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2017年11月

2017年11月28日 (火)

大久保 正雄、著作目録2 美学・美術史

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大久保 正雄、著作目録2 美学・美術史
論文
1 大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」詩誌『酒乱』第6号 2013
2 大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説(agrapha dogmata)と詩のことば―」詩誌『酒乱』第5号2011
3 大久保正雄「ギリシア悲劇とプラトン哲学の迷宮 ―ことばの迷宮―」詩誌『酒乱』第4号2010
4 大久保正雄「プラトンと詩と哲学 ―詩的直観と哲学的直観―」詩誌『酒乱』第3号2009
5 大久保正雄「魂の美學 プラトンの対話編に於ける美の探究」
  「上智大学哲学論集」第22号、1993、6月
6  大久保正雄「闇の中にただよう香り 新古今和歌集の美学 第二章」
   大久保正雄『魂の目』無盡藏刊、所収 1997、10月
7 大久保正雄「斷崖の美学 美をめぐる戦い 新古今和歌集の美学」
   「法科論集」第4号、1990
8 大久保正雄「理念のかたち かたちとかたちを超えるもの」
  『理想』659号、理想社、1994、12月
9 大久保正雄「知と愛 (Plato“Apologia Socratis”28d10-30c1)」
    「法科論集」第4号、1990
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著書
  大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲學史 理性の微笑み』理想社1993、4月
http://amzn.to/2zPb5io
ISBN-10: 4906421024
ISBN-13: 978-4906421022
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★美術史
1 大久保正雄「不死鳥の画家、北斎 北斎は天翔ける。美の天に向かって」『トーキングヘッズ叢書』61号、2015
2 大久保正雄「愛と美の迷宮 イギリスロマン派からラファエロ前派」『トーキングヘッズ叢書』60号、2014
3 大久保正雄「幻の花の都、京都 美の洗練、破壊と創造」
   『トーキングヘッズ叢書』57号(アトリエサード) 2014年1月
http://www.amazon.co.jp/dp/4883751651/ref=cm_sw_r_tw_dp_dpI5sb07RBE4S
4 大久保正雄「ミケランジェロ、苦悩する藝術家、さまよえる孤独な魂」
   『トーキングヘッズ叢書』56号(アトリエサード) 2013年12月
http://www.amazon.co.jp/dp/4883751597/ref=cm_sw_r_tw_dp_9K7otb137TQ4Y
5 大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」
   「世界遺産アカデミーWHAMR 第11号」世界遺産アカデミー(WHA)2011.4月
6  大久保正雄「メディチ家とプラトンアカデミー」
  「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」改訂版
   「世界遺産アカデミーWHAMR」世界遺産アカデミー(WHA)2016.11月
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-6a7d.html
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★【限定版】
美学、哲学
論文、随筆
大久保正雄「空海の冒険 密教美術の象徴学 空海の旅は、意味への旅、本質への旅。」『饗宴』2015
大久保正雄「ルネサンス、愛と美の迷宮 メディチ家の戦い、蘇るプラトン」『饗宴』2015
大久保正雄「ふしぎな図書館 生と死の狭間」『饗宴』2014
大久保正雄「星空の金剛界曼荼羅 星空のイデア界」『饗宴』2016
大久保正雄「レオナルド最後の旅、ルネサンスの謎」『饗宴』2016 
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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大久保 正雄 著作目録1 哲学編 
http://bit.ly/2iWVqTw

大久保正雄 著作目録2 美学・美術史


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★Botticelli,Venus and Mars.1483

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2017年11月25日 (土)

