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2025年2月

2025年2月28日 (金)

美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第391回
狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、100面の壮麗な光景は、圧倒的な美しさ、京都、大覚寺において、見ることが不可能な至宝の光景。2025年2月17日18日
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質疑応答【問題篇】、X氏×大久保正雄
ある人を前提して、質疑応答を作成しました。スケジュール上の理由から中止の止むなきに至りました。解説篇に解答の鍵があります。
1、嵯峨天皇と空海
精神文化を愛する王、嵯峨天皇、密教の思想家・空海、平城上皇の乱が起きる。嵯峨天皇は、文化を愛し、空海と交流し、高野山の開創を勅許し、東寺を空海に賜り、弘仁貞観文化を生み出した。詩人、書家、芸術家を輩出した。嵯峨天皇妃橘嘉智子。橘嘉智子は絶世の美女と記録された。
嵯峨天皇と空海によって生み出された、弘仁貞観文化は、どのような世界だと思いますか。嵯峨天皇の統治は、どのような世界だと思いますか。歴史上の王朝と比較して。

2、嵯峨天皇と空海、皇后橘嘉智子
嵯峨天皇と空海、皇后橘嘉智子は、嵯峨・淳和・仁明天皇3代、統治と文化に重要な役割を果たした。嵯峨院、嵯峨離宮を築き、院政を行い、30年間君臨する。嵯峨、空海、橘嘉智子は、どのような人物か。
嵯峨天皇は、権勢を誇る藤原家の女を皇后とせず橘嘉智子を皇后とした。美女だからではない理由は何故か。
10世紀、一条天皇は、定子、彰子を通じて藤原道長に支配された。(倉本和宏『紫式部と藤原道長』)

3、密教美術、仏教美術
空海の密教は、「言葉によっては思想を伝えることは難しい。だから、図像によって表す」「真言秘蔵は経疏に隠密にして、図画を仮らざれば相伝すること能わず」(空海『請来目録』) 。そこで、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅、東寺講堂の21体の仏像による立体曼荼羅などによって、多彩な密教美術が生み出された。思想を表現するために密教美術は生み出された。
密教美術の作品で、魅力的な仏像は何ですか。密教美術に限らず、仏像界で最も魅力的な仏像は何ですか。

4、狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、狩野山楽は、狩野永徳の弟子。
狩野永徳は、当代最高の絵師とアレッサンドロ・ヴァリニャーノに呼ばれた。狩野永徳は、織田信長の安土城の障壁画を一門を率いて描いたが、本能寺の変で焼失。狩野山楽は、武家の出身でありながら、数奇な運命を経て、狩野永徳の弟子となる。
「紅白梅図」「牡丹図」は、狩野山楽筆である。繊細で豪華な作風は、狩野永徳の弟子である(河野元昭『饒舌館長』)
狩野永徳の障壁画、屏風で魅力的な作品は何ですか。狩野山楽の作品で魅力的な作品は何ですか。安土桃山時代の障壁画で魅力的な作品は何ですか。
織田信長は、残酷な覇王とされるが、茶の湯を愛好、狩野永徳、千利休、本因坊算砂、牛田牛一、沢彦宗恩、武井夕庵、清玉上人、穴太衆、ら、天下一の芸術家、才能を重用した。ルイス・フロイス『日本史』は「織田信長は、明晰透徹」と書いた。
織田信長の、真の姿は何か。

5、織田信長の妹、お市の方、浅井三姉妹、茶々、江。お市の方は戦国一の美女として有名。浅井三姉妹の江は、3度目の結婚で、第2代将軍、徳川秀忠の正妻となり、家光を産む。浅井三姉妹は、3度落城の残酷な運命の果て、自分の運命を知る。
戦国の美女にとって、どのような生き方が幸福な人生だと思いますか。

