運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ
運慶は、大日如来の原形を求めて、東寺講堂から円城寺、彼方へと旅した。
運慶作、大日如来坐像、円城寺、光得寺、樺崎寺
円城寺《大日如来坐像》、運慶作、平安時代・安元2年(1176)、円成寺蔵
光得寺《大日如来坐像》、鑁阿寺の奥の院として機能した樺崎寺の由来を伝える『鑁阿寺樺崎縁起幷仏事次第』
樺崎寺《大日如来坐像》12世紀 真如苑真澄寺蔵 鎌倉時代 建久4(1193)年か 運慶作と推定される金剛界大日如来像。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【東寺、講堂、立体曼荼羅、21体】五智如来、大日、宝生、阿弥陀、不空成就、阿閦。五菩薩、金剛波羅密、金剛宝、金剛法、金剛業、金剛薩埵。五大明王、不動明王、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉。四天王、持国天、増長天、広目天、多聞天。二天、梵天、帝釈天。東寺講堂、承和6 (839)
立体曼荼羅【五智如来の化身、忿怒身、五大明王】不動明王(中央)、降三世明王(東)・軍荼利明王(南)・大威徳明王(西)・金剛夜叉明王(北)。忿怒の形相を表わす。金剛界五仏(大日、阿閦、宝生、無量寿、不空成就)の教令輪身、忿怒身。密教伝来9世紀、東寺講堂の承和6 (839)
【金剛界曼荼羅の基本となる成身会】金剛界五仏、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、内外の四供養菩薩、四摂菩薩の以上37尊より構成され、これを四大神と賢劫千仏と二十天が囲む。(智拳印)一仏のみで表す他は、中心となる成身会
【空海『聾瞽指帰』(797)】兎角公の屋敷で兎角公の甥蛭牙公子に放蕩青年を翻意、亀毛先生は儒教学問を学び立身出世することを教え、虚亡隠子は道教の不老長寿を教え、空海の化身である仮名乞児は仏教の諸行無常と慈悲を教える【空海の苦悩】空海が大学寮明経科退学、官僚の立身出世を辞めた理由。仏教は智慧と慈悲によって生けるものの魂の苦を救う教えであり、儒教は学問によって立身出世と子孫繁栄を成就する吉祥を祈願する教え。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【三身説trikāya】が、瑜伽行派の弥勒、無著、世親らの論師たちにより成立した。三身trikāyaとは(1)法身(dharma-kāya)、(2)報身(sambhoga-kāya) 、(3)応身(化身、nirmāṇa-kaya)の3種、あるいは(1)自性身(svabhāva-kāya) 、(2)受用身(sambhoga-kāya),(3)変化身(nirmāṇa-kāya)の3種をいう。これら三つは論師あるいは宗派によって微妙に解釈を異にする。
【理念を追求する精神】邪知暴虐な権力と戦い、この世の闇の彼方に理想と美を求める。輝く天の仕事を成し遂げる。空海、孟子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智信、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
「運慶」 東京国立博物館・・・魂の深淵
「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」・・・空海、理念と象徴
「密教彫刻の世界」東京国立博物館・・・愛染明王、金剛薩埵の化身
帝釈天騎象像、七頭の獅子に坐る大日如来・・・守護精霊は降臨する
https://bit.ly/34JOIb2
http:// mediter ranean. cocolog -nifty. com/blo g/2023/ 08/post -d241f1 .html
運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ
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運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ
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運慶作 3体の大日如来像がつなぐ、縁 山本勉
運慶は平安時代末期から鎌倉時代前期に活躍し、躍動感あるリアルな肉体と質感の表現を極めた仏師として、日本でもっともよく知られる。現在、日本で確認される運慶作の(あるいはその可能性が高い)仏像は31体あり、うち1体が半蔵門ミュージアム所蔵の重要文化財《大日如来坐像》だ。
《大日如来坐像》12世紀 真如苑真澄寺蔵 鎌倉時代 建久4(1193)年か 運慶作と推定される金剛界大日如来像
《大日如来坐像》は実は2003年に存在が明らかとなり、当時、個人が所蔵していた像を初調査したのが山本勉氏である。「像の写真を初めて見たのが2003年7月です。所蔵者から送られてきた写真2枚には、普通の日本間の襖の前に像が置かれて写っていました。私がそれ以前に調べて運慶作だと発表した栃木県足利市・光得寺(こうとくじ)の《大日如来坐像》がありますが、襖のおかげでその倍ぐらいの大きさだと分かった。足利の像にそっくりなものが何であるんだ、とびっくりしたのです」
光得寺《大日如来坐像》は山本氏が調査し、1988年に作者を運慶として発表した厨子入りの高さ31.3cmの像。足利市のある学生からの問い合わせで調査を開始したものだった。それは同市鑁阿寺(ばんなじ)の奥の院として機能した樺崎寺(かばさきでら)の由来を伝える『鑁阿寺樺崎縁起幷仏事次第(ばんなじかばさきえんぎならびにぶつじしだい)』により足利義兼(あしかがよしかね / ?~1199)発願の像だと裏付けられたが、縁起には義兼発願のもうひとつの大日如来像の存在が記されていた。「縁起には樺崎の寺の下御堂(しものみどう)に三尺皆金色(さんじゃくかいこんじき)の金剛界大日如来坐像があり、厨子に建久四(1193)年の願文(がんもん)があると書いてありました。その時は、像の実在を知りません。それが15年経って私の前に現れたのです」
一般に木造坐像では本体を軽くするために中をくり抜くので、像の下から頭の中までを覗くことができる。一方、山本氏の前に現れた大日如来像は底が密閉されていた。「上げ底式内刳り(あげぞこしきうちぐり)」と呼ばれるこの造りは運慶が考案したもので、光得寺の大日如来像とも共通する。「作風や構造技法から建久四年のものと考えました。さらにⅩ線を撮ると、光得寺の像の前段階の特徴を示していた。私は学生時代に運慶が初めて制作した奈良・円成寺(えんじょうじ)の大日如来像を見て、運慶とその仏像について学ぼうと思いました。嘘のような話ですが、私は人生で2回、3回と運慶、その大日如来像との出会いがあったのです」
《大日如来坐像》と同じ「祈りの空間」に並ぶ《不動明王坐像》平安時代 12世紀 真如苑真澄寺蔵
半蔵門ミュージアム 《大日如来坐像》の意義と価値
山本氏は運慶の魅力を次のように語る。「運慶は写実的に人体を捉え、写実的に捉えたその人体を非常に美しいものに高めました。さらに写実的な人体が祈りの対象になるように制作しています。非常に優れた宗教芸術家としての力をもった仏師です」
例えば、山本氏が最初に惹かれた円成寺の大日如来像は座った状態で足の裏が見える。それは氏が日本一美しい足裏と称えるものだ。「人間が座ると当然、足の裏には肉付き、ふくらみがあって、指も裏が丸くふくらんでいます。運慶は人間の体の各部が動きによりどんな風に変化するのか、変化した身体の肉付き、各部分がどのような状態で一番美しく見えるかをとことん理解した彫刻家です。運慶の記憶は今風に言えば動画的な記憶でした。自分の頭の中で自由に人体を動かすことができ、一番美しい瞬間を切り取って再現できたのです」
地下展示室 常設展示「祈りの世界」
半蔵門ミュージアム蔵の《大日如来坐像》も写真を初めて見たとき、足裏が見えるカットがあったがゆえに驚いたそうだ。ぷっくりとしたその足裏も美しい。加えて、「円成寺の坐像では衣文線(えもんせん※)は足の形と平行に走るのですが、光得寺と当館の像だけは下から立ち上がった縦の衣文線です。これは絵画の表現では一般的であるものの、彫刻では採用されなかった。運慶はその衣文線を使い、膝の丸みを巧みに表現しています。衣の中の肉体を表現するために縦の衣文線を借用したのです。同時代のほかの仏師はその理由がわかっておらず、真似をしている物もほとんどありません」
※衣のひだが描く線
