される内乱や災害・疫病の頻発によって世は乱れ、人々は疲弊していました。比叡山で学び、中国唐代の阿弥陀仏信仰者である善導(ぜんどう、613~681)の教えに接した法然(法然房源空、ほうねんぼうげんくう、1133~1212)は、承安5年(1175)、阿弥陀仏の名号を称えることによって誰もが等しく阿弥陀仏に救われ、極楽浄土に往生することを説き、浄土宗を開きました。その教えは貴族から庶民に至るまで多くの人々に支持され、現代に至るまで連綿と受け継がれています。
本展は、令和6年(2024)に浄土宗開宗850年を迎えることを機に、法然による浄土宗の立教開宗から、弟子たちによる諸派の創設と教義の確立、徳川将軍家の帰依(きえ)によって大きく発展を遂げるまでの、浄土宗850年におよぶ歴史を、全国の浄土宗諸寺院等が所蔵する国宝、重要文化財を含む貴重な名宝によってたどるものです。困難な時代に分け隔てなく万人の救済を目指した法然と門弟たちの生き方や、大切に守り伝えられてきた文化財にふれていただく貴重な機会です。
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「法然と極楽浄土」東京国立博物館、2024年4月16日(火)~6月9日(日)
京都国立博物館 平成知新館
会期:2024年10月8日(火)〜12月1日(日)
住所:京都府京都市東山区栄屋町527
九州国立博物館
会期:2025年10月7日(火)〜11月30日(日)
住所:福岡県太宰府市石坂4-7-2

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