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2019年1月

2019年1月29日 (火)

「新・北斎展」・・・悪霊調伏する空海、『弘法大師修法図』

Hokusai20190Hokusai_kouboudaishi大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第172回
美しい魂は、永劫回帰の時を超える。時を超えて蘇る。【葛飾北斎、苦節五十年】北斎は、20歳で絵師となるが売れず、苦節50年、72歳『富岳三十六景』『神奈川沖浪裏』(1831)まで苦境。北斎は、九十歳で死ぬまで絵を描きつづける。【不屈の画狂老人卍】74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、88歳『弘法大師修法図』、89歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、90歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。」飯島虚心『葛飾北斎伝』。
【葛飾北斎、苦難の旅立ち】北斎最初期、19歳で勝川春章に弟子入り、20歳で勝川春朗として絵師となる。勝川派の絵師として活動した春朗期(20~35歳頃)。弟弟子に追い出される。勝川派を離れて浮世絵画派と一線を画した作画活動、俵屋宗理となる(36~44歳頃)。
【葛飾北斎、苦難の人生】北斎、画狂老人卍期(75~90歳)。72歳で絵は売れても、実生活は貧困。孫が不良で神奈川浦賀に逃れる。店屋物をとり絵画制作に没頭。引越し93回、画号を30回変える。80歳の時、火事に遭う、大八車一台の絵画資料を失う。90歳まで絵画藝術を追求する。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
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怨敵調伏する空海、運命と戦う北斎
【怨敵調伏する空海、運命と戦う北斎】北斎88歳の作品、『弘法大師修法図』(1844-47)西新井大師總持寺所蔵。空海が法力によって鬼(病魔)の調伏を祈る場面。暗闇の背景に鬼の存在が浮き立つ。三日月の夜、空海と鬼が対決、犬が咆哮する。運命と戦う北斎自身の姿である。北斎晩年における最大級の肉筆画である。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。 
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する。黄昏の丘に降り立ち、不滅の魂の神殿に到達する。美のイデアへの旅。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
葛飾北斎『弘法大師修法図』1844-47、永田生慈氏が1983年に発見した。北斎88歳
 紙本1幅 弘化年間(1844-47)西新井大師總持寺
葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」大判 天保初期(1830-34)頃
 島根県立美術館(新庄コレクション)
葛飾北斎「富士越龍図」絹本1幅 嘉永2年(1849)正月 北斎館
肉筆画《向日葵図》(1847)88歳、アメリカ・シンシナティ美術館所蔵
葛飾北斎「隅田川両岸景色図巻」紙本一巻 文化2年(1805)すみだ北斎美術館
葛飾北斎「雨中の虎図」嘉永2年(1849、北斎90歳)紙本一幅 太田記念美術館
葛飾北斎「雲龍図」嘉永2年(1849、北斎90歳)紙本一幅 ギメ美術館、永田生慈氏が2005年に発見した。
葛飾北斎「円窓の美人図」絹本額面 文化2年(1805)頃 シンシナティ美術館 
葛飾北斎「酔余美人図」公益財団法人 氏家浮世絵コレクション
葛飾北斎「鎌倉勝景図巻」木版着彩紙本1巻 寛政5-6年(1793-94)島根県立美術館(永田コレクション) 
「津和野藩伝来摺物」(永田コレクション)118枚を4期に分けて展示。旧津和野藩主家、秘蔵
葛飾北斎「美人愛猫図」ウェストンコレクション
葛飾北斎「鯉亀図」紙本1幅 文化10年(1813)埼玉県立歴史と民俗の博物館
葛飾北斎「富嶽三十六景」46枚
葛飾北斎「富嶽百景」
葛飾北斎「諸国瀧巡り」(天保4年から天保8年(1833-1837)
葛飾北斎「諸国名橋奇覧」
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北斎とジャポニスム、国立西洋美術館・・・『富嶽三十六景』『北斎漫画』
http://bit.ly/2lJOXz9
北斎への旅 『旅する哲学者 魂への旅』より
https://bit.ly/2kMuogC
永田生慈(著)『葛飾北斎の本懐』角川選書
北斎 決定版(別冊太陽 日本のこころ 174)
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葛飾北斎(1760-1849)の最初期、勝川派の絵師として活動した春朗期(20~35歳頃)、勝川派を離れて浮世絵画派とは一線を画した作画活動を行った宗理期(36~44歳頃)、読本の挿絵に傾注した葛飾北斎期(46~50歳頃)、多彩な絵手本を手掛けた戴斗期(51~60歳頃)、錦絵の揃物を多く制作した為一期(61~74歳頃)、自由な発想と表現による肉筆画に専念した画狂老人卍期(75~90歳)、描いた年代別に北斎の作品を観覧する。これまで見えてこなかった北斎の成長や趣向の変化を感じることができる。
永田コレクション、最後の東京公開
本展監修者、故・永田生慈氏のコレクションは本展に出品された後は、島根県のみで公開される。本展は永田コレクションを東京で見ることができる最後の機会である。
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★「新・北斎展」、森アーツセンターギャラリー、2019年1月17日(木)~3月24日(日)
https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/hokusai/index.html
葛飾北斎『弘法大師修法図』(1844-47、北斎88歳)

