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2025年2月28日 (金)

美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第391回
狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、100面の壮麗な光景は、圧倒的な美しさ、京都、大覚寺において、見ることが不可能な至宝の光景。2025年2月17日18日
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質疑応答【問題篇】、X氏×大久保正雄
ある人を前提して、質疑応答を作成しました。スケジュール上の理由から中止の止むなきに至りました。解説篇に解答の鍵があります。
1、嵯峨天皇と空海
精神文化を愛する王、嵯峨天皇、密教の思想家・空海、平城上皇の乱が起きる。嵯峨天皇は、文化を愛し、空海と交流し、高野山の開創を勅許し、東寺を空海に賜り、弘仁貞観文化を生み出した。詩人、書家、芸術家を輩出した。嵯峨天皇妃橘嘉智子。橘嘉智子は絶世の美女と記録された。
嵯峨天皇と空海によって生み出された、弘仁貞観文化は、どのような世界だと思いますか。嵯峨天皇の統治は、どのような世界だと思いますか。歴史上の王朝、一条天皇と藤原道長、紫式部の時代と比較して。
空海の思想の奥義は、何か。空海の思想と嵯峨天皇の文化は、どのように結びつくのか。

2、嵯峨天皇と空海、皇后橘嘉智子
嵯峨天皇と空海、皇后橘嘉智子は、嵯峨・淳和・仁明天皇3代、統治と文化に重要な役割を果たした。嵯峨院、嵯峨離宮を築き、院政を行い、30年間君臨する。嵯峨、空海、橘嘉智子は、どのような人物か。
嵯峨天皇は、権勢を誇る藤原家の女を皇后とせず橘嘉智子を皇后とした。美女だからではない理由は何故か。
10世紀、一条天皇は、定子、彰子を通じて藤原道長に支配された。(倉本和宏『紫式部と藤原道長』)

3、密教美術、仏教美術
空海の密教は、「言葉によっては思想を伝えることは難しい。だから、図像によって表す」「真言秘蔵は経疏に隠密にして、図画を仮らざれば相伝すること能わず」(空海『請来目録』) 。そこで、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅、東寺講堂の21体の仏像による立体曼荼羅などによって、多彩な密教美術が生み出された。思想を表現するために密教美術は生み出された。
密教美術の作品で、魅力的な仏像は何ですか。密教美術に限らず、仏像界で最も魅力的な仏像は何ですか。
大覚寺には、五大明王があります。どのような意味をもつのですか。

4、狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、狩野山楽は、狩野永徳の弟子。
狩野永徳は、当代最高の絵師とアレッサンドロ・ヴァリニャーノに呼ばれた。狩野永徳は、織田信長の安土城の障壁画を一門を率いて描いたが、本能寺の変で焼失。狩野山楽は、武家の出身でありながら、数奇な運命を経て、狩野永徳の弟子となる。
「紅白梅図」「牡丹図」は、狩野山楽筆である。繊細で豪華な作風は、狩野永徳の弟子である(河野元昭『饒舌館長』)
狩野永徳の障壁画、屏風で魅力的な作品は何ですか。狩野山楽の作品で魅力的な作品は何ですか。安土桃山時代の障壁画で魅力的な作品は何ですか。
織田信長は、残酷な覇王とされるが、茶の湯を愛好、狩野永徳、千利休、本因坊算砂、牛田牛一、沢彦宗恩、武井夕庵、清玉上人、穴太衆、ら、天下一の芸術家、才能を重用した。ルイス・フロイス『日本史』は「織田信長は、明晰透徹」と書いた。
織田信長の、真の姿は何か。

5、織田信長の妹、お市の方、浅井三姉妹、茶々、江。お市の方は戦国一の美女として有名。浅井三姉妹の江は、3度目の結婚で、第2代将軍、徳川秀忠の正妻となり、家光を産む。浅井三姉妹は、3度落城の残酷な運命の果て、自分の運命を知る。
戦国の美女にとって、どのような生き方が幸福な人生だと思いますか。

