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2008年10月

2008年10月19日 (日)

「西洋絵画の父 ジョットとその遺産展」損保ジャパン東郷青児美術館・・・雪のアッシジの思い出

San_francesco_20040922私は、10年前、雪のイタリアで考えた疑問を思い出した。
10月10日夜、美術ブロガーの集まりがあり、美術史家、池上英洋氏を招いてギャラリートークを行った。池上氏は、レオナルド・ダ・ヴィンチの専門家である。14世紀のイタリア絵画を前にして、講義をきくのは稀なる経験である。 
■雪のアッシジで考える
 私がはじめてアッシジを旅したのは1998年秋である。この時、フィレンツェで目覚めるとトスカーナは吹雪で、アッシジは雪におおわれ、サン・フランチェスコ大聖堂は、厳粛な空気に包まれていた。下の院に行くと、サン・フランチェスコの遺体が安置されている空間がある。上の院にはジョットの壁画が壁面を埋めつくしている。
 私は、プラトンの哲学を愛し、ギリシア美術を愛している。プラクシテレス『蜥蜴をころすアポロン』、レオカレス『ベルヴェデーレのアポロン』から、レオナルド『レダ』『ヨハネ』まで、なぜこれほどの時間を要したのか。
 ギリシア彫刻の黄金時代、紀元前350年からジョットの時代まで1700年の歳月が流れた。さらにジョットからボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』まで、150年。これほどの歳月を必要とした原因は何なのか。
■「池上英洋教授:ジョットとその遺産展 ギャラリートーク」
池上氏の解説要旨は、以下のようなものである。
 1、ジョットとジョッテスキ
 2、旅する画家、ジョット
 3、ジョットとチマブーエの対比
 4、フレスコ画の技法について
 5、キリスト教のシンボリズム
 6、サン・フランチェスコ、没後2年の列聖
 先生から「ジョットとチマブーエの対比」「ジョットとマザッチョの対比」この2つの対比から考えるようにという指示があった。
■ジョットとジョッテスキ:Giotto E I Giotteschi
 この展覧会は、ジョットとその弟子たちジョッテスキ(Giotteschi)、と呼ばれるべきものである。弟子には、ダッディ、ガッディがいる。14 世紀フィレンツェのジョット派である。
 ジョットの弟子の一人が、ベルナルド・ダッディ(Bernardo Daddi, 1280-1348)である。『携帯用三連祭壇画』Triptych (Bigallo)は、ジョットの重厚な画風に色彩を施し、甘美な趣を漂わせている。この作品の他、『磔刑図』が展示されている。
 ジョットの弟子タッデオ・ガッディ(Taddeo Gaddi, 1300-1366)の子が、アーニョロ・ガッディである。アーニョロ・ガッディ(Agnolo Gaddi, 1350-1396)の作品は、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂の聖歌隊席のフレスコ画、多翼祭壇画の「キリスト磔刑」(ウフィッツィ美術館)がある。ジョルジョ・ヴァザーリ『イタリアの至高なる画家・彫刻家・建築家列伝』の中に、アーニョロの伝記がある。
■旅する画家、ジョット
 ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone, 1267-1337)は、フィレンツェ生まれ。アッシジ、ローマ、リミニ、パドヴァ、ナポリ、ミラノ、フィレンツェなど各地で制作している。弟子のダッディとガッディは同行したが、それぞれの場所で画家を集め工房を組織して制作した。各地の画家が参加しジョットの技法を学んだ。これによってルネサンスの先駆であるジョットの画法がイタリア各地に伝播した。
 ダンテの『神曲』の一節「ジョットのためにチマブーエの名声が霞んでしまった」という言葉が引用されている。第一人者チマブーエの業績を超えたのがジョットである。
 今回の屈指の作品であるジョット「聖母子」(聖セテファーノ・アル・ポンテ聖堂附属美術館蔵)をみると、膝の立体的な形、頬のふくらみが立体的に描写されている。これがジョット様式と呼ばれるものである。
 池上氏がBruno Santi(前ウフィッツィ美術館長)から聞いた話によると、今回来日したジョット「聖母子」は、国外不出、3日前まで極秘とされた。極秘とされたのは2007年レオナルド「受胎告知」出国の時に起きた反対運動を避けるためである。多額の保険がかけられている。
■ジョットとチマブーエの対比
