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2019年8月 5日 (月)

質疑応答、島薗進×大久保正雄「死生学 ファンタジーと魂の物語」ソフィア文化芸術ネットワーク

Shimazono20190526
Shimazono20191
【質疑応答】島薗進先生に、死生学、比較宗教学の観点を踏まえて、先生の見解について質疑応答しました。ここにその内容を記録します。島薗進「死生学 ファンタジーと魂の物語」2019年5月26日、上智大学6号館203教室にて。ソフィア文化芸術ネットワーク。
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1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』について
大久保正雄
『雁の童子』は、天から降りてきた天の童子、天人がこの世で苦難を受け、輪廻転生で天界に戻る物語。『インドラの網』は、事事無礙法界の比喩『華厳経』を詩的イメージ化している。仏教用語を専門用語で説明すると感動がないが、宮澤賢治の詩的世界は美しい。生きる世界の真実を詩的世界で表現する。宮澤賢治、織田信長、二人は、修羅の道を歩いた。修羅のように、この世と戦った。

島薗進
「雁の童子」はすばらしい作品です。仏教の諸理念が短い物語に埋め込まれ、奥深い宗教性に引き込まれていきます。とりわけ、暴力と別れと悲しみを体現した童子と、その童子を気遣う須利耶が父子として、また前生での悲しみを分かち合う者として心を通わせるいくつかの場面は珠玉といってよいでしょう。
「インドラの網」は物語というよりは散文詩のような作品で、賢治の心象風景を描いたもの、「華厳経」の世界、仏の神秘の到来、南無妙法蓮華経の題目体験、を表したものかと思います。類似の作品として「マグノリアの木」を思い出します。また、「十力の金剛石」も類似のものでしょう。
宮澤賢治は、修羅のように生きた。家業を受け入れず、苦しんだ。痛いこの世の経験の彼方に美しい世界への憧れを懐いた。

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2、天正、織田信長、改元の目的は何か。
大久保正雄
「清静は天下を正と為す」。清い静けさ(自然の静寂)は天下を正しく在るようにあらしめる。出典『老子』45章。天、正義、武(=矛を止める)という老荘思想、古典の概念がある。既存の階級社会を打破する目的があると戦国史研究者は指摘する。これまでの信長像は、武力のみで改める必要があると思う。*【天正、織田信長】兵革(戦乱)の凶事を断ち切るために行われた【災異改元】。出典『老子』45章。
織田信長、宮澤賢治、二人は、修羅の道を歩いた。
まったく別の人生のように見えるが、まったく別の人生のように見えるが、織田信長は、階級社会との戦いの人生。宮澤賢治は、この世の苦と戦った。阿修羅は戦いの神。「唾し、はぎしり、行き来する、おれは一人の修羅なのだ」「修羅の涙は土に降る」(宮澤賢治『春と修羅』)

島薗進
織田信長は安土城の「天守」を作らせた人、これはゴシックの教会の影響を受け、天命を受けた帝王の幻覚にひたった人であったと思います。道教、仏教、儒教の壁画空間の上に、天主の間を作った。世界の諸思想の上に、天がいる。共鳴はしませんが、信長が長生きしていたら、日本はだいぶ違った世界になったと思います。信長以後、秀吉、徳川は、階級社会へ逆戻りした。
明清の中国の皇帝の強大な威信は、日本では織田信長から死後の明治天皇に引き継がれたような気がします。

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3、密教真言について
大久保正雄
密教真言について。「真言とは、祈りである。真言(mantra)とは、真実の言葉。人知人力には限りある以上、人は祈らずにはいられない。」自分の限界に気づいた人間の祈り。(宮坂宥洪『真釈般若心経』角川ソフィア文庫2004)*密教学者、宮坂宥勝氏の子息の著書。密教真言の呪文は、大日如来の降臨加護を招き、即身成仏、幸福への祈りである。
4、【藝術と魔術】
大久保正雄
祈りは、人間の心の願いのことばである。祈りは魔術である。藝術は、敵意にみちたこの世と戦うための、魔術である。
【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。敵との闘争における武器なのだ。いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。パブロ・ピカソ

島薗進
マックス・ウェーバーは、脱呪術「Entzauberung」=合理化と考えた。しかし今、「祈りと魔術」は復活しつつある。
芸術と魔術(呪術)は深く関わっています。それはまた、祈りの方へも向かいます。悲しみをたたえた芸術は祈りのように受け止められます。「雁の童子」はそのような作品。他方、無上の境地の顕現をもたらす祈りもあり、お題目はそうしたものでしょう。お題目と真言、お念仏はそのような唱え言葉でした。歌には呪文的な歌詞が多いです。「春よこい、早く来い」はよい例。「志を果たしていつの日にか帰らん」(故郷)と歌うとき、現代人はいのちの源へもどるための呪文のように感じているようでもあります。

