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2012年8月

2012年8月28日 (火)

ツタンカーメン展、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王の愛と苦悩

Tutankhamun_0Nefertitietakhenaton大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
18歳のファラオの死と悲劇の王妃アンケセナーメン。アマルナ美術を生み出したアクエンアテン王の改革と美しき王妃ネフェルティティの王宮の謎。
ツタンカーメンは、9歳で即位し、権力の頂点に立った。アクエンアテンとネフェルティティの3女であるアンケセナーメンと結婚した。だが18歳で急死した。
父王、偉大なアクエンアテン王は、神官団と戦い宗教改革、官僚制改革を実行した。そしてアマルナ芸術を残した。だが、ツタンカーメンは、なぜ太陽神アテン神から多神教アメン・ラー神へ復帰したのか。なぜテル・エル・アマルナからテーベへ遷都したのか。謎である。
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★王妃アンケセナーメン、枯れた矢車菊の花束
3300年の時を超えて、ツタンカーメンの墓は1922年11月4日イギリスのエジプト学者ハワード・カーターによって発見された。この中に2000点以上の宝物が眠っていた。ツタンカーメンは3重の人型棺の中に収められていた。枯れた矢車菊が、棺のそばに置かれていた。王妃アンケセナーメンが、葬儀が終わって埋葬するときに野に咲いている矢車菊を入れたらしい。発見者のハワード・カーターは心に残った出土品はこの矢車菊だと言っている。カーターは『ツタンカーメンの呪い』を受けることなく65歳まで生きた。[王妃が手向けた矢車菊の花束(カイロ・エジプト考古学博物館蔵)](cf.ハワード・カーター『ツタンカーメン発掘記』)
「黄金の玉座」(カイロ・エジプト考古学博物館)には、ツタンカーメン王と王妃アンケセナーメンの姿が描かれている。王は右腕を椅子の背に乗せてくつろいで腰かけ、王妃は右手を王の身体に当てて香油を塗る、若い2人の親密な場面が描かれている。
★ネフェルティティ、美しき者きたりぬ
ネフェルティティ(BC1396-1359 NeFeRTiTi、紀元前14世紀)は、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアクエンアテン(aKH-eN-aToN, イクナートン、アメンホテプ4世)の王妃。ファラオ、トゥト・アンク・アメン(Tutankhamun「アメンの生ける似姿」の意味 BC1342年頃 - BC 1324年頃)の義母である。
彼女の名の意味は、NeFeR-T-(美しい・者)が iTi(訪れた)。ネフェルティティは、謎を秘めた未完成の美しい胸像が著名であり、古代エジプトの美女の一人と考えられている。「ネフェルティティの胸像」(ベルリン、エジプト博物館所蔵)
★参考文献
ハワード・カーター『ツタンカーメン発掘記』筑摩叢書1971
鈴木八司『沈黙の世界史 王と神とナイル エジプト』新潮社1970年
鈴木まどか『エジプト美術の謎』1992
ツタンカーメン、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王の愛と苦悩
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展示作品の一部
「アテン神を礼拝するアクエンアテン王一家のレリーフ」(Relief of King Akhenaten family to worship God Aten)、新王国 第18王朝 前1365年頃 テル・エル・アマルナ出土 アラバスター 浮彫り、テル・エル・アマルナ大王宮大広間、欄干。
 アテン神を象徴する太陽球から発せられる光線は、アテン神からの祝福を表し、それを受けるアクエンアテン一家が描かれている。太陽光線の先端は掌の形をしており、生命を象徴する「アンク」を王の鼻先にかざしている。王と共に祝福を受けているのは、王妃ネフェルティティと王女メリトアテン。
「アクエンアテン王の巨像頭部」砂岩:ルクソール東岸 東カルナック、アテン神殿、柱廊。アメンヘテプ4世は、太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を行い、自らの名をアクエンアテン「(アテンに有益なもの)の意」に改めた。高さ5m以上の巨大なオシリス柱として、治世2~5年にかけてつくられ、カルナックのアテン神殿に設置された。特徴は、逆三角形の長い頭、細い目、厚い唇、尖った顎。
「ネフェルティティ王妃の頭部像」ミラ・ラヒーナ(メンフィス)、メルエンプタハ王宮
「王女の頭部像」
「下エジプト王冠を被ったツタンカーメンの像」「上エジプト王冠を被ったツタンカーメンの像」ルクソール(テーベ)王家の谷、ツタンカーメン王墓
「ツタンカーメンの棺形カノポス容器」ルクソール(テーベ)王家の谷、ツタンカーメン王墓
「チュウヤの人形棺」ルクソール(テーベ)王家の谷、チュウヤ墓
「アクエンアテン王のシャブティ」テル・エル・アマルナ、王家の溺れ谷
「ネフェルティティ王妃レリーフ」テル・エル・アマルナ、アテン大神殿
「ツタンカーメンの胸飾り」ルクソール(テーベ)王家の谷、ツタンカーメン王墓
「有翼スカラベ付き胸飾り」ルクソール(テーベ)王家の谷、ツタンカーメン王墓。
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ツタンカーメン展~黄金の秘宝と少年王の真実~
3300年の時を超えて、今なお人々を魅了し続ける古代エジプトの秘宝。中でも人気が高いツタンカーメン王にゆかりの品々が展示される『ツタンカーメン展』が開催。今回は、ツタンカーメンの王墓から見つかった副葬品約50点など、日本未公開の展示品を含むエジプト考古学博物館(カイロ博物館)所蔵の122点を展示。さらに、世界最高峰のエジプト考古学者ザヒ・ハワス博士の研究成果にも注目したい。
この貴重な機会に、謎に包まれたツタンカーメンの秘密に触れてみてはいかがだろうか。
http://kingtut.jp/
http://www.fujitv.co.jp/events/kingtut/top.html
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★ツタンカーメン展~黄金の秘宝と少年王の真実~、上野の森美術館
2012.8/4[土]~12/9[日] 開催時間 10:00~18:00 ※最終入場は17:00まで
Tutankhamun-ueno-2012