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2019年1月26日 (土)

顔真卿、王羲之を超えた名筆・・・顔真卿「祭姪文稿」と懐素「自叙帖」

Yan2019大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第171回
冬枯れの森を歩いて博物館に行く。東晋の王羲之は、書の名人。権謀術数の官界を嫌い会稽県に赴任、永和九年(353)三月三日に会稽山の山陰の蘭亭にて曲水流觴の宴をひらき、『蘭亭序』を書き、上司王述を避け355年、49歳で官界を引退した。自由の身となり書を書き59歳で死す。*
唐の第二代皇帝・太宗は、博学で文芸に通じ、王羲之の書を愛した。太宗皇帝が愛するあまり墓に埋葬させた書、『蘭亭序』。幻の『蘭亭序』は、今も人の魂を魅惑する。
太宗皇帝に仕えた虞世南、欧陽詢、褚遂良は能書としても活躍した。
顔真卿は、唐の玄宗皇帝の治世になる開元22年(734)、26歳で官吏登用試験に及第し、4人の皇帝に仕えた官僚。顔真卿筆「祭姪文稿」(758)は、安史の乱の際に、従兄、顔杲卿(がんこうけい)とその末子の顔季明を失った凄惨な思いを綴った書。激情あふれる名筆として著名、情感を発露する書風。
懐素筆「自叙帖」の流麗な恍惚とした速筆は、目くるめく美がある。藤原佐理の流麗な書体は、懐素の影響があるということを初めて知った。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★参考文献
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
「書聖 王羲之」・・・苦悩と美意識から生みだされた美しき書
https://bit.ly/2kVbzeA
王羲之「蘭亭序」・・・詩人の宴、唐の太宗皇帝が愛するあまりあの世に持ち去った書
https://bit.ly/2Duczkn
和様の書・・・典麗、優美、華麗、繊細な世界
https://bit.ly/2Mwt7Jj

