レンブラント 光の探求/闇の誘惑・・・闇の中の光
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
レンブラントは、黄金の世紀17世紀のオランダの画家であり「光と影の魔術師」と呼ばれる。「Rembrandt:The Quest for Chiaroscuro」「明(chiaro)と暗(scuro)の探求」をテーマとする美術展である。「黒い版画」の時代から「光の絵画」の時代へと、レンブラントの明暗表現を探求する。光と陰の対比ではなく、微妙な陰影、諧調を追求した。「深く力強い明暗表現」と「絵画性」とパンディヌッチに評価された。
【『夜警』 人生の果てに見たもの】19歳で工房独立、21歳でアムステルダムに行く。『夜警』(1642)を完成させたが人生は暗転。1642年30才の若妻サスキアが死に、女召使ヘールトヘも死去、子供も次々に死亡。50歳で破産。版画印刷機を売却。63歳で死去するまで、絵画制作を続けた。1663年7月20才若い愛人ヘンドリッキェ(38才)にも先立たれ、レンブラントが人生の果てに見たものは何か。
主要展示作品
《東洋風の衣装をまとう自画像》1631年パリ市立美術館Petit Palais/Roger-Viollet
《音楽を奏でる人々》1626年アムステルダム国立美術館Collection Rijksmuseum, Amsterdam
《石の手摺りにもたれる自画像》第2ステート、1639年アムステルダム、レンブラントハイスThe Rembrandt House Museum, Amsterdam
《病人たちを癒すキリスト(百グルデン版画)》第2ステート、1643-49年頃 国立西洋美術館
『ヘンドリッキェ・ストッフェルス』1652ルーヴル美術館
『3本の十字架』1653レンブラントハイス
『エッケ・ホモ 民衆に晒されるキリスト』1665レンブラントハイス
■展示構成
1、 黒い版画:レンブラントと黒の諧調表現
2、 淡い色の紙:レンブラントの和紙刷り版画
3、 とても変わった技法:レンブラントのキアロスクーロ
4、 2点の傑作版画:『3本の十字架』『エッケ・ホモ 民衆に晒されるキリスト』
■「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)は、黄金の世紀と呼ばれた17世紀を代表するオランダの画家であり、古くより「光と影の魔術師」「明暗の巨匠」と呼ばれ、光の探求や陰影表現、明暗法を終生追求した作家でした。
本展は、版画と絵画におけるレンブラントの「光と影」の真の意味を再検討しようとするもので、オランダ・アムステルダムのレンブラントハイスの協力のもと、アムステルダム国立美術館、大英博物館、ルーヴル美術館などが所蔵する世界中の重要なレンブラント作品で構成されます。レンブラントハイスはアムステルダム中心地にある、かつてレンブラントが住んでいた家を美術館に改築したもので、そこにはいまも当時のアトリエなど、画家の面影が残っています。レンブラントの明暗表現を考察する上で重要な役割を演じた版画と絵画を取り上げ、その初期から晩年にいたる作品まで、オランダの巨匠レンブラントがどのように明暗表現に取り組んだかを辿ります。約100点の版画を中心に、レンブラントの明暗表現の特徴を示す約15点の絵画と素描を加え、また版画作品のうち約30点は和紙に刷られたものを展示します。レンブラントは1647年頃から当時のオランダの東インド会社を通じてもたらされた和紙を使い始めました。遠い異国の地の日本の未知の紙がレンブラントの明暗表現にとってどのような役割を果たしたのかといった視点からもレンブラント芸術を解き明かします。レンブラントによる「光の探求」、そしてみるものを惹き付けてやまない「闇の誘惑」、レンブラントが追求した光と影の芸術の世界にどうぞご期待ください。「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」資料より。
――――――――――――
「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」
国立西洋美術館3月12日(土)~6月12日(日)
名古屋市美術館2011年6月25日(土)~9月4日(日)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント