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2012年6月

2012年6月26日 (火)

ベルリン国立美術館展、フェルメール「真珠の首飾りの少女」・・・物欲と虚栄に溺れる女

Berlin2012大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
真珠の首飾りを眺める女は、物欲に溺れている。真珠は物欲と虚栄の象徴である。窓から差し込む淡い光に包まれた静謐な空間と佇む女。フェルメール絵画の形式である。ここには高貴な神秘性は存在しない。そこには世俗的な寓意が込められている。
左から光が差す室内に立つ女性、フェルメールの典型的なパターンである。髪にリボン、耳に真珠のイヤリングを付けた女性は、真珠のネックレスに付けたリボンを持ち上げ、左の壁に掛かった鏡を見つめている。鏡、宝石のモチーフは伝統的に虚栄を表す。背景は白い壁。女性の着ている白い毛皮の襟のついた黄色のサテンのコートは『手紙を書く女』『婦人と召使』他の作品に登場する常套の小道具である。死後、財産目録に記録されている。
★フェルメール「真珠の首飾りの少女Woman with a pearl necklace」ベルリン国立美術館、1662-1665年
Johannes Vermeer (1632–1675)
■展示作品
1480年頃 エルコレ・デ・ロベルティ《洗礼者聖ヨハネ》
1490年頃 ティルマン・リーメンシュナイダー《龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス》
1490 年頃 ベルナルディーノ・ピントゥリッキオ《聖母子と聖ヒエロニムス》
1460 年頃 ドナテッロの工房《聖母子とふたりのケルビム》
1450 年頃 ルーカ・デッラ・ロッビア《聖母子》
1526年 アルブレヒト・デューラー《ヤーコプ・ムッフェルの肖像》
1533年頃 ルーカス・クラーナハ(父)の工房《マルティン・ルターの肖像》
1533年 ルーカス・クラーナハ(父)《ルクレティア》
1616-1620年頃 ディエゴ・ベラスケス《3人の音楽家》
1650–1653年頃 ルーカ・ジョルダーノ《エウクレイデス》
1650–1653年頃 ルーカ・ジョルダーノ《アルキメデス》
1650–1655年頃 レンブラント派《黄金の兜の男》
1662-1665年頃 ヨハネス・フェルメール《真珠の首飾りの少女》
1670-1680年頃 ヤーコプ・ファン・ロイスダール《滝》
1480-95年頃 サンドロ・ボッティチェッリ 《ダンテ『神曲』「煉獄篇」挿絵素描より:愛の原理を説くウェルギリウス(第17歌)》
1480–1495年頃 サンドロ・ボッティチェッリ《ダンテ『神曲』「煉獄篇」挿絵素描より:地上の楽園、ダンテの罪の告白、ヴェールを脱ぐベアトリーチェ(第31歌)》
1490–1495年頃 ルーカ・シニョレッリ《人物を背負うふたりの裸体像》
1503–1504年頃 ミケランジェロ・ブオナローティ《聖家族のための習作》
――――――――――
 本展は、ベルリン国立美術館のうち、絵画館、彫刻コレクション及び素描版画館からイタリアや北方の絵画と彫刻、さらには優れたイタリア素描の傑作を集めて企画されています。一見すると美術史の概説的な展覧会に見えるかもしれません。実際、ベルリン美術館のコレクションの規模は百科全書的な規模で、ヨーロッパ美術の通史を概観するには余りある内容と規模を誇っています。しかし、その背後には非常に重要な意図が隠されています。
 19世紀にプロイセン帝国の首都ベルリンに国立美術館・博物館が誕生してから、プロイセン帝国の美術品コレクションは、その強大な経済力を背景として次第に類を見ない規模となり、国家的作品蒐集事業は、ヨーロッパ各国の美術館・博物館制度の範となりました。
 本展は15世紀から18世紀までのヨーロッパ美術を、イタリアと北方の美術を比較しながら観ることのできる展覧会です。そこには絵画のみならず、 15~16世紀のドイツを代表するリーメンシュナイダーの木彫や、フェルメール、さらにはベルリン素描版画館の誇るボッティチェッリの素描など、優れた作品が出品されます。
 ベルリン国立美術館は、プロイセン帝国時代の国家事業として人類学的観点からの作品蒐集と研究の時代を経た後、二度にわたる大きな戦争に翻弄されながら、戦争を乗り越え、東西ドイツの統一を果たした今、新たな未来を見据えて生まれ変わろうとしています。
――――――――――
■フェルメール「真珠の首飾りの少女」ベルリン国立美術館展、国立西洋美術館
「ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年」
http://www.berlin2012.jp/
国立西洋美術館2012年6月13日(水)~9月17日(月・祝日)
九州国立博物館2012年10月9日(火)~12月2日(日)