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2012年8月22日 (水)

「バーン・ジョーンズ展―装飾と象徴―」・・・眠れる森の美女

20120623大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
せみ時雨の夏の午後、二重橋前から美術館に行く。子どものころ見た映画『眠れる森の美女』の茨と眠り姫と魔女を思い出す。
すべてのものは朽ち果てていく。花の命は美しくも短い。『眠り姫』(Sleeping Princess)は、永遠に美しいままで止まりたい女の秘めたる願望の象徴である。『眠り姫』の世界は、止まったままの砂時計、野茨の花は花を散らすことなく咲き、永遠に少女のままで止まる。花の生命は短く、女の美しさは儚い。いばら姫は、100年の眠りの後、王子の口づけによって目覚める。
眠り姫は美徳(Tugend)と美貌(Schönheit)の化身であって、その美しさは彼女の無垢(Unschuld)の象徴である。
バーン・ジョーンズの絵画は、古代、中世の神話に彩られた世界、ラファエロ前派、イタリア絵画の影響深い、象徴的な世界である。イメージが象徴する意味は何か。
――
■『いばら姫』(Dornröschen) グリム版
国王夫妻がいた。子が生まれなかったが、女の子を授かり、祝宴に一人を除き国中の12人の魔法使いが呼ばれた。一番目の魔女からは美徳、二番目の魔女からは美貌、三番目の魔女からは富が約束された。以下この世で望まれるあらゆる素質が授けられた。宴の途中に、一人だけ呼ばれなかった13人目の魔女が現れ、11人目の魔女が贈り物をした直後「王女は錘が刺さって死ぬ」という呪いをかける。12人目の魔女が「王女は錘が刺さり百年間眠りにつく」という呪いに変える。王は、国中の紡ぎ車を燃やさせる。王女は、15歳の時に一人で城の中を歩いていて、城の塔の一番上で老婆が紡いでいた錘で手を刺し、眠りに落ちる。呪いは城中に波及し、茨が茂る。100年後、他国の王子が噂を聞き、城を訪れる。王女は王子のキスで目覚める。
■展示作品の一部
「クピドとプシュケ」連作 1872-1881 バーミンガム美術館
「ペレウスの饗宴」1872-1881 バーミンガム美術館
「プロセルピナの略奪」1882 バーミンガム美術館
「果たされた運命-大海蛇を退治するペルセウス」-連作『ペルセウス』1882年頃、サウサンプトン市立美術館
ペルセウスは大海蛇を倒し、生贄として鎖につながれていたエチオピアの女王アンドロメダを救う。劇的な構図と蛇や甲冑の色彩が鮮烈。
「運命の車輪」1871-85年、ナショナル・ギャラリー・オヴ・ヴィクトリア
女神フォルトゥーナ(ギリシャ神話:テュケー)は、人間の運命を司る大きな車輪を動かす。
「メドゥーサの死 Ⅱ」-連作『ペルセウス』1882年、サウサンプトン市立美術館 Southampton City Art Gallery / Bridgeman
英雄ペルセウス(ギリシャ神話の半神)は、その顔を見ると石に変えられてしまう怪物メドゥーサの退治を王から命じられ、首を切り落とした。今まさに首を抱えて飛び立とうとするペルセウスの雄姿。
「ピグマリオンと彫像-女神のはからい」1878年、バーミンガム美術館 Birmingham Museums
彫刻家ピグマリオンは、美しいガラテアの像を作った。そして、自身の彫像に恋をする。このような美しい妻がほしいと愛の女神に祈ると、彫像に生命が吹き込まれる。像が物質から人間に変わる様が連作で表現されている。
「眠り姫」-連作『いばら姫』1872-74年頃、ダブリン市立ヒュー・レイン美術館 Dublin City Gallery The Hugh Lane, Dublin
洗礼の日から100年の眠りにつかされた王女が、美しい王子によって目を覚まされる物語。1891年公開されたときロンドンの観衆が熱狂した。バーン=ジョーンズの代表作。
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「『夢の国』に住む一番素敵な若者の一人」 時代の寵児ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティにそう云わしめた気鋭の画家エドワード・バーン=ジョーンズ(1833-98)は、イギリスの工業都市バーミンガムで額縁職人の子として生まれました。オックスフォード大学において生涯の友ウィリアム・モリスと出会い、1861年にはアーツ・アンド・クラフツ運動の起点となる共同事業を創始します。そして、19世紀末には、その詩情にみちた静謐な画風によってヴィクトリア朝絵画の頂点をきわめました。しかし、バーン=ジョーンズの活動については、これまでラファエロ前派やモリス商会とのかかわりから注目されることが多く、その全体像が十分に把握されてきたとはいえません。
聖職をめざしていたバーン=ジョーンズが芸術の道を志そうと決めたのは、モリスと北フランスの大聖堂を巡った1855年のことです。翌年、大学を去ったバーン=ジョーンズは、前衛芸術家として知られるロセッティに弟子入りし、美術批評家ジョン・ラスキンの導きでイタリア美術を学びます。
生来の才能を開花させて、唯一無二の装飾デザイナーとしてモリスの活動を支える一方で、自身の絵画制作においては、装飾性と象徴性をあわせもつ独自の様式を確立しました。唯美主義運動を推し進め、象徴主義絵画の先駆けとなったその精緻な画風は、制作から一世紀あまりを経た今もなお、みずみずしい光を放ち、バーン=ジョーンズの作品の魅力をきわだたせています。
本展は、バーン=ジョーンズの全貌に迫る日本初の個展です。ランカスター大学ラスキン図書館・研究所長スティーヴン・ワイルドマン氏を監修者に迎え、世界屈指のコレクションを収蔵するバーミンガム美術館の協力を得て、油彩画、水彩画、素描、貴重書、タペストリなど、国内外から厳選した約80点を、聖書・神話・物語のテーマごとに展覧します。「聖ゲオルギウス」「クピドとプシュケ」「ピグマリオン」「ペルセウス」「いばら姫」など、バーン=ジョーンズ芸術の真髄を伝える代表的連作を紹介します。
展覧会サイト:http://mimt.jp/bj/
美術館サイト:http://mimt.jp/
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★「バーン=ジョーンズ展 ―装飾と象徴―」三菱一号館美術館
2012年6月23日(土)~8月19日(日)
http://mimt.jp/bj/

