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2017年5月

2017年5月18日 (木)

ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展・・・幻想の画家ボスとブリューゲル

2017_babelヒエロニムス・ボスは、虚妄の権威を暴いた。フェリペ2世は、至高の地位に立って、人間の本質に何をみたのか。
私は十年前、ハプスブルグ帝国の大地を旅した。早春のスペイン、灼熱のウィーン、プラハ、ブダペスト。プラド美術館で、怪奇生物の画家、ヒエロニムス・ボス「快楽の園」(1510)、をみて眩暈がした。ウィーン美術史美術館で、ブリューゲル「雪の中の狩人」(1565年)をみたが、つながりがあると思わなかった。ブリューゲル『バベルの塔』(1565)には「壮大な風景と細部の描写の対比」がある。1400人の人間が描かれている。塔を建築する人々。民衆の蜂起への讃歌か。
16世紀、教会の腐敗が明らかになり、権威ある者がいかさま師であることが明らかになる。価値観が崩壊した。ネーデルランドの支配体制が崩壊する。支配階級の嘘が、暴かれるとき。16世紀、価値体系が滅びる時代。きれいは汚い、汚いはきれい。
Fair is foul, and foul is fair. (『マクベス』第一幕第一場)。「大道廃れて、仁義あり。慧智出でて、大偽あり」
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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永遠を旅する哲学者は、贋物の師を殺さなければならない。
花吹雪、花も嵐も踏み越えて、叡智の海を旅する精神のように、地の果て時空の果て、海のみえる丘の神殿に行く。
永遠を旅する哲学者、時を超え、黄昏の丘を超えて、美へ旅する。マエストロ究極の夢は何か。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★ピーテル・ブリューゲル1世
ピーテル・ブリューゲル1世(1525—1569) 44歳で死す。
1551年、アントウェルペンで画家として登録。1553年、イタリアに旅立ち、ローマに滞在した。1559年、ヒエロニムス・ボッシュに影響を受けた幻想的な版画で名声を確立した。*
月暦画シリーズ『『雪の中の狩人』(1565年)は、晩年の作品である。
1563年、アントウェルペンからブリュッセルに移転して結婚し、1569年、没した。
ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563年ウィーン美術史美術館)
ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1565年頃ボイマンス美術館)
ピーテル・ブリューゲル『雪の中の狩人』(1565年ウィーン美術史美術館)
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★ヒエロニムス・ボスのモチーフを使って描いた版画。
ピーテル・ブリューゲル『聖アントニウスの誘惑』1556
ピーテル・ブリューゲル『大きな魚は小さな魚を食う』1557 強き者が弱き者に勝つ世を暗示している。
ピーテル・ブリューゲル『七つの罪源』シリーズは、ヒエロニムス・ボス『七つの罪源』の影響がある。
*ピーテル・ブリューゲル『七つの罪源』(1558—60)「貪欲、傲慢、激怒、怠惰、大食、嫉妬、邪淫」。ヒエロニムス・ボスが描いた怪奇生物たちを思い起こさせる。
ピーテル・ブリューゲル『七つの徳目』シリーズ「信仰、希望、愛徳、正義、剛毅、賢明、節制」。
*ブリューゲル版画の世界Bunkamuraザ・ミュージアム、2010年7月17日(土)-8月29日(日)
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★ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』
ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』は3点あったが、1点は失われ、現在ウィーン美術史美術館とボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館(ロッテルダム)の2点だけが残っている。ウィーンの『バベルの塔』(1563年ウィーン美術史美術館)がボイマンスの『バベルの塔』(1565年頃ボイマンス美術館)より先に描かれた。
この絵画の「壮大な風景と細部の描写の対比」「ミクロとマクロの融合」が、小規模な画面(59.9 cm×74.6 cm)を超えて威圧感を生み出している。
描かれている物語は「人間の傲慢」「神の戒め」である。がそこで活動する人々の細密な描写から、ブリューゲルの「人間に対するまなざし」が感じられる。★
1553年、ブリューゲル、ローマ滞在の経験がここに生きている。ローマのコロッセウムを参考にしたた。
*ヒエロニムス・コックの版画『コロッセウムの眺め』1551年
*マールテン・ファン・ヘームスケルクの版画『ローマのコロッセウム』1572年
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★「地獄と怪奇生物の画家」ヒエロニムス・ボス(1450—1516)
ヒエロニムス・ボッシュ(Hieronymus Bosch1450—1516)は、ス・ヘルトーヘンボスで裕福な画家の工房の家に生まれる。富裕層の娘と結婚し恵まれた生活を送った。後期ゴシック画家。
ヒエロニムス・ボッシュ『快楽の園』(1490—1510)、初期フランドル派の画家ヒエロニムス・ボスが描いた三連祭壇画。ボスが40歳から60歳の1490年から1510年の20年間のいずれかの時期の作品。『天国』『現世』『地獄』の三連祭壇画。
*左翼『エデンの園』生命の泉にいる梟、中央『快楽の園』、右翼『音楽地獄』楽器による罰、鳥の頭の悪魔、樹木人間とナイフを挟む耳。