顔真卿、王羲之を超えた名筆・・・顔真卿「祭姪文稿」と懐素「自叙帖」
https://bit.ly/2DzePor
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展示作品の一部
虞世南筆「孔子廟堂碑-唐拓孤本」、唐時代・貞観2~4年(628~630)三井記念美術館蔵
欧陽詢筆「九成宮醴泉銘」、唐時代・貞観6年(632)、台東区立書道博物館蔵
褚遂良摸「雁塔聖教序」、唐時代・永徽4年(653)、東京国立博物館蔵
褚遂良摸「黄絹本蘭亭序」 原跡:王羲之筆、唐時代・7世紀、台北 國立故宮博物院寄託
顔真卿筆「祭姪文稿」、唐時代・乾元元年(758) 台北 國立故宮博物院蔵
懐素筆「自叙帖」、唐時代・大暦12年(777) 台北 國立故宮博物院蔵
懐素筆「小草千字文(千金帖)」、唐時代・貞元15年(799)頃、台北 國立故宮博物院寄託
空海筆、国宝「金剛般若経開題残巻」、平安時代・9世紀、京都国立博物館蔵
蘇軾筆「行書李白仙詩巻」、北宋時代・元祐8年(1093)、大阪市立美術館蔵
国宝、嵯峨天皇「李嶠百詠断簡」。『李嶠百詠』の一首「霧」「玲瓏素月明」
橘逸成「伊都内親王願文」
最澄「久隔帖」
藤原佐理「詩懐紙」
藤原行成「臨王羲之尺牘」
聖武天皇「賢愚経残巻」
藤原行成「白氏詩巻」1018年
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東晋時代(317–420)と唐時代(618–907)
中国の歴史上、東晋時代(317–420)と唐時代(618–907)は書法が最高潮に到達しました。書聖・王羲之(303–361)が活躍した東晋時代に続いて、唐時代には虞世南、欧陽詢、褚遂ら初唐の三大家が楷書の典型を完成させました。そして顔真卿(がんしんけい、709–785)は三大家の伝統を継承しながら、顔法と称される特異な筆法を創出します。王羲之や初唐の三大家とは異なる美意識のもとにつちかわれた顔真卿の書は、後世にきわめて大きな影響を与えました。
本展は、書の普遍的な美しさを法則化した唐時代に焦点をあて、顔真卿の人物や書の本質に迫ります。また、後世や日本に与えた影響にも目を向け、唐時代の書の果たした役割を検証します。
虞世南、欧陽詢、褚遂良
唐王朝の基礎を築いた第二代皇帝・太宗は、博学で文芸に通じ、王羲之の書をこよなく愛した。太宗に仕えた虞世南、欧陽詢、褚遂良は能書としても活躍し、王羲之書法の伝統を受け継ぎながら、楷書の典型を完成させました。
初唐の三大家、虞世南、欧陽詢、褚遂良
虞世南は、王羲之の7世の孫の智永に教えを受けて、王羲之・王献之の正当に根ざした南朝の書法を継承しました。行書にその特色がよく表れ、楷書には温和で落ち着いた用筆の「孔子廟堂碑」があります。
これに対し、欧陽詢は北朝の書に基盤を置き、険しさをたたえた書風をよくしました。なかでも、文字の組み立てがきわめて緻密な「九成宮醴泉銘」は、細部にまで神経の行き届いた傑作で、「楷書の極則」と賞賛されています。この作において、楷書は隷書の束縛から完全に解放され、楷書独自の表現を確立しました。
褚遂良の晩年の作「雁塔聖教序」は、細身の線質に華やかさを盛り込んだ、初唐の楷書を代表するにふさわしい名品です。「雁塔聖教序」がひとたび世に出ると、この書風は一世を風靡し、多くの追随者を輩出することになりました。
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顔真卿
顔真卿は、山東省の琅邪臨沂(ろうやりんぎ)の人。代々、訓詁と書法を家学とする名家に生まれ、唐の玄宗皇帝の治世になる開元22年(734)、26歳で官吏登用試験に及第し、4人の皇帝に仕えた官僚です。
天宝14年(755)、安史の乱が起こり、顔真卿とその一族は敢然と義兵を挙げ、唐王朝の危機を救いました。建中4年(783)、再び李希烈(りきれつ)によって反乱が企てられると、顔真卿は宰相の盧杞(ろき)の計略と知りながらも敵地に赴き、捕らえられて蔡州(河南省)の龍興寺で殺害されました。時に顔真卿77歳。顔真卿はのち忠臣烈士として尊ばれ、初唐の三大家とは異なる美意識のもとにつちかわれたその書は、後世の多くの人々にきわめて大きな影響を与え続けています。
東京国立博物館
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1925
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★「顔真卿 王羲之を超えた名筆」東京国立博物館
2019年1月16日(水) ~2月24日(日)

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2019年1月11日 (金)

