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2013年11月

2013年11月28日 (木)

竹内栖鳳展 近代日本画の巨人・・・哀愁のイタリア、『ベニスの月』

Takeuchi_201309030Seihou_201309Takeuchi1904大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』 より
黄葉の道を歩いて、美術館に行く。竹内栖鳳の百年前のイタリアの光景をみると、美しい哀愁のイタリアが蘇る。ローマ遺跡の廃墟の光景を描いた水墨画風の屏風『羅馬之図』。『ベニスの月』の水墨画は、涙にむせぶ。ヴェネツィアの憂愁の風景はバイロン『チャイルド・ハロルドの巡礼』(1818)の青春の悔恨と魂の救済を思い出す。
竹内栖鳳『絵になる最初』(1913)の京女は、形姿を超えた美がある。
京都画壇最高の画家、竹内栖鳳は、四条派、円山派、狩野派、日本がすべての手法を身につけ、1900年36歳の時、7ヶ月ヨーロッパを旅した。ヨーロッパ美術に衝撃を受け西洋美術の写実技法を身につけ、外形の写実ではなく、本質を捉えることを追求した。
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展示作品の一部
『城外風薫』昭和5(1930)年山種美術館
『絵になる最初』大正2(1913)年京都市美術館
『炎暑』昭和5(1930)年 愛知県美術館(木村定三コレクション)展示期間 9/25~10/14
『班猫』(重要文化財)大正13(1924)年 山種美術館 展示期間:9/25~10/14(東京展)、11/12-12/1(京都展)
『絵になる最初』 大正2(1913)年 京都市美術館
『羅馬之図』明治36(1903)年 海の見える杜美術館 展示期間 9/3~9/23
『ベニスの月』(ビロード友禅)明治40(1907)年 大英博物館
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参考文献
竹内栖鳳展 近代日本画の巨人・・・哀愁のイタリア、『ベニスの月』
https://bit.ly/394zM7A

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日本画家の竹内栖鳳(1864-1942)は、京都画壇の近代化の旗手として土田麦僊をはじめとする多くの後進に影響を与えました。
栖鳳は京都に生まれ四条派の幸野楳嶺に学びましたが、積極的に他派の筆法を画に取り入れ、また定型モティーフとその描法を形式的に継承することを否定し、画壇の古い習慣を打ち破ろうとしました。その背景には、1900年のパリ万博視察のための渡欧がありました。現地で数々の美術に触れ、実物をよく観察することの重要性を実感したのでした。
しかし、やみくもに西洋美術の手法を取り入れたのではないところに栖鳳の視野の広さがありました。江戸中期の京都でおこった円山派の実物観察、それに続く四条派による対象の本質の把握と闊達な筆遣いによる表現は幕末には形式的なものとなり、定型化したモティーフとそれを描くための筆法だけが残されてしまいました。栖鳳は実物観察という西洋美術の手法を参考にしつつ、西洋と肩を並べられるような美術を生み出そうという気概でこれら伝統絵画の根本的理念をもう一度掘り起こそうとしたのです。
本展は、栖鳳の代表作、重要作、長らく展覧会に出品されてこなかった作品約100点、素描などの資料約50点で栖鳳の画業を通観し、栖鳳が新たな時代に築いた日本画の礎を示します。
近年、土田麦僊、上村松園、村上華岳といった代表的な画家のみならず、都路華香、稲垣仲静など、これまで広くは知られてこなかった京都の日本画家たちが展覧会で紹介されています。今回、彼らに大きな影響を与えた栖鳳の画業を振り返ることにより、京都画壇ひいては日本画の近代化という事象を改めて検証することも可能となるでしょう。東京国立近代美術館
http://seiho2013.jp/highlight.html
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★竹内栖鳳展 近代日本画の巨人 その筆は、極限を超える
2013年9月3日(火)~10月14日(月・祝):東京国立近代美術館
2013年10月22日(火)~12月1日(日):京都市美術館
http://seiho2013.jp/
★竹内栖鳳『ベニスの月』( 1907 )

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2013年11月13日 (水)

