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2009年12月28日 (月)

聖地チベット、ポタラ宮と天空の至宝・・・優雅で妖艶な密教美術

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Tibet-2015
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
枯葉舞う冬の夕暮れ、美術館に行く。チベット密教は至高の地に展開した、魂の奥の院である。標高四千メートルの高地チベット。
魂の至高の境地を探求する後期密教経典『カーラチャクラ・タントラ』、その思想を表現する仏像、図像、曼荼羅の華麗な世界である。迷える大衆を仏教に引き入れるため憤怒相を現す仏、人を迷わせる明妃ダーキニー、智慧と慈悲の合一を示す雌雄が抱擁する歓喜仏、仏教の究極の形態の一つがここにある。
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【チベット密教について】
 所作タントラ、行タントラ、瑜伽タントラ、無上瑜伽タントラの四種に分けられる密教経典は、この順番でより高度な段階にあるとみなされ、チベット密教では主として4、IVを受け入れた。
1、所作タントラ 密教初期段階(雑密)で単純な儀式や作法
2、行タントラ 『大日経』などマンダラを使った瞑想の方法
3、瑜伽タントラ 『金剛頂経』や『理趣経』など本尊と一体となる密教的な瞑想修行の過程
4、無上瑜伽タントラ インド後期密教の到達点『秘密集会タントラ』、『ヘーヴァジラ・タントラ』、『カーラチャクラ(時輪)タントラ』など
 チベット密教は、多種多様な尊格を有するため、これらを整理分類する方法も発達した。一般に、仏・如来、菩薩、祖師、守護尊(イダム)、護法尊、忿怒尊、女尊、羅漢などに分けられる。うち羅漢以外には男性・女性の別がある。膨大な数に上るこれらの仏達を統合する根源的な存在として、宗派によって異なる本初仏が立てられている。ゲルク派は持金剛仏、カギュ派は金剛薩埵、ニンマ派は法身普賢を本初仏とする。

以下、チベット密教において特徴的な尊格のカテゴリーについて、いくつか簡略に述べる。
祖師
信仰上の師を重視することは、密教に一般的な考え方と言えるが、チベット密教においては師資相承を特に重視しているため、各派はそれぞれの開祖や学僧などを賛美し、没後は遺骨を祀る霊塔を建て、肖像画を作った。
守護尊
誓約をなすにあたって「守り神」の御名に掛けて誓うというチベットの古くからの風習に基づき、仏教伝来後、師から与えられた特定の仏教尊格が個々人の守護尊(イダム)とされるようになった。ほとんどが明妃を抱擁する男女合体の多面広臂像(頭や手足が複数あるもの)で、ヤブユム(父母仏)像と呼ばれる。カーラチャクラ(時輪金剛)、ヘーヴァジュラとチャクラサンヴァラ、阿閦金剛とヴァジュラバイラヴァなどの無上瑜伽タントラの本尊が代表的な尊格である。本来は伝法灌頂を受けた僧侶にのみ開帳すべきものとして、寺院では一般信徒の目に触れないようにすることが多いという。
護法神
仏教守護の善神である護法神は、インド起源のヒンドゥー教のほか、チベット土着のボン教の神々からも取り入れられたもので、タムチェンと呼ばれるボン教起源の神々はチベット風の服装で描かれる。守護尊が特定の個人や寺院の守り神であるのに対し、仏教の三宝(仏法僧)を護る仏達である。
 また、チベット密教美術において特徴的な表現形式として、寺院内の壁画、タンカ、金銅仏と密教法具が挙げられる。なかでも各種の尊格、祖師図、仏伝図などを綿、麻、絹などに描くタンカは、わが国の掛軸形式の仏画にあたるもので、色とりどりの布で表具され、信者・僧侶の観相や礼拝、堂内の荘厳と供養などに用いられる。
九州国立博物館

