岡本太郎・・・傷ましき腕、夜、太陽の塔、明日の神話
闇の中、刃をもって立つ少女、何に立ち向かうのか。何に反抗するのか。
岡本太郎、自己破壊の藝術家、自由奔放、破天荒、革命児。生きかたの根底にある源泉は何か。何と戦ったのか。赤い大きなリボンの女、刃を持って闇の中に立つ少女。シュールレアリスム、対極主義、呪術的縄文、太陽の塔。岡本太郎の活動資金はどう作られたのか。巧みなマスコミ戦略。「真剣に、命がけで遊べ」。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1、芸術家・岡本太郎の誕生、パリ時代
岡本太郎1911年(明治44年)2月26日 - 1996年(平成8年)1月7日)
太郎は、川崎市、神奈川県橘樹郡高津村、大貫病院で、岡本一平、岡本かのこ、藝術家夫婦の子として生まれた。
岡本太郎は、19歳の冬、家族ともにとヨーロッパに渡った。1930年から10年間パリに滞在。最先端の藝術家、思想に触れ、「アブストラクト・クレアシオン」の運動に参加。
ピカソの作品『ゲルニカ』に衝撃を受け、前衛芸術家や思想家たちと交わり、自身も最先端の芸術運動に邁進する。パリ大学で哲学、民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと親交を深める。自身の基礎となる思想を深めた。1940年、帰国、兵役、復員。
岡本太郎《傷ましき腕》 1936/49年 川崎市岡本太郎美術館蔵
2、前衛美術芸術運動1947
岡本太郎は、東郷青児と二科会を牽引する。だが、太郎と東郷青児はやがて、軋み、別離する。日本美術界の変革を目指し、岡本太郎は花田清輝と「夜の会」1947を結成。抽象と具象など対立要素が生み出す「対極主義」を掲げ前衛運動を展開する。著書『今日の芸術』1954がベストセラーとなり文化人としても活躍する。
岡本太郎の活動資金はどう作られたのか。岡本太郎の広報戦略は巧みだった。
3、大衆の芸術、「芸術は大衆のもの」
太郎は、「芸術は大衆のもの」という信念のもと。芸術とは生活の中にあり、金持ちやエリートのものでなく、民衆のもの、社会のものだと考える。岡本太郎は、絵画を売らない主義で、生涯を貫いた。
「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」
彼の格言の通り、作品から発散する不気味な熱。すべてを生命体として描く彼の表現は、彼自身の猛烈な生き様を表現する。
3、魅了される呪術的世界観、縄文土器1951
岡本太郎は、前衛芸術を推進する一方、日本文化に目を向けた。1951年に出会った縄文式土器、日本各地に残る神事など現地調査を実施し考察。民族学から日本文化の新しい価値を提唱する。この知識と見聞が《太陽の塔》へと繋がってゆく。
岡本太郎《イザイホー》 (沖縄県久高島) 1966年12月26‐27日撮影 川崎市岡本太郎美術館蔵
岡本太郎《縄文土器》 1956年3月5日撮影 (東京国立博物館) 川崎市岡本太郎美術館蔵
岡本太郎「燃える人」1955年、東京国立近代美術館、1954年、ビキニ環礁水爆実験で第五福竜丸が被爆した事件に基づく。
岡本太郎「燃える人」1955年、東京国立近代美術館、1954年、ビキニ環礁水爆実験で第五福竜丸が被爆した事件に基づく。
4、二つの太陽 太陽の塔1970《明日の神話》1968
1970年の大阪万博。そのテーマ館として太郎が手掛けた《太陽の塔》は、生命の根源的エネルギーの象徴。これと並行して描かれた作品、現在渋谷駅に設置されている巨大壁画《明日の神話》。太郎が残したドローイングと資料が示す世界観。
生命の根源としての太陽の塔。原子爆弾の破壊力とそれを超える人類の希望。
5、岡本太郎、病と戦い、84歳で死す
パーキンソン病と戦い、手の震えと闘いながらも最後の最後まで絵を描いた。パーキンソン病。パーキンソン病は、脳内のドーパミンという物質が作られなくなる病気。それにより、体に不具合が発症。主な症状は小刻み歩行や指先のふるえ、症状が進んでいく。
1996年(平成8年)1月7日、慶應義塾大学病院にて死去。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
「展覧会 岡本太郎」図録2022
「世田谷時代1946-1954の岡本太郎、戦後復興期の再出発と同時代人たちとの交流」世田谷美術館、2007
川崎市岡本太郎美術館
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川崎市岡本太郎美術館
岡本太郎・・・傷ましき腕、夜、太陽の塔、明日の神話
展示作品の一部
岡本太郎《森の掟》1950年 川崎市岡本太郎美術館蔵、岡本太郎《夜》1947年 川崎市岡本太郎美術館蔵、「燃える人」1955年、東京国立近代美術館蔵、 《光る彫刻》 1967年 川崎市岡本太郎美術館蔵、《犬の植木鉢》 1955年 川崎市岡本太郎美術館蔵岡本太郎《太陽の塔》 1970年 (万博記念公園) 、岡本太郎《明日の神話》 1968年 川崎市岡本太郎美術館蔵、
著書『今日の芸術』、岡本太郎《イザイホー》 (沖縄県久高島) 1966年12月26‐27日撮影 川崎市岡本太郎美術館蔵、岡本太郎《縄文土器》 1956年3月5日撮影 (東京国立博物館) 川崎市岡本太郎美術館蔵
岡本太郎《太陽の塔》 1970年 (万博記念公園)
岡本太郎《明日の神話》 1968年 川崎市岡本太郎美術館蔵
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絵画、立体、パブリックアートから生活用品まで、強烈なインパクトのある作品を次々と生み出し、日本万国博覧会(大阪万博)の核となる「太陽の塔」をプロデュースし、晩年は「芸術は爆発だ!」の流行語とともにお茶の間の人気者にもなった岡本太郎。彼は、戦後日本の芸術家としてもっとも高い人気と知名度を誇るひとりでありながら、あまりに多岐にわたる仕事ぶりから、その全貌を捉えることが難しい存在でもありました。「何が本職なのか?」と聞かれ、彼はこう答えます。「人間――全存在として猛烈に生きる人間」。18歳で渡ったパリの青春時代から、戦後、前衛芸術運動をけん引した壮年期の作品群、民族学的視点から失われつつある土着的な風景を求めた足跡や、大衆に向けた芸術精神の発信の数々、さらにアトリエで人知れず描き進めた晩年の絵画群まで――。本展は、常に未知なるものに向かって果敢に挑み続けた岡本太郎の人生の全貌を紹介する、過去最大規模の回顧展です。
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展覧会 岡本太郎、 東京都美術館
10月18日(火)~12月28日 (水)
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