「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院
【興福寺、北円堂】710年平城遷都の際、創建。藤原不比等追善供養のため721年に建立。法相宗、唯識学【瑜伽行唯識学派、世親】「唯識三十頌」「唯識二十論」。「唯識三十頌」で八識説を唱え、種子は前五識から6識・意識、7識・末那識を通過して、8識・阿頼耶識に飛び込んで、阿頼耶識に種子として薫習される。これが思考であり、外界認識である種子生現行。阿頼耶識縁起
【北円堂】は、弥勒如来を中心に、東に無著、西に世親、周りに、持国天、増長天、広目天、多聞天、四天王が守る。唯識派の思想家を守護する。
運慶(生年不詳 1150- 貞応2年12月11日(1224年1月3日)73歳)運慶はどこで、雄渾な弘仁彫刻のモデルを学んだのか。
【北円堂】は、弥勒如来を中心に、東に無著、西に世親、周りに、持国天、増長天、広目天、多聞天、四天王が守る。唯識派の思想家を守護する。
運慶(生年不詳 1150- 貞応2年12月11日(1224年1月3日)73歳)運慶はどこで、雄渾な弘仁彫刻のモデルを学んだのか。
円城寺《大日如来坐像》、運慶作、平安時代・安元2年(1176)、円成寺蔵、光得寺《大日如来坐像》、鎌倉時代 建久4(1193)年から、「無著、世親」「四天王」1212に至る軌跡。
唯識派、世親「唯識三十頌」では八識説を唱える。
【識體の転変、第八識】識は転変する(転識得智)。前五識は、五感(眼、耳、鼻、舌、身)による感覚作用であり、成所作智、不空成就如来の智恵になる。第8識、阿頼耶識(大円鏡智)【種子薫習】阿頼耶識に薫じられて迷界を顕現する種子は3つある。名言種子、我執種子、有支種子。
【運慶の作品、最も美しいのは何か】
円城寺《大日如来坐像》、運慶作、平安時代・安元2年(1176)、円成寺蔵
光得寺《大日如来坐像》、鎌倉時代 建久4(1193)年か。鑁阿寺より伝来。1196年(建久7年)。足利義兼が制作依頼した像で、義兼が自ら背負って諸国を歩いた。
興福寺、国宝、弥勒如来、無著、世親、四天王像、持国天、増長天、広目天、多聞天、興福寺、北円堂。建暦2年(1212)頃、興福寺蔵
重要文化財 仏頭、運慶作、鎌倉時代・文治2年(1186)、興福寺蔵
国宝 運慶願経(法華経巻第八)、平安時代・寿永2年(1183)
国宝 毘沙門天立像、運慶作、鎌倉時代・文治2年(1186)、静岡・願成就院蔵
国宝 八大童子立像のうち恵光童子・制多伽童子、運慶作、鎌倉時代・建久8年(1197)頃、和歌山・金剛峯寺蔵
重要文化財 阿弥陀如来坐像および両脇侍立像、重要文化財 不動明王立像、重要文化財 毘沙門天立像、運慶作、鎌倉時代・文治5年(1189)、神奈川・浄楽寺蔵
国宝 無著菩薩立像・世親菩薩立像、運慶作、鎌倉時代・建暦2年(1212)頃、興福寺蔵
重要文化財 聖観音菩薩立像、運慶・湛慶作、鎌倉時代・正治3年(1201)頃、愛知・瀧山寺蔵
重要文化財 十二神将立像、京都・浄瑠璃寺伝来、鎌倉時代・13世紀
「運慶」 ・・・魂の深淵
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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運慶(生年不詳 1150- 貞応2年12月11日(1224年1月3日)73歳)「無著、世親」「四天王」1212に至る軌跡。運慶作は31点、山本勉氏。
【「無著、世親」1212】運慶の晩年に制作された興福寺北円堂諸像の中の二体。運慶の指導の下、無著は六男の運助、世親は五男の運賀が担当した。無著像は老人の顔で右下を見、世親像は壮年の顔で左を向き遠くを見る。天平彫刻の写実、弘仁彫刻の繊細が融合。運慶『無着像』は西行がモデル。
【運慶による東寺講堂仏像の修復1192-97】1192年(建久3年)に後白河法皇が崩御すると、頼朝は法皇の追善のために、文覚に東寺再興を継続させた。そして、文覚の依頼を受けた運慶が諸像の修復に着手。1197年(建久8年)までには、講堂の仏像が整えられ、鎮守八幡宮が再建された。南大門の金剛力士像は運慶作だった。源頼朝の死後は文覚も失脚し、修造は中断されたが、【1233年(天福元年)、運慶の子康勝】によって弘法大師坐像が制作される(御影堂に安置)。
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【院派、円派、慶派】平安後期、平等院鳳凰堂の国宝「阿弥陀如来坐像」仏師・定朝が活躍する。定朝の優雅で穏やかな様式は平安の貴族たちに愛され、「定朝様」と呼ばれる一大流派が形成。定朝様の流派は京都の「院派」「円派」、奈良・興福寺を拠点とする「慶派」にわかれる。貴族との結びつきが深い京都の仏師に比べると、奈良の慶派は劣勢。慶派の仏師たちは主に仏像の修理など地味な仕事を請け負った。
経験は慶派にとって大きな財産となる。院派・円派が貴族の好みに合わせ像ばかりをつくっていた頃、慶派の仏師たちは仏像の修理を通して、定朝以前に作られた
