「書聖 王羲之」・・・苦悩と美意識から生みだされた美しき書
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
東晋の風狂貴族、王羲之は、権力に阿ることを好まず、卑俗にして醜悪な権力闘争に身を浸すことを倦み、美意識を極度に洗練する。蘭亭の曲水流觴の詩会(三五三年)の2年後、上司、王述との軋轢から辞職し、世を離脱する。苦悩と隠遁の生涯から、美しき書が生みだされた。魏晋貴族は、乱世に身を置きながら、実利を求めず、憂き世離れした生きかたを求め、酒と清談に酔い、風狂的生活を誇り、崩壊する帝国をやり過した。王羲之は、隠遁して10年、59歳で没した。王羲之の死後、300年。
唐の太宗皇帝は、王羲之の書を愛するあまり、王羲之の最高傑作である『蘭亭序』は、自らが眠る昭陵に副葬された。太宗皇帝が、王羲之の書を愛したのは何ゆえか。
王羲之の書の模本、唐時代に作られた「双鉤塡墨」は、この世に10点を残すのみといわれる。原跡はこの世になく、模本、臨本、拓本が残された。
唐の太宗皇帝(599‐649)は、唐朝の第二代皇帝。高祖李淵の次男で唐王朝の基礎を固め善政を行い、中国史上最高の名君と称えられる。『晋書』王羲之伝は自ら注釈を行った。また645年(貞観19年)には玄奘がインドより仏経典を持ち帰り太宗は玄奘を支援して漢訳を行わせた。充実した政策により、太宗の治世を貞観の治と称し、後世で理想の政治が行われた時代と評価された。「家々は泥棒がいなくなったため戸締りをしなくなり、旅人は旅先で支給してもらえるため旅に食料を持たなくなった」(『旧唐書』)後世、太宗と臣下たちの問答が『貞観政要』として編纂された。
■参考文献
井波律子『中国の隠者』文春新書2001
井波律子『酒池肉林―中国の贅沢三昧』講談社現代新書
吉川忠夫『王羲之―
六朝貴族の世界 ―』岩波書店2010
魚住和晃『書聖 王羲之 その謎を解く』岩波書店2013
★王羲之『蘭亭序』八柱第三本(「神龍半印本」)は、東京で展示。「北京故宮 書の名宝展」江戸東京博物館、2008(平成20)年7月15日~9月15日
■展示作品
行穰帖 (部分) 原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸
プリンストン大学付属美術館蔵 Princeton
University Art Museum / Art Resource, NY
王羲之尺牘 大報帖
原跡=王羲之筆 東晋時代・4世紀 唐時代・7~8世紀摸 個人蔵
国宝 孔侍中帖(こうじちゅうじょう)(部分)
原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 前田育徳会蔵
喪乱帖(そうらんじょう)
原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 宮内庁三の丸尚蔵館蔵
妹至帖(まいしじょう)
原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 個人蔵
楽毅論(越州石氏本)(がっきろん えっしゅうせきしぼん)
王羲之筆 原跡=東晋時代・永和4年(348) 東京国立博物館蔵
褚模蘭亭序(王羲之筆 原跡=東晋時代・永和9年(353) 東京国立博物館蔵)
定武蘭亭序─許彦先本─(ていぶらんていじょ きょげんせんぼん)
(部分)
王羲之筆 原跡=東晋時代・永和9年(353) 東京国立博物館蔵
唐時代の欧陽詢(おうようじゅん)が臨書したと伝えられる、定武蘭亭序として名高い一本。蘭亭序の後ろに、煕寧5年(1072)9月4日に、許彦先が見たという識語があり、北宋時代に珍重されていた。
定武蘭亭序─韓珠船本─(かんじゅせんぼん)
王羲之筆 原跡=東晋時代・永和9年(353) 台東区立書道博物館蔵
蘭亭図巻─万暦本─(らんていずかん(ばんれきぼん))(部分)
原跡=王羲之等筆 明時代・万暦20年(1592)編 東京国立博物館蔵
国宝 真草千字文(しんそうせんじもん)
智永筆 隋時代・7世紀 個人蔵
展示構成
序章 王羲之の資料
第1章 王羲之の書の実像
第2章 さまざまな蘭亭序
第3章 王羲之書法の受容と展開
――――――――――――――
中国4世紀の東晋時代に活躍した王羲之(303~361、異説あり)は従来の書法を飛躍的に高めました。生前から高い評価を得ていた王羲之の書は、没後も歴代の皇帝に愛好され、王羲之信仰とでも言うべき状況を形成します。王羲之の神格化に拍車をかけたのは、唐の太宗皇帝でした。太宗は全国に散在する王羲之の書を収集し、宮中に秘蔵するとともに、精巧な複製を作らせ臣下に下賜して、王羲之を賞揚したのです。しかし、それゆえに王羲之の最高傑作である蘭亭序は、太宗皇帝が眠る昭陵(しょうりょう)に副葬され、後世の人々が見ることが出来なくなりました。その他の王羲之の書も戦乱などで失われ、現在、王羲之の真蹟は一つも残されていません。そのため、宮廷で作られた精巧な複製は、王羲之の字姿を類推するうえで、もっとも信頼の置ける一等資料となります。
この展覧会では、内外に所蔵される王羲之の名品を通して、王羲之が歴史的に果たした役割を再検証いたします。
蘭亭序とは
永和9年(353)3月、王羲之は会稽山陰の蘭亭に41人の名士を招き、詩会を催しました。これが有名な、蘭亭の雅宴です。王羲之を含め都合42人が曲水の畔に陣取り、上流から觴(さかずき)が流れ着くとその酒を飲み、詩を賦(ふ)します。しかし、詩が出来上がらなければ、罰として大きな觴の酒を飲まなければなりませんでした。
この日、四言と五言の2編の詩をなした者11人、1編の詩をなした者15人、詩をなせず罰として大きな觴に3杯の酒を飲まされた者は16人でした。
酒興に乗じて王羲之は、この詩会でなった詩集の序文を揮毫しました。世に名高い蘭亭序です。28行、324字。王羲之は酔いが醒めてから何度も蘭亭序を書き直しましたが、これ以上の作はできず、王羲之も自ら蘭亭序を一生の傑作として子孫に伝えました。
東京国立博物館
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■日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年
特別展「書聖 王羲之」
東京国立博物館2013年1月22日(火) ~ 2013年3月3日(日)
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