性的な秘儀を重視するアダム主義の異端派か、人間の愚行と罪の告発や断罪を目的とした作品であるか、今も作品の解釈が議論され続けている。堕落した支配階級に対する批判がある。宗教改革1517(95か条の論題)の嵐の前の予兆の時、だがハプスブルク家フェリペ2世が購入したので、作品の意図の解釈が複雑である。
ヒエロニムス・ボッシュ(1450—1516)は、スペイン・ハプスブルク家のお気に入りだった。フィリップ美公、マルガレーテ女公(フィリップ美公の妹) 、フェリペ2世が多くの作品を所有する。
ヒエロニムス・ボッシュは「奇想の画家」と形容される。彼の画風は独立して確立されたもので、いわゆる師匠に相当する人物を見つけることは出来ない。ハプスブルク家に見出され、ネーデルラント総督フィリップ美公、スペイン王フェリペ2世はボッシュの絵を好んだ。
『最後の審判』はネーデルラント総督フィリップ美公に、『聖アントニウスの試練』はネーデルラント総督マルガレーテ(マルグリット)女公(フィリップ美公の妹)が所有していた。スペイン王フェリペ2世が多くの作品を所有する。ボッシュ「聖アントニウスの誘惑」は、リスボンにある。
★フェリペ2世の絵画コレクション。
ヒエロニムス・ボッシュ「快楽の園」1510「愚者の治療 いかさま師」1490「7つの大罪」1480「乾草の車」1500。スペインのフェリペ2世はボッシュの絵画の熱烈な愛好者であり、現在10点がプラド美術館蔵にある。
★参考文献
岡部紘三『図説 ヒエロニムス・ボス 世紀末の奇想の画家』2014
岡部紘三『図説 ブリューゲル 風景と民衆の画家』2012
森洋子『ブリューゲルの世界』新潮社2017
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
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★ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展
東京都美術館2017年4月18日(火)~7月2日 (日)
国立国際美術館2017年7月18日(火)~10月15日(日)
*ブリューゲル版画の世界Bunkamuraザ・ミュージアム、2010年7月17日(土)-8月29日(日)

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2017年5月 5日 (金)

