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2017年9月29日 (金)

「運慶」 東京国立博物館・・・魂の深淵

Unkei2017_2大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第126回
秋の午後、銀杏の森を歩いて博物館に行く。運慶の全作品31点のうち22点が勢揃いする。
運慶の魂の深淵にあるものは何か。魂は何に葛藤したのか。20代の運慶が作った「大日如来」と、40代の運慶が作った「大日如来」との間にある時間は何を意味するのか。
「金剛力士像 阿吽、東大寺南大門」制作に挑む運慶は、怪物に挑む者のようだ。
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが深淵を覗くならば、深淵もまたおまえを見返すのだ。(『善悪の彼岸』146節)
平安後期の定朝様式、平等院鳳凰堂、阿弥陀如来。これに革命をもたらしたのが奈良仏師、康慶・運慶親子による慶派。玉眼を入れる写実的でリアリティある造形、筋肉描写が力強く衣の襞の彫りが深い。運慶の最初の作品は、「大日如来坐像」(圓城寺1176)。十一か月かけて一人で製作した。
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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「大日如来坐像」(光得寺)、光背の太陽光線、雲に乗る菩薩、蓮華座の4頭の獅子、蓮弁の水の滴り。運慶「大日如来」(光得寺)、鑁阿寺より伝来。1196年(建久7年)。足利義兼が制作依頼した像で、義兼が自ら背負って諸国を歩いたとされる。
運慶は、建久八年(1197)、東寺講堂(839)の立体曼荼羅の二十一体を修復した。このとき、三百年前の奈良仏師の息づかいに触れ、弘仁貞観の密教仏から学んだ。東寺の立体曼荼羅は、雲に乗る36躯体の菩薩、蓮華座の8頭の獅子、中心に大日如来、「金剛界曼荼羅」成身会を表している。
「毘沙門天立像」(願成就院蔵)鎌倉時代・文治2年(1186)を作ったころから、運慶の作風は研ぎ澄まされた。 
運慶の刻印として仏像の内側に納められている「像内納入品」、「五輪塔」、「心月輪」は何を意味するのか。
興福寺北円堂の無著・世親菩薩立像(1212年)は、日本彫刻史上の最高傑作といわれる。
【興福寺四天王の謎】南円堂の四天王立像(13世紀)と、運慶作、北円堂の無著・世親像(1212)が、いずれも芯のある木材を組み合わせ、元は北円堂に在ったものか。
★「四天王」は大乗仏教に於いて、世界の中心たる須弥山の頂上に住む神々の王、帝釈天に仕える四柱の神。 持国天(東) 増長天(南) 広目天(西) 多聞天(北)。仏法を護る。
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平重衡による南都焼討1180年、興福寺が全焼、東大寺は主要伽藍が焼け落ちる。平家、壇ノ浦にて滅亡1185年。承久の変1221年、北条義時が後鳥羽上皇を破る。激動の嵐のなかで、運慶は何を考えたのか。
藤原定家、妖艶の極致を示す御室五十首の歌は、建久七年の政変(1196年11月)の無慚の世の不遇の中で詠まれた。 
春の夜のゆめのうき橋とだえして峰にわかるる横雲のそら 新古今三八
藤原定家、御室五十首は、憂愁と妖艶の極致である。

