« 理念を探求する精神、空海『即身成仏義』819-820『秘蔵宝鑰』序、830 | トップページ | 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」・・・孤高の画家、熱帯の光芒 »

2024年9月18日 (水)

「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 -ガンダーラから日本へ-」

Bamiyan-mitsui-2024
Bamiyan-miroku-gandhala-23c-ryukokui-202
Bamiyan-national-geographic-mitsui-2024
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第377回
灼熱の秋、三井記念美術館に行く。ヒンドゥークシュ山脈、バーミヤン、ガンダーラ美術、ガンダーラの瑜伽行唯識学派(4~5世紀)に思いを馳せる。
バーミヤンはアフガニスタンの仏教遺跡。3~7世紀のクシャーナ朝時代のガンダーラ様式(2~3世紀)の系統にある岩肌を彫り抜いて巨大な仏像がかつて見られた。この地は唐の玄奘が訪れ、その著作『大唐西域記』に梵衍那国として記されている。断崖に造られた高さ55mと38mの二基の磨崖仏。ガンダーラの思想家、アサンガ(無着)『摂大乗論』、ヴァスヴァンド(世親)『唯識三十頌』、瑜伽行唯識学派(4~5世紀)の思い出。
【玄奘三蔵 (602〜664)】『西遊記』の三蔵法師のモデルとしてよく知られる唐の仏教僧。玄奘は、20年近くにわたり中央アジアからインドへ旅したが、インドに経典の原典を求めて旅する途中、630年頃にバーミヤンに滞在し、大仏の姿も実際に目撃した。玄奘の旅行記である『大唐西域記』には、二体の大仏を含めバーミヤンの信仰の様子が書かれている。玄奘『大唐西域記』にてバーミヤン東大仏を「釈迦仏」と明言している。
【三蔵法師、玄奘、太宗皇帝】玄奘は、仏典の研究には原典に拠るべきであると考え、仏跡の巡礼を志し、貞観3年(629年)、唐帝国に出国許可を求めたが得られず国禁を犯して密出国。西域の商人らに混じって天山南路の途中から峠を越えて天山北路へとルートを辿って
【三蔵法師、玄奘、太宗皇帝】密出国から16年を経た貞観19年1月(645年)、657部の経典を長安に持ち帰った。皇帝太宗も玄奘の業績を高く評価した、16年前の密出国の件について玄奘が罪を問われなかった。太宗のために『大唐西域記』を執筆。仏教と経典の保護を高宗
【玄奘、三蔵法師】26歳の時、法律を破って一人、インドへ旅立つ。40歳まで学問を深め、中国に仏教を伝えたいと帰ることを決意。インドのサンスクリット語で書かれた経典を22頭の馬に積んで旅する。43歳のとき帰国。経の翻訳に人生を捧げる。『解深密経』『大般若経』『般若心経』『倶舎論』『唯識三十頌』『唯識二十論』『瑜伽師地論』。弟子の窺基(きき)が法相宗を開いたので、玄奘は後に唯識に基づく法相宗の開祖といわれる。602年~664年。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展覧会の趣旨
【バーミヤン遺跡】アフガニスタンの中央部を東西に走るヒンドゥークシュ山脈の中にあります。この地域は、古くからユーラシア各地の文化が行き交う「文明の十字路」とも呼ばれています。渓谷の崖に多くの石窟が掘られ、【東西二体の大仏】が聳えていた。大仏の周囲壁面には「太陽神」と「弥勒」の姿が描かれていた。
バーミヤン遺跡の石窟に造営された、東西2体の大仏を原点とする、【「未来仏」である弥勒菩薩】信仰の流れを、インド・ガンダーラの彫刻と日本の法隆寺など奈良の古寺をはじめ各所に伝わる仏像、仏画等の名品でたどる。なお2001年にイスラム原理主義組織・タリバンによって破壊された大仏の壁画を、調査時のスケッチと写真から作成した再現図を初公開する。
【「弥勒菩薩」】現在兜率天に住まい、釈迦入滅後の56億7千万年後にこの世に下生する、未来の救世主である。弥勒は2〜3世紀頃のガンダーラ地域において既に信仰され、その後バーミヤンを含む中央アジア、中国・朝鮮半島へと広がり。弥勒信仰の源流とアジアへの広がりがある。
『弥勒六部経』弥勒の上生・下生信仰を説いた、『法華経』類には弥勒が住む兜率天への往生と、阿弥陀如来が住む阿弥陀浄土への往生が説かれている。
バーミヤンの大仏と壁画は、2001年3月にイスラム原理主義組織・タリバンによって破壊されてしまいましたが、破壊以前に行われた調査時のスケッチと写真によって、このたび壁画の描き起こし図が新たに完成しましたので、東京にて初公開する。