《大日如来坐像》が胸の前で左手の人差し指を立て、その指を右手で包み込む形は智拳印(ちけんいん)と呼ばれ、金剛界大日如来特有の印相だ。平安時代後期、仏像は立体ながらなるべく立体に見えないよう、腹の前で手を組む平面的なスタイルが流行った。運慶はそれを否定するように、この時期、手を上げる姿を選んでいるという。「運慶は胸の前に手を上げる人体をテーマにしていた可能性があります。手を上げることで、像周辺に広い空間が生まれますから」
360度ぐるりと鑑賞できる《大日如来坐像》。広がりある空間構成も体感したい
山本氏と不思議な縁で結ばれた三体の大日如来像。「同じ尊格で制作時期が異なる三体が運慶作であるとすると、彼の若い時代から30代、40代と造形の変化がよくわかります。また、幸い光得寺と当館の像は一度も解体修理を受けておらず、像の中身がすべて残っています。内刳りをし、底板を作って真ん中に塔を立て、その塔に結びつくように心月輪(しんがちりん)という仏像の魂を納める。上げ底式内刳りの目的はこの空間をつくるためだとX線写真からわかりました。この発見は貴重です。今、我々がX線で見ている映像が運慶の頭の中にはあったのでしょう。像は運慶にとどまらず、日本の仏像の歴史にとって非常に大きな内容を含んでいる造形なのです」
《大日如来坐像》 像内納入品原寸模型
協力:文化庁(ボアスコープ撮影)、東京国立博物館(X線断層撮影)
運慶は神奈川県浄楽寺の1189年の坐像で、初めて上げ底式内刳りの技法を採用。研究者の一部には古代の彫刻を真似て頑丈なつくりを施したという意見もあったが、山本氏の恩師で半蔵門ミュージアム初代館長、水野敬三郎氏は早い時期から納入品のためであると指摘していた。「科学的調査に基づき作成した像内納入品の原寸模型を2023年11月22日から公開いたします。ぜひともじっくりご覧になっていただきたいと思います」
半蔵門ミュージアム
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半蔵門ミュージアムは、2020年10月3日(土)から2021年2月28日(日)まで、特集展示『ガンダーラの仏像と仏伝浮彫』を開催いたします。本特集展示では、当館収蔵のガンダーラ美術の中から17点を、「仏像と舎利容器」、「仏伝浮彫」の2部構成のテーマで紹介。新収蔵の仏伝浮彫「誕生」、「四門出遊」、「愛馬別離」の3点を初公開いたします。
今回の特集展示『ガンダーラの仏像と仏伝浮彫』では、当館が常設展示しているガンダーラ美術8点に、初公開、新収蔵品などを加えた17点を紹介いたします。展示の前半部を「仏像と舎利容器」、後半部を「仏伝浮彫」のテーマで構成し、2~5世紀頃に作られた仏像、仏頭、舎利容器、仏伝浮彫をご覧いただきます。展示の前半部「仏像と舎利容器」では、様々な形で残されたガンダーラ美術を紹介します。
説法印(転法輪印)を結んで結跏趺坐する釈尊の姿が刻まれた「説法印仏坐像」(片岩、2~3世紀)や、釈尊の舎利(遺骨)の代替品を納め、信仰の対象とされていた「ストゥーパ型舎利容器」(片岩、2~3世紀)など、2~5世紀頃に作られた仏像や仏頭、舎利容器など7点を展示します。後半部の「仏伝浮彫」は、釈尊の前世から生誕、涅槃に至るまでの一代記を10点の仏伝浮彫(レリーフ)で辿る展示構成になっています。
【「仏伝浮彫」(片岩、2~3世紀)】釈尊前世の物語をあらわした「燃燈仏授記」(片岩、2~3世紀)、摩耶夫人の右脇腹から釈尊が生まれ「誕生」、出家を決意した「出城」(片岩、2~3世紀)、ブッダガヤの菩提樹のもとで魔王マーラの妨害に動じることなく悟る「降魔成道」(2~3世紀)、神々の求めに応じて、成道した釈尊がサールナート(鹿野園)で初めて説法を行った「初転法輪」(片岩、2~3世紀)、阿闍世王が跪いて合掌する王の帰依、釈尊入滅の姿が描かれた「王の帰依と涅槃」(片岩、2~3世紀)など、釈尊の生涯を仏伝浮彫でご紹介します。中でも新収蔵品の「誕生」(片岩、2~3世紀)、「四門出遊」(片岩、2~3世紀)、「愛馬別離」(片岩、2~3世紀)は初公開となります。
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常設展示 【ガンダーラの仏教美術】 - YouTube
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