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2016年11月

2016年11月22日 (火)

ゴッホ『星月夜』・・・生命の糸杉と天への回帰

Van_gogh_starry_night_1889_2Gogh_harvest_1888地中海の糸杉の丘の上に、神殿が聳える。糸杉の町の夜空に、星が降る。星降る夜、生命は天界へ回帰する。
糸杉は生命の象徴であり、星月夜は天界を意味する。『星月夜』は天界への回帰を意味しているのか。生死の境をさまよった藝術家たち。星空に生命界と宇宙の一体を観じる人。
ハープ協奏曲のように心がうっとりする書物を書くこと。病院の病床で、魂が癒される言葉を書くことが、天に徳を積む仕事である。*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
ゴッホは、1888年、南仏に行ってから、生命の燃焼する絵画を描く。麦畑、花咲く野、カフェテラス、果樹園、跳ね橋。『夜のカフェテラス』、『ラ・クロの収穫』、『種まく人』、『アルルの跳ね橋』。『星月夜』、『糸杉と星のみえる道』に、鮮烈な心象風景が刻まれている。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
宮澤賢治は、ゴッホの糸杉に共感した。宮澤賢治『春と修羅』(mental sketch modified) 1924に、糸杉が現れる。糸杉と星月夜が二人を結びつける。
【天に徳を積む仕事】
天に徳を積む仕事がある。困っている人を助けること。人の心を豊かにすること。世に埋もれている才能を光ある場所に送り出すこと。これは小人にはできない、天人の仕事である。*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
【人間性】いかに高級な藝術、料理を楽しんでも人間性は高くならない。人を高めるのは困っている人を助けること。人の心を癒すこと、豊かにすることである。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
【夭折した藝術家】
「たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ。」ゴッホの言葉
「愛は永久不滅だ。姿形を変えることはあるが、本質は決して変わらない。」ゴッホ
「輝く天の仕事もするだろう」宮澤賢治『春と修羅第二集』
ゴッホ(1853-1890)は、27歳から37歳まで、数万点の絵を描いたが、1枚しか売れず。1888年アルルに住み、鮮烈な絵を描き始める。37歳で死ぬ。
宮澤賢治(1896—1933)は、28歳の時『春と修羅』『注文の多い料理店』を出す。37歳で病死する。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より「宮澤賢治 輝く天の仕事 美への旅」
https://t.co/MCQLkf9YVW
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ゴッホ(Vincent van Gogh1853-1890)は、1877年、画家になることを決意した。1886年、ファン・ゴッホはパリに出る。印象派の輝く色彩と新印象派の点描技法に強い影響をうけ、第8回印象派展に参加した。1888年2月末、ファン・ゴッホはパリの喧騒を離れ、南仏アルルに移り住む。南仏の強い光のもと傑作の数々を生み出す。ゴッホの人生は、1988—90に凝縮されている。
★ゴッホ『夜のカフェテラス』1888、『ラ・クロの収穫』1888、『種まく人』1888、『アルルの跳ね橋』、『ひまわり』、『黄色い家』1888、『星月夜』1889、『糸杉と星のみえる道』1890、『夕暮れの風景』1890、『ドービニーの庭』1890、『オーヴェールの教会』『からすのいる麦畑』1890
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「夜空の星をみているといつも夢見心地になるが、それは地図の上で町や村を表す黒い点を見てあれこれと夢想することに近い。何故、夜空に輝く点にはフランス地図の上の点のように近づくことができないのか不思議に思う ~中略~ 僕らは死によって星へと到達するのだ」http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gogh.html
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19世紀パリの画家
マネ、ドガ、パリのブルジョワ絵画、1860年、パリの銀行家
Manet, Degas,
印象派、1874年
モネ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、ピサロ、シスレー
Monet, Renoir, Cezanne, Degas, Camille Pissarro, Sisley
新印象主義、1886以後
ジョルジュ・スーラ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン
Georges Seurat, Cezanne,Gogh,Gauguin
ジョルジュ・スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884
Georges Seurat, 1859-1891、31歳で死す。
Vincent Van Gogh.1853-1891 37歳で死す。
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ゴッホとゴーギャン展、東京都美術館、2016.10.8(土)~12.18(日)
ゴッホ展、孤高の画家の原風景、東京国立近代美術館、2005.3.23-5.22
印象派を超えて、点描の画家たち、国立新美術館、2013.104~12.23
没後120年「ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」国立新美術館 2010年10月1日~12月20日
「新印象派、光と色のドラマ」、東京都美術館、2015.1.24-3.29
★ゴッホ『星月夜』1889, Metropolitan Museum, New York
★ゴッホ『ラ・クロの収穫』1888

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2016年11月19日 (土)

