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2024年6月

2024年6月27日 (木)

ブランクーシ 本質を象る・・・真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第372回

ブランクーシは世界最高峰の彫刻家ロダンの工房に就職したが、1か月で退職した。ブランクーシ彫刻は、概念ではなく、本質を表している。概念ではなく、本質である。概念は、言葉があって、はじめて存在する。本質と現象、生成消滅する自然界に対して、本質が存在する。原範型と似像、原範型があって、似像は存在する。普遍は、個物に対して存在する。プラトン哲学は本質の探究である。
【アリストテレス『形而上学』】アリストテレス哲学は科学主義、自然学者であり論理学者、普遍(類)と概念の探究である。「何であるか」の問いに対する答えが「ト・ティ・エーン・エイナイ」である。アリストテレス『形而上学』の「ウーシア」(実体)には、第一実体と第二実体があり、第一実体は本質であり、第二実体は基体(ヒュポケイメノン)である。アリストテレス、4原因論、形相因・質料因・始動因・目的因。可能態と現実態・完全現実態は、『自然学者』である。『形而上学』「第一哲学は、存在する限りの存在する者を探究する。
「真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である」ブランクーシ What is real is not the outer form, but the idea, the essence of things.
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質】師が優れているか否か【世界観、基礎認知力、体系、知的直観】【知的卓越性とともに人格の卓越性をもつ人は稀である】人生が夢を作るのではない。夢が人生をつくる。先入観を持たない。先入観は可能を不可能にする。
【人生の目的は、魂を磨くことにあり。地位と金銭を得るにあらず】人もし全世界を得るとも、その霊魂を失えば何の益あらん。自己に頼るべし。他人に頼るべからず。能く天の命に聴いて行うべし、神人合一、梵我一如の境地に到達すべし。成功本位の立身出世主義に従うべからず。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
コンスタンティン・ブランクーシ《眠れるミューズ》 1910–11年頃 石膏 大阪中之島美術館
コンスタンティン・ブランクーシ《接吻》1907-10年 石膏 石橋財団アーティゾン美術館
コンスタンティン・ブランクーシ《雄鶏》1924年(1972年鋳造)ブロンズ 豊田市美術館
コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》1926年(1982年鋳造)
ブロンズ 大理石(円筒形台座)、石灰岩(十字形台座) 横浜美術館
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参考文献
キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ・・・美の根拠はどこにある
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-8e9885.html
ブランクーシ 本質を象る・・・真なるものとは、外面的な形ではなく、観念、つまり事物の本質である
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-a42dd8.html

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コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)83歳
ルーマニアのホビツァに生まれる。ブカレスト国立美術学校に学んだ後、1904年にパリに出て、ロダンのアトリエに助手として招き入れられるが、1か月で辞職、独自に創作に取り組み始める。「ロダンの彫刻に失望した」。同時期に発見されたアフリカ彫刻などの非西欧圏の芸術に通じる、野性的な造形を特徴とするとともに、素材への鋭い感性に裏打ちされた洗練されたフォルムを追求。同時代および後続世代の芸術家に多大な影響を及ぼした
真なるものとは、外面的な形ではなく観念、つまり事物の本質である
What is real is not the outer form, but the idea,the essence of things.
20世紀彫刻の先駆者ブランクーシ 
その唯一無二の創作の全容が明らかに
ルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)は、純粋なフォルムの探究を通じて、ロダン以後の20世紀彫刻の領野を切り拓いた存在として知られます。本展は、彫刻作品を中核に、フレスコ、テンペラなどの絵画作品やドローイング、写真作品などが織りなす、ブランクーシの創作活動の全体を美術館で紹介する、日本で初めての機会となります。ブランクーシ・エステートおよび国内外の美術館等より借用の彫刻作品約20点に、絵画作品、写真作品を加えた、計約90点で構成されます。
https://www.artpr.jp/artizon/brancusi2023
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ブランクーシ 本質を象る、アーティゾン美術館、2024年3月30日(土)〜2024年7月7日(日)

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2024年6月12日 (水)