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【解説篇】
表面的に芸術を撫でるのではなく美の本質を、美しさの陰にある精神の美、精神文化の舞台裏にある人間のドラマを探求する、美への旅。
1、嵯峨天皇と空海
【平城上皇の乱】809年4月嵯峨天即位。9月譲位した平城上皇が太政官人半ばを率いて平城旧京に遷り藤原薬子と兄仲成に擁され朝政に干渉。嵯峨天皇は巨勢野足・藤原冬嗣を蔵人頭に対抗。弘仁元年(810)9月、上皇の平城遷都の命を機に征夷大将軍・坂上田村麻呂の兵を派遣
【空海と最澄、嵯峨天皇】809年8月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、809年10月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなる【816年(弘仁7)七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創】【『即身成仏義』819-820】
【空海と嵯峨天皇、寺院】大同4年(809)4月3日神野親王が践祚、13日に即位式を挙げ嵯峨天皇。7月16日、空海は、太政官符により高雄山寺に入住勅許。弘仁7年(816)天皇から高野山を賜り金剛峯寺を開創。弘仁14年(823)、真言陀羅尼宗の根本道場、教王護国寺、東寺を嵯峨天皇より賜る。
精神文化を愛する、嵯峨天皇『舞蝶』『文華秀麗集』818年(弘仁9)数群の胡蝶、飛び乱れ、花樹の中、色彩が芬芬、弦管の響に因らず、無心にして処々春風に舞う。
数群胡蝶飛乱空(数群の胡蝶空に飛び乱れ)雑色紛紛花樹中(雑色粉々なり花樹の中)本自還元不因響(本自弦管の響きによらず
【空海と嵯峨院の別れの詩】空海60歳と嵯峨院47歳の時の最後の会見。2年後、空海は835年62歳で死去、嵯峨院は842年56歳で薨去。嵯峨天皇「海公と茶を飲みて山に帰るを送る」【嵯峨院】天長10年(833年)10月、在位中に設営された洛外の離宮の嵯峨院に御所を新造。
天長10年(833年)10月ある秋、嵯峨天皇と空海は香茶を飲み、詩を詠まれた。「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて日ここに暮れる。稽首してわかれを傷み雲煙を望む。」『海公〔空海〕とともに茶を飲み、山に帰するを送る一首』(経国集』巻十)。

精神文化を愛する嵯峨天皇と空海、橘嘉智子、詩人、藝術家たち。
【嵯峨天皇は曲水流觴の宴を催した】青春が半ばを過ぎた頃、何がせき立てるのか、柔らかな風がしきりに吹いて、花がせかされるように咲く。芳しい花の香りは失せようとして止めることはできない。私は文雄に呼びかけ、詩人たちは花を愛でるこの宴にやって来た。神泉苑花宴賦落花篇
【嵯峨天皇、神泉苑花宴賦落花篇「凌雲集」】春園遥かに望めば、佳人あり。乱雑繁花、相映じて輝き、点珠顏綴、駘鬟(たいかん)として吹く。人懐の中、嬌態閑(しず)かなり。朝に花を攀(よ)じり、暮に花を折る。花を攀じる力尽き、衣帶ゆるく。未だ芬芳(ふんぽう)を厭はず、
【嵯峨天皇の花の宴、神泉苑にて】花(桜)を賞翫しながら漢詩を作って遊ぶ典雅な催し、その始まりが嵯峨天皇の神泉苑の詩宴。神泉苑の詩宴は『日本後紀』弘仁三年(812)二月一二日の記事「神泉苑に幸(いでま)す。花樹を覧(みそな)はし文人に命じて詩を賦せしむ」

15世紀フィレンツェのメディチ家、ロレンツォ・デ・メディチのようである。
メディチ家はプラトン・アカデミーの思想家たちを集め、プラトン哲学を研究、プラトン全集をマルシリオ・フィチーノに翻訳させた。
ロレンツォ・デ・メディチ「青春は過ぎゆく。楽しみなさい」の詩を想起する。フィレンツェは、ローマ教皇軍、フランスのフランソワ2世の軍に、包囲された。ハプスブルク・ヴァロワ戦争で標的にされた。
スペイン・ハプスブルク家フェリペ2世の藝術愛好とは異なる。オーストリア・ハプスブルク家マリア・テレジアの藝術蒐集の物欲とは異なる。唐の太宗皇帝による王羲之の書の愛好とも異なる。エジプト18王朝、ラムセス2世とネフェルタリのアブシンベル神殿建築とは異なる。アクエンアテン王とネフェルティティのエル・テル・アマルナ神殿建築とは異なる。フランソワ2世はレオナルド・ダ・ヴィンチを招き、フランス・ルネサンスを構築する。ロワールの古城、シャンボール城、フォンテーヌブロー宮殿とは異なる。
空海の思想の奥義。
空海の思想の奥義は、即身成仏である。人は覚者、仏陀になることができる。この世の身において、大日如来の現れである。
【仏陀の理念の三身論、空海『即身成仏義』】加持とは如来の大悲と衆生の信心を表す。行者もしよくこの理趣を観念すれば、三密(身密、口密、意密)相応するが故に現身に速疾に. 本有の三身(法身、報身、応身)を顕現し証得す。