ダリ『記憶の固執』・・・スペインの荒涼とした大地

SalvadordallapersistenciadelamemoriSalvador_dali_disintegration_of_per秋の午後、森を歩いて美術館に行く。ダリの絵をみると、スペインの荒涼とした大地を思い出す。寂寥の大地に広がる夢と幻想。
私が、スペイン、ポルトガル、イベリア半島を旅したのは、遠い時の彼方のようである。
チューリッヒから夜間飛行でイベリア半島上空を、リスボンに飛行し、オビドス、シントラ、ロカ岬、メリダ、ポルトガルをめぐって、国境の町バダホスからスペインに入り、ミハス、コスタ・デル・ソル、コルドバ、グラナダ、アンダルシア地方を旅して、トレド、マドリッドから、バルセロナに飛行した。飛行機の下にみえる、スペインの荒涼たる大地と地中海。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿が聳える。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
ダリ『記憶の固執』1931、『記憶の固執の崩壊』1954、『降りてくる夜の影』1931『謎めいた要素のある風景』1934。
『記憶の固執』、ダリのアトリエからみえるポルト・リガトの海と岩と柔らかい時計がある。ある日の午後、溶けた時計が見えた。「私は二つの柔らかい時計を見た。そのうちひとつはオリーヴの木の枝に嘆かわしい姿でぶらさがっていた。」ダリ『わが秘められた生涯』1942
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幻想派は、現実と夢の狭間で生きる。現実の苦しみに耐えられず、夢の世界に逃れ、夢の世界に目覚める。
ダリの20年前に、デ・キリコは、幻想と神秘と郷愁の絵画を創出した。デ・キリコは、初期に代表作を描く。その後の人生は自己模倣と古典の研究である。デ・キリコはイザベッラを愛し、ダリはガラを愛した。
【形而上絵画派】Métaphysique
ジョルジュ・デ・キリコGiorgio de Chirico,1888-1978
イタリアの街の神秘を描いた。デ・キリコは、1910年始め、フィレンツェへ行く。そこでシリーズ"Metaphysical Town Square"を制作。サンタ・クローチェ教会で霊感を受けて描き上げた作品「秋の午後の謎 」「神託の謎」「時間の謎」がある。
1911年にパリに行く。モンマルトルでピカソやアポリネールに出会い、1912年にサロン・ドートンヌ、1913年にパリのアンデパンダン展に出展。詩人・美術評論家のギョーム・ド・アポリネールに「形而上絵画Peinture métaphysique」と評価される。世界に登場する。
デ・キリコは、1枚の絵『街の神秘と憂愁』1914が、形而上絵画Metaphysical Paintingとして評価され、90年の生涯を、夢と絵画の現実の狭間で生きる。
後のシュールレアリスムsurréalismeに影響を与える。目に見える形をそのまま描くのではなく、物事の本質的を表現する。現実を超えた幻想、夢と現実の狭間の本質を追求する。デ・キリコは、形而上絵画だけでなく古典的な作品も描いている。
美しさの誉れ高い2度目の妻イザベッラの肖像画も沢山残している。
形而上絵画。建築物の影が伸びる人気の無い広場。謎めいた憂愁が漂い、神秘的で詩的な雰囲気。目に見える日常の裏側に潜む神秘と謎。
Giorgio de Chirico,Museum,Roma、スペイン広場に、デ・キリコのアトリエが残されている。
Giorgio de Chirico,1888-1978
『街の神秘と憂愁』Mystery and Melancholy ,1914
『イタリア広場』Giorgio de Chirico,Piazza d'Italia ,1913
『Veneziaサンジョルジョマッジョーレ島』1955
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【シュールレアリスムの画家たち】Surrealisme
サルヴァドール・ダリSalvador Dali
27歳の時、『記憶の固執』1931を描き、生涯の最高傑作となる。
