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2022年10月19日 (水)

ピカソとその時代・・・藝術の探検家、7人の恋人、7つの時代

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』294回
青春の日、スペインの灼熱の大地の旅を思い出す。ソフィア王妃芸術センターで「ゲルニカ」1937、プラド美術館でヒエロニムス・ボス『快楽の園』、ベラスケス「ラス・メニーナス」、ティッセンボルネミサ美術館でエル・グレコ展、トレドで「オルガス伯の埋葬」。
パプロ・ピカソ、1881年 - 1973年)92歳で死す。7人の恋人、7つの時代。類稀な才能を開花、4万5千点の作品を残す。藝術の探検隊である。才能によってこの世に成功することは極めて困難であるが、ピカソは才能によって成功を遂げた稀有な例である。
【トマ・ピケティ『21世紀の資本』】「資本主義の富の不均衡は放置しておいても解決できず、格差は広がる。格差の解消のために、なんらかの干渉を必要とする」。その根拠が「r>g」という不等式。「r」は資本収益率を示し「g」は経済成長率を示す。富の蓄積は労働成果より大きい。
【人生の舞台、探検隊】16の性格、外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検隊グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生という舞台、自分の必殺技をどう披露するか。特性、強み弱み、どう発揮するか。織田信長は、明晰透徹な指揮官、武の七徳を探求する。
【無能が支配する国、腐敗の帝国】組織における地位は能力を表さない。何も生み出さない、知恵もない、ただの番人が管理階級、搾取階級として君臨する。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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■ピカソ、生涯と藝術、7人の女。7つの時代
(Pablo Ruiz Picasso, 1881年10月25日 - 1973年4月8日)92歳で死す。
スペイン・マラガで生まれた。
1881年 ピカソ誕生。ピカソの母は言う「言葉を覚えるより先に絵を描いていた」。「石膏トルソの習作」(1892)
1900年、19歳のピカソはパリへ 向かう
 しかし芸術の都は甘くなく、思うように絵は売れなかった。ある日、ともにパリにきた友人が自殺。絶望の淵で、それでも筆を握り続けたピカソは苦難の果てにあの色にたどり着く。「自画像」(1901)
ばら色の時代
絵画の革新者の誕生。描く対象をバラバラに分解し、その存在感が引き立つように組み合わせた。「キュビスム」の時代。「アヴィニョンの娘たち」(1907)
新古典主義の時代。40代ギリシア彫刻などに出会い、伸びやかな命があふれる作風が開花する。
第1次世界対戦後 束の間の平穏な時代を反映するかのような光景
同じ画家とは思えないほど極端なまでに変貌を遂げるピカソ
「私は一枚の絵を描く。それからそれを破壊する。一枚の絵は破壊の集積である しかし何も失われはしないんだ」
1937年 ゲルニカへの無差別爆撃。スペイン北部の町ゲルニカをナチスドイツが無差別爆撃。ナチスと手を結んだフランコがドイツ軍に要請した。
1,【 青の時代 】 (1901-1904年)ジャウメ・サバルテスの肖像 (1904)
2,【 ばら色の時代 】(1904-1906年) 座る道化師 (1905)
3,【 アフリカ彫刻の時代 】 (1907-1909年)裸婦 ≪アヴィニョンの娘たち≫の習作 (1907)ピカソ「アヴィニョンの娘たち」(1907)
4,【 キュビスムの時代 】 (1909-1912年)ピアノの上の静物 (1911-12)
5,【 新古典主義の時代 】 1917年2月-1925年、ピカソはイタリアを初めて旅行。足を拭く座る裸婦 (1921)
6,【 シュルレアリスムの時代 】1925〜1937年、 黄色いセーター (1939)
1925年にアンドレ・ブルトンは、シュルレアリスム機関誌『シュルレアリスム革命』においてピカソをシュルレアリストとする記事を書き、また《アヴィニョンの娘たち》がヨーロッパで初めて同じ号に掲載された。
【《ゲルニカ》】「ゲルニカ」(1937)第5の恋人ドラ・マールと「泣く女」(1937)
ピカソ【第6の恋人、フランソワーズ・ジロ】1944年、パリが解放されたときピカソは63歳で、若い女子美大生フランソワーズ・ジローと恋愛関係に入る。彼女はピカソよりも40歳年下。パロマを出産後、体調を壊したフランソワーズに対してピカソは「女は子供を産むと魅力を増すものなのに、なんたるざまだ」「怒るか泣くかしてみろ」「私に発見された恩を返せ」「私のような男を捨てる女はいない」ピカソは、激怒した。
7,【ピカソの晩年、ヴォヴナルグ城】1958-1973
【最晩年】1953年、ピカソの虐待に耐え切れなくなったジロは子どもを連れてパリに帰り、画家として自立への道を歩み始める。2年後、彼女が画家のリュック・シモンと結婚。
1953年から【第7の恋人、ジャクリーヌ・ロック】
【ピカソの死】パブロ・ピカソは1973年4月8日、フランスのムージャンで死去。92歳。エクス・アン・プロヴァンス近郊のヴォヴナルグ城に埋葬された。
ヴォヴナルグ城は1958にピカソが購入して、59年からジャクリーヌ・ロックと一時的に住んでいた城。ピカソの膨大な作品がここに保管された。何百のピカソ作品と蔵書などがこの城に移され、城はさながらピカソの個人美術館のようなていをなした。
ジャクリーヌ・ロックはピカソの子どものクロードやパロマの葬儀への出席を断った。ピカソの死後、ジャクリーヌ・ロックは、精神的な荒廃と孤独に蝕まれ、1986年に59歳のとき銃で自殺した。
