「ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」・・・滅びゆく儚い花
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
錦繍の秋の夕暮れ、美術館に行く。
ゴッホは、27才で絵を描き始め、37才で亡くなる。僅か10年の短命な画家。夭折した画家、孤独死した画家の系譜の一人である。ラファエッロも37才で死んだ。
1880年に画家となる決心をしてブリュッセルでデッサンの勉強を始める。パリ時代(1886-1888)に印象派、モネの影響を受けて独自の藝術に目覚め、アルル時代(1888-1890)に開花した。アルル時代とオーベールの最後の70日、この凝縮した2年間に結実して果てた。アルル時代1年3か月が頂点である。アルルの色彩の鮮明、うねる糸杉の生命、枯れた向日葵、黄色の小麦畑、この時代に彼の藝術は凝縮されている。短くも激しく燃えた画家。最晩年の「アイリス」1890、枯れつつある花に画家自身の生命の燃焼と儚い美しさがある。
少年時代、14歳の時、ゴッホ「星月夜」「アルルの跳ね橋」「夜のカフェテラス」「麦畑」、糸杉とアルルの風景が好きだった。最晩年の作品では「烏の群れ飛ぶ麦畑」が好みだった。
ゴッホがアルルに行った理由は何か。
テオ宛の手紙でこう書いている。
「南仏に滞在したいわけは、次の通りである。日本の絵が大好きで、その影響を受けたのは印象派画家すべてに共通なのに、誰も日本へ行こうとはしない-つまり、日本に似ている南仏に」(J・V・ゴッホ-ボンゲル編、硲伊之助訳『ゴッホの手紙』より
■展示作品
ゴッホ「種を播く人」1881 ミレー「種播く人」のモチーフの影響がある。
「ひばりの飛び立つ麦畑」1887
「灰色のフェルト帽の自画像」1887
「糸杉に囲まれた果樹園」1888
「緑の葡萄畑」1888
「サン・レミの修道院の庭」1889
「アイリス」1890、黄色と紫、補色を対比する手法をドラクロワから学んだ。
カミーユ・ピサロ「虹」1877
クロード・モネ「ヴェトゥイユ」
アルフレッド・シスレー「モレのポプラ並木」
ジョルジュ・スーラ「オンフルールの港の入口」
*ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi:1483年4月6日 - 1520年4月6日)
*フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh:1853年3月30日 - 1890年7月29日)
■没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった
オランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という2 大コレクションの全面協力のもと、約120点の作品によってファン・ゴッホ芸術の誕生の謎に迫ります。
国立新美術館 2010年10月1日(金)~12月20日(月)まで
九州国立博物館 2011年1月1日(土・祝)[元日]~2月13日(日)
名古屋市美術館 2011年2月22日(火)~4月10日(日)
http://www.gogh-ten.jp/index.html
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