【嵯峨天皇、神泉苑花宴賦落花篇「凌雲集」】春園遥かに望めば、佳人あり。乱雑繁花、相映じて輝き、点珠顏綴、駘鬟(たいかん)として吹く。人懐の中、嬌態閑(しず)かなり。朝に花を攀(よ)じり、暮に花を折る。花を攀じる力尽き、衣帶ゆるく。未だ芬芳(ふんぽう)を厭はず、







嵯峨天皇は、文雄(詩人の友)を集めて曲水の宴を開いた。『蘭亭序』は、永和9年(西暦353年)3月3日に王羲之が会稽山の蘭亭で修禊の儀式をして催した曲水の雅会、人々が詠じた漢詩に寄せた序文。
嵯峨天皇『神泉苑花宴賦落花篇』「過半の青春 何の催ほす所ぞ。和風数(しばしば)重(しき)りて 百花開く。芳菲歇盡(けつじん)するに、駐(とど)むるに由無し。爰ここに文雄を唱(よば)ひて、賞宴に来たる 見取す。花光林表に出づることを、造化寧ぞ仮らん丹靑の筆」
【嵯峨天皇の支配構造 腹心【藤原冬嗣、橘嘉智子】真言密教、空海】紫式部時代との比較【平城上皇の乱】819年9月【式家排除】弘仁元年(820)九月、制圧。薬子自殺、仲成射殺、高丘親王は廃止、藤原真夏ら左遷【一条天皇、兼家・道隆・道長に支配され一帝二后】1000年2月
【弘仁・貞観文化】嵯峨天皇は、藝術と精神文化を愛する王、自ら詩を書き、空海と交友した。詩文の粋を集めた『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』はその精華。「光定戒牒」等の遺品があり、空海・橘逸勢とともに三筆と称せられる。承和九年(八四二)七月十五日崩じた。五十七歳。
橘嘉智子は、会った人が余りの美しさに感動したと歴史書に書かれた。
橘嘉智子は、類まれな精神をもっていた。県犬養三千代に遡る不思議な血筋ゆえか。

3、密教美術、仏教美術
密教美術、五大明王の意味。【空海、立体曼荼羅、五大明王、怨敵調伏する】忿怒の形相をもつ五大尊、五忿怒。悪魔を調伏し、仏法を守る守護神。大日如来の変化身。密教で不動明王を中心として四方に配され、魔を降伏させる五明王で、中央が不動、東方が降三世、南方が軍荼利、西方が大威徳、北方が金剛夜叉。
【空海、立体曼荼羅】白象にのる帝釈天騎象像、六面六臂六足の大威徳明王騎牛像、七頭の獅子にのる大日如来、鳥獣に乗る金剛界五仏、五知如来、金剛五菩薩、五大明王、四天王、二天、幻の密教空間。東寺、講堂における立体曼荼羅は知恵と武による、無明の支配。
【空海、立体曼荼羅、東寺講堂】金剛界曼荼羅「成身会」『即身成仏義』『理趣経』に謎を解く鍵がある。空海(774-835)
友人に京都、下鴨のお嬢様がいます。彼女は、東寺に行くとき、あの方に会いに行くと言います。東寺講堂、帝釈天、梵天の座像です。帝釈天は、仏像界で、最も美しいと言われる。梵天、ブラフマン、美しいと言われる。
帝釈天は、インドラ、戦いの神、宮澤賢治『インドラの網』に描かれている。『即身成仏頌』「インドラの網」が出てくる。「重重帝網なるを即身と名づく」(空海『即身成仏義』)。【因陀羅網】インドラ、すなわち帝釈天の宮殿を飾っている網。その網の結び目には宝玉がついており、それぞれが互いに反映している。華厳宗の説く、すべての事物が無限に交渉し、通じあっているとする事事無礙法界(じじむげほつかい)の比喩としてよく用いられる。『華厳五教章』
密教美術の宝庫は、京都、東寺講堂、立体曼荼羅21尊、金剛界、五菩薩、五大明王、四天王、二天。東寺観智院、東寺霊宝館、高野山金剛峰寺、霊宝館、醍醐寺、神護寺。奈良、法華寺、十一面観音菩薩。近江には十一面観音菩薩の宝庫があります。
密教美術に限らず、仏像界で、最も人気がある仏像は、白鳳時代、天平時代。興福寺・阿修羅像、法華寺「十一面観音菩薩」、法隆寺「救世観音像」、夢違い観音像、法隆寺・伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像があります。光明皇后、安倍内親王、県犬養三千代に関わる仏像があり、特筆すべきである。
*【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)四種曼荼各離れず(相)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)