孫崎享『幕末史の謎、理念なき国家』孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第12回

Magosaki2018_022015孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第12回
秋の午後、孫崎氏の家で歓談した。孫崎享先生の新著『アーネスト・サトウと倒幕の時代』の構想について、質疑応答した。主な論点は次のことである。
1「理念なき国家、明治の嘘」尊王攘夷は権力を横領するための嘘。権力の不正な略奪。「孝明天皇は毒殺された」。2「徴兵令(1873年)は、憲法(1889年公布)と議会制度の前に成立した。理念なき国家。3「侍は権力者に仕えるシステム」奴隷のように支配者に仕えるシステムは、江戸時代に構築されていた。
1、幕末、明治の真相について
――
孫崎享『アーネスト・サトウと倒幕の時代』2018/12/5刊行。
日本が焦土になることを危惧して、統幕から和平交渉へ転換した英国外交官。勝・西郷会談を英国外交官アーネスト・サトウは演出した。
「噂によれば、天皇陛下は天然痘にかかって死んだという事だが、数年後、その間の消息によく通じているある日本人が私 (アーネスト・サトウ)に確言したところによれば、天皇陛下は毒殺されたのだという。この天皇陛下は、外国人に対していかなる譲歩を行う事にも、断固として反対してきた。」『一外交官の見た明治維新』
【坂本龍馬暗殺】
坂本龍馬を誰が殺したのか、薩長側であったか否かは、明治政府の性格の理解に非常に重要。龍馬は天皇の下に慶喜を含むオールジャパン的なものを志向。この龍馬暗殺となれば薩長側は単に政権獲得だけを目的の性格となる。だから幕府側が殺害というバージョンを必要とした。新選組という構図が出る。(孫崎享2018年11月12日)
大政奉還の後、龍馬は天皇の下、徳川慶喜をも含めたオールジャパン構想の提唱に向かう。それを取り上げたのが山内容堂。だが山内容堂は会議で慶喜を入れることを主張するが、西郷隆盛の脅し(間接的)でこの主張を止める。こうした流れの中で龍馬は殺されている。
「理念なき国家、明治の嘘」うそつき、詐欺師集団
うそつき集団、詐欺師集団が権力を横領した。「尊王攘夷」という人々、攘夷と言いながら、英国と共謀した討幕派。薩摩、長州は英国と共謀した。
「孝明天皇は毒殺された」
「天皇の死因については、表面上疱瘡で病死ということになっているが、毒殺の疑いもあり、長い間維新史上の謎とされてきた。犯人は岩倉具視である。」佐々木克『戊辰戦争』中公新書P8-9。犯人は岩倉具視、大久保利通。幼少の明治天皇を操った。
「近年、当時孝明天皇の主治医であった伊良子光順の残した日記が一部公にされ、光順の子孫である医師伊良子光孝氏によって、孝明天皇の死は、光順日記で見る限り明らかに「急性毒物中毒の症状である」と断定された。やはり毒殺であった。
犯人について伊良子氏はなにも言及していない。しかし、当時の政治情況を考えれば、自然と犯人の姿は浮かびあがってくる。洛北に幽居中ながら、王政復古の実現を熱望して策をめぐらしている岩倉にとって、もっとも邪魔に思える眼の前にふさがっている厚い壁は、――親幕派の頂点孝明天皇その人であったはずである。―岩倉自身は朝廷に近づけなかったが――大久保は――公卿の間にもくい込み、朝廷につながるルートを持っていた。――直接手をくださずとも、孝明天皇暗殺の黒幕が誰であったか、もはや明らかであろう。」
この本は7月末脱稿。当初社長さん歴史ブームだから早く出しましょう、二、三週間で刊行と言われてましたが、伊藤博文自身の暗殺行為、孝明天皇暗殺、龍馬暗殺、江戸城引き渡しへの英国関与等論議呼ぶテーマを含み著者が著者だけに右翼が狙ってくると、一時は4人がかりで原稿チェック。(孫崎 享‏ @magosaki_ukeru 11月13日)
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2、【理念なき国家、明治】
孫崎享
明治政府は、薩長による権力の奪取であり、市民による統治の実現ではない。「徴兵令(1873年)は、憲法(1889年公布)も議会制度の前に成立した。
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大久保正雄
