« 質疑応答「国際政治 トランプ政権、ウクライナ戦争・ガザ」上智大学ソフィア文化芸術ネットワーク、上智大学  | トップページ | 手塚治虫『火の鳥』・・・火の鳥の血と不死、永遠の孤独、不滅の愛 »

2025年5月 5日 (月)

国宝の名刀と甲冑・武者絵 三井家の五月人形・・・刀剣の美、曲線美、直刃と乱刃、沸と匂


Mitsui-kinen-142025
Daikakuji-tnm-2025_20250505180801
Egypt-3900-2025
Egypt-ramses2-2025
Mitsui-kinen-142020
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第399回
刀剣の美、曲線美、刃文の美、直刃と乱刃、沸と匂
刀剣の美は、曲線美である。波紋の美しさは、直刃と乱刃。乱刃には流派の特徴あり。小乱、丁子乱、互の目、湾れ。小乱は、平安・鎌倉時代初期、丁子乱は鎌倉時代中期、互の目は鎌倉時代末期以来、各流派、室町時代に流行する。刃文の美、沸は砂のように粒子状、匂は粒子が細かく霞に見える。三井記念美術館。
刀剣を作る巨匠は、人を切る武器を作る職人ではない。権力者が愛する刀剣は、王から王者へと、権力者から権力者へと伝えられる。
天に通ずる王、天下布武。武の七徳、清静は天下の正たり。
【運命の名刀】織田信長は、桶狭間の戦いで今川義元を破り、名刀・義元左文字を所持。本能寺の変が起きた時にも義元左文字を所持していた、焼け跡から秀吉が発見して所蔵。 足利義政伝来の曜変天目茶碗を所持したが、本能寺の変で焼亡した。
大成は欠くるが若く、其の用は敝きず。大盈は冲(むな)しきが若く、其の用は窮(きわ)まらず。大直は屈するが若く、大巧は拙(つた)なきが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。燥は寒に勝ち、静は熱に勝つ。清静は天下の正たり。「老子」第45章。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
「国宝 日向正宗」正宗作 鎌倉時代・14 世紀 刀剣乱舞の刀。
豊臣秀吉から石田三成に下賜、関ケ原役で水野日向守勝成が入手した
「日向正宗」は、石田三成が妹婿福原直高に与え、関ケ原役で水野日向守勝成が手に入れたことによる。元は秀吉が所持し、その後石田三成に下賜された。正宗短刀の筆頭にあげられる名刀。相州伝の二人の傑作が2つの展示室で見られる。

「国宝 徳善院 貞宗」貞宗作 鎌倉~南北朝時代・14 世紀 
貞宗は、正宗の実子とも養子とも伝えられますが、豊臣秀吉が所持し、五奉行の一人前田徳善院玄以が拝領したところから、「徳善院 貞宗」と呼ばれました。その後徳川家康、紀州徳川家、西条松平家へと伝わり、おそらく近代になってから三井家に伝わりました。
【正宗】正応~嘉暦年間の相模の刀工。岡崎五郎入道正宗、岡崎正宗、岡崎五郎入道。日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人。「相州伝」と称される作風を完成し、多くの弟子を育成した。「長谷川忠右衛門刀工系図」や「古刀銘尽大全」では文永元年(1264年)生まれ、康永2年(1343年)81歳で没。
――
権力者には、分析家指揮官型・織田信長。番人型・徳川家康。日本は官僚型。建築家・アクエンアテン王、建築家・ラメセス2世は、分析家グループ。冒険家クレオパトラ7世は、探検家グループ。
【人生の舞台、16の性格】外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検家グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生の舞台、自分の必殺技をどう披露
――
これまで見た刀剣
【ラムセス大王展、古代エジプト中王国時代イタ王女の短剣】エジプト博物館。3900年ほど前のエジプト王女の墓から見つかった短剣。柄の部分が美しい、ラピスラズリ 有村元春
ラメセス2世の糸杉で作られた木棺
【大覚寺展】鬼切丸、髭切丸
清和源氏に代々受け継がれてきた「兄弟刀」として伝えられる重要文化財、大覚寺所蔵の「太刀 銘 □忠(名物 薄緑<膝丸>)」と、北野天満宮所蔵の「太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸<髭切>)」が、京都以外では初めてそろって展示。
――
「太刀 銘 □忠(名物 薄緑<膝丸 >)」と「太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸<髭切>)」は、平安時代中期(10世紀)、清和源氏の祖・源経基の嫡男である源満仲が、勅宣により天下守護の太刀を求め、異国からきた刀工が八幡神の加護を受けてつくりあげたと伝えられている。その後は、そのときどきに起きた霊異譚(れいいたん)によって名を変えながら、所持者を勝利に導く存在として源氏に代々受け継がれてきた。
重要文化財「太刀 銘 □忠(名物 薄緑<膝丸>)」
源満仲、頼光、義経などの清和源氏に代々受け継がれてきた「薄緑」および「膝丸」という伝承の太刀。源満仲は平安時代中期の武士であり、藤原摂関家と密接に結びつき、清和源氏の発展の基礎を築いた。太刀は長大で力強い刀身を持ち、細やかに乱れた刃文が焼き入れられており、鎌倉時代初期の備前刀の作風が認められる。
重要文化財「太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸<髭切>)」
源満仲から頼朝にいたるまでの源氏の重宝「鬼切丸」および「髭切」の伝承を持つ太刀。鎌倉幕府が滅亡した際、新田義貞がこれを手に入れ、その後、義貞を討った斯波高経の手に渡り、その子孫である最上家に受け継がれたと伝えられている。刀身は身幅やや狭く中反りの優美な太刀姿を示し、平安時代末期から鎌倉時代にかけての特徴を備えている。
★開創1150年記念特別展「旧嵯峨御所 大覚寺-百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」
【七支刀、石上神宮】4世紀
【「七支刀」石上神宮・・・謎の刀。百済からの贈物。類例がなく意味不明】
国宝「七支刀」(泰和4年369年、古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵 全長74.8㎝)
七支刀は、鹿の角のような形状が有名である。謎の刀。
刀身の両面に金象嵌された61文字の銘文がある。泰□四年□月十六日丙午正陽造百錬鋼七支刀□辟百兵宜供供候王□□□□作 (表)
先世以来未有此刀百済□世□奇生聖音故為倭王旨造□□□世 (裏)
中国の東晋の年号である「太和」「泰和」、西暦369年説が有力。銘文の意味は、
泰和4年丙午正陽、百錬の鋼の七支刀を作った。百兵を避けることができる。先世以来このような刀は未だ存在しない。百済王の太子が倭王のためにこの七支刀を作った。
石上神宮 石上神宮の国宝七支刀と物部氏の布留遺跡
「七支刀」この剣は、369年に百済の王が、倭国王のために作り、372年に贈られた「日本書紀」記録。石上神社の神宝として、1700年間受け継がれてきた。丙午(ひのえうま)正陽、百練の銕の七支刀を造る、と銘文が読める。鉄を鍛えるのに火陽・火陽の日に行う、陰陽五行思想。
――
参考文献
国宝の名刀と甲冑・武者絵 三井家の五月人形・・・刀剣の美、曲線美、直刃と乱刃、沸と匂
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-30d565.html
「出雲と大和」東京国立博物館、日本書紀成立1300年
「出雲と大和」東京国立博物館・・・大海人皇子、大王から天皇へ
https://bit.ly/2ReO0wz 
美への旅 旧嵯峨御所 大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画 質疑応答篇
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-fe0b54.html
「旧嵯峨御所大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」・・・嵯峨天皇と空海、運命の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/01/post-075dfa.html
――
国宝の名刀と甲冑・武者絵 三井家の五月人形、三井記念美術館、2025年4月12日から6月15日
https://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html

|

« 質疑応答「国際政治 トランプ政権、ウクライナ戦争・ガザ」上智大学ソフィア文化芸術ネットワーク、上智大学  | トップページ | 手塚治虫『火の鳥』・・・火の鳥の血と不死、永遠の孤独、不滅の愛 »

日本美術史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 質疑応答「国際政治 トランプ政権、ウクライナ戦争・ガザ」上智大学ソフィア文化芸術ネットワーク、上智大学  | トップページ | 手塚治虫『火の鳥』・・・火の鳥の血と不死、永遠の孤独、不滅の愛 »