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2021年7月 7日 (水)

三菱の至宝展・・・幻の曜変天目

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第247回

初夏の午前、三菱一号館美術館に行く。三菱150年。岩崎弥太郎、弥之助、久弥、小弥太、4代のコレクションの展示。岩崎弥太郎はどうして成功したのか。岩崎弥太郎は汽船3隻で財閥の基礎を築いた。
曜変天目をみると、茶の湯を愛好した織田信長を思い出す。
【織田信長、中世的権力との戦い】「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。幸若舞」『敦盛 』、麒麟、岐阜城、天下布武、武の七徳、第六天魔王、天正、明晰透徹、安土城天主七層五階、安土宗論。千宗易、狩野永徳、本因坊算砂、天下一の達人を求める。五徳、仁義礼智信。
【曜変天目、建窯、南宋12-12世紀】稲葉天目、大徳寺龍光院、藤田美術館。天下に3碗あるとされるが、もう一つあった。幻の曜変天目。それはだれが所持したか。天王寺屋、津田宗及を経て曜変天目が、大徳寺龍光院に伝った。
【曜変天目、稲葉天目、建窯、南宋12-12世紀、3代将軍家光の乳母春日局旧蔵】曜變、稲葉丹州公にあり、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより、比類品世に屈指数無之なり、茶碗四寸五分位、高臺ちひさし、土味黒く、薬たち黒く、粒々と銀虫喰塗の如くなるうちに、四五分位丸みにて鼈甲紋有之、めぐりはかな気にて見事なり、星の輝くが如し。(名物目利聞書)
【織田信長と耀変天目茶碗】永禄11(1568)年、織田信長が上洛。天王寺屋、津田宗及の屋敷で、会合衆の集会。永禄12年(1569)百人余りが終日宴を張った。本能寺の茶会、天正10(1582)年6月2日、信長は足利義政所伝の耀変天目茶碗を所持していたが本能寺の変で焼失した。
【織田信長、本能寺の茶会、本能寺の変、天正10年6月2日】
信長は、天正10年(1582)5月29日、僅かの供を連れただけで安土を出発、その日の内に京都の本能寺に入った。信長が京都における宿所としてよく使っていたのが本能寺と、法華宗寺院の妙覚寺で、この時、信長は本能寺を宿所とした。本能寺は、堀と土塁に囲まれ、城郭寺院。本能寺は自ら京都に城を持たなかった信長の定宿であった。
太田牛一『信長公記』によると、5月29日の信長一行は、「御小姓衆二、三十人召列れられ、御上洛」とある。御小姓衆が20~30人で、その他に警固の武士もいるので、少なくとも100人はいた。『当代記』には「百五十騎」とある。
【備中高松城水攻め、羽柴秀吉】信長は安土と京都を往き来している。このときの上洛の目的は何だったのか。ひとつは、備中への出陣のためである。備中高松城を水攻めしている羽柴秀吉からの要請を受け、明智光秀をその応援に向わせ、首尾を見届けるための形式的な出陣。
【三職推任】主目的と思われる朝廷からの「太政大臣か関白か征夷大将軍か、お好きな官に任命しよう」という、“三職推任”に対する返答をするためだった。
【天下三肩衝】信長のねらいは、信長が安土城から名物茶器として名高い九十九茄子・珠光小茄子・紹鷗白天目・小玉澗の絵・牧谿のくわいの絵など天下の逸品38種を運ばせていた。本能寺で大茶会を開くのが目的だった。茶会には、博多の豪商島井宗室のほか、近衛前久ら公家たちが招かれている。茶会の後酒宴になり、信長は本因坊算砂の囲碁の対局をみて床についた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』

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展示作品の一部
国宝《曜変天目(「稲葉天目」)》建窯、南宋時代(12~13世紀)、(公財)静嘉堂蔵
国宝《源氏物語関屋澪標図屏風》のうち「関屋図」、俵屋宗達、江戸時代・1631(寛永8)年、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:8月18日(火)~9月22日(火)】
国宝《風雨山水図》伝馬遠、南宋時代(13世紀)、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
重要文化財《龍虎図屏風》のうち「虎図」、橋本雅邦、1895(明治28)年、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
『イエズス会士書簡集(アントワネット旧蔵書)』18世紀、(公財)東洋文庫蔵
重要文化財《太刀 銘 髙綱 (附 朱塗鞘打刀拵)》古備前高綱、鎌倉時代(12~13世紀)、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
大名物《唐物茄子茶入 付藻茄子》南宋~元時代(13~14世紀)、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
『八千頌般若経』17~19世紀、(公財)東洋文庫蔵
国宝《倭漢朗詠抄 太田切》平安時代(11世紀)、(公財)静嘉堂蔵【会期中場面替えあり】
国宝『古文尚書』初唐時代(7世紀)、(公財)東洋文庫蔵【展示期間:8月18日(火)~9月22日(火)】
国宝『春秋経伝集解』平安時代(12世紀頃)、(公財)東洋文庫蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
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参考文献
「桃山―天下人の100年」3・・・茶の湯、足利義政、織田信長、今井宗久、千宗易、豊臣秀吉、楽長次郎
https://bit.ly/35ZPK2F
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc
三菱の至宝展・・・幻の曜変天目
https://bit.ly/3yzJMSK
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土佐国(高知県)安芸郡井ノ口村の地下浪人の家に生まれた岩崎弥太郎が、苦心惨憺の末、知人を誘って海運業を営む九十九商会――現在の三菱を興したのは、明治3年(1870)のことであった。今年令和2年(2020)は、それから数えて150周年の節目に当たっている。これを記念する特別展が、この「三菱の至宝展」にほかならない。
三菱ゆかりの静嘉堂文庫と東洋文庫、三菱経済研究所、三菱一号館美術館、さらに三菱金曜会や広報委員会が力を合わせ、その優れたコレクションの全貌を堪能していただけるよう智恵を絞った。三菱が文化的に果してきた貢献――現代の言葉でいえばフィランソロフィーをも感じ取っていただければ望外の喜びである。
三菱一号館美術館は、来日して我が国近代建築の基礎を築いたイギリスの建築家ジョサイア・コンドルが設計建設した、三菱一号館をそのままに復元してなったものである。またコンドルは、弥之助の深川邸洋館、高輪邸、久弥の茅町本邸、小弥太が弥之助3回忌に際して建てた世田谷区岡本の廟なども手がけている。
その後久弥が駒込に建てた東洋文庫、小弥太が岡本に造った静嘉堂文庫は、コンドルにも学んだ桜井小太郎が完成させたものである。このように三菱・岩崎家が愛して止まなかったコンドルが没してから、今年は100周年の節目にも当たっている。
饒舌館長 http://jozetsukancho.blogspot.com/
http://jozetsukancho.blogspot.com/2021/07/blog-post_03.html
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三菱創業150周年記念 三菱の至宝展、三菱一号館美術館、6月30日(木)-9月12日(日)

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