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2023年6月

2023年6月27日 (火)

ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ


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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第333回
抽象絵画の起源は、キュビスムとフォーヴィスム、から始まる。と美術史家は言う。
鍵岡リグレ・アンヌ(1987-)、さんに「何を表現しているのですか」と問うた。「Reflection」2023。
抽象絵画で最も有名な作品は何か。キュビスムのピカソ『アヴィニョンの娘たち』1907『マンドリンを持つ少女』1909-1910年、ジョルジュ・ブラック、ポール・セザンヌ『リンゴとオレンジ』1899 オルセー美術館.から始まる。ピカソ『泣く女』1937,『アルジェの女』1955、はキュビスムではないらしい。
フォーヴィスムは、アンリ・マティス『豪奢』1907『帽子の女』1905、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンクから始まる。
ルネサンスの遠近法、立体透視図法、などを否定して、キュビスムの多視点・幾何学化する方法はどこがよいのか。
フォーヴィスムの原色を多用した強烈な色彩、粗々しい筆使い、どこがよいのか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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キュビスムは、「パブロ・ピカソ」と「ジョルジュ・ブラック」によって提唱された絵画表現。どのような絵画表現か、(1)複数の視点から見た物の形を、一つの画面に表す(2)物の形を、立方体、球、円筒、円錐、など幾何学的な形にする。
キュビスムの作品は、ピカソ『アヴィニョンの娘たち』1907『マンドリンを持つ少女』、ポール・セザンヌ『リンゴとオレンジ』。セザンヌは、自然を幾何学化することにより、対象の立体感や、存在感、空間を強調することを試み。キュビスムは、多視点・幾何学化を魅力的な表現(調和した魅力的な構成、物の存在を強調する)の手段としてではなく、多視点・幾何学化するという手段自体が目的。
フォーヴィスムは、20世紀初頭のフランスで発生した前衛運動。1905年、パリの第二回サロン・ドートンヌ展に出品した画家たち、アンリ・マティス『豪奢』1907『帽子の女』、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク。批評家のルイ・ヴォークセルが、その原色を多用した強烈な色彩、また粗々しい筆使いに驚き、「この彫像の清らかさは、乱痴気騒ぎのような純粋色のさなかにあってひとつの驚きである。野獣(フォーヴ)たちに囲まれたドナテロ!」と叫んだ。
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展示作品の一部
フランティセック・クプカ《赤い背景のエチュード》1919年頃 石橋財団アーティゾン美術館【新収蔵作品】
ヴァシリー・カンディンスキー《「E.R.キャンベルのための壁画No.4」の習作(カーニバル・冬)》1914年 宮城県美術館
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モーリス・ド・ヴラマンク《色彩のシンフォニー(花)》1905-06 年頃 石橋財団アーティゾン美術館【新収蔵作品】
© ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo,2023 C4125
ジョージア・オキーフ《オータム・リーフⅡ》1927年 石橋財団アーティゾン美術館【新収蔵作品】© 2023 The Georgia O’Keeffe Foundation/ ARS, New York/ JASPAR,Tokyo C4125
ウィレム・デ・クーニング《一月》1947-48年 石橋財団アーティゾン美術館【新収蔵作品】© 2023 The Willem de Kooning Foundation, New York/ ARS, New York/ JASPAR, Tokyo C4125
ジャン・デュビュッフェ《ピエール・マティスの暗い肖像》1947年 ポンピドゥー・センター、パリ 国立近代美術館/産業創造センター © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo 2023 C4125 Photo ©Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist.RMN-Grand Palais / Philippe Migeat / distributed by AMF
鍵岡リグレ・アンヌ(1987-)、Reflection 2023
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参考文献
ピカソとその時代・・・藝術の探検家、7人の恋人、7つの時代
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-00e373.html
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ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ、アーティゾン美術館、2023年6月3日~8月20日

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2023年6月21日 (水)

