2025年4月15日 (火)

ヒルマ・アフ・クリント展・・・霊界を旅する者


Hilma-af-klint-mot2025
Hilma-af-klint-nhk-mot-2025
Hilma-af-klint-no1-mot2025
Hilma-af-klint-mot2025_20250415195801
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第396回
ヒルマ・アフ・クリントの絵画は、霊界を旅する者の藝術である。ダンテ『神曲』の霊界の旅であり、この世と宇宙を行き来する。
「獣のように生きるのではなく、徳と知恵を求めて生きるのだ」ダンテ『神曲』第26歌。
霊界を旅する者
ダンテ『神曲』、ウィリアム・ブレイク『無垢の歌、経験の歌』、エル・グレコ、小野篁、空海『秘蔵宝 』、『華厳経』、宮澤賢治『インドラの網』『雁の童子』
「獣のように生きるのではなく、徳と知恵を求めて生きるのだ」ダンテ『神曲』第26歌。
徳と知恵を求めて生きる者だけが、霊界の旅を生きることができる。「獣のように生きる」者とは、カネと地位のために生きる者。他人の命令で生きる、ルーティン教授、点燈夫『星の王子さま』は、「獣のように生きる」者である。
「肉体は、魂を包む魂の衣である。魂自身と魂に所属するものとは別のものである。魂は不死不滅、すべての学問は、魂が前世で学んだことを思い出すことである。」大久保正雄『比較宗教学研究』2024
精神世界を探求する者でなければ観る資格はない。
「風は見えなくても風車は回っている。音楽は見えなくても心に響いてくる、囁きかける」J・S・バッハ「ドレスには、それを脱がせるために男性を魅了する力がなければ意味を成さない。」イヴサンローラン「ドレスが美しくても、本人が美しくなければ意味がない。肉体が美しくても、魂が美しくなければ存在がない。本質が腐っている。」『旅する哲学者、美への旅』
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
神秘主義絵画、宗教画
「認められるまでは、嘲笑される。これは真理の常である。」アルベルト シュバイツァー
【ヒルマ・アフ・クリント1882-1944】1907年、アフ・クリントは、人生の4つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)についての「楽園のように美しい10枚の絵画」啓示を受け、多種多様な抽象的形象、あふれでてくるようなパステルカラーの色彩、圧倒的な《10の最》 (1907年)制作。ルドルフ・シュタイナーと絵画館建設交渉したが、拒否される。Hilma af Klint は1944年ストリートカーの事故に遭い82歳の誕生日を迎えるほんの数日前に他界。1500点の以上の作品と2万500ページ()125冊のノートブック)を甥に残して,自分の死後20年経つまで作品を公表しないようにと遺言。死後20年間作品を封印。カンディンスキー、モンドリアンより早く、抽象的絵画を描いた先駆者、独自の手法で、長らくその存在を知られていなかったスウェーデンの女性画家。
20年後も公開されず。2019年NYグッゲンハイム美術館で史上最多の60万人が来場 世界が注目する。騒然とする。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
参考文献
【神秘主義絵画の系譜】ヤコブ・ベーメ(1575~1624)『曙光』1612、スウェーデンボルグ(1688~1772)肉体の死と霊の蘇生・覚醒の全過程。鈴木大拙訳『天界と地獄』『霊界日記―死後の世界の詳細報告書』、シュタイナー『神智学』『人智学』
――
『ウィリアム・ブレイク展 図録』国立西洋美術館、1990
地上と天上が融合した壮大な祭壇画に、眩暈を感じる。エル・グレコの絵画には、霊的体験と地上の憂愁がある。エル・グレコの炎のように揺らめく人物、神秘的な光が、心を魅了する。壮大な祭壇画に、トレドの街が描き込まれている。
エル・グレコ(El Greco、1541- 1614)は、16世紀の画家で、ルネサンス末期のヴェネツィア派の画家の影響を受け、マニエリスムの先駆である。
エル・グレコをみると、形而上詩人を思い出す。
17世紀のイギリスの形而上詩人(metaphysical
poets)、ジョン・ダン、アンドリュー・マーヴェル、ヘンリー・ヴォーン(Henry
Vaughan 1621-1695)の形而上的世界、光と神秘に通じる世界がある。17世紀、ヤコブ・ベーメ『アウローラ』、エマヌエル・スウェーデンボルグ『天界と地獄』(鈴木大拙訳)のような神秘主義的空間を思い出す。
「昨夜私は永遠を見た。純粋で無限の光の大きな輪のような」(ヘンリー・ヴォーン「世界」). “I saw Eternity the other night/Like a great ring of pure and endless light.” – Henry Vaughan, “The World”
エル・グレコ展・・・天上界と地上界の融合、 「昨夜私は永遠を見た」
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
大久保 正雄
孤高の画家、フリードリヒ、ロマン主義、生涯と藝術
孤高の画家、フリードリヒ、精神の旅、地の果て、崇高な自然と精神
自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅
ヒルマ・アフ・クリント展・・・霊界を旅する者
――
「ヒルマ・アフ・クリント展」プレスリリースより
「ヒルマ・アフ・クリント展 図録」東京国立近代美術館2025
20世紀初頭、カンディンスキーやモンドリアンといった同時代のアーティストに先駆け、抽象絵画を創案した画家として、近年再評価が高まるヒルマ・アフ・クリント(1862~1944年)のアジア初となる大回顧展が、東京国立近代美術館で3月4日から6月15日まで開催されます。
本展では、ヒルマ・アフ・クリントの今日の評価を決定づけた代表的作品群「神殿のための絵画」(1906~1915年)を中心に、ノートやスケッチなど約140点が展示されます。
第1章 アカデミーでの教育から、職業画家へ
19世紀後半のスウェーデンに裕福な家庭の第4子として生まれたアフ・クリントは、王立芸術アカデミーで正統的な美術教育を受けた後、肖像画や風景画で評価を得て、画家としてのキャリアをスタートさせました。
在学中に制作された人体デッサンにおける正確な形態把握や、この時期に制作されたと思われる植物図鑑のように緻密な写生などからは、彼女が習得した技術の高さを見て取ることができます。
ヒルマ・アフ・クリント 《ポピー》 制作年不詳 水彩、インク・紙 58×35.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
第2章 精神世界の探求
一方で神秘主義思想に傾倒した彼女は、瞑想や交霊の集いに頻繁に参加し、知識を深めていきました。アフ・クリントは交霊術の体験などを通して、アカデミックな絵画とはまったく異なる抽象表現を生み出していきます。
1896年、特に親しい4人の女性と「5人 (De Fem) 」 というグループを結成すると、彼女たちは交霊術におけるトランス状態において、高次の霊的存在からメッセージを受け取り、それらを自動書記や自動描画によって記録しました。
第3章 「神殿のための絵画」
1904年、アフ・クリントは「5人」の交霊の集いにおいて、高次の霊的存在より、物質世界からの解放や霊的能力を高めることによって人間の進化を目指す、神智学的教えについての絵を描くようにと告げられます。この啓示によって開始されたのが、全193点からなる「神殿のための絵画」です。それらは自身が構想した神殿を飾るためのものでした。
「神殿のための絵画」は途中4年の中断期間を挟みつつ、1906年から1915年まで約10年をかけて制作されました。サイズ、クオリティ、体系性、すべての面からアフ・クリントの画業の中核をなす作品群で、「原初の混沌」「エロス」「 10の最大物」「進化」「白鳥」 といった複数のシリーズやグループから構成されています。

〈10の最大物〉
1907年、アフ・クリントは、人生の4つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)についての「楽園のように美しい10枚の絵画」を制作する啓示を受け、多種多様な抽象的形象、画面からあふれでてくるようなパステルカラーの色彩、そして圧倒的なスケールの〈10の最大物〉 (1907年)を描きました。高さは3㍍超と「神殿のための絵画」のなかでも異例の巨大なサイズです。
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 2,幼年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 315×234cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 3,青年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 321×240cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 7,成人期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 315×235cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《10 の最大物,グループIV,No. 9,老年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 320×238cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
円や四角形といった幾何学図形、花びらや蔓といった植物由来の装飾的モチーフ、細胞、天体を思わせる形態など、実に多様な要素から構成されたこれらの作品群は、そのすべてが、眼に見えない実在の知覚、探求へと向けられています。

ヒルマ・アフ・クリント 《エロス・シリーズ,WU/薔薇シリーズ,グループII,No. 5》 1907年 油彩・キャンバス 58×79cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《知恵の樹,W シリーズ,No. 1》 1913年 水彩、グアッシュ、グラファイト、インク・紙 45.7×29.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
具象的な白鳥が抽象的、幾何学的形状に変化し、最後再び具象性に回帰するプロセスが全24点で表現される「白鳥」シリーズは、具象と抽象、光と闇、生と死、雄と雌といったアフ・クリントの関心事である二項対立とその解消が、さまざまなレベルで展開していきます。
ヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUWシリーズ,グループIX:パート1,No. 1》 1914-1915年 油彩・キャンバス 150×150cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUW シリーズ,グループIX:パート1,No. 13》 1915年 油彩・キャンバス 148.5×151cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUW シリーズ,グループIX:パート1,No. 17》 1915年 油彩・キャンバス 150.5×151cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
トーマス・エジソンらによる電気に関わる発明、ヴィルヘルム・レントゲンによるX 線の発見、キュリー夫妻による放射線の研究など、19世紀後半から20世紀初頭にかけて展開された科学分野における画期的な発明や発見の数々もまた、肉眼では見ることのできない世界の把握に関わるものでした。この時代のスピリチュアリズムなど神秘主義的思想には、こういった科学的実践と共通する探求として、関心が寄せられていた側面があるのです。
精神的世界と科学的世界、双方への関心を絵画として具現化した「神殿のための絵画」の存在こそ、アフ・クリントが今日、モダン・アートにおける最重要作家の一人として位置づけられる所以と言えるでしょう。
ヒルマ・アフ・クリント 《祭壇画,グループX,No. 1》 1915年 油彩、箔・キャンバス 237.5×179.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

第4章 「神殿のための絵画」以降:人智学への旅
「神殿のための絵画」を完結以降、アフ・クリントの制作は、幾何学性や図式性が増すようになりました。1920年に介護していた母親が亡くなり、以前より関心を寄せていた神智学から分離独立した「人智学」への傾倒を深めると、アフ・クリントの制作は、水彩のにじみによる偶然性を活かし、色自体が主題を生み出すような作品へと変化した。

第5章 体系の完成へ向けて
制作の一方で、アフ・クリントは自身の思想や表現について記した過去のノートの編集や改訂の作業を始めます。特に注目すべきは「神殿のための絵画」を収めるための建築物の構想です。制作が完了してからすでに15年以上経過した1930年代にもなお、作品を収める理想のらせん状の建築物について記し、建物内部の具体的な作品配置計画の検討も重ねていました。
この神殿が実現することはありませんでしたが、こういった自らの思想の絶えざる編集と改訂の作業は、絵画制作を含むアフ・クリントの仕事全体が、いかに厳密な体系性を目指していたかの証左となるものでしょう。
展示作品の一部
ヒルマ・アフ・クリント,ハムガータン(ストックホルム)のスタジオにて 1902年頃 ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
――
ヒルマ・アフ・クリント展、東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー、2025年3月4日(火)~6月15日(日)

| | コメント (0)

2025年4月12日 (土)

相国寺展、金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・無の宗教と雪舟、若冲、円山応挙

Shokokuji-2025_20250412223601
Shokokuji-geidai-2025
Shokokuji-maruyama-oukyo-botan-kujakuzu-
Shokokuji-2-2025
Shokokuji-91759gei-2025
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第395回
11歳で就任した3代将軍・足利義満は、相国寺を創建、夢窓派の祖・夢窓疎石、高弟の春屋妙葩を迎える。鹿苑寺金閣を開き、北山文化を生み、孫の足利義政は、慈照寺銀閣を作り、東山文化、東山御物を残した。
夢窓疎石、春屋妙葩、絶海中津、大典顕常(1719年-1801年)は、雪舟、若冲、如拙と周文、円山応挙に影響を与える。
――
臨済宗、禅宗は、中国仏教であり、老荘思想であり、ニヒリズムであり、無の宗教である。無、無為自然、無用の用、玄徳、道(万物の根源)は無、混沌、大道廃れて仁義あり、『老子』。万物斉同、逍遥遊、邯鄲の夢『荘子』。
「大成若缺、其用不弊、大盈若冲、其用不窮。大直若屈、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。淸靜爲天下正。「老子」第45章」。★
【明代初期の花鳥画家、文正『鳴鶴図』1376年】6世、絶海中津、中国から帰朝する時に、招来した。この絵画を雪舟、伊藤若冲、狩野探幽が学んだ。
【狩野永徳『洛中洛外図屏風』】足利義輝が発注、1566永徳が制作、1574織田信長が上杉謙信に贈呈。どこから見た洛中洛外図か。
【相国寺七重塔。1339年三代将軍・足利義満が建立(11歳で将軍就任)】1470年、猿物により炎上(『相国寺七重塔炎上之事』応仁記)。
【伊藤若冲「乗興舟」】1767年頃、若冲が交流の深い相国寺の禅僧、梅荘顕常(大典)と淀川下りをした感興を表した。季節は春、京都・伏見から大坂・天満橋まで6時間ほどの船旅を、幅約29センチ、長さ約11.5メートル。漆黒の空に白い松並木や遠くの家並み、淡い灰色の川
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
1、足利義満の時代、相国寺創建 夢窓疎石 春屋妙葩
【足利義満】[1358~1408]室町幕府第3代将軍。在職1369~1395。義詮(よしあきら)の子。南北朝合一を果たし、明と勘合貿易を開いて室町幕府の最盛期を現出した。能楽の保護、金閣の建立などこの時代の文化を北山文化とよぶ。北山殿義満。
第一章 開山の祖、夢窓疎石、相国寺に関わる高僧の墨蹟。
相国寺は、11歳で将軍職についた室町幕府三代将軍・足利義満が永徳 2 年(1382)に発願し、開山・創建された禅宗の古刹。夢窓派の祖・夢窓疎石(むそうそせき)を勧請開山に迎え、高弟の春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を実質的な創建開山とした。京都の地、御所の北側の広い敷地に伽藍を構える大寺で、金閣寺、銀閣寺の通称で名高い鹿苑寺、慈照寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山。
相国寺は美術の発展にも尽力。640年以上の歴史の中で数々の芸術家を育て上げ、名作の誕生を導いてきた。1984年には相国寺をはじめ、鹿苑寺、慈照寺などに伝わる文化財の保存修理、展示公開、禅文化の普及を目的に相国寺承天閣美術館を創設。現在、国宝5点、重要文化財145点を含む優れた作品を収蔵する。寺に伝わる什物(じゅうもつ=代々伝わってきた宝)は美的価値だけでなく歴史的価値も高いものが揃っている。明から伝来した名品を見ることができる。相国寺は創建当初から中国との文化的交流の中心地であった。
展示作品
《鳳凰》室町時代 15世紀 鹿苑寺 応永五年(1398)の創建当初から金閣の頂上にあった。
重要文化財《鳴鶴図》 文正筆 中国・元-明時代 14-15世紀 相国寺 絵の前から立ち去り難い端正さを持つ。