バーミヤン遺跡とは
バーミヤン遺跡は、アフガニスタンの首都・カーブルから西北西に約120km、標高2500mの高地にあります。約1.3kmにわたる崖には、東西に高さ38mの「東大仏」と高さ55mの「西大仏」がそびえ立ち、800近い石窟群が掘られていました。
また、バーミヤンの地は、6世紀頃から交通の要所となり、多様な人々や文化が行き交い独自の文化が生まれ、「文明の十字路」とも称されている。
【バーミヤン遺跡の東西大仏】周囲には、壁画が描かれていた。東大仏の頭上には、ゾロアスター教の太陽神・ミスラの姿、一方西大仏の周囲には、弥勒が住まう兜率天の様子が描かれていたと考えられています。壁画は大仏とともに破壊されてしまいましたが、破壊前に行われた調査での写真・スケッチをもとに、新たに10分の1縮尺の描き起こし図が完成しました。本展覧会では、それら描き起こし図を東京にて初公開いたします。
【東大仏の頭上に描かれていた】のは、ゾロアスター教の太陽神・ミスラであるという説が有力視されている。インド地域においても、ミスラと同じ語源を持つミトラ神が古くから存在していましたが、紀元前2世紀頃にギリシアの太陽神・ヘリオスの図像がインドに伝わってからは、スーリヤが太陽神として後世まで信仰された。
【西大仏】玄奘が『大唐西域記』にてバーミヤン東大仏を「釈迦仏」と明言しているのに対し、西大仏の尊名については触れられておらず不明でしたが、壁画の内容から「弥勒仏」であった可能性が明らかとなった。
――
大乗仏教を代表するもう一つの学派は、【唯識派】『華厳経』十地品にみられる「あらゆる現象世界(三界)はただ心のみ」という唯心思想を継承、発展させた。4~5世紀のアサンガ(無着)、ヴァスバンドゥ(世親)の兄弟がその代表的な思想家である。出典)
【唯識学派】切は心から現れるもの(識)のみであるという主張による。このような考えは、最古の経典『ダンマパダ』は「ものごとみな 心を先とし 心を主とし 心より成る」(藤田宏達訳)。
【唯識派の特徴】心とは何かを問い、その構造を追究した。この派は、瞑想(瑜伽すなわちヨーガ)を重んじ、その中で心の本質を追究した。そのため瑜伽行派と呼ばれる。
アビダルマ哲学によれば、われわれの存在は刹那毎に生滅をくりかえす心の連続(心相続)である。唯識派は心相続の背後にはたらくアラヤ識(阿頼耶識)を立てた。
アラヤ識は、表面に現れる心の連続の深層にあって、その流れに影響をあたえる過去の業の潜在的な形成力を「たくわえる場所(貯蔵庫)」(ālaya)である。
これは瞑想の中で発見された深層の意識であるが、教理の整合性をたもつ上で重要な役割を果たした。すなわち、無我説と業の因果応報説の調和という難問がこれによって解決された。
無我説は、自己に恒常不変の主体を認めない。自己は、刻々と縁起して移り変わっていく存在であるという。すると、過去と現在の自己が同一であるということは、なぜいえるのであろうか。無我説では、縁起する心以外に何か常に存在する実体は認められない。はたして自業自得ということが成り立つのか。あるいは、過去の行為の責任を現在問うことができるのか。これは難問であった。
解答がなかったわけではない。後に生ずる心が先の心によって条件づけられているということが、自己同一性の根拠とされた。いいかえれば因果の連鎖のうちに自己同一性の根拠が求められた。
しかし、業の果報はただちに現れるとはかぎらず時間をおいて現れることがある。業が果報を結ぶ力はどのようにして伝えられるのか。先の解答はこの点について、十分に答えていない。
深層の意識としてのアラヤ識は、この難問を解消した。心はすべて何らかの印象を残す。ちょうど香りが衣に染みこむように、それらの印象はアラヤ識の中で潜在余力となり、後の心の形成にかかわる。アラヤ識が個々人の過去の業を種子として保ち、果報が熟すとき表面にあらわれる心の流れを形成する。
これによって、「アートマン(自我)がなくて、なぜ業の因果応報や輪廻が成立つのか」という問題に対する最終的な解答が与えられた。
アラヤ識自身も刻々と更新され変化する。アートマン(自我)のような恒常不変の実体ではない。しかし、ひとはこれを自我と誤認し執着する。この誤認も心のはたらきである。これは、通常の心の対象ではなく、アラヤ識を対象とする。また、無我説に反する心のはたらきである。そこで、この自我意識(manas末那識)は特別視され、独立のものとみなされた。