犬派?猫派? 俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで・・・遣唐使船で経典を守る猫

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第371回

母の愛犬、トイプードル、守護精霊となって帰ってきた。学問僧を守るために。
【犬と藝術】縄文時代から猟犬として飼われて。弥生時代、番犬として飼われ、古墳時代、犬の埴輪も作られた。室町時代幕府による明との勘合貿易、ポルトガルとの南蛮貿易で唐犬、南蛮犬が珍重された。江戸時代、犬は放し飼いが一般的だったが、狆は愛玩犬として身分の高い女性や遊女に室内で飼われていた。喜多川歌麿『美人五面相 犬を抱く女』【愛犬家】円山応挙『雪中狗子図』1784長澤芦雪『菊花子犬図』18c、守屋多々志『慶長使節支倉常長』1981、川端龍子『立秋』
【日本の猫】奈良時代、遣唐使船で仏教経典を守るため、鼠を捕る猫を載せて渡来。弥生時代には人と猫が暮らしていた痕跡あり。平安時代、猫は貴族のペットとして紐で繋がれていた。道長の正妻・源倫子は猫を紐で繋いだ。源倫子は90歳まで生きた。『源氏物語』女三ノ宮の柏木が出会う場面に猫が出る。江戸時代、放し飼いされ鼠除けとして重宝される。猫好きの絵師・歌川国芳は猫を何匹も飼っている。近代の愛猫家・藤田嗣治はサインの代わりに猫を描いた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【菱田春草『黒き猫』永青文庫】1910第四回文展に出展された作品。しかし、最初は美人画を出品する予定だった。大きく曲がった柏の木の幹に1匹の黒猫がうずくまり、じっとこちらを見つめている。輪郭のぼかしによる、柔らかな毛並みの表現が見事である。思わず触れてみたくなる。一方、柏の樹や葉は平面的に表されているが、黒猫と調和している。猫の黒と柏の葉の金色の対比も鮮やか。写実と装飾が見事に一致した傑作と、発表当時から高い評価を得た。菱田春草は36歳の若さで早世したが、4点の作品が重要文化財に指定されており、近代の美術家として最多である。伝統的な美意識と、西洋絵画の色彩表現や空間表現とをいかに融合させていくか、一作ごとに新たな表現を開拓していった結果である。
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「動物に対して残酷な人間は、人間との取り引きにおいても厳しい存在になる。動物への扱いで人間の心を判断することができる。」カントの言葉
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展示作品の一部
長沢芦雪 《菊花子犬図》18世紀(江戸時代) 個人蔵
円山応挙《雪中狗子図》(1784年、個人蔵)
歌川国芳《猫飼好き五十三疋》1848
伊藤若冲 狗子図 18世紀(江戸時代) 紙本・墨画 個人蔵
竹内栖鳳 《班猫》 1924年 山種美術館蔵 【重要文化財】
川端龍子 立秋 1932(昭和7) 絹本・彩色 大田区立龍子記念館
速水御舟 《翠苔緑芝》 1928年 山種美術館蔵
藤田嗣治《Y 夫人の肖像》(株式会社三井住友銀行)1935は、女性と4匹の猫を描いた
古屋多々志「慶長使節支倉常長」1981
解説の山下裕二先生は、俄然猫派
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没後80年記念「竹内栖鳳」・・・竹内栖鳳「班猫」村上華岳「裸婦図」
https://bit.ly/3TkPJ0z
どうぶつ百景 江戸東京博物館コレクションより・・・歌川広重「名所江戸百景」1857
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-f7b3b4.html
犬派?猫派? 俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで・・・遣唐使船で経典を守る猫
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-03c2db.html
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特別展:犬派?猫派? ―俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで―
会期:2024年5月12日~7月7日(前期:5月12日~6月9日、後期:6月11日~7月7日 
会場:山種美術館
住所:東京都渋谷区広尾3-12-36
開館時間:10:00~17:00 ※入館は閉館30分前まで
https://www.yamatane-museum.jp/access/

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2024年6月 2日 (日)

