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2022年3月12日 (土)

織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』274回

織田信長の長女、五徳は、波乱の人生を生き78歳で死す。シェイクスピア復讐劇のような人生。織田信長は、天の理念を探求した。信長は、何を愛し、何のために戦い、何故死んだのか。信長に五徳と名付けられた長女、五徳は、仁義礼智信である。徳姫は何と戦ったのか。徳姫と浅井三姉妹江は、女織田弾正忠と呼ばれる。
濃姫、帰蝶は、織田信忠、信雄、五徳を育てた養母である。小説家、諸田玲子著『帰蝶』は帰蝶の目から見た「織田信長、五徳、明智光秀、武井夕庵、立入宗継」を描いた。いつか私は五徳の目から見た、織田信長、徳川家康、生駒吉乃、織田信雄、豊臣秀吉、明智光秀、太田牛一らが活躍する「戦国美女 愛と美と復讐」を執筆したい。
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【理念を追求する精神】理念を探求する人は、知恵をもって邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方にイデアと美を探求する。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孔子、信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1
【織田信長の長女、五徳、波乱の人生】
【織田信長、長女、徳姫、五徳】絶世の美女、信長最愛の美女、生駒吉乃の娘。シェイクスピア復讐悲劇のような人生。弘治三年、信長、弟信勝に復讐、正義のための戦い。天正七年、信康と築山殿に復讐して正義を成就する徳姫。築山殿は信長と家康の共通の敵、今川氏。
20歳で家康に見送られて安土城に旅立つ。天正十年、本能寺の変、安土城落城。徳姫、京都へ。78歳まで生きる。長女の登久姫は小笠原秀政室、次女の熊姫は本多忠政室。
【絶世の美女、織田信長の長女、五徳】永禄2(1559) 10月清州城で生まれる。絶世の美女、生駒吉乃の娘。永禄3年(1560)桶狭間の戦い。織田徳川同盟の絆として、永禄10(1567)年9歳で三河国岡崎城主の信康に嫁ぐ。小牧山城から岡崎城に行く。築山殿も岡崎城に同居。家康は浜松城にあって父子共に武田勢と攻防を繰り返した。【徳姫、十二ヶ条の訴状】築山殿と信康が武田氏に内通したと信長に訴えた。夫の不行跡を信長に告発。
徳姫は夫信康と築山殿を信長に告発。信長は伺候した家康の家臣酒井忠次に確かめ家康に命じて天正7(1579)年信康と築山殿を自刃させた。
【徳姫、安土城への旅立ち】
【徳姫21歳、安土城、本能寺の変、信雄、秀吉、小牧長久手の戦い、関ケ原の戦い】
【信康自刃事件後】徳姫は天正8(1580)年の2月20日に家康に見送られて岡崎城を出立し安土へ送り帰される。2人の娘達、福子、国子は家康の元に残す。近江八幡市あたりに居住、化粧料田が近江長命寺に設定。天正10年(1582)【本能寺の変】父・長兄ともに死去する。次兄の織田信雄に保護されたが【小牧・長久手の戦い】後に信雄と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の講和に際して人質として京都に居を構えた(『顕如上人貝塚御座所日記』)。
天正18(1590)年信雄が秀吉によって改易されたため、生駒氏の尾張国小折に移り住んだ。「埴原家文書」に残された秀吉の朱印状から秀吉による処置だったことが明らか、その後すぐにまた京都に居住する、徳姫の処遇は秀吉の支配下にあった。
【関ヶ原の戦い】後、尾張国の清洲城主となった家康の四男の松平忠吉から1761石の所領を与えられた。その後は京都に隠棲した[1]。寛永7年(1630年)、蜂須賀忠英と正室繁姫(共に小笠原秀政の孫で徳姫の曾孫)の間に嫡子・千松丸(蜂須賀光隆)が誕生した際には、乳母の選定について相談されている。
徳姫、永禄2(1559) 10月12日生まれ寛永(1636)13年1月10日死去。78歳。通称は五徳、岡崎殿、見星院。<参考文献>『人物日本の女性史』8巻
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2
【信康自刃の原因、父子の確執】
【織田信長、徳姫、壮絶な復讐、十二ヶ条の訴状】稲生の戦い、弟信勝の謀反1700人に信長700人で戦う。23歳。弘治3年、信勝2度目の謀反、清州城北櫓次の間で返り討ち、誘殺。24歳。天正7年、信長の長女徳姫、十二ヶ条の訴状。信康切腹、築山殿を成敗。19歳。五徳=仁義礼智信。
【信康自刃の原因、父子の確執】永禄10(1567)年、信康9歳は信長の娘、徳姫と結婚、元亀元(1570)年、家康が浜松城に移ると、信康は岡崎城主岡崎城の城主に。信康切腹通説の元、幕府旗本、大久保彦左衛門『三河物語』。徳姫は信長に信康の乱暴な言動を告発する手紙を書き、酒井忠次に託した。忠次が信康をかばわなかったため、信長は信康に切腹を命じた。信康21歳。家康と信康が対立。熱田伸道『信康自刃の真相』。
【家康、信康を二俣城で切腹、築山殿、佐鳴湖畔で殺害、太刀洗の池、天正7年】『武功夜話』。天正(1576)年、徳姫18歳の時、夫信康との間に長女福子を産んだ。翌年には次女国子が誕生。
参考文献、大久保彦左衛門『三河物語』『武功夜話』、熱田伸道『信康自刃の真相』
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3
【織田信長、天の理念】【五徳】仁義礼智信、『論語』『孟子』。徳姫、永禄2年生まれ【桶狭間の戦い、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり】永禄3年【麒麟の城、小牧山城】永禄6年、麒麟『春秋』哀公14年【天下布武、岐阜城】永禄10年、武の七徳『春秋左氏伝』【第六天魔王、欲界の他家自在天】元亀4年【天正『老子』】天正元年7月【天下一の名人、本因坊算砂】天正6年【安土城、天主】太田牛一『信長公記』『安土記』天正4年⁻10年
【『理趣経』の教主、欲界第六天】『理趣経』の教主は、大日如来であり、その場所は、欲界、第六天、他化自在天である。三界(無色界、色界、欲界)のうち、欲界の支配者が第六天魔王。信玄への返書に織田信長は第六天魔王と自ら称した1573(元亀4)年4月20日付、ルイス・フロイス書簡。
【織田信長、元亀4年(天正元年)の展開】1573年4月、武田信玄、突然死。1573年7月18日、足利義昭、追放。7月21日。信長は、改元を内覧した。信長に勘文を見せてその意向に応じて元号を「天正」、信長が容喙。28日決定。8月13日、浅井朝倉連合軍に大勝
【織田信長の戦い、天皇による勅命講和】生涯最大の窮地、志賀の陣、金が埼の退き口、元亀元(1570年)朝倉義景・浅井長政との戦い。信長37歳。天正元(1573年)足利義昭との戦い。天正8年(1580年)石山本願寺との10年戦争、顕如退去。正親町天皇の勅命講和。
【織田信長、5つの城】那古野城21歳まで【清州城】天文23年(1554)【麒麟の城、小牧山城】永禄6年(1563)6月【天下布武の城、岐阜城(稲葉山城)】永禄10(1567)年8月【天下一の城、安土城】天正四年(1576)2月から本能寺の変(1582)まで
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4
【濃姫、帰蝶】
【蝮の道三の娘、濃姫、帰蝶、蝮の子は蝮、3度の結婚】一人目、土岐八郎頼香(よりたか)に嫁ぐ。天文十三1544年9月、尾張国の織田信秀との戦い、頼香に刺客を差し向け自刃に追い詰め、濃姫10歳。二人目の夫、土岐次郎頼純(よりずみ)、1547年11月17日、頼純、急死。死因不明、享年24。三人目、1549年、濃姫15歳で信長と婚姻。弘治2(1556)年、斎藤道三、美濃を信長に譲ると遺言状。
【蝮の道三の娘、濃姫、帰蝶、蝮の子は蝮】濃姫を土岐氏の一門である土岐八郎頼香(よりたか)に嫁がせた。天文十三1544年9月、尾張国の織田信秀との戦いにおいて、どさくさに紛れて頼香に刺客を差し向け自刃に追い詰め、濃姫10歳。二人目の夫・土岐次郎頼純(よりずみ)、天文十五1546年9月、道三は土岐次郎頼純(頼香の甥)を守護職に就けて傀儡化し、濃姫を嫁がせ美濃国の支配権を掌握、濃姫12歳。1547年11月17日、頼純、急死。死因不明、享年24。濃姫15歳で信長と婚姻。
5
【本能寺の変、三職推任、将軍を阻止した明智光秀】【光秀、秀吉は殺人部隊】
【本能寺の変、三職推任問題】天正10年(1582)4月25日、天皇は織田信長に対して、関白・太政大臣・将軍のいずれかに推任しようと申し出た(『天正十年夏記』)。信長に官職の授与を勧めたのは正親町の皇太子・誠仁親王。信長に「どのような官にも任じることができる」