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【解説篇】
表面的に芸術を撫でるのではなく美の本質を、美しさの陰にある精神の美、精神文化の舞台裏にある人間のドラマを探求する、美への旅。
1、嵯峨天皇と空海
【平城上皇の乱】809年4月嵯峨天即位。9月譲位した平城上皇が太政官人半ばを率いて平城旧京に遷り藤原薬子と兄仲成に擁され朝政に干渉。嵯峨天皇は巨勢野足・藤原冬嗣を蔵人頭に対抗。弘仁元年(810)9月、上皇の平城遷都の命を機に征夷大将軍・坂上田村麻呂の兵を派遣
【空海と最澄、嵯峨天皇】809年8月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、809年10月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなる【816年(弘仁7)七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創】【『即身成仏義』819-820】
精神文化を愛する、嵯峨天皇『舞蝶』『文華秀麗集』818年(弘仁9)数群の胡蝶、飛び乱れ、花樹の中、色彩が芬芬、弦管の響に因らず、無心にして処々春風に舞う。
数群胡蝶飛乱空(数群の胡蝶空に飛び乱れ)雑色紛紛花樹中(雑色粉々なり花樹の中)本自還元不因響(本自弦管の響きによらず
【空海と嵯峨院の別れの詩】空海60歳と嵯峨院47歳の時の最後の会見。2年後、空海は835年62歳で死去、嵯峨院は842年56歳で薨去。嵯峨天皇「海公と茶を飲みて山に帰るを送る」【嵯峨院】天長10年(833年)10月、在位中に設営された洛外の離宮の嵯峨院に御所を新造。
天長10年(833年)10月ある秋、嵯峨天皇と空海は香茶を飲み、詩を詠まれた。「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて日ここに暮れる。稽首してわかれを傷み雲煙を望む。」『海公〔空海〕とともに茶を飲み、山に帰するを送る一首』(経国集』巻十)。

精神文化を愛する嵯峨天皇と空海、橘嘉智子、詩人、藝術家たち。
15世紀フィレンツェのメディチ家、ロレンツォ・デ・メディチのようである。
メディチ家はプラトン・アカデミーの思想家たちを集め、プラトン哲学を研究、プラトン全集をマルシリオ・フィチーノに翻訳させた。
ロレンツォ・デ・メディチ「青春は過ぎゆく。楽しみなさい」の詩を想起する。フィレンツェは、ローマ教皇軍、フランスのフランソワ2世の軍に、包囲された。ハプスブルク・ヴァロワ戦争で標的にされた。
スペイン・ハプスブルク家フェリペ2世の藝術愛好とは異なる。オーストリア・ハプスブルク家マリア・テレジアの藝術蒐集の物欲とは異なる。唐の太宗皇帝による王羲之の書の愛好とも異なる。エジプト18王朝、ラムセス2世とネフェルタリのアブシンベル神殿建築とは異なる。アクエンアテン王とネフェルティティのエル・テル・アマルナ神殿建築とは異なる。フランソワ2世はレオナルド・ダ・ヴィンチを招き、フランス・ルネサンスを構築する。ロワールの古城、シャンボール城、フォンテーヌブロー宮殿とは異なる。