空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第370回
1,密教の謎、仏教史の矛盾
【密教の謎】仏教史の根本矛盾、無我説と輪廻転生、龍樹の中観派と無著・世親の瑜伽行唯識派、仏身論(三身論、法身、報身、応化身)、法身大日如来と即身の相即融一、身密・口密・意密どのように相即融一するのか。『即身成仏義』819-820 『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝』830。
五智とは何か。五智如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来(無量寿如来)、不空成就如来。『金剛界曼荼羅』『胎蔵界曼荼羅』。大日如来が宇宙の根本原理であり、至高の存在である。【大日如来の5つの智慧(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)】を象徴する五智如来。大日如来の知恵、法界体性智は、自性清浄なる大日如来の絶対智、他の四智を統合する智恵である
【事相と教相】密教において「実践」修法・灌頂・真言陀羅尼・月輪観など実践的な修行に対して、「学問」教義を理論的に研究する。
2、空海、旅立ち
【空海の謎】(延暦七788年)佐伯真魚、十五歳、なぜ阿刀大足のもとで学んだのか。十八歳791年大学寮明経科入学。一族の期待「佐伯今毛人、大伴家持」のような官人になる。十九歳792年長岡京式部省大学寮明経科、なぜ退学したのか。山林修行、何故一沙門に出会い学んだのか。24歳『聾瞽指帰』(797)、儒教・道教・仏教の比較宗教学の署、なぜ書かれたのか。804年私度僧・空海がなぜ遣唐使船の留学僧になることができたのか。806年遣唐判官高階遠成に付して『請来目録』を奏上したが入京を許されないのは何故か。留学僧の滞在期間短縮、国禁なのに、809年嵯峨天皇の入京の勅許が下りたのは何故か。816年、最澄と空海は決別するのは何故か。
空海「古の人は道のために道を求める。今の人は名利のため、地位と利益追求のために道(学問)を求める。求道の志は己の道を失っている。」古人、道のために道を求む。今の人は名利の為に求む。名のために求むるは求道の志とせず。求道の志は己を道法に忘るなり。」「叡山ノ澄法師理趣釈経ヲ求ムルニ答スル書」814-816(『性霊集』)この2年後816年、最澄と空海は決別する。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【空海『秘密曼荼羅十住心論』(830) 】淳和天皇の詔勅(天長6)による。日本には諸宗派があり、各の宗派がどのように違い、どのように優れているのか、論じるようにという詔勅である。空海は『大日経』の住心品を中心にして『十住心論』を書いた。
第二住心は儒教、仁義礼智信を五常といい、それを守るのが儒教、この世のことしか考えない。
第三住心は道教、第三住心、嬰童無畏心といい、赤子が母親に抱かれて安心していられるような境地、天に昇って、一切の苦しみのない世界で安心する境地。道教では羽化登仙、蛹が蝶となるように仙人のもとへ行く。仙人になることは、天に昇ること。
第四住心は、唯蘊無我心、声聞乗である。唯蘊無我とは、五蘊だけがあってアートマン(実体)がない、ということを理解する、そのときに出世間心が生じる。我とは、常一主宰なので、そういった我はないと悟る心を意味する。
第五住心は、抜業因種心、縁覚乗に相当する。小乗仏教のなかに声聞、縁覚という二つの乗り物がある。縁とは十二因縁で、それを悟って悟りの境地に至る。十二因縁とは、なぜ生老病死が起こるか、その原因を十二の系列にあげて説いたものである。
第一住心 異生羝羊心
 「凡夫狂酔して、吾が非を悟らず。但し淫食を念ずること、彼の羝羊の如し。」下愚は狂酔する。羝羊のように、淫食を求める。上智と下愚とは移らず(『論語』陽貨第十七)。
第二住心 愚童持斎心
 「外の因縁に由って、忽ちに節食を思う。施心萌動して、穀の縁に遇うが如し。」下愚は、外の因縁によって、節度を思う。
第三住心 嬰童無畏心
 「外道天に生じて、暫く蘇息を得。彼の嬰児と、犢子との母に随うが如し。」天真爛漫な季節、天界に生まれたように蘇る。嬰児と犢子が、母に随うごとし。
第四住心 唯蘊無我心
 「ただ法有を解して、我人みな遮す。羊車の三蔵、ことごとくこの句に摂す。」存在するのは唯だ、五蘊のみであり、すべての存在は無我であることを知る。五蘊とは、色・受・想・行・識の精神作用である。無我(アナートマン)説。
