« 2023年7月 | トップページ | 2023年9月 »

2023年8月

2023年8月26日 (土)

仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教

Budda-22023
Buddha-of-gandhara-45-c-1-2023
Buddha-salnat-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第340回

【仏教2500年の旅】仏陀入滅80歳(BC485年383年)、アレクサンドロス大王バクトリア征服(BC328)、ガンダーラ美術(1世紀-3世紀)、マトゥラー『仏陀立像』クシャーン朝・2~3世紀)、ヴァスバンドゥ(世親320-400年) 『唯識三十頌』『仏性論』『倶舎論』、アジャンタ石窟寺院(グプタ朝時代5世紀)、鳩摩羅什(4世紀)、サールナート『初転法輪の仏陀』(グプタ朝時代5世紀)、魏晋南北朝(司馬炎-589年まで)
【原始仏教】ゴータマ・ブッダ、釈迦族に生まれる。前463頃、カピラバストゥ、ルンビニに生まれ、前383頃、クシナガラにて死す。仏教の開祖。釈迦牟尼Śākya muni。シャカ族の国王浄飯王を父とし、摩耶夫人を母とし、姓をゴータマ Gotama (瞿曇) 、名をシッダールタ Siddhārtha (悉達,悉陀) という。生後まもなく母を失い、叔母の手で養育された。 16歳で結婚,息子ラーフラをもうけたが、
【四門遊観】迦毘羅城の東西南北の四つの門から郊外に出遊、東門を出て杖に縋る老人を見、生あれば老あるを悟り、西門を出て病人に会い、生あれば病あるを知り、南門を出て死人に会い、生あれば死あるを知り、北門を出て高徳の沙門に会い、苦諦に目を開き、出家を決意した『大辞泉』。
29歳のとき意を決して出家。修行の末、35歳頃ブッダガヤーの菩提樹の下で悟りを開き、ブッダ buddha (仏陀 ) 、すなわち覚者となった。ワーラーナシの郊外サールナートの鹿野苑で最初の説法【初転法輪】を行い、以後 80歳で没するまで,ガンジス川流域の中インド各地を周遊して人々を教化した。四諦、八正道。五蘊皆空、十二因縁、六入、涅槃。
【四苦八苦】生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦。仏教は四苦八苦から生きものを救うことから始まる。業を起因する輪廻転生を真理の証悟によって解脱する教え。五蘊は認識作用の対象。
【五蘊皆空】「五蘊」は人間を形成する五つの要素。色(肉体)、受(感覚)、想(想像)、行(意志)、識(判断)の対象は、実体ではない。『般若心経』
【五蘊】五陰ともいう。「蘊」は集まりの意味で、サンスクリット語のスカンダskandhaの訳。仏教では、一切の存在を五つのものの集まりと解釈し、その五つも、やはりそれぞれ集まりからなる、とする。五つとは、色(しき)蘊(対象を構成している感覚的・物質的なものの総称)、以下は主体の意識において、受蘊(なんらかの印象を受け入れること)、想蘊(イメージをつくる表象作用)、行蘊(ぎょううん)(能動性をいい、潜在的にあり働く)、識蘊(具体的に対象をそれぞれ区別して認識する働き)をいう。このように、一切を、色―客観的なもの、受・想・行・識―主観的なものに分類する考え方は、仏教の最初期から一貫する優れた伝統とされる。[三枝充悳]
【龍樹、中観派、空(śūnya)】龍樹はあらゆる存在(一切法)は、縁起によって成立しており「独立した不変の実体」(=自性)はもたない(無自性空)とする見方に立つ。すべてのダルマは存在するとする説一切有部と普遍の存在を主張するヴァイシェーシカ派を批判。龍樹、150‐250 年頃。

【仏教の矛盾】無我(anātman)説と輪廻転生(saṃsāra)は、根本的に矛盾する。この矛盾をどのように解決するのか。この問題は、婆羅門教のアートマンと仏教の無我説の対立に根源がある。仏教2千5百年、多彩な仏教の学派には、この問題を解く学派がある。
【ガンダーラの思想家】瑜伽行唯識Yogācāra学派。無著(Asaṅga)は、4世紀後半から5世紀前半に活躍した乾陀羅の仏教学者。瑜伽唯識思想の大成者。ガンダーラのプルシャプラのバラモンの家柄に生まれ、部派仏教の一派(説一切有部とも化地部)で出家。代表作『摂大乗論』。兄弟3人のうちの長男。次男には説一切有部から唯識派に転向して大成した世親(Vasubandhu、400-480)。『倶舎論』のほかに『弁中辺論』『唯識三十頌』『摂大乗論釈』などがある。7世紀ころより有相唯識派と無相唯識派に分かれる。
――
【仏教史、論争の歴史】説一切有部(Sarvāstivāda)は「存在するもの(asti)すべて(sarva)の理論(vāda)」との意味であり、我(人我、アートマン)は空だが、一切のダルマが過去・現在・未来の三世にわたって実在する、膨大なアビダルマ哲学を完成させた『六足論』『発智論』『大毘婆沙論』、成立は紀元前2世紀前半、大衆部や経量部と対立。龍樹(Nāgārjuna)150-250 年頃中観派の祖、その主著は『中論』。龍樹は、般若経典の般若波羅蜜の解釈を主眼として、空の思想を理論化した。ナーガールジュナは、世界を構成する要素(ダルマ)を実在とする説一切有部や認識される根拠として「普遍」が実在するとするヴァイシェーシカなどの実在論をとる諸学派を鋭く批判。【中観派と唯識派の対立】無著(4ⅽ-5ⅽ)世親(400-480)は瑜伽行唯名論学派と呼ばれ7世紀ころより有相唯識派と無相唯識派に分かれる、龍樹(2ⅽ-3ⅽ)、提婆の中観派とともにインド大乗仏教の二大主流となって、6-7世紀頃から中観派との間に論争し鋭く対立した。阿頼耶識が自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出している(唯識無境)、阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)。『瑜伽師地論』、世親『唯識二十論』『唯識三十頌』『仏性論』『倶舎論』護法、(6世紀)『成唯識論』。
――
【仏身論、三身論】trikāya。法身(永遠不滅の真理で釈迦の本身)、報身(単に永遠の真理でも無常の人格でもなく、真理を悟った力をもつ人格的仏)、応身(衆生救済のため,真理により現世に姿を現した仏)。
瑜伽行唯識学派で完成された三身説では、三身を順次に自性身、受用身、変化身という名でよぶ。長尾雅人「仏身論をめぐりて」1971、
https://repository.kulib.kyoto-.ac.jp/dspace/bitstream/2433/273454/1/jps_45_03_179.pdf
【仏身論、三身説】仏身に関する思索が深まり、瑜伽行派の弥勒、無著、世親らの論師たちによって最終的に3種の仏身をたてる〈三身説〉が成立した。三身とは(1)法身(ダルマ・カーヤdharma‐kāya)、(2)報身(サンボーガ・カーヤsambhoga‐kāya)、(3)応身(化身、ニルマーナ・カーヤnirmāṇa‐kaya)の3種、あるいは(1)自性身(スババーバ・カーヤsvabhāva‐kāya)、(2)受用身(サンボーガ・カーヤsambhoga‐kāya)、(3)変化身(ニルマーナ・カーヤnirmāṇa‐kāya)の3種をいう。これら三つは論師あるいは宗派によって異なる。
――
蓑輪 顕量「中世における仏身論の展開」仏教文化研究論集2020
密教が成立すると,独自の視点から更に新しい捉え方が登場した.それが四種法身説である。四種法身説とは自性身,受用身,変化身,等流身を言う。
――
「無著、世親」運慶の晩年に制作された興福寺北円堂諸像の中の二体。運慶の指導の下、無著は六男の運助、世親は五男の運賀が担当した。無著像は老人の顔で右下を見、世親像は壮年の顔で左を向き遠くを見る。天平彫刻の写実、弘仁彫刻の繊細が融合。運慶『無着像』は西行がモデル。田中英道。
【中観派】2、3世紀、龍樹(Nāgārjuna)『中論』などを基本的な典籍とする。龍樹は般若経典を背景として、「すべては、人間が想定しがちな不変で固定的な本質をもつものではない」という空の思想を、論理性の高い表現によって、日常的なことばや思考のもつ矛盾を暴露することを通じて明らかにした。その後、提婆(3世紀)は龍樹の考えを体系化しようと努力、5、6世紀には仏護が『中論』の忠実な注釈を試み、清弁は空の思想を論理学的な推論式で積極的に論証する方法を確立、7世紀には月称が清弁を批判して、相手の論法に沿った形でその論法の不合理性を明らかにする帰謬論証のほうがより有効であるとした。後代、中観派が清弁側の独立論証派と月称側の帰謬論証派に分裂する。[江島惠教]
【唯識論と中観派の対立】弥勒、無着、世親の仏教は瑜伽行派と呼ばれ、龍樹、提婆の中観派とともにインド大乗仏教の二大主流となって、鋭く対立した。中国や日本に広く流伝した。
【三蔵法師、玄奘、太宗皇帝】玄奘は、仏典の研究には原典に拠るべきであると考え、仏跡の巡礼を志し、貞観3年(629年)、唐帝国に出国許可を求めたが得られず国禁を犯して密出国。西域の商人らに混じって天山南路の途中から峠を越えて天山北路へとルートを辿って
【三蔵法師、玄奘、太宗皇帝】密出国から16年を経た貞観19年1月(645年)、657部の経典を長安に持ち帰った。皇帝太宗も玄奘の業績を高く評価した、16年前の密出国の件について玄奘が罪を問われなかった。太宗のために『大唐西域記』を執筆。仏教と経典の保護を高宗
【玄奘、三蔵法師】26歳の時、法律を破って一人、インドへ旅立つ。40歳まで学問を深め、中国に仏教を伝えたいと帰ることを決意。インドのサンスクリット語で書かれた経典を22頭の馬に積んで旅する。43歳のとき帰国。経の翻訳に人生を捧げる。『解深密経』『大般若経』『般若心経』『倶舎論』『唯識三十頌』『唯識二十論』『瑜伽師地論』。弟子の窺基(きき)が法相宗を開いたので、玄奘は後に唯識に基づく法相宗の開祖といわれる。602年~664年。
【螺鈿紫檀五絃琵琶、正倉院756年】沙漠を超えて、千二百年前からきた旅人。駱駝に乗って琵琶を演奏する波斯人。裏面に散り乱れる宝相華文。琵琶を奏でる、千二百年の旅人。天平の音色が漂う。56歳で亡くなった聖武、五絃琵琶を光明皇后が東大寺盧遮那仏に献じた。
【密教】8世紀、密教が伝来する。善無畏と一行訳『大毘盧遮那成仏神変加持経』(725)。【不空金剛】(Amoghavajra,705-774)は、唐の開元8 (720) 年洛陽に来て金剛智の弟子となり、師の没後,同 29年セイロンに渡り,密教経典を集め、天宝5 (746) 年再び長安に入った。以後 30年間、玄宗、粛宗、代宗の3皇帝の優遇を受け、『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経』以下 80部以上の密教経典を訳した。
――
飛鳥、白鳳彫刻、天平、弘仁貞観
【飛鳥文化、推古天皇】法隆寺金堂の釈迦三尊像が光背裏の銘文から,推古 31 (623) 年3月,その前年に亡くなった聖徳太子のために止利仏師 (鞍作止利) が造立した。六朝時代末、北魏様式の影響を受ける。『日本書紀』の天智天皇9 (670) 年4月の条の法隆寺炎上の記事をめぐって再建非再建の論争。白鳳期の美術であり、推古期の建築は現存しない。
――
【密教の起源】750年8世紀初めから半ば、唐に善無畏、金剛智が順次に来唐し、善無畏が『大日経』を、金剛智が『金剛頂経』を翻訳して中国に組織的な密教経典が備わる。不空はセイロン(スリランカ)に渡って密教を学び、帰国して80余部の密教経典をはじめ数多くの経典を訳して密教を大成、唐の玄宗、粛宗、代宗の厚い信任を受けた。不空の弟子のうち恵果は真言密教の秘奥を究め、晩年、日本から入唐した空海にその奥義を伝えた。[勝又俊教]【密教】秘密仏教。インド大乗仏教の末期(7世紀後半)に興起した一流派。
【空海、波瀾の遣唐船漂流、謎の生涯】24歳で『聾瞽指帰』を書く。57歳で『秘蔵宝鑰』を書く。大学入学18歳から31歳、遣唐使留学僧、入唐まで、大学寮明経科中退、山林修行、私度僧。東大寺にて得度、遣唐使留学層派遣、謎の12年間。宝亀5年(774)6月15日生まれる。承和2年(835) 4月22日入定、62才。
【空海の書】空海は日本書道界の祖、嵯峨天皇とともに二聖と呼ばれ、また橘逸勢を加えて三筆とも呼ばれる。世に空海筆と称されるものは数多いが、確実に彼の筆と認められるのは《風信帖》《灌頂歴名》《真言七祖像賛》《聾瞽指帰》《金剛般若経開題》《大日経開題》《三十帖策子》
――
智慧と慈悲
【智慧】梵語: prajñāの訳語である場合。この場合の智慧は、 prajñā の音写語である般若と同等の意味合いで用いられる。六波羅蜜および三学の一つ。智がジュニャーナ(梵語: jñāna)の訳語として用いられ、慧が梵語: prajñāの訳語として用いられる場合。この場合は、智が慧と区別されて用いられる。
【慈悲】「慈」はサンスクリット語のmaitrī(友情)にあたり、深い慈しみの心をさし、「悲」はkarunā(同情)にあたり、深い憐(あわれ)みの心をさす。仏典では、生きとし生ける者に幸福を与える(与楽)のが慈であり、不幸を抜き去る(抜苦)のが悲である。藤田宏達、「慈悲」 『日本大百科全書』
――
七支刀
学生時代、友人と3人で、早春、山の辺の道、大神神社、石上神宮、を歩いた。石上神宮にて、七支刀について質問した。回答が得られたのは数十年後、東京国立博物館、研究員に質問したところ、回答を得た。
出雲と大和展、七支刀
https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/category/108/
――
参考文献
無我説と輪廻転生、仏教の根本的矛盾・・・識體の転変、種子薫習。名言種子、我執種子、有支種子
https://bit.ly/2U9rO6s
法隆寺と聖徳太子・・・美術史の謎、飛鳥、白鳳、天平
https://bit.ly/2XE6s7q
「密教彫刻の世界」・・・愛染明王、金剛薩埵の化身
https://bit.ly/2WNIoNt
「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」東京国立博物館・・・空海、理念と象徴
https://bit.ly/3fyOaYF
金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、転識得智、仏陀への旅
https://t.co/MIXigqe3xH
東寺『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』西院本・・・知恵と無明の戦い、生命の根源
https://bit.ly/315UPn8
密教経典『理趣経』・・・空海と金剛界曼荼羅
https://bit.ly/2H2diKc
東寺『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』西院本・・・知恵と無明の戦い、生命の根源
https://bit.ly/315UPn8
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html

| | コメント (0)

2023年8月20日 (日)

日本画に挑んだ精鋭たち ―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ―

Yamatoe-0729-1-2023
Yamatoe-0729-kawahata-ryushi-2023
Yamatoe-uemura-0729i-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第339回

師、岡倉天心が辞職し、弟子たちは殉教する【東京美術学校事件】明治31年1898年、岡倉天心の東京美術学校辞職で学校に反旗を翻す、急進派として懲戒免職。横山大観ら14人は辞職する。1898年、岡倉天心は日本美術院を設立。岡倉天心のもとで、横山大観(1868~1958)、菱田春草、下村観山らとともに日本画の革新を目指し、東洋の精神に西洋画の手法を取り込み、新しい表現様式を追求した。輪郭線を使わず、色彩の面的な広がりにより空気を描く技法を用いて、「朦朧体」と誹謗中傷された。【朦朧派】大観、春草、らは、朦朧体を用い、朦朧派と呼ばれ、貧苦に喘ぐ。【流燈1909】横山大観は『流燈』1909で女性像を描き、新境地を拓くまで苦労した。『流燈』は、明治36年(1903)1月~7月に菱田春草とともに派遣されたインド旅行の体験を踏まえ、日本美術院の五浦研究所において完成した。
【院展】創設されたばかりの日本美術院(院展)で、横山大観や菱田春草たちは、輪郭線を使わない技法「朦朧体」で空気を表現することに努める、実験的な試みを行い、日本画に新たな局面を切り開いた。
政府主導の官展や画壇の中心にいた院展に対抗する画家が、青龍社(東京)、国画創作協会(京都)など美術団体を立ち上げ、画壇に大きな旋風を巻起こした。
【国画創作協会】土田麦僊、村上華岳、甲斐荘楠音。村上華岳、甲斐荘楠音は、アジャンタ石窟、レオナルド『モナリザ』『岩窟の聖母子』から学んだ妖艶な女性像を生み出した。
【青龍社】川端龍子(1886-1966)は、修行のためにアメリカに渡り、帰国後日本画に転向、独学で日本画を学んだ龍子は院展の同人になる。独創的な発想と斬新な色使いで構成された巨大な作品を好んだ。院展を脱退。自らが主催する青龍社を立ち上げ、以後亡くなるまで青龍展で作品を発表し続けた。「昭和の狩野永徳」と呼ばれた。青龍社の第一回展《鳴門》1929は、希少な岩絵具の群青を多用、大胆な構図を構想した。川端龍子は「健剛なる芸術」の創造を唱え、大衆に訴える作品を描き続けた、従来の「床の間芸術」に対抗し、広い展示場での展示に耐える、「会場芸術」を追及した。
【千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず】一日に千里も走ることのできる名馬は常に存在するが、それを見いだす伯楽は常に存在しない。世の中に有能な人はたくさんいるが、その才能を見いだせる人物は少ない。いつの時代でも有能な人材はいるが、才能を見抜く名人はいない。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
横山大観「波上群鶴」明治30年代、個人蔵
菱田春草《雨後》1907(明治40)年頃 絹本・彩色 山種美術館
土田麦僊《大原女》1915(大正4)年 紗本金地・彩色 山種美術館
川端龍子《鳴門》1929(昭和4)年 絹本・彩色 山種美術館
上村松園《牡丹雪》1944(昭和19)年 絹本・彩色 山種美術館
速水御舟《白芙蓉》1934(昭和9)年 紙本・墨画彩色 山種美術館
――
参考文献
没後80年記念「竹内栖鳳」・・・竹内栖鳳「班猫」村上華岳「裸婦図」
https://bit.ly/3TkPJ0z
甲斐荘楠音の全貌・・・退廃の美薫る、謎多き画家、東映京都の時代考証家、趣味人、レオナルドの面影
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-6cb36a.html
速水御舟『炎舞』『粧蛾舞戯』『名樹散椿』、山種美術館・・・舞う生命と炎と闇
https://bit.ly/2KCbOrW
「没後50年 横山大観」国立新美術館・・・天心と憂愁の詩人、『屈原』悲愴美
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/50_9647.html
細川家の至宝、珠玉の永青文庫コレクション・・・織田信長「天下布武」と菱田春草「黒き猫」
https://bit.ly/2Pjv8Kx
特別展 日本画に挑んだ精鋭たち ―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ―
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-cc9c4e.html
――
明治時代に入り、西洋文化を取り入れつつ社会の近代化が進む中、画家たちは西洋画に匹敵、あるいは凌駕する日本の絵画を生み出そうと努めました。創設された日本美術院(院展)では、実験的な表現に取り組む画家たちがいました。大正・昭和時代を迎えると、政府主導の官展や画壇の中心にいた院展に対抗する画家が、青龍社(東京)、国画創作協会(京都)など美術団体を立ち上げ、画壇に大きな旋風を巻起こしました。
本展では、輪郭線を使わない技法「朦朧体」で空気の表現を試みた横山大観の《波上群鶴》(個人蔵)、菱田春草の《雨後》、女性が画家として生きる道を切り開いた上村松園の《牡丹雪》、希少な岩絵具の群青を大量に用いて記念すべき展覧会(第1回青龍展)へ出品した川端龍子の《鳴門》、10代で「日本画滅亡論」に直面するも後に日本を代表する画家となった松尾敏男の《翔》(山種美術館賞受賞作)などをご紹介いたします。明治時代から現代にいたる多彩な作品を通し、新たな日本画の創造に挑んだ精鋭たちの軌跡をご覧ください。
https://www.yamatane-museum.jp/exh/2023/elites.html
――
特別展 日本画に挑んだ精鋭たち ―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ、山種美術館、2023年7月29日(土)~2023年9月24日(日)

| | コメント (0)

2023年8月17日 (木)

マティス展・・・南仏の光《豪奢、静寂、逸楽》、色彩と線への旅

Matisse-met-2023
Matisse-1907-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第338回

20世紀美術を代表する画家の一人、アンリ・マティス[1869~1954]、フォーヴィスム(野獣派)で有名だが、生涯、色彩と線への旅をつづけ、84歳で死す。
裕福な家庭に生まれ、法律家の道を歩んでいたマティス。画家を志したのは21歳のとき、病気で療養中だった彼に母親が絵具箱を贈ったことがきっかけである。法律の学位を得て代訴人の仕事をしていたマティスは、23歳でギュスターヴ・モローの弟子となる。
美術学校や画家のもとで教えを受け、ルーヴル美術館で古典作品の模写をし技術を磨いていったマティスは、次第に自分自身の表現を探求する。
《豪奢、静寂、逸楽》1904年、35歳
《豪奢、静寂、逸楽》は、ポール・シニャックの招きで南仏に赴いたマティスがパリで仕上げた実験的作品、新印象派の筆触分割(絵具を混ぜず直接筆で)に実験的に取り組んだマティス転換期の重要作品。色彩と線描の衝突というテーマをそのまま残す作品となる。
フォーヴィスム(野獣派)「豪奢1(Luxe)」1907年
本作品が制作された当時、マティスは「野獣派」と呼ばれ、常に批判と称賛が紙一重だった。荒々しい筆遣いと鮮やかな色彩が特徴的な作品がサロンに出品されると、批評家によって「フォーヴィスム(野獣派)」の画家と呼ばれるようになる。美術界に確かな地位を築きつつ、マティスはさらなる進化を続ける。
窓、部屋の中と外の世界とをつなぐ
生涯にわたり室内のアトリエを創作の場としたマティスにとって、窓は部屋の中と外の世界とをつなぐ重要なモティーフ。金魚もマティスが繰り返し描いたモティーフで、《金魚鉢のある室内》1914年、で窓際に置かれた金魚鉢が内と外の世界を映り、小宇宙のような空間を生み出す。生前には公開されなかった《コリウールのフランス窓》。黒く塗りつぶされた部分は当初、外の眺めが描かれていた。第一次世界大戦勃発直後に描かれた。
第一次世界大戦が終わりニースへ、南仏の光 1921年
拠点を移したマティスは、南仏の光の中で精力的な創作活動を展開。多数描かれた「オダリスク」もこの時期に取り組んだ、《赤いキュロットのオダリスク》1921年はその皮切りとなった作品。旅先のモロッコで仕入れた布に、手作りのアクセサリーや衣装。マティスの装飾へのこだわり。マティスが色と同じく大事にした、線の表現。デッサンは「自分の中に芽生えた創作の気持ちを観る人の心にダイレクトに伝えることができる方法」。
マティス60代で出会ったリディア・ディクトルスカヤ1935
《夢》1935以降モデルとして彼のミューズとなったリディア・ディクトルスカヤ。その後マティスが亡くなるまでの20年間、リディアはそばで彼を支え続ける。
《座るバラ色の裸婦》は少なくとも13回描き直されていて、リディアの顔がだんだん抽象的に、そして最終的には線姿。マティスは鑑賞者の想像力をつぶすすべての制限から作品を解放した。
第二次世界大戦が勃発、ヴァンスへ1941
多くの芸術家が国外へ逃げる中、齢70近かったマティスは国を離れることを断念。同時 期に十二指腸癌を患い大手術を受ける。その後、空爆を避けニースからヴァンスに移ったマティスが最後の油絵連作として取り組んだ「ヴァンス室内画」シリーズ。《黄色と青の室内》はその第1作。奥行のない不思議な画面構成なのに、調和した空間。シリーズ最終作《赤の大きな室内》1948。直角で隣り合うふたつの壁、その角を表す黒線はベンチの背までで切れている。
切り紙絵、色彩と線描1947
一日の大半をベッドで過ごすようになりカンヴァスに向かうことが難しくなったマティスは、絵筆をはさみに持ち替え、切り紙絵を創作するようになる。色彩と線描(ドローイング)の対立をどう超えるか。色彩と線描(ドローイング)という造形作業が同時にできる切り紙絵は、マティスにとって到達点ともいえる表現方法。
《イカロス(版画シリーズ「ジャズ」)》1947年
ヴァンス・ロザリオ礼拝堂1951
展覧会の最後はマティス最晩年の作品、ヴァンス・ロザリオ礼拝堂。建物の設計、装飾、什器、祭服や典礼用品に至るまでを手がけた総合芸術作品、マティスの集大成。マティスはこれを「運命によって選ばれた仕事」として、光、色、線が一堂に会する静謐な空間を創りあげた。
《豪奢、静寂、逸楽》の優雅な生活
マティスは「精神安定剤のような、肉体の疲れを癒す、良い肘掛け椅子のような存在」を芸術の理想としていた。戦争で息子を徴兵され、大病を患い、人生には辛い事もあった。それでも画中に苦しみを持ち込まず、調和に満ちた作品を創作し続けた。
自分が感じた深い感動に対する繊細な感覚、芸術を探求する精神。マティスは20世紀初頭の絵画運動であるフォーヴィスム(野獣派)の中心的な存在として活動した後、84歳で亡くなるまでの生涯を、感覚に直接訴えかけるような鮮やかな色彩と形の探求に捧げた。
マティスの理想の境地は、南フランスの《豪奢、静寂、逸楽》の優雅な生活であり、50年間《豪奢、静寂、逸楽》であり続けることは幸せである。
――
展示作品の一部
アンリ・マティス 《豪奢、静寂、逸楽》 1904年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne-Centre de création industrielle
「豪奢1(Luxe)」1907年、本作品が制作された当時、マティスは「野獣派」と呼ばれ、常に批判と称賛が紙一重だった。西欧の伝統的な主題「浴女」を描いているが、アフリカ彫刻を思わせる単純で幾何学的な人物の形態は、当時の批評家の反感を買った。マティスは「異境的」な文明に、新たな芸術へのインスピレーションを求めた
《金魚鉢のある室内》1914年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《赤いキュロットのオダリスク》1921年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《ニースの室内、シエスタ》 1922年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《マグノリアのある静物》1941年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
マティスが78歳から手がけ始めた最後の絵画連作「ヴァンス室内画群」シリーズ
《黄色と青の室内》1946年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
《イカロス(版画シリーズ「ジャズ」より)》1947年 ポショワール/アルシュ・ヴェラン紙 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館
マティス最後の油彩画 《赤の大きな室内》 1948年 ポンピドゥー・センター/国立近代美術館Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne-Centre de création industrielle
――
参考文献
ピカソとその時代・・・藝術の探検家、7人の恋人、7つの時代
https://bit.ly/3D8mYir
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-00e373.html
マティス展・・・南仏の光《豪奢、静寂、逸楽》、色彩と線への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-c2781f.html
――
20世紀を代表するフランスの巨匠、アンリ・マティス(1869-1954年)。強烈な色彩によって美術史に大きな影響を与えたフォーヴィスム(野獣派)の中心的な存在として活動したのち、絵画の革新者として、84歳で亡くなるまでの生涯を、感覚に直接訴えかけるような鮮やかな色彩とかたちの探求に捧げました。彼が残した仕事は、今なお色あせることなく私たちを魅了し、後世の芸術家たちにも大きな影響を与え続けています。
世界最大規模のマティス・コレクションを所蔵するパリのポンピドゥー・センターの全面的な協力を得て開催する本展は、日本では約20年ぶりの大規模な回顧展です。絵画に加えて、彫刻、素描、版画、切り紙絵、晩年の最大の傑作と言われる南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂に関する資料まで、各時代の代表的な作品によって多角的にその仕事を紹介しながら、豊かな光と色に満ちた巨匠の造形的な冒険を辿ります。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_matisse.html
――
マチス展、東京都美術館、2023年4月27日~8月20日
2024年2月14日から5月27日まで

 

| | コメント (0)

2023年8月 4日 (金)

中野晃一講演会、強者の支配か自由な共存か。【質疑応答】解答篇、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク

Nakano-kouichi-00-0528-2023_20230804023901
Nakano-kouichi-04-2023
Nakano-kouichi-03-2023
Nakano-kouichi-002-0528-2023
Nakano-kouichi-04-0528_20230804024201
解答篇、中野晃一、質問編、大久保正雄

