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2017年1月29日 (日)

才能を見つける能力に卓越した織田信長 伯楽は常にはあらず

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織田信長は、旧制度(ancient regime)の矛盾を破壊するために、天下布武、楽市楽座、戦略をもって敵と戦った。安土城は、戦国最高の奇想にみちた城である。天下一の者をあらゆる領域で求めた。織田信長は、非凡を見つけ、活躍する場を与えた。画人、狩野永徳もその一人である。
織田信長は、人の才能をみぬき、地位につける最高の才能をもっていた。名伯楽である。*階級制を無視した尾張のうつけにしかできない最高の才である。甲冑でさえ、家格により制限されていた時代である。織田信長は、天下一の者をあらゆる領域で求めた。*「千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず」韓愈*。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
https://t.co/TtfGTKcUEL
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*千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず。(韓愈『雑説』四首・其四)
〔世に伯楽有り。然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬有りと雖も、祇(た)だに奴隷人の手に辱められ、槽櫪(そうれき)の間に駢死(べんし)し、千里を以て称せられざるなり。・・・嗚呼、それ真に馬無きか、それ真に馬を知らざるか。〕
いかに才能のある者も、才能を見抜く人(それを認めてくれる人)がいなければ、力を発揮できない。「伯楽」は、もともと星の名で、天上で馬の世話をするのが役目であったというが、転じて馬の素養を見分ける人をいうようになった。韓愈(七六八~八二四)は伯楽の喩えを「温処士の河陽軍に赴くを送る序」や「人の為に薦めを求むる書」にも用いており、自分の才能を認めぬ上流の人への憤懣をもらしている。
★三省堂『中国故事成語辞典』金岡照光編
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【韓愈の悲劇】
【韓愈】韓愈(768-824年)は、唐を代表する文人。官僚としては不遇であったが、詩人として名を残した。韓退之とも呼ばれる。唐宋八大家の一人で詩人として名高く、白居易と並び称された。生まれてすぐに母を、3歳の時に父を亡くし兄夫婦に育てられた。
【科挙3度落第】19歳の時に初めて科挙を受けたが落第。3度目まで失敗した。4度目、792年に25歳で進士に及第する。 監察御史となったが、京兆尹の李実を弾劾したことで広東省に左遷される。
唐【徳宗、順宗、憲宗】805年に徳宗が崩御して順宗が即位すると、大赦によって許される。順宗、病により退位、在位7ヵ月。805年8月、憲宗が即位する。
中央に復帰した後は中書舎人などを経て吏部侍郎となる。818年に仏教に傾倒していた憲宗が法門寺の仏舎利を長安の宮中に奉迎することを計画すると、「論仏骨表」を上奏して怒りを被り再び広東省に左遷された。
憲宗が崩御して穆宗が即位すると再び許され、兵部侍郎、吏部侍郎となって退官。間もなく死去。享年56歳。
【古文運動】9世紀初め、唐代に韓愈や柳宗元がおこした散文改革運動。六朝時代に対句や典故、平仄などを極端に重視する四六駢儷文が流行し、唐代にも引き継がれた。安史の乱(755‐763)によって貴族社会の基盤が大きく揺らぐとともに、この装飾的で内容の空疎な美文に対する反省の機運が高まった。特に科挙出身の新興官僚層が彼らの思想や主張を表現できる達意の文体を強く求め、その模範を司馬遷の『史記』や諸子百家の文章に見いだした。★(『世界大百科事典 第2版』)
韓愈は古文運動を推進して、対句や典故を多用して事実や論理よりも技巧や華麗さを追求する駢文を批判した。
【科挙】韓愈は3度目の落第の時には「今の世で才能があると呼ばれる人は、時勢に逆らうことなく権力者へ媚びを売る人達である。私も同じようにすれば出世することが出来るのかもしれないが、そんなことでは満足することはできない」と言った。尚、合格した4度目は、担当した試験官も美辞麗句を重視する駢文に疑問を持っていたので文体による影響を受けなかった。★ http://www.kokin.rr-livelife.net/goi/goi_ka/goi_ka_10.html
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★参考文献
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
大久保正雄「戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹」
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
https://t.co/57jbBNMOeG
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/CT3F3RZN2H
『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅
https://t.co/RggoniP3wD
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★狩野永徳『檜図」「花鳥図」
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

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