第五住心 抜業因種心
 「身を十二に修して、無明、種を抜く。業生、已に除いて、無言に果を得。」十二縁起を知り、無明=因縁の種子を取り除き、業の生を除く。十二縁起(因縁)説とは、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の連鎖である。この有から輪廻転生が生じる。
 「無縁に悲を起して、大悲初めて発る。幻影に心を観じて、唯識、境を遮す。」慈悲心に目覚め、唯識説に目覚める。すべての現象は幻影であると知る。唯識瑜伽行派の思想である。仏教の根本的矛盾は、諸法無我、即ち無我説 (四法印)と輪廻転生説との矛盾にある。十二因縁の無明ゆえに輪廻転生が起きる。この矛盾を解くのが唯識説である。輪廻転生する主体は、阿頼耶識である。(無着『摂大乗論』三種の薫習)
第七住心 覚心不生心
 「八不に戯を絶ち、一念に空を観れば、心原空寂にして、無相安楽なり。」「不生、不滅、不断、不常、不一、不異、不去、不来」。この八つの不を認識し、空観に徹すれば、心は空寂で安楽である。中観派の思想である。
第八住心 一通無為心
 「一如本浄にして、境智倶に融す。この心性を知るを、号して遮那という。」主体と客体の境のない境地。一如、境と智ともに融一する。天台止観の思想である。
第九住心 極無自性心
 「水は自性なし、風に遇うてすなわち波たつ。法界は極にあらず、警を蒙って忽ちに進む。」事法界、理法界、両者を止揚した、無自性・空界と現象が共存する理事無礙法界、事物が融通無碍に共存する事々無礙法界に到達する。毘盧遮那仏と一体になる融通無碍の境地。『華厳経』の蓮華蔵世界である。
第十住心 秘密荘厳心
 「顕薬塵を払い、真言、庫を開く。秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す。」顕薬は塵を払うが、真言は秘密の宝の庫を開く。大日如来、真言密教の境地。秘密荘厳心では、智法身と理法身、知性(ノエーシス)と思惟対象(ノエーマ)、金剛界と胎藏界が一体融合して、神人合一、神の領域(ビオス・テオーレーティコス)に到達する。この智の階梯をいかにして昇るか。最後の境地は、どこにあるのか。これを図示するのが、金剛界曼荼羅である。
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【空海『秘密曼荼羅十住心論』第六住心】法相宗が第六住心にあたる。法相宗では三劫成仏を説き、三大阿僧祇という無限の時間をかけて成仏をするという発想。
法相宗の思想では心を八つの識に分ける。眼耳鼻舌身意の六識に、自我意識である末那識と、無意識である阿頼耶識を加え八識。阿頼耶識は知ることのできない不可知の知、阿頼耶識を転換すると大円鏡智となる。末那識を転換して平等性智、意識を妙観察智、前五識を転換して成所作智、【空海『秘密曼荼羅十住心論』第六住心】八識を転換して四つの智慧を得るのが法相宗である。密教では五智を説き、阿頼耶識の上に九識があり、さらに十識である無際智を転換して法界体性智。これが大日如来の智慧。唯識では四智を説き、密教では五智を説き、即身成仏を説く点で、法相宗は第六住心となり。
【空海『秘密曼荼羅十住心論』第九住心】華厳宗では四種法界を説く。その四種の一つが事法界で、普通の物事がそのままあり。それが平等だというのが理法界。事と理が一緒になったのが事理無礙法界で、最後は事事無礙法界。一切のものは縁起によって無碍という、事事無礙法界が最高の境地と認識される。空海『即身成仏義』に「重々帝網なるを即身と名付く」とあり、重々帝網というのは、事事無礙法界の例え。華厳宗は真言宗の前の段階になる。しかし、天台でも華厳でも、大日如来の世界を見ていない。宝の世界に入っていない。
【空海『秘蔵宝鑰』序830】
悠々たり悠々たり太(はなは)だ悠々たり、内外の縑緗(けんしょう) 千万(せんまん)の軸(じく)あり。杳杳たり杳杳たり 甚だ杳杳たり。道をいい道をいうに百種の道あり、書死(た)え諷死(た)えなましかば本何(いかん)がなさん。知らじ知らじ吾(われ)も知らじ・〔欠文〕思い思い思うとも聖(せい)も心(し)ることなけん。牛頭(ぎゅうとう)草を甞(な)めて病者(びょうしゃ)を悲しみ、
断菑(だんし)車を機(あやつ)って迷方(めいほう)を愍(あわれ)む。三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲(もう)なることを識(さと)らず。生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し。