2、雪舟の時代 室町幕府の御用絵師・如拙と周文を師とする
第二章「中世相国寺文化圏 ―雪舟がみた風景」雪舟が目にした文化的風景を偲ぶ
開山から間もない15世紀の相国寺には、相国寺文化圏と称するべき美の営みがあった。室町幕府の御用絵師であった相国寺の画僧・如拙と周文は室町水墨画の様式を確立、さらに二人を師と仰いだと書き残している雪舟は、若き日を相国寺にて過ごした。室町水墨画の巨匠・雪舟が目にしたと想像される文化的風景が展開される。
展示作品
重要文化財 雪舟《毘沙門天》 室町時代 15世紀 相国寺蔵
林良筆《鳳凰石竹図》明、16世紀、雪舟から若冲にまで影響を与えた。重要文化財
周文筆《十牛図巻》より 右から「尋牛」「見跡」「見牛」 伝 周文筆 室町時代 15世紀 相国寺
相国寺の画僧・周文が描いた《十牛図巻》では、禅や悟りを人と牛との関係にたとえ、十の過程で示した。牛の姿は「真の自己」を表し、真の自己を求める自己は牧人として描かれている。
《花鳥図》伝呂紀筆 :《花鳥図》兪増筆 いずれも中国・明時代 16世紀 相国寺
雪舟は相国寺を出たのち、明に渡って約3年を過ごし、その間、多くの中国絵画を目にした。室町時代には数々の明代絵画が相国寺にもたらされ、日本の絵師に影響を与えた。

3、92世住持・西笑承兌
第三章「『隔蓂記』の時代 ―復興の世の文化」
室町時代に文化的興隆を見せた相国寺、1467年に応仁の乱が勃発し、続いて戦国の世になると荒廃した。戦国時代以降の相国寺を復興したのは 92世住持・西笑承兌(せいしょうじょうたい)。天下人秀吉、家康のブレーンとなり外交僧として活躍、相国寺中興の祖となった。続いて1600年代、復興の相国寺に登場するのが鳳林承章(ほうりんじょうしょう)。西笑承兌の法嗣(はっす=師から仏法の奥義を伝えられた弟子)で鹿苑寺の住持を務め、75歳で亡くなるまで34年間にわたって日記『隔蓂記(かくめいき)』を書き残した。鳳林承章をめぐる風雅の時と場を再現する。
狩野派とのかかわり
『隔蓂記』の時代は江戸時代前期と重なり当時、文化の中心にいたのが文芸復興に尽くしたことで知られる後水尾(ごみずのお)天皇である。鳳林承章とは親戚関係にあり、相国寺には後水尾天皇からの寄進による作品が残されている。当時もっとも勢いのあった狩野派の作品も含まれている。京都に滞在していた探幽に鳳林自身が画絹を持参し、制作を依頼したと『隔蓂記』に記されている。
展示作品
西笑承兌墨蹟「檀忌香偈(だんきこうげ)」 西笑承兌筆 桃山時代 天正13年(1585) 相国寺
《西笑承兌像》 江戸時代 17世紀 豊光寺 ※いずれも前期展示
『隔蓂記』鳳林承章筆 江戸時代 寛永12-寛文8年(1635-1668)鹿苑寺
狩野探幽《観音猿猴図》狩野探幽・狩野尚信・狩野安信筆 江戸時代 正保2年(1645)相国寺 両側の猿がユーモラスな本作は「後水尾天皇寄進状」に記載のある作品。

4、奇想の画家・若冲を開花 第113世住持・梅荘顕常 維名周奎
第四章「新奇歓迎!古画礼讃! ―若冲が生きた時代」
若冲は京都・錦市場の青物問屋「枡屋」の長男として生まれ、絵を描くことが好きだったものの、40歳まで枡屋当主として家業に励んだ。
★★★
 若冲の才能をいち早く見出し、絵の世界へ導き若冲の名を与えたのが相国寺第113世住持の梅荘顕常である。
「老子」第45章。大成は欠くるが若く、其の用は敝きず。大盈は冲(むな)しきが若く、其の用は窮(きわ)まらず。大直は屈するが若く、大巧は拙なきが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。燥は寒に勝ち、静は熱に勝つ。清静は天下の正たり。
大成若缺、其用不弊、大盈若冲、其用不窮。大直若屈、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。淸靜爲天下正。「老子」第45章。
愚者よ、外見で無用と決める愚かさに気づけ。
梅荘は若冲に中国絵画を模写する機会を与え、さらに「若冲」という画号を授けた。近世の相国寺の文化に殷賑を極める、独特の絵画表現を完成。若冲は梅荘の尽力によって、鹿苑寺大書院を飾る襖絵50面を描くという大プロジェクトを任される。当時、若冲は44歳の無名絵師。梅荘の存在がなければ、これほどの大仕事を得られることはなかった。
★★★
「千年、具眼の士を待つ」「理解する士が現れるまで 千年のときを待つ」と言った伊藤若冲)。若冲と親交深く画家としての活動を支えたのが、詩僧として名を馳せた相国寺の僧、梅荘顕常、梅荘の弟子であった維名周奎(いめいしゅうけい)は若冲に画を学び、画僧として活躍した。若冲作品と同時に、その魅力を開花させた文化的背景を探る。
展示作品
《竹虎図》絵:伊藤若冲筆 賛:梅荘顕常筆 江戸時代 18世紀 鹿苑寺
伝李公麟「猛虎図」(朝鮮・朝鮮時代)に依拠して描かれており、虎のユーモラスな表情、猫のように拳を舐める仕草、体躯の力強い表現。虎の背後には風に揺れる竹の葉が筆勢の強い墨線で表現。梅荘顕常の賛は「いずこの竹林、長く嘯く声の中。突如もの寂しげな夕刻の風が巻き起こる」と詠む。虎嘯風生(こしょうふうしょう)の故事「虎の遠吠えが風を生む」、「英雄が出現すると天下に風雲が巻き起こる」という喩えである。若冲と梅荘は、虎が巻き起こす風をそれぞれの手法で表現した。
重要文化財《鹿苑寺大書院障壁画 一之間襖絵 葡萄小禽図》伊藤若冲筆 江戸時代 宝暦9年(1759)鹿苑寺蔵

5、近世・近代 俵屋宗達 円山応挙
第五章「未来へと育む相国寺の文化 ―”永存せよ”」
相国寺の什物は中世より伝来するものもあれば、近世や近代の寄進などの新規受入により加わったものもある。今回の展覧会では、什物の経歴や履歴という視点も重視した。現在、相国寺に集まった数々の什物は、今後も相国寺で活かされ、価値を見いだされ、永く伝えられてゆくことが期待されている。そのような近代に収集された作品群。
長谷川等伯《萩芒図屏風》(前期3/29~4/27展示)は金地着色画の大作。花を咲かせた萩が風になびく右隻、芒の茂みに野菊が顔を覗かせる左隻。シンプルで明快な構図ながら、繊細な情緒にあふれている。
円山応挙筆《七難七福図巻》より「福寿巻」江戸時代 明和5年(1768) 相国寺 ※前期・後期で場面替えあり
応挙初期の作品。天災を描く上巻、人災を描く中巻、そして福寿を描く下巻からなる大作、応挙は制作に3年を費やし、三巻の全長は39メートルに及ぶ。人の世の苦難と寿福とを絵解きするために制作された絵巻。人々が天災や大蛇から逃げまどう様子などがリアルに、時にユーモラスに描かれている。
重要文化財《蔦の細道図屏風》伝 俵屋宗達筆 烏丸光広賛 江戸時代 17世紀 相国寺 ※後期展示
『伊勢物語』より宇津の山の場面を表し、大胆な構成、金箔の地に緑青という鮮やかな色使いが目を引く。
《百鳥図》伝辺文進筆 中国・明時代 15世紀 鹿苑寺
壮大な吉祥図。中央に描かれている鳳凰は百鳥の王とされ、鳳凰が飛べば群鳥たち皆これに従うと言われてきた。金閣寺の屋根から相国寺文化圏の隆盛を長らく見守ってきたのも鳳凰である。
【孔雀明王、快慶】金剛峰寺、正治二年(1200年)。孔雀は毒を食う。三毒、貪瞋痴、むさぼること、いかること、愚痴、愚かなこと、毒を喰う、仏法を守る孔雀。円山応挙『牡丹孔雀図』1771。牡丹は花の王、仏法を守る孔雀。孔雀明王神咒経
【孔雀明王像、快慶、正治二年(1200) 金剛峯寺】後鳥羽法皇の御願で1200年に造立。孔雀の背に乗る絵画的な姿を表現。孔雀明王は人間の天敵・コブラを食べその害から守ってくれるところから無病息災の信仰を集め明王ながら菩薩の尊顔で表現される。
――
参考文献
生誕300年、若冲展・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
https://bit.ly/2FWbP7L
「円山応挙から近代京都画壇へ」・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
https://bit.ly/2KEGwyj
禅-心とかたち、東京国立博物館・・・不立文字
https://bit.ly/3IVCj7B
「栄西と建仁寺」・・・天下布武と茶会、戦国時代を生きた趣味人
https://bit.ly/2OAhnsz
妙心寺展・・・禅の空間 、近世障屏画の輝き
https://bit.ly/2OACxXq
相国寺展、金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・無の宗教と雪舟、若冲、円山応挙
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/04/post-57cb8d.html
相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史
東京藝術大学美術館、3月29日~4月27日、 後期(4/29~5/25)
――

| | コメント (0)

2025年3月27日 (木)

美への旅、「異端の奇才——ビアズリー」、運命の女サロメの図像学、洗礼者ヨハネの図像学

Beardsley-b-mimt-2025
Caravaggio-la_decapitacin_de_san_juan_ba
Caravajjiosalome_with_the_head_of_john_t
C-baptist-leonardo_da_vinci__st_john_the
Caravaggio-san_juan_bautista_por_caravag
Dokokara-tiziano-salome-1560-70-nmwa-202
Beardsley-1893-victoria-and-albert-museu
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第394回
「異端の奇才——ビアズリー」が、三菱一号館美術館で開催されている。異例の予約チケット完売。ラファエロ前派、唯美主義、ロセッティを超える空前の人気である。その魅力の秘密は何か。ビアズリーの魅力は、運命の女(ファム・ファタル)の図像学、洗礼者ヨハネの図像学である。ビアズリーの生涯と作品から考察する。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
第1章、ビアズリーの生涯と作品(1872-1898)
【ビアズリーの生涯と作品(1872-1898)】16歳、寄宿学校をやめロンドンへ。17歳、測量会社・生命保険会社で事務員として働く。19歳バーンジョーンズを訪問。美術学校夜間授業を受ける。20歳『アーサー王』挿絵を受注。22歳、英語版オスカー・ワイルド『サロメ』挿絵で時の人。23歳ワイルド男色で逮捕。『イエロー・ブック』編集長解雇。25歳肺結核、南仏マントンで死す。
【オスカー・ワイルド『サロメ』1894】ユダヤの王エロドは、自分の兄である前王を殺し妃を奪い今の座に就いた。妃の娘である王女サロメに魅せられて、目を彼女に向ける。その視線に堪えられなくなったサロメは、宴の席をはずれて、預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)が閉じ込められている井戸に向かう。預言者を見てしまう。
【ヨハネに恋するサロメ】そして彼に恋をする。預言者は彼女の忌まわしい生い立ちを詰る。愛を拒まれたサロメはヨカナーンに口づけすると誓う。エロドはサロメに執拗にダンスをしろと要求、何でも好きなものを褒美にとらせると約束。サロメはこれに応じて7つのヴェールの踊りを踊り、返礼としてエロドにヨカナーンの首を所望する。
【邪悪な王エロド】エロドはヨカナーンの首をサロメにとらせる。銀の皿にのって運ばれてきたヨカナーンの唇にサロメが口づけ、恋を語る。これを見たエロドはサロメを殺させる。
【オスカー・ワイルド、人生と藝術の相克、唯美主義の苦悩】(1854年-1900年11月30日)1882年、唯美主義の広告塔としてアメリカ講演旅行。『幸福の王子』1888『ドリアングレイの肖像』1891『ウィンダミア卿夫人の扇』1892『英語版サロメ』1894オーブリー・ビアズリーの挿絵を出版社が採用、ビアズリーとは1年で決別。1895同性愛の罪で2年間服役。56歳フランスで死す。(1854年10月16日- 1900年11月30日)

第2章、運命の女(ファム・ファタル)の図像学、洗礼者ヨハネの図像学
運命の女(ファム・ファタル)の図像学、洗礼者ヨハネの図像学
19世紀ロマン主義、世紀末美術【運命の女(ファム・ファタル)の系譜】
ラファエロ前派は、運命の女神、運命の美女を追求する。ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』(1851-52)は、絶望のうちに溺死するヒロイン、川に流されながら歌うオフィーリアと、33歳で亡くなったエリザベスの面影が重なる。ロセッティ「プロセルピナ」(1874)は、運命の女ジェイン・モリスの人生を反映する。
ロセッティ『ムネモシュネ』『プロセルピナ』(1876-1882)、ギュスターヴ・モロー『出現』(1876オルセー美術館)、オーブリー・ビアズリー『サロメ、おまえの口に接吻(口づけ)したよ、ヨカナーン』(『ストゥーディオ』1893)、オスカー・ワイルドの英訳版『サロメ』1894
2、ルネサンスの洗礼者ヨハネからどのようにして洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメが生まれるのか
16世紀レオナルドダヴィンチのヨハネからヴェネツィア派を経て、17世紀カラヴァッジョのバロックの残虐趣味、世紀末のロマン主義へと展開した。
【洗礼者ヨハネ】レオナルドダヴィンチ『ヨハネ』1513-16、ティツィアーノと工房『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ 』1560-70、国立西洋美術館、カラヴァッジョ『洗礼者ヨハネの斬首』『勝ち誇るアモール』油彩、キャンバス、ベルリン国立美術館1602年、『砂漠の洗礼者聖ヨハネ』1604、【洗礼者ヨハネの斬首】カラヴァッジョ『ホロフェルネスの首を斬るユディト』(1598年 - 1599年)「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ 」1607年、油彩、キャンバス、ロンドン・ナショナル・ギャラリー、「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」(1609年頃)マドリード王宮所蔵、『洗礼者聖ヨハネの斬首』聖ヨハネ大聖堂蔵バレッタ1608、『ゴリアテの首を持つダヴィデ』(1609年 - 1610年)ボルゲーゼ美術館、アルテミシア・ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を斬るユディト』