ターナー展 英国最高の巨匠・・・イタリアの黄昏、黄金の光

20131008062013100801大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
秋の夕暮れの光が、枯葉とともに舞う午後、美術館に行く。ターナーの絵を見ると、晩秋のイタリアの旅、ヴェネツィアの黄昏の黄金の光を思い出す。イタリアの夕暮れの色調、ターナーが影響を受けた画家はだれか。
ロマン主義の詩人バイロン、シェリーは、イギリスの階級社会の鬱屈に抗しロマンスを求めて、イタリアの美しい風光に旅立ち、詩魂を洗練し磨き上げた。官能と美の陶酔、限りある生命の儚さと美、宵闇迫る黄昏時の美。輝けるルネサンスの残影、沈みゆくヴェネツィアの輝きと闇の光。(大久保正雄『藝術家たちの地中海紀行』)
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner 1775 - 1851)は19世紀イギリスのロマン主義の画家である。西洋絵画史における有数の風景画家の1人である。詩人バイロンの物語詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』(1818)に憧れて、44歳の時、イタリア旅行し、この時の作品とヴェネツィアを描いた絵画が頂点である。クロード・ロラン(Claude Lorrain 1600 - 1682)の影響を受け、美しいイタリアの黄昏の風景を描いた。
大英帝国の繁栄は、属国の苦しみの上に構築された。ヴィクトリア女王が統治していたヴィクトリア朝(1837年~1901年)の時代は、イギリス史において産業革命による経済が成熟したイギリス帝国の絶頂期である。ヴィクトリア女王の治世1837年から1901年は英国の黄金期であるばかりでなく、英国美術の黄金期、爛熟期であった。イギリス帝国のムガル帝国、インド帝国搾取の犠牲の上に、英国美術の黄金期は築かれた。「綿織物工の骨がインドの平原を白く染めている」(ウィリアム・ベンティンク)。(大久保正雄『藝術と文明-権力闘争の歴史-』、大久保正雄『国家は滅びても都市は滅びない』)
ヴァティカン回廊からサン・ピエトロ広場を見下ろすラファエロと恋人の幻影。バイロンの詩の主人公チャイルド・ハロルドは青春を浪費したことを悔い、異国の地に魂の救済を求め、イタリアの痛切な美に心を満たされる。藝術家のイタリアへの旅は、探求の旅である。バイロンの詩句の夢見るような憂愁。ローマ文明の衰退、イタリアの美しさに陶酔する。旅路の果てに、美と魂の救済を見出す。
「永遠の都市」ローマのまばゆい光。かつての美しく高貴なヴェネツィアが、優雅な趣を揺曳しながら衰微する姿。(大久保正雄『藝術家たちの地中海紀行』)
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
ターナー展 英国最高の巨匠・・・イタリアの黄昏、黄金の光
https://bit.ly/2Pp8u1B

