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2007年12月

2007年12月31日 (月)

『硫黄島からの手紙』"Letters from Iwo Jima" クリント・イーストウッドの伝言

1年前、見た映画に、この映画があります。
緻密なドラマ、深い映像。『父親たちの星条旗』と響きあって、戦争の醜さ、矛盾を描く。日本軍の醜さ、日本社会・日本人の醜さが刻銘に冷静に描かれていて素晴らしい。日本はいまも階級社会であり、その縮図が軍隊にある。200隻のアメリカ艦隊が硫黄島の日本軍を総攻撃する場面が感動的!
 栗林中将、バロン西が美化されているが、美醜が対比されドラマとして上質。総攻撃以後、洞窟内部となり室内劇の様相。最後まで暗く重い。脚本も緻密で素晴らしい。
 戦艦大和の最期、人間魚雷の悲劇――散っていく男たちを描いて「讃歌」になる、この国の低劣な戦争映画とは大きく異なり、善悪の価値を超越した硫黄島2部作は、悲歌を歌う聲すら出ない。果たせぬ怨み、無念、遺恨を思い知る。

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2007年12月29日 (土)

座談会、景観の美しい都市をいかにしてつくるか 川崎市役所会議室にて

日本の街はどこも醜い。東京ミッドタウン、六本木ヒルズ、汐留地区、表参道ヒルズ、どれも軽佻浮薄、ヨーロッパの街に比べて、醜い。単なるコンクリートの函である。商業主義の『魍魎の匣』である。東京のなかで比較的よいのは、恵比寿ガーデンプレイスである。

12月28日。今日はもう冬休みだが、座談会を行う。私はコーディネーターとしてこの会合を立案、実行する。川崎市議会のある川崎市役所第2庁舎、会議室にて。
出席者は、民主党の堀添健議員、言語学者、数学者、医師、翻訳家、そして私。私の専門は哲学・美学・都市論・国家論である。出席者はすべて私の友人、知人である。
座談会「都市環境と政治」
討論テーマのなかで、比較的、市民の共感を得られやすいのは、
表題の「景観の美しい都市をいかにしてつくるか」である。
だが、その方法は、国民の手に余る。ここまで醜悪な国は、修復できない。という結論に到る。

川崎市の年間予算は、1兆2千億円。ヨーロッパの国家、数カ国分である。
だが川崎市が独自に執行できるのはその1%である。あとは国家の手に握られている。

会合の後、宴会。議員御薦めの萬福大飯店(横浜中華街の支店)に入ろうとするが満席。一同、街を漂流する。中国料理太陽軒に入る。青椒肉絲など、食す。

*1 基本的に、日本は都市計画がないので、乱開発される運命にある。
なぜならば、日本では、都市計画=開発=ビル建設だからである。
真の都市計画=都市のグランドデザインである。
さらに、規制緩和により、開発しやすくなっている。これが日本の都市と田園を荒廃させる原因である。
ヨーロッパの都市は美しいが、規制によって景観が維持されている。

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2007年12月26日 (水)

『魍魎の匣』、新宿ミラノ座にて

戦後間もない東京。美少女連続殺人事件が世間を騒がせている。引退した女優・陽子の娘も姿を消し、探偵・榎木津は行方を追う。
一方、作家・関口と記者・敦子は、不幸を函に閉じ込める教団の謎に迫る。
さらに巨大な函型建物の謎を追う刑事・木場も登場。みんなが事件に関わり、古書「京極堂」店主・中禅寺の元へ集まってくる。3つの事件に関わる函に隠された恐るべき謎を、果たして京極堂は解き明かせるのか?
監督:原田眞人、原作:京極夏彦
出演:堤真一、阿部寛、椎名桔平、宮迫博之、田中麗奈、黒木瞳
http://www.mouryou.jp/

映画は、ノスタルジックで不思議な雰囲気を緻密に構築している。
しかし、複雑に絡み合う戦争、殺人、宗教、科学、呪術を1つ1つ解き、謎を解いていくと、中心には何もない。これは原作に難があるのだろう。

『ダ・ヴィンチ・コード』の場合も同様に、謎を解いていくと、中心には何も存在しない。もしキリストの子孫が生きていたとしても、それが何なのか。キリストの子はキリストではない。中国には孔子の子孫が何万人もいる。