桃山の孤高の巨匠、海北友松・・・孤高の絵師、運命との戦い

20170411kyotoKaihou_kashiwanisaru桃山の孤高の巨匠、海北友松・・・孤高の絵師、運命との戦い
『雲龍図』に刻まれれた、戦国武将の血の叫び、藝術家の沈思、運命と戦う人間の苦悩。
戦国時代、「親子は敵、兄弟は第一の敵」の時代。戦いに破れた武将は、新たな世界に向かって旅立つ。
戦略構築する武将、指南する家臣団、孤高の画家。絶叫する英雄、百家争鳴の論客、沈思する詩人。沈黙する画家。占夢官。妙心寺派の禅僧は、運命をどう占うのか。
戦国時代、武将は殺し合い、画家は殺し合う。狩野永徳は、安土城に障壁画を描き48歳で死ぬ。
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永遠を旅する哲学者、時を超え、黄昏の丘を超えて、美へ旅する。マエストロの究極の夢は何か。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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海北友松の生涯
海北友松は、天文2年、1533年、近江・湖北で誕生した。海北綱親の子。天文4年、友松3歳の時、海北綱親討ち死に。友松、東福寺に入門。
長谷川等伯、天文8年、1539年、生まれる。1610年没。71歳。
狩野永徳、天文12年1月13日(1543年)生まれる。1590年没。48歳
天正元年、1573年、7月12日、織田信長、二条城を焼却。足利義昭追放。室的幕府を滅ぼす。
8月27日、織田信長は浅井家を滅ぼす。浅井長政、自害。この時兄・大膳は戦死、41歳の友松の人生に大きな影響を与えた。
誤落藝家。「武家出身だった海北友松は間違って芸術家になった」。
友松は、初め狩野永徳に師事した。「菊恵童図屏風」は友松の狩野派時代の作品である。永徳の作品と比較すると岩の峻法などに類似点がある。
1574年、織田信長、狩野永徳『洛中洛外図屏風』を1574年上杉謙信に贈る。
狩野永徳、安土城に障壁画(1576年—1579年)を描き『安土城之図』(1581)を描いた。織田信長は、屏風をヴァリニャーノに与えた。
天正18年、狩野永徳、没。
1593年、長谷川久蔵(1568年生—1593年)没。26歳。
慶長2年、1597年、海北友松、建仁寺方丈に障壁画を描く。
友松は建仁寺方丈に多数の襖絵を描く以前に、建仁寺塔頭に襖絵を描いた。霊洞院「花鳥図襖」と禅居庵の松竹梅図襖」である。
時の権力者、豊臣秀吉は海北友松のことを知っていた。「1594年、上杉景勝が秀吉を自邸に招待した際に、秀吉から友松筆の「濃彩松鳥画屏風一双」を賜ったという記述が『歴代年譜 景勝公』に残る。
慶長20年、1615年、海北友松、83歳で死す。
*狩野永徳、天文12年1月13日(1543年2月16日)—天正18年9月14日(1590年10月12日)
*狩野山楽、永禄2年(1559年)—寛永12年8月19日(1635年9月30日)、浅井長政の家臣・木村永光の子光頼として近江国蒲生郡に生まれる。
*狩野山雪、天正18年(1590年)—慶安4年3月12日(1651年5月1日))、狩野派の絵師。京狩野の画人狩野山楽(光頼)の婿養子で後継者。
*海北 友松1533—1615(天文2年(1533年)—慶長20年6月2日(1615年6月27日))
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。83歳で死す。
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展示作品の一部
海北友松「雲龍図」(建仁寺)
海北友松「花卉図屏風」(妙心寺)
海北友松「雲龍図」(勧修寺)
海北友松『琴棋書画図』(建仁寺塔頭霊洞院)
海北友松『柏に猿』(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)
海北友松『月下渓流図屏風』(ネルソン・アトキンス美術館蔵)
「雲龍図」(建仁寺)「花卉図屏風」(妙心寺)「月下渓流図屏風」に秘められた孤高の絵師の運命との戦い。
海北友松の到達点とされる『月下渓流図屏風』(ネルソン・アトキンス美術館蔵)、今回米国から「奇跡の帰還=約60年ぶりの里帰り」を果たした。
靄に煙る山深い渓谷に、雪解け水が流れ出す。蒲公英、土筆が描かれている。空には朧月が浮かび、光が渓流、松、白梅、椿、土筆、蒲公英を淡く照らし出す。
河合正朝氏は古今集の和歌を引用して説明した。「春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる」凡河内躬恒 春の夜、梅の花をよめる『古今集』巻1・春歌上・41
*「日曜美術館」
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参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-9379.html
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-d48d.html
海北友松 京都国立博物館プレスリリース
http://www.kyohaku.go.jp/jp/special/pdf/2017_yusho_press.pdf
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桃山孤高の巨匠 海北友松 「日曜美術館」
桃山文化、狩野派、長谷川派が画壇を席巻する中、独自の画境を開いた絵師・海北友松。武家に生まれた友松は刀を絵筆に持ちかえて活躍。雲間から妖しく現れる「雲龍図」、金ぺきに濃い色を施した豪華な「花卉図屏風」など独自の画風で、武家から朝廷まで魅了した。最晩年の作品「月下渓流図」は、“奇跡”の名画とも称される傑作。戦後アメリカに渡り、今回60年ぶりに里帰りするこの神秘的な絵の魅力に迫る。
桃山の巨匠・海北友松。大迫力の龍、豪華な牡丹(ぼたん)、独自の画風で武家から朝廷まで魅了。60年ぶりに帰還する最晩年の傑作「月下渓流図屏風」の神秘的な世界に迫る
http://www4.nhk.or.jp/nichibi/
桃山の孤高の絵師、海北友松
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開館120周年記念特別展 海北友松、京都国立博物館
2017年4月11日(火)~5月21日(日)
http://www.kyohaku.go.jp/jp/special/tenrankai/20170411_yusho.html

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