稲垣仲静「猫」・・・深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
悲運の天才画家、夭折した画家、孤独死した画家。世に埋もれた画家、不世出の鬼才がこの世に蘇り、再評価されている。
高島野十郎「蝋燭」、田村一村「アダンの木」、稲垣仲静「猫」。
■25歳で夭折した画家、稲垣仲静(1897-1922)
凄絶なリアリズム、美醜を超越した美、孤高の藝術世界。退廃的で官能的な日本画。妖しい魅力を放つ、猫、軍鶏、鶏頭、太夫。
猫は、猫ではなく、化生のもの、妖怪である。化粧の女でもある。
凄絶で緻密な軍鶏、鶏頭をみると、生と死の深淵を覗く思いである。
「軍鶏」1919、京都国立近代美術館蔵
「太夫」1919年頃、京都国立近代美術館蔵
「猫」1919、星野画廊蔵
「鶏頭」1919
「深淵」1921
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」Nietzsche『善悪の彼岸』
――
■稲垣仲静、稲垣稔次郎展
大正期の日本画壇を風靡した国画創作協会展に、京都市立絵画専門学校在学中より入選を果たし、克明な自然描写の中に、官能性や狂気を表現する画家として将来を嘱望されながら、大正11年に25歳の若さで亡くなった稲垣仲静(1897-1922)。その弟で染色作家として名をなし、昭和37年に型絵染の人間国宝に認定された稔次郎(1902-63)。兄弟の父は日本画家であり工芸図案家でもあった稲垣竹埠(ちくう)で、兄弟でそれぞれの道を継ぐような形となりましたが、その根幹に共通するものは、身の回りの自然を凝視し、形象化しようとする強い意志でした。
弟は早逝した兄を終生尊敬し、ことある毎に「兄貴と二人展をしたい。兄貴には負けへんで」と語っていたといいます。今回の兄弟回顧展は、その念願を果たすもので、また兄・仲静にとっては、没後すぐに開催された遺作展以来約九十年ぶりとなる本格的な回顧展です。
日本画と工芸。ジャンルは異なりますが、自己の求める芸術を産み出すことに苦心しつつも邁進した兄弟の「芸術熱」を見て取ることができる、絶好の機会になることでしょう。
京都国立近代美術館、笠岡市立竹喬美術館から巡回し、いよいよ東京での開催です。
稲垣仲静(いながき ちゅうせい)
明治30(1897)年京都生まれ。本名は広太郎。
明治45年に京都市立美術工芸学校に入学、大正6(1917)年同校卒業後、京都市立絵画専門学校に進学。当時、一学年上には前田荻邨や山口華楊、一学年下には堂本印象ら京都画壇の中心画家達が在籍していた。
在学中の大正8年、第2回国画創作協会展に出品した《猫》が初入選して画壇の注目を集める。卒業後の大正11年には福村祥雲堂が主宰する「九名会」のメンバーに選ばれ、同会展にも出品。しかし同年、腸疾患のため25歳の若さで夭折した。(プレスリリースより)
――
京都国立近代美術館 平成22年5月18日(火)~6月27日(日)
笠岡市立竹喬美術館 平成22年7月17日(土)~8月29日(日)
★練馬区立美術館 平成22年9月15日(水)~10月24日(日)
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