空海と密教美術展・・・理念と象徴
真夏の午後、森の道を歩いて、博物館に行く。霧深い森の高野山、真夏の金剛峰寺、遥かな時の旅を思い出す。空海全集、密教の哲学書を耽読した夏の日々を思い出す。
世界は不正と悪と無知にみちている。現代は隠された悪に満ちている。隠され隠蔽された悪が現れ虚偽が明らかとなるとき、世界は二つに割れて戦いが始まる。理念なき国家、私利私欲に支配される時代、権力の中枢には悪が存在する。知恵と真実と正義を実現するためには、悪と戦わねばならない。空海の立体曼荼羅には、悪と戦う存在、憤怒相の存在がある。空海の時代は、現代と同じく悪との戦いの時代であった。
密教美術は空海の思想を現したものだが、思想を知ろうとする者は少ない。空海の理想と象徴とその哲学的意味を知らなければならない。
――
「聾瞽指帰」空海筆 平安時代8‐9世紀、高野山・金剛峯寺
空海が延暦16年(797)に著述した『三教指帰』の自筆草稿本」。書体は行書が主体で処々に草書体。文中には文字の入れ替えを示す顛倒符・脱字の加筆などがある。空海が24歳の時に書いたとされる。若き日の空海の雄渾で迫力がある書、美しい。
この書物がこの世に伝来した由来は不詳である。上下巻合わせて約二十メートル。全巻展示。必見。
空海筆「聾瞽指帰」と最澄筆空海著「請来目録」を比較して見ると、二人の思想家の性格の差異に気づく。
――
立体曼荼羅・・・東寺
平安初期の密教彫刻は、写実主義と理想美を湛えている。奈良仏師による制作。
降三世明王は、三面八臂の姿で、二本の手で「降三世印」を結び残りの手は弓矢や矛などの武器を構える勇壮な武将の姿で、両足で地に倒れたシヴァと妻ウマを踏みつけている。
大威徳明王は、六面六臂六脚、神の使い水牛に跨っている。六つの顔は六道(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界)をくまなく見渡す役目を表現し、六つの腕は矛や長剣等の武器を把持して法を守護し、六本の足は六波羅蜜(布施、自戒、忍辱、精進、禅定、智慧)を怠らず歩み続ける決意を表している。
四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)は、仏の住む世界を支える須弥山の四方向を護る。六欲天の第一天、四大王衆天の主。帝釈天(インドラ)に仕え、八部鬼衆を所属支配し、仏法を守護する。
■空海と密教美術
密教美術は、空海の思想、『大日経』『金剛頂経』の思想を表現する象徴である。象徴の根底に哲学的意味がある。
空海は、延暦10年(791)大学に入学するが退学。延暦16年(797)十二月一日『聾瞽指帰』『三教指帰』を執筆。空海の謎の歳月が流れる。延暦23年(804)七月六日、空海は日本から唐への使節である遣唐使の一員として唐へ渡る。十二月長安に行く。長安で1年3ヶ月の短期間のうちに唐文化を吸収し隆盛し衰退しつつある密教の奥義を修める。師恵果阿闍梨から密教流布を託される。空海が師恵果から学び、仏師たちに作らせて唐から日本へ持ち帰った伝来品、唐時代の曼荼羅、祖師像、仏像、密教法具が、この世に伝えられてきた。
★参考文献
大久保正雄『プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説と詩の言葉―』2011
展示作品の一部
空海の書
「聾瞽指帰」空海筆 平安時代8-9世紀、高野山・金剛峯寺(上巻:7/20~8/21下巻:8/23~9/25)
「灌頂歴名」空海筆、弘仁3年、812年、京都、神護寺 7/20~8/21
「風信帖」空海筆、平安時代9世紀、京都、東寺 8/23~9/25
「大日経開題」空海筆、平安時代9世紀、醍醐寺 7/20~8/21
「金剛般若経開題残巻」空海筆、平安時代9世紀、京都国立博物館 8/23~9/25
最澄の書
空海撰「請来目録」最澄筆、平安時代9世紀、東寺蔵 7/20~8/21
空海の著作
『即身成仏品』空海撰述 1巻 平安時代・9世紀 高野山・金剛峯寺 8/23~
空海伝来の密教法具
「金念珠」空海所持、唐時代9世紀、高野山、龍光院7/20~30
「三鈷杵」飛行三鈷杵、空海所持、金銅製。唐時代9世紀、高野山、金剛峰寺。三鈷杵の爪が一つ折れている。 7/31~8/11
「五鈷鈴」金銅製。唐時代9世紀。
「金念珠」伝空海所持 唐時代 高野山・龍光院。順宗皇帝から贈られたという伝があるが根拠不明である。(7/20~7/30)
「諸尊仏龕」空海請来 唐時代・8世紀、高野山・金剛峯寺蔵
■両界曼荼羅