フランス革命では、バスティーユ牢獄襲撃1789年7月14日の1か月後に、『人権宣言』が出される。『人権宣言』1789年8月26日。『人間と市民の権利宣言』、自由、平等、圧制への抵抗権を自然権とする。その維持を統治の目的とする。国民主権、法の支配、権力分立、私有財産の不可侵、が規定された。
『1791年憲法』9月3日、「徴兵制の実施」1791年2月、3月10日、実施。
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3、【奴隷階級】
孫崎享氏は、奴隷のように支配者に仕えるシステムは、江戸時代に構築されていた。と考える。*ハーバート・ノーマン『忘れられた思想家 -安藤昌益のこと』
侍とは、権力に仕える者の意味である。
【奴隷階級】「あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、現在でも奴隷と自由人に分かれる。自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である。」 ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』
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4、【平安時代は暴力装置なき国家】
清盛は、後白河に泣きつかれたために「朝廷の暴力装置』としての当然の役目を果たした。『歴史に裏切られた武士 平清盛 - 第 1 巻』
暴力装置の政治権力の中での正当性を確立する道を、みずから閉ざさせものとするという、重要な課題 ・・・ 保元,平治の兵火によって生れるまで、平安時代には見られなかった、第二は、政治目的を達するのに赤裸々に暴力に依拠することがない。『明月記研究 6号(2001年11月): 記録と文学』
【西面の武士】鎌倉時代、上皇に仕え、身辺の警衛、奉仕などにあたった武家集団。1200年ごろ、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の軍事力に対抗して結成したとされる。倒幕準備のために創設したとする説の他、武芸を好んだ 貴族。
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★参考文献
★アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』(上下)(坂田精一訳、岩波文庫、1960年)
★ノーマン「徴兵令(1873年)は、憲法(1889年公布)も議員制度の前に成立。ハーバート・ノーマン『日本の兵士と農民』(岩波書店、一九五八年)
ハーバート・ノーマン『忘れられた思想家 -安藤昌益のこと』(岩波新書全2巻1950年)
★ジョセフ・ニューマン 陸海軍は国民に対しては責任を負わない。天皇にのみ忠誠。軍は自分たち以外誰に対しても責任を負わない。
ジョセフ・ニューマン『グッドバイ・ジャパン』
☆指導者層の「サムライ化」。新倫理の中心部分は、忠誠の観念を一層強調し、儒教的用語で再構築、愛国心や法の遵守。S.N.アイゼンシュタット『日本比較文明論的考察』岩波書店2004
★佐々木克『戊辰戦争』中公新書P8-9。
半藤一利『幕末史』平凡社
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孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
検察は権力の奴隷、マスコミは追及せず。独裁政権、止めるシステムなし。孫崎享
孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第10回
https://t.co/UV5VZGgQ5G
日本国家、ファシズム14の兆候
孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第11回
http://bit.ly/2vO4qzC
独裁政権、民主主義は崩壊。ファシズムの14の兆候。うそ、公文書改竄、隠蔽、最高権力者。権力に隷従、盲従する官僚の群れ
孫崎享×大久保正雄『国際政治の舞台裏 核の傘は存在するのか』ソフィア文化芸術ネットワーク
https://bit.ly/2uGOZcm
2018年11月8日