ダリは1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲーラスで生まれる。1922年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学、詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカ、映画監督ルイス・ブニュエルと知り合う。1927年、パリに赴き、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンら、シュルレアリスムの中心人物たちと面識を得る。1929年夏、ポール・エリュアールが妻とともにカダケスのダリのアトリエを訪ねた。ダリの妻となるガラ・エリュアールとの出会いである。ダリとガラは強く惹かれ合い1934年に結婚。1982年にガラが死去。「自分の人生の舵を失った」。ジローナのプボル城に引き籠もった。1983年5月を最後に絵画制作を止める。
『記憶の固執』La persistencia de la memoria,1931
『記憶の固執の崩壊』Disintegration of persistence of memory,1954
シュルレアリスムSurrealismeのはじまりは、アンドレ・ブルトン『溶ける魚』「シュルレアリスム宣言」1924年である。シュルレアリスムに属する主たる画家は、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、イヴ・タンギー、ポール・デルヴォー、エドガー・エンデ 。ダリは、ルイス・ブニュエルのシュルレアリスムの映画で、実際に見た夢をモチーフにした『アンダルシアの犬』(1928年)がある。
Surrealisme, Metaphysica
Giorgio De Chirico,
Giorgio De Chirico, Piazza di Italiana,1913
Giorgio De Chirico, Mystery and Meranchory of street,1914
Salvador Dali, 1904—1989
Salvador Dali, Persistance of Memory,1931
Salvador Dali, Disintegration of persistence of memory,1954
Salvador Dali, Melting Watch,1954
Paul Delvaux,1897-1994
Paul Delvaux,Great Sirens,1947
Rene Magritte,1898-1967
Odilon Redon, 1840年4月20日 - 1916年7月6日ポスト印象派、 象徴主義
新印象派に、幻想の画家がいる。夭折した画家たち。
【夭折した画家たち 印象派】Inpressioniste
ゴッホは、神学校に行くことを止め画家になる。生前に売れた絵は1枚だけである。親族に忌み嫌われ、呪いの言葉が耳に聞こえ、耳を切った。それでも、家族の呪詛が耳にみち、自殺した。Vincent Van Gogh.1853-1891。37歳で死す。
ジョルジュ・スーラは、天才的な才能をあらわしたが、世に認められず。25歳で傑作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884を描く。モネに嫉妬され、呪殺された。Georges Seurat, 1859-1891、31歳で死す。呪われた画家たち
モネは、『印象、日の出』1872を描き、印象派の祖と誤解され、富裕な人生を歩む。ジョルジュ・スーラを呪い殺した後、スーラの技法を用いて、画家として成功した。富裕になり贅沢な生活を送った。晩年、若死にしたスーラの呪いで悩まされ、陰惨な人間性になった。
Claude Monet, 1840- 1926、86歳で死ぬ。
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ダリ展、国立新美術館、2016年9月14日(水)~12月12日(月)
http://www.nact.jp/
生誕100周年記念、ダリ展、上野の森美術館、2006年9月23日~1月4日
http://www.ueno-mori.org/
デ・キリコ展1920—1950、東京都庭園美術館、1993年7月16日~8月15日
http://www.teien-art-museum.ne.jp/
ダリ『記憶の固執』La persistencia de la memoria,1931
ダリ『記憶の固執の崩壊』Disintegration of persistence of memory,1954

