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2022年6月

2022年6月23日 (木)

孤高の画家、フリードリヒ、ロマン主義、生涯と藝術

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』283回

雲海の上の旅人は彼方へ旅する。樫の森の中の僧院、孤独な木、夕暮れの丘、月を眺める哲学者、海辺の月の出、海辺の5隻の帆船、地中海の果て、孤高の古代神殿に蘇る、孤高の精神、旅する哲学者、美への旅。
【カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ、孤高の画家、ドイツ・ロマン主義、65歳で死す】37歳1810「樫の森の中の僧院」「海辺の僧侶」プロイセン王国王子が購入。ベルリンアカデミー会員。1818、44歳、25歳のカロリーネと結婚。51歳1825年61歳1835脳卒中。「人生の諸段階」1835
【運命の扉1810年、フリードリヒ、37歳】「樫の森の中の僧院」「海辺の僧侶」、ベルリン美術アカデミー展にて、プロイセン王国王子(フリードリヒ・ヴィルヘルム3世)が購入。ベルリンアカデミー会員となる。ゲーテとロマン派の詩人たち、ドレスデンにフリードリヒを訪れる。2枚の絵を絶賛する。
【ロマン主義、孤高の画家、カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ1774-1840】寂莫な風景、朝日、月光、夕日、海、浜辺、雪景色、教会の墓地、荒野、森の急流、渓谷。『山上の十字架』1808『海辺の修道士』『樫の森の中の修道院』1810『雲海の上の旅人』『孤独な木』『海辺の月の出』1822『氷の海』1824『人生の諸段階』1835
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【『孤独な木』『海辺の月の出』1822】『孤独な木』、孤独な木と木の下に佇む羊飼い、独り雄々しく天に向かって聳える樫の木の英雄的佇まい、背後の山と空の崇高な無限。『海辺の月の出』、月の出に見入る男女、海上の旅を終え、岸辺に帰り来る帆船、人生航路の果てに、安らぎを見出した人間の魂、瞑想的人生。この二幅の絵画は、朝日と夕月の対比、ベルリンの注文主のために制作された。
【内なる闇の藝術】「肉体の限界を閉じよ。そうすればまず最初に精神の眼で自分の絵を見ることができるだろう。そうして次には、暗闇で見たものを白日のもとに表現するのだ。そうすれば、その作品は外側から人々の内奥に向かって作用することだろう」。
【友とライバル】1818年にドレスデンに移ってきたノルウェーの画家ヨハン・クリスティアン・ダール。ダールと友人になる。ダールは1824年ドレスデン・アカデミーの風景画の教授として迎えられた。
【「人生の諸階段」1835】海辺に佇む5人と海上の5隻の帆船、航海から帰ってきたのか、これから出帆するのか。一組の男女、二人の子供たち、一人の友人。5人の人物はフリードリヒ本人とその家族、湾に向かって静かに進む5隻の船が彼らに呼応。人生の航路を比喩的に描いた。ヴィークのウトキーク海岸は、グライフスヴァルト港に入港する船。旅の終わりは、地中海を航海し、南イタリアに到達する。輪廻転生する。