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5、学問の不可欠な要素について
1、新しい価値は文化と文化の狭間から生まれる。創造的な学問に必要なものとは何か。2、権威、ブランドに依存してはならない。3、知を生みだす知、一次元上の知の体系、メタ知識を求めねばならない。
大久保正雄
私は、出版社の編集者から「あなたにしかできないものを作りだして下さい」と注文される。
建築家、梵寿綱氏は私に教えた。「創造的な思想、藝術を作りあげなさい。創造的な世界観であれば、人はそれを買いに来る。高度に普遍的な学問を追求しても、それは他にやっている人がいる。創造性がない」。
ある美術出版社の編集者は「なぜその作品が生みだされなければならないのか、その理由を解く人はいない。美術作品カタログばかり出版される。」
学問の権威には欺瞞性がある。城は、権威とブランドの象徴。信長の名言がある。織田信長「人、城を頼らば、城、人を捨てん」。
憲法学、哲学、文献学、などは「先生の言うとおりに、復唱することが正しいとされる。権威に従わず、革新的なことを言う人は、弾圧される」。
ある映像プロデューサーは「生存競争の激しい社会、創造性がないと、厳しく追及される。わんわん、批判される」。
孫崎享先生の批判。「学者は、先生の言ったことをそのまま写すと、出世する。憲法学者がその典型。だからTPPが憲法違反であることを判断できない」。
上野千鶴子の論点から。(1)新しい価値は異文化が摩擦するところに生まれる。(2)ブランドが通用しない世界。(3)知を生み出す知、メタ知識。
上野千鶴子「新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれる」「ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。」「すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。」2019年東京大学入学式祝辞より。

島薗進
『あしながおじさん』を最近、読みました。あの本には、17歳の少女が、人間教育を受けて成長する姿が、描かれている。あのような大学教育を失ってしまった。支援者の男性と少女は最後に結婚する。
上野千鶴子さんは、金沢で、14歳のころから知り合いです。
学問は、知る心(マインド)の側面と感じる心(ハート)の側面とがともに備わり、統合されることを目指していると思います。しかし、近代の学問は知る心の方に偏っていて、感じる心を組み込むのが難しくなっているように思います。かつての「教養」は人格完成を目指していたので、両側面が統一されることが前提でした。「子曰く、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋有り遠方より来る、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。」
――
【解説】 質疑応答『死生学 ファンタジーと魂の物語』
大久保正雄
1、【宮澤賢治『雁の童子』】沙車に須利耶圭という人が、名門ではあるが落ちぶれて静かに暮らしていた。雁の群れが、弾丸に撃たれて、落ちてくるのを眺めた。「赤い焔に包まれて、嘆き叫んで手足をもだえ落ちてくる五人。ただ一人完いものは可愛らしい天の子供。次々に雁が地面に落ちてきて燃えた。天の眷属でございます。私どもは天に帰ります。ただ私の一人の孫はまだ帰れません。どうぞあなたの子にしてお育てをお願いします。」須利耶は雁の子供をつれて町を通った。石が一つ飛んできて童子の頬を打った。須利耶圭が、沙車の町のはずれの古い沙車大寺のあとから掘り出された。一つの壁がまだそのままで見つけられ、三人の天童子が描かれ、その一人はまるで生きたようだ。「わたしはあなたの子です。この壁は前にお父さんが描いたのです」
【宮澤賢治『インドラの網』】ツェラ高原を歩いているうちに「天の空間」に入り込み、天人、蒼い孔雀、天界の太陽、あらゆる美の極致を目にする主人公、青木晃。「天の子供らのひだのつけようからガンダーラ系統なのを知りました。于闐大寺の廃趾から発掘された壁画の中の三人なのを知りました。」「お早う。于闐大寺の壁画の中の子供さんたち。」「私は于闐(コウタン)大寺を沙の中から掘り出した青木晃といふものです。」インドラの網のむこう、数しらず鳴りわたる天鼓のかなたに空一ぱいの不思議な大きな蒼い孔雀が。『インドラの網』
【因陀羅網】インドラ、すなわち帝釈天の宮殿を飾っている網。その網の結び目には宝玉がついており、それぞれが互いに反映している。華厳宗の説く、すべての事物が無限に交渉し、通じあっているとする事事無礙法界の比喩としてよく用いられる。『華厳五教章』
【四法界】華厳宗で説く、世界の四つの世界観。 すべての事物が個々に存在するものとして把握する事法界、すべての事物の本体は真如であると把握する理法界、眼前の現象の世界と真如の世界は同一であると把握する理事無礙法界、現象するすべての事物は互いに縁起し合う存在であるとする事事無礙法界。『大辞林 第三版』

