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2008年3月

2008年3月23日 (日)

『ライラの冒険 黄金の羅針盤』・・・守護精霊をもつ者、運命の羅針盤はどこに

Golden_compass_ver23_xlg_2Golden_compass_ver3_xlg大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
新宿ミラノ座にて。ダイモンをもつ者たちとマジステリアム(教権)の戦いの物語である。現実の世界とは似て非なる平行世界が、現実の世界の比喩となっている。マジステリアム(教権)が支配する世界は、宗教が支配する世界である。
ダイモン(守護精霊)は魂であり、黄金の羅針盤は知恵の象徴である。
マジステリアム(教権)とダイモン(守護精霊)をもつ者たちの戦いは、階級社会と自由な社会の戦いである。だが、自由な社会はやがて時がたつと特権階級がうまれ、新たな階級社会ができる。
この作品は「宗教組織の教条主義や、宗教による抑圧に対する批判」を含んでいる。大人が見ても楽しめる。子供だましの『ハリー・ポッター』、『ナルニア国物語』とは異なる。

『ライラの冒険 黄金の羅針盤』・・・守護精霊をもつ者、運命の羅針盤はどこに

■物語
物語の舞台は、パラレルワールド、私たちの世界と似て非なるもう一つの世界、イギリス・オクスフォード。
12歳の少女ライラは、何者かに連れ去られた親友ロジャーを探すために、北の国へと冒険の旅に出る。
その手には、真実を示す「黄金の羅針盤」。肩には守護精霊のパンタライモンを連れて。
怪奇な美女コールター夫人、空飛ぶ魔女族、気球乗り、そしてよろいグマ。敵か味方かわからない人たちと出会い、北へと進むライラ。旅の行く末には、全世界を巻き込む運命が待ち受けている。
■His Dark Materials:The Golden Compass
監督・脚本:クリス・ワイツ
原作:フィリップ・プルマン
出演:ダコタ・ブルー・リチャーズ、ニコール・キッドマンNicole Kidman、ダニエル・クレイグ、エヴァ・グリーン、サム・エリオット
http://movie.goo.ne.jp/special/lyra/index.html
★ニコール・キッドマン、妖しい美人女優、魔女、美しい悪女を怪演していて、楽しめる。冷たい月を抱く女』(1993)、『誘う女』(1995)における最悪の悪女を思い出させる。幸か不幸か、私は溺れるほどに美しい女性には、出会ったことはない。
★あなたの好きな美人女優はだれ?

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2008年3月12日 (水)

『ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜』・・・愛と美の女神の歴史

Tiziano_venere_di_urbino_1535_uff_2古代ギリシアから、ローマ、ルネサンス、マニエリスム、バロックにいたる、2000年に及ぶ愛と美の女神をめぐる展覧会。
初日に見る。『ウルビーノのヴィーナス』の前には、一人も人がいない。イタリアの美術館のように、一人で時間を楽しむことができる。フィレンツェで3度『ウルビーノのヴィーナス』をみた、見る価値がある。イタリア各地の美術館から美術品が集められている。
■ティツィアーノ・・・幸運な画家
16世紀ヴェネツィア派の最盛期、最大の画家。フィレンツェ派とヴェネツィア派の対立は、「レオナルド、ミケランジェロの素描」と「ティツィアーノの色彩」の対立であった。
美術史上最も長寿な藝術家の一人。人生のそれぞれの段階を経て変化しながら成長しつづけ、晩年に頂点を極める。まれにみる幸運な画家である。若くして死んだジョルジョーネの後をつぎ、絵を描きつづける。
ジョルジョーネの後半生を生きた。未完のジョルジョーネの作品『眠れるヴィーナス』(1510)を完成させる過程で、詩情を身につけた。
1540年代、神聖ローマ帝国カール5世がパトロンになり、スペイン王フェリペ二世が顧客となった。
バロック時代のルーベンス、ベラスケス、レンブラントに影響を与え、ロマン派のドラクロワ、ゴヤ、印象派、マネに影響を与えた、近代絵画の先駆者である。
■ルネサンスの巨匠たち・・・不運な人生
これに対して、ルネサンスの偉大な藝術家たちは、不運な人生を生きた。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ。
運命と戦い、運命と対峙し、運命に彷徨い、運命に死んだ藝術家である。
私は、運命と戦い対峙した藝術家に、深く共感する。
■ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1538
ティツィアーノ48才ころ、円熟期の作品。ティツィアーノの最高傑作。
えがかれたのは「女か、女神か」をめぐって諸説ある。蠱惑的な、誘惑するまなざしは、ヴェネツィアの高級娼婦を思わせるが、人をひきつけ魅惑する迫力は、ルネサンス藝術の一つの頂点である。
古代ギリシアから、アプロディーテは、人を魅惑し誘惑する、美と愛の女神である。
古代から、ラテン語で、ウェヌスには、女性性器の意味がある。アフロディシアは性行為の意味。
■展示作品の一部 紀元前5世紀、古代ギリシアから、17世紀バロックまで
「有翼のエロス」赤像式アプリア 紀元前5世紀
「ドイダルサスのアプロディーテ」 ローマ時代の模刻 1世紀
「メディチ家のアプロディーテ」
ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1538
「眠るエロス」 2世紀
――
本展では、古代、ルネサンス、そしてバロック初めに至るまでの、ヴィーナスを主題とする諸作品を展示します。ヴィーナスの神話が、いかに古代の芸術家の霊感を刺激したのか、そして古代文化が再生したルネサンスにおいて、どのようにヴィーナスの図像が復活、発展したのかを、約70点の絵画、彫刻、工芸品等によって辿ります。特に今回は、フィレンツェ美術館特別監督局の全面的な協力により、ヴェネツィア派を代表する画家ティツィアーノの名品《ウルビーノのヴィーナス》をウフィツィ美術館よりお借りすることが可能となりました。フィレンツェ以外からも、イタリア各地からヴィーナスを表わした選りすぐりの作品が貸し出される予定です。
愛と美の女神であるヴィーナスは、もとは古代の女神でした。多くの神話において主要な登場人物であった彼女は、神話の一場面として他の神々と共に表わされることもあれば、単独で表わされることもありました。そして彼女の傍らには、しばしばその息子キューピッドも登場します。
彼女はルネサンスの時期にほかの神々とともに美術のモティーフとして復活します。古典文学の復興と相まって、彼女は多くの美術作品に登場するようになりました。フィレンツェでは哲学的な議論を背景として、ヴィーナスは慎み深く表現されましたが、ヴェネツィアでは官能的なヴィーナスの表現が発達します。その代表が《ウルビーノのヴィーナス》です。本展では、ティツィアーノ、ブロンズィーノ、ポントルモらによる、ヴィーナスのさまざまな現れようをご鑑賞ください。国立西洋美術館
――
★『ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜』
国立西洋美術館、2008年3月4日~5月18日
http://www.venus2008.jp/

★ギリシア神話についての問題
1、アプロディーテとは何ですか?
2、エロスとは何ですか?
3、パリスの審判とは何ですか?
4、3美神とは何ですか?
5、アモールとプシュケーの物語とは何ですか?

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2008年3月 8日 (土)