しかし、この映画は、近年、壊滅的に低級な日本映画の中にあって健闘している。

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2007年12月25日 (火)

丘の上の病院、クリスマスコンサート

病院のロビーには、蘭の花があふれている。胡蝶蘭、カトレア、冬にはポインセチアの花の鉢も沢山おかれている。蘭の花は患者の家族たちが寄贈したものである。
 私は、この都市の丘の上に住んでいるが、さらに郊外の丘の上にこの病院がある。

 この病院は、毎月土曜日にクラシック・コンサートがある。藝大出身の演奏家、ヨーロッパの大学で学んだ演奏家が来て演奏している。ポーランドに留学したピアニストも何人かいて、ショパン「幻想即興曲」「英雄ポロネーズ」などよく演奏する。患者と家族が並んで聴いている。
 例年、12月にはソプラノ歌手が来て、ピアノ、ヴァイオリンの伴奏で、クリスマスソングや「オンブラ・マイフ」「歌の翼に」などを歌う。
 ソプラノ歌手が松田聖子「瑠璃色の地球」を歌ったことがあり、まるで別の歌のように美しく響いた。

♪朝陽が水平線から 光の矢を放ち
二人を包んでゆくの
瑠璃色の地球
泣き顔が微笑みに変わる
瞬間の涙を 世界中の人たちに
そっとわけてあげたい
争って傷つけあったり 人は弱いものね
だけど愛する力も きっとあるはず
ガラスの海の向こうには
広がりゆく銀河
地球という名の船の 誰もが旅人
ひとつしかない
私たちの星を守りたい♪(作詞 松本隆)
名曲だ。まるで、地球環境問題のテーマソングだ。

 終わりに、患者と家族が一緒に「浜辺の歌」「夏の思い出」など歌を、ピアノ、ヴァイオリンの伴奏で、歌ったりする。
 フランス語を話す老人がいて、
 Tres bien! Je suis tres content!
 と、感想をのべたりする。
 私の母は重篤な病気ではないのだが、食事管理が必要であり、この病院に入院している。

 病院にきた演奏家で、記憶に残っている人は、アントニオ古賀、ピアニスト吉川元子、ヴァイオリニスト梅津美葉、パンフルート藤山明、ハーピスト大村典子、等である。
 若い女性の演奏家が多く、病院の空気が華やかになり楽しい。

 この病院の人々は、毎月、生演奏をきくので、耳が洗練されてくる。
 モーツアルト、ショパン、バッハ、チャイコフスキー、などの音楽が、病気の苦しみをつかの間、癒してくれる。
 病気は患者にとっても家族にとっても苦しみだが、音楽によって、患者も家族も、看護婦、医師たちも、心の安らぎをしばし取り戻すのである。

 梅津美葉 http://pia-julien.com/profile/umedu.html
 大村典子 http://www.akiyama-music.co.jp/artist/ohmura.htm

Phalaenopsis_11small_2

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2007年12月24日 (月)

一枚の絵 三岸好太郎「雲の上を飛ぶ蝶」東京国立近代美術館

人のいない美術館で、一枚の絵が心を捉えることがあります。
この絵をみると、一編の詩を思い出します。
てふてふが一匹、韃靼海峡を渡っていった。(「春」安西冬衛、詩集『軍艦茉莉』1929)
海峡を渡って、北海道からユーラシア大陸へ、蝶が飛ぶ構図である。
しかし、この詩と絵とは関係がなく、画家自身はつぎの詩を書いている。

三岸好太郎「海洋を渡る蝶」1934
「美シイ海洋ヲ渡ル蝶
 ソレハ習性デハナイ
 海ノエロチシズムハ
 開放的デアル
 幾万ノ蝶ガ海洋ヲ渡ル」

三岸好太郎(1903-1934)は、この絵を描いた年に死んだ。
享年31才、死因は胃潰瘍による心臓発作。
天衣無縫、孤独と憂愁。凝縮した人生が、絵から滴り落ちる。
画家のいのちの最後の燃焼を暗示しているようである。
この絵には、はるか遠くに飛んでいく意志といのちの儚さを感じる。Migishi_koutarou_1934

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「日本彫刻の近代」東京国立近代美術館、人がいない美術館

夕暮れの光がみちて紫色に染まる時、美術館に向かう。金曜日の夜は、ナイトミュージアム。
人がいない美術館は素晴らしい。作品が語りかけてくる。時を超えて、作品と対話することができるひと時である。

