『北京故宮博物院200選』東京国立博物館・・・死の帝国
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
権力と財力は美を生まない。美は金では買えない。物欲に明け暮れ、精神が腐った帝国。皇帝の権力、財力と狡猾な官僚統治による搾取と腐敗の帝国、七百年の歴史。帝国の支配システムが確立した12世紀から18世紀、精神の死の匂いがする。文化の息吹が残っていたのは南宋時代まで。北宋の皇帝徽宗の北宋絵画から、南宋絵画『出水芙蓉図冊』、明朝、永楽帝。漢民族の明朝を倒した満州族の清朝、康熙帝、雍正帝、乾隆帝に至る皇帝のコレクション。第6代皇帝、乾隆帝時代(在位1735年10月8日-1796年2月9日)、清の版図は最大規模に広がり、膨大なコレクションを蒐集した。死の帝国である。
変人皇帝、北宋の皇帝徽宗(1100年-1125年)は文人、画人としてその才能が高く評価され、宋代を代表する人物の1人。痩金体(「痩金」は徽宗の号)と称される独特の書体を創出、絵画では写実的な院体画を完成、「風流天子」と称される。徽宗の真筆は極めて貴重な文化財、日本にある桃鳩図は国宝に指定。異常な性格を感じる。
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『草書諸上座帖巻』黄庭堅筆 北宋時代・元符2~3年(1099~1100)頃。黄庭堅は禅学に造詣が深く、書において求道者のような精進を続け、過去の技量を否定しながら、より高い境地を目指した。この作は円熟した最晩年の作と考えられる。荒れ狂うような草書と、最後に続く行書の対比が素晴らしい。
『行書扈従帖』蔡襄筆 北宋時代・11世紀。蔡襄は、宋の四大家の中で唐時代の書法を最もよく継承した人物。文豪の蘇軾も蔡襄の書は宋時代の第一であると絶賛した。李端愿(りたんげん)という人物に宛てたこの書簡は、新茶を贈られたことに対する礼状。扈従とは天子に随行すること、蔡襄が都で天子に随行し、また新茶に言及していることから、皇祐4年(1052)春頃の揮毫と推定。
『出水芙蓉図冊』蓮は泥水から出ても泥に染まらず。社会の困難にあっても気高く生きる文人、高潔な君子の象徴である。香り立つような美しい南宋画の描写が魅力的。
『水村図巻』趙孟頫(ちょうもうふ)元時代・大徳6年(1302)。趙孟頫は南宋皇室の家に生まれたが、征服王朝の元に仕えるという苦渋の決断を迫られた人物。内面の孤高が、美しい筆墨のなかに現れている。中国絵画史が新しい文人絵画へと展開していく時期の最も重要な作品。
北京故宮博物院は、明時代の永楽帝から清時代の宣統帝溥儀まで24人の皇帝が居住とした紫禁城に由来し、壮麗な宮殿建築と180万件を超えるコレクションを誇る。
■主要展示作品
一級文物『祥龍石図巻』趙佶(徽宗)筆1巻、北宋時代・12世紀
一級文物『行書扈従帖』蔡襄(さいじょう)筆 北宋時代・11世紀
一級文物『出水芙蓉図冊』作者不明 南宋時代・13世紀
一級文物『清明上河図』(北宋時代)中国美術史上屈指の名作といわれる。張択端(ちょうたくたん)が描いた5m余りの図巻、北宋の都・開封(現在の河南省開封市)の街のにぎわいが克明に生き生きと描かれている。
一級文物『長江万里図巻』趙芾筆1巻、南宋時代・12世紀
一級文物『水村図巻』趙孟頫筆1巻、元時代・大徳6年(1302)
一級文物『桃竹錦鶏図軸』王淵筆1幅、元時代・至正9年(1349)
一級文物『雪江漁艇図巻』姚廷美筆1巻、元時代・14世紀 加山又造の水墨画を想起する。
一級文物『草書諸上座帖巻』黄庭堅(こうていけん)筆 北宋時代・元符2~3年(1099~1100)頃。
一級文物『楷書閏中秋月詩帖』趙佶(徽宗)筆1枚 北宋時代・大観4年(1110)
一級文物『行草書中流一壺帖』范成大筆1枚 南宋時代・12世紀
一級文物『行書城南唱和詩巻』朱熹筆1巻 南宋時代・12世紀
一級文物『青花唐草文杯』景徳鎮窯「永楽年製」銘、明時代・永楽年間(1403-1424)
一級文物『黄地琺瑯彩牡丹文碗』「康熙御製」銘、清時代・康熙年間(1662-1722)
一級文物『康熙帝南巡図巻』第11巻、第12巻、王翬等筆、清時代・康熙30年(1691)
『宝生仏坐像』1躯、インド・パーラ朝・10世紀
『上楽金剛(チャクラサンバラ)立像』1躯、チベット・18世紀 ヤブユム仏
一級文物『文殊菩薩坐像』1躯、元時代・大徳9年(1305)
『大威徳金剛(ヤマ-ンタカ)立像』1躯、清時代・18世紀
■展示構成
