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2010年12月

2010年12月27日 (月)

権力の闇との戦い・・・「2010饗宴、シンポジウム」

Gabrielle_d_estree_louvre大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
IWJ岩上安身氏主催シンポジウムとパーティに友人たちと出席した。
マスコミの偏向、虚偽報道、検察の証拠改竄と暴力がうみ出す冤罪事件、国家戦略なき国日本の外交・防衛について、熱い議論が燃えさかった。
孫崎享氏に会う。孫崎氏は元駐イラン大使、世界戦略、国家戦略について最も卓越した見識を有する人である。孫崎氏と名刺交換すると「あなたのブログを読んでいます」といわれた。(*大久保正雄『地中海紀行』『地中海のほとりにて』参照)
シンポジウムの主な論点は、以下の点である。
(詳細は岩上安身事務所(IWJ)からDVDが発売されるのでご覧下さい)
■1、上杉隆、畠山理仁
「官房機密費は放送禁止用語。」「記者クラブは官報複合体であり、真実を報道しない。軍産複合体のような利権団体。官房機密費によって新聞記者は買収されている。」「日本のマスコミは、偏向報道、隠蔽が日常的に行われている」「米国マスコミには2ドルルールがある。コーヒー程度以上供応を受けてはならない」「官房機密費による記者買収の証拠書類を鈴木宗男議員から受け取った」上杉隆
「真実を言うと、テレビ新聞から締め出される。フリージャーナリストは、記者クラブメディアに虐待される。」上杉隆「記者会見に行くと取材費用自己負担でお金が掛かる。リスクを負って取材している」
■2、郷原信郎、平野貞夫
「検察は暴力装置である。検察ファッショが議会制民主主義を圧殺している。西松事件は麻生首相の指揮権発動があった。」平野貞夫
「冤罪事件は多数存在する。無罪と分かっていながら証拠改竄、捏造して、起訴が日常的に行われている」「村木厚子事件は証拠改竄、捏造して、冤罪と分かっていながら起訴された。証拠隠滅罪ではなく、特別公務員職権濫用罪が適用されるべきだ」「検察の取り調べ、全面可視化すべきだ。」郷原信郎「冤罪事件は日本中で非常に多い。裁判官も検察の調書を重視する。だから裁判所で正しく審理されない。起訴有罪率が異常に高い。」「検察は司法なのか行政なのか曖昧。」「官房機密費による記者買収の証拠書類を私も所蔵している」「金融資本主義は破綻している。」平野貞夫
■3、孫崎享、伊波洋一
「沖縄は辺野古移設を受け入れない」伊波洋一
「日本の米軍依存は異常」「尖閣は日中間で棚上げされていた。それを揺り起こしたのは日本である。前原大臣である」と孫崎享氏がいうと一部から驚愕とどよめきが起こった。「ウィキリークスが暴露。2010年2月2日、キャンベル国務次官補、小沢一郎と会談。この後キャンベルは韓国に行き2月3日韓国首脳に「民主党内閣は信用できない。自民と違う。」といった。鳩山政権崩壊を工作。」「安保条約第5条は、日本の施政下にある領域に攻撃があった時に行動。国会答弁で、安保条約は北方領土を対象としない。 米国は尖閣を守らない」「現在、日本官僚、前原大臣、米国の言う通りに行動。亡国。」孫崎享。「日本はアメリカの植民地。ティム・ワイナーは米国と日本はヒモと娼婦の関係であるといった。」岩上安身

