空海と密教美術・・・「胎蔵曼荼羅」「金剛界曼荼羅」
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
雷鳴の鳴る夏の夕暮れ、森の中を歩いて、博物館に行く。
両界曼荼羅は、何度みても魅了される。密教美術の秘宝である。
両界(両部)曼荼羅図には、胎蔵曼荼羅、金剛界曼荼羅がある。胎蔵曼荼羅は、正しくは「大悲胎蔵生曼荼羅」(maha‐karuna‐garbhodbhava‐mandala)と呼ばれ『大日経』(善無畏訳『大毘廬遮那成仏神変加持経』)の所説を図像化したものとされる。『金剛頂経』(不空訳『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経』)をもとにして描かれている。だが仏典の所説と図像化された曼荼羅は一致しないことが研究者によって指摘されている。
国宝「両界曼荼羅(西院曼荼羅)」が東京で展示されるのは、16年ぶり。寺院でもみることが稀有な至高の秘宝。
金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅が意味するものは何か。両界曼荼羅の象徴の意味は、いまだ解明されていない。美と形に秘められた、象徴とその哲学的意味を考えねばならない。
■高雄曼荼羅、西院曼荼羅、血曼荼羅
1、国宝「両界曼荼羅図(高雄曼荼羅)」平安時代9世紀初め 京都・神護寺 (胎蔵界:2011.7/20~7/31)、(金剛界:8/2~8/15)空海が灌頂に用いたと伝えられる。
2、国宝「両界曼荼羅図(西院曼荼羅)伝真言院曼荼羅」平安時代9世紀後半 京都・東寺 (胎蔵界:7/20~8/21)、(金剛界:8/23~9/25)
この世に伝わる最も美しい極彩色の曼荼羅。国宝。
3、重文「両界曼荼羅図」(血曼荼羅)平安時代12世紀、高野山・金剛峯寺。
久安5年(1149)の火災で焼失した金剛峯寺金堂の東西両壁用に、平清盛の寄進によって制作されたと伝えられる。清盛が胎蔵界の大日如来の宝冠に自らの頭の血を混ぜて彩色したとの伝えある「血曼荼羅」。胎蔵界 (8/16~9/4)、金剛界(9/6~9/25)
■西院曼荼羅(『伝真言院曼荼羅』)九世紀後半、東寺
空海の師・恵果は、宮廷画家の李真などに曼荼羅を描かせ、五鈷杵、五鈷鈴、金剛盤という密教法具、経典、犍陀穀糸袈裟、仏舎利八十粒などを弘法大師空海に授けた。
空海が中国から持ち帰った曼荼羅は損傷し複製が作られたと推定される。『伝真言院曼荼羅』〈西院本〉。宮中の真言院で用いられたと伝えられ、金剛界、胎蔵界からなる曼荼羅。東寺に現存する曼荼羅のなかでもっとも古く、極彩色の曼荼羅の最高傑作である。九世紀の作と推定される。
顕教と異なり密教は法身説法である。「金剛界曼荼羅」は大日如来を中心に、千四百六十一の尊像を秩序のもとに配置している。密教の世界観を象徴的に表現している。
■「金剛界曼荼羅」は、成身会を中心に、三昧耶会、微細会、供養会、四印会、一印会、理趣会、降三世会、降三世三昧耶会の九会からなる。
■「胎蔵曼荼羅」は、中台八葉院を中心に、周囲に、遍知院、持明院、釈迦院、虚空蔵院、文殊院、蘇悉地院、蓮華部院、地蔵院、金剛手院、除蓋障院が、同心円状にめぐり、すべてを囲む外周に外金剛部院(最外院)からなる。
――
参考文献
石田尚豊『曼荼羅の研究 研究篇・図版編』1975東京美術
石田尚豊『両界曼荼羅の智慧』東京美術1979
田中公明『曼荼羅イコノロジー』平河出版社1987
宮坂宥勝『密教思想論』筑摩書房1984
大久保正雄『プラトン哲学と空海の密教―書かれざる教説(agrapha dogmata)と詩の言葉―』「象徴とその哲学的意味」「酒乱第5号」2011
■空海と密教美術展 東京国立博物館
会期:2011年7月20日(水)-9月25日(日)
★西院曼荼羅(『伝真言院曼荼羅』)九世紀、東寺
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