新海誠展「ほしのこえ」から「君の名は。」まで・・・夢と知りせば、覚めざらましを

Shinkai20171111大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第130回
秋晴の昼、美術館に行く。現実の世界ではありえない映像美。夢の中で出会う二人。千年ぶりとなる彗星の来訪を一か月後に控えた日本。奇妙な夢を見る二人。
新海誠監督の「ほしのこえ」2002「雲のむこう、約束の場所」2004「秒速5センチメートル」2007「星を追う子ども」2011「言の葉の庭」2013「君の名は。」2016。1000点の厖大な展示である。美しい映像、悲しい恋の物語。青春へのメッセージ。人間はつねに可能性の一歩手前で生きている。何か起きるかもしれないその前日が今。夢の中で出会う二人。「思いつつ寝ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを 小野小町」『古今和歌集』<夢の中で愛しい人を見た、夢と知っていたならばもう少し夢を見ていたかった。>『古今和歌集』を参考に「君の名は。」の物語の着想を思いついた。空と背景を描くこだわりがある。印象的な空。空だけの場面もある。現実の世界の空は太陽が一つだが、太陽の位置、数を固定しない。一番美しい時間帯の空と、一番美しい時間帯の地上を組み合わせる。幻想的な映像を生みだす秘密は太陽の数にある。現実の世界ではありえないような様々な位置から太陽光を照らす。2つの太陽光が同一場面にある。
新海誠の物語はすべて「美しく壮大な世界ですれちがう男女の物語」「人と人が出会い、そしてすれちがい、揺れ動く心模様」を表現している。
「物語は、比喩、メタファーであり、時代と空間を、別の所に舞台を設定することができる」(カズオ・イシグロの言葉)を思い出す。
「皆、救いを求めて旅に出たのだ。誰に止めることができよう」「喪失を抱えて、なお生きろという声が聞こえた。お前にも聞こえた。それが人に与えられた呪いだ。でもきっとそれは祝福でもあるんだと思う。」**「星を追う子ども」
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命の戦い 藝術家と運命の女』
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文学は、作りものであり、虚構で、事実ではない。だが、文学作品は、比喩、メタファーであり、人の心情を理解し共感することができる。『日の名残り』は、執事の姿を通じて職務に殉じて個をなくす人の比喩である。完璧な執事になりたがっている男、個人を犠牲にすると、アイディアを要約できる。時代と空間を、別の所に舞台設定を設定することができる。『私を離さないで』では、舞台設定を3回変更した。「人のいのちには限りがある」「いのちとは何か」を考えた。*『カズオ・イシグロ 文学白熱教室』
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物事をあまりに詳密に扱おうとする結果、人物の姿形よりも遠近画法により注意を払う人は、側面描写の多い、無味乾燥な描き方に陥ってしまう。それでそうした人々は、パオロ・ウッチェロのように、孤独で、奇妙で、憂鬱で、貧乏な人になってしまうことがまことに多いのである。ヴァザーリ『芸術家列伝』
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アニメーション監督・新海誠のデビュー15周年を記念し、『新海誠展「ほしのこえ」から「君の名は。」まで』を開催します。
新海誠の作品は“ 美しく壮大な世界ですれちがう男女の物語”を描くことで人間の本質に迫ります。人と人が出会い、そしてすれちがい、揺れ動く心模様を、完成度の高い物語に結晶させ、登場人物やその世界を鮮やかに描き出す作品群は、世代や国境を超えて多くの人々を引きつけています。
本展は貴重な制作資料である絵コンテや作画、設定資料や映像などの展示を通じて、そうした新海誠の15年の軌跡を振り返ります。そのほとんどの作業を1人で手掛けたデビュー作「ほしのこえ」から、集団制作に挑み初長編作品にして毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞した「雲のむこう、約束の場所」、単館上映ながら異例のロングランとなり、今なお熱狂的に語り継がれる「秒速5センチメートル」、本格ジュブナイルファンタジーに挑んだ「星を追う子ども」、デジタル時代の映像文学と言うべき「言の葉の庭」、そして記録的な大ヒットとなった最新作「君の名は。」までを完全網羅し、新海誠のアニメーション作品の魅力に迫ります。国立新美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2017/shinkaimakoto/
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国立新美術館開館10周年
新海誠展「ほしのこえ」から「君の名は。」まで
2017年11月11日(土)~12月18日(月)