【ベルリン博物館、ボーデ美術館(旧カイザー・フリードリヒ美術館)、プロイセン王国】ベルリン郊外のダーレムにある総合博物館。絵画館のほかエジプトやイスラム関係、彫刻や工芸関係、版画文庫などの各個別美術館を総称して呼ぶ。
最も有名な絵画館はプロイセンの哲人王フリードリヒ大王(1712年1月24日⁻1786年8月17日74歳没)の収集をもとに1830年設立されたボーデ美術館(旧カイザー・フリードリヒ美術館)、中世から19世紀にいたるヨーロッパ美術の大家の作品を集める。
カール・フリードリヒ・シンケルが、ベルリン博物館を設計した。新古典主義様式で建てられた旧博物館は、18本の円柱が並ぶ正面玄関が印象的で、シンケルの代表的建築物の一つ。博物館内部に入ると円形のロビーがあり、装飾天井や天窓、ホールを囲むように円柱と彫刻があり、その美しさに圧倒される。古代ギリシア、ローマの彫刻が展示されている。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★★カスパー・ダヴィット・フリードリヒの生涯(1774年-1840年)
1774年、カスパー・ダヴィット・フリードリヒ、バルト海沿岸、スウェーデン領ドイツの最北端グライフスヴァルトにて生まれた。石鹸・蝋燭業を営む父の4男。9人兄弟。
1781年、7歳の時、母ゾフィー・ドロテア、死去。1782年、妹エリーザベト死去。
1787年、13歳の時、河でスケート遊びをしていたところ、氷が割れて溺れ、彼を助けようとした一歳年下の弟クリストファーが溺死。フリードリヒはこの事故で長年自分を責め続け、鬱病を患った。
1794年、コペンハーゲンの美術アカデミーに入学。その後、ドレスデンに転居、美術アカデミーに在籍する。
1799年、ドレスデン美術アカデミー展に出品。
1805年、ゲーテ主催のヴァイマル美術展に作品を出品、受賞する。
1807年、油彩での本格的な制作を始める。ボヘミアへ旅行。
1808年、『山上の十字架』。高い評価を受ける。祭壇画「山上の十字架」、岩は堅固な信仰、常緑樹である樅の木は人間の永遠の希望を象徴している。
1810年、ベルリン美術アカデミー展、出展。ゲーテとロマン派詩人の激賞を受ける。『海辺の修道士』『樫の森の中の修道院』がプロイセン王子(フリードリヒ・ヴィルヘルム3世)に買い上げられる。ベルリン美術アカデミーの会員になる。
1813年、ナポレオン軍と連合軍の戦いのため疎開。
1814年、ナポレオンが退位。愛国的作品をドレスデン美術展に出品。
1816年、ドレスデン美術アカデミーの会員に選出される。
1818年、19歳年下のカロリーネと結婚。妻と帰郷。シュトラールズント市から依頼された聖母教会の内装デザインを作る。『雲海の上の旅人』。
1819年、愛国者や民主主義者、解放闘争、反体制派による暗殺事件も起こる。ザクセン王国大臣会議の決議により「煽動者(デゴマーク)」らは迫害、弾圧され、ドイツの古装束はデゴマークの衣装であるとして禁止された。雲海の上の旅人、月を眺める二人の男の衣装は古衣装である。
1819年、『月を眺める二人の男』

