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2010年9月

2010年9月25日 (土)

カラヴァッジョ「ホロフェルネスの首を切るユディト」・・・バルベリーニ宮殿

Caravaggiojudithholofernes201009大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
枯葉舞い散る森を歩いて、美術館に行く。もう一度、カポディモンテ美術館展に行き、アルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとホロフェルネス」を見る。
10年前、ローマのバルベリーニ宮殿(Palazzo Barberini)で見たカラヴァッジョ「ホロフェルネスの首を切るユディト」1598を思い出す。
宴で酒を飲み眠っているホロフェルネスの首を剣で切るユディト。首から鮮血が噴き出す場面である。若くて美しい女が敵将を殺すところに美がある。若い美女と将軍と老いた召使い。光と闇、美と醜、老若の対比の中に、愛と憎しみがある。ユディトのモデルは十八才の娼婦フィリデ・メランドローニ、後に彼が殺害するラヌッチョ・トマッソーニの愛人である。カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio1571-1610)、27才の時の傑作。

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2010年9月17日 (金)

カポディモンテ美術館展・・・イタリア・バロックの退廃美、パルミジャニーノ『聖カタリナの神秘の結婚』の思い出

20100626010aAltemisia_gentileschi_1612Parmigianino1524jpgParma2007大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
夏の夕暮れ、蝉しぐれの烈しい上野の森に行く。
マニエリスムからカラバッジョ派、ナポリ・バロックの退廃藝術、反古典主義美術である。
パルミジャニーノは、イタリアの旅、東欧の世界遺産の旅でみた『長い首の聖母』(1535ウフィツィ美術館)、『凸面鏡の自画像』(1524ウィーン美術史美術館)、を思い出す。マニエリスムの歪んだ世界、ねじれた身体、超現実的な空間が現代につながっている。
マニエリスムの夭折した天才、パルミジャニーノ「貴婦人の肖像 アンテア」1537は、身体のねじれが退廃的。37才で夭折した画家パルミジャニーノ(1503‐40)、晩年の作品。
パルミジャニーノ(フランチェスコ・マッツォーラ 1503-1540)、『聖カタリナの神秘の結婚』(1524年頃)を思い出す。(『パルマ イタリア美術、もう一つの都』国立西洋美術館、2007)
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アンニーバレ・カラッチ「リナルドとアルミーダ」。アルミーダはリナルドを見つめようとするが、リナルドは鏡に映った自分の姿を見つめ、視線は結ばれず遁走する。魔女アルミーダがリナルドを魔法の宮殿に引き止めている場面。第一回十字軍を描いたタッソの恋愛叙情詩『解放されたエルサレム』が出典。
グイド・レーニ「アタランテとヒッポメネス」。美貌のアタランテは競走で自分と勝負して勝った者と結婚するという条件を出す。アタランテと結婚するためにヴィーナスから授かった三つの黄金の林檎を競走中に投げるヒッポメネスと、走るのをやめ取りに向かうアタランテ。オヴィディウス『変身物語』10巻が出典。
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アルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとホロフェルネス」は、ユディトは泥酔して眠っていた敵将ホロフェルネスの短剣をとって彼の首を切り落とす。召使いが首を押えている。旧約聖書外典「ユディト記」に基づく。赤と青の衣装が強烈な激情的絵画。アルテミジア(1593-1653)は歴史上最初の女性画家であり、カラヴァッジョ派。父オラツィオ・ジェンティレスキオ(1563-1639)はカラヴァッジョの友人である。強姦された体験が濃厚にあらわれている。
カラヴァッジョ(Caravaggio1571-1610)「ユディトとホロフェルネス」1598の影響が強く現れている。
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★参考文献
『藝術新潮』カラヴァッジョ、聖なる人殺し画家2001.10
『カラヴァッジョ 光と影の巨匠、バロック絵画の先駆者たち』朝日新聞社2001
『パルマ イタリア美術、もう一つの都』国立西洋美術館2007
カポデモンティは、ブルボン家のカルロ7世(後のスペイン王カルロス3世)の美術コレクションから始まった宮殿であり、カルロの母エリザベッタ・ファルネーゼからファルネーゼ家の膨大な美術品コレクションを受け継いだ。ルネサンス、マニエリスムからバロック美術の宝庫である。
次の作品は必見。
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★主な展示作品
ベルナルディーノ・ルイーニ「聖母子」1510-20、レオナルドの影響が濃厚。
パルミジャニーノ「貴婦人の肖像 アンテア」1535-37
ティツィアーノ「マグダラのマリア」1567、目に涙が光る。
アンニーバレ・カラッチ「リナルドとアルミーダ」1601-02、退廃的な快楽の匂い。
グイド・レーニ「アタランテとヒッポメネス」1622、死の匂いを感じる。
アルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとホロフェルネス」1612-13
フランチェスコ・グアリーノ「聖アガタ」、胸に血が滲む。
ベルナルディノ・カヴァッリーノ「聖カエキリアの法悦」
ルカ・ジョルダーノ「眠るヴィーナス、クピドとサテュロス」
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■カポディモンテ美術館は、ナポリにあるイタリアを代表する美術館のひとつ。十八世紀に建てられた壮麗な宮殿には、ヨーロッパ史に名を残す大貴族ファルネーゼ家とブルボン家が収集した膨大な芸術品のコレクションが展示収蔵され、現在国立美術館として公開されています。本展では絵画、彫刻、工芸作品約八十点を選りすぐり、パルミジャニーノをはじめティツィアーノ、エル・グレコ、グイド・レーニなど、ルネサンスからバロックまでの巨匠の名品を紹介します。
ナポリを見下ろす丘の上に建つカポディモンテ美術館(「カポディモンテ」とは「山の上」の意味)は、イタリア有数の美術館のひとつです。1738年にブルボン家のカルロ7世(後のスペイン王カルロス3世)によって建造が開始された宮殿が、そのまま美術館となっています。そもそもこの宮殿は、美術品を収納・展示することを目的のひとつとして建てられたものでした。というのもカルロは母エリザベッタ・ファルネーゼからファルネーゼ家の膨大な美術品コレクションを受け継いでいたからです。
イメージコレクションが展示されるようになると、ナポリを訪れる文化人たちは競ってここを訪れるようになります。その中にはドイツの文豪ゲーテら、名だたる知識人、画家たちがいました。その後さまざまな変遷をたどった後、国立美術館として一般に公開されることとなりました。ファルネーゼ家およびブルボン家のコレクションを中核としながら、その後もコレクションの拡充を続け、現在の姿となっています。
(カポディモンテ美術館展資料より)
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■カポディモンテ美術館展、ナポリ・宮廷と美、ルネサンスからバロックまでイタリア美術
国立西洋美術館 2010年6月26日(土)~9月26日(日)
京都府京都文化博物館 2010年10月9日(土)~1ま75日(日)
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/past/2010_222.html
http://www.tbs.co.jp/capo2010/index-j.html
★アルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとホロフェルネス」1612