嵯峨天皇は、文雄(詩人の友)を集めて曲水の宴を開いた。『蘭亭序』は、永和9年(西暦353年)3月3日に王羲之が会稽山の蘭亭で修禊の儀式をして催した曲水の雅会、人々が詠じた漢詩に寄せた序文。
嵯峨天皇『神泉苑花宴賦落花篇』「過半の青春 何の催ほす所ぞ。和風数(しばしば)重(しき)りて 百花開く。芳菲歇盡(けつじん)するに、駐(とど)むるに由無し。爰ここに文雄を唱(よば)ひて、賞宴に来たる 見取す。花光林表に出づることを、造化寧ぞ仮らん丹靑の筆」
【嵯峨天皇の支配構造 腹心【藤原冬嗣、橘嘉智子】真言密教、空海】紫式部時代との比較【平城上皇の乱】819年9月【式家排除】弘仁元年(820)九月、制圧。薬子自殺、仲成射殺、高丘親王は廃止、藤原真夏ら左遷【一条天皇、兼家・道隆・道長に支配され一帝二后】1000年2月
【弘仁・貞観文化】嵯峨天皇は、藝術と精神文化を愛する王、自ら詩を書き、空海と交友した。詩文の粋を集めた『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』はその精華。「光定戒牒」等の遺品があり、空海・橘逸勢とともに三筆と称せられる。承和九年(八四二)七月十五日崩じた。五十七歳。
橘嘉智子は、会った人が余りの美しさに感動したと歴史書に書かれた。
橘嘉智子は、類まれな精神をもっていた。不思議な血筋ゆえか。
3、密教美術、仏教美術
友人に京都、下鴨のお嬢様がいます。彼女は、東寺に行くとき、あの方に会いに行くと言います。東寺講堂、帝釈天、梵天の座像です。帝釈天は、仏像界で、最も美しいと言われる。帝釈天は、インドラ、戦いの神、宮澤賢治『インドラの網』に描かれている。『即身成仏頌』「インドラの網」が出てくる。「重重帝網なるを即身と名づく」(空海『即身成仏義』)。
密教美術の宝庫は、京都、東寺講堂、東寺観智院、東寺霊宝館、高野山金剛峰寺、霊宝館、醍醐寺、奈良、法華寺、近江には十一面観音菩薩の宝庫があります。
密教美術に限らず、仏像界で、最も人気がある仏像は、興福寺・阿修羅像、法華寺十一面観音菩薩、法隆寺救世観音像、夢違い観音像、法隆寺・伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像だと思います。
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)四種曼荼各離れず(相)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)

4、狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、狩野山楽は、狩野永徳の弟子。狩野永徳の繊細にして華麗なる画風を受け継ぎ、壮麗な障壁画を描いた。
織田信長は、残酷な覇王とされるが、茶の湯を愛好、狩野永徳、千利休、本因坊算砂、牛田牛一、清玉上人。武井夕庵、軍師・沢彦宗恩、穴太衆ら、天下一の芸術家、才能を重用した。最愛の妻、生駒吉乃が39歳で亡くなった時は慟哭した。ルイス・フロイス『日本史』は「織田信長は、明晰透徹」と書いた。
織田信長は、残虐王と思われているが、最も残虐な武将は、豊臣秀吉、明智光秀である。織田信長は、孤高の城、安土城を築き、藝術で装飾した。安土城は、儒教、道教、仏教の障壁画が描かれた。アレッサンドロ・ヴァリニャーノは最高の城と評した。千宗易など、天下一の才能を集めた。

5、織田信長の妹、お市の方、浅井三姉妹、茶々、江。お市の方は戦国一の美女。織田信長の血族には、絶世の美女が多い。
織田信長、最愛の妻、生駒吉乃は、信長の子、信忠、信雄、五徳(徳姫)を産んだ。徳姫は、徳川家康の長男、信康と結婚したが、天正7年、信康と築山殿を12ヶ箇条の手紙で、信長に告発。天正7(1579)年夫徳川信康と築山殿を自刃の後、天正8年、家康に見送られて、安土城に行く。本能寺の変1582、関ケ原の戦い1600、大坂冬の陣1614夏の陣1615。家康の死1616を超えて、1636年78歳まで生きる。
戦国一の絶世の美女といえども、知性と戦略的思考をもって、戦国の世を生きなければならない。
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美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-fe0b54.html
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参考文献 1
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
学問僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post
――
【質疑応答】島薗進先生に、死生学、比較宗教学の観点を踏まえて、質疑応答しました。内容を記録します。島薗進「死生学 ファンタジーと魂の物語」2019年5月26日、上智大学6号館203教室にて。
1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』、2、天正、織田信長、改元の目的、3、密教真言、藝術と魔術、5、学問の不可欠な要素。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』
https://bit.ly/2xET3ix
6、3つの時間論。自分が生きたい時間論を選ぶならば、何を選びますか。
大久保正雄
3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』
https://bit.ly/2NPYAX5
【質疑応答】宗教学者、島薗進先生に死生学について質疑応答しました。2018.5. 27、上智大学にて。
1、宗教とは何か、2、宗教が生まれる原因は何か、3、世界観の選択、4、藝術家と宗教、5、天から降りてきた魂、6、 織田信長と天の思想、7.秘密曼陀羅十住心論、8、父殺しのテーマ、9、人の痛みを知ること、10、理念の崩壊は『純粋理性批判』から始まった。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.5.28
https://bit.ly/2TtDqjn
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』2016.5.29
https://bit.ly/2AeU3Hv
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』2019年1月 7日 (月)
https://bit.ly/2AxsN84
――
大久保正雄 著作目録1 哲学編 
http://bit.ly/2AgBWnr
大久保正雄 著作目録2 美学・美術史
http://bit.ly/2vz6Gcd
大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社
https://bit.ly/379FVUp
――
プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-83ae10.html
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
https://bit.ly/3xYWHQv
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
大久保正雄 著作目録1 哲学編2025
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/1-b346.html
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参考文献 追補
大貫隆 (著) 『終末論の系譜 初期ユダヤ教からグノーシスまで 』
ユダヤ教のなかで胚胎した独特な終末思想はいかにしてイエスに継承されていったのか
聖書正典のみならず外典・偽典その他の史料を渉猟し、さらにはベンヤミン、ガダマー、アガンベンなど現代思想家との対話も試みる
https://amzn.to/4iv2l1N