1822年、『孤独な木』『海辺の月の出』
1824年、『氷の海』。
1825-28年、51歳、脳卒中。重病を患う。
1833年、批判的な批評が増える。
1835年、脳卒中で倒れ、一命は取り留めるが、後遺症として麻痺が残る。以降はセピアインクによる線画を中心に描く。『人生の諸段階』1835
1836年、デュッセルドルフ派の展覧会に出品
1840年、死去。65歳
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カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ(1774年-1840年)
『山上の十字架』1808ドレスデン国立美術館
『海辺の修道士』『樫の森の中の修道院』1810ベルリン博物館
『雲海の上の旅人』1818ハンブルク美術館
『月を眺める二人の男』1819ドレスデン国立美術館
『雪の中の修道院墓地』1819 Friedlich Klosterruine im Schnee 1819
『孤独な木』『海辺の月の出』1822ベルリン博物館
『窓辺の女』1822ベルリン博物館
『氷の海』1824ハンブルク美術館
「アグリジェントのユーノー神殿」1830
『人生の諸段階』1835ライプツィヒ美術館
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★参考文献
Caspar David Friedrich - Wikipedia
Caspar David Friedrich (5 September 1774 – 7 May 1840) was a 19th-century German Romantic landscape painter, generally considered the most important German
https://en.wikipedia.org/wiki/Caspar_David_Friedrich
*1千足伸行「ロマン主義絵画と聖なるもの」p.213
ノルベルト・ヴォルフ『カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ 静寂の画家1774-1840』2006
「ベルリンの至宝展 よみがえる美の聖域」図録、東京国立博物館2005
千足伸行「ロマン主義絵画と聖なるもの」2005
後藤健「古代人は「聖なるもの」をどう感じ表現したか」2005
マリオ・プラーツ『ロマンティック・アゴニー』MarioPraz.RomanticAgony.1933、ロマン派から象徴派、世紀末デカダン派にいたるヨーロッパ藝術
「象徴派の絵画 」中山 公男、高階 秀爾【編】朝日新聞出版1992
ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり
https://bit.ly/3O4fq3d
「シャセリオー展」国立西洋美術館
https://t.co/eUkZk1RfaW
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
https://bit.ly/2MGcs9l
自然と人のダイアローグ、国立西洋美術館、彼方への旅 
https://bit.ly/3mv4SOc 
白井晟一・・・孤立の城、荒野の礼拝堂、ロマン主義建築家の反逆
https://bit.ly/3rZzIAY
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW

孤高の画家、フリードリヒ、ロマン主義、生涯と藝術

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自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅
https://bit.ly/3mv4SOc

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2022年6月17日 (金)

ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』282回

ギリシア人は神々の滅びる時代に人間の姿、形の美しさを頂点にまで高め、ルネサンス人は中世キリスト教が衰亡した時代に歴史的絵画の頂点を極め、あらゆる宗教の終焉の時代18世紀末にロマン主義が現れ19世紀風景画が現れた。*1
ロマン主義は、18世紀の新古典主義に対する反抗から生まれ、古典の美、ルネサンスの美を理想とする美術への反抗、理性に対する感情の反抗である。風景の美、自然の美、理性に対する感情の美、風景画、中世の美、ラファエロ以前の藝術、ラファエロ前派、象徴派、運命の女(ファム・ファタル)の探求へと展開する。ウィリアム・ブレイク(1757-1827)は、神秘的詩人であり、カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ(1774-1840)は、絵筆をもつ神秘主義者と呼ばれる。フリードリヒ『雲海の上の旅人』1818は、魂の旅人、この世の果てへの旅人である。
人は、古代の美、ルネサンスの調和の美に魅かれるとともに、ウィリアム・ブレイク、フリードリヒの美に魅かれる。ロマン主義は、古代、ルネサンスの美、古典主義の美と同じ根源から生じる。カール・フリードリヒ・シンケルの新古典主義は、ロマン主義と同じ源泉から生まれる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★ロマン主義、文学と美術
ロマン主義の先駆は、ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)である。
ロマン主義は、18世紀の新古典主義に対する反抗から生まれ、ギリシアの美、ルネサンスの美を理想とする美術への反抗、理性に対する感情の反抗である。ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugène Delacroix, 1798-1863) 『民衆を導く自由の女神』1830年『キオス島の虐殺』1824年、『(第四回)十字軍のコンスタンティノープルへの入城』1841年。テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault, 1791-1824) 『メデューズ号の筏』1818-19年が絵画におけるロマン主義の代表作である。
ゲーテ、シラーにより疾風怒濤時代(シュトゥルム・ウント・ドランク)、理性・啓蒙中心の古典的文学に対する、感情・情熱の優越を旨とする文学運動が起り、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』1796が書かれた。アウグスト・フリードリヒ・シュレーゲル兄弟は、ドイツ・ロマン派の文芸機関誌『アテネウム』全3巻6冊(1798-1800)を刊行した。カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ『雲海の上の旅人』1818。
イギリスのロマン主義は、ウィリアム・ブレイクに始まり、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、『海の釣り人』1796年、『解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号』1839年。ラファエロ前派、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイ、へと展開する。
スペイン、ロマン主義絵画の代表作は、フランシスコ・デ・ゴヤ『マドリード1808年5月3日』1814年、
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【マリオ・プラーツ『ロマンティック・アゴニー』1933】ロマン派から象徴派、世紀末デカダン派にいたるヨーロッパ藝術。イタリアの美術史家プラーツ(Mario Praz1896-1982)が、ロマン派から世紀末デカダン派にいたるヨーロッパ19世紀藝術の「退廃の美学」「運命の女(ファム・ファタル)の美学」「腐敗と苦痛の美学」「薄明の美学」を、博引旁証のうちに論じ尽した名著。
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★ロマン派の詩人、ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)
『無垢と経験の歌』1787年
ウィリアム・ブレイク「毒のある木」寿岳文章訳 William Blake, Poison Tree
私は私の敵に腹を立てた 私は黙っていた 私の怒りはつのった そして私はそれに恐怖の水をかけ 夜も昼も私の涙をそそいだ そして私はそれを微笑みの陽にあて 口あたりのよい欺瞞の肥料で育てた
「毒のある木」は、密教の呪詛調伏、怨敵調伏の真言である。