ガウディとサグラダ・ファミリア展・・・ガウディ「降誕の正面」、森を表現した内部空間、石のバイブル

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第332回

青春の日々、春の夕暮れ、モンセラート修道院を訪れ、モンセラートの奇岩、モンセラートの糸杉、モンセラート美術館を見たのを思い出す。未完の聖堂サクラダ・ファミリアとは何か。奇岩の山、糸杉を思い出す。
【ガウディの創造の源泉】サクラダ・ファミリア、ガウディ「降誕の正面」は、モンセラートの奇岩、糸杉のイメージがあると思う。ガウディの創造の源泉は、生命の象徴、生命のフォルム、大地の浸食、建築のオリエンタリズム、建築家は幾何学者、森の聖堂、がある。と分析されている。
【早春のイベリア半島、バルセロナの思い出】
雪のチューリッヒ空港からイベリア半島の夜景を見下ろす夜間飛行でリスボンへ。リスボンからアンダルシア、アルハンブラ宮殿、トレドを旅して、マドリード空港から地中海を見下ろし、バルセロナへ飛行した。マドリード、ティッセン・ボルネミサ美術館「エル・グレコ展」を見たのを思い出す。
バルセロナ、ランブラス通り、ロエベ本店、ボケリア市場、海の見えるモンジュイックの丘、カタルーニャ広場、サクラダ・ファミリア、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、グエル公園、カタルーニャ美術館、モンセラート修道院。
【グエル公園、不思議の国のアリス】1900年から1914年、アントニ・ガウディと出資者のグエル伯爵によって造られた庭園式の分譲住宅地。しかし当時、2人が目指した芸術性の高い斬新なデザインは市民に理解されず、買い手が付かない、その後、公園として市に寄付された。園内は洞窟の建築、神殿のような大階段、色鮮やかなタイルで飾られたトカゲ、蛇のオブジェが出迎え、その先にはグリム童話のお菓子の家がある。まるで夢の世界に迷い込んだ不思議の国のアリス。
【カサ・バトリョ(1904-6)、カサ・ミラ(1906-10)】モンセラート修道院から、夕暮れのバルセロナに帰ってきた。夕暮れの町を歩くと、カサ・バトリョ、カサ・ミラに人が集まっている。カサ・ミラの屋上に登り、屋根を歩くと、夜の闇が降りてきた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【ガウディ、生涯と藝術】
【アントニ・ガウディ(1852-1926)、サグラダ・ファミリア】ガウディが二代目の建築家に就任した1883年から1926年に亡くなるまで40年以上、聖堂の設計と建設に心血を注ぐ。樹木のように枝分かれした柱によって「森」を表現した内部空間、身廊部、「降誕の正面」彫刻。建築造形、キリストの到来と幼・青少年時代を表現する「石のバイブル」として構想し、聖書の物語を表す浮彫と彫像で全面を装飾。
【ガウディの創造の源泉】ガウディの言葉「人間は創造しない。人間は発見し、その発見から出発する」「自然は私の師だ」
ガウディは、路面電車にはねられ73歳で死去。グエル公園、カサ・バトリョ、カサ・ミラ、サクラダ・ファミリア聖堂を残した。
ガウディの没後、スペインの内戦が勅発すると、聖堂の一部は破壊され、図面類は焼失、模型も粉砕されて建設は中断を余儀なくされたが、ガウディによる備蓄基金をもとに、修復工事と模型の復元が行われて工事は再開。
【サクラダ・ファミリア、ガウディ以後】
ガウディ計画を引き継ぐ、「降誕の正面」を飾る外尾悦郎と「受難の正面」を飾るJ.M.スビラクスの彫刻がある。
【ガウディ、世界遺産】1984年、ガウディの作品3件が「アントニ・ガウディの作品群」として、ユネスコの世界遺産に登録された。近代建築では初めてとなる快挙。2005年には、さらに4件が追加された。世界遺産に登録されたことで、ガウディの名声はより一層高まり、世界的な知名度を獲得した。
【ガウディ、断食】1894年の四旬節の時期、ガウディは体が弱り寝たきりになるほどの激しい断食を行う。もともと徹底した菜食主義者で粗食だが、仕事上の問題や過重労働による心身両面の疲労から、宗教心が高揚したためではないかと言われる。このときの断食は、バルセロナの新聞で報道された。
【ガウディ、幼少期】ガウディは1852年6月25日にスペイン中部のレウスという町で生まれました。幼い頃は肺感染症やリウマチ関節炎などに苦しめられ、病弱な幼少期を過ごした。「この子は大人になるまで生きられないかもしれない」と医者から言われるほどだったが、なんと彼は兄妹の誰よりも長い人生を送った。
【ガウディ、家業】ガウディの両親は、ともに銅板器具職を営む家系の出身、幼少時から家業の銅板細工に親しんでいた。装飾デザインのセンスや、建築家として空間をイメージする力が育まれていく。実際、彼は作業現場で自ら鉄を叩いて見事な鉄細工を作り上げたこともあった。
【ガウディ、学生時代】建築家になるために、ガウディは1868年にバルセロナに向かう。建築学校では「できの悪い学生だった」と回顧しているが、図書館で資料を読み漁り、有名建築家の下で実務に携わって実践的な技術を身につけていく。彼が建築家の資格を取得したのは、故郷を離れて10年後の1878年。
【ガウディ、パリ万国博覧会1878】ガウディは、バルセロナで有名な「クメーリャ革手袋店」がパリ万国博覧会(1878年)での展示用ショーケースのデザインを任される。メタルフレーム・総ガラス張りでデザインされたモダンなケースを気に入り、ガウディの才能を高く評価したのが、後に生涯のパトロンとなるアウゼビ・グエル。
【ガウディ、生涯のパトロン、グエル】フィンカ・グエルやグエル公園、ガウディは「グエル」と名のつく建築を数多く手掛けた、それらは彼の生涯のパトロンであったアウゼビ・グエルから依頼された仕事である。グエルの支援のもと、約40年にわたり、ガウディは自由で独創的なデザインセンスを存分に発揮した仕事ができた。