海辺の学校・・・最後の授業

Garbera_shena外房の海岸に行き、潮騒のとどろく海辺の学校で、講義をしている。
海辺の学校で、「小論文講義」の授業をしている。
ある日は、森有正『遥かなノートルダム』、『星の王子さま』の一節を使って、「美とは何か」を講義する。
教室に、海から潮騒のとどろきが聞こえてくる。
早春の日の海は、北斎の海のように美しい。
授業が終わると、夕暮れの光をあびて、海が紅く染まっている。
文章の極意は「事実ではない。何を証明できるか」である。
考えることは、感動することである。
目にみえる風景、絵画の中の世界、物語、歴史の世界を手がかりに、見えない抽象的な議論を考えることを教える。考える授業である。
■最後の授業
今日は最後の授業である。
私の論文『国家は滅びても、都市は滅びない』を用いて、「ヨーロッパ文化の三つの様式」、「国家とは何か」について、講義する。
今日は、厳粛な空気に包まれる。生徒たちは勢揃いしている。アルフォンス・ドーデ『最後の授業』のようである。生徒は高校2年生、17才である。
■講義依頼
 私個人に指名でときどき講義の依頼がくる。講義の依頼があれば、基本的にはどこにでも行き講義するのである。
 「先生の授業は、面白い、分かりやすい、楽しい、深い」と受講記録に書いてくる学生たちが多い。が、ある女子は「先生が、面白い」と書く。多くの学生は「また先生の授業を受けたい」と書いている。
 「先生のように世界を旅して美を探したい」と書く女子がいた。
 教師自身が、学問・藝術の楽しみを知っているということが、教育の条件だと私は考えている。知ることの歓びは、波動であり、波のように心から心へと、伝わっていくのである。
■花束
 今日は授業の終わったあと、生徒たちから花束を渡された。ガーベラの花束である。
 卒業式に、花束を渡されることはよくある。だが、通常授業で花束を渡されるのは初めてである。予想外のことであり、不覚の涙を禁じえない。教室で、思わず涙がこぼれた。
 ガーベラの花言葉は「崇高な愛、崇高な美、神秘」である。
■壽萬亀(じゅまんがめ)
 講義終了後、A校長と、晩餐の約束である。A先生は、横浜時代から交流がある。先生は70才、平家物語が専門である。しばし、別れの盃である。
 「今日、花束をもらいました。最初で最後ですね」
 「レオナルド先生、人気ありますねえ。私なんか45年間、教壇に立っているけれど、花束貰ったことないですよ。」
 黒鯛、ぶり、槍烏賊、蛸、黒鮪の刺身、赤むつを焼き、蕗の薹、海老の天麩羅、菜の花など食べ、壽萬亀を飲みながら歓談する、海辺の春の宵である。
 横浜かどこかで、A先生と再会することを約して、盃を交わす。A先生は、駅まで送ってくれた。
 深夜、夢とうつつの境で、東京湾を渡り、東京駅八重洲口につく。
 この授業は来期も依頼されていて、またこの学校に来る予定である。

☆壽萬亀(じゅまんがめ)、純米吟醸
http://www.awa.or.jp/home/kameda/index.html
★あなたは思い出に残る授業がありますか?

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2008年3月 2日 (日)

