「みんなのミュシャ展」・・・ミュシャ様式、線の魔術、運命の扉、波うつ長い髪の女
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』187回
初夏の風そよぐ午後、美術館に行く。ミュシャは、運命の女を追求した。運命の女と呼ばれる理由は何故か。運命の女(Femme fatale)の源泉は、トロイの王子パリスが選択したスパルタの王妃ヘレンである。*
【藝術家と運命の戦い、運命の扉】アルフォンス・ミュシャ、27歳で、挿絵画家になる。34歳の時、サラ・ベルナールのポスターを描く。パリで、ミュシャ様式、アール・ヌーヴォーが隆盛する。1900年、アール・ヌーヴォーが終息する。1910年、50歳の時『スラヴ叙事詩』に着手。プラハにて78歳で死す。
――
デッサン、イラストレーター、ポスター藝術、ミュシャ様式の頂点へ上り詰めた画家。1860年、アルフォンス・ミュシャ、ハプスブルク帝国下のモラヴィア、イヴァンチッツェに生まれる。アルフォンス・ミュシャは、1887年、27歳でパリ、アカデミー・ジュリアン入学。この年、日本の浮世絵、ジャポニスムが流行した。経済的困窮で、挿絵画家になる。
【運命の扉、サラ・ベルナールとの出会い、『ジスモンダ』】
世紀末のパリに出たが、鳴かず飛ばずだったミュシャが一夜にしてアール・ヌーヴォーの寵児に躍り出るきっかけとなった作品。当時すでに生きた伝説の大女優サラ・ベルナールのポスターがなぜ無名のミュシャに発注されたのか。印刷工場で働いていたミュシャが版画を制作した。
1895年のサラの正月公演のため、1894年のクリスマスの夜、一夜にして作られた。『ジスモンダ』はサラの戯作者ヴィクトリアン・サルドゥーの中世を舞台とする宗教劇。ジスモンダが手にしたシュロの枝は「シュロの日曜日」というキリスト教の祭日に因む。当時ポスター作家として人気を博していたロートレックにもシェレにもないビザンティン風のエキゾティックな衣裳、サラの印象的なポーズ、モザイクを模したレタリングなどが人気の秘密であった。
――
【ミュシャ様式、アール・ヌーヴォー】
1895年元旦、アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』のポスターでパリのアート・シーンの注目を集め始める。アール・ヌーヴォー様式の発信源の一つとなるジークフリード・ビングの画廊、メゾン・ド・ラール・ヌーヴォーがオープン。
ミュシャのデザインは「ミュシャ様式」というニックネームで大衆に親しまれ、「アール・ヌーヴォー」と同義語になる。優美な女性と、繊細な線、大胆な構図、曲線と円形、花の装飾。
1898年、ウィーン分離派展に参加。フリーメイソン、パリ支部の会員。
1900年、アール・ヌーヴォー、終息。ミュシャ様式、忘れ去られる。
1906年、アルフォンス・ミュシャ、マルシュカとプラハの聖ロフ教会で結婚。
1910年、アルフォンス・ミュシャ、故郷に戻り、スピロフ城を借りて、アトリエにする。50歳の時、『スラヴ叙事詩』に着手。1910—1928年まで。
1939年、アルフォンス・ミュシャ、プラハにて死去。78歳。
1960-70年代、グラフィック・アートとして、復活する。
【美人画の歴史、運命の女】ロマン主義、ラファエロ前派、ロセッティ、ギュスターヴ・モロー、象徴派、ミュシャ様式。19世紀は、美人画の歴史であった。ヨーロッパの美女の歴史の根源は、ギリシア神話、パリスの審判、アフロディーテ、アテナ、ヘラ、三女神の争い。パリスは、アフロディーテの差し出す美女、ヘレンを選び、トロイ滅亡を招く。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【偉大な王と運命の戦い】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、フリードリッヒ大王。偉大な王たちは、運命と戦う。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。偉大な王たちが手に入れられない4つの自由。偉大な王たちが超えられない運命がある。
【思想家、藝術家と運命の戦い】思想と藝術は、苦悩と悲しみから生まれる。思想家、藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いから思想と藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女神と出会う。美しい女神が、舞い降りる。美を探求する、藝術家を救う。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い、女神との出会い』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
―――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、美しい女神が舞い降りる。美しい守護霊があなたを救う。天のために戦う、美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』1894年 カラーリトグラフ 216 x 74.2 cm©Mucha Trust 2019
アルフォンス・ミュシャ『舞踏―連作〈四芸術〉より』1898 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019
アルフォンス・ミュシャ『黄道十二宮』1896 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©MuchaTrust2019
アルフォンス・ミュシャ『ジョブ』1896 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©MuchaTrust2019
――
参考文献
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム、2019
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
https://bit.ly/2vikIlL
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/2uUs3pu
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道、国立新美術館・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派
https://bit.ly/2QbsUwT
「ミュシャ展 パリの夢、モラヴィアの祈り」2013
http://www.ntv.co.jp/mucha/
「ミュシャ展 『スラヴ叙事詩』」国立新美術館2017
http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/alfons-mucha/
――
アール・ヌーヴォーを代表する芸術家、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)。「線の魔術」ともいえる繊細で華やかな作品は「ミュシャ様式」と呼ばれ、後世のアーティストに影響を与えてきたとともに、没後80年経ったいまなお、世界中の人々を魅了し続けている。
世紀末のパリでグラフィック・アーティストとして成功し、美術史上最初のグローバルな芸術運動アール・ヌーヴォーの旗手となったミュシャ。そのミュシャがプラハで逝去してからちょうど80年という節目に当たる2019年、「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ ―― 線の魔術」を開催する。
本展は、ミュシャのグラフィック・アーティストとしての仕事を振り返り、さらにはミュシャ様式と呼ばれた独創的なスタイルが、後世のグラフィック・アートにどのような影響を与えたのかを俯瞰しながら、ミュシャが私たちの時代の視覚文化に与え続けてきたインパクトを検証する展覧会である。
250点以上の作品を通じて、時代を超えて愛される画家の秘密を紐解く、これまでにない画期的なミュシャ展となる。 2019年7月13日(土)Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)東京展を皮切りに、京都、札幌、名古屋、静岡、松本で2019〜2020年にかけて開催する。
https://www.ntv.co.jp/topics/articles/19ng2236py6fa3auji.html
――
★京都展:2019年 10月12日(土)〜2020年1月13日(月・祝)京都文化博物館
札幌展:2020年1月25日(土)〜4月12日(日)札幌芸術の森美術館
名古屋展:2020年4月25日(土)〜6月28日(日)名古屋市美術館
静岡展:2020 年7月11日(土)〜9月6日(日)静岡県立美術館
松本展:2020 年9月19日(土)〜11月29日(日)松本市美術館
――
★「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム、7月13日~9月29日
最近のコメント