« 「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院 | トップページ | 「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」・・・フィンセント、弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム、100年の物語 »

2025年9月28日 (日)

「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」2・・・無著、世親、唯識派の思想、唯識派と中観派の矛盾

Unkei-asahi-4-tnm-2025
Unkei-bimado-tnm-2025
Unkei-asahi-tnm-2025_20250928172201
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第407回
無我説と輪廻転生説は矛盾する。アートマンは存在しない、輪廻転生する識体は存在する。この矛盾をどのように解決するのか。中観派、龍樹は「あらゆる存在(一切法)は、縁起によって成立しており「独立した不変の実体」(=自性)はもたない(無自性空)とする」。唯識派、世親は「輪廻転生の主体は第8識、阿頼耶識である」。
密教学者、宮坂宥勝「『暁の寺』には輪廻転生の思想が散りばめられている。唯識哲学によって輪廻転生の主体が阿頼耶識であると結論づけている。前5識(眼識、耳識鼻識、舌識、身識)、の奥に第6識意識、第7識末那識があり、さらにその奥に阿頼耶識がある
『唯識三十頌』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【興福寺、北円堂】710年平城遷都の際、創建。藤原不比等追善供養のため721年に建立。法相宗、唯識学【瑜伽行唯識学派、世親】「唯識三十頌」「唯識二十論」。「唯識三十頌」で八識説を唱え、種子は前五識から6識・意識、7識・末那識を通過して、8識・阿頼耶識に飛び込んで、阿頼耶識に種子として薫習される。これが思考であり、外界認識である種子生現行。阿頼耶識縁起
【興福寺】710年の平城遷都の際、誕生。藤原不比等(ふじわらのふひと)の追善のために721年に建立される。法相宗、思想は唯識思想の寺院。
【「弥勒如来」】現在兜率天に住まい、釈迦入滅後の56億7千万年後にこの世に下生する、未来の救世主である。弥勒は2〜3世紀頃のガンダーラ地域において既に信仰され、その後バーミヤンを含む中央アジア、中国・朝鮮半島へと広がり。弥勒信仰の源流とアジアへの広がりとは何か
【印相】【広隆寺『弥勒菩薩、半跏思惟像』622。右手中指と親指の印相は何を表すのか。中宮寺『弥勒菩薩、半跏思惟像』。「興福寺北円堂、弥勒如来坐像」1212、右手は来迎印を表す。アヤソフィア寺院『デイシス(請願図)』(1260年頃)右手と親指印相、レオナルド『サルヴァトーレ・ムンディ』1500右手薬指と親指の印相は、何を表すのか。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
唯識派の思想
【識體の転変、第八識】識は転変する(転識得智)。前五識は、五感(眼、耳、鼻、舌、身)による感覚作用であり、成所作智、不空成就如来の智恵になる。第8識、阿頼耶識(大円鏡智)【種子薫習】阿頼耶識に薫じられて迷界を顕現する種子は3つある。名言種子、我執種子、有支種子
【瑜伽行唯識学派、世親】「唯識三十頌」「唯識二十論」。「唯識三十頌」では八識説を唱え、種子は前五識から6識・意識、7識・末那識を通過して、8識・阿頼耶識に飛び込んで、阿頼耶識に種子として薫習される。これが思考であり、外界認識である種子生現行。阿頼耶識縁起
【唯識という学派名】は、一切は心から現れるもの(識)のみであるという主張による。すでに最古の経典にその萌芽を見いだすことができる。『ダンマパダ』は「ものごとみな 心を先とし 心を主とし 心より成る」(藤田宏達訳)という句で始まる。
【唯識派の特徴は、心とは何かを問い、その構造を追究した点】にある。この派は、瞑想(瑜伽すなわちヨーガ)を重んじ、その中で心の本質を追究した。そのため瑜伽行派ともいわれる。
【アビダルマ哲学】によれば、われわれの存在は刹那毎に生滅をくりかえす心の連続(心相続)である。唯識派は心相続の背後にはたらくアラヤ識(阿頼耶識)を立てた。)服部正明・上山春平『認識と超越<唯識>』(「仏教の思想」第 4巻、角川書店、1970年)
――
■薫習、種子薫習
阿頼耶識に薫ぜられて迷界を顕現する種子について三種の薫習が説かれている。*無着『摂大乗論』。第一、名言種子。第二、我執種子。第三、有支種子。
「薫習の義とは、衣服に香なし、もし人、香をもって熏習するに、すなわち香気あるが如し」*『大乗起信論』
仏教の根本問題は、無我説と輪廻転生の矛盾である。無我説と輪廻転生の矛盾をいかに解決するのか。輪廻生死の主体は、阿頼耶識である。
空海【五智如来】大日如来を中心に、阿閦・宝生・無量寿(阿弥陀)・不空成就(釈迦)が東西南北囲む配。大日如来:法界体性智(大日如来の絶対的な知恵)阿摩羅識=第9識。阿閦如来:大円鏡智:阿頼耶識=第8識。宝生如来:平等性智:末那識=第7識。
■参考文献
無我説と輪廻転生、仏教の根本的矛盾・・・識體の転変、種子薫習。名言種子、我執種子、有支種子
金剛界曼荼羅の五仏、五智如来、仏陀への旅
転識得智、種子薫習
空海『即身成仏義』、大日如来の知恵 五智如来の知恵
空海の旅 旅する思想家、美への旅
旅する思想家、孔子、王羲之、空海と嵯峨天皇
【質疑応答】島薗進×大久保正雄『死生学』
――
【空(śūnya)、龍樹、中観派】龍樹はあらゆる存在(一切法)は、縁起によって成立しており「独立した不変の実体」(=自性)はもたない(無自性空)とする見方に立つ。すべてのダルマは存在するとする説一切有部と普遍の存在を主張するヴァイシェーシカ派を批判。
【説一切有部】上座部より分かれた。部派の祖はカタヤーヤニプトラ。自我は非実在、構成諸要素(諸法)は実在と見て、全宇宙を五つの範疇と75の構成要素(五位七十五法)に分ける整然たる体系をつくり上げた。《大毘婆沙論》《発智論》などが代表的著作、《倶舎論》が概説書
――
運慶(生年不詳 1150- 貞応2年12月11日(1224年1月3日)73歳)「無著、世親」「四天王」1212に至る軌跡。運慶作は31点、山本勉氏。
【「無著、世親」1212】運慶の晩年に制作された興福寺北円堂諸像の中の二体。運慶の指導の下、無著は六男の運助、世親は五男の運賀が担当した。無著像は老人の顔で右下を見、世親像は壮年の顔で左を向き遠くを見る。天平彫刻の写実、弘仁彫刻の繊細が融合。運慶『無着像』は西行がモデル。
【運慶による東寺講堂仏像の修復1192-97】1192年(建久3年)に後白河法皇が崩御すると、頼朝は法皇の追善のために、文覚に東寺再興を継続させた。そして、文覚の依頼を受けた運慶が諸像の修復に着手。1197年(建久8年)までには、講堂の仏像が整えられ、鎮守八幡宮が再建された。南大門の金剛力士像は運慶作だった。源頼朝の死後は文覚も失脚し、修造は中断されたが、【1233年(天福元年)、運慶の子康勝】によって弘法大師坐像が制作される(御影堂に安置)。
――
参考文献
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-3e4680.html
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」2・・・無著、世親、唯識派の思想、唯識派と中観派の矛盾
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-11ad71.html

|

« 「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院 | トップページ | 「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」・・・フィンセント、弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム、100年の物語 »

仏教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院 | トップページ | 「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」・・・フィンセント、弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム、100年の物語 »