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2012年8月19日 (日)

大英博物館 古代エジプト展・・・永遠の生命とは何か

20120707大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
エジプトのファラオ、秦の始皇帝。階級社会の頂点に立つ者は、永遠の生命をのぞんだ。永遠の生命をのぞむのは何故か。永遠の生命とは何か。皇帝、ファラオたちが求めたのは、地上の権力、地位と金の永続であったのだろう。人は、肉体を失えば、魂のみである。永遠の生命とは何か。
魂は不滅であり、輪廻転生するならば、魂はどこへ行くのか。永遠の生命とは何か。冥界の旅を導く『死者の書』はいかなる意味をもつのか。
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■魂のピラミッド
この世には、階級社会による、富のピラミッドが存在する。地位と金と権力による人間界の支配である。人は、肉体を失えば、魂のみである。
魂のピラミッドも存在する。魂のレベルによる、魂の階級である。知性と品性と愛のレベルによって、魂のピラミッドは構築される。レベルの低い魂が存在する。財産と地位を積み重ねても、レベルの高い魂にはならない。レベルの低い魂には、真実は見えない。人は、肉体を失えば、魂のみである。
「金持ちが天国に入るのは駱駝が針の穴を通るより難しい。」(マタイによる福音書19章16-26節)
「たとえ、全世界を手にいれても、魂を失ったならばなんの益になろうか」(マタイ福音書16章26節)
愛とは与えることである。人が死んだ後に残るものは、集めたものではない。与えたものである。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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展示作品の一部
オシリス神像、新王国時代・第20柄王朝 前1100年頃 木、彩色
ミイラマスク、プトレマイオス朝またはローマ支配時代、前1~後1世紀 カルトナージュ、彩色、金箔
グリーンフィールド・パピルス(ネシタネベトイシェルウの『死者の書』第3中間期・第21王朝後期~第22王朝初期(前950-前930年頃) パピルス、インク
動物の風刺パピルス 新王国時代・第19王朝~20王朝(前1295-前1069年頃) パピルス、彩色
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古代エジプト人を来世へ導いた『死者の書』とは?
古代エジプトでは、人は死後に冥界の旅をへて来世で復活すると考えられていました。『死者の書』とは様々な試練が待つ旅路で死者に守護の力を与える呪文集、未来への旅のガイドブックです。その多くは美しい文字や挿絵で彩られたパピルスの巻物として死者に捧げられました。本展は大英博物館が誇る『死者の書』コレクションから全37mの世界最長の『死者の書』、「グリーンフィールド・パピルス」の全容を日本初公開するほか、ミイラや棺、護符、装身具など約180点で、古代エジプト人が祈りを込めた来世への旅路を追体験する展覧会です。
本展覧会は、『死者の書』の記述をもとに、古代エジプト人の死後の世界観と、来世へいたる旅を4つの章で紹介します。第3章では、世界最長の『死者の書』(グリーンフィールド・パピルス)37mの全容を日本で初めて一堂に展示します。
死者の書とは
『死者の書』とは様々な試練が待つ旅路で死者に守護の力を与える呪文集、未来への旅のガイドブックです。その多くは美しい文字や挿絵で彩られたパピルスの巻物として死者に捧げられました。現存する世界最長全長37mの『死者の書』(グリーンフィールド・パピルス)は、テーベを中心に上エジプトを支配していたアメン大司祭パネジェム2世の娘で女性神官のネシタネベトイシェルウの『死者の書』であり、天と地の誕生を表した挿絵は特に有名です。
