« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2008年8月

2008年8月17日 (日)

「巨匠たちの日本美術」(2)・・・若冲と簫白、奇想派の画家たち

Go_637_07Go_637_08_2 「対決-巨匠たちの日本美術」東京国立博物館には、三度、行った。人の少ない博物館で見ても、この展覧会は三時間を要する。
ここで衆目の目にさらされた若冲と簫白は、人々の驚嘆の的であり、瞠目を集める画家である。18世紀異端の画家、奇想派である。この二人は、ほぼ同時代、十八世紀を生きたが、全く異なる生涯を生きた。
■若冲と簫白
若冲と簫白は圧巻である。これだけでもこの展覧会は見る価値がある。
伊藤若冲『仙人掌群鶏図』(大阪・西福寺)重要文化財
伊藤若冲『雪中遊禽図』個人蔵
伊藤若冲『旭日鳳凰図』宮内庁三の丸尚蔵館蔵
曽我簫白『群仙図屏風』(文化庁)重要文化財 *1765?
曽我簫白『唐獅子図』(三重・朝田寺)重要文化財
曽我簫白『寒山拾得図』個人蔵
曽我簫白『鷹図』 1幅 明和元~4年(1764~67)頃 兵庫・香雪美術館蔵
■伊藤若冲・・・濃密な鶏、幻想と写実
伊藤若冲(正徳6年1716年-寛政12年1800年)は、京都・錦小路の青物問屋「枡源」の跡取り息子として生まれる。「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常から与えられた居士号である。大典顕常『藤景和画記』によると、若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかった。商売に熱心でなく、芸事もせず、酒もたしなまず、生涯、妻もめとらなかった。40歳の宝暦5年(1755年)には、家督をすぐ下の弟に譲ってはやばやと隠居、念願の作画三昧の日々に入った。以後、85歳の長寿を全うするまでに多くの名作を残している。
鶏と鳥獣にこだわり、異様な絵画世界を構築した。
■曽我簫白・・・怪異なる仙人、18世紀異端の画家
曽我簫白(享保15年1730年-天明元年1781年)は、6歳で天涯孤独、生家は紺屋。16歳までに家族を失った。このことが簫白の作品に大きく影響を与えた。作品の根底にあるのは、人生の不合理に対する怒りである。青年時代は陽明学過激派。陽明学左派は「狂」を重んじる。狂とは俗世の常識を逸脱することある。それが聖人への道であるとした。この思想のもと、簫白は狂人を演じた。(cf.狩野博幸『曾我蕭白―荒ぶる京の絵師』)
51才で亡くなった画家は、世に知られることなく、200年の歳月に埋もれた。
曽我簫白『群仙図』は、醜悪なる傑作。醜悪きわまる極彩色の幻想である。蝦蟇仙人は、美女が耳かきするわきで不気味な笑を浮かべ、蟇蛙が上に乗っている。だが、200年の歳月をへて、昨日描かれたように、生き生きとしている。

若冲と簫白、対極の人生を生きた画家だが、競争激しい商家に生まれ、血生臭い現実から逃避しつつ極彩色の幻想を画く心には、苦悩が感じられる。

★あなたの好きな奇想の画家はだれですか?
 ギュスターブ・モロー、カルロ・クリヴェリ、カルロ・ドルチ、
 雪村、蘆雪、若冲、簫白
★「対決-巨匠たちの日本美術」(1)

http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_ebce.html
Syouhaku_2_2 曽我簫白『群仙図屏風』

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年8月14日 (木)

「Nostalgie マグナムの写真家たちが見つめたパリ」・・・星のまたたく夜、銀座にて

Magnum 8月10日、雷鳴の鳴る午後、銀座に行く。美術ブロガーの集まりがあり、シャネル・ネクサス・ホールにて「Nostalgie マグナムの写真家たちが見つめたパリ」を見る。
■美しいカフェテラス
パリ、ヨーロッパの都市には、美しいカフェテラスがある。たとえば、ゴッホ『夜のカフェテラス』(Gogh:Cafe Terrace at Night)という名作がある。これはアルルのカフェテラスである。現在も、変わらぬ姿でこの地に残っている。ローマにも、ヴェネツィアにも、プラハにも、美しいカフェテラスがある。
何故、日本には美しいカフェテラスがないのか。それは、日本の都市に美意識がないことが原因であり、日本人の行動様式、社会構造が原因である。結論をいうと、現代日本人には美意識がないのである。
■美術ブロガーの宴
美術ブロガーの集まりは、女性が多い。12名ほど集まった。この会は、わん太夫さんの招集する会である。
スカーレット・ヨハンソンの話題がでたが、私は聞いていなかった。
写真展をみて、その後、銀座Villa Oriental にて、宴をひらく。
ここで、ウルトラマリンさんと会い、彼女に私の論文『魂の美学 プラトンの対話編における美の探求』をわたした。
『エロースとプシューケー』の絵画は、「こころの眼でしか見えないプシューケーのエロースへ愛」を表していることをウルトラマリンさんに話した。
■『写真展 Nostalgie マグナムの写真家たちが見つめたパリ』
09/08/2008 - 07/09/2008
シャネル・ネクサス・ホール
東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビル4階
11:00~20:00
http://www.chanel-ginza.com/nexushall/2008/nostalgie/index.html
Gogh4

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年8月11日 (月)