1、問題【世界人口の71%が「独裁に分類される国に住む」。民主制が減少している。独裁国家、富裕層が支配する国。制度は民主政であるが、実態は独裁国家、寡頭制国家である】
1、解答「民主主義が弱体化しているのは、世界的な潮流である。1の質問と2の質問は関係がある。経済学者シュンペーターは、民主主義を量的に比較した。【閉鎖型独裁】【選挙による独裁】【選挙による民主主義】【自由民主主義】の四つの類型は、シュンペーターの分析に基づいている。」
2、問題【代議制民主主義は、真の民主主義といえるのか。国民国家の矛盾がある】
2、解答「経済学者シュンペーターは、民主主義を量的に比較した。(『資本主義・社会主義・民主主義』Capitalism,Socialism,and Democracy1942)。民主主義の質を問うと、現在の民主主義は、本当に民主主義と言えるのか疑われる。フランス、米国、イギリス、日本の民主主義は、自由民主主義ではない。議会制民主主義の手本とされるイギリスの民主主義は、真の民主主義ではない。少数派が多数の票を得ている。米国、民主党バイデン、テロとの戦いの名の下に、軍国主義を謳歌。共和党政権、トランプ政権は、軍国主義、両党とも軍産複合体の支配下にある。
代議制民主主義で選ばれた政府は、特権階級となる。代議制民主主義で選ばれた政府は、特権階級となる。古代アテネの民主主義は、都市国家の民主主義。近代国家=国民国家の民主主義は、政府の権力が強くなり、特権階級化する。
自由主義と民主主義は矛盾する。自由主義は、強者の自由。民衆の自由はない。
民主主義の質が問われる。真の民主主義はどこにあるのか。
3、問題【日本に民主主義が育たない理由は何か】
3、解答「マスコミは、統治機構の一部である、権力者の支配の道具。官僚組織、裁判所は、自民党権力の奴隷である。民衆が成長していない。いまだに、長州が支配する国。幕末の体制が続いている。
4、問題【20世紀の状況と酷似している。ファシズムに抵抗するには、どうすればよいのか】
4、解答「ファシズム国家化しているのは、世界的な潮流である。諦めずに、闘って行きたい。」
5、問題【日本の凋落、日本の劣化】
5、解答「日本は、経済システム、政治システム、教育システム、すべて凋落し始めた。1990年代後半の日本の対応が間違っていた。1990年代後半の日本の対応が間違っていた。」
6、問題【選挙によって政権交代すれば、全体主義を止める。というが、官僚、裁判所、マスコミは自民党に従う。それでも支持する民】
6、解答「鳩山政権、民主党政権は、頂上作戦を取った。民衆の支持を醸成できなかった。市民の力を結集するべきである。幕末の長州、山口県が、悪徳政治を謳歌している。方法は二つある。革命か、政権交代か、政権交代でなければ、革命。革命はできないだろう。
7、会場からの質問に対して。日本では、ヨーロッパのような広場が少ない、カフェのような場所も少ない。東京は喫茶店も減少傾向であり、スターバックスが増えている。広場に集まって、市民が政治的主張を行うことがしにくい。かつての清水谷公園のような場所は減少している。東京は、コミュニティの基本である市民の会合が、制限されている。集会の自由も実現しにくい。
――
★★★
中野晃一講演会「強者の支配か自由な共存か」要旨。上智大学、5月28日

【アテネ民主政は50年、ルネサンスのフィレンツェ共和政は60年。自由な国家は滅びる】日本は、独裁制を支持する衆愚制国家。どうすれば自由な国家を再建できるか。特権階級、マスコミ、司法が権力の奴隷である。中野晃一先生にご見解を聞きます。大久保正雄
【中野晃一】
1、
私は哲学で学問研究を始めましたが、哲学研究で生きることは容易でないと理解できる程には賢かったので政治学の研究に進みました。政治哲学、比較政治を研究しています。政治の基本はポリスであり「人間はポリス的動物である」(アリストテレス『政治学』) )。共同体で互いに協力して生きることが人間らしく生きること。集団生活は共存すること。人間は政治的、政治的とは汚いということ。共同体に、暴力が出てくる。権力の差が出てくる。「権力は暴力である」(マックス・ウェーバー)。権力はしたくないことをさせることができる力。18世紀、都市国家から国民国家が生まれる。共存から権力へ。国家という暴力装置。教育、学校という暴力装置。「強者の支配で混乱が収まる」。混乱を収集する統治装置として強者の支配がある。個人と個人の間にも、強者の支配か自由な共存か差がある。
2、「社会」「国家」「政治」をキーワードに考える。「政治」、政事と祭事とは「まつる」=奉という「奉仕」「服従」を意味する観念を媒介としてはじめて連結させられている事があきらかになる。政の内容は、国の平定、反逆者の討伐、外征等「上から下へ」の統治という方向性を持っているが、同時にこの「政」の観念は奏上や覆奏を伴うのを通常とし、より上級の統治者を想定しているので「下から上へ」の奉仕という逆の方向性を随伴している。日本人は自分より上にはまつろい下にはまつろわせる。だから日本はアメリカから独立出来ない。
――
★★★
【強者の支配か自由な共存か。スタッフ討論】星野珈琲にて、5月28日
薬師寺純平、小野真樹子、坂田修作、稲井邦利、大久保正雄
――
「テーマ設定、質疑応答、問題の根を探究する姿勢がよい」薬師寺純平