■亀井静香議員が乱入してきて「日本は自分さえよければいいという国になってしまった。小泉改革によってこの国は衰退し堕落した」と30分演説、歌を熱唱して去った。
この後、八木啓代さんが歌う「Te Quieroあなたを愛する」(詩マリオ・ベネデッティ、曲アルベルト・ファベーロ)の熱唱を聴きながら、パーティでさらに盛り上がって、楽しい宴である。
(*八木啓代さんは前田検事を「特別公務員職権濫用罪」で最高検に告訴した。)
■権力の闇との戦い
私が細川護熙氏に会ったのは1993年春、政権交代前である。ウォルフレン『日本 権力構造の謎』は1990年刊行。石井紘基氏が暗殺されたのは2002年10月25日である。
いま日本は見えざる権力による暴力と圧政に満ちている。国家の欺瞞と搾取の構造はさらに深まった。孫崎享氏は「日本は国家戦略を持たない。また現代の日本企業は戦略をもたない。だから経済戦争で負けた」という(*参考文献参照)。我々は権力の闇と戦うために、戦略を構築しなければならない。
わたしは次の言葉を思い出す。「世界のどこかで、誰かが蒙っている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから。」チェ・ゲバラ『娘に遺書として残した手紙』
「人間であるということは、手にした石を据えることで、自分が世界の構築に携わっていると感じることである。」サン・テグジュペリ『人間の土地』
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■【2010総決算!饗宴Symposion:日本の真の論点】岩上安身(IWJ)
2010年12月12日(日)17:00~20:30
六本木、赤坂アークヒルズにて
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★参考文献
孫崎享『日米同盟の正体-迷走する安全保障』講談社現代新書2009
孫崎享『日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて』祥伝社新書2010
上杉隆『暴走検察』朝日新聞出版2010、『記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争』小学館101新書、『ジャーナリズム崩壊』幻冬舎新書
畠山理仁『記者会見ゲリラ戦記』扶桑社新書2010
郷原信郎『検察が危ない』ベスト新書2010
平野貞夫『小沢一郎完全無罪 「特高検察」が犯した7つの大罪』
岩上安身『あらかじめ裏切られた革命』講談社1996
石井紘基『日本が自滅する日:「官制経済体制」が国民のお金を食い尽くす!』PHP研究所2002年1月
ガバン・マコーマック『属国~米国の抱擁とアジアでの孤立』凱風社2008
ティム・ワイナー『CIA秘録』(Legacy of Ashes;The History of the CIA)文藝春秋2008
カレル・ヴァン・ウォルフレンKarel van Wolferen『アメリカとともに沈みゆく自由世界 America's Tragedy and the Blind Free World』徳間書房2010、『日本 権力構造の謎』早川書房1990
三井環『「権力」に操られる検察』双葉新書2010
関岡英之『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』文春新書2004『奪われる日本』講談社現代新書2006
高橋洋一『消費税「増税」はいらない!財務省が民主党に教えた財政の大嘘』講談社2010
斉藤貴男『消費税のカラクリ』講談社現代新書2010
佐藤優、魚住昭『ナショナリズムという迷宮』朝日新聞社2006
天木直人『さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さない』講談社2003
ジュリアン・アサンジ『国家とテロの陰謀』『統治という名の陰謀』2006
Julian Assange "State and Terrorist Conspiracies" "Conspiracy as Governance."2006

★Website
八木啓代
http://www.nobuyoyagi.com/JAPANESE/DOC/mono.htm
平野貞夫『官房機密費メディア汚染』完全版
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2010/05/post_860b.html
Web Iwakami岩上安身オフィシャルサイトhttp://iwakamiyasumi.com/
植草一秀『知られざる真実』http://uekusak.cocolog-nifty.com/ 

★フォンテーヌブロー派「ガブリエル・デストレとその姉妹」(École de Fontainebleau, Portrait présumé de Gabrielle d'Estrées et de sa soeur la duchesse de Villars,1594)

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2010年12月21日 (火)

カミーユ・ピサロ『虹』・・・移ろいゆく光の美

Camille_pissarro_the_rainbow_1877_0大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
展示室の片隅で、カミーユ・ピサロ『虹』に魅きつけられた。移ろいゆく光と影の美、はかなく一瞬に消えて行く虹。光の粒と影、滅び行く陽光の美しさ。印象派の画家たちが追求した主題である。ゴッホ展(国立新美術館2010)で、片隅にこの絵が展示されていて目に止まった。これはピサロが17年間住んだポントワーズの風景であろうか。競争社会の果て、田園の優雅を感じる。
『虹』をみて、ヨーロッパの美術館の数々の絵を思い出した。ジャン・フランソワ・ミレー『虹』。春の嵐、去りゆく暗雲、雨が上がって虹が空に架かり西から日が射し東は陰る。バルビゾンの春の夕暮れ、移ろいやすい瞬間。
ヴェネツィアのアカデミア美術館でみたジョルジョーネ『嵐』。『虹』の消えゆく光、その源流には、カラヴァッジオ『果物籠』の虚しさ(vanitas)があると思われる。
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カミーユ・ピサロ『虹』(Camille Pissarro, The Rainbow, 1877Kröller-Müller Museum, Otterlo,Netherlands)
ピーテル・パウル・ルーベンス『虹のある風景』(Peter Paul Rubens, Landscape with a Rainbow, 1630-1635,State Hermitage Museum, St. Petersburg)
ジョルジョーネ『嵐』(Giorgione, Tempesta, 1505-1507, 82×73cm Gallerie dell'Accademia, Venezia)
ジャン・フランソワ・ミレー『虹』(春)(Jean-Francois Millet, Le Printemps (Spring),1868-1873 Musée d'Orsay)
★画像は、カミーユ・ピサロ『虹』、ジャン・フランソワ・ミレー『虹』(春)
■没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった
国立新美術館 2010年10月1日(金)~12月20日(月)
九州国立博物館 2011年1月1日(土・祝)[元日]~2月13日(日)
名古屋市美術館 2011年2月22日(火)~4月10日(日)
http://www.gogh-ten.jp/index.html
Millet_springatbarbizon_jeanfrancoi