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2016年11月 7日 (月)

禅-心とかたち、東京国立博物館・・・不立文字

Sesshu_ekadanpi_15c秋の森を歩いて、博物館に行く。禅の美は、無の美である。龍安寺の石庭の枯山水。雪舟「秋冬山水図」「慧可断臂図」「山水長巻」を思い出す。
落花は意ありて流水に随い、流水は心なくして落花を送る。禅の言葉には「不立文字」「以心伝心」「八風吹不動」「一期一会」「無」がある。心を以って心を伝える。伝えられる心とは何か。『無門関』『涅槃経』『碧巌録』『臨済録』、無の思想の源泉は何か。
禅の言語活動は、問答という形をとって展開するが、問答形式では禅の無意味性がむき出しになる。ある僧が趙州禅師に問うた。「如何なるか是れ祖師西来の意」。趙州答えて曰く「庭前の柏樹子」。(井筒俊彦「禅における言語的意味の問題」『意識と本質』)
禅の思想は「不立文字」、「言無展事」である(洞山守初)。言語は存在をあますところなく提示することができない。(井筒俊彦「禅における言語的意味の問題」『意識と本質』)ここから、禅は言語不信の迷路を迷走する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
―――――
仏教の修業は、戒定慧、その一つ禅定。六波羅蜜における布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智は、菩薩行である。達磨が印度から中国に伝来し、唐時代、臨済義玄によって広げられ、鎌倉時代、日本に伝来した。禅は、禅定、精神統一の教えである。密教の身密、口密、意密の一つ。
戦国時代、武将たちは、臨済宗の僧に知恵を求めた。織田信長は比叡山延暦寺焼討を行ったが、信長の名は、僧沢彦宗恩による。信長「天下布武」は臨済宗妙心寺派の僧沢彦宗恩の教示による。旧制度、公家寺家の利権を破壊することが目的である。策彦周良は、禅と中国文化を教えた。南化玄興は、「山を安土と名づくは、太平の兆し」と述べた。北条早雲には以天宗清、武田信玄には快川紹喜、徳川家康には以心崇伝、禅僧のブレーンがいた。
雪舟
禅宗、臨済宗ゆかりの藝術家には、雪舟、若冲がいる。雪舟は至高の画家と呼ばれ、若冲は奇想の画家と呼ばれる。雪舟は、臨済宗、宝福寺で出家した。和尚に柱に縛りつけられる。雪舟は、涙を足でこすって鼠の絵をかいた。(狩野山雪、永納『本朝画史』)
雪舟の真筆は、23件36点。山下裕二(逸脱の画聖、ほんとうの雪舟へ『芸術新潮』2002、3)
雪舟(応永27年(1420年)-永正3年8月8日(1506年))、室町時代に活動した水墨画家・禅僧。「雪舟」は号で、諱は「等楊」と称した。備中に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防に移る。その後、遣明船に同乗して中国(明)に渡り、李在より中国の画法を学んだ。
代表作、「四季山水図(山水長巻)」1486「秋冬山水図」「天橋立図」「破墨山水図」1495「慧可断臂図」15世紀。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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■展示作品
「慧可断臂図」雪舟等楊筆 室町時代 明応5年(1496)愛知・齊年寺蔵
坐禅をする達磨に向かい、神光(のちの慧可)という僧が弟子となるべく己の左腕を切り落とす場面。画面全体を覆い尽くす重々しい岩壁と、刻まれたレリーフの如く微動だにしない両者の姿。異様な静寂が緊張感を生み出し、隔絶した雰囲気。雪舟77歳の大作。
「臨済義玄像」一休宗純賛 伝曾我蛇足筆 室町時代 15世紀 京都・真珠庵蔵
臨済宗の宗祖、臨済義玄(?-867)は、棒や喝を用いる峻烈な家風、「臨済将軍」とも評される。この臨済像は、通常の禅僧肖像画の穏やかな表情と異なり、怒るように眉間に皴を寄せ、眼を剝いている。口を開いて一喝し、拳でこちらの胸を突く雰囲気。顔や手の表現により、臨済禅の激しい家風が示されている。
「織田信長像」狩野永徳筆 安土桃山時代 天正12年(1584)京都・大徳寺蔵
足利義昭から許された桐紋と織田家の木瓜紋を配した肩衣袴姿に脇差をさし、扇子を握って上畳に座る信長の肖像。細面に切れ長の目、眉間の皺が意志の強さと神経質な性格をあらわす。信長の葬儀が行われた大徳寺塔頭総見院に伝来し、信長と豊臣秀吉の寵愛を受けた狩野永徳が、信長の三回忌法要のために描いたと考えられる。本図の下に別の信長像が描かれていたことが確認され、何らかの理由で描き直された姿で完成された。
「十八羅漢坐像の羅怙羅尊者」范道生作 江戸時代 寛文4年(1664)京都・萬福寺蔵
羅漢(阿羅漢)はアルハットを音写した、釈尊の弟子のなかで、その教えをよく理解した優れた修行者。その一人の羅怙羅尊者は、釈尊の実子。顔が醜かったとも伝えられる羅怙羅だが、心には仏が宿っていることを自分の胸を開いてみせる。本像は、中国人仏師・范道生の作。黄檗宗を日本に伝えた隠元が求めたのは、このような中国風の像。
「瓢鮎図」大岳周崇等三十一僧賛 大巧如拙筆 室町時代 15世紀 京都・退蔵院蔵
禅に傾倒した室町幕府第四代将軍、足利義持が「丸くすべすべした瓢簞で、ぬるぬるした鮎をおさえ捕ることができるか」というテーマを出して、絵を如拙に描かせ、詩を五山の禅僧たちに詠ませ、衝立に仕立て座右に置いていた。この作品の当初の姿。現在は掛幅に改装。如拙は応永年間(1394-1428)に京都の相国寺を拠点に活躍した禅僧画家。この作品は室町時代初期の水墨画の名作、禅宗界の絵画様式と主題が、将軍家や武家社会など禅宗界の外縁に広がる。
「大仙院障壁画 四季花鳥図」狩野元信筆 室町時代・永正10年(1513) 京都・大仙院蔵
「南禅寺本坊小方丈障壁画 群虎図」狩野探幽筆 江戸時代・17世紀  京都・南禅寺蔵
「呂洞賓図」雪村周継筆 室町時代・16世紀 奈良・大和文華館蔵
「油滴天目」建窯 中国 南宋時代・12~13世紀 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
「無準師範像」国宝 自賛 中国 南宋時代・嘉煕2年(1238)京都・東福寺蔵
「蘭渓道隆坐像」重要文化財 鎌倉時代・13世紀 神奈川・建長寺蔵
「達磨像」白隠慧鶴筆 江戸時代・18世紀 大分・萬壽寺蔵
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1807
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臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念
特別展「禅―心をかたちに―」東京国立博物館
平成館2016年10月18日(火) ~ 2016年11月27日(日)
http://zen.exhn.jp/
★雪舟「慧可断臂図」15世紀。

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