4、狩野山楽筆「紅白梅図」「牡丹図」、狩野山楽は、狩野永徳の弟子。狩野永徳の繊細にして華麗なる画風を受け継ぎ、壮麗な障壁画を描いた。
織田信長は、残酷な覇王とされるが、茶の湯を愛好、狩野永徳、千利休、本因坊算砂、牛田牛一、清玉上人。武井夕庵、軍師・沢彦宗恩、穴太衆ら、天下一の芸術家、才能を重用した。最愛の妻、生駒吉乃が39歳で亡くなった時は慟哭した。ルイス・フロイス『日本史』は「織田信長は、明晰透徹」と書いた。
織田信長は、残虐王と思われているが、最も残虐な武将は、豊臣秀吉、明智光秀である。織田信長は、孤高の城、安土城を築き、藝術で装飾した。安土城は、儒教、道教、仏教の障壁画が描かれた。アレッサンドロ・ヴァリニャーノは最高の城と評した。千宗易など、天下一の才能を集めた。

5、織田信長の妹、お市の方、浅井三姉妹、茶々、江。お市の方は戦国一の美女。織田信長の血族には、絶世の美女が多い。
織田信長、最愛の妻、生駒吉乃は、信長の子、信忠、信雄、五徳(徳姫)を産んだ。徳姫は、徳川家康の長男、信康と結婚したが、天正7年、信康と築山殿を12ヶ箇条の手紙で、信長に告発。天正7(1579)年夫徳川信康と築山殿を自刃の後、天正8年、家康に見送られて、安土城に行く。本能寺の変1582、関ケ原の戦い1600、大坂冬の陣1614夏の陣1615。家康の死1616を超えて、1636年78歳まで生きる。
戦国一の絶世の美女といえども、知性と戦略的思考をもって、戦国の世を生きなければならない。
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美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-fe0b54.html
参考文献
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
学問僧、空海 ・・・空海の生涯と思想
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/05/post-964d84.html
空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-2f9322.html
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【質疑応答】島薗進先生に、死生学、比較宗教学の観点を踏まえて、質疑応答しました。内容を記録します。島薗進「死生学 ファンタジーと魂の物語」2019年5月26日、上智大学6号館203教室にて。
1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』、2、天正、織田信長、改元の目的、3、密教真言、藝術と魔術、5、学問の不可欠な要素。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』
https://bit.ly/2xET3ix
6、3つの時間論。自分が生きたい時間論を選ぶならば、何を選びますか。
大久保正雄
3つの世界観の時間論。時間には、回帰的時間と終末観的時間と進化的時間がある。(渡辺慧『時』第3章、時間の起源と機能)(回帰的時間は、エンペドクレス、ニーチェ『ツァラトゥストラ』。終末観的時間はキリスト教。進化的時間は、ベルクソン『創造的進化』)1974、初刊1948年。*エンペドクレスの宇宙円環(Cosmic Cycle)、ヘラクレイトスの回帰的宇宙、ニーチェの永劫回帰(Ewig Wiederkehren)、ピュタゴラスの輪廻転生。
島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』
https://bit.ly/2NPYAX5
【質疑応答】宗教学者、島薗進先生に死生学について質疑応答しました。2018.5. 27、上智大学にて。
1、宗教とは何か、2、宗教が生まれる原因は何か、3、世界観の選択、4、藝術家と宗教、5、天から降りてきた魂、6、 織田信長と天の思想、7.秘密曼陀羅十住心論、8、父殺しのテーマ、9、人の痛みを知ること、10、理念の崩壊は『純粋理性批判』から始まった。
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと宗教』2017.5.28
https://bit.ly/2TtDqjn
島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』2016.5.29
https://bit.ly/2AeU3Hv
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』2019年1月 7日 (月)
https://bit.ly/2AxsN84
――
大久保正雄 著作目録1 哲学編 
http://bit.ly/2AgBWnr
大久保正雄 著作目録2 美学・美術史
http://bit.ly/2vz6Gcd
大久保 正雄『ことばによる戦いの歴史としての哲学史 理性の微笑み』 理想社
https://bit.ly/379FVUp
――
プラトン哲学の戦い アカデメイア派対ペリパトス派、ローマ帝国、普遍論争、ルネサンス、フランス革命
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-83ae10.html
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
https://bit.ly/3xYWHQv
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
仏教2500年の旅 仏陀入滅、アレクサンドロス大王、瑜伽行唯識学派、密教
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-d241f1.html
大久保正雄 著作目録1 哲学編2025
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/1-b346.html
――
参考文献 追補
大貫隆 (著) 『終末論の系譜 初期ユダヤ教からグノーシスまで 』
ユダヤ教のなかで胚胎した独特な終末思想はいかにしてイエスに継承されていったのか
聖書正典のみならず外典・偽典その他の史料を渉猟し、さらにはベンヤミン、ガダマー、アガンベンなど現代思想家との対話も試みる
https://amzn.to/4iv2l1N

河野 元昭先生「饒舌館長」
しかし様式的に、貞信一門とはどうしても見なせない点から、美術史研究者の間では元和5年東福門院女御御所説だけを生かし、「牡丹図」「紅白梅図」はそのころの山楽画とする見方が通説になっていました。土居先生もこの立場でした。
これに再考を迫ったのが、若き日の美術史家・川本桂子さんでした。川本さんは著書『友松・山楽』<名宝日本の美術>(小学館)において、東福門院女御御所説を完全に否定し、様式的にみて山楽慶長末期の傑作であることを明快に論じたのです。僕の所有する『名宝日本の美術』は<新版>なので、『友松・山楽』の発行は1991年になっていますが、オリジナル版は数年早いと思います。https://jozetsukancho.blogspot.com/2025/02/13.html
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空海の密教仏【五大明王】不動明王を中心とした降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の総称、五大尊。空海の教王護国寺講堂の承和6 (839) 年作の木像 (国宝) 、大覚寺の明円作(1177)。金剛界五智如来の教令輪身、忿怒身。唐の不空のころ金剛界五仏
【空海と最澄、嵯峨天皇】809年八月、経疏の借覧を契機に最澄との交流がはじまり、一〇月嵯峨天皇の命で世説の屏風を献上、このころから書や詩文を通じて嵯峨天皇や文人の認めるところとなる【816年七月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創】『即身成仏義』819-820

【県犬養橘三千代】天武~聖武天皇の歴朝に内命婦 として仕え。壬申の乱672年~天平5年733、61年、生きる【藤原不比等と再婚、安宿媛 (あすかべひめ、光明子)を産む】【孫、阿倍内親王、興福寺阿修羅像】【法隆寺 伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像】白鳳時代
【県犬養三千代】藤原不比等と再婚し、安宿媛 (あすかべひめ、光明子) 、多比能を生む。また内命婦 (うちのみょうぶ) として天武~聖武天皇の歴朝に仕え、その功により、和銅1 (708) 年、元明天皇より橘宿禰の姓を賜わる。不比等と結女官として宮廷に大きな影響力
【嵯峨天皇と空海】空海と嵯峨天皇は、香茶を酌み交わした。嵯峨天皇と空海は秋の一日、大沢池に舟を浮かべ、茶を汲み交わし逍遥、夕方、空海が山に帰るにあたり、嵯峨天皇が詠まれた詩「道俗相分かれて数年を経たり。今秋晤語するもまた良縁なり。香茶酌みやすみて
【法隆寺 伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像】鎌倉時代の記録では橘三千代*の念持仏とあるが根拠不明。金銅製の後屏・台座を伴った木製厨子入りの銅造鍍金像。白鳳時代。中尊像高33.3cm。国宝【橘夫人】天武朝から元正朝の5代に歴仕した、古代屈指の有力女官。父は東人
【県犬養三千代】天武、持統、文武、元明、元正の5代に歴仕した古代屈指の有力女官。父は東人(あずまひと)。初め美努(みぬ)王に嫁し、葛城王(橘諸兄)、牟漏女王らを産み、藤原不比等に再嫁して光明子を産む。持統、元明、元正3女帝の信任、文武、聖武の養育。天平5年没
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)
【空海『即身成仏義』(819-820)】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)。文献、竹村牧男
【狩野山楽】浅井家滅亡、秀吉、秀忠(1559-635)浅井長政の家臣で自らも画をよくした木村永光の子として近江国に生まれる。幼名を平三、のちに光頼。浅井家滅亡とともに父永光が豊臣秀吉に仕える彼も秀吉の小姓。秀吉の計らいで狩野永徳の門に入り狩野姓を授けられ修理亮

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