ボッティチェリ展、「書物の聖母」・・・蘇るルネサンス
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
桜の蕾が膨らむ森を歩いて、啓蟄の日、美術館に行く。春のイタリア、トスカーナの野を彷徨い歩いた日々、百花繚乱のイタリアの旅を思い出す。友人は黄色のドレスを着て黄色い靴と黄色いバッグをもってやってきた。ルネサンスは、コジモ・デ・メディチが、プラトン哲学の奥義を受けた時(1439)に始まる。メディチ家は運命の扉を開いた。美しい魂は蘇る。春爛漫、再会と再生と蘇り。美の女神、幸運の女神が舞い降りてくる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
プラトン・アカデミーの人々
ボッティチェリ(Botticelli,1444-1510)は、数少ない純粋なルネサンス絵画を描いた。ルネサンス藝術の源泉である。プラトン・アカデミーの詩人から教えを受けた。
ボッティチェリ『春』1482、『ヴィーナスの誕生』1485、『ミネルヴァとケンタウロス』1482、『ヴィーナスとマルス』1483、『ナスタジオ・オネスティの物語』1483。
ボッティチェリの美しい聖母子像は、美人画と聖母子像の源泉である。
『マニフィカートの聖母』1480-81、『書物の聖母』1480-81、『石榴の聖母』1485。『東方三博士の礼拝』(1475)に、コジモ、ロレンツォ、ジュリアーノ、ピエロ、ポリツィアーノ、プラトン・アカデミーの人々の顔が刻まれている。
ルネサンスの死
1492年ロレンツォが死に、プラトン・アカデミーの詩人、思想家たちが次々に死ぬ。1499年、ルネサンスは終焉する。1494年イタリア戦争が勃発、フランス王シャルル8世がフィレンツェに入城し、メディチ家を追放した。サヴォナローラは、1494年から98年までフィレンツェの実権をにぎり神政政治を行い「虚飾の焚刑」(97)を行ったが、教皇アレクサンデル6世によって破門され、焚刑に処せられる。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美への旅』より
★ボッティチェリ『書物の聖母』1480-81
★ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』(Adorazione dei Magi)1475
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サンドロ・ボッティチェリ(1444/45-1510)は、優雅で美しい聖母や神話の女神を描いた画家として知られます。その作品は多くが板に描かれ、きわめて繊細であるため、まとまった数の来日はこれまでに叶いませんでした。日伊国交樹立150周年記念として実現する本展は、フィレンツェをはじめ世界各地から20点以上ものボッティチェリ作品を集め、その画業を一望する大回顧展です。
フィリッポ・リッピの工房で修業を積み、生涯のほとんどをフィレンツェで過ごしたボッティチェリは、メディチ家の画家として名を馳せ、大型の祭壇画から私的な神話画まで、幅広い主題の絵画を手掛けました。同時代の芸術家たちが、遠近法や明暗法を駆使した自然主義的な表現に向かうなか、ボッティチェリは中世美術を思わせる装飾的、象徴的な様式を貫き、独自の絵画世界を作り上げます。本展においては、初期から晩年までの宗教画、神話画、肖像画を通して、ボッティチェリ作品の特徴と魅力を紹介するとともに、師のフィリッポ・リッピや弟子のフィリッピーノ・リッピの作品をあわせて展示し、15世紀フィレンツェにおける絵画表現の系譜をたどります。
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ボッティチェリ展、東京都美術館
2016年1月16日(土) ~ 4月3日(日)
http://www.tobikan.jp/
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