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2022年11月24日 (木)

「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」・・・秦始皇帝の謎

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』297回
【秦の謎、兵馬俑の謎】なぜ550年続いた春秋戦国の群雄割拠の世を、秦の嬴政が統一できたのか。始皇帝となりえたのか。なぜ始皇帝陵の等身大の兵馬俑を作ったのか。なぜ西方の秦が、東の関を守り抜き、東方の六国に勝利しえたのか。戦国時代、西の果ての秦は弱小国で、馬の飼育に長け、西方文化と接触した。
【アレクサンドロス大王、帝国の謎、前334年から前323年】マケドニアの騎馬隊と重装歩兵長槍密集隊を思い出す。
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【秦、始皇帝】嬴政・・・権力の頂点に立つ者の猜疑と残虐
始皇帝(紀元前259年 - 紀元前210年)は、中国戦国時代の秦王(在位紀元前246年 - 紀元前221年)。姓は嬴(えい)、諱は政(せい)。父が、敵国趙の人質であったため、趙で苦労した。13歳で秦王となって、わずか9年にして、統一をなし遂げる。22歳で始皇帝となり、51歳で死にまで君臨した。秦は十数後滅亡。紀元前202年、漢の劉邦が西楚の項羽を破って再び中国を統一。
死後なお地下帝国に君臨しようとした秦始皇帝の凄絶な欲望。権力に憑かれた人間の妄執。几帳面で、細部を一一記憶し、偏執狂的な性格。末梢にこだわる。一度の誤りも許さず、何年も記憶する。
権力の頂点に立つ皇帝の猜疑心と暴虐と妄執。周到な猜疑の目、苛烈、残忍な暴君。権力に盲従する取りまき、扈従の群れ。この世の悪霊。悪霊は、天によって滅ぼされる。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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【始皇帝、嬴政、政治と文化】
嬴政(えいせい)に仕えた兵法家尉繚によると、「目は切れ長で、鼻は非常に高く、鳩胸。」「声は山犬のよう」「他人を食い物とし、必要とあらばどんな人間にもへりくだる。」「王が中華統一をすれば、みな奴隷となる。」将軍、王翦は「大王は粗暴で、誰も信用しない。」「一度疑ったら死ぬまで疑い続ける」。
戦国の七勇のなかで、わずか9年にして、統一をなし遂げる。情報収集力にたけ、敵国に何人も間者を送った。中国史上最強の暴君として名を留める。
【暴君】「敵を殲滅する力と、維持をする力は別である。」「万里の長城建設など、人々の苦しみを理解しない。」
【法治主義 韓非子】秦の将軍蒙恬(もうてん)が匈奴を討伐した宴の席。(紀元前215年~214年)「古い王朝の在り方を見習うべき」という意見があった。嬴政は、丞相の李斯に相談する。「時代に合わせて変化しない法など、無意味である。」嬴政は、「韓非子」に基づいて判断した。
【焚書坑儒】「学者は古い書物を持ち出し、喚きあうだけ。」「現実を見ようとせず、机上の空論を正しいものとし邪魔をする。」紀元前213年。丞相の李斯は「国庫にある古い本以外、全て捨てるべき。」と進言。嬴政もこれに同意し、許可する。
【坑儒】学者廬生は「処刑を楽しんでばかりで中華は震え上がり、うわべの忠誠を尽くす。」「天下を我が物とする独裁者なり」と進言した。
嬴政は、460人近い学者を集め、質問攻めにする。しかしどの学派の学者に聞いても、誰かの悪口を言うのみで、正しい情報が得られない。その場の全員を捕え、紀元前212年、捕えた全員を生き埋めにする。
【戦国時代の学術、諸子百家】春秋末期から戦国中期、諸子百家があらわれた。古今の人を、上上聖人、上中仁人、上下智人、中上、中中、中下、下上、下中、下下愚人。九種類に分類する。(王充『論衡』)道家は上人以上を語り、法家は中人以下を管理する。諸子百家は、共存しうる。
【兵馬俑の謎】なぜ始皇帝は等身大の兵馬俑を作ったのか。殉葬を避けるため、兵馬俑を作った。空前絶後の等身大の兵馬俑。孔子は、俑について「人間の魂を吹き込んだような俑を作ったから殉葬の風習が生まれた」と批判した。
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【アレクサンドロス大王、東方遠征の謎、前334年から前323年】マケドニア王フィリッポス2世は、テーバイに人質となり、重装歩兵密集隊戦術を学んだ。祖国に帰り権力を統一し、騎馬隊の組織化、重装歩兵、長槍密集隊などの戦法を採用、ペロポネソス戦争後のギリシアの混乱に乗じてギリシア本土に侵攻した。哲学を学んだ。前338年、カイロネイアの戦いでアテネ、テーベなどのポリス連合軍を破り、ギリシア本土の都市国家を屈服。【フィリッポス2世暗殺事件】前336年春、フィリッポスは娘クレオパトラ(アレクサンドロスの妹)と隣国モロッソイの王子との結婚式。初夏の古都アイガイで、護衛官パウサニアスが王を刺殺。フィリッポス2世、46歳。暗殺事件の背後にフィリッポス2世の妻オリュンピアスとその子アレクサンドロスがいた。20歳でアレクサンドロス3世、マケドニア王即位。前334年から前323年まで、アレクサンドロス大王はアケメネス朝ペルシア帝国からインドに及ぶ帝国建設。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
アレクサンドロス帝国の遺産はどこに残されたのか
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
マケドニア王国 フィリッポス2世の死 卓越した戦略家
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展示作品の一部
鹿紋瓦当、戦国秦
青銅長剣、兵馬俑1号抗から出土、秦始皇帝陵博物院
鎏金青銅馬、前漢、前3世紀、漢の武帝、1981年、陝西省興平県出土、陝西省茂陵博物館蔵
里耶秦簡、秦、前3世紀、里耶博物館
金印「王精」、前漢、前3世紀、里耶博物館、秦始皇帝陵博物院
戦車馬、 統一秦 秦始皇帝陵博物院蔵 一級文物
2号銅車馬[複製]、原品=秦時代・前3世紀 西安市臨潼区秦始皇帝陵銅車馬坑出土、秦始皇帝陵博物院蔵
 始皇帝の陵墓の西、銅車馬坑から見つかった2両のうちの1両。こちらの2号は、御者が立ち姿で操縦する1号の立車に対し、御者が正座で操縦しており、安車と呼ばれる。始皇帝が乗った馬車。実物を2分の1サイズで復元《2号銅車馬》(複製品)、6000件の部品がつなぎ合わされ復元。御者の手綱や部品が精巧に再現されている。
高さ106・2センチ、長さ317センチ、幅176センチの青銅製の銅車馬が作られたのは、始皇帝が生前に巡行した威容を残しておくため。4頭だての牽引(けんいん)力は、中2頭と外2頭で異なる。中2頭の首には軛が覆い被さり、横木で連結されている。その横木と車体中央から伸びた轅(ながえ)が十文字に結ばれ、車体を牽引する。両脇の2頭にも牽引用の綱はあるが、補助的な役割。
1号銅車馬(写真左)、2号銅車馬(写真右) [複製]、原品=秦時代・前3世紀 西安市臨潼区秦始皇帝陵銅車馬坑出土、秦始皇帝陵博物院蔵
戦服将軍俑、高さ196cm秦時代・前3世紀、西安市臨潼区秦始皇帝陵1号兵馬俑坑出土、秦始皇帝陵博物院蔵
立射俑、高さ178cm、秦時代・前3世紀、西安市臨潼区秦始皇帝陵2号兵馬俑坑出土、秦始皇帝陵博物院蔵
軍吏
俑、秦時代・前3世紀、西安市臨潼区秦始皇帝陵1号兵馬俑坑出土、秦始皇帝陵博物院蔵
跪射俑、秦時代・前3世紀、西安市臨潼区秦始皇帝陵2号兵馬俑坑出土、秦始皇帝陵博物院蔵
跪座俑、 統一秦 高さ64cm 秦時代・前3世紀、秦始皇帝陵博物院蔵 一級文物
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★参考文献
鶴間和幸『ファーストエンペラーの遺産 秦漢帝国』講談社2004
鶴間和幸『人間・始皇帝』岩波新書2015
平勢隆郎『都市国家から中華へ 殷周 春秋戦国』講談社2005
吉川忠夫『秦の始皇帝』講談社学術文庫
「始皇帝と大兵馬俑」・・・皇帝の猜疑心と残虐
「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」2022
「始皇帝と大兵馬俑」東京国立博物館、2015
始皇帝を守る最強地下軍隊「兵馬俑」に会いに行こう-AraChina中国旅行:
「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」・・・秦始皇帝の謎
https://bit.ly/3EBrm8O
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★展覧会概要
古代中国の知られざる秘密が明かされる
紀元前770年、周王朝は洛陽に遷都したが、次第にその権威は失われ、各地で有力な諸侯が独立していく時代に入った。約550年続いたこの群雄割拠の世が、後に言う春秋戦国時代である。
紀元前221年、秦の始皇帝がついにこの戦乱を終結させ、史上初めて中国大陸に強大な統一王朝を打ち立てた。わずか十数年のうちに秦は滅亡した、始皇帝の墓に眠る兵馬俑、万里の長城の遺物は、当時の絶大な国力を現代に伝える。
紀元前202年、漢の劉邦が西楚の項羽を破って再び中国を統一する。秦の国家制度を引き継いだ漢王朝は、古代中国における一つの黄金時代。この二国の治世は、中国の基礎を確立した時代。
本展では、秦漢両王朝の中心地域であった陝西省の出土品を中心に、日本初公開となる貴重な文物を多数展覧。それらが語る歴史を紐解いていく。戦国時代の極小の騎馬俑が、なぜ始皇帝陵の等身大の兵馬俑となり、漢代では再び小さくなったのか?なぜ西方の秦が、東の関を守り抜き、東方の六国に勝利しえたのか?日中国交正常化から50周年を数える2022年、古代中国の知られざる秘密が明かされる。
秦の始皇帝
趙の都邯鄲で生まれた秦王嬴政。約550年続いた群雄割拠の春秋戦国時代を終結させ、紀元前221年に史上初めて中国大陸に統一王朝を打ち立てた。1974年、秦始皇帝陵付近で、偶然、地中に埋まった素焼きの像が発見され、地下5メートルの巨大な地下空間に、おびただしい数の兵士や馬の素焼きの像が埋まっていることが発見された。
兵馬俑とは
兵士や馬をかたどった像で、陵墓に収められた。始皇帝陵に埋蔵が推定される約8,000体は、顔、体、服装のひとつひとつが異なる。
みどころ
過去最大級のスケール。兵馬俑36体が来日決定!
1974年、西安郊外の秦始皇帝陵墓付近で歴史的な発見がありました。そこには、一体一体違う顔をした等身大の人間の像が、おびただしく埋められていたのです。本展では、この世界的に有名な始皇帝の遺物をはじめ、戦国、漢時代を含めた総計36体の兵馬俑が一堂に会します。日中国交正常化50周年だからこそ実現した、破格のスケールの展示をお楽しみください。
ここに注目! 兵士や馬の俑、その数およそ8000体の埋蔵が推定される始皇帝陵の兵馬俑坑。中でも、かつて11体しか確認されていない希少な将軍俑から、日本初公開となる1体を展示。
日本初公開&国宝級を多数含む、約200点の文物が集結!
現在に至る中国の礎を確立した、秦・漢両王朝の中心地域・関中(現在の陝西省)。今回は中国の陝西省文物局の全面的な協力のもと、同地の出土品を中心とする約200点 ( 兵馬俑36体含む ) を展覧します。中国国家一級文物(国宝級を指す中国国内の区分)から、最新の発掘調査による出土品まで、日本初公開を多数含む貴重な文物をお見逃しなく。
ここに注目! 古代の青銅器から、選り抜きの名品が揃う。さらに、漢の武帝が作らせたと伝わる秘宝・鎏金青銅馬も36年ぶりに本邦で公開。
1,000年に渡る、歴史のドラマを追体験!
紀元前770年の周王朝の遷都から、220年の漢王朝の崩壊まで、およそ1,000年に渡る時代の歴史資料を紹介。群雄割拠の春秋戦国時代、わずか十数年の間に絶大な国力を示した秦時代、そして古代中国の黄金時代の1つを築いた漢時代。
ここに注目! 戦国時代に生まれた小さな副葬品は、始皇帝の意によって等身大の人の姿になった。古城の古井戸から発見された木簡には、何が記されているのか。
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★「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」上野の森美術館、2022年11月22日(火)〜2023年2月5日(日)

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