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展示作品の一部
パブロ・ピカソ≪アヴィニョンの娘たち≫の習作 (1907)
パブロ・ピカソ 《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》、1936 年 油彩、カンヴァス 65 x 54 cm、ベルリン国立ベルクグリューン美術館
パブロ・ピカソ《座るアルルカン》日本初公開1905年 水彩・黒インク、厚紙 57.2 x 41.2cmベルリン国立ベルクグリューン美術館
パブロ・ピカソ《窓辺の静物、サン=ラファエル》日本初公開1919 年 グアッシュ・鉛筆、紙 35.5 x 25cmベルリン国立ベルクグリューン美術館
パブロ・ピカソ《丘の上の集落(オルタ・デ・エブロ)》1909年 油彩、カンヴァス 65.1 x 81.3cm
パウル・クレー《中国の磁器》日本初公開1923年 水彩・グアッシュ・ペン・インク、石膏ボード、合板の額 28.6 x 36.8cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館
アンリ・マティス《雑誌『ヴェルヴ』第4巻13号の表紙図案》日本初公開、1943年 切り紙、カンヴァスに貼り付け 38.1 x 56.8cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館、ベルクグリューン家より寄託
アルベルト・ジャコメッティ《広場Ⅱ》日本初公開1948-49年 ブロンズ 23 x 63.5 x 43.5cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館
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■ピカソが愛した7人の女、作品に与え続けた影響
現代美術の大きな柱であるピカソは女性からインスピレーションを得たせいか、彼の作品数は4万5000点、絵画1885点、彫刻1228点、陶器2280点、スケッチ4659点と 3万点に及ぶ版画作品などを手がけた。
第1の恋
人、フェルナンドゥオリヴィエ Fernande Olivier
第2の恋人、エヴァ・グエルEva Gouel
第3の恋人、オルガ・クルロバOlga Kokhlov
第4の恋人、マリー・テレーズ・ヴァルターMarie Therese Walter
第5の恋人、ドラ・マールDora Maar
 1936年(55歳)ピカソが「ファシズムの狂気との戦いの時代」 彼女はピカソの「ゲルニカ」の時代を一緒にしており、この作品の制作過程全体を写真で記録した。 憂鬱な2次世界大戦の時期を一緒にした乾燥したピカソの作品で主に「泣く女」に登場する。
第6の恋人、フランソワーズ・ジロFrançoiseGilot
 第二次世界大戦中に出会った彼女は非常に若くて美しい女流画家である。ピカソが六十三歳の時、1945年から一緒に暮らすが、このとき、彼女は二十歳。完璧主義者であり、独占浴が強かったフランソワーズは、息子クロードと娘パロマを生む。ピカソは自分の子供を素材にして魅惑的で躍動感あふれる肖像画を残した。
第7の恋人、1953年、72歳で出会ったジャクリーヌ・ロックJacqueline Roque
 ピカソの末期の作品は、外在的にも暗黙的に性愛が目立つ。このときピカソが陶芸と「古典的な作家の再解釈」に傾倒した時期。ピカソが作品に専念できるように内助してくれた最後の女性ジャクリーヌ・ロックは、ピカソが72歳になった年に会った女性。彼女は前の夫との間に娘がいる離婚女性、ピカソと8年間同棲した後、結婚した。
これまで無私なピカソの複雑な財産の問題を処理した。1986年10月15日ピカソの生誕105年を十日前に彼女はピカソの墓の前で自ら命を絶った。
参考文献*
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★参考文献
「ピカソ展−からだとエロス 変貌の時代 1925〜1937年」東京都現代美術館、2004
新古典主義に続く1925年から第二次世界大戦前夜の1937年までの作品160点で構成。シュルレアリストと交流した時代の様々な身体表現を、パリ・国立ピカソ美術館が所蔵する作品を中心に紹介。数多くの女性を愛したピカソの、奔放で力強い作品の数々を十二分に堪能できるまたとない機会といえます。
「巨匠ピカソ 魂のポートレート」展、サントリー美術館、2008
「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」展、国立新美術館、2008
「ルートヴィヒ美術館展」ドイツ表現主義からロシア・アヴァンギャルド、抽象絵画まで。国立新美術館2022
「イスラエル博物館所蔵ピカソ ― ひらめきの原点 ―」パナソニック汐留美術館、2022
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
ピカソとその時代・・・藝術の探検家、7人の恋人、7つの時代
https://bit.ly/3D8mYir
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パブロ・ピカソが愛した7人の女性、作品に与え続けた大きな影響
ピカソが最も恐れた画家「ジョルジョ・デ・キリコ」の不思議な絵
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ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン・コレクション美術館展、国立西洋美術館、10月8日(土)~2023年1月22日(日)

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