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2012年6月 9日 (土)

葛飾北斎・・・波濤の美

Hokusai_the_great_wave_off_kanagawa大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
北斎の絵画は、いのちの輝き、不朽の美を湛えている。自然の奥に秘められた不滅の生命の美しさ、苦難に打ち克つ人間の精神のドラマ、森羅万象あらゆるものを形象化した。「人物を書くには骨格を知らなければ真実とは成り得ない。」とし、接骨家・名倉弥次兵衛のもとに弟子入りして、接骨術や筋骨の解剖学をきわめた。葛飾北斎は、九十歳で死ぬまで、美と藝術を追求した。
不屈の精神をもちつづけ、63才から73才まで描きつづけた『冨嶽三十六景』「神奈川沖浪裏」、74才の作『富嶽百景』。砕け散る波濤の美しさは、滅びゆく自然の美を永遠に止めている。歴史に残る傑作である。
葛飾北斎(1760年10月31日-1849年5月10日)。転居すること93回。生涯に30回、頻繁に改号した。「春朗」「宗理」「北斎」「戴斗」「為一」「卍」、「画狂人」「画狂老人卍」などと自称した。
■北斎の最後の言葉「天我をして五年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし」
嘉永2年4月18日、北斎は卒寿(九十歳)にて臨終を迎えた。そのときこう言い残した。
『翁 死に臨み大息し「天我をして十年の命を長らわしめば」といい 暫くして更に言いて曰く「天我をして五年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし」と言吃りて死す』
辞世の句は『人魂で 行く気散じや 夏野原』
★代表作
『冨嶽三十六景』「神奈川沖浪裏」北斎改為一筆1823年-1833年
『冨嶽三十六景』「凱風快晴」北斎改為一筆1823年-1833年
『富嶽百景』二編9丁より「海上の不二」画狂老人卍筆1834年
『千絵の海』「総州銚子」1833年頃、前北斎為一筆。
『諸国滝廻り』「下野黒髪山 きりふりの滝」1833年-1834年
『鳳凰図屏風』肉筆、紙本着色 八曲一隻 ボストン美術館所蔵
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■北斎展、ホノルル美術館所蔵、三井記念美術館
前期4月14日~5月13日 後期5月15日~6月17日
アジア美術の所蔵で世界的に知られるホノルル美術館には、約10,000点もの浮世絵版画が収蔵されており、そのクオリティの高さには定評があります。コレクションの中核をなすのは、ミュージカル「南太平洋」の作者、ジェームス・A・ミッチェナー氏の寄贈による約5,400点で、我が国では歌川広重の名品を中心とした里帰り展が幾度か開催されています。
しかし、幕末の浮世絵界にあって広重と双璧をなす偉大な浮世絵師、飾北斎の作品が、ここホノルルの地にまとまっていることはあまり知られていません。しかもそれらの作品群は、世界有数の優れた収蔵内容を誇っていたのです。
北斎は、2010年に生誕250年を迎えました。その記念事業の一環として、このたびホノルル美術館が所蔵する北斎の逸品を網羅した初めての「北斎展」を開催する運びとなりました。
本展は、北斎の魅力を160余点であますところなく体験する一大展覧会であり、大きく二つのセクションから構成されます。はじめに、北斎を代表する「冨嶽三十六景」、「諸国名橋奇覧」、「諸国瀧廻り」、「琉球八景」、「詩哥写真鏡」、「百人一首うばがゑとき」の6種の揃物を紹介してゆきます。次々と連続して湧き出る北斎のイマジネーションの泉は、尽きるところを知りません。そして、デビュー当時の春朗時代の作品から、最晩年の89歳の作品「地方測量之図」までの70年近くにおよぶ画業を概観するコーナーへと続きます。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
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★『冨嶽三十六景』「神奈川沖浪裏」
★『諸国滝廻り』「下野黒髪山 きりふりの滝」
A_tour_of_the_waterfalls_of_the_pro

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