こうして【唯識派】「十八界」において立てられた眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識に加えて、第七の自我意識(manas末那識)、第八のアラヤ(ālaya)識vijñanaが立てられ、心は層からなる統体とみなされ、層構造をもつ心から生まれ出る表象(vijñapti)として一切の現象は説明された。一切は表象としてのみある(vijñaptimātratā)。
しかし、ひとは表象を心とは別の実在とみなす。こうして、みるものとみられるものに分解される。このようにみざるをえない認識構造をもつ心は誤っている(虚妄分別、こもうふんべつ)。
虚妄分別によってみられる世界は仮に実体があるかのように構想されたものでしかない(遍計所執性、へんげしょしゅうしょう)。
そして誤った表象をうみだす虚妄分別は、根源的な無知あるいは過去の業の力によって形成されたものである。すなわち他のものによって縁起したものである(依他起性、えたきしょう)。
こうして依他起なる心、アラヤ識のうえに迷いの世界が現出する。しかし、経典に説かれる法を知り、修行を積み、アラヤ識が虚妄分別としてはたらかなくなるとき、みるものとみられるものの対立は現れなくなり、アラヤ識は別の状態に移り、「完全な真実の性質」をあらわす(円成実性)。
「遍計所執性」「依他起性」「円成実性」は、あわせて「三性(さんしょう)」といわれる。迷いの世界がいかにして成り立ち、そこからどのようにすれば解脱しうるかを説く唯識の根本教義である。日本において、唯識思想は倶舎論とともに仏教の基礎学として尊重されてきた。
服部正明・上山春平『認識と超越<唯識>』(「仏教の思想」第 4巻、角川書店、1970年)
――
■展示構成と作品
東京初公開!!
展示室4東西二体の大仏と壁画の描き起こし図
展示室4玄奘三蔵と『大唐西域記』
展示室1・3太陽神の信仰
本展覧会では、こうした太陽神の様々な姿や太陽神と仏教の関わりについてご紹介します。
展示室4・5アジアの弥勒信仰
示室2・7日本の弥勒信仰
ガンダーラ・中央アジアで発展した弥勒信仰は、中国・朝鮮を経て日本にも伝わりました。6世紀の仏教伝来当初より弥勒の存在が重視されていたことが知られ、特に奈良時代に発展した法相宗の寺院では弥勒信仰が盛んとなった。
また、平安時代後期以降も未来仏である弥勒信仰は一層の高まりを見せ、上生・下生信仰のほか、密教や阿弥陀信仰とも関連を持ちながら独自の展開を遂げた。本展覧会では、こうした日本の弥勒信仰を背景に生み出された仏像や絵画などを通して、様々な弥勒の姿をご覧いただきます。
展示室5弥勒に関する経典と図像
【弥勒】経典。『弥勒六部経』弥勒の上生・下生信仰を説いた、『法華経』類には弥勒が住む兜率天への往生と、阿弥陀如来が住む阿弥陀浄土への往生が説かれている。本展覧会では、弥勒の信仰・造像に影響を与えた経典や、様々な弥勒の像容を収めた図像などをご覧いただきます。
――
参考文献
無我説と輪廻転生、仏教の根本的矛盾・・・識體の転変、種子薫習。名言種子、我執種子、有支種子
金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅
転識得智、種子薫習
「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 −ガンダーラから日本へ−」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/09/post-21b8bc.html
――
「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 -ガンダーラから日本へ-」
三井記念美術館、9月14日(土)〜11月12日(火)
10:00〜17:00(入館は16:30まで)

|

« 理念を探求する精神、空海『即身成仏義』819-820『秘蔵宝鑰』序、830 | トップページ | 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」・・・孤高の画家、熱帯の光芒 »

仏教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 理念を探求する精神、空海『即身成仏義』819-820『秘蔵宝鑰』序、830 | トップページ | 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」・・・孤高の画家、熱帯の光芒 »