「一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見るために。掌で無限を握り、一瞬のうちに永遠を掴め。」ウィリアム・ブレイク William Blake詩集『ピカリング草稿』『無垢の予兆』よりAuguries of Innocenceウィリアム・ブレイク
【死生学】一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見るために。掌で無限を握り、一瞬のうちに永遠を掴め。ウィリアム・ブレイク William Blake詩集『ピカリング草稿』。
「無垢の予兆」Auguries of Innocence
To see a World in a grain of sand,And a Heaven in a wild flower,
Hold Infinity in the palm of your hand,And Eternity in an hour.
詩人は1803年、John Schofieldという兵隊と口論になり、国家扇動罪(seditious statements)を行ったとして裁判にかけられる。勝訴するが、詩人に大きく影響した。難解な表現をすることで攻撃的な思想を隠す独自の表現技法を確立。歓喜に充ち溢れる生命を讃える「無心の歌」、無垢を喪失した悲しみの世界を描く「経験の歌」、そして呪縛からの解放を歌う「天国と地獄との結婚」。ブレイク初期の傑作三詩集。
ウィリアム・ブレイク、寿学文章訳『有心の歌、無心の歌』角川文庫
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★【青い花の乙女を求める旅】ドイツ・ロマン主義の詩人、ノヴァーリス(1772-1801)『青い花』Heinrich von Ofterdingen(1802)
ハインリヒは、ある夜、自分の家に泊まった旅人から不思議な「青い花」の話を聞き、憧れを抱く。その夜、夢の中に青い花が現われ、その花がいつのまにか優しい乙女の姿に変わる。
ハインリヒは、母とともに祖父のもとを訪れるために、アウクスブルクへ旅立つ。道々、同行の人から、物語や詩の話を聞き、ハインリヒにも詩心が目ざめる。一行は十字軍の騎士の居城で、東洋から捕虜として連れて来られた美少女トゥリーマの話を聞き、戦争の悲惨さやむなしさを知ると同時に、未知の世界、東洋に心を惹かれる。
また、洞窟に住む隠者ホーエンツォレルン伯を訪ねたハインリヒは、自分の過去・現在・未来の姿について書かれている書物を見せてもらい、驚く。
目的地のアウクスブルクに着いたハインリヒは、祖父の家で、老詩人のクリングゾールと、その娘の「昇る太陽に傾く百合」のようなマティルデに会う。彼女の顔は、かつて夢に見た、青い花の乙女とそっくりであった。ハインリヒはマティルデに愛を告白し、二人は婚約する。だが、その夜、彼は不吉な夢を見る。夢の中で、マティルデは舟をこいでいる。彼女は突然水に落ち、溺れそうになる。マティルデを救おうとした彼も溺れてしまうのである。ところが、不幸にしてこの夢は現実となって、マティルデは川で溺死してしまう。
愛する人を失ったハインリヒは、巡礼者となってさまよい歩く。ある日、山深い森の中で悲しみに沈んでいると、ふとマティルデの声が聞こえた。その声は、ハインリヒに琴を弾くように勧める。琴を弾けば、ひとりの少女が姿を現わすというのである。そこで琴を弾くと、少女ツァーネが現われる。ツァーネに誘われて森の中の彼女の家に行った彼は、そこで死者たちの世界を訪れる。
やがて、死の国を出て、現実の世界にもどったハインリヒは、イタリアに旅行したり、戦乱に身を投じたり、ギリシアを訪ねたり、あるいは東洋に渡って詩と神秘とを学んだりする。こうして、さまざまな経験を積んだのち、ドイツに帰って華やかな宮廷生活に入った彼は、皇帝の信任も厚く、詩人として輝かしい栄誉を受ける。
「ドイツ文学案内」(朝日出版社)
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★参考文献
*1千足伸行「ロマン主義絵画と聖なるもの」p.213
ノルベルト・ヴォルフ『カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ 静寂の画家1774-1840』2006
「ベルリンの至宝展 よみがえる美の聖域」図録、東京国立博物館2005
千足伸行「ロマン主義絵画と聖なるもの」2005
後藤健「古代人は「聖なるもの」をどう感じ表現したか」2005
マリオ・プラーツ『ロマンティック・アゴニー』MarioPraz.RomanticAgony.1933、ロマン派から象徴派、世紀末デカダン派にいたるヨーロッパ藝術
「象徴派の絵画 」中山 公男、高階 秀爾【編】朝日新聞出版1992
「シャセリオー展」国立西洋美術館
https://t.co/eUkZk1RfaW
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
https://bit.ly/2MGcs9l
白井晟一・・・孤立の城、荒野の礼拝堂、ロマン主義建築家の反逆
https://bit.ly/3rZzIAY
自然と人のダイアローグ、国立西洋美術館、彼方への旅 
https://bit.ly/3mv4SOc 
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84