本展監修者、河村錠一郎・一橋大学名誉教授。
【河村錠一郎『世紀末の美学』1986】ラファエル前派-世紀末耽美主義のルーツ、2人のイゾルデ-ビアズリーとワーグナー、世紀末とロマン主義-理想の挫折、象徴の美学、アール・ヌーヴォーからアール・デコへ、普遍へ飛翔するエロス。ロセッティとビアズリーとオスカー・ワイルドとワグナー。 
一橋大学「芸術と社会」研究会 https://artsandsociety.jimdofree.com/
――
【主な展示作品】
オーブリー・ビアズリー《クライマックス》1893年 『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館』 Photo: Victoria and Albert Museum, London
オーブリー・ビアズリー《サロメの化粧Ⅱ》1907年 『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館』 Photo: Victoria and Albert Museum, London
オーブリー・ビアズリー《愛の鏡》1895年 『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館』 Photo: Victoria and Albert Museum, London
オーブリー・ビアズリー《アーサー王は、唸る怪獣に出会う》1893年 『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館』 Photo: Victoria and Albert Museum, London
チャールズ・リケッツ「サロメ」1925年 ブラッドフォード地区美術博物館蔵 Photo: Bradford Museums & Galleries / Bridgeman Images
――
展覧会情報
【展覧会概要】
「異端の奇才——ビアズリー」三菱一号館美術館、2月15日(土)~5月11日(日)
19世紀末の欧米を騒然とさせた奇才オーブリー・ビアズリー(1872-1898)。初期から晩年までの挿絵や希少な直筆の素描、彩色されたポスターや同時代の装飾など、約220点を通じてビアズリー芸術を展覧する
『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)』との共同企画によりオーブリー・ビアズリーの歩みをたどる本展。1852年に「産業製品の博物館」として設立した『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館』には、5000年にわたって人類が創造してきたあらゆる分野の作品280万点が所蔵されている。
ビアズリーの原画を擁する世界有数の国立コレクションで知られるこの博物館の全面協力を得て、ビアズリー作品150点が一挙来日、大回顧展が実現した。出世作のマロリー著『アーサー王の死』や日本でもよく知られるワイルド著『サロメ』、後期の傑作ゴーティエ著『モーパン嬢』をはじめ、約220点を通じてビアズリーの芸術を展覧する。
開催期間:2025年2月15日(土)~5月11日(日)
開催時間:10:00~18:00(祝を除く金・会期最終週平日、第2水・4月5日(土)は~20:00。入館は閉館30分前まで)
休館日:月(ただし2月24日・3月31日・4月28日・5月5日は開館)
会場:三菱一号館美術館(東京都千代田区丸の内2-6-2)
アクセス:JR東京駅から徒歩5分、地下鉄千代田線二重橋前〈丸の内〉駅から徒歩3分、JR・地下鉄有楽町駅から徒歩6分、地下鉄都営三田線日比谷駅から徒歩3分、地下鉄丸ノ内線東京駅から徒歩6分
入場料:一般2300円、大学生1300円、高校生1000円、小・中学生無料
※障害者手帳をお持ちの人は半額、その介護者1名は無料。
【問い合わせ先】ハローダイヤル☏ 050-5541-8600
――
著者プロフィール 大久保正雄 哲学、美学、比較宗教学、図像学。美術評論。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。質疑応答、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』2019、島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』2018、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』、上智大学卒、北海道大学大学院博士課程修了。
――
参考文献ビアズリー
カラバッジョ展、国立西洋美術館・・・光と闇の藝術
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」・・・藝術家と運命との戦い、ロセッティ最後の絵画
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派
孤高の画家、フリードリヒ、精神の旅、地の果て、崇高な自然と精神
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
美への旅「異端の奇才——ビアズリー」、運命の女サロメの図像学、洗礼者ヨハネの図像学
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-100d8a.html

| | コメント (0)

2025年3月24日 (月)

アグリジェント、神殿の谷・・・コンコルディア神殿、アグリジェントのクーロス

Gr-agrfigento-valle-dei-templi-greek-her
Gr-agrigento-valle-dei-templii-2024
Gr-troy-2025jpg
Gr-archaic-peplos-kore-530-bc-athens-202
Athens-aphrodite-national-archaeological
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第393回
アクラガスの哲学者エンペドクレスは、金冠を戴き、紫色の衣に金のベルトを巻いて、デルポイの花冠を携えて諸都市を巡り歩いた。魂の不死不滅、輪廻転生、万物の四根と魂の宇宙円環の思想をもち、自由と美しい魂を愛した。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、森の図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第100回アクロポリスの少女
蘇るアクロポリスの少女、アルカイックの微笑み、二千年の眠り
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
人生の目標と夢と余暇の趣味を問う人あり。詩には人類の叡智が現れる、静謐で品が善い詩を書き残す。上智は下愚に移らず。
【理念を追求する精神】空海は理念を探求して旅した。空海の24歳の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人々。理念を追求する人々、この世の闇の彼方に美を求める。
――
【アグリジェント、神殿の谷】アグリジェントはかつてアクラガスと呼ばれる古代ギリシアの植民都市だった。南東に70kmほど離れた都市ジェーラ(Gela)とロドス島からの移住者によって紀元前581年に建設されたアクラガスは、競馬の飼育で知られる富める町だった。僭主テロンが支配した最盛期(紀元前488〜472年)には人口20万人にも及ぶ大都市に発展していた(現在のアグリジェントの人口は6万人弱)。この町に生まれた哲学者エンペドクレスは、アクラガス市民は「まるで明日死ぬかのように食べ、永久に生きるかのような家を建てていた」と描写した。
紀元前406年にカルタゴ軍によって破壊されるまでは、市民は相当にゴージャスな暮らしぶりだったらしい。アグリジェント市の南部にはそうした古代都市アクラガスの栄華を感じさせるギリシア神殿群が残る。アグリジェント(Agrigento)の考古学地区、「神殿の谷(Valle dei Templi) 【アグリジェントの神殿の谷】1、コンコルディア神殿。ドーリス式神殿の中で最も保存状態の良い神殿 の一つ。1748年に復元された。2、神殿の谷で最も古い(紀元前6世紀建設)ヘラクレス神殿。3、崖の上にそびえるユノ・ラキニア神殿。4、カストレ•ポルーチェ神殿。5、ゼウス神殿
ヴィラ・アテナ・ホテル コンコルディア神殿の近くにある。
比較美術学、文化は、比較すると、特質が明晰になります。ギリシア人とイタリア人は、美に溺れる。フランス人は、性欲に溺れる。ドイツ人は、権力に溺れる。スペインじんは、情熱に溺れる。日本人は、テクニックに溺れる。精神より様式。伊藤若冲、円山応挙、。精神の美を追求する人は、国と文明を越えて、超一級。
――
【アグリジェント州立考古学博物館】博物館の近くには、武骨な煉瓦造りの中世の教会と、ヘレニズム時代(古代ギリシアから古代ローマへの過渡期の時代)と思われる円形劇場の跡。1「アグリジェントの若者(クーロス)」と呼ばれる大理石像。世界でもごくわずかしかない古代ギリシア時代のオリジナル、紀元前5世紀の作。古代アグリジェント(アクラガス)の最盛期に造られた藝術品。2 ジョーヴェ(ゼウス)神殿の遺跡、ジョーヴェ神殿の列柱には、このような巨人像がはめ込まれていた全長7.6メートルの巨人像。
――
【人生における目標や夢】人生の目標と夢と余暇の趣味を問う人あり。
あなたの人生における目標や夢は何ですか。仕事は何ですか。余暇には何をしますか。
仕事は『美とは何か』、人の魂を救済する『慈悲とは何か』、『至高の叡智とは何か』『真実の愛とは何か』を研究すること。
ギリシア人とイタリア人は、美に溺れる。フランス人は愛欲に溺れる。スペイン人は、情熱に溺れる。ドイツ人は、権力に溺れる。日本人は、テクニックに溺れる。
私の趣味は、美しい森と海辺を散歩すること、美しい本を読むこと、美術を見ること、著作活動すること、詩を書くこと、友人とコンサートの後、宴をすること。精神の美を探究すること。『旅する哲学者、美への旅』というブログ書いている。
余暇の仕事として「お金と地位では買えない価値とは何か」を探求すること。次の旅の目的地を研究すること。アグリジェントの神殿の谷、コンコルディア神殿、アグリジェント州立博物館。
――
『比較宗教学研究』プラトン哲学と空海、哲学史、密教学、古代ギリシア語、古典サンスクリット語、美術史、図像学、多数の学問を要する。
私の夢の一つは、「真実の愛」を探求する。美しい魂を探求すること。
――
参考文献
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
ロワールの古城めぐり・・・フランソワ1世とルネサンス
「ミケランジェロと理想の身体」・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術
孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第100回アクロポリスの少女
蘇るアクロポリスの少女、アルカイックの微笑み、二千年の眠り
大久保正雄『地中海紀行』第47回ギリシア、愛と復讐の大地1P22
旅する詩人、エウリピデス ギリシア悲劇の極致
――
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
アグリジェント、神殿の谷・・・コンコルディア神殿、アグリジェントのクーロス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-f6d967.html
――
【ルネサンス復讐劇の起源】王を弟が殺人、王権を奪う、王の亡霊が真実を告げる、王子ハムレットが復讐を誓う、劇中劇で真実を解明、権力の相続争い、王妃の不義密通、一族の殺し合い、王家舞台の殺人。シェイクスピア『ハムレット』の原型
【セネカ『テュエステス』】源泉はギリシア悲劇アトレウス王家、兄アトレウスと弟テュエステス、テュエステスがミケナイ王になったという知らせを聞いたアトレウスの息子アガメムノンは、スパルタ王デュンダレオスの力を借りるためスパルタへやってきた(『アガメムノン』)。【アトレウス王家5世代の殺戮】1・タンタロス · 2・ペロプスとニオベー · 3・アトレウスとテュエステス · 4・アガメムノン · 5・エレクトラとオレステス. その後のオレステスはクリュタイムネストラに復讐、アガメムノンの雪辱を晴らす。
【アトレウスは弟に復讐、テュエステスに食わせた】(アポロドロス)『摘要第2章』アトレウスは、妻が弟テュエステスと姦通したのを知り、テュエステスの3人の児をひそかに殺しその身体を煮て、テュエステスに食わせた。
【なぜ、弟は兄に謀反し殺害するのか】『ハムレット』レイアティーズ、ハムレットの父を殺し、ガートルードと姦通する。『テュエステス』テュエステスはミュケナイの王位をめぐり、姦通と偽誓によって兄であるアトレウスを陥れ、アトレウスは妻と姦通したテュエステスを許すことができず、和解と称して呼び戻し、テュエステスの子供たちを殺してテュエステスの食卓に饗した。テュエステスは喜んで食べ尽し、アトレウスの悪行のために太陽は進路を変えた。
【なぜ、弟は兄に謀反、復讐されるのか】『テンペスト』プロスペローはミラノ大公であったが、学問に没頭、弟アントニオに公爵位を奪われる。弟はナポリ王アロンゾに臣従し兄と娘ミランダを孤島に島流し。12年孤島籠城の兄はナポリ王と弟一行の船を魔術で難破させる。
【エウリピデス『オレステス』BC408】
アポロンは、オレステスにはアテナイで裁判を受け、ヘルミオネと結婚すると予言。そしてピュラデスにエレクトラを娶るように命じる。アポロンは「二人のこれからの人生は幸せが続く」と予言する。
エウリピデス『オレステス』は、ギリシア悲劇の極限であり、到達点である。『オレステス』は悲劇であるが、苦悩するオレステスは、苦難の後、アポロンによって救済され、幸福の予感のうちに、劇は終わる。エウリピデス劇は、波瀾にみちた複雑な展開、激情的な人物、窮地に陥った人々を、神が現れて救う機械仕掛けの神(デウス・エクス・マーキナー)が用いられる、メロドラマ的大衆性を帯びる。
『オレステス』は、エウリピデスがマケドニアに旅立つ前、紀元前408年、アテナイで最後に書いた悲劇である。エウリピデスは2年後に異郷の地で死に、再びアテナイに帰ることはなかった。
大久保正雄『地中海紀行』第47回ギリシア、愛と復讐の大地1P22
旅する詩人、エウリピデス ギリシア悲劇の極致
――
『トロイ』(2004年 監督ウォルフガング・ぺーターゼン 主演ブラッド・ピット)
紀元前1100年。繁栄を誇るトロイ市は、ギリシャ諸国の征服の対象だった。トロイ王プリアモスにはヘクトール、ポリドロスそしてパリスと3人の王子がいた。パリスは父を説いて平和使節としてギリシャへ向かった。だが途中、嵐にあったパリスはスパルタ海岸に漂着した。パリスを救い、かくまったのはスパルタ王メネラウスの妃ヘレンだった。パリスがスパルタの王宮を訪れたとき、宮廷ではトロイ攻撃の軍議の最中だった。アガメムノン、オデュッセウスなどの顔もみえ、パリスは身分を証明するため勇将エイジャックスと拳闘の試合をして彼を破った。しかし平和への熱意は認められず、パリスは檻禁された。これはパリスへのヘレンの秘かな愛情をメネラウス王が嫉妬したためでもあった。ヘレンはパリスを救い出しトロイへ去ったが、怒ったメネラウス王はトロイ征服の兵をおこした。
トロイとスパルタの間で和平が結ばれた宴の席で、トロイの王子パリスはスパルタの王妃ヘレン(ダイアン・クルーガー)と恋に落ち、二人は駆け落ちしてトロイの城に戻る。スパルタの王メネラオスは激怒して兄アガメムノンに訴える。アガメムノンはトロイを征服する絶好の機会だと考え、ギリシアの大軍を率いてトロイに侵攻。勇者アキレス(ブラッド・ピット)は気が進まなかったが親友オデュッセウスの勧めもあり、従兄弟パトロクロスと共にギリシア軍の戦闘に立って戦う。
 ギリシア神話の中に登場する「トロイ戦争」。神話や叙事詩上のストーリーであって現実の世界ではなく、登場人物(ギリシア神話に馴染みない人間には固有名詞がややこしい)もまた神々や英雄なのだが、本作は彼等を「人間」として描いている。『Uボート』(81)で注目され、ハリウッドに迎えられてからは商業映画のヒットメイカーとした活躍したドイツ人監督ウォルフガング・ペーターゼン(去年逝去)が監督を担当しブラッド・ピットが主役を務めた。オールスターキャストでエリック・バナ、オーランド・ブルーム、大ベテランのピーター・オトゥール他の出演。ヒロインのダイアン・クルーガーは『イングロリアス・バスターズ』(08)でもブラッド・ピットと共演。
 最初の戦いはアキレスらの活躍によりギリシア軍優勢。パリスの従姉妹ブリセイスはアキレスに囚われ本来奴隷にされる所だが、やがてアキレスに惹かれていく。それに怒ったアガメヌノンとアキレス間は険間になり、アキレスは次の戦いに参戦しない事を決意。パリスは民衆を戦いに巻き込まない為メネラオスとの一騎打ちで決着つけようとする。しかし戦闘経験が少ないパリスはメネラオスの敵でなく、劣勢に立たされた弟を見兼ねて兄ヘクトル(エリック・バナ)が助太刀してメネラオスを殺した。これによってギリシア軍とトロイとの全面戦争は避けられない物に。戦功を挙げる好機なのに腰を挙げないアキレスに痺れを切らしたパトロクロスは…。
 有名な「トロイの木馬」シーンは登場するけど、他は本作オリジナルのシチュエーションらしい。スパルタ王妃とトロイ王子の不倫関係が全面戦争に発展するのは確かに分かり易いが、スぺクタル史劇の割には安ぽいな…と思わぬでもない。戦争と愛が対立構造で描かれており、前述の不倫愛のみならず兄弟愛、普通の男女愛、従兄弟同士の同性愛?がフィーチャー。誰にも支配されず自分を貫くアキレスのキャラは立っているけど、ラストシーンの凡庸さには呆れてしまった。神話ではなく人間ドラマにするとこんなになっちゃった…という事になるのかもしれないが、ブラッド・ピット目当てに観た人は絶対ガッカリする。ヒット作だが面白くない。
作品評価
(ブラッド・ピットは本心から出演したのではないのでは…という疑問符が公開当時に出ていたらしいが、俺も同感だ。彼だけは人間ではなく伝説的なスーパーヒーローとして描いた方がベターだったのでは? ダイアン・クルーガーとの再共演はブラット・ピットの希望だった?)『原達也の映画日誌2025』
――

| | コメント (0)