 チマブーエは第一人者であったが、これを革新したのがジョットである。チマブーエの平面的な人物描写に対して、ジョットの様式は、立体的、写実的な描写、体の輪郭の柔軟さ、遠近法の空間の導入、感情表現、が特徴である。先生のレクチュアは、これをフレスコ画の技法をみることによって、ジョットの写実性を実証していた。
■フレスコ画の技法について
 剥がされたフレスコ画から、フレスコ画の技法を垣間見ることができる。
 今回展示されているジョットの「嘆きの聖母」(サンタ・クローチェ聖堂附属美術館蔵)の前で、フレスコ画制作についての説明を聞く。このフレスコ画は、1966年、フィレンツェのアルノ河の洪水で衣服の彩色が消失し、シノピア(下絵)の線だけが残っている。
 フレスコ画は、砂と石灰を混ぜて作った漆喰で壁を塗り、その上に粉の顔料で絵を描く手法である。濡れた石灰の上に顔料を乗せて描けば、石灰水が顔料を覆って空気中の二酸化炭素と反応して透明な結晶になる。顔料はこの結晶に閉じ込められて美しさを保つ。耐久性は抜群で数千年間、保たれるという。
 シノピア(sinopia)は、フレスコ画の下書きに用いられる赤褐色の顔料(酸化第二鉄)である。後でその上に描かれる画は乾かぬうちに急いで描かなければならない。シノピアの画の方の出来栄えが良いことが通例である。実例として、アッシジのサン・フランチェスコ、上の院(Basilica superiore)にあるJacobo Toritiが描いたDio Creatorの「イエス」のシノピアとフレスコの画像を比較して見ると、圧倒的にシノピアの方が優れている。
 下層の淡彩画の影をつけることをグリザイユという。グリザイユ(grisaille)とはフランス語で無彩色の明暗だけで描いた絵の総称で油絵の下地として使われる技法。グリザイユは光がつくる影の部分をグレー調の濃淡だけで描き入れ、陽があたる明るい部分はグリザイユしないで地の色をハイライトとしてそのまま残すことで陰影のある絵にする事ができる。全体を明暗でとらえ最後に着彩するのでその後の作業が楽になり、全体としての纏まりもよくなる。
 ジョルナータ(giornata)という用語についての説明があった。ジョルナータとは一日のという意味で、フレスコ画は漆喰が生乾きの時に描かなくてはならず、一日の面積をいう。ジョルナータの縁の重なりの上下を見ると描かれた順序がわかる。部分よって一日で出来る仕事の量はことなる。これを研究している学者がいる。学者は閑な商売だといわれる所以である。顔と手は多くの時間がかかることがこれによってわかる。ジョルナータの技法は、ジョットが創始したものである。
■キリスト教のシンボリズム
 聖母、聖人のアトリビュートには、キリスト教のシンボリズムがある。
 例えば、「赤いひわ」は、キリストの茨の冠の棘を抜いた時に、返り血を浴び赤い斑点が付いたと考えられ、受難の象徴とされた。
 聖ニコラウスは手に「三つの玉」を持っている。持参金がない女は、娼婦とならざるをえない三姉妹を憐れみ、金の玉を与えたことによる。
Giotto_tower ■美術史における位置づけ
 私は1998年にフィレンツェで、美術史家Marvin Eisenbergに会ったが、彼の専門はLate medieval art historyだと言っていた。ロレンツォ・モナコ(Lorenzo Monaco:1370-1425,Firenze)が専門である。(『祭壇画』Adoration of the Magi 1422 Tempera on wood, Galleria degli Uffizi, Florence、参照)
 ジョットの絵画は、ゴシック様式とよばれるが、ジョットの美術史における位置づけは何か、この点を先生に質問した。
 池上氏は、ジョットをProto Renaissance様式としてとらえている、と語った。
■「神の吟遊詩人」フランチェスコ・・・ばら色の夕暮れの町にて
 聖フランチェスコ(1181-1226)が、13世紀のイタリア人に強い影響を与えた原因は、腐敗した教会のなかにあって、貧しく美しい生きかたを示したからである。
 フランチェスコの詩『太陽の讃歌』(Cantico delle creature)に現れている心が自由なルネサンスの精神を呼び覚ましたのだろう。花咲き乱れるウンブリアの野、自由に心の翼を広げるイタリアの野の風景に、この詩は息づいている。
たたえられよ わが主 姉妹なる月と星によって
おん身は月と星を天にちりばめ
光も清かに 気高くうるわしく作られた 『太陽の讃歌』より
■「西洋絵画の父 ジョットとその遺産展」
~ジョットからルネサンス初めまでのフィレンツェ絵画~
2008年9月13日~11月9日
損保ジャパン東郷青児美術館
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index2.html
Giotto_madonna_dc Lorenzo_monaco_ador_mag 