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■展示作品
「グヒヤサマージャ坐像タンカ」ポタラ宮、15世紀
後期密教経典のうち、最も早い8-9世紀頃に成立した『秘密集会タントラ』(グヒヤサマージャタントラ)の主尊。
「カーラチャクラ父母仏立像」14世紀前半、シャル寺
チベット密教美術の最高傑作。方便である慈悲の象徴である父と、空の智慧(般若)の象徴である母が抱き合う姿は一体となうことで悟りの世界に到達するという教えを象徴する。後期密教における忿怒尊。4つの顔にはそれぞれ3つの眼があり、24本の腕には金剛杵、鈴、斧、弓、索などが見られ、ヴィシュヴァマーター妃と抱き合っている。男性仏と女性仏が一体化して到達する悟りの境地を表現する。
「カーラチャクラマンダラ・タンカ」清代・17−18世紀、ノルブリンカ城
時間と空間を統合した究極のマンダラ世界。中央の意輪の最内部には、主尊カーラチャクラと、明妃のヴィシュヴァマーターが父母仏、周囲の八葉蓮弁には8人の女神が配されている。一番外側の第三重の身密マンダラでは大蓮華が12個描かれ、1年を象徴する。
★チベット密教美術は、インド後期密教の到達点である経典、無上瑜伽タントラ、『秘密集会タントラ』、『ヘーヴァジラ・タントラ』、『カーラチャクラ(時輪)タントラ』の世界を見える形象によって表現する。
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参考文献

聖地チベット、ポタラ宮と天空の至宝・・・優雅で妖艶な密教美術

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■展示構成
序章 吐蕃王国のチベット統一
7世紀初め、ソンツェンガンポがチベット高原を統一し吐蕃王国を建設。仏教国の唐とネパールから二人の妃を迎えた。
第一章 仏教文化の受容と発展
7世紀末のティソンデツェン王の時代に仏教が吐蕃王国の国教とされると、周辺仏教国から僧侶、仏像、経典がチベットに流入した。
第二章 チベット密教の精華
9世紀中頃ランダルマ王が仏教を廃し、その後暗殺されたのを契機に吐蕃王国は混乱し滅亡。仏教も迫害される。10-11世紀頃からチベットは再び仏教(後期密教)を受け入れる。後期密教では守護、護法の面が際立ち、精巧かつ豪華なチベット密教美術の表現が盛んになる。
第三章 元・明・清との往来
13世紀、蒙古の西蔵進攻に際し、サキャ派の指導者サキャ・パンディタとその甥パクパは侵略を阻止しただけでなく、パクパは仏教界の頂点に立ち、チベットの行政権とモンゴル全体の仏教行政権を獲得した。チベット仏教とモンゴル帝国の緊密な関係が生まれ、チベット様式の文化が元・明・清の各王朝で作られた。
第四章 チベットの暮らし
各地の寺院ではチャム(跳神舞)が行われ、護法や忿怒神の仮面をつけた僧が舞う。医療において究極の目的は煩悩からの解脱にあり、薬師如来が医学を講釈することになる。
■密教史
日本密教は、6-7世紀頃にインドから中国に伝わり、9世紀に空海、最澄によって伝えられた。「中期密教」と呼ばれ、『大日経』に説かれる胎蔵マンダラと『金剛頂経』に概略が説かれる金剛界マンダラを重視した。
これ対して、チベット密教は、8世紀以降にインドからチベットに伝わり、教義が整理された。「後期密教」と呼ばれ、瑜伽タントラ、無上瑜伽タントラと呼ばれる密教経典が流行した。その本尊の多くは、多面多臂で恐ろしい形相をしており、配偶女尊と抱き合う忿怒歓喜仏の姿が多くとられている。主な宗派としてカギュ派、サキャ派、ゲルク派、シチェー派がある。(cf.『聖地チベット』図録、展示資料より)
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★聖地チベット-ポタラ宮と天空の至宝-
上野の森美術館、2009年9月19日(土)-2010年1月11日(月・祝)
公式サイト:http://www.seichi-tibet.jp/

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上野の森美術館 2009年9月19日(土)〜2010年1月11日(月・祝) 会期中無休 公式サイトはこちら 実は昨年中にバタバタと観に行っていながら、まだ記事にしていない展覧会が三つほどある。書かないと昨年の「阿修羅展」のように、年末に「今年のベスト10」に入れたくとも記事がナシ、なんて事態になって後悔するやもしれないので、閉会が迫っている物から順番に頑張りたいと思います。 というわけで、まずは今週末の祝日で終わってしまうこちらの展覧会から。昨秋に始まった時は随分ロングランだなぁ、と思った... [続きを読む]

受信: 2010年1月10日 (日) 22時13分

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