2025年3月15日 (土)

生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢

Dali-120-2025pg
Dali-salvador-dali19041989the-dream-of-v
Dali-1931-2025pg
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第392回

リアス式海岸の断崖と入り江の港町を数々越えて、ダリのポルト・リガトの岬町へ。
横須賀美術館、観音崎へ。横浜から京浜急行線特急で堀ノ内乗り換え、馬堀海岸からバスで、観音崎へ行く。
魔術的写実主義、サルバドール・ダリ、魔術的写実主義、サルバドール・ダリ。
【シュルレアリスムの図像学】デ・キリコ「ある秋の午後の謎」1910「通りの神秘と憂鬱」「イタリア広場」(1914年)、ダリ『記憶の固執』1931、ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」1944、『記憶の固執の崩壊』1954、ルネ・マグリット『大家族』1963、ルイーズ・ブルジョワ『ママン』1999・2002
【シュルレアリスム100年】『シュルレアリスム宣言 溶ける魚』アンドレ・ブルトン1924から始まる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
魔術的写実主義、サルバドール・ダリSalvador Dali(1904-89)の生涯と藝術
サルバドール・ダリ(1904-89)の生涯
【サルヴァドール・ダリSalvador Dali 生涯】
ダリは1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲーラスで生まれる。1922年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学、詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカ、映画監督ルイス・ブニュエルと知り合う。1929年、パリに赴き、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンら、シュルレアリスムの中心人物たちと面識を得る。1931年27歳の時、『記憶の固執』を描き、生涯の最高傑作となる。1929年夏、ポール・エリュアールが妻とともにカダケスのダリのアトリエを訪ねた。ダリの妻となるガラ・エリュアールとの出会いである。ダリとガラは強く惹かれ合い1934年に結婚。1982年にガラが死去。「自分の人生の舵を失った」。ジローナのプボル城に引き籠もった。1983年5月を最後に絵画制作を止める。
【ダリ、シュルレアリスムとの出会い】シュルレアリスムの代表的なアーティスト、絶大な人気を誇るサルバドール・ダリ。スペイン・フィゲラス出身のダリは1929年パリでミロの紹介でアンドレ・ブルトンに会い、29年夏カダケスにシュールレアリストたちポール・エリュアール夫妻、ルネ・マグリット夫妻の訪問を受ける。1934年アンドレ・ブルトンと離れる。1934年ガラと入籍、アメリカで見聞を広げ、39年ニューヨーク万博でパビリオン展示。人生の後半は生まれ故郷で愛妻のガラとともに多数の作品を制作した。
【ダリとガラ、ガラは雌カマキリ】ダリとガラは強く惹かれ合い1934年に結婚。1982年にガラが死去。「自分の人生の舵を失った」。ジローナのプボル城に引き籠もった。ダリ『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934。
――
サルバドール・ダリ(1904-89)の藝術
魔術的写実主義【サルバドール・ダリ(1904-89)】『記憶の固執』1931、『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934、『ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』1936『ナルシスの変貌』37『燃えるキリン』37『ヴィーナスの夢』1939『聖アントニウスの誘惑』46『ビキニの3つのスフィンクス』1947、『記憶の固執の崩壊』1954、「テトゥアンの大会戦」1962、『引き出しのあるミロのヴィーナス』1936『夜のメクラグモ 希望』40『焼いたベーコンのある自画像』41『象』1948『ポルト・リガトの聖母』1950『MeltingWatch溶けた時計』54、『大惨事シリーズ(Série des catastrophes)《ツバメの尾》』1979【初期ダリ】『窓辺の少女』1925『陰鬱な遊戯』29『不可視のライオン』1930『降りてくる夜の影』1931
ダリ『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934、大野方子(諸橋近代美術館学芸課長)に聞いたところ、この作品はアメリカにあるとのことである。
――
【『記憶の固執』1931】
ダリのアトリエからみえるポルト・リガトの海と岩と柔らかい時計がある。ある日の午後、溶けた時計が見えた。「私は二つの柔らかい時計を見た。そのうちひとつはオリーヴの木の枝に嘆かわしい姿でぶらさがっていた。」ダリ『わが秘められた生涯』1942
【『ヴィーナスの夢』1939】
《ヴィーナスの夢》1939年ニューヨーク万博で制作したパビリオンの内壁を飾るために制作された代表作。パビリオンの正面にボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』1485の複製が展示されていた。柔らかい時計や燃えるキリン、引き出しのある人物、焼けたベーコンなどダリのシンボリック・イメージと言えるモチーフが集結、揃い踏みである。
――
展示作品の一部
《ビキニの3つのスフィンクス》1947、公益財団法人諸橋近代美術館蔵
ダリ「ヴィーナスの夢」1939、(Salvador Dali、1904-1989『ヴィーナスの夢』(The Dream of Venus)広島県立美術館蔵
サルバドール・ダリ《ダンス:セブン・ライブリー・アーツより》1957 年頃、公益財団法人諸橋近代美術館蔵 コピーライトSalvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR Tokyo, 2024 B0824
サルバドール・ダリ《アン・ウッドワードの肖像》1953年 公益財団法人諸橋近代美術館蔵 コピーライトSalvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR Tokyo, 2024 B0802
フィリップ・ハルスマン 《サルバドール・ダリ》 1954年
Photo by Philippe Halsmanコピーライト Philippe Halsman Archive Image Rights of Salvador Dali reserved: Fundacio Gala-Salvador Dalí Figueres
シュルレアリスム宣言 100 年
――
参考作品
ダリ『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934
ダリ「テトゥアンの大会戦」1962、諸橋近代美術館
――
開催概要
サルバドール・ダリ(1904-89)の生誕 120 周年、シュルレアリスム宣言 100 年の記念すべき節目に開催する本展は、世界屈指のダリ・コレクションを形成する諸橋近代美術館の所蔵品を中心にダリの生涯を概観し、ダリの渡米以降の活動にも注目します。 ダリが私たち観衆に魅せた「シュルレアリスト・ダリ」とその背景にある「人間・ダリ」の複雑で繊細な内面を探り、世界中で愛されているサルバドール・ダリがいかなる芸術家であったのか、油彩、 素描、版画、彫刻のほか、ミロやマグリットなどシュルレアリスムの作家の作品群など約 120 点により明らかにいたします。 
会場:横須賀美術館(神奈川県横須賀市鴨居4-1)
会期:2月8日(土)~4月6日(日)
講演会「天才サルバドール・ダリの秘密」大野方子(公益財団法人 諸橋近代美術館学芸課長)2025 年2月8日(土) 14:00~15:30(終了予定)
https://www.yokosuka-moa.jp/archive/event/2025/2025
――
参考文献
生誕100年記念 ダリ回顧展 Salvador Dalí Centennial Retrospective図録、朝日新聞社、上野の森美術館、2006
絶世の美女、憂愁の王妃、強欲な魔女、才色兼備の美女、ゾフィア・ドロテア、ガラ、クレオパトラ7世・・・美と復讐第3巻
https://bit.ly/3bA0oAw
ダリ『記憶の固執』、『記憶の固執の崩壊』・・・スペインの荒涼とした大地、記憶の迷路
https://bit.ly/2PtGnyk
シュルレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
https://bit.ly/2vikIlL
デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-bf7c56.html
生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-0c6967.html
――
著者プロフィール 大久保正雄 哲学、美学、比較宗教学、図像学。美術評論。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。質疑応答、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』2019、島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』2018、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』

| | コメント (0)

2025年2月28日 (金)

美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇

Daikakuji-2024_20250228013801
Daikakuji-tnm-2025_20250228013801
Daikakuji-tnm-2025_20250228013802
Daikakuji-tnm-2025_20250228013901
Daikakuji-17-aa-2025
Daikakuji-17-a-2025
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第391回
狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、100面の壮麗な光景は、圧倒的な美しさ、京都、大覚寺において、見ることが不可能な至宝の光景。2025年2月17日18日
――
質疑応答【問題篇】、X氏×大久保正雄
ある人を前提して、質疑応答を作成しました。スケジュール上の理由から中止の止むなきに至りました。解説篇に解答の鍵があります。
1、嵯峨天皇と空海
精神文化を愛する王、嵯峨天皇、密教の思想家・空海、平城上皇の乱が起きる。嵯峨天皇は、文化を愛し、空海と交流し、高野山の開創を勅許し、東寺を空海に賜り、弘仁貞観文化を生み出した。詩人、書家、芸術家を輩出した。嵯峨天皇妃橘嘉智子。橘嘉智子は絶世の美女と記録された。
嵯峨天皇と空海によって生み出された、弘仁貞観文化は、どのような世界だと思いますか。嵯峨天皇の統治は、どのような世界だと思いますか。歴史上の王朝、一条天皇と藤原道長、紫式部の時代と比較して。
空海の思想の奥義は、何か。空海の思想と嵯峨天皇の文化は、どのように結びつくのか。

2、嵯峨天皇と空海、皇后橘嘉智子
嵯峨天皇と空海、皇后橘嘉智子は、嵯峨・淳和・仁明天皇3代、統治と文化に重要な役割を果たした。嵯峨院、嵯峨離宮を築き、院政を行い、30年間君臨する。嵯峨、空海、橘嘉智子は、どのような人物か。
嵯峨天皇は、権勢を誇る藤原家の女を皇后とせず橘嘉智子を皇后とした。美女だからではない理由は何故か。
10世紀、一条天皇は、定子、彰子を通じて藤原道長に支配された。(倉本和宏『紫式部と藤原道長』)

3、密教美術、仏教美術
空海の密教は、「言葉によっては思想を伝えることは難しい。だから、図像によって表す」「真言秘蔵は経疏に隠密にして、図画を仮らざれば相伝すること能わず」(空海『請来目録』) 。そこで、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅、東寺講堂の21体の仏像による立体曼荼羅などによって、多彩な密教美術が生み出された。思想を表現するために密教美術は生み出された。
密教美術の作品で、魅力的な仏像は何ですか。密教美術に限らず、仏像界で最も魅力的な仏像は何ですか。
大覚寺には、五大明王があります。どのような意味をもつのですか。

4、狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、狩野山楽は、狩野永徳の弟子。
狩野永徳は、当代最高の絵師とアレッサンドロ・ヴァリニャーノに呼ばれた。狩野永徳は、織田信長の安土城の障壁画を一門を率いて描いたが、本能寺の変で焼失。狩野山楽は、武家の出身でありながら、数奇な運命を経て、狩野永徳の弟子となる。
「紅白梅図」「牡丹図」は、狩野山楽筆である。繊細で豪華な作風は、狩野永徳の弟子である(河野元昭『饒舌館長』)
狩野永徳の障壁画、屏風で魅力的な作品は何ですか。狩野山楽の作品で魅力的な作品は何ですか。安土桃山時代の障壁画で魅力的な作品は何ですか。
織田信長は、残酷な覇王とされるが、茶の湯を愛好、狩野永徳、千利休、本因坊算砂、牛田牛一、沢彦宗恩、武井夕庵、清玉上人、穴太衆、ら、天下一の芸術家、才能を重用した。ルイス・フロイス『日本史』は「織田信長は、明晰透徹」と書いた。
織田信長の、真の姿は何か。

5、織田信長の妹、お市の方、浅井三姉妹、茶々、江。お市の方は戦国一の美女として有名。浅井三姉妹の江は、3度目の結婚で、第2代将軍、徳川秀忠の正妻となり、家光を産む。浅井三姉妹は、3度落城の残酷な運命の果て、自分の運命を知る。
戦国の美女にとって、どのような生き方が幸福な人生だと思いますか。

★★★★★★★★★★★★★★★★
【解説篇】
表面的に芸術を撫でるのではなく美の本質を、美しさの陰にある精神の美、精神文化の舞台裏にある人間のドラマを探求する、美への旅。
1、嵯峨天皇と空海
【平城上皇の乱】809年4月嵯峨天即位。9月譲位した平城上皇が太政官人半ばを率いて平城旧京に遷り藤原薬子と兄仲成に擁され朝政に干渉。嵯峨天皇は巨勢野足・藤原冬嗣を蔵人頭に対抗。弘仁元年(810)9月、上皇の平城遷都の命を機に征夷大将軍・坂上田村麻呂の兵を派遣
【空海と最澄、嵯峨天皇】809年8月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、809年10月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなる【816年(弘仁7)七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創】【『即身成仏義』819-820】
【空海と嵯峨天皇、寺院】大同4年(809)4月3日神野親王が践祚、13日に即位式を挙げ嵯峨天皇。7月16日、空海は、太政官符により高雄山寺に入住勅許。弘仁7年(816)天皇から高野山を賜り金剛峯寺を開創。弘仁14年(823)、真言陀羅尼宗の根本道場、教王護国寺、東寺を嵯峨天皇より賜る。
精神文化を愛する、嵯峨天皇『舞蝶』『文華秀麗集』818年(弘仁9)数群の胡蝶、飛び乱れ、花樹の中、色彩が芬芬、弦管の響に因らず、無心にして処々春風に舞う。
数群胡蝶飛乱空(数群の胡蝶空に飛び乱れ)雑色紛紛花樹中(雑色粉々なり花樹の中)本自還元不因響(本自弦管の響きによらず
【空海と嵯峨院の別れの詩】空海60歳と嵯峨院47歳の時の最後の会見。2年後、空海は835年62歳で死去、嵯峨院は842年56歳で薨去。嵯峨天皇「海公と茶を飲みて山に帰るを送る」【嵯峨院】天長10年(833年)10月、在位中に設営された洛外の離宮の嵯峨院に御所を新造。
天長10年(833年)10月ある秋、嵯峨天皇と空海は香茶を飲み、詩を詠まれた。「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて日ここに暮れる。稽首してわかれを傷み雲煙を望む。」『海公〔空海〕とともに茶を飲み、山に帰するを送る一首』(経国集』巻十)。