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2017年11月 6日 (月)

「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」・・・藝術家と運命の戦い

2017goghandjapan大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第129回
嵐の過ぎ去った午後、枯れ葉が舞う森を歩いて美術館に行く。
ファン・ゴッホにとって、浮世絵は理想郷の異界、理想郷を求めてアルルに旅立った。
1880年代のパリは、ジャポニスム(日本趣味)の最盛期。ファン・ゴッホがパリに出てきた1886年『パリ・イリュストレ』誌の日本特集号が出版される。ゴッホはこの表紙の英泉の花魁図を模写して『花魁』に描き込む。ゴッホは400枚の浮世絵をもっていた。浮世絵の中の鮮やかな色彩世界を求めて、「フランスにおける日本」南仏へと旅立つ。
藝術家は、運命と戦う。運命とは何か。藝術家は、魂の深淵を覗く。智と愛と血の深淵。
ゴッホは、33歳から37歳に、傑作が描かれる。
ゴッホは、なぜアルル時代からオーヴェール・シュル・オワーズ時代が最盛期なのか。
ゴッホは、なぜ耳を切ったのか。なぜ自殺したのか。ゴッホは、何に苦悩したのか。
藝術家は、魂の深淵を覗く。藝術家は、心に地獄を抱えている。苦悩する魂を救うものは何か。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
ゴッホとアルル
ファン・ゴッホは1888年2月20日の早朝、アルルに着く。列車の車中での気持ちをゴーガンにこう伝える。「この冬、パリからアルルへと向かう旅の途上でおぼえた胸の高鳴りは、今もいきいきと僕の記憶に残っている。「日本にもう着くか、もう着くか」と心おどらせていた。子供みたいに。」

1853年、オランダ南部のフロート・ズンデルトに生まれる。
1869(16歳)、グーピル画廊のハーグ支店に就職する。1876(23歳)グーピル画廊を解雇される。
1878(25歳)、ブリュッセルの伝道師養成学校に仮入学するが正規入学は認められない。
1879(26歳)、ベルギーのボリナージュ炭鉱で伝道活動を行うが、常軌を逸した活動。資格を停止される。
1880(27歳)、画家になる決心を固める。
1886(33歳)1月、アントウェルペンの王立美術アカデミーに入る。
1886年、2月末、突然パリの弟テオのもとにやって来る。ゴッホ、33歳でパリに移住する。印象派の画家と浮世絵に出会う。
1886年5月、『パリ・イリュストレ』日本特集号が出版される。
1887(34歳)、 カフェ「ル・タンブラン」浮世絵展を開く。ビングの店で大量の浮世絵を研究。英泉の《花魁》、広重の《亀戸梅屋舗》《大はしあたけの夕立》を模写。
ゴッホ、35歳でアルルに移住する。10月、「黄色い家」でのゴーガンとの共同生活が始まる。
1888年12月、(35歳)「耳切り事件」。1年2か月アルルに住む。
ゴッホ、36歳でサン・レミの病院に移住する。
1890年(37歳)、ゴッホ、37歳5月、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移る。医師ポール=フェルディナン・ガシェが主治医になる。
7月27日、銃弾を受けて負傷。
7月29日、テオに看取られて永眠。
7月30日、オーヴェール=シュル=オワーズの墓地に埋葬される。
*『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』図録より
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命の戦い 藝術家と運命の女』
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展示作品の一部
フィンセント・ファン・ゴッホ「花魁(溪斎英泉による)」1887年 油彩・綿布 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵
溪斎英泉「雲龍打掛の花魁」1820~1830年代 木版、紙(縦大判錦絵、縦2枚続)千葉市美術館蔵
安藤広重「亀戸梅屋敷」1857
フィンセント・ファン・ゴッホ「寝室」1888年 油彩・カンヴァス ファン・ゴッホ美術館
ゴッホ「雪景色」1888年 油彩・カンヴァス 個人蔵
フィンセント・ファン・ゴッホ「アイリスの咲くアルル風景」1888年 油彩・カンヴァス  ファン・ゴッホ美術館
「夾竹桃と本のある静物」1888年 油彩・カンヴァス メトロポリタン美術館蔵(ジョン・L.・ローブ夫妻寄贈)
「オリーヴ園」1889年 油彩・カンヴァス クレラー=ミュラー美術館蔵
「ポプラ林の中の二人」1890年 油彩・カンヴァス シンシナティ美術館蔵
式場隆三郎『ファン・ゴッホの生涯と精神病』1932
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参考文献
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派編
http://bit.ly/2vfh8dP
http://bit.ly/2zgVKGe
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★「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」、Van Gogh & Japan、東京都美術館
2017年10月24日(火)~2018年1月8日(月・祝)
http://www.tobikan.jp/exhibition/2017_goghandjapan.html
東京都美術館、2017年10月24日(火)~2018年1月8日(月・祝)
京都国立近代美術館、2018年1月20日(土)~3月4日(日)