【天平初期】東寺仏像がもつ写実的で力強い作風に触れ、研究する。慶派から天才の名を欲しい儘にするひとりの仏師が登場する。運慶は世の中にあふれていた優美な仏像ではなく、肉感的で躍動感のある仏像を制作。現在も各地に運慶作と伝わる仏像が残されているが、真作と認められている作品は31点。山本勉氏。
資料や銘記などから運慶作と確実視されているものでは、奈良・円成寺「大日如来坐像(国宝)」、奈良・東大寺南大門「金剛力士立像(国宝)」、そして奈良・興福寺「北円堂諸仏(国宝)」が知られている。
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【興福寺の北円堂】鎌倉時代を代表する仏師・運慶の仏像が安置される空間をそのまま伝える貴重な例。本尊の弥勒如来坐像、両脇に控える無著(むじゃく) ・世親(せしん)菩薩立像は、運慶晩年の傑作として広く知られている。弥勒如来坐像、無著・世親菩薩立像と、かつて北円堂に安置されていたとされる四天王立像の合計7軀の国宝仏を一堂に展示し、鎌倉復興当時の北円堂内陣の再現の試み。
開催趣旨について
【興福寺】710年の平城遷都の際、現在の地に誕生、1300年の時を重ねています。境内の北西に位置する北円堂は、創建者である 藤原不比等(ふじわらのふひと)の追善のために721年に建立されるも、1049年の火災、1180年の平氏による南都焼き討ちで二度にわたって焼失してしまいます。復興には長い年月が費やされ、1210年頃に堂が完成、造像は氏長者 近衛家実(このえいえざね)の命により運慶一門が手がけ、1212年頃には北円堂諸仏が再興された。
左から、世親菩薩立像、弥勒如来坐像、無著菩薩立像 すべて国宝 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵
【堂内に安置する仏像】創建時にならい、弥勒如来をはじめとする9軀とされました。弥勒三尊像の両脇には、北インドで活躍し、法相宗の根幹となる唯識思想を確立した無著・世親兄弟の像が控える。今に伝わる弥勒如来像、無著・世親像の3軀は、力強さや写実性を持ち合わせつつ、静かな落ち着きに包まれており、ここに運慶が晩年に到達した境地を見ることができる。
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展示作品の一部
国宝 世親菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵
国宝 無著菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺
このときの北円堂の四天王像は長い間失われたものとされてきましたが、現在中金堂に安置されている四天王像がこれにあたるという説が近年支持を集めている。賑やかな装飾、激しい表情の四天王像は、弥勒如来像、無著・世親 像とは雰囲気を異にするが、天平彫刻を基調としたその優れた造形から運慶一門の作と考えられている。
【国宝 四天王像(中金堂)】鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵、左上:広目天、右上:増長天、左下:持国天、右下:多聞天
【興福寺北円堂について】
藤原不比等の一周忌にあたる721年8月に元明・元正天皇が、長屋王に命じて建てさせた。興福寺伽藍の中では西隅に位置しているが、ここは平城京を一望の下に見渡すことのできる一等地で、平城京造営の推進者であった不比等の霊を慰める最良の場所である。1180年の被災後、1210年頃に再建された。現存する興福寺の堂宇の中で最古の建物で、国宝に指定されている。
【国宝 興福寺北円堂 外観】八角形の円堂で、内陣には同じ八角形の須弥壇があり、本尊・弥勒如来坐像をはじめとする9軀の仏像が安置されている。奈良時代の建築の特徴を残した和様建築の傑作として知られており、日本に現存する八角円堂で最も優美な建築と賞賛される 。
国宝 興福寺北円堂 堂内
興福寺北円堂は通常非公開だが、弥勒如来坐像の修理完成を記念し、約60年ぶりの寺外公開となった。
※すべての掲載画像について、撮影:佐々木香輔
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参考文献
「運慶」 東京国立博物館・・・魂の深淵
http:// bit.ly/ 2xK3Hlr
「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」・・・空海、理念と象徴
https:/ /bit.ly /3fyOaY F
「密教彫刻の世界」東京国立博物館・・・愛染明王、金剛薩埵の化身
https:/ /bit.ly /2WNIoN t
帝釈天騎象像、七頭の獅子に坐る大日如来・・・守護精霊は降臨する
https:/ /bit.ly /34JOIb 2
http:// mediter ranean. cocolog -nifty. com/blo g/2023/ 08/post -d241f1 .html
