没後70年 吉田博展・・・月光の桜、光る海
春の予兆の森を歩いて美術館へ行く。桜の蕾はまだなく人影疎ら。森鷗外の観潮楼から春の海が見えたのだろうか。
吉田博は、貧困の中で洋画を学び、水彩画で、水と光の陰影の繊細な表現を極めた、風景画、版画の巨匠。《雲井桜》1899は、月光の陰影の繊細な水彩絵画である。デトロイト美術館で買上られた。後に《雲井櫻》木版画1926年(大正15年)に結晶する。
《ヴェニスの運河》は、夏目漱石『三四郎』1908に描写される。《光る海》1926、《猿澤池》1933は、ダイアナ妃の執務室に飾られていた。
吉田博は44歳で木版画を始め、49歳から絵師、彫師、刷師の技を極めた。吉田博の技術の凄さは、すり重ねにある。複雑な色彩表現のために重ねた「摺数の平均は30数度」、江戸時代の浮世絵は10数度である。「亀井戸」1927年88度、「東照宮」1937年は80度、「陽明門」1937年では96度刷っている。
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吉田博(1876~1950)
【久留米】1876年、旧久留米藩士・上田束秀之の次男として、久留米市に生まれる。1888年、福岡県立修猷館に入学。1891年、修猷館の図画教師であった洋画家・吉田嘉三郎に画才を見込まれ、吉田家の養子となる。1894年、水彩を描き始め、【18歳】三宅克己の勧めで上京して小山正太郎が主催する不同舎に入門し、明治美術会の会員となる。1898年、明治美術会10周年記念展に、『雲叡深秋』、『雲』などを出品。
【23歳で渡米】貧乏だがフリーアの推薦状を得て、片道だけの渡航費で、1899年、中川八郎と共に渡米し、デトロイト美術館で「日本画家水彩画展」を開催。翌1900年、ボストン美術館で2人展を開催。二度の展覧会で水彩画の殆どが売れ、合計2919ドル。当時の日本人の年収の数十倍を手にする。ヨーロッパへ旅する。結局世界各地を7年間に渡って旅した。そして終生のテーマを確信する。帰国直後の言葉。「画家は、自然と人間の間に立って、それをみることが出来ない人のために自然の美を表してみせるのが天職である。」ヨーロッパ各地を巡り帰国した後、太平洋画会や文展、帝展で活躍。
反骨精神【吉田博、白馬会、黒田清輝と対立】日本画壇の中心は黒田清輝の率いる白馬会によって占められていた。明治45年、36歳。黒田清輝を殴る。
吉田博《精華》1909年(明治42年)文展、東京国立博物館所蔵)は、白馬会・黒田清輝に対抗したヌード。
黒田清輝の淡い色彩を特色とする明るい外光派は「新派」と呼ばれ、官僚的な色彩を持つ「旧派」と呼ばれる明治美術会の委員として扱われた。
【44歳で木版画を始める】1920年、大正9年(44歳)新版画の版元の渡辺庄三郎と出会い、渡辺版画店から木版画の出版を開始。ボストンを拠点に、フィラデルフィア、デトロイトなどで展覧会を開催。【49歳からの挑戦】工房を設立。通常分業で行う彫りや摺りも自ら手がけるほど没頭。
1925年、欧州歴訪の後に帰国し、新宿区下落合に吉田版画スタジオを創設、木版画『アメリカ・シリーズ』、『ヨーロッパ・シリーズ』を自ら版元となり出版を開始。「世界百景」を目指して71景まで制作。享年73。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
吉田博《雲井桜》水彩1899
《ヴェニスの運河》1925年(大正14年)
《ウェテホルン》東京都現代美術館所蔵 1925年(大正14年)
《スフィンクス》東京都現代美術館所蔵 1925年(大正14年)
《スフィンクス 夜》東京都現代美術館所蔵 1925年(大正14年)
《雲井櫻》木版画千葉市美術館所蔵 1926年(大正15年)
《瀬戸内海集 帆船 朝》那珂川町馬頭広重美術館所蔵 1926年(大正15年)
《瀬戸内海集 帆船 夕》那珂川町馬頭広重美術館所蔵 1926年(大正15年)
《瀬戸内海集 光る海》1926(大正15)年 木版、紙 37.2×24.7cm
《猿澤池》1933(昭和8)年 木版、紙 37.7×24.6cm
《冨士拾景 朝日》大正15(1926)年
《瀬戸内海集 帆船 朝》大正15(1926)年
《東京拾二題 亀戸神社》 1927年(昭和2年)
《上野公園》昭和13(1938)年
《蘇州》昭和15(1940)年
《光る海》大正15(1926)年
ゆらめくまばゆい光の煌めきが、丸鑿の跡で巧みに表わされています。千変万化する光や大気を描き出すことを目指したその繊細きわまりない表現は、ときに自ら手がけたほどの彫りや摺りの技法に対する深い理解から生み出されました。海景の連作『瀬戸内海集』の第一作。
《溪流》昭和3(1928)年
木版画の制作は、摺り重ねる版が多いほど難しく、そのうえ紙が大きい場合には、水分を含んだ紙が伸縮し、よりズレが生じやすくなります。縦54.5㎝、横82.8㎝という、木版画としては大判の紙に摺られたこの作品は、摺りのズレを克服した、見事な完成度をみせる迫力満点の大作です。
《劔山の朝》
朝日に紅く染まる剱岳の尾根と雲たぎる夏空。一方で、手前の野営はいまだ濃い闇に包まれています。色彩のグラデーションや摺りの技法の細やかな変化により、ダイナミックに広がる自然の光景が見事に表現された、シリーズ『日本アルプス十二題』のなかでもひときわ美しい作品。
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参考文献
「没後70年 吉田博展 図録」毎日新聞社2021
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福岡県久留米市に生まれた吉田博(1876-1950)は、若き日から洋画に取り組み、幾度もの海外体験を通じて東西の芸術に触れながら、独自の表現と技法を確立しました。画家として才能を発揮した吉田は、画業後期にはじめて木版画に挑戦し、新たな境地を切り開きます。深山幽谷に分け入り自ら体得した自然観と、欧米の専門家をも驚嘆させた高い技術をもって、水の流れや光の移ろいを繊細に描き出しました。画家の没後70年という節目に開催する本展は、初期から晩年までの木版画を一堂に集めるとともに、版木や写生帖をあわせて展示し、西洋の写実的な表現と日本の伝統的な版画技法の統合を目指した吉田博の木版画の全容を紹介します。
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没後70年 吉田博展
Yoshida Hiroshi: Commemorating the 70th Anniversary of His Death
東京都美術館、2021年1月26日(火)~3月28日(日)
京都高島屋 2021年1月5日(火)~1月18日(月)
福岡県立美術館 2020年10月16日(金)~12月13日(日)
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