【明智光秀、計略と策謀の達人】「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」「裏切りや密会を好む」「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」ルイス・フロイス『日本史』
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6
【戦国史 親は敵、兄弟は第一の敵】弟と家督争いをした戦国人。織田信長、伊達政宗、武田信玄、争った弟側が滅亡。弘治三(1557)年、織田信長は、謀反の弟信勝を返り討ち。天文十(1541)年、武田信玄は父信虎を追放。天正十八年4月7日、伊達政宗は実弟小次郎を手討、義姫逃亡
【武田信玄、父、武田信虎は賢い信玄を嫌い、弟の武田信繁に家督を譲ろう】甲斐国の守護、信玄の父・武田信虎は有力な国衆を酷使、利益を独占。21歳でクーデタ。天文10年(1541年)国衆は信虎を追放、下剋上。武田信玄は人望あり「人は石垣、人は城」。元亀4年52歳で病死。自分の死を3年間隠すよう命じる。
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参考文献
小和田哲男『明智光秀』
小和田哲男『集中講義 織田信長』
今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』講談社現代新書
今谷明『日本史の論点』中公新書
岡田正人『織田信長総合辞典』雄山閣出版、1999
和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018
和田裕弘『織田信忠―天下人の嫡男』中公新書
和田裕弘『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中公新書
ルイス・フロイス『回想の織田信長、日本史』中公文庫
太田牛一、中川太古訳『信長公記』新人物文庫
本郷和人『乱と変の日本史』祥伝社新書
本郷和人『壬申の乱と関ケ原の戦い なぜ同じ場所で戦われたのか』祥伝社新書
遠山美津男『天皇と日本の起源』講談社現代新書
諸田玲子『帰蝶』2015
絶世の美女、徳姫、織田信長と徳川家康・・・「美と復讐」第4巻
https://bit.ly/3HjY9zO
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc
織田信長、信長包囲網との戦い、八つの戦い、比叡山、天下一の名城、安土城
https://bit.ly/2FkeiJX
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
ヴィーナス、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
https://bit.ly/3C2fXNP 
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
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「桃山―天下人の100年」東京国立博物館・・・室町幕府崩壊、戦国武将、愛と復讐の壮大なドラマ
https://bit.ly/3lDIoIq

織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
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Botticelli Madonna del magnificat 1481
Michelangelo Giuliano de Medici di Nemours sculpture by Michelangelo, 1526–34

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