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2008年10月13日 (月)

美の概念を定義することは難しい。・・・人間の法則(2)

Leonardo_2virg_p2_2 美の概念を定義することは難しい。・・・人間の法則(2)
It is difficult to define the concept of beuty.
美とは何かについては、自分が美しいと思えばそれでいい、という人が多い。
蓼食う虫も好き好き、である。
「美とは何か」を定義することは難しい。定義することは難しいが、主観の相違に解体されるものではない。
だが、「人は、なぜ美しいということがわかるのか」
「美とは何か」については、プラトン『ヒッピアス』『饗宴』『パイドン』『パイドロス』のなかで、探求がくり広げられている。歴史上、これを超える本はない。この書をお読み下さい。
といっても、読む人はいないでしょう。
美の定義については、15年前に私は哲学の論文を書きました。ご参照ください。

魂の美しさは、肉体の美しさより、美しい。・・・美の法則1 
「★★入門」のような、軽薄な哲学の本と称する物が、世の中に沢山あふれているが、それは贋物である。
「贋者は、贋物を好む」・・・人間の法則5
★あなたの好きな美しい風景は何ですか?
★あなたの好きな美人はだれですか?
 それは、何故ですか?

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「偉大な記録を作った人はたくさんいるが、偉大な人はほとんどいない」・・・人間の法則(1)

Firenze_autumon 「偉大な記録を作った人はたくさんいるが、偉大な人はほとんどいない」・・・「人間の法則」(1)
There are many people who made great records, but there is hardly great man in this world.
これは、人間界のあらゆる分野に応用可能である。
「偉大な業績を作った人はたくさんいるが、偉大な人はほとんどいない」・・・「人間の法則」2
「偉大な藝術作品を作った人はたくさんいるが、偉大な人はほとんどいない」・・・「人間の法則」3
「地位・身分の高い人はたくさんいるが、人間性の偉大な人はほとんどいない」・・・人間界の法則4
時には、地位が高ければ高いほど、人格は低くなる。
「組織と浄化槽は、上に行けば行くほど、汚物が浮かんでいる」
「魚は、頭から腐る」・・・トルコの諺
皆さまが働く職場では、きっと立派な人たちが活躍されていることと思うが、
世界の片隅から、この世を眺めると、私の目からは、このように見える。
★この法則、あなたはどう応用しますか。
「偉大な★★を作った人はたくさんいるが、偉大な★★はほとんどいない」

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2008年10月 1日 (水)