(『秘蔵宝鑰』序、八三〇年)空海、57歳
――
悠々としてはるかである、悠々としてはるかである、たいへんはるかなことである。
わたしたちの前には、美しく装丁された仏教の経典(内典)、そして漢籍(外典)。
なんと千万もの巻物がある。 そこにある教えは、きわめて膨大である。
杳々として広大である、杳々として広大である、たいへん広大なことである。
人の道について説くものがあるが、人の道を説くのに、儒教・道教・仏教・小乗・大乗・顕教・密教・・・・実に、百種もの道がある。 そこにある教えは、きわめて広大である。
しかし、もしも、その、書き残された書がなくなったり、言い伝えられた諷がなくなったとしたら、一体どうだろうか。
知らない、わからない、教えを学ばなかったら、わたしも道を知らないだろう。
では、考えるか。
たとえ、考えて、考えて、考えて、考えたとしても、聖人だってわからないだろう。
知の蓄積があって、人はようやく道を知るのである。
頭に牛の角がはえた神農という人がいた。
その昔、人びとは食べられるものとそうでないものをよく知らなかった。そのため、毒物にあたって体をこわすものが多かった。神農はこれを悲しみ、自ら草を嘗めた。彼の体は透明なので、毒がはいっていると、内蔵が黒くなるのでわかるのである。彼は身を犠牲にして人びとを救ったのである。
また、体が断菑のようと評された周公旦という人がいた。 その昔、越の南から周の王朝に朝貢してきたものたちがいたのだが、彼らは方角がわからなくなり、国に帰れなくなってしまった。周公はそれを哀れみ、指南車という車をつくって、彼らを故国へ帰した。
人びとを救うには、そのような何かが必要であり、彼らのような人が必要なのだ。なぜなら、人は無明だからである。
人びとが物を食い、子を生む、この欲界、 欲界を離れても、物と体に束縛された色界、 心の働きのみが残る無色界、その三界を人は輪廻する。 なぜなら、解脱できないからである。
正しい悟りをもてないのだから、狂っている。 狂っているけれども、狂っていることがわからない。 真理を知る知恵がないからである。
この世に生きるものにはさまざまなものがある。四生、 母の胎内から出生するもの。 卵から孵るもの。 湿気の中から生えるもの。 業により忽然と出てくるもの。
その四生の中には視覚のない生き物もいる。彼らは自分が視覚がないことを知らない。 それを知る目がないからである。
この世の人びとは、生まれ、生まれ、生まれ、つぎつぎに生まれてくるが、その始めは暗黒である。それを知る知恵がまだないからである。 この世の人びとは、死んで、死んで、死んで、つぎつぎに死んでゆくが、その終わりは暗黒である。やはり、それを見る目がもうないからである。
無明であることは、三界の狂人、四生の盲者とかわるところがない。
この世に迷える一切の衆生を救う、秘蔵宝の鍵。それがこの書である。
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参考文献
金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅

転識得智、種子薫習
https://t.co/MIXigqe3xH
空海『即身成仏義』、大日如来の知恵 五智如来の知恵
https://bit.ly/2O8YtbU
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学』
https://bit.ly/2AeU3Hv 
空海の旅 旅する思想家、美への旅
https://t.co/HPPpp3e5iL
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
https://bit.ly/2zsD05T
無我説と輪廻転生、仏教の根本的矛盾・・・識體の転変、種子薫習。名言種子、我執種子、有支種子
https://bit.ly/2U9rO6s
「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」・・・大日如来、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-f6ef9c.html
学問僧、空海・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-2f9322.html
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