 日本の近代彫刻は、苦悩を刻んでいる。
 普通人の日常を生きる苦悩。近代小説が普通の人の生活を描いているように、普通の人の日常の苦しみを彫刻している。
 ロダンの影響を受けて喜怒哀楽を表現しているが、ロダンが影響を受けた古代彫刻の魅力はない。写真はRodin "Kiss"

 岡倉天心の理想主義はどこへ行ったのか。

「幕末・明治期から1960年代までの近代日本彫刻史を、68名の彫刻家の100点の作品によって回顧する」画期的な展覧会。
http://www.momat.go.jp/Honkan/Sculpture2007/list.html

展示作家。荻原守衛、高村光雲、高村光太郎、平櫛田中、ヴィンチェンツォ・ラグーザ、舟越保武、他。

見終わって、4階に向かう。4階~2階は、所蔵品ギャラリー、常設展示「近代日本の美術」。4階はさらに人影がない。Rodin_the_kiss1888_1889_2

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2007年12月19日 (水)

吉野直子、ヘンデル『ハープ協奏曲』、天上の調べ

Yoshinosrcr2066Yoshinonaoko030520大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
ハーピスト吉野直子のコンサートを15年ほど前からよく聴きに行く。日本が世界に誇るハーピスト。クリスマスコンサートを青葉台フィリアホールで例年行う。
私の好きな曲は、ヘンデル『ハープ協奏曲変ロ長調』、モーツァルト『フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299』。
ハープ(harp)の起源は古く、紀元前4000年エジプトといわれている。最古の楽器の一つ。古代ギリシアには、竪琴(リュラ)、キタラがあった。中国には、箜篌(くご)があり、正倉院御物に伝承している。
現在のグランドハープ、コンサートハープは、弦は47弦あり、7オクターブの音域がある。イタリア語、スペイン語でハープのことをアルパ(arpa)という。
最初の『ハープ協奏曲』は、ヘンデル作曲。ヘンデル『ハープ協奏曲』は、純粋な美しさに満ちあふれた天上の調べに酔うことができる。
バッハをハープで弾いた演奏もある。様相が一変し、芳純で甘美な名演奏。
2枚のディスクがお奨めである。是非、お聞き下さい。

★吉野直子『ハープのための協奏曲集』SONY SRCR-9163
 G.ヘンデル「ハープ協奏曲 変ロ長調 Op.4-6」
 J.ダマーズ「ハープと弦楽合奏のためのコンチェルティーノ」
 C.ドビュッシー「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」
 E.パリシ=アルヴァース「ハープと室内オーケストラのためのコンチェルティーノ Op.34」
★吉野直子『バッハ・アルバム』SONY SRCR-2066
 J.S.バッハ「パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV.825」
 J.S.バッハ「イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV.807」
 J.S.バッハ「イギリス組曲 第3番 ロ短調 BWV.814」

吉野直子HP http://www.naokoyoshino.com/j/cd.html

下記参照。『地中海のほとりにて』
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_e48c.html

一般企業と同じように、教育機関においても、血まみれの競争に明け暮れている。一歩、足を踏み誤まると、生命の危険がある。ハープの音色は、地獄のような戦いの日々に、一時の美と安らぎをもたらしてくれる。

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2007年12月16日 (日)

『アイ・アム・レジェンド』I AM LEGEND

ミラノ座にて見ました。リチャード・マシスンの古典的名作『地球最後の男』の映画化。
人類が死滅して地球でたった1人、科学者ロバート・ネビルだけが生き残る。彼は究極の孤独と闘いながら、愛犬サムとともにほかの生存者の存在を信じて無線で交信を続ける。「ダーク・シーカーズ」の脅威と闘いながら。
世界人口の66億人の99%が絶滅、1%だけが感染せずに生き残るが、生ける死者の脅威にさらされる。
2007年12月14日
公式HP http://wwws.warnerbros.co.jp/iamlegend/

1%の富裕層が、99%の貧困層の生け贄によって生き残る、と解釈することもできる。そう考えると現代社会の縮図である。(*注)

ところで、最近の日本映画は低レベルの作品ばかりだ。最低の俳優、最低の脚本、最低の監督。3拍子揃って最悪だ。
Newsweekも書いているように、1950~60年代の日本映画のほうがはるかに優れている。