【ガウディ、恋】ガウディは生涯独身を貫いたが、仕事が軌道に乗っていた30代には、何人かの女性に恋する。お相手に婚約者がいたり、修道女になってしまったり、ガウディの恋はいずれも苦い結末を迎える。のちにガウディは「自分は結婚に向いていないタイプだった」と当時を振り返る。
【ガウディ、聖職者以上の知識を身につける】若い頃は迷いも多かったガウディだが、サグラダ・ファミリア聖堂の主任建築家に任命されたことが転機になる。キリスト教の専門書を愛読、優れた聖職者と交流を重ね、信仰心を深めていく。晩年のガウディは聖職者以上の知識を身につけ、典礼時などに神父を困らせる。
【ガウディ、交通事故】1926年6月7日、ガウディは仕事帰りに教会へ向かう途中で市電にはねられる。その粗末な身なりから、3台のタクシーに病院搬送を拒否された。3日 後、ガウディは病院で息を引き取る。葬儀では、ガウディを運ぶ馬車の後ろに多くの市民が行列をつくり、街路を埋め尽くした。
【サクラダ・ファミリア、6つの塔】2021年12月、聖堂の中央に位置する6つの塔のうち、頂点に星を頂くマリアの塔が完成、2022年12月、4つの福音書作家の塔のうち、ルカとマルコの塔が完成した。建設作業は現在も進み、残るマタイとヨハネの塔は2023年11月に、聖堂中央の最も高い塔となるイエスの塔は2026年までの完成を予定している。
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丹下 敏明「問題はガウディの手が実現したのが全体の10分の1。現在の全貌は果たして誰が作者なのかという事です。当然ですが、自分たちの仕事を正当化したいのは人情でしょうが、今のサグラダ・ファミリアがガウディのものと言えるか?厳しい所があると思います。」
梵 寿綱「内部の森林て的な構造はよく解析したと敬意を表しますが、ガウディ自身が生存中に完成し得ないと覚悟して残した「誕生の門」の元型にこそ、彼がキリストの生誕を象徴として込めた、もっと初源的な意味があることを読み取るべきでしょう。世俗にまみれたキリスト教由来の彫刻を多数取り付けたことで、ガウディの壮大な構想は卑近なものに引き下げられたように思えます。
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展示作品の一部
アントニ・ガウディ《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:女性の顔の塑像断片》 1898-1900年、サグラダ・ファミリア聖堂 コピーライトFundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família
アントニ・ガウディ《植物スケッチ(サボテン、スイレン、ヤシの木)》 1878年頃、
レウス市博物館
アントニ・ガウディ《クメーリャ革手袋店ショーケース、パリ万国博覧会のためのスケッチ》 1878年、名刺の裏、レウス市博物館
《サグラダ・ファミリア聖堂、全体模型》 2012-23年、制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室、サグラダ・ファミリア聖堂 コピーライトFundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família
《サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型》 2001-2002年、制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室、西武文理大学 photo:後藤真樹
アントニ・ガウディ《植物スケッチ(サボテン、スイレン、ヤシの木)》 1878年頃、
レウス市博物館
「降誕の正面」を飾る彫像も自ら手掛けるなど建築・彫刻・工芸を融合する総合芸術志向にも光を当て、100 点を超える図面、模型、写真、資料に最新の映像をまじえながらガウディ建築の豊かな世界を展示。
サグラダ・ファミリア聖堂受難の正面、鐘塔頂華 コピーライトFundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família
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参考文献
塔の中の王女たち 『アルハンブラ物語』
https://t.co/tLAjHOtwau
大久保正雄『地中海紀行』第10回 P35
トレド、時が歩みを止めた町
https://t.co/1HyT6px0yn
哀愁の大地スペイン 西方の真珠コルドバ
http://odyssey2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-45d0.html
大久保正雄「地中海紀行」第5回 P16
アンダルシアの光と影 コルドバ 列柱の森メスキータ
https://t.co/DZe7sDXFiy
「ガウディとサグラダ・ファミリア」図録、2023
ガウディとサグラダ・ファミリア展・・・ガウディ「降誕の正面」、森を表現した内部空間、石のバイブル
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-f98c8f.html
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東京国立近代美術館
https://www.momat.go.jp/exhibitions/552
https://gaudi2023-24.jp/highlights/
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ガウディとサグラダ・ファミリア展
東京国立近代美術館、6月13日から9月10日