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2017年11月 3日 (金)

北斎とジャポニスム、国立西洋美術館・・・『富嶽三十六景』『北斎漫画』

20171021_3大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第128回
枯れ葉舞う秋、嵐の森を歩いて美術館に行く。葛飾北斎(1760-1849)は、印象派の画家、モネ、ゴッホ、スーラ、アールヌーヴォーの藝術家らに影響を与えた。絵手本『北斎漫画』(全十五編)は、象徴主義のギュスターヴ・モローも所有していた。大胆な構図、花鳥画、名所絵、美人画の及ぶ画題が、印象派の画家たちに学ばれた。日本美術、浮世絵は、1850年代から外交官が来日し、1867年のパリ万博で広められ、ジャポニスムが起きる。
『富嶽三十六景』「神奈川沖浪裏」(天保元-4年(1830-33)は、ドビュッシー交響詩『海』(1905)など、世界中に影響を与えた。
『江戸の誘惑』で北斎を見たのを思い出す。北斎の最高傑作、『鳳凰図屏風』『李白観瀑図』は、ボストン美術館所蔵肉筆浮世絵展『江戸の誘惑』で展示された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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葛飾北斎と波瀾の人生
葛飾北斎、三十歳で貧困、苦節四十年。引越し九十三回、画号30回改名。九十歳で亡くなるまで絵画を追求する。
葛飾北斎は、十九歳で勝川春章に弟子入り、翌安永八年〈一七七九)春朗の名で役者似顔絵を発表、二十歳で浮世絵師になる。鳴かず飛ばず。三十歳で貧困、他流派に学ぶ。
葛飾北斎、苦節四十年。72歳で『富嶽三十六景』「神奈川沖浪裏」。75歳で傑作『鳳凰図屏風』を描く。
葛飾北斎と波
北斎は、雌伏の時代、波を描いた。『江ノ島春望』大英博物館蔵、北斎44歳の時、『賀奈川沖本杢之図』1803(享和3)年。北斎46歳で描いた『おしおくりはとうつうせんのづ』1805(文化2)年。
北斎は、六十歳で、脳卒中になり、柚子を食し自分で治療する。
北斎『諸国瀧巡り』(天保4年から天保8年(1833-1837))は、水の本質を探求した。
葛飾北斎、北斎辰政の意味
「葛飾北斎」を名乗っていたのは曲亭馬琴と組んだ一時期で『新編水滸画伝』『近世怪談霜夜之星』『椿説弓張月』などの作品を発表、馬琴とともにその名を一躍不動のものとした。北斎は何度も改名しているが「北斎辰政」という名前は大切にしていた。「北辰」は北極星を意味する。
画狂老人卍、七十五歳の北斎
天保五(一八三四)年から、先生は再び名前を変え、「画狂老人卍」という号を用いる。七十五歳の時に、『富嶽百景』「海上の不二」、『鳳凰図屏風』(1834)を描く。
天保の改革(1830~44)で贅沢禁止令、北斎は、貧困に陥る。
北斎は、三女葛飾応為とともに、83歳から89歳まで4回、小布施に行き高井鴻山の下に行く。『祭屋台天井絵『怒涛図』男浪、女浪』(小布施町上町自治会蔵)を描く。
北斎、九十歳
北斎は、九十歳で『富士越龍図』『李白観瀑図』1849年を描く。「齢九十歳 画狂老人卍筆」と記されている。
北斎、最期の言葉は「天我をして五年後の命を保ためしハ真正の画工となるを得べし」。嘉永二(一八四九)年四月十八日、没す。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『北斎は天翔ける。美の天に向かって 不死鳥の画家、北斎』2015
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命の戦い 藝術家と運命の女』
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展示作品の一部
葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」天保元-4年(1830-33)頃 横大判錦絵 オーストリア応用美術館、ウィーン
葛飾北斎『北斎漫画』十三編(部分)1849 浦上蒼穹堂
エミール・ガレ『双耳鉢 鯉』1878
葛飾北斎「冨嶽三十六景 東海道程ヶ谷」天保元-4年(1830-33)頃 横大判錦絵 ミネアポリス美術館
クロード・モネ「陽を浴びるポプラ並木」1891年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館
葛飾北斎『北斎漫画』十一編(部分) 刊年不詳 浦上蒼穹堂
エドガー・ドガ「踊り子たち、ピンクと緑」1894年 パステル、紙(ボード裏 打) 66 x 47cm 吉野石膏株式会社
葛飾北斎「冨嶽三十六景 駿州片倉茶園ノ不二」天保元-4年(1830-33)頃 横大判錦絵 オーストリア応用美術館
ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」1886-87年 油彩、カンヴァス フィリップス・コレクション、ワシントンD.C
葛飾北斎「牡丹に蝶」天保2-4年(1831-33)頃 横大判錦絵 ミネアポリス美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ「ばら」1889年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館
葛飾北斎「冨嶽三十六景 駿州江尻」天保元-4年(1830-33)頃 横大判錦絵 オーストリア応用美術館、ウィーン
カミーユ・ピサロ「モンフーコーの冬の池、雪の効果」1875年 油彩、カンヴァス 公益財団法人 吉野石膏美術振興財団(山形美術館寄託)
葛飾北斎「おしをくりはとうつうせんのづ」文化初期(1804-07)頃 横中判錦絵 名古屋市博物館
ジョルジュ・スーラ「とがったオック岬、グランカン」1885年 油彩、カンヴァス テート、ロンドン
――
19世紀後半、日本の美術が、西洋で新しい表現を求める芸術家たちを魅了し、“ジャポニスム”という現象が生まれました。なかでも最も注目されたのが、天才浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)。その影響は、モネやドガら印象派の画家をはじめとして欧米の全域にわたり、絵画、版画、彫刻、ポスター、装飾工芸などあらゆる分野に及びました。
本展は西洋近代芸術の展開を“北斎とジャポニスム”という観点から編み直す、日本発・世界初の展覧会です。国内外の美術館や個人コレクターが所蔵するモネ、ドガ、セザンヌ、ゴーガンをふくめた西洋の名作約220点と、北斎の錦絵約40点、版本約70点の計約110点(出品点数は予定、会期中展示替えあり)を比較しながら展示します。北斎という異文化との出会いによって生み出された西洋美術の傑作の数々を堪能しながら、西洋の芸術家の眼を通して北斎の新たな魅力も感じていただけることでしょう。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2017hokusai.html
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★北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃、国立西洋美術館
2017年10月21日(土)~2018年1月28日(日)
*ボストン美術館所蔵肉筆浮世絵展『江戸の誘惑』(2006)

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