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2011年4月25日 (月)

東寺・・・春爛漫の京都

Img_0624大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
桜満開の京都、花盛りの密教寺院に滞在した。しばし憂いを忘れて、春爛漫、醍醐寺の桜満開の時から紅枝垂れ桜が咲き、花吹雪舞うときまで、花めぐりする。死の相の下にみると、生命あるこの世のものが限りなく美しい。仁和寺、龍安寺、金閣寺、醍醐寺、東寺、銀閣寺、妙心寺、大徳寺、清水寺をめぐり桜を眺める。枯山水の庭には彼方の世界がある。時の流れを超えた壮麗な寺院、東寺に佇む。樹齢120年の巨樹、八重紅枝垂桜「不二桜」は満開である。大日如来と薬師如来に祈りをささげる。文明の滅亡を憂うる時、ギリシア神話のプロメテウスの火と神の怒り、千二百年の時を超えて伝えられる空海の書『聾瞽指帰』、「伝真言院曼荼羅」に思いを馳せる。
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平安京は、羅城門を入口に朱雀大路が延び羅城門を挟み、左右に二つの寺院を配置した。大内裏からみて左側の寺が東寺である。西寺は今はない。国家安泰を願って二つの寺を都の東西に配置した。永暦15年、国家鎮護のために建てられた東寺を、弘仁14年(823)嵯峨天皇より空海に下賜されて真言密教の道場となり、伽藍が整えられた。室町時代に京都大地震があった。その後、度重なる内乱、地震、火災によって焼失したが、再建された。
東寺は、南大門の背後に、金堂、講堂、食堂の伽藍が一直線に配置されている。
■立体曼荼羅 東寺講堂には立体曼荼羅(羯磨曼荼羅)がある。『仁王経』曼荼羅を二十一体の仏像を配置することによって表現しているとされる。東寺金堂には薬師三尊像がある。
講堂内の壇上の中央の如来部に「大日如来」を中心に五智如来、右側の菩薩部に「金剛般若波羅密多菩薩」を中心に五菩薩、左側の明王部に「不動明王」を中心に五大明王、四隅に「持国天」、「多聞天」、「増長天」「広目天」の四天王、両端に「梵天」と「帝釈天」、合計二十一体の仏像が配置されている。空海は難解な密教を図画を用いて開示する(空海『請来目録』)。その方法の一つが立体曼荼羅である。『金剛頂経』「金剛界大曼荼羅」に相当する「成身会」を表現する。
■五智如来は、五大如来と呼ばれ密教の五つの知恵を体現する。金剛界五仏。中心の大日如来(法界体性智)、東の阿閦如来(大円鏡智)、南の宝憧如来(平等性智)、西の阿弥陀如来(妙観察智)、北の不空成就如来(成所作智)である。大日如来は他の四つの知恵を兼備している。
■五菩薩は、中央の金剛般若波羅密多菩薩、東方の金剛薩垂菩薩、西方の金剛法菩薩(観自在菩薩)、南方の金剛宝菩薩、北方の金剛業菩薩の五尊からなる。
■五大明王は、教令輪身と呼ばれ、教えにそむく民衆を導き内外の諸魔を降伏する忿怒の形相をもった五智如来の化身あるいは使者。中央の不動明王、東方の降三世明王、西方の大威徳明王、南方の軍荼利明王、北方の金剛夜叉明王 の五尊からなる。
■密教世界の中心を四角で守護する、外敵を睥睨する四天王は、東方の持国天、西方の広目天、南方の増長天、北方の多聞天の四尊からなる。古代インドの創造主ブラフマン梵天と戦闘の神インドラ帝釈天を加えた六尊で天(神)部が構成されている。
講堂は空海が高野山で入定の年、承和二年(835)に完成。文明十八年(1486)の土一揆で焼失。延徳三年(1491)創建時の基壇の上に再建された。火災と京都地震で6体の仏像を失った。
★参考文献
正木晃『密教』講談社選書メチエ2004
京都国立博物館他編『創建1200年記念 東寺国宝展図録』朝日新聞社1995

東寺・・・春爛漫の京都
空海と密教美術展・・・理念と象徴

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