「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院
http:// mediter ranean. cocolog -nifty. com/blo g/2025/ 09/post -3e4680 .html
運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ
http:// mediter ranean. cocolog -nifty. com/blo g/2023/ 11/post -f2daa5 .html
――
東京国立博物館 本館特別5室(東京都台東区上野公園13-9)
2025年9月9日~11月30日
開館時間:9時30分~17時(入館は閉館30分前まで)
休館日:9月29日、10月6日、14日、20日、27日、11月4日、10日、17日、25日
観覧料:一般1,700(1,500)円/大学生900(700)円/高校生600(400)円
東京国立博物館公式サイト
https:/ /www.tn m.jp/mo dules/r _free_p age/ind ex.php? id=2706
展示作品の一部
国宝 世親菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵
国宝 無著菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺
このときの北円堂の四天王像は長い間失われたものとされてきましたが、現在中金堂に安置されている四天王像がこれにあたるという説が近年支持を集めている。賑やかな装飾、激しい表情の四天王像は、弥勒如来像、無著・世親 像とは雰囲気を異にするが、天平彫刻を基調としたその優れた造形から運慶一門の作と考えられている。
【国宝 四天王像(中金堂)】鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵、左上:広目天、右上:増長天、左下:持国天、右下:多聞天
【興福寺北円堂について】
藤原不比等の一周忌にあたる721年8月に元明・元正天皇が、長屋王に命じて建てさせた。興福寺伽藍の中では西隅に位置しているが、ここは平城京を一望の下に見渡すことのできる一等地で、平城京造営の推進者であった不比等の霊を慰める最良の場所である。1180年の被災後、1210年頃に再建された。現存する興福寺の堂宇の中で最古の建物で、国宝に指定されている。
【国宝 興福寺北円堂 外観】八角形の円堂で、内陣には同じ八角形の須弥壇があり、本尊・弥勒如来坐像をはじめとする9軀の仏像が安置されている。奈良時代の建築の特徴を残した和様建築の傑作として知られており、日本に現存する八角円堂で最も優美な建築と賞賛される 。
国宝 興福寺北円堂 堂内
興福寺北円堂は通常非公開だが、弥勒如来坐像の修理完成を記念し、約60年ぶりの寺外公開となった。
※すべての掲載画像について、撮影:佐々木香輔
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参考文献
「運慶」 東京国立博物館・・・魂の深淵
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「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」・・・空海、理念と象徴
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「密教彫刻の世界」東京国立博物館・・・愛染明王、金剛薩埵の化身
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帝釈天騎象像、七頭の獅子に坐る大日如来・・・守護精霊は降臨する
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「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」1・・・弥勒如来、無著、世親、唯識思想の寺院
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運慶の旅、金剛界、大日如来・・・東寺講堂、円城寺、光得寺、彼方へ
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――
東京国立博物館 本館特別5室(東京都台東区上野公園13-9)
2025年9月9日~11月30日
開館時間:9時30分~17時(入館は閉館30分前まで)
休館日:9月29日、10月6日、14日、20日、27日、11月4日、10日、17日、25日
観覧料:一般1,700(1,500)円/大学生900(700)円/高校生600(400)円
東京国立博物館公式サイト
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