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2010年9月 7日 (火)

高島野十郎と同時代の作家展・・・蝋燭の画家

2010091106大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
灼熱の九月、友人とコンサート(オペラシティにて)を聴いた後、紅染める夕方、銀座美術館に行く。高島野十郎は蝋燭の画家とよばれる。
高島野十郎(1890明治23~1975)は、福岡県御井郡合川村(現、久留米市)に生まれた、本名を弥寿(やじゅ)。東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業するが、恩賜の銀時計の拝受を辞退し、念願であった画家の道に進む。
85才で孤独死するまで、貧困と孤独を極めた人生を歩く。
なぜ、貧窮に生きる、孤独な画家の道を歩いたのか、謎である。
■高島野十郎の細密画、濃密な写実主義には、寂幕を極めた崇高な美しさがある。
「けし」1925、「ひまわり」1926、「青いりんご」、他、高島野十郎の細密画には速水御舟のような凄絶な美がある。
「早春」1950、「林辺太陽」1967、「夕日」1961、「朝日」、春秋を画いた風景画には、いいしれぬ寂寥感が漂い、孤絶な精神性を感じる。
超現実的な写実は、凄絶な美がある。
「没後30年高島野十郎展」2006年三鷹市美術ギャラリーに続き、没後35年、埋もれた画家に日の目が当たりつつある。
高島野十郎は、孤独死した孤高の画家である。蝋燭の焔が孤独な画家の人生を象徴する。
★「高島野十郎と同時代の作家展、銀座美術館」
「生きている間に、もう一度展覧会をみてみたい」という、ひとりの髙島野十郎ファンの願いがこの企画展を実現した。高島野十郎30点展示。
和光の裏手、シネスイッチ銀座の向い、ビル8F
http://ginza-museum.org/after.html
2010090115

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2010年9月 1日 (水)

シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い

2010070301大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
灼熱の八月の午後、蝉しぐれの森を歩いて、藝大美術館に行く。
故郷ヴィテブスクと結婚のイメージを融合した幻想的な絵画が印象的である。青春を過ごしたパリの風景が織り込まれ、モンパルナスの蜂の巣で出会った藝術家の息吹がある。初期作品はロシア・ネオ・プリミティヴィスムの画家からの影響が濃厚である。
シャガール(1887-1985)。ロシア帝国ヴィテブスクにユダヤ人として生まれ、21才で美術学校に入学。1911年、モンパルナスの集合アトリエ「ラ・リュッシュ」(蜂の巣)に住み、多くの藝術家たちと出会う。28才でベラと結婚。1917年ロシア革命、1918年ヴィテブスクに美術学校設立。1944年、愛妻ベラ急逝。
65才で二度目の結婚。南仏ヴァンスの鷲ノ巣村で晩年を暮らす。1964年パリ・オペラ座の天井画を制作。97才で死ぬまで絵を描き続ける。
■主な展示作品
Marc CHAGALL (マルク・シャガール)「赤い馬」1934-44「彼女を巡って」1945「イカルスの墜落」1974-77「日曜日」1952-54
Nathalie S. GONTCHAROVA (ナターリヤ・ゴンチャローワ)
Michel F. LARIONOV (ミハイル・ラリオーノフ)
Vassily KANDINSKY (ワシリー・カンディンスキー)

シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い
https://bit.ly/3DXyUDY

■ポンピドー・センター所蔵作品展「シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い~交錯する夢と前衛~」
★東京藝術大学大学美術館2010年7月3日(土)―10月11日(月・祝)
★福岡市美術館2010年10月23日(土)~2011年1月10日(月・祝)
http://marc-chagall.jp/

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