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2010年12月 4日 (土)

エドガー・ドガ『エトワール』、一瞬の中にある永遠の美・・・孤独な藝術家

Degas_2010Degas_20100918大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
秋の夕暮れ横浜に行くと、港から潮風が吹いてくる。10月8日金曜日ナイトミュージアム。内山淳子学芸員のギャラリーツアーをきく。
「踊り子の画家」と呼ばれるドガは、一瞬の動きのなかに美を追求した。
エドガー・ドガ(Edgar Degas:1834‐1917)は、1855年、エコール・デ・ボザールでアングル派の画家ルイ・ラモートに師事。精密なデッサンの線の技法で新古典主義の油彩から出発した。1856年、1858年にはイタリアを訪れ、古典美術を研究。1862年以後、モネの影響を受け印象派の手法を身につける。
1870年36才の時に目の異常に気づく。視力が衰え始め、視力の衰えに応じて、素材、絵画技法を変えて行く。衰えて行く肉体のように、儚い一瞬の動きをとどめるために、滅びやすいパステルを用いて「エトワールEtoire」(1876-77)を紙の上に画いた。彼の肉体が滅び行くにつれて、藝術は変容を始める。
「バレエの踊り子」と「浴女」を題材にした作品が多い。女たちの滅びゆく一瞬の動作を永遠にとどめる素描力に卓越している。
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孤独な藝術家、孤立。ドガ、83歳でパリに死す
エドガー・ドガ(1834‐1917)は、5人兄弟の長男、父親は銀行家、母が13歳の時に死ぬ。1853年パリ大学法律学科、入学。1855年、アングルに出会い、1856年から3年間イタリアに滞在。ミケランジェロ、ラファエロ、ティツィアーノ、ルネサンスの巨匠の絵画を模写する。1861年ノルマンディーの友人を訪ね馬の絵を描く。1864年、ドガは、マネやモネと知り合い、カフェ・ゲルボアに出没。パティニョール派と呼ばれる。1865年、サロンに出展、入選を果たす。ドガは、1874年バティニョール派の画家たちとともに「第1回印象派展」の開催に参加。発起人の一人。だが印象派を嫌い、印象派のなかで孤立。1886年「印象派展」、解散。1874年父親が死亡、弟レネの借金が発覚。弟のために絵を売る。1874年からの10年間に傑作を次々と生み出す。1912年、活動を休止。ドガは、孤独な藝術家、生涯未婚、パリを彷徨い、83歳まで生きる。
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展示作品の一部
「バレエの授業」(1873-76)
「エトワール」(1876-77)
「緑の部屋の踊り子たち」
「浴盤 湯浴みする女」
「身体を拭く裸婦」
「舞台の袖の踊り子」
「マネとマネ夫人像」
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冷静さと機知をあわせ持ち、客観的な視点で近代都市パリの情景を描き残したエドガー・ドガ(1834-1917)。
ドガは、印象派展に第1回から出品し、そのグループの中心的な存在でした。しかし、屋外で光と色彩に満ちた風景画を描いた多くの印象派の画家たちとは異なり、主にアトリエの中で制作し、踊り子や馬の一瞬の動きや都市の人工的な光をテーマとして、知的で詩情あふれる世界を築きました。油彩の他、パステル、版画、彫刻など様々な技法を研究し新しい表現を試みると同時に、日本美術や写真など、当時紹介されたばかりの美術の要素を取り入れ、近代絵画の可能性を大きく切り開いた画家といえるでしょう。
このたび、オルセー美術館の全面的な協力を得て、国内では21年ぶりとなるドガの回顧展が実現することとなりました。オルセー美術館所蔵のドガの名品45点に、国内外のコレクションから選りすぐった貴重な作品を加え、初期から晩年にわたる約120点を展観いたします。生涯を通じ新たな芸術の可能性に挑戦しつづけた画家ドガの、尽きぬ魅力を堪能できる展覧会です。
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ドガ展、横浜美術館、2010年9月18日から12月31日
http://www.degas2010.com/

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2010年12月 1日 (水)