精神文化を愛する嵯峨天皇と空海、橘嘉智子、詩人、藝術家たち。
【嵯峨天皇は曲水流觴の宴を催した】青春が半ばを過ぎた頃、何がせき立てるのか、柔らかな風がしきりに吹いて、花がせかされるように咲く。芳しい花の香りは失せようとして止めることはできない。私は文雄に呼びかけ、詩人たちは花を愛でるこの宴にやって来た。神泉苑花宴賦落花篇
【嵯峨天皇、神泉苑花宴賦落花篇「凌雲集」】春園遥かに望めば、佳人あり。乱雑繁花、相映じて輝き、点珠顏綴、駘鬟(たいかん)として吹く。人懐の中、嬌態閑(しず)かなり。朝に花を攀(よ)じり、暮に花を折る。花を攀じる力尽き、衣帶ゆるく。未だ芬芳(ふんぽう)を厭はず、
【嵯峨天皇の花の宴、神泉苑にて】花(桜)を賞翫しながら漢詩を作って遊ぶ典雅な催し、その始まりが嵯峨天皇の神泉苑の詩宴。神泉苑の詩宴は『日本後紀』弘仁三年(812)二月一二日の記事「神泉苑に幸(いでま)す。花樹を覧(みそな)はし文人に命じて詩を賦せしむ」

15世紀フィレンツェのメディチ家、ロレンツォ・デ・メディチのようである。
メディチ家はプラトン・アカデミーの思想家たちを集め、プラトン哲学を研究、プラトン全集をマルシリオ・フィチーノに翻訳させた。
ロレンツォ・デ・メディチ「青春は過ぎゆく。楽しみなさい」の詩を想起する。フィレンツェは、ローマ教皇軍、フランスのフランソワ2世の軍に、包囲された。ハプスブルク・ヴァロワ戦争で標的にされた。
スペイン・ハプスブルク家フェリペ2世の藝術愛好とは異なる。オーストリア・ハプスブルク家マリア・テレジアの藝術蒐集の物欲とは異なる。唐の太宗皇帝による王羲之の書の愛好とも異なる。エジプト18王朝、ラムセス2世とネフェルタリのアブシンベル神殿建築とは異なる。アクエンアテン王とネフェルティティのエル・テル・アマルナ神殿建築とは異なる。フランソワ2世はレオナルド・ダ・ヴィンチを招き、フランス・ルネサンスを構築する。ロワールの古城、シャンボール城、フォンテーヌブロー宮殿とは異なる。
空海の思想の奥義。
空海の思想の奥義は、即身成仏である。人は覚者、仏陀になることができる。この世の身において、大日如来の現れである。
【仏陀の理念の三身論、空海『即身成仏義』】加持とは如来の大悲と衆生の信心を表す。行者もしよくこの理趣を観念すれば、三密(身密、口密、意密)相応するが故に現身に速疾に. 本有の三身(法身、報身、応身)を顕現し証得す。


【嵯峨天皇、神泉苑花宴賦落花篇「凌雲集」】春園遥かに望めば、佳人あり。乱雑繁花、相映じて輝き、点珠顏綴、駘鬟(たいかん)として吹く。人懐の中、嬌態閑(しず)かなり。朝に花を攀(よ)じり、暮に花を折る。花を攀じる力尽き、衣帶ゆるく。未だ芬芳(ふんぽう)を厭はず、







嵯峨天皇は、文雄(詩人の友)を集めて曲水の宴を開いた。『蘭亭序』は、永和9年(西暦353年)3月3日に王羲之が会稽山の蘭亭で修禊の儀式をして催した曲水の雅会、人々が詠じた漢詩に寄せた序文。
嵯峨天皇『神泉苑花宴賦落花篇』「過半の青春 何の催ほす所ぞ。和風数(しばしば)重(しき)りて 百花開く。芳菲歇盡(けつじん)するに、駐(とど)むるに由無し。爰ここに文雄を唱(よば)ひて、賞宴に来たる 見取す。花光林表に出づることを、造化寧ぞ仮らん丹靑の筆」
【嵯峨天皇の支配構造 腹心【藤原冬嗣、橘嘉智子】真言密教、空海】紫式部時代との比較【平城上皇の乱】819年9月【式家排除】弘仁元年(820)九月、制圧。薬子自殺、仲成射殺、高丘親王は廃止、藤原真夏ら左遷【一条天皇、兼家・道隆・道長に支配され一帝二后】1000年2月
【弘仁・貞観文化】嵯峨天皇は、藝術と精神文化を愛する王、自ら詩を書き、空海と交友した。詩文の粋を集めた『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』はその精華。「光定戒牒」等の遺品があり、空海・橘逸勢とともに三筆と称せられる。承和九年(八四二)七月十五日崩じた。五十七歳。
橘嘉智子は、会った人が余りの美しさに感動したと歴史書に書かれた。
橘嘉智子は、類まれな精神をもっていた。県犬養三千代に遡る不思議な血筋ゆえか。

3、密教美術、仏教美術
密教美術、五大明王の意味。【空海、立体曼荼羅、五大明王、怨敵調伏する】忿怒の形相をもつ五大尊、五忿怒。悪魔を調伏し、仏法を守る守護神。大日如来の変化身。密教で不動明王を中心として四方に配され、魔を降伏させる五明王で、中央が不動、東方が降三世、南方が軍荼利、西方が大威徳、北方が金剛夜叉。
【空海、立体曼荼羅】白象にのる帝釈天騎象像、六面六臂六足の大威徳明王騎牛像、七頭の獅子にのる大日如来、鳥獣に乗る金剛界五仏、五知如来、金剛五菩薩、五大明王、四天王、二天、幻の密教空間。東寺、講堂における立体曼荼羅は知恵と武による、無明の支配。
【空海、立体曼荼羅、東寺講堂】金剛界曼荼羅「成身会」『即身成仏義』『理趣経』に謎を解く鍵がある。空海(774-835)
友人に京都、下鴨のお嬢様がいます。彼女は、東寺に行くとき、あの方に会いに行くと言います。東寺講堂、帝釈天、梵天の座像です。帝釈天は、仏像界で、最も美しいと言われる。梵天、ブラフマン、美しいと言われる。
帝釈天は、インドラ、戦いの神、宮澤賢治『インドラの網』に描かれている。『即身成仏頌』「インドラの網」が出てくる。「重重帝網なるを即身と名づく」(空海『即身成仏義』)。【因陀羅網】インドラ、すなわち帝釈天の宮殿を飾っている網。その網の結び目には宝玉がついており、それぞれが互いに反映している。華厳宗の説く、すべての事物が無限に交渉し、通じあっているとする事事無礙法界(じじむげほつかい)の比喩としてよく用いられる。『華厳五教章』
密教美術の宝庫は、京都、東寺講堂、立体曼荼羅21尊、金剛界、五菩薩、五大明王、四天王、二天。東寺観智院、東寺霊宝館、高野山金剛峰寺、霊宝館、醍醐寺、神護寺。奈良、法華寺、十一面観音菩薩。近江には十一面観音菩薩の宝庫があります。
密教美術に限らず、仏像界で、最も人気がある仏像は、白鳳時代、天平時代。興福寺・阿修羅像、法華寺「十一面観音菩薩」、法隆寺「救世観音像」、夢違い観音像、法隆寺・伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像があります。光明皇后、安倍内親王、県犬養三千代に関わる仏像があり、特筆すべきである。
*【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)四種曼荼各離れず(相)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)


4、狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、狩野山楽は、狩野永徳の弟子。狩野永徳の繊細にして華麗なる画風を受け継ぎ、壮麗な障壁画を描いた。
織田信長は、残酷な覇王とされるが、茶の湯を愛好、狩野永徳、千利休、本因坊算砂、牛田牛一、清玉上人。武井夕庵、軍師・沢彦宗恩、穴太衆ら、天下一の芸術家、才能を重用した。最愛の妻、生駒吉乃が39歳で亡くなった時は慟哭した。ルイス・フロイス『日本史』は「織田信長は、明晰透徹」と書いた。
織田信長は、残虐王と思われているが、最も残虐な武将は、豊臣秀吉、明智光秀である。織田信長は、孤高の城、安土城を築き、藝術で装飾した。安土城は、儒教、道教、仏教の障壁画が描かれた。アレッサンドロ・ヴァリニャーノは最高の城と評した。千宗易など、天下一の才能を集めた。

5、織田信長の妹、お市の方、浅井三姉妹、茶々、江。お市の方は戦国一の美女。織田信長の血族には、絶世の美女が多い。
織田信長、最愛の妻、生駒吉乃は、信長の子、信忠、信雄、五徳(徳姫)を産んだ。徳姫は、徳川家康の長男、信康と結婚したが、天正7年、信康と築山殿を12ヶ箇条の手紙で、信長に告発。天正7(1579)年夫徳川信康と築山殿を自刃の後、天正8年、家康に見送られて、安土城に行く。本能寺の変1582、関ケ原の戦い1600、大坂冬の陣1614夏の陣1615。家康の死1616を超えて、1636年78歳まで生きる。
戦国一の絶世の美女といえども、知性と戦略的思考をもって、戦国の世を生きなければならない。
★★★★★★★★★★★★★★★★
美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-fe0b54.html
参考文献
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
学問僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-2f9322.html
★★★★★★★★★★★★★★★★
―――

【質疑応答】島薗進先生に、死生学、比較宗教学の観点を踏まえて、質疑応答しました。内容を記録します。島薗進「死生学 ファンタジーと魂の物語」2019年5月26日、上智大学6号館203教室にて。
1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』、2、天正、織田信長、改元の目的、3、密教真言、藝術と魔術、5、学問の不可欠な要素。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』
https://bit.ly/2xET3ix
6、3つの時間論。自分が生きたい時間論を選ぶならば、何を選びますか。
大久保正雄
3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』
https://bit.ly/2NPYAX5
【質疑応答】宗教学者、島薗進先生に死生学について質疑応答しました。2018.5. 27、上智大学にて。
1、宗教とは何か、2、宗教が生まれる原因は何か、3、世界観の選択、4、藝術家と宗教、5、天から降りてきた魂、6、 織田信長と天の思想、7.秘密曼陀羅十住心論、8、父殺しのテーマ、9、人の痛みを知ること、10、理念の崩壊は『純粋理性批判』から始まった。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.5.28
https://bit.ly/2TtDqjn
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』2016.5.29
https://bit.ly/2AeU3Hv
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』2019年1月 7日 (月)
https://bit.ly/2AxsN84
――
大久保正雄 著作目録1 哲学編 
http://bit.ly/2AgBWnr
大久保正雄 著作目録2 美学・美術史
http://bit.ly/2vz6Gcd
大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社
https://bit.ly/379FVUp
――
プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-83ae10.html
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
https://bit.ly/3xYWHQv
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
大久保正雄 著作目録1 哲学編2025
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/1-b346.html
――
参考文献 追補
大貫隆 (著) 『終末論の系譜 初期ユダヤ教からグノーシスまで 』
ユダヤ教のなかで胚胎した独特な終末思想はいかにしてイエスに継承されていったのか
聖書正典のみならず外典・偽典その他の史料を渉猟し、さらにはベンヤミン、ガダマー、アガンベンなど現代思想家との対話も試みる
https://amzn.to/4iv2l1N

河野 元昭先生「饒舌館長」
しかし様式的に、貞信一門とはどうしても見なせない点から、美術史研究者の間では元和5年東福門院女御御所説だけを生かし、「牡丹図」「紅白梅図」はそのころの山楽画とする見方が通説になっていました。土居先生もこの立場でした。
これに再考を迫ったのが、若き日の美術史家・川本桂子さんでした。川本さんは著書『友松・山楽』<名宝日本の美術>(小学館)において、東福門院女御御所説を完全に否定し、様式的にみて山楽慶長末期の傑作であることを明快に論じたのです。僕の所有する『名宝日本の美術』は<新版>なので、『友松・山楽』の発行は1991年になっていますが、オリジナル版は数年早いと思います。https://jozetsukancho.blogspot.com/2025/02/13.html
★★★★★★★★★★★★★★★★
空海の密教仏【五大明王】不動明王を中心とした降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の総称、五大尊。空海の教王護国寺講堂の承和6 (839) 年作の木像 (国宝) 、大覚寺の明円作(1177)。金剛界五智如来の教令輪身、忿怒身。唐の不空のころ金剛界五仏
【空海と最澄、嵯峨天皇】809年八月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、一〇月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなる【816年七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創】『即身成仏義』819-820

【県犬養橘三千代】天武~聖武天皇の歴朝に内命婦 として仕え。壬申の乱672年~天平5年733、61年、生きる【藤原不比等と再婚、安宿媛 (あすかべひめ、光明子)を産む】【孫、阿倍内親王、興福寺阿修羅像】【法隆寺 伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像】白鳳時代
【県犬養三千代】藤原不比等と再婚し、安宿媛 (あすかべひめ、光明子) 、多比能を生む。また内命婦 (うちのみょうぶ) として天武~聖武天皇の歴朝に仕え、その功により、和銅1 (708) 年、元明天皇より橘宿禰の姓を賜わる。不比等と結女官として宮廷に大きな影響力
【嵯峨天皇と空海】空海と嵯峨天皇は、香茶を酌み交わした。嵯峨天皇と空海は秋の一日、大沢池に舟を浮かべ、茶を汲み交わし逍遥、夕方、空海が山に帰るにあたり、嵯峨天皇が詠まれた詩「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて
【法隆寺 伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像】鎌倉時代の記録では橘三千代*の念持仏とあるが根拠不明。金銅製の後屏・台座を伴った木製厨子入りの銅造鍍金像。白鳳時代。中尊像高33.3cm。国宝【橘夫人】天武朝から元正朝の5代に歴仕した、古代屈指の有力女官。父は東人
【県犬養三千代】天武、持統、文武、元明、元正の5代に歴仕した古代屈指の有力女官。父は東人(あずまひと)。初め美努(みぬ)王に嫁し、葛城王(橘諸兄)、牟漏女王らを産み、藤原不比等に再嫁して光明子を産む。持統、元明、元正3女帝の信任、文武、聖武の養育。天平5年没
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)。文献、竹村牧男
【狩野山楽】浅井家滅亡、秀吉、秀忠(1559-635)浅井長政の家臣で自らも画をよくした木村永光の子として近江国に生まれる。幼名を平三、のちに光頼。浅井家滅亡とともに父永光が豊臣秀吉に仕える彼も秀吉の小姓。秀吉の計らいで狩野永徳の門に入り狩野姓を授けられ修理亮

| | コメント (0)

2025年2月 8日 (土)

