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2022年11月16日 (水)

パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂・・・シャガール「夢の花束 」

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』296回
オペラ座の建築は、19世紀半ば、皇帝ナポレオン3世により計画された。 匿名によるコンペが開催され、1861年パリ高等芸術学校出身の若きシャルル・ガルニエが設計した。王立音楽アカデミー1869年の建築。彼の名前でオペラ・ ガルニエと呼ばれる。19世紀、ロマンティック・バレエ、グランド・オペラ、華の総合藝術の舞台となる。1960年アンドレ・マルローの依頼で、シャガールは77歳で天井画「夢の花束 」(1964年)を描き、97才で死ぬまで絵を描き続けた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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シャガール「夢の花束 」
アンドレ・マルローとシャガールとの友情
1960年2月17日。シャルル・ド・ゴール大統領と文化大臣アンドレ・マルローは、ペルーの代表団とともにオペラ座にいた。演目はモーリス・ラヴェルのバレエ《ダフニスとクロエ》。マルローは休憩時間中、舞台美術監督を任命されていたシャガールに新しい天井画を描いてみないかと打診した。 シャガールとマルローは30年来の友人。1962年に公表されメディアは批判した。1964年9月23 日、新しい天井画は公開され、2000人が特別コンサートに招待された。メディアは、作品を痛切に批判した。
古今の大作曲家14人 オペラ座、凱旋門、エッフェル塔
シャガールの天井画は、オペラ座の公演レパートリーとして 1964年当時 200年以上前から貢献してきたラモーを含む 古今の大作曲家14人と、彼らの歴史的演目を絵画の世界に織り込み、凱旋門やエッフェル塔、オペラ座など観光名所の建物を鏤めた大作、巨匠の集大成的作品。1、ラヴェル:バレエ「ダフニスとクロエ」2、ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」3、ラモー:「花々のバレエ」(「優雅なインドの国々」から)4、ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」5、ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」6、モーツァルト:歌劇「魔笛」7、ムソルグスキー:歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」8、アダン:バレエ「ジゼル」9、チャイコフスキー:バレエ「白鳥の湖」10、ストラヴィンスキー:バレエ「火の鳥」、中央の円環に11、ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」12、ヴェルディ:歌劇「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」13、ビゼー:歌劇「カルメン」14、グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」
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Marc Chagall「夢の花束 」(1964年)、シャガール77歳の作品。
黄色い天使に花束をささげられたオペラ・ガルニエ。左下、 青い背景は、2ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》。もたれかかって髪をとかしているメリザンドと、窓から顔をのぞかせるペレアス。2人を見下ろすのは、王冠をかぶった老王アルケル。
赤い背景は、1ラヴェル《ダフニスとクロエ》。羊が放牧されているニンフの神殿の下に、海賊に襲撃された群衆。上部には、 守り神のバン神が海賊の首領ブリュアクシスを連れ去り、 再会して愛し合うダフニスとクロエは半身がつながつている。
パリの象徴、エッフェル塔。その右隣にバレットを片手にしたシャガールの自画像。右上、中央部分の青と緑の背景に11ベートーヴェン《フィデリオ》。剣をもった青い騎士にレオノーレが立ち向かう。
10ストラヴィンスキー《火の鳥》。体がチェロになった音楽の天使。その横の魔法の木には、火の鳥。
鮮やかな黄色を背景に描かれる、9チャイコフスキー《白鳥の湖》。湖のほとりにいる悪魔ロットバルトによって姿を白鳥に変えられたオデット姫。
後ろのダンサーは、 8アダム《ジゼル》の村娘たちと混じり合う。 濃紺の背景に描かれる、 7ムソルグスキー《ボリス・ゴドゥノフ》。顔が鳥になった天使が空を飛び、隣に緑で描かれたモスクワの街。
14グルック《オルフェオとエウリディーチェ》。エウリディーチェがオルフェオの竪琴を奏で、 天使が花を贈る。
天使が花輪に飾られたモーツァルトの肖像画を指し示す。鳥が笛を吹いている、 モーツァルト《魔笛》。
緑の背景、赤く照らされた凱旋門の左下、横たわり抱き合う2人、5ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》。