河野 元昭先生「饒舌館長」
しかし様式的に、貞信一門とはどうしても見なせない点から、美術史研究者の間では元和5年東福門院女御御所説だけを生かし、「牡丹図」「紅白梅図」はそのころの山楽画とする見方が通説になっていました。土居先生もこの立場でした。
これに再考を迫ったのが、若き日の美術史家・川本桂子さんでした。川本さんは著書『友松・山楽』<名宝日本の美術>(小学館)において、東福門院女御御所説を完全に否定し、様式的にみて山楽慶長末期の傑作であることを明快に論じたのです。僕の所有する『名宝日本の美術』は<新版>なので、『友松・山楽』の発行は1991年になっていますが、オリジナル版は数年早いと思います。https://jozetsukancho.blogspot.com/2025/02/13.html
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空海の密教仏【五大明王】不動明王を中心とした降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の総称、五大尊。空海の教王護国寺講堂の承和6 (839) 年作の木像 (国宝) 、大覚寺の明円作(1177)。金剛界五智如来の教令輪身、忿怒身。唐の不空のころ金剛界五仏
【空海と最澄、嵯峨天皇】809年八月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、一〇月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなる【816年七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創】『即身成仏義』819-820

【県犬養橘三千代】天武~聖武天皇の歴朝に内命婦 として仕え。壬申の乱672年~天平5年733、61年、生きる【藤原不比等と再婚、安宿媛 (あすかべひめ、光明子)を産む】【孫、阿倍内親王、興福寺阿修羅像】【法隆寺 伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像】白鳳時代
【県犬養三千代】藤原不比等と再婚し、安宿媛 (あすかべひめ、光明子) 、多比能を生む。また内命婦 (うちのみょうぶ) として天武~聖武天皇の歴朝に仕え、その功により、和銅1 (708) 年、元明天皇より橘宿禰の姓を賜わる。不比等と結女官として宮廷に大きな影響力
【嵯峨天皇と空海】空海と嵯峨天皇は、香茶を酌み交わした。嵯峨天皇と空海は秋の一日、大沢池に舟を浮かべ、茶を汲み交わし逍遥、夕方、空海が山に帰るにあたり、嵯峨天皇が詠まれた詩「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて
【法隆寺 伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像】鎌倉時代の記録では橘三千代*の念持仏とあるが根拠不明。金銅製の後屏・台座を伴った木製厨子入りの銅造鍍金像。白鳳時代。中尊像高33.3cm。国宝【橘夫人】天武朝から元正朝の5代に歴仕した、古代屈指の有力女官。父は東人
【県犬養三千代】天武、持統、文武、元明、元正の5代に歴仕した古代屈指の有力女官。父は東人(あずまひと)。初め美努(みぬ)王に嫁し、葛城王(橘諸兄)、牟漏女王らを産み、藤原不比等に再嫁して光明子を産む。持統、元明、元正3女帝の信任、文武、聖武の養育。天平5年没
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)。文献、竹村牧男
【狩野山楽】浅井家滅亡、秀吉、秀忠(1559-635)浅井長政の家臣で自らも画をよくした木村永光の子として近江国に生まれる。幼名を平三、のちに光頼。浅井家滅亡とともに父永光が豊臣秀吉に仕える彼も秀吉の小姓。秀吉の計らいで狩野永徳の門に入り狩野姓を授けられ修理亮