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美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【彫刻1600年の旅】紀元前334年アレクサンドロス大王の東征によって、1世紀ガンダーラ彫刻が生まれ、南北朝の北魏様式、南梁、飛鳥白鳳の彫刻に辿りついた。7世紀、飛鳥文化、白鳳文化、天平文化、9世紀、弘仁貞観文化、国風文化、13世紀、運慶にいたる彫刻史。
法隆寺夢殿救世観音菩薩像、薬師寺金堂薬師三尊像、東大寺法華堂、不空検索観音、日光月光菩薩像、東寺講堂立体曼荼羅、仁王経曼荼羅の二十一体の仏像。平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像。
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運慶(生年不詳 1150- 貞応2年12月11日(1224年1月3日))73歳で亡くなる。
定朝の流派は、3つに分かれる。院派、円派、奈良仏師。慶派は、定朝の孫弟子、頼助から始まる奈良仏師の流派である。慶派の祖、康慶の子、運慶。
運慶の父・康慶、運慶の実子・湛慶、康弁ら親子3代が慶派の盛期である。
【金剛力士像】1180年、平重衡による「南都焼打」があり、東大寺興福寺は消失。「東大寺南大門、金剛力士像 阿吽」は1203年に再建、慶派の仏師29人で、2ヶ月で完成された。
運慶・快慶「東大寺南大門、金剛力士像 阿吽」1203。高さ8.4メートルの仁王。血管が浮き出した「阿形像」と筋肉の盛り上がる「吽形像」は宇宙の始めと終わりを表している。
湛慶「蓮華王院、千眼千手菩薩像」、これらは、慶派の頂点である。
「四天王立像」(興福寺南円堂)は、運慶の父・康慶の作とされてきたが、運慶作と判明している興福寺北円堂の無著・世親菩薩立像などと同じ桂材製であることから、運慶作の可能性がある。
「運慶」 東京国立博物館・・・魂の深淵
http://bit.ly/2xK3Hlr
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展示作品の一部
国宝 大日如来坐像、 運慶作、平安時代・安元2年(1176)、円成寺蔵
重要文化財 仏頭、運慶作、鎌倉時代・文治2年(1186)、興福寺蔵
国宝 運慶願経(法華経巻第八)、平安時代・寿永2年(1183)
国宝 毘沙門天立像、運慶作、鎌倉時代・文治2年(1186)、静岡・願成就院蔵
国宝 八大童子立像のうち恵光童子・制多伽童子、運慶作、鎌倉時代・建久8年(1197)頃、和歌山・金剛峯寺蔵
重要文化財 阿弥陀如来坐像および両脇侍立像、重要文化財 不動明王立像、重要文化財 毘沙門天立像、運慶作、鎌倉時代・文治5年(1189)、神奈川・浄楽寺蔵
国宝 無著菩薩立像・世親菩薩立像、運慶作、鎌倉時代・建暦2年(1212)頃、興福寺蔵
重要文化財 聖観音菩薩立像、運慶・湛慶作、鎌倉時代・正治3年(1201)頃、愛知・瀧山寺蔵
重要文化財 十二神将立像、京都・浄瑠璃寺伝来、鎌倉時代・13世紀
静嘉堂文庫美術館蔵(子神・丑神・寅神・卯神・午神・酉神・亥神)
東京国立博物館蔵(辰神・巳神・未神・申神・戌神)
国宝 天燈鬼立像・龍燈鬼立像、康弁作(龍燈鬼立像)、鎌倉時代・建保3年(1215)、興福寺蔵
大日如来坐像  1軀 鎌倉時代・12~13世紀 栃木・光得寺
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★ 特別展「運慶」 東京国立博物館、 平成館 特別展示室
2017年9月26日(火) ~ 2017年11月26日(日)
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運慶の生年は不明ですが、息子・湛慶が承安3年(1173)生まれであること、処女作と見られる円成寺の大日如来坐像(国宝)を安元元年(1175)に着手していることから、おおよそ1150年頃と考えられます。平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝、天喜元年(1053))の作者である大仏師・定朝から仏師集団は三つの系統に分かれましたが、運慶の父・康慶は興福寺周辺を拠点にした奈良仏師に属していました。院派、円派の保守的な作風に対して、奈良仏師は新たな造形を開発しようとする気概があったようです。ここでは、運慶の父あるいはその師匠の造った像と、若き運慶の作品を展示し、運慶独自の造形がどのように生まれたのか、その源流をたどる。東京国立博物館
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1861

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