「両界曼荼羅図(高雄曼荼羅)」平安時代9世紀初め 京都・神護寺 (胎蔵界:7/20~7/31)、(金剛界:8/2~8/15)空海が灌頂に用いた。
「両界曼荼羅図(西院曼荼羅)伝真言院曼荼羅」平安時代9世紀後半 京都・東寺 (胎蔵界:7/20~8/21)、(金剛界:8/23~9/25)中国伝来の原作の香を伝える極彩色の最も美しい曼荼羅。この世に残る曼荼羅の最高傑作。
「両界曼荼羅図」(血曼荼羅)平安時代12世紀、高野山・金剛峯寺。久安5年(1149)の火災で焼失した金剛峯寺金堂の東西両壁用に、平清盛の寄進によって制作されたと伝えられる。清盛が胎蔵界の大日如来の宝冠に自らの頭の血を混ぜて彩色したとの伝えあり「血曼荼羅」。胎蔵界 (8/16~9/4)、金剛界(9/25)
密教仏
「大日如来坐像」平安時代9世紀、高野山・金剛峯寺
「阿弥陀如来および両脇侍像」平安時代 仁和寺
「法界虚空蔵菩薩坐像」「蓮華虚空蔵菩薩坐像」唐時代 京都・東寺(観智院)
「薬師如来および両脇侍像」平安時代10世紀 京都・醍醐寺
「如意輪観音菩薩坐像」平安時代 京都・醍醐寺
「業用虚空蔵菩薩坐像」(五大虚空蔵菩薩) 1躯 平安時代・9世紀 神護寺
「薬師如来坐像」 1躯 平安時代・9世紀 大阪・獅子窟寺
「千手観音菩薩立像」 1躯 平安時代・10世紀 香川・聖通寺
「金剛法菩薩坐像」平安時代・承和6年(839)京都・東寺(教王護国寺)蔵
「金剛業菩薩坐像」平安時代・承和6年(839)京都・東寺(教王護国寺)蔵
「降三世明王立像」平安時代・承和6年(839)京都・東寺(教王護国寺)蔵
「大威徳明王騎牛像」平安時代・承和6年(839)京都・東寺(教王護国寺)蔵
「梵天坐像」平安時代・承和6年(839)京都・東寺(教王護国寺)蔵
「帝釈天騎象像」平安時代・承和6年(839) 京都・東寺(教王護国寺)蔵
「持国天立像」平安時代・承和6年(839) 京都・東寺(教王護国寺)蔵
「増長天立像」平安時代・承和6年(839) 京都・東寺(教王護国寺)蔵
函
「宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱」平安時代・10世紀 京都・仁和寺蔵。空海が唐で書写した密教経典を30の冊子に仕立てた国宝『三十帖冊子』を納める箱。延喜19年(919)、醍醐天皇から冊子用の箱として下賜された。
――
■空海と密教美術展 東京国立博物館
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1393
会期:2011年7月20日(水)-9月25日(日)
東京国立博物館 平成館
主催:東京国立博物館、読売新聞社、NHK、NHKプロモーション 特別協力:総本山仁和寺、総本山醍醐寺、総本山金剛峯寺、総本山教王護国寺(東寺)、総本山善通寺、遺迹本山神護寺 協力:真言宗各派総大本山会、南海電気鉄道
――
★参考文献
宮坂宥勝『密教思想論』筑摩書房1984
宮坂宥勝『空海 生涯と思想』筑摩書房1987
宮崎忍勝『私度僧 空海』河出書房新社1991
渡辺照宏・宮坂宥勝『沙門空海』筑摩書房1967
『弘法大師空海全集 第一巻思想篇一』筑摩書房1983「秘密曼荼羅十住心論」
『弘法大師空海全集 第六巻詩文篇』筑摩書房1984「三教指帰」「聾瞽指帰」
「日本思想体系5空海」『秘密曼荼羅十住心論』岩波書店1975
大久保正雄『プラトン哲学と空海の密教―書かれざる教説と詩の言葉―』2011
――
| 固定リンク
「密教美術」カテゴリの記事
- 理念を探求する精神、空海『即身成仏義』819-820『秘蔵宝鑰』序、830(2024.09.01)
- 『仏説魔訶般若波羅蜜多心経』・・・中観派と唯識派の対立(2024.08.14)
- 醍醐寺 国宝展・・・如意輪観音の微笑み、理源大師聖宝、秀吉の醍醐の花見(2024.08.05)
- 「神護寺」密教の謎・・・五智如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、無量寿如来、不空成就如来(2024.07.17)
- 空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ(2024.06.02)
コメント
「空海と密教美術」展、2011年9月13日(火)午後、40万人突破。http://kukai2011.jp/
投稿: leonardo | 2011年9月18日 (日) 16時19分
弘法大師・空海の生涯と密教美術の世界
http://kukai2011.jp/
投稿: 大久保正雄 | 2013年5月23日 (木) 14時49分