東大寺大仏-天平の至宝・・・蓮華蔵世界、蓮の花弁に香る天平文化

Todaiji2010大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
晩秋の夕暮れ、枯葉舞う森を歩いて、博物館に行く。天地院、金鐘寺伽藍の廃墟を思いながら、東大寺軒丸瓦に刻まれた複弁蓮華文の文様をみると、天平文化の香りが立ち昇ってくる。東大寺は、蓮華経の世界観に基づいている。廬舎那仏が教えを説く世界である。宇宙仏(法身仏)である盧舎那仏(Vairocana)が発展した形態が、大日如来(摩訶毘盧遮那仏:Mahāvairocana)である。
――
盧舎那仏の蓮弁、蓮華蔵世界・・・三千大千世界
東大寺、盧舎那仏の蓮弁に蓮華蔵世界が刻まれている。華厳経の世界観を表わす線刻された図像は天平時代の造形美である。
一枚の蓮弁の世界に須弥山があり、その上に24の世界があり、その上に一つの釈迦如来が教化する。14枚の蓮弁の上に盧舎那仏が座して、華厳経を説く。
蓮弁の図像については、華厳経に基づくとする説、梵網経に基づくとする説がある。
「千華上ノ仏ハ、是レ吾ガ化身ナリ。千百億ノ釈迦ハ、是レ千釈迦ノ化身ニシテ、吾已ニ本原ニシテ、オノオノ盧舎那仏トナル」(『梵網経』)

【東大寺大仏開眼供養会】752年(天平勝宝4)4月9日に東大寺の盧舎(遮)那大仏像の完成を記念して行われた法要。大仏開眼供養会ともいう。開眼とは新造の彫、鋳像、画像などに筆墨などで眼に点睛を加、魂を入れる仏教儀式をいう。開眼:菩提僊那(インド)講師:大安寺隆尊律師、読師:元興寺延福法師。参列者:聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇、藤原仲麻呂、李密翳(ペルシャ)、仏哲(ベトナム)、胡人(トルキスタン)【毘盧遮那仏】毘盧遮とは何か。梵語のvairocana。智慧の光であまねく法界を照らし輝かす仏身。輝く太陽、《華厳経》の教主毘盧舎那仏を中心に無数の化現した蓮華蔵世界。
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主要展示作品
「誕生釈迦仏立像及び灌仏盤」(国宝)(奈良時代8世紀、東大寺蔵)、釈迦の姿は、生まれてすぐに七歩あゆみ、右手は天を指し、左手は地を指して「天上天下唯我独尊」と告げたさまを表している。釈迦の誕生日である毎年4月8日は東大寺大仏の前におかれ、甘茶を灌がれ、祝われてきた。甘茶の受皿となる灌仏盤に、美しい模様が描かれている。
「八角燈籠」(国宝) (奈良時代8世紀、東大寺蔵)、レリーフの音聲菩薩が美しい。
「金鈿荘大刀」奈良時代 東大寺蔵
「伎楽面」(重文)、大仏開眼供養会に使用された。
「西大門勅額」奈良時代 東大寺蔵
「良弁僧正坐像」(国宝) (平安時代9世紀、東大寺蔵)、東大寺初代別当。
快慶作「僧形八幡神坐像」
「正倉院宝物 墨画仏像」(奈良時代8世紀、東大寺蔵)、菩薩が飛来する姿を、一筆で画いている。
「不空羂索観音菩薩立像光背」奈良時代 東大寺蔵
「重源上人坐像」鎌倉時代 東大寺蔵
「阿弥陀如来立像」快慶作 鎌倉時代 東大寺蔵
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参考文献

東大寺大仏-天平の至宝・・・蓮華蔵世界、蓮の花弁に香る天平文化

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第1章 東大寺のはじまり―前身寺院と東大寺創建―
第2部 大仏造立
VRシアター「大仏の世界」
第3部 天平の至宝
第4部 重源と公慶
 東大寺は、聖武天皇と光明皇后が、夭逝した皇子の菩提を弔うため造営した山房に始まり、やがて、聖武天皇の発願により盧舎那仏(るしゃなぶつ)が造立され、国家的な仏教信仰の中心になりました。天平勝宝4年(752)には大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)が盛大に執(と)り行われ、インド、中国の僧が参加するなど国際色豊かな文化が生まれました。後世の兵火により2度罹災しますが、そのたびに高僧らが復興、再建に取り組み、創建時の天平文化を代表する至宝が伝わっています。
 本展では大仏造立に関わる作品を通して天平文化の精華をご覧いただきます。大仏殿前の高さ4.5メートルを超える八角燈籠(国宝)が寺外で初公開となるほか、古代の誕生仏では日本最大として知られる誕生釈迦仏立像(国宝)や、大仏開眼供養会などに使用された伎楽面(重要文化財)など、天平の宝物を一堂に展示します。また鎌倉時代、江戸時代に大仏を再興した、重源(ちょうげん)上人、公慶(こうけい)上人の肖像彫刻の傑作などを通じて、今日まで脈々と伝えられる東大寺の歴史を紹介します。さらにバーチャルリアリティー(VR)映像で平安時代末期に焼失した創建時の大仏殿を再現、寺では見ることのできない盧舎那仏の背面を含め、360度ぐるりと大仏をご覧いただきます。
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光明皇后1250年御遠忌記念 特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=704
東京国立博物館 平成館、2010年10月8日(金)~12月12日(日)
todaiji2010.jp/

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