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2025年2月 8日 (土)

「魂を込めた円空仏」飛騨・千光寺を中心にして・・・清水真澄館長、記者発表会


Enku-2025
Enku-1-bt-2025
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第390回
「魂を込めた円空仏」記者発表会、清水真澄(三井記念美術館館長)の説明を聞きました。2025年1月31日。
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円空は、材となる「樹木」に神仏を観想し、「樹神」の姿を求めて彫刻した。円空は、樹木を「削る」こと自体に仏教儀礼の意味をもたせ、「削り痕」をそのまま残した。
一削りごとに、魂を込め、呪文、名号、真言陀羅尼を唱え、平安時代からの「仏教儀礼」「如法の仏」にならった作法とされる。
山林修行僧、円空の生涯円空(1632-1695)
『近世奇人伝』以外に、伝記は少ない。
円空は1632(寛永9)年、美濃国(現在の岐阜県)に生まれた。64歳で5000体の像を作り終えると、即身仏入定した。山林修行僧としてのみ、理解されてきた。
前衛的な木彫像が現れ、江戸時代の円空像が注目された。
1959年、東京国立近代美術館、「近代木彫の流れ」展
1960年、鎌倉近代美術館、「円空上人彫刻」展
1963年、鎌倉近代美術館、「その後の円空上人彫刻」展
歌僧円空、学問僧円空、真言陀羅尼を唱える円空の側面があり、山林修行僧だけではない。日本の彫刻史において平安時代の樹神信仰すなわち「立木仏」に源を求めることができる。清水真澄(三井記念美術館館長)は結論した。
千光寺の「両面宿儺像」について
両面宿儺は、『日本書紀』に「一つの胴体に二つの顔」「左右の手に剣を、四つの手は弓矢」「天皇の姪に従わず、成敗された」と記載される。
千光寺の両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)は、慈悲と忿怒の相を併せ持つ像。円空の両面宿儺は、弓矢の代わりに斧をもつ。斧が樹を伐り、削り跡を残す。両面宿儺像は、円空自身の姿である。
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プレスリリースより
江戸時代の山林修行僧・円空は、愛知、岐阜を中心に関東、北陸、さらに北海道までを巡り、各地に木彫の神仏像いわゆる「円空仏」を多数のこしました。現存するその数は約5000余体ともいわれます。円空は、材となる「樹木」に神仏を観想し、「樹神」の姿を求めて彫刻しました。それは現在ものこる生木に直接鉈を下ろした像高2メートルを越す飛騨・千光寺の金剛力士立像で明らかにされ、日本の彫刻史では平安時代の樹神信仰すなわち「立木仏たちきぶつ」に源を求めることができます。
また円空は、樹木を「削る」こと自体に仏教儀礼の意味をもたせ、「削り痕」をそのままのこしています。それが「円空仏」として今日まで伝えられ、現代彫刻にも通じる造形の魅力にもなっています。
円空が樹木に「樹神」を観 、魂を込めて「削った」神仏像は、奈良時代から伝えられる「飛騨の匠」の伝統を継承する岐阜県の飛騨が最もふさわしい舞台といえます。
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展示構成と主な出品作品
1展示室 樹神とノミの削り痕
円空は、樹木の生木に神仏の「樹神」を観て像を彫刻しました。それは平安時代の「立木仏」に遡り、現在も円空が造立した千光寺の金剛力士立像に見ることが出来ます。「樹神」は、生木を斧で「伐きり」、鉈で「割り」、ノミで「削り」、材となってもそこに留まります。円空は、樹木を「伐り」「割り」「削る」行為と、像の表面に削った「ノミ痕」を露わにすることに、仏教の本質があるとしたに違いありません。
愛染明王坐像 霊泉寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