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2019年1月 7日 (月)

孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』

Magosaki2018_1Russia2018_4大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第169回
秋の午後、孫崎享氏の家で歓談した。孫崎先生は、竹林の七賢人のような人である。といったら、孫崎先生は微笑んでいた。抵抗派知識人。清流派知識人である。*
孫崎享氏は、孤高の藝術家を愛好する。壁面に長谷川潔の絵とウズベキスタンのイコン画がある。孫崎享氏は、ロマン派の詩を愛読している。「低く暮らし、高く思うPlain living and high thinking」ワーズワース『ロンドン』。(注4)
竹林の七賢人は、3世紀三国時代、魏の司馬炎政府の権力に阿ることを嫌悪し、河南省北東部、竹林にて清談し交遊した七人の賢人。竹林の七賢人には琅邪の王氏の一人がいる、王戎は人間の本質を見ぬく目をもっていた。反骨の知識人である。*偉大な思想家と藝術家は世界と戦い苦悩する。(注1)
【苦悩は、思想と藝術の創造の源泉である。耐え難い苦悩を通して人は自己の存在を高めることができる】織田信長の運命と酷似する。苦しみの原因は、家族、地位、仕事、愛である。(注5)
空海は理念を探求して旅した。空海の苦悩は『聾瞽指帰』に刻まれている。(注6)空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人々。理念を追求する人々は、この世の闇の彼方に美を求める。(注6)
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1、【竹林の七賢、王戎(234-305)】琅邪の王氏。王導、王羲之(303-361)、王献之を生む一族。
東晋の王羲之は、書の名人。権謀術数の官界を嫌い会稽県に赴任、永和九年(353)三月三日に会稽山の山陰の蘭亭にて曲水流觴の宴をひらき、『蘭亭序』を書き、上司王述を避け355年、49歳で官界を引退した。自由の身となり書を書き59歳で死す。*
「上兵は謀を討つ。最高の戦略は、敵の陰謀を討つことである」『孫子』謀攻篇
権力と戦う知識人の精神史 春秋戦国奇譚
https://bit.ly/2P3rfID
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
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2、イワン・クラムスコイ『忘れえぬ女』の目には、涙が光る。運命に挑み、運命を呪う目である。プーシキン『吹雪』の主人公の恋人たちマリアとヴラジーミルのように、愛し合いながらも結ばれぬ運命。
*イワン・クラムスコイ(1837-1887)『忘れえぬ女』1883年
国立トレチャコフ美術館所蔵「ロマンティック・ロシア」Bunkamuraザ・ミュージアム・・・イワン・クラムスコイ『忘れえぬ女』『月明かりの夜』
https://bit.ly/2FSgets
*2018秋の美術展展望 フェルメール、ムンク、ルーベンス、快慶・定慶、トレチャコフ美術館「ロマンティック・ロシア」、醍醐寺展、藤田嗣治、東山魁夷。
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3、ディミトリー・セルギェーヴィチ・メレシュコフスキー。ギリシア精神の理念を探求した思想家。
『神々の死 背教者ユリアヌス』1894『神々の復活 レオナルド・ダ・ヴィンチ』1896、『ピョートル大帝 反キリスト』1902
*(1865-1941)ロシア宮廷第6代枢密顧問官を父に露都ペテルブルクに生まれる。メレシュコフスキーは、『現代ロシア文学の衰退と新思潮』(1893年)によってロシア象徴主義を公表。メレシュコフスキーとギッピウスは、1901年、宗教哲学協会を創設、ロシア正教聖務会院長官のコンスタンチン・ポベドノスツェフによって禁止された。パリで死去。
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4、ロマン派の詩人 ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)『無垢と経験の歌』1787年
ウィリアム・ブレイク「毒のある木」寿岳文章訳 William Blake, Poison Tree
私は私の敵に腹を立てた 私は黙っていた 私の怒りはつのった そして私はそれに恐怖の水をかけ 夜も昼も私の涙をそそいだ そして私はそれを微笑みの陽にあて 口あたりのよい欺瞞の肥料で育てた
「毒のある木」は、密教の呪詛調伏、怨敵調伏の真言である。
「一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見るために。掌で無限を握り、一瞬のうちに永遠を掴め。」ウィリアム・ブレイク William Blake詩集『ピカリング草稿』『無垢の予兆』よりAuguries of Innocenceウィリアム・ブレイク
【死生学】一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見るために。掌で無限を握り、一瞬のうちに永遠を掴め。ウィリアム・ブレイク William Blake詩集『ピカリング草稿』。
「無垢の予兆」Auguries of Innocence
To see a World in a grain of sand,And a Heaven in a wild flower,
Hold Infinity in the palm of your hand,And Eternity in an hour.
