「若冲と蕪村」・・・黄昏の美術館
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
黄昏の丘、黄昏の森を越えて、黄昏の街に行く。黄昏の美術館、夕暮れの諧調。愛を語る星降る夜、花の森。美しい天使は、魂が美しい人を助けるためにやってくる。天は見ている。
夕暮散歩して、出雲大社分祀の道を歩き、美術館に行く。彷徨える藝術家、蕪村の「夜色楼台図」「鳶・烏図」には、苦難に耐える孤高な旅人の美しい姿がある。
美への旅、大久保正雄『旅する哲学者』より
夕暮れの美術館、ソファで図録を読みながら、うたた寝すると、隣の女性が話しかけてきた。「美術館で図録を買っても、開いて見ることはないんです。深いことは何も書いてないんですよ。表面的な浅い事しか、書いてないんです。」と彼女。「若冲ワンダーワールド展を見に、MIHOミュージアムに行ったら、ギリシア彫刻やガンダーラ美術があった。どうしてですか」
大久保正雄『ふしぎな美術館』より
★主要展示作品「若冲と蕪村」
「象と鯨図屏風」、伊藤若冲筆 六曲一双、右隻左隻寛政9年(1797) MIHO MUSEUM蔵
紙本拓本「乗興舟」、伊藤若冲筆 大典顕常跋 明和4年(1767)頃
「猿猴摘桃図」、伊藤若冲 伯珣照浩賛
「夜色楼台図」国宝 与謝蕪村 18世紀 個人蔵
与謝蕪村「鳶・烏図」18世紀 北村美術館
「山水図屏風 」与謝蕪村筆 六曲一双 天明2年(1782) MIHO MUSEUM蔵
「蜀桟道図」与謝蕪村筆 一幅 安永7年(1778) LING SHENG PTE. LTD(Singapore)
■生誕三百年同い年の天才絵師 若冲と蕪村、サントリー美術館
2015年3月18日(水)~5月10日(日)
正徳6年(1716)は、尾形光琳が亡くなり、伊藤若冲と与謝蕪村というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。
伊藤若冲(享年85、1800年没)は、京都にある青物問屋の長男として生まれ、23歳の時に家業を継ぎますが、30代中頃には参禅して「若冲居士(こじ)」の号を与えられ、40歳で隠居して絵を描くことに本格的に専念します。
一方、与謝蕪村(享年68、1783年没)は、大坂の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました。
若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。
本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、若冲と蕪村の代表作品はもちろん、新出作品を紹介するとともに、同時代の関連作品を加えて展示し、人物、山水、花鳥などの共通するモチーフによって対比させながら、彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい一断面をご覧いただきます。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_2/index.html
■
これまでの主な若冲展
若冲ワンダーワールド、MIHO MUSEUM、 2009年9月1日(火)~ 12月13日(日)
プライスコレクション 若冲と江戸絵画、東京国立博物館、2006年7月4日(火) ~ 2006年8月27日(日)、愛知県美術館、2007年4月13日(金)~ 6月10日(日)
伊藤若冲アナザーワールド、千葉市美術館、2010年5月22日(土) ~ 6月27日(日)
「若冲展」、相国寺承天閣美術館、2007年5月13日-6月3日
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