2展示室 柿本人麻呂
柿本人麻呂(664~724)は、7世紀後半の歌人、「万葉集」第一の歌人として知られています。また三十六歌仙の一人で、『古今和歌集』冒頭の紀貫之が記した仮名序文より、「歌の聖」とされています。平安時代末期からは、柿本人麻呂の肖像画を掲げ、和歌を献じて供養する「人丸影供(ひとまるえいぐ)」の歌会が催され、柿本人麻呂は「神格化」されるようになりました。
千光寺に遺されている円空の歌集『袈裟山百首』は、『古今和歌集』からの本歌取が九十首に及ぶとされ、円空にとって、柿本人麻呂は「歌聖」であり「歌の神」でありました。さらに、「人丸影供」の柿本人麻呂像は観音菩薩の応現神であるとされるので、円空が造立した柿本人麻呂像は神像であり観音菩薩であるともいえます。
柿本人麻呂坐像 東山神明神社 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
3展示室 護法神
千光寺(高山市)と飯山寺(高山市)には、総高2メートルを超える同様の構造・像容の作例が現存します。いずれも半裁した丸太を、さらに半分に割り、木心側を像の正面として各部を彫出しています。
護法神立像 千光寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

4展示室 慈悲と忿怒の相
仏教は多神教であり、多くの仏が存在します。それらを経典や図像集から身分や役割によって分類すると「如来」「菩薩」「明王」「天」に分けられるのが一般的です。また顔の表情は、「天」の女性神や童子形の像は別にして、「如来」「菩薩」が慈悲相、「明王」「天」が忿怒相に分けられます。しかしながら、円空の像は忿怒相の中にも慈悲がにじみ出てくる像があり、千光寺の両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)は、まさに慈悲と忿怒の相を併せ持つ像といえるでしょう。
両面宿儺坐像 千光寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
如意輪観音菩薩坐像 東山白山神社 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
不動明王立像及び矜羯羅童子立像・制吒迦童子立像 千光寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
不動明王立像 素玄寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives

4展示室2、観音信仰
観音菩薩は慈悲と救済の菩薩です。『法華経』(『妙法蓮華経』の略称)観世音菩薩普門品第二十五は『観音経』として流布し、中国・日本では観音信仰の典拠となりました。三十三観音信仰は、同経に説かれる観音の三十三応現身の数にあわせて、三十三の観音を集めて総称したものです。
また観音菩薩は、インドのヒンドゥー教の神に倣い、中国で隋・唐時代に多面、多眼、多臂像が造られるようになり、日本では奈良時代に十一面観音、千手観音などの観音菩薩像が造立されました。しかし円空にとって、横に張り出す多臂の像は一木の樹木の制限があるため、多臂の観音像の作例は非常に少ないです。
十一面観音菩薩立像 村上神社