「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」・・・極美の世界、人間の儚さと死

John_everett_millais_9c ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-1896年)の代表作を80点網羅した画期的な美術展。これだけミレイの作品をみる機会は2度とないだろう。千歳一遇の展覧会である。
■自然と女性美の詩的表現、人間の儚さと死
ミレイは、自然と女性美の詩的表現、人間の儚さと死を、生涯にわたって追求した藝術家である。
描かれるのは「早すぎる死」「美しいが、不幸な女」である。
私が最も美しく感じ好きなのは、「オフィーリア」「マリアナ」「姉妹」「名残りの薔薇」の4点である。
■美しくて不幸な女
考えてみると、「飽食で、傲慢で、幸福な女は、醜い」ということを身をもって実感する絵画である。
名画は「美しい女が、不幸で、逆境に会うこと」を描くものである。藝術は、「美しくて不幸な女」を描く。文学でも、絵画でも、映画でもそうである。
■画中に詩あり
シェイクスピア「マリアナ」「オフィーリア」、トマス・ムーア「名残りの薔薇」他、詩を絵にしている作品が多い。絵画となった詩である。
■美女の絵に埋め尽くされている
美術マニアは、美人マニアである。これだけ美女の絵に満ちている絵画展は、めずらしい。
「ラファエル前派 Pre-Raphaelitism」「ファンシー・ピクチャー Fancy Pictures」のセクションには、美女の絵に埋め尽くされている。
だが、晩年の「スコットランド風景 Scottish Landscapes」の部も、無常観にみちていて美しい。
初期、中期の繊細で緻密な筆致の作品から、後期のヴェラスケス、レンブラント風の荒い筆使いまで、全生涯にわたる傑作を集めた展覧会。必見。
――――――――
■「英国ヴィクトリア朝絵画の巨匠、ジョン・エヴァレット・ミレイ展」
2008年8月30日(土)-10月26日(日)Bunkamuraザ・ミュージアム
オフィーリアよ永遠に
 19世紀の英国を代表する画家、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829~96年)の10代から晩年までの広い範囲の作品により、 画業の全容を紹介する本格的な回顧展。ロンドンのテート・ブリテンで2007年9月から始まった本展は、イギリスでも1898年に開催された回顧展以来、初めてのミレイの大規模回顧展である。今春、アムステルダムのゴッホ美術館で開催された後、日本に巡回。
 ミレイは、早くから天才の誉れが高く、1840年には11歳という史上最年少でロイヤル・アカデミーの美術学校への入学を許可された。 しかし、美術学校の授業や古い慣習に不満を抱き、1848年秋にダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハントらと「ラファエル前派兄弟団」を結成。革新的芸術運動の中心的役割を担い、注目を浴びる。 67歳で亡くなるまで、唯美主義的作品、子供を主題とした作品、肖像画、風景画など、新たな技法を探求しながら、幅広いジャンルの作品を手がけたミレイは、当時のヨーロッパで最も人気のある画家の一人となった。そして、1896年、亡くなる直前にはロイヤル・アカデミーの会長に選ばれた。
 本展は、今年が日英修好通商条約調印150年にあたるUK-Japan2008の公認イベントであり、代表作「オフィーリア」、「両親の家のキリスト」、「マリアナ」など、テート・ブリテンをはじめ、英国内外の主要コレクションから、油彩、素描など約80点を展示。シェイクスピアの「ハムレット」のヒロインを題材にした『オフィーリア』は、テート・ブリテンでも最も人気の高い作品の一つ。
構成
Ⅰ ラファエル前派 Pre-Raphaelitism
Ⅱ 物語と新しい風俗 Romance and Modern Genre
Ⅲ 唯美主義 Aestheticism
Ⅳ 大いなる伝統 The Grand Tradition
Ⅴ ファンシー・ピクチャー Fancy Pictures
Ⅵ 上流階級の肖像 Society Portraits
Ⅶ スコットランド風景 Scottish Landscapes
http://www.asahi.com/millais/

★あなたなら、美しくて不幸な女か、幸福な醜い女か、どちらを選びますか?
John_everett_millais_20080830Millet_ga_05_2

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