「巨匠たちの日本美術」(2)・・・若冲と簫白、奇想派の画家たち
「対決-巨匠たちの日本美術」東京国立博物館には、三度、行った。人の少ない博物館で見ても、この展覧会は三時間を要する。
ここで衆目の目にさらされた若冲と簫白は、人々の驚嘆の的であり、瞠目を集める画家である。18世紀異端の画家、奇想派である。この二人は、ほぼ同時代、十八世紀を生きたが、全く異なる生涯を生きた。
■若冲と簫白
若冲と簫白は圧巻である。これだけでもこの展覧会は見る価値がある。
伊藤若冲『仙人掌群鶏図』(大阪・西福寺)重要文化財
伊藤若冲『雪中遊禽図』個人蔵
伊藤若冲『旭日鳳凰図』宮内庁三の丸尚蔵館蔵
曽我簫白『群仙図屏風』(文化庁)重要文化財 *1765?
曽我簫白『唐獅子図』(三重・朝田寺)重要文化財
曽我簫白『寒山拾得図』個人蔵
曽我簫白『鷹図』 1幅 明和元~4年(1764~67)頃 兵庫・香雪美術館蔵
■伊藤若冲・・・濃密な鶏、幻想と写実
伊藤若冲(正徳6年1716年-寛政12年1800年)は、京都・錦小路の青物問屋「枡源」の跡取り息子として生まれる。「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常から与えられた居士号である。大典顕常『藤景和画記』によると、若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかった。商売に熱心でなく、芸事もせず、酒もたしなまず、生涯、妻もめとらなかった。40歳の宝暦5年(1755年)には、家督をすぐ下の弟に譲ってはやばやと隠居、念願の作画三昧の日々に入った。以後、85歳の長寿を全うするまでに多くの名作を残している。
鶏と鳥獣にこだわり、異様な絵画世界を構築した。
■曽我簫白・・・怪異なる仙人、18世紀異端の画家
曽我簫白(享保15年1730年-天明元年1781年)は、6歳で天涯孤独、生家は紺屋。16歳までに家族を失った。このことが簫白の作品に大きく影響を与えた。作品の根底にあるのは、人生の不合理に対する怒りである。青年時代は陽明学過激派。陽明学左派は「狂」を重んじる。狂とは俗世の常識を逸脱することある。それが聖人への道であるとした。この思想のもと、簫白は狂人を演じた。(cf.狩野博幸『曾我蕭白―荒ぶる京の絵師』)
51才で亡くなった画家は、世に知られることなく、200年の歳月に埋もれた。
曽我簫白『群仙図』は、醜悪なる傑作。醜悪きわまる極彩色の幻想である。蝦蟇仙人は、美女が耳かきするわきで不気味な笑を浮かべ、蟇蛙が上に乗っている。だが、200年の歳月をへて、昨日描かれたように、生き生きとしている。
若冲と簫白、対極の人生を生きた画家だが、競争激しい商家に生まれ、血生臭い現実から逃避しつつ極彩色の幻想を画く心には、苦悩が感じられる。
★あなたの好きな奇想の画家はだれですか?
ギュスターブ・モロー、カルロ・クリヴェリ、カルロ・ドルチ、
雪村、蘆雪、若冲、簫白
★「対決-巨匠たちの日本美術」(1)
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_ebce.html 曽我簫白『群仙図屏風』
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