詩人は1803年、John Schofieldという兵隊と口論になり、国家扇動罪(seditious statements)を行ったとして裁判にかけられる。勝訴するが、詩人に大きく影響した。難解な表現をすることで攻撃的な思想を隠す独自の表現技法を確立。歓喜に充ち溢れる生命を讃える「無心の歌」、無垢を喪失した悲しみの世界を描く「経験の歌」、そして呪縛からの解放を歌う「天国と地獄との結婚」。ブレイク初期の傑作三詩集。
ウィリアム・ブレイク、寿学文章訳『有心の歌、無心の歌』角川文庫
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5、織田信長、謀反に始まり、謀反に死す。壮絶な人生。天下布武、階級社会を破壊した。
【織田信長、壮絶な生涯】父信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつける。18歳。稲生の戦い、弟信行の謀反1700人に信長700人で戦う。23歳。信行2度目の謀反、清州城天主次の間で返り討ち、24歳。本能寺の変、信長70人に光秀1万3千人。自刃。49歳。
戦国時代、織田信長の思想 
ルイス・フロイス『日本史』、太田牛一『信長公記』
和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書
和田裕弘『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中公新書
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・『戦う知識人の精神史』『旅する哲学者 美への旅』
https://bit.ly/2R1G0fU
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【織田信長の価値観】1、美しい人。卓越性のある人。2、役に立つ人。3、地位、肩書き、外面だけで役立たずな人。『旅する哲学者 美への旅』
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6、【空海、波瀾の遣唐船、謎の生涯】24歳で『聾瞽指帰』を書く。57歳で『秘蔵宝鑰』を書く。
大学入学18歳から31歳、遣唐使、留学僧、入唐まで、大学中退、山林修行、謎の12年間。宝亀5年(774)6月15日生まれる。承和2年(835) 4月22日入定、62才。
24歳で『聾瞽指帰』797年を書く。57歳で『秘蔵宝鑰』830年
【空海、聖なる者は悪を滅ぼす】『理趣経』第三段。金剛手よ、もし理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとえ三界の一切の有情を害するも悪趣に堕せず。松長有慶『理趣経』
参考文献
空海の旅 旅する思想家、美への旅
https://t.co/HPPpp3e5iL
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
加藤純隆『空海 三教指帰』加藤純隆『空海 秘蔵宝鑰』角川ソフィア文庫
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7、ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』*のアンチリアリズムの実験をした夏目漱石『草枕』
(*未完の小説。全9巻1759年の末から1767年)。この18世紀小説に、20世紀文学、アンチリアリズム文学は深い影響を受けた。アンドレ・ジイド、カフカ、ジェイムズ・ジョイズ『フィネガンズ・ヴェイク』、ヴァージニア・ウルフ、マルセル・プルースト。他方、日本の明治文学は、1900年以降、やっとリアリズム文学に辿りつく。花袋『布団』藤村『破戒』。
【漱石山房記念館、開館1周年記念講演会、奥泉光『漱石の孤独』】2018年10月8日
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★参考文献
ロマン派詩人 地中海、美への旅 大久保 正雄「旅する哲学者 美への旅」第77回
https://t.co/nqAsdA8wKg
成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。努力と才能は人を裏切る。貧困と逆境ゆえに成り立つ無償の愛。
水木しげる「幸福の七ヶ条」・・・美しい守護精霊は美しい魂を守る
https://bit.ly/2Q4dny8
新古今歌人、悲恋の花、式子内親王、西行、美への旅
大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第92回新古今歌人
https://t.co/2TYuF5tpEw
王朝ピラミッド ピラミッド・クライマーの官僚たち
奈良平安時代は、すべての産業は国家事業である。あるのは国家の行政職だけで、総定員1万3千人、正規雇用といえる職員は、1千人。正一位にいたる三十階級に位置づけられる。
五位以上でなければ貴族ではない。「五位は物の数でもない」紫式部日記。
https://t.co/2TYuF5tpEw
★山口博『王朝貴族物語』第2章、講談社現代新書1994
十一面観音菩薩、怒りと争いの修羅道を救う。准胝観音菩薩(不空羂索観音菩薩)、四苦八苦の人道を救う。如意輪観音菩薩、神通力をもつ天人を救う。
「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」東京国立博物館、・・・純粋な美しい魂に舞い降りる
https://bit.ly/2C0ZL2f
孫崎享『幕末史の謎、理念なき国家』孫崎享×大久保正雄『国家権力の謎』第12回
https://bit.ly/2M66jzA
――
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84