ロマン主義の愛と苦悩・・・ロマン派から象徴派、美は乱調にあり

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自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅
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2022年6月 8日 (水)

自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』281回

紫陽花咲く、丘を歩いて、美術館に行く。国立西洋美術館、2年間の休館を経て再開した。初夏の匂いが森に満ちている。
【藝術家と運命の戦い】印象派の画家は、光り輝く絵画を描いた。しかし、壮絶な人生を生きた。藝術家と運命の戦い。光陰の中から、運命の女神があらわれ、藝術家を救う。
ロマン主義の画家、フリードリヒは、家族の死、貧困、病気に苦悩した。フリードリヒは、見える世界の彼方に、見えない理想を探求した。月光、夕日、海、浜辺、雪景色、教会の墓地、荒野、森の急流、渓谷、古代の神殿、樫の森の修道院、雪の中の墓地、夕闇の門、その彼方にあるものは何か。
【リアリズムの世紀、アンチリアリズムの世紀】
19世紀はリアリズムの世紀であり、20世紀はアンチリアリズムの世紀である。アンチリアリズムの潮流は、ロマン主義、象徴派として展開する。ラファエル前派はロマン主義の潮流である。「自然と人のダイアローグ」は、19世紀から始まる、風景画の歴史を辿る。第Ⅱ章「彼方」への旅は、アンチリアリズムの淵源、展開を思い出すことができる。
19世紀、古典主義への反抗からロマン主義が生まれ、風景画への志向から写実主義と印象派が生まれ、印象派への反抗から象徴派が生まれる。
【彼方への旅】
彼方への旅は、この世の果て、幻想の世界への旅、古代への旅、心の闇への旅、幻の美女への旅、である。フリードリヒは、アンチリアリズムの世紀の源泉の一つである。
フリードリヒは、象徴的な風景を描いた。月光、夕日、海、浜辺、雪景色、教会の墓地、荒野、森の急流、渓谷、古代の神殿、樫の森の修道院、雪の中の墓地、夕闇の門、その風景は宗教的象徴を秘めている。神秘への入り口である。彼方にあるものは、美と崇高である。
【花吹雪】家の庭に、母が植えた木の花が咲き、風に吹かれて、花吹雪となって、庭に舞う。母の愛犬、トイプードル、高校時代から大学院まで、私を守ってくれたのを思い出す。「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」。私は何を残すことができるのか。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ、夕日の前に立つ女性、1818年
カール・フリードリヒ・シンケル、ビヘルスビルダー近郊の風景、1814年
ヨハン・クリスチャン・クラウゼン・ダール、ピルニッツ城の眺め、1823年
カール・グスタフ・カールス、高き山々、1824年
ギュスターヴ・ドレ、松の樹々、1850年
ギュスターヴ・クールベ、波、1870年
テオドール・シャセリオー、アクタイオンに驚くディアナ、1840年
アルノルト・ベックリン、海辺の城、城の中の殺人、1859年
ギュスターヴ・モロー、聖なる象、1882年
オディロン・ルドン、聖アントワーヌの誘惑、1888年
ポール・ゴーガン、『ノアノア』マナオ・トゥパパウ、死霊が見ている、1893-94年
――
展示作品の一部
ウジェーヌ・ブーダン《トルーヴィルの浜》1867年 油彩・カンヴァス 国立西洋美術館
 ウジェーヌ・ブーダンは、ノルマンディーの港町で生まれ、ルアーブルで海辺の風景を描いた。印象派の先駆と呼ばれる。若きクロード・モネ、クールベ、らに影響を与えた。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《夕日の前に立つ女性》1818年頃 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
ヨハン・クリスティアン・クラウゼン・ダール《ピルニッツ城の眺め》1823年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館
コピーライト Museum Folkwang, Essen
ポール・セザンヌ《ベルヴュの館と鳩小屋》1890-1892年頃 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
フィンセント・ファン・ゴッホ《刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン゠ポール病院裏の麦畑)》1889年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
ポール・ゴーガン《扇を持つ娘》1902年、油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
フェルディナント・ホドラー《モンタナ湖から眺めたヴァイスホルン》1915年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Museum Folkwang, Essen
クロード・モネ《舟遊び》1870、国立西洋美術館
ゲルハルト・リヒター《雲》1970年 油彩・カンヴァス フォルクヴァング美術館コピーライト Gerhard Richter 2022 (13012022) コピーライト Museum Folkwang, Essen
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参考文献
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」パナソニック汐留美術館・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
「1894 Visions ルドン、ロートレック展」・・・世紀末の印象派と象徴派、ロマン主義の苦悶
https://bit.ly/3pw5x2g
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント、東京都美術館
https://bit.ly/2W3o6RF
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb
「テート美術館所蔵 コンスタブル展」三菱一号館美術館
https://bit.ly/37TI8ke
自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで・・・彼方への旅
https://bit.ly/3mv4SOc
――
Ⅰ章 空を流れる時間
Ⅱ章 「彼方」への旅
Ⅲ章 光の建築
Ⅳ章 天と地のあいだ、循環する時間
――
フォルクヴァング美術館と国立西洋美術館は、同時代を生きたカール・エルンスト・オストハウス(1874-1921)と松方幸次郎(1866-1950)の個人コレクションをもとにそれぞれ設立された美術館です。
本展では開館から現在にいたるまでの両館のコレクションから、印象派とポスト印象派を軸にドイツ・ロマン主義から20世紀絵画までの100点を超える絵画や素描、版画、写真を通じ、近代における自然に対する感性と芸術表現の展開を展観します。産業や社会、科学など多くの分野で急速な近代化が進んだ19世紀から20世紀にかけて、芸術家たちも新たな知識とまなざしをもって自然と向き合い、この豊かな霊感源から多彩な作品を生み出していきます。
足元の草花から広大な宇宙まで、そして人間自身を内包する「自然」の無限の広がりから、2つの美術館のコレクションという枠で切り出したさまざまな風景の響き合いをお楽しみください。自然と人の関係が問い直されている今日、見る側それぞれの心のなかで作品との対話を通じて自然をめぐる新たな風景を生み出していただければ幸いです。
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/upcoming.html
――
「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」、国立西洋美術館、6月4日(土)~9月11日(日)
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ『朝日の中の婦人』1818-1820、

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