抱き合うカップル、4ベルリオーズ《ロメオとジュリエット》。
赤と黄色の背景に、13ピゼー《カルメン》。雄牛の奏でるギターに合わせて、カルメンが踊る。
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マルク・シャガール(Marc Chagall1887-1985)
ロシア帝国ヴィテブスクにユダヤ人として生まれ、1908年21才で美術学校に入学。1911年、モンパルナスの集合アトリエ「ラ・リュッシュ」(蜂の巣)に住み、多くの藝術家たちと出会う。28才でベラと結婚。1917年ロシア革命、1918年ヴィテブスクに美術学校設立。1944年、愛妻ベラ急逝。1952年65才で二度目の結婚。南仏ヴァンスの鷲ノ巣村で晩年を暮らす。77歳1964年パリ・オペラ座の天井画を制作。97才で死ぬまで絵を描き続ける。
故郷ヴィテブスクと結婚のイメージを融合した幻想的な絵画が印象的である。青春を過ごしたパリの風景が織り込まれ、モンパルナスの蜂の巣で出会った藝術家の息吹がある。初期作品はロシア・ネオ・プリミティヴィスムの画家からの影響が濃厚である。
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展示作品の一部
シャルル・ガルニエ「オペラ座ファサード立面図」1861、フランス国立図書館
エドガー・ドガ「バレエの授業」1873-76、アーティゾン美術館
エドガー・ドガ「バレエの授業」1873-76、オルセー美術館
エドゥアール・マネ「オペラ座の仮面舞踏会」1873、アーティゾン美術館
アレクサンドル・カバネル「クレオパトラ」1883
ガストン・ルルー「オペラ座の怪人」原稿、1909、フランス国立図書館
マルク・シャガール「オペラ座の人々」1968-1971ポーラ美術館
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参考文献
「パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂」図録、2022
シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い
https://bit.ly/3DXyUDY
パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂・・・シャガール「夢の花束 」
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プレスリリース
パリ・オペラ座は、バレエやオペラの輝かしい殿堂としてよく知られた劇場です。ルイ14世によって1869年に設立されたパリ・オペラ座は、その歴史を通して台本作家や作曲家、美術家に、芸術的な進展や技術的な革新を可能にする表現を常に注文してきました。この展覧会では、パリ・オペラ座の歴史を19世紀から現在までたどりつつ、さまざまな芸術分野との関連性を示すことで、その魅力を「総合芸術」的な観点から浮き彫りにします。特に対象とする時期は、19世紀から20世紀初頭。これはロマンティック・バレエ、グランド・オペラ、バレエ・リュスの時代にあたります。フランス国立図書館をはじめとする国内外の約250点の作品により、芸術的、文化的、社会的な視野からパリ・オペラ座の多面的な魅力を紹介し、その歴史的な意
味を明らかにします。パリ・オペラ座と諸芸術との多様なつながりをテーマとする、これまでにない新たな試みです。
パリ・オペラ座とは?
フランスを代表する歌劇場。パリ9区の絢爛な建築は、19世紀後半パリの近代化の一環として計画され1875年に完成、設計者の名に由来しガルニエ宮(オペラ・ガルニエ)とも呼ばれます。ルイ14世によって1669年に設立された王立音楽アカデミーを前身とし、350年以上の間、台本作家や作曲家、美術家に、芸術的な進展や技術的な革新を可能にする表現を常に注文してきました。1989年にバスティーユ歌劇場(オペラ・バスティーユ)が完成し、現在二つの劇場でバレエ、オペラの古典から現代作品までを上演しています。
章構成
序曲:ガルニエ宮の誕生
第Ⅰ幕:17世紀と18世紀
(1)「偉大なる世紀」の仕掛けと夢幻劇(2)音楽つきの「雅宴画」(フェート・ギャラント)
(3)新古典主義の美的変革
第 II 幕:19世紀[1]
(1)ル・ペルティエ劇場(2)グランド・オペラ(3)ロマンティック・バレエ
(4)装飾職人と衣装画家 *パリの観劇をめぐって
第 III 幕:19世紀[2]
(1)グランド・オペラの刷新(2)ドガとオペラ座(3)劇場を描く画家たち
(4)ヴァーグナーの美学 *作家とオペラ座 *ジャポニスムとオペラ座
第 IV 幕:20世紀と21世紀
(1)バレエ・リュス(2)近代芸術とオペラ座(3)画家・デザイナーと舞台美術
(4)演出家と振付師のオペラ *映画とミュージカル
エピローグ:オペラ・バスティーユ
【公式サイト】アーティゾン美術館|展覧会詳細ページ
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★「パリ・オペラ座−響き合う芸術の殿堂」、アーティゾン美術館
2022年11月5日[土] - 2023年2月5日[日]

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