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2023年6月18日 (日)

中野晃一講演会「強者の支配か自由な共存か」【質疑応答】問題篇、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク

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Nakano-kouichi-00-0528-2023
Nakano-kouichi-04-0528
【アテネ民主政は50年、ルネサンスのフィレンツェ共和政は60年、自由な国家は永遠ではない。滅びる】日本は、独裁政権を支持する衆愚政の民衆。自民党をどうすれば国家を再建できるか。特権階級、マスコミ、裁判所、司法は権力の奴隷である。ファシズム自民党の独裁政権が70年続いている。どうすればファシズム国家と戦うことができるか。大久保正雄

ソフィア文化芸術ネットワーク第10回講演会、上智大学1号館402教室、2023年5月28日
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【質疑応答】質問篇
大久保正雄
1、世界人口の71%が「独裁に分類される国に住む」。民主制が減少している。独裁国家、富裕層が支配する国。制度は民主政であるが、実態は独裁国家、寡頭制国家。
自由民主主義に分類される国でも、本当に、自由な国なのか。例えば、フランス、米国、日本。軍産複合体に支配される国は、国家主義、軍国主義に支配されている。
――
★参考文献 スウェーデンの独立研究機関「V-Dem研究所」のアンナ・ラーマン(Anna Lührmann)上級研究員らのグループは2018年3月19日発表の研究で、政治体制を大きく【閉鎖型独裁】【選挙による独裁】【選挙による民主主義】【自由民主主義】――の四つの類型に分けた。
英オックスフォード大の研究チームが運営する国際統計サイト「Our World in Data」はデータ入手の可能な199カ国・地域を上記の四つに分類した。
 人口で見ても、民主主義を享受する割合は2017年の50%を頂点に下落し、2021年では世界人口(78.6億人)のうち、23億人(29%)に下がっている。世界人口の71%に相当する55.6億人が、本当の意味での「投票権」の保障を十分に受けていないということになる。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishiokashoji/20220308-00285498