*注、居住目的の不動産を除く資産が100万ドル(約1億1400万円)以上ある富裕層は、日本で141万人。2005年末時点で。メリルリンチ日本証券が2006年に発表した世界の個人資産家についての報告書による。

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2007年12月14日 (金)

「再興第92回 院展」そごう美術館、横浜

絵画のように美しいという言葉があるが、絵画より美しい、ヴェネツィアの旅を思い出す。迷路のような街。水上の迷宮都市。
横須賀に行く。その途中、横浜に立寄り、院展をみる。ヴェネツィアを描いた絵が多い。

私は、日本の絵画は、下村観山、狩野芳崖、菱田春草、速水御舟、を基準にして観る。
岡倉天心の弟子たちを基準にして観ると、現代の画家たちは、心に深く入ってくるものがない。感動がない、つまり美がない。

出品作品、平山郁夫「古代ローマ遺跡 エフェソス・トルコ」、松尾敏男「朝光のヴェネツィア」、手塚雄二「憬」、西田俊英「惜別・櫻」、後藤純男「初桜遊行俯瞰図(春秋二題の内)」。他83点。

帰路につく前に、横須賀にて、まぐろ中落ち、ねぎとろ等、を賞味しつつ、赤ワインを飲む。まぐろに赤ワインはよく合う。
11月の夕刻、友人と夜景を眺める店で、天麩羅を食しながら、赤ワイン。何を食しても赤ワインである。

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2007年12月12日 (水)

『鳥獣戯画絵巻』の謎【4】 森のなかの寺院

栂尾山高山寺
 私が高山寺を訪れたのは、高野山、東大寺真言院をたずねてからである。高野山は絶壁の山を攀じ登るような地にあるが、高山寺も険峻なところにある。
 高雄山神護寺、栂尾山高山寺を、旅して、その厳しい石段を踏みしめてほしい。
 栂尾山高山寺は、深い森の中にある。栂尾は、紅葉の名所として知られる高雄山神護寺からさらに奥に入った山中にあり、平安時代には、近隣の高雄山寺の別院とされた。私は空海の足跡をたどる旅にでたとき、この寺を訪れた。高雄山寺は、険峻な山の上にあり、高山寺も森厳な森の中にある。
 この地を訪れると、このような人里離れた、山間僻地に、なぜこのように高度な文化があったのかと問わざるをえない。
 空海の時代、高山寺は高雄山寺の別院であり、高雄山寺本寺から離れた、密教修行僧の隠棲修行の場所であった。

 平安末期、鎌倉初期は、二重権力の時代であり、都では九条家と後鳥羽上皇とが対立しながら文化を生み出していた。

 華厳宗の僧、明恵(1173-1232)は建永元年(1206年)、後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられ、寺名のもとになった「日出先照高山之寺」の額を下賜された。
 境内には日本最古と伝えられる茶園がある。鎌倉時代初期に臨済宗の開祖栄西が、中国の南宋において種を得て、帰国後に明恵に贈ったものと伝えられる。明恵はこれを初めは栂尾山に植えた。
 この場所には13世紀、歴史上の重要人物が三人でてくるが、それと絵巻との関係はない。
 いうまでもなく「鳥獣戯画」は、絵師が自分のために画いた絵ではない。『鳥獣戯画絵巻』、この絵の発注者はだれか。何のために注文したのか。だれが画いたのか。どのように楽しまれたのか。
 鳥獣戯画は、名人と呼ばれる絵師たちを虜にした。狩野探幽、他、『鳥獣戯画絵巻』の模写は夥しく画かれたが、このような山奥にある作品とこれらの画家たちはいかにして出会ったのか。謎は、ますます深まるばかりである。
 森の沈黙は深い。

 絵画、美術作品は、藝術それ自体を目的として生みだされたものではない。すべて何かの目的のために作られたものである。たとえばレオナルドの『岩窟の聖母』は、「無原罪の御宿り教団」のために注文制作されたものである。教団の広報手段つまりプロパガンダの道具として制作された。数学、天文学、哲学、他のすべての学問も何かの目的のために作られたものである。それは人間の一部であって、全体ではない。