第Ⅰ章 古代エジプトの死生観
古代エジプト人にとって、現世は仮の世界であり、来世への準備期間であるとみなされ、埋葬のための準備がなされました。また、生前の行為によって、死者の判定が行われました。その結果、死者は、死後に再生・復活し、永遠の生命を得るものと信じられていました。
第Ⅱ章 冥界への旅
古代エジプトでは、死者は様々なものに姿を変えながら、危険に満ちた冥界での旅を続けました。行手には、さまざまな困難が待ちうけ、それらを克服し、再生・復活を果たすために、呪文を唱えることが必要とされました。『死者の書』には約200の呪文(章句)が記されています。
第Ⅲ章 世界最長『死者の書』グリーンフィールド・パピルス
第3中間期第21王朝後期あるいは第22王朝初期(前950-前930年頃)のパピルスで、現存する世界最長全長37mの『死者の書』。テーベを中心に上エジプトを支配していたアメン大司祭パネジェム2世の娘ネシタネベトイシェルウの『死者の書』であり、天と地の誕生を表した挿絵は特に有名です。本展会場では37mの全容を日本で初めて一堂に展示します。
第Ⅳ章 『死者の書』をめぐる研究
『死者の書』は19世紀のエジプト学者が命名したもので、実際には「日のもとに出現すること(の呪文)(ペレト・エム・ヘルウ)」と呼ばれていました。古代エジプトでは、『死者の書』だけでなく、『洞窟の書』や『冥界の書』などの数多くの葬送文書が存在しています。
http://egypt2012.jp/index.html
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★大英博物館 古代エジプト展、森アーツセンターギャラリー
2012年7月7日(土)~9月17日(月・祝) 会期中無休
10:00~22:00
http://egypt2012.jp/index.html
2012年10月6日(土)~11月25日(日)福岡市美術館へ巡回します。

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2012年8月 2日 (木)

生誕120年福田平八郎と日本画モダン・・・福田平八郎「牡丹」、花の命は短く、美しい

20120526001大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
静寂な空間のなかに満開の牡丹が咲き乱れている。美しく、悲しく、妖艶である。花の命は短く、美しい時はつかの間である。女の美しさのように。裏彩色から浮かび上がる花の生命、花の魂を感じる。静けさのなかに気品がある。日々、殺し合いのような日常業務のなかで、命を込めた藝術をみると、心癒される。
宗画の細密な写実の技法で描かれた若き日の画家の作品。画家福田平八郎(1892-1974)、32歳の時の作品。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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★展示作品
福田平八郎「牡丹」2曲1隻、大正13年(1924)
福田平八郎「漣」昭和7年(1932年)大阪市立近代美術館建設準備室蔵
俵屋宗達、本阿弥光悦 「四季草花 和歌短冊帖」紙本、金銀泥
加山又造「濤と鶴」1977、紙本、彩色。
「百花繚乱 桜・牡丹・菊・椿」展、山種美術館2011でもみた『牡丹』が美しい。
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★生誕120年福田平八郎と日本画モダン、山種美術館
2012年5月26日(土)~7月22日(日)

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