「魂を込めた円空仏」飛騨・千光寺を中心にして・・・清水真澄館長、記者発表会


Enku-2025
Enku-1-bt-2025
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第390回
「魂を込めた円空仏」記者発表会、清水真澄(三井記念美術館館長)の説明を聞きました。2025年1月31日。
――
円空は、材となる「樹木」に神仏を観想し、「樹神」の姿を求めて彫刻した。円空は、樹木を「削る」こと自体に仏教儀礼の意味をもたせ、「削り痕」をそのまま残した。
一削りごとに、魂を込め、呪文、名号、真言陀羅尼を唱え、平安時代からの「仏教儀礼」「如法の仏」にならった作法とされる。
山林修行僧、円空の生涯円空(1632-1695)
『近世奇人伝』以外に、伝記は少ない。
円空は1632(寛永9)年、美濃国(現在の岐阜県)に生まれた。64歳で5000体の像を作り終えると、即身仏入定した。山林修行僧としてのみ、理解されてきた。
前衛的な木彫像が現れ、江戸時代の円空像が注目された。
1959年、東京国立近代美術館、「近代木彫の流れ」展
1960年、鎌倉近代美術館、「円空上人彫刻」展
1963年、鎌倉近代美術館、「その後の円空上人彫刻」展
歌僧円空、学問僧円空、真言陀羅尼を唱える円空の側面があり、山林修行僧だけではない。日本の彫刻史において平安時代の樹神信仰すなわち「立木仏」に源を求めることができる。清水真澄(三井記念美術館館長)は結論した。
千光寺の「両面宿儺像」について
両面宿儺は、『日本書紀』に「一つの胴体に二つの顔」「左右の手に剣を、四つの手は弓矢」「天皇の姪に従わず、成敗された」と記載される。
千光寺の両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)は、慈悲と忿怒の相を併せ持つ像。円空の両面宿儺は、弓矢の代わりに斧をもつ。斧が樹を伐り、削り跡を残す。両面宿儺像は、円空自身の姿である。
――
プレスリリースより
江戸時代の山林修行僧・円空は、愛知、岐阜を中心に関東、北陸、さらに北海道までを巡り、各地に木彫の神仏像いわゆる「円空仏」を多数のこしました。現存するその数は約5000余体ともいわれます。円空は、材となる「樹木」に神仏を観想し、「樹神」の姿を求めて彫刻しました。それは現在ものこる生木に直接鉈を下ろした像高2メートルを越す飛騨・千光寺の金剛力士立像で明らかにされ、日本の彫刻史では平安時代の樹神信仰すなわち「立木仏たちきぶつ」に源を求めることができます。
また円空は、樹木を「削る」こと自体に仏教儀礼の意味をもたせ、「削り痕」をそのままのこしています。それが「円空仏」として今日まで伝えられ、現代彫刻にも通じる造形の魅力にもなっています。
円空が樹木に「樹神」を観 、魂を込めて「削った」神仏像は、奈良時代から伝えられる「飛騨の匠」の伝統を継承する岐阜県の飛騨が最もふさわしい舞台といえます。
――
展示構成と主な出品作品
1展示室 樹神とノミの削り痕
円空は、樹木の生木に神仏の「樹神」を観て像を彫刻しました。それは平安時代の「立木仏」に遡り、現在も円空が造立した千光寺の金剛力士立像に見ることが出来ます。「樹神」は、生木を斧で「伐きり」、鉈で「割り」、ノミで「削り」、材となってもそこに留まります。円空は、樹木を「伐り」「割り」「削る」行為と、像の表面に削った「ノミ痕」を露わにすることに、仏教の本質があるとしたに違いありません。
愛染明王坐像 霊泉寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

2展示室 柿本人麻呂
柿本人麻呂(664~724)は、7世紀後半の歌人、「万葉集」第一の歌人として知られています。また三十六歌仙の一人で、『古今和歌集』冒頭の紀貫之が記した仮名序文より、「歌の聖」とされています。平安時代末期からは、柿本人麻呂の肖像画を掲げ、和歌を献じて供養する「人丸影供(ひとまるえいぐ)」の歌会が催され、柿本人麻呂は「神格化」されるようになりました。
千光寺に遺されている円空の歌集『袈裟山百首』は、『古今和歌集』からの本歌取が九十首に及ぶとされ、円空にとって、柿本人麻呂は「歌聖」であり「歌の神」でありました。さらに、「人丸影供」の柿本人麻呂像は観音菩薩の応現神であるとされるので、円空が造立した柿本人麻呂像は神像であり観音菩薩であるともいえます。
柿本人麻呂坐像 東山神明神社 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
3展示室 護法神
千光寺(高山市)と飯山寺(高山市)には、総高2メートルを超える同様の構造・像容の作例が現存します。いずれも半裁した丸太を、さらに半分に割り、木心側を像の正面として各部を彫出しています。
護法神立像 千光寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

4展示室 慈悲と忿怒の相
仏教は多神教であり、多くの仏が存在します。それらを経典や図像集から身分や役割によって分類すると「如来」「菩薩」「明王」「天」に分けられるのが一般的です。また顔の表情は、「天」の女性神や童子形の像は別にして、「如来」「菩薩」が慈悲相、「明王」「天」が忿怒相に分けられます。しかしながら、円空の像は忿怒相の中にも慈悲がにじみ出てくる像があり、千光寺の両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)は、まさに慈悲と忿怒の相を併せ持つ像といえるでしょう。
両面宿儺坐像 千光寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
如意輪観音菩薩坐像 東山白山神社 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
不動明王立像及び矜羯羅童子立像・制吒迦童子立像 千光寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
不動明王立像 素玄寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

4展示室2、観音信仰
観音菩薩は慈悲と救済の菩薩です。『法華経』(『妙法蓮華経』の略称)観世音菩薩普門品第二十五は『観音経』として流布し、中国・日本では観音信仰の典拠となりました。三十三観音信仰は、同経に説かれる観音の三十三応現身の数にあわせて、三十三の観音を集めて総称したものです。
また観音菩薩は、インドのヒンドゥー教の神に倣い、中国で隋・唐時代に多面、多眼、多臂像が造られるようになり、日本では奈良時代に十一面観音、千手観音などの観音菩薩像が造立されました。しかし円空にとって、横に張り出す多臂の像は一木の樹木の制限があるため、多臂の観音像の作例は非常に少ないです。
十一面観音菩薩立像 村上神社

7展示室、龍神と宝珠 法華経』序品第一、第十二提婆達多品
インドの神話の蛇神が仏教に取り入れられると、蛇神が中国で龍になり、龍王、龍神が経典に説話として登場するようになります。また仏伝にも、雨を降らせる、洪水から護るなど水、雨、河などに関わる話が多くあります。
特に『法華経』序品第一の冒頭には、ある時釈迦が王舎城の霊鷲山で『法華経』を説いた時に、会衆として多くの菩薩、十大弟子などとともに八大龍王も参列していることが説かれています。また『法華経』第十二提婆達多品は、八歳の龍女すなわち女人が成仏する話で、宝珠が重要な役を果たしていることが知られています。さらに観音菩薩が宝珠を持つのも、宝珠が菩薩行の象徴ともみなされ、龍と宝珠と観音菩薩の関係が認められます。
なお、円空が描いた『大般若経』見返し絵の中には、龍と宝珠の図が多数登場しており、円空の『法華経』第十二提婆達多品に対する想いもうかがうことができます。
7展示室、宝珠を持つ像
宝珠は、不可思議な功力をそなえた珠、宝石類の総称である摩尼を冠して「摩尼宝珠」といい、「如意宝珠」とも称されます。インドから中国、韓国、日本に伝わり、日本の古代寺院でも塔に安置されました。一方、釈迦の遺骨として篤く信仰されてきた舎利しゃりは、あらゆる願いをかなえる不思議な珠、如意宝珠とみなされるようになりました。
特に密教では舎利と宝珠を同体視するようになり、持物として表すことにより、尊像の効用を象徴する存在になりました。円空像に宝珠を持つ像が多いのは、円空がその意味を十分に理解して、自作の像に宝珠を付したためと思われます。
弁財天立像 飛騨国分寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
1・4展示室 白山神と日本の神々
円空は『弥勒寺文書』の『妙法蓮華経』第四帖紙背(自筆)に諸神唱礼文として、「伊勢両太神宮」「八幡大菩薩」「春日大明神」の日本の代表的な三明神のほか、各地の山岳神二十四神の名を記しており、円空の山岳神への篤い信仰が見られます。また円空は、樹木に宿る「樹神」が日本の神祇神じんぎしんだけでなく遠望する山岳の神、さらには民間信仰の神に及ぶとしています。特に円空が生まれ、多くの作例を遺す美濃からは、美濃(岐阜)、加賀(石川)、越前(新潟)にまたがり、古くから霊山として信仰されている白山の姿を拝することができ、多くの白山神像を遺しています。
白山妙理大権現坐像 小川神明神社
5・7展示室 ほとけの世界
仏像の種類は、如来・菩薩・明王・天部など種類も多いですが、円空仏の場合、樹木という材の制限から、手足の多い密教系の像などは少ないことが分かります。現存する円空のほとんどの作例は、銘文などが無いので、尊像名は尊像の特徴である手、足、顔、目などの数や持物、着衣、装身具などから判断して所蔵者、研究者、信仰者が後につけていると思われます。
薬師如来立像 薬師堂
像の表面に削り痕をそのまま残した円空仏は、素朴な力強さのなかに、仏教の慈悲の心を体現したような温かみを感じさせてくれます。本展では、円空が遺した約5000体以上のなかから、傑作として知られる岐阜県千光寺の「両面宿儺像」が日本橋に初登場します。(プレスリリース三井記念美術館)
――
参考文献
智慧と慈悲と忿怒と戦闘【東寺、講堂、立体曼荼羅】五智如来、金剛五菩薩、五大明王、四天王、二天【東寺、講堂、立体曼荼羅、21体】五智如来、大日、宝生、阿弥陀、不空成就、阿閦。五菩薩、金剛波羅密、金剛宝、金剛法、金剛業、金剛薩埵。五大明王、不動明王、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉。四天王、持国天、増長天、広目天、多聞天。二天、梵天、帝釈天。
【五大明王】「教令輪身」は、仏法に従わない者を忿怒の姿で仏法に敵対する事を力で止めさせる。不動明王 - 大日如来の教令輪身、東 - 降三世明王 - 阿閦如来の教令輪身、南 - 軍荼利明王 - 宝生如来の教令輪身、西方- 大威徳明王 - 阿弥陀如来の教令輪身、北 - 金剛夜叉明王 - 不空成就如来の教令輪身。東寺講堂が創建された承和6年(839年)
【三輪身】密教では三輪身として、一つの「仏陀」が「自性輪身」、「正法輪身」、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という3つの姿で現れる。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を憤怒姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力で止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻す。
【金剛界曼荼羅の基本となる成身会】金剛界五仏、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、内外の四供養菩薩、四摂菩薩の以上37尊より構成され、これを四大神と賢劫千仏と二十天が囲む。(智拳印)一仏のみで表す他は、中心となる成身会
参考文献
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
学問僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
「魂を込めた円空仏」飛騨・千光寺を中心にして-・・・清水真澄館長、記者発表会
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-ac69ef.html
――
「魂を込めた円空仏」-飛騨・千光寺を中心にして-
三井記念美術館、東京都中央区日本橋室町2-1-1三井本館7階)
会期:2025年2月1日(土)~3月30日(日)
https://www.mitsui-museum.jp/

| | コメント (0)

2025年1月23日 (木)