 人は、藝術が生みだされた、その地に行ってその空間に佇むと、失われた時間が蘇る。時の片隅から、時を超えた普遍的なメッセージが語りかけてくる。藝術は異界への扉であり、通路である。

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『鳥獣戯画絵巻』の謎【3】 失われた甲巻

 『鳥獣戯画絵巻』で最も魅力的なのは甲巻である。
 平安時代末期、巷の喧騒が聞こえてくる。競技にうち興じる人々、酒を楽しむ人々。
 水泳競技。兎組と蛙組の弓の腕比べ。宴会のために酒を運ぶ兎と蛙。兎と猿の追いかけっこ。兎と蛙の相撲。蛙の田楽。双六盤を持つ猿。法会のために仏壇になる蛙。猿の僧正に貢物をする兎。
 兎が蛙を投げ飛ばした様子を小さな鼠が兎の影から覗き込む、強い者にすがる弱者の姿。蛙が兎を投げ飛ばす場面、小さい者が大きい者に勝つ蛙の勝利の雄たけびが聞こえてくる。権力を揮った僧侶たちに対する皮肉。

 絵師は、都の喧騒のなかで、つかの間の楽しみを楽しむ人々の歓びと、権力を貪る階級を批判的な精神をもって画いた。

 神護寺と高山寺は、天文十六年(1547年)閏七月五日、細川晴元と六角定頼の援軍が細川国慶を攻略した時、晴元によって火を放たれた。この時、高山寺の金堂は焼け落ちた。そして絵巻は焼け、残巻がつなぎ合わされた。

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2007年12月10日 (月)

『鳥獣戯画絵巻』の謎【2】 線の美

数年前、『鳥獣戯画絵巻』をはじめて見たとき、驚嘆し、線の凄絶さに圧倒され、線の美しさに魅了された。東京国立博物館国宝室にて、見る者は私一人。感想を伝える相手もいない。森閑と静まり返った博物館で、一人みる八百年前の絵巻。
 迷いなく滞りなく、大らかで、軽妙洒脱、線の奇跡!である。
 書の名人、空海でさえ書の書き直しをしているのに、書き直しがない。即興の一筆が、完璧な美を湛えている。
 一筆一筆が、完璧。兎、蛙、狐、動物の一匹一匹が美しくデザインされている。しかも躍動している。驚くべき名人藝。巨匠の技。
 これに匹敵する技は、北斎しかいない。
 「鳥獣戯画」は、名人と呼ばれる絵師たちを虜にした。狩野探幽も模写している。
 躍動する線、美しい線、完璧な迷いなき線は、どこから生まれたのか。だれによって画かれたのか。宮廷絵師、密教仏絵師、二説あるが、結論はない。
 みごとな迷いない一筆、一筆は、長年にわたる修業を経た名人の手になることを疑わせない。
 あなたは、この『鳥獣戯画絵巻』が伝えられた寺院に行ったことがありますか。
 その寺院は人跡を離れた、鬱蒼たる森の中にある。こんな所に何故このような絵巻があったのか。

 私は『空海全集』を愛読しており、十数年前の夏、一人で『空海の足跡を辿る旅』に出た。この時、紅葉の名所として知られる高雄山神護寺、槙尾山西明寺、栂尾山高山寺をおとずれた。空海とその弟子にゆかりのある寺である。

 藝術は、保管された場所、生みだされた地に佇み、その空間を経験するとその文明の意味がわかる。たとえば、アクロポリスの丘、バティカン宮殿。生きるとは何か。美とは何か。人間のいのちを超えて、千古の時の闇の彼方から伝えられるメッセージがある。

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2007年12月 8日 (土)

『鳥獣戯画絵巻』の謎

黄昏の光がみち、夜の帳が降りるころ、サントリー美術館につく。「鳥獣戯画がやってきた!―国宝『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌―」。金曜日、夕方は美術館に行く、ナイトミュージアム。
■『鳥獣戯画絵巻』の謎
 『鳥獣戯画絵巻』は、謎が多い。だれが画いたのか。主題は何か。だれに見せるために。何のために画いたのか。なぜ山奥の高山寺に伝えられたのか。
 鳥羽僧正覚猷の作、と伝えられるが、それを示す資料はなく、むしろ鳥羽僧正の筆が加わっているかどうかも確かめがたい。甲・乙・丙・丁、各巻の画風の違いから、複数の作者によって書かれたと思われる。制作年代は12世紀~13世紀(平安時代末期~鎌倉時代初期)。
 平安時代末期~鎌倉時代初期は、日本文化史の頂点の一つである。『平家物語』『新古今和歌集』『千載和歌集』、数々の絶唱が生みだされた。源平の戦乱の時代。
 一つの社会システムが崩壊し、未知の世界が作られる時代。権力の中心が対立する、動乱の時代である。権力の中心が崩壊するとき、自由が生まれる。「世界の関節が外れた」(『ハムレット』)時代である。
自由闊達な線の魅力はここから生まれる。
Choujugiga_sumou