ルーヴル美術館展 フランス宮廷の美・・・ルイ15世、ロココ様式、フランソワ・ブーシェ、ジャン=オノレ・フラゴナール

Louvre-2008-ponpadour
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
《ポンパドゥール侯爵夫人の肖像》フランソワ・ブーシェ(1750年)。 18世紀フランス宮廷の文化。たとえば、純銀製の枝つき燭台(candelabra)。ロカイユ様式から新古典主義様式へ、これがどのように変化したか。なぜ新古典主義が生まれたのか。
宮廷文化は、うんざりするほどロココ様式である。心のない装飾は飽きる。日本の宮廷文化もロココである。「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝」は腐敗した文化の集積である。
文化の本質は装飾である。だが、制度に守られ、宮廷人が物欲に溺れるとき、玩物喪志、飽食の果てに文化は死滅する。ロココ様式の代表的画家はフランソワ・ブーシェ、軽薄の極みである。
新古典主義は、キリスト教と無知と権力に対する戦いの様式である。
ルイ16世の時代、アンシャン・レジーム(旧制度)に対する戦いは、装飾様式においてすでに始まっていた。
フランス革命は、新古典主義から始まった。これが展開するとナポレオンの皇帝様式になる。
新古典主義様式の「猫脚付き家具」、黒檀、真鍮と鼈甲の象嵌細工をみると、ジャンニ・ベルサーチのデザインと酷似している。黒檀の板に金色の列柱の装飾。古代ギリシアの様式が刻まれている。
新古典主義様式の代表的画家はジャック・ルイ・ダヴィッド、バスティーユ牢獄襲撃にも加わり、ジャコバン派の革命家である。
レオナルドは、古典主義者であることは言うまでもない。
大久保正雄「旅する哲学者、美への旅」
――
ロココ様式、装飾藝術、ルイ15世・・・フランソワ・ブーシェ、ジャン=オノレ・フラゴナール
バロックに続く、時代の様式。ロココはロカイユ(rocaille)に由来する言葉である。ロカイユは岩の意味で、バロック時代のグロット(庭園洞窟)に特徴的な貝殻で装飾された岩組を指したが、そこから転じて、1730年代に流行した、貝殻の曲線を多用したインテリア装飾をロカイユ装飾(ロカイユ模様)と呼んだ。
ルイ15世の時代、ポンパドゥール夫人(1721年 - 1764年)を中心とするサロン文化の最盛期にロココ様式は流行し、デュ・バリー夫人の時代まで続いた。
アカデミーのサロン(サロン・ド・パリとも呼ばれ1725年に第1回が開催)が定期的に開催され、美術品が広く鑑賞されるようになった。
アントワーヌ・ヴァトー、フランソワ・ブーシェ、ジャン・オノレ・フラゴナール。ヴァトーはロココ前期(1710-20年代)、ブーシェはロココ盛期(1730-50年代)、フラゴナールはロココ後期(1760-80年代)の代表的な画家とされる。
ヴァトーが1717年にアカデミーに「シテール島への巡礼」を出品した際には「雅宴画(フェート・ギャラント)」の画家として承認された。
オーストリア女帝マリア・テレジアが宮廷建築家ニコラウス・パカッシに命じてシェーンブルン宮殿をロココ様式に改築させた。「マリア・テレジア・イエロー」と呼ばれる黄色で壁面が覆われた。
大久保正雄「旅する哲学者、美への旅」
ルーヴル美術館展 フランス宮廷の美・・・ルイ15世、ロココ様式、フランソワ・ブーシェ、ジャン=オノレ・フラゴナール
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I 最愛王・ルイ15世の時代
  (1) 装飾への情熱 (2) 宮廷生活 (3) 新しい趣味、ポンパドゥール侯爵夫人
II ルイ16世の時代
  (1) 新古典主義 (2) 最後の王妃 
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■ベルサーチ
ベルサーチの故郷、レッジョ・ディ・カラブリアは、紀元前8世紀、ギリシアの植民都市レギオン(Rhegion)として建設された。古代ギリシア文化の香りがする地である。
2000年、トルコ一周の旅に出た時、イスタンブールの5☆ホテル、インターコンチネンタル・イスタンブールに4日宿泊したが、ここにはベルサーチのデザインによる家具が置かれていた。
■2月15日、金曜日夕方、「ルーヴル美術館展 フランス宮廷の美」東京都美術館をみて、乃木坂に向かい、
国立新美術館にて「文化庁メディア芸術祭」、「没後50年 横山大観」中期展示、2回目、みる。ここで偶然、知人の建築家夫妻に出会う。
金曜日夕方、美術館は、人がいない。人垣はない。『生々流転』ゆっくりと見る。
■2月22日、金曜日夕方、「没後50年 横山大観」後期展示、3回目、をみる。
金曜日夕方、美術館は、人がいない。『生々流転』巻末、黒雲の中に龍が隠れている。ゆっくりと見る。
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「ルーヴル美術館展 フランス宮廷の美」東京都美術館、2008年1月24日(木)~4月6日(日)
《ポンパドゥール侯爵夫人の肖像》フランソワ・ブーシェ 1750年頃
https://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2008_01louvre.html#naiyo
http://www.asahi.com/louvre08/

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