「世界一民主的なワイマール憲法からナチスドイツの独裁国家生まれた。古代ギリシア・アテネの民主主義と近代国民国家の代議制民主主義とは根本的に異なる。独裁政権70年は利権階級の独占を構築。高校時代から言っていた」大久保正雄
「オーケストラは、独裁指揮者では破綻する。共存共栄型の指揮者がよい。」薬師寺純平
「皇帝カラヤンは、どうだったのか」大久保正雄「カラヤンは、独裁者になってから、反撥を受けた」薬師寺純平
「フルトヴェングラー「奇跡のベートーヴェン交響曲第9番」ヒトラー演奏会は、どうなっているのか」
「古代アテネ、ルネサンス時代のフィレンツェは、都市国家。都市国家で民主主義は成立する。フランス革命とナポレオン戦争以後、総力戦体制、国家主義が拡大する」大久保正雄
「人間らしく生きるコミュニティは、イタリア、ギリシア、地中海都市の生活様式。イギリス、アングロサクソンは、競争主義、弱肉強食。ゲルマン民族は全体主義。日本人は階級主義、階級社会の奴隷、天皇制大好き、大日本帝国の総力戦の生け贄。食料不足で餓死する軍産複合体」
「いまだに、幕末の長州のテロリズムが続いている、安倍晋三、岸田文雄」坂田修作
「悪の元凶。諸悪の根源は自民党」「【孝明天皇暗殺】〈慶応2年12月25日〉テロ組織長州。薩長テロリストは、第2次長州征伐を計画中の孝明天皇を毒殺した。犯人、岩倉具視、大久保利通。徳川慶喜は賢明な将軍であるため排除に苦慮【徳川慶喜、大政奉還】慶応3(1867)年10月12日、14日、慶喜は大政奉還の上表文を朝廷に提出。薩長テロリストは、悪の元凶。諸悪の根源は自民党」大久保正雄
【利権支配の国、政府の上に利権階級】一部の利権階級、海外援助30兆円、教育費削減、国民負担増大する自民党統一教会、
【mRNAコロナワクチン接種した人は、数年後死ぬ。リュック・モンタニエ】【mRNAコロナワクチン接種した人は、輸血できない。ファイザー、モデルナ等】【コロナワクチン接種】多くの国民の命、国富が失われた。情報が封印されてきた。宮沢孝幸。京都大学医生物学研究所 附属感染症モデル研究センター 准教授。
「【安倍晋三暗殺事件】【安倍死亡診断書2通あり。奈良県立医大、射入口、右前頸部2か所、山上の銃弾当たらず。狙撃手存在。司法解剖は捏造、山上徹也冤罪】202年7月8日、安倍晋三暗殺事件、安倍を奈良に向かわせたのは誰か、狙撃手は誰か、命令したのは誰か、安倍暗殺の目的は何か。孫崎享「安倍暗殺事件の謎」レコンギスタ7月号」大久保正雄
「マイナンバー、保険証廃止に反対する。全体主義国家に反対」
「政権交代は実効性がない。革命には賛成する。だが、革命の資金源はどこに。革命の実行部隊をどう用意できるのか。殺人部隊、豊臣秀吉、明智光秀、武田信玄、勝頼はどう養成するのか」「パリのような市街戦をできるのか」
「それでも抵抗するにはどうすればよいのか」
【夢なき者に成功なし】夢なき者に理想なし。理想なき者に計画なし。計画なき者に実行なし。実行なき者に成功なし。故に夢なき者に成功なし。吉田松陰。1867年1月30日、孝明天皇を毒殺。徳川慶喜最大の後ろ盾。
マイナンバー【健康保険証廃止の目的】健康保険証を廃止したいのは、健康保険制度の廃止が目的。医療産業で儲ける外資の命令。TPP、ISD条項をみよ。盲腸手術1回、120万円。その命令を忠実に実行するのは官僚の役割。だから、国民がどんなに困ろうが官僚達は何ら躊躇する事無く笑って実行している。米国の奴隷。
健康保険証廃止、マイナンバー、預金通帳奪われる
【マイナンバー、預金口座をひもづけ、徴兵制へ】
·2022年10月12日
ナチスに倣ったともいわれる「マイナンバーカード」、全体主義軍事国家への暴走を予想させるが、それ以前に、国民の個人情報を外へ漏らすことが目的のひとつかもしれない。「統一教会」がそれを待っていそうだ。拒否する以外にない。★
#マイナンバーカード義務化を阻止しよう
巖谷國士@papi188920
以前にこう書いたが、健康保険紐付への異常な固執ぶりなどを見ると、マイナンバーカードの目的のひとつが「徴兵制」であることはすでに明らかだ。このカードがあれば悪名高い「徴兵検査」なしですむ。国民ひとりひとりの体力も健康状態も、家族構成も財力も一目瞭然になるので、あとは「赤紙」のみ。
政府、マイナンバー「全口座ひも付け」義務化検討 来年の法改正目指す | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200531/k00/00m/040/139000
【保険証廃止、マイナンバー国民背番号制、国民健康保険制度廃止、統一教会
――
中野晃一講演会『強者の支配か自由な共存か』【質疑応答】問題篇、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-75634b.html
中野晃一講演会『強者の支配か自由な共存か』【質疑応答】解答篇、上智大学、ソフィア文化芸術ネットワーク
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-1a73db.html
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第337回