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2007年12月 6日 (木)

イタリア糸杉とレオナルド『受胎告知』

2007_leonardo レオナルドの『受胎告知』には、糸杉がえがかれている。大天使ガブリエルの背後にある尖った針葉樹である。これがイタリア糸杉(Italian cypress)である。
 私は庭でイタリア糸杉を育てています。
 ギリシアを旅したとき、世界遺産デルフィのアポロンの聖域で、木から実を採取して、飛行機で空輸したものです。
 庭にあるイタリア糸杉、みんな見に来ると「いいですねぇ!」という。
 庭にはゴールデン・カサブランカ、他、百合も栽培しているので、「受胎告知の花と木がありますね」と友人はいいます。
 「ゴッホの糸杉ですか」と聞く人がいますが、それとはちがう木です。

 ルネサンス絵画にえがかれている「犬」は従順の象徴で、「百合」は純粋さの象徴です。
 これに対して「猫」は性欲を表すと解釈されています。
 私の友人は猫を3匹飼っていて、愛玩しています。そして「主人が早く財産を残して死ねばいいのに」といっています。彼女にとって「猫」は禁断の欲望の象徴です。

 では、古代ギリシアにおいて「糸杉」は何の象徴でしょうか。2007/12/05

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2007年12月 2日 (日)

フェルメール 精妙な光と奥行きのある空間

 さらに交渉中の作品があり、「真珠の首飾りの少女」か。
「フェルメール、来夏日本公開へ 初公開3点含む6点以上」asahi.com 2007年11月30日21時24分
 「精妙な光と奥行きのある画面――。世界で三十数点しか現存作品がない、17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメール(1632~75)の作品が6点以上まとまって日本にやって来ることになった。来年8月2日から12月14日まで東京都美術館で開かれる「フェルメール展」(仮称)Vermeer and the Delft Style=朝日新聞社、TBSなど主催=に、「ワイングラスを持つ娘」など日本初公開作3点を含む名品が登場することが30日、発表された。朝日新聞創刊130周年記念事業の一つ。
 6点もの作品が、日本でまとまって公開されるのは初めてで、開催までに出品点数はさらに増える可能性もある。
 初公開作はほかに、2点しか現存しないとされる風景画のうちの1点「小路」と、初期作「マルタとマリアの家のキリスト」。オランダの同時代の画家の作品も出品される。」
http://www.asahi.com/culture/update/1130/TKY200711300318.html

 出品が決定している作品は、以下の6点。
「絵画芸術」=ウィーン美術史美術館蔵
「リュートを調弦する女」(「窓辺でリュートを弾く女」)=メトロポリタン美術館蔵
「ディアナとニンフたち」=マウリッツハイス美術館蔵 
「小路」=アムステルダム国立美術館蔵
「ワイングラスを持つ娘」(1659~60年ごろ)=ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美術館蔵
「マルタとマリアの家のキリスト」=スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵
 フェルメール。なぜ、これほど魅せられるのか。

 cf.「フェルメール展」http://www.tbs.co.jp/vermeer/

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2007年12月 1日 (土)