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2019年1月 1日 (火)

2019新春、桃之夭夭、灼灼其華・・・旅する哲学者 美への旅

Hokusai_kouboudaishiHokusai20190Boston_edonoyuuwaku_20060301大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第168回
1、時を超える不滅の魂
美しい魂は、永劫回帰の時を超える。時を超えて蘇る。北斎は、20歳で絵師となるが売れず、苦節50年、『富岳三十六景』『神奈川沖浪裏』(1831)まで雌伏。北斎は、九十歳で死ぬまで絵を描きつづける。74歳にして画狂老人卍『鳳凰図屏風』(1835)、87歳『八方睨み鳳凰図』(1848)、88歳『富士越龍図』(1849)。90歳にして「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」「画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。」飯島虚心『葛飾北斎伝』。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する。黄昏の丘に降り立ち、不滅の魂の神殿に到達する。美のイデアへの旅。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
2、理念を探求する精神
空海、ロレンツォ・デ・メディチ、プラトン、玄奘三蔵、李白、王羲之、嵯峨天皇、ソクラテス、理念に向かって、旅した人々。理念を追求する人々は、この世の闇の彼方に美を求める。
理念を追求する精神は、知性によって運命と戦い、地上に美を成就する。メディチ家のプラトン・アカデミーは1499年に滅びる。しかし、逆境の時を超え、滅亡から400年後蘇る。
3、復讐する精神 聖なる者、悪と戦い、滅ぼす
【復讐する偉大な王】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、弟プトレマイオス14世を暗殺。プロイセンのフリードリッヒ大王、織田信長、偉大な人生は、復讐から始まる。絶望に立ち向かう。絶望を超えて、復讐を果たし、天の仕事を成し遂げる。
【復讐劇】復讐劇の傑作、『オレステス』、『ハムレット』、『モンテ・クリスト伯』、ウィリアム・ブレイク『有心の歌』「毒のある木」、『スウィーニー・トッド』。復讐する人は、絶望に立ち向かう。絶望を超えて、美の理念を成し遂げる。
【『般若理趣経』第三段】「もしこの理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとひ三界の一切の有情を害すも悪趣に堕せず」
空海【聖なる者は悪を滅ぼす】【『理趣経』「第三段」】の教説に関して不空訳『理趣釈』において三界の衆生とは三毒の煩悩と注釈されているが、当該注釈の方向性は空海にも継承され、空海は三界の衆生を害することとは三界の無明を断じることに他ならないとしている。*三毒。貪欲・瞋恚・愚痴。貪瞋痴。
『理趣経』「第三段」「金剛手よ、もし理趣を聞きて受持し読誦することあらば、たとえ三界の一切の有情を害するも悪趣に堕せず。」松長有慶『理趣経』
4、蘇る魂 逆境を超える
理念を探求する人は、逆境の時を超えて、蘇る。不屈の思想家、藝術家、創造の秘密は、苦悩にある。大王、藝術家、詩人は。4つの苦しみに苦悩する。家族の苦しみ、地位の苦しみ、職業の苦しみ、愛の苦しみ。フィリッポス2世の王子、アレクサンドロス3世、プトレマイオス12世の王女、クレオパトラ7世、織田信長、花巻商人の子、宮澤賢治。
【死生学】どんなに教養があって立派な人でも、心に傷がない人には魅力がない。他人の痛みというものがわからないから。フジ子・ヘミング『魂のことば』
5、本質を探求する
理念を探求する人は、本質を探求し、見えざる美を探求する。理念を探求する思想家、見えざる美をみる詩人、不可視のイデアをみる藝術家。本質は目で見えない。心の目でのみ見ることができる。
究極の価値は、地位と権力とカネによって手に入れられないものである。
【偉大なる王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人を残す。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテン王29歳。ツタンカーメン18歳。アンケセナーメン27歳。美しき宗教改革者ネフェルティティ63歳。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
【死生学】富とは、お金で買えないものをどのくらい持っているかである。お金で家は買えるが家庭は買えない。お金で学校は買えるけれど学問は買えない。知性は買えない。支配階級は、お金で地位は買えるけれど人格は買えない。魂は買えない。美は買えない。
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
6、戦う知識人の精神史
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
史上最高の指揮官、テミストクレス、アレクサンドロス大王の戦いが、アカデメイア派のプルタルコス『英雄伝』に刻まれている。孔子、孫子、思想家の運命との戦いは、怨念の歴史家、司馬遷『史記』、『孔子世家』『孫子呉起列伝』に刻まれている。織田信長、父信秀の葬儀18歳、23歳の稲生の戦い、清州城で復讐24歳から49歳の本能寺の変にいたる壮絶な人生、『信長公記』ルイス・フロイス『日本史』に刻まれている。
7、永遠を旅する哲学者、イデアへの旅
存在の彼方に、善と美のイデアがある。存在の根拠は美と善である。人間存在の秘密は、たんに生きることにあるのでなく、何のために生きるかである。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
参考文献
大久保正雄『戦う知識人の精神史』
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・『戦う知識人の精神史』『旅する哲学者 美への旅』
https://bit.ly/2R1G0fU
織田信長、天下布武、知的で革命的。既存の階級社会、価値観を否定・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2MP00UY
織田信長、復讐する精神、卓越した情報力、壮絶な精神・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2x8ZNBm
織田信長、信長包囲網との戦い、八つの戦い、比叡山、天下一の名城、安土城・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2FkeiJX
「上兵は謀を討つ。最高の戦略は、敵の陰謀を討つことである」『孫子』謀攻篇
権力と戦う知識人の精神史 春秋戦国奇譚
https://bit.ly/2P3rfID
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若き織田信長、親は敵、兄弟は第一の敵、復讐する精神・・・『戦う知識人の精神史』
https://bit.ly/2lbezTP
【醍醐寺三宝院 天正元(1573)年】織田信長のために真言密教の祈祷、修法を行う。「織田信長黒印状」醍醐寺三宝院における戦勝祈願の修法への礼状を信長より返信。「天下布武」印。1573三方が原の戦い(武田信玄)、武田信玄死す。武田信玄の死と包囲網瓦解。1573年5月13日。
https://bit.ly/2NHbWso
★葛飾北斎『弘法大師修法図』1844-47

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