第1部 故宮博物院の至宝 -皇帝たちの名品-
第2部 清朝宮廷文化の精粋 -多文化のなかの共生-
第1章 清朝の礼制文化 -悠久の伝統-
第2章 清朝の文化事業 -伝統の継承と再編-
第3章 清朝の宗教 -チベット仏教がつなぐ世界-
第4章 清朝の国際交流 -周辺国との交流-
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中国の首都・北京市の中心部にある故宮博物院は、明朝の3代目皇帝永楽帝から、清朝のラストエンペラー宣統帝溥儀まで、500年あまりの間に24人の皇帝が暮らした壮大な宮殿「紫禁城」に由来します。広さは約72万平方メートル、無数の建築群にはおよそ8700ともいわれる部屋があった「紫禁城」は、皇帝たちの政治の中枢であり、かつ、私生活の場でもありました。とてつもない規模と、技術の粋を集めた壮麗な建築は、中国古代建築の集大成といえるもので、皇帝の世界観を反映しています。
1911年の辛亥革命ののち、紫禁城は「かつての王宮」という意味で「故宮」と名付けられ、1925年に「故宮博物院」として成立、王朝の伝統として皇帝が収集し、愛蔵してきた中国歴代王朝の至宝は一般に開放されることとなりました。収蔵されている文物の数は現在、180万件以上にのぼります。
故宮博物院はその歴史的・芸術的価値の高さから、1987年、世界遺産に登録されました。収蔵品は大切に保管・公開され、建築や至宝を一目見ようと訪れる世界中の人々でにぎわっています。
これらの貴重な文献から選りすぐりの名宝200件が出品される。門外不出とされていた宋・元時代の書画全41件のうち39件は、日本初公開。
本展は、故宮博物院の収蔵品のなかから特に優れた一級文物を中心に展覧する、同博物院の開催する海外展として質・量ともに最大規模の展覧会であり、また、東京国立博物館で初めて開催される故宮展となります。
「清明上河図」
「清明上河図」は、北宋の都・開封[かいほう](現在の河南省開封市)の光景を描いたものと言われています。作者である張択端[ちょうたくたん]は、北宋の宮廷画家であったということ以外、詳しいことがほとんど分かっていない謎の画家です。全長約5メートル、縦24センチの画面のなかに登場する人物は773人。まさに神技。
汴河[べんが]の流れに沿って、市民の生活が衣食住にいたるまで細かに描かれ、宋代の風俗を知るためにも一級の資料です。北宋文化の絶頂期・徽宗皇帝のために描かれたとされ、庶民の幸せな日常生活が画面に満ち溢れ、後世にもたくさんの模本が作られました。
ここまで精密に描かれた都市風景は、もちろん同時代の西洋にもほとんどありません。今まで北京故宮でもほとんど公開されたことがなく、上海博物館で公開された時は夜中まで行列が続いたほどの熱狂的大ブームを巻き起こしました。まさに中国が誇る至宝であるとともに、世界でも屈指の幻の名画なのです。
第Ⅰ部
第Ⅰ部では故宮博物院の豊富な収蔵品から、これまで門外不出とされていた作品を含む宋・元の書画41件の出展に加え、陶磁器・青銅器・漆工・琺瑯・染織の名品約50件を厳選して展示します。書画では、書道ファン必見の宋四大家のうち、黄庭堅[こうていけん]、蔡襄[さいじょう]、米芾[べいふつ]の名品や、元代文人たちの傑作が、器物では青銅器・玉器[ぎょっき]の傑作や、汝窯[じょよう]の名品が、漆芸では幻の巨匠である張成[ちょうせい]、楊茂[ようも]の作品が、ずらりと並びます。まさに北京故宮が誇る歴代王朝の名品が勢ぞろい。故宮博物院が開催した海外展としては、過去最大規模となります。
第Ⅱ部
第Ⅱ部では、現代の中国にもつながる、清朝300年の豊かな世界観をご紹介します。清朝は第6代皇帝であった乾隆帝[けんりゅうてい](在位1735〜1796)によって最盛期を迎えます。この展示では乾隆帝の4つの肖像画を軸に、大清帝国の夢見た多文化共生の世界観を読み解いていきます。北京故宮ならではの歴史の証人となる文物によって、清朝の宮廷世界を大規模に紹介する、日本で初めての展観となります。
http://www.kokyu200.jp/
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★『北京故宮博物院200選』展、2012年1月2日-2月19日
東京国立博物館http://www.kokyu200.jp/
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