「フェルメール展」2008年8月2日~12月14日、東京都美術館

2008年「フェルメール展」がまた開催されます。朝日新聞2007年12月1日に記事あり。フェルメールは、完全に商品化されています。
 「独特な光の質感を用いたあたたかな作風や現存する作品の少なさなどで知られる17世紀オランダの画家、ヨハネス・フェルメールの作品を中心に紹介する「フェルメール展」(仮称)が、来年8月から上野の東京都美術館で開かれる。
 本展覧会では、「小路(The Little Street)」(アムステルダム国立美術館蔵)や「ワイングラスを持つ娘(TheGirl with the Wineglass)」(ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ公美術館蔵)など日本初公開3点を含むフェルメールの作品6点以上を展示予定です。日本で一度に紹介されるフェルメールの作品数としては過去最多となります。世界中に三十数点しか現存しないフェルメールの作品をまとめて見られる機会は少なく、またとない貴重な機会となります。
 また、フェルメールが生まれ育ったオランダの小都市デルフトを中心に活躍した画家たち、カレル・ファブリティウスやピーテル・デ・ホーホらの作品も公開予定です。フェルメールの芸術をはぐくんだ17世紀中葉の「デルフト・スタイル」の潮流を見ることができます。」朝日新聞asahi.com2007年11月30日
cf.「フェルメール展」http://www.tbs.co.jp/vermeer/

2007/12/01

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「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」国立新美術館・・・フェルメール展コンサート

Vermeer_2007Johannes_vermeer__de_melkmeid大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
図書館に行き、乃木坂に行く。夕暮れの美術館に行くと、ロビーでコンサートのリハーサル中。
展示室から出てくるとコンサートが始まる。17世紀のバロック音楽の古楽器によるコンサート、リコーダー、チェンバロ、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ。上野学園大学の先生たちによる演奏で、太田光子(リコーダー)、戸﨑廣乃(チェンバロ)、金子浩(リュート)、櫻井茂(ヴィオラ・ダ・ガンバ)。
 J.B.ルイエ『ソナタ第3番』他、甘美な音楽を演奏している。ルネサンスの音楽、ゼフィレッリ『ロミオとジュリエット』、『恋に落ちたシャイクスピア』の音楽を思い出す。 偶然、聴くことができ僥倖、「『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌」に行こうと思っていたが、取り止める。 
 古楽はホグウッド指揮エンシェント管弦楽団、ヤープ・シュレーダー(Vn)、バッハ「ヴァイオリン協奏曲第1番2番、2つのヴァイオリンのための協奏曲」が美しい。

 「君はフェルメールを見たか」(『Brutus』1996.8/15.9/1号)で全作品が紹介されたころから、フェルメールが流行っている。
 人がフェルメールを見たがる理由は何か。「フェルメールのどこがいいのですか」多くの人にこの問いを聞いているが、明確な答は返ってこない。ラピスラズリのブルー。写実主義。近代的な光。「それが何故いいのですか」

 私は決して「フェルメール全点踏破の旅」には出ないだろう。私は「失われたレオナルドの作品探求の旅」に出たい。2007/11/30
――
スペインからの独立を果たした17世紀のオランダでは、未曾有の経済的発展を背景に、富裕な市民階級が台頭しました。現実的な生活感覚を有する市民たちの趣味は美術の分野にも反映され、風景画や静物画と並んで、日常生活の情景を描き出した風俗画が流行します。
本展は、オランダ美術の宝庫として知られるアムステルダム国立美術館の膨大なコレクションから、ヨハネス・フェルメール、ヤン・ステーンなどオランダ17世紀を代表する画家たちの作品や、外光と大気の表現に鋭い感性を示した19世紀のハーグ派の画家たちの写実的な作品など、油彩画40点、水彩画9点、版画51点を厳選して、17世紀初めから19世紀末までのオランダ風俗画の多様な展開を紹介します。加えて、豪華な工芸品16点の展示により、オランダ上流市民の豊かな暮らしぶりをうかがいます。
また、本展で特筆すべきは、フェルメールの代表作のひとつ《牛乳を注ぐ女》が、日本初公開されることです。台所の片隅で家事労働にいそしむ使用人の女性が、堂々たる存在感と永遠性を持って描き出されたこの作品は、30数点しか現存しないフェルメールの作品のなかでも、とりわけ高く評価されてきました。同じく台所を主題にした他の画家たちの風俗画も数多く出品される本展は、《牛乳を注ぐ女》の特質、それが生み出された背景、その後の風俗画に与えた影響などを明らかにする、またとない機会となるでしょう。また、リュートなどの古楽器(*)を展示するとともに、フェルメールの画業を紹介するコーナーも設けます。ぜひご覧ください。

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アムステルダム国立美術館所蔵 フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展、国立新美術館 2007年9月26日(水)〜12月17日(月)         
http://www.nact.jp/exhibition_special/2007/vermeer/ 

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