大名茶人 織田有楽斎・・・天下なる者は聖人の宝なり、微身の有ならず
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第358回
アルノ河の水辺の樹々に夢をみる、枯れ木に夕日が射すと希望を予感する、荒野にアーモンドの花が咲くと春を感じ、林檎の花が咲くと蘇りを感じ、子供を抱く母親に新生を見る。印象派の画家は陽光に輝く世界を表現した。クロード・モネ(1840-1926) 『印象・日の出』(1872)から印象派は始まる。印象派は、リアリズムの一派である。20世紀、海を超えて、メアリー・カサット、チャイルド・ハッサム、ジョゼフ・グリーンウッド、トマス・コールに影響を及ぼした。トマス・コール『アルノの眺望』に、フィレンツェのみずみずしい樹木と川の調和が描かれている。モネは、絶望をどう超えたのか。
【モネ、絶望を超えて】1879年9月5日カミーユ32歳で死す。この通りモネ39歳。1926年86歳まで生きる。【ジヴェルニー】1883年春、42歳のモネは、フランス北部ノルマンディー地方のセーヌ川流域のジヴェルニーに移り住む。〈積みわら〉の15点の連作を始める。モネは借りていた家と土地を購入。敷地を拡げて「花の庭」と「水の庭」を本格的に整備する。「水の庭」では、睡蓮を栽培し、池に日本風の太鼓橋を架けて藤棚をのせ、アヤメやカキツバタを植える。1890年代後半からは300点の〈睡蓮〉に取り組む。
1899年からロンドンを訪れ、〈チャリング・クロス橋〉や〈ウォータールー橋〉などの連作を数年かけて描く。【1891年にエルネスト・オシュデが死去すると、1892年にモネとアリス・オシュデは正式に結婚した。モネは51歳、アリスは48歳】1908年頃から、視覚障害に悩まされるようになった。筆致は粗く、対象の輪郭は曖昧になり、色と光の抽象的なハーモニーが画面を占める。
【モネとカミーユの出会い】カミーユはモネのお気に入りのモデルだった。初めは家族に内緒で交際していた二人。家柄の違いから家族に交際を反対され、正式に結婚できたのは出会いから約5年後の1870年。モネは結婚後も、愛妻をモデルとした絵を何枚か描いた。1879年9月5日カミーユ32歳で死す。この通りモネ39歳。1926年86歳まで生きる。
モネ『印象・日の出』(1872年)は印象派の名前の由来になる。1874年、仲間たちと、サロンとは独立した展覧会を開催して『印象・日の出』等を出展し、これはのちに第1回印象派展と呼ばれる歴史的な出来事となった。しかし、当時の社会からの評価は惨憺たるものであった。1878年まで、アルジャントゥイユで制作し、第2回・第3回印象派展に参加した(アルジャントゥイユ(1870年代))。1878年、同じくセーヌ川沿いのヴェトゥイユに住み、パトロンだったエルネスト・オシュデとその妻アリス・オシュデの家族との同居生活が始まった。妻カミーユを1879年に亡くし、アリスとの関係が深まっていった。他方、印象派グループは会員間の考え方の違いが鮮明になり、解体に向かった(ヴェトゥイユ(1878年-1881年))。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【世紀末の旅人】リアリズムからアンチリアリズムへ【アンチリアリズム、象徴派、ラファエロ前派、幻想派、フォービスム、形而上絵画、シュルレアリスム】
【20世紀、アンチリアリズムの世紀】19世紀ヨーロッパ文学はリアリズムを追求したが、20世紀はアンチリアリズムの世紀。18世紀小説、ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』に夏目漱石は、深い影響を受けた。これを実験したのが『草枕』(1906)。
【ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』】アンチリアリズムの実験をした夏目漱石『草枕』。(*未完の小説。全9巻1759年の末から1767年)。この18世紀小説に、20世紀文学、アンチリアリズム文学は深い影響を受けた。アンドレ・ジイド、カフカ、ジェイムズ・ジョイズ『フィネガンズ・ヴェイク』、ヴァージニア・ウルフ、マルセル・プルースト。他方、日本の明治文学は、1900年以降、やっとリアリズム文学に辿りつく。花袋『布団』藤村『破戒』。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
ジャン=バティスト=カミーユ・コロー《ヴィル = ダヴレーの牧歌的な場所ー池畔の釣り人》 (1865-70) ウスター美術館蔵
メアリー・カサット《裸の赤ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル(母と子)》(1902-03) ウスター美術館蔵
トマス・コール 《アルノ川の眺望、フィレンツェ近郊》(1837) ウスター美術館蔵
ウィンスロー・ホーマー《冬の海岸》(1892) ウスター美術館蔵
クロード・モネ《税関吏の小屋・荒れた海》(1882) 日本テレビ放送網株式会社蔵
チャイルド・ハッサム《花摘み、フランス式庭園にて》(1888) ウスター美術館蔵
クロード・モネ《睡蓮》(1908)ウスター美術館蔵
チャイルド・ハッサム《シルフズ・ロック、アップルドア島》(1907)、チャイルド・ハッサム《コロンバス大通り、雨の日》(1885)ウスター美術館蔵
ジョゼフ・H・グリーンウッド《リンゴ園》(1903) ウスター美術館蔵
エドマンド・チャールズ・ターベル《ヴェネツィアン・ブラインド》(1898) ウスター美術館蔵
ポール・シニャック《ゴルフ・ジュアン》(1896) ウスター美術館蔵
デウィット・パーシャル《ハーミット・クリーク・キャニオン》(1910-16)ウスター美術館蔵
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参考文献
モネ 連作の情景・・・人生の光と影
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キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ・・・美の根拠はどこにある
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マティス展・・・南仏の光《豪奢、静寂、逸楽》、色彩と線への旅
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佐伯祐三 自画像としての風景・・・世紀末の旅人
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印象派 モネからアメリカへ モネ、絶望を超えて
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印象派 モネからアメリカへ 海を超えて花開いた印象派 ウスター美術館所蔵
第1回印象派展から150周年を迎える2024年、印象派がヨーロッパやアメリカへもたらした衝撃と影響をたどる展覧会を開催します。19世紀後半、大都市パリには国外からも多くの画家が集いました。パリで印象派に触れ、学んだ画家たちは、新しい絵画の表現手法を自国へ持ち帰ります。本展は、西洋美術の伝統を覆した印象派の革新性とその広がり、とりわけアメリカ各地で展開した印象派の諸相に注目します。
アメリカ・ボストン近郊に位置するウスター美術館は、1898年の開館当初から印象派の作品を積極的に収集してきました。このたび、ほとんどが初来日となる同館の印象派コレクションを中心に、日本でもよく知られるモネ、ルノワールなどフランスの印象派にくわえ、ドイツや北欧の作家、国際的に活動したサージェント、さらにはアメリカの印象派を代表するハッサムらの作品が一堂に会します。これまで日本で紹介される機会の少なかった、知られざるアメリカ印象派の魅力に触れていただく貴重な機会となります。
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印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵
東京都美術館、1月27日~4月7日
福島県の郡山市立美術館(4月20日~6月23日)、東京・八王子市の東京冨士美術館(7月6日~9月29日)、大阪市のあべのハルカス美術館(10月12日~2025年1月5日)
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