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主な展示作品
Ⅰ 初期
ターナー「月光、ミルバンクより眺めた習作」Moonlight, a Study at Millbank
[1797年ロイヤル・アカデミー展出品/油彩/板材/縦31.4cm x 横40.3cm]
Ⅱ 「崇高」の追求
ターナー「バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」Buttermere Lake,with Part of Cromackwater, Cumberland, a Shower
[1798年ロイヤル・アカデミー展出品/油彩/カンヴァス/縦88.9cm x 横119.4cm]
Ⅲ 戦時下の牧歌的風景
ターナー「スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船」
[1808年発表 油彩、カンヴァス 171.4 x 233.7㎝]
Ⅳ イタリア
★ターナー「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」1820 Rome, from the Vetican. Raffaelle, Accompanied by La Fornarina, Preparing his Pictures for the Decoration of the Loggia
偉大な画家ラファエロを讃える絵画で、ヴァティカンの名高い回廊を訪ねたのが制作の契機。サン・ピエトロ広場を見下ろす優雅な回廊は、16世紀にラファエロと弟子たちが装飾をほどこした。
[1820年ロイヤル・アカデミー展出品/油彩/カンヴァス/縦177.2cm x 横335.3cm]
★ターナー「チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア」1832 Childe Harold's Pilgrimage-Italy
詩の主人公チャイルド・ハロルドは青春を浪費したことを悔い、異国の地に魂の救済を求め、ついにイタリアの痛切な美に心を満たされる。。ターナーのイタリア訪問も、チャイルド・ハロルドと同じ探求の旅である。バイロンの詩句の夢見るような憂愁を捉え、ローマ文明の衰退を嘆きながら、イタリアそのものの自然の美しさに陶酔する。(『ターナー展図録』参照)旅路の果てに、美と魂の救済を見出す。
[1832年ロイヤル・アカデミー展出品/油彩/カンヴァス/縦142.2cm x 横248.3cm]
★ターナー「レグルスRegulus」1828
クロード・ロランの描いた名高い港の絵にインスピレーションを得ている。ターナーは「永遠の都市」を訪れる途上立ち寄ったフィレンツェで、この絵を再び目にした(『ターナー展図録』参照)
[1828年ローマで展示、1837年加筆/油彩/カンヴァス/縦89.5cm x 横123.8cm]
Ⅴ 英国における新たな平和
ターナー「夕べ、湖面の小船と遠方の塔」1827
ターナー「逆賊門、ロンドン塔」サミュエル・ロジャーズ『詩集』のための挿絵1832
Ⅵ 色彩と雰囲気をめぐる実験
ターナー「黄色い砂丘の上の青い月影」1824
Ⅶ ヨーロッパ大陸への旅行
ターナー「バッシー門より望むパリ」1833
Ⅷ ヴェネツィア
ターナー「ヴェネツィア、総督と海の結婚の儀式 サンマルコ広場」1835
★ターナー「ヴェネツィア、嘆きの橋」Venice, the Bridge of Sighs 1840
[1840年ロイヤル・アカデミー展出品/油彩/カンヴァス/縦68.6cm x 横91.4cm]
ターナー「ヴェネツィア、月の出」Venice,Moonrise
[1840年:「大運河、ジューデッカ島」スケッチブック/水彩/紙/縦22.0cm x 横31.9cm]
ターナー:黄昏時のプンタ・デッラ・ドガーナ(税関舎)とサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会をホテル・エウロパより望む The Punta della Dogana and Santa Maria della Salute at Twilight, from Hotel Europa
[1840年/鉛筆、水彩/紙/縦19.4cm x 横28.0cm]
Ⅸ 後期の海景画
ターナー「日の出」1840
Ⅹ 晩年の作品
ターナー「湖に沈む夕陽」
[1840-45年頃 油彩、カンヴァス 91.1 x 122.6㎝]
ターナー「平和―水葬」Peace-Burial at Sea
[1842年ロイヤル・アカデミー展出品/油彩/カンヴァス/縦87.0cm x 横86.7cm]
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26歳にして英国王立アカデミーの正会員に選出されたターナーは、生涯にわたって英国ロマン主義を牽引しました。近代西洋絵画における風景画の地位を飛躍的に高め、モネやピサロなど後の印象派の画家にも多大な影響を与えました。
ターナー作品約2万点を所蔵し、世界最大のターナー・コレクションを誇る英ロンドンのテート美術館から、油彩の代表作30点、水彩等約70点。西洋美術史上に輝く巨匠の足跡を辿る。
17世紀の画家クロード・ロランへの憧憬がよく表れている名作「レグルス」。「チャイルド・ハロルドの巡礼-イタリア」は、夏目漱石が「坊っちゃん」で言及した。
40歳、壮年期以降ターナーの心をとらえ続けたヴェネツィアの街を主題とした「ヴェネツィア、嘆きの橋」。光や大気まで描く独自の画風を展開する晩年の境地「平和-海上の儀式(水葬)」。後世の抽象画に通じる革新的な最晩年の作品まで。ターナーの画業の全貌を網羅する展覧会。
http://www.turner2013-14.jp/
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ターナー展 英国最高の巨匠 待望の大回顧展!
http://www.turner2013-14.jp/
2013年10月8日(火)~12月18日(水)
東京都美術館(東京・上野公園)
2014年1月11日(土)~4月6日(日)
神戸市立博物館(兵庫・神戸市中央区)
★ターナー「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」1820

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2013年11月10日 (日)

印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで・・・枯葉舞う秋の夕暮れ

201310041枯葉舞う秋の午後、美術館に行く。モネ「サン・ジェルマンの森の中で」アルフレッド・シスレー「舟遊び」をみると、柔らかな光に包まれる。枯葉舞う秋の午後、春のうららかな静謐な光は、印象派の世界を思い起こす。
象徴主義の詩人ボードレールは、夕暮れを愛した。
時こそ今は水枝さす、こぬれに花の顫ふころ、花は薫じて追風に、不断の香の爐に似たり。匂も音も夕空に、ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈(くるめき)よ。「薄暮の曲」シャルル・ボードレール上田敏『海潮音』
光の画家、モネ『印象 -日の出Impression, soleil levant』(1872マルモッタン美術館)は、イギリス・ロマン主義の風景画家ウィリアム・ターナー『ノラム城、日の出Norham Castle, Sunrise』(1840)に強い影響を受けて生まれた。『散歩、日傘を差す女La promenade, La femme à l'ombrelle』(1875ワシントン・ナショナル・ギャラリー) には、アルジャントゥイユ、亡くなったカミーユ(モネ夫人)の面影が刻まれている。
分割主義(Divisinism)を確立したジョルジョ・スーラ(Georges Seurat)『グランド・ジャッド島の日曜日の午後』(1886)は、色彩分割の最高傑作である。夏の強い日差しが、淡い光に溶けて春のようである。新印象派(neo-impressionism)と呼ばれる。最後の印象派展第8回に出展された。スーラ(1859-1891)は、31歳の若さで亡くなった。「ポール・アン・ベッサンの外港」(1888)を残した。
この展覧会のテーマは、色彩の分割主義の展開である。「印象派の筆触分割と視覚混合から、新印象派のスーラの分割主義、新印象派の影響を受けたゴッホの補色関係の色彩構築、モンドリアンの三原色に分割された宇宙的な調和に満ちた抽象絵画へ」。
印象派(Impressionisme)の展開は、遠近法の解体、色彩の独立、抽象画へ、絵画の解体の歴史である。