7展示室、龍神と宝珠 法華経』序品第一、第十二提婆達多品
インドの神話の蛇神が仏教に取り入れられると、蛇神が中国で龍になり、龍王、龍神が経典に説話として登場するようになります。また仏伝にも、雨を降らせる、洪水から護るなど水、雨、河などに関わる話が多くあります。
特に『法華経』序品第一の冒頭には、ある時釈迦が王舎城の霊鷲山で『法華経』を説いた時に、会衆として多くの菩薩、十大弟子などとともに八大龍王も参列していることが説かれています。また『法華経』第十二提婆達多品は、八歳の龍女すなわち女人が成仏する話で、宝珠が重要な役を果たしていることが知られています。さらに観音菩薩が宝珠を持つのも、宝珠が菩薩行の象徴ともみなされ、龍と宝珠と観音菩薩の関係が認められます。
なお、円空が描いた『大般若経』見返し絵の中には、龍と宝珠の図が多数登場しており、円空の『法華経』第十二提婆達多品に対する想いもうかがうことができます。
7展示室、宝珠を持つ像
宝珠は、不可思議な功力をそなえた珠、宝石類の総称である摩尼を冠して「摩尼宝珠」といい、「如意宝珠」とも称されます。インドから中国、韓国、日本に伝わり、日本の古代寺院でも塔に安置されました。一方、釈迦の遺骨として篤く信仰されてきた舎利しゃりは、あらゆる願いをかなえる不思議な珠、如意宝珠とみなされるようになりました。
特に密教では舎利と宝珠を同体視するようになり、持物として表すことにより、尊像の効用を象徴する存在になりました。円空像に宝珠を持つ像が多いのは、円空がその意味を十分に理解して、自作の像に宝珠を付したためと思われます。
弁財天立像 飛騨国分寺 画像提供:東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
1・4展示室 白山神と日本の神々
円空は『弥勒寺文書』の『妙法蓮華経』第四帖紙背(自筆)に諸神唱礼文として、「伊勢両太神宮」「八幡大菩薩」「春日大明神」の日本の代表的な三明神のほか、各地の山岳神二十四神の名を記しており、円空の山岳神への篤い信仰が見られます。また円空は、樹木に宿る「樹神」が日本の神祇神じんぎしんだけでなく遠望する山岳の神、さらには民間信仰の神に及ぶとしています。特に円空が生まれ、多くの作例を遺す美濃からは、美濃(岐阜)、加賀(石川)、越前(新潟)にまたがり、古くから霊山として信仰されている白山の姿を拝することができ、多くの白山神像を遺しています。
白山妙理大権現坐像 小川神明神社
5・7展示室 ほとけの世界
仏像の種類は、如来・菩薩・明王・天部など種類も多いですが、円空仏の場合、樹木という材の制限から、手足の多い密教系の像などは少ないことが分かります。現存する円空のほとんどの作例は、銘文などが無いので、尊像名は尊像の特徴である手、足、顔、目などの数や持物、着衣、装身具などから判断して所蔵者、研究者、信仰者が後につけていると思われます。
薬師如来立像 薬師堂
像の表面に削り痕をそのまま残した円空仏は、素朴な力強さのなかに、仏教の慈悲の心を体現したような温かみを感じさせてくれます。本展では、円空が遺した約5000体以上のなかから、傑作として知られる岐阜県千光寺の「両面宿儺像」が日本橋に初登場します。(プレスリリース三井記念美術館)
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参考文献
智慧と慈悲と忿怒と戦闘【東寺、講堂、立体曼荼羅】五智如来、金剛五菩薩、五大明王、四天王、二天【東寺、講堂、立体曼荼羅、21体】五智如来、大日、宝生、阿弥陀、不空成就、阿閦。五菩薩、金剛波羅密、金剛宝、金剛法、金剛業、金剛薩埵。五大明王、不動明王、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉。四天王、持国天、増長天、広目天、多聞天。二天、梵天、帝釈天。
【五大明王】「教令輪身」は、仏法に従わない者を忿怒の姿で仏法に敵対する事を力で止めさせる。不動明王 - 大日如来の教令輪身、東 - 降三世明王 - 阿閦如来の教令輪身、南 - 軍荼利明王 - 宝生如来の教令輪身、西方- 大威徳明王 - 阿弥陀如来の教令輪身、北 - 金剛夜叉明王 - 不空成就如来の教令輪身。東寺講堂が創建された承和6年(839年)
【三輪身】密教では三輪身として、一つの「仏陀」が「自性輪身」、「正法輪身」、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という3つの姿で現れる。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を憤怒姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力で止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻す。
【金剛界曼荼羅の基本となる成身会】金剛界五仏、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、内外の四供養菩薩、四摂菩薩の以上37尊より構成され、これを四大神と賢劫千仏と二十天が囲む。(智拳印)一仏のみで表す他は、中心となる成身会
参考文献
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
学問僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
「魂を込めた円空仏」飛騨・千光寺を中心にして-・・・清水真澄館長、記者発表会
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-ac69ef.html
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「魂を込めた円空仏」-飛騨・千光寺を中心にして-
三井記念美術館、東京都中央区日本橋室町2-1-1三井本館7階)
会期:2025年2月1日(土)~3月30日(日)
https://www.mitsui-museum.jp/

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