2、天正、織田信長、
*【天正、織田信長】兵革(戦乱)の凶事を断ち切るために行われた【災異改元】。出典『老子』45章。反織田勢力による包囲網が破綻し、信長の覇権が確定。1573年(元亀4)7月21日、信長が天皇に奏上。7月28日改元。義昭は1573年(天正1)7月に織田信長によって京都から追放された。
*【織田信長、天正】改元を朝廷に内奏。元亀4年7月21日。信長は、改元を内覧した。四位、身分低い信長が内覧したのは異例である。改元時に朝廷では信長に勘文を見せてその意向に応じて元号を「天正」と定め、信長が武家政権の長として改元に容喙した。28日決定。今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』
【織田信長、天正1573】大成(たいせい)は欠くるが若(ごと)く、その用は弊(すた)れず。大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若く、その用は窮(きわ)まらず。大直(たいちょく)は屈(くっ)するが若く、大功(たいこう)は拙(つた)なきが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。躁(そう)は寒(かん)に勝ち、静は熱(ねつ)に勝つ。清静(せいせい)は天下の正(せい)たり。『老子』第四十五章
【織田信長、安土城、狩野派】この世から消滅した狩野派絵画、安土城。天主閣、6階は儒教、「孔門十哲」「三皇五帝」、5階は仏教、「釈迦十大弟子」「釈迦説法」、3階は花鳥図、「岩の間」「竹の間」「松の間」。2階は道教、「呂洞賓図」「西王母」。天正七年、安土城。天主閣完成。天正十年6月2日、本能寺の変の後、炎上する。太田牛一『安土日記』『信長公記』
*、修羅の道について、六道輪廻と天人五衰
六道(天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)を廻り続けるという輪廻思想。「六道輪廻」は死後の世界としてではなく、生きている人間の有様を分析する言葉と考える時、哲学的な意味がある。(天道・人道・修羅道は三善趣。畜生道・餓鬼道・地獄道は三悪趣)。
「天人五衰」天人は衰えて死ぬ。(『倶舎論』『大槃涅槃経』)五衰の中心は「本坐を楽しまず」(不楽本坐)。今、ここに生きている事実そのこと(本坐)、いのちそのものに満足し得ない。
*、六道輪廻と天人五衰
*泉惠機「天」。http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qzn.html
*【天人五衰】天人五衰、『大槃涅槃経』によれば、1衣裳垢膩(衣服が垢で油染みる)、2頭上華萎(頭上の華鬘が萎える)、3身体臭穢(体が薄汚れて臭くなる)、4脇下汗出(脇の下から汗が流れ出る)、5不楽本座(自分の席に戻るのを嫌がる)の五つとされている。
*「存在するものは五蘊だけである。五蘊も存在しない(五蘊皆空)」(『般若心経』)という思想とは矛盾するが。五蘊(skanda)とは、色・受・想・行・識。

3、「真言とは、祈りである。真言(mantra)とは、真実の言葉。」宮坂宥洪『真釈般若心経』角川ソフィア文庫2004
密教真言の呪文は、大日如来の降臨加護を招き、即身成仏、幸福への祈りである。
【密教真言】前期密教の真言・陀羅尼が除災招福を中心とする現世利益であったのに対し、中期密教の真言・陀羅尼は悟りを求め成仏するための手段としての性格を強め、それまで別箇であった印契・真言・観法の「三密」を統合した組織的な修行法。
 真言は三密(身・口・意)の中の口密に相当し、極めて重要な密教の実践要素。真言や陀羅尼の多くは、呪句の前に「帰命句」と呪句の終末に「成就句」が加わる。陀羅尼の多くは、仏尊や三宝に帰依する宣言文+Tadyathā+帰命句+本文+成就句で構成される。

4、【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。
【アンドリュー・ワイエス『クリスチーナの世界』1948】海を見下ろす丘の上に立つオルソン・ハウス。人間の境遇について描いている。人生で困難な状況に置かれた人々がそれをどう生き抜くのか。どう乗り越えていくのか。希望と絶望。クリスティーナは55歳。
目指すところにたどり着けない。悪夢の世界。でも、這っていく。

5、上野千鶴子「新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれる」
【要旨】東大入学式で女性学の名誉教授、上野千鶴子さんが贈った祝辞
あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。
よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。
大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
――
島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』2018
https://bit.ly/2NPYAX5
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017
https://bit.ly/2TtDqjn
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』2016
https://bit.ly/2AeU3Hv
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』188回


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