展示作品
Ⅰ 印象派の筆触
モネ・シスレー・ピサロ、印象派において「筆触分割」と「視覚混合」が、点描によって試みられた。
クロード・モネ「サン・ジェルマンの森の中で」1882
アルフレッド・シスレー「舟遊び」
アルフレッド・シスレー「森のはずれ 6月」1884
アルフレッド・シスレー「モレのポプラ並木」
カミーユ・ピサロ「エラニーの教会と農園」
Ⅱ スーラとシニャック―分割主義の誕生と展開 The Origin and Development of Divisinism
ジョルジョ・スーラ「入り江の一角、オンフルール港」1886
ジョルジョ・スーラ「ポール・アンベッサンの日曜日」1888
ジョルジョ・スーラ「若い女」=「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」のための習作1884-85、コンテ・クレヨンによる素描
ポール・シニャック「マルセイユ港の入り口」1898
マクシミリアン・リュス「パリ、モンマルトルからの眺め」1887
モーリス・ドニ「病院での夕暮れの祈り」1890
Ⅲ ゴッホと分割主義
ゴッホは、糸巻を使って、補色関係を研究して、色彩を配色した。ゴッホは、ブラン「色環図」を参照した。
フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」1887
フィンセント・ファン・ゴッホ「種まく人」1888
フィンセント・ファン・ゴッホ「レストランの内部」1887
フィンセント・ファン・ゴッホ「麦束のある月の出の風景」1887
Ⅳ ベルギーとオランダの分割主義
レイセルベルヘの作品が美しい。
テオ・ファン・レイセルベルヘ「満潮のペール=キリディ」1889
テオ・ファン・レイセルベルヘ「7月の朝、果樹園に集う家族」1890
テオ・ファン・レイセルベルヘ「読書する女」1900
Ⅴ.モンドリアン―究極の帰結
ピート・モンドリアン「赤と黄と青のあるコンポジション」1927年クレラー=ミュラー美術館
――――――――――
 19世紀末から20世紀前半のヨーロッパ絵画において色彩は、外界の事物を再現するという役割から次第に解放され、ひとつの表現として自立していきます。色彩の独立は、印象派の筆触分割に、その萌芽を見出すことができます。新印象派の代表的な画家であるスーラは、印象派の感覚的な筆触分割には飽きたらず、科学的な知識をもとに独自の点描技法を開拓しました。色彩を純色の小さな点に分解して描く分割主義は、フランスを超えてヨーロッパ各地に瞬く間に広がります。そして、シニャックによる理論化にも後押しされて、抽象絵画の創設にも大きく貢献しました。オランダからパリに出たゴッホは、新印象派の技法に大きな着想を得て色彩を探求し、やはり点描を通過したモンドリアンは後年、三原色に分割された宇宙的な調和に満ちた抽象絵画へと到達したのです。
 本展は、ゴッホの優れたコレクションで知られるオランダのクレラー=ミュラー美術館の特別協力のもと、スーラ、ゴッホ、モンドリアンを中心にした、フランス、オランダ、ベルギーの画家たちによる色彩の探求を検証するものです。国内の所蔵機関の協力も得て一堂に展示される、油彩画、水彩画、素描、約90点にも及ぶ珠玉の作品を通じ、絵画の真髄ともいえる色彩の輝きを新たな目で捉えなおします。
http://km2013.jp/
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■印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで
クレラー=ミュラー美術館所蔵作品を中心に
2013年10月4日(金)~12月23日(月・祝)
国立新美術館 企画展示室1E
http://km2013.jp/highlight.html
Divisinismプレスリリース:http://km2013.jp/image/pressrelease.pdf
★「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」(Georges Seurat,Un dimanche après-midi à l'Île de la Grande Jatte,The Art Institute of Chicago,1886)
Georges_seurat

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