『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』、『クリスタル・スカルの王国』・・・果てしなき探求

Indy_jones_lastcrusadeposter_1Indy_jones_03Indy_jones_1989Petratreasuryrockcutindianajones2大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
『インディ・ジョーンズ』シリーズで、最も好きなのは、『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』1989である。ヨルダン、ペトラ遺跡、エル・カズネの神殿に行くことが私の夢である。
第4作は、「クリスタル・スカル」(水晶髑髏)をめぐって考古学者のインディらとソ連軍が争奪戦を繰り広げる。秘宝と謎をめぐる冒険である。クリスタル・スカルを13個集めると、力を掌握できるという伝説がある。
■冒険物語に不可欠な要素
冒険物語に欠くことができない要素は、謎解きと秘宝探しと美女である。魅力的な主人公、探検家が不可欠であることはいうまでもない。そして、強敵と底なし沼の危険である。
インディ・ジョーンズは、不幸な出来事に次々と襲われる。レモニー・スニケットの『世にも不幸せな物語(Lemony Snicket's A Series of Unfortunate Events)』のようである。一難去って、また一難。
苦労して探し出した秘宝は、敵に横取りされる。まるで業績を、悪質な上司に横取りされるサラリーマンのようである。
謎の背後には、謎が現れる。謎は、より深い謎に飲み込まれなければならない。永遠に解けない謎が、物語の根底にある。
■1950年代の大学の講義風景
1950年代のアメリカの大学の講義風景がでてくる。インディ・ジョーンズが考古学の講義をする場面である。雰囲気あるアカデミックな大学の場面である。イェール大学(Yale University)で撮影されたが、この上なく美しい風景である。
■果てしなき探求
探検家は、探求に意味がある。秘宝の存在は前提条件だが、それ以上に探求が重要である。老人のインディ・ジョーンズは、結婚式を挙げる。これは『インディ・ジョーンズ』シリーズの終わりを意味するのだろうか。ルーカスフィルムとパラマウントはシリーズ開始時に全5作の映画化契約を交わしていると言われるが、第5作は製作されるのだろうか。
砂漠の倉庫の中に、失われた『聖櫃』が垣間見えた。
★『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』1989
★「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」2008年。
米ソ冷戦下の1957年。南米アマゾンの山奥に眠る秘宝クリスタル・スカルを巡って、考古学者インディ(ハリソン・フォード)とソ連の精鋭部隊が争奪戦を繰り広げる。製作総指揮ジョージ・ルーカス、製作フランク・マーシャル、監督スピルバーグ、音楽ジョン・ウィリアムズ。脚本「宇宙戦争」のデビッド・コープ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 5日 (火)

闇のなかに林立する観世音菩薩・・・せみ時雨の夕暮、法隆寺宝物館にて

Go_631_01 せみ時雨が激しい夕方、森の中を歩き、法隆寺宝物館に向かう。美術倶楽部のK氏と待ち合わせる。ここは、都会の秘密の礼拝堂である。
観世音菩薩、三十六體、が闇の中に林立している空間である。阿弥陀三尊像、菩薩半跏思惟像、如來像、摩耶夫人及び天人像もここに眠っている。1400年の時の彼方から、飛鳥時代の魂が語りかけてくる。
ここは精神力をたかめる霊的空間である。ここで真言(mantra)を唱えると、霊力を発揮する。
研究上のこと、仕事のこと、浮世のこと、悩みはつきない。仕事をしていると、様々な敵、邪悪な者に、出会う。 様々な場所で仕事をしていて、ときどき感じることは、この世には惡が存在するということ、である。
敵を倒すために、あるいは宿願を祈ると、怨敵調伏、宿願成就が実現する。「念ずれば花開く」である。
国宝室に、空海『風信帖』(教王護国寺)が展示されている。K氏と共に、ゆりの木の巨木の下を歩いて国宝室に向かう。
★東京国立博物館、法隆寺宝物館
http://www.tnm.go.jp/jp/guide/map/horyujiHomotsukan.html
02

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 3日 (日)

月の輝く夜に、百合の花が咲く・・・夏の花は夏に甘い香りを放つ

2006 庭に百合が、約五十株咲きました。
イタリア糸杉の木の下で、百合の花がゆれています。
イタリア糸杉は、ギリシアの世界遺産、アポロンの聖域で採集してきた種子をまいて、育てた木です。
ゴールデン・カサブランカは、黄金色の百合で、強烈な芳香を放ちます。 今年は、一茎に十五輪、花を咲かせました。
シェイクスピア『ソネット』に次の詩があります。

夏の花は、夏に甘い香りを放つ
実りなくひそかに生き枯れていくのに
だが一たび忌まわしい病にかかると
卑しい野の花よりも惨めな姿をさらす
なぜなら、どれほど美しくとも行い次第で醜いものになるのだから
腐った百合は野の花よりも悪臭を放つ
The summer's flower is to the summer sweet,
Though to itself it only live and die,
But if that flower with base infection meet,
The basest weed outbraves his dignity:
For sweetest things turn sourest by their deeds;
Lilies that fester smell far worse than weeds.
ギリシア神話では、百合は神々の長であるゼウスの妻ヘラの乳から生まれた花といわれる。ヘラの乳房から白い乳が四方に飛び散り、天に散った雫は天の川になり、地上に落ちた雫が白い百合の花になった。
月の輝く夜に、イタリア糸杉は、日本の真夏の猛暑のなかで、地中海の微風を懐かしく思い出している。
★あなたの好きな夏の花は何ですか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »