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2011年5月

2011年5月26日 (木)

レンブラント 光の探求/闇の誘惑・・・闇の中の光

20110312大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
レンブラントは、黄金の世紀17世紀のオランダの画家であり「光と影の魔術師」と呼ばれる。「Rembrandt:The Quest for Chiaroscuro」「明(chiaro)と暗(scuro)の探求」をテーマとする美術展である。「黒い版画」の時代から「光の絵画」の時代へと、レンブラントの明暗表現を探求する。光と陰の対比ではなく、微妙な陰影、諧調を追求した。「深く力強い明暗表現」と「絵画性」とパンディヌッチに評価された。
【『夜警』 人生の果てに見たもの】19歳で工房独立、21歳でアムステルダムに行く。『夜警』(1642)を完成させたが人生は暗転。1642年30才の若妻サスキアが死に、女召使ヘールトヘも死去、子供も次々に死亡。50歳で破産。版画印刷機を売却。63歳で死去するまで、絵画制作を続けた。1663年7月20才若い愛人ヘンドリッキェ(38才)にも先立たれ、レンブラントが人生の果てに見たものは何か。
主要展示作品
《東洋風の衣装をまとう自画像》1631年パリ市立美術館Petit Palais/Roger-Viollet
《音楽を奏でる人々》1626年アムステルダム国立美術館Collection Rijksmuseum, Amsterdam
《石の手摺りにもたれる自画像》第2ステート、1639年アムステルダム、レンブラントハイスThe Rembrandt House Museum, Amsterdam
《病人たちを癒すキリスト(百グルデン版画)》第2ステート、1643-49年頃 国立西洋美術館
『ヘンドリッキェ・ストッフェルス』1652ルーヴル美術館
『3本の十字架』1653レンブラントハイス
『エッケ・ホモ 民衆に晒されるキリスト』1665レンブラントハイス
■展示構成
1、 黒い版画:レンブラントと黒の諧調表現
2、 淡い色の紙:レンブラントの和紙刷り版画
3、 とても変わった技法:レンブラントのキアロスクーロ
4、 2点の傑作版画:『3本の十字架』『エッケ・ホモ 民衆に晒されるキリスト』
■「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)は、黄金の世紀と呼ばれた17世紀を代表するオランダの画家であり、古くより「光と影の魔術師」「明暗の巨匠」と呼ばれ、光の探求や陰影表現、明暗法を終生追求した作家でした。
本展は、版画と絵画におけるレンブラントの「光と影」の真の意味を再検討しようとするもので、オランダ・アムステルダムのレンブラントハイスの協力のもと、アムステルダム国立美術館、大英博物館、ルーヴル美術館などが所蔵する世界中の重要なレンブラント作品で構成されます。レンブラントハイスはアムステルダム中心地にある、かつてレンブラントが住んでいた家を美術館に改築したもので、そこにはいまも当時のアトリエなど、画家の面影が残っています。レンブラントの明暗表現を考察する上で重要な役割を演じた版画と絵画を取り上げ、その初期から晩年にいたる作品まで、オランダの巨匠レンブラントがどのように明暗表現に取り組んだかを辿ります。約100点の版画を中心に、レンブラントの明暗表現の特徴を示す約15点の絵画と素描を加え、また版画作品のうち約30点は和紙に刷られたものを展示します。レンブラントは1647年頃から当時のオランダの東インド会社を通じてもたらされた和紙を使い始めました。遠い異国の地の日本の未知の紙がレンブラントの明暗表現にとってどのような役割を果たしたのかといった視点からもレンブラント芸術を解き明かします。レンブラントによる「光の探求」、そしてみるものを惹き付けてやまない「闇の誘惑」、レンブラントが追求した光と影の芸術の世界にどうぞご期待ください。「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」資料より。
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「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」
国立西洋美術館3月12日(土)~6月12日(日)
名古屋市美術館2011年6月25日(土)~9月4日(日)

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2011年5月16日 (月)

東寺・・・空海と『伝真言院曼荼羅』

1200大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
春爛漫、桜満開の京都、醍醐寺の桜が咲き、東寺の紅枝垂れ桜の花吹雪が舞うまで、密教寺院に滞在した。東寺には学生時代から七度訪れたが、両界曼荼羅をかの地で見たことはない。見たのは「創建1200年記念 東寺国宝展」世田谷美術館でである。金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅が意味するものは何か。春のうららかな光の中で考えた。
■『伝真言院曼荼羅』九世紀後半(東寺蔵)
『伝真言院曼荼羅』〈西院本〉。宮中の真言院で用いられたと伝えられ、金剛界、胎蔵界からなる曼荼羅。東寺に現存する曼荼羅のなかでもっとも古く、極彩色の曼荼羅の最高傑作である。九世紀の作と推定されるが、遠い異国の薫りがする。
「金剛界曼荼羅」は、成身会を中心に、三昧耶会、微細会、供養会、四印会、一印会、理趣会、降三世会、降三世三昧耶会の九会からなる。
「胎蔵曼荼羅」は、中台八葉院を中心に、周囲に、遍知院、持明院、釈迦院、虚空蔵院、文殊院、蘇悉地院、蓮華部院、地蔵院、金剛手院、除蓋障院が、同心円状にめぐり、すべてを囲む外周に外金剛部院(最外院)からなる。
空海が曼荼羅を用いる所以は、恵果阿闍梨の言葉による。「真言秘蔵は経疏に隠密にして、図画を仮らざれば相伝すること能わず。」(空海『請来目録』)
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■「創建1200年記念 東寺国宝展」世田谷美術館1995
東寺は平安京の鎮護を目的として造営され、823年、弘法大師空海に下賜されました。以来、真言密教の根本道場として、また鎮護国家の官寺として、教王護国寺とも呼ばれ、1200年の歴史を経てきました。五重の塔や、縁日「弘法さん」でも有名ですが、そこに息づく文化財、美術品については案外知られていません。古くは平安京の羅城門上に置かれていたという、中国で唐時代に作られた「兜跋毘沙門天立像」、また空海が制作指導したという、立体曼荼羅を構成する講堂内21体の尊像、日本に現存する最古の彩色曼荼羅「両界曼荼羅図(伝真言院曼荼羅)」など、知る人ぞ知る明宝がずらり。
 本展では、その「兜跋毘沙門天」「伝真言院曼荼羅」はもちろん、”弘法筆を択ばず” の諺でも知られた、弘法大師自筆の「風信帖」をはじめ、国宝29点、重要文化財88点、重要美術品1点を含む、選りすぐった170点余が公開されます。
 インドを発祥の地とし、中国、チベットへも伝播した密教は、広大な宇宙観を特徴とし、今なお、人々を惹きつけてやみません。日本における密教の二大源流の一つ、真言密教を具現する造形表現と、それらが構成する空間を、ぜひ現代に生きる美として御観賞ください。
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参考文献
京都国立博物館他編『創建1200年記念 東寺国宝展図録』朝日新聞社1995
『特別展「国宝 醍醐寺展 山からおりた本尊」図録』東京国立博物館2001
『弘法大師入唐1200年記念「空海と高野山」図録』東京国立博物館2005
松永有慶『密教 インドから日本への伝承』中公文庫1989
ーーーーーーーーーーーーー                                           「空海と密教美術展」2011年7月20日~9月25日東京国立博物館                          ★「弘法大師像」金剛峰寺

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