| | コメント (0)

2023年8月 1日 (火)

テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ・・・ウィリアム・ブレイクの幻想

Tate-2023-7-nact
Tate-2023-william-blake
Tate-osaka-2023
Tate-osaka-1-2023
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第336回
18世紀ロマン派の詩人ウィリアム・ブレイクから、19世紀リアリズムの世紀、ウィリアム・ターナー、コンスタブル、写実主義、印象派、ウィルヘルム・ハマースホイまで、リアリズムの世紀である。20世紀は、アンチリアリズムの世紀である、キュビスム、フォービスム、遠近法絵画崩壊の時代。19世紀、ロマン主義、ラファエロ前派、象徴派から、幻想派が生まれた。シュールレアリスムはレアリスムか、幻想派か。
19世紀イギリス美術史の根源には、ウイリアム・ブレイクの怒りがある。
【ウィリアム・ブレイク】(1757―1827)、英国ロマン主義の先駆的詩人として、文学史上揺るぎない地位を誇っている。「病める薔薇」などで知られる詩集『無垢と経験の歌』は広く愛されてきた。ブレイクが生涯にわたって彫版師を職業とし、水彩や色刷版画に独自の境地を築いたことは余り知られていない。
【不正に対するウィリアム・ブレイクの深い憎悪】不幸と不正への対決はブレイクを神に対する反逆へと導いた。しかしブレイクは、その絶対的宗教心の故に神を必要としたと同様にまた神を愛したが故に、そのジレンマを最初にグノーシス派により、古代の秘教へと遡ることによって、漸く解決を求めようとした。「わたし自身の心がわたしの教会である」詩人は1803年、John Schofieldという兵隊と口論になり、国家扇動罪(seditious statements)を行ったとして裁判にかけられる。勝訴するが、詩人に大きく影響した。難解な表現をすることで攻撃的な思想を隠す独自の表現技法を確立。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
ロマン派の詩人 ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)70歳で死す
『無垢と経験の歌』1787年
【ウィリアム・ブレイク「毒のある木」】
私は私の敵に腹を立てた 私は黙っていた 私の怒りはつのった そして私はそれに恐怖の水をかけ 夜も昼も私の涙をそそいだ そして私はそれを微笑みの陽にあて 口あたりのよい欺瞞の肥料で育てた。寿岳文章訳 William Blake, Poison Tree
【毒のある木】その木は 日ごと夜ごと大きくなり ついに きらきら光る 林檎の実を結んだ。そして 私の敵は それが輝くのを見 それが私のだと知り 私の庭へ忍び込んだ 夜が 天空をすっかりおおいつくしたとき
【「毒のある木」】夜が 天空をすっかりおおいつくしたとき、朝になって わたしが見たら うれしや。わたしの敵は その木の下に のびていた。ウィリアム・ブレイク『無心の歌、有心の歌』「毒のある木」寿学文章訳。邪悪なるものに、天誅下る。
「毒のある木」は、密教の呪詛調伏、怨敵調伏の真言である。
「一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見るために。掌で無限を握り、一瞬のうちに永遠を掴め。」『無垢の予兆』よりAuguries of Innocenceウィリアム・ブレイク William Blake詩集『ピカリング草稿』
【死生学】一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見るために。掌で無限を握り、一瞬のうちに永遠を掴め。ウィリアム・ブレイク William Blake詩集『ピカリング草稿』。
「無垢の予兆」Auguries of Innocence
To see a World in a grain of sand,And a Heaven in a wild flower,
Hold Infinity in the palm of your hand,And Eternity in an hour.
詩人は1803年、John Schofieldという兵隊と口論になり、国家扇動罪(seditious statements)を行ったとして裁判にかけられる。勝訴するが、詩人に大きく影響した。難解な表現をすることで攻撃的な思想を隠す独自の表現技法を確立。歓喜に充ち溢れる生命を讃える「無心の歌」、無垢を喪失した悲しみの世界を描く「経験の歌」、そして呪縛からの解放を歌う「天国と地獄との結婚」。ブレイク初期の傑作三詩集。
ウィリアム・ブレイク、寿学文章訳『有心の歌、無心の歌』角川文庫
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【テート美術館、不朽の名画】ラファエル前派、ロセッティ「プロセルピナ」ジョン・エバレット・ミレイ「オフェリア」、シュルレアリスム、ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」19044、エル・グレコ「詩人のためらい」1913、オーギュスト・ロダン「接吻」1901-4「夏の名残の薔薇」
――
展示作品の一部
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《湖に沈む夕日》1840年頃、油彩/カンヴァス、91.1 × 122.6 cm
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《光と色彩(ゲーテの理論)ー大洪水の翌朝ー創世記を書くモーセ》1843年出品
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《陽光の中に立つ天使》(1846出品)
ジョン・コンスタブル《ハリッジ灯台》1820
ジェイコブ・モーア《大洪水》(1787)、
ジョン・マーティン「ポンペイとヘルクラネウムの崩壊」(1822年)ヴェスヴィオ山の溶岩の禍々しいまでの輝き
ウィリアム・ブレイク《善の天使と悪の天使》(1795-1805頃?)、同《アダムを裁く神》(1795)
エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ《愛と巡礼者》(1896~97)
クロード・モネ《エプト川のポプラ並木》(1891)
ジョン・ブレット《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》(1871)
草間彌生《去ってゆく冬》(2005)
ブリジット・ライリー「ナタラージャ」 1993年 油彩/カンヴァス 165.1×227.7 cm、反復する幾何学的パターン、
ゲルハルト・リヒター《アブストラクト・ペインティング(726)》(1990)
ヴィルヘルム・ハマスホイ「室内」1899年
ウィリアム・ローゼンスタイン《母と子》1903年
オラファー・エリアソン「星くずの素粒子」2014
――
テート美術館
「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」横浜美術館・・・愛と美の象徴、思想表現の自由の戦い
ターナー展 英国最高の巨匠・・・イタリアの黄昏、黄金の光
「テート美術館所蔵 コンスタブル展」・・・虹が立つハムステッド・ヒース
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」・・・愛の美と死
「バーン・ジョーンズ展―装飾と象徴―」・・・眠れる森の美女
英国ヴィクトリア朝絵画の巨匠「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」・・・愛の美と死
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
「ロセッティ展:ラファエル前派の夢」Bunkamuraザ・ミュージアム、1990
V&A美術館
「特別展アリス」・・・ハートの女王「首を刎ねよ」
「ザ・ビューティフル ― 英国の唯美主義 1860‐1900」・・・大英帝国の黄昏
https://bit.ly/2wvtgG5

ウィリアム・ブレイク
若きブレイクとその悖徳(ゲルト・シフ/前川誠郎 訳)
「わたし自身の心がわたしの教会である」――ブレイクとペインとフランス革命 (デイヴィッド・バインドマン/潮江宏三 訳)
『ウィリアム・ブレイク展』(国立西洋美術館 1990年)
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ・・・ウィリアム・ブレイクの幻想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-754901.html

――
イギリス政府が所蔵する美術作品を収蔵・管理する「TATE」は、ロンドンのテート・ブリテンとテート・テートモダンなど4つの国立美術館を運営している。その7万7千点を超すコレクションから「光」をテーマにした作品を集めた本展は、2021年より中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランドで巡回開催され、最終会場の日本では、作品の多くが日本初出品で、マーク・ロスコやゲルハルト・リヒターらによる12点の日本限定展示も含まれる。絵画、彫刻、写真、インスタレーションなど多様な作品を、ときに時代や地域を超えてともに展示している。
ーー―
本展は、英国・テート美術館のコレクションより「光」をテーマに作品を厳選し、18世紀末から現代までの約200年間におよぶアーティストたちの独創的な創作の軌跡に注目する企画です。
「光の画家」と呼ばれるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーや風景画の名手ジョン・コンスタブルといった英国近代美術史を彩る重要な画家たちの創作、クロード・モネをはじめとする印象派の画家たちによる光の描写の追求、モホイ=ナジ・ラースローの映像作品やバウハウスの写真家たちによる光を使った実験の成果、さらにブリジット・ライリー、ジェームズ・タレル、オラファー・エリアソン等の現代アーティストによってもたらされる視覚体験にまで目を向けます。
本展では、異なる時代、異なる地域で制作された約120点の作品を一堂に集め、各テーマの中で展示作品が相互に呼応するようなこれまでにない会場構成を行います。絵画、写真、素描、キネティック・アート、インスタレーション、さらに映像等の多様な作品を通じ、様々なアーティストたちがどのように光の特性とその輝きに魅了されたのかを検証します。
――
テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ、国立新美術館、7月12日(水)~10月2日(月)
大阪中之島美術館、10月26日から1月14日

| | コメント (0)

« 2023年7月 | トップページ | 2023年9月 »