「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女

Daikakuji-tnm-b-2025
Daikakuji-tnm-2025
Daikakuji-tnm-2025_20250123005501
Daikakuji-tnm-2025_20250123005601
Daikakuji-tnm-2025_20250123005701
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第389回
――
美への旅、大覚寺と運命の美女、大久保正雄
大覚寺 嵯峨天皇と空海の精神文化、安土桃山文化・狩野山楽の残照、戦いの陰に運命の美女あり。
特別展 開創1150年「旧嵯峨御所 大覚寺 ―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」が東京国立博物館で2025年1月21日から3月16日まで、開催される。
表面的に美を撫でるのではなく美の本質を、賢明な君主嵯峨天皇と運命の美女橘嘉智子、戦国一の美女の血を引く美女と徳川権力、人間の愛と苦悩のドラマ、空海の即身成仏義の思想の智慧と慈悲、この世の美と理想の美を探る。
――
序、大覚寺、3つの時代
大覚寺は、3つの時代、歴史の舞台となった。9世紀、嵯峨天皇と空海の時代、鎌倉時代・14世紀大覚寺統(後の南朝)の本拠、16世紀安土桃山時代、狩野山楽(1559-1635 )の時代。重要文化財「紅白梅図」狩野山楽筆、重要文化財「牡丹図」狩野山楽筆は、圧倒的である。
空海(774-835)の勧めで持仏堂に五大明王像(現存せず)を安置。その後、貞観18年(876)に皇女・正子内親王(まさこないしんのう)の願いにより寺に改められ、大覚寺が開創された。
――
一、嵯峨天皇と空海
空海と嵯峨天皇は、香茶を酌み交わした。嵯峨天皇と空海は秋の一日、大沢池に舟を浮かべ、茶を汲み交わし逍遥、夕方、空海が山に帰るにあたり、嵯峨天皇が詠まれた詩「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて日ここに暮れる。稽首してわかれを傷み雲煙を望む。」「海公と茶を飲みて山に帰るを送る」嵯峨天皇詠がある。(『経国集』巻十)。
嵯峨天皇と空海は、809年10月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上。810年(弘仁元)3月。816年7月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創。823年正月、東寺を賜り真言密教の根本道場とする。嵯峨天皇(786~842)、在位(809~823)14年。嵯峨院。院政・淳和天皇、在位10年(823~833)。24年間、君臨した。
【平城上皇の乱】譲位した平城上皇が太政官人半ばを率いて平城旧京に遷り、寵妃・藤原薬子とその兄仲成に擁せられ朝政に干渉した。天皇は巨勢野足・藤原冬嗣を蔵人頭に補するなどによって対抗。弘仁元年(八一〇)九月、上皇の平城遷都の命を機として坂上田村麻呂以下の兵を派遣、上皇方を制圧した。上皇は入道、薬子は自殺、仲成は射殺、皇太子高丘親王は廃され、阿保親王・藤原真夏らは左遷。「平城上皇の乱」810後、弘仁・天長・承和の約三十年間、嵯峨天皇(上皇)の権威と指導のもとに太平が続き、空海・小野岑守・同篁・良岑安世らの人材が輩出。
【弘仁・貞観文化】嵯峨天皇は、藝術と精神文化を愛す王、自ら詩を書き、空海と交友した。詩文の粋を集めた『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』はその精華である。嵯峨天皇は、「光定戒牒」などの遺品があり、空海・橘逸勢とともに三筆と称せられる。承和九年(八四二)七月十五日崩じた。五十七歳。遺詔、「思う欲無位無号詣 山水 而逍遙、無事無為翫 琴書 以澹泊」と心境を述べた。目崎徳衛「政治史上の嵯峨上皇」
【嵯峨院、院政】弘仁十四年四月十六日皇太弟大伴親王(淳和天皇)に譲位後は、皇太后橘嘉智子とともに冷然院に住み、嵯峨院、さらに天長十年(833)淳和天皇が皇太子正良親王(仁明天皇)に譲位すると、洛西の嵯峨院に隠棲し、腹心の藤原三守・安倍安仁らを院司として、風流韻事を成し遂げた。弘仁・天長・承和の約三十年間、君臨した。『本朝皇胤紹運録』に五十名の皇子女がみえ、弘仁五年その一部は源朝臣の姓をもって臣籍に降り、信・常・融ら【嵯峨源氏】は一時大いに廟堂に活躍した。
【承和の変、皇位継承争い】淳和、嵯峨両上皇が亡くなると皇位継承争いで恒貞親王の身に危険が及ぶと危惧した橘逸勢や伴氏一派が親王を東国へ移す事を画策し阿保親王に相談したが、阿保は組みせず嘉智子皇太后に報告、皇太后は良房に伝えた為、逸勢や伴氏一派は謀反人として逮捕され、恒貞親王は皇太子を廃止。(謀反は濡れ衣で藤原良房の謀略との説あり)。天長十年(八三三)皇太子正良親王、嵯峨天皇と橘嘉智子の皇子・第54代・仁明天皇が即位。
【戦いの陰に運命の美女あり、嵯峨天皇皇后、橘嘉智子】
嘉智子は、嵯峨天皇と六角堂の柳の下で出会い、手が長くて膝の下まであるという身体的特徴があった。まれにみる美人であり、会った人はあまりに美しいので感動したと伝わる。
【妃選び】嵯峨天皇は、妃選びで、なぜ橘美千代を選んだのか。カネと権力の美女か、知性と戦略の美女か、美貌とエロスの美女か。『パリスの審判』女神ヘラか、女神アテナか、美女ヘレンか、選択問題がある。
権勢の美女、美貌とエロスの故ではない。謎の女、嘉智子は文化的魅力を秘めている。光明子、県犬養三千代の血を引く知性。橘嘉智子(たちばなの かちこ、延暦5年(786年)-嘉祥3年(850年))は、第52代嵯峨天皇皇后。皇后橘嘉智子との間に生まれた仁明天皇が即位。嘉祥3年(850年)3月に落飾。冷然院において崩御。享年65。橘奈良麻呂の孫、橘清友の娘。兄弟に右大臣・橘氏公がいる。諡号は檀林皇后。嘉智子は死に臨んで、自らの遺体を埋葬せず路傍に放置せよと遺言した。
橘嘉智子は少女のころ法華寺の尼から天子および皇后の母となることを予言されたと云われ、まれにみる美女で一説に【法華寺の国宝、十一面観音】は橘嘉智子皇后がモデル。平安美人であったと偲ばれる。聖武天皇の皇后、光明皇后は県犬養橘三千代の娘、二人の女性は共に橘氏祖 県犬養橘三千代の血を受けているので似ている。
【県犬養橘三千代】県犬養三千代(?〜733)は天武朝から命婦として仕え、文武天皇の乳母を務めた、後宮の実力者として皇室と深い関係にある。三千代は初め敏達天皇後裔の曽孫美努(みぬ)王の妻となり、葛城王や佐為王、橘諸兄を生んだ。694年に美努(みぬ)王が大宰帥として九州へ赴任すると、藤原不比等の夫人となり、藤原光明子(光明皇后)らを生んだ。光明皇后に大きな影響を与えた。
和銅元年(708年)元明天皇の大嘗祭に際して、天武天皇治世期から永く仕えてきた三千代の功績が称えられ、橘の浮かんだ杯とともに「橘宿禰(すくね)」の姓が賜与された。
【光明皇后】不比等の没後子供の四兄弟がそれぞれ南家、北家、式家、京家の祖となり、自分達の異母妹で聖武天皇の妃である藤原光明子を史上初の皇族以外出自の皇后(光明皇后)に立て、朝廷内で権力を掌握したが、天然痘で相次いで亡くなる。光明皇后の娘、安倍内親王は、県犬養三千代の孫、【阿修羅像】のモデルである、14歳の美少女。
――
二、大覚寺、狩野山楽の襖図、運命の美女
狩野山楽の襖図は、元和6年(1620 )に後水尾(ごみずのお)天皇に入内した和子(まさこ) (東福門院)、二代将軍徳川秀忠の娘五女、の御所にあったものである。
【戦国一の美女の遺児】福門院の母は、浅井三姉妹の三女・江。織田信長の妹お市の孫。太閤豊臣秀吉の養女・達子、崇源院。三度目の結婚で、徳川秀忠との間に慶長2年(1597年)の千姫を筆頭に家光・忠長、和子など2男5女を儲けた。
【浅井三姉妹、運命の美女三姉妹】三度、落城【小谷城落城】天正元年9月1日(1573年9月26日)、浅井長政がお市の兄である織田信長と対立、小谷城が攻め落とされ、長政らは自害、浅井氏は滅亡。江は母の市や姉の茶々、初とともに藤掛永勝らによって救出され、信長の保護の下岐阜城に留まる。【北ノ庄城落城】天正11年(1583年)には賤ヶ岳の戦いで北ノ庄城が落城、お市は勝家共々自害。北ノ庄城を脱出、三姉妹を保護したのは秀吉ではなく織田信雄。【大阪城落城】慶長二〇年(1615)大坂夏の陣によって全城灰燼に帰した。淀君は、自刃。豊臣家滅亡。千姫、救出作戦実行。
1627年(寛永4年)「後水尾天皇」の退位後、徳川秀忠の孫娘が「明正天皇」(めいしょうてんのう)として即位。朝廷への影響力を強める。
【織田信長、絶世の美女】織田信長の最愛の妻、生駒佳乃は3人の子を産む。【信忠、信雄、五徳(徳姫)】信忠は本能寺の変で自刃。【信長、最愛の長女、五徳(徳姫)】五徳(徳姫)は、徳川家康の嫡男・信康と政略結婚するが、天正七年(1579)九月、徳姫は信長に「11ヶ条の書状」により謀反を知らせる、家康の重臣、酒井忠次が、徳姫の言う通りであることを確認。信康、自刃。家康に見送られて、安土城に向かう。安土城下に住む。天正十二年(1584)小牧長久手の戦いで、信雄は家康と連合軍を組むが、信雄は秀吉と和睦。徳姫、徳川家から化粧料を賜り1636年、78歳まで生き残る。信長、光秀、秀吉、家康、信雄、人々の死を見届ける。
【嵯峨院、大覚寺】
京都西北に位置する嵯峨は、古くより風光明媚な王朝貴族遊覧の地として愛されてきた。平安時代初期、嵯峨天皇(786-842)はこの地に離宮・嵯峨院を造営し、空海(774-835)の勧めで持仏堂に五大明王像(現存せず)を安置。その後、貞観18年(876)に皇女・正子内親王まさこないしんのうの願いにより寺に改められ、大覚寺が開創された。
■展示作品の一部
明円作「五大明王像」平安時代後期
重要文化財 松鷹図(部分) 狩野山楽筆 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 大覚寺蔵展示期間:1月21日(火)~2月16日(日)
重要文化財 紅白梅図 狩野山楽筆 江戸時代・17世紀 大覚寺蔵
重要文化財 牡丹図(部分) 狩野山楽筆 江戸時代・17世紀 大覚寺蔵
重要文化財 後宇多天皇像 鎌倉時代・14世紀 大覚寺蔵
国宝 後宇多天皇宸翰 弘法大師伝(部分) 後宇多天皇筆 鎌倉時代・正和4年(1315) 大覚寺蔵
――
展覧会情報
開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」
会場:東京国立博物館 平成館
会期:2025年1月21日(火)~3月16日(日)
※会期中、一部作品の展示替あり
前期展示:1月21日(火)~2月16日(日)
後期展示:2月18日(火)~3月16日(日)
休館日:月曜日(ただし2月10日、24日は開館)、2月25日(火)
開館時間:午前9時30分~午後5時 ※入館は閉館の30分前まで
問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
――
著者プロフィール 大久保正雄 哲学、美学、比較宗教学、図像学。美術評論。著書『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社。質疑応答、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』2019、島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』2018、島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.、島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』2016、『比較宗教学研究』2023-2024。上智大学大学院、北海道大学大学院博士後期課程修了。
――
参考文献
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
学問僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
――

【五大明王】不動明王を中心とした降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の総称、五大尊とも言う。空海の教王護国寺講堂の承和6 (839) 年作の木像 (国宝) 日本における最古の作例、大覚寺の明円作(1177)。金剛界五智如来の教令輪身、忿怒身。唐の不空のころ金剛界五仏に対応して大日、阿閦、宝生、無量寿、不空成就の教令輪身(きようりようりんしん)忿怒身として五尊にまとめられた。
注2
藝術と精神文化を愛する嵯峨天皇【弘仁・貞観文化】嵯峨天皇は、藝術と精神文化を愛する王、自ら詩を書き、空海と交友した。詩文の粋を集めた『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』はその精華である。嵯峨天皇は、「光定戒牒」等の遺品があり、空海・橘逸勢とともに三筆と称せられる。承和九年(842)七月十五日崩じた。五十七歳。遺詔、「思う欲無位無号詣 山水 而逍遙、無事無為翫 琴書 以澹泊」と心境を述べた。目崎徳衛「政治史上の嵯峨上皇」

注3
嵯峨天皇809~823、淳和823~833、仁明833~850【空海と最澄、嵯峨天皇】809年八月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、一〇月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなる【八一六年七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創】【空海『即身成仏義』819-820】八二一年五月には請われて讃岐国満濃池を修築、土木工事の技術と指導力に才能を発揮【空海、東大寺、東寺】八二二年二月、東大寺に灌頂道場を建立して鎮護国家の修法道場。八二三年正月、東寺を賜り真言密教の根本道場、同年一〇月には真言宗僧侶の学修に必要な三学論を作成して献上、五十人の僧をおいて祈願修法せしめた。八二四年(天長一)少僧都、八二七年大僧都。空海、没、63歳835年3月
注4
【平城上皇の乱】819年4月嵯峨天即位。9月譲位した平城上皇が太政官人半ばを率いて平城旧京に遷り藤原薬子とその兄仲成に擁され朝政に干渉。嵯峨天皇は巨勢野足・藤原冬嗣を蔵人頭に対抗。弘仁元年(820)九月、上皇の平城遷都の命を機として征夷大将軍・坂上田村麻呂以下の兵を派遣

| | コメント (0)

2025年1月17日 (金)

美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅

Daikakuji-2024
Shokokuji-2025
Gogh-kreller-muller-1-2025
Alexander-olympias-2004-2024
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第388回
藝術作品は、魂の愛と苦悩のドラマの痕跡であり、時代の証言である。旅人はそこに魂の美を求める。【旅する哲学者、美への旅】【藝術家、思想家の運命との戦い】表面に美しい美を撫でるのではない、美は魂の陰影(エイコーン)であり光である(シェイクスピア『ソネット』)。美を生み出す人間のドラマ、精神文化を生み出す人間の魂の美とは何か。藝術家、思想家の運命との戦い。藝術家、思想家が運命と戦い、苦悩するドラマ、愛と叡智は精神文化の礎である。精神文化の源泉を探究する旅。
【失われた美を求めて】ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ、レオナルドに『婦人の肖像』を発注。ラファエロに肖像画を描かれる。ミケランジェロに霊廟を彫刻される。ジュリアーノ・デ・メディチは失われた時を求めた。【失われた美を求めて、藝術家、思想家、皇帝は失われた価値を探求する】【失われた名城、安土城】5層7階、天正7年完成、天正10年、本能寺の変以後、消失。【曜変天目茶碗】足利義政が所有した。織田信長が手に入れ、本能寺の変以後、消失。
【失われた美、藝術家、思想家、皇帝は失われた価値を探求する】ヘレニズム彫刻を探求したミケランジェロ、ピュタゴラス文書を探求したプラトン、アルカイック彫刻を求めたローマ人、王羲之『蘭亭序』を求めた太宗皇帝李世民、古代の美を求めたレオナルド『レダ』1505
【ロレンツォ・デ・メディチ】青春とは何と美しいものか。だが見る間に過ぎ去ってしまう。美しい時を楽しみなさい。明日は定めなきものゆえ。ロレンツォ・デ・メディチ「謝肉祭のためのバッカスとアリアドネの勝利の歌」1490【ロレンツォ1492年、43歳で死す】
――
【人類の至宝、コンコルディア神殿】アグリジェント、神殿の谷に聳える。最も完璧なギリシア神殿。古代ギリシアの詩人ピンダロスが「人の造りし最も美しき都市」と謳った都市アクラガス。神殿の谷は、稜線に20の神殿が聳える。丘に神殿遺跡がそこここに残る古代都市遺産群を廻る、広大な地。憧れの古代都市。偉大な哲学者エンペドクレスが、生まれた地。
アクラガスは、ギリシア人の植民都市、前 580年頃ゲラの市民によって建設され、前6~5世紀僭主ファラリスやテロンのもとに繁栄した、アクロポリスの丘の上のアルカイック期神殿群の遺跡はこの時期に属し、180年栄えた。紀元前406年、カルタゴに滅ぼされた。カルタゴ軍が、シケリア西部のカルタゴ殖民都市に対する攻撃の報復として、【アクラガス包囲】ドーリア人都市であるアクラガス(アグリジェント)を包囲した。
【伊藤若冲】正徳6年(1716)、京都・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生を受け。青物問屋とは各地の野菜など生鮮食品を集めて小売(八百屋)に卸して販売させる一種の流通業で、当時でも有力な町衆のひとつ。なかでも「枡屋」は錦小路を代表する青物問屋で、代々の当主の名「源左衛門」から「枡源」とも呼ばれた。23歳のとき、若冲は父の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名。よく知られる「若冲」の号は、彼が特に懇意としていた相国寺の禅僧・大典顕常から後に与えられた居士号。
【売茶翁】1675~1763江戸中期の黄檗宗の僧。肥前の人。俗名、柴山元昭。万福寺で修行。京都東山で売茶業を営みながら生涯を送った。煎茶道を広めた。晩年は高遊外と称した。
【動植綵絵1765】伊藤若冲は三十歳代半ばから、大典顕常和尚との親交を通して、相国寺と密接な関係にあった。期間はほぼ二十年及ぶ。40~50歳で若冲が描いた代表作であり、大典が住持を務める相国寺に寄進された「動植綵絵」を描いた時期。若冲という名は大典顕常から教えられた。明和2年(1765)、枡屋の跡取りにしようと考えていた末弟・宗寂が死去した年、「動植綵絵」(全30幅のうちの)24幅と「釈迦三尊図」3幅を相国寺に寄進。
――
「ゴッホとゴーギャン」ゴーギャン「ひまわりを見ると、君を想い出す」。ゴッホ「君のために、椅子を買った」。1887年出会う。1888年アルルぶつかり合い すれ違う、破局の物語。ゴッホはなぜ「ひまわり」を描いたのか。なぜ耳を切ったのか。ゴッホはハーグ派、バルビゾン派を経て印象派へ。「宗教は廃れ、神は残る」。1990年自殺。ゴーギャンは株式仲買人を辞めバルビゾン派からピサロの影響で印象派へ。
――
1月
「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」東京都現代美術館、12月21日(土)〜2025年3月30日(日)
「瑞祥のかたち」皇居三の丸尚蔵館、1月4日(土)~3月2日(日)
「細川家の日本陶磁—河井寬次郎と茶道具コレクション—」永青文庫、1月11日(土)〜4月13日(日)
「旧嵯峨御所 大覚寺 —百花繚乱 御所ゆかりの絵画—」東京国立博物館、1月21日(火)~3月16日(日)
開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 —百花繚乱 御所ゆかりの絵画—」
「ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト」、森アーツセンターギャラリーにて、2025年1月25日(土) 〜4月6日(日)
「花器のある風景」泉屋博古館東京、1月25日(土)〜3月16日(日)
「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」東京ステーションギャラリー、1月25日(土)〜3月16日(日)
2月
魂を込めた 円空仏―飛騨・千光寺を中心にして―、三井記念美術館、2月1日(土)~ 3月30日(日)
『「おかえり、ヨコハマ」横浜美術館、2月8日~
DIC川村記念美術館 1990–2025 作品、建築、自然、DIC川村記念美術館 、2月8日(土)〜3月31日(月)
「オーブリー・ビアズリー展」三菱一号館美術館、2月15日(土)~5月11日(日)
エミール・ガレ 、サントリー美術館、2月15日(土)~4月13日(日)
「緑の惑星 セタビの森の植物たち」、世田谷美術館、2月27日(木)〜4月13日(日)
3月
「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」アーティゾン美術館、3月1日(土)〜6月1日(日) 「硲伊之助展」アーティゾン美術館
「ヒルマ・アフ・クリント展」東京国立近代美術館、3月4日(火)〜6月15日(日)
手塚治虫『火の鳥』展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命の象徴-」六本木ヒルズ・東京シティビュー、3月7日~5月25日。
桜 さくら SAKURA 2025 ―美術館でお花見!、山種美術館、3月8日(土)~5月11日(日)まで
「ACN ラムセス大王展 ファラオたちの黄金」、豊洲のクレヴィアベース東京、3月8日(土)から9月7日(日)まで
西洋絵画、どこから見るか、国立西洋美術館、3月11日~6月8日
「古代DNAー日本人のきた道ー」、国立科学博物館、3月15日(土)~6月15日(日)
「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」、国立新美術館、3月19日~6月30日
相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史、東京藝術大学大学美術館、3月29日[土]~5 月 25 日[日]
4月
タピオ・ヴィルカラ 世界の果て、東京ステーションギャラリー、4月5日~6月15日
国宝の名刀と甲冑・武者絵 特集展示 三井家の五月人形、三井記念美術館、4月12日(土)~ 6月15日(日)
「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」東京国立博物館4月22日(火)〜6月15日(日)
肥後熊本の絶景、永青文庫、4月26日~6月22日
5月
上村松園と麗しき女性たち、山種美術館、5月17日(土)~7月27日(日)
「オランジュリー美術館 オルセー美術館 コレクションより ルノワール×セザンヌ —モダンを拓いた2人の巨匠」三菱一号館美術館、5月29日(木)〜9月7日(日)
「開館30周年記念 江戸の名プロデューサー 蔦屋重三郎と浮世絵のキセキ」千葉市美術館、5月30日(金)~7月21日(月)https://ccma-net.jp/y30th-exhibitions-2025/
7月
スウェーデン国立美術館 素描コレクション展―ルネサンスからバロックまで、国立西洋美術館、7月1日(火)〜9月28日(日)
「藤田嗣治 絵画と写真」、東京ステーションギャラリー、7月5日~8月31日
美術の遊びとこころⅨ 花と鳥、三井記念美術館、7月1日(火)~ 9月7日(日)
「江戸☆大奥」、東京国立博物館、7月19日(土)~9月21日(日)
文房四宝と喫煙具の美、永青文庫、7月3日~8月31日
8月
「現代マイセンの磁器芸術 —巨匠ハインツ・ヴェルナーの描いた物語(メルヘン)—」泉屋博古館東京、8月30日(土)〜11月3日(月・祝)
9月
日本の現代美術と世界 1989‒2010(仮称)、国立新美術館、2025 年 9 月 3 日 ( 水 ) ~12 月 8 日 ( 月 )
「運慶 祈りの空間—興福寺北円堂」東京国立博物館、9月9日(火)~11月30日(日)
幕末土佐の天才絵師 絵金、サントリー美術館、9月10日(水)~11月3日(月・祝)
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」、東京都美術館、9月12日〜12月21日
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
「インド更紗」、東京ステーションギャラリー、9月13日~11月9日
「ブルガリ カレイドス 色彩・文化・技巧」、国立新美術館、9月17~12月15日
円山応挙―革新者から巨匠へ、三井記念美術館、9月26日(金)~ 11月24日(月・振休)
大ゴッホ展、I、夜のカフェテラス、神戸市立博物館、2025年9月20日 福島県立美術館、2026年2月21日 5月10日、上野の森美術館、2026年5月29日 8月12日
II.アルルの跳ね橋、上野の森美術館、2027年10月 2028年1月
10月
「黒き猫」永青文庫、近代日本画の粋、永青文庫、10月4日~11月30日
「オルセー美術館所蔵 印象派—室内をめぐる物語」、国立西洋美術館、10月25日(土)〜2月15日(日)
11月
「小林徳三郎」、東京ステーションギャラリー、11月22日~2026年1月18日
NEGORO 根来 - 赤と黒のうるし、11月22日(土)~2026年1月12日(月・祝)
12月
国宝 熊野御幸記と藤原定家の書、三井記念美術館、12月6日(土)~ 2026年2月1日(日)
英英紅綠 第50回 白日会会員選抜展、日本橋三越6階、美術特選画廊、12月17日(水)~12月22日(月)
英英紅緑展、山本大貴『宵待ち3』8号、176万円、1982生まれ。
――
美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-284bac.html
2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3dea7b.html
2025 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-3c0431.html

| | コメント (0)

美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅

Daikakuji-2024
Shokokuji-2025
Gogh-kreller-muller-1-2025
Alexander-olympias-2004-2024
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第388回
藝術作品は、魂の愛と苦悩のドラマの痕跡であり、時代の証言である。旅人はそこに魂の美を求める。【旅する哲学者、美への旅】【藝術家、思想家の運命との戦い】表面に美しい美を撫でるのではない、美は魂の陰影(エイコーン)であり光である(シェイクスピア『ソネット』)。美を生み出す人間のドラマ、精神文化を生み出す人間の魂の美とは何か。藝術家、思想家の運命との戦い。藝術家、思想家が運命と戦い、苦悩するドラマ、愛と叡智は精神文化の礎である。精神文化の源泉を探究する旅。
【失われた美を求めて】ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ、レオナルドに『婦人の肖像』を発注。ラファエロに肖像画を描かれる。ミケランジェロに霊廟を彫刻される。ジュリアーノ・デ・メディチは失われた時を求めた。【失われた美を求めて、藝術家、思想家、皇帝は失われた価値を探求する】【失われた名城、安土城】5層7階、天正7年完成、天正10年、本能寺の変以後、消失。【曜変天目茶碗】足利義政が所有した。織田信長が手に入れ、本能寺の変以後、消失。
【失われた美、藝術家、思想家、皇帝は失われた価値を探求する】ヘレニズム彫刻を探求したミケランジェロ、ピュタゴラス文書を探求したプラトン、アルカイック彫刻を求めたローマ人、王羲之『蘭亭序』を求めた太宗皇帝李世民、古代の美を求めたレオナルド『レダ』1505
【ロレンツォ・デ・メディチ】青春とは何と美しいものか。だが見る間に過ぎ去ってしまう。美しい時を楽しみなさい。明日は定めなきものゆえ。ロレンツォ・デ・メディチ「謝肉祭のためのバッカスとアリアドネの勝利の歌」1490【ロレンツォ1492年、43歳で死す】
――
【人類の至宝、コンコルディア神殿】アグリジェント、神殿の谷に聳える。最も完璧なギリシア神殿。古代ギリシアの詩人ピンダロスが「人の造りし最も美しき都市」と謳った都市アクラガス。神殿の谷は、稜線に20の神殿が聳える。丘に神殿遺跡がそこここに残る古代都市遺産群を廻る、広大な地。憧れの古代都市。偉大な哲学者エンペドクレスが、生まれた地。
アクラガスは、ギリシア人の植民都市、前 580年頃ゲラの市民によって建設され、前6~5世紀僭主ファラリスやテロンのもとに繁栄した、アクロポリスの丘の上のアルカイック期神殿群の遺跡はこの時期に属し、180年栄えた。紀元前406年、カルタゴに滅ぼされた。カルタゴ軍が、シケリア西部のカルタゴ殖民都市に対する攻撃の報復として、【アクラガス包囲】ドーリア人都市であるアクラガス(アグリジェント)を包囲した。
【伊藤若冲】正徳6年(1716)、京都・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生を受け。青物問屋とは各地の野菜など生鮮食品を集めて小売(八百屋)に卸して販売させる一種の流通業で、当時でも有力な町衆のひとつ。なかでも「枡屋」は錦小路を代表する青物問屋で、代々の当主の名「源左衛門」から「枡源」とも呼ばれた。23歳のとき、若冲は父の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名。よく知られる「若冲」の号は、彼が特に懇意としていた相国寺の禅僧・大典顕常から後に与えられた居士号。
【売茶翁】1675~1763江戸中期の黄檗宗の僧。肥前の人。俗名、柴山元昭。万福寺で修行。京都東山で売茶業を営みながら生涯を送った。煎茶道を広めた。晩年は高遊外と称した。
【動植綵絵1765】伊藤若冲は三十歳代半ばから、大典顕常和尚との親交を通して、相国寺と密接な関係にあった。期間はほぼ二十年及ぶ。40~50歳で若冲が描いた代表作であり、大典が住持を務める相国寺に寄進された「動植綵絵」を描いた時期。若冲という名は大典顕常から教えられた。明和2年(1765)、枡屋の跡取りにしようと考えていた末弟・宗寂が死去した年、「動植綵絵」(全30幅のうちの)24幅と「釈迦三尊図」3幅を相国寺に寄進。
――
「ゴッホとゴーギャン」ゴーギャン「ひまわりを見ると、君を想い出す」。ゴッホ「君のために、椅子を買った」。1887年出会う。1888年アルルぶつかり合い すれ違う、破局の物語。ゴッホはなぜ「ひまわり」を描いたのか。なぜ耳を切ったのか。ゴッホはハーグ派、バルビゾン派を経て印象派へ。「宗教は廃れ、神は残る」。1990年自殺。ゴーギャンは株式仲買人を辞めバルビゾン派からピサロの影響で印象派へ。
――
1月
「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」東京都現代美術館、12月21日(土)〜2025年3月30日(日)
「瑞祥のかたち」皇居三の丸尚蔵館、1月4日(土)~3月2日(日)
「細川家の日本陶磁—河井寬次郎と茶道具コレクション—」永青文庫、1月11日(土)〜4月13日(日)
「旧嵯峨御所 大覚寺 —百花繚乱 御所ゆかりの絵画—」東京国立博物館、1月21日(火)~3月16日(日)
開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 —百花繚乱 御所ゆかりの絵画—」
「ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト」、森アーツセンターギャラリーにて、2025年1月25日(土) 〜4月6日(日)
「花器のある風景」泉屋博古館東京、1月25日(土)〜3月16日(日)
「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」東京ステーションギャラリー、1月25日(土)〜3月16日(日)
2月
魂を込めた 円空仏―飛騨・千光寺を中心にして―、三井記念美術館、2月1日(土)~ 3月30日(日)
『「おかえり、ヨコハマ」横浜美術館、2月8日~
「オーブリー・ビアズリー展」三菱一号館美術館、2月15日(土)~5月11日(日)
エミール・ガレ 、サントリー美術館、2月15日(土)~4月13日(日)
3月
「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」アーティゾン美術館、3月1日(土)〜6月1日(日) 「硲伊之助展」アーティゾン美術館
「ヒルマ・アフ・クリント展」東京国立近代美術館、3月4日(火)〜6月15日(日)
手塚治虫『火の鳥』展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命の象徴-」六本木ヒルズ・東京シティビュー、3月7日~5月25日。
桜 さくら SAKURA 2025 ―美術館でお花見!、山種美術館、3月8日(土)~5月11日(日)まで
「ACN ラムセス大王展 ファラオたちの黄金」、豊洲のクレヴィアベース東京、3月8日(土)から9月7日(日)まで
西洋絵画、どこから見るか、国立西洋美術館、3月11日~6月8日
「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」、国立新美術館、3月19日~6月30日
相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史、東京藝術大学大学美術館、3月29日[土]~5 月 25 日[日]
4月
タピオ・ヴィルカラ 世界の果て、東京ステーションギャラリー、4月5日~6月15日
国宝の名刀と甲冑・武者絵 特集展示 三井家の五月人形、三井記念美術館、4月12日(土)~ 6月15日(日)
「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」東京国立博物館4月22日(火)〜6月15日(日)
肥後熊本の絶景、永青文庫、4月26日~6月22日
5月
「オランジュリー美術館 オルセー美術館 コレクションより ルノワール×セザンヌ —モダンを拓いた2人の巨匠」三菱一号館美術館、5月29日(木)〜9月7日(日)
7月
スウェーデン国立美術館 素描コレクション展―ルネサンスからバロックまで、国立西洋美術館、7月1日(火)〜9月28日(日)
「藤田嗣治 絵画と写真」、東京ステーションギャラリー、7月5日~8月31日
美術の遊びとこころⅨ 花と鳥、三井記念美術館、7月1日(火)~ 9月7日(日)
「江戸☆大奥」、東京国立博物館、7月19日(土)~9月21日(日)
文房四宝と喫煙具の美、永青文庫、7月3日~8月31日
8月
「現代マイセンの磁器芸術 —巨匠ハインツ・ヴェルナーの描いた物語(メルヘン)—」泉屋博古館東京、8月30日(土)〜11月3日(月・祝)
9月
日本の現代美術と世界 1989‒2010(仮称)、国立新美術館、2025 年 9 月 3 日 ( 水 ) ~12 月 8 日 ( 月 )
「運慶 祈りの空間—興福寺北円堂」東京国立博物館、9月9日(火)~11月30日(日)
幕末土佐の天才絵師 絵金、サントリー美術館、9月10日(水)~11月3日(月・祝)
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」、東京都美術館、9月12日〜12月21日
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
「インド更紗」、東京ステーションギャラリー、9月13日~11月9日
「ブルガリ カレイドス 色彩・文化・技巧」、国立新美術館、9月17~12月15日
円山応挙―革新者から巨匠へ、三井記念美術館、9月26日(金)~ 11月24日(月・振休)
大ゴッホ展、I、夜のカフェテラス、神戸市立博物館、2025年9月20日 福島県立美術館、2026年2月21日 5月10日、上野の森美術館、2026年5月29日 8月12日
II.アルルの跳ね橋、上野の森美術館、2027年10月 2028年1月
10月
「黒き猫」永青文庫、近代日本画の粋、永青文庫、10月4日~11月30日
「オルセー美術館所蔵 印象派—室内をめぐる物語」、国立西洋美術館、10月25日(土)〜2月15日(日)
11月
「小林徳三郎」、東京ステーションギャラリー、11月22日~2026年1月18日
NEGORO 根来 - 赤と黒のうるし、11月22日(土)~2026年1月12日(月・祝)
12月
国宝 熊野御幸記と藤原定家の書、三井記念美術館、12月6日(土)~ 2026年2月1日(日)
英英紅綠 第50回 白日会会員選抜展、日本橋三越6階、美術特選画廊、12月17日(水)~12月22日(月)
英英紅緑展、山本大貴『宵待ち3』8号、176万円、1982生まれ。
――
美術館スケジュール2025・・・旅する哲学者、美への旅

2024美術展ベスト10・・・旅する哲学者、美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-3dea7b.html
2025 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-3c0431.html

| | コメント (0)

«2025 長楽万年 蘇る不滅の精神 美への旅