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2010年3月

2010年3月11日 (木)

長谷川等伯展・・・荒寥たる自然と生命の美

201002230112010022302_2大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
三月三日麗らかな春の午後、冬枯れの森を歩いて、博物館に行く。森の枯木は生気を失い死んでいるようだが、桜の枝先には蕾が芽生えている。夕暮れの森は金色に昏れる。
長谷川等伯展、史上最大にして最上の大回顧展である。長谷川等伯の波瀾に満ちた72年の生涯を絵画でたどる壮大な展覧会。
能登国の仏絵師から出発して、京都で雪舟、南宋の牧谿、狩野派を研究して、永徳の狩野派に対抗。仏絵、金碧画、涅槃図、肖像画、花鳥画、山水画、水墨画。絵画のあらゆる領域を極めたということを実感する。
■長谷川等伯 重要文化財「枯木猿猴図」16世紀、京都・妙心寺、龍泉庵蔵
荒寥たる枯れ木の森。藤原佐理の書のような荒々しい筆致。ふわふわの猿が絶妙な美しさと、優しさを生みだす。荒寥たる枯れ木のなかの猿の親子。可憐な生命の美。この作品は、「妙心寺展」2009前期展示でみたが、何度みても美しい。画家の生命への慈しみ、愛を感じる。等伯は、1589年51才の時に牧谿筆「観音猿鶴図」大徳寺蔵をみて、牧谿の影響を受けて描いたといわれる。
■「松林図屏風」1594,95?
墨に五彩ありといわれる、水墨の濃淡のみを用いて、大胆な荒々しい筆致によって描き上げられた画面から、靄が漂い、霧に包まれた松林が浮かび上がる。曖曖、朦朧とした自然の空間が表現し尽くされている。久蔵の死後、描いたと推定されている。樹木の描き方は、牧谿に似ている。
■長谷川等伯・・・苦難の生涯、72歳で死す
安土桃山時代の絵師、長谷川等伯(1539~1610)。等伯は能登の国七尾で生まれ、仏絵師となる。元亀2年(1571年)頃、養父母の死を契機に息子久蔵を連れて上洛。18年間、雌伏の歳月を生きる。天正17年(1589)51才で、大徳寺三玄院襖絵「山水図」(現圓徳院蔵)、大徳寺三門楼上の壁画制作。妻妙清を迎える。狩野派の妨害工作に遭う。最大のライヴァル狩野永徳(1543~90)は1590年48才で過労で急死、支援者・千利休(1522~1591)は91年に死に、息子久蔵(1568~1593)は「櫻図襖」を描いて93年26才で死に、秀吉(1536/37~1598)は98年に死ぬ。等伯は1610年に徳川家康に招かれ江戸に着いて2日後72才で死ぬ。かくて狩野派は御用絵師として江戸末期まで隆盛し、長谷川派は町絵師として生きることになる。
人生は苦難の連続で残酷なものだ。
■【狩野永徳の死、鶴松の死、久蔵の死】天正18年9月14日永徳の急死によって、等伯に突然の好機が訪れる。秀吉の3歳で亡くなった愛児、鶴松の菩提寺を飾る絵の注文が舞い込む。完成させた絵「楓図」。この傑作により等伯は秀吉に認められる。【長谷川久蔵の死】久蔵が26才で急死。等伯は「松林図屏風」に悲しみを描く。
【狩野永徳の死】長谷川等伯の長男久蔵が工作員を雇い、狩野派の首領、四十八才の狩野永徳を毒殺させた。1590年、狩野永徳の急死により、等伯に好機が回ってくる。秀吉の子、鶴松が3歳にして亡くなり菩提寺・祥雲寺(智積院)を建立。襖絵制作の大仕事が回ってくる。「桜図」
長谷川等伯展・・・荒寥たる自然と生命の美
https://bit.ly/3mZhoEI

*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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■展示作品の一部
★長谷川等伯 重要文化財「山水図襖」天正17年(1589)年、京都・高台寺圓徳院蔵
等伯51歳の作品。揮毫を申し出たが和尚に断られた等伯は和尚不在の折をみて圓徳院を訪れ、僧たちの反対にもかかわらず、隙を衝いて一気に描き上げた作品。
三玄院襖絵
天正17年(1589)、等伯は大徳寺の塔頭(歴代住職の隠居所となる子院)、三玄院の襖絵に山水図を揮毫した。実は、この襖絵揮毫には、驚嘆すべき等伯のエピソードが残っている。
等伯は、同院住職の春屋宗園に、法殿に襖絵を描くことを切望していたのですが許されなかった。そこである日、住職が留守と知った等伯は無断で部屋に駆け上がり、一気呵成に見事な山水図を描ききってしまった。無謀ともいえるこの行動が吉と出て、南禅寺、妙心寺など大寺院の障壁画制作につながっていく。

★長谷川等伯「波濤図」京都・禅林寺蔵、六幅
★国宝「楓図壁貼付」、(京都・智積院蔵)
★長谷川等伯「萩芒図屏風」京都・相国寺蔵
★国宝「松に秋草図屏風」(京都・智積院蔵)
★長谷川等伯「仏涅槃図」1599年京都・本法寺蔵、縦10m、横6m、巨大な涅槃図。
 等伯は動物絵も緻密である。
★長谷川等伯「瀟湘八景図屏風」東京国立博物館蔵
 中国の典型的な「瀟湘八景図」を模倣した作品。50代初めの頃に描かれた。
★長谷川等伯 重要文化財「枯木猿猴図」京都・大徳寺龍泉庵蔵
 前期陳列2月23日~3月7日
★「竹林猿猴図屏風」桃山時代 六曲一双 相国寺蔵
 後期陳列3月9日~3月22日
★「月夜松林図屏風」6曲1双、17世紀 所蔵非公開
 展示説明によると、紙の裏側前面に墨が塗られている。月夜の松林の静けさが引き立つ。
★「松林図屏風」6曲1双、17世紀 東京国立博物館蔵
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展示構成
第1章 能登の絵仏師・長谷川信春
第2章 転機のとき―上洛、等伯の誕生―
第3章 等伯をめぐる人々―肖像画―
第4章 桃山謳歌―金碧画―
第5章 信仰のあかし―本法寺と等伯―
第6章 墨の魔術師―水墨画への傾倒―
第7章 松林図の世界
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水墨画の最高峰「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」、金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)の至宝「楓図壁貼付(かえでずかべはりつけ)」を描き、あの狩野永徳をも脅かした桃山絵画の巨匠、長谷川等伯(1539~1610)。能登七尾(石川県)に生を受けた等伯は、はじめ「信春(のぶはる)」と名乗り主に仏画を描きました。30代で上洛すると画題を肖像画、花鳥画 などにも拡げています。豊臣秀吉や、千利休らに重用され、一躍時代の寵児となりました。時に精緻に、時に豪放に描きわけられた作品群は、今もなお我々を魅了し続けます。
 本展は、長谷川等伯の幅広い画業を、ほぼ網羅する大回顧展です。郷里七尾で「信春」と名乗った初期の作品から上洛後「等伯」と号して大徳寺をはじめ京都の名刹に揮毫した名品を一挙公開いたします。国宝3件、重要文化財作品約30件、重要美術品1件を含む約80件の桃山の鼓動を伝える作品群と、それを創出した等伯の人間ドラマを没後400年の節目の年にご紹介いたします。東京国立博物館
没後400年 特別展「長谷川等伯」https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=657
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★没後400年 特別展 長谷川等伯、東京国立博物館:2010年2月23日(火)~3月22日(月・休)
京都展(京都国立博物館):2010年4月10日(土)~5月9日(日)

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