2、代議制民主主義は、真の「民主主義といえるのか。
現在の形での代議制民主主義は、古代のアテネで実現されていた本来での意味での民主主義から派生したものとして扱われる。しかし実際のところ、この二つの民主政治の間に共通点はほとんどない。アテネでの民主主義は参加型の民主政治で、文字通り「民衆による政治」だった。
 しかしこのような形の民衆支配は、古代から現代に至るまでずっとエリート達が是が非でも避けようとしてきた。
 米国では民衆が立法に口出しするのを極端に嫌い、立法権を立法府、行政府、司法府に分割しようとした。建国の一人ハミルトンが1777年に「代議制民主主義」と名付けたのである。
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民主主義を防ぐ手段としての「代議制民主主義」、代議制民主主義という名称は民主政治という名称を含みながらもエリート支配と財産秩序を守る魔法の呪文。国民の参加を選挙 だけに制限する行為は、啓蒙時代にかちとった民主政治の根本的な考えと矛盾する。
今日、投票で代議員を選ぶ制度は、どれだけ有権者の意思を反映する制度になっているであろうか。
 例えば米国大統領選では、共和党、民主党の予備選を経て、本選の時には実質二名の選択であり、多額の選挙資金を要することから各々、高額所得者の層を代表する候補となっている。
★参考文献 ライナー・マウスフェルト『羊たちの沈黙はなぜ続くのか?』は、代議制民主主義は、真の「民主主義といえるかと問う、『羊たちの沈黙はなぜ続くのか?』ライナー・マウスフェルト(一九四九年生まれ。ドイツ、キール大学名誉教授。

3,日本に民主主義が育たない理由は何か。
日本の民主主義が育たない五つの理由。
第一:民衆自身に民主主義を追求する気魄が欠けている
第二:日本の支配者である米国が民主主義を尊重していない
第三:明治以降、官僚機構が、自分たちが支配者であると思い続けている
第四:メディアが権力と癒着している
第五:警察・検察・裁判所が人権機関ではなく権力機関に堕している
★参考文献 「植草一秀の『知られざる真実』」2014/05/01
暗黒の国家日本に暮らすということ 第852号
http://foomii.com/00050/2014050113300020895

4、現在、20世紀の状況と酷似している。ファシズム、世界大戦の予兆がある。ファシズムに抵抗するには、どうすればよいのか。【20世紀】第1次大戦(1914年7月~1918年11月)、1918年スペイン風邪感染爆発(1918年(大正7年)~1920年)実際にはアメリカから、1925年アールデコ博覧会、1929年NY株式市場暴落、世界大恐慌。1933年ナチスドイツ独裁政権。1939年第2次大戦勃発。米国資本ジェネラル・エレクトリック社(General Electric)、ヒトラーに資金提供
ナチスを育てた米国の資本家 / 隠された西歐史 - 無敵の太陽
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68866346.html
2021/07/31 ヒトラーに資金を流した黒幕(左 : ドイツ兵を前にするヒトラー 右 : ウォール街の大物 J.P.モルガン) 西歐世界における歴史教育は非常に厄介だ。
「集団心理、群衆20人以上で、暴徒化する。」

5、日本の凋落、日本の劣化、政治の劣化、同時に起こっている。【国民1人当たりGDP、2000年2位から2017年33位 IMF】【報道の自由度71位、最低賃金OECD最低レベル、ジェンダーギャップ120位、2022】【教育への公的支出、日本は38か国中37位…OECD調査2020】【世界時価総額ランキング50 1989年、35社から2023年、0社】【公務員による公文書改竄、偽造】【人文科学の凋落】【大学教員の凋落、授業準備する時間がない、些末な雑事業務多忙、中途辞任する京大医学部教授、教授会入学式欠席した中島義道早期退職】【世界競争力、2023最下位35】原因は、軍国主義、軍産複合体。80年間の独裁政権の腐敗。統一教会が日本経済 没落を計画、その通りに進行中。
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参考文献
教育への公的支出、日本は38か国中37位…OECD調査(経済協力開発機構)。OECDの報告書「図表でみる教育2020年版」(Education at a Glance 2020)
https://resemom.jp/article/2020/09/09/58029.html
2023年世界時価総額ランキング。世界経済における日本の存在感はどう変わった?
日本の「失われた30年」が始まったのは1990年代初頭のことだ。グローバル市場を席巻していた日本企業はバブル崩壊を皮切りに勢いを失っていき、その後、急成長する海外のIT企業などに世界上位の座を奪われた。
平成元年(1989年)の世界時価総額ランキングをみると、トップ50のうち32社を日本企業が占めている。翻って2023年は、日本企業の名前はない。最も順位が高かったのはトヨタ自動車の52位で、まさに隔世の感がある。日本企業が隆盛を誇っていた時代と、現代の世界的大企業たちの姿を見比べていく。2023.03.03
https://startup-db.com/magazine/category/research/marketcap-global-2023

6、選挙によって政権交代すれば、全体主義を止める。というが、官僚組織、マスコミは自民党に従う。経団連も、自民党に従う。1993年の細川政権、2009年の鳩山政権は、瓦解した。原因は何か。政権交代で日本は変えられるのか。
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第331回
中野晃一講演会『強者の支配か自由な共存か』【質疑応答】問題篇、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-75634b.html
参考文献
戦争は作られる。孫崎享『国際政治、覇権争い、ウクライナ戦争』【質疑応答】孫崎享×大久保正雄、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク
https://bit.ly/3GOXmJm
中野晃一講演会『強者の支配か自由な共存か』5月28日、上智大学、402教室
https://bit.ly/43qH56n

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2023年6月11日 (日)

「小林古径と速水御舟 ─画壇を揺るがした二人の天才─」・・・生涯の友

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第330回
小林古径と速水御舟は、11歳の年齢の差があるが互いに切磋琢磨する仲間であり、生涯の友である。
【変貌する速水御舟】速水御舟(1883-1923)は、歴史画から出発、中国・宋代(11~13 世紀)の院体花鳥画、「折枝画」の様式、細密画、写実・象徴性・装飾性を融合、琳派の構図と装飾性へ到達する。
1883年(明治16年)生まれの小林古径と1894年(明治27年)生まれの速水御舟は、11歳の年齢の差があるが互いに切磋琢磨する仲間であり、生涯の友である。
小林古径 《速水御舟(デスマスク)》 1935(昭和 10)年
速水御舟は画業に邁進するため、たびたび自宅を離れて制作活動を行っていた。没年の昭和 10 年、伊豆にしばらく隠棲して制作に没頭しようという計画を立てていたが、3 月 20 日、腸チフスという突然の病でこの世を去る。本作はその臨終に駆け付けた古径が描いたデスマスクで、元となったスケッチには「昭和十年三月二十日 前七時十五分」と記されている。古径はその死を悼み、追悼の言葉を数多く残した。
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社畜の滅亡【人を滅ぼす方法はその人を忙しくする事】人を滅ぼすには朝から夕方まで彼を忙しくさせること。暇になると人は考える。どこに問題があるか。【奴隷の喜び】忙しいと満足感が生まれ、全ては正当化される。考える力がなくなる。考える時間が永遠になくなる。社畜の快楽は思考停止。
【優雅な生活は最高の復讐である】【指揮官、経営者の仕事は考えること。君子豹変】【考えることを止めた蛇は滅びる】【学問はスコレーから生まれる】真の学問は豊饒な時間(スコレー)からから生まれる。考えることを止めた蛇は脱皮できない。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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山下裕二先生の解説
第 1 章 歴史人物画からの出発、写実・古典への挑戦
小林古径は 1899(明治 32)年、16 歳のときに上京して梶田半古の画塾に入門、速水御舟は 1908(同 41)年、14 歳で松本楓湖の安雅堂画塾に入門しました。半古、楓湖共に歴史人物画を得意とした画家であり、古径と御舟も、師と同様に歴史人物画から画業をスタートさせました。二人は 1911(同 44)年、若手画家の研究会・紅児会で知り合います。
二人の親しい交流は、御舟が 1935(昭和 10)年に 40 歳で早逝するまで続きました。
1914(大正 3)年に日本美術院が再興されると、二人は院展で活躍しました。古径は第 1 回展で、御舟は第 4 回展で共に同人に推挙されています。大正時代半ば以降、御舟は、洋画家・岸田劉生や、中国・宋代の院体花鳥画(11~13世紀)から影響を受け、細密描写による徹底した写実へと作風を変化させました。古径もそれに感化され、一時期、細密描写による写実表現を手がけ、油彩による《静物》(No.13)も残しています。
また、二人は実業家・原三溪の援を受け、一緒に三溪の研究会や茶会に参加していました。
御舟は、それまでの徹底した写実に、象徴性、装飾性を融合させ、代表作《炎舞》(No.18 第 2 展示室)を完成させました。そして、昭和初期には《翠苔緑芝》(No.21)のように、琳派の構図と装飾性を意識した作品へと、挑戦を続けます。古径も《秌采》(No.34)や《唐蜀黍》(No.52 東京国立近代美術館 後期展示)など、琳派を意識した作品を制作しました。
(No. 13) 小林古径 《静物》 1922(大正 11)年 山種美術館
大正時代半ば頃、古径も御舟や他の日本画家たちと同様に、洋画家・岸田劉生や中国・宋代(11~13 世紀)の院体花鳥画に触発され、細密描写により対象の質感を徹底的に追求した静物画、花鳥画を制作している。日本画の画材にこだわった御舟と異なり、本作品が油絵具で描かれていることは注目に値する。北宋時代の徽宗皇帝の書体である「痩金体」風の落款も用いられている。
(No. 14) 速水御舟 《桃花》 1923(大正 12)年 山種美術館
御舟の長女・彌生の初節句のために描かれた作品。中国・宋代(11~13 世紀)の院体花鳥画を意識し、枝の一部をクローズアップして小画面に描く「折枝画」の様式に倣って描かれている。御舟は折枝画特有の構図に油彩画的な質感表現を加え、さらに院体花鳥画にはみられない金地の無背景に枝先のみを描き、小品ながらきわめて結晶度の高い作品に仕上げている。落款は、徽宗皇帝の書体である「痩金体」を意識している。
(No. 18) 速水御舟 《炎舞》【重要文化財】 1925(大正 14)年 山種美術館
大正 14 年の夏、軽井沢に滞在した御舟は、毎晩のように焚き火をし、炎と群がる蛾を観察した。蛾を正面向きに描きながらも、翅の周囲を暈すことで動きを感じさせる。炎は平安から鎌倉時代の仏画や絵巻の表現を踏襲するが、先端の渦を巻くような描写には画家の観察が活かされている。「もう一度描けといわれても、二度とは出せない色」と自ら語った背景の深い闇は、試行錯誤の末に到達した絶妙な色合いである。この作品は御舟にとって、古典の様式美と現実への観察眼を高い次元で融合させるという、大正期の先鋭的な問題意識を総括するものだった。15 年、初の個展に出品された本作品を実見した同時代の洋画家・岸田劉生は、御舟の「近業の中にても意義ある作品」であり、「その技術は実に見事なものであった」と記している。
(No. 21) 速水御舟 《翠苔緑芝》 1928(昭和 3)年 山種美術館
琳派の作品にみられる構図を意識的に取り入れた金地屛風。大胆な色面による構成を意図し、モティーフは平面的な形態に単純化され、装飾的効果を強調する。紫陽花の花のひび割れ、芝生や苔は人工顔料の花緑青の上に緑青を重ねて発色を良くした点など、随所に御舟の独創的な技法が活かされている。「もし、無名の作家が残ったとして、この絵だけは面白い絵だと後世いってくれるだろう」と自ら語った自信作。
第 2 章 渡欧体験を経て
1922(大正 11)年、古径は 39 歳のときに日本美術院の留学生として前田青邨とともに渡欧します。一方、御舟は1930(昭和 5)年、36 歳のときにローマで開催された日本美術展覧会に《名樹散椿》を出品し、その際、美術使節として横山大観らとともに渡欧します。
御舟は、ヨーロッパやエジプト滞在時の印象をもとに制作した《オリンピアス神殿遺址》(No.37)や《埃及土人ノ灌漑》(No.38)を、帰国の翌年、「速水御舟氏遊欧小作品展覧会」で発表しました。西洋の人物画の鑑賞体験を経て、それまでほとんど制作することのなかった人物画に挑戦します。一方で、《牡丹花(墨牡丹)》(No.43)や《秋茄子》(No.44)のように、水墨を基調とした花鳥画へ新境地を拓きました。
(No. 59) 小林古径 《猫》 1946(昭和 21)年 山種美術館
真正面を見据えた猫の姿には、愛らしさより仏画のような荘厳さ、気高さが漂う。本作品のためとみられるスケッチが複数残されており、構図の決定までに古径が試行錯誤を重ねたことが分かる。また、大正後期の滞欧時の写生には、エジプトのバステト神と思われる猫の図像も含まれ、ぴんと立った耳、四肢をそろえて鎮座する姿などが、本作品の猫とも共通する。
プレスリリースより
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参考文献
速水御舟『炎舞』『粧蛾舞戯』『名樹散椿』、山種美術館・・・舞う生命と炎と闇
「小林古径と速水御舟 ─画壇を揺るがした二人の天才─」・・・生涯の友
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-faf95f.html
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展示作品の一部
重要文化財 速水御舟 《炎舞》 1925年(大正14年) 絹本・彩色 山種美術館
速水御舟《翠苔緑芝》
小林古径 《極楽井》 1912年(大正元年) 絹本・彩色 東京国立近代美術館[前期展示(5月20日(土)〜6月18日(日))]
速水御舟 《牡丹花(墨牡丹)》 1934年(昭和9年) 紙本・墨画彩色 山種美術館
小林古径 《清姫》「鐘巻」 1930年(昭和5年) 紙本・彩色 山種美術館、《清姫》は、会期を通して全8面を5年ぶりに一挙公開。
小林古径 《猫》 1946(昭和 21)年 山種美術館
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「小林古径 生誕140年記念 小林古径と速水御舟 ─画壇を揺るがした二人の天才─」、山種美術館、2023年5月20日(土)から7月17日(月・祝)まで

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2023年6月 2日 (金)

「恐竜博2023」、装盾類、鎧竜ズール、ティラノサウルス・タイソン


Dino-2023
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第329回
食物連鎖の頂点、ティラノサウルスは、なぜ絶滅したのか。ティラノサウルスは、6600年前、隕石衝突で絶滅。鳥類は森林減少で絶滅。
最初期の恐竜は全長1メートルの肉食恐竜、植物を主食とする植物食恐竜が現れ、防御のためにトゲとプレートを進化させた装盾類が出現、恐竜たちの「攻守」の進化の歴史。
恐竜は、白亜紀後期、なぜ出現したのか。恐竜は、なぜ絶滅したのか。
食物連鎖の頂点、ティラノサウルスに噛み痕、体の小さいティラノサウルスが噛みついた。
【鎧竜ズール、肉食恐竜のゴルゴサウルスと戦う】ズール・クルリヴァスタトルは後期白亜紀(約7600万年前)に生息した全長約6メートルのアンキロサウルス類の鎧竜。鎧竜ズールが肉食恐竜のゴルゴサウルスと戦う復元。ズールが尾の棍棒を使ってゴルゴサウルスの脛を打ちつける攻防戦が再現。全身骨格標本。
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展示標本の一部
装盾類、鎧竜ズール・クルリヴァスタトル、鳥盤類、鎧竜類、アンキロサウルス類、白亜紀後期、アメリカ・モンタナ州、トゲトゲのウロコと先端に棍棒を持つ強力な尾で肉食恐竜から身を守った鎧竜「ズール」の全身実物化石、カナダ・ロイヤルオンタリオ博物館から初来日。クルリは脛、ヴァスタトルは破壊者を意味し、肉食恐竜の脛を破壊する強力な尾を持っている。
ティラノサウルス・タイソン、竜盤類、獣脚類、テタヌラ類、ティラノサウルス科、白亜紀後期、アメリカ・モンタナ州、ティラノサウルス「タイソン」は59%の177個の骨が見つかっている全身組立骨格、小さい前脚(上腕骨)の化石が見つかるのは貴重、さらに前脚には後ろから噛みつかれた痕もある
ズールとゴルゴサウルスの対決、カナダ・ロイヤルオンタリオ博物館
ゴルゴサウルス・リプラトゥウス、竜盤類、獣脚類、テタヌラ類、ティラノサウルス類、白亜紀後期、カナダ・アルバータ州
メガラプトル類マイプ・マクロソラックス、東京国立科学博物館蔵
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参考文献
「恐竜博2023」、装盾類、鎧竜ズール、ティラノサウルス・タイソン
http://bit.ly/3N1fQYT
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「恐竜博2023」、国立科学博物館、3月14日(火)~6月18日(日)

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